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住田参考人 お答えいたします。
大阪弁で質問されますと、つい私もつられて大阪弁が出ますので、お許しいただきたいと思います。北と南は違うようですけれども、やはり大阪弁でありますから、ちょっとお許しいただきたいんですが。
まず、
臨界が続いているかどうかということを安全
委員会の席上でどういう発言をしたか。これは、あちこちで随分
皆様から同じ御質問をいただきました。私自身も、実はあのNHKの報道については、NHKとしては随分いろいろちゃんとした報道をなさってくださっているんですけれども、あの点については非常に残念だと思うことがございますので、ちょっと正直に申し上げたいんです。
恐らく先生方、こういう
国会等で御発言なさったり、あるいは答弁をされたりする場合に、テレビの番組というのは必ず、あるカットだけを使いまして、その後何を言ったということが出てこないんでございます。安全
委員会の席上で、
臨界であるということを非常に私は明言をいたしました。ほかの
委員の方は若干の保留をつけられまして、
臨界の
可能性が非常に強いという言い方をされました。私は、残念ながらこれは
臨界であると断言いたしますというふうに申し上げた。その断言いたしますという表現が前の方についておったものですから、私ははっきり言ったんですけれども、
臨界であるということを申し上げた、そして、再
臨界についてもというところでぱっと画面が切れちゃっているんですね、実は。
あの後が実は問題でありまして、私はあのときにこういうことを言っております。再
臨界ということについて考える必要はあると。ただ、今の
段階では、今持っている情報では、それについては余り考えなくてもいいんじゃないんでしょうかということを実は申し上げたんでありまして、決して私は全面否定したつもりではありませんけれども、少なくとも今すぐ直ちに何か
措置をしなさいという発言はしておりません。
その点については、残念ながら、そのNHKの報道というのは、何か私が完全にその場で全部予言をしたように、えらく英雄扱いしてくださったんで、それは大変光栄だとは思いますけれども、どれぐらいの程度それがあれかといいますと、私が何か
原子力技術の第一人者でとかなんとかというお褒め言葉が前にひっついておりますけれども、あれはとんでもない間違いでございまして、ワン・オブ・ゼムかもしれませんが、とてもじゃありませんけれども、私のような端くれが第一人者なんてことはあり得ないと思います。たくさんの方がおられます。そういう意味で、その程度の形容詞として聞いていただきたいと思うんです。
確かにそのときに私自身の胸の中に、これはテレビ番組に出ていないところになるわけでありますけれども、前後の取材のところのメモはたまたま私は非常に細かくとっておりますけれども、いろいろなことを申し上げておりまして、あの
事故を聞いたときに、私たちとしては、
臨界事故が
日本ではまず、正直に申し上げますけれども、これは頭の中では考えておりましたけれども、
現実の問題として、私の責任のある範囲内でそういうことが起こるということは、やはり、あり得ないという言い方はしませんけれども、あってはならないといいますか、絶対それは自分では起こさないでやれるだろうということを考えておりましたので、そういう意味では大変大きなショックを受けました。
そういう意味で、当日ある程度精神的に動揺していたと思うんでありますが、ですから、
原子力安全委員会の席上で私が
臨界であると断言したときに、私が余りこわばった表情をしてかなり感情的に動揺していたということを、私の同僚の松原
委員が隣におりまして、余り私がそういう感情を示したものだからびっくりしたということをおっしゃったぐらいであります。そういう意味で、私の言葉が足りなかったということはあり得ると思いますので、もし先生方あるいは
関係の方が、私が何かあの場で再
臨界ということを予想して発言したんだというふうにおとりでしたら、これは、こういう機会でございますから、ぜひ直させていただきたいと思います。
ただし、あとは少し言いわけじみますけれども、実はそのときに再
臨界のことが全く頭になかったかといえば、そんなことはないんでありまして、これは
専門家でありますから、私だけじゃございません、きょう御一緒している
佐藤委員長、実は私の若いころ
佐藤さんなんかと一緒に原研のあのタイプの、水溶液のタイプの原子炉を扱っておりましたから、当然
佐藤委員長はそのことが頭にあったはずです。それから、私の前に座っておりました金川
委員、これも再処理の
関係の
専門家でありますから、その三人の、いわば原子炉
関係のことをよく知っている人間の頭の中には、すぐそのことが当然あったわけであります。したがいまして、
委員会は、確かに二時の公式の席上では、再
臨界のことはまあ考えなくていいでしょうという私の発言で、そこで話が切れているわけですね。ただし、そのときに私いろいろな細々とした、例えば、中へ多分入れないと思うからこうした方がいいとかなんとかという細かい技術的な注文は出しておりますけれども、これはここでは申し上げません。
ただし、その後、三時半に実は私ども緊急助言組織を招集いたしましたけれども、その前に既に、安全
