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1999-05-13 第145回国会 参議院 文教・科学委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年五月十三日(木曜日)    午前十時二分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         南野知惠子君     理 事                 狩野  安君                 馳   浩君                 江本 孟紀君                 松 あきら君                日下部禧代子君     委 員                 阿南 一成君                 北岡 秀二君                 世耕 弘成君                 仲道 俊哉君                 石田 美栄君                 佐藤 泰介君                 本岡 昭次君                 山下 栄一君                 畑野 君枝君                 林  紀子君                 扇  千景君                 田名部匡省君    国務大臣        文部大臣     有馬 朗人君    政府委員        国土庁防災局長  林  桂一君        文部大臣官房長  小野 元之君        文部省初等中等        教育局長     辻村 哲夫君        文部省教育助成        局長       御手洗 康君        文部省高等教育        局長       佐々木正峰君        文部省学術国際        局長       工藤 智規君        厚生省医薬安全        局長       中西 明典君    事務局側        常任委員会専門        員        巻端 俊兒君    説明員        文部大臣官房総        務審議官     高  為重君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○学校教育法等の一部を改正する法律案内閣提  出、衆議院送付)     ─────────────
  2. 南野知惠子

    委員長南野知惠子君) ただいまから文教・科学委員会を開会いたします。  参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  学校教育法等の一部を改正する法律案の審査のため、参考人出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 南野知惠子

    委員長南野知惠子君) 御異議ないと認めます。  なお、その日時及び人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 南野知惠子

    委員長南野知惠子君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  5. 南野知惠子

    委員長南野知惠子君) 学校教育法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  本案の趣旨説明は既に聴取いたしておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  6. 阿南一成

    阿南一成君 自由民主党の阿南一成であります。  我が国学校教育は、近年、ゆとりある教育実現を大きな柱として改革が図られてきております。十年後には大学全員入学になるのではないかと言われておりますが、大学の全入とは、ゆとりの行き着いた先であるような気も私はいたしております。したがいまして、法案に入ります前に、若干まず、小学校から大学までの日本学校教育あり方に大きな影響を与えておるゆとりある教育について、私見を述べながら、大臣の御見解を伺いたいと思います。  現在、ゆとりの中で生きる力を子供たちに育成するということで、今回の学習指導要領改訂におきましても授業時間数のカットが行われております。私は、資源のない日本世界の国と伍して対応していく上で、この方向を進めていって本当に大丈夫であろうかという気がいたすわけであります。  アメリカのクリントン大統領、それからイギリスのブレア首相はいずれも教育問題を政策中心課題に置いております。そして、国力、経済力向上のために、教育水準向上教育政策の最優先課題としていると思います。まさに、我が国とは逆方向へ向けた教育改革教育政策であるわけであります。そのときに当たって、何ら資源のない、マンパワーのみが頼りの我が日本教育改革方向性について、荒れる生徒に目を奪われてのボタンのかけ違いがなければよいがというふうに思うものであります。  ゆとりある教育によって、学校の荒れをなくしたいという期待があることは十分理解はできますが、また、万人に受けがいいゆとりは、これまでの指導要領改訂の際にも必要性がしばしば指摘をされまして、過去においてもその都度、教育内容の精選と単位の削減が行われてまいりました。高校必修単位昭和三十年代は六十八単位であったと伺っております。四十年代は四十七単位、五十年代は四十単位と下回っております。また小中学校も、昭和五十二年度の指導要領改訂教科内容を三割減らす、今回またさらに三割を減らすということであるようであります。  したがいまして、昭和三十年代それから四十年代に育ってきた世代と、平成十四年度から始まる完全学校五日制時代子供を比べると、勉強内容が半減をする計算になるのではないかと思うのであります。大学での入試科目も、子供の少子という傾向のために、受験生を確保するということもこれあり、大学入試科目も減らすという傾向にあります。ゆとりの名のもとに、小学校から大学までが勉強のハードルを下げていっておるのではないかと思います。それで果たして、いじめ校内暴力、不登校高校中退が減少したかというと、そうでもないわけであります。  いじめは陰湿化し、校内暴力や不登校高校中退は年々ワースト記録を更新しております。最近は授業が成立しない学級崩壊まで起きております。詰め込み教育が行われ、受験戦争が激しかった昭和四十年代には考えられなかった現象ではないかと思うのであります。過度詰め込み教育受験戦争の弊害という点が強調されておりますが、最近の調査をいろいろ見てみますと、子供勉強時間はだんだん少なくなっているという結果が出ております。学校嫌いによる不登校授業についていけない子供には、それぞれ別途の方法で対処すべきではないのか。公教育の全体の平均レベルを落とすという発想は、私は支持できないということを申し上げたいと思います。  資源のない日本世界の国と伍していくとき、我が国教育改革が、教育水準低下を招きかねない、ゆとりある教育などとのんびりとしたことを言っていて本当に大丈夫なのかというふうに私は考えております。この点について有馬大臣の率直な御所見を伺いたいと思います。
  7. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 御指摘の点は、我々も重々検討をしているところでございます。  ただ、時間数を減らすことの理由一つは、完全学校週五日制を導入するということがあるわけであります。世界の国々、先進諸国を見てみますと、ほとんどのところがもう既に五日制になっている。まだドイツ、ロシアが六日ないしは現在の日本と同じように隔週に五日、隔週に六日という制度はございますが、フランスは場所によっては四日制の学校すらできている時代でございます。こういうふうなことから見て、やはり五日制ということは導入をするのがしかるべきだと我々は考えました。  そういう点から、どういうふうに今後教育充実させていくかということが問題でございまして、先生の御指摘ゆとりを重視し過ぎていいだろうかという問題はもちろんございますが、一方、子供たち学習状況を見てみますと、確かに計算技術とか何かは強いんです。ところが、応用になるとだめなんです。そこで、そこをどうするかということがございまして、単に物事をたくさん覚えるというのではなくて、自分考え自分で問題を解決していくといういわば自主性、それを身につけていかなければならないだろうと考えた次第でございます。  そういう意味では、体験活動というふうなもの、そして体験活動などを通じて自分考えてみる時間を確保することが非常に重要である、これが多少御批判のあります授業内容を減らしていくということでございます。  そういう意味で、先ほど申しましたように、完全学校週五日制を平成十四年、二〇〇二年から実施する際に、まず体験活動というのをふやそうではないか、体験活動の機会をふやすということが第一。それから、教育内容基礎基本、この基礎基本は絶対きちっと教えなきゃいけませんが、基礎基本に厳選をしていくということで、そういう意味でのゆとりを持って、そこで自分考え自分で体験していくということを何とかやりたいというふうなことで、少なくとも教えた学習内容は確実に身につけることができるようにいたしたいと思っております。  確かに御指摘のように、共通に学ぶ知識の量は前よりは減ると思います。しかし、たびたび申し上げますが、ゆとりを持って読み書きそろばん、現在であれば読み書き算になりますが、などの基礎基本をしっかり習得するとともに、学ぶ、勉強するという意欲や、どういうふうに学んでいったらいいかとか、あるいは知的好奇心探求心などを身につけさせる、そういうふうに生きる力としての学力の質を向上させることが必要であると考えている次第でございます。
  8. 阿南一成

    阿南一成君 私とは若干意見を異にするようでありますが、大変丁寧にお答えをいただき、ありがとうございました。いましばらく私の見解を述べさせていただきます。  私は、新学習指導要領にはゆとりに対する過度期待があるというふうに思っております。ゆとりを有効に利用できるのは実は一握りの子供である、他の大部分はゆとりに流されるという危険性があるのではないかと考えております。子供がストレスに弱くなり忍耐力がなくなる、子供を大事にしようとして子供が逆にひ弱になっていくということもあろうかと思います。私は、学校教育においても、子供を大事にしようとして逆の効果を生んでいるのではないかというふうに思うのであります。  教育課程審議会答申はまず、学校は伸び伸び過ごせる楽しい場所でなければならないとしておりますが、私は、困難に挑戦し、挫折や失敗を味わいながら、やり遂げることによって得る達成感満足感、そして忍耐力挫折感などさまざまなものの総体が生きるということであり、生きる喜びであると考えております。そして、それが子供を人間的に成長させるのではないかと考えるものであります。  ゆとりや楽しい学校が強調をされ過ぎますと、子供関心興味に基づく教育活動という方針のもとで、学校子供の好き嫌いやわがままに振り回されるのではないかとの懸念を抱くのは私一人ではないと思うのであります。学校教育が成り立つためには、最低限教師の言うことを生徒が聞くという関係が成立していることが前提である、これが私の考え方であります。  このような懸念に対する大臣の御所見を伺いたいと思います。
  9. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私たちが楽しい学校と言っている理由を今から申し上げます。決して自由放縦にさせるということが目的でございません。今から少し申し上げたいと思います。  御指摘のように、学校という集団生活の場で先生生徒信頼関係が確立する、そして一定規律が守られるということは当然必要なことと思っております。最低限のしつけというのは、家庭並びに学校、そしてさらに地域社会教育を通じて子供たちが身につけるべきだと思っております。  ただ、私が非常に心配をしておりますことは、不登校がふえてきているということ、それから、文部省が昨年二月に行いました学校教育に関する意識調査におきまして、学校生活が楽しくない、不満だというふうに答えた子供が小学生で約九%、中学生で約三四%、高等学校に至りますと四五%となっているということが非常に気にかかることでございます。なぜかということを聞いてみますと、授業がわからない、授業内容ややり方、進め方に不満があるというのが最も多かったわけであります。  こういう状況を考慮いたしまして、これからの学校教育においては、子供たちにとってまずわかりやすい授業はやっぱり必要だと思います。わかりやすい授業が展開されて、基礎基本は確実に身につけることができるようにする、そしてまた子供たちが、学ぶことは楽しいことなんだ、そして勉強したことに対して充実感を味わうことができるようになること、そして自分たち自分興味関心のあることについてじっくり取り組むことができるようにする、そして好奇心を育てていく、こういうことが非常に大切であると思っております。こういうふうな観点に立って学習指導要領改訂を行ったところでございます。  要するに、子供たち学校自分勉強しているんだという存在感、それから自己実現自分がやりたいことを実現しているんだという喜びを何とかして味わってもらえるようにしたい、子供たちにとって本当の意味での勉強する場、学びやであるというふうなものを実現していきたいと思っている次第でございます。
  10. 阿南一成

    阿南一成君 それでは、少し方向を変えて質問をしたいと思います。  新学習指導要領内容は、現在の授業時間の八割で履修できる内容になっており、授業についていけない子供はほとんどいなくなると大臣も述べておられます。これはこれで私も大変結構なことだと思うのでありますが、他方、現在の内容でも十分に理解をし、さらに勉強したいという子供もいるはずであります。こういう子供たちは、学ぶ楽しさがなくなり、知的好奇心を失い、学校授業興味を失うことになるのではないかというふうに思うのであります。  このような子供たちに対する教育内容指導方法について大臣はどのようにお考えでありましょうか。
  11. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 先ほど御答弁申し上げましたように、新しい学習指導要領におきましては、多くの知識を単に覚え込ませるのではなくて、子供たちが主体的に学んでいく体験的な学習、問題解決的な学習を積極的に取り入れて、学ぶ楽しさを味わわせつつ、知的好奇心探求心を養うことを重要視しております。また、学習内容を確実に習得させるために、ここのところでチームティーチングなんかに大いに活躍をしていただいているわけでありますが、個別指導グループ別指導習熟度程度に応じた指導チームティーチングなど個に応じた指導充実を図っているところでございます。これらによって、子供たちに学ぶ楽しさや知的好奇心、御指摘の重要なことであります知的好奇心の育成を図りつつ、学習内容理解程度に応じた指導充実が図られるようになると考えております。  また、中学校高等学校においては、共通に学ぶべき必須の内容を厳選しております。そうしながら、生徒が選択してやりたいことを勉強できる、学習の幅を前よりも拡大しているところでございます。こういうことによりまして、生徒興味関心進路希望等に応じて学ぼうとする分野については、従来以上に生徒の意欲的、主体的な学習活動がより活発に行われ、より深く高度に学ぶことができるようになると考えております。  今後、こういうふうな考え方だという学習指導要領趣旨の徹底を図って、児童生徒の特性に応じた教育充実を図ってまいりたいと思っております。そういう点でひとつ御理解を賜れれば幸いでございます。  中央教育審議会答申の中に、ホワイトヘッド言葉を引用いたしまして、教えることはなるべく少なくせよ、しかし、一たん教えたことは徹底的に教えろ、覚えさせろ、こういう言葉を引用しておりますので、多少内容は減るかもしれませんが、実力は身につくと思いますので、どうぞ御理解賜れれば幸いでございます。
  12. 阿南一成

    阿南一成君 学ぶ楽しさを塾で知るということにならないだろうか、塾通いが一層ふえ、私立学校への進学熱がますます高くなり、親の経済的負担を増加させることにならないか、そして、かつての日比谷や小石川といった名門都立高校が没落していったごとく公立学校のさらなる地盤沈下が進み、親の意識や所得などによる教育階層差が今まで以上に拡大することにならないか、塾や私立学校のない地方の能力のある子供はどうなるか、不公平な社会になるのではないかというふうなことを危惧しております。  しかしながら、この問題については今後も伺っていきたいと思いますので、きょうはこの程度にいたしまして、この点について御答弁は必要ありません。  学校教育法等の一部を改正する法律案質問に入らせていただきたいと思います。  まず、本改正案でありますが、大学の今のあり方を問い直して、二十一世紀に向けて大学が魅力あふれる場所となるための制度改正が盛り込まれておると見ております。  ただ、現在の大学生のあり方に限って見てみますと、二十一世紀に向けて見通しが開けていかないのではないかというふうに思うのであります。学生の質の低下が、今回の法改正に当たっての議論にたびたび指摘をされております。こうした問題は、大学関係者の間で幾ら議論してもなかなか展望の見えない問題ではなかろうかと思います。  基礎学力低下の原因についてさまざまな論点があると思いますが、我が国学校教育機関、特に公立学校教育現場が一方的な世間の批判を浴び続け、本来、若者指導者であるはずの現場教師が疲労こんぱいし切っていることが大きな要因の一つではないかというふうに私は考えております。  本来、教育の場は、まず先人の教えに聞き従い、知識、見聞を広めた上でみずからの考えを構築していく場であろうと思うのであります。しかるに、今日の教育現場では、若者に世の習いを教え諭すこともなく、本来の意味生徒指導することは極めて難しい状態にあるのではないかと思っております。家庭地域若者社会人として生きていくすべを教える機能を失いつつある今日、学校教育がいかなる役割を果たすべきかしっかりと見きわめていかなければならないと思います。  私は、学校側が必要と考える点は毅然とした態度で教育を行い、周りも学校側の真意を理解するための努力を惜しまず、納得した上で積極的に学校側取り組みを支援していくべきであると思います。そうして社会の中で学校の持つ役割を定義し直すとともに、その活動を最大限に尊重していく姿勢が求められているのではないかと考えておるのであります。  管理教育といった言葉は、これまでマスコミなどでは否定的に使われてきました。我が国未来を担う子供たち教育における一定レベル水準を維持していくために、こうした観点が不可欠ではないかと私は個人的には思っております。必要最低限の見識を身につけるためには、社会的なコンセンサスを得た上での適切な指導教育が不可欠であろうと思いますが、学校現場、ひいては学校制度に対する社会的批判教育現場自律性あり方について、大臣の御見解を伺いたいと思います。
  13. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) たびたびいろいろな場所で申し上げていることでありますし、御答弁でも申し上げたことでありますが、大学というものは教育及び研究をやっていくところである。もう少し大学人教育にも重点を置いてほしいと思っております。大学に従事しております教職員は、研究は非常に喜んでやるんですが、どうも教育という方でやや弱いところがあるように思います。そういう意味で、まず大学での先生たち教育に対する熱心さということを少しお願いしたいと思っているわけであります。  それから、今お尋ね管理教育というふうなことでございますけれども、これからの学校教育においては、子供たち基礎基本の確実な定着を図るということがまず必要だと思います。みずから学び、みずから考える力を養成することが重要でございます。そのために、先生方子供たちの気持ちを酌み取ったり、興味関心を踏まえた教育を行うことが大切だと思っております。  しかし、このことは、学校教育の場を子供たちの自由に任せてしまうという意味ではございません。学校集団の場として学習の場である以上、教える者と教えられる者との間の信頼関係前提一定規律が守られ、適正な学校活動が進められる必要があるということは言うまでもないことでございます。こういうふうなことでありまして、決して勝手に子供たちが走り回るというふうなことを許すわけではございません。
  14. 阿南一成

    阿南一成君 それでは次に、産学連携における透明性の確保についてお尋ねをしてみたいと思います。  当委員会においては、有馬大臣就任以降、特に科学技術立国創生を二十一世紀我が国至上命題と位置づけた議論が活発に行われております。我が国未来がこうした方向に向かうことは必然のことであると思います。しかし、産学連携、特に医薬品の開発に関してはさまざまな不祥事を目にするたびに、大学に対する社会一般の信用が失墜をしていき、ひいては科学技術全体に対するイメージの低下にもつながるのではないかと懸念をするところであります。  昨年の通常国会においては、研究交流促進法の一部改正法あるいはTLO法が成立をいたしました。その積極的な活用が期待されているところであります。しかしながら、昨年の名古屋大学医学部における新薬開発をめぐる汚職事件とその後の大学側の反応に見られるように、産学の癒着を問う声の高まりにつれて、産学連携にブレーキをかける動きが生じるのもやむを得ないことであると私は思うのであります。  しかしながら、これからの我が国大学に求められるのは、社会批判に真っ向からこたえていける、透明性がきちんと確保された産学連携ルールを構築していくことであろうかと思います。我が国の世論には、大学人産学連携への取り組みなど社会の一員としての責務を果たしていくべきであるとの主張とともに、大学研究者は世俗にまみれることなく研究に専念すべきであるという考え方もあるわけでありますが、大学人の中にもこうした不祥事に敏感に反応する向きもあると思うのであります。むやみに研究資金を欲しがる教授側意識の低さも問題ではありますけれども、資金の流れは、学内はもとより、学外からも透明性を確保しておく必要があり、こうした暴走を許さない、だれにとってもわかりやすいルール大学側が整備しておく必要があろうかと思うのであります。  ここで具体的にお伺いしたいのでありますが、昨年の名古屋大学の例で見ますと、個人あてフリーハンドで保たれた研究資金を全額合法的に受け取ることが国立大学教授にとって可能であるのかどうか、あるいはこうした制度を創設することは可能なのか、また私立大学教授の場合はこれはどのようになるのか、この点についてお伺いいたしたいと思います。  さらに、今日の産学連携の推進的な一連の施策が、制度面での弾力化、一層の規制緩和を指向しており、柔軟な枠組みの中においても、共同研究に携わる者が職業人としてのモラルをしっかりと持つことが肝要であります。特に大学側には、経済社会の論理を第一に動く産業側とは一線を画した自律的な判断が求められるところであり、そうした中からこそ、社会への貢献と学術の発展の双方に資する研究が生まれてくるのではないかと私は思うのであります。  有馬大臣は、名古屋大学医学部事件を受けて行われた昨年十二月の産業界関係者との懇談会におきまして、産学連携振興へのかたい決意を表明されたとのことでありますが、共同研究に当たる大学側意識改革と、透明な連携システムの確立に向けての今後の取り組みについて御所見を伺いたいと思います。
  15. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 大学産業界地域社会との連携協力というのは極めて重要だと思っております。それは大学のみならず社会にとっても有益であると思いまして、積極的に推進していく必要があると考えております。  しかしながら、今御指摘のように、産学連携協力に当たっては注意しなければならないと思います。いやしくも、特定企業との関係等について、国民の不信を招いたり社会の疑惑を招くことのないようにしていかなければならないと思います。そういう意味で、個々の教員の倫理意識透明性の確保が不可欠であると考えております。こういう観点から、今まで文部省におきましては、産学連携協力に関する諸制度をまず整備いたしております。  第一に、外部資金は私的に経理せず、歳入歳出予算に計上すること。第二に、適切な審査機関の審査を経て受け入れること。第三に、兼業を伴う場合は正規の手続を経る、などということで適正な取り扱いを求めてきたところでございます。  今御指摘の昨年の名古屋大学医学部における贈収賄事件に関しましては、私は大変残念なことだと思っております。このような正規の手続をきちっと行っておられたらば問題はなかったと思うのですが、こういう正規の手続による適正な取り扱いがなされずに、いわば教官個人のモラルに帰する部分が大きいものと推察しております。  ただ、今回の事件によりまして産学連携協力の推進に支障を及ぼすことがあってはならないと考えておりまして、既に昨年九月八日付事務次官通知等により各機関に対して、まず第一に綱紀の粛正を求めると同時に、第二に適正な手続による産学連携協力の一層の推進に配慮するようお願いをいたしたところでございます。  また、昨年十二月、文部大臣主催の懇談会を開催いたしまして、こういう産学協同におけるルールやモラルを中心に産業界大学関係者等と意見の交換を行いましたし、学術審議会において産学連携あり方や今後の推進方策について詳細な検討をいただいているところでございます。  さらに、企業等に向けまして啓発パンフレットをこの三月末に作成いたしました。  今後とも、いろんな諸制度充実に努めながら、各種の会議やパンフレットの配布等を通じまして趣旨の徹底を図り、適正に措置してまいりたいと思っております。
  16. 阿南一成

    阿南一成君 次に、三年在学での学部卒業制度というものが導入されるようでありますが、この乱用問題について若干私の見解を述べたいと思います。  改正案の柱の一つである三年以上の在学で学部の卒業を例外的に認めるということでありますが、この制度は、本来であれば、四年間真剣に学業にいそしんだ上で百二十四単位を修得して卒業していく学部教育に対し、例外的に優秀であり、かつ、早期に学部教育を終え、目的意識を持って多方面においてその才能を発揮しようという明確な意識を持った学生のための特別の措置であり、希有な才能に対する早期教育の一環であると私は理解をいたしております。  しかし、例外的な運用がその本旨であるにもかかわらず、三年の卒業が、さきの答申で言うような厳格な成績評価抜きに制度だけが導入をされるとなりますと、質の下がった大量の卒業者を出す結果になることが危惧されるのであります。  大学側の徹底的な教育機能の基盤整備が前提となる制度であることは繰り返し説明をされておるようでありますが、何らかの保障措置がなくては、法制面での縛りが国立に比べて緩やかな私立大学の中には、少子化による買い手市場の中にあって、三年卒業を売り物にするところがあらわれないとも限らないのではないかというふうに思っております。  これまでも、特に文科系の学部では、就職活動の早期化により、実質の学部教育は三年間となっており、修得したとされる百二十四単位の中身が問題視されております。その一方で、理科系の学部にありましては、実験などにより、四年間にわたりきっちりと研究に取り組まなくては容易に卒業できないところも多いのが現実であります。こうした分野においては、三年間で百二十四単位を修得するということは至難のわざであろうと思います。  すべての大学で理科系、文科系を問わず単位の実質化が図られ成績評価が徹底されれば、三年での卒業制度の導入の有無にかかわらず、学部教育の質の向上期待できると思うところであります。各大学に対し、学生の質的向上に取り組むための問題提起として、厳格な成績評価が要求される三年在学での学部卒業の制度の検討を行うことを大学関係者に望むものであります。  そこで大臣にお伺いいたしますが、この制度導入の前提となる厳格な成績評価システムがきちんと機能するものとなっているか否かをどのようにして判定するのか、国立と私立ではその担保策に違いがあるのかどうか、お伺いをいたしたいと思います。  また、安易な制度の導入に対しては、しかるべき手続を踏まえた上での運用停止命令を含めた是正勧告がなされるべきではないかと考えるのでありますが、有馬大臣の御見解をお聞かせください。  また、学部三年での卒業制度の可否は、社会的評価を待つべきであり、長い目で見ていく必要があるとの声もありますが、大臣の御所見をお伺いいたしたいと思います。
  17. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) この三年以上の、そして四年未満の在学で卒業を可能にするという措置につきましては、御指摘のように学部教育の質の低下を招くことのないようにしなければいけないということが大前提でございます。  各大学が早期卒業の措置をとり得る場合としては、国公私立大学を通じ、責任ある授業運営や厳格な成績評価を行い、かつ、学生の履修科目登録単位数の上限設定等が行われている場合に限ることを文部省令等において明らかにすることといたしております。また、各授業で適切な成績評価がなされるためには、まず各教員の意識改革教育内容授業方法の改善が重要であると考えております。そういう意味で、大学における組織的な研究、研修、ファカルティーディベロプメントと言われておりますが、その実施に努めるよう制度上明確にすることを考えております。  その上で、文部省といたしましては、この制度が適切に運営されるよう、その施行通知や各種会議等により周知徹底に努めるとともに、この制度の運用基準や運用の実態について大学として広く社会に公表していくよう、御指摘の点を十分踏まえまして各大学に対して促してまいりたいと思っております。
  18. 阿南一成

    阿南一成君 次に、大学教育水準向上の具体策について若干お伺いしてみたいと思います。  二十一世紀初頭において我が国の高等教育世界的な教育水準教育を展開していくための方策の一つとして、恐らく学校教育法の改正案において優秀な大学生の三年卒業という特例措置が盛り込まれたものだと思っております。  優秀な学生の才能を伸ばしていくことは歓迎すべきこととは思うのでありますが、一方では、マスコミ等の情報によりますと、東京大学の受験生、合格者などにおいてもその学力が相対的に低下してきておると言われております。合格者の中に占める現役の比率が上昇し、昨年は六七%が現役合格であった、さらに合格者出身校の上位二十校からついに公立高校が消えた、中高一貫の私立高校からの現役でという傾向がさらに強まっておるというふうに書いてあります。  知の再構築を求めるという高等教育改革の中で、東京大学などにも及んできた学力低下について、大臣は現状をどのように見ておられるのか、また、高等教育全体の学力向上を図るためにどのような措置が必要と思われておるのか、大臣の御所見を伺いたいと思います。
  19. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私は、学力低下してきているということについての客観的データをまだ持っていない。初中教育のことについては私も非常に心配で、例えば国際比較で落ちてきているか等々について注意深く見守っておりますけれども、歴然と学力が下がったというふうなことはないと思います。  ただ、かなり教育内容が、昔に比べて高等学校教育が多様化したことは事実であります。必修科目あるいは選択というふうな多様性がふえたために、生徒諸君、学生諸君の実力においてさまざまなばらつきがある、実力がばらつくというより知識の持ち方にばらつきがあるという面が明らかにあると思います。そういう意味で、私はかつてから大学における補習授業というふうなものが必要になるであろうということは予言しておりましたし、実行するよういろいろお願いをしているわけであります。  しかし、東京大学の学長をやっておりますころから心配をしておりましたことは、特定の学校からの入学者が非常に多いという問題であります。  完全週五日制に臨んだときに、それが実現したときにぜひお願いをいたしたいことは、国公私立いかなる学校であろうと、初中教育のいかなる学校であろうと、やはり五日制を守っていただきたいと思っております。すなわち、現在はまだそうなっていなくて隔週に五日、隔週に六日という制度をとっております。そうすると、ある幾つかの学校はこれをやらずに常に六日授業をしているというふうな学校があるわけであります。有利になるわけですね。そういうことのないようにしてほしいと思っています。  ただし、今までは、そういう隔週に五日、隔週に六日という現行の制度が導入されたにもかかわらず、教育課程の内容が変わっていないということで、もともと六日制に対してつくられた教科内容であるから、ちゃんと教えようと思えばどうしても六日やらなきゃいけないんだという御主張が多かったと思います。しかし、今度はちゃんと完全週五日制が導入される、その際に向いてカリキュラムを新しくしているわけでございますので、ぜひともいかなる学校であろうと五日制を導入してほしいと思っております。
  20. 阿南一成

