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参考人(
船橋洋一君)
船橋でございます。
きょうはお招きいただきましてありがとうございました。大変光栄に思います。
アジアの
安全保障、それと
日本の役割ということで報告せよということでございますけれども、最初に、九〇年代に入って、
アジアだけでないんですけれども、
世界の大きな
政治潮流といいますか、さらには構造変化、それがどのように
アジア太平洋にも影響を及ぼしているだろうか、そういう見取り図をちょっと描いてみたいと思うんです。
それから、各論といいますか、朝鮮半島と、今、
岡崎さんも触れられましたけれども
中国をどう見るかという問題、その中で新しい挑戦が
日本の
安全保障政策上間違いなく生まれていて、それに対してどのような手段、手法、
政策でもって対応するべきだろうか。その際に、
日本の
安全保障政策の
考え方、あるいはその進め方の死角といいますか、問題点をどういうふうに見るべきだろうか、そのような順序で御報告をしたいと思います。
九〇年代は
湾岸戦争で始まったわけです。その余波というのは、実は非常に深いところがあると思うんです。それは、
日本の
国内政治もそうですし、その背景あるいは震動源となっている一種の新たな
日本の
世界とのかかわり方のあり方、一言で言うと、金だけではだめだ、汗を出せというような一つの思想、そういうものもあると思います。これは、
日本だけでなくて、実は
中国にも物すごいショックを与えた。
一つは、
アメリカのハイテクパワーです。これは、ことしのイラク空爆、
アメリカとイギリスが中心になってやりましたけれども、ここではさらに先端的な軍事技術が動員されている。単にトマホークの個々の命中率が上がったとかいうことだけでなくて、システムとして、あるいは国防、あるいは軍事、兵力の投入であるとか消耗であるとかということ、全体の
軍事力をどう使うかというところ、思想に至るまで変化が生まれている。
クリントン・ドクトリンと言う人もいますけれども、
アメリカの兵隊の命はほかのどの兵隊よりもはるかに高い、あるいはとうといと言わんばかりの、つまり労働力のかわりに資本と技術でもって
戦争をするというような新しい
考え方、これをRMAという新たな潮流の一端というふうにも見ることができると思うんですね。これは、レボリューション・イン・ミリタリー・アフェアーズ、軍事革命と呼んでいますけれども、突然出てきた突然変異ではなくて、特に九〇年代に入ってから加速度的にそういう方向に向かっている。
中国は、もちろん人民
戦争論というのはとうの昔にかなぐり捨てましたけれども、新しい軍事ドクトリンであるとか、そういうものを模索しているときにこれにさらされたということで、軍部を中心に、新たな
アメリカの
脅威、一極構造、
中国では独覇と言いますけれども、それに対する
脅威感。さらに、後ほど触れますけれども、
台湾の位置づけ、意味づけというのが単に
政治的な問題というだけでなくて地政学的な問題にも発展しかねないという危機感。
日本と
アメリカの
軍事同盟がさらに
中国を明確に標的とするものではないかというような危惧、この辺が一つ大きい分水嶺で生まれたと思うんです。
つまり、
中国にとって
ソ連は敵性国、アドバーサリーですけれども、ある意味では
アメリカをチェックするパワーでもあった。しかし、
ソ連が崩壊したときに、下手すると自分がチェック機能にさせられてしまうし、
アメリカが
中国をそういうものとして意識してくる危険性が非常に高まってくるというようなこと、それが軍事技術のおくれというような意識と相まって、新たな
中国の
世界観、
安全保障観というものに非常に大きいインパクトを及ぼしたということがあるんだと思います。
それから、沖縄の基地問題は、沖縄の七二年返還後、約束事としては
最大の基地返還の成果といいますか結果を生んだわけです、普天間の飛行場の返還を含めて。しかし、その過程での
議論、
安全保障政治の力学みたいなものを見ていますと、明らかに変化が生まれている。特にそれは
日本の方で顕著である。
海兵隊のプレゼンスの問題をめぐって、かなり広範な国民層に、政党も含めて、
アメリカのプレゼンスの適当量の削減の方がむしろ日米安保を持続して維持する上で望ましいのではないかというような
考え方が生まれる。同時に、国民のより多数が日米安保を支持という広がりは見せていると思うんですけれども、冷戦