委員会が終わりました後すぐ
委員長の部屋に皆が集まりまして分析を始めまして、ちょうど
委員会の間我々が受け取ることができなかった情報がどんどん入ってまいりましたから、それを見ましたときに、実は三人ともこれは再
臨界の
可能性が十分あり得るという
認識をいたしておりました。したがって、それによって我々は三時半の緊急助言組織の招集ということを行ったということをここで申し上げておきたいと思います。
ですから、
皆様方は二時過ぎぐらいに我々がそういうふうに考えていたのではないかと御期待くださっているようでございますけれども、それはそうではございません。ただし、一時間ほどおくれておりますということを申し上げておきたいと思います。それでお許しいただけますでしょうか。
それから次に、現場へどう行ったか。これはタクシーでございます。
科学技術庁は貧乏でございますから、ハイヤーとかそういうものを真夜中に使うことはできませんので、タクシーを三台雇ってくれまして、それで出向きました。費用はどうなっておるか、私ちょっと、申しわけございません、存じません。事務方がよく存じておりますが、当然庁費から支払われているんだと思っております。個人では、運転手さんには御苦労さまとは申し上げまして、何か差し入れをした記憶はありますけれども、それだけでございます。
それから、朝日新聞で私が原研とサイクル機構について発言したということは、今でも私はそのとおりだと思っております。つまり、
東海村というのは非常に
日本の中では重要な
原子力関係の、これは電力会社の発電所がたくさんあるという意味ではなくて、
研究開発機構という
役割を持った
日本原子力研究所それから
核燃料サイクル機構という二つの大きな組織、あの場所でも、現場だけでも両方で約千五百人ぐらいおられると思いますけれども、そういう大きな技術者集団あるいは研究者集団がおりまして、これは申し上げたいのですけれども、決して原子炉の
安全性のことだけやっているわけではありません。いろいろなことをやっております。
しかし、それだけの非常に分厚い層がございますので、何か問題が発生いたしますとすぐ電話をかけて、私などは、昔からいた
関係もありますから、もう
東海村のどこでだれが何をやっているかというのは非常によく知っておりますから、いきなり電話をかけて後で
科学技術庁からよくしかられることがあるわけですけれども、それほどいろいろな方がそこにおられますので、何かあれば、予想外のことが起こったとしても、大体のことは
対応できる。
先ほど御質問がございましたアメリカの援助云々の話も、恐らく遠いアメリカに電話をかけて御相談するよりも
東海村のどなたかに聞いた方がよっぽど早いというのが私どもの心情でありまして、これは、そうでもないことももちろんあるかもしれませんから、一概に海外からどうこうということではないのですけれども、そういうことがございます。
したがいまして、私、こちらを七時過ぎに出発いたしまして九時過ぎに
東海村へ着いて、とりあえず現場の周りを車でぐるっと回って様子を見て
対策本部へ到着いたしまして、そのときには既に
稲葉先生が本部長としてそこにいらしてくださったのですが、その状態のときには、私、行きまして、本当に一番ほっといたしましたのは、
稲葉本部長の前に、原研側、これは齋藤
東海研究所長以下ずらっと並んでおられる、それからサイクル機構の方は、河田副所長以下ずらっと並んでおられる、ああ、これで大丈夫だというのは、率直なところ、私は思いました。これだけの方が応援してくださったらもう大丈夫だ、これは私の偽らない感じであります。
それじゃ、よそで起こったらどうだという御質問ですけれども、これは今おっしゃったように、例えば、これは私は大阪の人間ですから申し上げますけれども、では熊取でもし仮に何かあったとしたらどうだとおっしゃったら、熊取ならば、大阪大学もありますし京都大学もありますから、原研ほどではなくても、ある程度のことはやれると思うのですけれども、もっと遠いところで、そういう大きな研究組織がそばにないようなところ、あるいは会社がないようなところですと、確かに相当のおくれが出ただろうということは率直に申し上げなきゃいけないと思います。
これは今後のむしろ私どもがやらなきゃいけない非常に大きな仕事の一つでありまして、そういう
現地にどうやって通信、連絡の
方法をとるか。これはまた後でお話しするチャンスがあるかもしれませんが、東京と
東海村というのはわずか百六十キロでございますけれども、本部長もよくお感じになられたと思うのですけれども、なかなか東京とうまいぐあいに連絡がとれませんで、私は携帯電話というのは持っていったらつながるものだと思っておりましたけれども、なかなかつながらなかったというのが実情でございます。
ですから、そういう意味では、今の先生の御質問のようなことについては、これは早急に我々は考えなきゃいけない。何も
東海村だから大丈夫だということではなくて、
東海村の中ですら非常に連絡が悪くて、
現地とそれから
対策本部の間、あるいは県との間の連絡が悪かったというのは非常に有名な事実でございますので、我々、
安全対策についてはそういうところから見直さなきゃいけないというふうに考えております。
どうも長くなりまして恐縮でございます。