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公述人(小林節夫君) 小林です。
食料・
農業・
農村基本法案について、特に
食料自給率の問題を
中心に
意見を申し上げます。
我が国の異常に低い
食料自給率について
政府が
基本問題調査会に提出した「
食料安全保障政策の
推進について」、この文書で、「国がこれまで、
食料自給率の低下に歯止めをかけるための各般の施策を講じてきているにもかかわらず、
食生活の変化、
農地の減少、
担い手の減少・高齢化、耕作放棄地の増加等の様々な要因が影響して
食料自給率が低下してきている」と、こういうふうに述べて、あたかも畜産物を多く食べるようになった
消費者が悪いとか、あるいは農民の
努力が足りないかのように言って
政府自身の責任を全く棚上げにしているという点、私は、率直に言ってこれは逆であって、
政府にこそ責任があると思います。
少しさかのぼってみますと、
食生活の変化ということでありますが、昭和二十九年四月、今の学校給食法ができるときに大達文部大臣はこう言っています。学校給食によって幼少の時代において教育的に配慮された合理的な食事になれさせることが
国民食生活の改善上最も肝要であると述べて、小中学校の時代に味覚を変えることが非常に大事だということを強調し、そしてそのあらわれとして、この
法律の規則で、完全給食とはパンとミルクとおかずをいうというふうにして、米飯給食を除外しております。この規則が改正されて米飯給食が許可されるようになったのはそれから大分たった昭和五十一年のことです。これはもう
法律ができたときに生まれた子供が母親になっておる時分です。
それは、まさに
アメリカが要求した結果であり、その方針に沿ったものであることは、
アメリカの小麦協会のリチャード・バウム氏がこう言っています。米食民族の胃袋を変えるという作戦が成功した、今後ふえることはあっても消費が減ることはないだろうという勝利宣言をしたり、あるいは合衆国
政府関係者が、余剰農産物処理をしたり、あるいは相手の胃袋を変える上で学校給食ほど安上がりで効果的なものはない、こういうことは何人も言っております。こういう言明を見れば、ただ単なる栄養改善の問題ではないということは明らかです。現に、こうして
国民一人当たりの米の消費量は、昭和三十五年当時に比べて、この三十六年間に平成八年には五八・八%にまで落ち込んでいます。
自給率の低下の一要因であることは明らかじゃないでしょうか。
政府は、
食生活の洋食化に伴って畜産物の消費がふえた、そういうふうに言っております。これが
食料自給率の低下だ、畜産物をたくさん食べるのがその原因だと言っていますが、その原因をつくり、その
政策を
推進してきたのは紛れもなく
政府自身じゃなかったか。米飯給食を長いこと禁じてパン食を進めれば、おのずから畜産物が多くなってくる。この
日本の風土に合った消費、
食料、その
政策を変えて、
食料自給率の低下、これを
消費者の責任にするというのは全くけしからぬ話だと私は思います。
しかも、この
輸入優先のやり方、これが
食料の
安全性は少々どうでもこの方が大事だと、そういう点で幾つかの
政策が
消費者の不安を生み出しているということも間違いないことだと思います。
以上が
消費者のことですけれども、
生産の面でいうならば、現行
農業基本法の言う選択的
拡大、ここでは非常に強調をしていましたけれども、これは
アメリカの余剰農産物と競合しないものをつくれというものでした。パン食が進んでも、国産小麦の
生産がもし
日本で続けられていたならば問題はないと思います。ところが、この選択的
拡大、これとMSA協定による麦の
輸入によって、
大豆とともに壊滅的な打撃を受けたということは紛れもない歴史的な事実であります。
この二十年余り、農産物の
輸入が年々ふえる一方、農産物の
価格保証が後退する。
農業衰退の原因と
食料自給率の低下というのは、この
輸入優先と農産物の
価格保証の衰退、これにあるということは多くの農民がだれでも認めることじゃないかというふうに私は思います。まさに、責任は
政府にあると思います。今また
政府は学校給食の米に対して補助金を打ち切ると言いますが、この上さらに
食料の
自給率を引き下げる、そうなるのではないかと思います。
私は、二十代から三十代にかけてこの手で麦をつくり乳を搾ってきて、そういう経過と歴史的事実を見てきた者として、
食料自給率の低下、これを農民の責任に転嫁するなんということはとんでもないことだというふうに思います。
食料自給率を引き上げる上で決定的に重要なのは農産物の
価格保証であります。
政府は
市場原理、競争原理を強調します。しかし、九三年のあの大凶作、大減収のときに、米価が上がるという理由で
政府は自主流通米
市場を閉鎖してしまいました。
市場原理というものがもし、過剰だから下がる、不足ならば上がる、こういうものならば、なぜこのとき閉鎖したのか。また、大暴落した九七年産の国産米に比べて九八年産米はほんのわずか上がっただけでありますが、この六月はまたむしろ下がっています。
政府はそれでも
市場原理に任せた方がいいと言いますけれども、昨年押しつけられた史上最高の減反、それと新米の不足、これを合わせれば百万トンになります。米価が上がるというならば、これだけの不足があるんだったら、本来、不足するならば上がるべきものです。ところが、ほんのちょっと上がっただけで、一昨年の二千円から三千円の暴落、これは全然
基本的には解決していないし、
政府の稲作
経営安定対策、この補てん金なども、もうことしも下がるということは明白ですし、年々下がるだけです。
国産米が余るなら、外米、ミニマムアクセス米は
輸入しないとか、援助米に回すなど、加工用、飼料用にも使わないというように明確に隔離すべきではないでしょうか。余っているのに
