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河野国務大臣 沖縄はさきの大戦で大変な困難な状況を経験された、それは困難と言うには余りに悲惨なものでもあったと思います。死者の数、あるいは
日本で唯一の陸上の戦闘が行われたということを考えても、どんなに沖縄に対して、この五十年の歴史、五十年の歳月がたっても、やはり沖縄の方々が持つ歴史の重さというものはぬぐい去れないものだというふうに私は思います。
私は、このたび
外務大臣を小渕
総理から任命されましたときにも、小渕
総理から外交政策について何点か意見のやりとりがございましたが、
総理から、
河野さん、大事なことは沖縄のサミットだ、あなたに沖縄のサミットのために汗をかいてもらわなきゃいけないということを最後に言われまして、私、実は、チャンスを与えてい
ただいた、そういう
気持ちがいたしました。
今下地
議員がお話しのように、沖縄の県民の中には、私に対するイメージとしてさまざまな感じを持っておられる方がおられるだろう。私自身、甚だ不本意な
気持ちをずっと持ち続けておりましたから、この際、沖縄サミットについて働かせてい
ただけるなら、そうした思いをでき得る限り、微力ではありますけれども、全力を挙げて払拭したい。そして沖縄の県民の皆さんのために報いたい、そういう
気持ちがあったのでございます。
私は、
外務大臣に就任いたしまして一番先に沖縄に訪問しよう、
外務大臣が一番先に行くのはワシントンだったり北京だったりする場合が多いわけでございますけれども、私は、とにかく一番
最初に沖縄に伺いたい、こう思いました。ちょうど
官房長官、沖縄開発庁
長官が、私も行くから、こういうお話でしたので、時間を合わせて、お供をする形で沖縄を訪問させてい
ただいたわけでございます。
私は、沖縄の問題に
取り組みましたのは前回の
外務大臣当時でございまして、本当に今でもつらいことでございましたが、あの事件に遭遇をいたしました。実は、たまたま昨日、モンデール前アメリカ大使が今
日本を訪問しておられまして、お目にかかる場面がございました。期せずして、あのときの話が二人の口から出たわけでございます。
私は当時、モンデール・アメリカ大使、それからペリー国防
長官あるいはクリストファー国務
長官、こういった方々と真剣な話をして、何とかしてこの問題について、一日も早く刑事的な問題について決着をつけたいと。
これはもう、あの事件で痛みをこうむった御
本人あるいは御家族の方々の悲しみとか憎しみとか痛みとかというものは、そう簡単に消えるものではない。恐らく、今でもそうしたことを思い出したくもないとあるいは思っておられるかもしれないほどの深さで、その傷はついていると思いますけれども、私は、こうしたことが二度とあってはならない、と同時に、この事件ができるだけ県民の皆さんの
気持ちに沿った解決をしなければならぬということ、二つを直ちに思いました。
そして、ペリー国防
長官にも、モンデールさんを通して、再発の防止について本当に厳しい態度で臨んでもらいたいということを申しました。ペリー国防
長官も大変厳しい口調で必ず再発防止のために効果のある仕事をするからと言われましたし、当時はクリントン大統領がメッセージとしてこの問題に言及をされたことを見ても、アメリカがいかにこの問題を大変なことだと受け取っていたかということはわかると思うんです。
もう一点は、当時の被疑者といいますか容疑者といいますか、被疑者の引き渡し、とにかく
日本の方に引き渡せ、こういう交渉をしようということでございまして、その引き渡しを求めるためには地位協定の改定が大事だ、こういう御意見であったわけですが、私は、アメリカ当局と話をしますと、地位協定の改定は、それはとても無理だ、そんなことに時間を費やすよりも、今のこの問題を早期に解決するなら、地位協定の運用の改善ということをやって、できるだけ早く問題の処理をした方がいいということを言われました。
これは一人や二人の話ではございません。随分私もそれなりの人数に要請をしたわけでございますけれども、口々に、これは運用の改善によって処理をすることが一番いいというふうにアドバイスをもらい、あるいは当事者からそういう話を聞き、私もいろいろ考えて、これはそうやって、とにかく容疑者の引き渡しをやることが大事だというふうに思うに至ったわけでございます。
ちょうどその当時に、たしか知事さんとお目にかかったのではないか、これはちょっと時系列は正確ではありませんけれども、そんな気がいたします。
そして、知事さんは、もちろん県民の
気持ちを私に伝えられて、地位協定を変える
努力をしろ、こういうお話でございましたが、私は、その当時、知事さん、地位協定の改定の要求をするのは、これは大問題になります、つまり大問題ということは大変な年月を要しますと。そのことよりも運用の改善を、運用の改善についても、それはアメリカは非常にかたかったわけですけれども、この問題で運用の改善を要求するということになれば、彼らは認める可能性があるんだから、それでいきましょうというのが私の
気持ちだったわけです。
言葉が足らなかったかもしれません。それから、少し温度差があったかもしれません。知事からは大変厳しい評価をい
ただいて、その後沖縄の方々からも、私、甚だ不本意な評価をい
ただいている部分もあることを十分
承知しております。
それだけに、私は今回
外務大臣を拝命いたしましたときに、小渕
総理から、沖縄サミットの成功のために
努力をしろという御指示をい
ただいたことは、私にとっては大変な、これはやらなきゃならぬという決意を固めさせたのでございまして、私は、これから先、どれだけの期間かわかりませんけれども、微力でございますが、全力を挙げてこの問題、つまり沖縄サミット、
外務大臣としては沖縄サミットの成功のために
努力をいたしますし、また、
防衛庁長官もおられますが、
長官とともども、おっしゃるように日米安保条約を踏まえて、沖縄の方々の大変な負担を少しでも軽減するために
努力をしてまいりたいという決意でおります。