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参考人(
西山明君) 共同通信で現在
社会部のデスクをやっております
西山といいます。
社会部のデスクをやって四年になります。その前は大阪
社会部のデスクを二年半やって、東京に戻ってまいりました。
取材の範囲は、主に
教育という分野で取材を続けてまいりました。それから、八八年にはソウルで語学の研修をして、日本とアジアの問題についても関心を持って取材をしております。
きょうお招きにあずかった趣旨ということに沿って、私が取材をした結果、現在
子供がどのような
状況にあるかということを話させていただきます。
実は、僕がもともと
子供の取材を始めるというきっかけは一九八〇年代の初めであります。一九八〇年代の最初は中
学校で
校内暴力が大変吹き荒れていました。
校内暴力が吹き荒れて、先生がある意味で亡くなられたり、それから、
子供が体罰で先生に殴られて死亡するという事故がずっと相次いでおりました。この
校内暴力がいわゆる警察の導入によって一定
程度抑えられて、その後
学校では何が起きていたかといいますと、
いじめ問題がひそかに進行していまして、一九八四年から
いじめ問題が大きく
学校の現場で課題になってまいりました。その
いじめ問題を取材する中で僕の
子供への取材というのが始まったわけです。
取材といっても、当時、
子供に関する考え方、見方について語れるということは大変少なかったというか、新聞でいうとリアリティーがないと、こう言いますけれども、
子供の姿が浮かび上がってこないという事態がありました。それはなぜかといいますと、
学校というフレームというか、
大人、教師あるいは評論家も含めて、
子供というのはかくあるべしという形から
子供を断罪したり
子供を描こうとしていたということがあります。その時点で私
たちは、そうではないのじゃないかということで、もう一度
子供に直接取材をするということから取材の基本というふうに定めてスタートしました。
ちょうど当時、中野区で鹿川裕史君という子が「生きジゴク」という遺書を残して
自殺する
事件がありました。盛岡駅のステーションビルのトイレの中で、トイレのふたは閉まっているのですけれども、そのトイレのふたをけ飛ばして首にタオルをひっかけて首つり
自殺をするということがありました。彼のポケットの中にはちびた鉛筆が大変ありまして、そのちびた鉛筆を削り取って、当時盛岡はまだ二月で大変寒い時期だったと思います。その
少年は鉛筆の先を削り取って、広告用紙の裏側にこの世は生き地獄というふうに書いて、もう
いじめをやめてくれというふうに言ってこの世を去っていったわけです。
この
事件を取材していきますと、いろんなことが見えてくるということがあります。
一点は、
子供のポケットのもう
一つの中にはウォークマンが入っていました。ウォークマンの中には、当時テレビでは大変人気があった「夕やけニャンニャン」というテレビ番組があるのですけれども、そこの「真っ赤な自転車」という、二人でどっかに行こうねという少女の歌声が聞こえてくるのですけれども、それをヘッドホンに当てまして、その歌のところで切れていました。
トイレにはもう
一つ、「週刊明星」という当時
子供たちに人気がある雑誌がありまして、そこに
いじめの問題をたくさん
子供たちは投書していました。いかに
自分がこの世の中に生きていくのがつらいことであるかということがたくさん書かれていました。そのときに初めて
子供の肉声というものがなかなか外に出ていないということを僕は痛感したわけです。
鹿川君の
いじめ事件を取材して間もなく、何が起きたかというと、当時、岡田有希子さんという、松田聖子さんと同期なんですけれども、その岡田有希子さんが四谷四丁目にありますサンミュージックの屋上から飛びおり
自殺をしました。その後、
子供たちは約百人にわたって各地で高いところから飛びおりたり、あるいはいろんな形で
自殺をするという痛ましい
事件が相次ぎました。
そういう
事件が続いていく中で、
子供たちの取材をずっと続けていくとどういうことが見えてくるかといいますと、
子供たちはこの世にいてもいいのかどうかということを大変疑問に思っている。つまり、この世に生まれたことを肯定的にとらえている
