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田名部匡省君 この
議論をずっと伺っておって、私は十分しかありませんから、
官房長官、大臣、私の考えていることを聞いていただいて、最後にお答えをいただければ結構です。
学者の方々とか
学校現場、今もいろんな意見が出て分かれているわけですが、特に
歴史家の方々は、
国旗・
国歌の由来から始まって、一時期の悲しい問題を取り上げて、これを聞いていると、
国民の側──私は、選挙区でいつもみんなにいろんな意見を聞くんです。そうすると、だんだんわからなくなってくるんです。何も考えずに歌っていた
君が代あるいは
国旗が、こんな
議論をされると、もう根底からわからないと言うんです。私もそう思う。
特に、私は小
学校のPTA会長、あるいは全国の
学校法人の幼稚園の父母会の名誉会長をやっておったんですけれ
ども、私の娘が中
学校一年生のときに、今まで何ともなしに聞いておったんですが、この問題が起きてからいよいよ私もこれは大変だなというふうに思ったことは、
学校で、どういう先生か知らぬが、
教科書でなくて自分で何か書いたもので授業をして、そしてかつて
中国はどうだった、
韓国はどうだった、
日本がこういうことをした、ねえ田名部さん、そうでしょうと、うちの娘に教室の中で言うというんですね。そして、沖縄も長い間アメリカの占領下に置かれてとかという話をする。
私は娘からそれを聞いて、何を言ったか全部書いてこいと言ったんです。そうしたら、娘はとうとう三日ぐらい
学校へ行かなくなっちゃったんです。いじめというのは生徒同士であるかと思ったら、先生に言われてやられた。それで、作業のとき手袋を忘れていったら、親の顔が見たい、こう言ったというんです。そういう国
会議員もおると、こういう話で、うちの女房もいささか頭にきていました。
そうしたら、家庭訪問だと来て、部屋だけ見せてくれと。家庭訪問というのは話をするじゃないですか、どうぞ部屋へ入ってお茶でもと、こう言ったら、コートを着たまま娘の部屋へ行って、茶の間にコートを着たまま入ってきて、テーブルのところへ寄らずに帰っていった。
そのとき、私はPTAの
会議でも
教育委員会にも言ったんですけれ
ども、あの教室の中で何を教えられているかわからぬ、しかも親や
子供に選択権を与えないというのはおかしいじゃないか、どの先生に習いたい、どの
学校へ行きたいという選択権がないままという話を私はしたことがあるんですよ。今でもそうなんです。
その経緯としてこの問題が起きてきたら、では一体、親の期待のとおりの
教育はどうされているんですか。嫌だと言う人もあるでしょう。私たちみたいにやっぱりちゃんとしてほしいと思う者の期待のとおり
学校の
現場が
教育していないということは、一体どう解決していくのか。
きょう、孫が上京しています。小
学校二年生、女の子です。この間は私のうちへ来て、ソファーに横になって
君が代を歌っていた。昔なら、あなた、気合いものですよ。しかし、おまえ、この歌詞わかるのと言ったら、全然わからないと言う。どこで聞いたと言ったら、
学校で音楽の本にあって教わっている、こう言っていました。
私は、そういうことを言いながらも、この法案は唐突に出たかなという感じがしないでもないんです。これは過去の
歴史がずっとあって、
世羅高校の
校長先生が自殺した、これは痛ましい事件だった。死ぬほどのことはなかったのになとは思うんですけれ
ども、相当せっぱ詰まったんだろうと思うんです。そういうことで、一人の人が亡くなったという経緯の中で、亡くなったから法案を出すということになると、今後何かで一人亡くなったら法律をつくらなきゃならなくなったらどうしようかなと。そうでなくても、オウムの問題だとか暴走族なんかの問題も今や手つかずですよ。そういうものもどうするのかなという、これは率直な私の感じたことで、そう思ったんです。
