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足立良平君 時間がございませんので先に進めたいと
思います。
総理、私は
総理が
方針を転換された
議事録を再度読み直してみました。今
お話を聞いておりますと、結局、
官房長官と話をして、そしてそれで一応
方針を変えたと、こういうことが新しく実は出てきたことでありまして、私はこれは、時間がありませんがちょっと言いますと、大事なことでありますが、この「
我が国の伝統、
慣習に基づいた
価値観の共有の
意味についてよくよく
考えてみまして、」というのは、少なくともこれはやらないということの
方針を出されたこととは、これはもともとあったことでありますから、もう全く
関係ありません。それから、「
我が国は
成文法の国であること、」、これも全然
関係ありません。それから、「諸
外国では
国旗と
国歌を
法制化している国もあることなど」、これも
関係ない。それで、「二十一
世紀を迎えることを
一つの
契機として、」、これはもう初めから、二十一
世紀というのは時間がたてば確実に来るわけですから。そうすると、
総理が
方針を転換された理由というのは、結局、
官房長官と話をして、そして
方針転換したということしか私は実は受け取ることができない、ずっと詰めて
考えてみると。
したがって、私は、そういう面では
総理の、冒頭申しましたけれども、
政治に対する
リーダーシップあるいは
政治というもので
総理は
一体どうしようとしているのかということが大変にわかりづらいというところに、今日の
我が国の
政治の一番の
問題点があるように思えてなりません。時間がありませんから、これ以上申しません。
最後になるわけでありますが、私は、一応
日の丸の問題についてはちょっと横に置きたいと
思います。
君が代の
解釈の問題についてであります。
この
解釈の問題について、実は今日まで
政府はいろんな
解釈といいますか、おっしゃってきているわけであります。これはそれぞれおっしゃってきているわけでありますが、ずっとつぶさに今までの
政府がおっしゃってきたことを検証してまいりましたときに、
一つだけなるほどなと
思いましたのは、古代からの和歌であるとか、あるいはまた
大日本帝国時代の
認識であるとかということは別として、戦後の
政府の物の言い方としては、この
君が代全体の
解釈について、
考え方についてはそれはそれなりにおっしゃっているけれども、
君が代の「君」については注意深く実は特定せずに来ているというのが今日までの
政府のいわゆる
答弁であったというふうに私は
理解をいたしました。
ところが、今回、「君」というものについては、
象徴天皇である、
象徴の
天皇であるということを明確におっしゃっているというところに、私はこの
君が代についての、冒頭申し上げましたけれども、いろんな
経験を持っている
皆さん方、
国民の
皆さん方、あるいはまた宗教上のいろんな
考え方の
皆さん方、いろんな
国民がいる、そしてしかも
日本の国というのは、きょう
公聴会で
石川眞澄公述人も、えてして違ったものを排除していく傾向が
日本の
政治文化の中にあるのではないかというふうにおっしゃっておりましたが、私はそういうものがあるというふうに
思います。事実、
官房長官の「私は闘う」という書物の中にもそれらしい表現が私はあるように実は受けとめております。
そういうことを含めて
考えてみると、私は、この
君が代の
解釈あるいは「君」に対する
政府としての
統一見解というもの、これはここで明確にしない方が本当はいいのではないか。それぞれの
国民が歌うときに、それぞれの気持ちを
思いながら歌っていく。そういう
一つの
内閣、そのときの
内閣で
解釈してしまいますと、あるいはまたこれは次のときには必ず変更することが出てまいります。
そういう面で、
君が代なり
日の丸というものを肯定する
立場からするなら、むしろこれは、
小渕総理大臣といいますか
小渕議員がこういうふうに思っているというふうに、ひとつ今までの
政府解釈というものを撤回して、
小渕議員はこう思っておりますということで整理をするということが、私は、この問題を
国民的により広く納得し、
理解し、そしてそれが
国民みんなに
定着をしていくことにつながってくるのではないかというふうに思えてならないわけでありますが、その点についての
総理のお
考え方をお聞きいたしたいと
思います。