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1999-05-18 第145回国会 参議院 法務委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年五月十八日(火曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員異動  五月十三日     辞任         補欠選任      日出 英輔君     有馬 朗人君      櫻井  充君     角田 義一君  五月十四日     辞任         補欠選任      岸  宏一君     保坂 三蔵君  五月十七日     辞任         補欠選任      阿部 正俊君     佐々木知子君      有馬 朗人君     阿南 一成君  五月十八日     辞任         補欠選任      佐々木知子君     斉藤 滋宣君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         荒木 清寛君     理 事                 鈴木 正孝君                 服部三男雄君                 円 より子君                 大森 礼子君                 平野 貞夫君     委 員                 阿南 一成君                 井上  裕君                 佐々木知子君                 斉藤 滋宣君                 吉川 芳男君                 海野  徹君                 千葉 景子君                 角田 義一君                 藁科 滿治君                 橋本  敦君                 福島 瑞穂君                 中村 敦夫君    事務局側        常任委員会専門        員        吉岡 恒男君    参考人        東京新聞論説委        員        飯室 勝彦君        中央大学法学部        教授       小島 武司君        弁護士      畑  郁夫君        北海道大学法学        部教授      木佐 茂男君        京都大学大学院        法学研究科教授  佐藤 幸治君        預金保険機構理        事長       松田  昇君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○司法制度改革審議会設置法案内閣提出、衆議  院送付)     ─────────────
  2. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) ただいまから法務委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る十三日、櫻井充君及び日出英輔君が委員辞任され、その補欠として角田義一君及び有馬朗人君が選任されました。  また、去る十四日、岸宏一君が委員辞任され、その補欠として保坂三蔵君が選任されました。  また、昨十七日、阿部正俊君及び有馬朗人君が委員辞任され、その補欠として佐々木知子君及び阿南一成君が選任されました。     ─────────────
  3. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  司法制度改革審議会設置法案審査のため、本日の委員会参考人として東京新聞論説委員飯室勝彦君、中央大学法学部教授小島武司君、弁護士畑郁夫君、北海道大学法学部教授木佐茂男君、京都大学大学院法学研究科教授佐藤幸治君及び預金保険機構理事長松田昇君の出席を求め、その意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  5. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) 司法制度改革審議会設置法案を議題といたします。  本日は、本案の審査のため、お手元に配付の名簿のとおり、六人の参考人方々からそれぞれ御意見を伺います。  まず、午前中御出席をいただいております参考人は、東京新聞論説委員飯室勝彦君、中央大学法学部教授小島武司君及び弁護士畑郁夫君でございます。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用のところ当委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。  参考人の皆様から忌憚のない御意見をちょうだいいたしまして、今後の審査参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でございますが、まず、飯室参考人小島参考人畑参考人の順に、お一人十五分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、念のため申し添えますが、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いしたいと存じます。  なお、参考人意見陳述、各委員からの質疑並びにこれに対する答弁とも、着席のままで結構でございます。  それでは、飯室参考人からお願いいたします。飯室参考人
  6. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 飯室でございます。  それでは、時間が限られておりますので、単刀直入に意見を申し上げたいと思います。  私は一九六〇年代に新聞記者になりまして、その後半から、濃淡あるいは遠近の差はありますけれどもずっと司法というものを眺めてまいりました。  その結論として申し上げますと、やっぱり日本司法というのは十分機能を発揮していないのではないか。言葉は悪いかもしれませんけれども、既にもう制度疲労を起こしているのではないかというのが私の印象であります。そういう意味司法抜本的改革ということは必要だと思っておりますので、こうした審議会を設けてフランクな議論をするということは大変時宜を得たものだと思います。  司法役割というのはいろいろあると思うんですけれども、例えば三つだけ挙げてみましょう。紛争解決役割という問題があります。それから人権を守るとりでという役割もあると思います。それから立法行政をチェックするという大事な役割もあります。このいずれも十分機能を果たしているとは思いません。  紛争解決の問題に関しましては、詳しく言うまでもないでしょうけれども、民事訴訟が長過ぎる、手間がかかり過ぎるということがよく言われております。民事に限らず刑事でも、それぞれの裁判裁判官弁護士さんもあるいは検事さんも皆さん自分良心に従って精いっぱい頑張っておられるんですけれども、もう良心と頑張りというだけでは解決しない問題なのではないかというのが私の印象です。  審理期間というのは、確かに民訴法を改正したり、それから裁判所弁護士会がフランクに話し合ったりして短縮する努力を大変続けられております。  しかし、その一方で、当事者の方から不満が起きてきているのは、訴訟が合理化されているのではないか、もっと言い分を聞いてくれてもいいんではないかという声です。  例えば、訴訟百件当たりの証人とか本人尋問の数というのを比べてみますと、地方裁判所の場合には一九八六年には百十人調べていました。百件当たり百十人です。ところが、九五年になりますと八十三・五人というふうに減っています。忙しいし、大体心証がとれればもうこれ以上は要らないという形で、申請してもけられるというケースが非常に当事者不満になっているようです。  裁判を我々の取材活動に例えるのはちょっと不謹慎かもしれませんけれども、私たちでも忙しいときにはそういう取材活動をします。ある種の想定をして、ある種の質問をして、それで納得してしまう。ところが、若干時間があって、その後むだだと思いながらもいろいろ話を聞いていると、そっちの方に珠玉の真実が見つかるという場合があるんです。  だから、裁判の場合にもそういう当事者が余裕を持ってやれるという体制をつくる必要があるのではないかと思っております。  しかし、これは裁判官だけを責められませんで、弁護士さんもやっぱり忙し過ぎます。ある弁護士会弁護士さんに開廷間隔はどのぐらいが望ましいかというアンケートをとった。開廷間隔というのは、つまり次の法廷を開くまでの間隔です。弁護士さんの不満は、私の経験では三カ月待たされたとか二カ月待たされたとか長過ぎるという不満をもちろん言うんですけれども、それじゃどのくらいがいいか、望ましい開廷間隔で一番多い答えは一カ月です。これは市民感覚からいいますと、きょう裁判をやって一カ月先でなきゃ期日が入らないというのはとても適当な間隔だとは思えません。しかし、弁護士さんも忙しいからそのぐらいの間隔でないと仕事が成り立たないんです、一遍にたくさんの事件を引き受けていますから。ですから、これはやっぱり制度上の問題が多分にあるんだろうと思うんです。  それから、検察官も忙しいですから非常に綱渡りの仕事をされておられます。特捜部で大事件があれば地方から応援に行かざるを得ない、そうするとその地方は穴があいて大変だというような場合もあります。  最近有名になった隼君事件というのがありましたね。交通事故捜査を十分やらないで不起訴にしちゃって、両親のアピールで起訴し直したという事件。あれなんかも、副検事転任間際だから後の人に仕事を残していきたくないということで、十分捜査をしないまま起訴しないでいって後で問題になったケースです。これも僕はやっぱり多忙が一つの理由になっていると思います。  逆に、多忙で冤罪になった交通事故もあります。これはあの有名な新潟遠藤さん事件というんですが、ひき逃げ事件です。新潟ひき逃げ事件が起こりまして、遠藤さんという被告が起訴されて、ずっと無実を訴えたんですけれども有罪で来まして、最高裁がちょっとこの有罪判決はおかしいと言って、何と交通事故最高裁自身が破棄自判するという異例な事件です。  これも調べてみますと、担当副検事転任間際で忙しいものですから被疑者を調べないで起訴していったんです。そういうものですから、やっぱり人的に十分体制がとれていないのではないかということが一点あります。  人権とりでという問題は、これもまた言うまでもないと思うんですけれども、今刑事裁判の七割は国選弁護です。つまり、起訴されて裁判になっても自分の費用で弁護士を雇える人は三割しかいないんです。そうしますと、捜査段階国選弁護はありませんから、私選で弁護人をつける人なんというのは恐らく一割いないだろうと思います。  日弁連当番弁護士制度というのをやっておりまして、当番弁護士派遣数がやっと今逮捕者の一割になったところです。ですけれども、当番弁護士が飛んでいっても全部頼むわけじゃありませんから、到底一割も弁護人がついていません。  それから、民事訴訟の面でいいましても、法律扶助は今のところ法律がありませんから、具体的な数字を忘れましたけれども、国の扶助は数億ですね。しかも数年前までは法律相談に関して国の補助金を使っちゃいけないという制度になっていた。やっと国、政府もわかってきて法律相談にも補助金を使っていいよという段階になってきたんですけれども、これはまだまだです。  それから、立法行政のチェックというのは、これはよく言われるんですけれども、違憲判決がほとんどない、そもそも憲法判断裁判所がなるべく避けようとされるという問題がある。衆議院定数訴訟が十対五で割れていますけれども、あの状態は経済同友会でさえこんなことでいいのかということを意見書に書いておられるわけです。こういう状況を見てきますと、やっぱり司法制度は抜本的に改革する必要があるのではないかというのが私の意見です。  さて、そうしますと改革の方向はどうあるべきかという問題が次の問題になります。  第一に申し上げたいことは、特定のグループや特定利益代表のための改革であってはならないということはもう一番大事だと思います。声の大きい人の利益になるような改革じゃなくて、声を出しようにも出せない人たちの意向を十分くみ上げた改革論議をしなければいけないというのが大事だと思います。  それから第二の大事な点は、紛争早期解決ということだけに目を奪われた改革であってはいけないと思います。早期解決ということだけを目指しますと、それについていけない社会的な弱者だとか弁護士を十分雇えない経済的な弱者という人の人権を十分守れない改革になりかねない。逆に言うと、弱肉強食を手助けするための司法になりかねない。ここもやっぱり警戒しなければいけない点だと思います。ですから、もちろん紛争早期解決も大事ですけれども、最も大事なのは人権を守るために司法はどうあるべきかという視点だろうと思います。  それから第三点ですけれども、規制緩和の時代だから司法規制緩和すべきだという議論は僕は間違いだと思います。しかし、その一方で、一部の方々がおっしゃっているように、今起きている司法改革論議司法規制緩和論議だからくみしてはいけないという議論も間違っていると思います。今起きている司法改革の背景には、司法改革してほしいという広範な国民の声があるはずです。ですから、司法規制緩和をねらった改革論議だからくみしちゃいけないという議論じゃなくて、規制緩和のために司法改革するんだというせっかちな議論には十分反論すればいいわけですから、国民のためになる司法をつくるという議論には十分参画しなければいけないと思います。  よく言われていることですけれども、経済社会規制緩和とか自由化という問題が起こりますと、紛争はふえざるを得ません。そうなると今の司法体制では僕は十分機能できないと思いますから、これはそのためにも司法改革はしっかりまじめにやっていかなければいけない、司法充実するということを議論しなければいけないと思います。  そうなりますと、改革論議の柱は何だろうなというのが僕の次の問題意識になるんですけれども、僕は二つ考えております。第一は、市民が利用しやすく頼りにできる司法の実現ということだろうと思います。それから二番目は、民意が反映する司法というものだろうと思います。  第一番目の市民が利用しやすい司法ということで言いますと、具体的にはやっぱり法曹人口拡大しなければいけません。一部の方がおっしゃっているように、司法試験合格者をすぐ二千人にしろとか三千人にしろとかいうのは乱暴ですけれども、ずっと情勢を見ながら順次ふやしていくことは絶対欠かせないと思います。  日弁連は現に今、被疑者国選弁護制度というのをつくろうとしていろいろ努力されていますけれども、田舎に行くと弁護士さんがいません。しかし、その田舎にも警察はありますから被疑者は捕まるわけです。弁護士さんがいないところで被疑者が捕まっても被疑者弁護制度はできません。当番弁護士の場合は、北海道なんかは大変弁護士さんが努力して、ボランティアで吹雪の中を何十キロも走って面会には行っておられるようですけれども、被疑者国選となりますとそれが何万人と要請があるわけですから、今の情勢ではとてもやり切れないと思います。ですから、法曹人口拡大は絶対に欠かせないと思います。  もちろん裁判官とか検察官もふやさなければいけませんけれども、しかし裁判官検察官がふえたら弁護士もふやそうという消極的な姿勢じゃなくて、まずとにかくふやしていこうという姿勢を示すことが大事だろうと思います。  それから二番目は、司法予算拡大による人的、物的な司法の仕組みの充実であります。これはもう言うまでもないと思います。  それから、具体的な三番目は、被疑者国選弁護制度を含めた法律扶助制度充実ということだろうと思います。今、法律扶助に関しましては法律をつくるということで話し合いが随分進展しているようですけれども、被疑者弁護に関してはなかなか難しいようです。確かに捜査弁護の対立という問題がありますから簡単にはいかないと思いますけれども、これもぜひ十分な議論をして実現していただきたいと思います。  それから、二番目の柱の民意が反映する司法という問題ですけれども、これは僕はやっぱり陪審制度の復活と法曹一元だろうと思います。戦前の陪審が全然国民に好まれなかったという意見が一部にあるんですけれども、私は若干違っておりまして、日本人もしっかりやっていけるという自信を持っております。  それから、法曹一元というのは臨時司法制度調査会でまだ時期尚早だということで棚上げになっているわけですけれども、あそこで条件とされた項目の幾つかはクリアされたかあるいはクリアされつつあるのではないかという気がいたします。法曹一元とすることによって、司法試験合格からすぐ裁判官になって、そんなことを言ったら大変失礼ですけれども、多彩な社会生活を余り経験されないまま多彩な社会事象を裁くということはやっぱり偏った判断が生まれやすいと思います。十分世情を経験した方が裁判官になることによって当事者が納得する裁判がもっともっとふえるんではないかと思っております。  以上が私の申し上げたいことですけれども、今言ったようなことをよく考えてみますと、衆議院法案修正附帯決議には大体僕の考えに近いようなことを衆議院先生方がつけていただきましたので、僕自身衆議院修正附帯決議は大変立派なものだと思っております。  以上でございます。
  7. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) ありがとうございました。  次に、小島参考人にお願いいたします。小島参考人
  8. 小島武司

    参考人小島武司君) 私も飯室参考人のよき先例に従いまして、最初から本題に入ってお話し申し上げたいと思います。  私は、一九七〇年代の初めからフィレンツェを中心にする正義へのアクセスプロジェクトというものにかかわる機会がございまして、これは本当意味で私が仰ぎ見るような欧米の法律界の碩学の集まった賢人会議みたいな様相を呈しておりまして、司法の現状における問題点特定してそれに対する改革の大きなビジョンを立てようという国際共同研究でございました。  その中のキーコンセプトは何かと申しますと、そのプロジェクトの名の示すように、ユニバーサル・アクセス・ツー・ジャスティスということでございます。ユニバーサルというのは二つ意味がございます。国内のすべての人々正義へのチャンスを与えるということと同時に、いよいよ重要な意味を持っている第二の含意といたしまして、グローバルな意味でもこれを保障するということでございます。  それから、法へのアクセスと言わず正義と言ったことも非常に深い意味がございます。単に現行法というものを意味しないで、本当の究極的な法の価値を目指した流動的、発展的な法というものに人々が参画できるようにしなければならない、そういうことを意味しております。  私は、この研究会に二十年以上にわたって出てまいりまして、私のいろいろな理論的な成長はこの研究会に負うところが多いわけでございますが、日本人としてこれを眺めておりまして、これはアカデミックなドリームだ、しょせん夢にしかすぎないというような感慨を常に持っておりました。そのことはつい最近まで変わらなかったように思います。ところが、九〇年代になりまして急に新しい潮流が出てまいりました。そして、このようなキーコンセプトは単なるアカデミックドリームではない。日本社会にあるいは根づいて、日本社会の本流になるのではないかという一つの期待を持つようになったわけでございます。  そういう点で、今度、司法制度改革審議会設置法案が御審議されておりまして、その中で幅広い基本的な我が国正義に関するシステムの総合的な変革を目指す動きが出てきたことに、私は深い敬意とともに大変大きな喜びを感ずるわけでございます。  それが私の基本的な認識でございますけれども、これを前提にして私は具体的な問題として三つの点を取り上げたいと存じます。そして、もし時間がございましたらもう一つ国際的な側面のこと、三つ国内側面でございますけれども、もう一つ国際的な側面のことを申し上げてみたい、そういうふうに考えております。  まず、国内的な側面の第一は、紛争解決システム改革でございます。  紛争解決のためには、二つの局面がございます。訴訟訴訟以外。この訴訟以外の紛争解決方法代替的紛争解決方法と呼びまして、最近ではADRと呼んでおります。このADR訴訟がともにうまく連動し合って一国の正義理想普遍化理想が達成されるというのが新しくほぼ学会に世界的に定着した考え方かと思います。もちろん、国際的に見ますと、アメリカは訴訟重点を置き、ドイツももっと純粋な形でこれに重点を置いています。日本はむしろADR重点を置いた国でございますが、大きな流れがその中間に向かって動いているというふうに思います。  そして、正義総量拡大しようといたしますと、どうしても訴訟だけではこれは賄い切れない、ADRが必要になるということで、両者役割分担をすることによって目的を達成するということになろうかと思います。両者はそれぞれ違った特性を持っております。訴訟に対してADRは、三つの標語がよく言われますけれども、デリーガリゼーション、インフォーマリゼーション、デプロフェッショナリゼーションというようなことが言われるわけですが、そういう使いやすいという面がございます。でも、使いやすいというだけではない、非常に重要な不可欠の要素としてADRが存在するということも認識してよいのではないかと思います。  いずれにせよ、この二つ方法、基本的な方法を通じて正義総量を最大化する。別の言葉で申しますと、規制緩和社会における事後監視救済を徹底することができるということになろうかと思います。  この二つの関係について、当然これまで一般に言われてきたものとして、今申しましたように増大する司法ニーズというものを両者で分担して賄っていく、言いかえれば裁判所の負担過剰をこれによって補っていく、そういう側面があろうと思います。しかし、これは消極的な物の見方だと思います。私は、このシステム変革というのはむしろ積極的な意味を持っているのではないかと思います。  第一に、両者が多元なルートを開くことによって従来のアクセス可能な救済というものが飛躍的に拡大いたします。今までよりもより多様な人々、より多様な事件救済を受けられるようになるというので、むしろ拡大機能がそこにあるということかと思います。  それからもう一つ、第二に、これを通じて、司法がややもすれば硬直な基準を使用して退嬰的になりやすいというものが、合意を中核とするADRの新しいフレッシュな感覚に基づくより豊かな正義が常に法というものを新鮮に活性化していき、豊かなよりレスポンシブルなものにしていく、そういう機能があるのではないかと思います。  そういう意味で、ADRの進展というのは積極的な意味があるのではないか。そういう意味で、我が国の従来伝統的に盛んに行われてきました調停なども本当意味で生かしていくべきであろうと思いますし、新たに仲裁、とりわけ国際仲裁活性化というのが大きい意味、深い意味を持っているのではないかと思います。  もちろん、こういうシステムが全体として働くためには絶対不可欠の幾つかの条件がございます。もしこの条件がないならば、こういうシステムはむしろ弊害を生みかねない。いわば、まあまあ調停とかあるいは泣き寝入りという言葉と連動してくることになりかねないと思います。  そこで、幾つかの条件のうち一つを申し上げておきたいと思いますが、それは司法というものが本格的に対等な当事者によって争われ、公正な手続のもとで明晰な明快な法を定立していくということだと思います。この点で我が国司法にはこれまで欠けてきている面があるのではなかろうかと思います。  なぜ欠けてくるかというのは、一つこれは裁判所体制の問題もあろうかと思いますが、やはりそれだけ刺激を与えるような事件裁判所に入り込んでこなかったというところに問題があろうかと思います。言うなれば、事件がワンパターン化して多様な事件裁判所に入ってこないような現実的制約があった。  これにもたくさんの制約がございますけれども、その最大のものの一つとして、法律扶助の未整備ということがあろうかと思います。そして、これを支える弁護士活動の画一的傾向というのがあろうかと思います。そこが是正されなければならない。これはいろいろな問題がありますので、これ以上入らないことにいたします。  そこで、今の話から第二のテーマ、弁護士活動の活性化ということに触れておきたいと思います。  このようなシステムができてまいりますと、そのシステムの初めは弁護士事務所の扉から始まります。弁護士事務所が開かれていなければこのすべてのシステムは瓦解していくわけでございます。アクセシブルな弁護士というのがまず要諦でございます。そういう意味で、弁護士の十分な数量ということは重要でございますが、それの前提としてより重要なこととして、弁護士の力量の充実ということがあろうかと思います。  弁護士の力量としては、訴訟の場における弁論能力、論争能力ということが重要なものとして意識されて、我が国の教育の根本とされてまいりました。この重要性は言うまでもありませんが、さらに、ADRの場面になりますと、調整能力、いたずらに議論を紛糾させないで事柄の真相を見きわめこれに対して創造的な取り組みをする、こういう点の能力において現在の弁護活動は十分でないということが指摘されております。これは学校教育の問題にかかわってまいるかと思います。  それから、このようなシステム紛争解決の話をいたしましたが、その根底にもう一つ相対交渉というのがございます。これは、第三者がかかわらないで当事者相互で交渉する、あるいは当事者双方にそれぞれ弁護士がついて活動する、交渉をするという局面、これは二面的な紛争解決の局面ですが、これを相対交渉といいますけれども、この中で交渉の力量というのが非常に大切になってまいります。  従来の交渉のモデルというのは、訴訟を念頭に置いた対決論争型あるいは対決抗争型モデルということで弁護士業務が展開されてきたということが指摘されております。しかしながら、交渉というのはそういうものにとどまってはならない。そこで、新しいモデルとして言われるものが統合的交渉とかあるいは問題解決型交渉ということでございます。  抽象論ばかり申し上げてあれですので一つ例を申し上げますと、これは法的紛争とは言えませんけれども、夫と妻がけんかになった、夫はバカンスに海で泳ぎたい、妻は山で読書でもしたい、そういうことで意見が対立した。このとき、これがお互いに争ったら、ゼロサムゲームで、どっちか勝った方は一〇〇%満足をし他方はゼロということになりかねないわけでございます。ところが、もしこの場合に夫婦が山の湖に行こうとすれば、夫は幸福に泳ぎ、妻は静かな山の空気を吸うことができるわけで、両方の満足度は一八〇%を超えてくるのではないか。  これが新しい交渉のシステムで、こういうものはあらゆる交渉についてこういう満足度を一〇〇と考えて、それを分けて五〇、五〇にするという愚かな解決ではなくて、両方の満足度を五〇以上に上げて、できれば両方全部満足して一〇〇%ずつにする。そういうことが例として言われるわけですけれども、そういう交渉の技術というようなものを高めていく必要があるのではないかと思います。  それから、三番目の法学教育でございますけれども、こういうふうになってまいりますと、必然的に法学教育、それに続く法曹養成制度の抜本的な改革が必要になってくるのではないかと思います。特に、法曹の数を下げれば、今の制度を前提とする限り、質的な低下は必然でございます。しかも、優秀な上積みの人について見ても、能力の画一的、限定性という病弊は明らかでございます。どうしてもシステムそのものの変革が必要になってくるのではないかと思います。  これまで司法試験制度を念頭に置いてその改革ということが関係者の努力で行われてまいりましたが、しょせんこれは敗北者のゲームであろうと思います。つまり、限られた出口のない局面で改革をしても、一つ前進すれば他がへこんで、結局大した前進にはならないというのが如実にここのところ明らかになってきているのではないかと思います。大切なのは、我々のよって立つ基盤、土俵を変えることではないかと思います。それが大学審議会が出しましたロースクールなどを例とする特化大学院の構想ということでございます。  もちろん、従来のシステムを全く変えてこれに一本化するということには現実的でないという面があろうかと思います。両者をどう組み合わせて、しかし我が国にとってどうしても必要な本質的な人材をどう育成していくかを真剣に探るべきだと考えております。  そのためには、まず司法養成の基盤を試験からプロセスに変えなきゃならない。つまり、よき大学院教育の中ですぐれた人材を養成していく、そしてそこで鍛え上げられた人材は七、八割は合格するというふうにしていく必要があるのではないか。このことをしない限り、我が国制度は非公式教育、つまり予備校による司法官、法曹養成ということに必然的に行き着かざるを得ない。このプロセスを抜本的に変えていかなければならないのではないかと思います。それによって多元的な能力を有するすぐれた法曹が生まれてくるのではないか、そういうふうに思うわけでございます。  我が国法曹問題点というのは、例えば最近国会でも御審議いただいた外弁法の審議や立案の過程におきまして識者が痛感させられたことだと思います。要するに、我が国法曹が国際的競争力を持たない。これは我が国だけではなくてドイツについても同様のことが指摘されております。何とか国際社会我が国の人材が活用できるようにするためには、このような点の抜本的な改革が必要であるということがコンセンサスになりつつあるのではないかと思います。  もう私の持ち時間がほぼ尽きているかと思いますが、最後に、このようなシステム変革というのはグローバルな変革に結びつかなければならないと思います。そして、そのために日本法曹も国際貢献していくということが何よりも必要なことかと思います。これを通じて我が国制度が一層よくなっていく、洞察力が得られるのではないかと思います。  そういうことで、今具体的に項目だけ挙げて終わりにいたしますが、従来考えられなかったようなことが幾つか起こっております。  一つは、弁護士の国際的相互乗り入れということであります。これが訴訟の場では限定されておりますが、交渉の場では進展し、国際仲裁の場では全面的に開放される方向に動いております。  さらに、司法の心臓部、つまり訴訟法についても、渉外事件についてはこれを国際的に共通化しようという世界的な運動が去年の暮れから展開され始めております。私も、アメリカン・ロー・インスティテュートという、これはアメリカ最大の組織でございまして、連邦最高裁判所の全判事、高裁長官全員を含む三千を超える法律家が結集して法の改革をしている団体でございますが、それと協力しまして、日本でも国際会議を六月上旬に開くことになっております。ここで全世界の法律家が討議しながら、国際事件を対象とする訴訟法というものをハーモナイズしていこうと。アメリカも陪審というようなものあるいはディスカバリーというようなものを非常に限定してくる、また大陸法の諸国もこれに呼応してそのシステムを近づけていく、そういうようなことが進展しております。  以上のことから、司法制度改革がその成果を上げますよう私は強く期待している次第でございます。  ありがとうございました。
  9. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) ありがとうございました。  次に、畑参考人にお願いいたします。畑参考人
  10. 畑郁夫

