運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1999-03-04 第145回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年三月四日(木曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員の異動  三月三日     辞任         補欠選任      狩野  安君     日出 英輔君      清水嘉与子君     金田 勝年君      常田 享詳君     加納 時男君      若林 正俊君     鈴木 正孝君      小川 敏夫君     郡司  彰君      魚住裕一郎君     益田 洋介君      松 あきら君     加藤 修一君      山下 芳生君     富樫 練三君      大脇 雅子君     照屋 寛徳君      西川きよし君     佐藤 道夫君  三月四日     辞任         補欠選任      山崎  力君     奥村 展三君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         倉田 寛之君     理 事                 鴻池 祥肇君                 竹山  裕君                 林  芳正君                 矢野 哲朗君                 今井  澄君                 平田 健二君                 山下 栄一君                 笠井  亮君                 大渕 絹子君     委 員                 市川 一朗君                 岩井 國臣君                 大野つや子君                 加納 時男君                 金田 勝年君                 岸  宏一君                 斉藤 滋宣君                 鈴木 正孝君                 長谷川道郎君                 日出 英輔君                 松谷蒼一郎君                 溝手 顕正君                 依田 智治君                 吉村剛太郎君                 海野  徹君                 江田 五月君                 郡司  彰君                 内藤 正光君                 広中和歌子君                 福山 哲郎君                 円 より子君                 柳田  稔君                 加藤 修一君                 浜田卓二郎君                 益田 洋介君                 小池  晃君                 須藤美也子君                 富樫 練三君                日下部禧代子君                 照屋 寛徳君                 入澤  肇君                 月原 茂皓君                 奥村 展三君                 菅川 健二君                 山崎  力君                 佐藤 道夫君    政府委員        大蔵政務次官   中島 眞人君        大蔵省主計局次        長        藤井 秀人君    事務局側        常任委員会専門        員        宍戸  洋君    公述人        東京大学大学院        経済学研究科教        授        神野 直彦君        東京工業大学大        学院社会理工学        研究科教授        大阪大学社会経        済研究所教授   小野 善康君        株式会社野村総        合研究所主任研        究員       森本  敏君        南山大学法学部        教授       小林  武君        株式会社環境総        合研究所代表取        締役所長     青山 貞一君        伊藤忠商事株式        会社金融部門チ        ーフエコノミス        ト        中島 精也君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○平成十一年度一般会計予算内閣提出衆議院  送付) ○平成十一年度特別会計予算内閣提出衆議院  送付) ○平成十一年度政府関係機関予算内閣提出、衆  議院送付)     ─────────────
  2. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  本日は、平成十一年度一般会計予算平成十一年度特別会計予算及び平成十一年度政府関係機関予算につきまして、お手元の名簿の六名の公述人方々から項目別に御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。  本日は、平成十一年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えを願いたいと存じます。  それではまず、財政税制について、公述人東京大学大学院経済学研究科教授神野直彦君の御意見を伺います。神野公述人
  3. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 東京大学神野でございます。よろしくお願いいたします。  本日、ここに御列席の方々すべてが現在、日本のこの危機的な状況に心を痛め、日夜、血のにじむような努力をお続けのことと存じます。今すべての国民がこの不況に苦しみながら歯を食いしばって懸命に努力をいたしております。  しかしながら、残念なことに、すべての国民が懸命に努力をしているんだけれども、結果は空回りしてうまくいかない。それはどうしてなのか。我々は、この不況構造的な不況でもって、どうも努力をしてもシステムを変えない限り結果はうまくいかないのではないか、そういう観点から大幅な大胆な構造的な改革を進める必要があるのではないかというふうに考えております。  先日発表されました経済戦略会議の報告によりますと、私の専門にしております税制財政については、国民を二種類に分けて、努力をした人とそれから努力をしない人に分けた上で、努力をした人が報われる税制、それが公正な税制だというふうに書いてございます。  私は、国民をこのように努力をした人それからしない人というふうに分けてしまうということに、そういう国民観あるいは人間観に深い悲しみと絶望を覚えます。国民はすべて必死になって今努力をしています。ところが、市場の方では一生懸命努力をしても報われる人もそれから報われない人も出てくるんです。したがって、財政の方ではすべての国民が報われる、そういう仕組みをつくってあげること、そして今人々が感じている将来の不安をいち早く解消してあげること、それが重要なのではないかというふうに考えております。  そういう観点から現在の予算案を見てみたいと思いますが、お手元に資料をお配りしてございますので、ちょっと第一表と第二表をごらんいただきながら現在の日本財政の姿を御確認いただきたいと思います。  第一表の方を見ていただきますと、日本の総支出の方を見ていただきたいと思いますが、総支出は一九九八年の見込みでもって三七・二でございますので、これはアメリカに次いで小さな政府でございますから、既に日本は世界的に見て小さな政府になっている。ところが、経常収入の方を見ていただきますと、経常収入の方は三一・一で、これは異常に小さな数値になっていることが御理解いただけるだろうと思います。つまり、租税などのような経常収入の比重が非常に低い、その結果、財政収支の方を見ていただきますと、一九九八年の見込みでもってマイナス六・一でございます。つまり、日本は小さな政府なんだけれども、大きな借金、大きな赤字、そういう財政構造になっているということがおわかりいただけるだろうと思います。  そして、第二表の方をちょっとごらんいただきたいと思いますが、第二表を見ていただきますと、日本の小さな政府という現状で一般政府支出、これは一般政府というのは地方政府中央政府社会保障基金、この三つ政府を合わせたものでございますが、この一般政府支出で見てみますと、消費支出、つまり人件費とかそれから物件費消費支出は世界的に見てこれはもう異常に小さな値になっている。ところが、資本支出の方が小さな政府の中でも七・七と大きな数値になっているということですね。  それから、租税社会保険料GDP比の方をちょっと見ていただきたいと思いますが、これを見ていただきますと、日本は全体の負担率が世界的に見て極めて低い二八・四、一番低い値になっております。その中でも異常に低い値を示しているのが個人所得税で、この個人所得税の比率、個人所得税というのはこれは地方住民税も含んだ値でございますが、これが五・七という低い値になっていて、異常に低い値になっている。  先ほど見ました、小さな政府なんだけれども借金が多い、公債発行高が多くなっているというのは、恐らく資本支出の多さに反映されている。資本支出が多いものですから、ある程度公債を発行してもいいんじゃないかという論理になっているんではないか。それから、収入の低さは特に個人所得税の低さにあらわれているということをちょっと御理解いただきたいというふうに思います。  この結果、今現在の予算案を見てみますと、どうも私の感じからいうと悲観的にならざるを得ません。と申しますのは、これから必要なことはこの構造を、先ほど申しましたように今は一八七〇年代、今から百年前に起きたような一八七〇年代と同じように構造的な不況なんですね。つまり、世界が近代から現代に動くように、現代からポスト現代に動くような非常に大きな転換点でございますので、大きな構造改革が必要です。  そうしますと、財政構造も大きく変えなければならないということになるのですが、どうもこの構造をいわば増幅するような形になるのではないか。個人所得税の方は減税になる、それから公共事業の方はふえていくということになるわけですから、やや今の構造をそのまま追認して増幅するようなそういう予算案になっているのではないかというふうに考えています。  かつ、この予算案景気に大きな刺激効果があるかというと、これについても私は悲観的にならざるを得ません。というのは、この世紀末の不況というのは、繰り返すようですが、構造的な不況なんですね。したがって、これまでも繰り返し減税公共事業でもって、いわば病気になった人に解熱剤を与えるような形で景気の回復を図ろうとしてきました。しかし、そうすると、解熱剤をやめると本来の病気が治っていないものですからまた不況になってしまう、これを繰り返してきたわけですね。  皆さんは御記憶がおありでしょうが、一九九五年、一九九六年、一時的に景気がフローでもって回復いたしました。その後すぐに財政構造改革に移ってしまったわけですが、結局、構造的な改革をしない限り、解熱剤をやめるとまた不況に陥るということを繰り返すだけだ。解熱剤を多用すると私たちでも胃に穴があいたり副作用が起こるように、解熱剤のみを使い過ぎると副作用は大きくなる。それよりも今必要なのは、基本的な患部、最も根本的な問題点を外科的な手術によってえぐり出す制度改革を行うことではないかというふうに考えております。  減税一つとってみましても、最高税率の引き下げ、それから定率減税、それから法人税減税というようなものがどうも景気に直ちに効果を与えるようには思えません。これは恐らく一九八一年のレーガン政権がやった経済再建税法を模範にとっているのではないかと推察することができますけれども、アメリカ経済消費が多過ぎて困っている経済なのに対し、日本経済というのは消費が少な過ぎて困っている経済で、貯蓄が多過ぎて不況になっているわけですね。必要なことは消費を開放してあげることで、消費を拡充してあげるそういう税制財政政策が必要ではないかというふうに思っております。  さてそこで、では私たちはどういうことに手を出したらいいのかということでございますが、繰り返すようですけれども、抜本的な制度改革を織り込んだ予算を組むしかない。もちろん抜本的な改革というのは年月がかかりますけれども、そういう長期的な改革を視野に入れた予算を組むしかないだろうというふうに考えております。  やらなければならないことは二つありまして、一つ地方分権、もう一つ社会保障総合化という制度改革だというふうに考えております。この二つの改革によって人々が安心して子供を育てて、そして安心して年を終えることのできるそういう生活を保障してあげること、言いかえれば社会的な安全のネットをもう一度張ってあげることだろうというふうに考えています。  第一の地方分権の方でございますが、これはこれまでも分権推進計画を立て政府はおやりになっていただいておりますけれども、税源移譲、国から地方への税源移譲を含んだ抜本的な地方分権に取り組む必要があるだろうというふうに考えております。こうした地方の抜本的な改革を行わなければ、現在の大量の公共事業、これが地方でもって消化できるかどうかわかりません。  御案内のとおり、日本システムでは公共事業を実施するのは地方ですから、現在の予算案を今消化できるだけのそういう体質、体力地方財政の方に備わっているかどうか、私は甚だ疑問だというふうに言わざるを得ないと思います。  一九三〇年代にニューディール政策という政策が行われましたけれども、これは景気政策としてはうまくいきませんでした。それはなぜかというと、ルーズベルト大統領公共事業を行って積極財政を打ったのですけれども、州、地方緊縮財政を打たざるを得なかった、そのために、結果、政府部門全体として見ると景気をむしろ浮揚する効果にならなかったという経験がございます。  こうした経験にかんがみても、今景気政策を仮に実行してやるにしても、まず地方財政体力というものを拡充しておく必要があるというふうに思います。それには、税源を移譲すること。私は、所得税の定率的にかかっている基礎的な部分を国税から地方税に移していくことが基本になるだろうと思います。それに加えて、法人事業税外形標準化、それから地方消費税を充実していく。こういったことを組み合わせて地方税源の充実を図るべきだというふうに考えています。  このように分権を進めた上で、これまでのような国が現金給付社会保障公的扶助社会保険公的扶助というような、現金、お金を配ることによって人々生活を守るのではなくて、地方政府現物給付、実際にサービスを給付することによって社会的な安全のネットを張るということが必要なのではないかというふうに思います。  と申しますのも、現在のような現金による所得再分配、つまり市場で負けた人、市場で報われなかった人に市場の外側でお金を配るというやり方が現在うまくいかなくなっています。これは経済がグローバル化しボーダーレス化したからで、金融が非常に不安定になって振られているからでございます。  そこで、地方政府福祉、医療、教育そして環境というような分野で人々生活の不安を取り除くようなそういうサービス給付を行っていく、このことによって人々生活を保障し守っていくという政策が必要だろうというふうに考えています。  こういう福祉サービスを充実していくと、そこから恐らく今後の新しい産業の芽が出てくるのではないか。そういう福祉サービスの中に、単純にそれを公共部門だけでやるのではなくて、民間部門も参入できるように取り上げてやる、そのことによって雇用受け皿をつくってあげる。つまり、地方福祉サービスをやらせることによって雇用受け皿をつくる。短期的に受け皿をつくりながら、恐らくそこから技術革新が起こり、新しい福祉サービスのあり方というような産業が出てくるはずでございます。  もちろん、長期的に見ますと、国が新産業技術革新をサポートするような研究開発技術開発を進めていくということも必要ですけれども、同時に恐らく、必要は発明の母と申しますので、人々生活の不便を取り除いてやるというところから新たな産業も出てくるというふうに考えています。  それから、公共事業の方もこれは思い切って分権化し、ユニバーサルデザインによる町づくりをすべきだというふうに考えます。これは、私も既に網膜剥離で目から血が出ているわけですが、例えば今のシステムですと、バリアをつくってフリーにするバリアフリーということが進んでいます。つまり、階段というバリアをつくっておいて、そして障害者専用昇降機をつくってフリーにしてあげるということを進めているわけです。もちろんこれも重要なことでございますけれども、これではすべての人がユニバーサルにアクセスできる町じゃなくなってしまいます。  例えば、今ようやく乳母車を引いた母親が乳母車のまま電車に乗れるようになりましたけれども、乳母車を引いた母親があの昇降機を使わせてくださいと言っても使えないんですね。そうではなくて、むしろエレベーターとエスカレーター階段、これはスウェーデンではセットにするということで運動を進めていますけれども、これをセットにしてあげる。そうすればすべての人がアクセスできる町になるんです。そうすると、今町は大改造しなければいけません。公共事業もそういう方向で進めていくときに来ているのではないかというふうに考えています。  私たちはそういうことをやると何かむだ遣いをしたような気がしますけれども、決してそうではありません。私たち階段を上るときにはエネルギーを使いますけれども、おりるときには筋力を使います。そのためにお年寄り階段から足を踏み外して頭を打って死ぬ人がふえていることは御存じのとおりでございます。エスカレーターをつくるにしても、上りのエスカレーターであれば、これは若い人たちのため、エネルギーを省略するためになりますが、下りのエスカレーターにすればお年寄りに優しい配慮をしたということになるんですね。  だから、今必要なことは、すべての人がアクセスできる町づくりをやれば、いずれ私たちが年をとったときにも必ず助けてくれることになるし、重い荷物を持ったとき、けがをしたとき、そういったときにすべて、情けは人のためならずで、必ず自分にも返ってくる、そういうユニバーサル町づくりを進めるということをやらせることだと思います。  そのためには、公共の空間を人々の手の届くところに、目に見えるところに持ってきて、そこで人々に考えさせ、選択させる、そういうシステムをつくっていかなければなりませんので、分権を推し進める必要があるというふうに考えます。  それからもう一つは、同時に、今不安定化している社会保障を安定化させる、この努力を進めていかなければなりません。  私は、財政は競争ではなくて協力にすべきだ、つまり協力社会をつくるべきだというふうに考えています。市場の方では競争をやってもらって構いませんが、財政の方では協力社会をつくるべきだというふうに考えております。こういう協力社会にふさわしい年金、これは経済成長をしなくなれば現役世代退役世代もお互いに痛みを分かち合えるような連帯のシステムをつくっていくということだと思います。そのためには、現在の方式を改めてすべて賦課方式にしてしまう、その上でもって確定拠出方式にして所得比例にする、かつこれを経済成長にリンクさせて給付を動かすようにする、この三つ仕組みをつくるということが重要だと思います。  私の時計でちょうど二十分でございますので、これで私のつたないお話を終えさせていただきます。(拍手)
  4. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) ありがとうございました。  次に、景気経済について、公述人東京工業大学大学院社会理工学研究科教授大阪大学社会経済研究所教授小野善康君の御意見を伺います。小野公述人
  5. 小野善康

    公述人小野善康君) ただいま御紹介いただきました小野でございます。  きょうの私のお話は、経済運営目的というのはまずそもそも何であるかという話、それから景気が今非常に悪いわけですが、これはなぜ起こったかという理解の話、それからそれに対する対策は何であるかという話、そういうことについて二十分お話をさせていただこうと思います。  まず、一番最初に申し上げた経済運営目的とは何かということですが、これは実は大原理からいうと簡単であります。要するに、各国みんなそうでしょうけれども、日本という国が持っている経済的な資源日本で一番重要な経済的資源というと実は労働力でありまして、人間をいかに有効に使うかということに尽きるんじゃないか。これは別に主義主張関係なく正しいわけで、日本はもちろん資本主義社会にいるわけですが、たとえ共産主義社会においても、それはその国にいる労働者をいかに使うかということを考えているわけで、もちろん手段のよしあしはあるわけですが、全く同じであります。  資本主義社会の場合にはそれを市場の力というものでいかにうまく使っていくか、実は市場の力の方がいいんだという発想で多分資本主義社会は成り立っているんじゃないか。その点については私も全く同じでありまして、資本主義社会の方がよほど効率よく労働資源を使うと思うんですが、それでは万全かというと実は万全ではない。それが特に激しく出てきたのはバブル以降この十年ぐらい、特にこの二、三年皆さんそれについてちゃんと意識をし出したということです。  労働資源をちゃんと使うということでありますが、それは景気のいいときと悪いときではかなり違ってくる。景気のいいときというのは皆さん忙しい、全員が働いているわけです。そのときに、じゃ有効に使うというのは何かというと、既に使われている人をさらに有効に使うということでありますから、効率の悪いところで生産している人たちに対して、その人たち生産をやめさせて効率のいいところに人を配置し直して、よりその生産性を上げていただく。  ここで、皆さん誤解はないと思いますが、私が申し上げたい生産性というのは、何もいわゆる衣食住というか、自分消費するものだけを言っているわけではないわけでありまして、自然環境でももちろんいいわけですし、すべて含めて、例えば介護のための設備でももちろんいいわけですし、我々国民がいかに快適に過ごしていくか、何が欲しくて、どうやってどういう環境の中で生きていきたいかという、こういう総体的なものを含めて何を生み出すことができるか、もちろんそういう意味で申し上げているわけです。今申し上げたように、完全雇用のときは、それぞれ働いている人たちをいかに再配分して最も効率のいい生産体制に持っていくかということが重要なわけです。  そのとき市場のメカニズムというのは非常にいいわけでありまして、みんな欲しいし、かつ余りないというものについては価格が高くなるわけですから、そちらがもうかる、だから民間に任せておけばどんどん民間は参入してそこの生産はふえていく。さらに、みんな欲しくない、かつ生産が安くできるというようなところはどんどん価格が下がるわけでありまして、その場合には、そこは余りもうからないというので企業が抜けていくというように、非常にうまくメカニズムが働くわけです。  さて、失業の場合はどうであるか。  現在のような不況の場合でありますが、このときも全く同じでありまして、日本にある労働資源をちゃんと使おう、そういうことが目的であります。ただし、その状況の大きな差というのは、日本完全雇用のときにはなかった大きな部門が存在しているんだと。その大きな部門というのは何かというと、これは最も効率が悪い部門でありまして、これはあえて名前をつければ失業部門という部門であります。  これは、一昨日ですかの新聞でも出ていて、三百万人近い人が働いていない。それから、さらに実際に企業に一応所属はしているけれどもちゃんと働いていないという人まで含めれば、それはもう倍をはるかに超えるんではないか。それだけの人が働いていないという部門、これは、完全雇用のときの少々効率が悪い部門でこんな要らないものはないとかいうようなレベルではない、とてつもなく効率の悪い部門なわけです。  しかも、我々は、別にそういう人たちを無理に働かそうと言っているわけではなくて、そういう人たちは働きたいわけであります。つまり、雇用も欲しいし、ちゃんと自分は役立って働きたいと思っている。にもかかわらずそういう場が与えられないということになっている。この点は、先ほど神野さんがおっしゃっていた、経済戦略会議の言っている、努力をする人は報われ、しない人は報われない、報われないというかある程度罰があるような社会ということをおっしゃっていて、それについては疑問があるとおっしゃっていましたが、全くそれを私もシェアするあれでありまして、みんな努力をしようとしても場が与えられていないというのが現状なのであります。  さて、そのような状況は何で起こったかということをちゃんと理解してからそれに対処する方法を考えなければいけないわけで、これは、ごく簡単に言えばみんな物を買わなくなった、こういうことであります。なぜ物を買わなくなったかというと、これも単純なことでありますが、要素は二つあります。一つは、皆さんの財布の中身が貧しくなった。これは一見、我々の生産性あるいはみんなの努力、能力はほとんどバブルのときと、ほとんどというよりも全く変わっていない。あるいは、今はもっと真剣になっているのでその意味では生産性が上がっているかもしれない、潜在的には。にもかかわらず皆さんの財布の中身は縮んじゃった。  なぜかと言うと、これはバブルが崩壊したからであります。すなわち、地価も下がり、株価も下がってしまった。この二つは、実は物理的な量、例えば土地の量は全く同じでありますし、それから株だって、企業の数は余り変わっていない。もちろん、小さな中小企業がつぶれる数が多いとか、そういうことは実際あるわけですが、ともかく株式の少なくとも紙としての数はほとんど変わっていない。  ところが、それ自身の価値が、皆さんの評価額が激しく変わってしまった。昨年暮れの日経新聞の夕刊を見ると、バブル以降千二百八十五兆円消えてしまった、こういうことを言っている。皆さん御存じのとおり、現在の民間金融資産の量自身が千二百兆であります。ですから、その規模と同じ量がなくなっちゃったわけですから、直接、間接に皆さんの財布の中身は激しく減ってしまったということがあります。  それからもう一つ、これは重要なことですが、皆さんの欲しい物がなくなってしまった。これはもうちょっと長期的な構造的な問題かもしれませんが、日本は戦後追いつき追い越せという形で一生懸命アメリカを具体的に言えば追っかけてきたと思うんですが、実際に欲しい物はいつもアメリカ生活の中にあったという状況ですから、欲しい物をつくればどんどんみんな買ってくれた。つまり需要を心配する必要はなかった。ところが、今考えてみればほとんどみんなある。ですから、よく不況の話でいろいろな方とお話ししていると、これはそんなにまずい状況なのかと言う人がどんどん出てくるわけです。つまり、自分の身の回りに全部ある、別に困ってもいない、バブルのときは異常だった、こういうことをおっしゃるわけです。そういうことがある。  それは実は非常に危険なことの前兆でありまして、つまり不況が長引くということは、私は国立大学というところに籍を置いていますので私も含めてですが、要するに雇用が安定している者、それから企業にとっても、もちろんこういう状況にあっても非常に成績のいい企業があるわけで、それは新しい製品を開発したり世界で大きなシェアを持ったりするような企業があるわけですが、そういうところで働いている方たちは別に困っていないわけです。困っていなくて、かつ物価は安定している。すなわち逆に言うと下がってくる。これは落ちついて、しかも自分生活は困らない、こんないいことはないというような状況にすら長期化すればするほどなってしまう。要するに、一時の、かつての狂乱物価のような状況、もちろん自分所得も上がってくるけれども物価はどんどん上がっていく、そんなような状況じゃとんでもないと思っているかもしれない。  ところが、そういうしわ寄せが全部失業者に来てしまっている。そこに問題があるわけでありまして、その失業者の人たちは、じゃ、そのときどうしたらいいかというと、実際に力を持っているというか社会的に発言力のある人は、私は今でもいいんじゃないか、かえって落ちついていると言っているし、変えてくれなかったら自分たちは失業のままでいるし、さらに、あなたたち努力をしない人たちだ、だから努力をすれば報われるのだ、こういう社会がいいということになってしまうと、本当に逃げ道がなくなってしまうのではないかと思われるわけです。  さて、そういう状況にありまして、どういう論争があったかというと、いわゆる構造改革派とそれから積極財政という二つの流れがこのバブル以降両方揺れ動いていた。ほんの二、三年前まではいわゆる構造改革派という人たちが非常に力を持っていた。この予算を見ましても、非常にこの二年、一年の間にさま変わりでありまして、緊縮財政からもう一気に積極財政になっている。  私は、その方向自身は別に悪くないと思うのでありますが、非常に注意しなければいけないのは、ちょっと振り返ると、じゃこれはついこの間の、数年前の、政府むだ遣いばかりしているのでけしからぬと言っていた状況にただ戻るんじゃないか、それを行ったり来たりしていてもしようがないのではないかという印象を持たれるんじゃないか。それは、私は議論の軸というか議論の右左の軸がもうそもそも間違っているんじゃないか。  これはどういうことかといいますと、金を使うか使わないかで議論されている。小さな政府というのは一生懸命倹約しよう、なるべく使わないようにしようという発想から出てくるものであって、大きな政府というのはどんどん使いましょう、お金をまけばそれに対応してどれだけGDPが上がりますというような話になる。経済企画庁長官の発言なんかをきのうラジオで聞いていましたが、そこでも、要するにこれだけの財政支出をするんだから来年度は何%ぐらいの成長は見込まれるだろう、こういう言い方をされています。しかし、そんな単純なものではないわけです。  簡単な例で言えば、例えば全規模で八十兆円という額を出した、これをすべてコンクリートの塊に使った、さらにそれを海に捨てた、こういうことをやったとします。これはもう皆さんすぐおわかりでしょうけれども、全くのむだでありまして、何もしていないのと一緒です。強いて言えばコンクリート代がむだになった、これだけのことですが、何もしていないのと一緒だ。その結果GDPは上がるわけです。つまり、八十兆円だけ支出はふえた、今まで買われなかったコンクリートはちゃんと買われたわけだからふえた。ふえて、これでよかった、めでたしめでたしでは決してないわけです。  ですから、お金を使ったか使わないか、需要がふえたかふえないか、これだけで経済運営はうまくいったかいかないかという判断をされては全く話にならないと思われるわけです。  さて、そういうような発想で見ますと、結局結論は簡単でありまして、じゃそのお金をどう使えばいいんだというその使い道が重要だと。  だから、別に八十兆円でなくてもいいわけでありまして、十兆円でもいいからちゃんと使おう、あるいは百兆でもいいからちゃんと使おうと。そのちゃんと使うということだけが重要なわけであります。ちゃんと使うという意味では、いわば経済の規模を大きくしようという方向で申し上げているんですが、これは実質上多くしようという意味で申し上げているわけです。  構造改革について私は批判的な言い方を少ししたんですが、実はこれは構造改革というものも二つあるということを今ここで申し上げたい。一つは内向きの構造改革でありまして、もう一つは外向きだと。  内向きというのはどういうことかというと、今まで使っていたものをなるべく倹約しましょう、悪いところはどんどんつぶしましょうという、いわばむだの排除というか、スリム化とよく言いますけれども、そういうものですね。これは既存のあるものをどんどんつぶしましょうという発想です。この発想の裏には失業というものが一切思考の中から欠落している。すなわち、効率悪いけれども何とか働いている人たちあるいは機械、そういうものを一生懸命スリム化すると、行き着く先は何かといえば失業であり、何も使わないという状況であります。  もう一つ。私はこの構造改革ならどんどんやれということですが、外向きの構造改革。これは何かというと、新しい産業をつくるとか新しい事業をつくるとか、これは知恵が要るわけです。すなわち倹約して、要するにけちけちやるということは知恵は要らない。要らないと言うと言い過ぎになりますが、大した知恵は要らない。しかし、何かいいことに使おうというのは必ず知恵が要るわけです。民間の企業を見てみましても、知恵のある企業というか大きく発展する企業というのは、一生懸命けちけちやって紙は半分使い、それから人員も一生懸命削減しよう、こういう企業が大きく世界に発展したというのは私は余り聞いたことがありません。そうじゃなくて、何かいいものをつくろう、みんなが驚くようなものをつくろう、みんなが欲しがるものをつくろうと、こういう企業がまさに発展していくわけであります。そういう意味でいうと、国の公共支出もそういうものだというふうに思うわけです。  そういう点から見まして、じゃ公共支出というか積極財政の中身を点検してみますと、本年度の予算の概要みたいなものを少し見させていただくと、一番最初にまず減税だと書いてある。恒久減税とかそういう表現をしています。しかし、よく考えてみますと、これほどむだな金の使い方はないわけであります。減税というのは何かというと、皆さんから今、国債であれば将来ですが、増税であればもちろん現在ですが、どこかからお金を取ってきてただ配る、これが減税であります。あるいは、地域振興券もあえて言えばそうでありまして、これは皆さんからお金を取ってきて二万円ずつその資格者に配る、こういうことであります。しかし、よく考えてみますと、二万円だけ配るというのは、ただお金を持ってきて返すだけですから、合計からいえば全然変わっていないわけです。実際何にもお金を多くしているわけじゃないわけです。国債を今度ふやすということは、皆さんの資産がふえているかというと、やっぱりふえていないわけでありまして、同額だけ国の負債がふえている。  だから、結局、そういうお金を右から左に持っていくということを一生懸命やろうとしてもほとんど何の効果もないということは想像がつくと思います。さらに、一番最初に申し上げた千二百八十五兆という資産がなくなっちゃっている状況で数十兆を、しかも右から左に回して景気が回復すると考えられるほど単純な状況じゃないというのはちょっと考えればすぐおわかりになると思う。  そのときに、例えば先ほどの地域振興券的なものは非常にわかりやすいと思うんですが、二万円ずつ皆さんにお配りするというときに、その二万円に対応して何か社会に役立つことをやってください、二万円お支払いします、しかし役立つことをやってくださいと。例えばお隣に御老人がいらっしゃる。じゃ、その方をおふろに入れてあげてくださいと。これをやりますと大量の介護人員ができて、しかも日本の介護問題は少なくともその日一日は解決するかもしれないというように、ただ金を回す減税に対して、実際それをどうやって使おうかということを考えることが物すごく重要じゃないか。  それは、先ほどから申し上げているように知恵が要ることでありまして、現在は民間が知恵を出して一生懸命必要な資源である労働資源を使おうということができない状況でありますから、これをやるところはだれかといったら皆さんしかいない、つまり政府部門しかないわけです。その政府部門が知恵を出さずに、単にお金を回すだけというような一番安易な方法でやっていたら全く何の解決にもならない、これが景気の回復につながるというのも全く私は起こらないんじゃないかと、こういうふうに思うわけであります。  もう時間になりましたので、一つだけ最後に、最近ちょっと新聞に書かせていただいたダイオキシン問題のことで例だけ申し上げます。  ダイオキシン問題で今大騒ぎしていて、これは解決するにはどうしたらいいかというのは簡単でありまして、設備をつくり変えればいいわけです。簡単な話です。一生懸命調査したってしようがない。つくり変えればいいわけです。ところが、つくり変えるのに何が問題かというと、金がかかる、こういうことであります。  金がかかるからいけないと言っているんですが、よく考えてみますと、金がかかるために、じゃ皆さんから増税しようと。増税してその分で設備をつくり変えた。全然ダイオキシンが出ない設備が例えばできたとします。では、そのときお金皆さんから取ったからなくなったか。なくならないわけであります。なぜか。それをつくるときに皆さんにまたお返ししているわけです。皆さんというのは民間ですね、民間に返している。そのとき、もちろん所得の再分配の不公平が起こるかもしれない。それは調整すればいいわけです。  いずれにしても、金を回しただけで一銭も使わないでダイオキシンの設備はきれいになる、こういうことであります。ですから、単に金を回すことだけじゃなくて、それに伴って一つでもいいからきれいな設備に直していくというようなことを考えていただいたらいかがでしょうか。  以上で終わらせていただきます。(拍手)
  6. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  7. 日出英輔

    日出英輔君 神野公述人小野公述人には大変歯切れのいいお話を伺い、また大変貴重な御意見を伺いましたので、私もそのことについて十分理解しているかどうかわかりませんが、二、三御質問をさせていただきたいと思います。  まず、神野公述人に伺いたいと思っておりますが、私も二、三、神野先生の日経新聞の「経済教室」なども読ませていただきましたが、地方分権ということから説き起こしている。もう少し言えば、きょうお話しのはもう少し大きな構造改革の必要性からお考えになっているのだろうと思いますが、先ほどの話で結論的に地方分権の方でおっしゃいましたのは、税源の移譲を含む抜本的な改革の必要性をお話しになったと思うんですが、その中で、所得税の基礎的な部分を移すというお話がございました。  今、地方と国という関係でございますけれども、地方とは一体何だというのを少し考えてみますと、これは端的に言いますと県なのか市町村なのかという議論が出てまいります。この場合は法人事業税ということでありますから県を指してお話しだと思いますが、一般に地方分権の話をいたしますと、住民の生活に近い分野での地方というものをよく志向いたしまして、地方分権地方分権と言いながら、大事な都道府県の役割というのを通常は見落としているような感じがいたします。これは私の個人的な見解でございます。一般には市町村の力を強くするという議論をしながら、実際の国と地方との分権その他は都道府県の力を強くするという話が実は多いわけであります。  そのギャップはちょっとおいておくことにしまして、例えば県の場合でもそうでありますが、東京、大阪といったところと、あるいはまあ具体的な地名を挙げてはちょっとまずうございますが、財政力格差といいましょうか、そういった地域間の格差が非常に大きなものが見られるように思います。今、先生のお話で言いますと、地方分権あるいは歳入自治権とおっしゃっておられましたでしょうか、こういったことは地域間のある種の競争にもなるわけでありますが、その前提としての地域間の体力の違い、こういうものが基本的にあるように思うわけであります。  これについて、今の先生のお話はもっと大きな流れからおっしゃっているわけでありまして、少し小さなことで御質問するのは恐縮でございますが、こういった地域間のレベルの差というものを先生のお話ではどういうふうに受けとめておられるのか、その辺についてまずお伺いしたいと思います。
  8. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 大変本質的な問題を日出先生からお尋ねしていただいたというふうに理解をいたしております。私の考えている地方分権について御質問をいただきまして、税源移譲、この場合に所得税の基礎部分を移すというようなことから御質問をしていただいて、その際の市町村と都道府県の関係、特に地域間における格差をどう考えるのかというお尋ねだったというふうに理解をいたしております。  私が考えている所得税の基礎部分の移しというのは、言いかえますと、住民税を比例税率にしてしまうということに近いのだというふうに御理解いただければと思います。  現在ですと、ごく単純に言ってしまえば、一番低い所得階層のところでは五%の住民税とそれから一〇%の国の所得税を納めているわけです。それから、住民税が五%、一〇%、一五%と三段階になっておりますので、高いところでは一五%の住民税とそれから非常に高い所得税。  これを仮に、例えば一〇%で比例税率にしてしまう、しかし国と地方を通じる税負担は変えない、こういうふうに設定しておきます。そういたしますと、五%で今まで住民税を納めていた人は住民税の方を一〇%、それから国の所得税の方を五%にする。今度は逆に、一五%の住民税を納めていた人は五%減税になって一〇%で、かつ国の方は増税になる。こういうふうな形にすればいいのではないかというふうに考えているわけでございます。そういたしますと、これは地域間格差は拡大をするというようなことにはなりません。  と申しますのは、地方税だけとってみますと、所得の貧しい人が増税になりまして、それから所得の非常に豊かな人が減税になるわけです。もちろん言うまでもありませんけれども、貧しい地方、つまり財政力のない、課税力のない地方というのは、所得の豊かな人が余り住んでいない貧しい人々が多い地方でございますし、それから豊かな地方というのは豊かな人々が多いということでございますから、こういうふうなことをいたしますと、豊かな地方では地方税余り入らずに、貧しい地方で大幅に地方税が入ってくる、こういうことになるわけです。  ざっと計算いたしますと、日本では五%の税率で納めている人々が多いものですので、三兆円国税から地方税に移ることになりまして、かつ一番この計算で伸びないのは東京都で、伸びるのは山形県になります。したがって、自主財源、つまり自分の地域住民からいただく税金をふやしたといっても、必ずしも地域間格差が広がるわけではないと。  お話の地域間格差というのはあくまでも財政力の格差でございますので、財政力の格差が広がらないような形で工夫をすれば、例えば消費税なんかもそうですけれども、所得の貧しい人が住んでいる地方でも十分に税収が上がるような税の工夫をすれば、地域間の財政力格差を拡大せずに税源を移譲するということは可能だというふうに考えています。
  9. 日出英輔