子供が大変少ないということです。それでいて、
学校あるいは
家族の中ではきちんとした、外から見ると何の変化も見えない。見えないですけれども、心の内側では生きていてもいいのかというつらさを大変抱えているということが見えてきました。そういうつらさを抱えた
子供を実は十何年間にわたって僕はフォローするという作業を結果としてやったわけです。当時出会った子は今は三十歳ぐらいになっています。
我々のジャーナリズムの仕事というのは、輪切りといいますか、今起きていることを伝えていくという作業のために、時間を川のようにして考えるという考え方がなかなかとりにくい。部署が、セクションが変わっていくと、もうその取材は途中で終わってしまうということがあります。そういう取材の手法を僕はやめまして、そこで出会った
子供たちをロングタームで考えていこうという取材の手法もとりました。それで、
子供たちが三十歳ぐらいになっていくまでずっとインタビューを続けていきます。それは毎日というわけではなくて、あいたときに少しずつ重ねていくというふうなことなんです。
そういう
子供たちが今お母さんになったりあるいはお父さんになったり、それから
社会の中に入ってきているんです。そういう
人たちが
自分の生きがたさといいますか、生きがたさというのはなかなか
説明しにくいんですけれども、僕が言うときの生きがたさ、こういうのはかくあるべしというものを
自分の中に持っているんだけれども、そこになかなか到達し得ないとか、あるものに到達し得ないで
自分を何て情けない存在であるかと、こういうふうにして痛めつけるというときに感じる生きがたさということです。
ある
子供は摂食障害といいますか、拒食症や過食症になっていったり、それからある時期には
自分の手首を切っていくということがあったり、ある
子供はアルコールや薬物におぼれていったりということもあります。一方で、ある人はきちんと
家庭生活を営むということがありますけれども、お母さんになって
子供ができたというときに、
子供を殴ってしまう、どうしても
子供を愛せないという形でいたぶってしまうということも出るようになってきました。そういう
人たちの話を聞いていて、これは一体どういうことなんだろう、どこに問題があるんだろう、一体これは何なんだろうという、わからないまま取材を続けていました。
一方で、実は東京都の精神医学総合研究所というところでも同じような問題を抱える
大人たちの問題をずっと臨床研究を続けているスタッフ
たちがいました。斎藤学さんという、いわゆる酒癖といいますか、アルコール依存症の
家族の問題を研究しているスタッフ
たちがいました。
それで、アルコール依存症の
家族からはどんな
子供が生まれてくるのか。これまで言われていた言われ方は、非行とかという形で激しい暴力を表に出す
子供が生まれてくるように言われていたんですけれども、実はアルコール依存症の
家族というのはとても静かな
子供たちを産むということが言われています。静かな
子供たちを産むというのはどういうことかといいますと、周りの人の顔色に極度に適応しようとして生きていく、つまり周りの人から外れないように生きていこうとしているということがあります。
アルコール依存症のうちは、アルコール依存症の患者さんが例えばお父さんだといたしますと、お父さんは大変飲むわけです。それで、飲んでくるお父さんを実はもう一人支える人が、イネーブラーと言うんですけれども、お母さんがいます。お母さんというのは妻です。妻が夫を支える。その支え方はどういうのかといいますと、実はアルコール依存症という方は飲んで家の中を混乱させていくわけですけれども、その混乱を回避するようにお母さんは絶えずお父さんの動きを注目していく、関心を奪われるということがあります。そうすると、お母さんは絶えずお父さんをコントロールしないといけない、こういうことになります。お父さんが一体どうしているのか、今帰ってこないけれども、どこで何をしているのかということが大変気になります。そうすると、お父さんのことばかり気になって、
自分のことではなくてお父さんのことが主語になって生きていくということがあり得ます。
そういう
家庭で
