○永井
委員 民主党の永井英慈でございます。
きょうは本当にこの質問に立つのが、気が重くて、つらい思いでございます。特に、この大きなコピーを見せてもらいました。「脱線、対向電車と衝突」、きょう現在で五人が死亡され、三十五人の重軽傷者を出されたという大事件ですね。やりきれない思いなんです。いろいろな交通事故が起きました。御巣鷹山もありました。羽田沖のもありました。いろいろ多数の方が亡くなったけれ
ども、今回のこの営団地下鉄の事件の死亡者に対しては別の感慨を実は私は持っているのです。
というのは、私ごとになって恐縮ですが、私は子供のころから電車が好きだったのです。どこへ行くにも電車に乗っていきたい。電車に乗るのが夢だった。電車に乗せてやるから一生懸命農作業を手伝えと言われて私は育ちました。
そして、六年ほど前になりますか、国会へ出ました。そうしたら、ひょんな拍子で政務次官になりました、二十四時間、車がくっついちゃったのです。それまで十一年間、私は健康増進のためにジョギングをやっておりました。でも、ここへ来ましたら、ジョギングをやっている時間がないのです。
そうすると、どこで運動不足を補うかというと、通勤しかないのです。通勤といったって、これは駅へなるべく歩く、駅へ出るのにバスに乗る、駅には必ず階段があるから、駅を使う、そしてどんなに込んだ電車でも電車通勤、もう六年続けました。
五年続けたときに、私は電車は子供のころから好きだったけれ
ども、こんなに電車っていいものはない、そう思って、大臣、これは読んでくれましたね、お買い求めいただいたのを、手元を見ましたから。この「私の電車主義宣言」という本を書いたのです。たかが電車だ、だけれ
ども電車はいいよ。「生き残りのカギを探し求めて」という題にしたのです。
そうしたら、きのう質問取りに来てくれた
鉄道局の人も読んでなかった。だれも読んでくれない。ただ、これは宣伝じゃないのです、本当のことを言うんです、この本を読んで涙が出た、泣けたという人が五人、私の耳に入りましたので、ああ、そんなに変な本じゃなかったな、人の心を打つようにまじめに書くものだなという感じがしておりました。
そこで、この取材に一番行きたかったのはJRの松田社長のところ、ガリバー
企業の親方ですから。幾ら頼んでも取り上げてくれない。幾ら頼んでも忙しいといって断られる。そのあげくに、常務どうですか、こう言うわけだ。小島常務さんどうですかと。社長さんが来られなければ常務さんでも、そんなこと言っちゃ悪いけれ
ども、どうぞお会いさせてください。私は本社へ行きたかったのです。JR東
日本の本社はどういう本社か、それも
一つの取材です。ところが寄せつけないんだ、連れてくる、連れてくると言う。おかしなことを言うな、国
会議員はそんなに偉いのかな、やたら連れてくる、連れてくるって。私はそんな不審の念を持っておった。
でも、小島常務が来たのです。私の部屋まで来てくれた。まあ何とも落ちつかない。私の見ている範囲じゃ、全く何を聞いているんだか、上のそらでしょうね、時計ばかり見ている。私は、申しわけないけれ
どもどなりました、あんた何しに来たんですか、私と話しに来たんでしょうと。ほとんど私は彼と話らしい話もせずに、三十分ぐらいでお帰りになりました。
JR東
日本の社長に会いたかったんです。だけれ
ども、だめだった。断りに断られた。
これはもう全部言います。その次に行ったのが
日本民営
鉄道協会、東京駅のあそこにあります。野崎さんという
理事長がおりました。背の高い方です。にこりともしません。何しに来たんだと言わんばかりの私は印象を受けている。まともな会話ができない。電車はどうですか、民営
鉄道の経営はどうですかから始まって、いろいろな世間話の中に取材というのはなかなかいい言葉が出てくるのです。
私は、一回行きました。おかしい人だ。あなたどこから来たんだねと聞いたところ、
運輸省だと言う。それはあなた典型的な天下りですねと私は申し上げました。そうですと言いました。
二回目に行きました。二回目にはもう取材に来ましたと言って行きました。そして、答えることはまことに短く、味のある、一般の皆さんに読んでもらうような電車のおもしろい話とかエピソードとか、そういうのは全く話してもらえなかった。でも、その人のキャラクターでしょう、私はそれでいいと思う。
ところが、三度目に行った
日本民営
鉄道協会、そこで、でき上がりましたから読んでいただけるでしょうか、実はこれはできるだけ多くの人に読んでもらいたい、電車っていいよ、環境にもいいよ、交通渋滞にもいいよ、最初がちょっときつい本なんですけれ
ども、そういうことで読んでもらいたかった。いかに電車がいいか、いかにエネルギー効率がいいか、電車を使えばこんなに地球を汚さずに済むのかと、みんな書いてあるのです。だから、一人でも多くの人に読んでもらいたい。
これは、実は、
協会の方で加盟社にお買い求めをいただくことはできないでしょうか、その代金をいただいて、私は
日本電車主義
