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参考人(
永島光枝君) 呆け老人をかかえる
家族の会の
永島でございます。
こういうところに
家族の声というのを出させていただく
機会を与えられて、ありがとうございます。
私は、
自分の介護体験からこの会に入りました。それは大分前なんですけれども、昭和四十四年から五十六年までの十二年ですけれども、私と姉とで実の母を、脳血管性痴呆でしたが、そのころは「恍惚の人」という小説が出た時代で、何も情報がありませんで、大変痴呆ということの
状態がわからなくて、介護とか対応の仕方のために私も苦労でしたけれども、母
自身も大変かわいそうだったというふうに思っています。そして、昭和五十六年に
家族の会ができるというのが新聞に載りまして、きょうここに一番下のところにこの資料をお持ちしてあります、こういう会でございます。会報とかも載せてありますので、後でお読みいただけたらいいと思いますけれども、よろしくお願いします。
この会ですが、平成七年に
厚生省から社団
法人の認可を得ました。これは当時、申し上げたように、介護、痴呆のことが非常に社会的に伏せられた
状態で、余り公にするのが恥というような感じがありまして、それで
自分たち
自身もわからなかったから、支え合いとか励まし合いというのが
基本だったんですけれども、だんだん会の規模が大きくなりまして、実はそういう人がたくさん全国にいたのだということです。そして、
家族の中にも、それから外部にも偏見や差別や無理解というのがあるということで、社会的な痴呆に対する理解や啓蒙も重要な仕事になってきました。現在は三十九都道府県に六千人の会員がおります。自主運営で、会費で運営しています。
前置きが長くなりましたけれども、この
成年後見法についても、昨年の六月に総会をやりましたときに法務省の担当の方から講義を受けまして、すぐにそこで、百十人くらいの代議員がいたんですが、アンケートをしました。ほとんどの項目で圧倒的に
賛成だ、こういう
法律が早くできてほしいというような
意見でした。
痴呆の人の増加ということですけれども、平成十一年九月の敬老の日に発表された
厚生省のデータだそうですが、
高齢者の七・三%くらいが痴呆ではないか、百五十六万人というふうに推計されていて、これは新ゴールドプランの予想を少し上回っているのではないかというふうに思います。
それともう
一つは、六十五歳より以前の、私たちは若年痴呆とか初老期痴呆とかと言っているんですけれども、お医者様も本当にはっきりした名前を何かつけていないようですけれども、早い人は四十歳ぐらいから五十歳代に発病というか発症する人が結構おります。これはやっぱり社会人の現役で仕事中にそういうことになるというようなこともありまして、痴呆性
高齢者というふうに一口に言われていますけれども、痴呆性の
高齢者だけではないということで、私はわざわざここのところには「痴呆の人の増加」とか、次に「痴呆の人の
生活像」というふうに、
高齢者というのを私の気持ちの上で外したという現状もあります。そういうときに、やっぱりこういう
成年後見法というのは非常に大切な
役割をするのではないかというふうに思います。
「痴呆の人の
生活像」というところですけれども、痴呆になる人というのは、一たん正常に発達した人がいろんな病的な脳の
障害で痴呆症状が出る、そういうふうに定義されています。ですけれども、その
判断能力が最初からがたっと落ちるというのじゃなくて、
家族もわからない、
本人も変だ、変だというふうに思っているぐらいのところから実は始まっているわけで、
判断能力が不十分と一口に言えないような境界線というか、そういういろんな時期を経てだんだんに重くなっていく、そういうことですけれども、身近にそういう方がいらっしゃらないとちょっとわからないかと思うんです。
判断能力といっても、痴呆の人の場合は主に記憶が物すごく阻害されていますけれども、その人の
生活歴、先ほど言いました、一たん正常にちゃんとした大人になってきちんとした社会的な活躍をした、そういう人ですから、その
自分の過ごしてきた
生活歴の中での経験とか感情のようなものは割合保たれているということがあります。ですから、その辺が非常にわかりにくいところなんですね。でも、だんだんの進行の程度に応じてそれが残っています。ですから、私は、痴呆というのは
生活能力の
障害というふうに
考えた方がよいのではないかというふうに思っています。
ですから、医学的な診断というだけではちょっとその人の
人間としての全体像を把握できないのではないかというふうに思っています。そういう人を抱える
家族というのは、言ってみればその人と一体になって
生活しないと介護ができない。非常にわかりやすい言葉で言うと、私は、
家族がその人の頭のかわりをしてあげなくちゃいけないという言い方をするんですけれども、そういうことです。
ところが、そういう
人たちを介護する
家族というのがやっぱり変化しております。ここへ来て急に変化していまして、核
家族化もありますし、それから都会的な
生活というのが随分一般的になってきました。長男が親を見るべきだというような意識はだんだん薄くなってきたというふうにも思われますけれども、平穏な
家族の間にそういう介護問題がいざ起こるときには、その中に隠されていた
家族のありようというのが噴出してくるという感じで、子供にもそれぞれ連れ合いとかいろいろな関係者がいるわけで、そのそれぞれの