子供が育ってくると、幾つかのことがわかってきました。
子供は実はオギャーと生まれてくるときには無力の存在なわけです。無力の存在の
子供がどういうふうにして生き延びていくのか。こういうふうに考えますと、
子供は生まれたときは全く性別も選ばれていません。それから名前もないわけで、もちろん親も選べないということがあります。その意味でいくと、生きる力というもの以外は一切受け身の存在であります。そういう無力の存在が混乱した中で生きていこうとするときにどうするかというと、
自分の足場は
家族しかないわけですから、
家族を支えようとして生きていこうとするわけです。ところが、
家族にこの世にあなたは生まれてきて本当にいいんだよ、こういうふうにウエルカムをされないということになってくると、大変いつも排除されているという形になります。そういう
子供が出てきているということがわかりました。
それで、そういう
子供たちが例えば家の混乱をコントロールして静めようというときには、
責任をとる役といいますか、
家族の混乱を絶えずおさめて、
子供のときにまるで父や母の
役割をとって生きているわけです。それから、家の中が冷たい雰囲気が流れていたり、ある会話が途絶えたりするという緊張した
状況になると、まずいということで
子供はピエロの役をとってお笑いをやります。そういうことが少しわかってきました。
それで、そういう
子供たちが
大人になって先ほど言いましたように
家族を持ったりあるいは
社会に出ていったときに人との
関係がうまくとれない、こういったときに、どうしてなんだろうというふうに
自分を振り返ってみたときに、初めて親の影響下で
自分が育ったんだ、それがどうも
自分が原因であるということがわかると、
自分はこの世にいてはいけない、こういうふうに思っていた人が、
自分はこの世にいてもいいのだ、こういうふうに肯定されるということがあります。そういう肯定する言語をアダルトチルドレンと、こういうふうに言います。
これまで日本では余り人を肯定することというのはありませんでした。つまり、日本の戦後を含めて
経済成長をもたらしてきた
エネルギーは、あなたはだめだという、つまり欠如感を指摘することによって人の
エネルギーを喚起してきました。いつもラインを引いて、ここに到達しないあなたはだめというふうにしてバーを設けて押し上げてくるという生き方が私
たちの主流な生き方でした。実はそういう欠如感というものが必要ではないんではないか、もうこれからはそういうことで人は励まされたりして生きていくという
時代ではなく、まずは人を肯定していかなければいけないんではないかというのがこの
子供たちの、つまり
大人がアダルトチルドレンというふうに認識して提起した問題になるわけです。
もう
一つは、
家族は親が支えるというふうに言われていたんですけれども、実は
子供が支えているということがわかってきたわけです。
子供が先ほど言いましたようにお父さんとお母さんの
関係を絶えず見ながら
自分の位置を決めていく、こういうふうになってくるわけです。
親は、
子供を育てるのは大変よ、うちの子は何て大変なんだろうと、こういう言い方をしますけれども、無力の存在として、受け身の存在としてこの世の中に誕生した
子供にとってみれば、この世界は大変つらいことになってきているということです。
それで、なぜそういうふうにつらいという力が働くようになったのか、こういうふうに言いますと、実は多くの
子供たちには生まれてから、いわゆる分割線と、こういう言い方をしますけれども、大変厳しい視線が与えられます。これを査定とも言います。生産的な視線とも言います。つまり、
子供は何かの役に立つ、こういう発想が大変強化されてきたということがあります。その強化される
視点というのは、もう
一つ考え方を含めると、
教育家族というものが大変誕生するようになってきたということがあります。
学歴
社会というふうに言われていますけれども、僕は団塊の
世代で、昭和二十四年生まれです。僕の父や母は
中学や高校しか出ていません。だけれども、いわゆる団塊の
世代が大学に行くころ、進学率は一七%ぐらいにアップしていきます。六〇年のときに七%ですから、かなりハイピッチで進学率はアップしていくわけです。それから、さらに三五、今は四〇%ぐらいになっています。いわゆるバブルの
