○枝野
委員 要するに、予見ができるかどうかということについて法文上細かく書けば書くほど、実は、この法律は
意味がなくなるということを申し上げたいんですよ。つまり、実際に裁判になって被害者を救済しようというときには、まさに実体的に、悪徳業者であるのかどうか、あるいはついていったりした方が落ち度がどうなのかというようなことをかなり実体的にバランスを見て、これはさすがにこの被害者、
消費者の方を守らなければならないとかというケースについては、今ある民法という法律をかなり裁判官は駆使して、実体的正義が確保されるようにということで判決が出されているのが裁判の
実態なわけです。
したがって、予見可能性を高くしましょうということをかなりこだわってしまいますと逆に、その幾つかつくられたパターンの中に入ったケースは、これは逆に
消費者の側に落ち度があっても守られてしまうけれども、そこからちょっとずれたケースについては、今度は悪徳業者であっても
消費者が守られない。つまり、ルールの裏をかいていく者が得をするという話になってしまうわけです。
基本的には、これは民法の特別法としての包括ルールをつくろうというケースですから、まさに事前
規制から事後チェックへということなわけです。悪徳なことをやって、そして
消費者をだました、そして利益をむさぼったという者は、事後的に裁判所の判断でだめだよということをする。そのときに、
消費者を守るべき
基準について、今までより少し広げましょうというスタンスにあくまでも立たなければ、予見可能性というようなことを強調してしまうと、今申し上げたようにむしろ逆行してしまう。
それで、予見可能性は高くならないです。なぜならば、
消費者契約法でどんなに具体的な細かい、つまり、予見できそうな幾つかのパターンを法律で固めたとしても、民法の特別法ですから、
消費者契約法のその幾つかパターン化された中には該当しない場合についても、民法で守るということをすれば、どうせ予見可能性はできないんですよ。民法は抽象的なんです。民法の適用をしないということをやらない限りは予見可能性は高くならない。かといって、民法を適用しないということになったら、民法の特別法じゃなくなってしまいます。ルールとは逆行します。方向とは逆行します。したがって、予見可能性を高めるという
視点を外すという方向で進めていただかないと、この法律をつくることは
意味がなくなってしまうということを申し上げたいのですが、いかがでしょうか。