    日出英輔君 先生の説得力のあるお話で何かそういう気もいたしましたが、もう一度よく考えさせていただきたいと思います。  それから、今のお話とちょっと似ている話でありますが、先ほどのお話の中で、地方分権関係三つおっしゃった中の二つ目に、法人事業税外形標準化の話が出ておりました。これは政府税調でも何かいろんな議論が出ているようでございますし、政府部内でも検討を急ぐという話になっているということで、一つの流れだと思うのでありますが、これも今のような地域間格差という面から見た場合にどういうことになるだろうか。  一般的には、赤字企業が困るからこれは導入できないとか、そういう話はよく聞くわけでありますけれども、もう一つ、これをどういう方式で取るかということにもよると思いますが、一般的に従業員数とかそういったところで取りますと、やはりこれもどちらかというと地域間格差というものがしっかり出てくるんではないだろうかという気がするわけでございますが、この点についてはどうでございましょうか。
  10. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 現在の法人事業税は御案内のとおり利潤でかかってございますので、私が言っている法人事業税というのは利潤よりもむしろ賃金部分にも少しかけてもらおう、こういうことを考えておりますから、現在よりも地域間格差がベースを広げた分だけ格差は是正されるというふうに考えております。  ただ、これもなかなか難しいことがございますが、できるだけ事業所ごと、今生産機能というのはかなり全国に散らばっているんですね。金融はちょっと集中しておりますけれども、生産機能はかなり散らばっておりますので、事業所ごとの課税が可能になれば、私は十分に地域間格差をそれほど拡大せずに、むしろ拡大しない方向に移るのだというふうに考えております。  それから、もう一つのポイントは、何か賃金にかけると赤字企業にかけるというような印象を受けますが、これは先ほど言いましたように、賃金をもらったところだけでかけてしまうと、結局、自分たち生活している場所だけではなくて生産しているところでもいろいろ公共サービスを利用しているわけですね。かつ、これからの地方がやる公共サービスというのは恐らく今まで企業内の福祉でやっていたようなものが中心になるでしょうから、企業ごとに福祉をやるのではなくて、企業も少し地域にお任せいただきたい、そのかわりに賃金部分にも少し負担をしていただけないかというふうに考えた方がいいのではないかと考えております。
  11. 日出英輔

    日出英輔君 少し私も勉強して、もう一度先生にいつかの機会に伺いたいと思っております。  それから、きょうお話しになった部分にも関係していると思いますが、そもそも論というとなんでございますけれども、地方分権税源の移譲のそもそも論的な話でございますが、一般に今の戦後の税制の基本、国税と地方税のあり方について言いますと、基本的にいろんな議論があると思います。  私が一番気になりますのは、実は今の格差の問題、あるいはもう少し詰めて言えばナショナルミニマムといいましょうか、地域に住んでいる住民に等しく一定の生活レベルを保障する、これは国の一つの大きな目標だろうと思うのであります。このナショナルミニマムの議論をしておりますと一番気がつきますのが、このナショナルミニマムをどう考えるのか。もう少し具体的に言いますと、広く考えるのか狭く考えるのかという問題があるように思うわけであります。  一般的に、狭く考えると極端に狭くなりますし、広くなりますと、例えば町村道一つとりましても、行きどまりの道というのは余りありませんで、やはり次の町へつながっていく。大きな道路ではなく、小さな道路でそういう問題が出てまいります。川も広域的に各県を流れる川だけじゃなくて、やはり市町村を流れていく川もあります。  そういう川の改修にしても道路の改良等にしましても、このナショナルミニマムをどういうふうに考えるのかというのがもう一つ、国と地方分権、あるいは先生今お話しになった税源の移譲という議論の基本にそういう問題があるのではないかという、感じでございますけれども、するわけでございます。  この点について、先生いろいろお書きになっているかどうかわかりませんが、申しわけありません、私、そこまで読まないで来ましたので、ぜひともお教えをいただきたいと思います。
  12. 神野直彦

    公述人神野直彦君) これも全く私は先生と同じ悩みを共有するというふうに申し上げておいた方がいいと思います。  実は、ナショナルミニマムというのは極めてあいまいな概念でございまして、基本的には何がナショナルミニマムなのかというのは国民が決めるしかない、言いかえれば皆様方にお決めいただくしかないというふうに考えるしかないと思います。  ただ、私の印象から申しますと、どうもややナショナルミニマムには高過ぎていて、さまざまな地方に最低限度やらなければならない仕事だということがかなり法律で決められておりますので、これをもう少し緩めないと、とても財政がもたないのではないかというふうに考えております。  私は、ナショナルミニマムというのはあくまでも生活の快適性とか生活の安全性を保障するという生活レベルで、つまりいかなる地方に住んでいても一定水準の生活の安全性と快適性が確保できるということに特化すべきで、産業政策というのはできるだけ国が行って、地方産業政策に乗り出してそこにナショナルミニマムを設定するというようなことは余りしない方がいいのではないかと思っております。  そして、恐らくこれからの産業というのは、今までは何か産業機能、生産機能を充実していくとそれに伴って生活機能も充実してくるというふうに考えておりましたけれども、先ほど小野先生がおっしゃったように、これから知識が重要になり情報化が重要になり、新たな産業を創出していかなくてはいけないという時代になってくると、むしろ生活機能を充実するとそこにいい人材が集まり地域が振興して、逆に生産機能の地場になる、産業機能の地場になるという方向が動いてくるのではないかというふうに考えております。
  13. 日出英輔

    日出英輔君 ありがとうございました。  次に、小野公述人にちょっとお伺いをしたいと思います。  私は急遽、日経の「経済教室」で先生が九六年に書かれたものをちょっと読ませていただいたわけでございます。ちょうど景気が一服している過程で、構造改革が世間で唱えられている中で、先生はこれに対して警世の言葉を吐かれるというふうに私は理解したわけでございます。  先ほどもお話しになりましたけれども、この構造改革積極財政派の話をもう少し伺いたかったわけでございます。どういう時点で構造改革をし、どういう時点で積極財政といいますか需要面からの対策をするのかという、この使い分けがなかなか大変な問題だろうというふうにお話しになっているんだろうと思いますが、そういった視点は、先生のお話で言いますと、なかなか中長期的な物の見方の中でお話しになったように思うんです。  先ほどのお話、最後のところをもうちょっと伺いたかったと思いますのは、今の時点で、先ほどお話しになった、例えばことしの予算というのはちょっと余り例示がよくないかもしれませんが、お金をどう使うかという話は大体私も理解したように思いますが、もう少し、構造改革といいますか供給面からのお話と需要面から接近する政策の違いといいますか、使い分けといいますか、そういうことについての一般原則的なものをなるべく簡潔にお願いしたいと思うんです。
  14. 小野善康

    公述人小野善康君) 大変重要なポイントを今指摘されたと思うんです。  まず、構造改革、つまり倹約的な構造改革という意味ですが、それと積極的に政府も介入して自分で事業をある程度やった方がいいというのとの端境は、要するに、最初に申し上げた経済運営目的は何かというと、有効資源、はっきり言えば日本の場合にはほとんど労働資源だと思うんですが、それをいかに使うかということであると。基本的には、こう言うと大変恐縮ですが、民間とそれから政府と比べたら民間の方は効率よく使ってくれるだろうと。それは確かであります。ただ、失業があるのでだめなんだ、こういうふうに申し上げました。そういう視点からいうと、一つの軸は例えば完全失業率が何%とか、あるいは日本における潜在生産能力、それからの乖離率がどのぐらいになったか、そこを適当に基準を決めればいいと思うんですね。  具体的な数字というのはもちろんいろいろな議論があるでしょうけれども、例えば失業率でいえば二・数%ぐらいとか、そのぐらいになったらば、かつての国鉄のようにせっかく公営で始めたんだから我々は権利があるんだみたいにならないで、さっさと引っ込んでいただきたい。さっさと引っ込んだ後、これはもうマスコミなんかがよく非難することですが、例えばその後そこの企業の財務状態は悪いということがあったとしようと。  これはある意味で当然なんですね。すなわち、もうかるかどうかわからないけれどもちゃんと人々を使いましょうという目的でやった企業なわけですから、それが財務状況がいいようなところであったら最初から民間はやるわけですね。それを非難して、しかもこんなになったらやらない方がよかったというのではなくて、そのときはもうさっさと民間に開放しましょうと。  民間に開放したとき、極端な話、その企業はつぶれちゃうかもしれない。極端に今申し上げております。それは問題かといったら、全然問題じゃないんですね。なぜかといえば、景気がいいわけですから、もしつぶれたとしても、その人たちはそこで例えば介護のことをやっていたとすれば介護で培ったノウハウというのは持っているわけですから、ほかの民間企業はちゃんと採ってくれるということであります。ですから、それを恐れずにちゃんとやっていただきたいということです。  それから、もう一つのポイントでおっしゃったのは、多分、供給側、需要側という発想をもう少し丁寧に説明していただければ、そういうことですが、供給側というのは、ちょっとわかりにくいかもしれないのでちゃんと言いますと、基本的には既存のものの生産能力を上げる、効率性を上げる、こういうようなものを私は供給側の改革だ、こういうふうに申し上げているわけです。今まで百人でつくっていたのを八十人でつくれるようにしよう、七十人でつくれるようにしよう、これが供給側の改革でありまして、今のリストラというのはそういう流れだと。これは個々の企業にとってはもちろんコストが下がるわけですからいいんですが、ただでさえ人が今余っているわけですから、それを今やる時期かというと、そうではないんじゃないか、こういうことを言いたいわけです。  さて、では需要側は何かというと、今までの伝統的な需要側というのはお金をまけばいい、こういうことなんですが、先ほどから申し上げているように、お金をまくということは物すごく難しいことなんですね。すなわち、どこかからとってきてただまくだけですから、結局ネットでいえばなかなかふえない。そういうときに、じゃ何だというと、みんなが欲しいものをつくる、こういう意味です。つまり、需要を喚起するような政策をすればいいんじゃないか。  これはかつて九五、六年ですか、少し景気がよくなって経済構造改革ということになってしまったわけですが、そのときを振り返ると携帯電話はすごくよかったんですね。これはみんなが欲しいものをつくっていて、それで引っ張っていた。そういうことが今全産業的に起これば景気なんて回復しちゃうわけですね。それに対応して株価も上がるし、みんな豊かになっていい方に回っていくわけです。ですから、そういう方向にしたいと。しかし、そういう方向にするのは知恵が要るわけですね、先ほどから申し上げているように。  それで、政府としては今度何をすべきかというときに、みんなが欲しいものをという発想でやっていただきたいので、生産中心の公共事業生活あるいは消費中心の公共事業というのがあると思うんです。公共事業というのは別に道路という意味じゃなくて公共部門がやる事業ということです。その意味で申し上げると、生活中心の方をなるべくやっていただきたい。これは介護とか環境もそうですし、例えば道路を整備するとしたら、その道路の行き着く先に何か魅力的なものがないとしようがない。これは観光地かもしれないし保養地かもしれないし、そういうものでもいいかもしれない。そういうものも含めて考えていただきたい。需要、供給というのはそういう意味で申し上げていたわけです。  以上です。
  15. 日出英輔

    日出英輔君 ちょっと私が伺いたかったことを最後に先生がお話になっていましたが、今の先生のお話を伺っていましても、公共事業、私は伝統的な公共事業という言葉で申し上げるわけでありますが、公共事業の評価が余りにも今、日本国民の中で低過ぎるんではないかというふうに思うわけです。  これは、公共事業即ばらまきだとか公共事業即建設会社をもうけさせるとか、こういう発想が何となく行き渡ってしまって、公共事業の持っている役割とか、またやってきました効果とか、こういうものについて余りにも目を向けない、そういう風潮があるというのは大変残念であるし、危険なことじゃないかというふうにすら実は思っております。  今、先生お話しのように従来型、余りそういう言葉を使ってもよくないのかもしれませんが、従来からやってきた公共事業のほかにもう少し公的な部門で大きな事業が幾つかあるじゃないか、あり得るじゃないかというお話は、私もそのとおりだというふうに伺っているわけでありますが、少し話を従来型の公共事業の方で申し上げたときに、先生の目で見て従来型の公共事業についての評価、正当な評価あるいは客観的な評価、これを国民にわからせる、わかっていただく、こういうためにはどういうようなことが必要なのか。これは思いつきでも結構でございますし、ぜひとも伺いたいと思います。  神野先生にも一言お願いしたいのでございますが。
  16. 小野善康

    公述人小野善康君) お先に失礼させていただきます。  今おっしゃったことは私も全くそのとおりだと思うのでありまして、それは、マスコミとあえて言いますが、そういうところで国民の注意を引くようなとらえ方というのはとんでもないところを見つけてくるわけです。とんでもないところを見つけてきて、こんなにむだだと、それをずっとやっていたと。これは私は、どこがそういうふうにしているのかよくわかりませんが、実に自然に構造改革の流れにそこで移っていった。  まず第一点に申し上げたいのは、そういうのをつくっていたという事実は実際あるわけです。これは、だから実は公共事業はそんなことをいったって必要なんだと、こう開き直られても国民としては納得いかないという点はあるわけです。ですから、その点はもちろんすごく反省していただきたいわけですが、軸としてかつては、こう言うと本当に議員の方々の前で失礼かもしれませんが、要するに幾らの金を私は取ってきた、しかもその地方に幾らを回した、できたものはどうでもいい、どうでもいいというのは言い過ぎかもしれません。でも、それだと困るわけですね。そうじゃなくて、本当にいいものをつくったのなら当然みんなから感謝されるだろう、そういうことを思うわけであります。ですから、何に使ったらいいかということをちゃんと考えていただきたいというのが非常に重要な点であります。  それで、そういうふうにすれば、どんどん積極的にやっていただけばいいんですが、一番重要な問題はそれの評価システムがないということなんです。今あるのは、さっきの話とつながりますが、十兆円を持ってきたら、十兆円を例えば人件費に幾ら、何に幾ら使ったということはチェックが入る。しかし、何ができたというのがない。  私は、物すごくプリミティブでもいいから、公共事業をずらっと並べて、何人の人が使って、それからどういう使われ方をしてどうであったかというのを三年後に必ず出す、公表する、ただで皆さんに配ると。それを見ただけで、実際つくる側も余りひどいものをつくったら反省するでしょうし、やる側も、ああこれは本当に役立ったということはあると思います。  そういう意味で、今は評価システムがなさ過ぎるということが私の理解です。
  17. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 私も先生と全く同感でございまして、いわば国家というのは公共事業のために生まれたようなものです、治水とかなんとかのために。だから、考えてみますと、人々が共同でやらなければならないことは、生活の空間の安全性とそれから快適性を確保するために昔からみんな人々がコミュニティーに出て、そしてつくってきたわけですから、先ほど言いましたように、公共事業もできるだけ生活の空間に近いところでもって決定をさせて、必要な公共事業はきちっとやっていくべきだというふうに考えております。  私たちが今本当に豊かな生活がある意味でできているのも、我々の祖先がきちっとしたいろんな公共施設を残しておいてくれているからです。二十一世紀に向かって我々が何も残さないというわけにはいかないだろうというふうに思います。
  18. 日出英輔

    日出英輔君 両先生、本当にありがとうございました。  私は、今の景気なり税制なり議論をしている中で、どうも大事なことを、本当に実は議論しなきゃいけないことを政治の場ではばかる風潮があるように思います。先ほどの公共事業の話も、私も年来、公務員生活をやっておりましたので、評価システムの話は大変気にしておりましたし、それから神野先生のお話もそうでございますが、地方分権というのも当然どういう形でかやっていかなきゃいかぬというのはあるわけでございますが、今のお話を参考にして、しっかりと私も活動させていただきたいと思います。  貴重な御意見、ありがとうございました。  終わります。
  19. 内藤正光

    ○内藤正光君 おはようございます。  私は、民主党・新緑風会を代表して質問させていただきます内藤正光でございます。今、日本は大変な未曾有の危機にございますが、その現状を打開するためにも両先生の貴重な御意見をお伺いさせていただきたいと思います。  私に与えられた時間、十四分と大変短うございます。幾つか手短に質問させていただきたいと思います。  まず、神野先生に質問させていただきます。  神野先生、経済戦略会議の答申を評価する中で、すべての人が報われるシステムをつくっていくべきだ、このようにおっしゃいました。  そこで質問なんですが、私はそういう社会というのは大変すばらしいと思うんですが、果たして限られた財源の中で本当に可能なんだろうか、あるいはまた、よく言われておりますモラルハザードという問題がございますが、それへの対処はどうするんだろうか。  ここで一言私の意見を申し上げさせていただきますと、人間はだれしも楽して生きたいという気持ちがあるわけなんです、できるならば。働かずに、無理せずに幸せに暮らしていきたい。しかし、そんな人間を最もうまく機能させていくのが、やはり努力した者のみが報われるといった競争原理ではないかと思っております。  そういった点も踏まえて、神野先生の御意見をお伺いさせていただきたいと思います。
  20. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 私も、努力した人間、それが報われる社会というのをつくるということは理想だろうとは思いますが、私は経済には二つあるということを申し上げているんです、市場経済財政。  市場経済の方は、これは競争させても構わない。ただし、市場経済の方は競争させても構わないんですが、必ずしも努力をした人間が報われるというわけではないんですね。一生懸命努力をしていても、ある日突然円高になってしまって途方に暮れている人々もたくさんいるわけです。  私が申し上げたのは、一体何をもって努力をした、市場の方ではある程度生産に貢献したというようなメルクマールはありますが、何をメルクマールにするか。  財政の領域は、これは競争させてはならない、お金もうけをしてはならない。すべての人間努力をした者とみなして社会を統合していく。国民努力しない者、努力した者と分ける、分断をしたら、私は政治システムは終わりだと思います。政治システムというのは、あくまでも国民を統合することだというふうに考えています。  したがって、政治は、もしも努力していない人がいたらば、なぜ努力できないのか、先ほど小野先生もおっしゃっていましたけれども、努力をする機会がないんじゃないか、あるいは努力をする仕方がわからないんじゃないか、空回りしているんじゃないか、それを考えるのが財政であり政治だというふうに考えています。
  21. 内藤正光

    ○内藤正光君 ありがとうございます。  あと、神野先生、最後の方で年金について触れられたと思います。年金は賦課方式にすべきだというふうにおっしゃいました。  私、考えるのでありますが、年金というのは御存じのように三階建てから成る。私は、基礎年金と言われる一階部分というのは、二階あるいは三階と決定的に哲学が違うものなんだろうと。やはり、一階の基礎年金部分は社会保障的な意味合いのあるものである。それと比べると二階、三階はちょっと違うんじゃないか。  私は、ナショナルミニマムという観点から考えますと、国はこれから一階建ての部分を本当にこれで大丈夫なんだろうかということでしっかり見直し、再構築をしていく、そういう努力は払うべきだろうと思います。しかし、私は、二階建て以上は、本当にこれだけいろいろな金融サービスがある中で、今もなお国が面倒を見るべきものなんだろうか、そういうような疑問がわいてくるわけなんです。  私、現在三十五歳なんですが、同じ世代の皆さんといろいろ話をしていますと、将来の不安ということで彼らが真っ先に挙げるのは年金への不安、本当におれたち、私たちは将来年金をもらえるんだろうか、こんなような話題が持ち上がるわけなんですが、先生のお考えをもう一度お伺いいたしたいと思います。
  22. 神野直彦

    公述人神野直彦君) お答えいたします。  私の意見は、これはどこにもないといいますか、私ども初めて提案しておりますので、少し詳しく説明させていただきたいと思います。  先ほど申しましたように、政府というのは三つ政府から成り立っているんです、中央政府地方政府社会保障基金。ところが、日本では社会保障基金政府を選挙で投票したりしませんので、フランスやドイツのように選挙で投票するようなことがあればある程度独立した政府だなと思うんですが、別に独立した政府だなというふうに思っていないわけです。  私が考えている年金制度というのは、すべてを所得比例にしてしまう、本人が支払った社会保障負担に結びつけて全部比例にしてしまう、基礎年金もすべてなくしてしまうということです。そして、それは社会保障基金という政府、これが全部所得比例にする。ただし、おっしゃったように、ミニマムペンション、最低限度のペンション、年金が必要ですから、所得ゼロ、つまり何にも払っていなかった人でももらえる最低限度のペンションを保障する。そして、そこのところを横にずらします。線を引きます。そうすると、本来これは所得比例で少し斜めにしたいんですが、ここの三角形の部分が出てきます。この三角形の部分に国が取った税金をつぎ込む。  これをきちっとしないと、私たちの年金がなぜ今高いのか低いのか、給付が多過ぎるのか低過ぎるのかわかっていないかというと、国民自分の納めた保険料がどうやってどこにどういうふうに行っているのかわからないんです。私の方式でいけば、自分たちの払った保険料というのはきちっと比例的にもらえる年金になりますから、そうすると自分たちの年金はここまでだとわかるわけです。あとは国がちゃんと税金でここの部分を保障するんだという分業関係を明確にした年金を構想すべきだと。  すぐに反論が出てくるのは、そんなことを言っても今の年金から直ちにそこに移れるか、こういう話になるわけですが、私どもは今の年金から新しい年金に四十年かけよう、四十分の一ずつずらしてやっていこうという提案をある雑誌に具体的にしておりますので、ちょっと今詳しく御説明している時間がございませんので、できればお読みいただければというふうに思います。
  23. 内藤正光

    ○内藤正光君 ありがとうございます。  では、次に国及び地方財政再建の進め方についてお伺いをさせていただきたいと思います。  神野先生は、昨年十月の日経新聞でこのように述べられております、地方財政の危機は日本に固有の現象であると。先ほどもこの表を使って説明をしていただきました。これを見ると、なるほど日本は、政府消費支出は世界に比べて低い、一方で資本支出は大きい、あるいはまた個人所得税は低い、そういったいろいろな例を挙げていただきましたが、これも含めて、日本に固有とおっしゃっているのは具体的には何を指されているのか、お答えいただけますでしょうか。
  24. 神野直彦

    公述人神野直彦君) いつの時期でとるかちょっと別でございますけれども、世界各国が財政危機に苦しみ、最近ではマーストリヒト条約その他がございましたのでヨーロッパはかなり改善しております。そういう中で、財政危機で苦しいときでもヨーロッパ諸国では地方財政というのは赤字にしていないんです。これはなぜかといいますと、財政の赤字というのは、御案内のとおりに債権とあとは通常、通貨の増発をいっております。ところが、通貨の増発で赤字ができるのは国だけです。つまり、通貨の発行権限を持っているのは国だけで、したがって通貨の発行権限を持たない地方政府というのは、余り赤字にしたり黒字にしたりして景気調整をやるべきじゃないんですね。通貨の発行権限を持っている国であれば、いざとなれば手段はあるわけですから、そういう国だけが景気対策を行うべきだというふうに考えておりますので、地方財政は赤字にすべきではないと思います。  それから、世界的に見ても、GDP比でほかの国と比べてみますと、日本だけが突出した赤字なんです。なぜ突出した赤字なのかというと、日本は、国が命じたと申しますか、国が企画した仕事をやらされていて、それでさまざまな何かやるための裏のものがあるものですから、結局日本の場合には地方が赤字になってしまうわけですね。言いかえれば、地方分権余り進んでおりませんので、国が本社だとして、そして地方が下請関連メーカーだとすると、赤字を下請関連メーカーに飛ばされちゃっているというような意味合いが非常に強いというふうに考えております。  したがって、先ほど申しましたように、国から地方に財源をきちっと移譲してやって、仕事に応じた税源をきちっと保障して、みずからの判断で仕事をやらせるというシステム地方財政を再建する上で必要なことだというふうに考えています。
  25. 内藤正光

    ○内藤正光君 ありがとうございます。  その先生のお答えとも関連するんですが、同じく日経新聞の中で、地方財政の基本的任務とはということで述べられております。  本来ならば、生活レベルでの社会的安全ネットを地域の実情に合わせて張ることが本来の地方財政の任務なんだと。ところが実際は、景気対策など国がやるべきことまで背負わされていると。  ここではっきりしておかなければならないと思うんですが、先生が考える国そして地方財政の本来果たすべき役割、それぞれ教えていただけますでしょうか。
  26. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 先ほども申しましたが、私は三つ政府を考えておりまして、社会保障基金、それから地方政府、それから国と、この三つ政府があるわけですね。  それぞれ社会保障基金地方政府というのは、社会保障基金は、いわば生産点と申しますか、生産の領域において労働者、経営者が協力し合ってつくっている、お互いの共済活動を基盤にしている。  それからもう一つ地方の方はこれは生活の場において人々が共同し合っているわけですね。地方の仕事というのは、先ほども言いましたが、生活を確保するような公共サービス、医療、教育、それから福祉、そして環境などの生活関係するようなところを、いわばそのコミュニティーが本来ならば、本来きちっと機能していればコミュニティーの構成員の共同作業や相互扶助でやらなければならない仕事、これを行うこと。  生産点の方の社会保障基金も同じことですね。働けなくなったり、病気になったり、年をとって働けなくなったりしたときにお互いに助け合うためにやっている基金。しかし、それぞれミニマムが確保されなくちゃいけませんので、先ほど来出ているようなナショナルミニマムは中央政府が責任を持ってきちっと保障してあげるというシステムが理想だというふうに考えています。
  27. 内藤正光

    ○内藤正光君 時間ですのでこれで終わらせていただきますが、先生の貴重な御意見、ぜひ反映させていただきたく頑張っていきます。  ありがとうございました。
  28. 浜田卓二郎

    浜田卓二郎君 公明党会派を代表しまして質問をさせていただきます。  神野先生、二点お伺いをしたいんですけれども、この表を提出されて御説明ございました。大変興味のある表なんですが、九八年度でGDP比債務残高が九九・九。この段階ですとまだイタリアの一一九・四よりも小さいですね。ところが、これが九九年度になりますと、どうやらイタリアを抜くという状況になるようでございます。  先般も予算委員会で質問をさせていただいたんですが、この後公債の累積が毎年三十兆円ずつ確実に続いていくと、これは経済が軌道に戻って名目成長率が三、四%になっても、不思議なことに収支差額は逆に開いていくんですね、これは金利が高くなりますから。そうなりますと、公債費用と言われているいわゆる元利払い、それから返済費用、これが逆に増大していくという計算になりまして、自然増で公債の必要額が減っていくかというと逆に拡大をするという、それほど私に言わせれば異常なる公債累積を既に日本の国家というのは実現をしてしまったということだろうと思うんです。  この中で、先生はその理由として、経常収入GDP比三一・一%で諸外国よりも小さいという点を特徴として指摘されておられます。確かにそういうことでございまして、総支出に対して経常収入が小さい。これは、そうしますと、先生の言わんとされるところは、ここで経常収入のウエートを高めていけばこの異常なる収支差額といいますか、結果として出てくる公債の累積、国債の累積というのはそう心配する必要はないという結論になるのか、それはどうなのかということをこの第一表から思います。  それから第二表で見ますと、消費支出、というよりも資本支出が異常に高いということなんですね。今、公共事業の功罪をいろいろ論じられているわけで、私も公共事業の必要性というのは決して否定しないのですけれども、この歳出構造、歳入構造からいうと異常なことになっているわけでありまして、資本支出は実は国において全額国債によって賄われているわけであります。  先般、大蔵大臣に、いつ税金を使った公共事業ができるんですかという御質問を申し上げたら、その展望はありませんというような率直なお答えでございました。ですから、そういう公共事業の功罪以前の問題として、そういうことに日本は既になってしまっている。  そして、この右側を見ますと、個人所得税の比率が非常に低い。これはこの委員会でも繰り返し問題になっておりまして、課税最低限が世界の中で著しく低いということも一つこの裏にあるわけでございます。おっしゃいませんでしたけれども、法人所得が極めて比率が高くなっているわけでございます。それから財産税も高くなっていますね。  こういう歳出歳入の構造を御説明になった後に、今回の減税案、それからさらに言えば予算案というのは消費に刺激を与えることにはなりにくいという結論をおっしゃっておられました。  そこで、これだけ質問の前提を申し上げたわけですけれども、一つは我が国の国債累積の姿、さらには今指摘いたしました税の構造の姿、これから先生はどういうことをおっしゃりたいのか、それからどうしたら個人消費を刺激するような減税になるとお考えなのか、その点についてお話を承りたいと思います。
  29. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 私の言葉足らずだったかもしれませんが、一表、二表を通じて申し上げたかったことは、日本政府が小さいにもかかわらず既に大きな債務を抱えている。この中で、またその経常収入を減らすようなことをして景気を回復しようとするということが本当にいいことなのかどうかということなんです。  それで、かつ今国民が非常に不安を覚えているのは、どうも資本支出と申しますか、公共事業をやってみても余り景気回復はしないようだ、しかし他方で国債の債務ばかりふえている。これが言い知れぬ不安を国民の中に与えているんではないかというふうに思って、そういう説明の資料として使わせていただいております。  したがって、結論として言えば、安易に減税をするのではなくて、むしろ組みかえて、もしどうしても税制をいじりたいというのであれば、少なくともまず消費がふえるような税の組みかえということをやるべきじゃないか。そして、先生がおっしゃる意味をちょっと取り違えているかもしれませんが、どうしても減税すべきだというのであれば、消費にかかっているような税金を減税すべきだとは思いますが、今減税をすべきときではないのではないかというのが基本的な私の考え方でございます。
  30. 浜田卓二郎

    浜田卓二郎君 その点はそれだけにいたします。  もう一つは、地方分権を大変大事なこととおっしゃっておられました。私もそう思います。しかし問題は、今の地方自治体が、例えば社会福祉というのはこれは事業です。この社会福祉事業を経営する適正な経営体としての規模になっているのかどうかという点が一つ問題があると思います。  それからもう一つは、自主財源の話をされますけれども、課税権というのは現在でも地方自治体にあるわけですけれども、現状では地方自治体は課税権はほとんど行使し得ない、というよりも能力がないわけでございます。  私は、地方分権の大前提として、この地方自治体の構造の問題に入らなければ架空の議論に終わってしまうような気がしてならないんですけれども、その点について御意見を承りたいと思います。
  31. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 私は、地方自治体に十分な受け皿はあると思います。  規模その他を見てみましても、今フランスが三万五千ぐらいでしょうか、地方自治体の数が。それから、ドイツが一万五千か八千で、アメリカもその程度です。そして、スウェーデンが二百八十ぐらいでございますが、これ人口割りいたしますと日本とぴったり同じです。ただ、スウェーデンの二百七十八と日本と同じなんですが、スウェーデンは最低の人口が多分三千かそのぐらいいっていたと思うんです。最高の人口がストックホルムで七十万とかそのぐらいのはずなんです。ところが、日本は人口の格差が激し過ぎるということだろうと思うんです。  どちらが先かというのがちょっとわかりませんけれども、私は、まず各地方公共団体に、先生がおっしゃったように、課税自主権を与えてやらせてみる。そうすると、今度は住民を説得しなければいけないわけです、こういう公共サービスを提供しなければいけないと。こういう公共サービスをするのにはどうしたらいいかと考えたときに、隣の町と協力してやっていかなければだめだというふうに思えば、住民を説得して必ず隣の町と協力してこれはサービスを供給せざるを得ないんだという形で話が始まっていくと思うんです。  今のような、国と地方の間が上下主従の関係になっていると変な競争ばかり始まって、隣町が何とかの美術館をつくったら、うちの方もやらなくちゃいかぬという形で変な競争が始まる。つまり、私はそういう競争というのは従属しているからだというふうに考えているんです。  むしろ、そこを従属しないで対等な立場に、国と地方が対等な立場になれば、当然地方は、ヨーロッパで行われているように、隣町が美術館をつくったとすれば、うちの町は、じゃ音楽ホールをつくろうかと。そうすれば住民を説得できるわけです。そして、音楽ホールをつくり、お互いに近くなんだから利用し合えばいいじゃないかという協力関係が働き、そして最終的に、これだけ協力関係が進んだんだから合併した方がいいのではないかと。これで適正な規模が徐々に徐々にできていくというふうに考えています。
  32. 浜田卓二郎

