○
江川参考人 おはようございます。
坂本弁護士
事件が起きてからもう丸十年が過ぎました。
強制捜査が始まって四年半以上になります。そういう今になってこういう形の
団体規制を考えなければならないということ自体に残念な
思いがいたします。
こういう
法律を招き寄せたのは一にも二にも
オウム真理教に責任があることは言うまでもありません。彼らは、一連の
事件に
教団として何の反省、謝罪もしないまま、資金稼ぎをし、活動を活発化させてきました。
ただ、私たち
社会の側も、このことに十分な対応をしてきただろうかという
思いはあります。これまでにも
オウム対策でできることはいろいろあったのではないでしょうか。例えば、
規制という面では、
オウムの資金源になっている関連企業について、税金面や労働法規などさまざまな現行法を活用して対応するということができたはずです。現行法では何ができて何ができないのかを
議論し、現行法でできることを十分にやった上で、それでもこういう
危険性、このような問題があるから新しい
規制が必要だというのではなくて、あちこちで騒ぎが起きているから急いで
規制法という名のこう薬をつくって張りつけようという印象が正直言って否めないのです。
ただ、私も、彼ら
オウム真理教が言うように、彼らが一〇〇%安全な
集団になったなどとは毛頭思っておりません。何しろ、この
集団は今もなおこうした機関誌に麻原彰晃こと
松本智津夫の説法や写真を掲げて、彼を偉大なる完全なる絶対なるグルと称賛してやまないのです。
松本智津夫が新たな指示を出す、そういうことができない今、この
集団は殺人などの違法行為を行っておりません。重大
犯罪は行っておりません。ですが、本質的に彼らが変わったとは思えないのです。だからこそ、せめて将来彼らが再び反
社会的行動をとることがないよう最善を尽くすという必要は感じております。
そのためには、この
集団を
監視するということは非常に重要だと
思います。この
法案が、まずは
監視、観察をし、内部の
状況を正確に把握することが必要であるという点を柱に据えているその方向性については
理解し、十分評価できると
思います。ただ、こうした
法律による
監視についてはいろいろ気がかりな点が多いということも指摘しておかなければなりません。
まず最初に、この
法律が施行されれば、
オウム真理教は私たちの目から非常に見えにくい形で活動をするようになっていくだろうということです。
法案の制定が言われるようになって、既にその兆候はあらわれております。対外的に開かれているべきはずの広報部でさえ引きこもって、連絡もつかず、どこで何をしているのかもわからないという状態です。
あの
集団の例えば街頭でのパフォーマンスを見なくて済むというのは非常にせいせいするものがあります。しかしその一方で、彼らがどこで何を考え、どんなことを言い、行うのか、この目で、この耳で確認しにくくなるというのはやはり不安が残ります。
警察と公安調査庁がやるから大丈夫なのでしょうか。
警察や公安調査庁の人員や能力にも限界がありますし、
オウムだけにすべての人員を投入するわけにもいかないというのも
現実でしょう。それに、公安調査庁という私たちの目にはやはり見えにくい、その動きをチェックしにくい機関からの情報に頼り切ってしまうというシステムにしていいのかという疑問が私にはどうしても払拭できないのです。
そして、私たちの目に見えないような、目に触れないような形で彼らはどのように振る舞うのでしょうか。まず考えられるのは、
オウムをやめたふりをして、いわゆる元
信者を装うことです。公安調査庁の方もそれは先刻御承知でしょうから、元
信者を含めて観察の
対象にされるということになると思われます。
オウムに長くいた
信者は、組織を離れ、頭では
オウムの問題性を十分に
認識したとしても、心を整理するのには時間がかかり、
社会に飛び込んでいけない状態がかなり長く続きます。また、依然として
オウムにしがみついている友
人たちを説得しようという気持ちから、現役
信者に接触をしている元
信者もおります。観察をする側にとっては、そうした行動というのは非常に怪しく見えるでしょうし、観察する、あるいはマークの
対象になるということは十分に考えられるわけです。
社会に復帰した元
信者もたくさんおります。その勤務先、住居
周辺に入念な調査が行われれば、どうなるでしょうか。今のようにかなり激しい反
オウムの感情が吹き荒れている中、
オウムにいたことがばれれば、会社にいられなくなったりして、
社会復帰を阻害する心配もあります。
一方、この
法律の効果として、現時点で迷っている
信者が親元や
社会に戻ってくる
一つのきっかけになり得るという考え方もできます。彼らは、
オウムという真理の
集団からみずから離れていくということは、死後地獄に落ちるほどの大きな悪業であると信じています。だから、過去の
犯罪や今の