時代のように激しく支持する、強く支持するというような深まりといいますか強度といいますか、それは薄らいでいるのではないかということも含めて、
アメリカのプレゼンスをどういうふうに
考える、基地をどういうふうに
考えるというような問題、これが今までとは違う、より大きな国民的な、一沖縄という問題だけでなくて、広がりを持ったイシューとして出てきている。日米安保の将来を
考えたときに、これは一つの大きな問題であり続けるだろうし、今まで以上により深い問題となるだろうという点です。
それから、先ほど
岡崎さんも触れられましたけれども、九六年三月の中台危機、これは実は、実相がどうだったのか、
アメリカの意図、
中国の意図、
台湾の意図、軍部の動き、その結果をそれぞれどういうふうに総括、評価しているか、まだまだわからないところがたくさんあると思うんですけれども、少なくとも、
中国がみずからの
政治意思、あるいはそれを軍事ドクトリンによって支えられた形で外に投影する。つまり、
台湾は不可侵の主権の範囲内である、そこに独立運動は認めない、ほかの国がそれを支持するのも認めないと。いつでも軍事的に我々はそういう
意思を貫徹することができる、あるいはその
意思があるということを示す。
それに対して
アメリカが、
台湾の問題というのは確かに
中国の主権問題であるけれども、同時にそれは
国際問題でもあると。西太平洋における
アメリカのプレゼンスに対する挑戦、それが
アメリカの国益あるいは
安全保障にとってマイナスになったら認めないということで、
アメリカもみずからの能力と
意思を、
空母機動部隊ですけれども二隻派遣することによって示すと。ある意味では、米中がそういう形で
安全保障を軍事的にまみえるという事態に立ち至った。
これは多分、長期的に実は二十一
世紀的な大きな課題を投げかけていると思うんです。そこから出てくる矛盾はいろいろあると思うんですけれども、根本的矛盾は、
アメリカのプレゼンス、日米安保もそのプレゼンスと連動した形での
機構ですけれども、それはこの地域の安定にとって役立つのか、つまり安定機能なのか、それともそうでないのか。
中国は、まだ一〇〇%の結論は出していないと思うんですけれども、
アメリカのプレゼンスさらには日米安保はこの地域の安定にとって
脅威になり得る、その部分が見え始めた、こういうふうに判断する。それに対して
日本、
アメリカは、そうではなくてこれは安定そのものだ、安定機能であると。ここでは、これは根本的に矛盾になってしまうということが出てきたと思うんです。この問題は今後とも相当長期にわたって多分問題であり続けるだろうと思います。
それから、九〇年代の大きなショックといいますか、インド、パキスタンの核実験、それのグローバルに与える影響とともに北東
アジアの
安全保障に及ぼす影響、それから去年の八月三十一日の北朝鮮のテポドンの実験、その前段階の九三年五月のノドンの実験とこれは込みとして
考えた方がいいと思うんですけれども、テポドンの方がショックは大きかった、
日本列島をまたいだというようなこともありますし。
これは、ある意味では
日本の、やややゆ的に使われている言葉ですけれども一国平和主義であるとか、言ってみれば一国非核主義といいますか、
日本が
世界唯一の被爆国として二度と繰り返しませんという、そういう市民層、市民運動も含めた非核の祈り、あるいはそういう運動ということで、そのメッセージだけではとても十分に対処、対応し切れない問題。それも、単にIAEAであるとかNPTであるとか、
世界の
機構あるいはレジームといいますけれども制度、体制をつくるということだけでもまた対処、対応し切れない。例えば、北東
アジアという限定された地域の中で地政学的にどのようにより非核化していくか、それはゾーンであれプロセスであれ、そういうような課題を突きつけられるというときに、ここは
安全保障政策としてこの問題をまたとらえざるを得ないという側面も出てくるということがあったと思うんです。
テポドンに関して言えば、言葉は悪いですけれども一国専守防衛主義といいますか、より根本的に言うと、日米安保という体制は抑止力として機能することが想定されているわけですけれども、部分的にこの抑止力が崩れたということが言えるかもしれない、ここは私はもう少し
考えなきゃいけないところだと思っているんですけれども。つまり、去年八月十三日、十四日から、北朝鮮がこのような実験をするということはかなりの程度