    阿南一成君 それでは次に、学問の自由、大学の自治について若干お尋ねをいたしたいと思います。  今回の改正法案では、全学の評議会、学部の教授会について、今まで不明確でありました審議事項をはっきりさせようとしておられるようであります。これによって今までの学部教授会中心の閉鎖的な体制を改め、学長、学部長がリーダーシップを発揮しやすい体制をつくるということであろうと私は理解をいたしております。従来からもこうした問題は指摘をされておりまして、学問の自由や大学の自治といった大きな壁が立ちはだかってなかなか実現ができなかった問題であったと思うのであります。  私も、昭和四十四年の東京大学安田講堂事件の後に、東京大学を管轄下に持つ警視庁本富士署長を二年ほど勤務させていただきました。そのときの経験から思いまするに、今日、この改正法案が、それほどの対決法案としての色合いも持たずにここに提案されてきたことに隔世の感を感ずるとともに、時の流れを感じる者の一人であります。大学と企業との研究協力や産学連携の問題などを考えますと、学外との連携が行き過ぎて、大学が企業とべったりになって主体性を失うということは決して好ましいこととは思いませんが、一方で、大学が象牙の塔に立てこもってすべてのことを学部教授会で審議をする、一つの学部の教授会が反対をすれば大学として何も決められないというようなことは早急に改められてしかるべきであると長年思ってきた者の一人であります。  大学運営については、教育研究面での自主性と、公共機関としての合理的で責任ある運営という二つの要請をいかに調和させるかということが最大の問題であろうかと思うのでありますが、今回の改正案はこの両者の関係をどのように考えてどのように整理しておられるのか、大臣の御見解を伺いたいと思います。
  21. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 国立大学社会経済の変化あるいは学問研究の動向等に適切に対応していくためには、大学教育研究活動に関する自主性を確保しつつ全学的な観点から一体的な運営を行い、その機能を総合的に発揮していくことができるよう、学長を中心として学内の意見を適切に集約しつつ全学的視点から合理的で責任のある意思決定を行い、かつ社会に対する説明責任を明確にすることができるような仕組みを整備する必要がある、こういうふうに考えておるわけでございます。  こういった観点に立ちまして、今回の法案におきましては、国立大学内部の各機関の役割分担の明確化を図るという観点から、評議会や学部教授会の設置や所掌事務等について規定をし、合理的で責任ある意思決定と実行を可能にするようにするとともに、運営諮問会議の設置などにより社会に開かれた国立大学実現しようとするものでございます。  これらの措置は、教育研究に関する大学自主性の尊重を前提としており、このような仕組みを整えることを通して、大学としての自律性をより高め得るものであるというふうに考えておるところでございます。
  22. 阿南一成

    阿南一成君 それでは次に、筑波大学の問題について若干お伺いしたいと思います。  学問の自由や大学の自治ということが大きな社会的問題となった昭和四十年代でありました。先ほども触れましたように、安田講堂事件が起こるなど全国的に大学紛争のあらしが吹き荒れたわけであります。その後、大学紛争の経緯を踏まえまして、文部省は新しい構想の大学づくりを進めたのでありますが、その一番手として筑波大学昭和四十八年に創設をされたものと理解をいたしております。筑波大学は、いわゆる新構想大学として、大学紛争後に生まれたさまざまな大学改革プランを具現化し、他の大学改革の範を示そうとしたいわば大学改革のモデル大学であったと私は思っております。  具体的には、教育研究の組織を分離し、それぞれの要請に柔軟にこたえるために学部制度を廃止いたしました。学群、学系制を導入したわけであります。さらに、全学的な中枢機能を強化するために副学長制を導入いたしております。また、学外者の意見反映のために参与会を設置したことなど、従来のシステムと全く異なる大学ができたと考えております。  今回の法案でも、運営諮問会議という学外の有識者機関を設置するところなどは、まさに筑波大学の参与会とも共通する部分があると思います。  筑波大学の構想の現時点での評価についてお尋ねをいたしたいと思います。筑波大学は、その創設から既に二十五年経過をしております。新構想大学としての評価をすべき段階にあると私は考えます。文部省として筑波大学の新しいシステムの試みをどのように評価しておられるのか、また今回の法案にどのように生かしておられるのかお伺いをいたしたいと思っております。
  23. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 筑波大学の設置に当たりましては、副学長あるいは人事委員会、さらには参与会を設置するなど、新しい組織運営の仕組みを導入したわけでございますが、そのねらいとするところは、社会に開かれた全学的な組織運営体制を整えるというところにあるわけでございますが、これにつきましては、例えば副学長の設置は平成十一年度において四十七大学、外部の有識者の意見を聞くための組織も七十大学で置かれるなど、各大学においてもそのような考え方が取り入れられているところでございます。  また、筑波大学におきましては、新しい教育研究組織として学群、学系を置く等の試みが行われたわけでございます。これは、教育研究上の新たな高度の要請に対応して柔軟な組織編制を可能とする教育研究上の仕組みを整えるという観点でございますが、これにつきましては、例えばでございますけれども、先端的、学際的な教育研究を実施するための大学院に、学部を基礎としない独立研究科であるとかあるいは連携大学院が設置されるなど、筑波大学の意図する基本的な考え方が他の大学にも広がっているところでございます。  今回の法案におきましては、社会に開かれた全学的な組織運営体制を確立するとともに、柔軟な教育研究組織の編制を行い、学術研究社会の変化に対応した教育研究を展開するという筑波大学の創設の理念を踏まえ、学内の諸機関の役割分担の明確化や運営諮問会議の設置など、学長を中心とした大学としての責任ある意思決定と実行が可能な仕組みを整備するとともに、大学院段階においても、各大学教育研究上の要請に適切に対応し得る柔軟な組織編制をとることができるようにするなどの改正を行うこととしたものでございます。
  24. 阿南一成

    阿南一成君 大学の評価制度について若干お伺いしたいと思います。  今回の法案には盛り込まれていないのでありますが、大学評価の問題はこれまで、平成三年の大学設置基準の改正により自己点検・評価の制度が実施されてきたと承知しております。昨年の大学審議会の答申では、その現状は必ずしも十分でないと考えられているようでありますが、この自己点検・評価の実施状況とその現状をどのように評価しているか。  また、大学審議会では第三者評価制度を導入することを提言しており、文部省では、そのための予算を確保して、評価機関を創設するために必要な準備のための作業を進めておると聞いております。大学評価の第三者機関の準備状況はどうなっておるか。  今後の大学改革方向は、大学自律性を高めるために規制緩和を進め、大学間での競争原理をもっと働かせようということになるのだろうと思います。  そこで大臣にお伺いいたします。  大臣自身はこれまで第一線の研究者として活躍されてきたわけでありますが、第三者評価の必要性と、その一方での評価の難しさということを十分認識されておると思うのでありますが、大学に対する第三者評価のあり方について大臣の御所見をお伺いいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  25. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) まず、第三者評価に入ります前に、自己点検・評価をどう考えるかということでございますが、よくここまでやるようになったと私は非常に評価しております。私がまだ東京大学の学長を務めていたころには自己点検ということすらなかなかできなかった。東大といたしましては最初にやりましたけれども、自己点検をやることによって、みずからをちゃんと見るということがやはり第一歩だと思っております。  しかしながら、第三者評価というものが必要だと私は長年思っておりました。自己評価、自己点検だけですと、どうしても外との比較が見えない。そういう意味では、公平に見る人がいて、第三者がいて、きちっとよいところ、問題点をよく見て、そして、大学にとって今後どっちへ進んでいったらいいかとか、こういうふうにしたらどうかというふうなことをちゃんと評価する、そういう第三者評価が必要だと私は思っております。  そういう意味で、大学教育研究内容方法の改善につなげる多元的な評価システムを確立することが必要であると考えているわけでございます。第三者評価の実施を通じまして、評価結果を各大学に戻して各大学教育研究活動の改善に役立てる、あるいは非常に勇気づけるというふうなことが必要であると思いますし、大学の諸活動状況や成果を多面的に明らかにして、それを社会にわかりやすく説明責任を果たしていく、そういうことをしていくことが必要であると思います。  今、第三者評価の設立に向けて調査準備を進めている段階でございまして、その準備に基づいてさらに創設に向かっていきたいと思っております。
  26. 阿南一成

    阿南一成君 終わります。
  27. 馳浩

    ○馳浩君 自由民主党の馳です。よろしくお願いいたします。  質問に入ります前に、私も時々大学で講義をしておる立場上、大学教育現場の話を少しさせていただきたいし、委員の皆様にも御理解いただきたいところがあると思うんです。  授業をする以前の問題であるということも多々ある。授業を始めようとすると、携帯電話が鳴って廊下へ出ていくとか、授業をしながら見ておると、お菓子を食べていたりおにぎりを食べていたりとか、本当にこれが大学生が先生から授業を習うという態度なのかなということを思います。捨ておけないものですから、私も大きな声で注意することもありますし、あるいは厳しい目で威嚇をして注意することもあります。注意をすればわかっていただけるんです。それで静かになった、やっと先生の話を聞くことができるような状況になったときに初めて私がしようとする授業内容を聞いてもらえる。二回か三回ぐらいの講義の中でまずそれをしておかないと毎年同じことの繰り返しになってしまう。私は二年ほど大学授業をしておりますけれども、残念ながら同じような状況で、それを考えると、より小学校、中学校高等学校教育現場先生方は大変な御苦労をされているんだなということを実感いたします。  大学の運営のあり方についての大改革の法案ではありますが、現場教授の皆様方が教育内容研究内容に一層取り組もうとしている現状で、学生のそういう姿勢が多々見られるということも、これは委員の皆様にも、あるいは文部大臣文部省の皆様方にも理解をいただきたいところだと思いますし、ひとえに大学だけ改革すればいいものではないということは、これも先ほど阿南委員もおっしゃいましたけれども、そういう大きな教育環境上の問題であるということをまず指摘した上で質問に移りたいと思います。  今回の法改正は、主に国立大学の組織運営体制を責任ある意思決定と実行ができるようにするための大改革と言っても過言ではないと思います。しかし、まだ十分とは言えません。平成十年十月二十六日の大学審議会答申にもあるように、国立大学の人事、会計、財務の柔軟性の向上と、第三者評価を中心とする多元的な評価システムの確立もあわせて実行されなければ、責任ある運営体制の確立自体の必要十分な改革とは言えないと思います。  この点について大臣の御所見と、あわせて、なぜこれらの改革も今回同時に実施されないのかお聞きしたいと思います。
  28. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) ともかく一番重要なことは、大学が現在の急激に変化しております社会や経済の変化に対応していかなければならない、それが一つ。それから、国際的な教育研究水準を確保していかなければならない。その社会的責任を果たすことができるようにするため、本法案において教育研究の質の向上や組織運営体制の整備を図るとともに、今後、国立大学の講座編成の柔軟化とか、その他人事、会計等の柔軟性の向上による大学自律性の確保、第三者評価の導入による多元的な評価システムの確立などを図りまして、二十一世紀に向けた総合的改革を速やかに推進していく必要があると考えております。  このために、人事や会計等の柔軟性の向上及び第三者評価の導入の具体化についても鋭意検討を進めているところでございますが、これらは予算と関連する事柄でもございますので、今後、予算要求及び所要の制度改正に速やかに取り組んでまいりたいと考えております。
  29. 馳浩

    ○馳浩君 予算との兼ね合いということでありますから、私たちも一生懸命努力いたします。  次に、大学の独立行政法人化との兼ね合いについて質問します。  大学の独立行政法人化について、平成九年の行政改革会議最終報告は、大学改革方策の一つの選択肢となる可能性を有しているが、長期的な視野に立った検討が必要と述べています。  ことしの中央省庁等改革推進本部の大綱によれば、「大学自主性を尊重しつつ、大学改革の一環として検討し、平成十五年までに結論を得る。」としています。  これら一連の決定と照らし合わせると、独立行政法人化は、今回の大学改革が成功すれば問題ありませんが、うまくいかない場合は現実味を帯びた有力な改革手段になることを明言するものであると思います。そういう意味で、独立行政法人化に反対する立場の大学人にはラストチャンスの改革案であると言ってもよいと思います。  また、二十一世紀を目の前にして、科学技術創造立国を国是としていかなければ国際的に太刀打ちできなくなる日本にとって、高等教育費のさらなる増額とあわせて独立行政法人化はやむを得ない二十一世紀大学の姿であると私は考えています。この点についてコメントがありましたらいただきたいと思います。  関連いたしまして、昭和四十六年に出されたいわゆる四六答申との関係です。四六答申は、大学が真に自律性と自己責任を持って運営されるためには、一、一定額の公費援助を前提とする公的な性格を持つ法人化、二、大学の管理運営の責任体制を確立する抜本改善、この二つに一つとの答申をしていますが、今回の改正はこの後者の改革と同視してよいと思われるのですが、いかがでしょうか。
  30. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) まず、中央教育審議会関係でございますが、昭和四十六年の答申において、国立大学の設置形態に関する問題の解決の方向として、御指摘の二つの方法を提案いたしております。しかし、これらの提案につきましては、答申自体において具体的な組織構成等を明らかにするに至らず、さらなる検討が必要とされておりますし、また、四十六年以降、国立大学を取り巻く状況も大きく変化をしておるわけでございます。  今回の法案におきましては、今日の国立大学が置かれている状況を踏まえまして、昨年の秋の大学審議会答申を踏まえ、教育研究の質の向上大学自律性の確保、組織運営体制の整備、多元的な評価システムの確立など、全体的な改革の一環として行っているものでございまして、組織運営体制につきましては、学長を中心として評議会、教授会等、学内諸機関の役割分担と連携協力による機動的な意思決定を行い、かつ運営諮問会議や情報公開により社会に対する説明責任をきちんとする、そういう内と外とに開かれた組織運営が行えるようにする、そういう観点に立つものでございます。  なお、先ほどの多元的な評価システムや、さらには人事、会計の柔軟性の向上といったような点につきましては、今後さらに所要の制度改正等を行ってまいりたいと考えておるところでございます。  独立行政法人化の問題につきましては、そういった一連の改革状況を見ながら、教育研究の質的向上を図る観点に立って検討を行ってまいりたいと考えておるところでございます。
  31. 馳浩

    ○馳浩君 わかりました。とにかく今回の改正に基づく改革が成功に導かれますことをまずは祈っておりますし、見守りたいと思います。  次の質問に移ります。  学校教育法五十五条の三について質問をいたします。この条文は、学生の主体的学習意欲とその成果の積極的評価を行う目的で、三年以上四年未満の在学で学部を卒業できるよう例外措置を定めたものであります。いわゆる卒業短縮を認めたものです。  一方、現状では、すぐれた成績を修めた者については学部三年修了時から大学院に進学する道も開かれていますが、この制度は今回の改正にもかかわらず存続するのでしょうか。まずお聞きしたいと思います。  といいますのも、今回の改正のもとになった平成十年十月の大学審議会答申によれば、現在の学部三年修了での大学院進学を認める制度は、学部教育の全課程の修了ではないため、学部卒業とはならず、学士号の取得ができない。そのため外国の大学院に進学できない等の欠点があるため、これを是正する必要から今回のような改正をすべきであるとの書きぶりになっています。したがって、現行の制度は廃止され、今回の卒業短縮制に収れんされるのではないかと思われますが、この点はいかがでしょうか。
  32. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) いわゆる大学院への飛び入学制度でございますけれども、これは、大学院の入学資格の弾力化として、学部の卒業とはならないものの、大学院が、すぐれた研究者の養成という観点から、研究者を目指す学生のために有効であると判断した場合にその入学を認めるものでございます。  したがいまして、今回審議をお願いしております、大学が三年以上の在学で卒業を認めるという措置とはそもそも制度趣旨を異にしてございますので、今後ともいわゆる大学院への飛び入学制度は存続をすることといたしてございます。
  33. 馳浩

    ○馳浩君 じゃ、制度趣旨が違うので、現行制度は存続ということですね。わかりました。  次の質問に移ります。  薬学教育充実と、この五十五条の三の卒業短縮規定との関係を伺います。  まず、厚生省に伺います。  現在、質の高い薬剤師の養成は極めて緊急を要する課題であると思いますが、この緊急課題を解決するためには、現行の学部での薬学教育が四年制で十分なのでしょうか。さらに、どんな点をより充実させるべきとお考えでしょうか。  この二点について伺いたいと思います。
  34. 中西明典

    政府委員(中西明典君) 薬剤師につきましては、御承知のとおり、医療の高度化、専門化が進んでいる中にあって、チーム医療の一員としての役割を果たしていかなければならない、あるいは医薬分業というものがどんどん進展しておりまして、患者さんに対して服薬指導充実、徹底を図っていかなければならない。そういった中にあって、その責務というものを十分に果たしていくためには、より一層の資質向上を図っていかなければならないというのが大きな課題であるというふうに認識いたしております。  厚生省といたしまして、平成六年に薬剤師養成問題検討委員会というものを設置いたしまして検討をお願いしたわけでございますが、その報告では、現在の薬学教育というのは、医薬品の適正使用に主眼を置いた教育が不十分であり、とりわけ医療薬学関連科目あるいは実務実習というものが不足しているという指摘がなされていると同時に、薬剤師国家試験の受験資格については、六年間の一貫教育を修了した者に与えることが望ましいが、当面の措置としては、大学院修士課程を活用することが考えられるという提言がなされているところでございます。  しかしながら、同時にこの報告書において、薬学教育の年限延長、これを検討するに当たっては、大学院の整備等、大学の受け入れ体制の整備の問題、あるいは病院等の実務実習のための受け入れ体制の整備の問題、また大学院に進まない薬学士の取り扱いの問題、さまざま解決していくべき課題があるということも同時に指摘がなされているところでございます。  こういったことを受けまして、厚生省といたしましては、文部省と協力し、日本薬剤師会を初め関係団体による薬剤師養成問題懇談会を開催しまして、こういった課題も含め薬剤師の資質向上のための方策について幅広く検討を進めてきているところでございますが、今般、この懇談会の構成メンバーに国公立あるいは私立の大学の薬学部、薬科大学等の関係者にも加わっていただきまして、その修業年限のあり方の問題を含め、幅広く検討を行っていくということで文部省とも合意しておるところでございまして、その懇談会の検討結果を踏まえて今後の方策につき検討し、対応していきたいと、かように考えているところでございます。
  35. 馳浩

    ○馳浩君 同じ質問文部省にしたいと思います。
  36. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 医療現場で働く薬剤師の資質向上ということが極めて重要な課題であるということを踏まえ、文部省といたしましても、各大学における学部段階での医療薬学や実習を重視した抜本的なカリキュラム改革を進めておるところでございますし、また、薬学系大学院につきまして量的、質的な整備を進めております。さらに、病院や薬局での実習につきまして、関係者間の協議の場を設け、大学地域の薬剤師会や病院、薬局が連携協力しながら充実するよう努めておるところでございます。  御指摘の薬学教育の年限の問題でございますが、大学大学院の現状、病院・薬局実習のための条件の整備状況などを考えますと、直ちに年限延長をするということはなかなか難しゅうございますが、文部省といたしましては、繰り返しになりますけれども、カリキュラムの改革あるいは大学院の整備、こういったものを積極的に進める中で、引き続き検討していきたいと考えておるところでございます。  先ほど厚生省からもお話がございましたように、薬剤師養成問題懇談会に国公立大学薬学部長会議あるいは日本私立薬科大学協会の代表者を加えて、修業年限のあり方など薬学教育充実方策について検討することといたしておるわけでございまして、今後とも関係省庁との緊密な連携のもとに、薬学教育充実に向けて取り組んでまいりたいと考えておるところでございます。
  37. 馳浩

    ○馳浩君 厚生省もお呼びしてこの薬学教育充実について改めてお聞きしたのは、実は私も一つの体験がありまして、数年前でしたか、地元の総合病院で、金沢医科大学という病院です。看護婦さんと一晩一緒に夜勤をさせていただきました。仕事を手伝うことはできませんから、そばに行ってずっと見ていただけなんですけれども、本当に休む暇もなくお忙しい。十二時間一緒に、寝ることもなくおりました。  そのときに看護婦さん方がおっしゃるには、この大学では一年ほど前から、薬剤師さんに入院患者さんのお薬というのを調剤していただいて、お医者さんと薬剤師さん、薬剤師さんと看護婦の連携のもとに、ナースステーションに持ってこられたお薬を、夜勤のときにちゃんと患者さんのもとに手当てしていくことになっている。つまり、お医者さんと薬剤師さんと看護婦さんと、お互いの役割を分担されていると同時に、お互いに連携しながら、患者さんのためのよりよい医療を提供しようという体制になっている。  こういう体制になったのは本当に一年ほど前からで、それ以前は、お聞きしましたら、これは南野委員長なども詳しいと思いますが、夜勤のときに看護婦さんが薬なども手当てしなきゃいけないという、物すごい膨大な仕事を抱えていたということなんです。  そのときに私は初めて、薬剤師さんの役割というものが、例えば総合病院だったら総合病院で非常に役割が大きいと思いました。と同時に、今後、医薬分業の問題もあります、高齢者の高度医療の問題にも発展してくると、その薬剤師さんの教育をどのように考えていくかということはまさしく、厚生省もそうですし、文部省としてもどのように充実していくかという考えがあると思います。  今の御答弁で大体わかりましたが、六年制を視野に入れておられる厚生省と、現在学部での薬学教育充実させることを視野に入れておられる文部省。しかしながら、薬剤師になろうとしている学生さんが、現場に出て実務研修ですか、これを一層充実させなければいけないという認識の一致、いろんな点で私は一致する点が多くあると思いましたし、そのための制度整備というものをしていかれるものだと期待もしております。  その上で、やっと本題に入ることができるのですが、第五十五条の三のところでございます。つまり、薬学部は現在四年制であることから、自動的に五十五条の三の適用を受けて卒業短縮が認められることにこのままだとなります。しかし、それでよいのかというのが私の視点でございます。  私は、薬学部の場合、卒業短縮は否定されるべきものと考えます。その理由は、先ほどから申し上げたような今後の医療、あるいは薬剤師、薬学、看護のあり方、この連携ということを考えたときに、短縮は認められないという考え方です。  そこで提案でありますが、五十五条の二項で六年制となっている医学、歯学、獣医学が、五十五条の三の適用外、すなわち卒業短縮を認めないことになっているのと同様に、薬学も適用外とすべきであり、この点を具体的には五十五条の三で定める文部省令で明らかにすべきと考えますが、いかがでしょうか。  ただし、その場合でも、文部省令では当分の間とするのが妥当ではないかと考えます。その理由は、これは五十五条の三の例外を認めることでありますから、本来、法律事項であること、さらに、薬学の学部教育の六年制も視野に置けば、将来、五十五条二項の改正で医学等とともに薬学も付加されるかもしれない。これは長期的な視点でありますが、この点に関しまして文部省はいかがお考えでしょうか。
  38. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 三年以上の在学で卒業を認める措置について、どの教育分野の学生にこれを認めるかということについては大学の判断にゆだねられておるわけでございますが、薬学につきましては、その教育上の必要性や国家資格との密接な関係などから多くの授業科目が必須となっており、また実習の占める割合が多いことから、在学期間を短縮することは適当ではないというふうに考えられますので、文部省令におきまして、在学期間の短縮の特例が適用されないよう措置することを予定しております。  なお、具体的な省令の規定の仕方でございますが、これについては今後検討することとなりますが、薬学教育の修業年限の延長については、今後、薬学教育を取り巻くさまざまな状況を勘案し検討することとしており、いまだ明確な目途を持たない、そういう状況にあるわけでございます。  そういったことを踏まえて、規定につきましては、状況の変化に応じて柔軟に対応し得るような規定ぶりとしたい、必要に応じて見直しができるような規定ぶりとしたいと考えておるところでございます。
  39. 馳浩

    ○馳浩君 よろしくお願いいたします。  ちなみにお聞きいたします。  今現在は、実習というのは、期間的には何週間あるいは何千時間、あるいは何カ月間と具体的にお答えいただけますか。薬剤師さんになろうとされる方々の現場実習ですね、いかがでしょうか。
  40. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 例えば、六年制ということを考えますと、六年制では六カ月間の実務実習を前提としておるわけでございます。四年制のもとにおける当面の目標は、病院や薬局での一カ月間の実務実習ということを考えておるわけでございますが、現在、それが実施されておりますのは十三大学にとどまっておるところでございまして、引き続き円滑な実務実習に向けての取り組み努力が必要であると考えております。
  41. 馳浩

    ○馳浩君 恐らくこれは厚生省さんも同じ考えだと思いますが、今後のことを考えれば、やっぱり六カ月間、このぐらいの現場での実習は必要であろうと。しかし、今現在は一カ月ですか、確認いたしますが。
  42. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 当面の目標として一カ月を念頭に置いております。
  43. 馳浩

    ○馳浩君 そうなんです。当面の目標として一カ月で、現実は一カ月じゃないんです。それだけの現場での実習しか今現在では縛りはかかっていないんです。それだけの実習しかしていない学生さんが薬剤師として国家試験を受け、現場に出ていくということを考えたときに、薬の取り違えとか、いろんな問題とか、社会問題に時々なっていますが、基本的に薬剤師としての資質として十分な実習期間を持っていただく、これは国民の健康を保持する上で、守っていく上で大切な教育機関としての私は務めだと思うんです。  たまたま五十五条の三の関係でこの問題を質問させていただきましたが、これはより一層教育現場では充実していただきたいと思いますし、厚生省としてももっと文部省に対して強く私は申し入れるべきだと思います。それだけのものを私は社会から要請されてきていると、そういう時代であると認識しております。それで結構です。  次の質問に移ります。  答申では、短縮卒業を認める場合でも、大学は学生に対して適切な学習指導、相談等を行い、学生の意思を確認するなどの教育的配慮をすべきと述べていますが、これは五十五条の三ではどういう形で配慮されるのか。  あわせて、同条が対象とする学生のうちの「これに準ずるものとして文部大臣の定める者を含む。」とありますが、これはだれを想定し、どういう意図でこの部分を盛り込んだのか、教えてください。
  44. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) この措置を実施する場合には、学生に対して適切な学習指導、相談等を行うなど十分な教育的配慮を行うことが必要でございますが、このことにつきましては、大学に対しまして法律の施行通知あるいは各種会議等において十分周知徹底してまいりたいと考えております。  また、当該大学に三年以上在学したものに準ずるものとして文部大臣の定める者といたしましては、同種の学校種である大学間で異動を行った者を想定しておりまして、具体的には、転入学した者、他大学を卒業し学士入学をした者、他大学を退学し再入学した者を考えておるところでございます。
  45. 馳浩