教団のあり方に疑問を感じたとしても、怖くて離脱できないという人がかなりいる、そういうふうに指摘する元
信者もおります。今回の
法律は、
自分の意思で脱会するのではなく、
社会の圧力によりやむなく離脱せざるを得なくなった、そういう形、言いわけを彼らに与えてあげることができるというわけです。
他方、こういう
法律をかけても残る者は確実におります。しかも、彼らはこれまで以上に心をかたくなにし、
自分たちが真理を実践しているがゆえに、昔のキリストと同じく、
社会から迫害されているのだ、そういう自己正当化を強めていくでしょう。もちろん、彼らの言うことをそのままに受け入れようというのではありません。甘くすれば彼らはつけ上がるというのは、これまでの常でありました。
しかし、例えば
構成員の総数または資産を急激に増加させ云々という非常に抽象的、情緒的な基準によって厳しい
処分を科す
法律をつくれば、彼らが
自分たちを窮地に追い込む
社会に対して怨念を募らせていくのではないかという不安は否めません。こうした
信者の心理の問題については、さきに述べました元
信者への影響をどうするかという問題とあわせて、法の運用に当たっても十分に配慮していただきたいというふうに
思います。
もう何点か、運用ということについてお
願いしたいことがございます。
一つは、
オウム信者の
住民票の問題です。
当初、茨城県三和町が不
受理の
判断をしたときには、まさに苦渋の決断だったと
思います。先ほどの
大田原市の場合も、
教祖が来るという特殊な事情があったことは事実です。しかし、二番手、三番手とそういった
判断が続く中、今では地方
自治体が
住民票不
受理といういわば違法行為を行うのに、何のためらいもなく、むしろ当然という風潮になっています。
オウムを入れたくないという
住民の心情は十分に
理解するものです。そして、この戦術が
オウムを追い込んできたのも事実です。しかし、もっと長い目で見たときに、
行政が法を曲げることを常態化してしまっていいのかという疑問はあります。それが人道上の問題をもたらしつつあります。それだけでなく、一般
国民には
行政罰をもって義務づけているはずの
住民票の届け出を
オウムだけはしなくていいという、いわば脱法行為のお墨つきを与えているような気がいたします。
今回の
法案は、
信者が居どころを正しく届け出ることを要求しているわけです。片方で届け出るなと言い、片方で正確に届け出ろと言うのでは矛盾していると
思います。
規制法の施行と同時に、最低限、
住民票の問題は
適法な状態に早く戻すような指導をお
願いしたいというふうに
思います。
それとあわせて、先ほど話題にもなりました
信者と
教祖の子供についての問題ですが、それについても考えていただきたいと
思います。
いわゆる
オウムの子たちが常識も一般知識も学ばずに、同年代の子供との交流すら持たないまま、独善的な教義だけを教え込まれて大人になっていく、そういうことはどうなるのだろうか、将来を考えると、想像するだけでそら恐ろしくなります。何らかの形で保護をする、あるいは就学を促進していくなどの工夫が要ると
思います。先ほどもありましたように、そのために
住民が不安におびえたりすることがないよう、例えば教師の数をふやして目が行き届くようにするなど、国なり県なりが地元の
自治体や
住民を支えていくという必要があると
思います。
それから、こうした法的な
規制では、
オウム真理教の問題は根本的に解決しないということも忘れないでいただきたいと
思います。
オウムを初めとするカルト問題については、残念ながら、これを飲めば一発で効くという特効薬はないのです。
十年間かかわってみて、本当に感じるのは、
オウムの問題は、もともと変な人あるいは特異な環境に育った人が集まって起こしたものではないということです。ごく普通の若者が、
社会人が、主婦が、人生の夢を模索したり、あるいは何らか悩んだりする中で、たまたま書店で
オウムの本を手にとったり、大学にやってきた
松本智津夫の講演を聞いたりして
オウムと出会い、引き込まれていったというケースがかなりあります。
若
者たちに関して言いますと、どちらかというと、大人から見ればいい子だった青年たちが多いようです。それは重大
犯罪にかかわってしまった
信者に関しても言えることです。
地下鉄サリン事件のある実行犯の父親は、法廷でこのような事態になってしまった原因について聞かれ、わからへんとうめくように言われて泣いておられました。失礼な話かもしれませんが、ここにおられる議員の
方々のお身内あるいは知り合いの中に
信者がいても全然不思議ではないという
状況だと私は思っております。
今
信者でいる
人たちが一刻も早く本来のそうした
自分を取り戻し、
社会に戻ってくることが本当の
意味での
オウム問題の解決であり、
社会の安全につながるのではないでしょうか。
カルト
