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2000-04-27 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第8号 公式Web版

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  1. 会議録情報

    平成十二年四月二十七日(木曜日)     午前九時一分開議  出席委員    会長 中山 太郎君    幹事 愛知 和男君 幹事 杉浦 正健君    幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君    幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君    幹事 仙谷 由人君 幹事 平田 米男君    幹事 佐々木陸海君       石川 要三君    石破  茂君       衛藤 晟一君    奥田 幹生君       奥野 誠亮君    久間 章生君       小泉純一郎君    左藤  恵君       白川 勝彦君    田中眞紀子君       高市 早苗君    中曽根康弘君       平沼 赳夫君    船田  元君       穂積 良行君    三塚  博君       村岡 兼造君    森山 眞弓君       柳沢 伯夫君    山崎  拓君       横内 正明君    石毛えい子君       枝野 幸男君    島   聡君       中野 寛成君    畑 英次郎君       藤村  修君    松沢 成文君       横路 孝弘君    石田 勝之君       太田 昭宏君    倉田 栄喜君       福島  豊君    春名 直章君       東中 光雄君    安倍 基雄君       中村 鋭一君    達増 拓也君       二見 伸明君    伊藤  茂君       深田  肇君     …………………………………    衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君     ————————————— 委員の異動 四月二十七日  辞任         補欠選任   藤村  修君     松沢 成文君   志位 和夫君     春名 直章君 同日  辞任         補欠選任   松沢 成文君     藤村  修君   春名 直章君     志位 和夫君     ————————————— 本日の会議に付した案件  日本国憲法に関する件     午前九時一分開議      ————◇—————
  2. 中山会長(中山太郎)

    中山会長 これより会議を開きます。  日本国憲法に関する件について調査を進めます。  本日の調査会は、委員間の自由な討議を行っていただきます。  討議を始めるに当たりまして、一言ごあいさつを申し上げます。  委員各位承知のとおり、来る五月三日は、衆参両院憲法調査会設置されてから初めて迎える憲法記念日であります。本日、憲法記念日目前に控えて、我が国基本法である日本国憲法について委員各位から自由な意見表明をちょうだいすることの意義は、極めて大きなものがございます。  さて、我が衆議院憲法調査会におきましては、今国会冒頭、一月二十日の設置以来、初めに各会派からの調査会審議に臨むに当たっての所信を聴取し、その後、十人の参考人をお招きして意見の交換が行われました。それぞれの質疑を通じて、日本国憲法制定経緯につきましては、それぞれの立場の違いによる評価は別といたしましても、各会派とも、客観的な事実に関する共通認識を持ちつつあるところと存じております。  その日本国憲法制定施行から既に五十三年を経過いたしました。この間に、個人人権尊重主権在民侵略国家とはならないという憲法の三つの理念は、深く国民の間に浸透し、しっかりと根づいているものと言えましょう。しかし、その一方では、我が国内外の諸情勢は、憲法制定時には想像もできなかったほどに変貌をいたしていることも事実でございます。  冷戦の終結後、世界は、自由貿易による市場拡大と国境なき大競争の時代に入っております。我が国は特に、急速に迫りくる少子高齢化社会の到来と経済ボーダーレス化の進行する中で日本経済は現在低迷を続けており、いかにしてこの国の再生を果たすのか、また、世界の平和を守るために国連加盟国として我が国の果たすべき役割はいかなるものか、また、北東アジアに位置する国家として、地域の集団安全保障が構築された場合にいかなる態度で臨むかといった我が国基本的枠組みについて、真剣に私ども討議をしなければならないと存じております。  このような中にあって、憲法あり方について広範かつ総合的な調査検討を行い、その結果を早急に国民に提示することが、国権の最高機関たる国会使命であると存じます。  その際、調査検討に付すべき問題としては、昭和三十年代に内閣に設置されました憲法調査会が掲げている十の問題点、すなわち、日本憲法はいかなる憲法であるべきか、現行憲法改正に関してはいかなる態度をとるべきか、天皇制あり方はいかにあるべきか、日本自衛体制はいかにあるべきか、基本的な人権保障はいかにあるべきか、政治基本機構はいかにあるべきか、司法権の組織及び権限はいかにあるべきか、地方自治あり方はいかにあるべきか、緊急事態ないし国家非常事態に対処する制度はいかにあるべきか、政治機構の基礎にあるものとしての政党及び選挙について憲法はいかなる態度をとるべきかの十項目は、現時点においてもその重要性は失っておりません。  さらに、もう一つ忘れてはならないことは、憲法国民のものということであります。  私は、憲法調査会会長として、常に国民とともに歩む憲法調査会を目指してまいりました。この憲法調査会において、私ども国会議員として、日本国憲法九十六条は、主権在民前提として、国民選挙によって選ばれた国会議員の三分の二が改正案を決議した場合、その可否は国民投票の結果にゆだねなければならない。国会議員の責任は極めて大きなものがあると存じております。  本日の会議意味のある会議であることを心から祈念いたしまして、自由な御意見の御開陳を願いたいと存じます。  これより委員各位による自由な討議に入りたいと存じます。  議事進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順発言していただき、その後、順序を定めず討議を行いたいと存じます。  なお、議事整理のため、御発言は、挙手により、会長の指名に基づいて、自席から直接、着席のまま所属会派と氏名を述べてからお願いをいたします。また、一回の発言は五分以内におとどめをいただきますようお願いをいたします。  委員発言時間の経過についてのお知らせですが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたしたいと存じます。  それでは、三塚博君。
  3. 三塚委員(三塚博)

    三塚委員 中山太郎会長の進行により、有意義な、最も大事なスタートを自由討論の中で行われますこと、御同慶にたえません。  憲法調査会が昨年本院において設置をされてからでありますが、会長のもとに、委員各位、ともに熱心かつ真剣な調査審議が行われてまいりましたことは御承知のとおりであります。  本調査会議案提出権はありませんが、調査報告等は適時行われていかなければなりませんし、会長のただいまの御発言の中にも、国民に向けてリポートを出すことを触れられました。そのとおりであります。私どもも、国会報告等を通じまして、日本国憲法がいかなるポジションにありますか、またいかなる形のものでなければならないか、これから全力を尽くさなければならぬと思っておるところであります。  さて私は、審議調査進め方について若干申し上げたいと思います。御理解を得て、善処されますことを望みます。  まずその第一は、調査会期間についてでありますが、調査会期間は、申し合わせにより、おおむね五年程度といたしております。憲法は国の基本法でありますから、しっかりとした議論が必要でありますことは当然であります。しかしながら、何でも五年でなければならないということはいかがなものかと存じます。  内外ともに激震の時代であります。議論期間についても柔軟性を持って考えるべきであります。コンセンサスが得られたもの、また国民各位からほうはいとして起きた問題点は、前倒しで行うことがあってもよろしいのではないかと考えるものであります。  なぜなら、環境問題、危機管理教育改革など、現在国が直面をしておる喫緊の課題に対して現憲法現実に対応できずにいるからであります。国滅びて憲法残るでは政治ではございません。  第二の問題は、九条の問題であります。  違憲、合憲の論議が、神学論争が続けられてまいりましたが、これに終止符を打つことが大事であります。個人正当防衛権緊急避難権がありますように、国家にもそのことは許されております。自衛権国家固有権利であることを憲法に明記するときが来たのではないでしょうか。  一方、平和主義国家理念を高く掲げております我が日本世界に向けて宣言する大事なポイントがございます。被爆国日本であります。広島長崎、悲惨な、残酷な大量破壊殺人行為が行われたと言っても過言ではない状態であります。よって、核廃絶を明記していかなければなりません。このことを強く訴え、そして、地球人類が、地球本体人類とともに永遠に協調していけるような時代をつくっていかなければなりません。  もう一度申し上げます。二度と再び広島長崎の悲劇を地上にもたらさない、そのことが現代に生きておる人間の、国民の大変大事なポイントであるということであります。核廃絶を申し上げましたその理由は、世界人類のためにであります。同時に地球の安泰のためにであります。  最後に、環境問題について若干触れます。  先進国途上国、また先進国同士、利害が相反し、考えの相違が出てまいりました。我が国環境について世界政治をリードしていくためにも、環境立国理念を明記すべきときではないでしょうか。  以上、申し上げさせていただきました。よろしくお願いします。
  4. 中山会長(中山太郎)

    中山会長 ありがとうございました。  次に、仙谷由人君。
  5. 仙谷委員(仙谷由人)

    仙谷委員 民主党の仙谷由人でございます。私の、憲法記念日記念した憲法調査会での発言をさせていただきます。  私たち世代は、日本国憲法とともに生まれて、そしてその価値観に身を浸しながら生きてきました。私たち明治憲法時代を知りません。  明治憲法時代がいかなる時代であったのか。たまたま昨日の朝日新聞の夕刊でございますが、「今国のかたち考 愛国と小国」という表題で記事が出されておりました。司馬遼太郎さんの「「明治」という国家」に記載をされております、明治国家に対するある種の積極的評価でございました。  ただ、司馬遼太郎さんにいたしましても、日中戦争への突入あるいはノモンハン事件についての司馬さんのお考えというものは、私どもに大変重大な意味を投げかけているのではないかと思います。つまり、統帥権独立を盾にとって軍国主義が暴走した、これを許容する憲法上の制度的な問題が存在したのではないかという疑念であります。  日本国憲法は、その前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」というふうに書いております。日本はこのときに、疑似近代国家から本物の近代国家へと変革を遂げるという決意をその国家観で明確に語ったと言うべきでありましょう。私は、これは、憲法国家権力に対する猜疑の体系であるというトーマス・ジェファーソンの有名な言葉、この近代国家における憲法原則というふうなものと、先ほど申し上げた前文記載共通するものがあると考えております。そしてまた、これは憲法という法律考えるときの基本認識でなければならないと考えております。  この近代国家憲法原則、つまり、権力行使法律、つまりこれは議会でつくられるものでありますが、議会主権者たる人民の代表者意思に基づくというものを前提としているわけでありますが、権力行使法律によってコントロールされなければならないということと同時に、国家は人々の基本的な権利を侵してはならない。これはまた、世界人権宣言国際人権規約にうたわれている基本的人権尊重という普遍的価値と軌を一にするものでございますが、そのことが確認をされなければならないと思います。専制と隷従、圧迫と偏狭、恐怖と欠乏からの自由を保障することもまた近代主権国家原則でございます。  押しつけ憲法論というのがございます。自主憲法制定論というのもございます。これを展開する方々にぜひお願いしたいしお聞きしたいのは、不十分とはいえ今私たちが享受している制度的な保障、つまり国民主権基本的人権平和主義、この制度的な保障と、明治憲法下天皇主権統帥権独立、あるいは治安維持法大政翼賛会を許容した抑圧体制法定手続を無視した司法官憲政治的な権利のない、あるいは政治的な権利保障されずに家制度に縛りつけられた女性等々、こういう国家体制と、どちらが人間の存在と活動にとって望ましいかということをお答えいただければと思っているところであります。  今申し上げた近代国家の基本的な価値前提としつつも、私どもは、グローバル市場の暴走をコントロールし、地球環境を保全し、戦争を回避するための防衛についての主権国家の限定された防衛力、あるいは、公がイコール官ではない新しい公共心に基づく市民社会における貢献や寄与についての規範、このようなものを含む新しい国家論人権論を必要としている、そしてまた、EUの今の試みはそのような問題意識に基づいた壮大な実験であるという想像力を持つべきであろうと思っております。  以上でございます。
  6. 中山会長(中山太郎)

  7. 倉田委員(倉田栄喜)

    倉田委員 公明党・改革クラブ倉田栄喜でございます。  私は、当調査会での今までの議論についての問題意識と、それから、これから当調査会がどのように進んでいくべきなのかということについて、二つ申し上げさせていただきたいと思います。  一つでありますけれども、当調査会では憲法制定過程について検証を重ねてまいりましたが、制定過程検証とともに、現行憲法そのもの検証についても今後議論する必要があるのではないかということを一つ申し上げたいと思っております。すなわち、敗戦から今日までに、現行憲法国民主権平和主義基本的人権尊重等がどのように現在までの日本国に対して機能をしてきたのか、そしてそのことをどう総括をするかということも必要であろう、こう思うからであります。  いま一つでありますけれども制定過程とともに、私は、現行憲法規定をしている中身の問題についてさらに議論を深める必要があるのではないかと考えております。  先ほど会長のお話の中にもありましたけれども、例えば国民主権天皇制の問題。私は、民主主義の他方に伝統主義があるのではないかと考えるわけであります。極端に言えば、民主主義はすべて多数意思で決定することができる性質のものですが、伝統主義伝統文化に重きを置くものであると考えれば、多数意思によっても変更できないものがあるということを認めることになるのではないのか。その延長線上で、象徴天皇制をどう理論的に明確にするのか。我が国現行憲法での体制が、これは講学上の議論であるかもしれませんけれども立憲君主制なのか共和制なのか、当然議論をしなければならないのではないかと考えております。  中身の問題でさらに申し上げさせていただければ、主権との関係考えれば、先ほど御指摘のありました九条の問題もそうであります。この九条の問題を論ずるに当たりましても、平和主義、こう言うわけでありますけれども、その平和主義中身について、やはり共通認識が得られるような議論の深まりが必要であろうかと思います。また、基本的人権尊重と言った場合の人権意味、そして権利あるいは義務との関係議論ももっと深める必要がある。  以上、二つのことを申し上げさせていただきたいと存じます。  以上でございます。
  8. 中山会長(中山太郎)

  9. 東中委員(東中光雄)

    東中委員 日本共産党東中光雄でございます。  本日は、憲法記念日を前にしての自由討論ということでありました。  日本国憲法は一九四七年五月三日に施行されました。そのとき、新憲法施行記念式典が皇居前で、全閣僚、全議員一般国民、約一万人が集まって行われております。そして、憲法全文と解説を載せた「新しい憲法・明るい生活」という冊子を二千万部、五月三日当日に全世帯に配ったということが記録に残っております。日本国憲法は全国民のものにするということで施行されたことは明白でありました。  翌年の五月三日に、新憲法施行一周年記念式典三権の長が主催して開かれて、当時の芦田均首相は、新憲法民主政治の確立と世界恒久平和の達成とを力強く宣言している点で世界に比類ないものである、新憲法の理想に基づいて国政を運営し、日常生活の末端にまでこの精神を徹底させることを最大使命としなければならないという、宣言といいますか、演説をしています。  こうした記念式典は、その後、四九年から五二年まで毎年開かれております。参加者は、三権の長が全部参加をし、国会議員参加し、最後の五二年のときには、五周年記念ということでもありまして、三万人が集まっています。ところが、政府挙げてのこの憲法記念式典は、一九五三年から一切中止されたのであります。  なぜならば、まずアメリカが、早くも一九四八年に、米軍内で日本の限定的再軍備憲法修正検討を始めたことが今文書で明らかになっております。朝鮮戦争背景として、一九五〇年には警察予備隊を創設し、再軍備の方向を打ち出した。一九五三年、訪日したニクソン副大統領が、戦争放棄憲法制定させたのは誤りだったということを公然と述べることになった。こうして、日本の再軍備拡大とともに、その最大の障害となる憲法改正アメリカ側から要求してきたということがあります。  そのもとで、一九五二年二月には改進党が、自衛軍創設占領法令憲法を含む諸制度の全面的再検討を掲げるようになりました。鳩山一郎氏は改憲、再軍備を主張し、五三年には自由党内に憲法調査会がつくられ、岸信介氏が会長になります。そして、自主憲法期成議員同盟が結成された。この流れの中で、保守合同で自由民主党が結成されて、自主憲法制定の動きが出てきたわけであります。こうして、今日では海外派兵のための憲法九条の改憲がたくらまれるという大きな流れになっております。  私たちは、日本国憲法五つ原則があると思っています。国家主権国民主権、そして恒久平和、基本的人権議会制民主主義、そして地方自治。この五つの平和的、民主的な原則は、二十世紀につくられた世界のどの憲法を見ましても、最も先駆的なものを持っている、非常に進んだものだというふうに思っています。とりわけ、基本的人権生存権保障している問題、あるいは、恒久平和主義の中で、国連憲章戦争を違法とする、そういう流れの中で、最も徹底した先駆的なものになっています。これを守るための調査が必要だと考えておる次第であります。  以上です。
  10. 中山会長(中山太郎)