    ○馳浩君 次の質問に移ります。  今回の改正で問題となる国立大学の学内組織の基本的性格について確認をしたいと思います。この確認作業がきちんとできて初めて各条文の文言の意味が論理的に明らかにされると思います。  まず、大学の自治との関係で、学外の有識者の諮問機関である運営諮問会議は、大学の自治の主体であるのか、あくまで外部の組織なのか、この点の違いにより学長に対する助言、勧告権の内容が変わると考えます。  次に、学内組織に対する呼称で、執行機関と審議機関という呼称は、答申を読んでいても正確に使われていますが、これが法的な意味での意思決定機関となると、答申さらには条文においては判然としなくなります。  そこで質問ですが、学長、学部長、評議会、教授会は、法的意味での意思決定機関であるのか、単なる執行機関か、審議機関にすぎないのか、お答えいただきたいと思います。これにより、今回の学校教育法を含めた一連の改正のエッセンスが、現状における事実のレベルでの意思決定機関との対比の中で浮かび上がってくると考えます。  以上の二点にお答えをいただきたいと思います。
  46. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 運営諮問会議は、大学社会との関係がますます緊密化してくる中で、大学運営の重要事項について外部有識者の意見を聞くための組織として置かれるものであり、運営諮問会議の審議や助言、勧告を踏まえ、大学としてどのように対処するかは各大学の自主的、主体的な判断にゆだねられているところでございます。  今後の大学は、学長を中心として学内の意見を適切に集約しながら、全学的視点から機動的に意思決定を行い、かつ社会に対する説明責任を明確にし得る、内と外とに開かれた組織運営体制の確立が必要であり、運営諮問会議はそのために必要不可欠な組織として位置づけているところでございます。  次に、大学や学部の運営に当たり、最終的な責任者は学長、学部長でございます。その意味で、最終的な意思決定というのはその学長、学部長が行うわけでございますが、その意思決定に当たっては、学内や学部内の合意形成の観点から、評議会や教授会の意見を尊重することが必要でございます。そういった意味において、評議会や教授会は大学の意思決定に重要な役割を果たす機関ではございますが、あくまで審議機関でございまして、この点は従来から変わりはないところでございます。
  47. 馳浩

    ○馳浩君 一連の答弁をお聞きして言えることは、今回の答申では明確に述べられているとは言えませんが、多くの文献で指摘されている、事実上の大学の意思決定機関は教授会であり、さらに現在の憲法、教育法の文献で教授会こそが大学の自治の中心的主体であると述べていることを、今回の改正はこれを覆す大改革であると考えます。  問題は、ではこの事実は到底容認できないことかということになりますが、私は決してそうではなく、むしろ、ここまで大学は独善に陥り、社会の要請に遊離をして存在していたかを確認することができ、だからこそ今回の改正は大いにやるべきだと考えております。大学時代の要請や時代の変化にこたえてこその存在であることを忘れてはいけないと思います。  そして、この問題は、古くは昭和二十四年の大学管理法にさかのぼり、昭和四十六年のいわゆる四六答申から本格的に言われ続けている問題であり、今回ようやく悲願を達成する段階にまで来た問題ではないかと考えております。  そこで大臣にお聞きしますが、東大学長としても大いにこの問題にかかわってこられたお一人として、来るべき二十一世紀日本の繁栄、大学の進歩のためにも、もうほんのわずかなちゅうちょも許されない事態になっていると思いますが、いかがお考えですか。
  48. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 今までの大学の運営も、かなり一生懸命各大学はやっていたと思います、大学の名誉のために申し上げておきますが。ただ、評議会が何をやるべきところであるかとか、教授会はどういうことを審議すべきか、いろいろなことに関して必ずしも明確でなかったというふうなことを、きちっと今回定めていただくということであると思います。  こういうふうに、我が国国立大学が国際的な教育研究水準を確保して、知的な分野において国際貢献を行っていくためには、国立大学の組織運営の改革がやはり必要だと思います。  例えば、先ほど申しましたように、全学的な重要な審議機関である評議会、今までですとこれが暫定的な措置のままだったというわけです。それから、学部教授会との関係が不明確であった。こういうことでは、本来大学が持っている教育研究の総合的な力を十二分に発揮することはできないと考えているわけであります。先ほど申しましたように、今までも暫定的な措置の中で随分努力はしてまいりました。しかし、今回それをはっきりしようということであります。  それからもう一つ、率直に言って随分努力はしてきましたけれども、学外の人たち意見をお聞きすることが非常に難しかった。私は、たびたびいろんな方をお呼びして、東京大学におりましたときに懇談会を設けましたけれども、それだけでは不十分だと思っていたわけであります。そういう意味で、学外の声を積極的に取り入れて、社会に対して教育研究の成果を発信していく点でも不十分だったと思います。特に、大学が何をしているか、どこで苦労しているかなんということについて、まず社会の方々の御関心を引き起こして大学の現状をよく見ていただくというふうなことも大変必要だったと思います。そういう意味で、今回、外部の方の御意見が積極的に入れられるようにしたいと思った次第であります。  もちろん、国立大学の組織運営の改善に関しましては、各大学の責任と創意工夫が重要であると思います。また、こういう意識改革に取り組んでいる大学が既にあることもよく知っております。しかし、今日の、また今後の国立大学に対する国民の大きな期待と、その反面での社会的責任ということを考えますと、国の機関として多額の国費を得ている国立大学の組織運営の基本的枠組みについて国会の御審議をいただいた上で法律に定めることは、大変重要なことであると考えております。  私といたしましては、この法案の制定を機に、我が国国立大学が本当に社会に開かれた大学として責任ある運営を実現し、教育研究水準を飛躍的に高めることを望んでおります。そして、国際的に日本大学はすぐれていると言われるようにしたいと思っております。
  49. 馳浩

    ○馳浩君 運営諮問会議について質問します。  今ほど大臣から御説明がありましたとおりの役割期待されると思いますが、意見を聞くだけでも十分なところを、運営諮問会議は学長に対して随時、諮問事項に関係なく、助言並びに勧告までできるとなっています。  この勧告権まで付与したねらいとは何か、さらに、勧告権の法的効果はどこまであるのか、お聞きしたいと思います。
  50. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 運営諮問会議を設置しますのは、大学社会からの意見を聞き、社会的存在としてその責任を明らかにするというところにあるわけでございます。そういった設置の趣旨にかんがみまして、運営諮問会議を、単に審議のみを行う機関にとどめず、助言、勧告まで行い得るものとして設置したものでございます。  なお、運営諮問会議の勧告には法的拘束力はなく、これを受けた学長はその内容に従う法的義務を生ずるものではございませんが、この会議が設置された趣旨というものにかんがみて、学長にはそれを十分尊重する、あるいは参考とすることが求められようかと存じます。
  51. 馳浩

    ○馳浩君 さて、勧告権を付与したねらいはよく理解できますが、この勧告権についての評価が実は分かれております。  一方で、大学の自治主体でない運営諮問会議に勧告権を付与するのは行き過ぎだという反対意見、もう一方で、勧告権の付与は当然であり、むしろ、勧告が無視された場合を想定すれば、勧告権の実効性の担保がなく不十分だという、賛成だけれども不満だという意見、この二つに大別できます。  私自身は賛成だが不満だなという意見にくみしておりますが、この運営諮問会議に大学の自治の主体性がない以上は、事実上の効力しかない勧告権の付与が限界であり、法的拘束力を有する法的手段の付与はそもそも大学の自治に反すると考えます。その意味で、勧告権という選択については十分理解をしております。  しかし、勧告内容が例えばある教授会に無視されて、学長が勧告内容を実施できなかった場合、最終的にははいそうですかと引き下がるだけでしかないというならば、余りに勧告権の実効性が担保されていないと言わざるを得ません。  そこで質問ですが、これは最後の質問になります。  この問題は、勧告権の実効性の担保の問題であると同時に、これを実行する責任を負う学長のリーダーシップの問題でもあることから、勧告内容が実施されない場合の実効性の確保手段について具体的にどんなことを文部省は想定しておられるのかお聞きしたいと思います。これを最後の質問にいたします。
  52. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 学長は大学の運営について最終的な責任を負うわけでございまして、その場合に、大学の運営については評議会の、学部の教育研究については学部教授会の意見を踏まえて大学としての主体的な意思決定を行うわけでございます。その過程において、学内に異論があり、結果として勧告内容に沿った対応がとられない場合も想定されるわけでございますが、運営諮問会議の勧告を受けて大学としてどのように対応したかにつきましては、運営諮問会議自体に対してもこのような措置をしたということが報告をされるわけでございますし、また社会に対して公表をされることになるわけでございます。こういった手段というものを通して社会的な大学評価というものが大学当局に対してなされるわけでございまして、これらを通して大学において適切な対応を期待しておるところでございます。
  53. 馳浩

    ○馳浩君 社会に対して公表されるというのは、どういう形でなされるわけですか。それは想定しておられるわけですか。それとも、運営諮問会議自体が学外の第三者的な機関でありますから、勧告をしたということについて学長がそれを実行できなかったとしても、十分その過程においてマスコミ等を通じて外部の者が理解をすることができる、勧告を実現できなかった学内の体制について、まさしく学外からの評価が与えられる、こういうふうな考え方を私はしてよろしいのでしょうか。
  54. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 大学に対しては、今回の法案におきまして、教育研究あるいは組織運営の状況についての情報を公表することを義務づけておるわけでございます。  組織運営に関する情報といたしましては、運営諮問会議でどのような議論が行われ、どのような勧告がなされたのか、それに対して大学としてどのような対応をしたのかということを世間に対して、国民一般に広く公表することとなるわけでございます。これを通しまして大学当局の対応の是非というものが問われるわけでございます。  これらの積み重ねを通して大学自体が、運営諮問会議の勧告を受けて、教育研究のより充実した対応、さらには組織運営の改善に結びつく対処をとることを期待しておるところでございます。
  55. 馳浩

    ○馳浩君 ありがとうございました。
  56. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 今の質問に関連して、ちょっと確認をさせていただきます。私も運営諮問会議の問題について幾つか質問を用意しておりました。  それで、最後に馳さんが質問しました運営諮問会議の議事概要などの公表という問題、それとさらに、どのような議事をしたかという議事録のようなものが公表されるということと同時に、助言、勧告を学長に対して行った、行った結果、学長がそれをどう受けとめたか、そしてそれを今度は大学の評議会なり教授会がどう受けとめて、先ほどおっしゃったように、それを尊重し参考として勧告に沿ったようなことになるのかならないのか、しようとしたのかしようとしなかったのかということまで含めて公開をするということにならなければ、これは意味のないことになるとずっと聞いておりました。  だから、公開というのは、どういう審議をしたかということじゃなくて、その審議した結果、助言あるいは勧告というものがあるならば、勧告したこと助言したことが一体どのような結末を迎えたのか、うまくいったのかいかなかったのかということも含めて公開をされなければ、今おっしゃったように、いわゆる法的な強制力とか拘束力でもって物事を進めていくんじゃなくて、やはり社会に開かれた大学ということで、国民のいわゆる共有財産としての大学がそこに存在していくというふうになるんじゃないかと私は思うんですね。  そして、そういうものに対して社会は正しい批判をする、正しい判断を下していくというふうになれば、法律でもってぎりぎりぎりぎり、勧告に違反をしたら法的に罰するぞとかいうことよりも、私は、学問研究大学の自治とかいうことにとって好ましいのではないかと思うんですが、いかがでございますか。
  57. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 御説のとおりでございます。  いずれにしても、現在、各大学から自己点検、自己評価というものを出しております。諮問会議が例えば勧告をした、それに対して学長並びに評議会等々がどういう議論を行い、どういうふうな反応をして実現に向かっていったか、あるいはできないと考えたか、こういうふうなことは、自己点検、自己評価、あるいはそれ以外の方法を使って社会に対して大学は伝えると思います。  これはもう当然のことであって、今までの大学のやり方を見ておりましても、間違いなく今後は、法律にもなりますし、ちゃんと公開をしていくと思っております。
  58. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 私が言いましたような内容の公開になっていくというふうに理解してよろしゅうございますか。そうすべきであると私は思いますが。
  59. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 運営諮問会議の設置の趣旨が、社会意見というものを聞いてそれを大学の運営に適切に反映をさせていくというところにあるわけでございます。そういう観点に立ったときに、運営諮問会議でどのような審議が行われ、どのような勧告がなされたか、それに対して大学としてどのような対応をしたのかということについて公表をしていくことが適当であるというふうに考えております。
  60. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 私もそれで納得します。  それでは、長年にわたって私は問題にしてきました在日外国人の大学受験資格の問題、きょうはひとつ政治家としての文部大臣議論をさせていただきたいと思います。  前回の質問の際、大臣の方から諸外国における在住外国人子女の教育に関する調査の進捗状況について若干の経過の御説明をいただきましたが、今、この調査はどのようになっておりますか。現在時点での状況を御報告いただきたいと思います。
  61. 工藤智規

    政府委員(工藤智規君) これまでも御答弁申し上げましたように、現在、外務省を通じまして、アジア諸国あるいは先進諸国を含めまして二十三の国・地域の政府当局と、それぞれの地域・国に所在いたします約二百の外国人学校調査対象として調査を行っているところでございます。  ところが、なかなかそれぞれの国の事情にもよりまして回答の回収状況がはかばかしくございませんで、現時点で約六割の回収にとどまってございます。ただ、その六割の内容につきましてもいろいろ問題がございまして、記入漏れが多いとか、あるいは精査しますと回答に矛盾があったりするとか、場合によっては手書きでちょっと判読が難しい部分があったりとかいうことがございまして、そのあたりを精査しながら、鋭意その回収、集計等の作業を続けてまいりたいと思っております。
  62. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 ことし四月十八日の朝日新聞が、外国人学校卒業生に受験資格を認める認めないのこの問題に対して、国立大学長に対するアンケートを実施したと。これは大臣文部省関係者もごらんになったと思うんですが、このアンケートを見ますと、大学大学や短大を含む百一大学のうち九十七大学が回答して、そのうちの四十六大学の学長が現状を改善すべきだ、七学長が検討すべきだと答えて、現状でいいと回答したのは十一人にとどまっているという結果になっております。  その新聞の中でいろいろ学長さんが勇気を奮ってコメントをなさっておられます。その一つを紹介しますと、国立大学協会副会長で東京外大の中嶋学長は、受験資格について、文部省の解釈と大学の責任者としての学長の判断の双方で決められるべきだ。国際的潮流から見ても、受験のスタートラインでは門前払いすべきでないとの見解を示しておられます。多くの現場の責任者が、今日のこの国際化時代に、こうした一貫して文部省が門戸を閉ざしているということに対して矛盾を感じ、対応に苦慮しておられると思うんですね。  そして、公立学校では半数近くが受験資格を認める、私学も半数近くが認める。制度として認めるとか認めないじゃなくて、実態的に、現状置かれている状況の中でそれぞれの大学が判断をして、認めるところは認める、認めないところは認めないというふうに対応しているにもかかわらず、国立大学だけが一様に認めてはならないとする、ここに私は問題があるのではないか、このように思うんです。  今回の法律の学長の権限とかというふうな問題がかなり大きな意味を持ってきますが、こうした事柄に関して、国立大学協会の副会長である中嶋さんがおっしゃっておるように、国立大学だから文部省の判断があってもいい、しかし、国立大学の学長としての判断というものは一体どうなるんだということを問題提起されているわけですね。だから、大学の入学というものは、あるいはまた受験をどうするかというのは、学長の判断によって行うというふうなことがあり、高等学校を卒業しなくとも、二年生を修了した段階で入学を認めるという大学があってもいい、いや、私のところはやらない、こういうふうなことであるべきではないかと私は思うんです。  そういう意味で、こうした大学あり方基本的に改革をしようとしているこの際、こうした問題について門戸を開くべきではないかと私は思うんです。こういうこともしないで片方で大学をどうこうすると言ったって、私は問題があり過ぎるんではないかと思います。私は、これはもう挙げて文部大臣の政治的な決断だと思います。文部省は、今の法の仕組みとか、そこから自分たちが出ようと思っても出られない立場にあるんですよね、文部省の役人は。だから、それを変えていくのはやはり政治が変えていくわけでありまして、それはやっぱり文部大臣が、今日の国際化の問題で、ここは風穴をあけますということを言わなきゃいかぬと思うんですよ。  それで、話はちょっと横へ飛んでしまうかもしれませんが、今、朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮との間でいろいろ緊張問題をはらんでおります。あの国と国交回復していないが、日本は何もできないのか。そうじゃなくて、日本の国に朝鮮総連という団体があり、そして朝鮮民主主義人民共和国に帰属するいわゆる在日朝鮮人の人たちがおり子供たちがいるわけで、その子供たちがより多く日本大学勉強したいと、こう一生懸命願っている。それはもう純粋に学問研究の分野として。そこで学んだ子供たちは、皆日本を愛し、そして日本と親しみ、日本を大事にしようという子供たちになっていくことは間違いないわけですよ。そして、そういう切なる願いにこたえてやっているというふうな、日本国内のいわゆる教育分野における大きな意味の、北朝鮮への外交戦略のある意味では、そういう言い方はよくないけれども、そういううちの重要な部分でもあるのではないかと。  緊張をはらんで、仮想敵国はあそこではないかというようなことを今特別委員会議論をやっておるんですよ。そういうときであればあるほど、在日朝鮮人の皆さん方が切望している受験資格だけでもせめて認めてくれという問題に対して、日本の文部行政がそこにひとつ温かい手を差し伸べていくということは、私は重要な意味をさらに持ってきたと思うんです。  だけれども、このことを文部省にやれと言ったって無理なわけで、一条校という枠もあったりしてなかなかできない。だからこれは文部大臣だと私はずっと言っている。あなたの在任中にそれはやられることですよ。いかがでございましょうか。
  63. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私は、昔からこの問題は気になっていたということは申し上げましょう。しかしながら、学校教育法の規定があるわけですね。高等学校卒業者またはそれと同等以上の学力があるとして文部省が定める者に与えられている、こういうことをどういうふうに考えるか。現在、朝鮮学校、韓国学校、中華学校、アメリカンスクールなどいわゆる外国人学校のほとんどは各種学校であるので、各種学校教育内容については法律上特段の定めが設けられていないためという理由のもとで、その卒業者に対して一般的に高等学校を卒業したと同等以上の学力があると認定することは困難ということで、大学入学資格を認めていないというのが現状でございます。  ただ、例えば国際バカロレアを通っていればいいとか、さまざまな工夫はしていることは事実でございますが、いずれにしても日本の国の学校教育体系の根幹にかかわることでありますので、現在慎重に対処しているところでございます。  ただ、この前も申し上げましたように、外国人学校卒業者の大学入試資格については昨年来、検討したいということを申し上げております。何を検討したいかというと、日本で外国人学校をどう取り扱っているかということと、外国に日本学校がある、その日本人の学校は外国でどう取り扱われているか、こういうふうなことに関してやはり国同士平等でなきゃならないというようなことがございますので、諸外国におけるそれぞれの国に設置されている外国人学校に対する取り扱い等を現在一生懸命調査をいたしまして整理しているところでございます。  こういう調査の結果において、さらにどういうふうに考えていけばよろしいか、考えをいつか述べることがあり得ると思っております。
  64. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 一向に前へ行かないわけで困りますが、それではちょっと別の側面から質問します。  今まで学校教育法の一条校でなければいけないという一つの障壁がありましたが、専修学校が受験資格を認められるということでこの障壁は一つなくなった、こういうふうに思うんですね。  それから、今おっしゃった例えば韓国の例をとると、韓国の高等学校の卒業生は日本へ来て日本大学に留学できるわけですね。そして、日本の韓国の高等学校卒業者は韓国に帰って韓国の大学に入学できる、こういうことになっておるんですよ。にもかかわらず、日本の韓国の学校を卒業した人は日本大学に受験できない。このことは、先ほどおっしゃったように、どう考えても理解ができないんですよね。  韓国の高等学校の卒業者は日本大学に留学できるんでしょう。留学できるということは、その学校で学生として勉強するということ。それと同じ教育課程をもしこっちへ持ってきておったら、その者を認めないという理由はこれは全く成り立たぬわけで、各種学校というなら、各種学校であっても既に認めるものができ始めているんですよね。文部省がだめだと言っている垣根がどんどん狭まってきて、こんなことはどうしてもしようがないからとやるようなことじゃないんですよ。もうせっぱ詰まってやるようなことじゃないですよ。やはりきちっと、日本文部省はよくやった、有馬文部大臣は立派な決断をしたと言われるような状態でこの種のものはやらなきゃいかぬと思うんです。  韓国の例をとっても、どうして韓国人学校を卒業した者が日本大学の受験を認められないんですか。これはもう理由を言えないでしょう。どうしてですか。どういう正当な理由があるんですか。
  65. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 大学入学資格は学校教育法の規定に基づいて定められているわけでございます。それによりまして、韓国における高等学校の卒業生は、外国において学校教育における十二年の課程を修了した者として我が国大学への入学資格が認められているところでございます。  他方、我が国に所在する韓国人学校の卒業生が韓国の大学への入学資格を認められるかどうかということについては、韓国の学校教育制度、法令に準拠して判断されるわけでございまして、その具体的な扱いについては現在承知はいたしておらないわけでございます。  そのように、韓国人学校につきましてその卒業生をどう扱うかということについては、我が国学校教育法体系の中で入学資格を認めるかどうかという判断、すぐれて国内法の判断の問題になるわけでございますが、先ほど大臣からも答弁申し上げましたように、外国人学校我が国においては各種学校としての位置づけがなされておるわけでございまして、教育内容について法令上特段の定めが設けられていないというふうなこともございまして、一般的に高等学校卒業者と同等以上の学力があると認めることはできません。そんなことから入学資格が認められていないわけでございます。
  66. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 もう何回そういうやりとりをしていますかね。しかし、三年制の専修学校の高等課程の修了者、和洋裁とかインテリアとか自動車とか調理師だとか、こういうところで学んだ子供たちも各種学校でしょう、これ、認めていくんでしょう。だんだんとあなた方も、学問していく条件づくりに規制をできるだけ取っ払って自由にしていこうと。それはしまいには学年というふうな枠も取っ払っていこうというふうになってくると思うんですよ、この世界は。にもかかわらず、かたくなな今の態度というのは時代錯誤ですよ、はっきり言って。  あなたも認めておられる。それがなぜできないのか。文部省に何ぼかの不思議があるけれども、本当にわからぬのですよね。これをやることにして一体、日本の国益のどういう部分を損なうのか。本岡さん言うけれども、それだったらこういうふうに日本の国益を損ないますと言ったら、それはそこの議論をしてもいいですけれども、別にそういうものもないだろうし、財政上大きな損害をこうむるものでもないだろうし、本当にさっぱりわからぬのですよ。私は、せめて有馬文部大臣のときにこれだけはやってもらいたいと。これから執拗に迫りますが、うどん屋の出前みたいに、もうじきやります、もうじきやりますというのを待っているのだったらまだよろしいけれども、それもないわけだ。  うどん屋の出前はいつか来るんですよ。つくっていても、いや今出ましたと言ってやっておるのだから、せめてそのぐらいのことを、次の質問のときまでにはどうするかということをはっきり言ってもらえなければね。私はそれをきょうは質問するためじゃなかったわけで、これを言わなければ次の質問ができなかったからやったわけです。
  67. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 今いろいろ文部省の方で相談をしているところでございますけれども、例えば、高等学校までは地方自治体の認定ということが必要になります。そういうことがどうあり得るかなどということも今初中局の方で検討してもらっておりますし、また、諸外国においてどういうふうな取り扱いが行われているかということについても調査をいたしているということはたびたび申し上げていることでございます。  そういう点で、御指摘のとおり、国際化の時代においてどういうふうに国内にある外国人学校の人たち考えていったらいいかということについて、この前も申し上げたように、六月、七月に調査が完了する予定でございますので、そのあたりからさらに詰めてみたいと思っています。
  68. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 やっと六月、七月ということが出ましたので、うどん屋の出前として待たせていただきます。  それでは、本題に戻りまして、評議会と教授会の問題、先ほど馳議員の方からもこうした問題が出ておりました。関連して質問しますが、今回の法改正で、権限がどちらが上か下かというふうな議論はしたくありません。しかし、学校教育法には五十九条に教授会しか書いてないわけですね。それで、従来、評議会というのは、国立学校設置法十三条を受けた省令の暫定規則に基づいて、国立大学に置かれていたのが評議会なんですよ。それがなぜ法文の順番のところで教授会の上に評議会を置いたのか、学校教育法に定められているものに対して、いささか私は納得がいかないんです。  それで、教授会の権限と評議会の権限、権能、ここの問題について、従来の教授会が持っていた権限、権能、そうしたものは変わりはないんだというのか、いや変わったんだというのか、そこのところをはっきりさせてください。
  69. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 今回の法改正におきましては、合理的で責任ある組織運営体制を整備する、そういう観点に立ちまして、これまで暫定省令で規定されておりました評議会を法律上位置づけるとともに、評議会は大学運営に関する重要事項、学部教授会は学部の教育研究に関する重要事項を審議するとの役割分担を明確にしたわけでございます。  学部教授会は、大学教育研究に関する自主性を尊重するために必要な審議機関であることから、その審議すべき重要事項として、教育課程の編成、学生の入学、卒業、その他教育研究に関する重要事項を審議事項として定めているわけでございますが、これは、従来からの学校教育法の解釈を踏まえ、教授会の本来の役割を明確化したものでございますし、また、教育公務員特例法により教授会の権限に属された人事に関する権限については変更をいたしておらないわけでございます。したがいまして、教授会の権限を限定した、あるいは縮小したというようなことではございません。
  70. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 それでは、具体的にちょっと細かいことになりますが、学生の厚生補導等というようなことがありますが、これは従来は評議会にあったのか、教授会にあったのか、今回はどちらの権限に入ったんですか。
  71. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 学生の厚生補導につきましては、いわゆる学部の枠を越えて、大学としてどのように取り組むかという観点、すなわち全学的な観点からの扱いということが必要でございます。そういった点から、評議会において審議をすべき事項である、従来からそのように扱われてきたというふうに考えております。
  72. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 従来からそれは評議会の権限、権能であったということなんですか。いろんな参考事例を見ますと、教授会の中にそういうものが入っている文章もありますので、細かいことですが。
  73. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 暫定省令におきまして、学生の厚生補導が評議会の審議事項とされておるところでございます。
  74. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 明記されていますね。  今、評議会そのものが、おっしゃるように、国立学校設置法、さらにその後の評議会を設置するための規則というふうなところに置かれてあったものを法文化して、そして運営諮問会議と順次組織をきちっと位置づけたということで、それなりに整理され、わかりやすくなったと私も思います。  しかし、私の考えは、学校教育法という基本法の五十九条に教授会というものが位置づけられている以上、学問の研究、それを保障していくところの大学の自治というものは、やはり教授会というものを基本にして進められるべきで、その教授会というものが学部の中に置かれているということから、全大学的な問題に関して、運営上の問題とか、あるいは全体の教育方針の問題とか、例えば先ほどの学生の厚生補導といったものは学部のものだけやったのではだめなわけでありまして、全体のものをやらなければならないからとかいうような形で整理をされていって、教授会が大学の自治の中核としてより有効な力を発揮できるようにというふうに法整備されたんだというふうに私は理解をするわけであります。決して、大学の自治、学問の研究の自由というのが今日の大学には非常に障害物であって、それを取り除いていくためにこの法案ができたというふうに私は思いたくないわけで、またそうであったとするならば大きな間違いを起こす、こういうふうに考えるんですが、そこのところはいかがですか。
  75. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 大学の重要な役割というのは、まず研究教育だと思います。その研究教育というのはやはり自主的に自治でやっていかなければならないと思います。  それからもう一つは、決定権というのは学部長にあり、そしてまた学長にあるわけでありますけれども、ある目的のために一番すぐれた人材を探してくるというふうなことの努力はやはり教授会で行うべきだと思っております。  そういう意味で、今回の法律は、私が見る限りにおいて、今までの自主、自治というふうな慣行を侵すようなものではないと判断をいたしております。  ただ、しかしながら、私は評議会というものは教授会の上にあるべきであると考えております。これは先生指摘のように、各学部で一つ考えを出し、それをまた教授会の中心的な人物、主宰をしております学部長がそれを決めて、さらに全学に合意を求めるような場合、こういうことがありますが、時によりますと、各学科、各学部あるいは研究所と学部の間に意見の対立することが非常に多くありました。  こういう場合に、各学部、各研究所の教授会の結論が優先なのか、それとも全学として評議会の考えが優先なのか、学長がどっちをとるか、諮問した際にどちらの意見をとっていくか、この問題が必ずしも今までは歴然としていなかった。今回、評議会が全学のことを見るということがはっきりしたということは、私はよいと思っております。
  76. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 今文部大臣がおっしゃったように、評議会と教授会が対立したときにどうするかというときに、評議会が全学的な立場に立って最終的な判断をするというのが一つの筋であろうと私も思います。  例えば、大学がどこかに新しい校地を設けて、そこに学部を新設して学校をつくるというふうなときに、絶えず大学はもめるわけです、新しい学校をつくることと、それから学部を新設することについて。しかし、今の文部大臣の話を今度は逆にしまして、全体の問題だから教授会は黙っておれということも、教授会も学部として大学を構成しておる重要な部分であり、その学部から見た場合に、今言ったように学部が移転するとか新設されるとか、学校を新しいところに移すとかいう問題について、教授会が関与すべきことでないといって逆にそこを切り捨てていくことも、それもおかしなことだと思うんです。  権限を分けたんだから物を言うなじゃなくて、やはりそれは学部の立場からその問題を議論し、そしてしかるべき意見なり見解がまとまれば、それが評議会にきちっと提案されて、あるいは学長のところに提案されて、その問題がよりよい解決のために使われていく、こういうふうな関係になっていかなければ、従来、ともすれば教授会が独断専行、横暴過ぎたから、それを抑えるためにこれがあるんだというふうな感覚でこういうものがつくられていくことはよくない、私はこういうふうに思っています。  だから、先ほどの大臣の話は肯定しながらも、だからといって教授会というものを、私は先ほどからしきりに言っておりますように、あくまでそれは、学校教育法の中の五十九条に規定された教授会が重要な事項を審議するところであるということにいささかも変わっていないということだけははっきりさせておいていただきたいと念のために申し上げたいんです。
  77. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 教授会の重要性はいささかも変わることはございません。教授会としてやるべきことというのは今回幾つか定義をいたしましたけれども、全学にわたる問題であっても、特にその学部の教育研究の上で重要なことであれば、もちろん教授会で議論してしかるべきであります。そういう意味で、教授会の力をそぐというふうな考えはございません。
  78. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 最後に、残った時間で、直接関係ありませんが、大学のこういう組織のあり方、機構上の問題を改革していくということは極めて重要であります。しかし、今の大学のというよりも高等教育の中で非常に重要な問題が、研究教育基盤をどうつくっていくか、それにどれだけのお金をかけられるのかという問題だろうと思うんです。  いかに教授会が立派に研究、学問といろいろ言っても、それを支えていく財政的な基盤がなければならないわけで、そういう意味で、こうした改革と並行させて国の高等教育への公的財政支出というものを欧米諸国と比べて遜色のないようにやっていくということが私は必要であろうと思います。これはここにいる我々政治家の責任であろうと思うんですが、限られた財政の中で、一体どこに限られた財源を振り向けて二十一世紀の新しい日本をつくっていくために使うのかという選択であろうと思います。  そこで、欧米諸国と比べて、日本のいわゆる高等教育に関する公的財政支出のありようというものについて、文部大臣は、これで結構だ、十分だとは思っておられないと思いますが、それに対するひとつお考えをお聞かせください。
  79. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) たびたびお礼を申し上げていることでありますけれども、科学技術基本法を先生方がおつくりくださったことであります。科学技術基本法がつくられ、そのことによって科学技術に対する予算はふえました。したがって研究費は相当ふえてまいりました。まだまだ私は十分だと思っておりませんけれども、かなりふえてきた。一方、高等教育に対する予算というのはそれほど抜本的にふえておりません。  今御指摘のように、諸外国と比べまして、GDP当たりでどうかというふうなことを比べてみますと、日本先進諸国の中では低い。GDPで比べますと、アメリカが大体日本の二倍使っている。こういうふうなことで、やはり高等教育への国及び地方自治体の寄与というか財政的な支援を強めていっていただかなければならないと思っています。  もちろん、御指摘のように今厳しい財政状況のもとでありますので、なかなか難しいことだと思いますけれども、公財政支出全体をともかくふやしていかなければ、私学助成をふやすわけにもいかないわけです。ですから、私学助成をふやしたりするための上から見ましても、何としても高等教育への国そして地方自治体の公財政支出全体をふやしていただくという方向に持っていかなければならないと思っております。こういう点で今後とも努力をさせていただきたいと思っております。  ちなみに、もう一度はっきり申し上げますと、GDPに対する日本の高等教育への公財政支出は〇・五%、それに対してアメリカは一・一、イギリスは〇・七、フランスは〇・九、ドイツは〇・九というふうに日本の〇・五よりもはるかに多いわけであります。この点に関しては今までもさんざんお願いをしてまいりましたし、今後またさらに努力をさせていただきたいと思っております。
  80. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 これで終わります。
  81. 南野知惠子