    参考人(畑郁夫君) 昨今、我が国司法制度につきまして、訴訟に時間と費用がかかり過ぎる、あるいは司法制度が大変利用しにくい等の批判が聞かれることは私も承知いたしております。このような時期に内閣に司法制度改革審議会が設置され、広く司法制度全般にわたりまして調査審議が行われますことにつきましては、まことに時宜を得ておるものと思い、敬意を表する次第でございます。  司法制度改革を検討するに当たりましては理念も当然重要であることはもちろんでございますけれども、私の場合、長らく民事裁判を担当してまいりました関係で、この際、我が国司法制度の実情を中心にお話し申し上げたいと思っております。  以下、時間配分がうまくいきますかどうか、三点を申し上げたいと思っております。  第一点は、民事紛争の解決のあり方についての御理解を得たいと思っております。第二点は、私がかつて大阪地裁で知的財産権専門部に属しておりました関係もございまして、知的財産権事件について申し述べたいと思っております。第三点は、お二人の参考人も触れられましたけれども、裁判官任用制度について実情を申し上げてみたいと思っております。  まず、第一点でございます。  国民民事紛争に巻き込まれるという場合に、それは直ちに裁判所へ持ち込まれるというわけではございません。その点は、ただいま小島参考人が、正義システムの完成のためには弁護士事務所のドアが開かれておるのがまず最初であると言われました。私も多少の弁護士体験もございますけれども、全く同感でございます。弁護士などの法律専門家が間に入りまして、内容と結果がしっかりした解決をするということは、国民利益に最もかなうものであろうと思っております。身近に、手軽に相談するということ、これは国民の最も望んでおるところであろうと思います。弁護士の存在というものは肝要であろうと思っております。  ただ、遺憾ながら、我が国におきましては、普通の国民にとりましては弁護士は遠い存在でございます。これをどうするかという点でございます。裁判を担当しておりまして事案を検討しておりますうちに、もう少し早く適切なアドバイスがあればこれほどこじれなかったであろうと思われるようなケースをしばしば体験いたします。このあたりが今回の司法制度改革につきまして利用しやすくするという点のポイントではなかろうかと考えております。  さて、その次に待ち構えます訴訟でございますが、これはいわばアンカーでございまして、紛争解決の最終手段でございます。この手段というのは最後でございまして、公平な解決を当事者対等の立場で厳格な手続をとるということをやらざるを得ないわけでございまして、必然的に一定の時間とコストがかかるという宿命を負っておると思えます。この点は御理解いただきたいと思っております。  そこでそのディレー、訴訟遅延の問題でございますが、新しい民事訴訟法が昨年から御案内のとおり施行されまして、聞くところによりますと、地裁の民事事件は平均が九カ月ちょっとで処理されておると聞いております。私の在任中は一年を切って、さらに努力しようじゃないかといった時代でございましたので、随分早くなってきたなと思っておる次第でございます。この処理期間と申しますのは、外国に比べても遜色がないのではないかと私は思っております。  もっとも、医療過誤事件あるいは建築工事、あるいはこれから申します知財権事件等につきましてはいろいろな事情がございまして、また訴訟構造自体が当事者主義をとっておるということもございまして、裁判所が幾ら頑張ってもなかなか審理の促進が難しいということもございます。このあたりの点は御理解をいただきたいと思います。  特に、マスコミで報道されます重大事件というものはこの範疇に入る事件がございまして、私ども実際にやっておりますのは地の塩と申しますか、目立たない市民事件を一件ずつやっておるというのが実情、大多数でございますので、そのあたりも十分御理解いただきたいと思っておる次第でございます。  次に、エクスペンシブ、裁判費用が大変かかり過ぎるという批判がございます。  一例を申しますと、調べますと、五百万円の貸し金請求という訴訟が起こされました場合に、その当事者は約三万二千円の裁判手数料を要することになっております。印紙代でございます。さて、これを弁護士に依頼した場合にどうかと申しますと、弁護士報酬規程によりますと、着手金として三十四万円程度を要するということになっております。裁判を提起したい国民の側からしますと、この金額のうちでやはり弁護士費用というものが感覚からいいまして高いという印象を与えるのではないかなと思っております。  弁護士費用につきましては、これとは別に、ある高名な方が先般言っておられましたけれども、すし屋へ入っても、時価と書いてあるネタはなかなか注文しにくいぞと言われたのでございますが、そういう点は確かにあろうかと思います。これにつきましては私の所属しております弁護士会も十分努力をしておるところではございますが、そういった話もございます。  そういう意味で、国民がいずれにいたしましても裁判を利用しやすくするというためには、裁判に関する費用について支援いたします法律扶助制度充実というのが極めて重要なポイントになるのではないかと考えております。  第二点でございます。知財権事件について申し上げたいと思います。  近時、知財権事件訴訟につきまして、特に米国との比較等で我が国審理期間が長い、損害賠償額が低い、裁判官に専門性がないといった批判がございます。私も特許専門部で経験しましたけれども、正直に申し上げまして大きな負担を感ずる技術問題もございます。またこれは当事者弁護士代理の場合にも事情がございまして、非常に専門的なものですから、東京、大阪の弁護士が多うございます。そうしますと、なかなか期日の都合がつかない、あるいは技術者や経営者と相談する必要があるということで、普通の事件のような、ただいま一カ月に一度というのも非常に市民感覚上、長過ぎるという飯室参考人の御意見もございましたけれども、これすらなかなか困難であるという実情にございます。  このような経験に照らしますと、知財権事件訴訟につきましては、先般の新民事訴訟法で東京と大阪に選択管轄を設けたということがございまして、これは十分活用されるべきであろうかと思っておりますし、さらに、特定の庁に集中して知財権に精通した裁判官あるいは調査官を配置いたしまして、専門部の充実強化を期待したいと思っておる一人でございます。また、専門性を有する弁護士が積極的な訴訟活動を行いますシステムを発展させていくのが効果的ではないかと思っております。これは、小島参考人のおっしゃいましたADR一つだろうと思います。  実は大阪でも、民事調停につきまして、特別調停委員としまして弁理士、専門の弁護士を任命いたしまして民事調停充実させたいという御構想があるように聞いておりまして、私も賛成でございます。実は私は、民事調停の協会長を承っておりまして、現に今もかなりこの種の事件を担当しております。また、御案内のとおり、弁護士会では工業所有権の仲裁センターを設けられます。私も大阪でこの調停委員を仰せつかっておりまして、先週ちょうどある特許紛争を担当しておりましたところ当院から参考人招致を受けたような次第でございまして、大変御縁を感じたのでこういうテーマを申し上げておる次第でございます。  最後に、裁判官任用制度でございます。  裁判官制度につきましてもさまざまな批判が聞かれております。キャリア裁判官であること自体から裁判官は常識に欠けるとか、裁判の内容に問題があるというようなことも耳にいたします。こういったことに対しまして、私のような経歴の者が云々するのは必ずしも適当でないかもしれませんけれども、またおこがましいかもしれませんけれども、私の知る裁判官の姿あるいは仕事ぶりからはいささかかけ離れた見方だと大変遺憾に思っておるのでございます。  裁判官は、民事刑事、家事、少年事件等さまざまな種類の多数の事件を担当するわけでございます。みずから経験したことのない事件を通しまして、みずから文献を調査し相応の知識を吸収する等々のことを経まして実にさまざまな事柄について触れ、実にさまざまな経歴、経験を有する事件関係者からの話を聞く機会が多うございます。刑事事件を担当しておりましたら、人生や境遇にこのようなものがあるのかと胸を打たれるという経験もあるわけでございます。「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンではございませんけれども、平たく言えば社会の裏面というものも理解できてくると思います。いささか弁明的ではございますが、御理解いただきたいと思います。  次に、合議事件でございますけれども、この合議事件につきましては、多様な事件について裁判官三人で御承知のとおり意見を交換いたします。私どもがいつもお互いに申しておりましたのは、迎合と固執というのは一番いけないということを申しております。経験、年齢の異なる三人が文字どおり対等に議論するということを通じまして多面的な物の見方が身につくというのが普通の実情であろうかと思っております。  また、裁判官というのは事件を拒むことができません。えり好みはできません。すべて最後まで責任を持って処理するという体制になっております。私は、長い裁判官生活を通じまして、いろいろな社会的事実を見聞させていただいたと思っております。  御案内のとおり、大阪というところはいわゆる弁護士任官発祥の地とも言うところでございまして、私は所長として在任中に弁護士を、毎年三人、四人でございましたけれども、受け入れする側に立ちました。その方々が一様に申しますのは、裁判官が実にいろんな事件をやるということ、あるいは意外に、意外というか大変自由な雰囲気だということに驚かれるのでございます。これはいろいろな機会に聞きましたら生き生きとしてそう申される、弁護士でもそういうことを言われるのかなと思うぐらいでございます。  裁判所というところは地味な地の塩とでも言うべきところでございまして、広報といった点で欠ける点があろうかと思います。一部ではキャリア裁判官に対して上司の意向を聞くヒラメ裁判官というようなことまでやゆされる点がございますけれども、これは随分誤解があるのではないかと私は思っておる次第でございます。  先ごろ、裁判官は信頼できると考えている国民が実に七八%に上るというアンケート結果をある新聞で見まして、私としましては大変うれしく思ったようなこともございました。また、キャリア裁判官につきましては、御批判あられるかとは思いますが、離島とか大都市を問わずに全国どこでも均質なサービスをする体制がとれるという点では極めて役割を果たしておる、またそのことにつきましては各裁判官が努力をしておるということにもぜひ目を向けていただきたいと思っておるわけでございます。  最後に、諸先生方にも司法修習を終了された方がいらっしゃるわけでございますけれども、修習制度についていろいろ議論がありますが、私は一言だけ申します。  私が一番重要だと思っておりますのは実務修習でございます。実務というのは、法曹三者がマン・ツー・マンの指導をやるわけでございますし生きた事件を体得するわけでございまして、その中でみずから責任感を持ってどうこの事件に対応するかということ、法曹倫理、リーガルマインド、バランス感覚等を体得していくものであろうかと思います。現に、たくさんの修習生を迎えた経験がございますけれども、実務修習前と修習を終えた修習生とでは一見してわかるわけでございます。何となく自信のない者が非常にあるものを得たという目つきになっておることを感じます。  最後になりましたけれども、司法改革をめぐる議論に際しましては、司法制度我が国の歴史、文化を背景に社会構造の中でどのような機能を果たしているかという実情をできる限り客観的にとらえていただきまして、司法機能と特質を踏まえた上で十分総合的に検討をお進めいただきたいと思っております。それが何より肝要であろうかと思っております。  以上でございます。
  11. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) ありがとうございました。  以上で参考人意見陳述は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  12. 海野徹

    ○海野徹君 民主党の海野であります。  参考人の諸先生方、大変ありがとうございます。数点御質問させていただきます。  まず、飯室参考人にお聞かせいただきたいんですが、現状の司法機能不全に陥っている、改革の必要性を幾つか今述べられ、方向性も述べていただきました。この法案は、目的あるいは審議項目、審議会委員の人選と構成、運営方法、非常に明らかになっておりません。私どもはそれに若干疑念を持っておるわけなんですが、この法案に対する認識をお答えいただきたいと思います。
  13. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 初めに、審議会での議論の項目がないということが大変に問題になりました。  それは私自身は全くそのとおりだとは思いますけれども、逆に、政府案に変な項目を盛り込んでくるよりも、委員の人選さえしっかり公平に行われれば、その委員が公平な議論をして決める方が僕はいいとは思っておりました。ただしかし、衆議院でああいう修正がつきましたから、あの修正の方向そのものは、ああいう形で注文をつけることは大変いいことだと思っております。
  14. 海野徹

    ○海野徹君 委員の人選についてということなんですが、具体的には何かイメージとして私どもに意見としてお答えいただけるようなものがありますか。
  15. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 非公式な話としては、法律家は過半数にはしないという話を伺っておりますけれども、僕はそれは全く正しいと思います。やっぱり司法を利用する立場の人をたくさん入れて、その声をくみ上げるべきである。ただし、その選任は公正に行われなければいけないし、透明に行われなければいけないと思いますし、できるだけ多方面からの人を登用していただきたいと思います。
  16. 海野徹

    ○海野徹君 わかりました。  そういう手続を経れば飯室参考人としては目的は達成されるとお思いですか。
  17. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 達成されるかと聞かれると、私は委員じゃないから自信がありませんけれども、国会がきちんとチェックして公正な人事を実現すれば達成されるんではないかと思っております。
  18. 海野徹

    ○海野徹君 それから、法曹一元化の問題なんですが、条件は整備されてきているという話がありましたが、具体的にちょっとその辺を教えていただきたいんです。
  19. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 整備されてきているというのは、整備されたという過去形で申し上げているのではありません。整備されつつある途上にあるのではないかと申し上げております。これから法曹人口もどんどんふえていくでしょうから、裁判官になりたいと思う方もふえてくるのではないかというのが一つ。  それからもう一つ、私が法曹一元化をぜひ実現してほしいと申し上げているのは、一気にこの日から法曹一元だよというシステムではなくて、今のキャリアシステムを残していながら順次組みかえていくというスタイルでやっていけば、何年かかかれば実現するのではないかと私は楽観的に思っております。
  20. 海野徹

    ○海野徹君 方向性の中で、私はやはり一つには法の支配の確立というのが方向性にあるべきだと思うんですが、その点についての御意見をお伺いしたいと思います。
  21. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 僕も全くそのとおりだと思います。
  22. 海野徹

    ○海野徹君 それでは、小島参考人にお聞かせいただきたいんですが、基本的な正義に関する総合的変革というようなお話をお伺いしたかと思うんですが、参考人正義ということについての概念をちょっとお教えいただけますか。
  23. 小島武司

    参考人小島武司君) 正義という言葉は法哲学上の根本的な問題でございまして、私がここでその実質的な内容を定義することはできません。  しかし、こういう考え方がございます。正義を積極的に定義できなくても不正義は多くの人がわかると。これはカーンという哲学者の言葉なんですけれども、要するに、世の中に不正義と思われるものがあれば、それが法廷その他のフォーラムに出て公平な手続のもとで論議される、そこから結論が出てくる。それは正義に相当近いものになるのではなかろうか、プロセスを通じて。そういうフォーラムを用意することこそ究極の正義へ至る不可欠の第一歩ではないか。そういうふうに考えておりまして、今回の制度改革というものはそういう方向に一歩進めるものとして理解しております。
  24. 海野徹

    ○海野徹君 その正義は時代的な要請で、正義というものよりも不正義の方が明確に指摘できるという話だったんですが、それは時代的に変化するものですか。
  25. 小島武司

    参考人小島武司君) 正義というのは基本的なところで変化しないものであり、それはギリシャの時代から根本義においては変わらないのではないかと私は思います。しかし、それのあらわれ方は国によって違い、時代によって違うのではないか。そこで、それを具体的な場において決着をつけるために手続的な保障というものが必要になり、それを実現するための場が必要になるのではないか。またその議論をするためには法律専門家がこれを助けることが重要ではないかと思います。そして、その法律家が十分な望ましい能力を兼ね備えているということが何よりも重要なのではないかと思います。
  26. 海野徹

    ○海野徹君 いろいろ参考人からお話をお伺いしました。その中で、数多くの検討課題があるかと思うんです。二年間というのは、検討課題としてこれは適当な期間なんでしょうか。
  27. 小島武司

    参考人小島武司君) 私は、現在の日本の状況を考えますと、この任務を二年間で行うことが極めて困難ではありましょうが、それを何としてでもやらなければならないということが、法案の中にそういう考え方が潜んでいるのではないかと思います。これに対しては敬意を表したいと思います。  それからもう一つ、これを一挙に二年で結論を出すというよりは、それぞれ審議をしてプライオリティーに応じてできる限りのことをやっていく、そういう一種のプラグマチックな考え方というのは、問題の緊急性にかんがみ大変有効なアプローチではなかろうかと思います。
  28. 海野徹

    ○海野徹君 課題としては大変多くて、そういうものすべて二年間で解決するには極めて困難ではないかと。ただ、要するにプライオリティーをつければという話だったんですが、三十七年前に臨時司法制度調査会というのができて、このときも法曹一元化というのが検討項目として大変重たかったわけなんですね。それから三十七年過ぎているわけなんですが、そういう大変重要な問題がまた先送りされてしまう、二年間で。ある意味では引き続きいろんな課題に向けての議論を何年か継続してやっていく必要もあるのではないかなと思うんですが、その点についてどうでしょうか。
  29. 小島武司

    参考人小島武司君) その基本的な問題の大きさからいって、二年間で問題のすべてが解決できるとは思いませんけれども、その基本的な考え方を固めるということは可能ではないかと思います。特に、現在直面している司法制度に関する幾つかの課題は内的に関連しておりますので、そういう意味で、一つ一つ進めると申しましても基本的な流れというものを確立しなければならない。その流れが確立したら、多くの問題が方向性を得て審議は促進されるのではないかと思います。  特に、今御指摘がありましたように、臨時司法制度調査会はその成果を十分おさめることができませんでした。しかしながら、私の認識では現在は状況が違っているのではないか。あの当時は理念先行型であったのではないか。現在は社会が変わって動いている。それに対応した司法制度改革をすることが必要であるということがございます。このことについて、一部の法律家ではなくて国民が広く共通の認識を形成しているのではないか。その点が当時の問題と現在の問題の決定的な違いではないかというふうに認識いたしております。
  30. 海野徹

    ○海野徹君 ありがとうございます。  それでは畑参考人にお伺いしたいんですが、歴史文化を背景として、実情を十分に把握してから議論に入るべきだというようなお話があったかと思うんですが、私も全くそのとおりだと思うんです。最後にということだったので、実際にやっていらっしゃって、多分まだ御意見として発言したい部分があったかと思うんです。その辺について、詳細をお聞かせいただけますか。
  31. 畑郁夫

    参考人(畑郁夫君) ただいまの御質問に全く適合するかどうかは別としまして、時間の都合もございますし、一つだけ私の体験を申させていただきます。  法曹一元関連でございますけれども、私、従前から縁がございまして、カナダのバンクーバーの連邦裁判所判事御夫婦と非常に親しくいたしておりまして、日本にも遊びに参った方ですけれども、バンクーバーへ来い来いと言いますので、私、実は退官後自由な身になりまして喜んで家人と一緒に行ったのでございます。  そのときの経験でございますが、彼は、といっても私より大分年輩なんですが、もちろん裁判所も見ましたが、彼の事務所へ案内していただきました。御案内のとおり、英米法系ではローファームで多数の弁護士がおります。行きますと、部屋の中に五、六枚大きな顔写真、法服を着た写真がございます。そこに、ジャッジ・ワレスというんですが、ワレス氏の写真も出ておる。これを見ましてもわかりますとおり、なるほど大変名誉なことだなということがわかります。自分の部屋へ案内していただきますと、これは永久におれが使えるのだ、自分は判事をしていたからもう今事件はないのだと言って、片目をつぶって私につらいよとかいうふうな表現で言ってくれました。  要するに、私が歴史的、社会条件ということを申しましたのはこういうことでございまして、法曹一元というのは、要は多数の弁護士の中からすぐれただれもが尊敬できる弁護士裁判官になるという制度だろう、一言で言えばそうだろうと思うのでありますが、そういったことにつきましては、やはり弁護士の基盤あるいは国民のそういった関係に対する信頼等々があろうかと思うんです。  日本の場合は、弁護士過疎の地域もいろいろございますし、そういう弁護士任官制度というのは大変結構なことだと思いましたけれども、それとはどうも基盤がまだ違うのじゃないかなということを痛切に感じました。例の一つでございます。
  32. 海野徹