輸入する、どうしてこれが
市場原理と言えるでしょうか。韓国では、不作のときはミニマムアクセス米を減らす、そういう
措置をとっていることは韓国の通関統計によっても明らかであります。米価が二十年以上前の
水準で、しかも水田の四割近くも減反する、これは労働者にとってみるならば二十年前の賃金に据え置いたまま四割をカットしろというものです。
今、農水省は、この上作況が一〇〇を超えたならば飼料用にトン一、二万円で投げ売りさせる、そうして需給
調整をするということを
検討しています。魚沼のコシヒカリでも一俵六百円あるいは千円、そんなところ、ラーメン一杯か二杯です。その量はわずかかもしれませんけれども、そういうべらぼうな値段がほかのお米の値段を引き下げることは明らかです。これはもう農民に米をつくるなというものではないかと思います。
今、
農業基本法を議論しているときにこういうことを議論し、しかも米ばかりか加工原料乳を初めすべての
政府管掌
作物の
価格保証をなくしていく。麦を民間流通にゆだねる。今度の
基本法を
審議しているさなかにこういうふうなことがもう行われている。これで農民の
生産意欲がわくわけはないし、
自給率が上がるわけでもない。後継者が育たないし、
農村女性の地位がどうして
向上するでしょう。そういう
意味で、私はこの
法案の中に
食料自給率という言葉を書きさえすればいいというものではないと思います。
この際、私がどうしても一言この
市場原理について申したいのは、
法案の第十九条で、「凶作、
輸入の途絶等の不測の要因により
国内における需給が相当の期間著しくひっ迫し、又はひっ迫するおそれがある」ときに、「
食料の増産、流通の制限その他必要な施策を講ずる」、こういう点であります。
これは、戦後の間もないころの強制供出と同じでありますが、今日のように
生産費を抑えて、そして
農業後継者がどんどん減る、今支えている高齢者の層がいなくなったら一体どうして増産できるんだろうか。さあ足りないから増産しろといってにわかにどうしてできるか。全く
農業生産の何たるかを知らない、実態を知らない霞が関論理です。失礼ですけれども、もしこれを推奨する人があるとすれば、永田町の論理ではないかと私は思えてなりません。この一点から考えても、この問題を考えるだけでも、農産物の
価格保証の廃止とか
市場原理というふうなことを振り回すことはやめた方がいいと思います。
価格保証と所得補償の予算を外国と比べますと、八七年に比べて九七年には、EUは三・六五倍、
アメリカは二・七九倍に伸びているのに、
日本は三九%に落ち込んでいます。大銀行に六十兆円もつぎ込んだりする
日本が、どうして二万円の米価を保証したり、膨大な負債に苦しむ畜産農民に政治の温かい手が差し伸べられないのか。私は、
食料自給率を引き上げるためにぜひともこの
価格保証の問題を皆さんに心からお願いしたいと思います。
食料自給率を引き上げる上でもう
一つ大事な問題は、
日本に非常に多い
条件不利
地域のことであります。
基本法案では、中山間地等の
対策として所得補償をうたっていますけれども、今の
価格保証は平場ですらやっていけない状況です。今度はこのすべての
価格保証がなくなる。こういうふうな状況の中で、この平場につり合うように所得補償をしてみたところでしょせんやっていけない。そういうことを考えると、
価格保証がまともであって、その上で初めてあの傾斜地で
環境などを守る無償労働あるいは
条件不利、そういうものに対しての所得補償をするというのが本当のありようではないかというふうに私は思います。
田んぼの区画を大きくすることだけを
目標にする
土地改良が行われ、中山間地はそういうことで取り残されています。長野県の栄村では、普通の基盤整備事業の
対象にならないところ、そういうところでも村独自で創造的に田直し事業を行っています。これは構造改善局長賞ももらっています。高知県の大豊町では、ヘアピンカーブの続く急傾斜地でせま地直し事業という自主的な基盤整備を行って、過疎地の農民を非常に励ましています。
こういう中山間地、こういうところにこそいろいろな面での、言葉だけの単なる所得補償ではなくして、こういう
条件不利
地域に対して本当に
価格保証等の上に立った政治の光が欲しいと思います。
沖縄本島は
離島扱いではないようです。あれだけ離れていてもです。沖縄の
離島に農産物の運賃の補助があったら、ニュージーランドやトンガのカボチャなんか入らなくても幾らでもここで補給できるのです。寒冷地の北海道でも本州の果ての地でも山間の寒村も、それぞれ農民は格差を持っています。
中山間地
対策は、
条件不利
地域としてもっと広く、そして中央の官僚的、画一的なそういう押しつけをやめて、
地域の
意見を尊重して、自主的な実情にあった
対策を立てるようにぜひお願いしたいと思います。
最後に、
WTO農業協定を改定し、民族の自立と生存にかかわる
農業政策を
主張することができるように心から希望します。
WTO農業協定は、
基本的に自由貿易一辺倒の
立場から、
食料の増産や
安全性を
確保するための各国の
努力に干渉し、事実上禁止しています。それはすべての人々が
食料を
確保する権利を持つという
食料主権をうたい上げたあのローマ
食料サミットの
方向に逆行するものです。
WTO農業協定の前文には、
食料の
安全保障や
環境保護という条項があります。
日本がこれらのことを要求して改定を
主張することは決して無理なことではないと思います。道理のあることです。
WTO協定の言う
生産を抑制するようなことは、我が
日本にとっても二十一
世紀の
世界の
食料問題から見ても道理も展望もありません。この
WTO協定に合わせた
農業基本法ではなく、真にあすの
食料・
農業・
農村のために役立つ、そういう
基本法になることを切に願って、私の
意見を終わります。