○
参考人(
牧野徹君) 私も実は存じ上げないようなことをただいま
先生がおっしゃられました。いわゆる
進駐軍が三十五坪
平均で、
余り大きくないとおっしゃいましたが、私の
感じで言うと大きいなとは思うんです。
ただ、戦後すぐのときの
日本の総
世帯数と
住宅数の差、つまり
住宅の絶対
不足はたしか記憶では四百二十万戸ぐらいだったと思います。御
指摘のように、それが充足されながらも
昭和三十年の当
公団の
前身である
日本住宅公団が発足したときには二百七十万戸の
住宅の絶対的
不足、そういう
時代に、ともかく絶対数が足りないんだから
住宅をつくれというので、
日本の内政上の最
重要課題の
一つとして当
公団の
前身がつくられたんだと思います。
したがって、これは
日本民族の属性かもしれませんが、まず戸数を多くつくって絶対的な
不足を解消するという点に何といっても力点が置かれた。しかもその際に、こういう地理、地形、
気候風土の
日本ですから
木造住宅が多かったわけですけれ
ども、やはりこれも今
先生がおっしゃったようなあるいは
進駐軍に
影響されたのかもしれませんが、少なくとも
昭和三十年に
日本住宅公団がスタートしたときの第一条の「目的」を見ますと、何と「
耐火性能を有する
構造の
集団住宅及び
宅地の大
規模な
供給」、
耐火性能という
言葉が出ておるわけです。さすがに現
公団法のときは「良好な
居住性能及び
居住環境を有する
集団住宅」となっているんですが、やはりこういうところにもつくられた
時代の
問題意識というのが、私は強烈に反映されているんだと思います。
そういう
意味で、二百七十万戸の
不足とか、あるいは
日本がそれからすばらしく発展していく中で、
民族の大
移動とも言えるような
大都市部への
人口移動が起きて、それに対して私
どもは
住宅供給並びに大
規模な
団地開発も行って
宅地の
供給もやってきたわけでございます。
その中で、今設備の話にも
先生は
お触れになりましたが、
住宅公団としては少なくともガス、水道、風呂、
水洗便所、こういうものが完備した
住宅をつくって、やがては
ステンレス流し台というものに象徴されるようなものもつくり出していった。これも
先生のお
言葉にありましたが、
日本で
団地だとか
団地生活だとかそういう
言葉で代表され、それがある
意味で私はその
時点では、庶民がああいうところに入れればいいなというあこがれの的でもあった、新しい
ライフスタイルの
パイオニアを演じさせていただいたんじゃないかと思います。
そのことは、
前回のこの
委員会でも申し上げましたので恐縮でございますが、現在の天皇陛下が皇太子の
時代、
昭和三十五年九月でございますが、アメリカに行かれる前に
日本の新しい姿を勉強されようということの
一つとして、私
どもの
ひばりが丘団地等を御視察いただいているわけです。そういうことからも明らかであろうかと思います。
その後も、最初の三十年代の
住宅はたしか
平均三十何平米だったと思いますが、十年ごとに切れば着実に四十平米なり五十平米なりと広さも大きくしております。あるいは
参考人の
方等の
意見陳述でもございますが、私
どもの
団地では可能な限り緑というか広場とかあるいは
集会場ですとかそういうものも用意して、
駐車場の
整備率などというもの、そういうトータル的な
意味での
環境のよさも、もちろんまだ御不満はあろうかと思いますが、他の主体の提供しているものに比べればはるかにいいものを提供してきた、そういう
自負心といいますか
感じを持っております。
ただ、それではいいことばかりであったのか。まさに光と影があるわけでございます、影と言うとちょっと強過ぎるかもしれませんが。
一つは、今も申し上げましたように、三十年代に建てられたものは、やむを得ない事情があったとは言いましても、ちょっと
先生も
お触れになりましたが、伝統的な
戸建て住宅に比べて、いわゆる
団地サイズという
言葉もありましたように非常に規格化され合理化され、ある
意味で言うとゆとりがないようなものが結果としてできている。だから、それを現
時点の目で見れば良質な
国民的ストックと言えるのかということも反省されますし、それから
団地にお
住まいの
方々の御努力でどこでも良好な
コミュニティーが形成されているわけではございますが、やはり今まで住んだことのないこういう中層の
構造上の問題があって、これは
言葉は適切かどうかあれですが、いわゆる昔の長屋というか、向こう三軒両隣が何があっても助け合っていくというふうな
コミュニティー関係が必ずしも形成しにくいなという一部の
指摘もある。
それからもう
一つは、大きな
ニュータウンをつくって、
民族大
移動的な若い方の
移動もございましたが、例えば同世代の方が一斉に入居された
関係で、一斉に子育てをなさる。一斉にお子さんが卒業していく。そうするとおじいさん、おばあさんが残される。場合によるとおひとりになる。そういうことで、何か本当の町というのは、老若男女、あるいは若干所得の多い人少ない人いろいろ入りまじっているのがいい町だというのが通説だと思いますが、結果的に、今申し上げたようなことでやや古い
団地の方では、大
規模なところでは活気が失われつつあるのかなというような面も見受けられる。こういう点が、今後我々が
施策を進めていく上で大いに
参考にしなければいけないことではないかと思います。
そこで、私は
前回も申し上げましたが、
日本の
少子高齢化、特に
少子の問題で、やがて
人口がピークアウトしていくということ等も考え合わせれば、
ライフスタイルといいますか、
ライフステージと言った方がいいのかもしれませんが、そういうものに合わせてうまく
集合住宅を使っていくような、つまり
可変性のあるような、
前回担当の
理事がSI、スケルトン・インフィルの
説明も若干いたしましたけれ
ども、そういうことも念頭に置きながら、よりよい
国民的な
ストックを築き上げていくというふうに今後
施策を進めてまいりたい、かように考えております。