団体のメンバーに対するカウンセリング活動を続けてこられている方に今回の
法案の感想をお聞きしましたところ、こんなことをおっしゃっていました。
信者と元
信者の境界線は本当にデリケートであって、きょう
信者であっても、あす元
信者になり得るわけで、カウンセリングの現場からいえば、多くの
信者、殊に末端
信者は元
信者予備軍です。しかも、
信者から元
信者への移行を図るのに客観的な基準などありません。百人いれば百の基準があるのでしょう。
法律は、そういうカルト問題の本質であるデリケートな問題を見落としてしまう
危険性をはらんでいるわけです。
私が思うに、彼ら
信者たちはある
意味で怖がっていると
思います。
社会に対して
恐怖感を抱き、そして
オウムによって植えつけられた地獄などの
恐怖によって心を縛られている状態ではないでしょうか。その
恐怖を覆い隠すために、妙なプライドにこだわったり、
現実に目をつぶって
教団への疑問や不信感を抑え込んでいるという人も多いと思われます。
団体規制という厳しい
措置を行うだけでなく、
信者がそうした
恐怖を克服したり、心を整理したり、
現実と向かい合う勇気を奮い起こしたり、あるいは
自分の夢や生きがいをもう一度
自分自身で探し直そうと立ち上がったり、あるいは
人間に対する信頼を
回復したりするには手助けが必要です。逮捕され、比較的長い期間身柄を拘束されていたとしても、かえって
オウムに対する忠誠心や信仰心を強固にしていく
信者がどれほどいたでしょうか。単に
オウムから引き離して隔離しておけばいいというものではありません。
ただ、心のケアが重要だということで
行政が相談室のようなものをつくっても、
オウム信者がすぐにそこを頼りにするということはちょっと考えにくいと
思います。きょうまで
住民票不
受理など敵対していたお役所に心を開いて相談にやってくる
信者がどれだけいるか、考えただけでちょっと考えにくいものがあります。
そういう形ではなく、では、何ができるのでしょうか。これまでも
オウム信者に対してカウンセリング活動を実施したり、こうしたカルト問題について研究を深めてきた
人々や
団体がおります。そういう
人々や
団体をバックアップするという形で、
信者の心のケア、良質なカウンセラーの養成などの問題に取り組んでいただきたいと
思います。それから同時に、大学や研究機関などでカルトによる心の支配についての研究を促進していただきたいと
思います。
最後に、一言申し述べたいと
思います。
どうか、この
法案で一丁上がりではないということを心していただきたいのです。また、
オウム真理教が目の前から見えなくなれば一件落着ではないということ、
オウム以外にもカルトの問題はたくさんあるということをよく
認識していただきたいと
思います。
先日も成田市内のホテルでミイラ化した男性の遺体が発見されたという件で、ライフスペースという
集団に対して
警察が捜査を始めていると言われています。ほかにも、
問題点が指摘されている
集団は幾つもあります。
オウムをつぶせばそれで終わりという簡単な問題ではありません。
カルトの問題は心の問題であり、
警察だけにお
願いし、押しつけておいていいものでもありませんし、公安調査庁だけで対応できる問題でもありません。教育、心の健康などさまざまな分野の
人々、専門部署、国の機関でいえば文部省や厚生省に当たるのでしょうか、そういった機関が力を結集することが必要だと
思います。一応は省庁連絡
会議なるものが持たれたということですが、そこで
現実的にどういう成果があったのでしょうか。もっと実のあるものにしていただきたいというのがお
願いです。
それから、多くの、とりわけ有為の若
者たちが巻き込まれているカルト問題に対抗するためには、私たちは何をすべきなのか。現行の法制度の中で何ができて何ができないのかを、さまざまな分野を専門とする国
会議員の
方々が協力して、英知を傾け、時間をかけて研究し、提言をしていただきたいと
思います。フランスやドイツ、ベルギーなどヨーロッパでは、国会がそうした機能を果たしております。ヨーロッパにできて
日本にできないはずはないのです。
オウム事件では、多くの
人々が亡くなり、健康を損ない、苦しみ、悲しみました。こうした悲劇の中から私たちが何かを学び取り、二度と同じような悲劇を起こさぬよう未来に生かしていくこと、それが被害者の犠牲を生かす唯一の道だと私は信じております。
今こうしている間にも、どこかのカルトが悩める若者に触手を伸ばしております。単に、今目の前にある
オウムの問題、これに対応するために
規制の
法律をつくるだけでなく、国会を中心とした中長期的な取り組みをこれを機会にぜひお
願いしたいと
思います。この
法律を成立させればお仕事は終わりというのではなくて、これが始まりなんだ、そういう
認識でこれからの審議をぜひともお
願いしたいと
思います。
ありがとうございました。(拍手)