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参考人(二宮克美君) 初めまして。愛知学院大学の情
報社会政策学部に勤めております二宮と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
私に与えられた
テーマは、「現代の
子どもの心の変化と
健全育成上の
課題等について」という
テーマであります。
まず、その前に、最近思っていることをちょっとお話しさせていただきたいんですけれども、生きることの
意味というのは何なのかなと思いまして、それはやはり幸福を求めるというか、幸せな人生を送るということだと思うんです。ところが、私たちは最後は必ず死ぬわけでありまして、死ぬというのが不幸なのかどうなのか、最近ちょっとハッピネスといいますか、ウエルビーイングというのを考えながら、我々のターミナルというのは死ぬということが必ずある。
ある
意味で幸福を求めながら我々は死ぬという、不幸に陥るという逆説を学生と一緒に考えておりまして、人生の最後は必ず不幸なのだろうか、幸福な人生の終わり方というのはないのだろうかなんというようなことをちょっと考えておりました。我々は何か
生きがいというのを求めるわけですけれども、確かに
生きがいを求めるんですけれども、このことなら死ねるという死にがいなんというのが考えられないのか、
生きがいと死にがいは両立しないのかなというのを最近学生とゼミでちょっと話をしておりまして、最近私自身が現代の
子供たちあるいは高齢化の問題を考えるときに、幸福を求めつつ我々の最期を迎えるときのありようというのを発達心理学の中で考えているということであります。
申しおくれましたけれども、自己紹介ということで簡単にお話ししますと、私自身は幼児、児童の道徳性の発達について大学院に入って以来ずっと仕事をしてまいりました。そして、幼稚園児あるいは小学生の
子供たちの道徳性の研究をやっておりまして、三歳、四歳の
子供とひざを突き合わせながら、ピアジェというスイスの研究者の研究をしておりまして、もう三歳、四歳の
子供でも本当にびっくりするぐらい素直にいろんなことを語ってくれているということが研究者としての出発点であったわけであります。その後、徐々に
児童期から初期青年期、十歳ごろに興味、関心を持っておりまして、道徳性に限らず、思いやりだとかそういったものも含めて、
社会性の発達に非常に興味、関心があるというところであります。
私自身がやっている心理学というのはとてもおもしろい学問でありまして、まだまだやらなきゃいけないことがたくさんあるわけでありますが、お話の中で幾つか専門用語が出てくるかもしれません。なるべく基礎的な用語の解説を入れながらお話をさせていただきたいと思います。心理学あるいは発達心理学を学んだことがある方々はどのぐらいいらっしゃいますでしょうか。話の中に因子分析だとか因子得点とかいう
言葉が出てきますので、なるべくそのときにはちょっと首をかしげていただければ、私、皆さんの雰囲気を見ながら専門用語を解説させていただきたいと思います。ふだん大学では
授業というと一時間半でありますので、一時間半幾らでもしゃべれるのですが、三十分ということで手短に話をしますので、ひょっとして難しい
言葉が出たりして、おまえの言っていることはわけがわからぬということになるといけませんので、お互い有意義な二時間を過ごしたいと思っております。
さて、最初に現代の
子供の心の変化ということで、結論として二つ先に述べさせていただきます。レジュメにも書いてありますように、まず一つは、今の
子供たちの対人関係能力が少し低くなっているのではないか、二点目が、自尊感情といいますか、
自分をとうとぶ感情が低くなっているのではないかという、この二点を先に結論としてお出ししたいと思います。なぜそう考えるようになったかは、私自身の研究から読み取れることをお話ししたいと思います。
まず、たくましい
社会性に関する研究というのを、実は一九九〇年の五月ごろから研究に着手いたしました。その後、どういった項目で
子供たちの
社会性をとらえたらいいかということで、いろんな方々に御
意見をいただきながら、実際に
調査を実施したのが一九九四年でございます。そのときには