それから、特に、
学校教育の
指導の法的根拠だとかなんとか、今
皆さんからお話があったような強制するのかしないのか、こういう
議論が多いんですが、あたかも
学校教育のために
法制化するような感じに私は受けているんです。そうでないんでしょう、これ。
国民全体の問題だと思うんですよ。特に小中高、小中高。これは
文部大臣、じゃ大学はどうしているんですか。東大とか国立大学ではちゃんとこれをやっておるのかなと。
私は、自民党の
国民運動本
部長のときに──アメリカやヨーロッパへ行って国
会議員の部屋へ行ってごらんなさいよ、それはでかい旗が立っていますよ、
国旗が。
日本ではないんです、国
会議員すら。だから、私はあのときは、自民党にだけだったと思うんですが、小さなこのぐらいの旗を全部に配付したんです、せめてそのぐらいのことをされたらどうかというので。
国
会議員すらこの程度の意識ですから。外国へ行ってみてごらんなさい、部屋に行ったら
国旗が立っているでしょう。私はそういうことを見ておって、これは家庭あるいは職場や
地域、団体の
教育が大事だなと。
私はオリンピックに三回出ていますよ。二回が選手、監督が一回。世界選手権は二回が選手、三回が監督ですよ。どこへ行ったって、
日の丸やその国の
国旗を掲揚してごらんなさい、皆胸に手を当てて敬意を表してくれますよ。大会のときは勝ったときに上げる。
札幌オリンピックのときに私は監督でして、
日本があのときは結構成績がよかったものですから、今の天皇、皇后両陛下もごらんいただいて、時間延長して最後までドイツとの試合をごらんになって拍手をしてくださった。そのときに
国旗掲揚をするんですけれ
ども、警察官がその下にいてべちゃべちゃぐちゃぐちゃしゃべっている。敬礼をするわけでもない。私は、責任者のところに行って、何ですか、世界じゅうから人が集まって
日本の
国旗を掲揚しているときに旗の下で話をしているということはどういうわけですかと言ったことがあるんです。
国体だってそうでしょう。
日本だけですよ、
国旗を掲揚し、
国歌を斉唱し、観衆の
皆さん脱帽の上御起立くださいという放送をするのは。外国へ行ってごらんなさい、オリンピックだって世界選手権だって、
国旗掲揚と言っただけで皆ぴっと立つでしょう。
この間、野茂が野球で、ダッグアウトのところで選手がずっと並んで、帽子を胸に当てて歌手が歌う歌に合わせてちゃんと敬意を表している。プロのアイスホッケーでも、カナダとアメリカの
国旗を掲揚すると、出る選手がちゃんと並んで敬意を表する。
子供たちまで
日本の旗に敬意を表するんですよ。
ところが、
日本は国体でもそうでしょう、脱帽の上御起立くださいと言っても、選手も帽子をとらない。歌うか歌わないかというのはオリンピックだって、ここにはオリンピック選手もいるけれ
ども、歌っている選手もおれば歌っていない選手もどこの国にもいる。しかし、
国旗だけには敬意を表することをきちっと教えている。恥ずかしいんですよ。
今、アジアではどうのこうのと。私はこの間タイのアジア大会へ行ってきました、
開会式も。カンウォンの冬季アジア大会へも行った。
国旗を上げたって拍手をして、あのマラソンで優勝した女子選手にそんな悪い感情を持っているとは思われないし、大体外国でどう言ったからこう言ったからという
議論をすること自体もおかしいし、
我が国は一体どうするんですかということでしょう。
だから、私はそういうことを見て感じておるのは、やっぱり
国旗はすべての
国民に敬意を表することを教えないと外国へ行っても恥をかきますよ、
日本へ来たときも失礼になりますよということを感じているんですよ。
だから、
君が代については歌っている人もおるし歌っていない人もある、強制しないというんだから。口をあけているかどうかを一々見て歩くわけではないから、教えることはぴしっと教えなさいと。
そして、いま
一つは、これは──もうあと何分ありますか、
委員長。