    浜田卓二郎君 ありがとうございました。  時間ですので、これで終わります。
  33. 須藤美也子

    須藤美也子君 神野先生、小野先生、きょうは本当に御苦労さまでございます。日本共産党の須藤美也子でございます。よろしくお願いいたします。  今回、政府景気対策として減税案を出しております。その点について神野先生が先ほどるるおっしゃいました。それで、三点についてさらに詳しくお聞きをしたい、こういうふうに思います。  一つは、法人税減税についてであります。先生は「システム改革の政治経済学」の中でいろいろ法人税の問題について書いておられますけれども、政府は、日本は欧米先進国に比べて法人税は高い、こうおっしゃっております。しかし、実効税率や企業の社会保険料負担とのかかわり合いで見た場合、アメリカやイギリスなどでどうなのか、それと比べて高いのかどうなのか、その辺を少し詳しくお話ししていただきたい。これが一つであります。  二つ目は、先ほど、構造不況のもとで減税公共事業の繰り返しではだめなんだ、そういう点で消費を拡充する抜本的制度改革が必要だ、このようにおっしゃいました。一つ地方分権社会保障の拡充、こうおっしゃいましたが、深刻な不況のもとで、当面消費減税景気対策にとって大変効果があるのではないか、私どもはこういうふうに考えております。そういう点でどのようにお考えになっているのか。  それから三点目は、九九年の地方財政の財源不足が十三兆円、こういうふうに言われています。こうした地方財政危機の原因は公共事業の肥大化が原因になっていると思います。これは、公共事業についても先ほど触れられたわけでございますが、そうであれば、今の公共事業の中身、見直しについてどのように考えておられるのか。  この三点について、私は九分間の持ち時間でありますので、よろしくお願いいたします。
  34. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 私の書物を読んでいただいたようで、どうもありがとうございます。  ただ、あのときの問題意識は、国際競争力という観点から行った試算でございまして、きょうお手元の資料を見ていただいてもわかりますが、法人税負担とそれから社会保険料負担を合わせて見ていただきますと、ヨーロッパ諸国は割と社会保険料の負担が高いということがおわかりいただけるだろうと思います。それを合わせてみると、必ずしも法人の負担は高くないという議論を私はしたことがございます。ただ、これは国際比較の場合に非常に難しくて、何を前提にしてやるのかということによってかなり変わってまいります。私の場合には、日本に外国の税法を試行したらどういうことになるのかということで出しておりますので、何といいましょうか、ある仮想上の計算で出したということでございますので、そう御理解いただければと思います。  ただ、現在法人税減税してこれに景気回復効果があるか。今の減税というのはそういう問題ですから、そこでいうと私は甚だ疑問で、むしろ私は、赤字に苦しんでいる大きな企業が出てきているわけですから、それに対してどういうサポートをしてあげるのかということの方が景気効果はあるのではないかというふうに考えています。つまり、利益の上がった企業ではなくて、落ち込んでいく企業をサポートする政策の方が重要ではないかというふうに思います。  それから、消費をいわば刺激するために消費税を減税したらどうかというお話でございますが、これは、例えばこの間、消費税の増税といいますか税率が上がった際に駆け込み需要なんかがありましたから、ああいうことを見るとかなりの効果があるということは言えなくもないと思いますが、私はこれはしかしカンフル剤だと思うんです。  だから、短期的には、先ほどから繰り返し申し上げておりますように、減税というのはこれは解熱剤であって、今必要なのは、解熱剤を打つことよりも、もう抜本的に社会なり経済なりの構造を変えていくということが重要だと。したがって、安易に減税をすべき時期ではないのではないかというのが私の考え方でございます。  三番目ですが、公共事業が肥大化しているというお話で、ここをどうにかしなければならないのではないかというふうにお話しでございますが、これも先ほど日出先生からのお話もありましたように、二十一世紀に向かって必要な公共事業というのはあるんです。そこにも回していただく、不必要な公共事業から必要な公共事業に回していただくということだろうと思うんです。  これは大体どなたが考えても一致していることでして、一つは、私の考えでは生活機能、つまり生活機能をサポートするような社会資本が一つです。これは先ほどから繰り返し申し上げているとおりであります。  それと同時に、これも次の社会がどういう産業が起きてくるかはわかりませんが、次の日本経済を引っ張っていくようなリーディングインダストリーをつくり出し得るような、そういう公共施設が必要になるわけで、それは、情報インフラとかなんとか世の中で言われているような、そういうインフラにシフトさせていくということが必要なのではないかというふうに思います。
  35. 須藤美也子

    須藤美也子君 確かに、法人税の問題について見れば、それを減税しても効果は上がらないと。おっしゃるとおりだと思うんですね。しかし、消費税についてはカンフル剤だと。でも、大多数の国民消費税が減税になれば恩恵を受けるわけです。カンフル剤とおっしゃいましたけれども、そういう点では、当面の景気対策としては私はやっぱり必要なのではないかなというふうに思います。  そこで、今回の所得減税について小野先生にちょっとお伺いしますけれども、これは所得減税が非常に高額所得者の減税ということで、大多数の働く人たち、八百万未満の所得、そういう人たちにとっては逆に増税になると。その点について、今回の所得税減税について小野先生の立場からどのようにお考えでしょうか。
  36. 小野善康

    公述人小野善康君) 減税の話というのは二つ意味がありまして、全体として減税をやるべきかどうかという意味でいうと、私は全く神野さんと意見を同じくしていまして、今減税をやっても全然意味がないんじゃないかと。結局、減税をやるというのはお金をどこかから持ってきて返すだけなので、トータルで言えば、例えば先ほどの消費減税についても、その効果はあるけれども、その財源はやっぱりどこかから持ってこなければいけないという意味でいうと、余り意味がないんじゃないかということがまず一つあります。  しかし、税金のもう一つの要素は再分配という意味がありまして、これは、マクロとして国全体に幾ら金を回せばいいかという話以外に、だれにお金を配るのがいいのかという問題があると。その点につきましては、今の御発言はある程度私は賛成でありまして、つまり、今の時期、お金持ちに減税をしたときに、じゃその分だけ支出をふやすかというと、お金持ちが使わな過ぎるから今は景気が悪いんだということで、お金のない貧しい人たち消費性向は高いわけですから、かなり使うんだと。そういう意味でいうと、需要を生み出すためには貧しい人たちの方に回すのが今の時期は絶対に必要じゃないか、私はそう思います。
  37. 須藤美也子

    須藤美也子君 大変貴重な意見をありがとうございました。時間ですので終わらせていただきます。
  38. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 社会民主党・護憲連合の日下部でございます。  きょうは両先生、お忙しいところ、どうもありがとうございました。時間がわずか七分しかございませんので、質問をまとめて先にさせていただきます。そしてお答えは、わずかでございますが、残ったお時間でよろしくお願いを申し上げます。  まず第一に、小野先生にお伺いをいたします。  今いわゆる行政改革ということが言われております。確かに、不要な部門というものを削減するとか整理統合するというのは必要だと思いますけれども、例えば福祉あるいはまた各種サービス分野というもので国民が必要としているもの、あるいは将来確実に必要となる分野というのは拡充していくということだって必要だと思います。  そういう観点で、先生は、不況期にリストラをすれば経済全体にとって最も効率の悪い失業が待っていると。今必要なのは、政府民間では吸収し得ない余剰労働力を積極的に使って意味のある公共財を供給することであるというふうにおっしゃっています。先生のお考えになる小さな政府論について、お考えを承りたいと思います。  それから二番目、小野先生でございますが、国債、これは国の中期見通しによりますと毎年三十兆円の赤字国債を発行しなければならないというふうに出ております。  ところが、先生は、赤字国債の増発というのは必ずしも将来世代へツケを回すことになるということではないんじゃないかと。赤字国債発行はやむを得ないという点もあるのではないかという論をお書きになっていらっしゃるのを拝見しております。この点につきまして、もう少し先生のお考えを聞かせていただければと思います。  それに加えまして、国債の長期金利の急上昇、これに対しまして、日銀は国債の直接引き受けを拒否いたしました。これは、日銀法の三十四条あるいは財政法の五条でも禁止されておりますけれども、依然としてこの案は浮上していることでございます。その点につきましてもあわせて先生の御意見を承りたいと思います。  それから、神野先生に承りたい問題がございます。  これは、地方財政の赤字というのは大変なことだというふうに言われております。しかしながら、地方の財源といたしましては、補助金あるいは交付税、これは非常に大きな財源でございます。ところが補助金というのも、これはたとえ地方分権、中央省庁の権限が自治体に移菅したとしましても、補助金というものが個別の事務事業ごとに設けられておりますね。そういうことで、やはり中央からコントロールされるということになってしまいます。この点も含めまして、補助金の改革ということをどのようにお考えでいらっしゃるかということでございます。  それから交付税の問題、これもやはり大変大きな問題がございます。この交付税の問題、それも含めまして、本当にあるべき地方分権ということのためには、どうしても北欧にある社会サービス法というような、地域に財源を根差した、それから福祉がきちっと配分されるという、そういう新しい法律も私は必要ではないかというふうにも思うわけでございます。それらの点を含めまして、セントラルガバメント、ローカルガバメント、どうあるべきかということをお話しいただければと存じます。  大変大きな問題をわずかの時間で申しわけございませんが、よろしくお願いいたします。
  39. 小野善康

    公述人小野善康君) 本当に大きな問題で、みんな重要な問題なんですが、なるべく早く簡潔に申し上げたいと思います。  まず第一番目の行革の話ですが、これはおっしゃるとおりであります。私は、行革をやるならば、小さくするというただそれが目的じゃなくて、一番重要なのは、評価システムがなさ過ぎる、公共事業に対して。これは、いわゆる旧来のものに限らず、介護システムでももっと、そういうのを含めて政府サービスの評価システムがなさ過ぎるので、そういうのをつくるのが本当のあれじゃないかと。  それからもう一つは、福祉公共サービスとおっしゃって、それが特にいいかどうかというのはもちろん異論はあるでしょうが、ともかくそういうのをやるにしても、今はそこを小さくするのはほとんど意味ないわけで、重要な点は、そういうサービスをやって、景気がよくなったら必ず引っ込むんだということを今からはっきり明言した上で積極的にそういうふうにやっていただきたい。そこが重要な点です。  それから、二番目の国債のツケの点ですが、これは二つのポイントがあるんですが、特に将来世代という軸で、そういう負担にならないということで申し上げますと、結局、国債を発行してその分のツケを今の人が払わないということは、今の人はいっぱいお金を持つ、将来の人はその分ツケが来るから小さくなるという、そういう世代間の所得分配が起こるんだと、こういう点で多分議論されていると思うんです。  これは、本当にツケになるためには条件が要る。どういうことかというと、今の人がいっぱいお金を持っていてかつ税金を払わないで、しかも完全雇用である、現在。その人たちは持っているものを全部食べてしまう。こういうことが起こったとします。そうすると、将来に残る投資分がなくなっちゃうわけです。これはいわゆるクラウドアウトという言葉なんですが、そうすると、将来に資本が残らないので将来世代にツケが来る。これは非常にわかりやすい話でありまして、いわゆるオーバーラッピング・ジェネレーションズ・モデルとかいうんですが、そういう発想で皆さんやっている。  ところが、失業があったらどうかというと、そもそも人が余っているわけですね。人が余っていて、今の人が使わないからいけないわけで、それを、今の人に購買力を与えてもその人たちがなかなか使わない、しかし一生懸命使ってくれたら何が起こるかというと、将来に残る投資が減るんじゃなくて失業が減るんです。  だから、そもそも人が余っている状況で、将来の投資の分なんかを食い込むような心配がないときに、将来食い込むから今はなるべく食べない方がいいというような話で将来世代の議論がされている。そういう意味では、前提が全く間違っているというふうに思うわけで、今はツケにならないのじゃないかということを言いたいわけです。  最後に、長期金利の話をされていまして、これはつい先週、日経の「やさしい経済学」というシリーズで書かせていただいて、その中でその問題を取り上げたんです。長期金利が上がっている、こう言っているんですが、これはなぜ上がっているかというと、国債を発行して、じゃ国が返せるか、いわば危険が上がったから長期金利が上がっているんだと、こういう話なんです。ところが、これは国債の金利が上がっているだけだということでありまして、ほかのものに比べて国債が不利になったから上がったんであって、投資とは関係ない話だと。  もうちょっと本当は言わなきゃいかぬのですが、こんなような短期的なことで本質的な、国債引き受けとか、そういうような制度までいじってしまうのはとんでもないことだというふうに私は理解しております。
  40. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 補助金と交付税の問題にのみお答えさせていただきますが、なぜ国が補助金や交付税を出すかというと、それぞれ地域間格差が財政力にあるからですね。ところが、財政力、地方税を調達する能力がゼロのところからずっと豊かなところまであるといたしますと、補助金というのはこれをそのまま上にスライドさせるだけなんですね。豊かなところでもちゃんと出てくる。これをなぜ出すかというと、それぞれ国が何かくちばしを入れてコントロールしたいということを理屈にしております。  これに対して、交付税というのはゼロのところでも必要な行政水準、これを国民が考え、ミニマムを保障する、横にずらして、このミニマムの保障部分を交付税で出そう、こういうことでございますので、スウェーデンの言葉を使えばいわばロビンフット税なんですね。  この二つの性格が違いますので、今、議員がお話しになりましたように、補助金をカットしなければ分権は進まない、それはおっしゃるとおりだと思いますが、交付税とは性格が違って、地域間格差がございますので、交付税はあくまでもミニマムを守るという意味で必要だというふうに考えています。
  41. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 どうもありがとうございました。
  42. 入澤肇

    ○入澤肇君 私は、四分ですので、極めて基本的な問題について一問だけ御質問申し上げます。  神野先生も小野先生も構造改革の必要性ということを言っておられました。ただ、構造改革と一口で言いましても中身がなかなかこれは難しい。例えば金融の分野、個々の産業の分野、福祉の分野、農業の分野、それぞれ中身が違ってくると思うんです。  そこで、緊急性のあるものについて構造改革を進める分野は何か、それからそのときの軸足、構造改革を進めるときの物差しは一体何か、それから三つ目はどのようなステップで構造改革を進めていくのかにつきまして、お二人からそれぞれ御答弁願いたいと思います。
  43. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 私は、先ほど来ちょっと申し上げましたけれども、今の構造改革目的というのは、この深刻な不況を脱出するためであり、同時にこの深刻な不況というのが新しい次の時代を迎えるための移行期における不幸な産まれ出る苦しみだというふうに考えておりますので、この構造的な改革というのは二つある。それは、基本的な制度改革で、メゾレベルで政府改革するための地方分権社会保障改革、先ほど御説明しましたこの二点にある。この二点に絞って構造改革を進めるべきだというのが私の考えでございます。
  44. 小野善康

    公述人小野善康君) これはもう大変な問題なので非常にあれなんですが、一つだけ、重要だという点だけを申し上げます。  それは、要するに今まで生産力中心という感じがあった、政策にしてもそれから民間の活動でもそうだった。そうじゃなくて、生活中心にすべきだ。生活中心あるいは需要中心というか、直接我々の生活にかかわるものが中心になるように改革すべきだ。これがポイントだと思います。
  45. 入澤肇

    ○入澤肇君 それが三つのうちの一つ目でして、二つ目は軸足ですね、それぞれについてどのような物差しで進めていくのか。三つ目が、どのようなステップを踏んで今緊急にやるべきかということにつきまして。
  46. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 軸足というのは、重点の置き方というふうに理解させていただくと、私は分権社会保障改革も同時、ただどちらかというと分権に軸足を置くべきだというふうに考えます。  なぜなら、日本で今必要なのは、サービス給付できちっと人々生活を守ってあげることだというふうに考えておりますし、繰り返すようですけれども、そこから雇用受け皿が出てきて、そして新たな産業も創出できる可能性はある、秘めているという理由からでございます。  それから、もう一つはステップでございますが、これは既に地方分権推進計画が進められております。これに加えて、政府の方で何らかの、先ほど言いました抜本的な税制改革なりなんなりを進めて分権を進めていただくというステップになろうかというふうに考えています。
  47. 小野善康

    公述人小野善康君) 大変な問題でありますし、非常に短い時間ですが、ポイントについて。  私は、公共事業の内容についてちゃんとしっかり吟味しなきゃいけないというのが軸だと思います、軸足というのは。ちゃんと御趣旨と合っているかどうかわかりませんが、それが評価システムであり、何が必要であるかということだと。  ステップというふうになるかどうかはわかりませんが、私は、一般の人たちが何を欲しているかというのをちゃんと吸い上げるというのがまず第一歩で、それを実際に実行していくというふうにしていくんじゃないか。今は吸い上げるよりもお上がつくってやってやるという発想の方がずっと強いんじゃないか。そこの発想の転換をぜひお願いしたい。特にこれから、今の日本に大きな変化があるとすれば、それは要するに生産能力は十分あるんだけれども何が欲しいかわからなくなっているところが問題なわけですから、それに対処するようにやるべきであると思います。
  48. 入澤肇

    ○入澤肇君 ありがとうございました。
  49. 菅川健二

    ○菅川健二君 参議院の会の菅川でございます。六分でございますので。  まず、神野公述人にお聞きいたしたいと思います。  神野公述人は、現下の経済状況において、構造改革は重要であり、その中でも特に地方分権の推進が重要であるということを述べられたわけでございますが、私も全く同感でございます。  その中に、先ほど日下部委員が若干触れられましたけれども、税源の移譲というものについては同感でございますが、国庫補助金について、やはり現在のひもつきの国庫補助金というのは、いろいろ資源配分にゆがみをもたらして、またむだを生む原因になっているんではないかと思うわけでございます。特に公共事業につきましては、住民の身近なところで決めていくということからしますと、補助金を個別に各省が事業ごとに配るというよりも、包括的な交付金でもって地方団体に交付することによって、地方団体がそれを自由に優先順位に応じて交付決定していくというふうにそのシステムを変換する必要があるんじゃないかと思うわけでございますが、この公共事業システム、あり方についてもう少し詳しく説明をお願いいたしたいと思います。
  50. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 確かに、今お話しのように、個別補助金が日本は多過ぎまして、数え方によりますが、二千二百とか二千三百あるわけです。この間、フランスに説明しに行きましたら、フランスでは信じてもらえない。フランスでは個別補助金が四つしかありませんので、信じてもらえなかったわけです。  したがって、今おっしゃったように、包括的な補助金、フランスでやっているように公共事業補助金というふうに一括してしまうというのも一つの考え方だと思います。ただ、この考え方は、いつも交付税のような一般補助金にかなわないんですね。なぜ包括的な補助金にするのかというのは、ちょうど中途半端になるんです。  しかし、今おっしゃったように、個別補助金をかなり細かくして出すよりも包括的補助金の方がいいのではないかということであれば、私も全く賛成でございます。
  51. 菅川健二

    ○菅川健二君 いずれにしましても、地方分権がさらに進んでくるということになりますと、むしろ補助金は要らなくなるということになろうかと思いますが、そのワンステップにおきましても、やはり包括化していくことが大変重要ではないかと思うわけでございます。  次に、小野公述人にお聞きいたしたいわけでございますが、先ほど構造改革につきましては内向きと外向きがあると。特に、最近失業がふえておる状況においては、内向きというよりも外向きが重要である、新しい産業を起こしていくということが重要であるということを御指摘なさったわけでございますが、それはそれなりの一つの論だと思うわけでございます。  とりわけ私は、現在公共部門の肥大化、とりわけ中央政府におきます定数の問題、人員の問題、財投の問題等々やはり非効率な面がございますし、これから規制緩和する、地方分権を進めていくという観点からしますと、公的部門の肥大化につきましては、それなりのスリム化を図ってむしろ民間の事業をそれによって吸収していくという方策が必要ではないかと思うわけでございますが、その点いかがでございましょうか。
  52. 小野善康

    公述人小野善康君) 民間がせっかく活動しているような場所があったとしたら、そこへ政府が入り込んできて肥大化してその活動を阻害してしまう、あるいは参入をとめてしまう、こういうようなことがあってはならないわけであります。  それは、例えば郵政の事業で、郵政というよりもパーセル、小包の事業ですか、それでいわゆる宅急便とか、そういう自由化があって、二つ入ってきました。それから、電電もそうですね。いわゆる電電公社から民営化して、それでさらに自由化することによっていろいろな産業が入ってきて、これが実はこの不況下において何とか景気を支えている非常に大きな、重要なものになっている。そういう意味で、公共部門の肥大化とそれから民業への圧迫というのはもうこれはとんでもない話なんです。これは確かであります。  ですが、公共部門の肥大化と言われるときに、そういう民間を圧迫しているから抑えなければいけないという発想が少し希薄で、ただ小さくすればいいという発想が非常に多い。ついこの間の構造改革もそうであった。そのとき、よく考えてみると、民間ももちろんやっていないし、それからだれもやっていないようなところで、政府だけがやっているのにそれを縮めたらどうなるかというと、これは非効率部門をなくすと同時に、もっと非効率な失業部門をふやすということになるわけです。だから、そこのところを、失業部門を忘れないでやっていただきたい。  つまり、ポイントは、民間を圧迫するようなことはとんでもないのでこれはもう論外でありますが、そうでないところで失業者がいるんだから、ちゃんと使うということを考えなきゃいけない、こういうふうにしていただきたいと思います。
  53. 菅川健二

    ○菅川健二君 ありがとうございました。
  54. 佐藤道夫

    佐藤道夫君 両公述人に、極めて財政上の基本的なことをお伺いしたいと思います。  神野公述人は、小さな政府それから巨大な赤字と。私、全く同感でございます。御案内のとおりと思いますけれども、今現在発行済みの赤字国債は四百兆ぐらい。地方がまた二百兆ぐらいのあれを抱えておる。合わせると六百兆ぐらい。その他何やかやで国の負担している長期債務というのはもう千兆にも達するだろう、こう言われておりまして、これがどれほど巨大か、もう余り大き過ぎてだれも気にしなくなっているような気もいたすわけであります。しかし、やっぱり問題とせざるを得ない。  実は、先国会でしょうか、国鉄の長期債務の処理の問題が大変議論、国鉄の債務ですね、そして政府を挙げてあるいは永田町を挙げての大問題になりまして、国民が負担する、いやJRに負担させよう、いろんな議論がありまして、このときの旧国鉄の赤字というのは、たかだかと言っては申しわけありませんけれども、たかだか二十八兆円なんですね。これであれだけの大騒ぎになった。これ、四百兆をどうしようかとか、千兆と言ったらもうみんなひっくり返ってしまうんじゃないか。ですからだれも議論しなくなっているんだろうかな、こういう気もするわけであります。  そのころ国会で宮澤大蔵大臣にこの点をお尋ねしましたら、彼は正面からは決して答えない。返済のシミュレーションぐらいは示すべきじゃないか、三十年先にはどうなるのか、こういう条件があれば五十年先には大体ゼロになっていましょうとか、そういうシミュレーションぐらいは示してほしいと言いましたけれども、決して正面からは答えない。いや、大変でありまする、私は後世にツケを残した大蔵大臣として歴史に名が残るでしょうと、何かさも自慢げに言っておられる。おかしなことであります。しかしいずれにしろ、彼が言うには景気が回復して税収がふえたらこんなものはもう怖いものじゃありません、すぐに完済できますよ、こういうことを言っておりました。  率直に言って、これは大変無責任な話なんですね。彼は大蔵大臣を何回もやりましたし、それから総理大臣もやっておりまして、そのころからこの問題を聞かれますとそういう答えをしておって、そのうち景気が回復して税収がふえればチャラにできますから、そう言って、バブルの絶頂期にも税収がふえましたけれども、国債の償還には一銭も回さなかった。ただ発行をゼロにしたというだけであります。  それで、余った金で何をしたかというと、公共事業をやって、そのツケが今回ってきている。こう考えてもいいわけで、いずれにしろこれはどうしても返済していかなきゃならないことだろうと思います。小野公述人のようにツケを回すわけではないといいましても、しかしだれかが払わなきゃならないわけですから、それを今払うか後世で払うか、それだけのことなので、余り大きい問題ではないと思います。  この問題につきましてある経済評論家に聞きましたら、彼は一段と声を低めまして、インフレ待望論が政府にあるんだ、貨幣価値を一気にもう百分の一ぐらいにしてしまえば千兆なんという債務は何でもないんだ、今回のあの赤字国債の日銀買い入れの問題、これも実はそういうねらいがあるんですよなんということを言っておりました。恐るべき話だと思います。  この問題につきまして学会でも皆さん方真剣に議論されておると思いますので、そういう学会全体の空気も反映して、この四百兆の赤字国債、あるいはまた千兆に近いという長期債務をどうやって返済すべきなのか、政府は何をすべきなのか、その辺をちょっとお考えがあればお教え願いたいと思います。
  55. 神野直彦

    公述人神野直彦君) 多分、先ほど小野先生がおっしゃった、それほど心配がないということの意味でございますが、日本は内国債でございます。国内で債券を発行しておりますので、将来に負担が転嫁するといっても、国民借金をしておりますので、将来に所得再分配が起こるだけだというふうに、ごく単純に考えてしまえばそういう問題になるだろうと思うんです。  ただ問題は、私は高橋財政の研究が本来の仕事でございますので、高橋財政経験から考えてみますと、高橋財政の時期にも同じようなことをやっているわけです。昭和銀行をつくり、不良債権を抱えてどうするかということをやりながらやったわけでございますが、このときに重要なのは将来のこと、先生が先ほどおっしゃったように二十年先、十年先、これはもうだれにもわからない。特に私のような学者には未来の構想力がほとんどないのでわからない。重要な点は、どういう事態になるかわからないので、そのための危険に対する準備をきちんと備えておくことだろうと思います。  高橋財政が赤字公債を発行し日銀引き受けをやって景気が上がってきた、インフレになりそうだ、金利も上がってきたと。そのときに高橋が一番困ったことは何かというと、今のように税金が所得税法人税を中心にしておりませんでしたから、自動的に増税にならないわけですね、当時の税金の中心は消費税ですから。そうすると、どうしても臨時的な増税を国民の合意のもとに説得していかなければならない。そのために昭和十年に臨時利得税をつくり、かつ債券の方を切り下げなくちゃいけませんので、歳出のカットをしなくちゃいけませんので、軍事費なり時局匡救費なりをカットしようとして凶弾に倒れる、こういう歴史があるわけでございます。  したがって、現在私たちがやっておかなくちゃいけないことは、安易に減税するのではなくて、ビルトインスタビライザー機能をきちっとして、法人税とか所得税をちゃんと持っておく、そしていざインフレになりそうになったときに自動的に増税ができるようにする。そうしないと、もうそのたびに国民を説得して増税をするというようなことをしなければいけなくなりますので、そういった装置を準備しておくことだと思います。
  56. 小野善康

    公述人小野善康君) 学会の中でどうかというお話で言いますと、これはもうはっきりしていまして、まともな人の間では全くはっきりしておりまして、神野さんが今おっしゃったように、内国債の場合にはネットのコストはないわけです。これは今は詳しく説明しませんけれども、対外資産のことが重要である。  ただし、いわゆる世代間の問題がありまして、先ほど例に出されたように、バブル期にさんざん公共事業をやったそのツケが今来ている。これはそのとおりであります。それは先ほど御説明したバブル期という景気のいいときにそういうことをやると後世のツケになる。なぜかといえば、みんな忙しいときに政府が出てきてせっかく民間で働いている人たちをとってしまうから、こういう意味で今ツケは確かに来ている。しかし、現在はどうかといえば、現在はそういう状況ではないということを先ほど申し上げました。  しかし、そうは言っても財政の管理というか運営は難しくなる。なぜかといえば、今おっしゃるように大増税をしなければいけないというふうなことがあって、国民の反対が起こるとか、そういう意味でいわば調整のときに問題が起こる。その意味で、私は赤字財政がどんどんふえて赤字国債が幾ら累積しても構わないということを申し上げたいわけでは全然ないわけでありまして、私は現状で最もばかな政策は赤字国債を発行して減税をする、これが最もばかな政策だと思います。
  57. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  午後一時に再開することとし、休憩いたします。    午後零時十三分休憩      ─────・─────    午後一時一分開会
  58. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  休憩前に引き続き、平成十一年度総予算三案につきまして、公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。  本日は、平成十一年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えを願いたいと存じます。  それでは、外交・防衛について、公述人株式会社野村総合研究所主任研究員森本敏君及び南山大学法学部教授小林武君から順次御意見を伺います。  まず、森本公述人にお願いいたします。森本公述人
  59. 森本敏

    公述人(森本敏君) 委員長初め、本予算委員会にお招きをいただきまして、ありがとうございます。  平成十一年度予算審査のための当委員会の公聴会において、来年度予算に係る主要な外交・防衛問題につき一言所見を申し述べたいと思います。  御案内のとおり、我が国が位置する東アジアは、八〇年度末より大変顕著な経済発展と進展を見せてまいりましたが、九七年の経済危機以来、当地域においては我が国を含めすべての東アジア諸国がこの経済困難をいかに克服し問題を解決するかということに専心しているところであると考えます。  他方、国家といいますのは経済あるいは経済政策だけでは成り立ちませんで、地域の安定及び国家の安定と繁栄には力強い外交及び防衛政策が必要であると考えます。  この点について現在の東アジア情勢を概観いたしますと、この地域には多国間の安全保障対話や交流が目覚ましく進展し、かつこの地域に位置する主要国である米国、ロシア、中国、日本など、主要国の二国間関係が進展してまいりました。  このような前向きな変化がある一方、この地域においては依然として不安定な状況が見られ、北東アジアにおいては朝鮮半島問題や中台関係、あるいは南東アジアにおいてはインドネシア情勢や南シナ海など、いろいろな地域問題が今日我々の抱えている一つの不安定な要因を構成していると思います。  加えて、この地域は、核、ミサイルなどを含む大量破壊兵器の拡散や開発問題という地政学的な問題を同時に抱えていると考えます。特に今年は、当面する六月の総選挙を控えたインドネシアの情勢と、それから北朝鮮をめぐる朝鮮半島情勢が東アジア全体の政治的安定と平和にとって重要な課題であると考えます。  このような情勢の中で、我が国としては、日米同盟に基づくいわゆる日米防衛協力関係を進めるとともに、九六年の四月に発出された日米共同宣言に課せられた主要な課題を解決し、同盟を強化することによって、今後国家の繁栄と安定を維持することが重要であると考えます。  この際、当面する我が国の外交、安全保障、防衛問題の中で、時間の限りもあり、以下四点に絞って所見を申し述べたいと思います。  一つは、情報収集衛星という問題です。  これは昨年八月、北朝鮮のミサイル発射によって我が国で特に来年度予算の中で情報収集衛星の開発に係る予算が計上されたことは大変歓迎すべきことであると思います。しかしながら、この問題は、今後三、四年にわたって衛星そのものが仮に打ち上げられるということになりましても、より本質的な問題は今後の問題であると思います。  日本人は、往々にしてこのような重要な問題について、予算が計上されたらそこですべてを忘却するという悪い癖を持っておりますが、問題は全く解決していないのでありまして、これからこの衛星をどの役所が管理し、どのようにして運用していくのか、衛星から出てくる情報の画像解析をだれが、どのような機関で分析、評価していくのか、それに係る要員をいかにして養成し、人事管理をするのか、あるいはこの問題については単独で日本技術開発を進めることになるのか、その場合の問題点はないのであろうか、こういったいろいろな問題が横たわっていると思います。これらの問題を解決し、この情報収集衛星が真に我が国の国家の重要な情報になるようまだまだ努力すべき問題が多いと思います。  この点について、私は以下二つの点を提案してみたいと思います。  一つは、情報収集衛星なるものは単に国家の情報にとって一つの手段にすぎず、実際には我が国には国家としての全体の情報を一元的に運用し、かつ分析、評価する機関がないということが国家の情報機能の点から問題であると考えます。  この点について、現在、内閣情報調査室は必ずしもこのような国家の情報をトータルで運用する機関にはなっておらないということにかんがみれば、内閣情報調査室を独自の国家情報機関として新しく組織づくりをすることを検討する必要があるのではないかと考えます。  さらに、この種の重要な情報を国家が入手しましても、これを国政のレベルで活用することが重要であり、その点について立法府を構成する国会議員の皆様方がより高度な政治的観点から国家の情報をよく評価し、これを政治の場に役立てるためには何らかの守秘義務を課した公聴会の制度を改めて設けることを検討する必要があるのではないかと考えます。  第二の点は、BMDといういわゆる弾道ミサイル防衛についてでございます。  この点についても平成十一年度予算の中で日米共同技術研究に係る予算が計上されていることは大変歓迎すべきでありますが、これまた予算に計上されたことをもってあすにでも弾道ミサイルシステムが我が国の周辺にあるかのごとき錯覚を与えているのは全く大きな誤りであり、仮にこの問題が日米間で共同の技術研究になりましても、実際にはこれを導入すること及び配備することに係る高度な政治判断がこの研究の結果として行われなければ、この新しい防衛システムが我が国につかないわけでございます。  この点については大変大きな問題があり、私個人は、このBMDの導入は来世紀における日本の国家の安全保障上不可欠の防衛システムと考えますが、しかし当面する問題は大変多くの分野にわたっており、特に重要な点はこのBMDの費用対効果という点です。費用対効果とは、いかなるものを脅威と考え、そしてこれに対応するためにどれぐらいのコストがかかり、そしてどれぐらい撃墜できるのかという問題。さらに、政治的なあるいは法的な問題、あるいは日米で進めようとする技術協力の問題、あるいは日本の防衛システムに与える根本的な影響。及び外交面では、中国がこのBMDの導入に大変強い反対を示していますので、BMDの導入は我が国の国内問題でありますから我が国が独自に判断すべきものではありますが、そうは言いながらも、中国というものが不必要な懸念を持っておる状態でこのシステムを導入するということにはやや問題があり、今後中国とどのような率直な話し合いをして、彼らに支持をされないまでもある程度の理解をしてもらうためにどのような方法があり得るのかということを考える必要があると思います。  この点について一つだけ提案を申し上げれば、それは、このBMDの共同技術研究を日米の政府間で進めつつ、一方において日本国民にBMDの必要性や問題について十分説明をするとともに、日米中の間でBMDの導入について率直に話し合うためのいわば協議の枠組みを設置する必要があるのではないかと考えます。  三点目は、これから衆参両院で行われるガイドライン関係法についてでございます。ガイドライン関係法といいましても、この場合、焦点は周辺事態法でございます。この関係法をなるべく速やかに成立させることは日米同盟の実効性と信頼性を確保するために不可欠であると考えますが、しかしながら、昨年の四月に閣議を通過しましたこの周辺事態法については今後幾つか再検討を要する点があると考えます。  これは今後の委員会における審議の内容でございますのでここで細かく述べません、またその時間も十分にありませんが、この点について一点だけ私の所見を申し述べれば、すなわちこれから周辺事態法あるいは改正のACSA、さらには有事法制として第一類、第二類、第三類、あるいは米軍有事法制、米軍との相互支援の内容、あるいはルール・オブ・エンゲージメント、あるいは領域警備、治安警備、あるいは国際平和協力法の改正並びにこれからの国連の平和活動に参加協力するための新しい法律など非常に盛りだくさんの法体制を整備する必要があると思います。  しかし、これは何のためにやっているのかというと、我が国及び我が国を取り巻く諸情勢の変化、特に国家の安定にとって重要な事態が起こるときにこれに適切に対応するための法的な枠組みをつくるということが最終的な目的であるとすれば、これらの極めて多くの法律を実際の事態に当てはめて、それぞれの指揮者あるいは監督者が日本の国家を救うための活動をするためには、余りに法体系が複雑になり過ぎるのではないかと考えます。  例えば、朝鮮半島有事といいましても、これが直ちに日本有事につながる可能性はあり、法律の中身で対応していくということは現実問題としては大変難しい問題があると思います。例えば、私がある艦艇の指揮官であるとすれば、あちらから来るどこかわからない国籍不明の船舶に対して、どの法律のどの条項を適用して事態に対応するかということを目まぐるしく頭の中で考えながら仮に命令と指示を出したとしても、部下が指揮官に対して、それは何とかという法律の第何条違反ではありませんかなどということを一々言われて、結局、法律のために国を救えないということがあり得る可能性があると思います。  すなわち、私が申し上げたいのは、これからの国家の緊急時に必要な法律は一つであるべきであり、その法律の内容がどういう内容であれ、例えば国家の緊急事態法あるいは非常事態法、国家安全保障法あるいは安全保障基本法、名前は何でもよいのでございますが、第一章は総則として国家がかかる事態にいかにして対応するかという原理原則が書かれており、今度審議される周辺事態法は第二章を占めるものではないかと思います。第三章は日本有事、第四章は国連協力、第五章はその他の活動、例えば邦人の救出だとかNEOだとか、あるいは災害派遣だとか緊急避難だとかといったもの。そして、最後の章は平時から緊急時に対応すべき法体制。それらがすべて一つの法律の中でコントロールされる必要があり、そのことは、今後審議される周辺事態法を全体の法体系の中でいかにして位置づけるかという観点が不可欠であると考えます。  最後の問題は北朝鮮政策であります。  北朝鮮政策といいますのは大変多方面のアスペクトを持っているわけでありますが、私が申し上げたい点は一点に絞られます。それは一九九四年の米朝合意及びこの米朝合意をつくるに至った全体の経緯の中で、日米韓が協力してつくり上げたいわゆるソフトランディング政策というのは今や十分に機能していないのではないか。北朝鮮を国際社会の中に引き出し、北朝鮮に改革・開放を求め、北朝鮮の経済困難を少しは引き上げることによって将来起こり得る南北統一のプロセスの障害をできるだけ少なくするという考え方は、現在の北朝鮮の体制及び彼らがとっている軍事的、外交的政策には合致しないのではないかという懸念を私は持つに至っています。  その観点で、これからの北朝鮮政策はまさに抑止と対話のダブルトラックでなければならないわけですが、この際、対話については日本は北朝鮮に今までずっと門戸を開いてメッセージを投げ、いわば北朝鮮が応じれば直ちにドアが開くことになっているわけですが、問題は抑止の体制でありまして、昨年八月のミサイルの発射のような事態が今後二度三度と起こった場合に、日本としてこれにきちっと対応できるみずからの抑止機能というものを日本が持つということは国家として当然であり、また我が国が国連憲章五十一条に基づく個別的自衛権を行使するためにも不可欠の手段であると考えます。  以上が、来年度予算に係る当面する外交・防衛問題に関して、特に現在我が国が抱える主要な課題として申し上げた点でございます。以上でございます。  ありがとうございます。(拍手)
  60. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) ありがとうございました。  次に、小林公述人にお願いいたします。小林公述人
  61. 小林武