  11. 中村(鋭)委員(中村鋭一)

    中村(鋭)委員 たまたま、きのうの産経新聞の夕刊カナダ国歌が出ておりました。一節であります。ちょっと朗読をさせていただきます。「おおカナダ われらの故国 祖先大地。…はるかな広野 われらはこの国を守る。神よ大地に栄光と自由を与え続けよ」。  我々日本人世界に冠たる国歌を持っています。君が代です。「君が代は千代に八千代にさざれ石の」、皇室に対する親愛尊敬の発露として素朴に天皇の長寿を祈る。これは、イギリスの国歌のゴッド・セーブ・ザ・クイーンと双璧をなすすばらしい国歌と言わなければなりません。  翻って現行憲法を見ますと、どんなに子細に条文を点検いたしましても、「故国」とか「祖先大地」とか「われらはこの国を守る」という単語は出てまいりません。また、素朴でわかりやすい国歌君が代のように、天皇に対する尊敬親愛の情をあらわした文言も見当たりません。  第一章天皇は、その第一条に「天皇は、日本国象徴であり日本国民統合象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民総意に基く。」と規定しています。  主権在民の根本的な理念からすれば、なるほどそうだと思いますけれども、私には、どうもこういった条文はいかにも無機質で、情のこもらない条文のように思えてなりません。では、日本国民総意がこの地位を認めないというのであれば、天皇日本国民象徴でなくていいのかと、まあ皮肉の一つも言いたくなります。私は、現行憲法にはどうもこういった点が欠けているのではないか、こう思えてなりません。  個人尊厳ですとか基本的人権、自由、国民主権、平等、恒久的で徹底的な平和の追求は、全く至当で、当然ではありますけれども、一方で、我が国我が国民に固有の、一種えも言われぬ天皇に対する親近の情や、また日本にだけある文化伝統が等閑に付されて、美しい国土を侵すものあれば断固としてこれを排撃するという覚悟のほどを憲法には一切規定をされていないのであります。  これを見るに、やはり我々は、この憲法が生まれた当時にまでさかのぼらなければならないと思います。誕生のいきさつや当時の時代背景を知らなくては、なぜ改正しなくてはならないのか、残すべきは何で、捨てるべきは何で、新しく加えるべきものは何かという議論は出てこないと思います。  これまでの参考人の御意見の中には、憲法制定過程いきさつには関心がない、憲法制定いきさつは、これは当時の状況であって、現在の憲法が大事なのだ、目前にある憲法条文にのみ関心がある、こういうふうにおっしゃる方もございましたが、これは木を見て森を見ない議論だと私は思います。  すべて物事には原因があって結果が生じます。私は、どうしてもこの憲法が生まれたときのいきさつに言及しなくてはいけないと思います。一言にして言えば、この憲法は、万人の祝福を受けて日本人の手によって日本大地の中から生まれたものではなかったのであります。日本人が生まれて初めて経験する敗戦現実、焦土、焼け野原、また慢性的な空腹感、そして全国津々浦々に進駐したカービン銃を構えた占領軍、何よりも、敗れた戦争に対する嫌悪感に満ちあふれた時代にこの憲法は生まれたのであります。  しかも、昭和二十一年二月三日のマッカーサー三原則に始まって、そして、最終的に昭和二十二年五月三日、日本国憲法として施行されたという厳然たる事実があります。英文をもって提示されたのであります。占領軍から被占領国に対して提示された条文であります。  私は、この憲法は、紛れもなく占領下にあって押しつけられたものでありまして、ある種のフォースが働いた、したがって、この点を克服して、日本の、日本人による、日本人のための憲法をつくる、この道を堂々と歩んでいきたいと思います。ありがとうございました。
  12. 中山会長(中山太郎)

  13. 二見委員(二見伸明)

    二見委員 自由党二見伸明であります。  昭和二十二年五月三日、私は、当時の言葉でいう新制中学一年生であります。ですから、現憲法とともに歩んできた第一世代だと私は思っております。  その立場から申しますと、いわゆる憲法原理という基本的人権尊重国民主権平和主義、それから国際協調言葉としては定着したと私は思います。むしろこれからは、基本的人権とは何ぞや、平和主義とは何ぞや、あるいは国際協調とは何ぞやという論議を深める必要があると思いますし、そうした立場から現在の憲法を全面的に見直し、新しい視点で憲法はつくり直すべきだというふうに私は考えております。  私の言葉で言いますと、これを創憲憲法をつくる。私は、改正論者というよりも創憲論者だというふうに自分では言っております。明治憲法から現在の憲法へは革命的改憲ですけれども、私の申しているのは、憲法原理をそのまま承継して改正するわけですから、革命的改憲論ではありません。  そういう立場から、現在の憲法で、時間の許す範囲内で、二、三問題点というか、感じていることを申し上げたいと思います。  一つは、前文です。前文の中に、個人尊厳とか基本的人権尊重という言葉一言も入っておりません。これは、新しい憲法をつくる場合に、前文の中に基本的人権尊重という文言は当然入ってしかるべきと思います。当然、その前には、基本的人権尊重とは何ぞやという議論も深めた上で明記する必要があると思っております。  もう一つは、この調査会でも再三議論になりました憲法九条です。  実は、私が憲法調査会のメンバーになったときに、近隣の外国の方々が何人か私のところに来ました。大変関心を持っていますと。私は、どこに関心を持っているかと聞いたらば、九条に関心があります。私は言いました、日本は絶対に侵略戦争はしないということを明記したいと思っている、そうした上で、自衛隊が国連の平和活動に協力できる等々の文言を入れる、どうだと。侵略戦争をしないということをきちんと明記してくれれば我々は異存ありませんということでございました。  私は、九条はまさに、九条になるか十条になるかわからないけれども、侵略戦争はしないということを明記した上で、国連の平和活動には積極的に参加できるという改正をすべきだというふうに考えております。  また、憲法に違憲かどうかの判断は最高裁ですけれども、最高裁がかつて違憲、合憲の判断を避けた事例があります。むしろ、最高裁に憲法の判断、解釈をゆだねるのではなくて、憲法裁判所というものをつくって、具体的事例でなくてもいいから、憲法の裁判所をつくるべきだと私は思います。と同時に、一義的には国権の最高機関である国会憲法を解釈する権限があって私はやはり当然だと思います。そうした上で憲法裁判所というものをつくる必要があるのではないかというふうに私は考えております。  最後に、私は、この憲法論議というのは拙速であってはいけないと思います。おおよそ五年ということになりますと、その間、衆議院の選挙は最低二回あります。衆議院の選挙憲法の問題が大きな争点となるような選挙をしなければ、国民の中に憲法改正有無についての議論は深まっていかないというふうに考えておりますので、最低二回の衆議院選挙の中で、憲法改正、護憲か改憲かという議論は、それぞれの立場でもって国民に訴える必要があるのではないかというふうに考えております。  以上です。
  14. 中山会長(中山太郎)

    中山会長 伊藤茂君。
  15. 伊藤(茂)委員(伊藤茂)

    ○伊藤(茂)委員 社会民主党の伊藤茂です。憲法記念日を前にいたしまして、今後の私ども憲法論議について、三つの意見を申し上げます。  その第一は、憲法論議の座標軸をどう据えるのかということが大事だと思います。  今までの制定過程議論を通じまして、占領下でつくられた事情についてのさまざまな分析がございました。GHQの民主化の提起に対して、当時の日本政府は国体護持重視という構図も明らかになったと思います。その結果として、主権在民基本的人権平和主義などの近代社会の原理が表現をされる憲法ができ、国民に歓迎され、今日まで定着をしてきたのであります。押しつけだから自主憲法をという意見とは立場を異にします。  さらに、多くの人々から強調されているのは、二十一世紀の日本の進路の重要性であります。私たちは、憲法条文議論の前に、まず、積極的な新世紀へのビジョン論争が必要だと考えます。それが憲法を論じる共通の座標軸であると考えます。したがいまして、三年後に改憲草案の提起とか、五年目に改憲などの改憲を急ぐ一部の意見については、調査会設置国会改正の趣旨からいってもこれは筋違いだと思います。  二つ目の意見は、平和主義象徴である憲法九条を堅持することであり、二十一世紀の世界観で日本世界考えることであります。  憲法前文と九条二項とを改正しようという意見がありましたが、社民党はこれに反対であります。今や十九世紀、二十世紀の世界戦争のあった世界ではありません。世界は変わったし、アジアも大きく変わろうとしています。今求められているのは、戦争と紛争のない時代のビジョンと外交戦略であります。世界戦争があった時代の集団的自衛権ではなくて、集団的安全保障、言うならば、新しいアジア太平洋ビジョン、共通の安全保障の構想であります。冷戦時代の発想を超えることが必要であります。新世紀の国際貢献の方向を、今の日本国憲法の精神の発展において構想すべきだと思います。  第三に主張したいことは、憲法理念と目標を積極的に生かしていく努力であります。  今、憲法は古くなった、さまざまな新しい諸問題が起きているという見解がありまして、環境問題、分権社会、公共性重視などを理由とする主張がありますが、私は、憲法が古いのではなくて、政府の政策が時代に合った努力をしてこなかったからだというふうに考えます。さまざまの現代の問題につきましては、それらにかかわる政策、基本法などをつくり、充実させることが先行すべきだと思います。私どもは、これらの諸問題に積極的に取り組むよう主張し続けてまいりましたが、これらの課題に消極的であった人々が今それを改憲の理由としていることに強い不信の念を持つものであります。私は、日本国憲法理念と目標が輝く時代を目指して努力をしていきたいと考えております。  かつて、私たち社会民主党は、自民党、さきがけの皆さんと一緒に、村山内閣を初めほぼ四年にわたる連立政権を経験しましたが、その連立政権合意の冒頭には、常に日本国憲法理念と目標を尊重することが強調されておりました。あれから短い年月しかたっていないのに、自民党の皆さんが大きく変化していることは極めて遺憾であります。  今、総選挙も前にして、私たちは多くの国民的課題に直面しております。経済、財政、福祉など重要な課題の打開のための骨太の政策を国民は求めております。それにこたえることこそが今重要であり、改憲には反対であることを重ねて表明をいたしまして、社会民主党の見解といたします。ありがとうございました。
  16. 中山会長(中山太郎)

    中山会長 これにて各会派一名ずつの御発言は一巡をいたしました。     —————————————
  17. 中山会長(中山太郎)

    中山会長 それでは、御発言のある方は順次挙手をお願いいたします。
  18. 奥田(幹)委員(奥田幹生)

    ○奥田(幹)委員 自由民主党の奥田幹生でございます。  現行憲法制定過程は、これまで本調査会がお招きした参考人の先生方のお話によってほぼ明らかになりました。つまり、日本が自発的に決めたことではないということであります。しかし、今ここでは憲法制定の経緯と改憲の有無を直結させるべきではないと私は思っております。  最大の焦点は、やはり第九条の扱いであります。マッカーサー元帥は、日本が国際社会の信用を得るには徹底した平和主義がよいと判断をして、あえて自衛権の問題には触れなかったというように私どもは思っております。  ただ、国際紛争を解決する際に軍事力を用いないというこの憲法九条一項、これは変える必要はないと思いますが、問題は第二項の戦力不保持でございます。  既に憲法制定後半世紀以上経過をしておりますし、国際情勢も大きく変わっていっているのでございますから、先ほどからお話しの環境問題、教育問題等々とあわせて、白紙の立場問題点を整理いたしまして、そうして国民的な議論を深めて、本調査会は、三年間議論をして、そしてその後二年間取りまとめていくという方針のようでありますけれども、確かに改憲に拙速は避けるべきでありますけれども、もう少し前倒しをして煮詰めていく、しかしその場合には国民議論が当然必要だというふうに思っております。  これまで、参考人のお話の中で、芦田均小委員長の御活躍がいろいろと出てまいりました。  実は、個人的なことを言って大変恐縮でありますけれども、私の大学時代の下宿の保証人は芦田均先生、新聞社に就職をいたしましたときにも保証人は芦田均先生でありまして、大学生時代には二週間に一回は大田区山王の芦田邸にお邪魔をしていろいろなお話を伺ってきた、非常に懐かしい思い出がございます。  当時、芦田先生も、この再軍備云々ということについては一切おっしゃいませんでしたけれども自衛権があるんだということについてはしょっちゅうお話しされておりましたし、警察予備隊がたしか昭和二十五年でございましたか、発足いたしましたときには、御子息の芦田富さん、石油会社に勤めておられた御子息を石油会社をやめさせて警察予備隊に入れられたというようなことも思い出すわけでございます。  どうぞ芦田先生の非常に真摯な御意見が本調査会の中で生かされていきますようにお願いをして、終わります。ありがとうございます。
  19. 高市委員(高市早苗)

    ○高市委員 自由民主党の高市早苗でございます。  私は、アメリカの心ではなくて日本の心を持った、私たち時代の私たち憲法を書き上げるのだという強い決意と夢を持って本調査会参加させていただきましたので、その前提で申し上げます。  まず、新憲法起草であるとかまた憲法改正といった作業をなしていくならば、まずは目指すべき国家像ということを議論することが前提であると思います。さらに、そのために、国家はどうあるべきか、また国民はどうあるべきか、国家国民、それぞれの責務を明確に打ち出していくべきだと考えております。  例えば、私の意見ですけれども国家はどうあるべきか。私は、国家国民の生命と財産を守り抜く責務、そして国家主権と名誉を守る責務、さらには国益を守るべき責務というものを書き込みたいと思っております。  その場合、例えば検討すべきは、先ほど来出ておりますが、安全保障について非常に他力本願的な表現を使われております前文であったり、また九条でありましたり、また総理の継承順位、この記載をどうするか。それから、知る権利というものと国益の兼ね合いをどうするか。そして、外国人の権利とその限界を議論すべきであるだろう。人間としての権利、そして国民固有権利といったことの検討であると思います。また、地方と国の役割、そして教育の問題。有事法制の根拠規定も、今後有事法制を議論するに当たっても、憲法の中にはございません。こういった点を私は考えます。  また、国民はどうあるべきかということに移りますが、権利とともに義務をきちっと果たしていく、自由とともに責任を果たしていく、さらに国家の名誉を守る責務といったもので国民の責務を考えていきますと、気になってまいりますのは、言論の自由と名誉権やプライバシー権、この兼ね合い。それから、平等というのは、結果平等なのか、機会平等なのかという点。  そして、十二条でございますけれども、十二条では、自由と権利について、その乱用を禁止し、公共の福祉のために利用する責任を定めております。十三条も、個人尊重を定め、生命、自由、幸福追求権に「公共の福祉に反しない限り、」という歯どめをかけておりますけれども、何が乱用であり、何が公共の福祉であるかといった議論は大変重要なものになってくると思います。  それから、公務員の憲法尊重、擁護義務は書いてありますが、一般国民の義務というものは書かれていない、こういった点が最初の検討事項になるように私自身は思います。  さらに申し上げますと、現行憲法は、その成り立ちからやむを得ないかもしれませんが、全体的に翻訳調で、簡潔性、明確性に欠けている。私は、正しい日本語を使って、簡潔、明確な文章に改めるべきと考えております。  例を挙げますと、第四条の一項で「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」とありますけれども、六条、七条にありますような、内閣総理大臣の任命ですとか、法律や政令、条約の公布、国会の召集、そして衆議院の解散、総選挙の公示、こういったものはどう考えても国政上最も重要な行為でありまして、この文章、文字を読むだけでは国事行為との区別は非常に難しいと考えます。これも表現の問題だと思います。  そしてまた、日本は奴隷制度の歴史などは有しておりませんが、第十八条で「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。」となじみにくい表現がございましたり、あと、小さなことでございますが、七十三条の五号を見ますと、内閣が予算を編成する、予算を作成すると。これは正確には予算案と書くべきであるのでございます。  あとは、九条の読み方ですね。自衛戦力の保持並びに自衛のための交戦権まで放棄したものとこれでは解釈せざるを得ませんので、九条、そしてまたこれは独立した主権国家憲法としては不的確な表現であると思います。  それから、二十条の政教分離や八十九条の私学助成も、しょっちゅう解釈が食い違い、議論になる。  いずれにしても、国家国民にとって重大な事項が解釈や運用によって結果が変わるといったことでは、最高法規たり得ないと思いますので、繰り返しますが、正しい日本語で、簡潔、平易で明確な表現の憲法を書き上げていきたいなと考えております。ありがとうございました。
  20. 横路委員(横路孝弘)