    ○海野徹君 今、法曹一元制度のことから言及されたわけなんですけれども、イメージとして、今度の法案でいろいろな検討項目が幾つかあるかと思うんですが、実際に現場におられて、検討項目としては何が優先すべき検討項目だとお考えですか。
  33. 畑郁夫

    参考人(畑郁夫君) 検討項目いろいろございまして、もちろん何をというか、我々から申しますとこれは大変な時期だなと。行政改革の後のことでございますし、当然その制度疲労ということもございますので、当然の時期に来たなと思っておりますが、やはり私は、まずもってADRの拡充ということが現実的であり、我が国の現段階の実情に合うのかなと思っております。そういう意味で、私は今、知財権事件についてのADRをちょっと御紹介したような次第でございます。
  34. 海野徹

    ○海野徹君 これで終わります。
  35. 大森礼子

    ○大森礼子君 公明党の大森礼子です。  今度このような審議会をつくるという法案が出ているわけですが、これまで司法をめぐっていろんな問題がございました。審議会ができるということは、逆に言うと、もうそれは法曹三者といいますか当事者に任せておいては改革しない、こういう判断も背景にあるのかなという気もするわけです。本当当事者に、裁判所、検察庁、弁護士会もそうでしょうか、変えようとする気があるのかどうかということをよく疑問に思うことがございます。  司法改革と言った場合には、飯室参考人もおっしゃいましたけれども、やっぱり司法予算拡大とか人的、物的拡大、こういうことが必要なんだというふうに言われるわけですけれども、毎年三月になりますと裁判所裁判官の定員をふやすということで裁判所法の改正が出てまいります。毎回この法務委員会委員の方から、何でもっとふやさないんですかと言うんです。もっと予算をどんどん要求すれば我々だって応援するんですから、もっと積極的にと、むしろこちらがけしかけているような場面があるわけなんです。  そういうことが積極的にできないようなそこら辺の何か体質があるのかどうか。一つ、最高裁判所ということで例をとります。例えば使い勝手のいい司法となりますと、まずやっぱり裁判官の増員でしょう。これからいろんな法律ができます。そこに新たな権利義務関係ができます。そうすると、そこにまた新たな紛争ができて、それを解決する手段として司法の器が大きく用意されていなくてはいけないわけです。そういう二十一世紀に向けてのビジョンを立てた上で計画的に増員なんかを図ったらいかがですかとか質問いたしますと、事件数の予測がつきにくいのでなかなかそういうのが立てられないというのが毎回最高裁判所から返ってくるわけなんです。  私たちは、多ければ多いほど、例えばそれまで一年かかっていたのが半年になる、半年かかっていた事件が一カ月になるとすれば、それは迅速な裁判に資することであるんですから、司法については人が余るということはないんじゃないですかと言うんですけれども、そこで余り意見が合わないといいますか、どうにもできない場面が出てくるわけです。  まず飯室参考人にお尋ねしますけれども、例えば最高裁判所で人員をふやすビジョンができにくいというその体質、これは無理のないことなのかどうなのか、こういうことについて何かお考えがございましたらお伺いしたい。同じ質問は、裁判官の御経験のある畑参考人にも続けてお尋ねしたいと思います。
  36. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) お答え申し上げます。  私が接触したあるいは取材した範囲で申し上げますけれども、これがすべての裁判所の雰囲気だということではないかもしれませんけれども、私の取材した範囲で申し上げますと、裁判所というのは非常に受け身でございまして、世の中の流れに一歩なり半歩おくれてついていくのが裁判所としては一番正しいんだ、先読みしてそれに対応していくなどということは裁判所がとるべき姿勢ではないというのがどうも基本的な姿勢のように見えます。  その点に関して今思い出すのは、ある時期の最高裁の事務総長と激論になったことがあります。  先ほど先生がおっしゃいましたビジョンというのを最高裁はなぜつくらないんだ、ビジョンをつくって、その先読みをして予算とか人員とかという計画を立てたらいいじゃないですか、行政はそれをやっているんじゃないですかと言いましたら、その事務総長が言うのには、行政の場合は将来予測がつくからできるんだよ、裁判所は予測つかないんだよとおっしゃいました。だからそのときに僕は、冗談言っちゃいけない、行政機関だって座して将来が予測できているんじゃないんです、予測するためのノウハウを一生懸命蓄積して努力しているんです、あなた方はそれをやっているんですかと言ったら、何か気まずい顔をして黙っちゃいましたけれども、そもそも先に世の中に進んでいこうということは司法姿勢としては正しくないと考えているのではないかと思われる節があります。
  37. 畑郁夫

    参考人(畑郁夫君) 裁判官増員のお話でございますけれども、これは裁判官とその職員とものことだろうと思います。増員につきまして、基本的に私も今の立場から申しまして賛成でございます。  問題は、その適正規模はどうかということでございまして、まず一点申し上げたいのは、裁判官の数が倍になれば事件の処理が加速する、審理期間が半分になるということではないわけでございます。これはただいま冒頭で申し上げましたとおりでございまして、裁判というものは裁判所だけではできないのでございまして、当事者主義を基調にしておりますので、弁護士あるいは本人との協力ということが大変重要でございます。その点は実情として申し上げる第一点でございます。  それから、事件数の負担等のことでございます。御案内だと思うんですけれども、最近民事事件は週二開廷で、単独事件でございますけれども約二百件の手持ちを持っておるというのが実情でございまして、私どもが若いころは正直申しましてもっとたくさんやっておりました。私個人の体験では、一開廷、百二十件だと非常に気分的に楽である。現在、そういう状況からすると、一定の水準に達しておるというのが私個人の見解でございます。  それから、もう一点でございますが、飯室参考人の、もう少し積極的に将来予測をするべきであるというお話は一般論としてまことにごもっともだと思っておりますが、私はただいま裁判官を退職した身でございますし、ある意味では被告席に立ったような気もし、あるいはそうでない、今は自由だという気にもなっておるのでございますけれども、一つこれも経験で申します。  私、ちょうど阪神大震災のころに大阪地裁所長をいたしまして、官舎が全壊、危うくけが等がなくて済んだという経験をしております。そのときに、震災でどのぐらい神戸に応援すべきかということを考えました。まず、上級庁とももちろん相談しましたけれども、大正の関東大震災でシミュレーションをやりました。これで調停委員の数あるいは調停事件が非常に激増するだろうと予測を立てまして、応援を求めまして、大阪の民事調停委員に臨時の代行で、特に法律知識のある弁護士調停委員にお願いいたしまして、幸い大多数の賛同を得まして兼任辞令を出したというような措置をとりました。  ところが、これは時代あるいはそれこそ社会条件が違うのかもしれませんけれども、それほどではなかった。逆に、なぜ関東大震災のときにあれだけ調停事件が盛況になったのかということを少し勉強しなければならないなと思ったこともございました。裁判所事件の予測というのは大変難しゅうございます。  一番問題は、多分現在もそうでございますが、執行事件、破産事件、あるいは簡易裁判所におけるいわゆるサラ金事件でございます、御承知のとおりだと思います。こういったところへは増加、強化すべきは当然でございます。一つは、私は内部でも申しておったんでありますが、機動的な配置ということを考えます。民事が多くなりますが、片方、刑事が漸減、最近はまたふえたということも聞きますけれども、そういった場合に機動的に人員配置をすべきではないか。その工夫というのは極めて地味ではあるが大切だろうと思っております。  以上でございます。
  38. 大森礼子

    ○大森礼子君 裁判官の数をふやしたからといって半分にならないというのはわかります。ただ、裁判所側も少なくともいつでもこちらは受ける体制ができますという姿勢は必要であろうし、申し上げたかったことは、例えば民法改正で嫡出子、非嫡出子の法定相続分が一緒になりますと、当然そこで遺産分割の調停がふえるとか予測できるわけです。そういうことに備えて先行きについてビジョンが要るのではないか、こういう考えを持っているものですから質問いたしました。  時間の関係で、あと飯室参考人にお尋ねいたします。  司法三つ機能として、人権を守るとりででなくてはいけないということをおっしゃいました。例えば報道と人権ということで、今報道にあります名誉棄損事件がよく起きてくるわけなんですけれども、一番問題なのは損害賠償額というのが極めて低いということです。ほとんどが百万以下、三十万、四十万とか、弁護士さんの費用にもならないということです。それでもそういう訴訟を続けられるということは、やっぱりどうしても正義を主張したい、この信念に基づいてのみ訴訟を遂行されておられるのかなと、訴える側ですから。  ここのところで、また我々の人権感覚裁判官判断と物すごいギャップがあるんです。我々は、名誉のためにふだんの生活、振る舞いも律していくということがあるわけですが、そういうことが全然反映しない。これはもうかなり前から問題になっておるんですけれども、裁判所のこういう感覚について率直な御意見を伺いたい。  なぜこういう質問をするかというと、先ほど申しましたように、司法改革のためにやはり当事者がもっと意識を変えなくてはいけないのではないか思うので、こういう質問をさせていただきます。
  39. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 新聞記者という立場からいいますと、いや、そんなことはない、判決は高過ぎますと言わなきゃいけないんでしょうけれども、個人的には安過ぎるという感想は無理もないと思います。十万とか二十万とかいう判決が出ていますよね。  ただ、裁判官感覚というものは、僕もこういう商売ですから名誉棄損の判例はほとんど読み切っていますけれども、高裁と地裁の若い裁判官感覚というのは随分違います。はっきり言って、地裁の若い裁判官だと、こんなのでおれたちが負けるのかいというような判決が随分出てきています。もちろん立場によって裁判官の方が正しいと思う人もいるでしょうし、我々の側にいる人間は、いや、裁判官は間違っていると言うんでしょうけれども、大分変わってはきていると思います。  それからもう一つ、内部的に言わせていただきますと、内情を暴露するようですけれども、訴訟を起こされるということは報道の是正に実は非常に効果があります。というのは、まず費用的にも、損害賠償の費用は安いですけれども、口頭弁論のたびに弁護士さん等に行ってもらって、それに弁護士さんは事実を全部把握していませんから社員が付き添ってやらなきゃいけないわけです。かなり負担になるんです。そうしますと、おまえら、名誉毀損の訴訟を起こされるような記事を書くと会社としても損だし相手の人にとっても迷惑だから気をつけろという抑制力には大変なっております。
  40. 大森礼子

    ○大森礼子君 終わります。
  41. 橋本敦

    ○橋本敦君 きょうは、三人の参考人の皆さん、ありがとうございます。  最初に飯室参考人に御意見をお尋ねしたいと思いますが、司法改革の柱として、民意が反映される司法に向けて、そこのところに一つの大事な視点を置いた改革が必要だというお話でございまして、私も大変その点はそのとおりだと思うんです。現状として、民意が十分反映されていない司法になっているという国民の批判、感覚があるかと思うんですが、その原因はどういうようにとらえていらっしゃるのか、まずその点、お考えを伺いたいと思います。
  42. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 私は、意見を申し上げる冒頭に、個々人の関係者は大変良心に従って努力をされていると申し上げました。しかし、努力はされておりますけれども、やっぱり周囲の環境とか育ってきた状況というものによってどうしても人間の感覚とか考え方というのは左右されざるを得ません。そういう意味でいいますと、個人的な批判をするわけではありませんけれども、大学を卒業して司法試験に受かって社会的経験を経ないままキャリアでやっていくというシステムに、もちろんそれだけではありません、それでも大変立派に民意をくみ上げておられる裁判官もおられますけれども、やっぱりそういうシステムそのものが一つの大きな要因だろうと思っております。  それから、経済同友会が指摘しております定数訴訟の十対五の問題です。あれを比べてみますと、まさに合憲である、いいんだと言った十は全部官の立場にいた人たちです。そうすると、この感覚の違いは育ってきた環境の違いなのかなと思わざるを得ないという状況がありますので、やっぱりこれはシステムが大きな原因じゃないかと思っております。
  43. 橋本敦

    ○橋本敦君 それに関連して、飯室さんの先ほどのお話の中で、憲法判断を避ける傾向があるということを今後検討すべき観点の一つとしておっしゃいまして、それは私もなるほどそうだという感じがするんです。  一般的には、裁判所は憲法の番人ということが国民的には言われているわけですが、案外憲法判断をおっしゃるとおり避ける傾向もあるし、なかなか違憲判断というのが容易なことでは出てこないという現状にもある。そういったこともありまして、おっしゃる違憲判断を避ける傾向というのも、やっぱりそういった裁判官の養成システム、あるいは現在の司法制度の中で国民との気持ちが通うシステムが基本的にはなかなかないということが一つの原因なのか、そこらあたりはどうお考えでしょうか。
  44. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) それは、先ほど申し上げましたシステムの問題もあるかと思いますけれども、もう一つ感覚の問題だけではなくて、今の裁判官の任用制度は基本的に国民的な基盤に立った任用の仕方ではありませんので、裁判官が非常に謙虚になっておられまして、おれたち国民的基盤に立っていないのにそんなドラスチックなことを言っていいのかいというどうも雰囲気があるように思われます。
  45. 橋本敦

    ○橋本敦君 そういうことで、先ほどもそれをやっぱり克服していく一つシステムとして陪審制度の復活あるいは法曹一元というお話もあったんだと思うんです。  陪審制度の復活あるいは参審制ということがよく言われておるんですが、この陪審制度の復活、参審制ということが今度の司法改革の中の柱でぜひ検討されるべきだと思いますが、これが復活ということに対してどのような御期待を持っていらっしゃいますでしょうか。
  46. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 私は選択的陪審論者でして、一定の罪に関しては被告人の意思によって陪審裁判を選択できるようにしたらいいのではないかという意見を持っております。日本人もこれを十分やっていけると思っています。それの一つの例証は、検察審査会は大変立派な業績を上げておられますし、大変まじめに取り組んでおられますから、それの負担は大変でしょうけれども、僕は日本人は十分やっていけると思っております。
  47. 橋本敦

    ○橋本敦君 もう一つ、最後に飯室参考人の御意見を伺っておきたいのは、今後の司法改革についてもやっぱり広い国民の声が反映されるということが大事だというお話でございまして、まさに私はそれは国民のための司法という観点からも大事だと思うんです。  その一つとして、今度できる審議会の審議のプロセス、そこで一つは、審議の公開性ということが問われるのではないか。それからもう一つは、国民の多様な意見を反映させる方法として、立派な方が任用されることはもちろん基本ですが、その審議のプロセスで国民各界各層の意見を積極的に吸収するといったような審議方式を確立すべきだというように私は思っておるんですが、そこらあたりの御意見はいかがでしょうか。
  48. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 全くそのとおりだと思います。ですから、議事はリアルタイムで僕は公開してほしいと思っております。
  49. 橋本敦

    ○橋本敦君 ありがとうございました。  次に、小島参考人にお伺いさせていただきたいと思いますが、要するに、ADRの問題にせよ、それからまた紛争解決の合理的なシステムの発展ということにせよ、弁護士事務所が開かれた弁護士事務所であることが大事だということと、それからもう一つは、法律扶助制度の整備が重要だというお話がございました。私も弁護士の一人なんですが、全くその点は同感ですし、みずからもいろいろ考えねばならぬ、こう思っております。  その場合に、やっぱりインフラ整備ということで、法曹人口の増大ということが一つと、それからもう一つ司法予算拡大ということで、国民が利用しやすい司法制度をつくるということが背景にないと、弁護士事務所へのアクセスもなかなかそう簡単にいかないということがありますので、おっしゃる点は私は、法律扶助制度の整備、それから司法予算の増大ということと一体として進めるべき課題かなと思って伺ったんですが、その点はいかがでしょうか。
  50. 小島武司

    参考人小島武司君) 今の御意見のとおりでございます。全体的に今御指摘のようなところも含めて考えていきませんと、改革はアイデアだけで実効性を持たないと思います。
  51. 橋本敦

    ○橋本敦君 もう一点お伺いしたいことは、先生のおっしゃる要するに紛争解決の新システムとしてもう一つ訴訟の問題がございますね、ADRのお話がございました。訴訟の問題の今後の改善課題としてはどういう点が重要なのかということになりますと、その点は具体的にはどういうことをお考えいただいておりますでしょうか。
  52. 小島武司

    参考人小島武司君) 全体的なシステムを考える場合に、そのシステム一つの筋を通すといいますか、基準、基調を設定するのは、裁判所訴訟を通じて下す判決でございますから、その手続がどうであるか、裁判官がどのようにして任用されるか、これは大変重要なことだと思います。  私の専門であります例えば訴訟手続について申しますと、今回、新しい民事訴訟法が成立しておりますけれども、やはりこれで手続法として十分であるかということは考えてみる必要があるのではないか。これは理論的にも実務的にも一つの考え方の極限に改正を進めましたので、これから先の改革というのは確かに大変な難しさがあると思いますけれども、これについて学界も、その他の分野でもチャレンジしてみる必要があるのではないかと思います。いわば法における先端研究というものを行うことによって、日本社会におけるいろいろの障害、ハードルというものを克服していけば、さらなる手続の改善ということが可能になってくるのではないかと思います。
  53. 橋本敦

    ○橋本敦君 ありがとうございました。  最後に、畑参考人にお伺いしたいと思うんですが、長い裁判官としてのキャリア、そしてまた現在、弁護士として御活動いただいておるわけですけれども、判検交流という問題についての御意見をちょっとこの際伺っておきたいと思うんです。  といいますのは、国民から見ますと、裁判官検察官が交流される、検察官の方で法務省にお入りになってお仕事なさった方がまた裁判所へお戻りになる、そういうことについて国民の中にある意味の不信感が起きてはいけないし、またあるのではないか。  そういう点で、この問題については、我々の感覚としては、本当に慎重にやるべき問題で、これがよく反省されないままなされているというところは問題があるのではないかなという気がしておるんですが、そこらあたり実務上の御経験からいかがお考えでしょうか。
  54. 畑郁夫

    参考人(畑郁夫君) お答えします。  基本的には、法曹というのは裁判官検察官弁護士、いずれの立場も共通で、その立場立場に応じて職責を全うする、そういうのが現行法体制でございまして、言うてみれば一元的な法曹養成制度もとっておるわけでございますから、基本的に制度上問題があるということはなかろうかと思っております。  ただ、御指摘のとおり、国民の不信感と言われること、そういう批判があることも承知しております。しかし、正確な数字は把握しておりませんが、あくまで研修目的というか、お互いがツーツーになっておるというような判検交流ではないと私は理解しておりまして、現段階では御指摘のような心配はないと思っております。  また、私は民事の方が専門でございますので一点申しますが、訟務検事というのがございまして、これは随分判事補等から出しております。これは弁護士になってから聞いたのでありますけれども、訟務検事経験をした裁判官の方がかえって国にきついという意見もありまして、これは別段統計的あるいは学問的調査をしたわけじゃございませんけれども、そういうこともございまして、御指摘の点は十分将来とも裁判所として留意されるべき問題だとは思いますが、現段階ではそういう現状認識を持っております。
  55. 橋本敦

    ○橋本敦君 最後に、もう時間がありませんので一点お伺いしたいのですが、畑参考人は実務修習の必要性といいますか、その成果というのを大変強調されまして、その点は私もよくわかるのですが、そういった実務修習ということが大事であるということに加えて、弁護士の中からやっぱり尊敬される法律家が裁判官になるというプロセスも大事だというお話がございました。  そういう点から見ると、やっぱり国民生活から隔離されない、国民の生活感覚あるいは国民意見がよく経験的にも理念的にも反映される、そういった状況の中で裁判官が任命されるというシステムがどう合理的に構築されるかということがやっぱり課題だというように私は思うんです。それが法曹一元という形でどこまで具体的に進むか、これからの課題ですが、そういった方向性について、特に御経験上の御意見をさらに付加していただければお述べいただきたいと思います。
  56. 畑郁夫

    参考人(畑郁夫君) 法曹養成の問題でございます。冒頭で申し上げたことに帰着するかと思うのですけれども、それではもうちょっとマクロにはどうなのかということだろうと思うんです。  この問題も、例えば弁護士会がどのように関与されるかということも非常に大切だと思っておりますし、大変結構なことだと私も思っております。しかし、それを制度論としてどうするかということは、ただいま問題意識として申し上げるほどのことを用意しておりませんけれども、ただ、問題はやはり全国的規模で弁護士会がどの程度対応できるか。東京、大阪は私は十分できるかと思うのですけれども、そういった問題点をきっちり整理して、踏まえてやるべきではないか、そのように思っております。
  57. 橋本敦