アメリカも、
日本にも情報も入っていたし、そのような認識も共有していた。にもかかわらず、八月三十一日に北朝鮮が、彼らは人工衛星と言っていますけれども、要するにミサイルを発射するまでの間どのような抑止力が形成されようとしたのか。
例えば、
アメリカは、八月三十一日にテポドンを打ち上げた後、慌ててB2、B52をグアムに派遣していますけれども、なぜそれをその前にしないのか、その前にしていれば北朝鮮は別のことを
考えたかもしれないというような問題も含めて。冷戦
時代に余りにも完璧につくり上げた、
世界のチェスボードの中での米ソを中心としたそのような抑止力というのが、コミュニケーションも十分でない、相手のリーダーシップの構図もわからない、意図もわからない、何を
考えているかわからない、そういうような極めてアンプレディクタブルでわかりにくい相手のとき、今までの日米安保、即抑止力、即
日本の安全というようなことが言えるのかどうかということも含めた重大な問題提起だと思うんです。
最後に、九〇年代のもう一つの大きなショックは実は経済でして、
アジア経済危機だと思います。
これは今もまだ続いておりますし、
中国の経済に黄信号がともり始めていると思うんですけれども、まだまだ予断を許さない。インドネシアなどは、
専門家の予測を見ていましても、回復するのに十年ぐらいはかかるだろうというような
見通しも出ている。ここでもし今のインドネシアのような民族紛争、宗教紛争というようなものがより深化した場合、例えばタイにも六百万人のイスラムがいるわけですし、フィリピンも五、六百万人イスラムがいるわけです。それからマレーシアは、今のところマハティールさんが、これはなかなかの
政治家ですから、インドネシアのように華僑を排斥するということを絶対させないようにしていますから民族融和は辛うじて保たれていますけれども、インドネシアの情勢あるいはタイとかほかの情勢次第では飛び火する危険性も強い。そうしますと、マレー系、
中国系の融和ということでこの三十年間つくり上げてきた東南
アジアのASEANの軸、これが解けてしまう。その危険性が非常に強い。となると、
アジア太平洋の地域主義というのはとても難しくなるだろう。もう既にその兆候があらわれています。ARFもほとんど進みませんし、APECも足どめ状態になっています。そうなりますと、
アジア太平洋の中での
安全保障の面でのより
集団安全保障を目指すような動き、その前の
信頼醸成措置の動きというのもまたとんざする
可能性が非常に強いと思うんです。
そういうことも
考えますと、九〇年代というのはさまざまなところから
日本の
安全保障に対して重層的な挑戦が生まれているというふうに思います。ですから、
安全保障政策を
考えるときもこのような新しい環境変化というものをまず十分に見据えておく必要がある。中でも朝鮮半島、それから
中国の台頭という二つが決定的に重要な要素だと思います。
朝鮮半島では、御存じのようにKEDO枠組み合意ということで、北の核
脅威というものを無力化するという形で今まで九四年から五年間その枠組みで走ってきたんですけれども、テポドンさらにはそれと前後して明るみに出た北のもう一つの核開発の疑いということで、仕切り直しの形になっています。
アメリカ政府は、前の国防長官のペリーさんを特別の調整官に推し立てて議会対策その他いろいろあって新たな枠組みづくりを始めていますけれども、結論的に言って軍事的な
解決というのはないと思います。
これは先ほど
岡崎さんもおっしゃいましたけれども、三万七千人の
アメリカの将兵がソウルあるいはソウル近辺に駐屯している。私もちょうど一年前にその駐屯地にも行ってトップにもお会いしたんですけれども、兵隊なんかと会っていましても、ガスマスクを見せてくれるんですね。そのガスマスクを横に毎晩寝るわけです。それほど生物兵器、化学兵器の、DMZまで二十四キロしか離れていませんから、物すごい恐怖感のもとにさらされている。先ほどの
クリントン・ドクトリンじゃありませんけれども、ここに重大な
脅威を招いてまでも
アメリカが軍事的にイラクに行ったようなことをするというのはとても
考えられない。ですから、ペリーさんが提案されるのも、今の枠組み合意の延長上に、例えば食糧援助の増分というようなことをにおわせながら、北にさらに強いコミットメントを求めるというようなことでしか多分ないんではないかと思うんです。
それで問題は
