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1999-08-06 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年八月六日(金曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員異動  八月五日     辞任         補欠選任      林  紀子君     阿部 幸代君      山崎  力君     田名部匡省君  八月六日     辞任         補欠選任      岩崎 純三君     岩井 國臣君      田名部匡省君     山崎  力君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         鴻池 祥肇君     理 事                 岩井 國臣君                 溝手 顕正君                 江田 五月君                 森本 晃司君                 笠井  亮君     委 員                 市川 一朗君                 景山俊太郎君                 亀井 郁夫君                 中川 義雄君                 南野知惠子君                 橋本 聖子君                 馳   浩君                 森田 次夫君                 足立 良平君                 石田 美栄君                 江本 孟紀君                 竹村 泰子君                 本岡 昭次君                 松 あきら君                 山下 栄一君                 阿部 幸代君                 清水 澄子君                 扇  千景君                 田名部匡省君                 山崎  力君    国務大臣        文部大臣     有馬 朗人君        国務大臣        (内閣官房長官) 野中 広務君    政府委員        内閣官房内閣内        政審議室長        兼内閣総理大臣        官房内政審議室        長        竹島 一彦君        内閣法制局長官  大森 政輔君        内閣法制局第二        部長       宮崎 礼壹君        内閣総理大臣官        房審議官     佐藤 正紀君        文部大臣官房長  小野 元之君        文部省生涯学習        局長       富岡 賢治君        文部省初等中等        教育局長     御手洗 康君        文部省教育助成        局長       矢野 重典君    事務局側        常任委員会専門        員        志村 昌俊君        常任委員会専門        員        巻端 俊兒君     ─────────────   本日の会議に付した案件国旗及び国歌に関する法律案内閣提出衆議  院送付) ○特別委員長辞任及び補欠選任の件 ○理事補欠選任の件 平成十一年八月六日(金曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員異動  八月五日     辞任         補欠選任      林  紀子君     阿部 幸代君      山崎  力君     田名部匡省君  八月六日     辞任         補欠選任      岩崎 純三君     岩井 國臣君      田名部匡省君     山崎  力君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         鴻池 祥肇君     理 事                 岩井 國臣君                 溝手 顕正君                 江田 五月君                 森本 晃司君                 笠井  亮君     委 員                 市川 一朗君                 景山俊太郎君                 亀井 郁夫君                 中川 義雄君                 南野知惠子君                 橋本 聖子君                 馳   浩君                 森田 次夫君                 足立 良平君                 石田 美栄君                 江本 孟紀君                 竹村 泰子君                 本岡 昭次君                 松 あきら君                 山下 栄一君                 阿部 幸代君                 清水 澄子君                 扇  千景君                 田名部匡省君                 山崎  力君    国務大臣        文部大臣     有馬 朗人君        国務大臣        (内閣官房長官) 野中 広務君    政府委員        内閣官房内閣内        政審議室長        兼内閣総理大臣        官房内政審議室        長        竹島 