    公述人(小林武君) 小林でございます。  一九九九年度予算審査のための参議院予算委員会で、主権者である国民の一人として公述の機会を与えられたことにまず感謝をいたしたいと思います。  私は、我が国の外交・防衛のあり方、特に現在、国会に上程されております日米防衛協力の新指針、いわゆるガイドラインを実施するための関連三法案について、主として憲法の観点から考えるところを述べたいと思います。  レジュメの準備はございませんけれども、お聞き取りやすいように、できるだけ筋道を立ててお話ししようと思います。  ガイドライン関連法案は、日本国憲法によって戦争を放棄したはずの我が国が海外の戦争にまで関与する仕組みをつくるものとして、安全保障の基本にかかわる立法でありまして、我が国の社会、国民生活と権利のありようそのものに重大な影響をもたらすものと考えます。その点で、我が国は今大きな曲がり角に立っているのであって、国会にはその正しいかじ取りが期待されていると思います。  そうした日本の将来を左右するテーマを論議するに当たりまして必ず求められるのは、原点に返ることだと思います。その原点とは、とりもなおさず日本国憲法でありまして、憲法に基づいて政府の提案が行われ、国会の意思決定がなされるべきは立憲主義のイロハであります。それにもかかわらず、昨今、憲法論議は総論にすぎないなどとしてそれを軽視する風潮がありますが、そのことは国家百年の計を誤らせるものにほかならず、憲法の尊重は政治の要諦であると言わなくてはなりません。  そこで、ガイドライン関連法案を見ますと、憲法に照らしましたときには、私は、あれこれの箇所について疑義があるにとどまらずに、その全体が憲法と対極の位置にあるのではないかと思います。  すぐ後に触れてまいりますけれども、第九条の平和主義だけではなくて、国家主権、基本的人権、議会制民主主義と内閣制、地方自治など、憲法の全体構造と相入れない異質のものであると言うべきでありましょう。ちなみに、周辺事態法案には、憲法への言及は皆無であります。  こうして、憲法論というときには、特に第九条については、周知のとおりに、学界の通説と政府の解釈とでは大きく異なっておりまして、私も通説に立つ一人でありますけれども、ガイドライン関連法案はこの従来の政府解釈の枠をも超えるものであることをあらかじめ指摘しておきたいと思います。  しかも、それは憲法と相入れないばかりでなくて、政府が安全保障の根幹に位置づけております日米安全保障条約からさえ逸脱しているものと思われるわけです。  周辺事態におけるアメリカの戦争行為への我が国の支援は、日本有事についての安全保障条約第五条にはもちろん、極東有事の際の米軍の基地使用のみを許容した第六条にもおさまらないものであります。  この点、周辺事態法案は、安保条約の「目的の達成」、これは法案の文言でありますが、「目的の達成」をいうにとどまっておりまして、法案が安保条約の厳格な実施法律でないことをみずから認めているものと言えます。  安保条約の目的とは、政府によれば、我が国及び極東の平和と安全の維持であるとされるわけですが、多国籍軍参加のアメリカ軍への支援や、また他国の内乱、クーデターに介入する米軍への支援までそれに含まれるとの政府答弁に見られますように、歯どめとなり得ないものであると思われます。  このように、もし真に理由があるのならば当然なされるべきはずの条約改定の手続を踏むこともなく、条約を変質させて顧みない、こうしたところに法治主義に反する性格を見出すわけであります。  このように総論として踏まえまして、以下、ガイドライン関連法案の憲法上の問題点、多数ございますけれども、主要なものを三つに絞って申したいと思います。  第一、周辺事態の概念そのものでございます。  新ガイドラインが合意されて、それ以来とられてきました周辺は地理的概念ではないとする見解が、国語の常識にも反しまして、また安保条約との関係でも成り立ちがたいものであることは明らかで、与党の一方の党首もこのことを公言しておりますし、また最近の政府答弁も、地理的要素も含まれるとして、変更の兆しを見せております。  こうして、議論は混乱しているわけですけれども、いずれにしても、軍事的な対米協力の場をできるだけ広くとっておこうとする配慮が貫かれて今後とも解釈がされていくのではないのかと思われるわけです。  とすれば、何が周辺事態に当たるかにつきましては、この周辺事態法が言っております我が国の平和と安全に重要な影響を与える事態、この文言がキーワードになります。しかし、問題が二つあると思います。  一つに、政府は集団的自衛権を憲法上行使し得ないとの立場ですから、ここに言う事態を個別的自衛権行使の事態、つまり日本有事ととらえるのでなければ関連法案の合憲性を弁証できないわけですが、法案の言う事態の定義をもって日本有事だと言うのは、法的考察としては余りに厳密さに欠けたものでありましょう。そして、このように周辺事態を日本有事と結びつけて自衛隊を行動させるのなら、それはこれまで維持してきた専守防衛策と決定的に決別することを意味することになると思います。  なお、これに関連しまして、前衆議院議員の後藤田正晴氏が最近の新聞で、認められるのは極東の中の日本周辺地域での事態であって、かつ日本の平和と安全に密接に関連する事態に対処する米軍への後方支援までであると論じております。ここに言う後方支援は憲法上許されないものと私は考えますので、私はこの論調に同意するものではありませんが、しかし後藤田氏の論調それ自体は、従来政府がとってきた自衛隊、安保についての基本見解を堅持して、自衛隊の行動を個別的自衛権行使の場に限定すべしとする点では明快であります。これに照らしても、ガイドライン法案は従来の政府がとってきた安全保障策から逸脱しており、また規範として極めてあいまいであるということが浮き彫りになると思います。  もう一つは、周辺事態の認定について、その主体も手続も一切定められていない点です。  政府見解によれば、実態上日米両国の判断がそごする事態は全く想定されないということのようでありますけれども、これではそもそも法規範を定立することの意味がありません。実態上はむしろアメリカによる認定を日本側は拒否できず、つまり米軍の行動の事態が即周辺事態とされる蓋然性が大きいと言わざるを得ないのです。立法をするのであれば、少なくとも我が国の国家主権を確保する姿勢が貫かれるべきであると私は考えます。  第二、法案の中心内容をなす後方地域支援の問題です。  この後方地域支援なる言葉はほとんど面妖と呼んでよいほど体をあらわしていない用語法だと思われます。御承知のとおり、ガイドラインでは、その政府訳において、本来兵たんを意味する「ロジスティックス」が、日本的造語として「後方」と訳されまして、それとは別建てで後方地域支援という言葉が登場いたしました。戦闘行動地域と一線を画される地域での支援であるというふうに定義されておりました。それが周辺事態法では専ら後方地域支援、つまり後方支援の言葉は消えまして専ら後方地域支援の語が使われまして、米軍の武力行使と一体化しないゆえに合憲であるという説明がなされているわけです。  しかしながら、後方地域支援の具体的内容は、兵員や装備品の補給、輸送、武器の修理等の兵たん活動そのものであります。これを後方地域支援と呼ぶのは、自衛隊の活動地域を戦闘地域から離れているように印象づけようとするものでありまして、軍事用語の常識に反した政治的造語と評されるゆえんであります。  ところが、同じ関連法案の中の一つであるACSA改定案では、この改定案も周辺事態法と表裏をなすものであるはずですのに、後方地域支援の語は用いられずに、後方支援に一本化されております。そのことは後方支援、つまり兵たん支援と区別される後方地域支援なる概念が成り立ち得ないものであることをみずから告白したものと言えると考えます。  このような言葉の意義を故意にゆがめる用い方は、ガイドラインの政府訳の重要な箇所で多数見受けられます。何よりもガイドラインという言葉自体、ウオーマニュアルをやわらかな印象で伝えようとするものであります。  こうしたことは国民を完全にミスリードするものでありまして、私は、これは許しがたい思いがいたします。ガイドライン問題への国民の関心が事柄の重要性に比べて必ずしも高くないということが言われますけれども、その一因はここにもあるのではないでしょうか。  周知のごとく、近代戦におきましては、後方は前線と結合しており、兵たん支援は戦争行為と一体であります。周辺事態法案自身、区域の変更、活動の中断、一時休止による危険の回避などを定めておりまして、この後方地域が戦闘地域に変わることをむしろ前提としております。それゆえに、後方地域支援への相手国の攻撃も当然に予想されるわけでありますけれども、政府見解はその場合に武器を使用して反撃することも否定されないというふうにしております。  このようにいたしまして、我が国の行う後方地域支援は米軍の戦争行為と一体のものとなり、さらに自衛隊自身が戦闘行為に入ることが想定されているわけであります。これらの法内容が憲法九条に適合し得ないものであることはほぼ明白であると思われます。  なお、これとかかわって、最近与党の有力政治家を含む一部の人々から、憲法前文が「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」というふうに定めているところにこそ憲法の理念があり、それは軍事を含めた国際貢献によって実現され、そのようにして初めて我が国は普通の国となれる。国連のもとであれば、軍事活動も九条の禁ずる国権の発動たる戦争には当たらず違憲ではないという見解が強く主張されております。周知のところです。  しかし、これは憲法制定の歴史的背景を考慮しない点でも、また一部の文言のみを恣意的に取り上げて全体構造との関連を顧みない点でも、政治的主張としての当否は別の問題といたしまして、およそ憲法解釈の名に値しないものであると言うほかありません。  そして、第三でありますけれども、国会や内閣、地方自治体といった憲法上の統治機構のあり方にかかわって重大な問題があります。  国会は、国民代表議会または国権の最高機関として、国の安全保障策についてこれを方向づけ、またシビリアンコントロールに努める権限と責任を有しております。しかし、周辺事態法案では、国会は基本計画の決定、変更について遅滞なく報告を受けるにとどまっております。これが周知のとおり自衛隊法上の防衛出動、治安出動や、PKO法上のPKFへの部隊派遣の際には事前承認が要求されていることと比べて平仄を欠くものであることは明らかですが、仮に事前承認制をとったとしても、政府が実施区域を公表しないという方針を今日とっているようであります以上、その実効性には根本的な限界があります。  また、原則は事前承認とし緊急の場合では事後承認でよい、こういう意見もあるようでありますけれども、有事はほとんどの場合緊急でありましょうから、実際上の意義はほとんどないのではないかというふうに思わざるを得ません。  国会だけでなく、内閣についても、周辺事態法案ではその合議機関としての性格が低められております。  内閣法では、御承知のとおりに、首相による行政各部に対する指揮監督は閣議にかけて決定した方針に基づいて行う、こういう文言があります。つまり、合議を重視しております。これに引きかえ周辺事態法案では、閣議が省かれまして、強力な首相権限が前面に出ております。  地方自治体への影響につきましては、これは深刻であります。  周辺事態法案では、地方自治体が固有の資格において持つ権限の行使に関する協力を求めること、地方自治体が私人と同一の資格で行う事務の処理に関する協力を依頼すること、これが定められておりますが、その内容は、政府が法案とは別文書で例示するにとどめております。    〔委員長退席、理事竹山裕君着席〕  他方、一九九四年に朝鮮半島有事を想定して、在日米軍は日本側に八空港、六港湾の使用や物資輸送の労務提供を含む一千五十九項目に及ぶ支援を要求しており、それが今回の法案における自治体、民間協力内容のベースとなっている旨の報道がなされました。  このように協力の内容は軽微なものではなく、またそれに加えて、協力の拒否は違法とはならないとしつつ、正当な理由が必要であるとするのが政府見解であって、事実上義務として機能することは確実です。そうであってみれば、住民生活への影響や自治の侵害を懸念して、百前後を数える市町村や各種地方団体が意見書、決議や要望書を提出していることを政府も国会も重視しなければならないと考えます。  結びに入ってまいりますけれども、このようにして、新ガイドライン関連法案は憲法からの検証にたえることのできないものであると思われます。これにつきまして、さきに少し触れましたけれども、国会承認という点と周辺概念の明確化を求める修正という、こういう動きもあるように報道されております。しかし、関連法案の全体に照らすなら、たとえこれらの修正がなされたとしても違憲性が治癒されるものとは考えられません。  私は、政府、国会は安全保障のあり方について国民に対し十分かつ正直に情報提供をした上で民意に耳を傾けるべきだと考えます。そのためには、疑問を山積した今般のガイドライン関連法案は、政府はこれを撤回すること、国会は廃案にすることが求められるのではないでしょうか。少なくとも、国政の選挙において民意に問うということが不可欠であろうと考えます。  関連法案の論議過程におきましては、軍事立法にふさわしいと言うべきであるかもしれませんけれども、必要性、さらに迅速性、柔軟性を追求する論調が目立つように思われます。特に、隣国のミサイル発射をガイドライン関連法制定にとって奇貨とするかのごとき言動が見受けられますが、それは果たして正しいことでしょうか。米軍の軍事行動とそれに向けての我が国の軍事的支援が果たしてこの危機を根本的に除く手だてとなり得るのか。必要の論理にとらわれることなく冷静に判断することが求められます。ガイドライン関連法の次は有事立法だという主張も報道されておりますけれども、基本的人権の保障こそ国家の遂行すべき課題の基本に置かれるべきものであることを強調しておきたいと思います。  私は、憲法の理念どおりに、武力によらない恒久平和の建設に努力することが我が国の最善の安全保障策であると考えるものです。金だけ出すのは恥ずかしい、血も流せという声が力を増しているようでありますけれども、あえて私は、どの国の若者もだれ一人として戦争で血を流すことがない世界をつくること、これが平和憲法を持つ我が国の使命であるというのが我が国の戦後史の出発の原点であるというふうに考え、このことを強調しておきたいと思うのです。  国民の代表機関たる国会が、このガイドライン立法をひとまず廃案にし、二十一世紀に向かう安全保障のあり方を国民の検討にゆだねられるように希望いたしまして、公述を終わります。(拍手)
  62. 竹山裕

    ○理事(竹山裕君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  63. 鈴木正孝

    鈴木正孝君 自由民主党の鈴木正孝でございます。  きょうは予算委員会の公聴会ということで、節目の大事な公聴会に両先生お越しをいただきまして、本当にありがとうございました。大変貴重な御意見でございます。関連いたしまして幾つか基本的な御質問をさせていただきたいというふうにも思います。また、今ガイドラインの関連のお話が憲法絡みでございましたけれども、ちょっと当委員会、ガイドラインの関係委員会でも必ずしもございませんので、そんなことを踏まえながらお話をお伺いさせていただきたいというふうに思います。  森本先生、先生は大変外交・防衛、実務にもつかれておられて、なおかつ日米関係の非常に微妙なところにも精通されておられ、かつ国際軍事情勢、特に東アジア中心のそういうことにも大変明るい数少ない研究者のお一人というふうに見ておるわけでございます。  日米関係を見ましたときに、日米安保体制そのものが我が国を含むアジア太平洋地域の平和と安全を確保する、そのために大変重要な役割を果たしているということであります。他方、冷戦の崩壊以降、特に平和の配当といいましょうか、そういうことに重点を置きながら、安全保障環境の構築のための対話ということを非常に重視して、大変大事なことではございますけれども、ARFのような多国間の関係を推進することが非常に大事だという声が片方では大変あるわけです。  それは私もまさにそのとおりだろうというふうに思いますけれども、同時に、日米安保体制そのものに日本の平和と安全、独立というものをかなり大きく期待しているという立場からいたしますと、対話路線といいましょうか、そういうARF等のもろもろの考えあるいは推進がそれに取ってかわるようなものになり得るのか。あるいは、それに関連いたしまして、日米同盟というものの今後の展望といいましょうか、そういうものにつきましてどのようにお考えか、お伺いしたいと思います。
  64. 森本敏

    公述人(森本敏君) 先生の御質問につきましては以下のように考えております。  冷戦後にアジア太平洋地域全体に御指摘のような多国間の安全保障対話あるいは交流が大変目覚ましく進展してきたことは大変よいことだ、喜ばしいことだと私は考えております。中でも、中国がこれに積極的に参加することになって、そして中国がそれなりの役割を果たしていることは、特に多国間の安全保障対話、交流にとって重要な意味を持っていると思います。  他方、これらの対話や交流というものがいかように進みましても、現実、国際社会の中で例えば深刻な紛争が起きたりしても、この種の多国間の対話や交流でこれは解決できるということには必ずしもなっておらず、したがって、これを進めることが必要なのでございますが、日米同盟のような同盟関係がこれに取ってかわるとは考えられませんし、また実態としてもそうなっていないと思います。  よくこの種の多国間の対話や交流は同盟を補完するものだというふうに説明されておりますが、補完という言葉は、言葉の持っておる意味からして、それがなければ完結しない、あるいは完了しない、あるいは全く完全なものでないというニュアンスがあるのですが、私個人は、多国間の対話や交流は必ずしも同盟関係を補完するほどのものでさえないと考えています。  つまり、多国間の対話や交流は、これを補うというのではなく、せいぜい補強するとか補備するとか、あればあったにこしたことはない、そのようなものであると考えて、この種の多国間同盟とか、あるいは多国間の対話とか交流を進める必要があると思います。そのことは、日米同盟というものが来世紀、恐らく相当長い間にわたってこの地域の安定と平和に重要な役割を果たし続けるのではないか、このように考えております。
  65. 鈴木正孝

    鈴木正孝君 確かに、補完、補強、代替といいましょうか、そういう関係が見られるというようなことだろうというふうに私も思います。  片方では、その辺の努力、対話の促進、交流、そして人の交流を通じてお互いが理解し合うというようなこともかなり本質的な部分であろうと思いますけれども、やはり安全保障を確保していく上で軍事の果たしている役割というものも、これも厳然とした事実でございますので、その辺は大変大事なことだというふうに思います。  また、これに関連するわけでございますけれども、日本の安全保障を構築していく上で、片方では防衛庁、自衛隊を中心とする、言ってみますと国内的な整備あるいは日米安全保障体制というようなことであるわけでございますが、その相関関係といいましょうか、自衛隊の戦力に関して、あるいは先般来アメリカの東アジアの戦略報告等を含めまして考えてみますと、特に米軍の十万人前方展開の体制といいましょうか、そういう日米間のいろんな組み合わせというものについてどのようにお考えになっておられるのか。日本政府そのものはこれを支持しているわけでございますが、そういうところで、米軍のプレゼンスそのものを含めまして総合的にどのようにお考えになり評価をしているか、その辺をお伺いしたいと思います。
  66. 森本敏

    公述人(森本敏君) 日米安全保障条約あるいは日米安全保障体制に基づく米軍のプレゼンスと我が国の防衛力がいかような関係にあるかということについては、これは私は相互補完の関係にあると思います。すなわち、双方がなくてはならない関係に相互にあると思います。ただ、双方のウエート、果たしておる役割というのはそれぞれ時代を経るに従って変わってきたというふうに考えます。  我が国の防衛力が七〇年代に至るまだいわば発展のプロセスの中にあった時代、米軍のプレゼンスというのは我が国の平和と安全に最も重要な役割を果たし、せいぜい我が国の防衛力はその欠陥といいますか米軍のプレゼンスでは果たし得ない一部の役割を果たしていたというにすぎないと思いますが、七〇年代以降、特に我が国が対潜水艦戦能力や防空戦力の能力を整備して以来、まさに今この地域に位置する米軍のプレゼンスは我が国の防衛力なくしては十分にその力を発揮できず、他方、我が国の防衛力も米軍のプレゼンスなしには十分に発揮できないという相互関係になりつつあると思います。  ただし、その場合、我が国の防衛力というだけでこのことを論ずるのでは必ずしもなく、在日米軍のプレゼンスを支える、例えばホスト・ネーション・サポートだとか我が国の国内におけるいろいろなリソースだとか技術力だとか、あるいは日米間で進めている日米防衛協力だとか在日米軍基地の安定的な使用といったトータルなものがあって初めて米軍のプレゼンスと我が国の防衛力が総合的な能力と機能を発揮しているのではないか、かように考えます。  したがって、東アジアにおける米軍のプレゼンスが十万存在するということは、それ自体我が国の平和と安定に重要な役割を果たしているわけですが、しかし十万という兵員の数が問題なのではなく、米軍の持っておる防衛の機能、抑止の機能と我が国の防衛力がトータルでいかような抑止機能を果たしているかということが重要なのであって、私は、そのときの脅威見積もりによっては、米軍のプレゼンスが十万でなくても十分に抑止の機能を果たせるのであれば、それはそれでよいのではないかというふうに考えております。
  67. 鈴木正孝

    鈴木正孝君 先ほどもお話がございましたけれども、中国の軍事力の近代化といいましょうか、そういうことに絡みまして、かなりの質的な向上というもの、あるいは台湾海峡でのミサイル危機というようなものも経験はしているわけでございますけれども、中国の軍事力の将来及び日米同盟との関係、これが将来どういう影響が出てくるのか、あるいはどういう見通しを持っておられるのか、その辺を含めましてお伺いをいたしたいと思います。
  68. 森本敏

    公述人(森本敏君) 中国の軍事力の将来というものについての展望は国内に、政府の中であれ一般の専門家であれ、いろいろ意見の分かれるところであると思いますが、私は冷戦期のソ連の脅威というものは、ソ連の意図というのは必ずしも透明ではなかったものの、極東におけるソ連の軍事力というものは我が国に脅威を与え得る十分な能力があったと考えています。  他方、そのこととの関連において冷戦後の中国を見た場合、中国の能力は必ずしも透明ではありませんが、中国の意図は明白なものであると考えております。  すなわち、中国は、将来アジア太平洋地域における地域大国としてその影響力を伸ばそうとしているのではないかと考えます。その意味において、日米同盟に支えられた日本は、中国の将来の方向にとって最大の障害を構成していると思わざるを得ないと思います。  その点について、中国が従来から、日米同盟、ガイドラインあるいは日本の防衛力、PKOの参加、TMDあるいは周辺事態法と、いろいろな面で日本の安全保障政策にいろいろな反対を唱えていることは、中国のこの種の意図を証明するものではないかと考えております。
  69. 鈴木正孝

    鈴木正孝君 それから、先ほど森本先生のレジュメを拝見していきますと、弾道ミサイル防衛、BMDということのお話もございました。  これは、確かに来年度の予算案に計上されて、今こうして審議をされているわけでございますが、これに関しまして、弾道ミサイルが拡散していく中で、これに対して有効な対処手段というものが現実にないというようなこと、そういうはざまでこういうような日米で共同研究というような形で今実質的な立ち上がりが行われようとしているわけですが、これの戦略的な側面といいましょうか、意味、意図、そういうものを御専門の立場で見たときにどのように評価できるのか、その辺をお伺いしたいと思います。
  70. 森本敏

    公述人(森本敏君) BMDについては、まさに来年度予算で日米の共同技術研究計画に着手するところですから、今後日米間で技術的にも戦略的にも十分な話し合いが行われるというふうに考えておりまして、我が国がこれを配備したり導入するということに係る決定はまだ将来の問題であると考えます。  他方、現在までアメリカを中心として開発されてきたBMDを我が国から見た場合の戦略的な視点というのは、二つの要素によって構成されるのではないかと考えます。  第一は、この種の弾道ミサイルといいますのは、結局北東アジアのみならず、東アジアあるいはアジア全体のそれぞれの国が保有している弾道ミサイルに対する大変重要な抑止機能を果たすということになると思います。  このことはすなわち、いろいろな国が今後弾道ミサイルを配備する、あるいは開発するときの重要なディスカレッジメントというものを構成するので、裏返して言うと、将来グローバルな軍備管理を進めるための極めて重要なてこを我が国は持つに至るということになるのではないかと思います。  もっと極端なことを言うと、中国が将来にわたって開発しようとする中長距離の弾道ミサイルを削減するための交渉のてこになし得るという意味において、単に我が国の防衛力を構成するというのみならず、グローバルな戦略的な意味を持つウエポンシステムになるのではないか、それが第一です。  二番目は、結局のところ、日本がBMDを将来持つということは日本が相当長きにわたって日米同盟という傘の中に入り続けるということであり、そのことは、日本が周辺諸国から受けるこの種の大量破壊兵器の脅威というものをみずから核のオプションをとらずに通常戦力の防御手段によって守るという意味において、日本がグローバルな戦略バランスの中には決して加わらないという政治的意図を示すという意味において重要な決定を意味するものではないかと考えます。  すなわち、引き続き日本が日米同盟という傘の中に入り続け、日本が核の保有国に決してならない、周りの核の脅威に対して通常戦力の防御手段によって対応するという道を選ぶということでありますから、したがってグローバルな戦略面で、その意味において日本が常に周辺諸国にとって安心材料になり、かつ安全な道を日本が選ぶという戦略的な意味を持っているということを意味するのではないかと考えます。  以上でございます。
  71. 鈴木正孝

    鈴木正孝君 確かに戦略的な関係という、そういう意味で考えてみますと、このBMDに関する言ってみますと体制の整備といいましょうか、あるいは情報収集衛星、偵察衛星の導入、そういうようなこと、あるいは先ほどお話のありました対潜能力の向上あるいは空戦能力の向上というようなことが相まって、実質的に相当関係が何というのですか、日本の防衛力整備の中身が質的にかなり向上してきているということになるわけでございます。今まで専守防衛なり非核三原則というような大きな柱のようなものを持ちながらやってきたわけでございますが、それとの関係で、それをより強めることになるというようなことかなというふうにも思いますが、その辺もう一度、御専門の立場でお伺いしたいと思います。
  72. 森本敏

    公述人(森本敏君) 日本が今後この種の兵器システムを導入するということは、冷戦時代には必ずしも予想されなかった新たな脅威、特に大量破壊兵器の脅威に対応するための抑止の機能を強化するという意味において役立つのではないかと思います。  また同時に、冷戦後の国際環境の中で我が国の防衛力は新しい質的な役割を果たす必要があると思いますが、そのことは、例えば領域外における邦人の保護だとか、あるいはこれからの国際面におけるいろいろな平和協力での活動だとか、それから周辺事態法が通った後の公海上における輸送活動とか、今まで必ずしもしなかった新たな任務を実行していくための日本の防衛力というものを今後整備するためには、必ずしも現在の持っておる防衛力だけでは不足する部分があり、例えば多目的の輸送船だとか、あるいはその他の複雑で多様な目的に対応できる兵器システムをまだ充実させる必要があるのではないかと思います。  しかし、そのことは専守防衛というものを乗り越えようとか広げようとかということでは決してなく、結果としては、アジア太平洋全体の平和と安定、あるいは国際社会全体の平和と安定、そして我が国の国民あるいは領土というものを守るために不可欠な防衛力の質的な向上というものになるのではないかと考えています。
  73. 鈴木正孝

    鈴木正孝君 今のお話は、今後の我が国の防衛力整備の実質的な質の向上といいましょうか、そういうことにつながる大変貴重な分析、評価ということになるんだろうというふうに思います。  先ほど小林先生にも大変ガイドライン関連の周辺事態の措置についての法案に関しましていろいろとお話をしていただいたわけでございますが、森本先生、修正論が先生の中でもちょっとございましたのですが、修正論ということとは関係なしに衆議院の特別委員会で現実の議論が始まるというような、そういう状態になっているわけでございます。  この法律の原案を実効性あるいは信頼性という、先ほど来の日米関係の信頼性の確保あるいは維持向上というような観点で見たときに、この原案というものについて実質的な問題というものが、これは法案を条文化する過程で確かにいろんな議論があってこういうような形で整理をされながら一年前に提出をされたというような経過はもちろんあるわけでございますが、その原案そのものについて軍事の専門家の立場で広範に見たときに、やはりこれは不可避的に避けられない何か修正をすべきところというような、そういうことがあるんだろうかという、率直なその辺の御意見を森本先生にお伺いできればありがたいと思います。
  74. 森本敏

    公述人(森本敏君) 周辺事態法そのものの修正については、先生御指摘のように、これから特別委員会等で御審議になることでもあり、個々の条文のここをこう修正すべきであるというようなことを事細かに申し述べる考えはありませんが、昨年四月、閣議を通過いたしました現在の周辺事態法については、やはりもともとを言えば、ガイドラインの中で日米双方が主体的に行う活動の中の捜索救助と船舶検査という二つの分野の活動と、それから日本が米軍に対して行う後方地域支援というものとはやや活動の質を異にするものだと思います。それを、三つの分野の活動を周辺事態という一つの傘の中に入れて一つの法律にしたということに、そもそもの無理といいますか、やや無理というものがあるのではないかと思います。  といいますのは、捜索救助というのは、周辺事態というものと認定するかしないかにかかわらず、本来はやや人道的な側面の活動であり、船舶検査というのは、はっきり言うと日米協力というよりむしろ国連の活動に協力するという形で、後方地域支援というのは、明らかにこれは日米協力を念頭に置いた全く性格の違う三つの分野の活動を一つの法律の中に入れて一本筋を通そうというところにこの法律の難しさがあるので、その意味では、日米協力というコンテクストで一貫性のあるものに修正するのか、あるいはこの三つの活動そのものをいわば日本というものを主体的に考えて一貫性のあるものに書きかえるのか、そこにこの法案の修正の大きな分かれ道があるのではないか、このような印象を持っております。  以上でございます。
  75. 鈴木正孝

    鈴木正孝君 大変貴重なお話でございます。実質的にはこれから大いに衆議院、参議院で議論を重ねてということに当然なるわけでございます。  ちょっと話は変わるのでございますが、今週、一生懸命ニューヨークで米朝協議が行われているわけでございますが、冷静に考えてみますと、北朝鮮に対する戦略的な外交のありようというのはどういうことかというような思いも片方ではあるわけでございますが、その辺、森本先生はどのようにお考えになっているか、御意見をお伺いしたい、このように思います。
  76. 森本敏

    公述人(森本敏君) 大変難しい御質問ですけれども、北朝鮮という国は、今国際社会の中で最も予期せぬといいますか、我々として判断のつきにくい、かつまた北朝鮮についての情報のどこが正しくどこが正しくないかということを検証することさえ大変難しい国でございますので、その国に対して一貫した戦略的外交をいかようにして進めるかということは大変難しい問題で、私も十分な見識を持ち合わせておりません。  ただし、北朝鮮が今までやってきた対外的なアプローチというのは、常に巨大な軍事力を使って不安定状況を起こし、これを外交上のてこにして周辺諸国からいろいろなものを取りつけたり体制の生存と維持を確保しようという基本的なアプローチになっているのではないかと思います。  我が国は北朝鮮の隣国でございますので、もう逃げることができないこの北朝鮮というものに対応する基本的なあり方は、いかようにおどかされても、おどかされたものをきちっとはねのけるだけの国の決意というものと、それからそれだけの体制というものを整えて、そして対話を進めるという、いわば七〇年代から八〇年代に米国が冷戦、非常に厳しい時期にソ連に対して行った、つまりダブルトラックなアプローチ、きちっと対話のルートはつくっておくが、しかし決してソ連の脅威に屈しない抑止力をきちっと持ち合わせる、この二つを両面携えてバランスのとれたアプローチにしていかなければ、結局は国益を失うということなのではないか、このように考えております。
  77. 鈴木正孝

    鈴木正孝君 時間が参りましたので終わらせていただきますが、小林先生、質問できませんで、大変申しわけございませんでした。以上でございます。  ありがとうございました。
  78. 郡司彰

    郡司彰君 民主党・新緑風会の郡司でございます。  先ほど来の両先生のお話を貴重にお聞きしておりました。お述べになったこと以外にも大変お詳しいということですので、そのような観点から若干質問をさせていただきたいと思っております。  森本先生の方にお伺いをしたいと思いますけれども、今のガイドラインの法案を含めまして一方の準備がされておるわけでありますけれども、さきの大戦の反省も踏まえまして、一朝事があったその後半世紀にわたってまだ解決をされないような課題が現在まで残っているというふうなことがございます。  そのようなことを考えますときに、今北朝鮮の問題が非常に例示として多く挙げられているわけでありますけれども、例えば南と北という言い方をいたしますと、離散家族が七百六十七万ぐらいいらっしゃる、そのようにも聞いておるわけでありまして、例えば周辺有事ということになりますか、日本有事ということになりますか、いずれの場合でも、日本という国が北朝鮮という国に対して何らかの対応をすべき事態が発生をした。発生をしたときに、どのような形であるにせよ、私自身がちょっと危惧をしておりますのは、韓国民方々がこの日本のとる行動に対して拍手をして支持をするということになるのかどうかというふうな疑念がございまして、この辺のところについて、現実の情勢にもお詳しい先生の方からもちょっと御意見をお聞かせいただければと思います。
  79. 森本敏