解決するかというと、問題はさらに深刻になる。
例えば、ヨンピョンの核施設以外に発見されたということですけれども、それがその一つで終わりという保証はまずないわけです。どうもほかにもありそうだと。本当にそれが核施設なのかどうか、これはだれもわからない。核施設あるいは関連ということでは、これはIAEAの査察の対象になります、今はNPTに入っていますから、戻っていますから。ですから
アメリカは出番はないわけですけれども、その前段階、例えばこの穴ぼこは何なんだというような形で
アメリカが北朝鮮に招待されて観光してくる、その結果なかったとか、いろいろな便法は使うと思うんです。にもかかわらず、どこまで行ったらこのプロセスは打ちどめになるのか、モグラたたきじゃないかと。いつまでそれで
アメリカの世論、特に議会がもつかとかいう問題があると思います。
もう一つは、核の
脅威を無力化するということと同時に、ミサイルの
脅威をどうしたらいいか。
核の場合は、これは原子力発電ということにスライドさせようという、手品みたいな話ですけれどもそういうやり方がある。しかし、ミサイルはどうか。これは人工衛星だから、じゃ人工衛星を一緒に上げましょうというわけにはいかない。そうなると、ミサイルの問題は最後まで難しいと思います。
アメリカと
日本との間で、
脅威感をめぐって段差といいますか、
日本はもちろん北の核の
脅威というのが
最大の
脅威でしょうけれども、当面まずミサイルの
脅威がある。やはり
国内世論も含めてミサイルに対して何らかの形で対応策をとらないことには、核に対する共同作業といいますか、これもなかなか乗りにくい、新たなコミットメントもしにくいという問題もあると思うんです。このミサイル
脅威というのが、北にとっては現に持っている、そこにある最後の手段ですから、なかなかこれを取り上げるのは難しいという問題があると思います。
それからもう一つ、北の
脅威とは一体何の
脅威だろうと。
現象的にはミサイルとかなんとかあります。しかし、ミサイルとかなんとかいろいろあっても、相手と十分にコミュニケートできて、
お互いの
脅威というものの認識をそれぞれが共有して、それに対する対応策、話し合いができればこれはいいわけですけれども、北の問題というのはそれができない、リーダーシップの問題がありますので。リーダーシップを始末するかというオプション、ここにいずれは行くのかどうかという問題も出てくると思うんです。これは今のところ決断ができないところではないかと思います。
ですから、そのようにまだ北の
脅威というのは、非常に短期的な話を申し上げましたけれども、
日本にとっては日米関係上も非常に難しい問題がいろいろあるし、共同歩調とか共同作業というものも、
日本の去年九月のKEDO一時停止というようなことも含めて、非常に噴出しやすい地合いがあると思うんです。
もう一つ、
中国がどう出るかというのが非常に読みにくいんです。
基本的な地政学的な力学でいうと、朝鮮半島で非常に緊張が高まったときは
中国の発言力というのは必ず増すという傾向が読み取れると思います。
中国は建国が一九四九年ですけれども、それから一年もたたずに朝鮮
戦争が勃発する。
中国は義勇軍ということであれだけ大量に兵隊を派遣して、その結果、
アメリカと大体引き分けに持ち込む。これが当時の
国際政治のスクリーンで
中国のパワープロジェクション、威信をけた外れに高めた。今も、九四年からの北の核疑惑以降の
中国の発言力、地政学的な重みといいますか存在感というのは非常に強まっていると思います。
そういう中で、
中国と新しい朝鮮半島をめぐる何らかの共通理解というのを持つ難しさというのがまた出てきていると思うんです。これは、
中国の大国化ということと非常に深く連動しているところにさらに厄介なところがある。
この間の江沢民国家主席の訪日もそうですけれども、
中国は、あのときには善隣友好パートナーシップという言い方で日中関係をくくろうとしたんですね。
日本政府はそれに対して、善隣はやめてくれというので、たしか日中友好協力パートナーシップというのをつくりました。
中国の言わんとするところは、
日本とは善隣、つまり隣国としては友好平和でいきましょう、しかし
アジア太平洋さらにはグローバル、これは
中国が、
アジアを代表してとは言いませんけれども、やりますからというような意図が相当濃厚に出ている。
それはまた、欧米の中に、
日本は衰退である、これは長期的な趨勢だ、これからは
中国の