    ○横路委員 民主党の横路です。  私は、憲法は、国の根幹というものをはっきりさせ、国の理想、目標を明らかにするもので、現実にどうするかということは、憲法を踏まえて法律でこれを行うというのが我が国の形だ、このように思っています。  現在、日本はいろいろな問題に直面しています。それは、さまざまなシステムや組織が金属疲労を起こしているわけですが、ではそれが憲法に一体原因があるのでしょうか。例えば、警察の不祥事がいろいろ続いています。それは、今の警察のシステムとその運営をしている人々に問題があるのであって、憲法に問題があるわけではありません。また、今我が国は構造改革を進めていかなければなりません。しかし、その構造改革、例えば行政改革、税制改革、公共事業や社会保障の改革といったものを進める上で、では憲法が障害になっているのでしょうか。私は障害になっているとは思いません。  言うまでもないことですけれども憲法は、日本の歴史の中で誕生して、歴史の中に存在しているということを忘れてはならないと思います。この間の制定過程のヒアリングの中でも、その点が大変明確になったと思いますが、この日本の歴史という場合に、ポツダム宣言を受諾しなければならなかった、その前の歴史をやはりしっかり踏まえなくてはいけないと思います。朝鮮を四十年近く植民地化し、中国を侵略し、そして真珠湾攻撃から始まったアメリカとの戦争、その間のアジア諸国への侵略、それがポツダム宣言の受諾となったわけであります。このポツダム宣言の受諾は、いわば日本の国の国際的な公約であり、約束であると思っております。  この戦争を通じて、日本国民、アジアの人々、たくさんの人が亡くなりました。したがって、この憲法は、戦争を二度と起こさないということ。そしてまた、戦争を遂行していくために、日本の国内では明治憲法下治安維持法制定されまして、人々の表現の自由、基本的な人権は奪われていたわけであります。私ごとで恐縮ですけれども、私のおじの一人も治安維持法違反で逮捕されまして、東京の築地警察で亡くなっておる、そんな者がおります。こういうことがついこの間日本の国内で行われていた事実というのを私たちは忘れてはならない、このように思っています。  また、天皇の名のもとに行われた、特に戦争を遂行するために、行政が権力を持って経済もコントロールする極めて中央集権的な国家ができたわけですから、したがって、国民主権ということが、いろいろと議論された上で、大きなこの国の原則になっているわけであります。  私は、このいわば新しい憲法が生まれるに至る歴史というものを消したい人がおられるのかもしれませんが、しかし、この歴史は消すことはできないというように思います。これから何百年たっても忘れてはならないことだと思っています。  ですから、私は、この憲法について十分議論をしていかなくてはいけないと思いますが、今日本がやらなければいけない改革にとって何が一体障害になっているのか、憲法上障害があるのかないのか、そこの議論をしていくべきだというように思いますし、この憲法を大きな前提として、憲法を変えるのではなくて、どうしても何かつけ加えなければいけないことがもしあるとするならば、合意できることがあるとするならば、それは何なのかということを議論することもこれから大事ではないか、このように思っています。  繰り返しますが、憲法は、日本の歴史の中で誕生して、歴史の中に存在しているということをしっかり踏まえて議論をしていかなければいけないだろう、このように思っています。
  21. 太田(昭)委員(太田昭宏)

    ○太田(昭)委員 二〇〇〇年という区切りの年に憲法調査会がスタートするという、数合わせではありませんけれども、私は非常に大事なことだというふうに思っております。これから何度も発言の機会があろうと思いますので、制定過程と歴史ということについて、一言だけお話をさせていただきたいと思います。  今からちょうど百年前、一八九九年に新渡戸稲造さんが「武士道」という本を書かれ、それから五年前の一八九四年だと思いますが、内村鑑三さんが「代表的日本人」というのを書いたり、あるいはちょうど百年前に夏目漱石はロンドンにいて、皆そういう百年前のすぐれた人たち考えていたことは、ヨーロッパ社会というものに日本は文明的におくれている、追いつかなくてはいけないし、受容しなくてはいけない。しかし、先達であるがゆえに、そこには、日本人とは一体何であるか、日本文化というものは何であるか。ハンチントンが言うような文明対文明の衝突というよりも、私は、文明対文化の激突というものを精神的葛藤の中でそれらの先達というのは考えたのだというふうに思います。  同じように、百年たちました。そして、制定過程のこれまでの論議の中で、私は、押しつけた押しつけられたということよりも、それがどのように機能し、今それがどういう形であらわれているかという、現在と五十年前を比較することが大事だ。そのときに、百年前の新渡戸稲造や内村鑑三等々が、あるいは夏目漱石等がちょうど洞窟に入るカナリアのように心配をした、日本とは何であるか、そして二十一世紀の日本はどういう国家であるべきかという、そうした観点が、今まさに二〇〇〇年という年の憲法調査会で、真っ先に深い論議がなくてはならない。だからこそ五年という時間が必要だ。  百三条にわたるこの条文一つ一つをどう継承するかということであったら、これは二年ぐらいでできるかもしれない。しかし、日本という国をどうしていくのか、日本人とは何か、日本という国家はどうあるべきかという深い観点であるがゆえに、五年という調査が必要であり、そして同時に私は、公明党は国民論議の十年の論憲、十年では長過ぎるのではないかという声は当然あるのですが、しかし、国民的な論議というものをどう巻き起こすか、そういうことが非常に大事で、この憲法調査会の中で議員同士の発言というものが外に大きく開かれていって、そして、調査会国民論議の中でのリード役になるという形が大事であろうというふうに思っております。  制定過程のこれまでの数人の参考人のお話を聞かせていただいて、ヨーロッパの近代文明と現在の日本国憲法というものの精神的な葛藤、激突というものが、営為というものが、制定過程において私はなされていなかったということがあろうと思います。制定過程の中で私の痛感することは、歴史が切断をされた。文化という観点では、横殴りの風を受けた、そして切断をされたという一点であります。そういうことからいきますと、この憲法背景にある近代文明、ヨーロッパ文明と日本文化というもの、二十一世紀に向けて私たちはアイデンティティーをどうするかという観点から議論をしていかなくてはいけないというふうに思っております。  もう一つ時代が新しくなったから合わないということよりも、制度というものは必ず制度疲労を起こす。そういう観点からいきますと、時代が進んで合わなくなったと同じようなことになるかもしれませんが、制度というものは機能した時期が必ずある。日本国憲法は、私は大変すばらしい憲法であろうというふうに思いますし、特に三原理平和主義基本的人権国民主権というものは、国民にとりましては新鮮な感動というようなものが、実感があったのだと思います。主権国家にあった、天皇にあった。我々に主権があるという、そうした感動というものが新鮮さを呼び、そして今日まで来たというふうに思いますが、幾つかの観点でそうしたことの制度疲労というようなものが、ほころびが出始めてきているということを赤裸々に論議することが大事であろうというふうに思っております。  以上です。
  22. 石破委員(石破茂)

    ○石破委員 自由民主党の石破でございます。  私は、ずっと憲法について考えてきて、悩んでおることが幾つかあるのです。  一つは、我が国には、保有はするけれども行使ができないという不思議な権利があるらしい。  一つ国民投票なんです。つまり、憲法九十六条によって、憲法改正衆参両院の総議員の三分の二の賛成によって発議をし、国民投票の二分の一が必要である、そのように書いてあります。しかしながら、国民投票に関する法律というものがございませんから、国民憲法改正に対する権利というものが全く行使できない状況が憲法制定以来ずっと続いている。このことは、本当におかしくないかという議論が私はあってしかるべきだと思っています。  昭和二十八年に、当時の自治庁からそのような法律案が出されました。しかし、不思議なことに、それは閣議決定をされることもなく、国会で一度も審議をされることがないままに終わりました。かつて日本独立をしたときに、当然そのような法律が必要だと思った当時の熱意は一体どこに行ったんであろうか。そしてまた、国民憲法改正に対する権利が全く実効性を持っていないということがなぜ不思議に思われないのか。一部の方の中には、そういうような法律をつくれば憲法改正に結びつくからだめだというようなお考えがありますが、それはもってのほかの暴論だと私は思っています。  国民権利というものをきちんと守る、そしてまた、その権利を実効性あらしむるために、憲法改正に対する国民投票法案というものをつくることが立法府としての国民に対する責任である、私はこのように考えております。そのことをぜひこの後御議論をいただきたい、かように思っております。それは、改正賛成であれ反対であれ、国民権利を守るという点では同一のはずであります。  もう一点は、先般、ある新聞に、自衛権の明記を憲法にすべきかどうかというようなことが書いてありました。本調査会所属の委員の皆様方にアンケートをとって、憲法自衛権を明記すべきか否かというような問いかけがございました。私は、そこに、明記すべきでないというふうに、バツというふうに記した一人でございます。  それは、国が、国家固有権利として、集団的であれ個別的であれ自衛権を有し、それが行使できる、それは国家固有権利であるというふうに信じておるからであります。つまり、換言すれば、国家固有権利というものを憲法上明記する必要があるかどうか、そういう点だろうと思っています。  私は全部見たわけではありませんが、世界憲法を概観いたしますと、自衛権というものについて記してあるのは二カ国でございました。一つはクウェート、もう一つはバーレーン、この二カ国であります。  クウェート憲法にどのように書いてあるかというと、首長は勅令により自衛戦争宣言する、このように書かれています。バーレーンにはどう書いてあるかというと、防衛戦争宣言は勅令により行う、こう書いてあります。この二つ。  つまり、自衛権を持っておるということを書いておるのではなくて、言及はしてありますけれども、それを勅令によって宣言すると、むしろ手続的なことについて書いてあるのであって、国家自衛権を有するというようなことを書いてある憲法を私は見たことがありません。なぜならば、それが自然権であり、国家固有権利だからというふうに考えております。  持っているけれども使えない、そのようなことを本当に言っていいのか、そのような知的怠惰なことを言って通るのか、そのことの議論をぜひいただきたいし、そしてまた、これが国家固有権利であるがゆえに、本当に明文改憲というものをしていかなければ認められないのだろうか、それを書かなければ、我が国世界の中でたった一カ国だけ、私どもの国は日本国憲法によって、どんなに密接な国がやられようが、それは一切知りません、お金を出しますから許してくださいということで本当に通用するのだろうかということを正面から議論すべきだと思っています。  大事なことは、本当にそれが、実効性を伴わないものが権利としてあっていいのかということを正面から議論すべきだということ、そしてまた、それを認めることが平和につながるのか否かということであります。そういうことを言いますと、好戦論だ、軍国だと言われますが、どうすれば平和になるのかということを正面から議論して次世代に資するものでありたい、このように確信をいたしております。  以上でございます。
  23. 奥野委員(奥野誠亮)

    ○奥野委員 私は、先年、永年在職ということで衆議院で表彰を受けましたときに、本会議場であいさつすべきことを文書で提出し、官報に登載される慣例がございますが、その中でこう書かせていただきました。昭和二十年八月の敗戦から二十七年四月までの、日本が軍事占領されていた期間の問題を日本人自身が検証し直すという機会を持たなければ、日本の将来は明るく開かれていかない、そういう心配を書いたわけでございました。  幸いにして、戦後五十五年でございますけれども、ようやく憲法調査会ができて、自由に憲法議論ができるようになったことは大変な前進だと喜んでいる一人でございます。  大東亜戦争は、日本がポツダム宣言を受諾した昭和二十年八月に戦闘は終了しましたけれども戦争はまだ続いておるわけでございまして、二十七年の四月にサンフランシスコにおける講和条約が効力を発生した、そこで終わったわけでございました。その間に、アメリカを中心とする連合国軍が日本に上陸して、軍事占領を行ったわけでございます。  なぜ軍事占領を行ったのか。それは、占領政策を行うために軍事占領を行ったわけでございました。それでは、占領政策とは何かといいますと、アメリカ本国から日本占領軍総司令官でありましたマッカーサー元帥に送られた日本管理の基本方針でございます。その基本方針の初期のものの冒頭には、日本が再びアメリカの脅威となる存在になってはならない、してはならない、こう書かれておったわけでございまして、人はこれを日本弱体化政策とも呼んでおったわけでございます。その占領政策の一つが、日本国憲法のつくり直しであったと考えているわけでございます。  当時は、国会法律を出す場合にも、審議過程で修正する場合にも、その議決が賛成の議決であれ反対の議決であれ、事前に総司令部の承認を受けなければできなかったわけでございました。  憲法審議の際の日本の総理大臣は吉田茂さんであり、また、担当国務大臣は金森徳次郎さんでございました。この方の書いた色紙を吉田総理大臣の秘書官をやられた西村直己さんが持っておられて、亡くなりましてから御遺族が憲政記念館に寄附されておるわけでございます。  その一つに、真ん中にだるまの絵をかきまして、右に「安定の為である 徳次郎」と書かれております。左には「新憲法棚のだるまも赤面し 素淮」と書いております。「素淮」というのは吉田茂さんの号であります。恐らく、新憲法が生まれましてから後に、一杯酒でも飲んでから書かれた色紙じゃないかな、こう思っておるわけでございますけれども、「新憲法棚のだるまも赤面し」、私は、吉田さんの心情をよくあらわしている言葉じゃないだろうかという思いがするわけでございます。  同時に、憲法が議決されますと、直ちに占領軍は、内閣法制局佐藤長官一人だけを置きまして、あとは全部入れかえさせたわけであります。言いかえれば、旧憲法を知らない、新しい憲法に基づいてこれからの日本の法制をつくっていくんだ、日本の法制を見直すんだという考え方に基づいてのことだろうと思います。  その一つに、新憲法戦争はなくなったんだと、刑法からあっさりスパイ罪を削ってしまいました。  また、教育勅語を廃棄処分させた後、教育基本法がつくられようとしたときに、その中には伝統尊重という言葉が入っておりましたけれども、総司令部はこれを許しませんでした。伝統を変えていこうというときに、尊重されるということは矛盾するということだったんだろうと思います。  二十年の十二月に神道指令が出されておるわけでございますけれども、この中で、神道にかかわり合いのあるような教科書の記述は全部削れと命じてきたわけでございました。したがって、神話、伝説は一切消えていったわけでございます。さらにその中で、国体という言葉を使ってはならないと言っておるわけでございます。日本の国柄を変えようとするときに、国体を論ぜられたら矛盾するということがあったんだろうと思います。さらにまた、大東亜共栄圏を削れ、こういう言葉を使ってはならないという命令も入っておったわけでございました。一方的に、日本は……
  24. 中山会長(中山太郎)

    中山会長 発言者に申し上げます。発言時間が超過しております。
  25. 奥野委員(奥野誠亮)