    委員長南野知惠子君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時二十分まで休憩いたします。    午後零時十八分休憩      ─────・─────    午後一時二十分開会
  82. 南野知惠子

    委員長南野知惠子君) ただいまから文教・科学委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、学校教育法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  83. 石田美栄

    ○石田美栄君 民主党・新緑風会を代表して石田美栄でございます。午前中に引き続きまして質問を続けさせていただきます。私は、本会議でも全般的な質問をさせていただきましたので、その中でも取り上げたことで、四つ、五つぐらいの点でもう少し突っ込んで細かくお尋ねしていきたいと思います。  全体的なことは、大学審議会が設置されて十年、いろいろな改革提案がなされ、実行されて大学改革が進められてまいりました。しかし、このたびの「二十一世紀大学像と今後の改革方策について」を受けての法改正というのは、二十一世紀の私たちの国のビジョン、どうやっていくのか、ありよう、そういったことに高等教育が大きくかかわる責任がある。そういった意味で、大学大学院の果たす役割というのは非常に重要であります。中でも、私はまた繰り返して申し上げますが、大学改革の中で大学院の改革、重点化であるというふうに考えております。  それで、大学院の改革について本会議でお尋ねしましたときも、総理のお答えは、引き続いて質、量の両面にわたって充実に努力するということでありました。特に量の面では、本会議でも申し上げましたが、例えば人口千人当たりに対してアメリカでは七・五人の大学院生がいるけれども、日本は一・七人。英国、ドイツ、フランスでも三・五人だという。ですから、量の面でもまだまだ。  しかし、年々量の面で改善がされてきていることは存じておりますけれども、特に質の面の中でも、文部大臣は理系でいらっしゃいますけれども、人文系、社会科学系といった面での、学問的な体系というふうなことを言うとちょっと偉そうに聞こえますが、学問体系全体を含めて、例えば博士なんかも、日本では幾ら勉強しても博士が取れないから結局アメリカに回って、あるいはヨーロッパに回って取ってくるという、こういうことも含めて、特に大学院の質の面でまだまだおくれているということが非常に重要だと思いますので、この面での文部大臣の御認識、そして将来大学院をどうしていくのかというお考えをお伺いしたいと思います。
  84. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 我が国大学院は、その目的や役割が極めて多様化してまいっておりますが、それにもかかわらずこれまで研究者養成が中心でありました。そういうことから、ともすると狭い領域、狭い専門に閉じこもりがちで、特に人文・社会系の大学においては修士あるいは博士の学位にふさわしい学問の体系的かつ幅広い教育指導等が十分でない。そのために、博士の学位の授与も低調であるとの指摘を受けているところでございます。  私もこの点を大変心配いたしまして、東大におりましたころから人文・社会系の博士をもっと多くしてもらいたいという要請を繰り返して言っておりましたし、その後も同じようなことを主張しております。  これからの大学院のあり方といたしましては、独創的な学術研究の推進や創造性を持った研究者の養成、これは今までもそこに重点が置かれておりましたが、さらに社会の要請に的確に対応した高度な専門能力を有する職業人の育成など、国際的な教育研究水準を確保しながら、多様で活力あるシステムを目指すことが重要であると考えております。  このような観点に立ちながら、特に人文・社会系の分野におきましては、各大学におけるすぐれた人材を養成するためのカリキュラムや教育指導方法等の工夫、改善や円滑な学位授与を促したいと思っております。全体としての大学院の質的充実に努めてまいりたいと思っております。  また、特に人文・社会につきましては、社会からの要請というかニーズがまだまだ弱いように思いますので、一般の社会に対しても大いに人文・社会の修士及び博士が重要であるということを訴えてまいりたいと思っております。
  85. 石田美栄

    ○石田美栄君 さらに、今回の学校教育法第六十六条の改正で、「研究科以外の教育研究上の基本となる組織を置くことができる。」というふうになっていますが、今の一番目の質問とも絡めてですが、このことは大学院の改革にとってどういう意義があるのでしょうか、お答え願いたいと思います。
  86. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) これまで学部が大学基本的な構成要素と考えられてきたわけでございまして、このことは引き続いてのことでございますが、近年、大学院を設置する大学の中には、学部段階から大学院段階へ比重を移し、研究科が大学の構成要素として相当の実態を有するに至っているものがございます。  そこで、学校教育法上におきましても、学部のみを大学基本的な組織としていることを改め、新たに大学研究科を学部と並ぶ大学基本的な組織として位置づけることとし、このことを法文上、「大学院を置く大学には、研究科を置くことを常例とする。」としたところでございます。これによりまして、研究科を教育研究目的を効果的に達成するための責任ある組織として整備し、全学的な運営に関与することが可能となったわけでございます。  また、あわせて、各大学が個性に応じた特色ある教育研究活動あり方を工夫する一つ方法として、研究科以外にも教育研究上の基本となる組織を置き得ることとし、大学院段階での組織編制を柔軟に行い得るようにしたところでございます。  これによりまして、各大学においては、高度職業人養成を中心として教育機能を充実するため、大学院レベルの教育組織と研究組織を分離し、例えば教員が所属する研究組織として、伝統的、基礎的な学問分野である六法等で編制する組織を置く一方、学生が所属する教育組織は、実務家である法曹養成等実践的な教育中心の編制とすることなどが可能となったわけでございまして、研究の高度化の要請と教育面での多様化の要請にこたえることができるようになると考えておるところでございます。  文部省といたしましては、このような改正の趣旨というものを踏まえて、今後、それぞれの大学が、大学院の教育研究機能の一層の充実に向けて、みずからに最もふさわしい取り組みをすることを期待しているところでございます。
  87. 石田美栄

    ○石田美栄君 多分、いわゆるロースクールだとかビジネススクール、そういったものが可能になってくるというふうに解釈いたしました。  引き続きまして、私は大学の評価のことを本委員会でもまた本会議の質問でも取り上げさせていただき、午前中も自民党の阿南先生もお取り上げになりましたが、しつこいようですけれどもさらにお尋ねしたいと思います。  と申しますのは、もちろんいろんな評価、自己評価を含めて特にこの数年間進んできていると思いますけれども、今回の改革でも、こういった評価に基づいて大学の改組転換の資料にしたり、あるいは国立大学などでは予算配分の際にもそういうことが参考資料にされることもあるというふうなことも含めて、学内外を含めて公正な、信頼性の置ける総合的な評価の体制、制度といったものが本当に急がれると思うんです。  というのは、今回の法改正で三年以上の在学で卒業を認める制度を設けた場合、文部大臣が認定することになっていますから、どういう大学に認定するのかというと、これは学生の履修科目登録単位数の上限設定ということも条件に入っていますが、そのほかに責任ある授業運営や厳格な成績評価を行うというふうなことも挙がっていますが、こういったことをどこで評価して判定できるのか。  これは法改正が行われますと実行に移されるわけですから、第三者評価機関の創設も含めて、先ほども今創設に向けて調査準備を進めているというお答えでしたけれども、さらに突っ込んで、文部大臣、時期的にはめどがあるのかどうか、再度お答え願いたいと思います。
  88. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 我が国大学教育研究の質的向上を図る上で、評価システムの確立というのは御指摘のように極めて重要な課題でございます。その中において、第三者評価機関を設置し、大学の行う諸活動について多面的な評価を行い、評価結果を各大学にフィードバックすることにより、各大学教育研究活動の改善に役立てていくということが現在構想されておるわけでございます。  平成十一年度予算におきまして第三者評価機関の創設準備費が計上されておるわけでございます。その創設準備におきましては、評価の内容方法、それから評価をどのような形で実施するのかという実施体制、あるいは各年次においてどのような評価を行うのか、テーマであるとか対象大学・学部等、授業の実施計画あるいは評価機関の組織運営をどのようにするのかというようなことについて、有識者から構成される創設準備のための委員会を設けて所要の調査準備を行うこととなっておるわけでございまして、それを踏まえて、文部省といたしましてはできる限り速やかに第三者評価機関の創設を図ってまいりたいと考えておるところでございます。
  89. 石田美栄

    ○石田美栄君 いつまでにというふうなお答えはなかなか難しいのかと思いますが、アメリカにしましても、たしかイギリスもかなりこういう評価が確立していると聞いております。ぜひ日本でも大学改革のために早急にお願いしたいと思います。  さて、今回の特に組織運営体制の改革、これは、研究により重点が置かれていた大学傾向を、もっと教育に責任を持つ、社会に対して責任を持つ、そしてまた学園、学校の全体的な将来構想とか、全体を見渡しての組織運営、そういったことが今回の改革の大きな目的でありますし、そういう方向にこれから大学が行かなければいけないということでありますが、特に教員人事といった面で国立大学においてはいろんな問題があった。私もそういう世界におりましたからいろんな体験をしてまいりました。  ここで、特に女性の先生といった点でお伺いしてみたいんですが、今、国立大学における女性の教授とか助教授の占める割合はどうなっておりますでしょうか、私立大学の方もわかればお教え願いたいと思います。
  90. 高為重

    説明員(高為重君) 学校基本調査によりますと、国立大学及び私立大学の女性の教授及び助教授の占める割合は少しずつではありますが逐年増加の傾向にありまして、平成十年度では、国立大学教授の場合で四・一%、助教授で七・九%、私立大学の場合、教授で八・五%、助教授で一五・八%となっております。ちなみに十年前の平成元年度で申し上げますと、国立大学教授で二・三%、助教授で四・八%、私立大学教授で六・五%、助教授で一一・二%、そういう状況になっております。
  91. 石田美栄

    ○石田美栄君 今の割合をお聞きすると、近年、国立大学の方がぐっと伸びていっている。それでもまだ私学とちょうど倍くらいの差があるのでしょうか。  大学審議会の答申でも教員人事の問題が指摘されております。「教員人事についても、全学的視点に立った基準・方針の明確化とそれに沿った人事が適切に行われておらず、」と書いてあります。「学部全体として組織を構築しているという意識に欠けている。教員に占める女性教員の割合は近年少しずつ増加しているものの、全体として一割程度にしか達していない。」、平均するとそうなるでしょうか、一割に行っていませんね、そういうふうに答申では書いてあります。  今回の改正で、国立大学の組織運営体制の改革では教員人事の運びがどのように改革され、そして、より公正で公平、透明性という点で改善がされるというふうにお考えでしょうか。
  92. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 今回の改正案では、学部長たちが、大学の教員人事の方針を踏まえ、具体の選考に関する意見教授会に対して述べることができる旨を新たに定めました。教員選考の過程で学部長等の果たす役割を明確にした次第であります。  各大学が評議会で審議の上定めることになっております教員人事の方針、個別の人事というのではなく教員人事の方針において、例えば従来から教員人事の改革方向として指摘されております、ただいま先生指摘の女性教員の採用等の促進のほか、他大学の卒業生を教員にするとか社会人を教員にする、外国人教員を採用する等々の促進、教育能力の重視などを内容とすることが考えられます。学部長がその方針を具体の教員人事に当たり適切に反映することが期待されているわけであります。まさに御指摘のような点、特に女性の教員をふやすというふうなことにおいて、大学の方針を学部長が明確に教授会に対して伝えるということが一つの大きなことになっているわけであります。  もとより、大学における教員人事は、各大学がそれぞれの責任に基づいて適任者を選考することに努めるべきでありますが、今回の改正案により、各大学において幅広い視点に立って教育研究の推進や社会的要請を踏まえた検討が行われるとともに、女性の採用が積極的に進められることを期待いたしております。
  93. 石田美栄

    ○石田美栄君 ありがとうございます。  恐縮なのですが、関連質問で、ちょっと地元のことでお尋ねさせていただきます。  実は岡山県川上郡備中町というところで、平成十年八月ごろから平川地区というところを中心にカルスト地形特有の事象に伴う土地陥没が発生しておりまして、平川小学校のプールに傾きやひび割れが入り、体育館の土台も崩れております。そしてグラウンドには長い大きなクラックが入っているという。お手元のはコピーですのでちょっと見にくいんですが、このような新聞を見ていただきますと、プールは水位がずっと斜めになっております。そこにビニールを張って水が中に沈まないようにしているんです。農協の建物が底の方がなくなって傾いている、神社の本殿も床の下が陥没する、こういう状況が起こっております。  それで、県の方からも要望が出ておりますが、文部省としては、小学校のプールとか運動場、そういったことについてどのような対処を検討されておりますでしょうか。
  94. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 御指摘ございました岡山県備中町の平川郷地区の土地陥没によります公立学校施設の被害につきましては、御指摘がございましたように平川小学校がその被害の対象になっているところでございます。  文部省といたしましては、県当局並びに町当局から事情の説明もお伺いいたしまして、去る四月二十七日に担当者を現地に派遣いたしまして現状も見てまいりました。  その結果、現在、御指摘ございましたように、プールのひび割れと傾斜、それからスクールバス車庫跡地の陥没、これは一番大きな被害でございます。そのほか、屋内運動場の内壁にひび割れが入る、あるいはグラウンドのひび割れ等でございまして、グラウンドのひび割れ等につきましては応急処置をしておりますし、また、スクールバスの車庫につきましては、その前に別地に移転をするというようなことで車庫それ自体には被害はなかったわけでございますけれども、特に屋内運動場、校舎、それからグラウンドにつきましては、応急処置も含めまして、現在のところ学校教育活動には支障がないと伺っておりますが、プールについては最高十九センチの傾きがありまして、このままではちょっと使用困難、あるいは子供たちにここで泳がせるのは大変危険な状況にあるということでございまして、町当局はこれを速やかに復旧したいという気持ちを持っておるようでございます。  これにつきましては、県の方からは、土地全体の陥没状況につきまして地下構造等の調査も行われる、こう伺っているところでございますので、この調査結果も踏まえまして、関係省庁と連携をいたしまして、御要望のございます平川小学校の水泳プールにつきまして災害復旧事業の対象とすることができるかどうか、文部省として検討していきたいと思っておりますけれども、現状でも、災害復旧事業ということでなくて、使用にたえないという観点から、現在の助成事業の中で弾力的に対応することは可能だろうと思っておりますが、その両様で町当局の今後の最終的な御判断を待っているというところでございます。
  95. 石田美栄

    ○石田美栄君 ありがとうございます。  今お伺いしましたように、被害対策とか復旧工事といったこと、それはさることながら、私も現地に行きまして、最も望まれていることというのは、この一帯が、地下にある鍾乳洞の存在とかドリーネの状況、また地下水が一体どうなっていっているのかという、実に地球が相手の状況だなと実感しました。  昭和六十三年ごろから、地下水がとまってしまう地域が隣の地域でも起こっているということもあって、予兆があって、現在はそのことが日々進行中ということで、深刻なのは、将来一体その一帯が人間の住める地域なのかどうかということを一番懸念しておられるという状況の中で、これは県を通してということではありますけれども、本当に本格的な、高度な、学術的な、大げさに言えば国レベルの地球の調査が一番望まれているというふうに感じましたので、その点で担当の省庁から何か将来的なことをお伺いできればと思います。
  96. 林桂一

    政府委員(林桂一君) ただいま御指摘ありましたように、岡山県の備中町平川郷地区の土地陥没につきまして、それまでも予兆的なものはございましたが、より本格的な現象としましては、昨年夏ごろより断続的な発生が見られている。そして学校のプールあるいは体育館、農協倉庫、橋梁、河床、あるいは民家等にさまざまな被害を生じているということでございます。  町におかれましては、本年三月に対策推進本部を設けられ、県とともに応急復旧対策等の事業を講じておられるというふうに聞いているところでございます。  ただ、このような土地陥没のより抜本的な対策といいますか、基本的な対策を講ずるに当たりましては、やはり土地陥没の原因究明、あるいは地中の空洞化の現状、あるいはさらに今後の見通しといったことの実態を把握することがまず大変重要なことであろうというふうに考えております。  備中町におきましても、平成十年度に平川小学校等の市街地中心部について民間調査機関に委託をされて地質調査を実施したところであると。また県におきましても、陥没箇所の拡大等を踏まえて、応急工事の実施、あるいは今後より広範かつ綿密な調査を実施するというふうに聞いておるところでございます。国におきましても、去る四月二十七日でございますが、国土庁、建設省、通産省等の専門家が被災現地を訪問いたしまして事前の調査を行っているという実態でございます。  したがいまして、今後、県も相当調査されるということでございますので、県とも十分協議しながら、原因の究明、実態把握に関係省庁とも連携を密にして御協力してまいるという考え方でございます。
  97. 石田美栄

    ○石田美栄君 では、もう一分ありますけれども、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  98. 松あきら

    ○松あきら君 学校教育法等の一部を改正する法律案につきまして、午前中より質疑をいたしているわけでございますけれども、今回の改正で一つの特徴は、情報の公表の義務化にあるというふうに思います。第七条の八に「国立大学及び国立短期大学は、文部省令で定めるところにより、当該国立大学又は国立短期大学教育及び研究並びに組織及び運営の状況を公表しなければならない。」というふうにございます。この情報公開につきまして、法案の中にあります教育研究、組織、運営について質問してまいりたいというふうに思います。  それとともに、私も本会議で質問をさせていただきましたけれども、残念ながら抽象的なお答えしか小渕総理からはいただけなかったんですね。ですから、本会議の質問とも少し重なりますが、ぜひ文部大臣にもお伺いしたい。有馬文部大臣は東大総長もなさっていらっしゃいましたし、現場に即した具体的なお答えをいただけるのではないかなというふうに期待をいたしております。  では、まず教育に関してお伺いをしたいと思います。  先ほど馳先生からもお話ありましたように、大学で今も時々講義を持っていらっしゃると。当委員会におきましては、何人かの先生大学で教えていらした、あるいは今も講義を持っていらっしゃるかもしれませんけれども、そういう先生もいらっしゃるわけで、私が今さら申し上げるまでもないのでございますけれども、日本大学と欧米の大学の決定的な違いは一体どこにあるのかというふうに考えますと、日本大学先生が一方的に授業をする。つまり、夫なんかに聞きますと、多いときは六百人ぐらいの生徒がいまして、こちらに向いて並んでいると。そこで、こちらの先生方はそんなことはないと思いますけれども、例えば十年一日のノートをもって講義をする、あるいは黒板に書く、それを一方的に生徒がその講義を書く、こういうような一方通行の講義ではないかなと。  それに対しまして欧米ではどうか。夫やら娘やらに聞きますと、人数も五、六百人なんということはないということで、二十人、三十人、あるいはもう少し多いときもあるそうでございますけれども、みんなで議論をしていく。つまり、正解を教えるという一義的なものではなくて、すべてのものに対して疑問を抱かせて、そしていろんな議論をさせる、その中にもちろん教授も加わって皆で対話をしながら進める。つまり、多方向、双方向、こういうのが欧米の大学授業の進め方である。こういうことが一番大きな違いではないかなというふうに私も思うわけでございます。  しかも、日本大学は一たん入りますと、本会議でも申しましたけれども、ある意味ではやすやすと卒業できるということでございまして、大学の現状につきまして有馬大臣も、日本教授諸公は教育よりも研究に熱心であること、ですからどうしても教育がやや手ぬるくなるという傾向にあることをアメリカの教育を通じてしみじみと悟った、こういうふうに衆議院でも答弁をされていらっしゃいます。  そしてまた、例えば自己点検とか自己評価、あるいは第三者評価であるとか、あるいは休講は絶対しないとか、もし休講するとすればかわりの人をちゃんと立てる、ないしはセメスターが終わった後で十分時間をとって教育をする、こういう熱心さ。実にきめ細かく学生諸君の授業理解を進めるべく努力をしている、授業の最後には必ず学生諸君による教授教育方針ないしは授業のやり方に対しての調査をする、学生諸君の評価を得るわけです、こういうふうにおっしゃっていらっしゃるんですね。  午前中の質疑の中で大臣は、今まで日本先生方も自己点検をできなかった面があるけれども今はそれをするようになった、前進である、しかし第三者評価を確立することが大事である、こういうふうに先ほどお答えになっていらしたというふうに思います。  外国では、教授の業績評価によって例えば助教授教授になるとか、教授も、これから最終まで残れる教授かどうか、こういうことはその業績評価によって決まるということなんですね。もちろん、授業内容だけでなく、どういう論文をどのくらい出したのかとか、そういうことももちろん含まれると思いますけれども、非常にこういうことが大きなポイントになってくる。  私は、今後、日本でもぜひこうであるべきであると。そうしませんと、例えば十年一日の教え方をするような先生、学生がどういうことを求めているのか全然わからない先生も出てくるというふうに思います。この点について大臣のお考えを伺いたいと思います。
  99. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 日本大学とアメリカなりヨーロッパの大学との違いは何かということを最初に御質問賜りましたけれども、ヨーロッパと日本はかなり似ていると思います。特にドイツの授業などをやっているときに見ましたけれども、やっぱり四百人ぐらいの学生を教えるというようなことがたまにあります。しかしアメリカではまずないですね。  ですから、そういう点でどちらかといえばアメリカと日本を比べてみたいと思いますが、先ほどもう既に松あきら委員がおっしゃられましたように、日本大学の教職員は研究には熱心だけれども、どちらかといえば、教育をおろそかにするわけじゃないんですけれども、やや情熱をかけないような面が今まであったと思います。しかし大分よくなってまいりました。  しかしながら、依然として学生の皆さんによる授業評価というふうなことは非常に嫌がります。随分お願いをしてきましたけれども、なかなかやらない。こういう問題が日本大学にあるかと思っております。  ですから、先ほど既に私が申し上げたことをおっしゃってくださいましたけれども、その気持ちは今でも強くありまして、日本大学教育をどうするかということ、各教員、教官の一種の意識革命が必要であると思っております。
  100. 松あきら