時代にも、
経済状態が少なくともよくなったせいもありますけれども、四〇%を超えるようになってきます。
つまり、どういうことが言えるかといいますと、僕
たちと同
世代か少なくとも下の
世代のお父さんやお母さんが今の
子供たちを抱えているわけです。そうすると、高学歴の父や母を今度は
子供が超えていく、こういうふうになりますと大変負荷がかかっていくということになります。
それともう
一つ大事な
視点は、先ほどアルコール依存症のところで妻の
役割というふうに言いましたけれども、実は七〇年代、大学を卒業してから女性の人が就職できたかというと、大変就職が厳しい
状態にあって、四年制の大学を出ても就職するということが大変難しかったです。それで、男
たちが
社会に出ていって自己実現という力を
発揮してやっていくところで、一方でお母さんになっていくということがあります。その中には、多分大学を出て
自分の仕事というものを持って働きたいというお母さんがいたかと思うんですけれども、そういう
人たちが
家族の中に封じ込められていくということがありました。
それで、封じ込められていくとどういうことが起こるかというと、人は封じ込められると恨みを持つわけですけれども、この恨みというのは
子供に注がれてしまうという
一つの結果が
子供の中に出てくるわけです。つまり、男
たちは
社会に出てほぼ家に帰らないという事態の中で、お母さんと
子供の
関係、親子の
関係、縦の
関係が軸になってきます。そうすると、お母さんは
自分が果たせなかった夢を
子供に乗せていくということがあります。頑張れということになりますけれども、そのバーのラインが大変高いラインに設定されていく。お母さんも、四年制の大学あるいは短大を卒業されていたりすると、大変
子供に厳しいバーがはめられてくる。
それと同時に、企業と
学校の価値観は今ほぼ同じになりつつあります。それは選別の視線と言ってもいいかと思います。選別の視線というのは、あいつは役に立つか立たないかということです。つまり、生産力として役に立つか立たないかというのは、企業がそういう視線を持ってもそれは仕方ないということがありますけれども、
学校も同じようにそういう選別の視線になってきて、なおかつ一方で
家族もそういうふうに
社会の影響を受けて選別の視線を
子供に注がれたときに、末端にいる
子供はどういうふうにして生き延びていったらいいのか。生きる逃げ場が大変なくなっていくというふうなことがあります。
それで、振り返ってみれば、どの
大人たちも
子供時代というのはどこかに逃げる場をきちっと持っていたということがあります。どこかやみがあったり暗やみがあったりして、そこに入り込むことによって嫌なことをちょっと逃げることができます。つまり、そういうやみというものが今の
社会は大変なくなってしまって、全部同じ視線で
子供に注がれていくということがあります。
それと
神戸の
事件とか
ナイフの殺傷
事件、金属バット
事件と、こういうふうに見ていきますと、多くの
子供たちの
行動の引き金になっているのは祖父や祖母というものがあります。
先ほど言いましたように、父や母の視線というのは
社会の視線をもろに受けて、
子供を役に立つ視線というふうな形で生産的な視線を浴びせますけれども、祖母や祖父は多分そのままでいいんだという受け入れ方をするんではないでしょうか。中には孫がもっとしっかりという
家庭もあるかと思いますけれども、少なくとも価値は二つ家の中にありました。つまり、祖父母の視線と生産的な視線と二つあって、
子供はつらいときはおばあちゃんの布団の中に入ることによって救済されるということもありました。そういう救済される場を
家族の中で持たなくなってきてしまったというふうなこともあるかと思います。そういう
状態を僕は余白がない
子供の
社会、こういうふうに言っています。
学校にも余白がなくなってしまいました。その中で
子供は大変生きづらい
状態で生きているということが見えてくるということがありました。
そういう見え方をなぜするのかといいますと、先ほど言ったように、
大人になったアダルトチルドレン、