    ○奥野委員 はい、わかりました。  大東亜共栄圏を削れと言ってきた。日本は侵略戦争をやったんだと決めつけているときに、大東亜共栄圏の建設を目指したというようなことを言われると矛盾するからだったと思うわけでございます。  占領政策には、日本に大きな効果を与えてくれたこともたくさんありますし、今混乱を起こしている現象の原因をなしているものもあると思うわけでございます。同時にまた、米ソ対決が進むにつれまして、だんだんと占領政策も緩和され、援助の立場になってまいったわけでございました。同時に、戦略的に占領政策を利用しようとする政治勢力もございましたし、また、日米関係を損なってはならないと心配される方もございました。  私は、日米関係は大切だと思っておるわけでございますけれども、やはり客観的な状況を正確に把握することが正確な改革の手法を生み出す力になっていくわけでございますので、あえてこんなことを申し上げさせていただいているわけでございます。  時間が超過しているそうでございますから、この辺で一応終わらせていただきますけれども、そういう意味で、私があえて当時のことを明らかにしておこうとして、憲法調査会が立派にその意義を果たせるようにしていきたいという気持ちを持っていることだけは御理解をいただいておきたいと思います。
  26. 島委員(島聡)

    ○島委員 民主党の島聡でございます。  一九五八年生まれで、選挙権を持ったときが一九七八年で、そのときには憲法施行されてから三十一年がたっておりました。  憲法調査会で、制定過程について、いろいろ議論をさせていただいたわけでありますが、その過程において、いわゆる三十年経過したものは政治家が語るのではなく歴史家が語るものであるという言葉を本当に私自身は感じながら、この憲法調査会参加をさせていただいておりました。  本日は、二十一世紀に向けてこれから憲法がどうなるか、基本的人権とか統治機構とかいうものが。  前大日本帝国憲法をつくるときの議論というのは、日本立憲君主制憲法を導入してこの日本がよくなるのかという真剣な議論があったというふうに聞いております。これを導入することによって本当に、当時の板垣退助が、イギリスがすごく発展しているのは、このようにいろいろなエネルギーをくみ取る原因があるからだということを言っている。  二十一世紀において、この国の形というか、憲法における基本的人権とか統治機構というものが今のままで果たして成り立つのか。よく、基本的人権の中に環境権とかプライバシーを導入しろというのは、そういう観点から出てきていると私は思っております。  きょうは、特に統治機構についてお話をしたいと思っておるのですが、統治機構の中において、例えば首相公選制というものを本当に真剣に議論すべきではないかと私は思っております。  理由は二つあります。恐らく二十一世紀は、極めて政治意思決定にスピードが要求されるであろうということ、もう一つは、グローバル化が進みますから、より民主主義的な参加のプロセスを持たないと国家というものと国民というものが離れるだろうということであります。  ドッグイヤーという言葉があります。これはITの世界では、犬の一年は人間の七年に匹敵するという意味で、七倍スピードが速くなるということでありますが、IT革命という言葉があるように、これは産業革命と一緒ですから、今はITだけの時代のスピードですが、いずれこれが全体のスピードになってくるときが来ると思います。そうすると、七倍のスピードでいろいろな政治的な意思決定をしない限り、民間と国家、特に政治行政の意思決定がどんどん下がっていく。それから、グローバル化が進んでいって、今までのような、国家とか伝統とか慣習とかいうものが極めて影響力を失っていくというのが二十一世紀ではないかと私は思っております。  民主主義なくして権威がないという時代が来るわけでありますから、そのためには、直接国民が首相を選んで、そしてまた、その首相が迅速なリーダーシップで政治行政を展開していくという形をとらない限り、恐らく二十一世紀をこの国はいろいろな意味で乗り越えられなくなっていくのではないかというふうに私自身は思っている次第であります。  もちろん、議論すべき課題が多いことはよく存じておりまして、議会と直接国民に選ばれた首相の意思がぶつかってデッドロックに遭ったらどうなるかとか、あるいは大統領的首相の場合、天皇制との抵触をどうするかというような議論はあると思いますが、この国が二十一世紀においても新しい国の形としてやっていくためにどうするかという意味で、基本的人権、統治機構、その両者の面からきちんと見直して憲法議論をしていくべきであると私は思っております。  この憲法調査会、五年程度で議論をするということでございますが、この期間に二回の衆議院総選挙が恐らくございます。その中において、きちんと、本当にこの国のあり方をどうするかということを考えた上での議論が展開されて総選挙が戦われていって、本当に憲法がどうなるかということを考えていくべきであると私は思っております。  一九九四年だったと思いますが、読売新聞が憲法改正試案というのを発表いたしました。当時私は松下政経塾というところにいたのですが、そこの塾長の宮田義二さんという人がこの検討委員だったこともありまして、いろいろ聞いておりました。非常に印象的だったのが、第一章を「国民主権」としていました。第一条が、「日本国主権は、国民に存する。」とこの試案はしておりました。  大日本帝国憲法というのは、いわゆる欽定憲法と呼ばれました。日本国憲法というのは、いろいろな制約があったのかもしれませんが、平和憲法と呼ばれました。  国民の手による憲法というのは、まだ日本にはでき上がっていないと私は思っております。その意味で、国民の手による憲法をつくるということを目指してこの憲法調査会議論を進めていくべきであろうと私は思っております。  以上です。
  27. 石川委員(石川要三)

    ○石川委員 自由民主党の石川要三であります。  私は、簡略に四点を申し上げたいと思います。  まず第一点でありますが、このたび国会の中に憲法調査会設置されたというこの意義はまことに大きい、私は、そのように考えるわけであります。  一九九〇年、約十年前でございますが、あの湾岸戦争が起こりました。そのときに、私はたまたま防衛庁長官をしておったのですが、きょうは、ここの委員長が当時の外務大臣、私が防衛庁長官、総理大臣が海部先生。そんなわけで、一年の前半は米ソの冷戦が終結をしたということで、何となく、いわゆる恒久平和がいよいよ世界にあらわれるのかな、こういうようなことで大変私ども胸をときめかせたわけでありますが、それもつかの間、八月にはあの湾岸戦争になってしまいました。  そういうことになった途端に、今までに経験のない日本としては、この問題にどうかかわるかということで、総理初め私どもも非常に苦しみました。  今思い出すと、時間がないから細かいことは言えませんが、当時海部総理が発案した、いわゆる湾岸戦争に対して日本が協力できる具体的な内容として、ちょっと法律案は忘れましたけれども、それをやろうということなのですが、とうとうそれは、廃案どころか、途中で取り下げざるを得ない、こんなみっともないこともあったように覚えております。  そんなことを思いますと、あのころから見てわずか十年でありますが、いよいよ衆参両院の中にこの委員会ができたというのは本当に大きな意義がある、私は、こんなふうに思っております。  けさの新聞だと思いますが、憲法調査会に対する国民の意識調査が出ておりました。関心のパーセンテージが六八%、私は、これは予想以上の大きなパーセンテージだ、国民はそのように感じているのではなかろうか、こんなふうに思います。  第二点。この委員会は五年をめどに議論をする。これは長いか短いか議論も分かれるところでありましょうが、私個人としたら、十年の先を思うと五年というものも決して長いとは思えない、そういう時間であるから、この時間を大切にして大いに努力をすべきだ、こういうふうに思います。  三点目。これもマスコミの仕分けではないかと思いますが、よく護憲派だとか改憲派だとか論憲派だとか三つに分けておりますが、いずれにしましても、私は、やはり五十年以上たったというこの現実に、これは世界の各国、百八十幾つあるでしょうが、それぞれの国には憲法があるわけですが、その憲法に全然手をつけないというのは、私は不勉強でわかりませんが、恐らく日本だけではないかな、こんなふうに思います。  私は、たくさん変えるのがいいとは言いませんけれども、五十年というこの半世紀の歴史の変化、世界の変化というものは、もうこれは本当にここでは言い尽くされないほどのスピードで動いておるわけでありますから、国の最高法規である憲法はやはり何らかの見直しが当然ではないか、私はこんなふうに思っております。  いずれにしましても、じきに総選挙も行われるわけでありますから、この総選挙こそ、二十一世紀の日本国家像という議論を大いに高めて、憲法を大いに語るべきだ。  以上が私の見解であります。終わり。
  28. 左藤委員(左藤恵)

    左藤委員 自由民主党の左藤恵でございます。  日本国憲法は、昭和二十二年五月三日に公布されたわけですが、今日まで一回の改正も行われていない。民主主義憲法という点で明治憲法とは全く異なったものであるにもかかわりませず、私は、改憲案が個人的に提言されたことはあっても、国会改正を提議されたことも聞きませんし、政治的には、いわゆる護憲勢力というのですか、この方々が、いかなる改正国民の期待に反するものであるというようなことで、改正に触れること自体が悪であるようなことを言っておられることもある、またマスコミの大部分も改正反対という姿勢をとってきたことも、この五十数年間の間一回も改正されなかった最大の大きな問題だったと思います。  自衛隊の問題に関連しまして、九条の改正につきましての論議も出ていたことは事実であっても、現実と法文の間の乖離というものは非常に違っております。世論をまとめるだけでも非常に困難であったわけでありますが、そういったことだけではなくて、公布の経緯からも、社会情勢が五十数年間にはどんどん変わっております。特に国際情勢は非常に大きな変化をしておるにもかかわりませず、そういったことで何も改正が行われていないということにつきまして、国民生活あり方ということで、そこに大きな違いが生じているのではないか。  憲法は、国民生活を進めていくための根本的な基準であり倫理であるわけでありまして、国防関係以外にもたくさん考えなければならない問題が多いと思います。  当時の社会生活の中で考えられなかったような問題として、地球環境を守らなければならない権利義務の規定もしなければなりませんし、二院制で出発した政治形態につきましても、参議院が衆議院の独走をチェックしていく、こういうような当初の機能は、今日、政党中心となった形では、第二院は一院のコピーにすぎないというふうなことが言われている問題もございます。衆議院の総選挙のときに行われます最高裁判所の判事の国民審査というようなものに至っても、何か経費のむだにすぎないような感じもするわけでありまして、これも、いい方法があれば改正していくべきではないかと思います。  私学助成の問題がよく言われておりますけれども、このもとは何かと言えば、宗教に対します国の財政措置を否定したというところに問題があるわけでありまして、信教の自由を保障しているアメリカではキリスト教があたかも国教のようなことに考えられていることもあるのでしょうが、米軍日本に進駐してきて、そして神道を、日本軍の特攻精神のよりどころというか、そういうふうなものに考えたために憲法八十九条が入ったのではないか、この点の問題も再検討すべきではないか、このように思います。  昭和二十三年の末ごろから半年ほど、私は当時の大阪逓信局の渉外室長という仕事についておりました。米軍の通信検閲に協力させられた、こういう経験があるわけでありますが、信書の事前検閲、この第一位は、当時、神社の宮司さんあての信書、こういうこともありました。とにかく通信検閲というような問題は、「検閲は、これをしてはならない。」という憲法規定があるにもかかわらず、アメリカはそういうことをやっておったということも思い起こされるわけであります。  そういった点で、憲法改正の論点はいろいろありましょうけれども、最も国民のコンセンサスが得られる問題につきまして、これを検討して、政治家の務めとしてもまとめ上げて、国会議員の三分の二以上の提議で国民投票に付すという努力をすべきものである、私はこのように考えます。ありがとうございました。
  29. 松沢委員(松沢成文)

    松沢委員 民主党の松沢成文でございます。  私は委員ではありませんが、発言の機会をいただいたことに感謝を申し上げます。(発言する者あり)はい、きょうは委員になっています。  私は、憲法あり方議論するというのは国会議員の責務だとずっと思っておりました。また、憲法をみずからつくる権利と自由が与えられていること、これが民主政治国家の要諦だとずっと思っておりました。  昨年、民主党の代表選挙に出たときも、論憲を避ける精神的怠慢と政治的憶病を克服しなければならないという主張を第一に掲げましたら、国民からも党内からも批判と賛称、両方渦巻いて、複雑な気持ちになったこともございます。  さて、そこで、憲法の見直しというか議論をしていく中で、おかしな条文一つ一つ直していくというのも一つの方法だと思いますが、私は、新しい時代を迎える中で、日本がどのような国であるべきなのかということを議論した上で全面的に憲法を書きかえていく、新しい憲法国民がつくるという作業を進めるべきだというふうに思います。  幾つかのポイントを挙げます。  まず前文ですが、これは憲法の顔です。しかし、やはりアメリカからの輸入品でありますし、わかりづらいですし、私は、この前文は、一般の国民からも公募をして、いい案を募ってみるのも手だと思います。  三つポイントがあると思います。  一つは、国民主権人権尊重平和主義というこの三つの憲法理念国民に支持されているものだと思いますから、これを継承発展することを誓うこと。二つ目は、日本の歴史、文化尊重、継承、そして、現在、過去、未来をつなぐ日本国家精神あるいは伝統とは何か、こういうものをきちっと形づくって明記すること。三つ目に、国際社会の平和発展のために日本は積極的な役割を担うということを宣言すること。この三つがポイントになると思います。  安全保障については、さまざまな議論がありますが、一つは侵略戦争の放棄をうたうこと。二つ目は自衛権の保持を明記すること。当然、自衛隊を持ち、それは文民統制であるということを明記すること、そして徴兵制は行わないということもあわせて明記することが重要だと思います。三つ目に、大量破壊兵器の廃絶に向けて日本は先頭に立って努力をするということも、あわせて明記するといいと思います。  次に、国民権利と義務について。今さまざま新しい人権概念のことが言われていますが、私は、環境権、国民の知る権利等々、新しい人権概念をきちっと新しい憲法に書き込むことは重要だと思います。しかし、権利を書くのであれば、きちっと義務についても対応して書かなければいけない。したがって、環境権を導入するのであれば、環境保護の義務というのを国民の義務としてきちっと明記しておくことも重要だと思います。  その他、例えば国会では、私は、二院制をもう一度機能を分化してつくり直すことが重要だと思います。そして、選挙における一票の価値の平等、これは参政権の平等ですから、きっちり憲法に書き込むべきだ。さらに、首長多選あるいは国会議員の任期制限等々、民主政治の腐敗を防ぐためには選挙権の自由というのも制限があり得るんだということも明記をするといいと思います。  次に、内閣、行政権ですが、首相公選あるいは国民投票制度、こうした直接民主制の制度日本政治システムの中に組み込むべきだと思います。やはり国家として、国民として、自分の責任を明らかにすること、また自分たちが選んだ結果には責任を持つこと、これがやはり国民国家形成には大変重要だと思っていまして、今こういうシステムがないために、余りにも代議制の中で国民政治家が離れ過ぎてしまっている、政治テーマが離れ過ぎてしまっている、この弊害があると思います。  司法においては、憲法裁判所の創設、これはもう触れません。  地方分権は、私は、分権連邦型国家につくり直すべきだと思います。簡単に言えば道州制であります。そして、国と州と自治体の役割を憲法にきっちり書くこと。さらに、公的セクターと民間セクターの役割についても憲法に明記して、民間でできることを国が邪魔してやる、こういう大きな政府にならないように、きちっと定義づけることも重要だと思います。  また、憲法改正については、私は、新しい憲法ができたならば、国会に常設の憲法問題常任委員会というのをつくるべきだと思います。そして、できれば十年に一度ぐらい、憲法あり方をきっちりチェックして見直しを図るぐらいの積極的な常任委員会にしていいと思います。また、憲法改正については、国会国民投票、そして州議会、この三つの発議、決定で憲法改正ができるというふうにすればいいと思います。  以上、たくさん述べましたけれども憲法は決して不磨の大典ではない、やはり国民が豊かになるためのルールづくりでありまして、日本は、できて初めて、本物の憲法を自分たちの手でつくり上げるという民主政治最大のテーマに今こそ挑戦すべきだというふうに思います。  以上です。
  30. 久間委員(久間章生)