    ○松あきら君 今、大臣はドイツは違うというふうにおっしゃいましたけれども、イギリスなんかはやはりアメリカと同じ、日下部先生もそうおっしゃっています、うちの娘も今大学生でそう申しておりましたけれども、ドイツと日本というのはちょっと似ていると思いますけれども、ほかの国は多分何百人という授業はほとんどないというふうに私も聞いております。  意識改革、これも大事ですし、またそういうふうにしていかなければいけないというふうに思います。  今、大学教育あり方自体に非常に疑問を投げかけざるを得ない事実があるわけでございまして、これはいろいろなあれがあるんですけれども、例えば私が申しました、有名大学の英文科を出ていても英語が余りしゃべれない。これはうちの姉も実はそうなんですけれども、英文科を出ていても英会話は余り得意でないという人も多いです。  また、本会議での私の質問は聞いていただいていたと思うんですけれども、今までは英文論文中の英語の意味がわかるから向こうの学術書を使っていたんだけれども、今はその英語の意味自体をわからないので日本学術書にかえたという、こんなふうにいろいろ今問題があるわけなんですね。  日本の今の、何というんですか、日本人の小さいときからの教育全体のシステムということを見直さなければ、大学生の学力低下ということは一概にはもちろん言えないと思うわけでございますけれども、例えば東大生でもペルーがどこにあるか知らないとか、先ほどちょっと伺いましたら、四国が何県か知らない大学生がいるとか、こんなような状況であるということなんですね。  そして、私が一つこの間申しました、例えば一生懸命勉強して東大に入った、すると駒場の入学式のときに司法試験の予備校の人がいっぱいいるわけですね。そして、大学授業を受けていると現役で司法試験に受からないと。それでもう半分ぐらい、あるいは半分以上の人が予備校に行くというわけですね。何か上級試験の予備校もあるし司法試験専門の予備校もあるということで、こういうところに行って勉強してくるというわけでございます。  昔は、有馬大臣のころはそういうことがなかったというふうにもちろん思いますし、夫のときもそんなことはなかったそうでございますけれども、今現在はまさにこういう状況である。こういうことに関しまして大臣はどういうふうに思われますか。
  101. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) いろいろ学科ごとにより学部ごとにより教育の仕方は違うと思います。  大学の名誉のために申し上げておきますと、私が知っている限り、理系の講義はかなり皆さんしっかり聞いてくれております、これは私立も含めて。文系の方に今おっしゃったようなダブルスクーリングの問題がある。ただ、それは世の中がそういうものを要請しているという面もあると思います。  それから、先ほどノートを十年同じものを使うという御批判がありました。私もそれは容認いたします。  しかしながら、例えばニュートン力学はどうやって教えるかを考えますと、十年同じノートを使わざるを得ない場合がある。毎年ニュートン力学は変わるわけじゃないんです。ですから、学問の体系によっては十年でも百年でももつノートがあると思います。しかしながら、その同じノートの使い方の問題でありまして、各クラスごとに各学年ごとにいろいろ工夫をしていくということが必要であると思います。したがいまして、ノートを十年同じものを使うだけでは批判できないと私は思っておりまして、いかにそれを活用していくかという問題であると思います。  それから、学術書が日本語になったということは、これはある意味では日本の学問に対する力が伸びたということで、慶賀すべき点であると思っております。私が学生のころはほとんどがドイツ語の教科書と英語の教科書でありました。今は日本語の教科書が非常に多くなっている。こういう面もあるので、語学力が弱くなったからというだけではないのではないかと私は思っております。しかしながら、御指摘のように、私も中学校高等学校と合わせて七年間英語を勉強しましたけれども、会話はまことにまずかったです。こういう問題はございます。  現在、日本大学はかなり語学教育改革しておりますので、その成果は大いに期待されると思っております。特にヒアリングがよくなりました。これはテレビなどが非常に発達したためでしょう、とてもヒアリングはよくなってまいりました。我々の世代に比べてはるかに発言力、会話などもよくなってまいりました。ですから、そういう意味で必ずしも悪い面だけではなく、努力はしているということを御評価賜れれば幸いでございます。  そういう意味で、ダブルスクーリングの問題であるとかさまざま御指摘の点、私も心配しておりますけれども、こういうふうなものが大学の努力によってより一層すぐれた教育になっていくことを期待いたしております。
  102. 松あきら

    ○松あきら君 さすがに理系の先生でいらっしゃいまして、理論づけておっしゃって、確かにそうだなと、使い方によるということは私もよく納得がいくわけでございますけれども、古いノートであっても新しく使っていく、それが大事であるというふうに私も思います。  先ほど大臣は、大学生の学力低下の話で、その中で学力低下の客観的な資料を私は持っていないというふうにたしか伺ったかなと思うんです。しかし、学力低下はやはり否めない、これは否定できないというふうに思います。これは現実であるというふうに思います。語学力だけでなく、いろんな方面からそれは指摘されているわけでございますけれども、実は有名私立大学の経済学部の入試で数学が必須でないという事実もあるわけでございます。やっぱり私はこれに対しては、例えば経済学部を出ていても数的分析ができないような状況というのはいかがなものかと。こういうことに関して大臣はどうお思いでございましょうか。
  103. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 先ほどもお答え申し上げましたように、高等学校教育がかつてよりはるかに多様化してまいりました。その影響は明らかにあります。特に、お医者さんにならなきゃならない医学部に進む学生諸君が入試の際に数学とか物理で入ってきてしまう、生物をやらない。私が物理を選んだのはそういう意味で選んだのですが、生物よりはるかに物理が易しいわけです。答えもはっきり出るわけです。そういう意味で、医学部に進む人たちがどうしても物理、化学をとってしまう、こういうことの問題がございます。ですから、本来、医学部でしたら生物をちゃんと修めてこいというふうなことを大学が要請すべきであると思います。  そこで、ただいま私がもう申し上げたくてじりじりしていたことを御指摘いただきましてありがとうございました。経済学部の数学の力であります。あれをごらんになるとおわかりのように、小学校、中学校知識がない人たちが入ってきている。そういう人たちが行く大学というのはどういうところかというと、数学を課していないのです。同じ私立でも数学を課している経済学部の成績は物すごくいい。課していないところは非常に悪い。二次方程式が特に悪いわけです。片や課しているところは九十何%と正解があるのに、課していないところは二〇%を切るくらいだと、こういうふうな問題がございます。  ですから、私は、易しくてもいいからたくさんの科目を試験に出してほしいということを、もし入学試験を、そしてしかも筆記試験をやるのであれば、国公私立全部の大学が多数科目で試験をやってほしい。そのことによって高等学校教育が保障されるんだということを常に申しておりますけれども、特に私立は科目をふやすことを大変嫌がられて、一科目で入学試験をやるというふうなことが行われています。したがいまして、その入学試験に出た科目については非常によくできますけれども、出ない科目については高等学校時代から授業を受けなくなります。受けてもほかのことを考えているような状況である。そういうことのために、大学に入ってきて大変困ることが起こってまいっております。こういうことは何とかして改革をしなきゃならぬと思っている次第であります。
  104. 松あきら

    ○松あきら君 まさに私もそれは本当にそう思っておりましたので、大臣がしっかりそれを思っていただいて、きっと改革をしていただけるのではないかなというふうに期待をいたしておるところでございます。どうぞよろしくお願いいたします。  次に、三年生で卒業させる制度につきまして、先ほどからいろいろ話が出ているわけでございますけれども、三年生で卒業すると、学力低下基礎学力もできていないような状況で卒業させちゃうのじゃないか、いろんな話が出ておりましたけれども、もちろん三年で卒業させるには基準があるというその基準は、すぐれた成績というのはどうやって判定するのかなと私は思うんです。  先ほど午前中の質疑の中でもお答えがあったんですけれども、実は私は余りよくわからなかったんです、先ほどのお答えが。ですから、基準はどのような基準で、だれが決めて、またどうやって判定するのか、またそれを公表できるのかどうか。そこのところをもう一度教えていただきたいというふうに思います。
  105. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 三年以上の在学で卒業を認めることができる措置につきましては、各大学が早期卒業の措置をとり得る場合として文部省令等において一定の要件を明らかにすることといたしております。その上で、どういう場合にどういう学生にこの措置を適用するかについては、各大学において判断をし、実施をしていくこととなるわけでございます。  しからば、文部省令等においてこの措置をとり得る場合として何を定めるのかということでございますが、一つには、大学において責任ある授業運営を前提として厳格な成績評価を行うこと、また、履修科目登録単位数の上限制を導入していることを考えております。また、学生につきましては、三年以上で卒業に必要な単位数を取得し、かつ成績が優秀であると大学が認めた学生であること、そして本人が卒業を希望すること、これらを予定しておるところでございます。  これらの基準にのっとって各大学での運用が行われるわけでございますが、各大学に対しましては、それぞれの授業の目標や成績評価基準、さらにはこの措置を適用する場合の大学の運用基準、こういったことを明確化することを求めるとともに、これらについて広く社会に公表していくよう促してまいりたいと思っております。これを通して、この制度が各大学において適切に運用されるように心がけてまいりたいと考えておるところでございます。
  106. 松あきら

    ○松あきら君 三年で卒業するというのは、優秀な学生で、厳格な成績評価を課して、卒業する希望があるということなんですけれども、百二十四単位を三年で修得して、例えば四年生の一年間は就職活動に打ち込むという学生がふえるんじゃないかというふうに思うんです。それによってますます大学卒業生の質は低下することになるんじゃないかというような危惧もあるというふうに思います。  三年卒業については、今の大学教育前提とすると、簡単に単位が取れるので安易な卒業につながるんじゃないかというふうにも思われますけれども、これについてはいかがでございましょうか。
  107. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 午前中の御質問の中にありましたけれども、現在でも大学院へは三年を終わった時点で入れるようになっています。私自身の経験で申しますと、その三年で終わって大学院に入る学生の選考は極めて難しいものでありました。全国で現在でも二百人ぐらいかと思います。非常に厳しいものです。決して安易に三年から大学院に行かせてしまうというようなことはございません。現在、平成九年度のデータがここにございますけれども、二百三十七人、全国ででございます。ですから、極めて厳しいものである。こういう面では大学人の良識を私は信じている次第であります。三年で卒業させるわけですから、その大学の名誉にかけて最も優秀な人々を出すことになるだろうと思っております。
  108. 松あきら

    ○松あきら君 次に、研究についてお尋ねをしたいと思います。  これまでは、学生にとって授業や試験は楽なほどよい、これはだれしも思うと思うんですけれども、教授にとりましても研究に集中できるのでどちらかというと、こういう言い方はいけないんですけれども、教育がちょっと片手間じゃないんですけれども、ということで、学生と教員の利害が奇妙に一致していると思うんですね、そういう点におきましては。先ほど大臣は、教員が研究には熱心だけれどもどうしても教育にちょっとおくれが出るようなことをおっしゃっておりましたけれども、具体的にはどういう事態をおっしゃっているんでしょうか。
  109. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 自己反省をいたしますと一番おわかりいただけると思います。  私たちの東大理学部の物理教室でありますと、まず講義を週に二時間やるというふうなことをいたします。これは熱心にやります。非常に熱心です。しかしながら、セミナーというのがあります。文系の方はこのセミナーを大変熱心におやりになる。ですから、各大学の文系でありますと、法学部、経済学部それぞれセミナーが大変有効に働いております。これは小人数ですね。そういう点で、セミナーが非常によく使われて効果を上げているんですが、私自身の失敗は、私自身のセミナーは大変不熱心でありました。どうしたかというと、助手に任せてしまう。これはかなりそういうことがあり得る。これは私のことを申し上げているわけですからまことに正しいわけでありまして、忙しい、きょうはあの論文を読まなきゃいけない、きょうはあの研究会へ出なきゃいけないとなると、助手の人にちょっとやっておいてくれと。甚だしい場合は大学院の少し上の方のに、ちょっときょう二時間ほどセミナー指導しておいてよというふうなことがありました。これが第一点であります。  それから第二点は、講義そのもの。講義の準備は実に熱心にやります。ですけれども、その講義を果たして学生の皆さんがわかってくれているかどうかということは一切チェックをいたしません。  アメリカですと、これは毎週チェックします。どういうふうにやるかというと、大学院を持っていないとだめなんですが、大学院の学生に対してかなりの奨学金を与えて、ティーチングアシスタントというものになってもらいます。助手です。その人たちが一人の先生に一人ないし二人つくわけです。毎週授業を三時間、三回に分けます、あるいは二回に分けます。ですから、集中的に力学なら力学を教えるわけです。そのたびに、今週はここで終わり、今週の授業は教科書のどこからどこまでやったから、そこにある問題を一番から十番までやってこいと、その十番までの問題をその先生は出しっ放しで、あとはTAが、どのくらいよくわかっていたかという、その宿題の点数をつけるわけです。そして、それを先生に、すなわち指導教官のところへ持ってきて、あなたの講義はここがわかっていないようだよ、もう一回ちゃんと丁寧に説明をしろとか、早過ぎるとか遅すぎるとか、そういうふうな批判が毎週と言ってもいいくらい返ってくるわけです。  それからまた、オフィスアワーというのがあります。そのオフィスアワーを週に一時間か二時間とってあります。理解のできなかった学生諸君、あるいはもっといろんな要求がある人々はそこに来て一時間ないし二時間、その学生たちと話をする場が与えられております。  日本にはありません。やっと文部省の努力でTAに対してお金が出るようになりました。しかし、まだまだ弱い。そういうふうに、授業をしている中間にどのくらい学生諸君が理解してくれたかというような評価が非常に弱い。これも自己反省であります。そういう点でやはり日本大学教育は今後さらに考えていかなければならないと思います。  それからもう一つは、黒板の使い方とかOHPの使い方もアメリカでは指導されます、時には。それから、そういう指導書がたくさんあります。黒板のどこからどこまでが使えるかというふうなことをまず知れ、後ろの人は見えないところがあるんだからそこは使うなと、こういうふうなきめ細かい指導あるいは指導書があります。これをファカルティーディベロプメントと言っておりますが、こういう工夫を今後日本大学ではしていかなければならないと思っております。
  110. 松あきら

    ○松あきら君 今、大臣のお話を伺っておりまして、やはりこういう大臣をいただいて非常に心強いなと。そういう御体験をなさっていらっしゃいますから、どういうふうにこれから改革していったらいいのか、本当に現場状況をわかっていらっしゃるということが非常に心強いという思いで今伺わせていただきました。ぜひ前向きにおやりになっていただきたいというふうに思います。  例えば論文数とか論文や業績に関する情報、こういうものは公表されたりするんでしょうか。いかがでございますでしょうか。
  111. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 教官の研究業績等の公表でございますが、既にかなりの大学で自己点検・評価報告書あるいは各種広報誌等により行われておりまして、このような取り組み社会に対する国立大学の説明責任をより明確にするという観点から望ましいというふうに考えておるわけでございまして、このような情報の公表を制度上どのように位置づけていくかについて今後検討してまいりたいと考えております。
  112. 松あきら

    ○松あきら君 今、大臣もせっかくお手を挙げてくださいましたので。
  113. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 率直に申しまして、十年前ぐらいまでは論文リストを提出してくれということに対して大変抵抗がありました。ですが、今はそういう抵抗は非常に少なくなりました。それから、研究所などはもう昔からかなり論文リストをつくっていました。それから、大学でも理系はどちらかというと論文リストを個々の教官が持っており、それを時によっては学部長が持っているというふうなことがあります。しかし今でも、例えば教室主任が全員の教授、助教授、助手の論文リストを持っているというふうな状況はまだできていないと。でも、大学研究所によってはそういう状況になっております。  それはもう公表するということは大いにあり得るし、今局長から御説明いたしましたように、各大学が出している、あるいは研究所が出している年間報告、アニュアルレビューというふうなものにはよくそれが公表されております。しかし、かなり長い間、文系の方たちの間ではこれに対する抵抗がおありになったと聞いております。今でも多少残っているかもしれません。それが一つ。  それからもう一つは、文部省に属する学術情報センターというのがございまして、そこにそういう論文類のリストができております。ですから、学術情報センターにインターネットで問い合わせますと、どういう人がどういう論文を書いているかということがわかるようになってきております。こういう点で公表は今後ますます進むと思います。
  114. 松あきら

    ○松あきら君 先ほど午前中の本岡先生質疑の中でお話が出ました、私も毎回といいましょうか、この委員会のたびに申し上げている一条校からの大学の入学です。私どもの地元の横浜の中華学院の学生も、私立大学しか受験できない、幾ら勉強していても国立大学の入試を受けさせてもらえないという悲痛な叫びがございます。本当にもうなぜなんだろうと。  先ほどもいろいろお答えを伺っておりましたけれども、普通の一条校から入学してきてもほとんど授業に出ないで、先ほどの馳先生のお話じゃないけれども、携帯電話でしゃべっていたり何か食べちゃったり、そんなふうに余りまじめじゃない学生もいると。だけれども、私はやっぱり、実質的に本当に勉強したい者、真剣に勉強したい者を入学させるべきであると。これは六月か七月に云々というお話がありましたけれども、ぜひ改善すべきであるし、またそうしていただきたい。前向きな再度御答弁をいただきたいというふうに思います。
  115. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 現行制度につきましてはもう御案内のとおりでございまして、学校教育法の規定に基づいて、高等学校を卒業し、またはそれと同等以上の学力があるとして文部大臣が定める者について大学入学資格が認められておるわけでございます。  横浜中華学院は各種学校でございまして、各種学校教育内容については法令上特段の定めが設けられておりませんので、その卒業者に対して一般的に高等学校を卒業したと同等以上の学力があると認定することは困難であることから、大学入学資格が認められていないところでございますが、今後の国際化の中でこれについてどのように考えるかについては、引き続き検討をしてまいりたいと考えております。
  116. 松あきら

    ○松あきら君 文部大臣、ぜひ一言。
  117. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 午前中も御答弁申し上げましたように、この問題は長い間の懸案でございます。特に、国際化がかくのごとく進んできたときにどうするか、こういうことを今慎重に検討しているところでございまして、どういうふうに諸外国における外国人学校が取り扱われているか、このことについてもう少し調べ上げました上でさらに考えをまとめていきたいと思っております。
  118. 松あきら

    ○松あきら君 ぜひ、よりよき改善をよろしくお願いいたします。  さて、運営諮問会議を設置して、大学運営に関しまして重要な意見文部大臣の任命した学外者から聞くこと、これについて先ほどから種々御質問が出ているわけでございます。学問の自由にとって最も重要な大学の自治が確保されなくなるのではないか、この思いが強いわけでございます。  大学の自治、学問の自由を確保しつつ、どのように運営諮問会議にその役割を果たさせるのか。これにつきまして、大臣は筑波大学の参与会のメンバーであったというふうに伺っておりますけれども、筑波大学の参与会、評議会制度のよい点、悪い点、その評価を伺いたいし、また、その人事委員会を評議会に取り込んだという懸念が言われておりますけれども、それについても説明をしていただけたらなというふうに思います。
  119. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) まず、こういう参与会が、あるいは今度御議論賜っております運営諮問会議が大学の自治を侵すとは全く思いません。  それはなぜかと申しますと、今御質問の筑波大学の参与会でありますが、さまざまなことを提案いたします。しかし、それはあくまでも学長、そしてその学長の諮問に応じて評議会がどう考えるかによって取捨選択が行われます。今後もそうだと思います。  ですから、そういう意味で私は、運営諮問会議は極めて有効な面はあるけれども、大学の自治を侵すということはないと、極端に申し上げますならば断言いたしてもよろしいかと思っています。  参与会がどういう役割をしてきたかということでございますけれども、まず筑波大学の参与会は外部有識者の意見を取り入れる仕組みとして随分機能していたと思います。私以外にも、私の記憶がもし正しければ慶応の石川先生とかもお入りいただいておったと思います。今では筑波大学を含めまして七十の国立大学でこのような組織が置かれておりまして、社会的に見ても筑波大学の参与会が非常に役に立ったという認識があると思います。  その参与会の悪い点というのは私は必ずしも思いつかないのですけれども、いい点というのは、筑波大学だけではなかなかわからないアイデアがあるものです。例えば、筑波で大変苦労しておられたのは外国人留学生の問題などがあったと思いますけれども、既に他大学の努力で解決しているような問題を気がつかない場合がある。そういうことについては、参与会に他大学のメンバーが入ってくること、あるいはいろいろな産学協同であるとか地域社会との協同であるときに、どういう要望があるかというようなことを、大学だけでは気がつかなかったことを、筑波でこの参与会を通じて認識されて実行に移されていると思います。  そういう点で私は、こういう運営諮問会議が置かれまして、大学の運営についていろいろ忠告をしてくださることは非常にいいことだと思っています。  それにも増しましてもう一ついいことは、筑波大学の窮状というのがあるわけです。難しくて自分だけでは解決できないような問題、こういう問題が参与会に出されることによって、その問題の理解が深まっていく。そして、筑波大学と限りませんが、それぞれ参与会が置かれている大学の問題点を解決する上で大いに役に立ってきていると思っております。
  120. 松あきら

    ○松あきら君 次に、中谷巌教授の兼業問題の取り扱いについて文部省はどのように対応しているのか伺いたいというふうに思います。  通産大臣は理系の教授ならよいというふうにおっしゃったそうですけれども、大臣も理系でいらっしゃるわけでございますけれども、やはりそう思われるのでしょうか。大臣は、中谷教授がソニーの取締役に就任した場合の取締役の責任を心配されているというふうに伺いましたけれども、取締役の責任については具体的にどのようなことを危惧されているのか、その点も伺いたいというふうに思います。
  121. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 中谷さんの民間企業との協力は私はいいことだと思っております。ただ問題は、どういう格好で協力するかということであります。さまざまな大学での研究結果を民間の企業に反映すること、そしてまた、民間企業のさまざまな問題を大学へ持ち帰って研究に役立たせる、またさらに教育に役立たせることはいいことだと思います。  ただ、私が危惧しておりますことは、その際の報酬というふうなものはどうあるべきであるか、この点が一つ。上限があるのかないのか、どの程度が適切であるか、こういうふうな問題点。それからもう一つは、今御質問の取締役なら取締役としてのその責任というものがどういうふうに具体的にあるだろうかということであります。  今御指摘の中谷先生の場合でありますと、破産することはないと思いますけれども、その会社が社会的に何らかの問題を起こしたときに経営方針が間違っていたという指摘が起こった、そのときにこの社外取締役はどこまで責任を持たなければならないか、その点、私は実はつまびらかではないわけです。ですから、その辺が明確になればこの民間企業との協力はいいことだと思っております。
  122. 松あきら

    ○松あきら君 やはり私は、開かれた大学というふうに標榜しておりますから、国立大学から知識や人材が社会に進出していくことはとても大事なことであると、先生も今そのようなことをおっしゃってくださいましたけれども、やはりそれは社会還元であるというふうに思います。  しかし、この中谷教授の場合のようにいろいろな御意見もあるようでございますけれども、産学協同を進めるに当たりまして、この教授の場合のように公務員法制で教育職人事を縛ることなく、また人事院にお願いするだけでなくて、文部省もこうした人材の社会進出のためのルールづくりをすべきではないかというふうに思いますけれども、その点についていかがでございましょうか。
  123. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) これは実は技術移転の方で随分考えていることでございまして、これは理科系になりますけれども、企業と協力をしてベンチャービジネスをやるにはどうしたらいいかとか、そういう問題でやはり同じような、中谷先生の場合と似たような問題がございまして、この点については条件をそろえているところでございます。  そういう意味で、理系ならいいとか、理系じゃなければ悪い、そういうことは別にないと思っております。どちらにしても、法律上問題ない、それからモラルの上で問題がないというふうなことがはっきりしてまいりますれば、さらに積極的に進めていきたいと思っております。ただ、国立が一企業のために何かするということはいけませんので、一企業のメンバーにお手伝いとして入るにしても、社会全体のためにということであるべきだと思っております。
  124. 松あきら

    ○松あきら君 伺いたいことはまだたくさんございますけれども、最後に、二十一世紀日本の高等教育に何を期待し、どのような高等教育の全体像を描いておられるのか、文部大臣質問させていただきまして、終わらせていただきたいと思います。
  125. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私の長い間の理想は、日本大学世界一流になることであります。  私は率直に申し上げて日本の初中教育は非常によかったと思っています。最近、いじめの問題とか不登校の問題とか学級崩壊と言われている問題、さまざま出てきておりましたけれども、今までの学校教育は、決して初中教育は悪くなかった。今問題があるので、それは解決していかなければならない。  大学もかなりよかったと思います。しかし、大学院が弱い。そういう意味で、大学院、そしてまた大学を含めて世界に誇るべき大学をつくっていきたい。そのためには、まずは基盤がしっかりしなければなりませんので、今後とも財政上での御助力を賜りますことを心からお願いを申し上げておきたいと思います。
  126. 林紀子

    ○林紀子君 日本共産党の林紀子でございます。  今回の法改正は、第一に三年次卒業を認めるなど大学制度弾力化、そして第二に大学が一体的、機能的に運営され責任ある意思決定が行われるよう大学の組織運営体制を整備すること、趣旨説明でもこのように伺いましたが、これまでの審議を見ますと、大学が慣行として行ってきた大学自治の根幹を覆そうとする重大な改悪だと言わざるを得ないと思うわけです。  きょうは、私は、第二の組織運営体制の整備について質問させていただきます。  まず、評議会、教授会の位置づけということですけれども、評議会を暫定規則から法制化したことについて、これまでの審議で文部省は繰り返し、国立大学の運営について権限、責任を明確にする、評議会、教授会の役割分担を明確にする、基本的な組織運営を明確に定めることが必要だというふうに説明なさったと思いますが、この明確化し役割分担するということですけれども、今回の法制化によって、これは今までと比べてどのように変わるのか、そのことをまずお伺いしたいと思います。
  127. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) これからの大学には、大学全体の教育研究目標、計画を明確にした上で、学内の各機関がそれぞれ役割分担をし、連携協力し合って大学一つの組織体として機能することが求められるわけでございます。  今回の法案におきましては、そういった観点に立って、評議会は大学運営に関する重要事項を、学部教授会は学部の教育研究に関する重要事項をそれぞれ審議する審議機関として法律上明確に位置づけたわけでございます。そして、大学運営につきましては学長が、学部運営につきましては学部長がそれぞれ最終的には決定をするものであることを明確にいたしております。それから、学長は評議会の議長として、学部長は教授会の議長としてそれぞれ会議を主宰するとの規定を設け、評議会や教授会の運営における学長、学部長の主導性を明確化するとともに、省令におきまして、多数決の実施など責任ある会議運営の手続を規定することといたしております。  こういったことによりまして、学長や学部長、評議会と教授会の機能分担と連携協力という組織運営の基本的な枠組みを整備いたしたものでございます。
  128. 林紀子

    ○林紀子君 本会議での我が党の質問に対しまして大臣は、評議会や教授会はあくまで審議機関であり、決定機関ではないというふうにおっしゃっておりますよね。これは今までと比べて重大な変更だというふうに思うわけですね。評議会や教授会は大学の審議機関だというふうに言うわけでしょうか。今まで慣行的に行われてきたのは、この教授会や評議会が大学の意思決定機関であったということではないかと思いますけれども、実情はこういうふうになっているということをお認めになりますでしょうか。
  129. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 従来から評議会や学部教授会は審議機関でございまして、大学や学部の意思形成において重要な役割を果たしてきたことは間違いのないところでございますが、最終的な意思決定は学長、学部長が行うものでございます。したがいまして、これまでも評議会、教授会を意思決定機関というふうな位置づけはしてまいりませんでしたし、法令上、このことが明らかなわけでございます。
  130. 林紀子