小学校五年生と
中学校二年生の
子供たちに
調査をいたしました。お
手元の資料の幾つかの中に、
小学校五年生と
中学校二年生のものがございます。たくましい
社会性を育てるというので、「日本の
教育力」という本の中で少し書かせていただきました。
この本の中の第二章に
小学校五年生と
中学校二年生の研究結果を報告いたしました。そこでわかったことは何かということも含めていろいろお話ししたいんですが、実はそこでわかったことは、
小学校五年生と
中学校二年生を比べますと、
小学校五年生の方が元気がよくて、
中学校二年生の方が
社会性とかいろんな面で下がってくるということ。これはどうしてなんだろうと。普通、心理学的な発達で言うと、
小学校五年生よりも
中学校二年生の方がよりたくましくなってくるのではないかということで気になりまして、当時
小学校五年生だった
子供たちを追跡
調査いたしました。
一九九六年にその
子供たちが
中学校一年生のちょうど一月、二月、ほぼ十カ月、十一カ月を過ぎたころに
学校へ参りまして、その
子供たちに同じような
調査をさせていただきました。さらにその二年後、一九九八年の三月ごろに、その
子供たちが
中学校三年生になっておりましたので、その
子供たちのやはり同じような
調査をいたしました。縦断的研究というんですけれども、そういう
子供たちをずっと追っかけて
調査していったわけであります。
その研究結果の詳細はまだ分析中でございますけれども、たまたま昨年の八月にアメリカで国際応用心理学会というのがありまして、そこで発表したものが私の
手元にある一番新しい論文なものですから、それをきょうの資料の英文のところでお出ししたわけです。
まず、研究の枠組みというのは、調和、つまりたくましい
社会性を、円滑な対人関係がとれ、他者との関係を築き、維持発展させ、その中で
自分の欲求を実現できる能力、これを我々はたくましい
社会性というふうにとらえまして、調和、つまり他人との共感性というのと向
社会的コンピテンス、思いやりを示す力、そういったもの、調和の側面、それから独自性といいまして、
自分はやればできるだとか
自分がいろんなことに自信があるといったような側面、これを自立感ということで独自性を見ました。その結果、調和の側面、人と仲よくやっていく側面は女子の方が男子より高い、それから独自性、
自分らしさを出していける側面というのは男子の方が女子より高い、そういうことがわかってきたわけであります。
さらに、調和と独自性のバランスを考えて、そのバランスの、両方高い、つまり人と調和しながら
自分らしさを出していくタイプの
子供たち、これはやや女子が多くて、
小学校五年の方が多いというようなタイプ分けでいろいろ見ていったわけであります。
ところが、縦断データを見ましたところ、調和と独自性で高い高いとか調和が高くて独自性が高いとかそういったもの以外に、ほかの群が出てまいりました。
恐れ入りますが、英文ペーパーのページ五に書いてあります真ん中の「Fig.」一の「Cluster Pattern on Longitudinal Data」というのをもしよろしければごらんいただきたいと思います。
そこで見えてきましたのは、小五、中一、中三になるにつれてたくましさがどんどん低下していく群がわかったわけです。これは男子に多いわけでありますけれども、これはそこでいいますと「CLUSTER1」と書いてあるものでありますが、三百数名の
子供たち、三百二十四名の
子供たちの六十四名がそういったように
小学校五年から
中学校一年、そして
中学校三年にかけて徐々にたくましさが減少していく
子供たちが見える。「Fig.」一のところで申し上げますと、白抜きの四角のところでありますけれども、小五がありまして中一、中三というふうにありますが、それが徐々に下がっている、そういう
子供たちが六十四名おりました。
逆の
子供たちもおりまして、それは「CLUSTER6」であります。四十八名の
子供たちでありますが、丸がこうなったりこうなったりしながらも、小五、中一、中三に向けて上昇していくタイプ、みんながこういうふうになってくれればいいんですけれども、こういう
子供たちもおりましたが、それは四十八名でありました。
というように、縦断データをじっと眺めておりますと、一貫してHH、調和も独自性も高いという
