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公述人(
村橋泰志君)
村橋でございます。
私は、
弁護士として
民事介入暴力対策につきまして微力でございますけれども、長年取り組んでまいりました。
平成三年には日弁連の
民事介入暴力対策委員会の
委員長を務めたこともございます。その経験からいたしまして、新たな
組織犯罪対策が緊急の課題として必要となっていると思います。そして、今回の三
法案はその対策のための有力な
手段の
一つとなることができると評価いたします。こういう観点から、この三
法案には基本的に
賛成でございます。
以下、理由を申し上げます。
まず、
日本の
暴力団及びその周辺に存在する者は約八万人いると言われております。組員数は若干減っておりまして微減の傾向にございますけれども、その
反対にその周囲にいる準構成員というのはふえているわけでございまして、結局組員と準構成員の比率が変わるだけのことでありまして、全体の数は余り変わっていないわけであります。さらにその周辺には、いわゆるフロント企業だとか、えせ右翼、えせ同和、あるいは総会屋などというたぐいのグループがたくさんいるわけでございます。このような不法な
手段によって収益を得ているグループが一般社会の中にばっこしている国というのは、
世界的にも珍しいと言えると思います。
組織犯罪が悪化していないではないかという主張をされる向きもございますけれども、これは、これまで
暴力団を任侠の徒として容認してきた我が国の風潮に対しまして批判精神が乏しいのではないかと考えます。
また、
暴力団による被害というのは実際に非常に大きいと考えております。かつては
暴力団は一般市民に対していろいろ嫌がらせやおどしをする、こういうレベルの問題でございました。しかし、今やこういうレベルを超えまして、大企業と癒着して株を買い占めたり、土地を買収しあるいは転売する、そして巨額の
利益を得る、こういうような社会的な問題はバブルの最中に頻繁に発生したことでございます。さらに、巨額の企業恐喝をいたしまして新聞紙上をにぎわせていることも多々あるわけでございますけれども、表にあらわれたのは氷山の一角だろうと思っております。
以前は、
暴力団がアンダーグラウンドから飛び出して社会の表に出てくる、そして合法的な活動を装って
政治家や企業と癒着し
日本がイタリアのようにマフィア化する、正常な社会がブラックな社会に
汚染されていく、こういうような危機感が強く叫ばれておりました。現在でも、合法的な会社を装うフロント企業というのは大量に生まれておりまして、その正確な実態も実は把握できないくらいでございます。このことは、
暴力団が社会に深く食い込む傾向が現在でも強まっているということを物語っていると思います。こういう状態に対してどれだけ危機感を持つかということがスタートになるかと思います。
銃器の問題も深刻でございます。けん銃は組員一人につき一丁ある、少なくとも一丁あると言われております。そうしますと、少なくとも我が国には八万丁以上のけん銃がどこかに隠されているわけであります。実際に私どもが
暴力団の組に行きますと、最近は、先生、随分安くなりました、そしていつでも手に入れることができます、何だったら、先生、上げましょうかというようなことさえ冗談まじりに言います。その上、けん銃はだぶついているのでございまして、一般市民のところにも出回るようになっております。
このようなけん銃による身体に対する殺傷行為というのは、おどかされる
立場からしますと大きな恐怖でございます。現に私どもがおります名古屋では、住友銀行の支店長さんがけん銃で射殺されましたが、迷宮入りでございます。総会屋さんや
事件屋さんなどが企業に対しまして、住友さんの例がありましたねと一言ささやくだけで企業の幹部というのは震え上がってしまうのが実情でございます。
私どもは、企業に対しまして、
暴力団に対しては毅然と闘うべきである、毅然と立ち向かってくださいと叱咤激励するわけでございます。企業の方でも最近では企業モラルを確立したい、コーポレントガバナンスを徹底したい、こうおっしゃいます。大いに結構でございます。しかし、お金より命の方が大事なのは人情でございます。精神論だけではなかなか闘ってもらうことは困難である。そして、多くの企業恐喝
事件がやみからやみへと実現されていっているということは争えない事実だろうと思います。
けん銃が八万丁以上あると推定されるのに年間の押収件数というのはせいぜい一千数百丁でございます。銃器というのは外国から入ってくるわけでございますが、国内に入ってしまってから摘発するというのは実際になかなか難しいことだろうと思います。そうしますと、国内に持ち込まれるまでに水際でどれだけ大量流入を阻止するかということが非常に大切なポイントだろうと思います。