    公述人(森本敏君) 先生の御質問を必ずしも私は正確に把握していないかもしれませんが、御質問の趣旨を私はこのように理解してお答えしたいと思います。  すなわち、この半島の周りで何かの混乱があったときには、まず第一に、韓国は日本協力なくしてこの混乱を解決し通り抜けていくということは到底できないのではないか。そのことは韓国の政治をやっている人はよくよく理解しているのではないかと考えます。特に我が国の非常に豊かな工業力あるいは生産能力、あるいは日本の領域の中の例えば輸送の能力だとかあるいは韓国の方々にいろいろな物資を送ったり支援をする能力というのは、まさに韓国にとって死活的に重要であり、このことは韓国の国民方々がいかように考えておろうとも韓国の政府は十分に考えていると思います。  他方、このような混乱の後、プロセスを経て南北の国がやがて統一されるという日が来ると仮定した場合、そのような統一された国が日本に対してどのような感情を持ちどのような性格を持つかということは、これはなかなか断定できず、それはまさに統一のプロセスと統一後に北朝鮮の体制がどのような形で存続するかということに深くかかわっていると思います。  その際、統一された国が中国並びに米国とどのような関係になるのかということが日本との関係にとって極めて重要であると思いますが、いずれにしても、統一のプロセスが進んだ後、この統一された国が経済的には大変難しい状態になり、引き続きアメリカ日本と良好な政治的経済関係にない限りこの新しい国が豊かでかつ安定した国にならないということも、これまた明らかであろうと思います。  その意味において、我々は要らざる疑心というものを持つ必要はなく、できるだけ隣の国を支援し助けていく、多少の犠牲を払っても韓国を助け、そして統一のプロセスを支持していくという心構えが特別に必要である、かように考えております。
  80. 郡司彰

    郡司彰君 今おっしゃってくださいましたようなことが大事なんだろうというふうにも思っております。  次に、同じく森本先生の方にお聞きをしたいと思いますけれども、今回の関連の質疑の中で若干薄い部門があるんじゃないか。それは例えば自治体や民間協力というふうな関係でございますけれども、過日の知事会では何か一枚のペーパーが出された。また、政府の答弁では、あらかじめ想定できないというふうな答弁にとどまっているわけでありますけれども、私自身はまだ年齢の関係もあって具体的な内容をつまびらかに知っているわけではございませんが、以前国会の中でも三矢研究というようなものが問題になったようなことも聞いておるわけであります。  今回の場合も、例えばそういった関係で、周辺有事の関係でありますと日米相互協力計画、あるいは日本有事の場合ですと日米共同作戦計画というものがそれぞれ一年半ぐらい前から防衛当局で話をされているかと思うんですけれども、これはまだ全然明らかになっていないわけでありまして、内容的に若干わかっているところがあれば教えていただきたいのは当然でありますけれども、内容的に御存じでなければ、こういったものが想定されるだろうと。そういうものが一日でも早く出ることによって、直接国民の側で、法律が変わる、そういう事態になったときには自分たちがこうなるんだというものを知るということも大事ではないかと思いますけれども、わかっている範囲で教えていただければと思います。
  81. 森本敏

    公述人(森本敏君) 今の先生の御質問は二つの点が含まれていると思いますが、まず最初に、自治体つまり地方公共団体あるいは国以外の者に対する協力とか支援という問題については、現在の周辺事態法案そのものには、いわゆる基本計画及び法令に従って「必要な協力を求めることができる。」あるいは「依頼することができる。」という表現になっておりますが、しからばいかような協力や支援が求められ、かつ依頼されるのかということは、この法案には必ずしも明記されておりません。  その点について、この法案の中で自衛隊が行うべき協力については別表について比較的細かに書いてあるわけですが、私は、地方公共団体あるいは国以外の者、つまり一般の国民に求められる支援とか協力はどのようなものであるのかということを例示的にこの法律の中に明記されてある方がむしろ国民としてわかりやすく、かつ不必要な疑念を持たないでよいのではないか、かように考えています。  他方、先ほど二番目に先生御指摘の、日米共同作戦計画及び日米の相互協力計画というのは、前者はいわゆる五条事態、後者がいわゆる六条事態を念頭に置いた共同計画で、昨年から既に日米の当局者の間で協議が行われ、恐らくその結論が何らか得られるのはまだあと一年ぐらいかかるのではないかと思います。  しかし、本来であればこの二つの計画を策定して、それに基づいて我が国が法律上担保すべきものを周辺事態法の中に盛り込むというのが普通の手続なのでございますけれども、なかなかそれを待っているといつまでたってもできないので、ある程度この共同作戦計画並びに相互協力計画を念頭に置きつつ、今回の周辺事態法案が昨年つくられたということであると思います。  しかし、この内容はもちろん存じません。存じませんが、旧ガイドライン、一九七八年にできたガイドラインに基づいて、日米はそれぞれ計画を十年以上もかかってつくった経験がありまして、もちろんシナリオも前提条件も違いますが、しかし今までの長い基礎がありますので、さほどに今までと違ったものができるというふうに考えておりません。  以上でございます。    〔理事竹山裕君退席、委員長着席〕
  82. 郡司彰

    郡司彰君 先生がお書きになった「新ガイドラインの読み方」という中に、今回のこの新指針に関しまして、日本の国益を一層追求すべきだったと思われると。しかしながら、この米軍の来援計画を明確にさせるなど、日本の利益を追求すべきであったにもかかわらず、日本の方は随分約束をしたけれども、米側の方は新たな支援や協力を約束したことがほとんどなかったというような記述がございますけれども、この辺のところをもう少し詳しくお話しいただけますでしょうか。
  83. 森本敏

    公述人(森本敏君) ガイドラインを通じてアメリカ日本にどのようなねらいといいますか、日本に真に何を求めてきているのかということについては、これは交渉を行った日米の当局者だけが知り得る内容でありまして、我々はそれをうかがい知ることができませんが、私が持っておる印象は、アメリカがこのガイドラインを通じて日本に本当にやってほしいなと思って求めてきたことは二つなんじゃないかと考えています。  第一は、日本のいわゆる民間協力であります。これは、非常に広範にわたる日本のいわばいろいろな能力、民間の技術の能力、あるいは輸送の能力、補給の能力、修理の能力、調達の能力といったいろいろな日本の社会が持っておるポテンシャルというかリソース、これがアメリカにとって大変魅力があったのではないかと思います。  もう一つは、公海上における掃海、これは必ずしも米軍がこの地域に十分には持っておりませんで、我が国がさきの湾岸危機の後ペルシャ湾で示したように大変大きな能力を持っていますので、この分野もアメリカがともにこのガイドラインを通じて期待したものではなかったのかなと思います。  他方、それでは実際に有事のときに、米軍がどのような来援の規模をどのように我が国に展開させるのかということについては、まさにそのときのシナリオ、そのときの様相によってでありますから、必ずしも一概に彼らにそれを示せということ自身、余り現実的ではないと思いますが、このガイドラインをつくる全体のプロセスの中で私が持っていた印象というのは、何とかアメリカがこの地域において必要な抑止の機能を十分に発揮できるよう日本としてどのような協力があり得るのかということを念頭に置いてつくったもので、いわば結果としては我が国がアメリカにどのような協力をするかという形のガイドラインになったということは否定できないのではないか、このような趣旨で書いたつもりでございます。
  84. 郡司彰

    郡司彰君 時間がありませんので、最後にちょっと質問させていただきたいんですが、同盟を強化しなければならないというふうな記述がございました。世の常識として、一方が強くすれば反同盟の方も強くならざるを得ないというふうな作用が起きるんではないかというふうに思いますけれども、先ほど来BMDの話等では中国というふうな国名も出てまいりました。日本が日米の同盟を強化する、そのときに反作用として出てくる同盟の主力というのは中国ということでとらえておいてよろしゅうございますか。
  85. 森本敏

    公述人(森本敏君) 冷戦後の同盟というのは私はこのように解釈しています。すなわち、一般に同盟というのは歴史の中で御案内のとおり同盟国にとって共通の敵にいかようにして対処するかということが同盟の趣旨でございましたが、冷戦後の同盟というのはどちらかといえば同盟国がともに共有できる、例えば価値とか国益をいかにして認識し、これを追求し、そしてこれを増進するかということに同盟の趣旨があるわけです。  その意味において、例えば日米同盟の共通の共有される価値というのは、それはアメリカがよく言っているような価値観である例えば自由だとか民主主義だとかというもの、さらに私は、アジア太平洋の平和と安定という重要な問題も日米間で共有すべき非常に重要な価値であると考えます。  その場合、例えば中国がこのアジア太平洋の平和と安定にとって不安定な要因になるのであれば、日米同盟の対象になり得るということはあり得ますし、そして中国がそのようなことではなく、アジア太平洋のまさに安定のために前向きな貢献をするような国でありそのような方向を示すものである限り、中国というものが同盟の対象にはなり得ない。すなわち、国ではなく、まさに日米同盟のもとで日米両国が共有すべき共通の目的だとかねらいだとか価値、そのことに意味があるのであって、個々の国がこの日米同盟そのものの対象に無条件になるとかならないとかという議論は必ずしも正しくないのではないか、かように考えております。
  86. 郡司彰

    郡司彰君 ありがとうございました。
  87. 益田洋介

    益田洋介君 両先生におかれましては、大変御多忙の中お出ましいただきましてありがとうございます。冒頭お礼を申し上げておきたいと思います。  まず、ガイドラインにつきまして森本先生の御所見をお伺いしたいと思います。  さきの通常国会におきまして、国際平和協力法第二十四条の改正が行われました。そして、どのように改正されたかといいますと、武器の使用に関しまして、自衛隊員は上官の判断により武器の使用をすることが許されるといったものでございますが、一方で、今回のこの法案の中での武器の使用に関する規定は逆行したような形になりまして、武器の使用の判断は自衛隊員個人の判断による、こういうふうな規定になっております。これは、自衛隊が部隊として活動する場合には非常に不合理な結果を生じるんじゃないか。つまり、まず統制がとれなくなる。それから、逆に危険な、自衛隊個々人の判断によって武器の使用というのを決定するのでありますから危険な事態を生じかねないし、また混乱も予想される、このように先生はお考えになっておりますが、この点もう少し詳しくお話を伺いたいと思います。
  88. 森本敏

    公述人(森本敏君) 先生御指摘のように、国際平和協力法の二十四条とそれから周辺事態法の十一条を比べてみますと、まさに先生の御指摘のとおり、周辺事態法は部隊等の自衛官が、つまり自衛官個々がその身体及び生命の保護をするために武器を使用することができるという規定になっておりまして、改正された国際平和協力法とは趣旨が異なる内容になっていることはまさに御指摘のとおりです。  この点につきましては、全く私は先生と同意見でございまして、個々の自衛官が個々の自衛官の判断に基づいて武器の使用をするというのではなく、上官の指示に基づいて武器を使用するということの方が、武器を使用する場合の実態としてその実際上の状態によく合うというふうに考えますので、この点については、現在の周辺事態法については再検討の必要があるのではないかと考えております。
  89. 益田洋介

    益田洋介君 さらに、武器の使用についてでございますが、この法案によれば、捜索救助、さらには船舶検査、この二分野にわたって従事する場合の武器使用についての規定がございますが、一方では、後方地域支援の際には何の規定もない。むしろ、輸送とか補給などが公海上で行われる場合の我が国の船舶は、逆に後方地域支援活動、言ってみれば兵たん地域での支援活動の方が相手方の妨害を受けやすいのではないか。要するに、標的にされやすいのではないか。そういったことからしますと、これは武器使用の蓋然性の高さからいうとむしろ後方地域の方が高い。そういった観点から今回の法案の規定は矛盾があるのではないか、私はそのように考えますが、いかがでしょうか。
  90. 森本敏

    公述人(森本敏君) 私もこの点については全く先生と同じ印象を持っております。すなわち、周辺事態法の武器の使用の部分は、後方地域支援に係る武器の使用が規定されていないわけでありますが、これは恐らく、後方地域という戦闘地域と一線を画する地域において支援をする活動なので、本来は武器の使用という状況が想定されないという建前になって、後方地域支援における武器の使用というものが規定されていないのではないかと思いますし、また後方地域支援に係る武器の使用というのはこの法律に書かなくても現行自衛隊法の中でできると考えて、ここの部分は書いていないのではないかと思います。  他方、先生御指摘のように、さきの大戦においても、輸送任務を行うときに一番敵からねらわれやすいということはあり得るわけで、その意味において、後方地域支援に係る武器の使用の条項はどのような形でこの法案の中に入れるのかということは検討の必要があると思います。  ただ、先ほど申し上げたように、現在の自衛隊法の規定との関連において、同じ内容をダブって規定することになるのかどうかということについては、細かくそこのところは検討する必要があるのではないかと考えております。
  91. 益田洋介

    益田洋介君 昨年十二月十八日午前六時五十分、対馬の南西約八十キロの地点において、北朝鮮の半潜水艇が韓国の砲撃を受けて沈没した事件が起きました。このとき、我が国の陸上自衛隊対馬警備隊が行った行動は何であったか。それは隊員三人による調査と研究でございました。これは、海岸線から南へ約五キロ余のあたりの地域の調査研究という。不思議なことです。丸腰で出かけていったんです、三人が。ですから、これは領域外ではございますが、当然潜水艇の母船などが接近するような危険性もあったにもかかわらず現行法ではこれしかできない。これは防衛庁設置法の第六条にある「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究を行うこと。」という規定にのっとっての行動でございました。  これは現行法では、一方で、首相による防衛出動や治安出動の命令がない限り陸上自衛隊に沿岸警備権限がない、こういうふうな矛盾した規定になっているわけでございます。  私は、やはり今回のガイドライン法案においても、平時の際と有事の際の中間の地点が空白になっている。だから、この領域警備という我が国国土の防衛上の大変根本的な課題が未解決で残されているんじゃないか、このように思いますが、先生、いかがでございましょうか。
  92. 森本敏

    公述人(森本敏君) この問題は、私は二つの点を含んでいると思います。  一つは、先生はガイドラインの中でとおっしゃいましたが、私は周辺事態法の中に、すなわち周辺事態という認定を、現在の法案では閣議において基本計画が了承されたというか、閣議で決定されたことをもって周辺事態の認定とするという考え方に基づいているのではないかと思いますが、まさに先生御指摘のように、周辺事態と認定する前に、大体周辺事態というのは、我々が住まいする国の周りの状態、国際情勢が変化して非常に緊迫した状態になる、あるいは何らかの兆候があるということでもあります。したがって、周辺事態が起こるような兆候を未然に察知すれば我が国が必要な準備を行う、その条項といいますか、それがこの周辺事態法の中に書かれているということも必要なのではないかというふうに思います。  他方、これは周辺事態法を含むガイドライン関係法の話でありまして、この周辺事態法が通った後、まさに先生御指摘のように、自衛隊の活動というのは自衛隊法第七十六条に基づく防衛出動が下令されているかされていないかということがその活動において決定的に重要でありまして、発令されていない限り、自衛隊が必要な行動をするということが法的には非常に難しいわけです。  しかしながら、一方において、今の事例にありますように、平時から何か緊急な事態が起きたときに、かつまだ防衛出動が下令されていないような状態の中で自衛隊が必要な行動をとることに係る法的な整備については空白状態になっているということであり、この点については、領域警備、何と申し上げてもよいのですが、その種の法整備をやり、海上保安庁や警察とどの事態で自衛隊が必要な、例えば警戒監視や情報収集、必要に応じて武器の使用などを含む法的な整備をこれから整えていくかということは、この周辺事態法を含むガイドライン関係法が通過した後の非常に重要な課題になるのではないかと考えております。
  93. 益田洋介

    益田洋介君 ありがとうございました。  小林先生、申しわけございません。次回ゆっくりまた御教授願いたいと思います。
  94. 笠井亮

    ○笠井亮君 日本共産党の笠井亮でございます。  きょうは、森本公述人、小林公述人、お二人ともお忙しい中を貴重な御意見をありがとうございました。限られた時間でありますが、当予算委員会でも審議の中で大きな焦点になってまいりましたガイドライン関連法案の問題を含めて、幾つか伺っていきたいと思います。  まず、小林公述人になんですけれども、公述人が御指摘になりましたように、憲法とりわけ九条ということで、戦争そのものあるいは戦力については否定するということで踏み切った、世界でも先駆的な意義を持っているというふうに私も思うわけであります。  これまで政府は、九条の後段部分については、いわば自衛のためならということで解釈改憲のような形で動いてきた。しかし、戦争はしないという前段部分については手をつけられずにきたといいますか、あのベトナム戦争でも自衛隊自身は出ていかなかった、幸いにしてそういうことだったというふうに思います。  そこで、総論的なんですけれども、こうした憲法を持つ国としての国際紛争へのかかわり方、あるいはとりわけ今、ソ連崩壊後の世界のもとでの世界へのかかわり方といいますか問題対処の仕方、何ができて何をしなければいけないのか、そして何をしてはならないのかということについて、憲法とりわけ平和条項とのかかわりで御所見をいただきたいと思います。
  95. 小林武

    公述人(小林武君) かなりたくさんのことをお話しすべきかもわかりませんけれども、時間の関係もありましょうし、かいつまんで言えば、憲法に対するスタンスといいますか、憲法をどのような形で政治のベースに置くかということに関しては、そういう前提問題としてさまざまな立場があるだろうと思うんです。私たち学界のところまで議論を引き戻しますと、憲法の平和主義というのは非常に徹底したものですから、だから議論もかなり徹底したものになるだろうと思います。  きょう私が公述をさせていただいたのは、むしろそういう議論を避けて、憲法解釈としては私はそういう立場をとりながらもそういう議論を避けて、今日まで政府がとってきた解釈、これは学界から見れば憲法を解釈上改憲した解釈改憲というふうに言われるわけですけれども、しかしそれにもかかわらずこれまで政府において定着してきている解釈、これに基づいて今日の外交防衛政策、安全保障政策を見ていこう、こういうふうな議論をしたわけです。  そういうところから見ますと、今御指摘がありましたように、これまでの第九条についての政府を中心とした見方は確かに第二項を問題にしていただろうと思います。それで、第二項で言う戦力を持てるかどうかというところを中心にして、学界の通説からいたしますとこれは否定的になってくるわけですけれども、しかし国家が自衛権を持っている以上は自衛力という実力に転嫁せざるを得ない、そういう論理を通常用いられまして、そしてそれを肯定してきた。  ところが、最近では、特にいわゆる冷戦以降、九条第一項の方に重点が移ってきて、第一項の禁止しているのは国権の発動たる戦争、武力による威嚇及び武力の行使でありますけれども、その三つに当たらない限りはむしろ我が国はそうした軍事力の行使ということが否定されていないのだという、そのような見方が出てきているように思います。  ですから、大変この議論は私は難しいと思いますけれども、少なくとも今日におきましてはやはり憲法の一番の基礎に目を向けつつ、しかし同時にこれまで政府が固めてまいりました専守防衛という点から見て今日進められようとしているガイドライン立法を中心とした防衛政策、安全保障政策が正しいのかどうか、このような検証が必要なんじゃないかというふうに思っております。
  96. 笠井亮

    ○笠井亮君 それでは、具体的に幾つか伺いたいと思うんです。  政府は、今度の関連法案をめぐって、後方あるいは後方地域支援だとか、あるいは武力行使と一体でないから戦争参加ではないんだということを言っているわけなんですけれども、私は中身としては全体として立派な戦争行為であって、国際的には通用しないというふうに思うんですけれども、憲法の立場から見て、武力行使と一体かどうかで憲法に反するかどうかが分かれるのか、平和条項というのはそういう基準で分けることが許されるのか。  それから関連して、先ほど武器の使用のという問題が議論ありましたけれども、それについての御見解をいただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。
  97. 小林武

    公述人(小林武君) 後の方から申しますと、武器の使用に関しましては、先ほどの議論にありましたとおりに、かなり奇妙なことに、後方地域支援に関しては武器の使用規定というのは出てこないわけですね。これは確かに法の持っているある意味でのジレンマであります。ということは、後方地域というもの、これは現に戦闘が行われず、将来もまた戦闘が行われる見通しのない地域というふうに法が定義しておりますから、したがってそこでの武器使用ということがおよそ合理化されないという、そういう法の持っている矛盾だろうと思いますね。  ところが、政府の答弁の中では、そうした後方地域支援においても武器使用というものが可能であるというふうな答弁も出てきておりますから、きっとそちらの方へ向かって今度進んでいくだろうと思いますけれども、私ちょっと注目しておりますのは、むしろ武器使用の根拠として最近政府が出しておりますのは、これは憲法解釈とかかわって重要でありますけれども、自衛隊法九十五条、これは武器防護のための武器使用規定、これが出されているという点が重要であるだろうと思います。つまり、これまではそうではなくて、自然権的な権利ということを基礎にして、つまり個人の正当防衛ということを根拠にした武器使用、したがって個人ということになってこようと思いますけれども、それがさらに進んで、これまでは政府自身が否定しておりました自衛隊法九十五条に基づくそういう議論が出てきているというところが重要なんだろうと思います。  そういうところからさらに、先ほどほかの議員からの御議論がありましたけれども、部隊としての武器使用ということ、これが確かに周辺事態法案それ自体の中には入っておりませんけれども、しかし自衛隊法の中の上官の命令に対する服従の義務でありますとか、あるいはガイドラインに基づいて今度つくられるいわゆる共通の実施要領、これは交戦規則のことだと言われておりますけれども、そういう交戦規則のあり方の国際的標準から見ておりましても、部隊としての武器の使用ということが当然に出てくるであろう。  そう考えますと、先の方の御質問の一体化の問題は、アメリカの武力行使と一体化しないという問題と、日本の自衛隊自身が武力を行使するということと、両方の問題があるだろうと思いますけれども、前者の方は、これはもう私るる申しません。国際的な軍事的な常識となっております。前線の戦闘行為と後方と言われる兵たんの部分との一体化ということはほぼ常識であろうと思いますし、自衛隊自身の武力行使に関しましては、先ほど申しましたような武器使用のところから既に明らかであって、どちらの面から見ても憲法上許されないのではないか、九条一項の禁止をしているところではないかと私は思っております。
  98. 笠井亮

    ○笠井亮君 時間が来ましたので、森本公述人には前に調査会で伺ったことがありましたが、また次の機会にお願いしたいと思います。  ありがとうございました。
  99. 照屋寛徳

    照屋寛徳君 両公述人には、貴重な意見を拝聴することができまして感謝を申し上げたいと思います。  私は沖縄選出でありますが、我が国の防衛や安全保障を考える場合に、一方でその防衛や安全保障で負担や犠牲をどう国民が分かち合うのかということを十分吟味しないとおかしいと思うんですね。私は五十三年基地の島で生きてきて、そして毎日のように基地と向き合って生きてきてよくわかりますのは、我が国は平和憲法が最高法規であるというふうに教えられてきた。ところが、沖縄に住んでいるとそうじゃないんです。そのことが毎日の生活の中でよくわかるんです。そうじゃなくして、実態はどうかというと、平和憲法の理念、憲法そのものが安保法体系、安保条約や地位協定やさまざまなそういうものによって食いつぶされている、これが実態なんです。  あさって、嘉手納飛行場で三軍のパラシュート降下訓練が強行されようとしております。これは特殊部隊を含めて、グリーンベレーを含めて、海兵隊もそれから空軍も加わるという訓練であります。ところが、実際には、嘉手納飛行場は日米合同委員会で、いわゆる五・一五メモでもって飛行場を主たる提供目的にしているにもかかわらず、そこで軍事訓練をやるということです。しかも、政府やあるいは外交・防衛の評論家の皆さんは、今、日米関係が大事だとかSACOの最終合意を円滑に実施することが大事だと言いながら、あるいはSACOの合意では伊江島に移す、こういうことを両政府で決めてあるにもかかわらずそれを実行しない、こういうことが平気で行われているわけです。  それで、私はまず小林公述人に、我が国の外交・防衛、安全保障を考える上で、憲法と今の安保法体系というものをどういうふうに考えておられるか、お聞かせをいただきたいと思います。
  100. 小林武

    公述人(小林武君) 本当に時間が短いだろうと思いますので、私、例えば今回さまざまな自治体でいわゆる非核証明をとらせる、それを持っている艦船のみの入港を認める、こういうことの条例が、今その動きが大変盛んになっておりますけれども、ここでも今おっしゃったような憲法体系と安保体系の矛盾というものが非常に如実に出てきているだろうと思います。  政府の論理は、アメリカの艦船が日本の港湾に出入りすることは、安保条約上アメリカに認められているいわばアメリカの資格、権利であるという、こういう立場ですね。しかしながら、私どもが持っている憲法と地方自治法の、つまり憲法法体系の通説的な理解からいたしますと、一般的にそのような地位にアメリカあるいはアメリカ軍はありましょうけれども、しかしながら個々の船の個別の入港に関してはそれは地方自治体の自治事務の問題でありまして、これは地方自治法上及びその頂点にあります憲法に支えられたものである、そういうことを根拠にして神戸はかなり長い間実績を持っておりますし、また高知県を初めとしてそうした条例制定の動きがある。  このようにして、本来は私は憲法的価値、憲法法体系こそ我が国の基本にならなければならないところ、この安保法体系というものとの間の矛盾が非常に大きくなっていて、政府がしばしば安保体系の方に依拠しようとしている姿勢を持っているのはやはり正しくないのではないのか、考え直すべきではないのか。今回の条例の問題なんかをめぐってもそのように考えている次第です。
  101. 照屋寛徳

    照屋寛徳君 アメリカが同盟関係を結んでいるのは世界で五十カ国ぐらいあるんですかね。ところが、そのほとんどはアメリカの軍隊が駐留していないか、ほんの少し駐留しているという状態なんです。日本のように、また沖縄に過密な基地を置いて軍隊が駐留するなんというのはもう極めて異常なんです。  それで、森本公述人にお伺いいたしますが、思いやり予算についてはどういうふうに考えておられますか。
  102. 森本敏

    公述人(森本敏君) いわゆる思いやり予算という言葉を今は使うかどうか私も正確に知らないんですが、接受国支援、いわゆるホスト・ネーション・サポートというのは、安保条約に基づいて、米軍が我が国に駐留することに係る経費を我が国が必要最小限、現在の日米協定のもとで提供するということにより、米軍の活動と在日米軍の基地を安定的に使用するために非常に重要な役割を果たしておると考えております。このことは従来からアメリカ政府が、米国が同盟条約を結んでおる他の同盟諸国の中でぬきんでたかつ重要な貢献である、そのことによって米軍がこの地域にプレゼンスすることを大変サポートしている、このように考えており、現在我が国の防衛予算の中で約一〇%ほどのホスト・ネーション・サポートを我が国が在日米軍のために拠出しているのは我が国として必要最小限度の妥当な協力ではないかというふうに、かように考えています。
  103. 照屋寛徳

    照屋寛徳君 終わります。
  104. 月原茂皓

    ○月原茂皓君 自由党の月原です。  森本先生、小林先生には、きょうはありがとうございます。  それでは、質問させてもらいます。  限られた時間でございますので、私の方から一方的にまず質問をさせていただいた後、お答えしていただきたいと思います。もっと議論を深めたいものは、また別の機会にしたいと思います。  森本先生にまずお尋ねしますが、国家情報室の独立、国家安全保障法の制定初め大体の方向については、私は大いに賛成であります。  そこで、一、二お尋ねしたいんですが、先生のレポートに、BMDについて中国との率直な協議を始めると。こちらの説明をするなら別ですが、日本の場合はギブ・アンド・テーク、外交というのはすべてギブ・アンド・テークですから、その場合に日本は何をギブすることができるんだと、この包括的なプロジェクトという中にあると思うんですが、どういうことを考えられておるのかということが一つであります。これは我が国の主権の問題だと私は思っております。  それから次に、北朝鮮政策のあり方ということで、鈴木議員にも答えられておりましたが、次の点を明らかにしていただきたいと思います。  「例えば、ミサイル脅威に対しては、米国の抑止機能を強化すると共に、日本としても必要に応じて、個別的自衛権行使のための兵器体系を整備する」。私は欠落した部分があると思います。ですから、そういうものをセットで持っていなければ米国と本当の意味の協力もできないし、国益によって、もう既に米朝合意の交渉を見ても韓国と米国と日本とでは温度差があるわけであります。極端に言えば、この交渉が成功しても北朝鮮においては核が存在する、ミサイルはある、これを除去することは不可能であります、既にあるものを。アメリカの方は、一、二発あるだろう、こういう推測をしておる。だから、常にそういうものを持った国と我々は向き合わなければならない。  そういうところからいって、私は、戦争をするとかそんなのじゃなくて、ちゃんとした形を日本の国として持っておく必要がある、そういう意味で兵器体系を整備する必要があるという、どういうふうな欠落部分があるのかということを教えていただきたい、このように思います。  それから次に、小林公述人にお願いいたします。  私は、ガイドラインの問題は、またガイドラインの委員会もできますので先生もそこで御意見を述べられる機会があると思いますので、あえてそれは飛ばします。  基本的に先生は、憲法の問題で私は憲法の変遷論をとっております。この憲法九条の問題については先生も御承知だと思いますが、マッカーサー司令部の日本政策余り立ち入って話をするといけませんが、日本の占領政策を円滑にするためにあえて九条というものを設けたと、それは御承知だと思うんです。佐藤功先生なんかの論文にも出ております。ですから、そういうふうな背景があり、また日本国憲法ができた後、国際連合憲章に三十一年に加入している。  私は、もろもろのことを考えたときに、日本の学者というのはドイツで学んだ人が多いんです。私の憲法の先生もドイツで勉強してきている。ところが、憲法そのものは何かというと、英米法的につくっておるわけです。ところが、改正は非常に難しくしておる。ここに大きなジレンマがあるわけです。  そこで、余り時間がありませんのでお伺いさせていただきますけれども、拉致それから覚せい剤の密輸、そういうことが北朝鮮によって行われて我が国の主権を侵しておりますが、そういう問題について先生はどういうふうに解決しようとされているのか、お伺いして終わります。
  105. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) 既に質疑の持ち時間が経過をしている中で、公述人には大変御苦労が多いと思いますが、ひとつお答えください。
  106. 森本敏

    公述人(森本敏君) 質問は二点に絞られていますので、要領よくお話しします。  中国とのBMDの話し合いですが、先生御指摘のように、本来、国家の防衛政策、外交政策を一々他国に説明する必要はないと思います。その点については、これが主権の問題であるかどうかは別として、我が国は中国から持っておる兵器体系その他について説明を受けたことがありませんので必要はないと思います。  しかし、ここのところ数年にわたり中国がBMDについて我が国に指摘している主要な点はおよそ多方面にわたって誤解に基づく点が多いわけで、例えばBMDをもって中国を攻撃できるとか、あるいはBMDは日本のICBM技術の基礎になるとかといった不必要な誤解に基づく理解をしているのであれば、そのような誤解を解くために率直な話し合いをすることは我が国にとって必要な手段ではないか、かように考えて書いたわけです。  二点目の個別的自衛権については、まさに我が国の領域、領海の中に他国のミサイルが落ち込むというふうなことがあれば、これは国連憲章五十一条に基づく個別的自衛権を行使して必要な措置をとる必要がありますけれども、この場合、例えば実際にそのようなことが起きて我が国が北朝鮮のミサイルサイトを攻撃するといったことを仮に考えた場合、我が国の現在の防衛システムでは、できるにはできますが、例えば戦闘機で攻撃する場合に、F4という戦闘機では航続距離が十分ありませんし、またこの飛行機を導入するときに空中給油の装置を外してしまっていますので、空中給油の飛行機を買ったり、米国から協力を得たとしてもF4そのものの改修が必要であるということや、現在これら我が国が持つ戦闘機のミサイルは対艦攻撃用であり対地攻撃用では必ずしもない。これは艦艇についても同じことが言えます。したがって、艦艇用ではなく対地用のミサイル攻撃ができる必要な改修もしくは必要なミサイルを導入し、きちっと対応できる力を持っておくということも外交交渉をやる重要な手段になるのではないか、かように考えております。
  107. 小林武

    公述人(小林武君) 二点あったと思います。  一つは、憲法制定経過にかかわってマッカーサーの占領政策との関係のみを御指摘されましたけれども、それはかなり偏った理解でありましょうし、基本的に国民の平和への悲願は大変大きいわけでして、これはずっと今日でも日本社会の大きな底流だろうと思います。  二つ目は、憲法変遷論をとられるお立場のようですけれども、この変遷論というのは憲法規範は変わっていなくても規範の対象となっている現実が変わったから憲法条文が規範力をなくしたというかなり特殊な議論なのです。  そういう点で考えますと、例えば最高裁の判例は現在でも自衛隊を合憲とはしていないわけです。違憲ともしておりませんが合憲とはしていない。あるいは、日本の世論は憲法九条の改正を必ずしも支持しているわけではないなどのファクターからしまして、憲法変遷論を九条に当てはめることは学会では極めて少数説にとどまっているわけです。このあたりもっと進めて議論をしたいというふうに思います。
  108. 月原茂皓

    ○月原茂皓君 ありがとうございました。
  109. 山崎力

    山崎力君 限られた時間でございますので、申しわけないんですが森本公述人にはちょっとこの際御遠慮いただくことにしまして、小林公述人に質問したいと思います。  まず第一点、先生は通説に従って大体憲法の解釈をなさっているというふうにおっしゃっておられましたが、通説上のそういった方々は、自衛隊は憲法違反だと思っているんでしょうか、あるいは日米安保条約は憲法違反だと思っているんでしょうか。
  110. 小林武

    公述人(小林武君) 結論的に申しまして、自衛隊に関しましても安保条約に基づく米軍の駐留に関しましても、日本国憲法が我が国自身が戦力を持つことも、また我が国が他国と同盟を結んで他国の戦力の駐留を認めることも否定しているという、そういう考えでありますから、解釈論上の通説はそれを違憲とするのが結論でございます。
  111. 山崎力

    山崎力君 その場合、国家としての生存権を担保する装置は何を考えているんでしょうか。
  112. 小林武

    公述人(小林武君) 大変難しい議論ですけれども、国家が自衛権を有しているという、先ほど生存というふうに言われましたのも、きっとそれらの権利、大変それは自然権的な権利ということになってくるだろうと思いますが、そういうものをベースとしてのお話だろうと思うんですね。お話といいますか、議論としても客観的にそうでございます。  その場合に、少なくとも日本国憲法が誕生するまでの世界の憲法やあるいは国際文書の中では、自衛権の実現の仕方というのはイコールやはり戦力、日本の場合には自衛力というふうに政府はずっと言葉を使ってきていますけれども、そのような自衛の権利を生かすものはそれを担保する戦力であるという、こういう理解があったわけです。  ただ、日本国憲法の場合にはかなりそれを原理的に転換しているのだろうと思います。戦力を持たない形で生存、つまり自衛の権利、その権利自体を憲法は否定するものではありませんけれども、そういう権利を軍事力以外の方法で実現するのだという、こういう方向をとっただろうと思います。その点で学説は分かれまして、そうであればそれまでの自衛権概念とは大きく違います。  ですから、自衛権それ自体をそもそも否定したのだという、こういう見解も出てきておりますけれども、しかし大きくは、自衛権を憲法は当然前提にしながら、自衛権の実現の手段として軍事力によらないもの、そういう形で自衛権の実現を図る、こういうふうに考えていると思います。
  113. 山崎力