    ○橋本敦君 ありがとうございました。
  58. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。きょうは本当にありがとうございます。  飯室参考人が社説に書いてある文章が非常におもしろかったのですが、  軸足の位置は微妙に異なります。日弁連は砦の強化に比重をかけ、財界は取引円滑化のために道具機能を重視し「安く使いやすい司法」を目指しているようにみえます。自民党は財界の期待を背負いながらも一般国民の視線も意識し、政治主導で改革することを主眼にしているようです。 つまり、同床異夢ではありませんが、司法改革で何を優先的にやっていくかということがかなり雑多になっているという気もします。  今回の司法改革の中で抜け落ちている視点も非常にあると思います。先ほど飯室参考人は、行政立法のチェック、違憲審査権が余り機能していないということをおっしゃったと思います。衆議院議論の中でも、例えば弱肉強食、市場原理に基づく自由競争、それから効率的サービス、こういう面からの実現のみが図られていて、真の司法充実、民主化の強化、人権保障機能の強化という視点が欠落しているのではないかという議論が出ております。  それで、飯室参考人にお聞きしたいのですが、法以外に強者と闘うすべを持たない者にとっての最後のとりでという裁判役割を考えたときに、違憲立法審査権の強化あるいは行政のチェックということを考えた場合に何を改革すべきでしょうか。
  59. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 今、特に行政訴訟に関しましては、行政訴訟法の改正という問題が盛んに議論されております。しかし、僕は改正だけではやっぱり解決しない問題だろうと思っています。  そんなことを裁判官の御経験者の前で申し上げるのは大変失礼ですけれども、官として生きてこられた方が官と民の争いを裁くということには、どうしても心情的にはやっぱり官にシンパシーを抱かざるを得ないでしょうし、それから、自分の判決の与える影響ということを考えますと、国民的基盤のなさということも考えますと、どうしてもそれは権力的にならざるを得ないでしょうから、僕はやっぱり基本的には裁判官の任用システムは一番の基本の問題だと思っております。
  60. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 ありがとうございました。  橋本委員も聞かれたんですが、判検交流の問題はよくこの法務委員会でも問題になるんですが、その点についてはいかがでしょうか。
  61. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 判検交流を見ていますと、非常に広範にやりますね。僕は交流されておる裁判官検事さんも何人か知り合いの方がいます。その方たちは個人的には非常にまじめに誠実に仕事に努力されております。もちろん、判検交流で行っているから出身母体に有利にしようとかそんなような姿勢はないと思います。  ただ、やっぱり最後は、畑先生もおっしゃっていましたけれども、国民の目というものが非常に大事だろうと思います。だから、最低限というより絶対やってはいけないことは、訟務検事をやっていた人が裁判官に戻ってまた行政裁判を担当する、これは絶対にやってはいけないことだと思います。
  62. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 「日独裁判官物語」という映画がありますけれども、裁判官市民的自由というのが日本とドイツで物すごく違うんだなということを示した映画だと思います。  裁判官の数をふやしたとしても、例えば寺西裁判官が集会のフロアできょう出れないと発言したことが懲戒処分になるような、そういう裁判官市民的自由がない状況であれば、例えば法曹一元で裁判官になれと言われても、市民的自由のない裁判官にはなりたくないというふうに弁護士の多くは思うだろうと思います。そういう意味では、裁判官市民的自由の改革というふうなことも必要ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
  63. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 裁判官市民的自由を与えなければいけないと思うのは全くそのとおりですけれども、制度が意識を規制するという要素もありまして、今の裁判官の意識の不自由さはやっぱり制度に規制されている部分が大分あると思います。常に昇級と次の転勤地はどこかなということを気にしているわけですから。その制度を設けている限りやっぱりどんなに数をふやしても自主規制は出るだろうと思うんです。  ですから、法曹一元にしてその垣根を取っ払えば、意識もかなり自由になりますし、もし締めつけようという上司がいたとしても、そうは締めつけられないのではないかと思います。
  64. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 今回の司法制度改革の中でとても抜けている視点は、例えば刑事司法改革、国際人権規約B規約などから、日本はこういう点を改善すべきだと。代用監獄の制度や自白を多くとる、自白の強要も場合によってはある、それは冤罪になることもあるといったさまざまな点がなぜか余りクローズアップされていないというふうに私は思っております。そういう点についてはいかがでしょうか。
  65. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 確かにそういう印象はありますけれども、それはこれから弁護士会なりその刑事事件に関心のある人たちが喚起していくべきテーマだろうと思います。  そもそも経団連というのは利益団体として自分たち利益を主張しているわけですから、その人たち刑事弁護充実なんということを言うことを期待すること自体が間違っているわけでして、経団連が言わなかったことは弁護士会が言ってプッシュしていけばいいことだろうと思っています。ですから、経団連が言わないからけしからぬというのは的外れであって、言わないのが当たり前ではないか、こう私は考えています。
  66. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 わかりました。  それから、今度の法案によりまして内閣に審議会が置かれるわけですけれども、確かにそこで十分に議論してもらう必要があるのですが、先ほど飯室参考人は、行政立法のチェックということを非常におっしゃったと思います。例えば、裁判官行政の干渉を受けない、弁護士自身も外部からのさまざまなチェックを受けない、あるいは検察官も一体の原則がありますけれども、検察官一人一人の独立性がもっと保障されてもいいのではないかというふうに思うわけです。ですから、先ほどからいかに行政をチェックするか、行政チェック機能行政監視機能ということをおっしゃっていらっしゃるわけなんですが、他面、司法をどうするかというのが、内閣に置かれるということについてはいかがですか。
  67. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 私はそういう仕組みに疎いものですから、内閣以外にこういう審議会を置く方法があるのかどうかということを僕はわからないんです。ですから、先生の方で例えばこういうシステムでここに置いたらいいじゃないかという具体的な御意見を挙げていただければ、なるほどといって考えることができるんですけれども、代替手段を僕は知らないものですから、ちょっと意見を申し上げられません。
  68. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 国会の中に置いても問題はあるかもしれませんが、いろんなところで議論がされる、私が参考人みたいに答えるのはおかしいですね、申しわけありません。  それから、先ほど被疑者国選弁護制度のことをおっしゃったんですが、少年法などに取り組んでいる人たちの方から、例えば法律扶助制度においてどうも少年事件が漏れているようなので、例えば被疑者国選弁護制度充実、それから法律扶助制度充実の中で少年事件、少年法についても適用があるようにというようなことをぜひ入れてほしいということが言われているんですけれども、そういう点についてはいかがですか。
  69. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) もちろん入ることも僕も理想だとは思いますけれども、現場を知っている人がよく議論をして、どういう優先順位をつけるかという議論だろうと思います。その場合に、やっぱりいろいろな事情から少年事件は次の段階にしようやという議論になるんでしたら、それは現場の人たち判断が正しいのかなとも思いますし、そこも僕は現場は知らないものですから、入れることは理想だけれども、直ちにすぐ入れろということがちょっと言い切れないということです。
  70. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 たくさんテーマがあるのを二年間でどれだけできるだろうかという気もちょっとするんです。  例えば、法律扶助拡大司法予算の増大、国選弁護制度の導入などは、その一部はよく法務委員会でも議論になりますし、先ほど大森さんからもあったように、司法予算の増大などはこの法務委員会でもよく取り上げられております。そういう意味で、内閣の審議会でなくても関係機関で協議を進めればいいというふうにも思うんですけれども、この審議会のプライオリティーとして、何を優先的に議論すべきだとお思いでしょうか。
  71. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) まず、当面はやっぱり司法予算の飛躍的充実だろうと思います。まず、すぐできることということを念頭に置きまして。
  72. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 それからほかには。
  73. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) それから法曹人口の増大だと思います。もちろんこれはすぐ三千人にしろとか何とかということじゃありません。
  74. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 それでどうしたどうした、松島みたいであれですが、ほかにありますか。
  75. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 当面、僕が絶対真っ先にやれと思われる、もちろん法律扶助は最優先ですね。しかし、そこは、あそこの議論はしないにしても、法律扶助法はどうも制定できそうな雰囲気ですから。法律扶助はもちろん入れなければいけないと思います。
  76. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 では最後に、ちょっと振り出しで、一番初めに聞いた質問の繰り返しになって申しわけないんですが、行政のチェックということを考えたときに、確かに裁判官は民主的基盤を持ちませんけれども、違憲立法審査権というのがあるわけですし、アメリカ、ドイツなどでは公共事業の差しとめなども裁判官立法行政とけんかしてもやるというようなことがあります。  そういう意味では、行政立法のチェックということで、こういうことをやればもっと変わるんじゃないかということについて、もうちょっとお聞かせ願えますでしょうか。
  77. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) こういうことをやれば変わるかと聞かれると、私もすぐ思いつきませんけれども、ただ、逆説的な言い方をしますけれども、もっと弁護士さんが裁判官を励ましてほしいと思います。先ほど小島先生が、どうも弁護士は最近対決型に育っているということもおっしゃいましたけれども、裁判官のある種の国民的基盤がないからドラスチックなことができないんだという意識を、そうじゃないんだという形で励ますことによってむしろいい結果が出る場面もあるのではないかと私は思っております。
  78. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 裁判官を励まして違憲立法を出してくれというんですが、最高裁で全部負けていますので。  では、今の問題で小島参考人行政立法のチェックなどについてはこういうことをやったらどうだろうかというのをお聞かせください。
  79. 小島武司

    参考人小島武司君) 大変難しい問題で、私の専門とも少しずれますけれども、基本的には、私の責任範囲に引きつけて考えますと、我々の法学教育の場でどういうことが行われているのか、学生たちにそういう困難な問題に対する取り組み方、考え方をトレーニングしているのかということを考えますと、非常にじくじたるものがあります。  やはり法学教育プロセスの抜本的な改革が、すぐに即効性はありませんが、大局的に見れば重要ではないかと思います。そこからいろいろなものが出てくる。そしてさらに、少数意見制というのも最高裁だけではなくてもう少し下まで下げてくるというようなことも考えられる。  それから、学説の展開も、実務と理論というものが乖離しておりますけれども、この中でもう少し実践的な、判例の形成を意識した学説の展開というものが出てまいりますと相当状況は変わってくるのではないか。  それから、情報公開によって行政訴訟の方は相当変わってくるので、これは近いうちにある程度変化が出てくるのではないか、そういうふうに思っております。
  80. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 どうもありがとうございました。
  81. 平野貞夫

    ○平野貞夫君 自由党の平野貞夫でございます。  先ほど来の参考人先生方のお話、大変勉強させていただいておりますが、飯室参考人の発言の中に、司法制度改革をまずできることからやるべきだというお話がありました。私はそれも大切なことだと思いますが、すぐできないことも大いに議論をしていただきたいという意見を持っております。  お話の中に、違憲判断が少ない、立法行政のチェックが十分でない、裁判官憲法判断を避けようとしているというお話がありましたが、そういう状況の原因は何だとお思いでございましょうか。
  82. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) まず冒頭の、理念論が大事であるというのは、僕も全くそのとおりでありまして、まずこれからの司法のあるべき姿という理念をしっかり議論して確立した上で、項目ごとについてはできることからやっていってほしいということが私の趣旨でございます。  それから、違憲立法審査権が少ない理由は何だというのは、先ほども申し上げましたけれども、やっぱり裁判官の任用制度のあり方も大きな原因だと思いますけれども、もう一つ私どもがよく聞くのは、紛争というのは多種多様なものが同じ憲法条文についても出てくるわけだから、むやみに先走って憲法判断すべきではないという裁判官の話もよく聞きます。少なくとも具体的な事件の解決に必要な範囲で、最小限の範囲で判断するというのが裁判官姿勢として正しいんだということをしばしば裁判官の方から聞かされたことがあります。  僕はそれが法律家として正しい姿勢なのかどうかわかりませんけれども、ただしかし、それは見ている側からいいますと、実は判例の射程距離がさっぱりわからないという不満を生み出すんですね。ですから、裁判所の判例には法の定立という一つの効果があると思うんですけれども、そういう一般的な判断を打ち出さないものですから、事後に向かって法の基準に全然ならないという不満があります。それは最近は経団連サイドの人たちの声からも聞こえてくるようになっております。
  83. 平野貞夫

    ○平野貞夫君 私は、ちょっと乱暴な議論かもしれませんが、やっぱり最高裁判所長官なり裁判官が内閣の任命という憲法の仕組み、ここら辺に一つの原因があるんじゃないか。極端なことを申しますと、議院内閣制というのをとっていますけれども、内閣司法制というのが我が国司法権の一つの、残念ながら極めて最近はそういう意味での司法権の独立というものを私は疑問視しているわけなんです。したがって、司法制度改革においては、私は憲法の見直しも含めて大いに各界の方が議論していただきたいという希望を持っておるんですが、そこら辺についてはどういう御意見でございましょうか。
  84. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 私も憲法を改正できるかどうかわかりませんけれども、任命制度は改めなければいけないという趣旨も含めて裁判官の任命の仕方を考えなきゃいけないと申し上げたつもりです。  ただ、今の制度のままでもできることがあります。それは公聴会なりなんなりを開いて、国民の前で次の最高裁判事と擬せられている人が所信を明らかにして質疑をするという機会をつくったらいいんじゃないかと思うんです。ところが、実際には国民投票のときに新聞社がアンケート用紙なんかを配りますと、誤解を招くからといって具体的なことは何も書きませんね。ですから、国民にしっかり次の最高裁判事になる人はこういう人だよということがわかる機会をつくることは憲法を改正しなくてもできるんじゃないかと思うんです。  ところが、オープンになるということを弁護士会の方も余り歓迎しないんですね。日弁連が、日弁連から推薦する最高裁判事候補者を決めるときに、一時期内部投票をやったらどうだとか公開討論会をやったらどうだというプランを出した人がいます。日弁連のしかもかなり幹部の人で、具体的な案までつくりました。ところが、選に漏れた人の名誉の問題になるとかということになりまして、それはポシャりました。それで、せいぜい推薦する前に日弁連の執行部が面接するという形に落ち着いたわけです。ところが、それさえ拒否する人がいますね。あの程度の連中がおれの面接するとは何事だと言って、面接しなきゃいけないのなら候補者にしてくれなくてもいいと言う人もいるそうです。
  85. 平野貞夫

    ○平野貞夫君 小島参考人にお尋ねいたしますが、先ほど大変感動するお話があったんですが、最近、正義へのチャンスをすべての人間にと、あるいは一九九〇年代から国際的に法の究極の新しい価値観を求めようという動きがあるというお話を聞いたんですが、率直に申し上げまして、近代司法制度司法だけではありませんが、近代のあらゆる制度は、十九世紀ごろからのいわゆる世界の近代文明に基づいた一つの法の正義というある種の価値観、普遍的といえるかどうかわかりませんが、世界的に大体一般的にこうだというものがあって百年なりあるいは二百年なり世の中が動いてきたわけで、秩序を保ってきたわけです。  司法制度十分機能していないとかあるいは制度疲労をしている、これは日本だけではなくて、日本は特にひどいかもわかりませんが、それの原因は、裁判官の数とか弁護士さんの姿勢とかいろいろな問題があると思いますが、やっぱり近代文明が打ち立てた法の正義というものの価値観が多様化したといいますか分裂したといいますか、そういったところに根本的な原因があるんじゃないかと私は思っておるわけでございます。  政治の部分でも、アメリカでソーシャルジャスティスという概念をつくろうという動きが最近あるんですが、共産主義社会あるいはソ連というものの崩壊、そういったものともかかわってくるんですが、やっぱり新しい二十一世紀の人類共通の法の正義というのはこういうものだという概念をぜひ先生方おつくりいただきたいということ。  それから、先ほどもありましたのですが、やっぱり教育、これも法学教育というだけじゃなくて、場合によっては義務教育から始まる司法とは何か、法とは何か、いわゆるルール・オブ・ローというもの、本質は何かということをやっぱり子供のころからきちっとした教育をしていかなければ、なかなかこれからの司法制度もうまく機能していかない、こう思っております。私は、新しくつくられる審議会にはそういう根っこの問題も大いに議論していただきたいという希望を持っておりますが、その辺のお考えをお聞かせいただければありがたいんですが。
  86. 小島武司

    参考人小島武司君) ただいまの御指摘、私も根本において大変同感でございます。この審議会の場では、当面あらわれている具体的な問題あるいはやりやすい問題を議論するということも大切ですけれども、やはり根本にある問題というものに取り組んでいただきたい。それが現在日本社会で最も必要とされているものではないかと感じております。  そして、法律の分野に限定して申しますと、確かに、我々が法律のプリンシプルとか手続ということを言う場合に、それは近代先進国家が近代においてつくり上げた一つのルールというものがございます。しかし、これがヨーロッパでもアメリカでも非常に揺らいでいるということも事実でございます。そして、日本について見ますと、非常に我々はある意味では法というもの、近代法というものを薄っぺらに理解していて根源的なものを忘れていた嫌いがあるのではないか。それが我が国に近代法の議論が浸透しなかった根本的な理由なのではないか。その点では私は、法律家、弁護士さんも裁判官の方も含めて、深刻な反省がこのところ必要ではないかと思います。  そしてまた、新しく現代法という角度、あるいはポストモラルというようなところからの問題提起がございまして、これもまた別の一つの切り口での問題提起でございますから、こういうあたりから問題を出発して考えていく必要があるのではないか。まさにその問題が具体的にこの司法改革の場で出てくるのは、リーガルジャスティスとADRジャスティスというものの関連、その二つをどういう理論的な枠組みのもとに置いて評価していくのか、これは法曹界で激しい議論があることでございますからここで軽々に私が結論的なことを申し上げるのはどうかと思いますけれども、それは十分に議論をした上で、問題の将来の具体策を考える際のコアのものとしていただく必要があるのではないかと思います。  まさにそのことは、やっぱり根本的な場では法学教育ひいては中等教育の問題にもはね返ってくる。特に日本では法学教育が十八歳から始まります。しかしながら、十八歳から法学教育をして二十二、三歳で終えるというシステムは、私は根本的に間違っていると思います。きちっとした幅広い人文科学や教養を身につけて、人間として成熟したところで一気にもうインテンシブに法学教育はやるべきものだ。それをだらだらと長くやって、しかもその中に予備校教育というものが相当入ってくるというのは、国家の人材養成としては全く自殺行為以外の何物でもない。この点の改革なくしては、日本司法の将来は現状打開の道が開けてこないのではないか。しかもこのパターンは法律の世界だけではなくて、公認会計士の世界あるいは政策科学のスペシャリストの世界、あるいはまた理工学の世界に共通して出てくる根本問題がそこに横たわっているのではないか。  そういう教育課程の成熟の中でようやく新しい本当意味での考え方、欧米追随でもない、日本的な独自などとも言わない、もっと人類普遍的な考え方が芽生えてくるのではないかと思います。
  87. 平野貞夫

    ○平野貞夫君 ありがとうございました。  結構です。
  88. 中村敦夫

    ○中村敦夫君 全般に、陪審制度についてお三方にお聞きしたいと思います。  最初に畑参考人にお願いしますが、この陪審制度司法改革のビジョンの中に一つの可能性として取り入れるべきかどうか。つまり、日本においてこれを取り入れるべきだとお考えになるか、あるいは入れない方がいいとお考えになるか。その理由ということを御説明ください。
  89. 畑郁夫

    参考人(畑郁夫君) 何を検討題目とするかということは、基本的には国民と申しますか、具体的には国会がお決めになることは十分承知いたしておりますし、また私先ほど来の発言で、一法曹実務家としてのスタンスで物を申しておりまして、必ずしも理念的な問題を申し上げていない点で大変御期待に沿えない点があろうかと思います。  ジュリーの点でございますけれども、これについては先ほど申しましたとおり多面的な検討をぜひしていただきたいと思っております。それはいろいろ議論がございますけれども、実際に陪審をやりました場合に、弁護士の負担とか国民の負担、相当期間仕事を離れて裁判に専従するというふうなことがございます。それから、国民の感情といたしましてどうしてもラフジャスティスという問題が浮かんでまいります。これが相当かどうか、適当かどうかということであります。  他方、我が国におきましては、調停あるいは司法委員、参与員、検察審査会等の司法参加システムがいろいろございまして、私はADRを眼目にしていただきたいとただいま申し上げたのでございますが、そういうことも含めてのことでございまして、御議論の際にはぜひ多面的な御議論をいただきたい。  以上でございます。お答えになったかどうかわかりません。
  90. 中村敦夫

    ○中村敦夫君 同じ質問なんですが、小島参考人お願いします。
  91. 小島武司

    参考人小島武司君) 陪審制の問題は、主として刑事で問題になっておりますけれども、これは裁判についてある意味では横断的に民事も含めた問題としても考えることができるのではないかと思います。  私は民事訴訟の専門家ですのでその角度から考えますと、陪審制は民事でもある程度導入することを考えてよいのではないかと個人的には思っております。ただ、それは全面的にではなくてある特定事件類型に限って、しかもある特定の形におけるという限定をつけて、しかもこれを試行的にやってみる、弊害があればやめてもよいのではないか、そういうふうに考えております。  と申しますのは、我が国では最近、陪審というと善である、よいものであるという認識がございますけれども、私は陪審制の問題は若いころからずっと地味な部分を研究してまいりました。そこでこの陪審制の持つマイナスの面というのは痛いほど知っております。最近の議論の中でそういう陪審制のマイナス、影というものに対する認識が不十分ではないかと思っておりまして、光と影の両面を見詰めてこの問題を考えるべきではないか。そうしますと、慎重だけれども、しかし前向きの評価をしていくというような結論がおのずと出てくるのではないかと思うわけです。  二つだけ具体的なことを申しますけれども、一つは、ラフジャスティスの話がありましたが、陪審というのはどうしても情緒によって動かされやすい、その社会の空気によって動揺するということは避けがたいことだと思います。  しかしそれでは、それでよくないかと申しますと、アメリカにおける実証的研究、これは非常に確実な方法のもとにやった信頼できるものでございますけれども、その複数の研究の示すところによれば、裁判官判断法曹一元のもとでの裁判官判断ですけれども、それと陪審判断はほぼ一致するという結果が出ております。ただ、特定の論点について変わる、ここが一つのポイントなのではないか。そうすると、これをどう考えるべきか。コストの問題を考えるとどう考えるべきかということでございます。それが一つの考える要素、資料かと思います。  もう一つの資料を提供いたしますと、有名なアメリカの最も尊敬されている学者、ロスコー・パウンドが論文を書いております。その題が陪審員のローレスネス、無法性についてという論文でございます。多くの人々陪審法律を無視するから悪だ、それは弊害だということを言う。しかしながら、実は陪審は法を無視するところに価値があるんだと、一定の限度で。そういう論文を書いておりまして、私はこれは大変心を打つ論文と思っております。  そういう意味で、この陪審の問題はきちっとした議論をして理解を深めるならば、我が国司法にとって非常に重要な意味を持ってくるのではないか。特に、その末に参審制という選択肢がまたおのずと浮上してくることもあろうかと思います。
  92. 中村敦夫

    ○中村敦夫君 今のお答えのつながりでちょっとお聞きします。
  93. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) 私も小島先生と同じように、デメリットも考えながら多面的に検討して、やっぱり導入の方向に進むべきではないかと思います。  一つは、やっぱり国民主権という問題です。確かに調停制度とかその他いろいろと国民が参加する制度は設けてありますけれども、いまだに調停制度は主任官は素人にはやらせてくれませんし、検察審査会だって議決の拘束力はありません。あれは本当意味での国民参加ではないと思います。僕は、日本では司法の分野だけ国民参加ができていないのではないか。  それからもう一つ陪審をすることによって国民は法をみずからのものとして身近に感じて、非常に国民の意識も変わるのではないか。  それから、これは副次的効果ですけれども、弁護士さんはやっぱり鍛えられざるを得ないと思うんですね。これはいわゆるショーマンシップを発揮するという鍛えられるという意味ではなくて、今は周りは相手も法律家、裁く裁判官法律家ですから難しい言葉を使っていたりしてもお互いにわかってくれますけれども、素人が相手ですから、非常にかみ砕いてわかりやすく理論展開しなければいけないという意味弁護士さんも鍛えられると思います。  そういいますと、日本の法意識とか法文化というものはやっぱり大いに向上するのではないかと期待しております。
  94. 中村敦夫

    ○中村敦夫君 ちょっと続きで、飯室参考人にお聞きしますけれども、日本には戦前この制度がありましたよね。全体的な評価としてうまくいかなかったというふうに言われておりますけれども、なぜそういうふうに言われるようになったのかということについて御説明いただけますか。
  95. 飯室勝彦