    ○林紀子君 大臣もお手を挙げてくださっておりましたので。
  131. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 今お答え申し上げたとおりでありまして、前々から、最終決定は学長がするわけです。学長が諮問をする、そういう諮問にこたえるという意味での最高の決定というのは評議会を使っていたわけですね。ですから、決定機関という意味が違うと思うんですよ。諮問に応じるということは今までも同じことであったと思います。学長に大学の包括的な最終責任者としての職務と権限は今までもあったわけですが、それを前提に、評議会が、学部など各部局との関係において、各部局の意見を全学的な観点から調整しつつまとめるという機能を持っている、そこがやっぱり最高の機関ということであると思います。  そういう機能を担っている評議会の意見は学内において極めて重く受けとめられている、そういう意味で評議会が大学の意思形成において極めて重要な役割を果たしてきた機関である、これが私の認識でございます。かつて私の責任のある東大白書の記述等々についてという御質問がありましたけれども、私はそういうふうに理解しているわけです。  当時の問題点というのは、率直に言って、先ほど午前中にもお答え申し上げましたけれども、学部の教授会、研究所の教授会と大学全体としての問題とが乖離することがしばしばございました。  例えば、新しいキャンパスを設けようではないかというようなときには、意見が全く合わなかったことがあります。あるいは、入学試験をどうするかというようなこともなかなか合わなかった。教授会が反対、賛成、こういうときには評議会でぴしっと決めるより仕方がない。こういう意味では、やはり評議会というのは最高の審議機関であると私どもは認識していたわけであります。
  132. 林紀子

    ○林紀子君 最高の審議機関で、意思決定機関は学長であるということなんですけれども、文部省の従来の見解から見ても、その答弁というのは違っているんじゃないかというふうに思うわけですね。  今キャンパスの移転というお話がありましたけれども、一九七三年の筑波大学法案の審議の際の答弁ですけれども、当時の奥野文部大臣は、大学の意思を決めます場合には、物の性質によって評議会で決定される場合も教授会で決定されるものもある、このように答えていらっしゃるわけですね。  実態でも、それから文部省見解でも、評議会、教授会というのは意思決定機関だというふうにどうしても思わざるを得ないわけです。従来から審議機関であったというのは実態を無視しているんじゃないか、これまでの文部省見解から逸脱したものなんじゃないかというふうに思うわけですが、いかがでしょうか。
  133. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 従来から、学校教育法の五十八条三項で定められておりますように、「学長は、校務を掌り、所属職員を統督する。」わけでございます。この法令の規定に基づいて、大学運営について最終的な権限と責任を持って意思決定を行うのは学長とされておるわけでございます。  ただ、学長が具体の意思決定を行うに当たっては、学内の意見を集約する必要もございます。また、幅広く意見を伺う必要もございます。そういった観点に立って評議会あるいは教授会の審議というものを十分尊重する、そういう観点から評議会、教授会の意見を重んじた対応をしてまいったわけでございます。  ただ、このように評議会、教授会が大学における意思形成に重要な役割を果たしているということをもって、評議会、教授会を意思決定機関というふうに位置づけることはできないわけでございまして、これらはあくまで審議機関でございます。最終的には学長、学部長がみずからの判断で大学、学部の運営を行っていくものである、こういうふうに考えてございます。
  134. 林紀子

    ○林紀子君 意思を尊重するというのは、それこそ当然のことだと思うわけですね。  国立大学協会が九五年に発刊しました「文化学術立国をめざして」という本に、「大学の組織と運営」という項で、大学の意思決定機関ということでこういうふうに書いているわけですね。「大学の管理運営は大学レベルでも学部・研究所等のレベルでも、」学長、学部長のような「独任制機関の部分で機動力を持たせているが、最終的な決定権は、」評議会、教授会といった「合議制の機関におかれている。」、実態上も実質的に最終的な決定権は合議制機関に置かれている、こういうふうに位置づけられてきたんじゃないかと思いますが、これについてはいかがですか。
  135. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 例えば、御指摘ございました大学の移転というようなことになりますと重要な事項でございます。評議会にかけて決定をするということが行われているわけでございますが、それはあくまで評議会における審議というものを踏まえて決定がなされるということでございまして、最終的な意思決定の権限と責任を持つのは学長ということでございます。
  136. 林紀子

    ○林紀子君 はっきりとこれには「最終的な決定権は、合議制機関におかれている。」というふうに書いてあるわけですから、そういう意味では、実態と今のお答えというのは全くかけ離れているんじゃないかというふうに思うわけですね。  大臣にお伺いしたいんですけれども、東大総長のときに責任を持って出されました「東京大学の現状と課題」、九二年に発行されたものですね。ここでも、東京大学の最高意思決定機関は多くの国立大学と同様、評議会である。「全学では評議会、各単位では教授会という合議体が最高意思決定機関である」、こういうふうにはっきり書かれているんですね。  現実にこのように大臣大学の運営をなされていたんじゃないかと思いますけれども、これまで否定なさるということはないと思うんですが、いかがでしょうか。
  137. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 先ほど既に御説明したように、その意思決定機関という意味は、諮問に対しての決定であると、そして、その諮問を受けて評議会がある意向を出したらば学長はそれを尊重するという意味であります。ですから、学長と評議会の意見が割れちゃったらばどうなるか。そのときには、そのやり方はどっちにしてもとらないですね。  ですから、学長と評議会が学長の諮問のもとで十分議論をする、その上で一つ方向が決まるという意味では、多少意思決定という言葉が強過ぎると思いますけれども、そういう役割は演じていたと思う。だけれども、あくまでも最終的には学長が責任を持つ。これは、何か失敗をしたときに、じゃ評議会が責任を持つかというとそれは持てない。やはり学長である。同じく教授会もそうである。教授会で学部長の諮問に答えて、あるいは自分自身の問題を出すこともあります、それをみんなで議論して、これはいいことだ、決めようではないかというふうなときに、どちらをとるかというふうなことについては賛否を問うこともあります。  例えば人事などというのは賛否を問うわけです。そして一応、だれだれを教授に選ぶということは決めるわけです。決めるというか、教授会としての人は選ぶわけです。それを実行するに当たっては、やはり最終責任は学部長が持つ。それを評議会に出す。そして評議会で議論して学長が決めるという段取りを、まあ人事の場合は評議会も出しませんけれども、そういう段取りをとっていたわけです。  そういう意味で、最高意思決定機関という表現はあるいはちょっときつかったと思いますけれども、私はやっぱり学長が責任を持つものだと思います。
  138. 林紀子

    ○林紀子君 責任をとるということは当然だと思うんですが、今引用しました「東京大学の現状と課題」の中でこういう文章もあったわけですね。「また、なんでもかんでも合議体で決めようとするのが問題で、機関の長に権限をもっと集中すればよい、という意見もあるだろう。だが、実は、内部ではそれが、まさに合議体の決定=委任に基づいて大幅に行なわれているのである。」、それで、「機関の長のリーダーシップが発揮されている」ということも当然だということが書き加えられているわけです。  ですから、今大臣がおっしゃったこと、決めるのは合議体である、そしてその決定に基づいて実行する責任を持つ、それが長である、そういうふうに今おっしゃったわけですよね。
  139. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) その決定という意味が私は少し違うと思うんですね。さまざまな意見、例えば入試に口頭試問を導入するかどうかとか、あるいは試験を二つに分けるというふうなことをやるかどうか、こういうふうな話に対しては皆さんの意見を聞きます。どこの学部はイエスかノーか、あなたのところはどうかというようなことは聞きます。そしてまた、どこが一番有力な意見を出すか出さないか、そういうことは確かにそこで議論をする。それが、全体の意見を調整することはあり得ますね。その調整した結果を学長が採用するということが普通に行われているわけです。学長が動議を出して、それについて意見を求めることもあります。ですから、その動議を出してどっちを選びますかというようなときには、その動議に従う責任がありますから、その動議の結果によって方針が決まるわけです。  しかし、どういう動議を出すかとか、最終的にもし意見が分かれたときどうするかとか、多数決で決まらないときどうするか、こういうふうなことに関しては、やはり最高決定者は学長であり学部長であると思います。
  140. 林紀子

    ○林紀子君 ですから、決定機関と執行するところというのがあるわけだと思いまして、長というのはやっぱり執行するところ、そういう意味で責任を持つということでは私もよく理解できるわけですね。ですから、まさに合議体の決定、委任に基づいてそれが行われる。それは今までもやってきたことですし、今大臣がおっしゃったこともそうですし、これからも当然なんじゃないかというふうに思うわけです。
  141. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 評議会は合議制の機関でございます。したがいまして、その構成員にはさまざまな意見をお持ちの方がいらっしゃるわけでございます。そこにおいて討議が行われ、一定方向性というものが出てくることとなるわけでございますが、その一定方向性というものがいわゆる評議会における決定ということになるというふうにも考えられるわけでございますが、この評議会の決定を受けて学長がどのような対処をするのかという場合、当然のことながら、評議会の意向というものを尊重して、その評議会の決定というものをそのまま執行する場合もございましょうし、あるいはその評議会の決定というものが学問研究の動向あるいは社会的な要請といった観点から見て必ずしも適切ではないという場合には、再度評議会に対して審議を依頼するというようなこともあるわけでございます。  その意味において、学長は、みずから最終的に当該課題についてどのような対応をするかということについての意思決定を行い、それを実行する、そういう権限と責任を最終的に持っているというものでございます。
  142. 林紀子

    ○林紀子君 ですから、決定の機関と執行の機関ということで今言ったわけですけれども、そういう意味では、衆議院の参考人質疑出席なさった浜林一橋大学名誉教授は、一般的に意思決定と執行を一つのところが持つというのは変形だということを言っているわけです。意思決定に縛られて執行するのが民主主義である、例えば国会と政府という話も出ていましたけれども、国会は最高の意思決定機関で、執行は行政府となっている、行政府が意思決定をするということになれば、国会の審議というのを決めるのは小渕首相だということになるわけで、こういう点では非常に憂慮しているという参考人の発言があったわけです。  今のお話を聞いていると、有馬文部大臣のお話と局長のお話とまたちょっと違ってきているのではないかという気はするんですけれども、やはり合議体での意思決定、まさに意思決定、そして責任を長が持つということで、それは本当に、民主主義という意味では世間の常識ではないかというふうに思うんです。
  143. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 意思決定という場合、さまざまな段階における意思決定があろうかと思うわけでございます。つまり、大学としての意思決定ということもあれば、大学の内部機関における意思決定ということもあるわけでございます。  ここで問題としておりますのは、大学としての最終的な意思決定をだれが行うのかということでございまして、これにつきましては、先ほども申しましたが、学校教育法の五十八条の三項に基づいて、学長が大学としての意思決定を行うというものでございます。
  144. 林紀子

    ○林紀子君 幾ら聞いてもやっぱりそれがよくわからないんです。  合議制を大事にするということについては、今、大臣の方からも局長の方からもそれは重要なことなんだというお返事があったと思うわけです。大学というところにおける合議制の重要性というのは、一般社会でももちろん重要ですけれども、ますます重要じゃないかというふうに思うわけです。  この「東京大学の現状と課題」の中にも、   大学の、組織としての特殊性をいうとすれば、教育研究を天職と考える専門家集団によって成り立っているということである。教育研究という仕事は、その性質上、官僚制的服務規律に沿って行なうものではなく、教官各人の学問的良心に基づいて行なわれてこそ、大学は活性を保つことができる。また、合議体での議論を尽くすことこそ、ともすれば天職に引きこもりがちな教官から、大学にとって不可欠な管理運営の仕事に対する心からの協力を得る道である。   いたずらに権限を集中し、上意下達方式にすれば、大学の活性は失われ、お座なりの管理運営しか期待できない。 ということを言っているわけで、そういう意味では、本当にこの合議制というのを大事にしながら、そしてこれが、国会と行政府の関係のような、まさに民主的なやり方で行っていくというのが当然だと思います。  それから、大学の自治ということについても、これはもう文部大臣はよくよく御存じの方たちばかりだと思いますが、田中耕太郎、末川博、我妻栄、大内兵衛、宮沢俊義、こういう各先生方大学の自治についてという座談会の中で我妻先生が述べられていることですけれども、学長はその大学について、学部長はその学部の運営について、評議会なり教授会なりの決定した大方針にのっとって運営しなければならない、また、学長、学部長と評議会、教授会は一体不可分で動くべきもので、自治の本体はあくまでも教授会と評議会にあるというふうに述べていらっしゃるわけです。  ですから、大学の自治を守っていく、そのことについてもこの「東京大学の現状と課題」においては、いかに東京大学大学の自治を守るということに戦前から大変な努力をしてきたかということについても触れていらして、私はこれを確かにそうだと大変感激をしながら読んだわけです。そういう意味でも、やはり大学の自治、教授会それから評議会、その意思の決定というのが本当に大事だということをどうしてもここで申し上げておかなければならないというふうに思うわけです。  時間の関係もありますので次の質問をしたいわけですけれども、教授会の審議事項ということについてお聞きしたいと思います。  これも、大臣が衆議院での我が党の質問に、その学部に関係のある他学部の問題、全学的な問題はもちろん取り上げていい、そういう意味で今までと全く変わらないという御答弁をなさっていらっしゃいます。ところが、参議院の本会議では、大学の運営に関する事項について学部教授会が審議を行うことができるのは、学部の教育研究に関する重要事項に限られているというふうにたしかお答えになったと思うんです。  今までと変わらないというのと、審議事項は限られるというこの衆参での答弁というのはかなり内容的に大きく違っているんじゃないかというふうに思うわけですが、学部というのは全学を構成する単位なわけですから、教授会が全学的な問題を取り上げるというのは当然の権限だというふうに思うわけですが、この違いというのはどういうところからきているのですか。
  145. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 違っていないと思います。学部にとって教育研究の上で重要事項というものに入る場合には、他学部の問題もそこで議論していい、全学の問題も議論することはあり得ると思います。もちろん自分自体だけの重要事項はそこでやるべきです。だけれども、そこに、学部以外のことは一切やってはならぬということは書いていないはずです。
  146. 林紀子

    ○林紀子君 そうしましたら、審議事項は今までと変わらないというふうに衆議院の方でお答えになった、そういうものだと理解させていただいていいわけですね、うなずいていただいておりますので。  そして、各大学教授会の審議事項というのを私調べましたら、審議内容というのはかなり多岐にわたっているわけです。例えばある大学ですけれども、大学の自己評価指針及び自己評価規則、学長候補適任者の選考、大学院の設置、国際学術交流に伴う教官の招聘、予算配分、附属養護学校長候補者の選考、短大との合体について、応援団の問題について等々、こういうふうに並べられているわけですけれども、こうした問題をこれまで審議してきたわけですから、変わらないという意味では、これからも教授会の判断でこれは審議できるということでよろしいわけでしょうか。
  147. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 教授会は、学部の教育研究に関する重要事項を審議すべきものとして各大学に設置をされてきたわけでございます。その点は、今回の改正法教授会の審議事項を規定しておるその審議事項と変わりはないということをこれまでも述べてきたわけでございます。すなわち、現在の法律における教授会の審議事項はあくまで学部の教育研究に関する重要事項でございまして、この点を今回の改正法においてもいわば引き継いでいるということでございます。  したがいまして、教授会の審議事項としては、学部の教育研究に関する重要事項に該当するかどうかという観点からの見直しが場合によっては必要であるというふうに考えておるわけでございます。この点につきましては、従来ややもすれば、学部自治という名のもとに、学問の進歩や社会の変化に対応した改革の推進に支障が生じている、あるいは学部の壁を超えた自由な議論の形成や円滑な合意形成が進んでいない等々の指摘もあるわけでございます。これは一つには、その学部教授会が、本来の学部の教育研究として想定されている枠を超えて余りにも多くの問題について審議をし、本務であるところの教育研究活動についての審議に支障を生じてきたというふうな実態もあるわけでございます。そういった点を踏まえて、今回、改正法におきまして、教授会における審議事項は、学部の教育研究に関する重要事項ということを明確にしたわけでございます。
  148. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 今、畑野先生の御質問に対する答えを見直していたんですが、そこでは学部の教育研究に関する重要事項に限られるところでありますとお答えしたことをリファーされていると思うのですけれども、私が先ほど申し上げたことは、教授会の役割の中で、その他当該教授会を置く組織の教育または研究に関する重要事項ということでございまして、ここの中に、例えば理学部での教授会で教養学部の議論をすることもあり得るわけです。なぜかというと、教養学部の講義内容が広範に影響を与えますので、そういうときには当然教養学部と一緒になって議論をすることはあり得るわけです。そういう意味で、学部の教育研究に関する重要事項という学部の教育研究の中には、他学部や他研究所との協力の仕方に関する問題が含まれていると私は了解しているわけです。
  149. 林紀子

    ○林紀子君 ですから、自分の学部といっても、全学にかかわるような問題というのは、また自分の学部にも当然かかわってくる問題というのはたくさんあるわけです。ですから、三項目目に全部含まれるということは言えるとは思うんですけれども、しかしやっぱり三つに区切っちゃうということはないんじゃないかと思うんです。それこそ本当に、日本有数の知的水準の高い方たちに、あなたたちはこれ以外はだめですよ、こういうふうな細かい指示までする必要はないというふうに思うんです。  そういう意味では、これまでどおり、教授会は重要事項を審議するというところをそのまま生かしておいていいんじゃないか。どういうことを審議するかというのは、それぞれの教授会がまさに自主的に自分たちできちんと一番合理的なことを考えていくということで、それはまさに大学に任せていいことなんじゃないかということで、それに細々と文部省が立ち入るというのを、これまたどうしても理解できないなというふうに思うわけです。  それとの関連もあるわけですけれども、大学の慣行というのを、この教授会の審議事項についてもなかなか認めないということになるんじゃないかと思うんですけれども、学長の選考という問題について次にお聞きしたいと思います。  改正案では、学長の選考は評議会が行うということになっているわけですけれども、これまでも法律上は、大学管理機関の読みかえ規定で、この学長の選考は評議会というふうになっていたわけです。内容的には今回の改正でも変わらないわけです。しかし慣行では、教員の選挙で学長候補者も選ばれる、評議会はこれを追認する、こういう慣行が確立しているんじゃないでしょうか。今まで大学の判断でこういうふうに確立された慣行を行うということについては、どういうふうにお考えになるのかお聞きしたいと思います。
  150. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 国立大学の学長の選考は、評議会の議に基づき、学長の定める基準により評議会が行うこととされているわけでございます。この点については変更がないわけでございまして、実際の学長の選考に当たりましては、評議会の議に基づき、学長が定めるところによりまして、学長候補者の選定に当たって大学の主たる構成員である教員の意向を聞くという趣旨から、教員による投票が行われているわけでございます。  この扱いについて、今回の改正により、教員による投票が行えなくなるというようなことはないわけでございますが、その実施方法につきましては、大学審議会においても幾つかの提言がございます。例えば、事前に評議会の責任において学内外から数名の候補者に絞った上で教員による投票を行うとか、投票に参加する教員の範囲について、大学運営の責任者を選ぶ上で適切なものとするなどの工夫が必要であるというふうにも指摘されておるわけでございます。  学長が大学運営に果たす役割というものがますます重要になってくることを踏まえて、改善の取り組みが進められることを文部省としては期待しておるところでございます。
  151. 林紀子

    ○林紀子君 大学の学長さんになる人はそれにふさわしい人を選ぶというのは、これまた常識なんじゃないかと思うわけです。ですから、そういうことも細々とまた文部省が口を出すというか介入するというか、そういうのはおかしいんじゃないかなとますます思ってしまうわけです。今までの、それぞれの教員が投票するということについては、評議会がそういうちゃんと決まりを決めればいいわけです。  次に、教育公務員特例法に関係しまして、教員の不利益処分ということを一言お聞きしたいと思います。  これまで、大学管理機関の審査の結果によるのでなければ、その意に反して免職されることはない、こういう規定になっていると思いますが、大学管理機関の読みかえで、これが評議会というふうになるわけです。現行でも、法律では評議会が行うことになっているわけです、この不利益処分は。しかし、教授会の議がなければ評議会は決定し得ないという慣行が、これまた確立しているというふうに思うわけです。教員の採用は教授会が行うわけですから、不利益処分というのも、当然それぞれの大学が慣行によって教授会が行う、認められるべきだと思いますが、いかがでしょうか。
  152. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 教員の免職、懲戒などの不利益処分につきましては、評議会の審査の結果によるのでなければ処分を受けることはないということとなっておるわけでございます。この点は教育公務員特例法制定当初から同じ扱いとなっておるわけでございますが、評議会が責任を持って事前審査を行うこととされておりますのは、不利益処分は、法令に定められた事由に当たる場合に行われるなど、必ずしも教育研究能力や専門性を考慮しなければならない程度が高くない、比較的少ないということがございますし、また、不利益処分は一般に、他の同様な処分との均衡を考慮して行わなければならない、こういった理由によりまして、評議会が責任を持つという形で行われてきておるわけでございます。  ただ、評議会が不利益処分の審査を行う際に、必要に応じて他の機関に実態の把握をゆだねる、あるいは意見を聞く、こういったことはあり得るわけでございますが、その判断につきましては、評議会が審査を行うこととされている趣旨を踏まえつつ、評議会が決めることであるというふうに考えております。
  153. 林紀子

    ○林紀子君 そうしますと、評議会の審査の結果によるものでなければという規定は、評議会が審査するというのとイコールではないわけですよね。ですから、教授会が発議し評議会が審査するということももちろんあり得るというふうに今のお答えを受け取っていいわけですね。
  154. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 評議会が事前審査を行うに当たってどのような手続をとるかということについては、評議会自身がお決めになることであるというふうに考えているわけでございますが、ただ、評議会が事前審査を行うこととされている理由、その趣旨を没却するような形での意見の把握といったようなことは、適切ではないと考えております。
  155. 林紀子

    ○林紀子君 文部省のこれまでの法解釈というのは、教育公務員特例法のコンメンタールというのを持ってきておりますけれども、有倉遼吉、天城勲両氏の著作によるものですと、天城氏は当時の文部省大臣官房会計参事官、随分これは昔の話なんですけれども、ここでは、教員の採用を行う大学管理機関と不利益処分を行う大学管理機関が異なっていることからくる問題だが、降任及び免職を評議会で行うことは、「これらの機関の決定だけで降任および免職が決定されるとするならば、教授会の意思が無視されるという不都合な結果とならざるをえない。降任および免職は、転任以上に本人にとって不利益であるのが通常であるから、教授会無視の不都合はいっそう大きい。したがって、降任および免職についても、採用および昇任に関する第四条が類推適用されると解すべきである。」。  それからもう一つ、もうちょっと新しいコンメンタールですけれども、「研究教育が歴史的に学部を単位として行なわれ、教授会を中心に形成されてきた大学の自治の慣行からいって、一般に教授会の意思決定が評議会のそれに優先すると考えるべきである。」。  前と今と全然法文上は変わらない。変わらない法文上の解釈というのがこういうことになっているわけです。ですから、そういう意味では教授会の意思というのを十分ここで反映させるべきだと思いますが、それでよろしいですね。
  156. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 法律的に申しますれば、評議会が責任を持って事前審査を行うものでございまして、したがいまして、評議会の審査のみで懲戒処分等の不利益処分を行うことも可能でございますし、また評議会の判断により教授会の意見を聞くということも当然可能でございます。ただ、最終的に責任を持って決定を行うのは評議会であるということでございます。  なお、御指摘いただいた文献につきましては、文部省としての公的な解釈を述べたものというふうには考えておらないところでございます。
  157. 林紀子

    ○林紀子君 公式なものと考えていないといいましても、これは昭和三十三年当時からずっとこういうことが言われてきて、これが実行されてきたということなわけなんです。ですから、それでは評議会がきちんと決めればこれも大学に任されるということであるというふうに承りました。  これまでの審議で改正案の重大な中身というのが明らかになってきたわけですけれども、最後にお願いしておきたいんですが、文部省は、運営諮問会議、評議会、教授会の議事の手続などを事細かく、これまた省令で定めるというふうにしているわけですが、何を定めようとしているのか。議事運営についてまで大学に介入するのかという気がここでもするわけですけれども、この省令案をきちんと私たちが論議できるように示してほしい、そのことをぜひお願いしたいと思います。
  158. 南野知惠子