協会、電車の好きな人の会をつくりたいんだ、こういうことでお話をしました。そうしましたら、そんなことをやったら自民党に怒られると言うのです。そうですか、やはり野党はこういうところへ来ちゃいけないのですねという話もしたのですけれ
ども、自民党に怒られると。まして、あなた方、国鉄の長期
債務の法案に反対したじゃないですか、おかしいじゃないですかと。こんなことを民営
鉄道協会の
理事長が言うのです。ああそうですか、では御協力はいただけないですね、こう言いましたら、やはり御協力はいただけなかった。
そこで、恥ずかしいのですけれ
ども、私はこういう新聞を自分でつくりました。ザ・トレイニズム・ニュース、電車主義ニュースというのをつくって、こういう広場があれば仲間も集まるかな、いろいろな電車についての知恵がこういうところにだんだん集まってくるかなということ、これは国民運動にしたいんだ、こう申し上げたところ、その野崎さんという
理事長さんは言いました。国民運動というのは一人から始めるものですよ、人に手をかりて国民運動なんというものは始めるものじゃありません、こう言われましたから、ああ国民運動というのはそういうものかなと思って、私は静かに引き下がってきた
経過がございます。
これは、お話ししておりますと時間がなくなっちゃいます。でも、要点だけは言い始めたんだから聞いてもらいたい。
その一番初めに行ったのは
運輸省だ、電車の
仕事だから。
鉄道局長、そのときいなかったのかな、梅崎さんという官房長がおられた。官房長とのやりとりは余り生々しいので、私はここでは控えたいぐらいです。
その次に行ったのが京急。京急はなぜ行ったかというと、
日本民営
鉄道協会の会長が京急の会長の平松一朗さんだった。では京急へ行きます、平松一朗さんにお会いしたい、こう話しました。そうしたら、野崎さんは、行かないでください、会長のところへ行って迷惑かけたり、負担をかけたりされちゃ困ります、こう言うのです。
ですから、私は、おかしいな、ではかなりこれはもういっちゃっている、ぼけちゃっているなと、もう本当にシャッポでいるだけの人かと思った。でも、この本を書く以上は会いたい。電話した、ではまた後ほど、幾ら待っても電話は来ない。また翌週になって、平松さんお会いできるでしょうか、いや、スケジュールの調整が立ちません、それで切った。また電話した。そんなことをやるうちに一月かかるのですよ。そして、では週でも明けたらまた調整して御連絡申し上げますと言うから、私は怒りました、何ですか、あなたはと。いや、もっとひどい言葉ですけれ
どもね、これは。
そうしたら、石川さんという総務部長が出てきて、ではどうぞいらっしゃってくださいといって、行ってみた。平松一朗さんという
日本民営
鉄道協会の会長は、ぴりっとしている、頭もさえている、言うこともびしびし言う。なぜ民営
鉄道協会の
理事長は、平松さんに会うのを嫌がったのかな、私は今でも不思議に思っているのですけれ
ども。これが京急ですね。
そして、京急へ約束して行きました。私は本当にびっくりした。守衛さんがいました。永井英慈という者です。京急は、私川崎の地元でございます。名刺を出しますよね。そうしたら、その守衛さんが案内してくれた部屋、まあ二畳か三畳、薄暗い、調べ室とかなんとかという部屋があるそうですけれ
ども、そこで待っておりました。総務部長か総務課長が出てきてくれるのかと思ったら、そうじゃないのです。社史編集係という人が出てきた。会社のことは全くわからない。これはちょっと聞いていてくださいよ。でも、そのときは会えました。会って話をしました。一時間ぐらい話ができました。非常に私は勉強になりました。
その次に行ったのは、東武
鉄道。東武
鉄道に行ったら、守衛さんのところに行ったら、どうぞこちらの部屋へと。入ったところがやはり京急と同じぐらい。二畳か三畳ぐらいの小さな部屋。その部屋にこういう額が張ってありました。何と張ってあったかといったら、暴力団等の皆さんの立ち入りは御遠慮願いたい、そういう部屋に私は御案内をいただきました。
次に京成に行きました。京成へ行きまして、お会いしたいと。そしたら、二十五、六の若い人が出てきました。ところが、座るところがない。二階へ連れていってくれた。二階へ連れていったら、ここにいらっしゃる紳士のような立派な方が大勢いらっしゃる。そして、どこへ座らせてもらうかといったら、次長次長と呼ぶ人がいた。何と総務部の次長さんがいたのです。だけれ
ども、下の受付ではいないと言うのです。女の子が応対と言うのです。話になりません。
東武へ行ったときには会社の話は何
一つわからない人。
小田急へ行きました、もう取りつく島がございません。余り言うと仕方がありませんから。
次に、営団地下鉄上野の駅前へ私は伺いました。そうしたら、一階にパーティションで区切ってありまして、
一つのところに通されました。そして、実はこの本も差し上げてあると思うのですけれ
ども、多分まだ会長さんや社長さんのところまで行っていないのではないかと思うのだけれ