覚せい剤の被害も深刻でございます。先ほど
鈴木さんが詳細に御報告されたとおりだと思います。その対策につきましても、銃器の場合と同様に水際でこれを阻止するということが非常に大切だと思います。
私ども日弁連民暴
委員会では、かつて
暴力団の特色をいろいろ
研究いたしました。そして、これを「
暴力団の不法行為責任」という本にまとめて出版したことがございます。そこで指摘いたしましたことは、
暴力団の組織原理というのは一般の社会と違ったところが多々ある。
例えば、
暴力団は組長をトップに置きまして、その下に順次、下部、そして
末端組員と支配従属という
関係を繰り返していくわけであります。そういう階層的な構造をつくっております。そして、そのような一くくりの組が幾つも第一次団体から数次団体までピラミッド型に積み上げられてまいります。したがいまして、上部団体または個々の組の中で上にいる者は指揮命令を下の方に下すだけでございまして、実際に実行犯として手を汚すのは
末端組員でございます。そうしますと、
末端の実行犯を捕まえまして、そこから順次捜査を積み上げていくという捜査方法では実際には
末端の組員しか検挙できないわけであります。そこで壁にぶち当たりまして、指揮命令を下した者への刑事責任を追及することはなかなか困難でございます。
私どもは、損害賠償というレベルで、組長に対しまして民法上の
使用者責任という訴訟を幾つか起こしております。そして、幾つかの成功もおさめておりますけれども、実際には
刑事事件の方で、幹部の実態がわからないためにその立証に苦労しているというのが本当のところでございます。
平成三年にいわゆる暴対法が生まれました。この
法律は大きな成果がございまして、以前のように
暴力団の組事務所が町のど真ん中に金看板を出して威張っている、威勢を誇る、あるいは
暴力団員が直接に組の名称を出しまして、おれは
暴力団だぞ、言うことを聞かないとどうなるかわかるかと言っておどすというような行為は余りなくなりました。また、仮に
暴力団員が一般市民をおどしたりいたしましても、直ちに中止命令が発付されておりまして、この嫌がらせは実際に中止されることが多いわけでございます。
しかし、この
法律の効果には限界がございまして、実際には
末端の組員の行為が
対象となっていることが多いのでございます。そうは言いましても、この
法律は
暴力団に対しましてじんわりと、ボディーブローのようなパンチ力がございました。
そこで、
暴力団の方は暴対法逃れということを考え出すようになりました。その
一つは秘密化ということでしょうか。情報を流しません、そして
警察に協力をいたしませんという方針が徹底されるようになりました。個々の組員を検挙いたしましても、その組員は
自分の犯行については自白するかもしれません。しかし、共犯者や、ましてや組の内情についてはかたく口を閉ざすのが常でございます。それを漏らせば、後日、組からの報復が待っているわけでございまして、それが怖いのであります。いわゆる沈黙のおきてというものでございます。そのため、最近では
警察が
暴力団に対して持っている情報がとみに希薄になりました。
警察の
暴力団に対する情報の量が少なくなっているというのが実感でございます。
また、暴対法逃れの二つ目の方法といたしましては、いわゆる合法化を装うことでございます。フロント企業と呼ばれるように、
暴力団の籍のない者を前面に出しまして仕事をいたします。こういう例がどんどんふえているわけであります。このフロント企業についての
警察情報というのは
暴力団情報の乏しさの比ではございませんので、非常に情報量が少ないというのは偽らざる事実でございます。
このような現状に対しまして、従来のような
末端の者の捜査から徐々にこれを積み上げていくという手法ではもはや
対応できなくなっております。
警察は現行の法のもとで十分な
対応ができるのではないかという批判がございます。確かに、初動捜査をさらに的確に行うべきだというような個々の事例の反省はすべき場合はあるかもしれません。しかし、そのような個別的な
対応の問題、あるいは
警察頑張れという精神論だけではもはや的確な、そして効果的な捜査が望めなくなっているという現実は直視すべきだろう、こう思います。
組織犯罪対策は、政界、官界そして経済界の癒着、こういうもののゆがみをなくすことが先決ではないか、つまり社会の健全化が大事である、こういう議論がございます。
組織犯罪は社会の病理現象でございますから、社会の体質を改善することが必要であることは当然でございます。こういう議論に私は
反対するわけではございません。しかし、だからといって
組織犯罪対策を放置する理由とはならないと思います。社会の体質を改善すべきだ、だから
組織犯罪対策は先延ばしにするということは百年河清を待つ議論になりかねないという心配がございます。
組織犯罪対策法に対する
