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堂本暁子君 先ほど、
千葉委員が弁護士として十年前に
精神衛生法の
改正にかかわったとおっしゃいましたけれども、私もジャーナリストとしてかかわりまして、そして朝日
委員は当時
精神科医でいらっしゃいまして、今は小林健康政策
局長ですけれども当時は小林
精神保健課長ですよね。宇都宮
病院の後の時期に、それぞれドクターであったり
法律家でいらしたり、それから私はジャーナリストでしたし、課長は行政の方の立場で何とか日本の
精神医療がよくなるようにという思いで、それぞれ違う立場で
法改正にかかわったことを本当にきのうのことのように今思い出しておりました。当時、小林課長も本当に大変な御努力と苦労をなさったのも目の当たりに見ておりましたし、私もジュネーブの
人権委員会まで出かけたり、日夜、朝日
先生と会っていろいろ
相談をしたりしたものです。
その当時、十年たってどうなるかということをどう考えていたかなと私は今改めて思っていたんですが、
精神病院の中で、二十年、三十年とおられた方たちに出会って大変驚きまして、多分十年たったら半分ぐらいは
地域に住んでいるようなことになるんじゃないかと思ったりもしたような気がいたします。とにかく、日本の
精神病院の病床がどんどんがらがらにならなきゃいけないんじゃないかというのが実感で、当時ニューヨークへ参りましたときに、ニューヨークの州立
病院はもう既にゴーストタウンみたいになって、ほとんどの方が
地域での復帰をしていましたし、ドクターたちも町の中の診療所に移っておられた。イタリーとかフランスでも
社会復帰の
地域がどんどんできていたのを思い出します。そして、日本も今それがスタートなのだとあの当時思いました。
それからちょうど十年たちまして、きょう、やはり今、
今田部長は病床が多いから減らないのかというふうにおっしゃったんですが、もしかしたら現実は本当にそうなのかと私も改めて思いまして、当時の数字として三十二万人の
入院患者がいらした。先ほども閉鎖棟、開放
病棟は一体どうなっているかというような御
質問も出ていましたけれども、それが今はもう三十三万人と、半減するどころか逆にふえている。
確かに、痴呆老人の病床もあるわけですからその事情がわからないではないですけれども、十年前に、朝日
先生はどう思っていらっしゃるか、
千葉先生はどう思っていらっしゃるか、それから課長はどう思っているか私はわかりませんけれども、少なくとも月に一度も二度も出会っては議論をし、そして話をしていたそれぞれが、十年たっても相変わらず三十万床の
入院患者があると当時想像したのかということなんですね。何か
内容的には、
人権擁護の面では進んだような気もいたしますけれども、大変足踏みをしてしまっているのはこの
病院の中の人数じゃないかと思います。
それで、外国では、
病院を開放するというケネディ大統領の声明があって、アメリカは二万人ぐらいの大きい州立
病院がどんどんあいていったわけです。そういったドラスチックな
変化をしたアメリカに比べると、十年しこしことした
厚生省の御努力も存じてはおりますけれども、やはりドラスチックな変わり方はしていないんじゃないかというような気持ちでおります。
質問に入らせていただきますけれども、そういった
観点から、私は
社会へ復帰することの手だてが足りないんじゃないかというふうに思いますので、きょうはそこに焦点を当てて、そして現場で今、当時出会った保健婦さんだとかケースワーカーさんだとかお
医者さんだとか、いろんな方にも聞いてみましたけれども、十年前と同じような問題を相変わらず抱えているんだなというふうに思ったりもいたしました。
例えば、今回の
改正で、
精神障害者の
社会復帰の促進と、それから自立の促進のための
精神障害者住宅
支援事業というものも
法改正の中に入れておられます。その中でスタッフのトレーニング、これは私はとても大事だと思いますけれども、
精神を病む、あるいは疲れている方たちに関してどのように接するべきかということの知識、あるいは特別視しない、偏見を持たないというようなことでスタッフの養成がなされているのか、まずその点から伺いたいと思います。