    山崎力君 その後者の場合に、具体的にそれをやるものは何だというふうに考えていらっしゃるんでしょうか。
  114. 小林武

    公述人(小林武君) 私は、必ずしもそれに答えるべき立場ではないと思うんですけれども、一般的に議論されておりますのはやはり大きな平和政策です。  大きなと申しますのは、外交交渉が前提になり、あるいはまた国や社会のあり方自体が平和国家であるということ、さらには他国との関係におきましても特定の国家との同盟、ましてや軍事的同盟を結ばずにすべての国との間で対等な平和的友好関係を持つなど、そういうふうな総合的な大きな形での平和外交、平和政策、そのことによって自衛の権利を実現するのだ、これが基本だろうと思います。
  115. 山崎力

    山崎力君 そういうのは自衛権の行使とは言わないんじゃないですか。  いわゆる自然権的な考え方からいく正当防衛権、個人の正当防衛権の場合もいわゆる急迫不正の侵害については実力行使ができる、可能である、これは他者についても同じだというふうに、極めて個人のレベルにおいてはいわゆる集団的自衛権的なものも認めている刑法体系になっているわけです。これは自然法的な流れで世界各国共通の正当防衛概念だ。それを日本が別の概念を持ってこようとして、今おっしゃられたような具体的な方向というのは、隣人に対してなるべくけんかしないようにしましょうとか、何か危害があったら、国は逃げられませんけれども、個人はその場を離れましょうとか、あるいは警察力、国連のあれを強化しましょうとかというのはあるんだけれども、最後の生存権というのは、国であれ個人であれ、自分自身でやらなきゃいかぬという考え方がどうしても自然法的に抜け切れないし、それが世界の通説だと思うんですが、そこに対する考え方というか、新しい概念というものの説明にはなっていないと思うんです。もう少し国民にわかりやすくそこを言わない限りちょっと問題だと思うんですけれども、いかがでしょうか。
  116. 小林武

    公述人(小林武君) 私の立場、つまり学会に籍を置いている一人としての立場からそのようなことについてどのように申し上げるか、かなり迷うところがあります。だから、客観的に説明しているということになりますが、そして私の主観的な意見を言うということになりますが、国連の中でちょっとお触れになりました集団的自衛権が憲章上も認められているというのは、あれはぎりぎりになって認められたことです。国連憲章の出発のときにはなかった、議論の最初にはなかったもので、かなり政治的な経過を経て入ってきたわけであって、むしろ例外的な規定なんだろうと思います。やはり、せいぜいのところ個別的自衛権だろうと思います。  さて、それを生かすやり方として、日本国憲法の場合本当に議論はあるわけでありますけれども、そのような一切の実力を考えないということであれば、それは実際上一つのユートピアになってしまうのではないかという議論に対しては、確かに学会の中でも警察力でありますとか……(「ナンセンスですよ」と呼ぶ者あり)いやいや、そういう議論があるということです。そういう議論があります。  私は、そういうふうには思わずに、ある意味でもっと徹底して、この公述の中でも申しましたように、お聞きくださったと思いますけれども、やはり平和に徹する外交ということがむしろ現実の安全保障にそぐうのだと私は考えているわけです。
  117. 山崎力

    山崎力君 時間ですので、終わります。
  118. 佐藤道夫

    佐藤道夫君 公述の範囲を多少踏み出すかもしれませんけれども、昨年八月に行われましたアメリカのスーダンとアフガンに対するミサイル攻撃、これを法律的にどう理解したらいいのかということでお教え願えれば、こう思います。  アメリカは、その直前にアフリカにあるアメリカ大使館がアラブテロリストに襲撃されて多くの犠牲者を出した、その報復であると。調べた結果、テロ犯人たちが潜伏している場所がわかった、その場所に対してミサイル攻撃をかけたんだ、こういう説明でありました。これに対して、スーダン政府は直ちに厳重に抗議いたしまして、あれは単なる民間の薬品工場にすぎない、しかも国連からの依頼を受けてイラクに送る薬をつくっている場所であった、それを一方的に攻撃するとは何事かということを言いまして、国連に至急調査団の派遣も要請しましたけれども、国連は応じた気配はありませんでした。この件に対して日本政府は、間髪を入れず、アメリカの態度を理解する、ミサイル攻撃を理解するという声明も出しました。  これは実は大変に法律的には説明の困難なことであります。日本国内にも過激派分子がまだ頑張っておりますけれども、彼らがあるとき急にアメリカに対して攻撃の矢を向けまして、爆弾テロをアメリカ大使館にしかける、あるいは領事館を襲う、米軍基地を襲う、アメリカ人を殺害する、こういう挙に出た場合に、日本の警察は一生懸命犯人を検挙しようと頑張るが、なかなか証拠が集まらないと。アメリカはもうやきもきして、日本の警察なんか当てにならぬ、自分たちで調べたらやつらの犯行に間違いない、その犯人たちはあそことあそこに隠れているということで、そこにミサイル攻撃でもしかけたらこれはどえらい話になるわけで、国対国の問題、日本国がアメリカから攻撃されたということで日本国じゅう憤激するだろうと思いますけれども、日本政府は依然として、いやアメリカの態度は理解できる、全面的に支持する、こう言うんだろうと思うんですが、一体こんなことが許されるんだろうか。  アメリカは世界の守護神、警察官をもって任じておりますけれども、警察官というのは法的手続を遵守してもらわなきゃ困るわけです。あっ、あそこに過激犯人がいた、凶悪犯人がいた、逮捕状を持っていない、ああ面倒くさいや、射殺してしまえと。これはもう単純な殺人事件ですから、その警察官は厳重に処罰されるわけでありますが、国際問題、アメリカのやることになりますと、一から十まで仰せごもっとも、こういうことは一体法律的にどう理解したらいいのか。特に、法学会でこの問題を取り上げられて議論されたかと思うと、どうも余り議論している気配もなさそうでありますけれども、公述人の周辺でどのような議論が行われたか。  また、こちら側の公述人にも、周辺でどういう議論があって、御自分はどういう理解を示されたのか、見解をまとめられたのか。その辺、ちょっと短い時間ですけれども、お教え願えれば、こう思います。
  119. 森本敏

    公述人(森本敏君) 御質問の趣旨は私なりに理解しましたが、このことについて、私は国際法学者でもなく、かつまた事実関係を必ずしも十分にわきまえないで個人の勝手な意見を言うということになりますが、その点はお許しいただきたいのです。  私は、アメリカがスーダンとアフガンに攻撃をしたときに、アフガンのイスラム原理主義者のいわゆる訓練サイトに攻撃をしたことは、これはアメリカが国連憲章五十一条に基づく個別的自衛権を行使するものとして正当化される処置であったのではないかと今でも考えております。  しかし、御指摘のように、スーダンに対する攻撃は、その後アメリカの説明を注意深く聞く限り、スーダンの中にある工場がテロによって使用され、将来米国人を初めとする先進諸国の人々に攻撃を加えるおそれがあるので、これを予防するために攻撃をしたという説明だけで、このスーダンに対するミサイル攻撃を国際法上正当化するにはいささか無理があるのではないかと考えております。  他方、私はアメリカ大使館にいるときからアフリカ問題を長く扱ってきたので、もちろんその後民間人間になりましたので必ずしも詳細な情報を知っているわけではありませんが、スーダンはかつてエジプトとともにアメリカの友好国で、いわゆる中東問題に重要な役割を果たしてきたアメリカにとっては大変親しみのある国だったのですが、このスーダンが八〇年代の末以降、いわばイスラム原理主義者の一種の訓練センターのような役割を果たすようになって以来、アメリカにとってはスーダン自身が一つの国家としての攻撃の対象にずっと長くなっていたのではないかと思います。  つまり、そういった過去の政治的、歴史的背景があって今回スーダンへのミサイル攻撃が行われたのであって、単にその工場から製造される化学兵器その他がテロに使われるのを未然に防いだというふうな単純なものではないのではないか、このような印象を持っていますし、また、このことについてはアメリカ自身の中にも反省も批判もあり、このところアメリカのこの種の活動にやや合理的でない面が見られることについては先生の御指摘のとおりで、その点については全く同感でございます。
  120. 小林武

    公述人(小林武君) アメリカが世界の警察官として振る舞っている、特に冷戦後はそういうふうな傾向や状況を我々はしばしば目にするということについて御指摘なさったところ、私も同感でございます。大変疑問に思っております。  先ほど申されました事例に関しては、少なくとも国連の決議が必要なのではないのかというふうに思っておりますし、アメリカの説明としても、個別的自衛権の行使の中に含めて説明することは困難であろうというふうに私は考えております。  こういう事柄が今日の国会の議論にどのように影響するかということを考えますと、むしろ一口に言って、周辺事態法というものの持っている我が国にとっての危険性というものを示しているのではないのか。つまり、簡単に申しますけれども、周辺の地理的な限界がないということから考えても、また結局のところは、その事態たるものは、アメリカが事態である、有事であると考えたものが周辺の事態となってくるというところから考えても、こうしたものを含んだ形で周辺事態というふうに動いてまいりますと、これは大変に危険なものであろうというのが私の考え方でございます。
  121. 佐藤道夫

    佐藤道夫君 終わります。
  122. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  速記をとめてください。    〔速記中止〕
  123. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) 速記を起こしてください。     ─────────────
  124. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) それでは、引き続き公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつ申し上げます。  お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。  本日は、平成十一年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えを願いたいと存じます。  まず、環境について、公述人株式会社環境総合研究所代表取締役所長青山貞一君から御意見を伺います。青山公述人
  125. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) 環境総合研究所の所長であります青山です。  きょうは、参議院の予算委員会の公聴会で発言する機会をいただきましてありがとうございます。  私は資料を三つほど用意しておりますが、一つは、昨年の十月二日、衆議院でダイオキシン問題につきまして意見を述べろということで述べたときの発言要旨であります。  実は、きょう同じものをお持ちしました。と申しますのは、私から皆様に公述したい内容はほぼ同じことであります。つまり、衆議院で私が述べましたことをその後も実は立法府に対しましては同じことを申し上げたいということがあるからでございます。今回の所沢の問題に関連する部分をそれにつけ加え、これから申し上げます。もちろん一字一句申し上げる時間はございませんので、要点を申し上げたいと思います。  課題一、「ダイオキシン類に関する法整備の遅れ」。  御承知のように、ごみを燃やしてダイオキシンが出るということがわかったのは今から二十二年前、オランダであります。先進国は、オランダ、ドイツ、その後アメリカ、法的な整備をさまざま行いましてダイオキシン汚染はかなり削減しております。  我が国は、御承知のように一昨年、一九九七年にやっと大気汚染の部分についてのみ法的な整備を行い、昨年十二月から施行されました。土壌、例えば土につきましては、昨年、環境庁が中間報告で千ピコグラムというのを出しましたけれども、例えばドイツが農業をやっても問題ないという五ピコグラム、四十を超えたら土を修復しなくちゃいけない、子供が遊ぶところは百以内でないといけないということからしますと、住宅地の千以上というのは、これはとてつもなく実は緩い値であります。  かくかくダイオキシンに関しまして、やはり私は、省庁に任せるのではなく、皆様立法府が法律をつくりこれを規制する、これが肝要かと思います。つまり、政治の問題であり、立法府の問題だと思います。  今回、図らずも私が申し上げた数字がいろいろな問題になりましたけれども、実は私が申し上げた直後にそれぞれ安全宣言が出されました。民間の一研究機関の人間がたまたま発表したことで問題が起こって、その後、ほとんどデータもないまま、もしくはJA所沢といえども民間でございます、そこがやむなく出した数字ですぐ安全宣言される、政府が追認する、これは到底私は信じられないことであります。  かくなる上からいっても、ぜひ立法府でこのダイオキシン問題に関しましては法的整備をお願いしたいのが一点であります。法的整備もなるべく政省令を多用しなくて、本文の中に重要なところを入れていただきたいと思います。  課題二、「全国一律の規制、基準、指針でよいのか」。  これは、所沢市には私は何回も申し上げております。十キロ掛ける十キロの中に約五、六十の焼却炉があります。このような地域は世界広しといえど私は見たことはありません。ルイジアナに似たようなところはありますけれども、これほどの数はございません。つまり、今回の問題の本質は、非常に狭いところに多くの焼却炉、中間処理施設が集中していることであります。一般廃棄物もあれば産業廃棄物もございます。その問題抜きにそれ以外のことを論じても余り意味がないとすら思います。  そこで、今、国民の食の安全、食べるものの中に含まれる農薬、殺虫剤、除草剤、ダイオキシン、コプラナーPCB、そういうものに対する関心が非常に高いと思います。そういう地域で農地と焼却炉が混在している、そういう現実をやはり直視していただきたいというふうに思います。  三つ目、「測定分析だけでなく、対策、政策立案のための調査を」。  この一、二年、ダイオキシン問題も関心が高まり、予算も随分つきました。しかし、私に言わせれば、肝心な部分での調査が余りなされていないということがあります。肝心な部分というのは何かと言いますと、ダイオキシンが体内に入る九〇%が実は食べ物からと言われています。従来、肉とか魚が危ない、多いと言われてきました。それは一般論であります。今回の話で私が申し上げたいのは、高い汚染の地域の農作物は決して肉より低くない、逆に高い、近海物のお魚とほとんど同じだということがあります。  もちろん、厚生省が出していますデータは極めて限られていますから、それと比較しただけで確定的なことは申し上げられませんが、例えばホウレンソウ、平成八年厚生省のは全国で三つだけです。関東一カ所、近畿一カ所、九州一カ所。その三つのうちの一つの関東がどこかも明記しておりません。それしかデータがない中で、所沢周辺のように高い汚染地域の食の問題が、たまたま私どもが調査したことを申し上げただけでこういうふうになる。これは、明らかに省庁のやるべきことをやっていないことがもともとの原因ではないかというふうに私は考えております。  四つ目、「測定分析の精度管理、価格について」。  そこにいらっしゃいます加藤修一参議院議員が先般予算委員会で、日本のダイオキシン測定分析は国際標準じゃないと。厚生省がいろいろと環境庁に指示したり、自治体に指示したと思うんです。これは環境庁にいる私の友人からもそのようなことを伺っています。国際的におよそ通用しないような表示の仕方、検出値以下では全部ゼロにする、これは平均値を全部下げます。日本人はこれだけダイオキシン汚染があるにもかかわらず血液の平均が低いとか、所沢市が行った調査、三十五人分、これが平均で八・二ピコグラム。平均では通常二十ぐらいと言われています。あの所沢で八・二。よく見てみましたら、ほとんど検出されず、それを全部ゼロにしていました。これをもしWHO方式でやれば、ここには書いてありませんが十五ピコ、アメリカ環境保護庁方式では二十一・四になりました。二十一・四とか十五になるものが八・二と住民に説明されて、住民はだから安全だというふうに説明されています。つまり、国際的なはかり方でないものをもとに、日本だけでしか通用しない。  私どもはカナダ政府に紹介されました。ついこの間もカナダ大使の公邸に呼ばれまして、向こうから来られている天然資源省の次官、女性の方です、その方とこの問題をお話ししました。日本の現状を私は全部説明しました。なぜカナダとあえて技術協定を結んでこれをやっているか。それはカナダ、アメリカは国際標準でやっているからです。もし日本の業者であれば厚生省の言うことは聞かざるを得ません。  ですから、ホウレンソウの値も、例えばアメリカ方式でやりますと、高いものでは比較的、二五%ぐらいですけれども、低いものは四倍にもなります。そういう現実をまず見ていただきたいと思います。  あと、厚生省が行っていますトータルダイエット調査というのがあります。これも今言った国際標準じゃないやり方でやっていますから、実際は二、三倍当然高くなってしまいます。これはちょっと技術的な話であります。  五番は外します。  六番。環境ホルモンがここ二、三年、アメリカもゴア副大統領が中心になりまして非常に熱心に研究されています。環境庁によれば、日本環境ホルモンの六〇%は農薬です。食の安全というのがこれほど国民の関心がある中で、環境ホルモンの六〇%を占めます農薬、しかもダイオキシンは環境ホルモンの中でも一番毒性が強いものであります。そのような問題が、日本じゅうでホウレンソウが一年に三つしか国によってはかられていない、そういう現実は非常に憂慮すべき問題だと私は思います。  皆さん御承知のように、PL、製造物責任という言葉がございます。製造物責任というのは工業製品について言われておりますが、実は食べるものに対しての製造物責任というものもあってしかるべきだと思います。日本は世界一ごみを燃やしている国です。その結果起こっているダイオキシン、ほかの国はもうとっくに、例えばドイツは年間で三グラム、日本は五キロとか八キロとか言われています。そういう中で、それは僕は本当に農民の方はかわいそうだと思っています。今回も、図らずも私たちの話が農民の方にああいうことになったことは私はお気の毒だと思います。しかし、その根源を断つことなしに問題の本質を違う方に持っていくということに関して、私は断じてあってはいけないというふうに思っています。  課題八、「国際標準との関係」。  これは、WHOが一から四というTDI、一人一日体重一キログラムの摂取量を出しています。一から四です。  ここで一つ、私はあえて申し上げたいことがあります。私のところに毎日全国の自治体の方からインターネットでメールが来ます。二月十八日、新潟県で開かれました環境庁の環境安全課の保健専門官、厚生省から出向されている方です。医者です。この方が、WHOの一だ四だ、環境庁の五だ、厚生省の十だ、ああだこうだ言っているけれども、たばこを吸う方がよっぽど問題だ、騒ぎ過ぎだということを講習会で言われています。その方はびっくりされて私のところに送られてきました。環境安全課といえばPRTR、これから環境庁が出す法案の事務局です。環境ホルモンの事務局です。そこの専門官、しかも環境庁に出向されています厚生省の役人、医者です。その方が今のような状況を、単に騒ぎ過ぎだ、TDIが一でも四でも一兆分の数グラムはそれこそ余り関係ないということを言われていた。僕はびっくりしました。名前も全部わかっています。  もし法律をつくられるならば、私はやはり一から四という国際的な動向を踏まえるべきだと思います。そうすれば、例えば今回のホウレンソウを三十グラム、四十グラム、五十グラム、それは体重によって変わります、食べて一グラムを超えるような状態というのはいかにおかしいか。所沢の農民の方の問題ではありません。そういう現実がおかしいということを皆さんがわかられるのではないかと思います。  課題九、「最終処分場における汚染実態」。  今まで焼却炉の問題ばかりが問題になりました、燃やすことが。燃やした後に何が残るんでしょうか。飛灰、焼却灰が残ります。その飛灰、焼却灰はどこに捨てられているんでしょうか。山林、農地のそばです。従来、焼却灰は飛ばないと言われてきました。焼却灰は飛ばないというのはどういうことかといいますと、処分場から外に出ない。  私どもは去年の十一月に、日の出にあります谷戸沢最終処分場、住民の方から依頼を受けてカナダに送ってみました。一番高いのは二百九十四ピコグラムです。一昨日、別のアメリカの研究所に送った結果が来ました。住民の方が自分お金を払った。二百二十ピコです。飛んでいるわけです。出ているわけです。そこにも農地があるわけです。子供が遊んでいるわけです。  ですから、私が法的な整備が必要だと言うのは、厚生省の言うこと、官僚の言うことを聞いていて、飛ばない飛ばないと言っていることでは到底住民の方は安心できないと思います。実際、その二百九十四ピコグラムが出ているところは子供たちが毎日通っています、ハイキングコースであります。  十番、「野菜など食物データ」。  私の場合、「など」と、去年の十月二日も実は入っていました。お役人ですと必ず「など」というのを入れると思いますけれども、私も、いろんなものが入っていますから、「など」と入っています。  実は、食べ物からの摂取が一番大きいと言われていますけれども、肉が危ない、近海物が危ないと言われていますけれども、今回の野菜、お茶はそれより場合によっては高いものがあった。お茶は二%しか出ないということを勝手に埼玉県さんは言われています。何ら根拠はありません。もちろん二%かもしれません。DDTの値で、どこかから持ってきたものでした。  この間、カナダの次官とお話をしたときに、そもそも自分たちが、日本人はお茶が好きなわけです、毎日毎日飲むものの中にダイオキシンが入っているということ自身が異常なわけです。  二%と仮にします。九八%はどこへ行っちゃうんでしょうか。九八%を毎日捨てているんじゃないですか。捨てるごみの中にまた高い濃度のダイオキシンを捨てることになります。  それから、所沢では、調べてみたところ、お茶をふりかけにしたりいろいろな形で直接食べることがあります。実際、調べてみました。売っていました。揚げ物にもつけて、まぶしてやっていました。その場合には、まさに三・八ピコが入るわけです。  ですから私は、お茶の話は申し上げなかったのは、実はお茶といえばあの辺では狭山茶に決まっています。所沢一帯全部が範囲です。ですから、厳密に言えばその問題が一つ。もう一つは、サンプルを提供された方がお茶をやっている方です。その方が、さもなくても、その後私のところに、だれがサンプルを送ったんだと。簡単に言えば提供者に対するプライバシー的な問題とか、その人に対するいろんな嫌がらせがかかる可能性がある。ですから、私はずっと申し上げませんでしたけれども、やはり言わざるを得ないということで、御本人の了解を得まして埼玉県にお送りしました。  お茶の問題というのは、まさに私は、二%溶出だから問題ないどころか、毎日私たちが、日本人が本当によく飲むものの中には入っているという現実こそ見るべきじゃないかなというふうに思います。  次に、これは十二番。省庁がそれぞれ、農水省、環境庁、厚生省、労働省、ダイオキシンの対策会議をこの間ずっと持っています。それぞれ委員会、検討会、場合によってはまた環境庁は審議会をやっています。しかし、私どもは、例えば環境庁の土壌農薬課がやっております土壌ダイオキシン検討会の議事録を見せてくれということを最初から言っていました。ところが、議事録は二カ月後ぐらいでないと出ません。しかも、御本人がオーケーを言った方以外は名前も書かれておりません。  一つの例を皆さんの資料のところに入れてあります。私どもの自主研究のところの最後のページです。摂南大学の宮田先生は御自身の名前を出してもいいということで入れてあります。それをちょっと見ていただくとすぐにわかりますが、最後の八ページです。アンダーラインを引いてあります。  例えば、宮田教授環境庁の委員会では何を言っているか。「魚よりはるかに高くなってしまうという気もしております。小さい焼却場でも、その発生濃度いかんによって野菜が影響を受けるということです。」。もう一つ、「まとめますと、人体影響評価というようなところは総合的に考えていく必要があるのではないか。それは、松の葉っぱということを考えますと、さらに野菜というものも非常に大きな要素になってきます。」とおっしゃっています。  つまり、早くそういう議事録が国民の前に公開されればそういうことはわかるわけです。私どもは専門ですから、私の会社は実は環境庁の仕事はもうずっとやっていますから、そういうことは当然わかっています。環境庁の出しましたダイオキシンの大気の規制のもとは私どもが実は仕事でやっていました。今はやっていませんけれども、去年までやっていました。ですから、そういうことは私どもはわかります。しかし、国民の方はこれだけ関心がありながら、そういうことが知らされていない。つまり、省庁のやるいろいろな審議会、委員会、検討会はすべからく公開すべきだ、議事録も公開すべきだというのが十二番の趣旨であります。  十四番、「土地利用計画、環境基本計画との関係」。  そもそも土地利用がしっかりしていれば、農地の真ん中にあれだけの焼却施設がつくられるということはあり得ません。土地利用の規制を当然やるべきだと思います。  大体、以上が私の皆様に申し上げたいことでありますが、それ以外に資料をお持ちしておりますので、概略あと数分の中で申し上げます。  「ダイオキシン汚染自主調査研究」というのがございます。これは土屋知事にお送りしたものでなく、今回のためにつくったものであります。この一ページを見てください。左の方に焼却施設がありまして、右に人間の摂取というのがございます。最終的に人間の摂取は何で見るか。血液、母乳であります。  所沢、それから問題になっております、裁判も起こっております竜ケ崎、新利根町、ここの住民の方の血液を送っています、昨年の十一月から。近々記者発表されるでしょう。私は、実はその値があるからこそ今回の話を申し上げたんです。ここで安易に数字を何から何などと申し上げればまた同じことが起こりますから、申し上げません。  しかし、これは私は思うに、非常に憂慮するものであることは間違いありません、コプラナーPCBも入っています。昨年、宮田教授が、たしか六月だと思います、かなり高い値を同じ竜ケ崎の農民の方の濃度として発表されました。それを超えます。  私たちは、こういう調査をずっとやってきた中で、その一部をたまたま今回中間で出した。それは二ページを見てください。二ページの⑤、これが今回の所沢のお話であります、「農作物に含まれるダイオキシン類の実態把握」。次に⑥、「血液、母乳などの人体組織に含まれるダイオキシン類の実態把握と解析」があります。今これに入っています。これも早晩出したいと思っています。  皆さんは、冒頭申し上げましたけれども、省庁の行政だけでなく、ぜひ立法府としてこの問題に取り組んでいただきたいという背景はこういうところにございます。  あと、二ページには、何でそういうことをやったか。特に農作物について何でそういう調査が必要かということを書いてあります。  例えば、流通業、生協、コープとか言っています、その方々消費者に配布しているパンフレットを見てください。本当に農薬、殺虫剤、除草剤、ポストハーベスト、ダイオキシン、コプラナーPCB、いかにそういう口に入るものに対してそういう方々が熱心なのか、気を使っているかがよくわかります。私の会社は実は株式会社です。ですから、そういう方々が頼んできます。その方々と話せばよくわかります。  以上、大体私の考えを申し上げました。よろしくお願いいたします。(拍手)
  126. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) ありがとうございました。  次に、国際金融経済について、公述人伊藤忠商事株式会社金融部門チーフエコノミスト中島精也君から御意見を伺います。中島公述人
  127. 中島精也

    公述人中島精也君) 中島でございます。  きょうは、国際金融経済問題についてお話しいたしますが、皆様御存じのとおり、ことしヨーロッパでユーロという新しい通貨ができました。ですから、ユーロの誕生というものはことしの国際金融経済に関しまして全く歴史的な意義を持った、そういうものではないかと思っております。  そういう点で、私は、きょうの話はどちらかといいますと、ユーロが誕生したことによって国際金融経済に一体どのような影響が出てくるのか、それから、特にこれまで戦後唯一、基軸通貨として君臨してきたアメリカのドルの状況というものがそれによってどういうふうに変わっていくのか、そういう点について私の所見を述べさせていただきたいと思います。  まず最初に、ヨーロッパの情勢についてお話をしたいと思うんです。  ヨーロッパの通貨統合がことしでできたわけですけれども、この通貨統合は決して、今までずっと長い間ヨーロッパの統合という運動が進められてきたわけでございますけれども、欧州通貨統合はゴールではなくてあくまでも欧州統合の中の一つの通過点にすぎないと言っては大げさですけれども、重要な意義は持っていますけれども通過点であるということで、あくまでもヨーロッパの統合のゴールといいますものは、これは政治統合であります。  ただ、やっぱり政治統合というのはなかなかそう簡単にできるものじゃないという歴史的な経緯がありまして、結局、政治統合を進める前に経済の統合をまず進めて、経済の統合ができることによって政治統合へステップしていく、そういう二段階的な戦略をヨーロッパはとっているというふうに考えていいかと思います。  そういう点で、今回の経済統合、特に九三年にマーケットが統合いたしました、それからことし九九年に通貨が統合しました。そういうことで、いわゆる経済統合ということに関しましては大体完成に近いということで、これからヨーロッパから出てくる統合関係のニュースはかなり政治統合が中心になってくるかなと見ております。  それで、経済関係でございますけれども、市場統合と通貨統合が完成したということが一体どういうふうなことを意味するのかと申しますと、実は各国の個々の企業にとりまして、もはや関税が守ってくれるわけでもありませんし、それから非関税障壁が守ってくれるわけでもない、それから為替が守ってくれるわけでもないということで、個々の企業はあえて言えば裸で各国の企業と競争しなければいけない、そういう状況が生み出されたということでございます。  ですから、競争がヨーロッパで非常に激化いたしますので、その結果、企業は生き残りをかけるということで、業界の再編が進んでいくだろう。しかも、今世界はまさにグローバリゼーションと言われておりますけれども、このユーロの誕生というものが単に欧州域内の業界再編にとどまらず、それがグローバルな業界再編にまで発展してきているというところは、非常に注目される動きでございます。具体的に言いますと、ドイツのダイムラーとアメリカのクライスラーが合併してダイムラー・クライスラー社ができる、それからドイツ銀行がアメリカのバンカーストラストを買収する、そういうふうな具体的な例が出てきているわけでございます。  こういう業界再編の動きというものが金融面に当然影響してくるわけでございます。金融と実際のビジネスは裏表の関係にあるからでございます。  その業界再編が起きますと、具体的に言いますと、例えばある企業は生き残りをかけて別の会社を吸収したりあるいは合併したりと、そういういわゆるMアンドAという動きが活発化してくるわけです。MアンドAをやる場合に、当然のことながら買収するためには資金が要るわけです。巨額の資金が必要なんですけれども、ヨーロッパの場合、企業金融は大体銀行からお金を借りてやるといういわゆる間接金融、これが大体六割近いと言われております。ところが、そのような巨額の買収とか合併資金は、一つの銀行から借りるということは、銀行にとってもリスクが大きいわけですからなかなかそれは進まない。結果的にどうしてもそういう大きな資金というものはマーケットからとらざるを得ないということで、ヨーロッパの金融は間接金融から今度は直接金融へ移っていく、そういうことになると思うんです。それが調達サイドです。  それから、運用サイドでいいましても、これまで年金基金とかそういうものは、それは大事なお金をお預かりしているわけですからリスクを回避するという非常に保守的な運用の仕方が当然なされておりますし、当然それに対する各種の規制があるわけです。ところが、今回十一カ国で、ユーロゾーンと言いますけれども、そういうものができまして、そういう国の中ではいわゆる為替リスクというものが当然発生しないわけです。そうしますと、今までは例えばドイツ一国の中だけにとどまってなかなか国境を越えて出ることができなかったそういう年金ファンドなんかのお金が、そのユーロゾーンの中で非常に国境を越えて動き出す。そうしますと、全体としてこれは資本の取引というものが拡大してくるわけでございます。そういう点で資本の調達、それから運用、両サイドから考えてもユーロの資本市場というものは非常に大きく発展していく可能性はある。  そういうユーロ資本市場の将来性が非常に明るいということになりますと、そういうユーロに対しては当然国際的な目が向くというのは当然でございます。これまでは運用する場合にドルが唯一の国際通貨ですからドルにどうしても集中、依存せざるを得なかったのですけれども、ドルにかわるようなユーロができれば世界のファンドマネジャー、いわゆる大きなポートフォリオを抱えておりますそういう投資先を、資産をドル資産からユーロへ移そうという動きも当然出てくるでしょうし、また各国の中央銀行が保有しています外貨準備、これもある程度ドルの部分からユーロへ移す、そういう展開というものが当然期待される。そういう観点からいきますと、いわゆるユーロ建ての資本取引は国際的にもかなり活発化してくるだろうということが予想されるわけでございます。  ただ、貿易通貨、いわゆる貿易の決済でユーロがどれだけ使われるかとなりますと、これは若干疑問の点があります。それは貿易の場合ですと、貿易の契約の建て値を変えるということは、これは契約の相手がはっきり見えますから、金融取引のようにマーケットを通じてやる場合とは状況が違いますのでなかなかやりにくいという点が一つ。それともう一つ、これは非常に重要な点なんですけれども、アメリカが現在一兆五千とか二兆ドルという巨額の純債務を抱えております。アメリカがこれだけの純債務を抱えていながら、アジアの通貨危機が起きたようなああいう事態にならないというのは、いわゆる貿易決済で自国通貨のドルを使用できるからですね。  もしユーロが貿易決済通貨で非常に広く使われるようになり、仮に石油価格でもユーロが建て値になるということになりますと、世界最大の純債務国であるアメリカが対外決済のために外貨を使わなきゃいけない、外貨を調達しなきゃいけないということになるわけです。そうしますと、これまで世界の投資家はそういうファイナンスの心配がないからアメリカお金を預けておったのが、アメリカがそういう外貨決済の必要が生じてくれば今度は世界の投資家というものはアメリカに置いていたお金を引き出す可能性がある。それは、アメリカの株であり債券であり、それからドル、こういうものを三つとも下げる、いわゆるトリプル安ということが生じるおそれがあるわけです。そういう点でこれは非常に問題がある。  ことし一月からユーロが実際にスタートして、為替市場では実際昨年末から年初にはユーロは強くなるということが期待されておったのですけれども、現実の動きはほとんど対ドルでは一本調子でユーロは下落しております。ただ、これはそれをもって一部には何だ、ユーロというのは大したものじゃないということを言う市場筋もおりますけれども、このユーロの弱含みといいますものは、これはヨーロッパ経済が今若干景気の下降に入っております。ドイツの昨年の十―十二月の経済成長率は前期比でマイナスになっております。そういうことで、ヨーロッパの金利がこれから下がるんじゃないか、そういうマーケットの予想があったためにユーロが年初から売られてきているということでございまして、先ほどから申し上げています世界のポートフォリオの資金あるいは外貨準備、これがドルから離れてユーロヘ移っていく、こういう大きな流れ自体は変わらないと思いますので、長期的にはユーロというものはやはり強い通貨になっていくんじゃないか。  そこで、一番問題なのは、特にヨーロッパの政府の方なんかが一番気にしているのは、こういう世界の資産のドル離れ、ユーロシフト、これが急激にかつ大量に起きてしまう、これが一番実は危機のシナリオでありまして、これを避けるためにヨーロッパの政府は何とか為替を安定化させるような、そういう世界的なスキームをつくらなきゃいけないということに非常に熱心であるわけでございます。  次に、アメリカの状況でございます。  アメリカ経済は、昨年八月にロシアの金融危機が起き、その関係でいわゆるアメリカのヘッジファンドと言われている人たちが相当大きなロスをこうむったわけでございます。九月の終わりになりますと、その中の非常に大きな会社でありますロングターム・キャピタル・マネジメントというところがほとんど破綻したわけですね。ただ、そのロングターム・キャピタル・マネジメントに対してはアメリカの大手の銀行が巨額の融資をしておるために、もしも完全に清算してしまえばアメリカの大手の銀行そのものの経営不安を引き起こしかねないという危機的な状況が出ましたので、急遽ニューヨーク連邦準備銀行がその救済スキームにみずから乗り出して清算をとにかくストップさせるということで存続させるということをやりました。非常に異例でございます。それから、金融不安を避けるためにも、マクロの金融政策として電撃的に三回金利を、特にFF、フェデラルファンドですけれども、これを三回下げております。  こういう実は、マーケットが予想以上に金融危機に対する管理政策というのが非常にうまく、特にグリーンスパンFRB議長の功績かと思いますけれども、その結果、一時非常にいわゆる信認といいますか、マーケットのコンフィデンスが崩れておったんですけれども、どうやらそういう金融政策のよろしきを得てマーケットはかなり正常化した。その正常化したマーケットを反映して、アメリカ経済も昨年の十―十二月は、前期比で年率ですけれども、成長率がプラス六・一と非常に高い安定的な成長をやっているわけでございます。  そのようなヘッジファンド関係金融危機を金融政策によって乗り切ったことで経済が順調になってきている。それを反映して為替レート、ドルですけれども、ドルも一時非常に急落いたしました。実は、昨年の夏は、対円でいいますと百四十七円までドルが強くて、その後急落しまして、ロシア危機が起きた段階で十円ぐらい下げて百三十円台、それから先ほど言いましたヘッジファンドの危機、それを受けて一気に、例えば十月の七日、八日だったと思いますけれども、二日で二十円も下げるというすごい動きをしましたけれども、どうやらことし年初の百八円でドルは底を打って、逆を言いますと円高がとまって、きょう現在百二十二円というレートをつけているわけでございます。  ただし、ではこれですべて万々歳かというと必ずしもそうではない。アメリカ経済のリスクというものをこれからやっぱり考えなきゃいけないんじゃなかろうか。アメリカ経済のリスクというのは、これは二つ考えなきゃいけない。一つは株式のバブル、二つ目はアメリカの経常収支の大幅な赤字であるわけです。  株式のバブルにつきましては、これはもういろいろ専門家の意見があって意見が分かれるところでしょうけれども、仮にこの株式のバブルがはじけるということになりますと、いわゆる逆資産効果というものが働いて、それで消費に影響します。アメリカの国内総生産のうち消費が占めるのは大ざっぱに言って七割でございますから、株が下げて、その結果消費が冷え込んでしまえば、当然アメリカ経済は大きくスローダウンしかねないという点が一つのリスクでございます。  それから、経常収支の赤字ですけれども、これが実は、たまたまアジア、日本、それからヨーロッパが若干スローダウンしておりますけれども、アメリカ経済がひとり勝ちのように強いわけですから、そういうアメリカとそれ以外の国との景気循環の差というものを反映して経常の赤字というのは極端に膨らんできております。大ざっぱに言いまして、九七年が千五百億ドルの赤字、昨年が大体二千二百億ドルの赤字、ことしがアメリカの銀行あたりの予想によりますと三千億ドルに達するんじゃないかということでございます。そうしますと、そのような赤字を一体だれがファイナンスするのか。当然、その大きな経常の赤字というものは外国から資本を取り入れて初めて賄うわけでございます。そういう点で、非常に危険性があるということでございます。  ですから、もしも、先ほど言いましたように、このようなアメリカに何か一たん、例えばブラジルで何かがあって株に火がつく、それから経常の赤字が気になって世界の投資家が資金を引き揚げようといいますと、先ほど申し上げましたようにトリプル安が生じかねないわけでございます。  従来と違いまして、従来はドルにかわる国際通貨がなかったわけですけれども、ことしからドルにかわるユーロという国際通貨ができたため、いわゆるアメリカに、ドルに何かあったときその受け皿ができている。そういう点で、従来よりもドル離れというものが起きかねないという、そういうリスクが非常にあるわけでございます。  そういう点で、やはり事前にコンティンジェンシープランといいますか、そういう危機が起きたときにどうするか、そういう観点から国際通貨の安定化スキームというものをつくる必要がある。先ほどヨーロッパ筋がそういう話をしていると申し上げましたけれども、最初にヨーロッパ筋がターゲットゾーンという言葉を使ったために、アメリカがそれだと経済政策の自由度が損なわれるということでそれに反対をしているということで、なかなかこの問題が前に進まないというのが現状でございます。いずれにせよ、これは非常に将来の大きなリスク要因であることは間違いない。  日本の場合は、当然大きな影響を受けまして、当然昨今の経済状況から考えますと、円がどんどん上がっていくとかということは非常に危険であるわけです。円相場というのは安定していなきゃいけないということ。ところが、先ほど言いましたように国際金融経済環境というのが、ユーロが誕生したこと、それからアメリカの経常赤字が巨額であるということ、非常に不安材料が多いわけです。  ですから、こういう状況を何とか未然に防ぐために、今も申し上げましたけれども、危機管理という観点から日米欧の間で何らかの為替安定化のためのスキーム、それをつくっていく必要というのは絶対あるんじゃないか、そう考えております。  以上でございます。(拍手)
  128. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  129. 加納時男

