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千葉景子君 この
通信傍受法案を含めて
組織犯罪対策三法、
審議を重ねてまいりました。その間、
参考人から御
意見をお聞きし、あるいは
公述人からも
意見をお述べいただくなど、私も大変その間新たなことを勉強させていただいたり、あるいはこれまで気づかない
部分あるいは技術的な面でもやはり
審議を十分に重ねていくということの
意味合いというのを大変感じているところでもございます。まだまだきょうも視察ということもございますけれども、そういうことを踏まえながら、また
問題点、あるいは
整備をしなければいけないところ、あるいは
矛盾点、こういうものがさらに発見されてくるのではないか、そんな気がしているところでもございます。
これまでの
審議を通じまして、私も何点かどうもおかしいと感ずるところ、あるいは問題が大きいものですから、三法といってもなかなか
通信傍受にかかわる問題以外の点については本当にお聞きする時間がない。ようやくこれからその他の
法律についても
議論をさせていただかなきゃいけないなと、こういう
状況ではないかと思っておるんですけれども、そんなことを、ちょっと時間も限られておりますが、できる限りお尋ねをさせていただきたいというふうに思います。
私は、この間の
参考人、
公述人からの御
意見も
大変参考になりました。組織的な
犯罪とかあるいはとりわけ
薬物にかかわる問題などは、やはりほとんどの
皆さんが青少年あるいは
一般の
皆さんへの
薬物の浸透などに
大変懸念を感じておられること、そして基本的には
社会のありようとかあるいは教育の問題、そういう点に大変これから考えなければいけない問題があるということ、こういうことは本当に共通な
認識ではないかというふうにも思っているところです。
そして一方、
公述人の
皆さんからも、なかなか私は率直な、そしてそれぞれのみずからの体験などを踏まえた御
意見をいただけたのではないかというふうに思っているんですが、その中で、大変私は考えなきゃいけないなと思ったことがございます。
それは
宮澤公述人、大変もう
刑事法では私なども尊敬をする
研究者でおいででございますけれども、その
宮澤公述人がこういうことをおっしゃいました。
我が国と比べて市民の
人権意識が大変高い
ヨーロッパの
諸国、しかも
権力国家の
統治下にあって、
現実に
人権の抑圧などを経験した
ヨーロッパの多くの国ですらこういう
通信傍受という
手法が採用されているんだ、このような
現実を直視しなければいけないということをお述べになりました。
私は、これはちょっと
意見が違うのでございまして、
人権意識がはるかに高くというところはそのとおりだと思います。逆にそういうところだからこそ、
通信傍受というような
大変劇薬とも言われるような
犯罪捜査手法、こういうものを用いたとしても、そこに大変厳しい
抑止力とかそれから監視、
監督できる、そういう土壌があるのではないか。
だから、
宮澤先生のお
気持ちは、そういう国も入れているんだから、
人権意識が少し足りない
日本でもという
意味なのかちょっとわかりませんけれども、逆にそういう
意識が高いからこそ、こういうものも本当にある
意味では
危険性の
認識というのが随分低くなるのではないかなというふうに思います。
それに引きかえて
我が国を振り返ってみますと、やっぱり
ヨーロッパ諸国などに比べて
人権意識あるいはそれに対する国のさまざまな諸
施策、そういうものは大変まだまだ貧弱なところが多いのではないかというふうに私は思うんです。
法務大臣にも、この間もう随分、
人権問題、国際的な批判を含めてしっかりしてほしいということを私もお願いをしてまいりました。
そういうことを考えますと、
ヨーロッパですらこうだから
日本もというふうにはいかないのではないか。やはり、
日本のようなある
意味では
人権意識といってもまだまだ十分に浸透していない
部分がある。だとすれば、より一層このような基本的な
人権、とりわけ
プライバシーとかあるいは
通信の
秘密とか、いわば
人間の根幹にかかわるようなところを何らかの形で
制約をしていこうということについては、もう最大限慎重に、あるいは最大限抑止的に考えていく必要がある、こういうふうに私は率直に思います。
宮澤先生のそのお
言葉というのは、私は逆な裏側を見ながらそんなことを痛感したところでもございます。
そういうことを考えると、この
通信傍受にかかわる
法案というのは、そういう
日本の実情とか、さまざまな
人権にかかわる諸
施策あるいはそれを担保する
制度、そういうものと比較しながら、大変私はそこに危惧というものを感ぜざるを得ない。もっと抑止的あるいはチェックのあり方、こういうものを厳格に考えてしかるべきだとまず思うわけでございます。
そういうことを基本にしながら、この間の
論議のちょっと延長線上で何点かお聞きをしたいというふうに思っております。
最初に、この間、
通信のいわゆる
当事者に対する
通知の問題、これが
論議になりました。
刑事局長もその際おっしゃっておられるのは、余りに、
関係のないというとおかしいですけれども、いろいろな
情報を
通知すると、いわば
傍受の目標になった
被疑者、その
プライバシーを逆に過大に明らかにすることになる、そういう
お話もございました。
確かに、何事も無罪の推定も働くわけですし、
被疑者であろうともむやみに
人権を侵害されてよろしいというわけはございませんので、その面も私もわからないではありません。しかしその一方で、
通信を
傍受され、そしていわば
内心の
秘密といいましょうか、それを何らかの形で聞かれ、あるいは外から侵害をされ、それを全く告知されず、あるいは知らされず、そちらの
人権というものも、これはどちらが重い軽いではなくて、大変重要なことだろうというふうに思います。
正直言って、
人間知らないうちに何か
自分の
内心が見られているんじゃないか、あるいは
人間そのものがどこかに暴露されているのではないかというその
気持ち悪さというか不安、あるいは
自分の尊厳にかけての思いというのはやっぱり
人間の一番根本だというふうに思うんです。そこを考えると、確かに
刑事局長の
お話もございます、それからその
通知をすることによるさまざまな
手間、煩雑さというのもあるかもしれませんけれども、それと比べることのできないほどの重さというものが、
通信傍受をされた、あるいはその
通信の内容をどこかで見られた者にとっては重みがあるのではないか、そういう気がするわけです。
そういう
意味では、改めてこの
通信の
当事者に対する
通知をどのように考えておられるか、そしてやっぱりこれを知らせる、
通知をする、こういうことを少なくとも
検討すべきではないか。大変だとかそういうところは、技術的にあるいは物理的にいろんな手だては工夫できる問題です。
基本的な
人権という問題は、少なくとも
技術論だとかあるいは
手間暇だとかという問題で片づけられることではありません。そういう
意味で、この
通知ということを改めて考えていかなければいけないのではないかというふうに思いますが、再度これはお尋ねしたいと思います。