    ○久間委員 先般来、参考人の皆さん方のいろいろな御意見を聞くことができまして、現憲法制定の経緯等については大変参考になったわけでございます。  ただ、正直言いまして、私たち世代以下の人たちは、もう物心ついたときから大きな、あるいは小さな家かもしれませんけれども、その家の中に住んでおるわけでございまして、そういう意味では、こういう設計図で家をつくれ、あるいはまたでき上がったこの家に入れと言われたおやじやおふくろの世代とは、若干趣が違うわけでございます。むしろ、現在のその家が現在の時代に合わなくなったならば、どういう形で変えたらいいのか、あるいはまた全く新しくつくりかえたらいいのか、そういうような議論をすべきじゃないか、そちらに力点を置いて、もっとそういう方面から真剣に検討していったならば、今の時代、あるいはこれから十年、二十年先の時代に合った憲法ができてくるんじゃないか、そういう思いの中でいろいろと意見を聞いておりました。  そういう意味で、これから先、憲法調査会が中心になられて、現在の国民、あるいはまたこれから先の国民の輿望を担って、どういう形の憲法にしていったらいいか大いに議論していただく、こういう機会ができたことは非常にいいことだと思っております。  そこで、現在の憲法を今度変えるに当たっての、自衛権憲法に明記すべきであるとかそういうような意見等も、今も開陳されましたが、先ほど石破委員が言われましたように、自衛権の問題というのは、憲法で仮に否定的な表現で書いたとしても、国の存亡にかかわることについては本来あるわけでございますから、これは書こうと書くまいと、存在するのは変わりないわけでございます。ただ、今まで、個別的な自衛権はある、しかも行使していい、集団的自衛権は、持っているけれども行使できないみたいな議論があるために、あるのかないのかわからないわけでございます。  そもそも集団的自衛権といえども、どこかと同盟を組んでいるからといって、その国が戦ったから一緒になって戦っていいということじゃないわけであって、自衛権という以上は、そこがつぶれたら次は自分の国もつぶれるんだ、言うなれば、毛利元就が尼子から攻められたときに、隣の藩がつぶされたら次は自分の番だというときには、その藩を助けるというのは自分のためにやったわけでございまして、こういうのが集団的自衛権ならば、それは当然あるし、行使できるわけでございます。  そこで、問題になるのは、国連との関係です。国連は、広い意味では集団的自衛権に包含されるのかもしれません。しかしながら、国連というのは、日本国憲法ができたときには我が国は入っていなかったわけでございます。その後に我が国は入ったわけでございまして、そのときにそういう整理をしていなかった。広い意味での集団的自衛権になるかもしれぬけれども、そこに参加しなかったからといって我が国の存亡にかかわるかというと、必ずしもそうはならない。現に、そうならない状態で、国連に入っていなくても我が国は存続してきたわけでございます。  そういうことを考えますと、国連の一員として外国で行動する場合、戦闘行為に参加する場合には、やはり現在の憲法ではちょっと無理じゃないかというような気が私はしております。そういう意味では、これについては何らかの形で明らかにした方が、これから先、国連の一員として、加盟した以上はその義務を果たしていく、そういう国の義務としては、これはやはり憲法上もきちんとできるようにしておくことが大事じゃないかなというふうに思います。  それともう一つは、よく内閣法制局の解釈によってもっと広げたらいいじゃないかという議論がございますけれども、これもおかしな話でございます。そもそも政府というのは与えられた憲法法律に従って行政をやるわけでございますから、その政府の一機関が解釈を広げることによっていろいろなことがやれるということを国会の場でおっしゃる方がおるということ自体がおかしいわけでございます。むしろ、政府は限られた解釈の中で行動すべきである、そういうことを立法府が言うべきであって、政府の一機関である内閣法制局の解釈をもっともっと変えろ、そういう発言国会からすること自体が非常におかしいんじゃないかなと思います。  そういう意味で、これから先、こういう問題等も踏まえながら、憲法調査会で少し時間をかけながら、やはりこれから五年、十年、あるいは二十年先まで見通したような憲法をつくっていく、あるいは変えていくことができれば非常にいいと思っておるところでございます。  以上でございます。
  31. 平沼委員(平沼赳夫)

    ○平沼委員 自由民主党の平沼赳夫であります。  今まで憲法調査会に私も出席をいたしまして、その成立過程について参考人意見等を聞かせていただきました。その中で、押しつけたということに関しては、もう共通認識になった、これは事実だったと思います。その押しつけられた憲法は、定着したからもういいではないか、また、理念的にもいいものがたくさんあるんだから、この憲法をそのまま使ってもいいじゃないか、そういうような意見もあったわけであります。  しかし、法治国というのは、言うまでもなく法が支配している国家体系であります。したがって、法が支配、運営する国ということを考えれば、やはりその出自、目的的に押しつけられた今の憲法というものをそのまま金科玉条としていただくことは、やはりけじめの問題としてふさわしくない、私はこういう認識であります。  この前、私は質疑のときにも申し上げましたけれども、今の日本国憲法というのは、明らかに占領側が負かした側に対して、二度と再び立ち上がらせないように、そして、でき得べくんば未来永劫友好的な属国として位置づけよう、こういう目的で法治国の大本たる憲法を押しつけてきたわけであります。それを完全ならしめるために、占領期間中、二千を超えるポツダム勅令という形で、徹底的に日本のいわゆる体制というものを破壊したことも事実であります。その中にはいいこともあったことは認めることにやぶさかじゃありませんけれども、徹底的にそういうことをやってきたことは事実であった。  さらに、検閲制度というものをしいた。これも、事前検閲制度という形で言論を徹底的に封鎖し、これまた非常に巧妙にやってきた。そしてさらに、二十三年以降は、事後検閲という形でも日本政治あるいは社会体制に非常に大きな影響を与えてきた。  そういうことを考えてみますと、我々は法治国の日本というものを、独立を回復した、こういうことであれば、やはり我々自身の手に成る憲法というものをそろそろつくる時期になってきた。五十年たって、ようやく周囲の状況から、国会に常設の憲法調査会ができた。  私は、論憲だとかいろいろなことは言われていますけれども、この憲法調査会の目的というのは、本当の独立を達成するけじめとして、我々の手に成る新しい憲法をつくる。このことは当然のことでありまして、時間をしっかりかけなければならないと思っていますけれども、やはり憲法調査会でこれからいろいろな観点で論議をしながら、その中で我々国会が責任を持って新しい憲法をつくって、二十一世紀にたえ得る国家をつくっていく、このことが国会に出させていただいている我々の責務だ、こういうふうに思っておりますので、そういう形でこれから活発な議論もしていきたい、こういうふうに思っております。  以上であります。
  32. 石毛委員(石毛えい子)

    ○石毛委員 民主党の石毛えい子でございます。  私は、昭和二十年八月十五日は小学校一年生でございました。それまでの日々の暮らしの中で、電灯に黒い布をかけ、そして、戦後も含めてでございますが、配給制度のもとで食べるか食べられないかというような暮らしをしていたときに、あの八月十五日の輝かしいような晴天と、そのもとでのほっとした母やあるいは近隣の人々の姿が、いつも自分の中にはあります。  この憲法調査会におきまして、憲法制定過程についてさまざまの参考人の方から御意見を伺い、その解釈をめぐりまして多くの論議が交わされたわけでございますが、多くの国民が、あのとき以降、つらい戦争の歴史を歩んだ経験から、現憲法に対する肯定感を持ったということは紛れもない事実であったと思いますし、そのことは歴史過程としても大切にすべきだと思っております。  私自身は、現憲法の中で積極的に意義を認めていくべき点は多々あると思いますが、ここでは二つの点だけ申し述べたいと思います。  一つは、大日本帝国憲法の統治の時代日本はまさに戦争の歴史を歩んだわけでございますが、戦後の憲法とともに歩んだ五十五年に至る歴史の中で、さまざまな状況の厳しさ等々はありましたけれども日本戦争をしてこなかった、こういう歴史を持てたということ、このことはやはり大いに注目すべきであり、大事にすべき点だと思います。  もう一点は、憲法が、両性の平等の規定を初めとして、女性の人権、あるいはさまざまな基本的人権生存権ほかの社会権規定も明らかにし、人権の確立に向けて大きな寄与をなしてきたということだと思います。  先日、成年後見法の成立をめぐりまして年配の女性の方とお話をしていましたら、禁治産制度が変わると話をしましたら、禁治産というのは女性に与えられた制約であったかと思っていた、今も実質上思っているというようなことをおっしゃられていました。この方の発言は、大日本帝国憲法の中で戸主権が女性を支配した、そのときの考え方といいますか、それが現在も生活感覚として残っているというようなことを思うにつけても、人権の確立に向けて現在の憲法が寄与したという、この点を私は大いに大切にしなければならないと思っております。  そこで、今、憲法論議がこの憲法調査会でもされているわけですけれども、私は、五十五年に至る間、日本戦争をしてこなかったこと、そしてまた基本的人権の確立の道を歩んできたという、このことをさらに継承発展させるために私たちは何を議論するかということを大事にすべきだと思います。  そこで、一つ意見を言わせていただきたいのは、歴史過程憲法を見ると同時に、今の国際関係の中で日本を位置づけ、そして日本憲法を位置づけた場合に、憲法をどう変えるかというよりも、もっと議論をすべき前提議論がまだまだあるのではないか、このことを強調したいと思います。  例えば、一九八九年の冷戦の終結以来、市場経済、グローバル化が進んできまして、世界の多くの地域では貧困と格差が広がっている。このことが多くの場合に戦争の原因になっているとすれば、まず貧困と格差の解消をどう図るかというところに日本はどう貢献するかということを考えるべきだと思いますし、それから、国境を越えて人々の往来が進んでいるときに、国民という考え方と同時に市民という考え方も大いに私たちは取り入れ、市民としての成り立ち、権利を、どの国においても、日本においても確立していくという方向を考えなければならないと思います。  そこで、時間が参りましたので、一点だけ強調させていただきたいと思いますが、国連開発計画では、国家の安全保障国民の安全保障から人間一人一人の安全保障へという、新しい人間の安全保障論議を広く呼びかけているところであります。
  33. 中山会長(中山太郎)

    中山会長 発言者に申し上げます。  発言時間が経過しておりますので、御協力を願います。
  34. 石毛委員(石毛えい子)

    ○石毛委員 はい、終わります。  こうした一人一人の安全保障という点からもう一度日本の位置をとらえ返し、その中で憲法をどういうふうに議論していくかということを深めていくべきだということを申し述べて、意見の発表を終わらせていただきます。
  35. 石田(勝)委員(石田勝之)

    ○石田(勝)委員 発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。  従来の憲法論議は、改憲は保守、護憲は革新というパターンで進められてきたわけでありますが、しかし、今や保守、革新という色分け自体、現代的意味を失い、色あせたものになりつつあるわけであります。  ただ、現在も、改憲派と護憲派という色分けは厳然としてあるのも事実であり、この調査会発足において、私も中山会長のもとで憲法調査委員設置推進議連の役員として、かなりの時間をかけて努力してまいった一人でありますが、護憲派の立場をとる議員の皆さんからはかなりの抵抗があったのも事実であります。しかし、それを乗り越えてこの憲法調査会ができ、そして、五回にわたる憲法制定過程参考人からの意見聴取あるいは質疑等々、この調査会において大変意義ある議論がなされてきているというふうに思っておるわけであります。  冷静に考えてみますと、日本国憲法の全百三条のうち、改憲派と言われる方々が問題にしているのはせいぜい数カ条であると私は思います。九〇%以上の条文については、改憲、護憲派問わず合意ができているんじゃないか。憲法前文についてもほとんどの人が賛成をしているんじゃないか。もちろん、その中には第九条の改正問題があり、これが先鋭的な対立を引き起こしているという現実も確かに存在をしております。  しかし、その九条の対立も、よく観察をいたしますと、我が国自衛権憲法上に明記するのか、今のままで済ますのかという問題に集約されてくるように思われます。  改憲派といっても、憲法改正して明治憲法下のような軍隊を持てるようにというような方は、ほんの一握りの極端な考え方の人にすぎないと私は思っておるわけでありまして、ほとんどの人は、侵略戦争を否定し、自衛のための最低限の戦力保持を主張している、PKO、PKF等の国際貢献を堂々とできる憲法を望んでいるということではないかというふうに思います。  一方、護憲派といっても、その中心勢力であった社会党が村山政権のときに既に自衛隊の存在を認めておるわけでありまして、護憲派は、今のままの憲法で十分だと主張しているだけで、国の自衛権そのものを否定しているわけではないというふうに思います。  そうしてみますと、九条の深刻に見える対立も、私は、両者の距離はかなり縮まってきているのではないかというふうに考えてよいと思います。  そういう状況を受けてこの憲法調査会が発足したと言っても、私は決して過言ではないと思います。条文に国としての自衛権を持つことを明示し、自衛隊の存在を明文化したり、あるいはPKOなどの国際貢献ができることを書き込むのか、それとも今のまま、政府見解などの解釈上の対応や、あるいは憲法以外の個別法で対応していくのかという違いに集約されてくるというふうに思っております。  言いかえてみれば、患者の容体についての見解にそんなに違いがない、思い切ってリスクを冒しても手術するか、それとも投薬などの対症療法で当面様子を見るか、医師の意見が対立しているようなものじゃないかというふうにも思えるわけでありますが、私は、世の中のスピードが速まりつつある今日、改正の土壌は熟しつつあるというふうに思っておりまして、いわば手法の対立になっているんではないか。  国内的にいえば、戦後五十年を経て、憲法前文憲法九条が目指した、平和憲法を意図するところは国民的コンセンサスが得られているわけでありまして、この日本国憲法全体を大きく変えるような大改正は必要でないことは明らかであろうと思います。  まさしく二十一世紀の扉をあけようとしている今日、この調査会で、手法の対立を乗り越えて、これから五十年はたえ得るような憲法をつくるという立場から、冷静な議論をしていくべきであろうというふうに思います。  以上でございます。
  36. 深田委員(深田肇)

    ○深田委員 社会民主党・市民連合の深田肇でございます。憲法調査会の発足と今日までの経過を踏まえて発言いたしたいと思います。  先ほどまでの諸先輩のお話を伺っておりますと、これからの憲法調査会の運営などについてもたくさん御意見があるようでございますが、私の場合は、憲法制定過程について、今日まで参考人の先生方からお話を伺いまして、大変勉強になりましたことをお礼を申し上げながら、そこに絞って少し意見を申し上げておきたいというふうに思います。もちろん、我が党の代表といたしまして伊藤副党首の方から前段お話がありましたことを踏まえますので、御理解賜っておきたいと思います。  率直に申し上げますけれども、先般の参考人の先生方のお話を伺ったり、議員の皆さん方の御質問や御意見を拝聴する中で、私は、もっともっと改憲論議が巻き起こってくるのではないかというふうに考えておりましたが、意外にそこはそれほどではなかったなというふうに思っております。  したがって、憲法を何が何でも変えなきゃならないという理由は、押しつけ憲法であったということを改憲の論拠に置く限り、大変薄弱であったなと思いますから、私は、その点では、憲法制定過程というところを中山先生が提起されて、そこから入ったことからいたしますと、改憲はなかなか全国民的なものにならぬのじゃないかというふうに強い確信を持ったということを、率直に申し上げておきたいと思います。  それを申し上げますのは、憲法というのは、主権者が政府権力に対して、率直に申し上げて、押しつけていくようなものだと思います。  そういう意味からしますと、明治以来の国体をしっかり守ろうとして固執された支配層にとっては、国民から大変な押しつけをされたということになろうと思いますが、日本国民が当時どう考えていたか、これはもう質問の過程でありました。同時にまた、国民が自律的な決定に基づいて憲法をどういうふうにつくり上げたかということについても、先般から意見交換があったところであります。  国民が新憲法を受け入れたのは、新憲法の諸原理は、ここなんですね、明治の民権運動以来の圧制と闘ってきた民衆が求めていたものと一致した。同時にまた、お互いの共通認識でありますが、戦争によって大きな犠牲を払ったというところから出てきた、いわゆる理想論といいますか、もう戦争はやらない、これはあえて言えば侵略戦争ということになりましょうけれども、いわゆる戦争はやらない、不戦という言葉をお互いに確認するところから出たものだというふうに考えているところでございます。  そういうふうに考えたときに、押しつけ論ということをおっしゃる方々に対して、私はあえて反論いたしておきたいと思います。  女性が選挙権を持っていなかった、土地改革もされていなかった、農民が小作でいた、同時にまた、労働者の人権も認められていない、教育の自由も宗教の自由もないという社会がいいかどうかということになりますと、これはだれもいいと言いません。それを、あえて言えばGHQが持ってきたというところに論拠をつけられるのかもわかりませんが、そのことが、外からの力によってでも敗戦過程の中で出てきたとするならば、それはそれでしっかりと受けとめたらいいじゃないかというふうに思います。いいことであったというふうに思います。  学習の中で出てまいりましたけれども、芦田さんを初めとする保守リベラルの人たちもいらっしゃったようでありますし、民間の憲法私案をどうつくっていくかというような率直な意見があったりしたことを、しっかりと勉強の過程から確認いたしますならば、この貴重な御指摘をしっかり受けとめて、耳を傾けながら今後進めていくべきではないかと思っている次第でございます。  時間の関係がありますからどんどん走りますが、現実憲法を合わせたらどうかという御意見があることは事実であります。これにつきましては、私は、今日までの状況の中で、いわゆる国家主義というのがどんどん——時間がなくなりました。雇用不安であったり自殺者がふえている、こういう状況の中で、だれもが認めている三原則をしっかり確認していくならば、現実の方を憲法理念に合わせてこれから改善していくことが必要なのではないかと思っている次第でございます。まさに憲法の精神の政策化、具体化、そしてアジア、世界の平和のための貢献をどうするかということを今後考えていくべきだと思います。  残りました時間で、大変恐縮でありますが、中山会長、日ごろ尊敬申し上げておりますが、会長が新聞報道のインタビューの中で主に三つのことを話しておられます。その一つは、三年間で現行憲法制定過程や内容についての調査研究を行おう、二番目には、調査会と並行して各党内で議論を進めて、三年後をめどに各党の見解を出し合ってもらう、三番目に、その後二年間で、五年のうちのあと二年間で各党の見解をもとに具体的な見直し議論に入るという段取りを新聞のインタビュー等々でお話をされているのを拝見しております。  どうなんでしょうか。具体的な見直し議論というのは調査の枠を超えませんか。私は、むしろ、しっかりと調査の中にとめてもらう、しっかりと中山会長を中心にしてお互いの意見交換をする調査の段階が大事だということを申し上げまして、会長からできれば、一言言葉をいただきたいと思います。ありがとうございました。
  37. 中山会長(中山太郎)