    参考人飯室勝彦君) うまくいかなかったというのが今の普通の一般的、特に裁判所の内部の方の意見ですけれども、どうも必ずしも僕はそうではないように受けとめております。  浦辺衛さんという裁判官が、陪審裁判をかつて経験した裁判官、つまり先輩ですけれども、ずっとインタビューして歩いてまとめた大変有名な研究があります。それによりますと、当時の裁判官陪審制度を非常に高く評価しておられます。それから、陪審制度が始まって間もなくの法律専門雑誌なんかを見ますと、各地の裁判所長だとかいろいろの検事正が集まって原稿の特集を組んでいたりするんですけれども、おれたち陪審員にこんな視点を教えられたとかいう教訓話がいっぱい出てきます。  ですから、必ずしも役に立たなかったわけじゃなくて、僕は高く評価されていたんだろうと思うんですけれども、時代が何せファシズムに走っていく時代ですから、陪審制度などという民主主義のまさにかがみみたいな制度をとてもやっていられる時代ではなかったでしょうし、どうもいろいろな記録を読んでみますと、法律家がやっぱり盛んに辞退させたみたいですね。面倒くさいですから、はっきり言って。  当時の日本陪審制度は、陪審員の答申が拘束力がなくて、陪審員の答申を裁判官が気に入らなければ解散して新しい陪審員でやり直しができたわけですから、そういったことやらを考えると、被告の方にもそういうデメリットなんかも考えて利用する人がだんだん少なくなったというのが実情だろうと思うんです。ある裁判所では辞退率が六三%なんという数字が残っています。それから、当時の判事補で傍聴した人の話を聞くと、盛んに裁判長が辞退を勧めたとかいうような談話もありまして、必ずしも不人気という理由だけじゃなくて、そういった理由もあって数が少なかったんじゃないかと思います。  それから、時間が押して済みませんが、もう一つだけつけ加えますと、実例としては、例えば仙台の事件ですけれども、放火事件陪審員が無罪の答申をしたら、裁判官が、そんなばかな話はない、これは有罪に決まっているといって陪審員を解散して再陪審にかけたんですね。そうしたら、再陪審の法廷で被告に不利な証言をしていた証人が、いや、実は偽証していましたといって再陪審で証人が別の証言をしてやっぱり無罪になったと。今度は裁判官もそれを受け入れたというような事件もありまして、必ずしもいいかげんな答申をしていたということも当てはまらないんじゃないかと僕は思っております。
  96. 中村敦夫

    ○中村敦夫君 同じように、なぜうまくいかなかったかということを小島参考人にお聞きしたいんですが、それと同じようなことで今やってもそういうマイナス面につながるんじゃないかということがあれば、お答えいただきたい。
  97. 小島武司

    参考人小島武司君) これは刑事裁判陪審ですので、私が特段専門的な知見があるというわけではございません。しかしながら、私も興味を持ってかつて若干日本刑事事件のものを読んだことがございます。  そこで今記憶に残っておりますのは、当時の法廷が非常に職権主義的な法廷で、今は非常に当事者主義的な法廷でございます。それが要するに陪審制度の成否を分ける大きなファクターとなり得るかもしれないという指摘が当時の文献にもございますので、うまくいくようなプラスの方の新しい条件がそこに生まれているということは感じます。  それからもう一つは、社会の空気、物の見方というものも随分変わってきておりますから、やはり日本においてこれがうまくいかないということは必ずしも断じられない。むしろやり方によっては、このやり方によってはというところが非常に大切だと思いますけれども、そしてある分野においては成功の可能性があるのではないか。飯室参考人がおっしゃったように、いろいろこれはよい副次的効果がございます。例えば、法理論をもっとわかりやすく実質的に説得力あるものにしなければならないとかということで、法律家がそういう意味で法的思考がよりリファインされてより公正で妥当なものになってくる、地についた法的基準が生まれてくるというような副次的な、これは副次というより非常に大切なことでございますけれども、そういうメリットもあり得るのではないかと思います。
  98. 中村敦夫

    ○中村敦夫君 ありがとうございました。  質問を終わります。
  99. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) 以上で午前の参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人方々に一言御礼のごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用のところ大変貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。当委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  午前の審査はこの程度にとどめ、午後一時半まで休憩いたします。    午後零時二十六分休憩      ─────・─────    午後一時三十分開会
  100. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) ただいまから法務委員会を再開いたします。  委員異動について御報告いたします。  本日、佐々木知子君が委員辞任され、その補欠として斉藤滋宣君が選任されました。     ─────────────
  101. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) 休憩前に引き続き、司法制度改革審議会設置法案を議題とし、参考人から御意見を伺います。  午後、御出席をいただいております参考人は、北海道大学法学部教授木佐茂男君、京都大学大学院法学研究科教授佐藤幸治君及び預金保険機構理事長松田昇君でございます。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用のところ当委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。  参考人の皆様から忌憚のない御意見をいただきまして、今後の審査参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でございますが、まず、木佐参考人佐藤参考人松田参考人の順に、お一人十五分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、念のため申し添えますが、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いしたいと存じます。  なお、参考人意見陳述、各委員からの質疑並びにこれに対する答弁とも、着席のままで結構でございます。  それでは、木佐参考人からお願いをいたします。木佐参考人
  102. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 北海道大学の木佐でございます。このような機会を与えていただきまして大変光栄に存じております。  時間がございませんので、早速お話をさせていただきたいと思います。  今回この司法制度改革審議会設置法というのが議論されるということをお聞きしまして、やっと司法改革の時代が来たのかという感慨がございます。司法改革の推進それ自体につきましてはもろ手を挙げて賛成したいと思っております。  司法改革、特に我が国にあっては小さな司法を普通の司法ないし大きな司法にするための改革は、本来高度経済成長期に行っておくべきことだったと思っております。この経済不況の時代に司法容量の拡大充実を実現することは容易ではございません。ただ、この未曾有の経済的危機ないし不況や、政治、経済、官界におきます大規模な不祥事の続発などを考えますと、いずれもこれまでの日本司法のいわば機能不全が相当程度寄与しているということを私は認識せざるを得ないと思っております。  小さな司法という言葉がはやっておりますが、これは恐らく私が初めて使用し文献の中でも用いたのではないかと思います。普及したこと自体極めて不幸なことだと思っておりますが、それほど普及したのは、これまた問題の深刻さが認識された結果だろうというふうに思っております。  きょうお手元にお配りしました資料の三枚目に「ガラパゴス現象」というタイトルの記事が入っておりますけれども、現在の日本司法システムは、何も司法に限ったことではなくて社会全体が一種の諸外国から見て私はガラパゴスとかシーラカンスとかそういう表現をしておりますけれども、不謹慎ではありますが、やや問題のある形で存続し続けてきているというふうに思っております。  きょうは時間の関係で四点だけに絞って最初にお話しさせていただきたいと思います。  第一は、司法改革の根本理念についてであります。第二は、それとのかかわりで、ドイツとアジア諸国を中心に考えてみたいと思います。第三は、特殊に私が専門にしております行政裁判あるいは行政訴訟の問題についてでございます。そして四つ目に、最初でも申し上げますが、改めて裁判官の独立性というものの重要性についてお話しさせていただきたいと思っております。  第一に、裁判と申しますのは、やはり正義にかなった法の運用をする権利救済の機関だということを徹底して重視した司法改革を進めていただきたいということでございます。  ドイツでは、ワイツゼッカー元大統領が現職の時代に、裁判所は強者に対する弱者のための最後のとりでである、あるいは少数者保護の機関だということを公式に発言したことがございます。  政治的民主主義とか代表制民主主義というのが一種の多数決原理でありますから、そこから漏れてくる少数者あるいは弱者の憲法的な価値や人権という貴重な権利を擁護することが裁判所のいわば最終的な使命だというふうに私は考えております。  したがって、透明なルールとか自己責任を実現するということも司法にとって大変重要な役割ではございますけれども、それは、まずもって裁判所あるいは司法の本来の役割ということを認識した次の課題だろうというふうに思います。私自身は、裁判外の紛争処理の仕組みなどをこれからますます充実させることを否定はいたしませんけれども、究極の手段として裁判というものの重要性を考えます。  とりわけ、この司法改革と申しますときに、日本人司法というのを裁判でイメージいたします。ただ、ドイツなどですと、司法といいますと検察と裁判と両方あわせて考えますが、ここでの司法改革という場合もやはり裁判制度を中心とした改革ということだろうと思います。その裁判の中でも裁判所の独立というのはかねてから重視されておりますが、私は最後にも申し上げますように、裁判官の独立をキーワードにした改革をぜひ進めていただきたいと思っております。  二番目です。  ドイツとアジアの関係について少し申し上げたいと思いますけれども、ドイツは現在でも戦前の日本のように司法大臣が裁判官の人事権を持っております。そして裁判所を所管するのは司法省です。それから予算編成も司法省に権限がございます。行政裁判所などという特別の裁判所もあります。それだけ聞きますと大変恐ろしい裁判が行われているように思えますけれども、実際の裁判は非常に市民に身近な親切な有用なものとなっております。  もし日本裁判官の方たちが今のドイツに行って裁判をすれば、ドイツ社会は十年もしないうちに悲惨な行政優位あるいは少数者保護のない状況になるだろうと私は推測します。逆に、ドイツの今の普通の裁判官日本に来て日本訴訟制度のもとで裁判をすると、違憲判決がたくさん出て多くの市民救済され、その結果、例えば司法予算がふえるというようなことが続いて、何も大きな審議会をつくったり大議論をしなくても少しずつ法改正や予算の増加によって社会が変わっていくだろうというふうに思っております。  実は、この例えが意味しておりますのは、制度面で我が国が今不十分であるということは半ば常識になりつつありますけれども、制度が悪いから日本裁判機能していないということのみではなくて、裁判をする人、すなわち裁判官のメンタリティー次第で判決は大いに変わり得るということを示唆したいがためでございます。  ドイツでは裁判官集団の中から六〇年代末以降八〇年代にかけて司法改革が進みました。しかし、日本は全く逆の方向に行ったと私は考えております。これがいわゆる裁判官統制の問題でございます。  ここでアジア諸国について、例えば衆議院でも参考人発言がありましたり、各種提言の中にもアジア諸国への司法制度の援助ということが出ておりますけれども、お配りいたしました資料の一枚目と二枚目をぜひごらんいただきたいと思います。  ことしの三月三十日に台湾の最高裁当たります司法院から出されました、これが現物の資料でございますけれども、(資料を示す)これを入手しております。それの目次だけをきょうは二枚に編集し直して翻訳したものをお見せしておりますが、冒頭に最高裁長官に当たります司法院長のはしがきがあって、その後、これからの台湾、中華民国の司法についての理念というものが書かれております。  私が大変すばらしいと思うのは、市民のための司法ということとか人間の尊厳を尊重する司法、あるいは市民主体だとか、あるいは暖かい人間みのある法廷環境をつくろうとか、一枚目から二枚目にかけてたくさん書いてございますけれども、今私どもの国で議論されかけている司法改革のいわばキースタンスと申しますか基本的な理念とは少し違った、より人間的な方向での司法改革を長官みずからあるいは最高裁みずからが述べているというところに学ぶべき点が既にあろうかと思います。  同じようなことは、独裁政権が八〇年代半ばに倒れた台湾、韓国とも同じ傾向でありまして、いわゆる反権力闘争を闘った学生たちが今中堅世代で法曹界や官僚界で頑張っているということと実は無関係ではないというふうに思っております。  それから第三番目に、日本訴訟の中でも行政訴訟といういわば権力を相手方とする訴訟について私は大変大きな関心を持っております。  この間、私、映画の監修をいたしまして、「日独裁判官物語」という記録映画を日本とドイツを対象につくる過程に関与いたしました。その際、ドイツ側で登場していただいた方には、ドイツの憲法裁判所長官を初め、日本最高裁や法務省で長期研修をした経験のある、今、独日法律家協会の理事長でありますグロートヘア財政裁判所長官とか、おととし日本に見えました連邦行政裁判所裁判長のゲンチュ判事などにも出ていただきました。彼らは、行政を統制することが裁判官の使命であるということで、現に、その裁判長ゲンチュ氏などは、原発を停止する判決などを下しているのであります。  このような、刑事事件行政事件が典型ですが、いわば国家権力と対峙するような訴訟のあり方というものがその国の司法の質とか人権保護の水準を決めるというふうに私は思っております。  しかしながら、我が国ではなかなか行政事件国民あるいは企業が勝つことができません。その理由はいろいろありますが、裁判官弁護士も公務員も、いわば国民市民すべて行政法の知識が非常に疎いということが、結果として公務員が裁判とか行政不服審査などを怖がるという結果に結びついていると思っております。  お配りした資料の四枚目と五枚目は、時間の加減で一々御紹介はいたしませんけれども、ドイツでありますと、初級職の事務職員で十六歳から十八歳の方が、四枚目に書いてありますようなカリキュラムで勉強を二年間やります。それで、十八歳で初めて初級職の公務員になります。  それから、一つの州の例でございますけれども、最後から二枚目のページですが、ザールラントという州を例にしておりますけれども、公務員の中堅幹部になるだけで三年間の専門的な研究、学習をして、二千二百時間という大変な長時間の専門教育を受けて、それでやっと中級職の公務員、事務系の公務員になれるという、専門性が磨かれております。  このような、自分自身裁判判決とか決定とか裁決書とかまで書けるようなところまで訓練されて初めて行政職員の一員として現場に出ることができるというシステムがあるのと比べますと、我が国では、およそ公務員一般もほとんど法的な訓練がなされておりません。いわんや、日本法曹界では、行政法はこれまでも選択科目で、受験者のせいぜい一〇%しか行政法を選ぶ方はいなかった。これからはそれも廃止されるということで、国家権力に対峙する重要な訴訟に関する法的知識が、大学の法学部でも極めてお粗末であり、いわんや一般市民なり公務員にはほとんど知られていないということは、我が国のいわば法治国家とか法の支配を支えるのに極めて不十分だろうと思います。  司法改革の話から飛ぶようではありますけれども、このようなところにまで目配りをすることが、我が国の法に従った、いわばルールに従った行政あるいは社会というものの実現にとって不可欠だということを私は考えております。  時間がございませんので、第四に移りたいと思います。  いわゆる今回の司法改革はグローバルスタンダードということが盛んに述べられております。もしグローバルスタンダードということを基準にするのであれば、私は、いわゆる透明性とか規制緩和とか事後統制とか、そういうことのみならず、他の重要な論点においてもグローバルスタンダードに学ぶべきだというふうに思っております。具体的に申しますと、裁判官市民的自由の確保及び裁判官の独立制の確保ということでございます。  一九九五年の八月に第六回アジア太平洋最高裁裁判会議というのが北京で開かれておりまして、そこで北京宣言というものが採択されております。そこでは、裁判官市民的自由を尊重すべきという項目がその会議の宣言として含まれております。我が国もその翌々年、九七年の八月にマニラで、当時の三好最高裁長官がこの宣言に署名をされているわけでございます。  それからもう一点申し上げますと、昨年の十一月に国連の国際人権規約委員会が、日本裁判官には人権教育が不十分であるのでもっと十分に人権教育をするようにという勧告をいたしました。これは大変恥ずべきことではないかと思っておりますが、私は、いわゆるグローバルスタンダードと言うのであれば、こういう裁判官市民的自由、あるいは憲法教育といいますかあるいは人権教育というものを充実させる、これはもちろん司法研修所においても同様でありますが、そういうことが非常に重要だと思います。  一般に我が国では、今回の衆議院修正が加わりました法案を読みましても、裁判所の独立という言葉は出てまいりますが、裁判官の独立という言葉はございません。私は、附帯決議であれあるいは第一条の目的規定の中であれ、やはり原点として裁判官の独立というものを中心にして司法改革を進めるということをぜひ取り上げていただきたい、そのように考えております。  多分時間が十五分ぐらいになったかと思いますので、第一回目の報告はこれだけにさせていただきます。  ありがとうございました。
  103. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) ありがとうございました。  次に、佐藤参考人にお願いいたします。佐藤参考人
  104. 佐藤幸治

    参考人佐藤幸治君) 京都大学の佐藤でございます。  司法制度改革審議会設置法案につきまして意見を述べる機会を与えていただきましたことを大変光栄に存ずる次第です。  私の専門は憲法学でありますけれども、かねて、いろんな意味において日本社会司法のプレゼンスの増大を図る必要があるというように思ってまいりました。それからまた、平成八年十一月より行政改革会議委員として審議に参画する機会がございましたが、司法改革の必要について一層強く感ずるところがございました。それだけに、今や司法改革が具体的な政治日程にのってきたことを本当にうれしく存ずる次第でございます。  まず、何ゆえに司法改革なのか、司法改革の目的とは一体何なのかということについて、最初に所感を述べたいと存じます。  第一に、個人の自律的生、オートノマスライフと申しますか、自律的生を支える社会システムとして司法、この場合、先ほどの木佐参考人の御意見にもありましたけれども、司法というときには弁護士も含めて広く理解しておりますが、この司法国民の身近にあって、国民の生活上の需要に容易にこたえ得るような形になる必要があるということであります。  行政改革会議の最終報告、これは平成九年の十二月に出ておりますけれども、この最終報告でこういうことをうたっているところであります。「われわれの取り組むべき行政改革は、もはや局部的改革にとどまり得ず、日本国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別し、自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄へと転換することに結び付くものでなければならない。」、こういうように最終報告ではうたっておりますが、まさにこの課題にかかわる社会システムの整備ということが第一の目的だというように存じます。  第二に、生き生きとした抑制・均衡のシステムを確立する必要がある、チェック・アンド・バランスのシステムを確立する必要があるということであります。同じく最終報告は、「内閣機能強化に当たっての留意事項」としまして、「日本国憲法のよって立つ権力分立ないし抑制・均衡のシステムに対する適正な配慮を伴わなければならない。」というように述べまして、「司法との関係では、「法の支配」の拡充発展を図るための積極的措置を講ずる必要がある。」というように述べているところであります。  第三に、司法改革の目的として、グローバル化する国際社会に対応した国家のあり方あるいは国民の生活の態勢を整える上で司法がもっと大きな役割を果たすことができるようにするということが必要であるということであります。国際社会が実体、サブスタンスを持ち始めまして、国際社会におけるルールづくりが非常に重要になってまいりました。それからまた、例えばWTOが誕生しましてガット時代に比べて紛争処理の仕組みがより整備されてきております。つまり、国際社会においてルールをつくる、あるいはルールを有効に使うということが重要になってきているということであります。  こうした事態への対応は、政府も重要ですけれども、もはや政府だけでなし得るところではなくて、国民各層における積極的、能動的な生き方が求められているということだろうと思います。そうした国民の生き方を支える有力な基盤の一つ司法あるいは法曹であるというように思うわけであります。ちなみに人口で六・七%にすぎない英米などのコモン・ロー系先進英語国の弁護士総数が全世界の弁護士総数の約七七%を占めているという説があります。  二十一世紀に向けて一体我々はどのような社会を築き、どのような社会で生きようとするのかということにつきましては、さまざまな考え方があり得るかと思います。ただ、私の専門の憲法学の立場から日本国憲法に引き寄せて言えば、憲法十三条を出発点とすべきだというように考えております。十三条は日本国憲法の理念的基石、土台とも言うべきものだと理解しておりますが、この規定はこういうように定めております。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」というように定めております。  私流に言えば、既に示唆しましたように、自律的個人を基礎とする自由で公正な社会、これが憲法が想定している我々の目指す社会であるということであります。そして、こうした社会を具体的に創出し維持していくもの、これが国民主権、私流の言い方をすると政治のフォーラムということになりますが、そしてまた法の支配、私流の言い方をすると法原理のフォーラムということになりますが、この国民主権と法の支配であるというように考えるものであります。  ここで、法の支配について一言述べておきたいと思います。  法の支配といいましても、一義的ではありません。広狭さまざまに使われます。また、法治国家と同義的に観念されることも少なくありません。ただ、社会の秩序形成観という観点から見ますと、ドイツ的な法治国家は日本が戦前明治憲法下で非常に大きな影響を受けた考え方でありますが、ドイツ的な法治国家は体系的、演繹的な思考傾向、比喩的に言えば上からの発想の産物なのに対して、英米的な法の支配は経験主義的、帰納主義的な思考傾向、比喩的に言えば下からの発想の産物であるように思われます。つまり、法の支配は体系的、演繹的な思考の限界を重視し、事件、争訟の当事者が適正な手続のもとで対等な立場で真剣に争う、そういう司法の場において経験的に形成される法というものへの信頼を内実としているということであります。そういう法が個人の権利、自由の保全にとって重要だという認識であります。自律的個人が主体的に努力して相互の共生を図る、それを議会、政府と並んで司法が独自の手助けをする、そういう構図であります。  いささか抽象的な話になりましたけれども、日本国憲法発足当初、法の支配の意義が強調されたものであります。例えば、戦前の行政裁判所を廃止して行政事件裁判司法権に含まれるとされたのは、その結果であります。しかし、やがて法の支配は余り言われなくなり、先ほどの木佐参考人の御意見ですが、小さな司法のままに打ち過ごす一方、国民行政への依存体質は変わらず、あるいはむしろ強まっていきました。そして、行政の肥大化、硬直化を帰結したというように思われるのであります。ここに行政改革が必要になった根本的な理由があり、また、司法改革を推進しなければならない背景があるというように考えます。国家の減量を図り、政府の統治能力の質を高めなければならないと同時に、個人の自律的生を助ける司法国民の身近にあって利用しやすく、かつ頼りがいのある司法とするために相当思い切った人的、制度的整備を図る必要があるというように思います。  こうした司法とするためには、何よりも司法の容量の拡充、法曹人口の増大が必要であるということにつきましては、広範な共通の認識が既にあるかと思います。問題は、どのぐらいの規模なのか、どのようなテンポと方法で増員を図るのかということにあるように思われます。この問題こそ審議会で検討さるべき重要課題の一つかというように思いますが、検討に際しては次のような視点を大事にしていただきたいというように思っております。  まず、現在の需要を前提とするのではなくて需要を掘り起こすという視点、それから法曹市民社会でどのような役割を果たすべきかという視点、次にいわゆる法曹一元制の実現を視野に入れるとすればそれを可能にするためにはどのような規模かという、その可能にするという視点、それから法曹養成、とりわけ大学教育と関連づける視点、それから最後に国内事情だけではなくてグローバル化という国際事情も対象にするという視点等々の視点を大事にしていただきたいというように思っております。ちなみに、WTOの次期ラウンドでプロフェッショナルサービスの貿易自由化問題が取り上げられるようでありますが、その辺も気になるところであります。  先ほど言及しましたけれども、司法機能強化のための基盤的制度設計の問題として、いわゆる法曹一元制の問題があります。昭和三十七年発足の臨時司法制度調査会では、御承知のように法曹一元の問題を審議事項の一つと掲げましたけれども、結局のところ法曹一元を一つの望ましい制度としながらもいまだその条件は整っていないと結論しました。今度の審議会はこの問題をどのように扱うのか、もしその実現を目標とするのであればその条件整備の具体的プランをどのように描くのかということが非常に重要な事柄であるというように思います。  司法国民の身近にあって利用しやすく、しかも頼りがいのあるものにするための制度的工夫としてはさまざまなものが考えられます。民事訴訟法は改正されたばかりですが、訴訟制度国民が使いやすく本当国民利益になっているのか、あるいは司法サービスはADRを含めれば多様なものが考えられますけれども、どのような選択可能な多様なサービスを用意するのか、また国民の選択を容易にするためのどのような情報提供の仕組みを考えるのか、あるいは実効的な救済正義の実現という面で現行法は十分か等々の課題があります。法律扶助制度の格段の拡充の必要があるということについては既に広く承認されているところであります。  ところで、正義は所与、ギブンなものではなく、天から降ってくるものではありません。矢口洪一元最高裁判所長官は、戦前の陪審制の不振は、「国民の「お上」依存の体質に起因したのではないか」として、さらに、「西欧人は己を頼み、訴訟において攻防に全力をつくすが、その上は神の御心にまかせる心情を持つのに対し、日本人はともすると人頼みで、客観的に存在すると考えている好都合な結果のみを求める心情になりがちである」というように述べられたことがあります。陪審制あるいは参審制の問題も、こうした観点から検討するに値するように思われます。  先ほど、グローバル化する国際社会において、ルールをつくる、ルールを有効に使うことが大事で、日本日本国民は積極的、能動的に生きる姿勢が求められているというように申しました。そうした姿勢を我々の内にはぐくむ上でも、陪審制等の問題も検討に値するものというように思う次第であります。  最後に、法曹養成と大学の問題に触れておきたいと思います。  既に述べましたように、法曹人口の大幅な増員を考えるとしますと、従来のような司法研修制度のあり方では対応できないことは明らかであります。結論的に申せば、法曹人口の大幅な増員を視野に入れつつ、その養成の主要な担い手はどこになるべきかといえば、やはり大学とならざるを得ないというように思います。  もとより、現在の大学がその担い手となり得るというように考えているのではありません。むしろ、現在の大学における法学教育はリベラルアーツの面でも不徹底、法学専門教育の面でも不徹底、まことに中途半端な危機的状況にあるというように私は思っております。そして、司法試験を目指す学生は、高校時代の予備校通いの延長のように入学早々司法試験に予備校通いをする気配があります。司法試験合格率は二%前後、かつては一・五九%でありました。平成十年は二・六六%になっておりますが、そういう状況であり、六回、七回と受けないと通らないということになりますと、受験技術を教える予備校通いをすることを一概に批判できないものがあります。  自然科学者である江崎玲於奈氏は、日本の大学はクリエーティブインディビジュアルを育てられなかったのではないかとして、その原因の一端をリベラルアーツ軽視に求められております。法曹養成にとってもリベラルアーツの重要性は幾ら強調しても強調し過ぎるということはありません。それは青年の自己発見の機会として、それからまた現在ある実定法を広く外から見詰める目を養う意味において、リベラルアーツは極めて重要だと思います。  時間の関係で結論的に申します。  いわゆる法学部は、法学、政治学を中心として広く歴史学や経済学、哲学等を学ばせ、またネーティブスピーカーによる語学教育を重視する、そういう基礎教養教育を行う場としてはどうか。そして、大学院の三年間のコースにおいて法学専門教育を施す。そこでは体系的、理論的知識の習得に加えて、問題発見能力、具体的適用能力、帰納的総合能力、対話的能力を身につけさせるようにするということであります。こうした教育の過程を重視し、司法試験のあり方もそれにふさわしいものを考えたらどうかというように思っている次第です。  日本は今まで、大学教育の場では、あるいは大学教育の場でもと申すべきかもしれませんが、安上がりの大量生産を追求してきたように思います。それはそれでプラス面もあったと思いますけれども、今日我々が直面している諸困難は、そのマイナス面のツケを払わされている結果であるように思われてなりません。明治維新の時代の指導者が考えたように、今こそ人を育てることに知力、財力を惜しまずに注ぐべきではないかというように思っている次第であります。  以上でとりあえずは私の意見とさせていただきます。  どうもありがとうございました。
  105. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) ありがとうございました。  次に、松田参考人にお願いいたします。松田参考人
  106. 松田昇

