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今井澄君
一つの
目的というより、実はそれが大きかったのじゃないかというふうに思います。
私自身ももともとは税方式でした。この公的介護
制度の議論が始まったときに、ナショナルミニマムとして国の責任で保障すべきではないかと
考えてきたんですが、途中から保険方式に宗旨がえをいたしました。
そのきっかけは何か。私も一時与党におりまして、ゴールドプランを新ゴールドプランにするときに一生懸命頑張った、そのときの与党福祉プロジェクトの座長だったんです。大蔵省にも行きました。自治省の人とも話しました。それで、来年の末までにホームヘルパーを十万人、これがゴールドプランだったんですが、それを十七万人まで持っていくのがやっとだったんです。当時、私たちは二十万人にしようと思ったけれ
ども、大蔵省が先に十七万人というチラシをつくってまいちゃったんです。結局、国が
予算を立てて何万人にしますというふうにやっていくのは限界があるということを私ははっきりわかりました。ここなんですね、保険方式は。
保険基金からお金がおりるということになると、民間の人が我も我もと開業するようになるんです。そのいい例が医療保険なんです。医療保険は戦後、国民皆保険
制度を目指して、特に
市町村では昭和二十年代、三十年代に国民健康保険を広げてきたんです。住民から保険料をもらって保険証を渡した。そのときに何が起こったか。保険あって医療なしということが言われたんです。
市町村長さんたちは物すごく責められました。ある村長さんのところは家に石が投げ込まれてドアを壊された。戸を壊されたといううちもあるんです。だけれ
ども、保険からお金がおりる、金持ちだけを診ていなくても、貧乏人を診てもちゃんと収入があるということのわかったお医者さんがどんどん開業を始めたんです。開業を始めたお医者さんで成功した人は有床診療所になりました。それで成功した人は小さな病院をつくりました。そのうち成功した人はお医者さんや看護婦さんを大勢雇って大きな病院をつくって、一番成功した人は医科大学までつくっちゃったんですよ。こういうふうにして、今
日本では保険証一枚あれば、よほどの僻地、離島でない限り医者、病院に不自由しない状況ができたんですよ。まあ、質はわかりませんよ、質はわかりませんけれ
ども量だけは十分なんです。
これは医療保険
制度のおかげなんですよ。むしろ今過剰になりつつある。まさに私たちが今、
予算でホームヘルパーをふやす限界、そういうことがわかったからこそやるというのが非常に大きな理由だと私は思っております。
さて、そこで最初のところに戻りますけれ
ども、この
介護保険制度、特に
市町村の
皆さんや現場の
皆さんは物すごい不安を抱え、不満を言いながら、今一生懸命その方向へ進んでいるわけですよ。
市町村だって、反対はあるというが六、七割は一生懸命賛成でやっている、やるしかないとやっているんです。もう条例もつくりました。そして、認定審査会の
委員の任命まで終わりました。いざ十月一日から今度は要介護認定の審査受け付けが始まるわけですよ。そのときに何ですか、こんな混乱が起こって。
私は
総理の責任は大きいと思いますよ。それは自自の合意があるかもしれませんけれ
ども、三党で話し合ってその結果に基づいて財源問題を含めて討論する。こんなことでできますか。法律改正するんですか。間に合いますか。
総理、お答えください、それ。