    中山会長 私に対する御意見が出ましたので、この際、改めて申し上げておきます。  その今御指摘の新聞のインタビューは、憲法調査会設置される前の話でございまして、私の全く個人的なプライベートの立場での話でございます。調査会設置されました後は、幹事会の先生方の御意見を調整し、重立った御意見尊重しながら、大体の一致したところでこの調査会を運営しているという、公平中立な立場で運営していることを改めて確認させていただきたいと思います。
  38. 深田委員(深田肇)

    ○深田委員 ありがとうございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
  39. 船田委員(船田元)

    ○船田委員 自由民主党の船田元でございます。一字違いの深田肇先生の次で、光栄に存じております。  これまで、当調査会におきまして、憲法制定過程についてさまざまな参考人による検証を行ってまいりましたが、私は基本的に、押しつけであったかそうでなかったかということを確定するということは、結局、意見の分かれるところだと思いますし、余り生産的ではないのではないかと思っております。戦後生まれ世代立場として考えますと、生まれる前から今の憲法が存在をしており、しかも、戦後五十年にわたって日本社会の規範を形成してきたということですから、憲法日本社会によくも悪くも定着をしているという認識にまず立っております。  しかし、かといって、今あしくもと申し上げましたけれども、私は、憲法を一字たりとも改正をしてはいけないという立場はとっておりません。何日も着続けている洋服と同様に、改正されない憲法にはあちこちにほころびや汚れをためてしまっていると感じております。ほころびや汚れ、すなわち今の日本社会に合わなくなった部分、世界の情勢から取り残されている部分、これについては、たび重なる政府見解あるいは内閣法制局の有権解釈でしのいできたというのが現実であります。しかし、もはや解釈にも限界が生じておりますし、そう簡単に解釈を多用するということでは、憲法本来の安定性に欠ける事態が生じかねません。必要な改正はきちんと行っていくべきでありますが、主権在民基本的人権尊重平和主義という現行憲法の三原則はもちろん堅持しつつも、改正が必要とされる部分については、部分改正ということで、大いに議論をするという手法が私は望ましいのだと思っています。  次に、改正点について五点ほど、基本的考え方だけを申し上げたいと思うのです。  第一は、憲法前文であります。全体的に翻訳調を改める、これは当然だと思うのですが、主権在民平和主義といった基本的な精神を述べた箇所は、これは残すべきであろう。ただ、平和主義といっても、自衛権すら認められないような表現、あるいは消極的な平和主義というのは改めて、自分の国は自分で守るといった防衛意識を醸成する表現や、国連の行う平和維持・創出活動に積極的に参加するという能動的な平和主義の表現に改めるべきではないか。さらに、我が国世界に誇れる伝統文化を継承し、美しい自然環境を守っていく精神をきちんと表現をして、無国籍ではなくて、日本国籍の憲法にしていかなきゃいけないというふうに思っています。  第二に、第九条の第一項、これは侵略戦争の放棄に関する部分でありますが、これは人類普遍の原理でありまして、これはそのままにするとしても、二項におきましては、たとえ前項の目的を達成するためという芦田修正があっても、解釈上不安定さが残ることは否めません。したがって、私は、個別的自衛権の行使、そして国連中心の安全保障活動——集団的安全保障という概念でございますが、この枠内での活動もなるべく幅広く認められるような条文にすべきではないか。ただ、集団的自衛権の行使ということについて、これを明定するにはまだ時期尚早ではないかというふうに思っております。  第三に、国民権利と義務の規定。これは、今までも議論が出ましたように、環境権の設定と、もう一方では、国民の知る権利ともう一方の個人のプライバシーを守る権利を同時にバランスをとって書く必要がある。  四番目には、緊急事態に対応する規定憲法にはありません。今まで超法規的措置ということで何とかしのいできましたが、これも明定する必要があります。  最後の五点目は、憲法改正手続ですが、もう少しハードルを下げておかないと、必要なときに必要な改正が行われなくなる、すなわち憲法の信頼性を損なうということになりかねません。  以上のようなことを踏まえて、論憲を国会がリーダーシップをとって行って、三年後を目途に改正案国民に提示、五年後に改正手続を行う、こういうことでやっていきたいと思っております。ありがとうございました。
  40. 中曽根委員(中曽根康弘)

    ○中曽根委員 私は、前に憲法調査会参加した者でございますが、今回また参加させていただきまして、御議論を拝聴して、非常に皆さんが御熱心におやりになっているのを見て、心から敬意を表する次第で、また、喜んでおる次第であります。  私の感じでは、これは全く私の個人の感じでございますが、前のときと今回とはかなり意味が違ってきているし、環境も違ってきていると思います。それで、これは私の個人の感覚と考え方でございますが、やはり、二十一世紀に入って、二十世紀と決別して新しい時代を迎えるときの憲法論あるいは憲法改正論という、全く新しい展開がこれから行われようとしておる。私に言わしむれば、これは新世紀、新文明、新憲法、そういうような考え方で言いたいと思っておるところでございますが、一番大きな違いというものは、要するに、マッカーサー憲法を直すという程度のものじゃなくて、国民憲法を今度はつくるんだと。明治は欽定憲法昭和は占領憲法、今度は日本人が新しい文明に向かって国民憲法をつくる、そういうような段取りに今あると私自体は考えております。  国民憲法をつくるという面から見れば、国民参加ということが非常に重要なので、我々がここでやっておるいろいろな議論の中に国民を巻き込む必要がある、参加していただく必要がある。公聴会をやったりいろいろやっているのもその一つの例であり、これからもやるんでしょうけれども。  そこで、考え方を一つ提起いたしたいと思うのは、選挙が終わったらどうせ補正予算を出すでしょうから、そのときに国会からも予算を出してもらって、この憲法調査会議論をテレビに乗せる。昔、総理のころ「総理と語る」という番組がありまして、そして毎週かわりばんこにチャネルを変えてやった、あるいは二週間に一遍ぐらいずつやったことがあります。ですから、この憲法調査会で行われている論議、あるいは論戦というようなものはいずれ出てくるはずでありますが、それをテレビに乗せて、そして幹事の方々が交代か、あるいはみんな一緒でもいいから、テレビを通じて国民に知らせる。それが非常に有効だ。  この間うち、外の方に来ていただいて所見を述べていただきました。あれは新聞に載りましたが、やはりかなりの者が読んでおります。恐らくテレビに出せば庶民が見る、それが一番大事なところなんで、今までのやり方と違った、視聴覚時代に訴えるような手段を我々がこの際使う必要がある、それが国民憲法というものになってくる。  それと同時に、おやりになっているかどうかは知りませんが、インターネットのホームページを整備して、そして議論の内容を英文及び日本語で整備してあげる。これは大学生が相当引いてくるだろうと私は見ておるんです。あるいは高等学生も引いてくるかもしれません。そういう意味において、国民とのつながりを持っていく。あるいは、外国も非常に関心を持っているはずですから、これも、今どういう議論が行われているというようなことが英文で公表されれば、相当来ると思うのであります。それぐらいの費用は当然国会としては出すべきだ、そう思っておるのです。  時間が参りましたからやめますが、もう一つは、五年というのは実際は長過ぎると思うんです。それで、せいぜい三年ぐらいで論憲は終わる。実質的には、統治権とか安全保障とか各項目がこれから行われるわけでしょうが、二年でみんなの議論が出尽くす、そういうことになると思いますよ。そうして、そのころから、なかなか憲法論というのは、政治が動いてきて、生きた政治とのつながりが出てくるだろうと思うんです。国民の方がまず動いてくるだろうと見ます、私は。  そういう面からして、論憲は二年ぐらいやって、それから、ではどうするか。我々は発議権はないですけれども改正案をつくることは可能だと思うんです。それを発議しなけりゃいいわけですから。みんな言っているのは改正考えて言っているわけでありますから、そういう意味において、みんな党へ帰って自分の党で改正案考えて、三年目ぐらいから各党が改正試案を出す、そういうことの原動力に我々がなっていく。情勢によっては、ここにおられるメンバーが党派を超えて、同じ共通の同感のアイテムについて勉強会をするとか連合するとか、そういうことも可能ではないか。  我々は生きた政治家でありますから、世の中を動かしていかなくちゃならぬので、単にここで議論しているというだけではなしに、一方において政治家としての職分があると思うので、そういう点もお考え願い、幹事の皆さんで御検討願えればありがたいと思います。  以上でございます。
  41. 穂積委員(穂積良行)

    ○穂積委員 中曽根先生の後を御指名いただいて、光栄でございます。  私はこの調査会で、質問に際し、憲法に対しては、世代ごと、あるいはその人の人生経験それぞれに異なった感覚で受けとめているという現状を申しました。同感をいただいたと存じます。  しかし、この調査会議論を通じて、これは論憲で結構ですけれども、中曽根先生がおっしゃったように、制定過程や何やについてはかなりもう参考人からのお話で明らかになってきたことを踏まえまして、時間をそうかける必要はないのではないか。問題は、今後、二十一世紀以降の日本国がどのような日本人により構成され、どのようにこの日本国世界の中で進んでいくか、日本人は生きていくか、こういうことを議論し、それを踏まえた憲法改正の基本方向を固めるべきではないかと思うわけでございます。  改正は、当然のことながら、現在の改正規定によりまして、国会議員が三分の二以上賛同するような合意を得なければ発議もできません。その合意が得られる方向で、幾つかの問題につきまして、タブーを恐れず、国民主権者の声を十分踏まえた議論を集約すべきだと思っております。  ちょっと気分を変えるために、私、きょうはぜひ皆さんに思い起こしていただきたい詩を引用させていただきます。私は東北比例区出身ですが、思想家であり詩人である宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」という詩を皆さんに思い出していただきたい。ちょっと読みます。   雨ニモマケズ   風ニモマケズ   雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ   丈夫ナカラダヲモチ これは、中曽根先生、たくましい、丈夫な日本人を育てていこう、こういうことですね。  それで、   欲ハナク   決シテ瞋ラズ   イツモシヅカニワラツテヰル 自制心を持った日本人。  そして、   一日ニ玄米四合ト   味噌ト少シノ野菜ヲタベ これは自給率の向上。私も取り組んでまいりました。そうした国民の生存にかかわる問題。   アラユルコトヲ   ジブンヲカンジヨウニ入レズニ   ヨクミキキシワカリ よく教育をして、そして「ソシテワスレズ」という文言があります。勉強した国民がしっかりと世界を見据えて生きていくということにしてほしい。   野原ノ松ノ林ノ蔭ノ   小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ というのは、これは環境問題ですね。節約、それから質素な食事で長生きというようなことにも絡むと思います。   東ニ病氣ノコドモアレバ   行ツテ看病シテヤリ   西ニツカレタ母アレバ   行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ これは医療、看護問題に絡む話であります。国家の姿勢を示すべきであります。   南ニ死ニサウナ人アレバ   行ツテコハガラナクテモイイトイヒ これは宗教にも絡むでしょう。  そこで問題は、   北ニケンクワヤソシヨウガアレバ   ツマラナイカラヤメロトイヒ これは人類共生の姿勢のもとに、国際的に地域紛争などがあった場合に、しかるべき貢献もしてもいい。PKOや何や、今の憲法第九条との関係ではどうなんだということなど、あいまいな、解釈が分かれるような文言でなしに、憲法第九条の戦争放棄、しかし自衛権をしっかりと認識し、そのための戦力を保持するということなども誤りなく明記すべきではないか。   ヒデリノトキハナミダヲナガシ   サムサノナツハオロオロアルキ これは国民がともに生きていこう。   ミンナニデクノボウトヨバレ   ホメラレモセズ   クニモサレズ これは私は、日本人はもっと誇りを持っていいと思います。私自身、誇りを持って生きたいと思っております。世界に誇れる日本人、こういう日本の社会で生きていこうという基本方向をはっきりさせて、それで憲法改正に取り組むべきである、私はそう思います。  私どもは、実は十七人の国会議員で形成しております番町政策研究所で、昨年六月、憲法についての基本姿勢を、これは世代を超えて共通認識を持って文字にもしております。それを踏まえて私はきょうは発言をさせていただきました。  どうか、この調査会が実りある結論のもとに、同意し得るところで三分の二以上の多数で発議される時期が来ることを、その日が一日も早からんことを念願して、私の発言を終わります。
  42. 安倍(基)委員(安倍基雄)