    参考人松田昇君) 参考人松田でございます。  私は、長年にわたりまして検察官として法律実務に携わってまいりました。その後現在まで約三年間になりますが、いわゆる司法の場を離れて、金融の再生と預金者の保護及び信用秩序の維持等を職責とする預金保険機構の理事長を務めております。本日は、当機構にも法曹出身者が多数参加しておりますので、その体験を踏まえ、本法案に対し意見を述べさせていただきたいと存じます。  木佐佐藤参考人の御意見とは今お聞きしていていよいよ趣を異にしていて、ささやかな実態報告となりますが、肌身に感じておりますことを率直に申し上げ、御了解をいただきたい、かように考えております。  二十一世紀の社会においては、事前規制を努めて排して、より透明で公正なルールのもとで社会経済の諸活動がより円滑に営まれることが必要であることは申すまでもありません。また、紛争を予防し、国民生活上の権利、利益を十全に保護しつつ、公正な社会を実現する上で、司法またその担い手たる法曹の果たすべき役割は従前にも増して一段と重要なものとなり、その機能のより一層の強化が望まれると考えております。  本委員会におかれまして現在司法制度改革審議会設置法案の御審議をいただいておりますが、先ほど申し述べましたような状況のもと、広く国民的見地に立って司法制度全般にわたり総合的な審議が行われますことはまことに意義深いものと存じております。本日の私の意見がいささかでも本委員会の御審議の参考になれば幸甚に存じます。  では、申し上げます。  さて、本日申し上げたいことは、いずれも当預金保険機構の実情やそこでの経験等に基づくものが中心でございます。  その第一は、間もなく迎える二十一世紀の社会においては、好むと好まざるとを問わず、国際化の影響等もありまして、私の言葉で言えばあらゆる場面でいわば乾いた法的社会という色合いが強まることが必至と考えております。それに伴い法曹が果たすべき役割はますます重要の度を加えて、法曹が活躍すべき領域はこれまでのいわば裁判を中心とした司法の場、これが重要であることは言うまでもありませんけれども、そういう司法の場のみにとどまらず、その領域を拡大していくことが求められているということであります。また、そのためには法曹の質と量の充実強化が切実で不可欠な課題となっていることでもあります。同時に、この社会的要請は法曹に限らず、リーガルマインドを持った多くの人材が社会の広い分野において活躍することの重要性をも示唆していることであります。  その第二は、ルールを遵守すべき二十一世紀の社会にあっては、ルール違反行為を行う者に対する事後チェック、とりわけ責任追及機能充実強化することの重要性についてであります。  まず、第一のテーマから申し上げます。  現在、私がおります預金保険機構は、昭和四十六年に金融破綻の際のセーフティーネットとして預金者保護等の役割を担うことを目的として設立されましたけれども、いわゆる住専問題を契機といたしまして、平成八年六月に金融関連法の抜本的な改正がございまして、組織、業務内容、人員等、すべての面で面目を一新いたしました。私どもが申しております新生預金保険機構でございます。人員構成も、それまでの十五名から、検察、裁判所からの法曹資格者を含む多数の出向者が得られまして、さらに数次の改正、中でも平成十年十月の金融再生法等の施行によりまして一段と業務内容が拡大いたしまして、現在では三百二十六名の職員をもって金融機関の破綻処理業務、金融再生・早期健全化業務、不良債権回収業務及び破綻金融機関の経営者の責任追及等に係る業務を行っております。  ところで、当機構が平成八年六月に多数の法曹資格者の出向を得ましたのは、当初、当機構が不良債権の回収を第一線で担う整理回収機構を指導、支援し、一体となって不良債権の回収、回収妨害の排除、違法行為者の責任追及等を迅速的確に推進すること、またその上でふくそうした権利関係を解きほぐす法律実務家としての的確な判断、やみ社会とは手を結ばない法に基づく毅然たる対応ぶりなどが期待されたからでありました。  そして、これらの法曹資格者は、その後の業務拡大に伴い担当分野が拡大し、現在のところ、一として、複雑化した破綻処理スキームに関する法的チェック、訴訟案件等への対応、二として、不良債権回収の指導、当機構の財産調査権の適正な行使、三としまして、債権回収や破綻金融機関の経営者や悪質債務者等に対する民事刑事両面にわたる責任追及、四としまして、特別公的管理銀行の経営に対する指導、支援、五としまして、金融整理管財人業務の遂行などを担っておりますほか、これらに関連する法令全般の解釈の確立、それから内外弁護士等との折衝など、当機構の業務全般にわたって多種多様の業務を担当し、複雑で困難な具体的事例を処理しているなど、まさに当機構にとっては欠かすことのできない重要なスタッフとしてその職責を果たしているところでございます。  特に、破綻金融機関の処理に関しましては、当機構が実施いたします資金援助の財源が預金者からの保険料にとどまらず、これも公共財だと思いますけれども、特に財政資金の支出を伴うものとなっておりますことからも、その処理の適正性確保につきましては、国民に対して私どもは高度の説明義務を負っているものと自覚しておりまして、各種のモラルハザードと対決しつつ公正で透明性の高い処理に日夜努めているところでございますが、その過程における法律家スタッフのリーガルマインドに裏づけされた対応等は、事案の適切な処理に寄与するところ大と考えております。  さらに、これら業務執行の場面にとどまらず、当機構は、法曹出身者以外にも行政各省、日銀、金融界等からの出向者が多く、私も言っているのでございますが、今まで日本に恐らくなかったと思われますが、認可法人としては横断的な専門家集団としての特色を有しているわけでございます。その中には、法曹資格者以外にも法律素養に富む行政各省あるいは日銀等の出身者も多いところから、法曹とこれらの者が日ごろより一体となって当機構の自主的な立場から常に前向きの姿勢で、預金保険機構のあり方の点検を初め、業務をより適正に執行するために必要と思われる施策、中には法改正を伴う諸施策もございますけれども、その改善策等について前向きに調査検討し、必要な措置をとるようにいたしております。  例えば、債権回収の現場での体験、ニーズ等を踏まえまして、競売制度問題点や改善策等を検討する預保グループ三者の不動産協議会、あるいは預金保険機構及び整理回収機構の将来像確立のために米国サービサー等の実情等を調査研究するサービサー研究会等を当機構内に設けまして、独自の立場で種々の研究、調査を行い、状況に応じてその成果を外部にも発表し、必要に応じて、私どもから監督官庁を含めた関係当局及び立法関係者へ積極的、主体的に報告したり提言したりしてきたところでございました。  また、この一環として、当機構の罰則つき財産調査権がございましたけれども、それの拡大問題につきましても関係当局にその必要性をアピールさせていただきました。  ありがたいことに、それぞれ改正法等が成立いたしまして、現在、活用させていただいております。改めて、立法御当局あるいは立法関係者、国会の御審議における御尽力に感謝をいたしております。  このように裁判官出身者、検事出身者、これは案件によりましては顧問弁護士の参加もございますので、当機構においては法曹三者の一体化はその限りで既に実現されていると言ってもよいかと思います。このような法曹関係者と法律素養のある行政官等の活躍なくしては当機構が前向き、主体的にその使命を果たすことは不可能と言っても過言ではなく、その活躍ぶりを見るにつけ、リーガルマインド、事実を解明する能力、ネゴシエーション能力、法令立案能力等を身につけた人材が当機構のみならず広く公的機関等に十分に配置され、我が国内での対応のみならず国際的な場面においても活躍することが我が国の安定と発展にとって極めて重要であるとの感を深くしております。  さらにこのことは、グローバル化社会の中で法令遵守体制の確立が今強く求められている各種の企業においても、同じ事情下にあると考えられます。  また、国民一人一人が身近に相談できるホームローヤーとしての法曹の存在も、これからの自己責任が重視される社会構造の中では、国民の正当な権利を保護する見地からも欠かすことはできず、これらの法曹等からより広くよりよいサービスの提供を受けられるような社会環境を醸成することもまた重要であることは言うまでもありません。  このように考えますと、二十一世紀のあるべき社会、二十一世紀のあるべき司法を実現するためには、法によるルールに沿った行政、また同じくそれに沿った企業、市民等の諸活動を実質的に支える社会的基盤として、我が国法曹がその資質、能力をより高めるとともに、社会の各分野における要請に十分こたえ得るだけの数を確保することはもとよりとして、リーガルマインドを持った多くの人材が社会のより広い分野において活躍できるよう、これらの人材の確保と育成のために関係者が英知を集めて努力することは極めて重要な喫緊の課題であると考えております。  次に、第二のテーマについてでございますが、検察官としての実務経験、またここ数年の金融情勢や金融行政の変遷等を目の当たりにしてきました預金保険機構での体験等を通じて痛感されますことは、ルール違反者に対する事後的チェック機能の強化、その重要性についてでございます。  透明なルールのもとで諸活動が営まれるべき社会においては、そのルールが社会の構成員によって遵守されることが前提とされており、ルールを破る者に対しては適時適切にその責任が追及されなければなりません。まして、当機構の破綻処理のように多額の財政資金が投入される事情等を加味すれば、なおさらのことであります。  預金保険機構としては、このような観点に立って責任解明委員会を設け、当機構みずからあるいは整理回収機構等と一体となって、金融機関の破綻処理とかあるいは債権回収の現場等々におきまして、ルール違反者に対する法的責任の追及に当たってまいりました。  まず、民事関係の責任追及でございますが、一つは、旧住専や破綻金融機関の経営者等が行ったルール違反、とりわけ違法な各種の背任行為についてでございますが、これまでに拓銀頭取ら合計二十一件、約四百億円弱の民事損害賠償請求が提訴されております。  その二は、不良債権回収の場面でございますけれども、借りたものは返すという基本的ルールを遵守しない悪質な債務者、特に返済し得る資産があるのにそれを隠匿してその履行を免れようとする悪質な債務者のような事案にありましては、当機構の財産調査権を活用いたしまして徹底した調査を行い、これまでに三千億円余に上る隠匿資産を発見して、回収など所要の措置を講じてきたところでございます。  次に、ルール違反の最たるものと言うべき刑事責任の追及についてでございますが、不良債権回収の現場においては、依然として暴力団関係者等による回収妨害、各種の資産隠匿が後を絶たず、その具体的態様もますます悪質巧妙化する状況にございます。そのような状況のもとで、預金保険機構は整理回収機構と連携して、悪質な回収妨害事案についてはひるむことなく刑事告発措置を連続してとっておりますし、これに金融機関経営者の特別背任などの刑事責任を加えまして、これまでに百件を超える事案について刑事告発をいたしました。  これらのルール違反に対する責任追及に当たりまして、法曹出身者等がそれぞれその職責を果たしておりますことは前に申し上げたとおりでございます。そして、これを受理された警察、検察等の捜査機関にあっては、厳正に検挙、刑事責任の追及を推進されていると承知いたしております。  さて最後に、第二のテーマに関連し、若干視点を変え、かつて勤務しておりました検察をめぐる最近の情勢を見てみますと、毒物等による無差別殺傷事犯、悪質な脱税や汚職事犯、重大な金融・経済関係事犯など、国民の法への信頼を揺るがしかねない犯罪が日々発生いたしております。しかも、その特徴としては悪質巧妙化、複雑多様化、国際化、広域化等の傾向がいよいよ顕著でございます。特に、組織的な事犯や民事、会計、税務等の関係諸分野の知識を駆使しなければ効果的な摘発が困難な事案が多くなっている状況が看取されます。  これらの事犯に適切に対応するためには、警察等関係諸機関との連携を一層強化する必要があることはもちろんでございますが、それのみならず、今後とも検察が独自に捜査を行って事案の真相を解明することが必要な重大複雑事案も少なからず存在するのではないかと思われます。  こういう状況のもとで、違法行為に対する適正な処罰の実現の観点からは、検察における一層の人的、物的な体制強化が不可欠でございますし、特に、検事及びその補助者としての検察事務官の増員が必要でございます。私は、現在検察を離れ、検察の迅速的確な捜査権の発動を求めるべく多数の告発を行う立場にございますが、それだけに一層その感を深くするものでございます。このような面におきましても、国会におかせられまして、ぜひ御理解と御支援を賜りたいと考えております。  以上をもちまして、私の陳述とさせていただきます。  ありがとうございました。
  107. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) ありがとうございました。  以上で参考人意見陳述は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  108. 海野徹

    ○海野徹君 参考人に順次御質問させていただきます。  木佐参考人にお聞かせいただきたいんですが、司法機能障害というんですか、期待される機能を発揮していないんだ、それは制度だけじゃなくて裁判官のメンタリティーにもよるというようなお話があったかと思うんですが、そうした原因がどこにあるのか、そして今回改革論議の中でそうしたものを払拭するとしたらどういう方向性を持ってすべきなのか、その辺のことをお聞かせいただきたいと思います。
  109. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 裁判官方々が元気であった時期というのがあると思っております。  一つは、戦時中でも五月会などという組織をつくっておられる裁判官方々で、戦時下にありながら司法の独立などを求めて頑張られた集団もございます。そして戦後の反省の中で、私がお聞きしている限り、そして経験が及ぶ範囲で申しますと、昭和三十年代から四十年代の半ば、これは昭和でありますから、西暦で申しますと一九六〇年代の後半までは比較的明るい雰囲気があった。例えば、裁判官同士も「さん」で呼ぶという、今のような部長というような肩書きでは呼ばない、こういう時代においては比較的自由濶達な判決例も多数生まれていて、当時は裁判長の名をとって、今もって語り継がれる有名な判決もありました。現在はそのような判決例はほぼ皆無の状況になったわけですが、私は基本的にこれを「人間の尊厳と司法権」という私の本の中においては一九六九年一月体制という表現で整理しております。  これは簡潔に申しますと、いわゆる青年法律家協会の所属裁判官たちに対する最高裁人事当局、それから政界のいろいろな反発等があって、発言をする裁判官、あるいは政府・与党とは違った意見を結果的に判決文に書いた裁判官に対する人事面での不利益処遇等があって、細かなことを省略いたしますけれども、次第に物言わぬ裁判官像というのが確立してきた、これが歴史的な経緯だと思います。  最近は、それを反省する機運が若干あるかと聞いておりますけれども、まだ大きな動きはありません。しかし、これが司法制度改革審議会の場で、いわば物を言う裁判官あるいはきちっとした発言をできる裁判官をどのように国民のためにふやしていくかということでいえば、やはり最高裁の事務総局における人事権というものについてのあり方を根本的に一度考える必要があるだろうと思っております。すなわち、裁判官という職と行政を行うあるいは司法行政の担当者という側面をきちっと身分的には分離するというようなことまで考えなければ、同じ中にいながら同僚が人事を行うということがどうしても、世間で言われているヒラメ裁判官、つまり上だけを見て行動するとやゆされるような形を避ける一つ方法だろうと思います。  答えは大変抽象的でございますけれども、いわば人事制度のあり方に立ち入らない限り、本来私が考える司法制度改革の根幹の部分には及ばないのではないかというのが私個人の意見でございます。
  110. 海野徹

    ○海野徹君 私も法律の専門家じゃありませんから、勉強しながら発言させていただいているわけなんですが、一個の人間、あるいは一つ事件の背後に大変膨大で広大な屈折した理由、そういう人間的な理由が私はあると思うんです。そういうものを理解できるような裁判官でないと、人間でないと人を裁くということはできない。そういった意味では、表向きは我々が持っている常識というのに従いつつ、真の意味ではそういうものを否定しながら根本的な視点から疑ってかかっていく、ゼロからスタートしてみる、そういう自分の視点で判断するという習慣づけを裁判官みずからがやっていかないといかぬのじゃないかなと私は思っているんですが、その点についてはどうでしょうか。
  111. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 私も全く同様の意見でございます。  今のキャリアシステムのもとでは、一番若い方ですと二十三、四歳で裁判官になれる場合があるわけでありますが、いわば挫折経験を持たないというような方が人格あるいは人生そのものがかかった事件で果たして裁判ができるのかというようなことが私自身の若いころを反省すれば確かにあります。  そこで、きょう、佐藤参考人からもお話がございましたが、いわばロースクール化などもそうですけれども、一たん社会経験を有するいわゆる職業人の再教育というような過程を経た裁判官養成とか、つまり司法試験受験の生活のみを経て裁判官なり法曹になるのではない、多様な法曹のなり方というのがあってもいいと思いますし、それからドイツなどでは職業生活を開始するのが二十九歳とか三十一歳とか非常に遅いですけれども、彼らは一年か二年、海外でホームステイなどをしながら語学を学んだりいたします。そういう多様な社会経験というものの蓄積は大変重要だと思いますので、そういう観点をやはり法曹養成の問題の中にぜひ入れなければいけないと私も思っております。
  112. 海野徹

    ○海野徹君 次に、佐藤参考人にお聞かせいただきたいのですが、司法改革の必要性を痛感している、個人の自律的生を支えるシステムとしての司法というのを最初に挙げられました。  日本人全体の議論の中であるわけなんですが、今までは部分的改良を重ねれば、あるいは部分的改良をすれば全体もうまくいくんだろうというような錯覚というんですか、そういうことでずっと日本は来たと思うんですね。だから、枠組みを論ずる、本質論を論ずるのが大変苦手な国民かなと私は思っているんです。一方、現実にはリーダー層というかサブリーダー層には非常に精神の衰弱現象がいろいろな社会現象としてあります。その辺は先生よく御存じだと思います。  要するに、一方ではそういう現実がありながら、一方では技術として枠組み論を論ずることが下手な国民に、今回の司法制度改革、うまくいくんでしょうか。
  113. 佐藤幸治

    参考人佐藤幸治君) そう聞かれますと、なかなか難しいのでありますけれども、それは行政改革のときも同じような質問をいろいろ受けました。従来、一つの省の中の一つの部をいじるのにも大変だった。それが省庁を再編成するなんてそんなことできるんですかというような質問、言葉として言うのは結構だけれども、なかなか実行はできないんじゃないかという質問をいろいろ受けました。しかし行政改革について、今進行中でありますのでそれをどう評価するかはそれぞれの立場はあろうかと思いますが、ともかく従来の省庁をいじった、変えたということは、それは厳然たる事実として残ると思います。  ちょっと大きなことを申しますけれども、今我々が、先生がおっしゃった苦手の枠組みそのものをいじる能力を外圧ではなくて我々の力でやれるかどうかということを試されているときだ、これをやり抜けられるか抜けられないかによって二十一世紀の日本が、やや大きなことを申し上げて恐縮ですけれども、そういう思いがあります。  それで、さっき申しましたように、行政改革も何とかとにかく突破口は開けたんじゃないか。そして、それの延長でと言ってはなんですけれども、この司法改革というのも何とかやり抜けられるのではないか。  これはある意味では、行政改革よりも司法改革の方が人間の生き方、我々国民の生き方そのものにかかわってくる。それは教育も非常に直接つながってまいります。それだけにより根元的な問題をはらんでいて難しいかもしれません。しかし、これをやらなければ将来のグローバル化の中で日本あるいは日本国民が元気よく生きていく力はないというぐらいの覚悟で取り組めば、明治維新をやれた国民ですから、何とかやれるのではないかというように希望を持っております。
  114. 海野徹