子供たちは「CLUSTER5」であります。そこでは男子二十二名、女子三十二名という、「Proportion of Clusters」のところに書いてありますけれども、男子がやや少ないですね。調和が高くて独自性も高いという
子供たちは女の子に多い。女の子が一番多いのは何かというと「CLUSTER4」でありまして、「CLUSTER4」は、調和、他人とうまくやっていくけれども
自分らしさをちょっと出しにくいタイプの
子供たちが四十六名、女の子では一番多かったわけであります。ちなみに、男子で一番多いのは四十一名の「CLUSTER2」であります。四十一名おりまして、LL、つまり独自性も調和もうまく出し切れないタイプの
子供たちがいた。
こういうことから、低下していく群が多くて、なおかつ
自分らしさも、人ともうまくやっていかれない
子供たち、ここから私は、対人関係能力が低下しているんではないか、少なくとも
自分の研究結果からはそういうことが言えるんではないかということを申し上げたわけであります。
それからもう一つは、今細かい分析はお話ししませんが、三ページの真ん中あたりに「Fig. Self-efficacy」と書いてありますが、そこを見ますと、これは自己効力感ですけれども、小五と中一、中三を見ますと、まあ男子と女子の差がありますが、
学年進行によって見事に下がっている。つまり、
自分はやればできるという意識が、感覚が
小学校五年生の方が一番高くて、中一、中三になるにつれてだんだんとそういう気持ちが低下していくということ、これは自尊感情の低下と私が呼んだことであります。
それから、日米比較も実はやっておりまして、日本とアメリカの
子供の共感性なんかを見ますと、日本の
子供の方が共感性が高いわけでありますが、アメリカの
子供の方は先ほど申し上げましたように自己効力感が高い。つまり、
自分はやればできるんだという意識はアメリカの
子供の方が高いということがわかっております。
そういうことからいろんな
教育的な提言ができると思いますけれども、
子供たちのたくましさを育てるためには、日本特有の共感性が高いという側面を利用いたしまして、そういう人との調和をきちっと図りながら、なおかつそこで
自分らしさを出していかれるような
教育的なストラテジーといいますか手段を考えた方がいいんじゃないかということを「日本の
教育力」という本の中でもちょっとお話をさせていただきました。
それから、きょう用意いたしました二つ目の中学生、高校生の
学校生活に対する意識の研究というのを「変貌する
社会と青年の心理」という本の中で出したわけでありますが、実はこの
調査はもう既に一九八五年、八六年に私自身が
調査をしておりまして、今から考えてみますと十何年前のデータでありますが、その当時
中学校一年生それから高校一、二年生に実施した
調査で、もう既に十四、五年前に我が国の中学生、高校生にこういう特徴が読み取れていた。つまり、
学校に適応していくというのは、中学生の方が高校生よりも適応している。高校生との比較の問題でありますが、中学生の方が
学校に適応しているんだとか、男女を比べますと男子の方が
学校適応をしているらしいということがわかっております。
それから、仲間志向ということでありまして、仲間とわいわいやれる。これは男女差がありまして、女の子の方が仲間志向であります。ところが、仲間志向も、中学生の方は仲間志向で高校生はだんだんと仲間との関係というのは疎遠になってきまして、
学年進行によって対人関係能力が低下するということが十四、五年前の私のデータを見ますと読み取れてくるわけであります。
と同時に、先ほど自尊感情ということを申し上げました。
自分をとうとく思う感じでありますが、これも
学校に適応している者の方が高いわけであります。得点としては、五点尺度、非常に感じる、たまに感じる、どちらとも言えないという五点尺度で決めて、三点がどちらでもないですけれども、それよりも点数が低い。つまり、我が国の高校生なんかは
自分を余りとうとく思っていないというんですか、
自分はだめなんじゃないかというふうに思い始めている。それは特に女子に多い。つまり、自尊感情が非常に低いということ。これも、細かい分析をしますと成績学歴尊重主義の弊害ではないかということを少しこの本に書いております。