時代で、例えばブレジンスキーのように、
日本は将来グローバルにはカナダみたいな国になればいい、
アジアの問題は
中国とやっていった方がこれからおさまりやすい、朝鮮半島一つとってもそうだ、このような見方がもう既に出始めている。
それがまた
中国と
アメリカのある意味では一種のバーチャルな、擬似的な二極化みたいなものが部分的に生まれていて、それのあらわれが江沢民主席の訪米、
クリントン大統領の
訪中です。そういう新たな米中関係というものを背景に、ある意味ではてことして
日本に対して
中国が新たなゲームを、ゲームと言うと言葉は過ぎるかもしれませんけれども、対日
政策というものを押し出してくる。そのときに日米安保を一つの照準として見定めてくるという傾向も見えると思うんです。
ですから今、周辺事態、ここで
台湾はどういう扱いになっているんだというのを一貫して
中国は問題提起してきておりますけれども、いずれは、あるいはもう既に
中国の方からすれば、いや、それは周辺事態というような問題にとどまらない、日米安保の中で
台湾はどうなのか、それも
台湾除外というものをはっきり言ってもらいたいと、そういうような圧力がかかってくる
可能性もかなりあると思うんです。
最後ですけれども、日米安保をやはり中軸に
日本は
安全保障を
考える以外にないと思います。これはお配りした「
同盟を
考える」でも指摘したんですけれども、今
世紀の七十年間、
日本は
同盟生活をしてきました。大体、
同盟生活してきているときは、日露
戦争のようなのもありますけれども、安定した平和を保つ。
同盟だけではありませんけれども、
日本の戦後の憲法であるとか
日本の国民の
意思であるとか、さまざまな要素も当然あったと思うんですけれども、やはり
日米同盟のかけがえのない外交的な資産というのはしっかりと、はっきりと認識しておく必要があるというふうに私は思っております。
そういう
前提といいますか、そういうことを基盤に、それでも
日本に欠けているところを、時間が余りないので最後にちょっとだけ触れたいと思うんです。
最初に、与件という言葉があるんですけれども、我々
日本人は、えてして、外のことを分析して、外の環境変化ということで
安全保障に一体どういうふうに対応しようかと思いがちなんですけれども、
日本自身の変化というのが非常に
国際環境にも影響を及ぼして、それがまたはね返ってくるということが実は非常に大きい。ですから、
日本の憲法であれ、あるいはシビリアンコントロールであれ国防費であれ、何でもいいんですけれども、そのような
安全保障政策そのものが与件の一つであるというような意識がこれからさらに必要になってくると思うんです。
そのためには、やはり
説明責任、
透明性も含めてですけれども、この能力をよほど高めないといけない。自分の国の意図だとか能力、それが決して
脅威にならない、むしろ安定的な機能を果たすということをよりよく相手に、地域に、
世界に
説明できる国、これが
安全保障の
政策の勝者だと思います。最も賢明な
安全保障政策、この努力がこれまで以上に必要になってくるだろう。
二つ目ですけれども、テポドンであれだけショックを受ける。私は、なぜノドンのときにもう少し我々はショックを受けなかったのかという気が実はするんです。四年間たってテポドンで物すごいショックを受けて、それで偵察衛星だと。偵察衛星はいいんですけれども、しかし一種の黒船型の対応というものしかできない怖さ、問題点というのを感じるんです。つまり、
安全保障を日々の営みということで
考える、そういう心構え、これが不足しているのではないか。
最後に、先ほども触れましたけれども、抑止力万能論、特に冷戦
時代の抑止力万能論に取りすがっていると思わぬ伏兵にやられるという危険、怖さですね。ですから、ここは日米韓の軍事協力、安保協力、ガイドラインというような新たなオペレーションも含めた物心両面のいざというときに対する心構え、備えというのが非常に必要になってくると思うんです。
それは、さらに言いますと、去年のテポドンのときに、日米の
政治的な
意思、
政策協議の質、
日本と
アメリカのトップがこの問題についての深刻さ、あるいは
安全保障上の意味合いというものをどれだけ真剣に受けとめてそれを北に見せるかということ次第で、北の対応も実は違っていた。単に安保が
条約であるとか体制にあるとかいうことでは抑止力に十分なり切れない、つまりは
政治的な
意思であるというふうに思います。