    委員長南野知惠子君) 要望でよろしゅうございますね。
  159. 林紀子

    ○林紀子君 要望です。
  160. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 本法案は、昨年秋の大学審議会の答申を具体化しようとするものでございます。これは、もっとさかのぼりますと、十年間に及ぶ大学審議会の御審議の集大成と言ってもよろしいのではないかというふうに思うわけでございますが、法案提出の背景あるいは基本的な考え方については大臣趣旨説明のときにお伺いしたわけでございます。しかし、大学改革の具体的な全体像というものをもう少し知りたいと思うわけでございます。  今後の改革のスケジュールにつきまして、法律事項あるいは省令事項その他具体的にお示しください。
  161. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 今回、大学における教育研究につきまして、制度弾力化を図ること、あるいは組織運営について、機能分担、連携の関係を明確化すること等について法案の審議をお願いしておるわけでございますが、残る法律事項といたしましては、人事、会計制度弾力化等、大学自律性を高めるための措置及び第三者評価機関の設置がございます。これらはいずれも予算に関連するものでございますので、所要の予算措置を踏まえて早期に法案として整理し、国会での御審議をお願いいたしたいと考えておるわけでございます。  また、例えば自己点検、自己評価についてその実施と公表を義務づけること、あるいは第三者による検証を努力義務とすること、こういったことは省令改正事項でございます。  また、大学院につきまして、社会人の需要に積極的にこたえていくという観点から、修士課程について一年制コースを設けたり長期在学コースを設けるようなことも考えておりますが、これも省令事項でございます。あるいは、より実践的な教育研究を行うために、いわゆる特化大学院というのを修士課程において考えておるわけでございますが、これらにつきましても省令で所要の整備を行っていく必要がございます。  こういうもろもろの省令改正事項と残された法律改正事項等、今後文部省としてはできる限り速やかに実現をしてまいりたいと考えておりまして、でき得れば、平成十二年度にはすべて所要の制度改正が整い、各大学における取り組みが進められるようにしてまいりたいと考えておるところでございます。
  162. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 省令事項というのは幾つぐらい、法律の方は今二つぐらいというふうにおっしゃいましたけれども、省令はどのくらい必要と考えていらっしゃいますか。
  163. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) ちょっと、数を数えて後刻答弁させていただきます。
  164. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 けさ通告をいたしましたけれども、それでは後ほどお知らせください。
  165. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) どうも失礼しました。  既に省令改正として終わったものもございますが、省令改正事項としては全部で十九項目でございます。
  166. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 かなり簡単なことなのに、時間がもったいなかったですね。それを平成十二年度に、一応全体像が見えるような改革が、そういうことも含めて行われるというふうに受けとめておいてよろしゅうございますね。それはまた折々に確かめさせていただきたいと思います。  ところで、今回の法改正の大きな一つの柱というのが国立大学の組織運営体制の整備ということでございます。大臣は今まで本委員会におきましても御体験に基づくさまざまな御意見をお述べいただいてきたわけでございますが、東京大学におきまして実際に大学運営に携わられたわけでございます。その御経験を通しまして、現在の大学の運営にどのような問題が、これは一番大きな問題、幾つかお挙げいただきたいと思います。根本的な問題はどのようなものがあったのか、そしてそれが今回の法改正によりましてどのようなよい方向に、望ましい方向に変わっていくであろうと期待していらっしゃるのでございましょうか。
  167. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) まず大変難しかった問題は、東京大学全体としてどちらの方向に動くかということの意見をまとめていくということが非常に難しかったですね。  例えば、一番私が苦労いたしました一つ研究所の移転問題でありました。具体的に申しますと、六本木にあります生産研及び物性研をどこに移すか。この問題に関してはまず、当然といえば当然なのですが、物性研なり生産研の意見をまとめていかなければならない。大学としての方針とその間がなかなか結びつかない。やっとすべてが解決したときにはバブルが崩壊していたというふうなことがあって大変苦労いたしました。  要するに、一つのことの意思を決定していく上で、今一例を申し上げましたけれども、大変な時間がかかります。例えば、入学試験をどういうふうにしていくかということに関しましても、例えば前半に九〇%を採り、後半に一〇%を採るというふうなことの議論でも随分長い間の時間をかけます。こういうことの能率を上げていかなければ、今のこの急激に変化していく社会にはもう間に合わないと私は思ったわけであります。寄附講座を導入するというようなことに関しても大変な時間をかけました。  こういうことで、よく言えばすべての人が参画して議論するということはいいことだと思いますけれども、それが余りにも時間がかかり過ぎる、これが一点。  それから二点目に、あらゆることを全部委員会をつくったりしてやっていくわけですね。そうすると、一方では、口を開けば自分たちはもっと教育研究の時間が欲しいんだと、私も言いましたし、すべての教授、助教授、助手、講師の人たちが言うわけですけれども、具体的には、今申し上げましたように、あらゆることをみんなで議論していくためにどうしても委員会が多くなり、委員会を減らすための委員会もつくらなきゃならないというふうなことになるわけです。  こういう点では、責任を持って運営する人は、その人の全責任でもってやれるようにしていかなければならない。学長が失敗すりゃやめさせりゃいいわけです。それから学部長が不満であればリコールすればいいわけです。こういうふうな覚悟でもって、やはりもっと細かいことの執行は責任者に任せていく。非常に本質的なことだけを学部の教授会でやり研究所の協議会でやるというふうに進めていかないと、とてもでないけれども、今の大学社会についていけないと私は思った次第であります。この辺は改革していかなきゃならない。  しかしながら、大学の名誉のためにたびたび申し上げますけれども、本当に一生懸命やっています。この一生懸命やっている努力というものを評価していただきたいと思います。
  168. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 今私が御質問申し上げた後半の方でございますが、今大臣がおっしゃいましたそういう問題点が、今度の法改正によりましていい方向に向かっていくというふうに御期待をなさっていらっしゃるのでしょうか。
  169. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) うまくいくと思いますので、法案を提出させていただいております。  いろいろ御議論もありました。自治の問題とかさまざまな御議論をいただいておりますけれども、学長の責任、評議会の責任、学部長の責任、教授会の責任、こういうものがぴしっと決まっていくことが非常に大切だと思います。  それで、それをどういうふうに具体的に動かしていくかというのは、各大学の御努力にまつということが必要であると思いますけれども、ともかく、制度上、暫定でやってきたということが私はやっぱりまずかったと。きちっと決めた上で、それに対してさまざまな解釈、工夫を加えていくということが必要だと思います。そういうことによって学長を中心にして各大学がまとまって、よりよい教育研究をするべく、合理的で効率的な責任ある意思決定と実行が可能となる仕組みを整備するということが今法案の目的でございますので、これが法律としてちゃんと認められればかなり運営がよくなっていくと私は信じております。
  170. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 私も大学で教えたこともございます。大臣のおっしゃいますことはかなりよく現実的にわかります。研究者というものはなかなか自説を曲げない、それがゆえに研究者であるということもございます。したがいまして、もうさまざまな議論が、夜明けまで議論をしてもし尽くし足りないというような雰囲気があることは事実でありまして、それはまた非常に重要なことでもあるんですが、決定をするということに関してはまた非常に問題であるという今の大臣の御指摘、非常にリアルな、ビビッドな御経験の中からのお言葉だと思います。  そこで、本法案でそういった問題がいい方に行けばよいということでさまざまな点においての改正が行われるわけでございますが、例えば教授会が大学運営に当たっての位置づけで、先ほども御議論がございましたけれども、重要であるということだけはこれはもう変わるはずはないと思います。そしてまた、大学における教育研究自主性ということも守られなければならない、これは全く変わらないことだと思いますが、そういうことを前提とした上で、各大学が、今大臣もおっしゃいましたような自主的な、そして自己責任を持った上でこの法案の趣旨を生かしていくということが一番望ましいわけでございます。  いろいろと問題が今まで指摘されました大学の自由、学問の自由、研究者自分の言いたいことを本当に述べたい、そういう自由ということは、これもやはり束縛するわけにはいかないのでございます。その辺の兼ね合いをどのようなところに求めていけばよろしいというふうにお考えでいらっしゃいましょうか。
  171. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) たびたびお答え申し上げておりますけれども、まず第一に、学問の自由というのは絶対今後も守っていかなければならないと思います。大学の自治とは何かということをせんじ詰めていきますと、どういうことを教えるか、どういう研究をするか、それから、先ほども申し上げましたけれども、ある目的の人事が最もいいのはどういう人であるか、こういうふうなことを決めていくことが私は自治だと思います。  したがいまして、社会からあるいは国からいろんな要請があっても、その大学として自分たちとしては研究したくないとか教育したくないというふうなことがあれば、それは断っていく自由はあると思います。あるいは、新しい方向に向かって研究をしていくということの自由というのも大学になければならないと思っています。そういう意味での大学の自由、狭い意味ではございません、広くとっていただくことにいたしまして、学問の自由というのは守っていかなければならないと私は思っています。  今回の法案は、そういう学問の自由であるとか大学の自治であるというふうなものに対しては、本質的な変更を加えるものではないと私は思います。  ただ、今回の法案というのは、大学内部の各機関の役割分担を明確化する、たびたび申し上げていることで恐縮でございます、評議会や学部教授会の設置や所掌事務等を定めております。例えば、学部教授会は学部の教育研究の重要事項、これはいろんな重要事項があると思いますが、こういうものを審議するなど、教育研究に関する大学自主性をあくまでも尊重した内容のものになっていると私は判断いたしております。  したがって、この法案は、大学における学問の自由や大学の自治を前提とした上で大学としての自律性をより高めるものであり、それを通して教育研究充実に資するものと考えております。  学部教授会における審議事項の具体的な範囲の決定等につきましては各大学の判断にゆだねられますが、しかしながら各大学においては、学内の役割分担を明確化した上で連携協力しながら、合理的で責任ある意思決定を行う枠組みを準備するという今回の制度改正趣旨に即した組織運営の適正化に努めることが求められているところと考えております。
  172. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 今御質問申し上げましたことに関連いたしますけれども、大学運営の自主性ということに関しまして、このたびは、この法案におきまして国立大学の説明責任ということが初めて本格的に取り上げられたというふうに私は評価しております。  その具体的なあらわれというものの一つが、いわゆる運営諮問会議ということになろうかと思います。その意義の一つとして、大学が象牙の塔あるいは大学の閉鎖性ということが言われて久しいのでございますが、そういった観点から見ても、国民の意向というものをいかに大学運営に反映していくのかということは必要なことだというふうに思います。  しかしながら、そこでまた問題になってくるのが、先ほども御議論がございましたけれども、大学の運営の自主性というものと、いわゆる外部の方たちから成る運営諮問会議との間のバランスでございます。社会に開かれた大学、学問の府ということとどうも一見矛盾するようでございますが、この点、説得力のあるお答えを簡潔にいただきたいと思います。
  173. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 簡潔にわかりやすく申し上げるのはなかなか難しいかもしれませんが、私は、国立大学というものが国税で運営されているということを昔から非常に重く思っておりました。そのためには、国民に対して国立大学は何をやっているかということを説明していかなければならない。そういう説明責任は極めて高い、重大であるとかねがね思っております。  そういう意味で、説明責任を果たす一つの機関がこの運営諮問会議かと思っております。そういうところに説明をするということが、まず国民の方々のいわば代表の方に対して説明を申し上げる、そこから説明責任を出発させる。その上で、運営諮問会議が大学に対していろいろ注文をしてくださったり忠告をしてくださる、場合によっては勧告してくださる、そういうふうなことが今後やりやすくなるという点でこの運営諮問会議の役割があると思っております。  運営諮問会議は、大学教育研究上の目的を達成するための基本的な計画や、大学教育研究活動等の状況についての自己評価に関する重要事項等について審議し、助言または勧告を行うものとしております。各大学においては、これらを踏まえまして、教育研究活動の一層の活性化、高度化等が図られるものとなると考えております。また、運営諮問会議の審議及びこれに対する大学の対応につきましては、社会に対して積極的に公表することを考えております。  なお、運営諮問会議の審議や助言、勧告を踏まえ、大学としてどのように対処するかは各大学の自主的、主体的な判断にゆだねられておりますので、もし大学の運営の自主性を侵すような勧告が行われれば、それははねつけていけばよいと私は思っています。そういう意味で、個々の大学運営の自主性を侵害するというようなことはないと私は思っております。
  174. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 国立大学のアカウンタビリティーを具体的に示すものの一つとして今、運営諮問会議をお挙げになりました。  もう一点、これは大学情報の公表、開示ということがございます。法案ではそれを義務づけております。先日成立いたしました情報公開法と関連づけて、この点について御説明をいただきたいと存じます。
  175. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 国立大学教育研究、組織運営状況の公表について国立大学に義務づけておるわけでございますが、具体的な公表内容とか公表方法につきましては文部省令で定めることといたしております。  内容につきましては、大学の将来計画、大学の入学や学習機会、学生の知識・能力の習得水準、卒業生の進路状況、財務状況、運営諮問会議あるいは評価に関する情報などを考えておりますし、また方法につきましても、刊行物への掲載、ホームページへの掲載など、広く周知を図ることができる方法によって行うことを考えているところでございます。  先ごろ成立いたしました行政機関の保有する情報の公開に関する法律との関係でございますが、この法律は、行政文書の開示請求に対して行政機関の長、国立大学の場合は学長でございますが、学長が不開示情報を除き行政文書を公開することを義務づけるものでございます。  これに対しまして、御指摘大学情報の公表は、大学がみずから定期的に積極的に大学に関する情報を公表するものでございまして、この両制度大学において同時に機能することにより、国民に対する大学全体としての説明責任が一層明確になるというふうに考えておるところでございます。
  176. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 文部省令として具体的な内容が定められるということを今おっしゃいましたけれども、その場合に心配されることは、画一的になるんじゃないか、余りにも詳しいところまで内容が定められてしまうのではないかという懸念が一般的にございます。この点をぜひ配慮して省令に定めていただきたいということを強く希望しておきたいというふうに思います。  ところで、この法案におきましては、学部長が教員選考につきましては教授会で意見を述べるということになっております。ところが、学部長というのは教授会のメンバーでありまして、これまでも意見を述べていたわけでございますが、改めてこれを法律で規定するというのには何かの理由があるのでございましょうか。そして、その教員の選考は教授会が判断するという原則は変わらないというふうに見てよろしいのでございましょうか。
  177. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 御指摘ございましたように、従来から国立大学の教員の選考は教授会の議に基づいて行われておりますので、学部長は学部教授会のメンバーとして教授会の審議に関与しているわけでございます。  ただ、これは昨年十月の大学審議会答申指摘されたわけでございますが、教員選考の手続について、より幅広い視点に立って、教育研究の進展や社会的要請を踏まえて検討を行うべきであるというふうなことが指摘をされておりまして、学部長が、全学的な人事の方針を踏まえて、必要に応じて意見を述べることが適当とされておるわけでございます。  今回の改正案では、これを受けまして、学部長が、大学の教員人事の方針を踏まえ、具体の選考に関する意見教授会に対して述べることができる旨を規定したわけでございます。これにより、学部長が大学の教員人事の方針を具体の教員人事に適切に反映することが期待されるわけでございます。教授会においてはその意見を十分踏まえて審議を行うべきものではございますが、教授会は、合議体の機関として、それを踏まえつつも、みずからの立場で審議を行うものでございまして、これが教授会の審議を拘束するというようなものではございません。
  178. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 その原則は変わっていないと見てよろしいわけですね。教授会が判断するという原則は変わっていないというふうに理解してよろしゅうございますか、結論として。
  179. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 教授会が判断をするという点においては変わっておりません。
  180. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 それから、先ほど午前中にも御議論ございましたけれども、私はいつも折を見ては女性教員、女性研究者のことについて述べさせていただいております。自分自身がそういう立場にありましたから、今も一生懸命現場で頑張っている女性の教員、女性研究者を応援したいという思いがいっぱいございます。大臣も折に触れてそのようなことに言及していてくださるというふうに私は思っております。例えば、日本学術振興会の創立三十周年におきましても、女子大学教員の育成は非常に重要であるというふうにお述べいただいていると思います。  ところが、例えば日本学術会議の会員、これは第十七期でございますが、そこで二百十人の会員のうち女性はわずか二人なんですね。これはもう驚くべき現実でございます。  今、教員選考のお話を私はさせていただいたわけでございますが、午前中も同僚議員が質問なさいましたときに、これから積極的に女性教員の増加ということに努めていくというふうな御意思は伺ったのですが、果たしてこれはどのように具体化していくということになるのでございましょうか。  学部長が方針に基づいて教授会に意見を述べるというときに、積極的に述べていただける可能性がどのくらい増すのでしょうか。
  181. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 今回の改正案におきまして、大学においては評議会における審議を踏まえて教員人事の方針というものが決められるわけでございます。ここにおきましては、従来から指摘されております女性教員の採用促進等が恐らくは盛り込まれるということになるのであろうと考えているところでございます。  そのような教員人事の方針というものを踏まえて、学部長が具体の選考に関する意見教授会に対して述べるわけでございます。このような全体としての教員人事の仕組みを通じて、各大学の女性教員の採用が男女共同参画の視点に立って積極的に進められるように文部省としても各大学取り組みを促してまいりたいと考えているところでございます。
  182. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 女性の教員、研究者現場でふえていく、そのことがとりもなおさず、日本の学問、学術の最高機関である学術会議においてもふえていくと。それはどちらが先か、まず先に学術会議の方で女性会員をどんどんふやしていただくということも、これは大変大きなインセンティブになると思います。  たしか大臣学術会議の会員でいらっしゃいますね。
  183. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 学術会議は三期務めました。昔はもっと続けられたんですけれども、既に十何年前かに改正がありまして、一人の人間が三期以上やってはいかぬということになりまして、残念ながら私は出られなくなりました。  ただ、私たちのいたころにはもう少し女性会員がいたんですけれども、減りました。それは確かに問題だと思っています。
  184. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 元会員、そして重要な立場にいらっしゃる大臣としても、その点強力な助言者でいてくださるというふうに私は思いますので、よろしくお願い申し上げます。  ところで、少子化が進む一方で大学の進学率が上昇しております。文部省の試算を拝見いたしますと、平成二十一年には進学率が五八・八%。ということは、大学進学志望者に対する収容力が一〇〇%になるというふうな試算をいただいているわけでございます。いわゆる大学の大衆化、もう既にアメリカなどでは始まってしまっておりますけれども、日本にもそういういわゆるマス化、大衆化の時代がやってくるわけでございます。  ここで問題になるのは、先ほど御議論もございましたけれども、学生の質の問題であります。その中で、基礎学力の問題ということが現在でも終始新聞などでも話題になるほどでございます。一方で、初等中等教育課程の週五日制に伴うスリム化というものがこれから行われようとしております。こういった観点と、大学のマス化における学生の質をどのように、質を下げるんじゃなくてこれから向上させるということ、これはかなり大きな関連があるのではないかということがあります。これが第一点でございます。  それについて、大学の学生の質の問題でございますが、大学審議会の答申では、大学を学ぶ場にする、これは当たり前の話なんですが、いわゆる大学の復権と言ってもよろしいでしょうか、そういうことを非常に強力に指摘していらっしゃいます。具体的には、大学単位、一年間に履修できる単位数の上限を決める。三年間で四年分の単位を取られないよう、そんな安易な履修方法は認めないとおっしゃっていますね。ところが、一方で三年次で卒業できる制度というのがつくられるわけでございます。先ほどのお話ですと、今、三年から大学院を受けていらっしゃる人たちが二百三十七人ですか、それでは、この数字はこれから減っていくというふうに思っていいのでしょうか。この辺のところは矛盾はないのでしょうか。  それからもう一点は、成績評価のシステム。これは、アメリカなどで行われておりますグレード・ポイント・アベレージ・システム、GPA評価システムというふうに一般的に言われております。これはかなり厳しいシステムだと私は思います。そういう評価システムも導入するということがうたわれているわけでございますが、これは教える側にとっても、先ほどからお話がございましたけれども、評価の方法を今までとは変えなきゃいけない、授業方法内容も変えなきゃいけないという対応の問題。  それからいま一点は、学生にとりましては、三年次で卒業できる制度はできたものの、具体的にはなかなか厳しくなるんじゃないか。それからまた退学ということも、これは今までのようにおずおずとするのではなくて、もう少し大っぴらにされるというふうに思えるわけでございますが、ところが日本の場合、他の大学に編入するというのはアメリカほど容易ではないわけでございます。  今のような問題を含めて、大学教育機能の強化ということをどのようにこれから進めようとなさっていらっしゃるのか、よろしくお願いいたします。
  185. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 高等学校教育における選択制の幅の拡大あるいは大学進学率の上昇に伴いまして、学生の多様化というものがますます進むわけでございます。そういう中で大学期待される役割を果たしていくためには、卒業生の質を確保するということが極めて重要で、大学教育機能の充実強化ということが極めて重要となっておるわけでございます。  そういう観点に立ちまして、教育内容につきましては、学部教育を総合的に見直しつつという観点から、教養教育の重視、教養教育と専門教育との連携をきちんと確保すること、それから専門教育においてはやはり基礎基本を重視していくこと、それから学生の履修歴などに対応して大学教育基礎を教えていくことなど、さまざまな工夫をしていかなければならないと考えております。  また、教育方法につきましては、授業の事前学習の指示の徹底などによる責任ある授業運営、成績評価の明示と厳格な成績評価の実施などを進める必要があると考えておるわけでございまして、このような教育内容方法の改善に当たっては教員の教育力の向上が不可欠でございます。そのためには、教員の意識改革や、いわゆるFDの実施などを積極的に進め、組織全体として教育機能の充実に努めていく必要があるというふうに考えておるところでございます。  文部省といたしましては、これらの実現のため、逐次、大学設置基準の改正等所要の改正を行うとともに、各大学において積極的に改革が進められるように促してまいりたいと考えております。  三年次卒業につきましては、学生の能力、適正に応じた教育をし、その学習成果を適切に評価するという観点から設けた例外的な措置でございます。したがいまして、その実施については、責任ある授業運営や厳格な成績評価が行われる場合に限ることといたしておりますので、その対象となる学生数はごく少数であるというふうに考えておるところでございます。
  186. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 私が質問したのは、今でも二百三十人だけれども、これが厳しくなって、四年の単位を三年で取るなんということはできなくなるだろうと言われているんです。そうすると、それが減るだろうと思っているのか、ふえるのかということです。
  187. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) 御指摘いただきましたものにつきましては、現在設けられている制度といたしまして、学部三年から大学院に進学できる制度がございます。これによって、いわば大学を卒業しないで三年次修了で大学院に進学している人数が年間約二百三十名程度となっておるわけでございますが、この数字自体は、学部における修得すべき単位数すべてを修得して大学院に進むというふうな人たちではないわけでございますので、恐らくはこの二百三十名という数字は、おおむねこの程度で推移していくのではないかと考えているところでございます。
  188. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私も、今局長がお答えいたしましたように、二百三十名程度の者は今後も大丈夫だと思います。  ただし、おっしゃるように、三年間に修めるべきものの単位がかなり厳しく決まるものですから、御指摘の点はよく私もわかったつもりでおります。要するに、単位が今まで以上に厳しくなることによって、今までだったらば三年から大学院へ行けたのに、今度は制約が厳しくなってしまって大学院へ行けなくなってしまうのではないか、三年から大学院に行けなくなりませんかという御指摘であったと思います。  一つの工夫が行われておりますのは、四年次の講義内容というのは、学科あるいは学部にもよりますけれども、大学院とあわせて講義をするようなこともある。さまざまな工夫が行われているわけでありますので、そういうことを使って今までどおり三年修了時でも大学院へ進めるようになると思っております。  また、私自身の経験から申しますと、大学院に学部三年から入っていく人というのは極めて優秀な人でして、相当厳しい条件を課しても通ってくると思っております。
  189. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) どうも失礼いたしました。  今回の措置は、先ほど申しましたように極めて例外的な措置でございまして、しかも、こういった措置を講ずるかどうかということについても大学の御判断にゆだねられておりますし、しかも、大学でこの措置を実施するに当たっては、例えば履修科目登録の上限制を設定するとか、厳格な成績評価基準というものを明示し厳格な成績評価を行うとか、あるいはその学生に対して学習相談等をきちんとした形で実施する等、さまざまな条件が求められるわけでございます。  そういった点を考えますと、三年から大学院に進学する進学者数年間三百名というのも、これは何年かかけてこの数字に達した数字であることもあわせ考えますと、三年以上在学での卒業者が一気に二百三十名になるというようなことはちょっと考えられないのではないかというふうに思っております。
  190. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 私の質問の仕方が悪かったのかもしれませんが、今、そういう具体的なことも含めて大学のいわゆる教育機能の強化というふうなことが私は一番本質的な問題だと思って、具体的なことを踏まえてという御質問をしたつもりなのでございますが、時間がその具体的なところで終わってしまいそうなので、わずかあと二分残っておりますが、そういうことを踏まえた上での大学のいわゆる教育機能の強化ということ、先ほどFDの問題もおっしゃいました。これは教師の側の方かもわかりません。ファカルティーディベロプメントということがございますね。そういうことも含めまして、これは大臣に最後のお言葉といたしまして、どのようにしてこれからの大学におけるリベラルアーツ、教養ということも含めて教育機能の強化ということについてお述べいただきまして、私の質問を終わりたいと存じます。
  191. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) まず一つは、先ほど申し上げましたように、教員、教官の教育に対する情熱を高めていかなければならないと思っております。  しかし、より以上重要なことと私は思っておりますことは、高等教育に関する経費をふやしていかなければならない。教育研究といって予算をふやしますとどうしてもみんな研究に使っちゃうようなところがありますので、教育研究は場合によっては分けて予算をつくっていくというようなことが将来必要になってくると思います。事実、そういうふうにして教育のために使うお金を分けて今文部省も出しているような面もありますので、こういう意味で、教育研究と一括しないで教育に関する予算の充実を図っていくべきだと思っております。  それから、何といっても施設を強化していかなければならない。すなわち、大学授業を行います施設が決して立派なものになる必要はありませんけれども、最小限、そこで教育を受けるにふさわしい場所にしていかなければならない。こういう点でなおまだまだ不十分だと私は思っている次第であります。  次に、教養の問題でございますけれども、私が非常に心配をしていることは、かつては日本高等学校が極めていろいろ似通っていた、均一的という言い方はまずいのですが、割に似通った教育を普通高校でしておりました。それが随分多様化されるようになってまいりました。そのことによって、大学に進んでくる学生諸君の関心がまちまちであったり、それぞれの分野での学力がまちまちであったりしてくるようになります。  そういう意味で、今でもそうですが、かつてアメリカにリベラルアーツ・アンド・サイエンスが導入された。そして今もそれが有効に働いている。その理由考えますと、アメリカの初中教育が極めて多様であったことによって、大学に来た学生諸君の質をそろえなきゃいけない、専門教育に入る前にそろえていかなきゃならない、こういう意味からアメリカではリベラルアーツ・アンド・サイエンスが極めて重要視されているわけであります。  日本大学でも、高等学校が多様化してくることによってそういう問題がいよいよ生じてきております。そういう意味で、今までとまた違った見方で教養、特に一般教養と教養教育を重視していく必要があると思っております。これは現在、各大学で随分考慮しておられるところでありますので、そのよい結果を待ちたいと思っております。
  192. 扇千景

    ○扇千景君 朝から本法案に対して同僚議員からるるの質問が続いております。おおむね細かい要点に関しては問題が出たのではないかなと私は感じております。  ただ、私が申し上げたいのは、今まで大学審議会の答申というものが、昭和六十三年から平成九年に至りますまで、大学に対する主な答申だけでも十九本出されました。なおかつ、今もって本日この審議に当たっておりますものは、今まで御質疑のありましたとおり、昨年十月、平成十年十月二十六日に出された答申に基づいての法案改正ということでございますけれども、私は、これほど多くの答申大学審議会及び中教審等々からいただかなければ、今の文部省をもってしても改革案というものはつくれないのかどうかという基本について大臣の御意見を伺いたいと思います。
  193. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 組織運営に関しますと、さまざまな問題がございました。例えば、その組織運営を考えただけでも、随分さまざまな観点から議論をしなければならなかった。やっとそれがまとまったということですね。  それから、中教審の御指摘がありましたけれども、例えば五日制を導入するかしないかとか、大きな問題はこれはやはり審議会等々で広く御意見を世の中から承った上で決めていかなければならない。答申が先ほど十九という御指摘がございましたけれども、大学審議会だけとりましてもありましたけれども、例えば教養をどうするかという大綱化の問題であるとか、あるいは専門学校から大学に進むにはどうするかとか、そういうかなり個別的な問題についての答申があります。それと今回のような本質的に大きな問題の答申もございました。  そういう意味で、自分たち文部省の中で考えた結果で動いていくことももちろん必要でございますけれども、広い範囲にわたって、いろんな大学や小中学校先生たち現場の御意見を承りながら進んでいくということが、やはり教育のような問題においては重要であったかと考えております。
  194. 扇千景

    ○扇千景君 広く多くの意見を聞くという姿勢に対しては私も異議はございません。大臣のおっしゃるとおりでいいかと思います。  けれども私は、それはなぜかと申しますと、先ほど同僚議員の質問の中で、今日までの小中高の教育に関してはとてもよくできたというふうな大臣の御答弁がございました。私はすべてそれでよしとは言えないと思います。今の小中高の現状を見ますときに、今の平和な日本の中で行われている学生の態度、あるいは学校の秩序、あるいはその生徒たちの日常の行動、いじめとか、もうありふれたことは言いません。  そういうことすべてをもってしても、戦後五十四年たって新しい世紀を迎えるときに、同僚議員から二十一世紀基本的な教育あり方をという先ほど御質問があって、大臣から御答弁がありましたから重ねては聞きませんけれども、今回はこの法案の中身だけによりますと何点かに絞られておりますけれども、私はそういう観点から、有能な大臣の御在任中に、今世紀末を迎えて今しなければいけない法案は果たしてこれだけでいいのかなと、大変概念的な質問で恐縮ですけれども、そういう感を持たざるを得ないので、大臣のお考えを伺っておきたいと思います。
  195. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 前提でおっしゃられたことにさかのぼって申しわけありませんが、なぜ私が今までの初中教育をいいと申し上げたかというと、少なくとも知力の面では日本子供たちは優秀です、読み書きそろばんという面で。しかしながら、なぜ中央教育審議会教育課程審議会が今日ずっと議論をしているかというと、おっしゃるように、しつけの問題から始まって、さまざまな問題点が生じてきたということもあるわけですね。こういう点で、今までの初中教育のよい面というのはやっぱり評価していかなきゃならぬと思います。  ただ、これはもしかすると発展途上国型のよさかもしれません。すなわち、例えば数学や理科に関する国際比較をいたしますと、一番いいのがシンガポール、それから二番目が韓国、三番目が日本であるとか、これは数学です。理科ですと、シンガポールが一番でチェコが二番、日本が三番。こういうふうに、一生懸命発展をしてやっとその頂点に達しつつあるという国、これが非常に成績がよくて、アメリカの大統領が非常に苦労しておられる話を先ほど御質問いただきましたけれども、それは、ああいう成熟した国家は、ドイツにしてもアメリカにしても中ぐらいの成績しかとっていないんですね。こういうところでいよいよ日本は転換期に来ている。発展途上を達成した教育から、新たな成熟国家に移っていくときの教育の問題点に今直面していると思っております。そういう点で、日本教育いいよと言いながら、何が問題点があるかと申し上げた次第であります。  ところで、一番問題は何でしたっけ、先生の御質問は。
  196. 扇千景

