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参考人(
岩見良太郎君) 埼玉大学の岩見です。座って
意見を述べさせていただきます。
この
法案につきまして、私の方からは三つの問題点を指摘したいというふうに思います。
その第一点は、
名称から
住宅を外したことに象徴されますように、公的な
住宅供給の
役割を大幅に後退させることの問題でございます。つまり、来るべき二十一世紀の
住宅・
都市づくりのあり方を考えるときに、公的セクターの
役割は今後ますます大きくなるのではないかというのが私の判断でありますけれども、今回の
法案はそれに逆行するのではないかという点の問題でございます。
先ほど
小林先生の方からも指摘されましたけれども、二十一世紀というのはかつてのように右肩上がりの成長を期待できない
時代に入ります。その端的な例が
人口動向です。
人口問題
研究所の予測によりますと、二〇一〇年ごろには
我が国の
人口はピークに達します。同じく
国土庁の予測によりますと、同じころにやはり東京圏の
人口もピークに達します。そして、二〇二五年、この段階では高齢化率が二六%、世界最高の水準に達するということが予測されているわけです。明治以来、一貫して続いてきた
都市膨張の
時代、成長の
時代というのは終わったんだということです。
人口が減る、あるいは
都市が収縮するというかつてない経験をする、そういう
時代に突入しつつあるということなんです。
ところが、これまでの
都市計画、その発想、ツール、論理、これは一貫して右肩上がりを前提にして組み立てられてきたものです。したがって、この新しい
時代に対応するにはこれまでの
都市開発の発想を根本的に
転換しなきゃならない、かなり深く
転換しなきゃならない、これは極めて困難なことだというふうに思います。その
転換、例えばこれまでの
都市計画の
課題は基本的には計画的拡大であったわけです。しかし、これからは
都市の再
構築ということが最大
課題になるわけです。これまで、高度
経済成長の中で乱
開発によって
都市が痛めつけられ、負の遺産というものが蓄積されてきたわけですけれども、そういった負の遺産というものを改めていかなければならない。
この
課題の
転換の
必要性というのは、最近の
都市計画中央審議会の答申でも確認されているところですけれども、その場合私が強調したいのは、巨大
開発でいわば町の中をひっくり返して
住宅をつぶして、そしてそれにかえて大きなビルやマンションを
建てていく、そういった再
開発をするやり方、これはまさに右肩上がり
時代の発想ではないかというふうに思うわけですけれども、こういったやり方そのものは修正されなければならない、こういうふうに考えるわけです。
そこに住む住民の
居住あるいは長い間築かれてきた親密なコミュニティー、こういったものが継続し得るような
都市の再
構築、再
開発、こういったものを追求しなければならないということです。とすれば、その場合、住み続けられることができる
住宅づくりということが最大の
課題になるのじゃないかというふうに思うわけです。この
住宅づくりを後退させて本当の
町づくりということは不可能ではないかというふうに思います。さらに、
住宅をつくるだけではなくて、高齢者福祉施設等もあわせて高齢化社会に向けて
整備していかなければならない。こういった
課題を考えるときに、この公的セクターの
役割ということはますます今後重要になってくるのではないか、こういうふうに思うわけです。
それから、この
都市計画あるいは
都市開発の発想の
転換すべき第二のポイントは、これまでの
都市・
住宅開発の手法の多くは
地価の右肩上がりを前提としたものでありました。つまり、
開発利益に依存した手法でした。しかし、これからは
開発利益がほとんど期待できない、そういう
都市づくりの
時代に入っていくわけです。そうしますと、
開発手法も
開発利益に依存しない方法というものが大いに模索されていかなければならないというふうに思います。
例えば、これまで
開発利益に依存した典型的な手法として区画整理、再
開発、そういった手法がございます。保留地とか保留床を売ってそれで事業費を賄って、そして独立採算的に再
開発をやっていく、そういう手法なわけですけれども、しかし今
地価が低迷しておりまして、こういった
開発利益依存の手法が全くうまく動いていないわけです。いわば、莫大な赤字を抱えたままストップしている事業が続出しております。
例えば、これは
公団施行ではないんですけれども、横浜西口の第二種再
開発なんですけれども、保留床を買ってくれるキーテナントが応募せず、結局事業計画を決定したまま今ストップの
状況になっております。あるいは郡山駅の西口再
開発、これもやはり保留床の買い手がない、そういうことで三つの県立定時制高校を
統合いたしまして、それが入居して埋め合わせる、こういったことをやっておるわけです。
あるいは、これまで
開発利益をてことした手法として、
都市計画の
規制緩和手法というものが大々的に進められてきました。バブル前から
都市計画の
規制緩和策が次々と打ち出されていましたけれども、例えば
規制緩和と
