○本岡昭次君 ことし四月十八日の朝日新聞が、外国人
学校卒業生に受験資格を認める認めないのこの問題に対して、
国立大学長に対するアンケートを実施したと。これは
大臣も
文部省の
関係者もごらんになったと思うんですが、このアンケートを見ますと、
大学院
大学や短大を含む百一
大学のうち九十七
大学が回答して、そのうちの四十六
大学の学長が現状を改善すべきだ、七学長が検討すべきだと答えて、現状でいいと回答したのは十一人にとどまっているという結果になっております。
その新聞の中でいろいろ学長さんが勇気を奮ってコメントをなさっておられます。その
一つを紹介しますと、
国立大学協会副会長で東京外大の中嶋学長は、受験資格について、
文部省の解釈と
大学の責任者としての学長の判断の双方で決められるべきだ。国際的潮流から見ても、受験のスタートラインでは門前払いすべきでないとの
見解を示しておられます。多くの
現場の責任者が、今日のこの国際化
時代に、こうした一貫して
文部省が門戸を閉ざしているということに対して矛盾を感じ、対応に苦慮しておられると思うんですね。
そして、
公立学校では半数近くが受験資格を認める、私学も半数近くが認める。
制度として認めるとか認めないじゃなくて、実態的に、現状置かれている
状況の中でそれぞれの
大学が判断をして、認めるところは認める、認めないところは認めないというふうに対応しているにもかかわらず、
国立大学だけが一様に認めてはならないとする、ここに私は問題があるのではないか、このように思うんです。
今回の法律の学長の権限とかというふうな問題がかなり大きな
意味を持ってきますが、こうした事柄に関して、
国立大学協会の副会長である中嶋さんがおっしゃっておるように、
国立大学だから
文部省の判断があってもいい、しかし、
国立大学の学長としての判断というものは一体どうなるんだということを問題提起されているわけですね。だから、
大学の入学というものは、あるいはまた受験をどうするかというのは、学長の判断によって行うというふうなことがあり、
高等学校を卒業しなくとも、二年生を修了した段階で入学を認めるという
大学があってもいい、いや、私のところはやらない、こういうふうなことであるべきではないかと私は思うんです。
そういう
意味で、こうした
大学の
あり方を
基本的に
改革をしようとしているこの際、こうした問題について門戸を開くべきではないかと私は思うんです。こういうこともしないで片方で
大学をどうこうすると言ったって、私は問題があり過ぎるんではないかと思います。私は、これはもう挙げて
文部大臣の政治的な決断だと思います。
文部省は、今の法の仕組みとか、そこから
自分たちが出ようと思っても出られない立場にあるんですよね、
文部省の役人は。だから、それを変えていくのはやはり政治が変えていくわけでありまして、それはやっぱり
文部大臣が、今日の国際化の問題で、ここは風穴をあけますということを言わなきゃいかぬと思うんですよ。
それで、話はちょっと横へ飛んでしまうかもしれませんが、今、朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮との間でいろいろ緊張問題をはらんでおります。あの国と国交回復していないが、
日本は何もできないのか。そうじゃなくて、
日本の国に朝鮮総連という団体があり、そして朝鮮民主主義人民共和国に帰属するいわゆる在日朝鮮人の人
たちがおり
子供たちがいるわけで、その
子供たちがより多く
日本の
大学で
勉強したいと、こう一生懸命願っている。それはもう純粋に学問
研究の分野として。そこで学んだ
子供たちは、皆
日本を愛し、そして
日本と親しみ、
日本を大事にしようという
子供たちになっていくことは間違いないわけですよ。そして、そういう切なる願いにこたえてやっているというふうな、
日本国内のいわゆる
教育分野における大きな
意味の、北朝鮮への外交戦略のある
意味では、そういう言い方はよくないけれども、そういううちの重要な部分でもあるのではないかと。
緊張をはらんで、仮想敵国はあそこではないかというようなことを今特別
委員会で
議論をやっておるんですよ。そういうときであればあるほど、在日朝鮮人の皆さん方が切望している受験資格だけでもせめて認めてくれという問題に対して、
日本の文部行政がそこにひとつ温かい手を差し伸べていくということは、私は重要な
意味をさらに持ってきたと思うんです。
だけれども、このことを
文部省にやれと言ったって無理なわけで、一条校という枠もあったりしてなかなかできない。だからこれは
文部大臣だと私はずっと言っている。あなたの在任中にそれはやられることですよ。いかがでございましょうか。