    ○扇千景君 もういいです。次にいたします。
  197. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 失礼しました。
  198. 扇千景

    ○扇千景君 総体的なことで基本的なことだと私は思っております。今、大臣がおっしゃったように、いい面を私は取り上げるつもりはありません。文部省が一生懸命今までやってきたんですからよくなって当たり前の話で、私は、足らざるがあるはずです、足らざるをどうしましょうか、またそういう指針を文部省がみずから示すべきではないかと。審議会から一々答申をいただいて、回りくどく時間をかけてぐだぐだみんなで論議して、答申が出てから法案にするまでに二年、また審議会をつくる。そんなことの繰り返しでは、私は、新世紀を迎える文部省教育の主導という面からしては遅いんじゃないかと、これは意見だけ言っておきます。  ですから今回の法案も、私は法案自体には賛成ですから、一歩前進ですから、それを反対と言うつもりはありませんけれども、ただ私たちがひっかかりますのは、申しましたように、昨年の十月二十六日に答申をいただいて法案化されてきたんですけれども、その答申の頭、「二十一世紀大学像と今後の改革方策について 競争的環境の中で個性が輝く大学」と、こうある。こういう抽象的な言葉で「個性が輝く大学」と、そんなことを言われて、それでしかもこの法案が出てきたのはこの四つの基本的な考え方ですよね。  もう大臣先刻御承知でしょうけれども、私は念のために申し上げますけれども、この「個性が輝く大学」という表題の中で、今国会のこの法案に関しまして、課題探求能力の育成、そしてこれは教育研究の質の向上であると。また二つ目には、教育研究システムの柔構造化、やわらかい構造化ということと大学自律性の確保。それから三つ目には、責任ある意思決定と実行、それに関して組織運営体制の整備。四つ目が、多元的な評価システムの確立、大学の個性化と教育研究の不断の改善。この四つによってこの法案ができたと。  この四つ書いてあることも、おっしゃっていることもまことに抽象的で、すべてこれ聞いただけで、これに反対する人は一人もいないと思いますよ、たとえ共産党さんでも、書いてあることに関しては。ただ、それをどう実行していくかということの個別の取り上げ方に対して物申していらっしゃるのだということはよくわかるんです。  けれども、私はそれに関して、この今申し上げた四点の抽象的なまさに言葉の羅列、美辞麗句といいますか、こういうことでは現実の大学はよくなるわけがない。ですから、これに絞りましたと大臣はおっしゃりたいのでしょうから、あえて私は答えをいただきませんけれども、少なくとも私はこれらに対して、今国会で提出されております組織運営体制の整備、あるいは国立大学の自主改革の推進と情報公開、あるいは評価システムの充実、こういうことに関しては私は大変結構なことだと思っていますから、あえて法案に賛成しているんです。  さて、今まで四年制だったものが、学生の立場に立ってお教えいただきたいんですけれども、三年以上の在学で大学の卒業が認められる特例措置、これはだれの判断で、だれが決定して、どんな基準で行うつもりか、まず明確にしていただきたい。学生にわかるようにおっしゃってください。
  199. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) その基準につきましては、どのような場合について三年次以上の在学で卒業を認められるかという一般的な基準、国公私立大学を通じた基準でございますが、それにつきましては、まず、大学において学生が履修科目登録ができる単位数について上限設定がなされていること、また、責任ある授業運営というものを前提として厳格な成績評価というものが行われていることが必要でございます。  そういう大学で三年次卒業ということを考えていくわけでございますが、その際対象となる学生につきましては、三年以上の在学で卒業に必要な単位数を取得し、かつ成績が優秀である、そういう認定を大学が行うことが必要でございますし、本人が三年以上の在学での卒業を希望すること、これが必要でございます。その意味では、大学において学生に対する履修相談であるとか履修指導というものが適正に行われ、三年次卒業で社会に送り出しても十分活躍をできるという、いわば自信を持って送り出せる学生についてこの措置がなされるわけでございます。  したがいまして、最終的にその三年次卒業を認めるかどうかということの判断は各大学で行われるということになるわけでございます。
  200. 扇千景

    ○扇千景君 今おっしゃったことの中でわからない点が多々ございます。それは、おっしゃった中で単位単位とおっしゃいますけれども、それであれば、大学の卒業のときには少なくとも百二十四単位と今まで決めていますね。それが今度は三年生ということで九十から九十三単位ということで、なお学術が優秀な者と今局長は答えられました。そうすると、では三年でなくたって二年でいいじゃないか。単位数でいくんだったら、成績優秀だったら、では二年で九十二単位から九十三単位で、人格もまことに大臣のお若いときのように立派だということになれば、これは二年でもいいじゃないか、なぜ三年なんだということにもなりかねない。  しかも、各大学で判断してということになりますと、各大学で逆に差別ができるんじゃないかということも、変な言い方ですけれども、それも学生によっては利益、不利益が出てくるんじゃないかと。私はあくまで学生の立場で言っておりますから、そういう意味で、今の局長の、単位数と成績と人間性、社会に出してもなんて、そんな立派な人いっぱいいますよ。だから、単位数とか成績だけでいうと二年でもいいじゃないかと言いたくなるんですけれども、その辺の基準が、全国の各国立の大学が納得できるような基準というものは示せないんでしょうか。
  201. 佐々木正峰

    政府委員佐々木正峰君) その三年以上の在学で卒業を認める場合には、四年間で一般的に修得することが必要な卒業単位数というものを、いわば三年で修得することが必要となるわけでございます。したがいまして、その学生としても相当な努力が必要でございますし、また大学としても、卒業を認めるに当たっては適切な履修相談等が必要となってくるわけでございます。  本来、卒業に必要な単位というものは四年間で修得をするということを前提として各学年に配当等もなされるわけでございますので、二年間でこれを修得するということは実際問題としてはなかなか難しいということから、三年以上の卒業ということとしておるわけでございます。
  202. 扇千景

    ○扇千景君 いや、それは一年間に受講できる単位数というのが決まっているのはわかっています。けれども、あえて解釈上そういうこともあり得るのじゃないかと。局長の言うように、単位数さえ取って、成績さえよくて、人が見て社会に出しても恥ずかしくない人格さえあればという基準が、私はそれだけが基準にはならないんじゃないかと。しかも、各大学の判断ということになると、これまた、それぞれの基準というものを各大学で持つと、学生の中であそこの大学へ行ったら早く認められそうだよなんということになって、結果的には大学低下につながらないかなということも、これは老婆心かもしれませんけれども、心配をして私は聞いたわけでございます。  現段階では、私は局長答弁を聞いておりましても、多くの学生が現段階で、ああそれじゃ僕は早く勉強して早く社会に出ようとか、いや大学院に一年早く行こうというような、学生が希望に燃えるような何かがないと、ただ単位を取って成績がよくてと言われるだけでは、私は大学の中で格差が逆に出てくるのではないかということを心配して伺ったのですけれども、時間がありませんから答弁を長々と聞いている暇がありません。どう聞いてもまだちょっと基準がはっきりしないのですけれども、その辺にしておきます。これからまた詰めてまいります。  その中で、先ほども同僚議員からございました評価システムに関して、私は大変いいことであると。また大臣も、評価できるようになったことだけでも大変な進歩だという同僚議員に対する御答弁もございました。  ただ、私は評価システムが取り入れられることに対しては大変いいことだと思っておりますけれども、文部省の高等教育局に大学大学改革推進室というのがございますね。そこから文部省が広島大学大学教育研究センターに評価システムの実情についての調査というものを御依頼なさいました。その結果が昨年の四月に出ております。  先ほど大臣が、今まで評価システムというものを大学に取り入れてなかった、評価できるだけでも大変な進歩だとおっしゃいましたけれども、私はこのアンケート調査というものを大変興味深く拝見いたしました。大臣のお目にとまっているかどうかよくわかりませんけれども、大学評価の効果というものに関してのパーセンテージを拝見いたしまして、広島大学大学教育センターの結果を見ますと、教育あり方が改善されたというのが大学評価の効果として七二・九%もあるんですね。そして、研究あり方が改善されたというのが四六・九%、大学社会産業界との結びつきが強まったという意見が三二・七%、この三項目が評価制度に対する大きな評価であったという結果が出てまいりました。  私は大変いいことだと。先ほど大臣が評価できるようになったことだけでもいいとおっしゃいましたけれども、できるようになったことだけではなくて、今の三項目を申し上げただけでも私はこの評価システムというものの重要性が各大学に生かされていくのではないかと思っておりますけれども、それに対して大臣は何かお考えがおありでしょうか。
  203. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私は広島のを読みました。非常にいいアンケートをいただいたと思っております。  評価ということの難しい一つ教育なんです。教育をどう評価していくかということは非常に難しい。研究の方は比較的易しい。今後、教育についての評価を具体的にどうしていくか、この辺が今後の評価の、特に大学評価の難しいところかと思っております。
  204. 扇千景

    ○扇千景君 ただ、その中で、私は評価システムを評価しているわけですけれども、これからの問題点といたしまして大臣にもぜひ重要視していただきたいと思いますのは、学内に評価の専門家がいない、これが五六・七%あるんですね。それから、評価システムに関して他の大学との比較ができない、それも四四・八%、そういうことが出ておりますので、評価の専門家の育成と、他大学との比較ができるような可能性を高める、そういうことが私は今後大事なことであろうと思いますので、少なくとも評価する場合、だれがどのように、そして何をというようなことが、やっぱり評価システムが浸透してくれば浸透してくるほど、大学の今後に対して専門家的な人の養成も必要であろうと思いますので、その点に関しても御意見を伺っておきたいと思います。
  205. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 今御指摘の、学内に評価する専門家がいない、あるいは他大学との比較ができない、これがまさに第三者機関をつくるという目的でございます。すべての大学にかなりの人数の評価の専門家を置くことは不可能でございますし、また、一つ大学に属する以上、他大学との比較というのはどうしても客観性を欠くわけでございます。  そういう意味で、そこに第三者評価という専門家集団を備えて、そこですべての大学を平等に公平に比較したり、よい点について褒めるというふうなことをしていかなければならないと思っている次第でございます。
  206. 扇千景

    ○扇千景君 おっしゃるとおりだと思います。ですから、私は今回のこの法改正の中で第三者による評価システムというものをつくっていくということは大変大事なことだと思いますけれども、その評価をある程度改革に結びつける政策的な仕組みを今後どうしていくのか。評価するということだけは書いてあるんですけれども、今、その評価された政策というものを今後どう生かしていくかという手法がこの法案からはまだ酌み取れない。ですから、その点もぜひ今後の課題として、評価するだけしてそれっ放しだと、審議会の答申にしてもそれっ放しだというのと同じことでございまして、大変言葉は悪うございますけれども、これはぜひ今後のケアの仕方、あるいは評価をどう生かしていくかということの仕組みをぜひ今後続けて努力していただきたいというのが第一点。  それから、自己点検をしたり、評価を外部の第三者と今大臣もおっしゃいました。それをする仕組みが必要だということで今回はこれができたわけですけれども、例えば、その評価というものを情報公開するということに関しては義務づけられているという話もありましたけれども、義務づけられてどこまでできるのかなと。各大学によっては、評価されたことでマイナス点もあるわけですね。全部いいことばかりだったら評価にはつながりませんから、メリット、デメリット、自分たち大学のあるいは知られたくない部分もあると思いますけれども、これを義務化するという情報公開に関してはどういうお考えをお持ちなのかも伺っておきたいと思います。
  207. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私は情報公開をすべきだと思っています。場合によっては多少不利になることもあるでしょう。逆に非常に有利になることもあると思います。しかし、それにしても、その評価の結果がどういうふうなものであるかを見ることによって各大学が努力をしていくと思います。イギリスにせよアメリカにせよ、随分はっきりと順番までつけて公表しています。こういうことによって、例えば低かった大学が大いに努力をして次の年はよくしようといたします。そういうふうなことでいい結果が生まれることを信じております。
  208. 扇千景

    ○扇千景君 ぜひ私はそれに努力していただきたいと思います。  それから、先ほどから運営諮問会議とか評議会のことに関してもるる同僚議員から質問が出ておりましたので、重ねてそれを聞くつもりもございませんけれども、私は、運営諮問会議の会議の内容の情報公開、これに関してはどのような御認識かをもう一度伺っておきたいと思います。
  209. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 当然、公開をいたします。
  210. 扇千景

    ○扇千景君 ありがとうございました。  そういう意味において私はこの法案に賛成でございますけれども、この法案だけではまだ、大学のよさと、それから、ある学生の三年生の卒業を認めるということに対する、世間に発表するときの、先ほど申しましたようにある程度納得できるような基準がまだできていないという点も私は指摘せざるを得ないと思いますので、その辺も今後の文部省の努力と、私どもの疑問点というものを明快にしていただくことにおいて賛成の法案であるということを申し上げて、質問を終わりたいと思います。  ありがとうございました。
  211. 田名部匡省

    田名部匡省君 いつも最後になりますと、大体全部質問が終わった後でやりにくいんですけれども、恒例によりまして、私は何を質問するかというのは出しておりませんので、基本的なことでまた御議論をさせていただきたいと思います。  先ほど扇委員もお話しになった、三年次で卒業できると。私は、大学の仕組みというのは外国と日本とどうなっているかわかりませんけれども、成績だけ優秀で一体実社会へ入って本当にやっていけるんだろうかと。  この間テレビを見ておったら、子供たちがスーパーに行って、実際やっているところを見たり手伝ってみたり、いろんなことをやっている姿を見まして、ああいうことを経験していくということは教育上大事なことだなと。農業もありましたし、成績だけ今優秀でも、実社会へ入ったとき本当にやっていけるんだろうかという考えを持っているんです。  大学四年生、二十二歳で試験に合格すればもう翌日から先生。医科大の先生方と同じように、私はかつて提案したんですけれども、インターン制度というものを設けたらどうか。二十二歳でもう翌日から先生先生と呼ばれて本当にいいんだろうか。三年なり五年というものをやってみて、本当に能力がある人をやっぱり教員として採用すべきではなかろうか。一説には今大変ノイローゼの先生が多いという。ノイローゼの先生から子供たちが教わっては、これはえらいことだ、そんな気がします。  ですから、今言うように、三年で卒業して、本当に実社会のことをわかってくれて、成績優秀だけでなくて人間的にも十分役立つというには果たしてどうかなと。もう一年はそういう経験を積ませて、むしろ実社会、行きたいところの会社で何カ所か研修を積んで入った方が本人のためにもなるんではなかろうか、こう思うんですが、大臣どうでしょうか。
  212. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) まず最初におっしゃられました、スーパーや農業等々で勉強することというのはいいではないか、こういう御指摘でありますが、今、文部省といたしましても、小学校、中学校子供たちが実社会勉強するということを進めております。例えば、商店に行ってお手伝いするとかあるいは農業の手伝いをする。要するに、自然体験とか社会体験が必要だということを私ども重々承知しておりまして、初中教育でそういう方向を打ち出しております。  それから、インターンシップが非常に重要だということも、一般論といたしましてだけではなく、かなり積極的に大学やあるいは特に職業高校、かつて職業高校と申しておりまして、今専門高校にしておりますが、そういう専門高校生徒諸君がインターンのときをなるべく多くして経験を増すというふうな方向にも進んでおりますし、大学でも工学部等々では社会に出ていって社会経験を踏んでくることを進めております。  教員の問題でございますが、教員に対しましても、なるべく教職の経験を踏まえた上で実際の教育に入っていくというふうなことを随分検討して、もう既にそちらの方向に動きつつあるところでございます。そういう点で、インターンシップは非常に重要だと我々も認識いたしております。
  213. 田名部匡省

    田名部匡省君 先日、私のところにアメリカの女子大生が、東京大学に今入っています、ウルグアイ・ラウンドのときのことを論文に書きたいので話を聞きたいといって来たんです。四年いて来ているのか三年目で来ているのかよくわかりませんけれども、日本語も達者でして、あのときの背景はなぜこうだったのかというのを私は話をしまして、後から礼状が参りました。大変貴重なお話をいただきましたという礼状をいただきましたけれども、ああいうふうにいろんなところでやっている姿を見ると、本当に有効だなという感じを実は受けたんです。  それから、随分この法案審議に入る前に心配されまして、法制化に反対、あるいは慎重に議論してほしいというのが電報も含めますと随分、私ばかりではないと思うんですけれども、一応全部目を通してみました。その中で、民主的、自由的な改革だ、あるいは大学の自治が侵されるという意見があったんです。  私は、これはすべてにわたることですけれども、権利と義務というものを持つことは大事だ、何も教育界ばかりではなくて。それから、自由というものには責任を伴う、これは今、大学ばかりではなくて日本社会にとって一番失われているんではなかろうかという感じがするんです。ですから、大学先生方も職員の皆さんもそうですが、特に国立の場合には、国民の税金が、とうとい血税が使われているんだ、この使命感、責任感というものを持って社会のために一生懸命やろう、まずこれを持つことが一番私は大事だと思う。  この間説明いただきましたこの法案に、「二十一世紀に向けての大きな転換期にある今日、」、こういう言葉が入っていまして、私もまさしくそう思うんです。特に、少子高齢化の時代を迎えて一体、対応できる体制が国立、私立を問わずできているんだろうか。経営問題に直接影響が出てくる話ですね。  この前も大臣国立大学授業料とかなんとか言いましたけれども、おおよそ大体二兆円が国立大学に一般会計から出ているということなので、私は授業料で申し上げたんですけれども、これからの少子化の時代考えると、私学は相当の負担をしないとやっていけない時代が来るんです。向こうは授業料ばかりではなくて、例えば設備をやる。私も、大学から二年に一遍ぐらいずつ大変な寄附をしてくれと。体育館を建てるんです、校舎を増築するといって随分。今もやっていますよ、募金活動。  そうやって校舎を建てておるところもあれば、そうではなくて国の予算でやれるところもあるということと、それから人件費だってそうですね。  そういうことを考えると、私は、国立大学は目的を果たしたからというお話を申し上げたんですが、しかし、この少子化時代、これから二十一世紀に非常に難しい問題を考えておかなきゃいかぬという中で、先ほど来議論のあった中で、学長の責任、これは教授もやっぱり責任があると思うんです。  どの分野でも、初めて新しいことをやるというのは不安なんです。改革をやるというのは大変だというのは、国会で地方分権にしたって何にしたってこれは大変なことなんです、わからないことをやろうというんですから。しかし、やらなければならぬという問題にぶつかっていくというのは二十一世紀に大事なことなんです。もしそれが失敗したときはやっぱり責任をとる、こういう気持ちでやっていただければ一番いい方法を選択したと思うんです。  私はスポーツでしょっちゅう例え話で申し上げるんです。一番いい方法を教えておるんですけれども、やってみて負けるとやっぱりこれは失敗だったかなと思うんです。それでまた変えるんです。ですからこれも、いろんなことをやってみて、結果がうまくいかなければまた次の新たな改革に向かっていかなきゃならぬ、その勇気を持つかどうか。全職員や教授の人たちもそういう考え方でやるということは、いかに国のために、国民のためになるんだという信念ですよ。そういう考えで私はやるべきだと思うんですが、どうでしょうか。
  214. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 先生指摘のとおりでございまして、私が常々国立大学に関して考えておりましたことは、国税でやっているということであります。やはり大学で働くすべての人が国民の税金でやっているのだという意識は持たなきゃいけない。  特に、最近、科学技術立国というふうなことで相当大きな金が入るようになりました。これも結局は国税のようなところから来るわけでありますので、やはり説明責任を十分果たしていかなきゃいけないと思っております。これは単に学長とか学部長だけでなく、各教授、助教授、すべての人がその責任を持っていかなければならないと考えております。そういう点では先生のおっしゃるとおりだと思います。
  215. 田名部匡省

    田名部匡省君 特に、産業界との共同研究が私は大事だと思うんです。先ほども、中谷先生ですか、ソニーに勤務するのがどうかというお話があって、私は、基本的に全体に奉仕する仕事であれば賛成だと思います。一つの会社だけに持っている技術を提供するということはやっぱり好ましいのではないというふうに実は考えるんです。持っている能力、技術というものを国民のためにやる。  それで私は、産業界との共同研究あるいは受託研究、こういうものは今どういう状況にあるのかということをお尋ねしたいと思うんです。
  216. 工藤智規

    政府委員(工藤智規君) 御指摘のように、大学、特に国立大学はそうでございますけれども、国公私を通じて大学社会から離れた存在であり得ないわけでございまして、社会にどういう形でそのノウハウを還元し、またその社会の声を聞きながら、どうアクティビティーを高めていくかというのは大変大事なところでございます。そのための一環として産学官の連携を進めてきているわけでございます。  いろんな仕組みがございますけれども、おかげさまで着々といろいろな研究プロジェクトなどがふえてまいっておりまして、お話がございました共同研究ということを言いますと、国立大学等の例で言いますと、十年前に比べて件数で六倍、それから受託研究について言いますと件数で八・五倍、さらには共同研究センターの設置でございますとか奨学寄附金の受け入れでございますとか、さまざまな仕組みが着々と進んでございます。  あわせて、国会の御理解を得まして、昨年、いわゆるTLOという大学等の技術移転促進法の制定を見たわけでございますし、また、国立大学のキャンパスの中に外の研究施設を設置できるようにするような研究交流促進法の改正などもいただきまして、これらの施策を今後ともさらに活用しながら、産学等の連携協力を一層進めてまいりたいと思っております。
  217. 田名部匡省

    田名部匡省君 緊急性の高い研究というのはあるんです。特に、先般も申し上げた核融合にしても、あるいは高レベル廃棄物の処理にしても、あるいは最近ではダイオキシンです。こういうものは、集中的に予算をつけて、いつまでに完成させてくれというぐらいのことを思い切ってやらないと。  特に、民間で千八百度かの熱を出して完全に処理するシステムができて、私はこの間パンフレットをもらったけれども、それを通産省へ持っていったら、研究炉をつくってやってくれと。研究炉というのはどのくらいかかるかと言ったら、七十億かかる。そんなものを出して民間がやれっこないです。そういうものこそ大学と一緒になって実験炉をやって、そしてダイオキシン対策に取り組んでいくというように、緊急性の高いものに予算を別個につけてやっていくというようなことが必要じゃないか。これこそ民間に任せておっては、商売にならぬものをやれやれと言ったって手がつかぬですから、これは大学研究機関と一緒になって張ってやる。その人もそこへ行って、そして自分考えたことを実験して成功するように努力すべきだ、こう思うんですが、どうでしょうか。
  218. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 御説のとおりでありまして、かなりその方向で進んでおります。  研究には二つの行き方が大まかに分けますとあると思います。一つはトップダウン、一つはボトムアップ。大学というのは、今までどちらかというとボトムアップ、下から個々の研究者がやりたいことを伸ばしていくということであります。しかし今日、今おっしゃられましたダイオキシンの問題等々、あるいはゲノムの問題であるとか核融合の問題等々に関しましては、これはボトムアップではだめでございまして、トップダウンでやらなければいけないところもある。  そういう点で、例えば科学研究費の一部はかなりトップダウン的に使うようにいたしております。また、科学技術庁の方としては、核融合などというものを重点的に検討するという方向で動いておりますので、先生の御指摘の点はかなり実行されつつあると思っております。さらに努力をいたすべきでありましょう。
  219. 田名部匡省

    田名部匡省君 私は、文部省がはしの上げおろしまで教育世界でやるというのは余り賛成ではないんです。やっぱり自主的に本気でやる。ルールなしではプレーできませんから、ルールはつくりますけれども、ルールの範囲内はもう自由にやりなさい、そのかわり責任を持ってやってくださいよと。これが逆に言うと競争だと思うんです。よその学校に負けないで頑張ろうと。上からこれをやっちゃいかぬ、あれをやっちゃいかぬという仕組みというのはかえってだめにするんです。最後は文部省の言うとおりやっていれば面倒を見てくれるしというようなことではだめだと、私はいつもそう思っているんです。ルールをつくったら、どうぞその範囲内はそれぞれの学校の独自のやり方で、そのかわりルール違反は厳しくいきますよということでいいんじゃないかと思うんです。  よく全国の研修も東京へ集めてやっているようですけれども、あれだって、旅費や宿泊費も随分かかるだろうなと。私は企業をやっていますから、それならば一人行って、東北とか北海道に集まってもらってやった方が相当安く上がるだろうなとか。あるいは、東京にある大学は東京にある必要があるのだろうかと。あんな環境の悪いところ、物価が高くて下宿代だって大変なものですよ。東大でも環境のいいところに、あそこを売っていったら相当立派なものがつくれますから。むしろそういう新しい発想でやられた方がいいのでないだろうかなという気がしてならぬのです。  いずれにしても、そういうことも学校が独自で決められるようにしなきゃ。それは、重役を社員が選ぶなんというのはないんですから、重役が社長を選ぶなんということは。それはやっぱり、学長の権限というのはきちっとしておいてやらないと。いろんな意見を言うのは結構ですよ。  かつて私は、医師会の先生方に、いや国会議員の派閥というのはひどいですななんて言われて、先生方の派閥の方がもっとひどいでしょうと言ったんです。それはもう学校閥があって、何大学の医学部だというともうそれは必死になっちゃう。だから、大学ぐらいはそういう動き方でなくて自由な発想で自由に生徒を教えられて、いい者が大量に出る。それは何も知識だけじゃないですよ。この間申し上げたように、心の方も大事です。  この間も何かで見ましたが、電車に乗ったって、お年寄りを立たせて若い者は座っている。私なんか今でも、私より上の人が来ると、小さい子供を抱いたりしているとどうぞどうぞとやっているんですよ。これはごく自然にやれるようにならないと。  こういうことをもっとやっぱり実習の中で、ですから、大学だって、一定期間地元の企業で現実の経済のことを学んでくる、あるいはボランティアもやらせる。それもできて三年で成績がいいのを卒業させるというなら賛成ですけれども、そういうことをできない者、ただ知識がある、成績がいいというだけで、親は早く卒業すれば助かるでしょうけれども、それだけでは私は教育としていいんだろうかと。その辺もきちっとできて、会社へ行って大したものだと言われるような教育大学においてもやるべきだと私は思いますが、最後に大臣にお答えをいただいて、終わりたいと思います。
  220. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 先ほどおっしゃられましたインターンシップ等々を通じて、単に知識だけではなくて、世の中にどういうふうに役立つようにするかという、そういうことも経験を踏んでいかなければならないと思います。  三年ということでございますが、何も学力知識だけで、よければ三年で卒業させるという意味ではなく、大学四年間以上に三年間ですべてのことを勉強したということがはっきりするときに初めて三年で卒業ということになると思っております。そういう点で、単に知識だけ、学力だけでなく、いろいろな面から調べ上げた上で三年卒業を許すことになると思っております。
  221. 田名部匡省

    田名部匡省君 ありがとうございました。
  222. 南野知惠子

    委員長南野知惠子君) 本日の質疑はこの程度とし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十四分散会