    ○安倍(基)委員 保守党の安倍基雄でございます。  いろいろ論議がございましたけれども、私はまず、憲法とは何か、簡単に言えば、その国の社会の骨格でございます。その時代あるいは状況によっていろいろ憲法ができてくる。  さっき、明治憲法のいろいろな批判がございました。私は、あのときの国際環境を見ますると、帝国主義時代、各国が非常に力をつけてくる、侵略している。そのときにおいて日本に一番求められたのは、いわば社会の団結と安定です。その面で、私は、立憲君主制をとったということは非常に意味があった。当時における人権についての規定が少ないということはありますけれども、この立憲君主制のもとに、本当に東洋の弱小国日本が、世界の列強に伍するにまで至った、それなりの成功した例だと私は思います。  しかし、大正、昭和とずっと一度も改正されぬままに来た、それがやはり昭和の悲劇を生んだ。統帥権独立とか、いろいろ要素がございました。結局、社会の状況に合わせて憲法を変えていかなかった、ここに一つ日本の悲劇があったのじゃないかと思います。  でございますから、私は、どの憲法はいい、どの憲法は悪いじゃないのです。その社会の持つ国際環境、内的条件、それを調整するのが憲法であり骨格である、骨組みであるという考えを持っております。  私は、学生時代に、「道徳価値の発生とその進化」という論文を書きましたけれども、二年前にそれを復刻版で出しました。道徳というのは変わらないけれども、それぞれの社会において、どこに重点が置かれるかという変化があるということでございます。  この見地から見ますると、新憲法はどうかといいますと、これはさっき奥野先生が言われましたように、本当に押しつけられた憲法であった、それは事実でございます。  ただ、よく考えますると、戦後独立したときに、本来自分の憲法を持つべきであったと私は思います。それができなかった。  これは、憲法改正の手続が大変だったこともございますけれども、もう一つは、やはり国防というか安保条約がきちっとできた。ある参考人が、安保条約がきちっとできたために、逆に憲法改正の機運が静かになった、おさまったという説を言った参考人がございます。     〔会長退席、鹿野会長代理着席〕  さっき戦後五十年間平和が保たれたという話が出ましたけれども、これは憲法条文にあったからじゃなくて、まさに冷戦構造のもとに安保条約によってきちっと安定したというのが本当の原因でございまして、その意味で、決してまだ憲法のために日本の平和が守られたと私は考えておりません。  冷戦構造が終結し、地域紛争が発生した。テポドン一発で我々は非常にびっくりしたわけでございますけれども、中共の、いわば中国のこれからの軍事強化もある。これからの二十一世紀がどういうことになるのか、それを考えなきゃいかぬ。  だから、我々は押しつけられたか否かということを問う前に、それは何で今まで改正の手続がなかったか。これは政治家の怠慢であると同時に、国際情勢が、憲法改正への強い機運をむしろ、見せかけの平和でもって憲法改正の必要性をなくしてきた。ところが、現在はそうではない。  私は、これからの憲法論議のときにまず考えるべきことは、二十一世紀前半において国際情勢がどうなるのかということに対する正しい認識が必要かと思います。果たしてこのままで行けるのかどうか。恐らく集団安全保障的な要素が前面に出るでございましょう。でございますから、二十一世紀における前半の日本をめぐる環境はどうかということを考えなきゃいかぬ。  第二に、国内の状況はどうだということでございます。いわば、いろいろな権利、いろいろ憲法に書き込むことができますが、一つ権利を主張すると、必ずその権利に対する反発もある。公共の福祉ということが前面になくちゃいけない。公共の福祉というのは多数の人の権利を守ろうということでございます。個人権利と多数の人の権利をどう調整するかという問題がございます。  それとともに、さっき話題に出ましたけれども、やはり世の中の変転に応じて少しずつ変えられる憲法じゃなくちゃいかぬ。そうくるくる変えられちゃ困りますけれども、やはりこの骨組みというものは、社会環境、あるいは国内、国外の状況、これに適応すべきものでございます。  その意味で、これからのいわば憲法論議は、まず第一に国際情勢の認識、国内発展状況の正しい認識、そして改正ができる、余りかたくならない憲法であるべきだと私は思っております。私の所見を述べさせていただきました。ありがとうございました。     〔鹿野会長代理退席、会長着席〕
  43. 中野(寛)委員(中野寛成)

    ○中野(寛)委員 民主党の中野寛成であります。  この憲法調査会についてまず触れたいと思いますが、私は、まずスタートとして、発議権を持たない憲法調査会の発足を提案した者の一人でありまして、その形でスタートいたしました。しかしながら、私は、いずれにいたしましても、今後国会憲法委員会というものが常に常設されるのは当然のことではないかというふうに思います。  例えば、最高裁判所に違憲立法審査権がありますが、もし違憲判決が出たときに、それは憲法の方が悪いのか、国会の立法が悪かったのかというものも、改めてむしろそれは検証しなければならないはずであります。  国会憲法について論ずる場を持たない、それは、国会全部が論ずる場であると言ってしまえばそれまででありますが、しかし、その担当の委員会を持たないというのは、やはり怠慢だと思っております。なぜならば、憲法規定によって国会だけが憲法改正の発議権を持っているわけでありまして、国会憲法について当然責任を負わなければいけないからだ、このように思っております。  さて、今日まで成立過程のことについて調査をしてまいりました。私は、成立過程のことを論ずることは、改憲か護憲かということの参考に余りならないと思っています。むしろ、芦田修正などが行われた経緯などは、憲法九条などの解釈に役に立つということではないかというふうに思っておりまして、先ほど来の御論議の中でも、五十年前、五十五年前の時点でなお発想が停滞をしている方がいらっしゃるなと思っております。  改憲を述べる中に、押しつけだから自前の憲法をという人もいます。しかしそれは、押しつけと言うならば、日本が戦後独立したときに独自の憲法を持つべきであったわけで、その後も国民がこの憲法を支持して今日まで守ってきた経緯から考えれば、これはもう押しつけ云々ということは過去の話と考えるべきではないかと思います。  また一方、戦争を繰り返さないためにこの憲法を改悪してはいけないという話も言われます。しかし、当時の国際情勢や日本国民の意識、そして発達したマスコミなどなどから考えて、そういう危惧の念をそこから持つというのは、これまた時代おくれなのではないか。むしろ、過去から憲法を論ずるのではなくて、未来から憲法を論ずるべきだと思います。  国際社会の流れ、よく新憲法と言いますが、決して日本憲法は新しいわけではなくて、世界憲法の中では極めて古い方に属するものであります。むしろ、先ほど来お話もございましたように、国際情勢の変化や国民意識の変化、そしてこれからどういう日本の仕組みをつくって国際社会の一員としてやっていくかという、未来から日本国憲法をこれから論ずるべきではないか、そう思うのであります。  また、憲法を論ずるときにはやはり、憲法というのはその国の形や国民性やいろいろなものを代表、象徴するものであります。日本のアイデンティティーというものが憲法に盛り込まれているのが当然のことであって、その国の憲法を読めば、その国の精神、国民の意識がわかる、こういうものでなければならないだろう。  それでは、日本のアイデンティティーとは何だ。これまた先ほど触れた方がいらっしゃいましたが、新渡戸稲造先生が「武士道」という英語の本をお書きになった。それは、外国で日本のアイデンティティーは何かと問われたときに答えられなかったので、改めて書いた。それにたまたま接したあの発明王エジソンが、その「武士道」を愛読書としたという有名な話があります。こういうことは、我々としてはやはり避けないで考えるべきことではないか。  また平和の問題でも、九条ばかりが中心になって論じられますが、私は、現行憲法でいえば、第十三条、生命権や自由権を国は守る義務があるわけであります。そういう視点からなぜ自衛の問題、防衛の問題はもっと論じられないかと思うこともありまして、そういう視点にかんがえますと、日本国憲法をもっと根本的に洗い直す、組みかえ直すということが必要ではないか、このように思う次第であります。風格ある憲法をつくりたいものだな、こう思います。
  44. 森山委員(森山眞弓)

    ○森山委員 今日まで、学者、研究者の方々から、日本国憲法制定するいきさつについて詳しいお話がいろいろございまして、大変勉強になりました。そして、それを踏まえた上で、私たち議論をこれから進めていくということになるんでございますけれども、私は、どちらかといえば、これからの議論は、二十一世紀、新しい日本にふさわしい憲法であるかどうか、そうでないとすればどこをどのように手直ししていったらいいかというふうに、現実的に考えるべきなのではないかなと思っております。  まず、先日、私は質問の中で申し上げましたが、衆議院と参議院のあり方について、国会のあるべき姿についてということが非常に重要だということを指摘したのでございました。  きょうの新聞を見ますと、参議院の議長の私的諮問機関として参議院のあるべき姿について勉強をされたグループが提言をされるという内容が載っておりまして、それは大変前向きな、いい考え方だと思って読ませていただいたのですけれども、参議院と衆議院が別々にある、二院があるということ自体を否定するわけではございませんが、現在の現実あり方を見ますと、必ずしも両方がお互いに補い合い、補完し合っているというふうには残念ながら言い切れないと思うのです。それについての問題点を前回はいろいろ申し上げました。  それで、きょうのお話を伺っておりましても、諸先輩からいろいろお話がございました中で、憲法改正案も十分考えてそれを進めていくべきではないかというお話がございました。しかも、それは党派を超えてでも勉強し合ったらよかろうということで、私は全く賛成ですけれども、さらに進めて、これは参議院の憲法調査会とももっと密接な連絡をとって、国家全体のあり方国会全体のあるべき姿ということを決めるのであれば、参議院の憲法調査会と協力をしていく、お互いに垣根を取り払って一つのものを目指す努力を両方でしていくべきだというふうに強く思う次第でございます。  もう一つは、新しい時代にふさわしいという点から見ましていろいろ問題がございますけれども、その中で私が一つ例として申し上げたいのは、言論、出版その他の表現の自由でございます。  第二十一条に「言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」というのがございまして、これは民主主義の歴史の中でも一番の原点になる重要な権利でございますから、これは何よりも大切だということは全く同感でございます。特に日本の場合は、戦争中、あるいは戦争にも至らない前から言論の統制、圧迫がございましたので、それが国の方向をゆがめたという反省もありまして、この二十一条が非常に大切にされてまいりました。  私、これからもこれは大変重要な条項だとは思っておりますけれども、当時と現在の言論というもののあり方が随分変わってきているのではないかというふうに思うのです。  その当時は、言論、出版というと新聞、雑誌ぐらいだったと思いますけれども、今はそのほかにテレビというものがありますし、そのほかインターネットその他の新しいメディアがたくさん出ておりまして、それらを全部包含した言論、出版と称されるものが、むしろ圧迫や統制をされる側ではなくて一つの権力にさえなっているということを考えますと、これについてやはり良識を持ち、責任を感じて行動してもらいたいというのが非常に強い気持ちでございます。  最近、性的に露骨な描写などが週刊誌を初めはんらんしておりますし、売れればいい、視聴率が高ければいいというような商業主義が大変はびこっておりまして、子供に与える影響などを全く考えないで、ただ好奇心をそそる、刺激をエスカレートさせるという傾向があることは、まことに目に余る状況でございます。そんなテレビを見るのが悪い、週刊誌を買うからいけないとおっしゃるかもしれませんけれども、家庭に配達される普通の新聞に載っている週刊誌の広告、あるいは混雑で身動きができないような地下鉄の中づりなどが余りにもひどいということで、これを何とかしてくれとよく言われるものでございます。  私は、言われますと、憲法二十一条があるので政治法律では何ともしがたいのですよ、視聴者や国民の良識によってセーブしていくしかないということを言うわけでございますが、法律言葉で言えば、これは要するに公共の福祉ということをどのように考えるかということにあるのではないでしょうか。公共の福祉ということについて、改めて具体的に考えるべきときが来たのではないかというふうに思っております。  ありがとうございました。
  45. 達増委員(達増拓也)

    達増委員 私は、二十一世紀における憲法あり方というものを考えなければならないと思っております。二十一世紀は産業社会ではなく情報化社会でありますから、新しい憲法は、当然、情報化社会に対応したものでなければなりません。  現行憲法人権は、十九世紀的市民的権利の上に二十世紀的社会的権利が乗っかった格好になっているわけでありますが、この社会的権利の部分は、大量生産、大量消費、中央集権、大きな政府、そういう産業社会の構造を前提としたものであります。戦争放棄、九条についても、産業社会をベースとした帝国主義的闘争を念頭に置いて書かれたものでありまして、端的に言って古いわけであります。  情報化社会においては、経済活動も社会活動も情報というものを中心に行われるようになる。そういう中で、情報をめぐる権利義務をまずかちっと固めなければなりません。  まず第一に、自己に関する情報コントロールの権利、プライバシーを含むそういうものをきちっと固めなければなりません。  そして、自治のための情報アクセス権、いわゆる情報公開の問題であります。民主主義の達成度というのは自由の度合いと参加の程度によってはかられるわけでありますが、情報に関する自由と参加、これを新憲法の中できちっと定めていかなければなりません。  統治についても、民意という情報をいかに国家意思に統合していくか、そういう情報システムとしての統治機構の問題を考えなければなりません。  二院制というのは陳腐化しております。内閣機能についても、徹底した分権の後残った権能については、逆に機能強化をしていくことが必要であります。  また、民意を国家意思に統合していくための最も重要な政党に関する規定、これが憲法的に確立していないため、今さまざまな混乱が起こっております。  改正手続についても、これは究極の民意集約でありまして、これも現実的な形に定め直さなければ意味がありません。  平和主義については、要は、二十一世紀の国際社会の中で平和を脅かすものは何か、それに対していかに対応すればいいか、特に国際的な協力の中でどうすべきかという、それがわかりやすい形で方向性を指し示す必要があります。  また、情報というものは人間が生み出すものであります。人間の基本的集団である家族、地域社会、国家、そしてそれがはぐくむ伝統文化、そうしたものをないがしろにしては価値ある情報というものは創造できないのでありまして、そういう伝統文化を大事にするということも新しい憲法の要素であり、教育の問題もそれとの関連で規定されていけばいいでしょう。  環境についてでありますけれども環境問題というのは、要は、環境に関する情報が的確に得られ、それに基づいて消費とのバランスについて的確な集団的意思決定ができればいいのでありまして、環境権というものは、基本的に、情報に関する権利義務の問題に還元し得ると考えます。  こうした情報化社会に対応した、いわば憲法のバージョンアップを行わなければならない。日本国憲法二〇〇〇とでもいうようなもの。情報化社会という意味での二十一世紀は既に九〇年代から始まっているのでありまして、二〇〇〇年には、日本国憲法二〇〇〇という新憲法ができていてしかるべきだと思います。我々の先人は数週間で新憲法をつくったわけでありまして、我々にできないはずがないのであります。  そして、五年後、十年後には恐らく、また全く新しい、今論点になっていないようなことで改正が迫られるでありましょう。五年ごとにバージョンアップを繰り返す、国の形についてそれだけのダイナミックな民意の集約、そして決断、決定、そのくらいのダイナミックな国のあり方をつくっていかなければ、二十一世紀の日本というのは生き残っていけないのだと思います。  そういう意味で、先ほど数週間でできるという話をいたしましたけれども、特に今、中曽根元総理もおっしゃられたように、インターネットを駆使いたしますと、本当にそういう民意の集約、国家意思の統合というものがスピーディーにできるわけでありまして、インターネットを利用した憲法創憲、いわばE憲法とでもいうようなことが今可能になっているのだと思います。Eビジネス、Eコマース、インターネットを利用したそういう経済活動、政治もE政治でなければならないでしょうし、新しい憲法もE憲法として創憲されるべきであるということで、私の意見を終わります。ありがとうございました。
  46. 佐々木(陸)委員(佐々木陸海)