反対の最大の根拠は、
警察に対する不信だろうと思います。
弁護士としてうなずけるところは多々ございます。しかし、
警察に対する見方をひとつ考えるべきではなかろうかと思います。健全な社会の発展のために、
組織犯罪が大きな障害となっています。これに対して立ち向かう最大にして最強の部隊は
警察以外にはございません。我々
弁護士もそれなりに頑張っておりますけれども、限界がございます。
警察にかわることはできません。
そこで、我々が
警察に対してとるべき態度というのは、
乱用の制約を図りながらも、
警察がどのようにして市民と社会の安全のために汗を流してくれるか、実効を上げるように頑張ってくれるかということではないでしょうか。
今回の三
法案は、
犯罪対策として確かに強力な武器になると思います。特に
通信傍受は有効だと思います。私どもが
暴力団の組事務所へ談判に行ったり、仮処分の執行に出かけたりいたします。すると、組事務所の
電話というのは鳴りっ放しでございます。そして、当番の組員というのはひっきりなしにどこかへ
電話をしております。また、個々の組員と私どもが交渉しているときも、何回も彼らのところへ
携帯電話がかかってきます。そうすると、急いで廊下に出て
電話をかけたりしております。絶えず命令を出す。これによって
暴力団というのは組の統制が図られるわけであります。
また、情報の交換をすることよって収入の種を見つける、いわゆる情報産業でもあるわけです。そのための
手段が
電話なのであって、これがなかったら
暴力団というのは本当に困ってしまうだろうと思います。組織的な殺人だとか、銃器や
覚せい剤の密輸、販売、あるいは集団密航など、これらのことはすべてたくさんの情報のやりとりが必要でございまして、実際に
犯罪が実現されるまでには何度も、そしてたくさんの組員による情報の交換がされます。そのための最大の
手段が
電話だと思います。
そして、
通信傍受法ができれば彼らは
電話を使わなくなるのだから
法律の効果がなくなるだろう、こういう御心配をされる向きがあります。確かに彼らも
電話を使うとやばいという場合は使わないかもしれません。しかし、むしろそれは例外的な場合であって、
対応的に見るならば、
通信傍受によって彼らに対する有効な証拠が収集できる場合が決して少なくないだろう、こう思います。
通信の傍受だけでは不十分だというならば、それは捜査という観点だけからの発想法でございます。現に、アメリカでは口頭会話や室内会話の傍受も行われているそうでございまして、うわさによりますと、マフィアのボスの寝室やその乗用車にまでも
盗聴器が取りつけられているそうでございます。しかし、こういう方法は劇薬でございまして、副作用も大きいわけでございます。今の
日本の現状からそこまでやる必要があるとは国民のだれしも考えないところだと思います。
通信傍受法案は
衆議院で政府案が修正され、
対象犯罪が限定をされました。また、令状請求権者が
検事、令状発付裁判官が地方裁判所の裁判官に限定されました。
立会人も常時立ち会うことになりました。三条一項三号の準備としての
犯罪要件も厳しくなりました。十四条のいわゆる別件傍受につきましても、短期一年以上の懲役、禁錮に引き上げられているわけであります。これらの修正というのは
組織犯罪対策によりターゲットを絞ったものだと思いまして、
賛成でございます。
日弁連の
意見書が出ておりまして、
組織犯罪対策法の必要性は認めるものの、政府原案に対しましては
乱用のおそれがあるとして多くの注文をつけております。この修正は日弁連の提言のすべてを取り入れたものではございませんですけれども、このうちのかなりの重要な部分を取り上げていると思います。同
法案の三条一項三号だとか十四条の傍受については、日弁連の
意見をそのまま取り入れておられるわけでございませんし、大いに議論のあるところでございます。しかし、これについては
法案では厳しい要件が付されているわけでございまして、後日運用が厳正に行われるかどうかということだろうと思います。該当性判断の傍受についても議論があるところでございますけれども、日弁連の
意見書ではマニュアル化を図ることが望ましいと指摘しております。私もこれには
賛成でございます。そのほか、
立会人の切断権や
弁護士の立ち会いなどいろいろな点についても議論のあるところでございますが、後でまた必要があれば私の
意見を申し上げたいと思います。
最後に、これは私の希望でございますけれども、不法収益により没収された財産というのは、被害者の救済だとか
暴力団員の社会復帰、あるいは麻薬対策等のために利用されるのが望ましいと思います。今の刑事学では、
犯罪被害者への対策、支援が大きな要請でございます。そのような財源をどのように確保するかということが最大課題の
一つと言っても過言ではないと思っております。
私の
意見は以上でございます。