十年前の研究でもそういうことが少し言われている。つまり、対人関係能力の低下とそれから自尊感情の低下というのが読み取れるんではないか。
最後にお話しします
教師権威の研究を最近、一九九七年、九八年とここのところやっておりますけれども、研究のねらいは、我々が対人関係を円滑に進めていくためには幾つか守らなけりゃならないルールというのがあるわけです。そういう
社会的なルールというのはどういうふうに習得していくんだろうかというのが研究の出発点でありました。
そもそも我々の例えば廊下を走っちゃいけないだとか御飯を食べる前には手を洗いなさいだとかというようなことのルールは、
お母さんや
お父さんあるいは
学校の
先生方から二つのチャンネルを通して
子供たちに伝えられているだろう。一つはしなさいのルール、つまりリクエストです。こうしなさいああしなさいというような形で
子供にルールが伝えられていく。もう一つは、しちゃいけませんよ、禁止のルールです。そういう二つのチャンネルで我々が
子供たちにいろんなルールを伝えていくんだということから、
お母さん方にも
調査したデータもあるわけですが、今ここではそれは触れないことにします。
じゃ、我々が
子供たちに伝えていくルールというのはどんなものがあるのか。その一番は道徳のルールです。つまり、人を殺してはいけない、うそをついてはいけない、これは道徳のルールです。それから慣習のルール。つまり、あいさつをしようだとか、まあ、あいさつをしなくたっていいわけですけれども、でも、ちょっとあいつおかしいなというように思われるぐらいで。あいさつだとか人を呼び捨てにするだとか、こういったのは本人がどう思うか、もちろん道徳と思うのか慣習と思うのか、これは専門語でいくと領域調整のところであります。そのほかに、手を洗いなさい、熱いものをさわっちゃだめよ、危ないものをさわっちゃだめよというような、健康だとかそういう自己管理に関連するようなルール。
そういうルールについていいか悪いか、そして規則をつくることがいいか悪いか、
先生がそういうことを決めていいかどうか、
自分たちで決められるかどうかというようなことを
教師権威との絡みで研究したのがお
手元の資料の一番最後のところ、実はこの論文は書きたてのほやほやでありまして、まだ学会発表が済んでおりません。この九月に日本心理学会で私が発表する資料でありまして、ちょうどこういうお話があったときに論文を書いておりましたので、ちょうどいい機会だと思ってこの資料を持ってまいりました。
そこで、図1と図2をごらんいただくとわかりますように、白抜き丸は道徳でありますが、道徳について
先生がそういうことを決めていいかというと、
小学校五年生ですといいよというのが九〇%を超えるわけですけれども、それが高校二年生だと五〇%まで落ち込むわけです。道徳についても
先生は口を出すなというようなことがここから読み取れるんです。そうすると、我々が
子供たちに
社会的ルールを伝えていく、
子供たちに
先生がそういうことを言っていいかどうかというと、見事に低下してきている。これは少し問題ではないかというのが私自身のこのデータから読み取れるところであります。
当然ながら、個人領域というのは、例えばそれは
自分で決めていいよ、具体的に個人領域というのは髪型ですね、茶髪だとか長髪に変えるというのはいいか悪いかと
子供たちに聞いているわけです。それは黒四角でありますが、これは個人的権限の方を見ていただければわかりますように、
小学校五年生でも五〇%ぐらいの
子供たちが
自分の髪の毛は
自分で決めていいよと思っている。それが徐々に、大学二年生ぐらいになりますとほとんどもう全員が髪のことなんかは
自分で決められるというふうに、我々大人が考えているルールを守れということと、
子供たちが
自分たちで決められるとか
自分たちで何かやれるという意識にこういうような変化がある。
つまり、最後の方に書きましたけれども、個人的権限が非常に上昇する。そういう
意味では非常に青年期としては望ましいことだとは思いますけれども、道徳に関してもそういうことが言われるようになるとちょっとどうかなという感じがしております。
以上、私の幾つかやっている研究の中から