    ○佐々木(陸)委員 日本共産党佐々木陸海です。  日本国憲法を変えたい、変えるべきだ、変えなければならないという改憲推進の主張に対して発言をいたします。  改憲推進論者たちは、憲法施行されてから既に五十三年もたった、変えるのは当たり前だ、変えてこなかったのがおかしいと言い、憲法を服や靴に例えて、体に合わなくなったら服や靴の方を変える、体や足は変えられないという俗論まで動員をしております。  では、どこが合わなくなっているのか。憲法のどこが手かせになり、足かせになっているのか。  環境保護の運動を熱心にやってきて、憲法環境権が定められていないのが、今、これらの人々の手かせになっているというのでありましょうか。プライバシーを守るために必死に努力してきたが、憲法にその定めがないために挫折しているとでもいうのでありましょうか。  私の念頭にある改憲推進論者たちは、むしろ大企業や米軍による環境破壊に最も寛容な人々であり、プライバシー保護どころか、警察による電話盗聴など、人権規制の推進者であります。これらの人々の言う新しい人権概念などは、全くの借り物にすぎないと言わなければなりません。  では、改憲推進論者たちが、日本国憲法のどこを桎梏と感じ、どこを突破したいと考えているのか。  一九五六年の憲法調査会のねらいは、アメリカの強い要求に沿った再軍備の推進、第九条の改変でありました。このときの調査会のねらいは、国民の強い抵抗に遭って挫折をいたしました。しかし、その後、推進論者たちは、解釈改憲を進めることによって、第九条の規定に真っ向から逆らって自衛隊をつくり、増強し、それは今、世界有数の軍隊になっております。  その行動も、昨年の周辺事態法、いわゆる戦争法では、海外で戦争する米軍への後方支援にまで拡大をいたしました。ただし、この後方支援は後方地域支援と言いかえられ、それは米軍の武力行使と一体化しないものだと定義をされている、こういう状況です。つまり、こういう言葉のトリックによって辛うじて自衛隊のこうした行動が合憲と強弁される、そういう事態になっているわけであります。まさにこういう点で、解釈改憲も今、完全にこの点では限界に達しているわけであります。  したがって、端的に言って、自衛隊の海外での武力行使ができるようにしたい、こう願望を抱く人々にとっては、憲法九条は今、明らかに重大な手かせであり、足かせであります。その桎梏を取り除くこと、そこに今の改憲推進論者の中心眼目がある。私は、このことを明確に指摘をしておきたいと思います。  そんな血なまぐさい方向に血道を上げる必要がどこにあるのか、このことを申し上げたい。  昨年のアメリカによるユーゴスラビア空爆問題、端的な例でありますけれども、軍事力に訴えることの有害さを余すところなく立証し、今でも世界議論が続いております。さらに、国連を平然と無視して振る舞う覇権国家アメリカと軍事同盟でつながって、そのアメリカのしり馬に乗って自衛隊が海外に出ていくことなどにいかなる道理があるのか。私は、最近の事態、近年の事態が極めて明確に示していると思います。  これからの日本は、憲法九条に厳密に沿って、日米軍事同盟を解消し、軍縮の道に進み出すべきであります。あらゆる紛争の平和的解決、核兵器の禁止、廃絶、武器の輸出入禁止などなどの諸課題実現に向けて、世界の先頭に立って進むべきであります。そこにこそ、アジア諸国からも世界からも歓迎され、尊敬される日本の二十一世紀の進路があると確信するものです。  そして、改憲派のねらいが以上のようなものである限り、我々は今、憲法を変えることに断固反対であります。そして、日本国憲法を変えてもいいのではという善意に考えるすべての人々に対しても、改憲推進派の危険なねらいへの警戒を呼びかけるものであります。  ありがとうございました。
  47. 横内委員(横内正明)

    ○横内委員 自民党の横内正明でございます。  今まで憲法制定過程の学者ヒアリングを続けてきたわけでございますけれども、この学者ヒアリングというのは大変に有益な、目を開かせるような指摘が多かったというふうに思います。  特に、憲法九条の関係では、私どもが大学時代に講義を聞いていたときにはわからなかったような、新しい知見とか新しい研究成果というものが随分出てきているな、そういう感じを強く持ちました。先ほど、中野委員から御指摘がちょっとありましたけれども、そういう学問的な進歩というものを取り入れて政府の憲法解釈も変えるべきではないか、そのように私は思います。  具体的に申しますと、九条の関係では、いわゆる芦田修正というものの評価が非常に大きなポイントだろうというふうに思います。  言うまでもなく、芦田修正というのは、芦田憲法改正委員長が、九条の二項の最初の部分に、「前項の目的を達するため、」という字句を入れた。その入れたことに、追加したことに伴って、日本は、憲法の解釈として、自衛のための最小限必要な戦力を持つことができる、そういう解釈が可能になったという論点でございます。  私などが大学のころに教わったときには、芦田修正というのはあったにせよ、単なるエピソードといいますか、軽く扱われておりました。したがって、九条の解釈には何ら影響を及ぼさないというようなことを教えられたものでございます。  しかしながら、今回の参考人たちの陳述によりますと、最近、アメリカでいろいろな資料が公開されてきている、極東委員会の議事録も公開されてきている。そういうものを子細に点検すると、この芦田修正というのは極めて重要な意味を持つことがわかってきたというような陳述がございました。  具体的には、極東委員会という場で、芦田修正が行われたときに議論があった。そして、この修正が行われたことによって、日本は自衛のための戦力を持ち得るんだ、そういう解釈が可能になったから、将来、戦力を持つかもしれない、軍国化しないために、その歯どめとして文民規定を入れるべきだ、そういう議論があって、GHQからの指示で急遽、憲法六十六条の文民規定が盛り込まれたということでございます。このことは、西さんという参考人だけではなくて、何人かの参考人が指摘をしておりましたから、これはかなり確度の高い歴史的な事実と言っていいのではないかというふうに思います。  こういう歴史的な事実が明らかになった以上、政府の公定解釈というのは変えてもいいのではないかというふうに思います。  現在の政府の解釈というのは、自衛隊は陸海軍その他の戦力ではないという解釈でございますけれども現実論として、事実、自衛隊というものは世界でも有数の軍隊であるわけでして、非常に無理な解釈の状態になっております。軍隊であるけれども軍隊ではないというような、中途半端な解釈になっているというふうに思います。  そこで、GHQ、あるいは当時の憲法制定権力と言われるようなグループが、憲法のその当初から自衛のための戦力は認める、そういう趣旨であったとすれば、その事実が明らかになったわけですから、この際、やはりそういう解釈を変えていくということがあってしかるべきではないか、そのように私は思います。  それから、九条の改正の問題については、これは早くやって、解釈上の混乱に終止符を打つべきではないかというふうに思います。  特に、九条の改正論議については、国民の間でかなり煮詰まってきているというふうに思いますし、与野党の間でも、民主党の党首の鳩山さんの私案というのは、我々自民党の大勢の考え方とそう大きな差がないわけでありまして、コンセンサスが得られるような状況になっているのではないかというふうに思います。  したがって、これから議論をしていくわけですが、憲法全体の改正というものに相当時間を要するということであるとすれば、まず九条関係だけ先に改正をするという二段階的な改正というのもあっていいのではないか、そのように私は思います。  以上です。
  48. 杉浦委員(杉浦正健)

    ○杉浦委員 自由民主党の杉浦正健でございます。  きょうは、憲法調査会が始まって以来、初めての委員による自由討議でございます。大先輩や同僚議員の皆様方の御意見を非常に感慨深く拝聴いたしておりました。  憲法問題が、国会の中に常設される機関によって論議されるというのは、我が国憲政史上初めてのことでございます。発議権は持っておりませんが、この論議を通じまして、必ずや、各党の間で改正論が盛り上がりまして、先ほど中曽根元総理が申されましたように、国民憲法と申すべき、我々議会が発議をして国民国民投票によって承認する、そういう新しい憲法が誕生するということを私は期待しておりますし、信じて疑わないものでございます。  方向といたしましては、会長が申されたように、内外ともに大変な状況の変化があり、時代の進展があり、未来へ向かって、二十一世紀以降、我が国並びに国民がどういう理念で、どういう道筋を、どういう国の姿形でもって進んでいくかという方向を目指して、我々は論議を深めるべきだ、こう思っておる次第でございます。  いずれまた詳しく意見を申し述べる機会があるかと思いますが、若干我が国の憲政史を振り返ってみますと、いわゆる明治憲法は欽定憲法と言われておりますけれども、これは国会議論して決めた法律ではありません。明治二十三年に国会を開設するという勅語が明治十四年に出され、それを受けて明治憲法の起草が始まったわけであります。伊藤博文が主体でございました。そして、帝国議会選挙が行われまして、明治二十三年に国会が開かれたわけでありますが、明治憲法前文に当たります勅語で、明治憲法発効の日は、「帝国議会明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トス」、こう定められておりました。憲法に定められたとおり、翌明治二十三年に第一回総選挙が行われまして、第一回帝国議会が開かれたわけでございますが、そこでは憲法は効力を発生しておりまして、議会において承認の手続はおろか議論すらなされなかったのでございます。  現在の憲法については、もう調査もいたしましたとおり、ポツダム宣言の受諾、敗戦ということから出発いたしまして、占領下において制定されたということで、厳しい制約があったことは疑いのないところでございます。  これらの制約が全くなく、国民の代表である我々国会議員が自由に議論をして発議をするということは、憲政史上まさに初めてであり、ある意味では日本の歴史の中でも初めてのことと言ってよろしいかと思うわけでございます。そういう意味におきまして、この調査会は歴史的な意味においても画期的なものであって、私は、そういう中で国会議員としてこの議論参加できるということを本当にうれしく思っておりますし、また光栄にも思っておる次第でございます。  憲法は、国家運営の基本マニュアルであります。明治憲法のもとでの五十年、あの戦争に突入してまいりました。新憲法のもとでの五十年、現在の平和と繁栄をもたらされておるわけでありますが、問題点もあったことは明らかでございます。そういった過去の憲法と我々政治国民生活との関連を十分に議論をして、新しい時代に向かって、二十一世紀以降に向かって、世界から称賛されるような立派な憲法づくりをお互いにしてまいろうじゃないかということを申させていただいて、私の意見開陳にさせていただきます。ありがとうございました。
  49. 枝野委員(枝野幸男)

    ○枝野委員 民主党の枝野でございます。  憲法調査会のきょうの議論も含めて、いろいろなところで世代的な話が出ておりますが、このメンバーの中では私が最年少でございます。私にとってもやはり憲法は生まれたときから存在をしているものであって、押しつけられたという意味では、押しつけという言葉が適切かどうかわかりませんが、いずれにしても、我々の世代にとっては上の世代の皆さんがおつくりになったものを与えられたということであるということをまず申し上げておきたいというふうに思います。  さて、そこで、いろいろな議論が出ておりますが、私はまず、憲法がどういうものであるのか、我々にとって何なのかということの位置づけをしっかりさせるべきではないか。時々、憲法を大事にして国が滅んでしまったら仕方がないじゃないかという議論がございますが、まさにそれは私も同感であります。  つまり、憲法はあくまでも道具であるということを共通認識で持たなければいけないのではないだろうか。道具についていいとか悪いとかと言う前に、その道具を使って何をつくり上げるのかということの議論が大事なのであって、道具がいいか悪いかという判断は、つくり上げようとしている、例えばその道具が包丁であるならば、つくり上げられる料理が何であるのかということがはっきりしなければ、いいも悪いも判断はできないということであります。  したがって、私は、抽象的に、例えばあなたは改憲派か護憲派かと時々マスコミなどからもアンケートみたいなものが来ますが、抽象的に、憲法を変えますか変えませんかと言われれば、私は一言一句たりとも変えちゃいけないなどという硬直的な立場に立ちませんが、どの部分をどういうふうに変えるのかということが問われなければ、イエスともノーとも答えようがない。その原点をまずはしっかりと共通認識で持たなければ、物事は前へ進んでいかないというふうに思っています。  それからもう一つ、その道具性ということとも絡んでくるかもしれませんが、憲法というものは何なのかということの定義づけを、もうちょっと共通認識をつくる必要があるんじゃないかと思います。  我が国憲法は、硬性憲法、いわゆる他の法律に比べて改正手続が困難な仕組みをとっておりますが、世界で比べてみたときに、硬性憲法というのは必ずしも多数派ではありません。そして、他の法律と同じ手続で憲法改正できる国も少なからず存在します。つまり、憲法だから重いという意味憲法という法はあるのではないということが、憲法を一般的に理解するときには世界のむしろ常識だということであります。  つまり、なぜか憲法に、例えば、先ほど国民の義務ということで我が党の松沢委員も言っていましたが、環境権を入れるのなら環境を守る義務というような話はよくわかるんですが、憲法という法が他の法とどこが違うのかといえば、公権力の行使について制限を加える法、あるいは公権力の行使の仕方について規定する法が憲法の本来の定義であるというふうに理解をすべきであるというふうに、私は私の憲法を学んできた経緯から判断をしております。その憲法とは何なのかという定義のところを混乱をしておりますと、憲法に何を書き込むべきかということについて共通認識がつくれなくなってしまいます。  繰り返しますが、日本は硬性憲法だから、何か特別大事だから基本的なことは全部憲法に盛り込むべきなんだというふうな一般的な誤解がありますけれども、あくまでも憲法は、公権力の行使を制限する、公権力の行使のルールを規定する、その裏返しとして人権を守るということが、憲法という法が他の法とどう定義づけられるのかということの意味であります。この点の共通認識を持つのか持たないのかを含めてきちんと議論をしないと、前へ議論が進んでいかない。議論が進んでいったとしても混乱をするのではないかという危惧をいたしております。  具体的にいろいろ現行憲法問題点については申し上げたいこともございますが、先ほど申しましたとおり、憲法は道具であるという点から考えれば、それぞれのテーマについてどこに矛盾があるのかということを、この場でもいいと思いますけれども、むしろ、例えば安全保障であるならば、本来安全保障委員会の中でいろいろ議論をしているんだけれども憲法がどうしても邪魔になってやるべきことができない、だから憲法調査会、何とかそこを煮詰めてくれという話が手順であったりするのではないだろうか。あるいは、環境についていろいろ政策をやっているけれども環境権という規定がないからどうしても前へ進んでいかないということが環境委員会などの議論の中から沸き上がってきて、そして憲法調査会に、では憲法上どうどこを変えたらいいのか議論をしてくれ、こういうのが、憲法が道具であるところからすれば順番ではないのかなと私は思います。
  50. 愛知委員(愛知和男)

    ○愛知委員 私が最後発言者であろうと思いますが、きょうは、議員同士で議論するというところまで至りませんでしたけれども議員がそれぞれの思いを発言するという、これは非常に有意義だと思います。ぜひこれからも当調査会の運営にこういうものをもっともっと入れていただきたいと思います。  私は、憲法に関しましては、いわゆる改憲論者ではなくて、書き直し論者でございまして、つまり、今の憲法をもとにしてどこをどう書き改めるといった対応ではなくて、白紙に全く新しい憲法を書きおろすという姿勢で憲法に取り組むべきだということでございます。  私は、憲法というものは、そもそも、あるべき国の形、あるいはあるべき国の姿、さらに、そこで生きる国民の目指すべき目標を法律の形で表現したものだと考えております。  ところで、我が国の国内状況、我が国を取り巻く国際情勢、さらに世界の中の日本の存在などについて、現憲法制定時と今ではあらゆる点で全く様相は変わってしまっているという点につきましては、異論はないと思います。したがって、我が国のあるべき国の形、あるいはあるべき国の姿、さらに国民の目指すべき目標なども、その当時とは大きく違って当然だと思います。したがって、これを表現した憲法現行憲法とは違ったものになるのは当然のことと言わざるを得ません。つまり憲法は、全く新しく書き直されなければならないということでございます。  ところで、書き直す作業の前提として基本的に大切なことは、我が国のあるべき姿がどのようなものかが明確になっていなければなりません。あるべき姿があいまいのまま憲法を書くことはできないわけであります。  この点で大変参考になるのは明治憲法制定過程でありまして、このとき、明治憲法の起草者たち日本の古典研究から始めるのでございます。それは、古事記とか日本書紀から始まりまして、それ以降江戸時代に至るまで、各方面の専門家が集まって、二年ほどかけていろいろ徹底的に勉強し直すのであります。その結果をもとにして明治憲法は起草されております。  私は、一日も早くこの調査会で、日本の歴史や伝統を踏まえたこれからの我が国のあるべき姿の議論を始めるべきだと思います。この議論こそ、国会議員である我々の最も大切な任務ではないかと思っております。  このことを申し上げまして、時間はまだちょっとございますけれども、私の発言とさせていただきます。ありがとうございました。
  51. 中山会長(中山太郎)

    中山会長 まだ御発言の御希望もあるようでございますが、予定の時間を過ぎましたので、ここで討議を終わらせていただきます。  本日は、御出席をいただきました委員の方々から三十四名御発言をいただき、大変有意義な意見の開陳をいただきましたことを心からお礼を申し上げたいと思います。  なお、御発言の中で、インターネットを通じて、海外に向けて、我々調査会の活動状況について英文で内容を整備しようという御注意がございました。早速、事務局を通じまして英文でもホームページをつくり、各国の問い合わせ等にも応じたいと考えております。  以上、本日の会議はこれをもって終了いたしますが、次回は、来る五月十一日木曜日に調査会を開会することとし、本日は、これにて散会をいたします。     午後零時三分散会