ども、お願いしてきました。
理由は、これを買ってもらって財団の資金にして、こういう新聞をつくったり、電車のいろいろなことをやりたいのだ、そして、快適でまさに安全で楽しい、そういう電車をみんなでつくりたい。というのは、
我が国は世界に冠たる
鉄道王国、電車王国なんですね。これは電車会社だけではだめなんです。みんなして盛り上げることが大事であろうと思いましてお願いしましたけれ
ども、さような
経過でございました。
そこで、ぼつぼつ終わりにさせてもらいますけれ
ども、要するに、私が驚いたのは、
鉄道会社、電車会社、会わない。どこへ行っても会わない。経営者が会ってくれない。総務部長さんでも会ってくれないのです。これはひどいな、どういう理由だろうと私なりに考えてみました。私の独断です。とにかく線路を引けばおれのものだと、極めて独占的な
企業形態であります。極めて排他的であります。そういうところにこの経営者の姿勢が出ているのか、会社全体の雰囲気がそういうところにあるのかな、そういう思いを私は強くしたのです。
そこで、こんなに大勢、一日に何億人と乗っているこの
鉄道、万が一のことがあったら大変だ、電車というのは事故を起こせば人が死ぬのだ。自分でこんなこと言いたくない。起きたから言うのではありません。こんなに会社のお偉い人たちが外部に耳をかさないのでは、いつか何かが起きるぞ、そういう心配を私は常に持っておりました。
きょうも、実は東横線から御社の日比谷線で来たのです。それで新聞の社説を見てみた。やはり社説にも書いてあるのです。機械の方はしっかりしていても、経営の方はどうなんだ、人の方の教育はどうなんだ、人はできているのかと書いてあります。私は赤線を引いております。そうなんです。
これは民営
鉄道だけじゃなくて、食料品業界も、あるいはデパート業界も、あるいはスーパー業界も衣料品業界もそうかもしれません。電車業界と同じように、そういう傾向が非常に強いのかもしれません。でも、少なくとも人の命を預かって輸送する
事業形態を預かる経営者が、どうしてこんなに会ってくれないのだ。しかも、物をもらいに行くんじゃないんだ、ゆすりに行くのでもない。それで通されたのが三畳の調べ室のような部屋なんですよ。これが電車会社の、言ってみればトップの姿勢じゃないかと私は考えざるを得ない。
私はバッジをつけている。逃げも隠れもしません。きちっと自分の名刺を出しました。恐ろしいことだな、これはいつかどこかで国民に知らせなければいかぬという思いがありました。それで、新聞にいろいろ欄があります。もう書かなければいかぬ。そうじゃなかったら、でかいことでも起きたときには取り返しがつかない。何としても「電車主義」のようなものをつくって、みんなして電車を効率的に、
効果的に、快適に利用できるようなそういう広場をつくらなければいかぬ。これが一点です。
答弁が必要だったら言ってください。
次に、この本を読んだ人が、これはいい本だなと言って飛んできた人がいる。社長と専務がこれを見て飛んできました。永井さん、よくもこんないい本を書いてくれた。これはどこの人かというと、東京交通広告協議会というのがありますね、そこの、社長さんじゃないかと思うのですけれ
ども、そのときにこう言ったのです。永井さん、この本、もう全車両おれたちがただで宣伝してやる。こっちはうれしいわね。こんなことをしてくれる。申しわけない。本当にありがたい。私は応対しました。いつ来るかと思って、きょうか、きょうかと待っていますよね、大体。
ところが、五日ぐらいしたら、もう一人の若い違う人を連れてきて、何と言ったと思いますか。永井
先生、申しわけない、先般ああ申し上げましたけれ
ども、
先生の本を宣伝するわけにはいかないと。だって、あんなに言ったじゃないか、全車両ただでやってくれると言ったじゃないかと、今度そこの社長とやり合ったのですよ。
そうしたら、どこからか圧力が入った、こう言いました。永井さん、政治家の本は車内、構内、交通機関の施設の中では宣伝できないと言われた。さらに言ったのが、宗教指導家の本も宣伝はできません、こう断られた。そんなことないじゃないか。いろいろな名前を挙げて、私はその宗教家の名前を挙げて、やっているじゃないですか、おれの本もぜひやってくれ、お断りしますと。
私はもうそれ以上言いません。でもそうだったのです。でも、有名な宗教家の著書その他、宣伝は続いております。
そこで、ぜひ申し上げたいのは、事故はメカだけで起きるのではない、事故は人の心に大きく関係することがある。それはもう読みません、ここに書いてありますから。もう読んでおられると思いますが、長くなって恐縮でございました。
そういうようなことで、ぜひ
日本の電車が、さらに安全で、世界の人々から愛され、電車王国としての発展を遂げられるよう心から、特に総裁には御期待申し上げ、私の質問を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。