住宅供給促進を結びつけることを
目的としました
市街地住宅総合設計
制度や最近新たに設けられました高層住居誘導地区
制度、こういった
規制緩和の
制度ですけれども、これは右肩下がりの
時代では、この
規制緩和によって
都市の
開発あるいは
住宅供給を促進するという効果は、これからはもはや期待できないのではないか。もっと言えば、そもそも
開発利益を
目的とした
民間による再
開発とか
住宅供給、これは今後行き詰まってくるのではないかというふうに思うわけです。
そういう
意味で、
都市開発、
住宅供給における公的セクターの
役割というものは今後ますます重要になってくる、二十一世紀においてこそますます重要になってくる、こういうふうに思います。そういう
意味で、
住宅・
都市整備公団の
役割というのはあるいは
存在意義というのは実はこれからの
時代にあるんだということを言いたいわけです。
もう
一つ補足したいことがございます。
右肩上がりの条件がなくなったということで、住民の
主体的な
町づくりが極めて困難になってきたという
状況が生まれてきているのではないかと思います。これまで、極めて厳しい条件の中で住民は
環境を守りながら住み続けられる
町づくりを模索して、さまざまな実践の蓄積を積み重ねてきました。
例えば、埼玉県上尾市の小さな
都市再
開発の例がそうじゃないかというふうに思います。バブルのさなか、指定されている容積率四〇〇%を半分の二〇〇%にダウンゾーニングして、
環境を守りながら、かつそこにもといた借家人がもとのままの
家賃で生涯住み続けられる、そういったマンション
開発を行ったわけです。この
地域は旧中山道沿いでありまして、いわゆる短冊形のウナギの寝床のような細長い宅地がずっとつながっているところですけれども、バブルのさなかマンション化が進んできたわけです。マンションが建つとその隣は真っ暗になる。それで地主さん
たちは、あんな再
開発はしたくない、マンションを
建てたくないということで新たな
開発のあり方を模索していましたけれども、上尾市あるいは埼玉県の職員あるいはコンサルタント、これが力を合わせて住み続けられる
町づくりをスローガンにしてこの見事な例をつくり上げたわけです。
これができましたのは、もちろん公的な資金的な援助があったということはありますけれども、今振り返ってみれば、やはり右肩上がりの
家賃上昇という条件があったからではないか。すなわち、新たにマンションに入居する人
たちの
家賃上昇ということがあって、それが今までいた借家人の
家賃の高騰を可能にした、こういうふうに思います。これから、こうしたことが難しくなるということです。
少し前、このマンションに調査に出かけましたけれども、今は空き家が目立っております。ということは、地主さんが将来にわたって安心できる
生活設計を考えておられたわけですけれども、それが崩れようとしているわけです。そういった
状況を考えますと、
民間の
町づくりのエネルギーを吸収して
町づくりにつなげるためにも、やはり公的セクターの
役割、
住宅・
都市整備公団の
役割というものは今後ますます重要になってくるのではないかというふうに思います。
確かに、
法案では新
公団は密集
市街地の再
開発というものをやるということを言っております。しかし片方で、
基盤整備や
工場跡地の大規模再
開発に力を入れる、そういったことにシフトをしていく中で、どこまでそういったところに力が注がれるのだろうかということを私は非常に不安に思っているわけです。
第二番目の問題点を指摘したいと思います。
それは、
家賃を
市場家賃にするという問題です。この問題を
町づくりの視点から述べてみたいと思います。
これまでの事例から申しますと、
市街地再
開発、区画整理、こういった事業が行われた場合には借家人のほとんどは住み続けることはできなくなり、住みなれた
地域を離れていくということがよく起こっております。とりわけ
市街地再
開発、特に借家人の場合は深刻であります。
例えば、今、震災復興事業として西宮で
公団施行の再
開発が行われておりますけれども、借家人はだれ一人としてそのビルに入れませんでした。さらに言えば、年寄りさえ入ることは困難なんです。なぜかと申しますと、六割の方は七十平米未満の零細な
権利者なんです。そうしますと、ビルに入るためにはやはり大きな借金をしなきゃならないということで、結局
経済的に入れない、こういう問題が起きているわけです。もし
市場家賃化ということがなされれば、こういった事態に一層拍車がかけられるのではないか、こういうふうに思います。
先ほど、いわゆる密集
市街地等の再
開発は
公団がなされるということを聞きました。しかし、
市場家賃ということと連動して再
開発した場合には、やはり今までそこに住んでいた借家人の多くは出ていかざるを得ないのじゃないか。そうしますと、住民が残れない、あるいはそれまで住民が築いてきたコミュニティーそのものが破壊されてしまう。これは、本当の
町づくりということにならないんではないか。あえて言えば、町破壊ということにつながるのではないかということを懸念しております。
ちょっと時間がございませんけれども、第三点目の問題を手短に申し上げて……