    ○海野徹君 先ほど、私は精神の衰弱現象がリーダー層にあるという話をしたんですが、一般的に八割方の国民というのは改革を望んでいないんじゃないかと私は危惧しているんです。非常に不満がもう蔓延化しています。その社会不満というのは、みんなと同じものを僕はもらっていないんじゃないか、私はもらっていないんじゃないかということだと思うんですね。人と同じものを与えられるということは、人と同じものを与えられないということとある意味では同格の精神的貧しさを私は持っていると思うんです。そういうのをはっきり認識すべきだと思う。欲しいものは欲しい、だけれども違った状況にはいたくない、そういうふうなことが精神衰弱現象の根底にあるかと思うんです。  先生おっしゃるように、とにかく私は自分の生き方というのは自分が選ぶべきだ、それはまた我々個人個人に課せられた大変な義務であるし、それが社会を支える偉大な要素であると私は思っているわけで、そういった意味では大変な議論をしなけりゃいけない。二年間でこれができるんでしょうか。もしそういうものができないとしたら、例えば国民に極めて身近な制度にするとか、国民主権を具体的にやるとかいうような形で、法曹一元化とかあるいは司法への参加というようなテーマに絞り込むべきじゃないかなと私は思うんですが、その点についてはどうでしょうか。
  115. 佐藤幸治

    参考人佐藤幸治君) やり方についてはさまざまなやり方があると思いますが、やはり一番大事なのは、我々が二十一世紀にどういう生き方をしようとするのか、どういう社会を望むのか、そこをやはり出発点に置いて議論する、哲学的な議論をする必要があると思います。  しかし、そういう議論は時間をかければ深みができるとかそういう話ではなくて、国民の関心はいろんな社会の出来事がありますから移ろいやすいところもありますので、集中的にやるということが大事かと。それで哲学的な論議も集中的にやることができるというように私は思っております。  そして、その哲学的な議論の中で、二十一世紀の社会としてこうするためにはどういう方法が具体的に必要なのかということの全体像を描いて、そしてやれるところからまずやっていく。そして五年、十年かかるものもありましょう、そういうものはそういうスケジュールの中でやっていくということをその審議会で決めるということが大事ではないか。従来の我々の生き方をどう反省し、これからどういう姿勢日本社会を築くのかということを出発点に置いて、いろんな各層の人たち意見を聞いて集中的にそこをまず取りまとめることだというように考えております。  方法としてはさまざま考えられますが、それは御質問があれば、またお答えしたいと思います。
  116. 海野徹

    ○海野徹君 では、最後に佐藤参考人にお聞かせいただきたいのですが、要するに哲学的な議論をするとなると各般にわたって各層から多様な人選をすべきだと思いますが、その点について御見解をお願いします。
  117. 佐藤幸治

    参考人佐藤幸治君) それはもうおっしゃるとおりで、最善のメンバーを選んでいただきたい。そして、かねて言われていることですけれども、事務局に各層の意見が反映されるように、私も自分のことを申してあれですが、行政改革会議のときに事務局がいかに大変か、それから大事かということを痛感しました。  あそこで、民間からも中央官庁からも三十代の人たちが四、五十人入っておったと思いますけれども、外からは事務局主導だとかというものも流れましたけれども、私の見ている限り、涙を流して、庁を離れて頑張った人たちも具体的に何人か知っております。だから、そういう熱意を持った若い人たちが事務局に入って、これからどうするかということをともに議論して、こちらから資料の作成とかいろんなことを要求していく、そういうことをやれるような審議会であってほしいというように願っております。
  118. 海野徹

    ○海野徹君 ありがとうございました。
  119. 大森礼子

    ○大森礼子君 公明党の大森礼子です。  きょうの午前中の参考人質疑では、法曹人口拡大とか司法予算拡大とか法律扶助制度とか、いろんな制度面についてのお話が多かったと思うのですけれども、きょうの参考人の方のお話からは、要するに量と質があるのであれば質、そしてその質をどう確保するかということで人材育成の大切さということを教えていただいたような気がいたします。  それで、この司法制度改革につきまして、十三人の委員でこれを検討するということになるわけですが、司法制度改革とは一体何かと考えるときにもうさまざまな論点が出てまいります。具体的な制度とか、それから人材育成のあり方とか、さまざまな論点が出てまいります。それを十三人の委員で検討する、期間は二年間、こういう制約がございます。  そこで、先ほど海野委員もお聞きになったんですが、やっぱり人選が大事になってくる。というのは、十三人ということで、本当にいろんな分野を反映できる方で構成できるのだろうかという問題が一つございます。それから、もちろんすべてはカバーできないと思うのですが、そうした場合に、国民の皆さんのいろんな意見をどう審議会に反映するかという問題、それから審議状況をどういうふうに国民へ伝えるか、つまりは公開という問題になるんでしょうか、ここら辺が非常に大事になってくると思います。  それで、お三人の参考人の方に順次お伺いしたいのですが、まずは人選について、例えばこういう人は絶対要るだろうというふうなことがありましたら教えていただきたい。それから、今、佐藤先生がおっしゃった事務局のあり方も一つの例だと思うのですが、どう国民意見審議会に反映していくか、そして審議状況をどう国民に伝えていくか、公開していくか。この点について、それぞれ御意見を伺えたらと思います。
  120. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 人選でありますが、これは衆議院の議事録も拝読させていただきました。十三人という数字は、本当議論をする場合の最大の人数ではないかという気がいたします。大学のゼミでの経験でもそうであります。もっと多い方が多くの国民各層を反映できるというのは事実ですが、その分沈黙しがちな雰囲気が出てくると思います。六人とかいうことであれば少な過ぎると思います。ただ、十三人が最後の晩さんの十三でないことだけは祈っていますけれども。  一つ問題は、法曹界のプロだけで議論をするべきか、法曹界の方を外すべきかという大きな論点があります。私は、専門家を抜きにしたこういう専門的な議論はあってはならないことだと思いますが、専門家の言葉のみで語られる将来の改正、改革案というのもまたあってはならないことと思います。したがって、十三人中法曹界から、例えばそれは一人がいいか二人がいいかという、二人になるともう六人占めるという可能性がありますので、そして隣接の法律分野もございますから、いわゆる法曹三者と言われるような分野からはそれぞれお一人ぐらいでもよろしいかなと。  私は地方分権推進委員会の動向もこの間ずっと追いかけてまいりましたが、いわゆる市民派と称される、私は本来素人ですがと言ってお話しになる方の発言が実は一番手厳しい的確なことが多々ございます。ほとんどの議事録を私は拝読しておりまして、部会の報告などを読んでおりまして、そういう感想を持ちます。したがいまして、司法問題に疎いと自己認識なさっている方がお入りになることは、ぜひとも必要なことだというふうに思っております。  それから、意見反映の方法ですが、あらゆる会議が公開で行われる、そして議事録の公開、同時にインターネットによる公開等が行われることで、事務局にさまざまな意見が、いわゆる大量の投書という形ではない、いわば個人の感情、心のちゃんとあらわれるものが届く、それを事務局等できちっと整理なさるというような形が一つの真っ当なあり方です。  これは情報の公開とか審議状況の公開ということとも絡んで同じことだと思いますが、今一番大事なのは、やはり審議過程の透明化、公開という問題だと思います。四年ぐらい前、地方分権推進委員会が始まったとき、ほとんどの議事内容が公開されて、委員たちは大変自慢しておられましたが、それを上回る公開の委員会がたくさん出てまいりました、あるいは審議会がふえてまいりました。そのように、公開ということは非常に今は広がって、公開の場で発言できない委員というのはおれなくなるという状況になっておりますので、私は、ここは公開ということさえ決めれば討議の質というのは非常に高いものが確保されるというふうに、そこは性善説で考えております。  以上です。
  121. 佐藤幸治

    参考人佐藤幸治君) ただいま木佐参考人がおっしゃったことと私も基本的に同感であります。  十三人ということですけれども、私もこれは議論をする、そしてその議論しそこにある種の共通の感じといいますか、センス・オブ・ミーティングというのか、出てくる規模というのはあるように思います。率直に議論しそういうセンス・オブ・ミーティングのようなものが生まれてくるものとしては、この辺が一つの線かなという感じがいたします。  そして、委員の中に、これも木佐参考人と一緒なんですが、法曹関係者はやはり入っていただいた方がいいというように思います。どういう人たちが入られるのかわかりませんけれども、実際にこれを動かすのは直接には法曹人たちになるわけです、改革をして。そういう人たちがやはり入っていただく方がよろしい。  これからの日本社会のあり方ですけれども、これは世界的にもそうですが、プロフェッショナルというのがますます重要になっていく。しかし、プロフェッショナルというのは決して国民から離れた、あるいは謝絶されて偉い存在とか、そういうことではなくて、国民主権のもとですから、あるいはグローバル化した社会の中のことですから、プロフェッショナルは一般の人と会話をする。そういう言葉遣いとかいろんな面で、やっぱりプロフェッショナルは一般の人と接触するということを決して避けてはいけない。今回のこの審議会に専門家だけではなくて各層が幅広く入ってくるということは、私はそういう意味で非常にいいことじゃないか。  例えば法曹一元という言葉がありますけれども、これはわかったようでわからないんです、実は。家内に法曹一元とは何かと説明するのがなかなか難しい。十五分かかっても二十分かかっても、何かわかったようなわからないような顔をしているわけであります。そういう言葉一つとっても、しかしそういうものに対する国民の理解がないとやっぱりいいものはできないんじゃないかという感じがしますので、この辺は専門家も入って議論を活発にやった方がいいというように思います。  それから、どう反映するかということですけれども、これも行政改革会議のとき、最初識者の御意見を聞いたり、それから地方でいろいろなヒアリングをやりました。そして、四、五カ月の段階で各委員に一体どう考えているのかというペーパーを出していただいて、相互に議論するということをやりました。ですから、ヒアリングとかいろんな組み合わせで集中的に各層の意見を集約する工夫というのは、私はあり得るというように考えております。  それから、これも木佐さんの御意見と一緒なんですけれども、私は行政改革委員会の情報公開部会に属しておったことがありまして、大阪に出かけてヒアリングをやりました。そのときに、土地管轄、地元の裁判所に訴えられるということをぜひやってほしいという強い要望がありました。それを帰って情報公開部会で、東京以外からの委員は私一人だったものですから、これはこの機会にとにかく強く言わないといかぬと思って非常に強く申したことがありますけれども、そういう地方で、いろんなところでヒアリングをやることによって生の意見を聞くという機会も相当精力的にやらないといかぬことじゃないかと思っております。  あとは公開の話ですが、現在行政改革の顧問会議では、まず要旨を公開する、そしてしばらくして、若干わかりやすく、語り言葉とちょっと違うところがあるものですから少しは手をあれしますけれども、基本的に発言のそのままが議事録として出ていく、そういう形になっておりますので、公開のあり方もいろんな形で工夫する余地があるんではなかろうかというように考えておる次第です。
  122. 松田昇

    参考人松田昇君) 基本的にはお二人の先生方と考え方は全く一緒です。十三人という数字も非常に絶妙な感じを受けております。ただ、だれを選ぶかというのは非常に難しい。  私は、この問題は非常に国民各層の理解を得ないとできない大改革ですから、国民各層というか、改革をやる土壌について、土壌に当たる人たちの理解を得なければ絶対だめだと思います。例えば弁護士さんの地方偏在の問題を一つとっても、そういう偏在の土地の人たち意見をくみ上げられるような人を委員に選ぶとか、そういう土壌にわたる部分についても委員を選ぶときの参考にされた方がよろしいんではないかと思います。  公開は、私、預金保険機構としては、金融危機管理審査委員会の公開問題で時々おしかりを受けたりしておりましたけれども、これは守るべき企業の秘密とかそういうものはないわけですから、どしどし公開するということで進めていかれたらいかがでしょうか、そのように思います。
  123. 大森礼子

    ○大森礼子君 まだ時間が少しありますので。  そうしますと、具体的に例えばこのテーマは絶対取り上げるべきだというものをそれぞれの先生に簡単に、優先順位で二点ずつぐらい挙げていただければ参考になるかと思います。
  124. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 何でもトップバッターですから答えるのが大変つらいんですが。  取り上げるべきテーマが今多すぎると確かに思います。予算の問題から人員の問題から設備面、ソフト面、あらゆるところにあります。私が冒頭の御報告で申し上げたかったことの中に、実は二年の時限法、そして二年の時限審議会だとすると、おのずから検討課題に優先順位をつけなければならないであろうということを申し上げるつもりでおりました。  その優先順位のどれがと言われますと、確かに今すべてが課題なものですから、非常に困ります。しかし、少なくとも平均的な市民裁判に行って満足し、結果について納得がいき、そしていわば迅速な懸案の解決に間に合うという点でいいますと、やはり身近さと迅速、そして負けても納得がいくそういう判決のシステム、そういう裁判のところをまず念頭に置くべきだろうと思います。
  125. 佐藤幸治

    参考人佐藤幸治君) これも大変難しい御質問でありますが、それを実現するためにいろんなことを考えないといかぬわけですけれども、大きなことを言えば、私は二つあると思います。  一つは、司法の容量を大きくする、これは何といっても出発点になっておると思います。今の木佐さんのあれですが、小さな司法のままでは何をやるにしても難しい。  例えば、弁護士会は一九九〇年以来、さまざまな努力を重ねてきておられる。私は非常に敬意を覚えるわけでありますけれども、ああいう意気込みを長続きさせ拡充するためには、やはり弁護士層が厚くならなければできない。あるいは法曹一元制ということをもし目指すということであれば、これも基本的な条件はやはり司法の容量が大きくなるということだろうと思います。多様な人材が、すぐれた人材が法曹になるということがまず何といっても大条件だというように思います。  もう一つ、それと関連しますが、法曹養成です。これは、先ほど来、最初の木佐さんに対するお尋ねにも関連する話ですけれども、どうやって人を育てるかということが長期的に見ると最も重要な課題だと。この機会に大学が法曹養成にどれだけどういう形で関与するのか。このことは、大学の問題ですから、二年で結論を出してすぐ実現するというようなわけにはいきませんけれども、大学はどういうデザインで、どういう形で将来の姿はあるべきか。例えば、十年たった後にはこうなっている、そういう姿を描き、そして若い青年の諸君に希望を持たせることだと。  さっきも海野先生の方からありましたが、今の学生を見ていて、私はかわいそうだ。私が年をとってきたということもあるかもしれませんけれども、かわいそうだと思うことが多いんです。学生と議論しても、先生、そんなことを言ったってできるわけないじゃないですか、世の中は精密になって、どう我々があがいたところで変わりようがない、そういう話をよく聞くわけです。  それだけに、将来、若い人たちに夢を持たせるためのものとして、法曹に限ってですけれども、この機会にそういう大学のあり方、法曹養成に時間と金をかけて人を育てる、そういう仕組みをつくる、方向を決めるということの二つが私は最も重要な課題ではないかというように考えております。
  126. 松田昇

    参考人松田昇君) 今、佐藤先生がおっしゃいましたのと全く同意見でございまして、何といっても量の拡大と質の維持、質の向上といいますか、その接点をどうやって結びつけていくかというのが一つ。これは絶対に欠かせない。これからの世界は法曹が絶対に必要ですから、これは絶対第一のテーマに取り上げてもらいたい。  同時に、その裏にある大学教育と司法試験改革をどう進めていくか、これは裏腹にある問題だと思います。この点を重点にお願いしたいと思います。
  127. 橋本敦

    ○橋本敦君 きょうは参考人の先生、御苦労さまでございます。  最初に、木佐参考人にお伺いしたいと思うんですが、おっしゃる小さな司法という御提起は私どもにとっても重大な警告であり、また検討課題でもあったわけですし、また、日弁連会長をやっていた中坊公平さんも、二割司法の打開、国民のための司法ということを常々強調してまいりました。先生のおっしゃる小さな司法を打開していく具体的な手だてとめどという観点からいえば、当面、今度生まれるこの審議会で具体的順序として何をどう議論していくことが必要なのかということを、御意見としてあれば伺いたいと思うんです。  私の考えの一つは、現在の小さな司法、それがもたらしている司法機能不全、ここのところの原因解明をまず基本的にやる必要がある。そこから、先ほどから皆さんがおっしゃってくださっている司法の容量の拡大というところへ行くことがいかに具体的プロセスとして大事かということを国民の前に示すことが大事ではないかという気がしておりますので、先生のその点に関する御意見をいただければと思います。
  128. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 手だてとめどという観点から申しますと、これは立場によって、つまりユーザーによって非常に違うと思います。つまり、大企業などが司法のユーザーとして登場しないということの理由と、それから田舎において裁判所が実際利用できないというのとではかなりその対策が違うと思っております。  私が知っている限りで一番ひどいケースは、三カ月に一回しか法廷が開かれない地方裁判所支部がございます。海が荒れるとそれが六カ月に一回に飛んでしまいます。島根県の隠岐島です。これは憲法三十二条が全く保障されていないと私は思います。事件が少ないから裁判官を引き揚げるのではなくて、やはり事件がなくても常駐裁判官がいて、緊急の場合に仮処分ができるという体制がなければ、三十二条は絵にかいたもちでしかないというふうに思います。  そういう意味では、まず予算の増加と、仕事は仮になくても、それこそセーフティーガードであるということで、まず裁判官の増員と配置が必要だ。そうなると次第に事件も起きてくるものなのです。司法の全体を考えますと、弁護士のいないところでは司法書士、司法書士のいないところは行政書士、行政書士もいないと法務局の方が法律相談に乗るというような、ずっと縦のパターンがございますので、それを一つずつランクを上げていくというような発想が非常に重要かと思います。その意味では、まず予算措置ということだろうと思います。  しかし、一つ問題点は、裁判官の方の給与が、例えばドイツなどは一番若い方と一番偉い最高裁の長官とで四倍程度しか違いませんが、日本の場合は九倍から十倍以上差がございまして、裁判官の給与問題と人数との相関関係というのは大変大きな問題でございます。詳しくはきょうは申し上げませんが、その点ははかなり争点になるだろうというふうに思います。  一方、大企業とか、都市圏で裁判所アクセスはできるけれども現実に利用できないというのは、やはり時間がかかる、あるいはお金がかかる。それから、解決として出てくる判決も納得がいかないから最初からあきらめるなり地下の組織にお願いする、こういう形のものでありますので、これはまさに今の機能不全と言われるものの原因には多様なものがありますから、それの分析をある程度踏まえた上での対策がとられなければ次に進まないだろうというふうには思います。
  129. 橋本敦

    ○橋本敦君 次に、先生のいわゆる司法改革の理念ということの中で、裁判官の独立という問題を御提起いただきまして、私も全く同感でございます。司法の独立ということと並んで、裁判官の独立という問題が我が国司法改革の中でも大事な課題になるというふうに私も思っているんです。  そのことで思いますのが、同時に、先生のおっしゃる裁判官市民的自由の保障ということも、なぜそれが必要かという問題を私たち国民的立場でよく考えなくちゃならぬと思うんです。かつて最高裁の問題としては、青年法律家協会所属会員の裁判官任用拒否事件というのもあったし、最近では寺西裁判官の問題ということもございました。そういうことが起こらないことは一番望ましいわけです。  先生のお詳しいドイツの裁判官市民的自由という状況と日本の状況との違いというものが、もし具体的にお話しいただけるケースがあればお話しいただきたいと思います。
  130. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 具体的な実例のような形でもよろしゅうございますでしょうか。  日本でもほとんどの裁判官の方あるいは経験者の方は、裁判官は自由ですというふうにおっしゃいます。例えば、居酒屋にも行きます、映画だって見れます、テニスもできますというふうにおっしゃいますが、それをもって市民的自由というふうには私ども法曹界の中では言っていないと思いますけれども、普通の市民方々の中には、まさに市民的自由というのはそういうものだとお考えの方がいらっしゃると思います。  今問題となっておりますのは、国際的な会議、例えば国連の国際人権規約委員会等が問題にいたします裁判官市民的自由というのは、あくまでも政治的意見、信条等を公の場で発表する、それが例えば裁判官の職権行使とどう抵触するかしないかというぎりぎりの問題についてのことであります。ドイツの裁判官たちはほとんどが政党に所属しておりますし、いろんな種類のボランティア活動をしております。このたびできました映画を見ていただければ、私が一言言うよりも、一時間で全部見ていただけると思います。  あえて整理いたしますと、普通の市民として長くその場にいて生活をし、例えば居酒屋であれ家庭であれ、普通の方々と日常的なやりとりをする、そして市民の方と同じように、例えば新聞にも投書するとかお芝居もするとか、そういう姿をもって市民的自由と言っている。日本でそれが一番問題だとして危惧されますのは、そのことによって例えば予断とか偏見とか、当事者との癒着が生まれないかということです。  これに対してはドイツでも、みずから開披を申し立てるということがたくさんあります。例えば、この当事者とは実はお友達ですという形で、当該事件で配分表に従って当番になっても開披をみずから申し立てるという慣行がございます。知っていても裁判官は法的な論理でしか裁判をしないということもまた両当事者は納得しておりますので、例えば被告と裁判官が知り合いですねということを知った上で、原告もそれで結構ですというのが非常に多いのです。というのは、どの裁判官もそういうことを知った上で、裁判官として活動する。  これは、アメリカの選挙で選ばれる裁判官だって同じことでありまして、いわば自己の政治性を認識していること、その上で法的論理で裁判を行うということのいわば腑分けというもののちゃんとした教育なり認識なりが個々の裁判官の方にとって非常に重要だと。日本はそれを公正らしさということで、ひたすら人間的接触を断つようにということ、そこが全く大きな違いだというふうに思っております。
  131. 橋本敦

    ○橋本敦君 次に、佐藤先生に、時間がありませんので一点お伺いしたいんですが、先ほどからのお話の中で、司法改革の方向、理念の中で、憲法十三条を出発点とするというお話がございました。私もなるほどと思って伺っておるわけですが、この十三条と、今もちょっと木佐先生からお話があったんですが、国民裁判を受ける権利というこの憲法の考え方、これが先生のおっしゃる司法の容量の拡大の必要にも出てくるわけですが、裁判を受ける権利との関係についてちょっと先生のお考えをお示しいただきたいと思います。
  132. 佐藤幸治