三つの研究を取り上げて、最初の対人関係能力の低下あるいは自尊感情の低下についてお話をいたしました。
当然ながら、
健全育成上の
課題等について、そこにも書きましたように、対人関係を築き維持する力の養成をしていかなきゃいけないんじゃないか。そのためには、当然ながら、
社会的なスキルといいますけれども、あいさつをする、お話を聞く、お礼を言う、もう本当に基本的なスキルから、いらいらとした感情の処理の仕方を学んでいくだとかストレスを処理するスキルとか、そういったものを学ばなきゃいけないんじゃないかということをそこに書きました。それが、多分さっき
文部省の方でも言われているような豊かな心の
教育につながっていくんではないか。
それから、自尊感情を育てるということでいいますと、やはり
子供たちというのは非常に今つらいマイナスイメージの中で育っているといいますか、だめだ、だめだ、だめだと人間五回おまえはだめだよと言われると、だんだんがくっとなってやる気をなくしてどうせなんていうふうに横を向いてしまうようになるわけですが、
子供にとって、やっぱり
自分の持っている力を信じて、
自分はこういうことができるんだというような達成感といいますか、そういったものを高めるようなことがどうしても必要なんじゃないか、それこそがそれぞれの
子供の持つ生きる力というのを育てていくのではないかと思います。
最後にちょっと大胆な提言をしております。これは半分冗談で半分本気なんでありますけれども、幾つかの提言が考えられると思いますが、まず短期的な施策は幾つかの
文部省等の答申等で、現職教員の再
教育をどんどんしなきゃいけないということはもう手が打たれております。もちろん、教員養成審議会の答申に基づいて
平成十年六月に教員免許法が改正されまして、そうした
教育を受けて実際に
学校の
先生になっていく学生は三年先であります。ですから、すぐにでも
教育相談、生徒指導などの強化を
学校の
教育の現場にいる現職の
先生方に非常に理解してもらって事に当たってもらう、これはある
意味で短期的なものだと思うんです。
中長期的な施策でいいますと、情報という科目が高等
学校の必修科目になりましたけれども、心理学という科目を選択科目でもいいから入れたらどうかというのが提言であります。
一番最初にも申し上げましたように非常に心理学はおもしろいわけでありますが、御存じのように大学になって初めて心理学という科目が正式に講ぜられるわけですけれども、育児だとかあるいは夫婦関係の問題、人間関係の問題というのは、発達心理学や性格心理学や
社会心理学あるいは臨床心理学などの知識というのが非常に役に立つわけでありまして、高校生は十年先にはもう
お父さんお母さんになっているわけです。だから、高校生にそういう科目をわかりやすくかみ砕いてやることによって結構役に立つんじゃないか。情報という科目ももちろん必要でありますし、それから養護とかそういう科目も必要でありますけれども、そういう心理学なんかをやるといいなというのが私の願望であります。
まさに大学にまで来てしか聞けない科目を、九十何%が行く高等
学校で教えることこそ意義があるんではないか。ですから、すぐとは申しませんけれども、中長期的に心理学という科目を高等
学校の
授業科目の選択科目としてやっていただきたいというのが一つの
提案であります。
たまたま日本心理学会では高校の選択科目にしたいという動きがあるようでありまして、それは学
会長みずからもおっしゃっています。お隣の中国では中学生に対する心理学のテキストが出始めているという状況でありまして、二十年ぐらい前ですと中国はそんな状況ではなかったんですが、最近、日本心理学会の
会長が行かれましたら向こうはもう中学生にもそういう
テーマで教科が設定されているということで、日本でもやったらどうかなという願望があるようであります。
私に与えられた時間、三十分に間もなくなろうと思いますが、一応ここで私が用意してきたお話、現代の
子供の心の変化ということで二点ほど、対人関係能力の低下と自尊感情の低下が指摘できる、それからそれに対する
育成の問題として
社会的スキルといったものを
育成したらどうか、あるいは自己効力感といったものを持たせたらどうかということをお話しさせていただきました。
以上で私の話をおしまいにいたします。