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今泉昭君 実は、
製造業を支えている、やっぱり
中心になっているのは、物をつくるということであることはもう言をまたないわけでございますが、この物をつくる
産業というものが戦後の
我が国のいわゆる
経済復興、
経済発展の大きな原動力になってきたということも私は否定できないと思うわけです。私の信念といたしまして、
我が国は、二十一
世紀になろうと二十二
世紀になろうと、
我が国のこれまでの国づくりの経過を見ましても、諸外国との国づくりの違いから見ましても、
製造業なしに
我が国が生き延びていくということはまずあり得ないだろうという信念を私自身は持っているわけであります。
実は、物をつくるということは最低限三つの大きな要素があるわけであります。
一つは、
御存じのように、高度な技術を
開発して高度な新しい製品を
開発していくという先端の
開発部門、こういうものがなければならないことは事実であります。しかし、これを具体的に物にしていくために必要なものは、それを支えて具体的にいろいろ小さいものから積み上げていくところの
基盤技術というものが、これはどうしても避けることができないわけであります。これが第二の要素だろうと思うんです。
それから第三の要素として、
産業としてこれが
世界で比較優位性をいつまでも保っていくために必要なことは何か。これはエンジニアリングシステム技術だろうと思うわけであります。要するに、どんなに
基盤技術を持っていても、どんなに高度な技術を持っていても、安いコストでいつも同じ製品をつくり、どの国にも負けないような生産システムでもってつくり上げていくというエンジニアリング技術、この三つはそろっていかなきゃならないわけであります。
中小企業が請け負う
分野というのは一体この中でどれかといいますと、
基盤技術の
分野でございます。大
企業はすべてこの
分野を三つとも持っているわけでございます。ところが、この
基盤技術の部分というのは、ハイテク部分もあります、ローテク部分もあります、ノーテク部分もあります。特に、この中のローテクとノーテクの部分に関しましては、大
企業というのは収益性がないものですからどんどん外部に出していくわけであります。外に出していく。収益性の上がらないものを自分の
企業の中でやっていく、それだけの犠牲を強いられるのは嫌だということであります。したがって、
中小企業というものはこの
分野にどうしても集中しがちなのであります。また、そういうものがなければ、物はつくれないということがあるわけであります。したがいまして、二重構造がかつて存在したのはこれは当然のことなのであります。これはどんなに構造
変化が進んでも絶対変わらないことだろうと思うのであります。
我々は、これまでの経験の中から考えてみますと、円高の進展によりまして
我が国の技術の空洞化、生産の空洞化が進んだと大騒ぎをしたことがございまして、今でもしております。確かに、
御存じのように昭和四十年代は三百六十円だったものが一時期は七十九円台まで行ったのですから、それこそ三倍以上に値上がりしたコストの中でどのように対応するかということに一番苦労したのはこのローテク部分、ノーテク部分の
中小企業の皆さんだったと思うのであります。それでも
我が国の
基盤技術を支えている
中小企業というのは壊滅的な打撃を受けないで今日でも生き延びているというこの現実、これを私は大変大切にしたいと思うわけであります。
したがいまして、
基本法の改正によって、これまでの
大臣の答弁の中においては、そういう点は見捨てているわけではない、当然のこととして十分にそれを抱えながらやっていくということの答弁があったというふうに私は確信しておりますが、この部分についての手当てというものは大変私は重要なことだと思うんです。
実はこれまでの空洞化というのは、この三つの
分野の中でどこが空洞化していったかというと、エンジニアリングシステム部分なんです。ローテク部分の
基盤技術というのは空洞化をしていなかったわけです。一部は空洞化いたしました。相対的に見るなら減ってまいりました。しかしながら、苦しみながらも存在をしてきているわけです。確かに、数からいいますと、こういう部分を構成するものというのは
我が国はいわゆる
産業集積地として全国に最盛期には四百五十から五百ぐらい存在していました。大田区のそれも
一つであります。全国にそういう
産業集積地が四百五十から五百もあったが、今は三百ぐらいしかありません。しかしながら、厳然として存在をしているわけです。これが
我が国の依然として強いものづくりの
基盤になっていることは言うまでもないわけであります。
ところが、あるときマレーシアのマハティールさんが
日本に参りましてどういうことを言ったか。実は、大田区の集積工場団地をそっくり欲しいと言い始めた。なぜかということを我々は十分にこれは考えておかなければならないと思うんです。
例えば、
我が国の
経済発展に次いで韓国、台湾あるいはシンガポールが第二のリトルタイガーとして大変な
経済成長を遂げてきた。しかし、あの国々も次に追ってきたマレーシアであるとかあるいはタイであるとかという後追いの国々から大変な苦労をしてきた。今度はそのマレーシアも、インドであるとかインドネシアであるとか、そういうさらにもっと低賃金で
産業が
開発していない国々からどんどん低賃金攻勢を受けて手を挙げなきゃならなくなってきた。
そのときにはたと気がついたのは何か。
日本から優秀な機械とエンジニアリング技術をもらって、そして
日本と同じようなテレビとか自動車をつくったけれ
ども、さらに安い低賃金の国からやられたときに大変な苦境に陥っている。
日本はそれでもまだ生き延びているんだけれ
ども、その違いは何か。あの国々には
基盤技術で言うところのローテクであるかもしれない、ノーテクであるかもしれない、そういう
基盤技術の
分野、
産業集積地というのが全くなかったということであります。したがって、
日本から
産業集積地がみんな欲しいというのは私は当然だろうと思うわけであります。それぐらい重要な
産業集積地というのが今ぼんぼん崩れてきているわけです。
私は、先ほどから申し上げているのは、仮に
我が国の
製造業がそれほど重要だというふうな位置づけを国がしていただけるならば、この
産業集積地というもののあり方を根本的に見直して立て直すということが大変重要じゃないかと思うんです。そして、この
産業集積地に集積するところの中小零細
企業というものをどのように考えていくかということを具体的な指導でもってやっていかなきゃならないというふうに考えているところなのであります。
この
産業集積地は、いろいろ見てみますと何も
一つに限ったものではございません。大田区のように総合的な
産業集積地、これは
一つの種類としてあるでしょう。もう
一つの
産業集積地としてあるのは、例えば大
企業を
中心として栄えた
企業城下町の
産業集積地、これは大
企業がおかしくなるとその
産業集積地も同じように崩れていくというのは前の
委員会でも日産労組の
一つの例として出されているわけであります。
それからもう
一つあるのは、専門的な技術だけでもって栄えている
産業集積地、例えばかつては川口はキューポラの町として栄えた鋳物の町でありました。今はもう都心の通勤地帯、住宅地という形で雲散霧消してしまいました。こういう、例えば燕の洋食器、あるいは岐阜の刃物の集積地であるとか、あるいはまた繊維で言うならば四国の引田の手袋の集積地であるとか、いろいろな集積地は
日本にたくさんあるわけであります。
そういう集積地をどのように今後
我が国は構成していくのか。これは
産業政策の中において、
一つはやはり
政府が指導性を発揮していただくということと、もう
一つは、地方自治体におけるところの集積地のあり方というものを根本的に見直していく必要があると思うんです。一時期
我が国はテクノポリス構想というものがありまして、各地にテクノポリスができてまいりましたけれ
ども、今やそれも閑古鳥が鳴いているような状態であります。
そういう
意味の
製造業再生のあり方としての
産業政策を考える余地はないか、お聞きしたいと思います。