    参考人佐藤幸治君) その前に、ちょっと木佐参考人と関連したことを申してよろしいでしょうか。  私は、小さな司法でとどまった原因はやはり行政主導の法治国家、明治憲法以来法治国家と言ってきたその法治国家というのは上からの秩序形成だということを申しましたが、それはともすると行政主導になりやすい。そしてまさにそうなんだ。ところが、ドイツは、さっきの木佐さんの最初の御意見ですが、裁判権の強化ということで法治国家の考え方を引き継ぎながら裁判権を格段に強化したわけです。日本は法治国家から英米的な法の支配に転換したと。それを言いながら、司法の容量は小さいままにとどめてきたわけです。その行き違いで今ツケを払わされている。だから、そのツケを払うためにはやっぱりその基盤を大きくしなければいけない。ここに来るのだろうと思います。  そして、こういうことをやっていくために、やっぱり人間の生き方が問題だと。例えば、日本訴訟をしたがらないというのはなぜか、なぜ行政に行くのかというと、裁判になると自分の顔が出てきます。日本人自分が出ていく、顔が出るというのはどうしてもちょっと避けたい。そうすると役所に行く。役所に行けば匿名的に処理してくれる。そういうところがあったと思うんです。  ですから、もし本当司法というものを大事にし、自分の権利は自分で基本的に守っていくということであるとすれば、まさに私の言う十三条の、人間の自律的な存在として一人一人があるということを出発点にして、必要があれば自分で正面に出て闘うというような姿勢が必要だろう。そのためには、今先生がおっしゃった裁判を受ける権利を従来以上にもっと重要なものとして考える。そして、いろんな段取りはありますけれども、例えば法律扶助制度などは、これはもう既に議論が詰まってきているわけですから、そういうものはすぐやればいいだろう、もうこの審議会の結論を待たなくてもやっていったらいいと思うんですね。  そういうように、やれるものはやる。それから、さっきも言ったように、例えば教育体制を変えるとなると五年、十年かかるかもしれません、積み上げていきましても。ですから、そういうもののめり張りをつけて全体のグランドデザインをこの審議会で描くということが非常に重要じゃないかというように考えております。
  133. 橋本敦

    ○橋本敦君 佐藤先生もちょっとお触れになりましたが、法曹一元の問題です。これはなかなか国民にはわかりにくい言葉ではあるんですが、かねてからこれが大きな課題になってまいりまして、日弁連あたりもこのためにかなりの努力もしてきたんです。今度の司法改革の中で法曹一元ということを我が国司法制度一つの根幹として具体的に実現をしていく大事な機会ではないかというふうに私は考えておるんですが、そういった条件社会的状況などをごらんいただいて、先生のお考えとしては、今度の課題としてどの程度のものとして御期待あるいは御見解を抱いておりますでしょうか。
  134. 佐藤幸治

    参考人佐藤幸治君) 法曹一元といってもいろんな意味がありまして、ちょっと抽象的に使うと誤解を受けるところがあるわけですけれども、非常に広い、弁護士を中心とする法曹、ほかの実務、検察官でもいいわけですけれども、大学も、そういう広い法曹の中から立派な人が裁判官としてなられるというものとして考えたときに、やはりこれは今回の司法改革の究極の目的として掲げるべき事柄ではないか、個人としてはそういうように考えております。  ただ、そこに至るについては、来年からやれとか二年先からやれと言われても、それはできる話ではないので、その条件はきちっと詰めて、どういう段取りでそれを充足させていくのかということをまさにこの審議会で御議論いただきたいというように考えております。
  135. 橋本敦

    ○橋本敦君 時間が来ましたので、松田参考人、お尋ねできませんが、ありがとうございました。  終わります。
  136. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。きょうはどうもありがとうございます。  先ほど委員のことについては話をしていただいたんですが、事務局体制をどうしたらいいだろうか。  先ほど佐藤参考人の方から、行革の審議会で出向された役人の方がとても一生懸命おやりになったというお話がありましたけれども、特に司法改革といった場合、さっき木佐参考人からもありましたけれども、裁判官の独立などのことがキーワードじゃないかとおっしゃったので、事務局が役所あるいは司法官僚によって占められるとどうなるだろうかという危惧も感じます。では民間から入ったらいいのか、どうしたらいいのか、事務局体制については非常に悩んでいるんですが、それぞれ事務局体制についての御意見をお聞かせください。
  137. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 私は事務局体制について申し上げませんでしたので、補わせていただきたいと思います。  これも衆議院での議事録を拝見しておりますと、内閣につくるのに法務委員会議論するのはどうかという問題から始まって、その事務局体制のあり方、かなり議論はされていることを承知しております。こういう国家の、しかも三権の一番大きなところをいじる仕組みでありますので、本来は国権の最高機関である国会が直接に事務局をいわば指揮監督するというのが私は真っ当ではないかと考えております。  実は、今地方分権一括法が審議中でございますが、四年ぐらい前でしょうか、地方分権推進法ができますときの一番最初の審議会に私も実は参考人で発言したことがございます。そのときも三条機関がいいか八条機関がいいかとかいう議論が出まして、私はやはり国会にその地方分権の委員会を置かれて、そこで国会議員が指揮することが本来の筋であるというふうに申し上げましたが、結果的には総理府設置という形にたしかなったかと思います。  今回もまさに地方分権以上に憲法第六章で保障されている司法権というものが対象となりますので、本来はやはり国会直属でさまざまな分野から人を、有能なスタッフを集める。中には弁護士出身の方や、それから民間企業の方、場合によっては自治体の法務能力の高い方とか、それからもちろん普通に弁護士をなさっている方とか、今の日本では人材は幾らでもあると思います。これがもし内閣とか、あるいは法務省所管とか、仮にそういうふうにどんどん変わっていくといたしますと、どうしても事務局主導と言われ、その所属省庁の方が下手すると原案も書くということになりかねませんので、原点は国会から直接であっていい、そこをきちっと押さえて広く人材を集める。  地方分権推進委員会でも、実は各省庁から派遣されてきた方が分権推進ではなくて、そこで行われている議論を一番先、本籍のある省庁に情報を流すという役割をされた、そういうことを漏れ聞いておりますので、そういう役割ではない形の事務局というものをいかにつくっていくのか、私も解答があるわけではございませんが、ぜひ国会ではそこのところを極めて大きく監視をしていただきたいというふうに思います。
  138. 佐藤幸治

    参考人佐藤幸治君) 私も基本的に木佐さんのおっしゃったことと同感するところは多いんですが、具体的にどうすべきかとなると、これはなかなかと。さっきの行政改革会議の場合でも中央省庁から来ている人たちも多かったわけです。けれども、その中で外から思われているような上のことを気にしながらということではなかった。いろんな人がおられますからあれですけれども、私が見ている限りはそうではなかった。  それは、結局、審議会自体の姿勢の問題だろうと思います。そこがどれだけの熱意で引っ張るか、その姿勢によってまた事務局のあり方も変わってくるところがあるので、事務局には弁護士さん、あるいはできるだけ広く各層の人たちも入ってほしいと思っております。やっぱり肝心なのは審議会がどういう姿勢と熱意で臨むかということによって事務局も生きてくる、あるいは生きてこないということもあるかと思いますので、ちょっと回答になっているかなっていないかわかりませんけれども、そういうところです。
  139. 松田昇

    参考人松田昇君) 私思いますのに、事務局の場合にはどうしても必要な要件として中立性の確保という要件が一つ、それから事務能力という二つの面があると思います。  そこで、広い立場からいろんな方を入れるのはいいんですけれども、当然のことなんですけれども、それはやっぱりこの二つの要件にはまるようなことでなきゃだめじゃないかなと思います。  それで、先ほど佐藤先生がおっしゃいましたけれども、私のところにもたくさん各省庁から来ていますけれども、うちに来た以上は親元としょっちゅうけんかをしているわけです。それは、うちの立場と親元の監督官庁、例えば大蔵省とか日本銀行の立場とは違いますから、利害が反しますので、そのときは徹底的に戦っています。  案外、日本のいろんな行政人たち、それから司法界の人たちもそれぞれ良心的に与えられた責務はやる、これは私の実感ですけれども、それを持っていますので、専門家を入れておかないと実際にまとめるときにどういう意見をどうですかということはなかなかできないのではないかなと思います。それから、いろんな各層の人たちも出身母体を持っていないかといえばそういうことはないわけで、それぞれの立派な人が中立性のある人を選ぶということに尽きていくのではないかなと思います。
  140. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 木佐参考人にお聞きしたいんですが、裁判官の独立ということをキーワードに、ぜひ二年間審議をしてほしいとおっしゃったんですが、裁判官市民的自由ということをおっしゃっていただいたので、すごく意を強くしたんです。  ただ一方、行政をどうチェックしていくかということも非常に大きな課題で、例えば判検交流だとか裁判官の令状の却下率が〇・一%を切ってしまうとか、なかなか刑事司法問題点、それから行政のチェックという点でも課題を持っていると。先ほどB規約の勧告のこともおっしゃいましたけれども、それについてアドバイスがありましたらお願いします。
  141. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) かなり抽象的で、アドバイスということですのでお答えはなかなか難しいですが、私は、裁判官も独立し、それから検察官もアメリカやドイツ、フランスのように独立して、例えば組合にも入れるとか選挙で選ばれるという国でしたら判検交流はお互いの職業体験の交流として非常にいいことだと原則として思います。  ただ、今弁護士会裁判当事者たちが判検交流に反対するのは、一つの組織に忠誠を誓って、いわば定年までいることを前提にしながら、ある日法壇に座っていたり、ある日検察官席だったり訟務検事になっている、そこに問題があると考えているわけです。したがいまして、理論的、理想的に言う判検交流の自発的、任意的なものは、非常に私は重要だと思います。  しかし、それが職務命令で一方的に行かされ、その成果が次の処遇に反映するというところに今問題があるわけであって、それを断ち切った上であれば判検交流というのは私は悪いことではないと思います。したがって、この言葉をひとり歩きさせていいとか悪いとかではなくて、どういう仕組みの人事制度の中で、こうだからいいか悪いかという問題がこの判検交流については私はあると思っております。  それから、令状については、余り私は刑事法に詳しくございませんので差し控えます。  今、裁判官の独立ということと絡めてのアドバイスということでした。今回の審議会でぜひキーワード的にいわば高い理念として持っていただきたいのは、きょう目次としては御紹介しておりませんけれども、まさに台湾で最高裁あるいは最高裁長官が常に繰り返し述べておりますが、世界人権宣言及び市民的及び政治的権利に関する国際規約の精神によりとか、そういう国際的な既にあるものを常に司法の理念に置いて裁判なり司法行政をせよということを言っているアジアの国があるわけでありますから、繰り返しになりますけれども、私はやはり今回の審議会でも常にそういう国際水準を念頭に置くことによっておのずから市民的自由とか裁判官の独立の問題というのも浮き上がってくるだろうというふうに思っております。
  142. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 裁判官の人事権ということをおっしゃったんですが、この法務委員会裁判官検察官の報酬の問題も取り上げたりするんですが、衆議院の議事録でも年収がかなり、五百万ぐらい違ってくる、あるいはかつて再任拒否された裁判官がいるとか、人事権が果たして透明、公平なのか。判決を出して、その判決が違憲に近い判決やそういうものを出すとやっぱり飛ばされるとかという話などもよく言われているんですが、裁判官の人事権などについてはどうお考えでしょうか。
  143. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 人事権についてどうと言われましても、本当に深くて広いテーマですので一口でお答えするのは非常に困難です。一つは、国政調査権が裁判判決の中身で人事に影響したかどうかなどということをチェックできるかどうか、これまた憲法上の問題が一方で出てくるかなという気もします。  しかし、人事制度のあり方そのものを検討することは個々の裁判への干渉ではございませんので、きちっと今までやられたことはありませんが、裁判官の方を対象に匿名でアンケート調査をする。今までは私的な団体がしても回答率は非常に悪いわけですけれども、司法改革のこういう基本的な審議会の名において、全裁判官に匿名で、しかも消印などが残らないような封筒を用意してきちっとなさる、そしてこれに際しては最高裁からも全裁判官にアンケートに回答協力をせよというような指示を出していただく。今まで私たちはそういう発想をしないというか、遠慮してといいますか、無理だろうと思ってあきらめていたことをきちっとやらないと、二十一世紀、まさに新しい世紀に対応できる裁判官の仕組みはできないだろうという気がいたします。  ですから、本当ならば思い切って原因分析のところではアンケート調査等まであってもいいかなと。そこでおのずと人事について現職の裁判官たちが何をお考えかが浮かび上がってくるのではないかと思います。
  144. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 ちょっと食い下がって済みませんが、「日独裁判官物語」などの映画でも裁判官市民的自由の考え方の違いが非常に出ているわけですが、先ほどメンタリティーが変われば変わるというふうにおっしゃったのですが、裁判官市民的自由を認めていくことというのも一つ方法だとは思うんですが、ほかに裁判官の独立を真に保障するための例えばこういうことをやればもっといいんじゃないかというようなことはありますか。
  145. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) それは大変難しい問題でして、公務員の中で一番身分保障が高いのが裁判官だと憲法の教科書を読むと書いてあるんですが、実は裁判官が一番身分保障がなくて、十年しか任期がないんです。ですから、任期直前の裁判官たちは大変神経をとがらせて判決を書かれる。ですから、憲法的には一番身分保障が厚いと言われていて実際が逆ですので、本当は一たん判事になれば終身判事でいいと。判事補の仕組みは例外だったはずです。そのために十年という判事補の任期があったわけですけれども、実際には十年ごとの定期チェックになっている。  ですから、実はそこには憲法上の問題もあります。書いてあることと実態がここまで乖離するというのは、占領軍の担当のオプラー氏の回顧録などを読んでもまさにこういう問題が起きるとは想定せずに制度設計しておりますので、本当はそこから見直さなきゃいけないと思います。今回憲法改正の話まではできないでしょうから、私はそれはちょっと深刻な問題として残るだろうという気がいたします。
  146. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 行政のチェックということで、先ほど行政法にみんなが弱いということをおっしゃいましたけれども、たしか司法試験の科目から労働法、行政法がなくなったのですが、何かそういうことについてアドバイスがあったら一言お願いします。
  147. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 今回行政法、労働法が削除されることについて、余り世論も国会その他でも大きな反響はなくて、学界でも阿部泰隆教授を中心に反対運動があったぐらいで、あっという間に決まってしまいました。  しかし、世界の中で行政法が科目に入っていないのは私の知る限りありませんで、アメリカでも択一的な科目の中に行政法は入っておりますし、それから多くの国は憲法、行政法という科目のセットとして公法というような枠の中で必ず行政法という権力統制の法に関しては試験科目がございます、比率の大小はございますけれども。  そういう意味で私は、これは労働法についてもそうだと思いますけれども、せめて二科目を一つどこかにまとめるか、労働法だったら民法系の中に入れるとか、それで択一の一定比率は占めると。行政法は憲法の中の択一の中にせめて三割ぐらいは入れさせていただきたい。佐藤参考人はどういう御意見かわかりませんけれども。  そういう形で、私は全体として公法部門の強化というのを図る方向で当面は司法試験の科目の問題について言えば乗り切る道はあるだろうと思っております。
  148. 福島瑞穂

    ○福島瑞穂君 ありがとうございました。
  149. 中村敦夫

    ○中村敦夫君 私は、午前中の三人の参考人にした質問と同じ質問を一つだけしたいと思います。  それは司法改革の中で日本陪審制を導入すべきか、大きなポイントとすべきかどうかという問題なんです。なぜこれにこだわるかといいますと、法曹一元とか司法の容量拡充あるいは教育制度改革裁判での法的扶助とか、そういう制度的なもの、これは外せないだろう、そしてこれをやらない限り司法改革にはならないだろうというふうに思います。  しかし、これは非常に重要ですけれども、専門家側の、要するにシステムの方の転換だと思うんです。それだけで日本司法が変わるかどうかという問題がある。大きな問題としてやはり国民の側の問題が抜けているのじゃないか。かなりの数の国々を私は旅し取材しましたけれども、司法国民の生活がこれほど乖離している、なじみのない国は特に先進国では珍しいということなんです。この部分が大きく変わるような装置を仕掛けないと、行政側だけの改革では本当に半分の改革になってしまうのじゃないかというふうに思います。  そこで、やはりいろいろなメリット、デメリットはあるにせよ、陪審制度の導入ということは、戦前のいろいろな条件とは現在違いますから、もう一度果敢に試すことが非常に大きな変化をもたらすのではないか、その可能性に多少期待しているんです。  ですから、そのことについてどういうお考えを持っていらっしゃるか、お三人に同じ質問でお答えいただきたいのです。四、五分ぐらいずつありますので、どうぞお願いします。
  150. 木佐茂男

    参考人木佐茂男君) 私は比較的研究対象がドイツとかヨーロッパなものですから、参審制をたくさん見ているということもございまして、木佐は参審制論者だということで一般的には言われているかと思います。  しかし、この間、六、七年前からは、実は私は実験論者とでもいいますか、もう議論はいいじゃないかという気がしております。東京は首都圏で割かし古いものを大事にするところですので、東京高裁とその幾つかの周辺の高等裁判所は現行制度のまま職業裁判官だけで裁判をする。東日本陪審制か参審制かいずれかを試行してみる。西日本はそのもう一つ制度を試行してみる。全国を三つに分けてもう実験をした方がいいと。  つまり、机上の空論で陪審、参審のそれぞれの長短を言い、それは大体もう出尽くしていると思うんです。どこでも欠陥はあるんだろうと思います。現に誤判というのは陪審でもあります。参審制であってもないわけではないです。  そういう意味で、既にこの十年来、陪・参審の問題はかなり私は出てきたと思っておりますので、三カ所で三つの違ったものをやればおのずとどちらが日本国民性にふさわしいか。参審制は参審制で裁判の全プロセスに市民裁判官の行為を監視しているという機能がありまして、いわゆる裁判のプロセス全体の透明性に奉仕する。それから陪審制の場合は事実認定のことが圧倒的に強いわけですけれども、その事実認定を全面的に市民が決められる。そのそれぞれの長短がございますので、とにもかくにも実験のための制度的手当てを早く整えて、あとは試行に移る。それで十年待てば十分に結果が見えて、三つが全部なじむかもしれないのです。その結果、同じような判決が出るかもしれないのですが、それはそれでよい。そのまま永久に日本三つ裁判が進んでいいというような気もいたします。  最近、日弁連が報告なさいましたが、デンマークのように陪・参審が併存している国とか、それから普通は陪審から参審に移ってきたとかそういう歴史的な経緯はいろいろございますけれども、日本のように、スタートするのであれば私は実験でいい。ただ、スペインのように独裁がなくなって最近陪審が復活したとかそういうところもありますので、陪審への流れというのは少なからずあるかな、再びあるかなという気はいたしますが、私の今の見解はどちらが本当にいいかわからないので実験がいい、こういうものです。
  151. 佐藤幸治

    参考人佐藤幸治君) 私も陪審制については、先ほど矢口元長官の言葉を引用させてもらいましたけれども、この審議会でぜひ積極的に審議していただきたいというように思っております。  それの一番大きな理由は、その矢口元長官の中にも、お上意識云々というのがありましたけれども、裁判というのは何か自分たちと別のものであって、そこから何か与えてもらうものだ、正義というのはおのずから実現するものだという、どうもそういう意識が日本国民の中にあるんじゃないか。  それとちょっと話は前後しますけれども、日本裁判官に対するイメージも、どなたがなっても一緒のものというように期待するところがあるんじゃないかと思うんですね。そうすると、だんだん裁判官の方もそういう観点から自己規制していって、外から見ると何となく窮屈な人に見える、そういうところがある。  法あるいは司法における人間のドラマ性といいますか、そういうものがもう少し日本の中に出てくる、そういうものであっていいのではないか。審議会で、まさに裁判とは何か、司法とは何かという哲学的議論をすることの意味がそこに一つあると思うんです。  そして、具体的には陪審というものは、自分たちが直接その正義の実現の場に臨席して人の運命というものを自分の問題として真剣に考える、そういう機会を国民が持つことによって、裁判司法というものはもっと人間のドラマ性を持っているんだということを実感して、司法というのは自分たちのものだ、自分たちの生き方の問題なんだということを考える一つの場として、この陪審制というのは、先生お説のように、非常に真剣に考えるべきテーマではないか。  それから、もう一つだけ。法曹一元制をもし将来とるとしますと、やっぱりある種の、国民から見ると、仲間内じゃないかというように見られる。私はおやっと思ったことがあるんですけれども、全く法律を知らない人たち法曹一元と言うと、これは仲間でやるということですかと言われる。そうではないんだということを国民に納得してもらうためにも、陪審制というのはある種の意味を持っているのではないかというように考えております。真剣に議論していただきたい。  すぐ一律にできるのか、さっき木佐さんがおっしゃったように、実験的に例えば大きなところでまずやってみるということとか、いろいろな方法があるかもしれませんが、ぜひ前向きに取り組んでいただきたいというふうに考えております。
  152. 松田昇

    参考人松田昇君) 陪審制度の是非をめぐって議論をするということ自体は非常にすぐれたことで、立派なことだと思いますし、それを今度の審議会のテーマに取り上げるということ自体には私も全く反対はなくて、当然のことだと思います。これは古くして新しい問題でございますから、この辺できちんとした形の答えを出すというのも一つ方法であろうと思います。  ただ、陪審制度国民司法をなじませる、あるいはもっと身近なものに引き寄せるという、本当にそれになじむ制度なのかどうか。私は、全く個人的な意見で恐縮でございますけれども、今この段階でそういうふうには必ずしも言い切れないのではないかな。いろんな意見をもう一度よく酌み取って、まず陪審制度の導入の是非についても議論する必要があるだろう、そこから始めてもらいたいと思います。  なぜならば、今度我々が改革するのは国民のための司法改革であるわけですから、国民司法に求めているものは何かということをもう一度原点から振り返る必要があると思うからです。その原点から振り返るということは、現在の裁判官たちがやっているいわば非常に孤高な形をとっている職業的な裁判官、しかしそれは廉潔性に満ちた裁判官としてここずっとやや定着してきているわけですが、それをなお振り切って陪審制に行ってやる方が事実の確定のためにも、また適正な法的対応をするためにもベストだ、あるいはベターだと言うからには、もっと国民の声をきちっと聞いて、どちらの裁判官像を選びますかということから始める必要があると思うからです。  それに関連して、私、一つ心配なのは現在のマスコミとの関係でございまして、マスコミとの関係を具体的に断ち切って、ある一定の期間、陪審員としての受任義務を課せられた市民がそれにたえてやっていく手だてをきちっとつくらないと、仮に陪審制を導入するとしてもそこは失敗に終わるのではないかな。我々は手だてと同時に質の高さが必要ではないかな、このように私個人としては考えております。
  153. 中村敦夫

    ○中村敦夫君 ありがとうございました。質問を終わります。
  154. 荒木清寛

    委員長荒木清寛君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用のところ大変貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。当委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  本日の審査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後三時三十六分散会