    加納時男君 両公述人の先生方、ありがとうございました。  初めに、中島公述人に伺いたいと思います。  先生のお書きになったもので最近、日経新聞の二月二十五日ですか、円の国際化を考えるという、非常に興味深く読ませていただきました。きょうまた今お話を伺ったのでそれに関連して一、二伺いたいと思います。その後、青山公述人にお伺いしますので、ちょっとお待ちいただけたらと思います。  最近の経済情勢と円の国際化の関係でございます。今、先生お話しございましたように、ユーロの登場というのは大変大きな話題でございます。これはおっしゃるとおり基軸通貨になる可能性も秘めたものであり、さすればこそポートフォリオにおいてもユーロにシフトが始まっているという先生の御指摘がございました。また、確かに出発して相当強く出るんじゃないかと思っていたんですけれども、スタートしてからの最近の状況を見ますと、対ドルでは弱含みで、これはきょう先ほど先生お話しになられたとおり、欧州の景気が下がっているからだということで、今、先生お話があったので、私も同じ見方をしておりますが、いずれにしてもこれが一つの局面。    〔委員長退席、理事竹山裕君着席〕  二つ目の話題といいますのは、一昨年にアジア通貨危機がございまして、これによってドルペッグ制が変更を迫られたところが圧倒的にあったわけでございます。これも二つ目の変化だと。  三つ目は、今苦しんではおりますけれども、日本日本版の金融ビッグバンを始めたということ、曲がりなりにもでございますが。  この三つというものが私は大きな国際金融情勢の変化ではないだろうか。こういうことから、今、日本の円というのは二つの道の分かれ道といいますか分岐点に来ているのかと。一つのシナリオは地味に地域通貨として埋没してしまう暗い道、もう一つの道は円が国際化の道をたどるといった道なのでございます。非常に問題は多いと思うんですけれども、先生、どうお考えでしょうか。
  130. 中島精也

    公述人中島精也君) 日経新聞の記事をお読みいただきありがとうございました。  あそこでも書きましたけれども、国際通貨の条件として日本の円は必ずしも、特に安全保障面でちょっと弱みがあるのかなという点は考えておりますけれども、しかし実は先月アジアを私は回ってきまして、アジアのいろんな方と議論をやったんですけれども、アジアの人たちは九七年以降のアジア通貨危機を経験して、その反省として、やはり余りにも過剰にドルに依存しておったという思いが非常に強いんです。ですから、何とか日本が円の国際化を推進して、そしてアジアの今の苦しい経済をなるべく早く回復させて、そして繁栄したアジアをつくり上げる、そういう方向でぜひ円の国際化を推進していただきたいというその思いが非常に伝わってくるんです。  ですから、いろんな問題が確かにあるんですけれども、まず実務的にいえば、アジアの人たちが円を使いやすいような、そういう市場を整備するということ、あるいは現実に彼らが使えるような大きな融資システム、例えば一つアジア通貨基金構想というのがありますけれども、そういうところに例えば円の大きなポーションを持ってきて、それをアジアの人たちに使っていただく。そういうことを進めるということは、これはアジアから非常に歓迎されますし、アジア地域の安定という点から考えても非常にプラスじゃないかと思いますので、私個人としては、円の国際化というものは、問題はあるにしても、いろいろ難点はあるにしても、やはり進めるべきじゃないかというふうに考えております。
  131. 加納時男

    加納時男君 ありがとうございました。  今のお話の中で、円の使いやすさ、あるいはアジアの基金だとかいろいろ御示唆をいただいたんですが、円の使いやすさということでちょっと今思い出したのでございますが、私ども自民党、私は自民党に属しております参議院議員の加納でございますが、党の中に税調というのがありまして、税制調査会、この中で大分議論したときに、大きなテーマの一つに円の国際化をやろうじゃないか、進めようじゃないかという議論がございました。  円の使いやすさという点で、もちろん先生は御専門ですけれども、TBとFBの償還債券に対する源泉徴収課税、これを外国人投資家には免除しようといった議論がございまして、自民党の中にこういう専門家もいっぱいおりますので、こういう話がまとまって、政府で何とかこの四月から実施しようということになったわけでございますけれども、これは私は円の使い勝手をよくするという私どもの熱意が一つ実ったのかななんて思っているのでございますが、先生の目からごらんになっていかがでしょうか。
  132. 中島精也

    公述人中島精也君) ですから、使い勝手のよさというのは、市場整備とかシステムをまず使いやすいものをつくるということと円のファンドをまずつくるという二つありまして、だから、まさに今、先生のおっしゃったのは最初のことでございまして、源泉税の撤廃については、これはアジアの方も非常に高く評価をしております。ですから、これに加えてアジア通貨基金構想的なファンドの方も進めることが大事かなというふうに考えております。
  133. 加納時男

    加納時男君 どうもありがとうございます。  非常にクリアカットな御回答で、自信を持ててまいりました。ぜひ先生のおっしゃったファンドの方もこれから何とか勉強していきたい、実現したいと思っております。  あと一つだけ質問させていただきたいと思うんですけれども、円の国際化というときに、私、非常に前から疑問を持っているのは、どうすれば円の国際化が進むのかという、いわばハウ、いかにしてやるのかというところに議論がどうも行っちゃって、私はどうもホワイといいますか、なぜ円の国際化をするのか、そのメリットとデメリットはどうあって、それをどう勘案してシナリオを選択するのかという議論がいま一つのような気がするわけでございます。  私、ちょっと感ずるのは、例えばこれは裏腹の話になりますけれども、メリットとしては、円建てで決済するということになりますと、利潤がその時点で確定して確保できる、為替リスクなんというのが避けられるというのがプラスだろうと思います。また、日本の対外純資産を見てみますと、ドル建てのところが非常に多くて、ほとんどドル建てじゃないかと思います、最近円建てに変えているところもありますけれども。そういうドル建ての純資産というのは、当然のことながら円高になりますと資産価値が目減りしちゃいます。そこで、円建てにして資産価値を維持するというのがプラスかなと。さらには、ドル建ての資産を持っております金融機関は、為替変動がございますとBIS基準の自己資本比率が変動する、そういったリスクがあるので、そういう意味でも円建ての方がいいというようなのがプラス論かなと。  この話は、実はちょっと冷静に考えると全部裏があって、ひっくり返すと全部マイナスになっちゃうわけです。例えば、円の需要が増大してくるということで、さっき先生がおっしゃったように、円高になってくると輸出競争力が落ちちゃうじゃないかということもありますし、さっきドルペッグのことを申し上げましたけれども、今度は逆にアジア諸国が円にペッグしてきますと、対円の為替リスクは確かに減るけれども、反面対ドルの為替リスクはふえるんじゃないか、こうなるともう迷いに迷ってしまうわけでございます。  そこで、お伺いしたいのは、グローバルに見てドルの変動で大きな影響を受けるよりも、ドルだけというよりも、さっき先生おっしゃったように、ユーロも基軸通貨の一つとして位置を占め、ドルも決して没落することなくしかるべき地位を占め、そこに日本の円も加わって、三極の基軸体制というのが安定するんじゃないかな、こんなふうに思うのでございますが、先ほどの先生の結論はそのように伺ったんですが、そういう理解でよろしいでしょうか。
  134. 中島精也

    公述人中島精也君) 全く先生と同意見でございます。
  135. 加納時男

    加納時男君 本当に短い時間で非常に実り豊かな御示唆をいただいて、ありがとうございました。  お待たせしました。それでは青山公述人に私の専門環境のことを少し伺いたいと思っております。  先ほど資料をもとに御説明いただきまして、私も資料をもちろん読みながらお話は全部伺ったつもりでございます。きょう付の参議院予算委員会資料、きょうは参議院でございますが、資料をつくっていただいてありがとうございました。  この中で、先ほど御説明伺っていてちょっと私わからないことがあるんで、先にそれを伺いたいんですが、資料そこにございましたら、ページ三の課題八というところでございます。課題八は「国際標準との関係」ということで、先ほど初めて私読んだので、読み違えしていたらごめんなさいなんですが、先生は二つのことをおっしゃったような気がします。  一つは、日本の国際標準が甘いんではないか。特に、アメリカとかそれからオランダ、ドイツに比べて甘いんじゃないか。TDIのことだと思うんですけれども、そういうことをおっしゃったのが一つ。それからもう一つは、WHOが去年一ないし四ピコグラムという数字を出した。このWHOのTDI下限値一を超えるおそれが出てきているのは問題だと、WHOに触れられていると思います。この二点、私若干わからないんで教えていただきたいんです。  一つ目の、数字だけ見ますと、日本は、TDIは一日に許容される量ですが、先生はもちろん御存じですけれども、一日に体重一キログラム当たりこれだけとっても、一生涯とり続けても許容されるであろう量というのでTDIという数字がここに書かれてあるわけでございますけれども、実は先生おっしゃったとおり、私もちょっと調べているんですけれども、オランダはTDI一なんですね、おっしゃるとおりだと思います。ドイツは私の記憶では一から十だと思いました、TDIは。それから、じゃ世界は大体一から幾つというような感じかなと思っているんですけれども、実はデンマークとかスウェーデン、私の調べたところでは五ぐらいになっていると思います。それから、TDI十という国は、何か日本がおくれているようなちょっと御発言があったかと思うんですけれども、日本は、今の厚生省の出しているTDIはたしか十ですね。見直すとは言っていますけれども、十、おっしゃるとおりだと思います。それから、ほかにカナダとか、私の行った国で言いますとイギリスとかフランスはたしか十だったんじゃないかなと思っております。これも一つです。  アメリカの、実は、先生ここに〇・〇一ピコグラムと書いていらっしゃるのは、たしかEPAが提案しているというのは私も資料で読みました。私、アメリカへも何回も行っているわけでございます。これは実はTDIじゃないということは先生も御存じのとおりでございまして、これが日本ではごっちゃになっちゃって、アメリカに比べて日本は何百倍とか時々びっくりすることをおっしゃる方がいるんですけれども、これは発がんリスク評価値だと。私はリスクが得意なものですから、発がんリスク評価値であって、十のマイナス六乗で評価したはずなんです。十のマイナス六乗というのは、要するに百万分の一と、原子力なんかでもよく使うリスク評価の指標でございますけれども。そういう数字で言ったのが〇・〇一で、EPAが提案した数字と私理解していますけれども、もし私の理解が違っていたらごめんなさいでございます。  もう一つ私は、WHOの出した数字、一から四ということで、特に先生、一に重点を置いていらっしゃいますが、私、実はエグゼクティブサマリーの原文を読んだことがありまして、この記憶が間違っていたら申しわけないんですが、たしかあそこではWHOとしては先進国、インダストリアライズドカントリーズのインテークのレベルは、現在のところ二から六である。私はそういう印象があります。  一とか四とかというのは、いろんな動物実験なんかのデータもありますけれども、人間の場合にはうんと大事をとって十分の一にしようとか、いろいろあって出てきた数字が一から四ぐらいで、その次に、当面の目標としては四を目指そう。アルティメートゴールと、たしか私英語ではそう思っていますが、究極のはるか先かもしれないけれども、目標値としては一を目指そうと。私はこういう考え方、たしかビロー一だったから一未満ということですね、一よりかもっと少ない。要するにゼロに近ければいいんだ。私も賛成です。  しかし、当面の目標は四だったというので、ここのところがちょっとわからないので、私の理解が違っているかどうか教えてください。
  136. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) 加納先生のおっしゃられた一番最初の部分の国際的な話の、日本が国際的なスタンダードじゃないと私が申し上げたのは、実はこのTDI以前の話で、例の測定方法が、国際的に日本だけが検出下限値以下の場合にゼロの扱いをして、それが全体的な過小評価になるというときに申し上げて、このTDIのお話環境庁の環境安全課の専門官のお話のもとに申し上げたので、ちょっと話が違うかなと思います。ただ、先生がおっしゃられた一連の、ドイツが幾つでオランダが幾つでというお話は、私も同じふうに認識しております。  それで、私の資料の環境総合研究所の自主調査研究というものの三ページに、今の日本アメリカ、WHOにおけるTDIという一表が入っております。この表四の一というところに、WHOは一から四という昨年夏ちょっと前の提案が書いてありまして、私も当然英文を全部持っていまして、厚生省が仮訳したものも持っています。アルティメートだかファイナルだかロングタームだか正式には今ちょっと思い出せませんが、最終目標として一を目指すということはおっしゃるとおりです。ただ、その最終目標が今なのか来年なのか十年後なのか百年後なのかというのは、多分汚染状況によって、その国の置かれている状況によって違いますから、それはまさに立法府が日本のように、僕は基本認識として、汚染が非常に進行していて、これから頑張ってそれを改善する国だと。そういうときに、できる限り、一にしたら対策がほとんどできないということじゃなく、逆にある程度厳しい値を置いてアルティメートなやつを、今から究極的なものを目標に据えてというのが私の考えであります。しかし、それはこれから議論をしていただきたいと思います。  アメリカの話、VSD、実質安全量、これは先生おっしゃるとおりで、発がん性ということをあの国はすごく重視する国であります。たばこの話を先ほどちょっと私申し上げましたけれども、たばこ会社が各州から訴えられ、今連邦政府も訴えつつあると思います。何十兆円という和解金のもとに話がついているということを御承知だと思います。あれは発がん性とあと麻薬性であります。アメリカはこのダイオキシン問題に関する発がん性に関しては、先生御承知だと思いますけれども閾値がない。レベルが低くてもそれなりに発がんリスクはあるという立場をとりますから、本来ゼロエミッション、ゼロを目標とすべきですが、それは現実的じゃないということで〇・〇一ということを出しているわけです。  ですから、先生と私の間で今のお話に関しては基本認識でそれほど差がなく、日本の汚染状況とか今後の対策を考えてどういう値を、僕は法的なものとしても裏づけがあった方がいいと思っていますけれども、そういうことをぜひやっていただきたいということでありまして、それほど今のお話の中では認識の違いはないと考えております。
  137. 加納時男

    加納時男君 どうもありがとうございました。  おっしゃることでほとんど、アメリカの直線型、要するに閾値がなくて発がん性のあるものからずっとゼロまで直線で引っ張る、これ自体に私は議論したいことがいっぱいあるんですけれども、きょうはその場ではありませんので、先生とは基本認識は同じだということで。  それから、測定の問題を先生おっしゃったんですが、私は測定の問題を取り上げたんじゃなくて、あくまでもページ三にある課題八の「国際標準との関係」というところで取り上げたので、それはそういうことでございますので、今の問題はわかりました。ありがとうございました。  ここから先ちょっとお耳ざわりなことになるかもしれないんですけれども、私は環境問題、実はこれに自分の使命をかけてきたのに対して、非常に最近の報道で残念なことがあります。  私は基本的に、ダイオキシンを初めとしてあらゆる有害なものについては、ハザードとリスクというものを明確に分けた上で、有害なものはそれをしっかりと評価して、悪さ掛ける排出量イコールリスクというふうに考えて、これを提言していくために全力を挙げているという点では先生と恐らく同じ考えだと思います。  その立場で大変残念だったのがこの間のテレビ朝日の報道だと思うんです。先生も随分つらい思いをされたと思うんで、それを考えながら質問をさせていただきたいと思うんです。  あのとき、二月一日のテレビのフリップで野菜のダイオキシン濃度と書いてあるんです。〇・六四から三・八〇ピコグラム、こう書いてあるとわからないわけです、先生の後でおっしゃったことが、ここでは。確かに後から考えると、ホウレンソウ、大根だけじゃなくて、お茶もあったということなんですけれども、これだけ見ているとわからない。  もう一つわからなかったのは、お茶は乾燥して使う、そうすると同じグラムでもダイオキシンは少し濃縮されてくるはずだ。それから一方、生もの、ホウレンソウというのは恐らく乾燥しないホウレンソウをはかられたんだと思うんです。ホウレンソウは生ですね、水分がある。水分があるものと、もとは水分があってそれが乾いちゃって、使うときにはまた、お茶をそのまま食べるかどうかは別にして、乾いた状態と、これを一緒にしちゃって並べるというのは、私も大学で授業なんか持っていたものですから、そういう立場でいくとこれはちょっと変かなと。これは先生がなさったんじゃなくてテレビ局でやったんだろうと思うんですけれども、これは非常に私は不思議に思ったんですけれども、どうでしょう。どう思われますでしょうか。  つまり、〇・六四から三・八〇、野菜と書かれたらびっくりしちゃうというのが素人だと思うんですけれども、いかがでしょうか。
  138. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) 加納先生のおっしゃられたことはもうちまたでわあわあ報道されている話でありまして、私は少なくとも人間が食するときの話として、お茶に関しては生の葉っぱで食する方はまずいらっしゃいません。ですから、口の中に入る前の出荷もしくは製品としての話というふうに考えていますから、生の葉っぱを何ピコということを言うことは逆に実際から遠いかなと。  ですから、お茶はせん茶なんですけれども、お茶といえばあそこでは狭山茶、先ほど申し上げましたけれども、かなり広域にわたってあります。それを配慮したということが一つありますけれども、せん茶として製品化されているものの濃度を言ったことは、いわゆる人間の口の中に入るリスク、暴露ということからすればそれほどおかしな話ではないというふうにその件に関してはお答えしていいかなと思います。  あと、例えばこの次、血液を出しますけれども、コプラナーPCBも出しますけれども、何々から何々という表現は、当然そういうプライバシー、あの場合ですとサンプル提供者の問題もありますので、いきなり何々が何々、何々が何々ということを私としてはたまたま出せなかったということで、それが僕に言わせれば、お茶にしてもホウレンソウにしても大根の葉っぱにしても、先ほど宮田教授環境庁の委員会における議事内容を皆さんに見ていただきましたけれども、お魚とかお肉、お肉よりはかなり高いんです。そういう状況がありましたので、実際テレビを見た方があの数字をもって、三・幾つ、〇・幾つがどれだけわかるということは、多分私の感じでは、なかったんじゃないかなと思います。  ただ、例えばテレビをごらんになっていた地元の方が、葉っぱものと私は繰り返したわけですけれども、葉っぱものということで多分ほとんど、また数字を言うとそれ自身が問題になりますけれども、私の知る限りすぐ狭山茶だなと現地の方はわかったというふうに聞きました。  ですから、その話が今回いろいろと議論になっていますけれども、私がきょうここに来た本筋は、その話というよりは、日本自身が、さっきから申し上げておりますけれども、先進国の中で非常にダイオキシン対策がおくれている、法的な整備もおくれている、それがゆえに農民の方々なり農作物に影響が及んでいるということが本筋だと思います。
  139. 加納時男

    加納時男君 私は、あくまでも環境をよくするという見地から青山さんも一生懸命やっていらっしゃると思うんです。私どもそのつもりなんです。そういうときにテレビ報道でもって焦点がずれちゃってデータがよくわからないままに飛んだために、実際農家で出荷が落ちちゃったり、それから非常に被害を受けた方もいらっしゃるというふうに私ども訴えられているわけです。そういうことは非常に残念だと思うので、おっしゃるとおり私は本筋に話を戻すべきだと思います。  本筋ということになると、こういう問題は実はハザードとリスクという話になると思うんです。つまり、毒性があるかないか。毒性があるから拒否するんだということになると、私は生きていけないと思うんです、ざっくばらんに言って。何でもゼロであればいいというならば死んだ方がいい、いや、死んでも火葬場でやっぱり廃棄物が出るということになっちゃいますから、たまらないわけです。  問題は、科学的な生き方というのは、ハザードというものはある、それを明らかにした上で、どのぐらい人間がそれに触れるか、摂取するか。摂取量によってリスクが決まる、このリスクをいかに管理していくのかというのが先生のおっしゃるとおり冷静な生き方だと思うんです。  非常に変な例を申し上げますけれども、この事件が出たときに思い出したことがあります。一九八一年でした。原電という会社があるんですが、敦賀で発電所から廃液が漏れた。これが、暁の記者会見と変なことをやった人がいるものですから、大事件が起きたんじゃないかというのでマスコミで大騒ぎになって、放射能漏れとでかでか出て、不買運動が起こったり大騒ぎになりました。実際は違うんです。そのときはピコキュリーという単位、今回はピコグラム、とても似ているんですけれども、ピコキュリーが出たというので大騒ぎになったんです、御存じのとおりピコキュリー・パー・グラムなんですけれども。  これはホンダワラに、ホンダワラは余り食べないものですけれども、これに検出された。ほかの魚とかからは検出されなかったんです。実は正確に言うとコバルト60が〇・四九九ピコキュリー・パー・グラムとか、細かいことはどっちでもいいんですけれども、極めて微量であった。  私の言いたいのは、大事なことは、これが出たことしか言わないから世の中が大騒ぎになったので、ホンダワラを食べる人って知らないんですけれども、毎日四十グラム食べ続けても、一年間食べてこれによって受ける放射能の量というのは、実は法律で決めている安全量というか許容量の一万分の一以下なんです。全然関係ない量だというのでみんな納得したんですけれども、それまでに時間がかかっちゃった。  今回はピコキュリーじゃなくてピコグラムが出たというので大騒ぎになっちゃったんですけれども、ぜひともこういう正確なリスクについてのコミュニケーション、どういう水準であれば、どういう基準値を外れるとか外れないとか、そういうことはすごく大事だろうと思うんです。そういうので、何か敦賀の事件と今回の、非常に先生にとっては残念な結果だと思うんです。  私はそういう意味では、プレスも基礎的な科学的な知識とかそういうものを持った方がキャスターとして聞く番組でもないものですからしようがないかなとは思いますけれども、余りにもちょっとあのやりとりは、私は全部克明にビデオも何回も見ましたけれども、正直に言って私は、埼玉の支持者から怒りの電話をもらって非常に悔しい思いをしました。それもこれもこのピコキュリーなんです、ピコグラムなんです。だから、ピコグラムと昔のピコキュリーと、昔は漁民、今回は農民ですけれども、こういうことで十分な情報がつけ加えられないままに数字だけが躍っちゃうのは非常に残念だと思います。  先生、これに何か御見解がありましたらお願いしたいと思います。
  140. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) 今おっしゃられたことは、加納先生が東京電力にいらして原子力発電関係をさんざんなさってきた中での御経験として私は一応伺います。  つい半年前、そちらの社長さん、荒木さんが司会をなさって、私が東京商工会議所で五百社を集めて環境ホルモン、ダイオキシンのお話をしました。荒木社長はえらい評価してくれまして、そのとき塩化ビニールの焼却の問題まで出まして、いろいろと議論しました。    〔理事竹山裕君退席、委員長着席〕  私は、こういう分野にいますから、そのリスク、ハザード、暴露の話と先生がおっしゃる話は当然十分わかります。私が言ったことと、先生がおっしゃる隣にいた方の話は私に言われても実は困るわけでありまして、では研究者、科学者、コンサルタントは一切学会以外物を言っちゃいけないのか、全部それを言わないと何も言えないのか。  先ほどの血液のコプラナーPCB、実は東京電力さんはいっぱいPCBの入っているトランスを今保管していると思います。それを今後どうやって分解するのかわかりませんけれども、ピコどころかナノとかもっと高いのがあると思います。そういうものは情報を開示し、事業者、行政が積極的に開示して初めて今おっしゃるようなリスクコミュニケーションというのがとれるわけでありまして、これから法律を多分通産、環境が出すと思います、PRTR法。まさにそれをやろうとしている。  これも実は法律じゃありませんが、アメリカではTRI、ほかの国ではPRTRということで制度ができております。そういうものをやはり先につくることが重要でありまして、たまたま今回のことだけで、同じピコでピコキュリーとピコグラムだから云々というのは、私は、加納先生が仮にそういう分野にいらした専門家としても、ちょっと無理があるんじゃないかというふうに思います。
  141. 加納時男

    加納時男君 ちょうどあと一分の時間でございますので、お礼を申し上げて終わりたいと思います。先生のお話、私は共感するところが実は多いわけです。  PRTRも、私、経団連にいて夢中で取り上げてきたものでありますし、一刻も早く法律としてこれをつくりたい。あくまでもこれは自主的な管理なんですね。法律をつくって統制するんじゃなくて、企業に自分で調査をして出してくださいということを決める法律なんです。そういうことでございまして、私は、PRTRも含めて、企業の自主的な努力を進めていきたいと思います。  PCBはちょっときょうの話題じゃなかったのでございますけれども、私は、情報公開だとか情報開示ということは非常に大事だと思っていることを申し上げまして、ちょうど時間でございます。  ありがとうございました。
  142. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 青山公述人中島公述人、お忙しいところをきょうはありがとうございました。  お二人いらっしゃいますので、余り時間がありませんので、まずは中島先生にお伺いをしたいと思います。  私は、中島先生の論文を幾つか読ませていただきました。九五年を底に米ドルが上昇したのが、ロシアの金融危機やLTCMの破綻等も含めて、ある程度今現在踊り場に来ている、先ほどもある意味でそういう表現をされたんだというふうに思います。さらに、アメリカというのは強い景気と脆弱な金融部門が両方あって、その中で、ある意味で言うと綱渡りのような状態で今来ているという表現をされた。私は大変そこには共感をしておるんです。さらに言うと、ユーロが誕生して、アメリカが多少弱含みで動いている状況ならば、ユーロに多少流れてもいいのにかかわらず、実はユーロというのは、ユーロができて以来ドルに対しては弱含みで来ている。  先ほど、ヨーロッパの景気が後退をしているからだというふうに中島先生はおっしゃいましたが、私は、もう一つの要因としては、アジアへのヨーロッパの海外投資が実はかなり九〇年代の前半にありまして、アジアの通貨危機の影響を実はヨーロッパもかなり食っているのではないかというふうな思いもあります。  そういう面で、ユーロの現実問題として、ヨーロッパ市場の今の経済の状況について、今どういう御認識かをまずはお聞かせいただきたいと思います。
  143. 中島精也

    公述人中島精也君) ユーロが年初から下がっているのは、いつもディーリングルームに座ってマーケットを見ている者の立場からいいますと、マーケットのディーラーの間で交わされている言葉は、一つには、最初に申し上げた、景気がスローダウンして、いわゆる欧州中央銀行が次に初めてやる政策は金利の引き下げじゃないかということが非常に言われておりますので、それが第一です。  それともう一つは、ユーロが強くなるという話は昨年からありましたから、日本の投資家もそうですけれども、いわゆる強いユーロに備えるということで、実は昨年の後半、例えばドイツ・マルクとか、そういう欧州通貨を相当もう手当てをしておったんですね。  それで、ふたをあけてみましたら、例えばドル円で急激に円高が来ちゃったものですから、慌ててそのヘッジのためのユーロ円の売りをしなきゃいけないとか、そういう非常にマーケット特有の動きがかなりあったことは一つ言えると思うんですね。  それと、アジア通貨危機でヨーロッパの金融機関が逆に傷んでいるんじゃないかとおっしゃっていましたけれども、むしろ非常にもう御専門家でいらっしゃるなと感銘したんですけれども、まさにそのとおりでして、アジア通貨危機が起きましたとき、アメリカの銀行というのは実はいち早くそれを察知して、どこの銀行とは申しませんけれども、九六年ぐらいからもう既に逃げる行動をした銀行はたくさんあります。その中でヨーロッパの銀行は、後発ということもありまして、割とそこからもお金をつぎ込んだ嫌いがあります。  そういう点で、ヨーロッパの銀行がこういうエマージングマーケットの危機で若干傷んでいることは事実だと思いますけれども、この問題は、ユーロが強くなるか弱くなるかという本質的な問題というよりはちょっと短期的な話じゃないかなと思っていまして、私がユーロが強くなると言うのは、あくまでも長期的な世界全体の本当の大きな資産が変わっていくんじゃないかと、そういうことを申し上げているのでございます。
  144. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 ありがとうございます。  そうすると、長期的にはユーロが強くなってくるということを前提でいった場合に、ドルが多少弱含みになる。  ここで、先ほど円の国際化の話が出たんですが、じゃ円はという話になったときに、私は実は、ドルが安くなるから、多少弱含むからといってイコール円高になるような単純な構図では今はないのではないかというふうに思っています。  要は、円の国際化という形になったときに、日本には大変不確定要素がたくさんある。景気は御案内のように大変に悪い。株式市場も相も変わらず一万四千円付近でうろうろしている。なおかつ中国には大変な不良債権と、アジアの国には不確定要素がある状況の中で、アジアとか円とかいうものに対する国際的なマーケットの信用というものが、どの程度これから先長期的に見たときに担保できるのかというのが非常に不安だというふうに私は思っています。  僕は、円が強くなってある程度国際的に通用して、ユーロ、ドル、円というような形でいければいいというのは望んではいるんですが、今の日本のファンダメンタルズは大変そこが脆弱にできていたときにユーロができた、ドルは弱含みとはいいながらやっぱり世界の牽引をしているときに、アジアだけが非常に不安定な要素の中で経済的には置いていかれるという懸念を持っているんですが、そこら辺については中島先生はどのようにお考えでしょうか。
  145. 中島精也

    公述人中島精也君) やっぱりアジアがこういう状況ですから、円の国際化をやるにしても何にしても、まず日本経済のファンダメンタルズを改善する以外にはないわけです。これはもうすべての基本、ファンダメンタルズというのは基本という言葉ですからまさに基本でございまして、日本経済をやって、その次に円の国際化をやらなきゃいけない。  ただ、日本経済をよくするという点に関しましては、昨今の景気対策並びに金融安定化策とか盛んに策がとられていますから、これは私は遠くない近い将来にこれが実りのあるものと期待しております。ですから、そういう方向が出されておりますので、円の国際化もある程度並行的にそういう施策を進めるべきじゃないのかなということを考えております。
  146. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 これは、この間あるところで私の友人から聞いたお話なので、私も聞いたことをそのまま先生にお伝えして、ちょっと感想を伺いたいんです。  その友人というのは投資顧問関係の仕事をやっておりまして、百億とか二百億のファンドを回している。もちろん日本にある企業ではなくて海外に本社を持っているんですが、そのときに私が、今の運用者というのは、例えば百億のファンドで投資をするときに日本の債券なり株式なりというのをポートフォリオの中に入れますかということを聞いたら、冗談半分に言われたんですが、現状の日本では、ポートフォリオの中に日本のものを入れるということはほとんどあり得ないというお言葉を聞きまして、本音としては僕は大変ショックだったんです。これだけ株も安い、土地も安い状況の中で、まだまだ実は買う余地はたくさんあると思っていたにもかかわらず、そういう返事をいただいたということですごくショックだったんですが、時間がないので、簡単にこのことについての感想をお聞かせいただけますでしょうか。
  147. 中島精也