自分の生い立ちをもう一度振り返ったときに、生きづらかったことは、
子供のときにこんなことがあったというそういう
視点というのは、今を見る
子供の
視点として導入されてきたときに、
子供というのはオギャーとこの世に生まれてきたときに大変つらいところに今あるんだなということが見えるということでもあります。
では、
家族はこれからどうなるのか、こういうふうなことでもあります。それで、
子供の
少年事件を含めて大変クローズアップされてまいりました。
子供はなぜ問題
行動を起こすのか、こういうふうなことがあります。
子供は苦しいと大まかに言って
三つの
行動を起こす、こういうふうに言われています。
一つは病気になります。それからもう
一つは、薬とか薬物ですけれども、アルコールの中に逃げていきます。もう
一つはフィクションの中に逃げる、こういうふうに言われています。架空の世界にどんどん入っていくわけです。つまり、現実からどんどん浮遊していくという言い方ができるかと思います。
子供はそうやってつらい現実を生き延びていくんですけれども、
犯罪も、そのフィクションを突き詰めていくと、その中の
一つとして現実とフィクションの区別がつかなくなってくるという世界に生きているときに暴力という形も出てきてしまうということがあるわけです。
そういう
犯罪とか病気とかあるいは不
登校という形で出てきたものをどういうふうにして私
たちは読むのかというと、
子供そのものが悪いという考え方は取材の結果あるいは多くのスタッフとの研究の結果余りしません。
子供そのものが病気であるというのは、近代の考え方なんですけれども、
子供と
関係を持つ方に問題があるという言い方をします。つまり、
子供が問題を起こしたときには
子供と
関係を持った
大人たちがどこか病んでいるというふうに考えた方がいいのではないか、こういうふうな考え方です。その考え方を突き詰めると、実は
家族の中で
夫婦の問題というのが今後大きな課題になってくるんではないかというふうに思います。
夫婦関係の問題というのが
子供にとても大きな影響を及ぼしていくということが言えるかと思います。
それで、
夫婦の
関係をシステムとして変えていくというか、つらいお母さんがいるからつらい
子供が出てくるし、つらいお父さんがいるからつらい
子供が出てくるというふうに考えた場合、問題が
子供の中に出てきたときには、そういうつらいお母さんやお父さんが気軽に相談できる場があると一番いいんです。
ところが現代
社会は、企業の中でもあるいは
学校でも大変そういう場が少なくなってしまいました。そういうつらいお父さんやお母さんが
子供の問題を抱えたときに相談できる、そういう場が今カウンセリングの場としてありますけれども、実際上はカウンセリングは普通のサラリーマンの給料で行くのには大変高いです。初回一時間で八千五百円ぐらいいたします。普通三十分で六千円ぐらいですか。これに保険がきかないわけです。資格、カウンセラーの国家資格という問題もありますけれども、そういうところでお母さんやお父さんがつらいときにどこかに相談に行けるという場所があれば、それも気軽に安いお金で行けるという場があれば、大変救われるのではないかというふうに思います。
医療費が大変高騰しているというふうに言われていまして、日本の医療の根本は本人が悪いという言い方で大変問題なんで、この間も伝言ダイヤル
事件等で大変話題になりましたけれども、若い人の間には向精神薬というのが大変出回っています。そういう薬、一部は病院に行ってもらってくるという薬も出回っているわけです。その意味で考えていくと、本人を悪いというふうにしてそこから薬をとっても繰り返していくだけなわけです。むしろ周りの
関係性を変えていくということによって、医療費も少なくできるし、今後高齢化
社会に入っていったときに、多分、介護の問題というふうになっていったときには
夫婦で見合うという形しか出てこないんではないでしょうか、日本で。
そういうことを考えても、これからの
子供が提起している問題というのは、
家族の中で
夫婦のあり方をもう一度生きやすくする、もう一度見直すというふうな形になるのではないかというふうに考えています。
長くなって申しわけございません。僕の話はこれで終わります。