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国務大臣(
中川昭一君)
先ほどもお答え申し上げましたが、八六年から、あるいはまた別のところではRMAというのですか、全米精米業者協会が米を
輸入しろ
輸入しろという
議論が十数年前からあったと記憶をしておりますが、そういう中で、我々国会の場におる多くの議員、あるいはまた
生産者お一人お一人、それから
農林水産省もそうだったと思いますけれども、米の
関税化ということはあってはならないんだということでずっと来たわけであります。そして、その
一つの
結論が
ミニマムアクセスの特例
措置の受け入れということでありました。
今、
先生御
指摘のように、そんなにもっといい案があるんだったらその
交渉過程で、あるいは九五年のスタート時点からという話でありますけれども、私は今だからそういう
議論ができるんだろうと実は思うわけであります。
つまり、こういう大きな
国民全体、あるいは全国何百万といらっしゃる
生産者の
皆さんに関係する大きな問題を最終的に決めるのは政治でございます。政治が決めるわけでございまして、それに基づいて、
農林省にしても
外務省にしても
政府にしても、議院内閣制のもとでその方針に基づいて決定するわけであります。そういう政治
状況を
考えますならば、九三年の時点においても、あのたった四から八だけ特例で、もう世界の中でも特例としてこれだけで済むんだよ、あとはもうそれこそ一粒たりとも入らないんだよという説明ですら私ども自身もなかなか納得いかなかったわけでございますし、
生産者の
皆さんももちろん怒りの気持ちでいっぱいだっただろうと思います。
したがいまして、あの時点で最初から
関税化をしておけばこのぐらいの
関税が張られて、当時七百何十%とかいう記憶をしておりますけれども、しかも三%からで済んだんだよとかいうことは、まさにこれは例外なき
関税化の土俵にのるということになるわけでございますから、当時の政治
状況からいってなかなか難しかった。今だから、三年経過していろいろなデータあるいはまたいろいろな
国内情勢、
国際情勢等々を総合的に
判断して、そしていろんな
立場で御
議論をいただき、国会の場でも御
議論をいただいて、最終的にこういう
判断をさせていただくということでございます。
今の時点でまさに政治
判断として国会の場で法案等の御審議をいただいておるわけでございまして、九三年四月一日時点でやっておけばよかったと言えば、今からは言えるかもしれませんけれども、当時の
状況にあえて自分の身を置いてみるとするならば、当時の政治
状況としてはこれは極めて不可能な
状況でなかったのではないかなという、これはお互い政治家同士の
議論としてあえてお答えさせていただきたいと思います。