    公述人中島精也君) それは外資系なので、多分もともとのお金がドルできているんじゃないかと思うんですけれども……
  148. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 円です。
  149. 中島精也

    公述人中島精也君) 円ですか。円だとちょっと異論があるんですけれども、方向として今金融政策が緩和になっていますから多分円安になるだろうということ、それと日本経済がまだこういう状況ですから、特に外資系のファンドはそう簡単にいわゆる円資産をふやそうという気は余りないわけです。ですけれども、それはそれこそ日本経済が改善していけば変わるものですから、僕は循環的なものだと見ております。
  150. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 現状の経済政策、それから金融に対する再生も含めて、海外のマーケットも含めて中島先生はいろいろごらんになられていると思いますが、今の政策をした上で日本のマーケットというのはある意味でいうと信用が上がってくるというふうに、今の海外のマーケットは評価されているんでしょうか。
  151. 中島精也

    公述人中島精也君) 今、海外が一番見ているのは、日本政策が見られていることは事実だと思います。ただし、過去、日本経済政策財政金融も使ってきたけれども景気はよくならなかった。その理由は、実は企業がリストラをやらなかったからだという認識なんです。ところが、やっとことしになって日本の企業が思い切ったリストラをやるということが本格的に始まりましたので、アメリカ初め海外の投資家の見方は、要するにこの企業リストラが本当に成功するかどうか、それ次第では日本に投資しようというふうな考え方でいるわけです。
  152. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 ありがとうございました。  お聞きしたいことは山ほどあるんですが、青山公述人にお伺いをしたいと思います。  先ほどもテレビ朝日の報道のいろんな御議論がありました。私は、どちらかというとテレビ朝日の放送については、議論の余地はありますけれども、あれの是非はともかく、それから農業をやられている方に大変迷惑がかかったことはもちろんそうだと思います。しかし、例えば厚生省が十ピコを規定して、その直後に環境庁が五ピコを規定して、そこを踏まえた安全基準なり摂取基準なりというものを全くしないで放置していた日本政府の無策の方に実は本質的な議論があるというふうに私は思っています。  その中で、民主党も、そして公明党さんも法案を今提出をさせていただいているんですが、例えば現実に今TDIを一ピコに設定したとしたときに、そこから含めて大気、水質、土壌等の安全基準をつくっていくときに、現実に今の日本の社会にこれだけダイオキシンがあふれている状況の中で急にぎゅっと締めたって、現実問題としてそれが可能かどうかということについての青山先生の御見解をお伺いしたいと思います。
  153. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) 福山先生の今の御質問はよく私も耳にします。しかし、それが今の日本で例えば一にした場合に、先生多分御承知かと思いますけれども、所沢の辺ですと、バックグラウンド、コントロールとも英語で言いますけれども、物を食べる以前に汚染された空気を吸い、汚染された土壌を吸い、水を飲む、それでどのぐらい一日に一人体重一キロ当たり摂取しているか。あの辺ですと多分〇・六から一・幾つのはずです。つまり、うんと汚染されている地域では物を食べなくても一を超えるという現実があります。多分それを指して言われているんだと思います。  しかし、私に言わせればそれ自身がそもそも異常なんです。何も食べなくて空気、土壌、水から、水を食べ物と言うかどうかわかりませんけれども、食べ物以前が異常ですから、それを何はともあれ早く下げるということをする意味でもなるべく厳しい値、つまり緩くしておけば緩くしたなりにその後、例えば今の東京の窒素酸化物がもう十五年以上環境基準を上回っています。二回にわたって緩めて、その結果、緩めたものも実は全く満たしていないんです。私は、すごいぜんそく患者ですけれども、実はそれと同じように達成が難しい厳しいものを設定してもしようがないという論理になりますと、結局全部の対策が、さっき言いましたけれども、環境庁の仕事も二十何年やってきた私の今までの経験からしますと、それがなかなか前へ進まない。  ですから、一から四というのがいいか、一というのを明記するのがいいのか、いろいろと言い方はありますが、厳しいと言ってもその厳しさの一番の部分というのは、日本全体というより、さっき言いましたように十キロ、十キロの中に何十も焼却炉があるようなところがやっぱり重要です。ですから、全体としてはこうだと、だけれどもここはとりあえずこうだという、そういう設定の仕方もあるんじゃないかというふうに思います。  ですけれども、冒頭言いましたように、一が厳しいから一をやってもどっちみちだめだという考えになりますと、何か今までの大気汚染とかそういうときの環境基準の設定と同じような、行政の努力目標だけれども頑張ったけれどもだめだということがもう今から見えてくるような気がいたします。
  154. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そうですね。その可能性は国民皆さんの不安が増大する中で非常に危ない、余りやってはいけないことだと思います。  二つだけ端的にお答えください。  調査費用に対して先ほど言及されなかったんですが、大変価格が高いと聞いております。その調査費用の価格が高いことに対する現状の問題を簡単にお答えいただくことと、調査の透明性を担保するためには、例えば住民がその調査の中に入るとか、地域に第三者機関をつくって調査をするとかという、その調査の安定性というか透明性の担保のためにどういうことが必要なのか、二点だけ簡潔にお願いします。
  155. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) 前者は、昨年のちょうど今ごろ、アメリカ、カナダ、ドイツ、オランダ、イギリスに同じ英文で価格の調査を出してみました。それが私どもの根拠であります。日本に比べれば当時、今もだと思いますけれども、諸外国は非常に安かった。  その理由は、例えば日本人件費が高いとか、技術がこれからでなかなか時間がかかるとか、あと試薬を厚生省の外郭団体が売っていて、これはちょっと事実関係をもっと確かめなくちゃいけません、その試薬自身が高い、それを買わされているというのもありました。あと今言った外郭団体に数十社が集まって、これは民主党の岡崎トミ子先生がたしか国土・環境委で問題にされて、国が通達を出してこういう業者を使えというようなことをしていたことがありまして、それをその後公取委が入ったというのがあります。そういう理由から高いというふうに私は思いますから、もっともっと安くできると思います。  もう一つは、おっしゃるように、市民だけじゃなく専門家も含めてチェック・アンド・バランスといいますか、透明性を高め、クロスチェックとかインターキャリブレーションと言っていますけれども、相互に値を照らし合うようなシステムをつくらなければ今の問題はなかなか解決できないと思っています。
  156. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 どうもありがとうございました。
  157. 山下栄一

    山下栄一君 青山公述人、また中島公述人、大変お忙しいところをきょうは本当にありがとうございます。  青山公述人にお伺いいたします。  所沢問題ですけれども、日本の国、また県、市、さまざまなダイオキシンの測定をしてきた。ところが肝心のデータがない。特に、日本で最も汚染度が高いと思われる所沢において、野菜、その他の食品のデータ、それから人間の体がどれだけ汚れているかというデータを国が今まで一度もはかったことがないのではないかというふうに思うわけでございます。今回はかろうとしていると、環境庁は今血液調査をやっているようでございますが、そのデータもまだ出てこないという現状があります。  そんな状況の中で、私は、その問題とは別にデータ測定分析そのものの信頼性が非常に薄いという実情があるのではないかというふうに思います。それで、今まで長年さまざまな環境問題に取り組んでこられ、そしてまたお仕事としても測定分析のプロとして、専門家として、また研究者としてのお話をお伺いしたいわけでございます。  カナダやアメリカ、その他の海外先進国の測定分析のレベル、規模、取り組んできた数々の実績の中身、それに比べて日本の国のレベルでの測定分析との比較、これをお聞きしたいと思います。特に、厚生省がつくっております廃棄物処理におけるダイオキシン類標準測定分析マニュアル、排ガス、排水、また焼却灰、この問題点も含めてお聞きしたいというふうに思います。
  158. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) お答えいたします。  今、先生がおっしゃられたのはかなり広範にわたっていまして、簡単にお答えすることは容易じゃないんですが、一つの例といたしまして、例えば私どもはカナダといろいろな形で技術提携を結ぶ前に議論をいたしました。その中で向こうが示した一つの重要な資料がございます。  これは、カナダにありますダイオキシンを分析できる会社二十社が定期的にコンテストを行っている。どういうことかといいますと、同じサンプルから二十社が分析して異性体ごとにダイオキシンとコプラナーPCB全部の実測値を挙げて一覧表になっています。平均値、中央値、その中央値、平均値からのデビエーション、どの程度その会社が外れているか、それを会社の中で全部相互に見せ合っている。つまり自分たちの中で精度をちゃんと管理する。それを世の中全部に公表しているかどうかわかりませんけれども、少なくとも私たちには全部見せてくれました。  結局、自分たちが正しいと言っても、第三者が見て、それがおたくの会社はこの程度なんだ、おたくのやり方はこうなんだという精度管理、精度保証と言いますけれども、そのシステムがちゃんとしていなければ、あなたの方がおかしいよと。今回、私らに対してそういう疑惑が向けられましたけれども、私に向けるということはカナダ政府に向けるのと同じぐらいの意味が実はあるんです。そういう日常的な精度管理、精度保証、ISOもありますけれども、そういうもの。それから、相互に同じものから値を分析し合って全部の数値を見せ合うということが一つ重要です。日本は、私は余りそれを見たことがございません。  国際コンテストをやっていまして、日本から五社入っていました。私が今やっていますMAXXAMという会社は常連です。日本からは食品分析センター、今回の所沢でやったところです。それから、日本品質保証協会、島津テクノリサーチ、あと大阪市の研究所、もう一社入っていました。日本には三十五社ありますけれども、国際コンテストに入っていたのは五社です。  ですから、もっと相互に、クロスチェックといいますけれども、やったことを見せ合い、自分たちがどの位置にあるのかということをやらなければ、これは安易におたくはどうだとかこうだとかということは国家の問題になっちゃいますし、厚生省は少なくとも、先生がおっしゃられました平成九年二月のマニュアルというのは、これは焼却炉の排ガス、焼却灰、排水です。一番濃度の高いもので、私に言わせれば簡単な分野です。その分野のマニュアルを血液にも野菜にも使っていた。結果的に、非常に低い濃度のものを出すところに焼却灰、排ガスのを使っていたというのが今回の一つの、私から見ると課題だと思いますから、やはりもっとオープンな形で諸外国のも参考にし、かつ諸外国で実績のある会社に関しましてはちゃんと非関税障壁をつくることなく関与できるような体制をつくることが肝要かと思います。
  159. 山下栄一

    山下栄一君 次に、所沢におけるホウレンソウ、そしてお茶の話でございますけれども、今までこれは国が調べたことがなかった。そして、例えば環境庁がパイロット調査を埼玉県でもやっているけれども、所沢はされていないということがあると思います。そして、肝心の汚染地域の食品の調査はしようとしない。そして、サンプルをとっても、そのサンプルのデータがどの地域のどの場所のデータかという関連性も明記されないような公開のされ方をしているという問題点があると思います。  サンプルをとるとき、今回はハウス物でやっていたと、JAも。私は、そうじゃなくて、やっぱり覆いのかかっていないそういうホウレンソウを選ぶべきであるというふうに思うわけです。先ほどもおっしゃっていましたように、湿ったものより乾いたものの方がより濃度が高くなるという、そういう最悪のことを考えながらきちっと調べる、そういうことをしないと住民の信頼性は得られないというふうに思うわけでございます。  お茶も同じような問題点があると思うわけでございますが、具体的に取り組まれた中においての青山さんが感じておられる日本の今までのサンプル調査のあり方、問題点を教えていただきたいと思います。
  160. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) 山下先生おっしゃるとおりで、私も先ほどの公述の中で申し上げました。  平成八年度を例にとると、何で八年度というかといいますと、九年度からはホウレンソウとかいうくくりじゃなくてグループごとの値になっちゃいましたから、その中に何が入っているかも明確にはわかりません、厚生省の調査は。  それから、八年度の場合、日本三つ、ホウレンソウは、三つですよ、関東、近畿、九州。私に言わせれば全然それはやったうちに入りません。私たちは、実は、こんな少ない数でよく青山がこういうことを言ったというようなことをどこかに書いてありましたけれども、とんでもありません。当然いろんなことをやる中で、ある程度こういう条件でこういうものであればというのを出したのがこの間の値であります、プライバシー保護も含めまして。  ですから、国ともあろうものが、今、先生がおっしゃいましたように、非常に汚染が高い地域、土壌が九十何ピコ平均で、松の葉っぱ、これは環境庁が調査したものですけれども二十四ピコ、そういうところでつくられる根菜、葉菜、お茶、そういうものをはかっていなかった。もしくは、はかっていて出していないのならば別ですけれども、そういうこと自身がまず、外交、軍事の危機管理とは別にリスク管理の観点から僕は不作為じゃないかというふうに自分自身は本気で思っています。  ですから、そのお金なんか大したお金じゃありません。多分数百万でしょう。数百万にもかかわらず何でやらなかったか。私が思うに、それをやれば私たちが今やっているようなことでいろんな値がわかってくる、わかったときに開示しなくちゃいけない。開示すると、下手にするとパニックが起こるからだと思います。  しかし、私は、非常に今回のことはいろんな自分なりに経験したことを自分なりのいろんな今後の研究の資産にしたいと思っていますけれども、やはり私がやったこともひとつ生かしていただいて、国もぜひはかって、かつ自分ではかっちゃだめですね、やっぱり第三者にはからせて、そこにはなるべく余りいろんなことを言わない。  あと、先生がおっしゃるように、じゃゴボウはどうなんだ、白菜はどうなんだ、露地物のホウレンソウはどうなんだ、そういうものが次々出てきますから、泥縄と言うと失礼かもしれませんけれども、場当たり、泥縄では国民は到底納得しないというのが私の率直な考えであります。
  161. 山下栄一

    山下栄一君 時間が参りました。  中島公述人、大変申しわけございません。今後ともよろしくお願いいたします。
  162. 小池晃

    ○小池晃君 日本共産党の小池晃です。  両先生、大変ありがとうございました。  まず、中島公述人からお伺いしたいんですけれども、きょうのお話の中で、長期的にユーロは強い通貨になるだろうという話がありました。そのための条件として、やはり現時点での基軸通貨であるドルの安定ということが必要になってくるかと思うんですけれども、そういう点で見ると、この間の動き、九七年のアジアの通貨危機、それから九八年のロシアの金融危機、そしてLTCMの事態でアメリカ経済があれだけがたがたになるということに見られるように、国際金融分野では余りにも野方図な投機的な資本の動きがある、これをどうするかという問題だと思うんです。G7でもAPECでも巨額な投機資金の規制なくしては安定的な持続的な経済発展はできないという見方、これはもう国際的にも一つの流れになってきているというふうに考えるわけです。  そこでお聞きしたいんですけれども、為替安定のための新たなスキーム、これが必要であるという話がございました。その重要な構成要素として国際金融分野での攪乱要因になっている乱暴な短期資本の投機、これに対して何らかの規制を行う必要があるのではないか。その辺についての御認識をお伺いしたいのと、具体的な方策として、現場におられてこういったものが有効ではないかと。例えば、私の考える点で言うと、国際的な金融機関に対する監督の強化、あるいはヘッジファンドとの取引の規制であるとか、ヘッジファンドそのものに対する規制であるとか、あるいは為替相場やオフショア市場に対する国際的な監督調節機関、あるいは例えばトービン・タックス的なものを検討ということもあるかと思うんですけれども、そういったものについてどういうふうにお考えになるかということをお聞きしたい。その流れの中で、アメリカ余り前向きでないというお話もきょうございました。その辺が今後どうなっていくのか、御見解をお聞かせ願いたいなというふうに思います。
  163. 中島精也

    公述人中島精也君) 昨今の通貨危機の原因は、もう先生おっしゃるとおりに世界の短期資金が急激に動いて攪乱する、まさにおっしゃるとおりでございます。ですから、そういう意味ではこういう短期資金をいかにコントロール、マネージしていくかというのはもう最大の今インターナショナルな課題であるということはそのとおりでございます。  それから、非常に難しいのは規制をどういう形で、規制といいますか、どういう形でマネージするのか、それをレギュレーションという形でやった方がいいのかどうかということはこれは議論の分かれるところでして、私がマーケットから見ておる限りでは、規制をやると世界の資本移動が極めて萎縮してしまうんじゃないかなという感じがするんです。やはり世界のいろんな国でいろんな経済発展段階がありますから、どうしてもやっぱり経済を活性化するために海外の資本を入れなきゃいけないという状況の国があるわけです。ですから、基本的には世界の資本移動の自由というものは僕はある程度は確保すべきじゃないのか。  ただ、あくまでも行き過ぎた資本移動、これをどうするのかというところがポイントだと思いますので、私はレギュレーションというよりは、そういう例えばヘッジファンドなんかに対して各銀行とかあるいは投資家がいろんな形で融資、投資しているわけですね。そこのところのディスクロージャーといいますか、そこをまずはっきりさせる。そうすると、例えばあるヘッジファンドにある銀行が巨大な融資をしている、先ほどLTCMの話、ロングターム・キャピタル・マネジメントの話を申し上げましたけれども、例えば米銀の一社がとんでもないことをやっているということがもしオープンになれば、自然とこれはリスク上危ないなという形でおのずとそういうお金もある程度引いていって、むしろ過剰な投機はできないような形になってくると思うんです。そういう点で、私はディスクロージャーがやっぱり一番大事じゃないのかなと思っております。  ただ、アメリカは基本的に非常にグローバルスタンダードといいますか、金融部門もできる限り自由にしたいという哲学といいますか、そういう世界でございますから、ヨーロッパとか日本がそういう話を持っていってもなかなか耳を傾けないということはあるんですけれども、これは先ほど言いましたように、巨大な資本移動があって世界経済が為替混乱によって大変なことになるという事態は絶対避けなきゃいけませんから、アメリカが若干嫌がったとしても、危機管理対策として日本とヨーロッパが協力してアメリカを説得していくということは必要だ、そういうふうに見ております。
  164. 小池晃

    ○小池晃君 ありがとうございました。  青山公述人にお伺いしたいんですけれども、きょうのペーパーの課題二で出ていることであります。  全国一律の規制だけでよいのかという問題で、密集地域、例えば所沢のような高濃度地域における規制として上乗せ、横出しあるいは総量規制ということが必要なのではないかと。全くこれは同感であります。  環境庁の暫定基準値を大幅に超えるような高濃度の土壌汚染を起こしている、こういう状況があるわけで、こうした地域については焼却施設の停止であるとか、その汚染状況を調査する、汚染施設の解体処理を行う、それから移転する、汚染土壌の除去や無害化処理、こういう処置が必要だろうと。現状では、大阪の能勢町のプラントについても、これは国の補助金が出て解体処理することになっていますが、これは特例措置にすぎない。  ですから、国や自治体が本気になって汚染を規制するための総量規制あるいは汚染施設や土壌の除去のための制度を導入することが必要になってきているんではないかなというふうに考えるんですが、ダイオキシン汚染対策で国と自治体の実際、緊急にやるべき措置で必要なもの、こういったものが必要ではないかということを、先ほどもお話があったんですが、加えて御意見を伺いたいというふうに思います。
  165. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) 先生がおっしゃいましたところは全部私もおっしゃるとおりだというふうに認識しております。  国、自治体の役割、しかも自治体も県と市がございます。今回の一連の話の中で、私も毎日、新聞、テレビ、あとインターネット中心でありますけれども、県も市もいろいろな形で努力されている。本筋としての努力だと思います。  例えば、所沢で燃やしております産業廃棄物の多分六〇%は建設廃材、東京から持ち込まれている、家を建て直したときに出る廃材です。そういうものの業者の名前を出す、これは行政的な措置で条例以前にたしかやられ出しました。  ですから、一つはディスクロージャー、ある特定の地域にそういう問題を全部押しつけてしまうような今の産廃処理のあり方、それから大きなものを一つつくればいいのかという広域、大型化の問題、そういうものを見たときに、やはり市町村でできることというのは意外と一廃以外は少ない。ですから、県、国、特に厚生省。環境庁は施設というよりは土壌、大気、水とかですけれども、それぞれの役割がありますが、それを時間をかけて、検討会、委員会、調査ばかりやっていると多分何年もたつというのが二十五年間コンサルタントをやってきた私の感想であります。  ですから、皆様に申し上げたいのは、最初に申し上げましたけれども、民主党さんも公明党さんも何か案をつくられておりますが、やはり法的に全部を含めて、しかも臨時でも構いませんから、こういうものに対応する法的な枠組みを一方で国はつくり、その中でも省庁に対してはきょう私が申し上げたようなことを、監視といいますか、立法府が監視する中で行政の裁量じゃなくてやってもらう、測定の話に関しても。  県はやはり一番実態がわかっています。しかし、県に言わせると、法律がこうだから許認可せざるを得なかった、業としてもせざるを得ないし、施設としても届け出を受けざるを得なかった。ですから、その辺は県と国の間でやっていただく。その前提は僕は情報公開が全部を通じて串刺しになるテーマかなと思っています。  あと、リスクの話が加納先生から出ました。私も全く同感で、やはりPRTR、ちょっと名前はよくないですけれども、PRTR的な地域住民と事業者、行政との間でのこういう問題をめぐる情報交流の枠組みが一方で必要だと思います。
  166. 小池晃

    ○小池晃君 どうもありがとうございました。
  167. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 両先生、きょうは大変御苦労さまでございます。  青山先生には何度も国会にお運びをいただきまして、そしていろいろ御提言をいただくにもかかわらず、国会が即対応することができない状況を私たちもこの現場にいる者として大変歯がゆく思っています。  この間の所沢の事件は、一石を投じていただき、行政を動かしていただいたと思います。環境庁、厚生省がそれぞれ違う基準を持つ国なんというのは世界にも恥ずかしいというふうに言わざるを得ないと思っています。皆さんが起こしてくれたこの一石にこたえるべく、私たちも国会の場所で精いっぱい法律づくり、あるいはきょう御提案をいただいたもろもろの点について早急に対策を講じていきたいというふうに思っているところでございます。  ダイオキシンは、食物連鎖によって人間が最終的には害を受けていくという極めて重大な毒物です。水俣病なんかの例もございますけれども、私は新潟県なんですけれども、信濃川では既に農薬とかあるいは除草剤によって河川の下に蓄積されている土壌が大変汚染をされている、あるいは農地も汚染をされているというような状況。  こういう、新たに発生するダイオキシンは、一定程度、焼却炉の改善とかで抑えていくことは可能かと思いますけれども、過去において発生をしたダイオキシンの処理をどうするかというような研究は青山さんのところではなさっておられますか。
  168. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) どう改善、分解するかという研究は私どもではしておりませんけれども、ダイオキシンの分析を通じて、これはある意味で申し上げにくい部分もあるんですが、いろいろな地域の土壌を分析しております。これはお客さんがあっての話ですから必ずしも出せないものもございます、株式会社ですから。  しかし、あるところは同じ農地でありながら、八塩素化物というんですけれども、主に除草剤、農薬系のダイオキシン、それがぼんと出ている。ある地域は非常に低い。ある無農薬と言っているところでかなり高いのもあれば本当に低いのもある。これは実はDNA鑑定に似ているんですが、異性体、同族体分析というもののデータを見ると、本当にやっていることがわかってくるんです。  ですから、日本の場合に、無農薬とかいろいろと言われていますけれども、アメリカに比べますと非常にその認定とか検査の体制が甘くて、早い話、実際はかなり使っていながら表向きはその表示には、使っていない、無農薬と。ですから、そういうことが非常に今回、今回のことじゃないんですけれども、私どもやっていてわかっています。  ですから、そういうこともこの際、ダイオキシン、コプラナーPCBだけじゃなくて、農薬、残留農薬、除草剤、殺虫剤等の問題についてももう一度先生方が問題にしていただけるとありがたいなと思います。
  169. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 中島先生にお尋ねをいたします。  日本は国債の発行高が大変多いんですけれども、海外にその国債を持っていただいている率が二・九%と非常に小さい。アメリカは海外に依存する国債が二二・五%、イギリスでは一四・一%、ドイツでは三一・八%、フランスでは二〇・四%、それぞれ海外に国債を依存している部分が多いわけですけれども、日本の国債が海外に出ていかない原因というのは何だとお考えでしょうか。
  170. 中島精也

    公述人中島精也君) 一つには、日本は経常収支が黒字国ですから、海外から資本を取り入れるというよりも、むしろ海外に積極的にお金を、資本を還流していかなきゃいけないという、そこが一番大きな原因じゃないかと見ております。
  171. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 そういう中で、日本アメリカの国債を二千七百二十七億ドル、それから外貨準備高では二千百五十九億四千九百万ドル持っているということで、先生のきょうお話を聞きますと、ドルが急落をするというような事態があるわけで、今ドル建てだけで政府が持っておるということに対して、私はこのままでいいのかなというふうに思いますけれども、いかがでしょうか。
  172. 中島精也

    公述人中島精也君) たまたま好むと好まざるとにかかわらずこれまではドルしか国際通貨がなかった、決済のためにどの通貨で外貨準備を持つかとなるとドル以外にほとんどなかったわけですね。そういう点で、私は現状は多分、過去も何回もドル不安が、それこそニクソン・ショック等いろいろありましたけれども、結果的にそれはしようがなかったということかと思います。  ただ、これからユーロが出てまいりますから、当然外貨準備のリスク分散という観点からも、ドル一辺倒じゃなくて、ユーロのシェアもふやしていくということはやっぱりやっていくべきことなのかなと考えております。
  173. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 アメリカのルービン財務長官が、日本は内需主導によって景気回復をすべきであるとか、あるいはこの間のG7のときに日本もヨーロッパも、通貨相場圏ですか、いわゆる先生もおっしゃっていた共通の安定化システムをつくるべきだという提案をしたのにもかかわらず、アメリカは、自国の利益を図ろうとしているのかどうかわかりませんけれども、一方的に反対をするということで強力に言っているわけです。  こういうアメリカの態度に対して、日本経済界は非難をするとか、あるいは日本の財界はこう思うんだというようなことを強く主張する場面というのはないのでしょうか。大変歯がゆく思うのですけれども。一方的に言われっ放しになっているような状況がありますけれども。
  174. 中島精也

    公述人中島精也君) 文句を言おうと思えば、アメリカの経常収支の赤字ですね、これだけ巨額でいいのかということを反論しようと思えばできます。しかし、日本は経常黒字、アメリカが大幅な経常赤字、この原因も実は日本経済状況がこんなに低落しているということが原因ですから、いざ議論になった場合に、何で自分経済もちゃんとしないでそんな文句を言えるんだと、多分こういうことを言われた場合になかなか反論ができない……
  175. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 では、ドルを売ったらいいじゃないですか、あれだけいっぱい持っているうちから。
  176. 中島精也

    公述人中島精也君) ドルをもし売れば、先ほど言いましたように、ドルが崩れますとそれが世界のマーケットを崩す原因になって、アメリカの株が下がれば日本の株が下がるということで、まさにグローバルな経済になっていますから、一つを売ったらそこだけで解決しないでそれが全部に回ってしまうという、そういう危険性があるから余りラジカルな策がなかなかとれないという痛しかゆしの世界なのでございます。
  177. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 どうもありがとうございました。  終わります。
  178. 入澤肇

    ○入澤肇君 私は、短い時間ですので、一、二問。  我が国でことしまた国債発行高予算編成に当たって大変問題になっております。マーストリヒト条約では、財政の収支幅を三%以内にしろとか、あるいは総債務残高を対GDP比で六〇%以内にしろとかということが言われておりまして、加盟各国はみんなこれを守っているわけですね。実は、このことがユーロの安定にどのような影響を与えているのかということをまずお聞きしたい。  二つ目には、ユーロとドルの問題、それから円の国際化の問題に関連しまして、アジアの通貨危機でにわかにアジア・スタンダードをつくってはどうかというふうなことが言われていましたけれども、そのアジア・スタンダードについて、これはだれも具体的な中身を言っていません。そういうものをつくることについての考え方、評価、それから、つくるとすればどんなことが考えられるか。  この二点を中島先生にお願いしたいと思います。
  179. 中島精也

    公述人中島精也君) 第一点ですけれども、金融政策はヨーロッパでは統一されますけれども、財政は実は統一されていません。当然です、これは政治システムが連邦制度ではありませんから。そうしますと、各国が勝手な財政政策をやったら通貨同盟が維持できなくなる。そのためにこういう協定を結んだわけですから、これは安定化のためにはやむを得ないし、それを守るべきだと思います。  それから二つ目の、アジアのユーロみたいなものをつくる云々の話ですけれども、これは、ヨーロッパのように各国の所得水準、経済レベルが非常に似通ったところでもつくるのがこれだけ大変なのに、今のアジア各国の所得あるいはいろんな制度がかなり違いますから、まずそういうものをある程度均質化して、その後通貨統合という話ですから、これは相当時間がかかることじゃないかと見ております。
  180. 入澤肇

    ○入澤肇君 最初の問題ですね、財政赤字幅三%あるいは総債務残高の対GDP比六〇%、これの持つ意味、これはEU各国の共通の基準として持つんだけれども、例えば日本経済と比較してみたらどのような位置づけになるか、ちょっと教えてください。
  181. 中島精也

    公述人中島精也君) 実は、フローベースの赤字三%、それから債務六〇%、これは一体どういうふうな経済的意味があるのかというのは、実はヨーロッパ政府に直接私聞いたことがあります。そうしたら、たまたまマーストリヒト条約をいろいろやっているときの、実はそのときのあの国の経済の大体平均がこういう数字になっているという答えでございました。ですから、経済学的な意味はほとんどないと考えていいかと思います。
  182. 入澤肇

    ○入澤肇君 青山公述人にお聞きします。  ダイオキシン問題の深刻さ、私も大阪の能勢町を見に行きまして、これをほうっておきますと第二の水俣病みたいなことになるんじゃないか。みんなが疑心暗鬼で、我も我も被害を受けているというふうな状況になって、ほうっておくと大変なことになるから、早目早目に調査をすべきだということをいろんなところで主張しているわけであります。  そのときに、今なぜまだ積極的に乗り出していないかというと、警告の段階で、具体的に人体とか何かにこういう影響が出たんだ、発生したんだというその現象がもう一つ目に見えないからじゃないかという気がしているんです。  実際問題として、先生は、全国のそういう事実を把握しておられるか、把握しておられるとするとどんな実態があらわれているか、あるいはあらわれていないけれども今のままいったらこんなことが予想されるんじゃないかということをお聞かせ願いたいと思います。
  183. 青山貞一

    公述人(青山貞一君) 先生おっしゃられた点は、非常に私も関心といいますか、日々おっしゃられた部分についてデータも見ながら、先ほど私の話の中でありましたように、血液をここのところずっとはかっています。毎日来るのを見て頭を抱えている現状ですから。それと、そのデータ、つまり血液中に含まれているダイオキシン、フラン、コプラナーPCBのようなある意味で猛毒、それと、その方の例えば症状、生活のスタイル、どういうものを食べてきたか、どういうところに、今やっている最中であります。  ただ、やればやるほど、今、竜ヶ崎、新利根町、所沢でやっているんですけれども、特に竜ヶ崎の方は先生がおっしゃるようなものがかなり目に見える形で出ているというふうに私は認識しつつありますので、それをまたどういう形で、この間の高知の病院のような話を見るに及んで、もしそれを数値データとして出したときに報道関係者がわっとその方のところに行くことによって、非常に人権問題に至るようなものまで、本当に危惧しています。これは本当であります。  ですから、今までなかったから問題がないとか見えないじゃなくて、恐らくそういう一番シビアな現場に対してのちゃんとした調査をやっていなかったというのが僕は実態だと。もちろん日本全体ではありません。
  184. 菅川健二

    ○菅川健二君 参議院の会の菅川健二です。トリでございますので、よろしくお願いいたしたいと思います。  中島公述人にお聞きいたしたいと思います。  先ほど来、長期的には円の国際化を進めてドル、ユーロと並んで三大基軸通貨になるように政策を進めなければならないということを痛感いたしたわけでございます。  ところで、当面の対策といたしまして、昨年来の円安から急激にまた円高に振れて、やや今円安ぎみになっておりますけれども、円の乱高下というものが景気に一番悪い影響を与えるということではないかと思うわけでございます。そうしますと、やはり何といいましても円相場の安定を図りますためには、政府の為替管理政策ということが非常に重要ではないかと思うわけでございます。  ただ、現実には政府の介入の時期なり介入の規模なりについては、我が国では非常に不透明でございまして、どうも介入したらしい、しかもこの程度したらしいというような、らしいという言葉でしか伝わってこないわけでございます。  これにつきましては、アメリカの連邦銀行においては、事後ではございますけれども、介入規模を含めて明快な数字を公開いたしておる。また、ヨーロッパにおいてもそういった動きがあるというふうに聞いておるわけでございますが、この点についてどのようにお考えでしょうか。
  185. 中島精也

    公述人中島精也君) 介入につきましては、確かにおっしゃるとおりアメリカはその後ニューヨーク連邦準備銀行がどれだけいつやったというのをちゃんと報告しております。それから、ヨーロッパ中央銀行ができたんですけれども、昨年までですとドイツの場合はブンデスバンクという中央銀行がやっておりまして、ドイツのブンデスバンクの為替局長とも私何度も議論をやったんですけれども、介入については要するにオープンにしてやった方がいいのか、それともやはりマーケットになるべく悟られないようにやった方がいいのかという、これは哲学論争みたいなのがありまして、実際、どちらがいいかというのは私も正直言ってよくわからないというのが実情でございます。
  186. 菅川健二

    ○菅川健二君 この点につきましては、やはりグローバルスタンダードの中で一つの透明化の方向に向くのではないかと思うわけでございますが、同じことが外貨の準備高につきましても、トータルの規模としては二千億ドル強あるということは発表されるわけでございますが、この運用状況というのが非常にやぶの中になっておるわけでございます。  恐らく、さっき話がございましたように、ほとんど米ドルで持っておるんじゃないかということでございますが、いずれにいたしましても今後ユーロが出てくる。ユーロについてもそれなりの適正なバランスを持って準備していくということも必要になろうかと思います。  こういった面で、やはり一般の人々にわかる透明な形によって適正な運用が図られるべきではないかと思うわけでございますが、この点についていかがでしょうか。
  187. 中島精也

    公述人中島精也君) 外貨準備に関しましては、今まではもうほとんどドルで運用しておった、ところがこれからは多分次第に分散化といいますか、ユーロなんかが出てくる。そうしますと、やはりおっしゃるとおりにディスクロージャー、どの通貨でどう持っているかということも公表するということは方向としては必要じゃないかなというふうには考えております。
  188. 菅川健二

    ○菅川健二君 もう時間も経過しておりますので、これで終わりにいたしたいと思います。  どうもありがとうございました。
  189. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼申し上げます。  本日は、有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  明日は午後一時から委員会を開会することとし、これをもって公聴会を散会いたします。    午後五時十八分散会