個人的な価値観というのが非常に錯綜して、その中での財産管理とかその人の身の振り方とか、そういうことの問題が出てくるというふうに思います。
それから、市民
生活の中での
成年後見制度というところですが、特別の財産があるというわけでもなくて、私たちの普通の市民的な感覚からいったら持ち家と年金
制度で
老後の
生活を維持するというような普通の一般市民のレベルの中で、子供の世話にならずに自立して最後まで暮らしたいというような感覚にこたえて、
自己決定の尊重、残存能力の活用、ノーマライゼーションの実現、こういうのを
理念とした
成年後見制度ができたというふうに私は理解したいのです。これは願望です。
身上
配慮義務というのがきちんと明文化されて載せられました。そのことと、特に
本人の居住用財産の処分については
家庭裁判所の許可を要するという規定が決まりました。そういうものについては非常によかったというふうに思っています。
それから、この新しい
法律への期待なんですけれども、
禁治産、準
禁治産制度の名称、それから
戸籍記載の廃止、心理的な抵抗感というのが今まで非常に多かったわけですけれども、これの
意味は非常に大きいと思います。きょうここに挟んでありますうちの会の会報にも、戸籍を汚すくらいなら財産を失うことを選ぶ、そういうような会員の投書もあったことを覚えております。この成年
後見という名前は、
禁治産や準
禁治産制という名前に比べると非常に安心感のある名前であると思います。
それから、補助段階ができたということで、この補助段階のレベルを使う人が大変多く出るのではないかというふうに私は予想しております。これは、鑑定を必要としないで診断でいいというような最高
裁判所の規則が定められる予定だということを聞いておりますので、使いやすい
制度になるのではないかという
希望を持っております。
それから、ほかの
制度、
地域福祉権利擁護事業とかそういう
制度と連動して
生活支援、それから身上監護、身上監護に伴う財産管理というふうに、そういう一連の流れが
法律で縦割りになる
制度で縦割りになるというのではなくて、一人の人の人生を支えて、その人の身の振り方というか、そういうものにつながりを持って円滑に運用されるということを望みます。
それから、
任意後見制度について申し上げますが、
自分の
意思による生き方を支える
法律として、この新しい
任意後見制度をとても評価しています。
特に、女性が高齢でひとり暮らしをするという確率と、それからひとり暮らしをする期間というのは、これから非常にふえてくるというのは予想されています。いろんな調査によっても、女性の
老後の意識というか、そういうものは男性より非常に高いわけです。特に、介護に直面する五十代から六十代ぐらいの女性というのは、子供の世話にならずに自立した
老後を送りたいというふうな
希望がとても多いです。
ですから、今後、社会的な意識の変換を支える
法律としてこの
任意後見制度を大いに皆さん
利用できるようになるんではないか、そういうふうに思っております。それについては、やっぱり
費用なんかを考慮する必要があるのではないかというふうに思います。
法制審議会に私は出させていただきましたけれども、この審議に痴呆性の
高齢者と
知的障害者と精神
障害者の当事者団体が参加させていただきましたけれども、ふだんなかなか外部の人にわかりにくい
状態像というのがあるわけでして、そういうことを発言できるような場を提供していただいたということの意義は大変大きいと思いました。
法制審議会へ後でお尋ねしたところによりますと、こういう試みというか、こういうことは今までにはなかったというようなことを聞いておりますので、ほかのいろいろな審議にも、きょうも含めてですけれども、ぜひこういう現場の
人たちの声というのを直接届けられる
機会をいろいろなところで取り入れていただきたいというふうに思います。
実効ある
法律にする
制度と環境の整備ということですけれども、これは非常に期待の大きい
法律ですけれども、この理想を実現するためには、本当にこれからもまだいろいろな
制度が整備されて、先ほども言いましたように、連動も含んでしていかなくちゃいけないのではないか。いわば新しい
制度で、生まれたばかりの
制度なので、これを育てていかなくちゃいけないのではないかというふうに思います。それには、必要な予算とかそれから人材、研修とかそういうことも含めて十分な措置が講ぜられるというふうにお願いしたいと思います。
それともう
一つは、これについての国民一般、私たちくらいの人がわかりやすいPRをぜひしていただきたい。こういうのは、やっぱり
制度がわからないと全然
利用する人がふえないということがありますので、ぜひそれは工夫をしていただきたいと思います。
お年寄りが主になんですけれども、
状態像というのが固定していません、どんどん変わっていきます。半年たつと様子がすっかり変わってしまうというようなことは非常にあります。そのたびにいろいろ新しい事態に直面して大変苦労しているわけなんですけれども、そういう
意味でも、後が予想のつかないお年寄りを抱えている
家族たちのためにも、この
法律は四月から
施行が決まって、具体的にいろんな
準備がされているということですけれども、この
国会でぜひ成立させていただいて、後のない
人たちに一日も早い安心感を与えていただきたいということをお願いしたいと思います。
ありがとうございました。