一彦君        内閣法制局長官  大森 政輔君        内閣法制局第二        部長       宮崎 礼壹君        内閣総理大臣官        房審議官     佐藤 正紀君        文部大臣官房長  小野 元之君        文部省生涯学習        局長       富岡 賢治君        文部省初等中等        教育局長     御手洗 康君        文部省教育助成        局長       矢野 重典君    事務局側        常任委員会専門        員        志村 昌俊君        常任委員会専門        員        巻端 俊兒君     ─────────────   本日の会議に付した案件国旗及び国歌に関する法律案内閣提出衆議  院送付) ○特別委員長辞任及び補欠選任の件 ○理事補欠選任の件     ─────────────    〔理事鴻池祥肇委員長席に着く〕
  2. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) ただいまから国旗及び国歌に関する特別委員会開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日、林紀子君及び山崎力君が委員辞任され、その補欠として阿部幸代君及び田名部匡省君が選任されました。     ─────────────
  3. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) 国旗及び国歌に関する法律案を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  4. 本岡昭次

    本岡昭次君 この特別委員会審議を通して、今までタブー視されてきた感のある国旗国歌をいかに教えるかということについてかなりいろんな議論がされました。そして、官房長官なり文部大臣答弁を含めて一つの方向も出てきたようにも思います。  それで、私は、官房長官文部大臣答弁から、国旗国歌をいかに教えるか、これ、すべてではありませんけれども答弁に出てきた内容について確認をさせていただきたいんです。  まず官房長官ですが、八月二日の本委員会で、我が会派の石田美栄委員質問学習指導要領等に掲げてあることをどう教えるのかという質問に対して次のような答弁をされております。  全部ここで読みますと、ちょっと大変な時間をとりますので、私にとって必要な部分だけ読み上げることをお許しいただきたいと思います。  教育現場におきまして、教科書に載っているけれども、教えてもらうまでに卒業してしまうんです。だから、いわゆる明治以来の我が国の異常な歩みは知らないまま、教えられないまま卒業してしまうんです。そして、日の丸君が代は、少なくとも入学式卒業式無味乾燥対立が行われているわけです。そして、教育の中で正確に日の丸君が代歴史、また一時期ゆがめられて使われた事実をきちっと教えることによって学校現場教育が生かされ、民族アイデンティティーとなって国際的な人間として我が国国民が育っていくよう努力していかなければならない。こういう答弁をしております。その後の答弁を見ると、またこの席で私は文部大臣にも要請をしておきたいと思うわけでございます。こう書いてあるんですが、私なりに約して申し上げているわけであります。  私は、卒業式入学式日の丸君が代対立がすべて無味乾燥なものとは思いませんけれども、この官房長官答弁は、教育現場における今後の論議に重要な示唆を与えていると、ある意味では肯定し、評価をしたいわけであります。  そしてまた、文部大臣も同じく八月二日の竹村委員質問に対して、戦前戦後の客観的な事実については子供たちにしっかり教えなければならない。歴史教育は特に近現代史教育が極めて大切だということは認識いたしております。正しく教えることも国際理解を深める上で重要であります。官房長官と、抽象的な表現ではありますけれども、同じように戦前戦後の客観的な事実というものを子供にしっかり教えよう、こういうことで歴史教育に対する重要な認識を示されているわけで、これについても私は同感であります。  そこで、野中官房長官有馬文部大臣のこの答弁を、国旗国歌をいかに教えるかということについての政府答弁として私は確認させていただきたいのです。よろしいでしょうか。
  5. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 学校におきます歴史教育は、児童生徒我が国及び世界の歴史に対する理解を深め、かつ国際社会に生きる民主的な、平和的な国家社会形成者といたしまして必要な資質を身につけることを目指して行われておると考えておるところでございます。  学校におきましても、日の丸歴史君が代が生み出されてきた歴史、また一時期これがゆがめられて使われてきた事実、そういうものをきちっと教え、それが民族アイデンティティーとなって国際的な人間として我が国国民が育っていくように私ども努力をしていかなければならないと考えておるところでございまして、これは先般、石田議員にも御答弁を申し上げたと私は考えておるところでございます。その際、今日までの教育現場で、私の子供を含めて、大体現代史に至るところでは学校を卒業してしまって、教えられないまま社会現象の中で日の丸とか君が代をとらまえることが多いわけでございます。  そういう点では、例えば私は先般、文部大臣に、もう数代前の文部大臣にでございますが、日本であの明治以来の異常な敗戦までの歴史教科書に載せて正確に史実として教えることはそれなりにいろんな議論があって難しいかもわかりません。けれども、これを教えないままに行くことの怖さを逆に知ります。したがって、中国で使われておるニッポンという教科書韓国で教えられておるニッポンという教科書日本語に訳したものを私は当時の文部大臣に渡して、そして客観的にこれからの若い人たちに、中国韓国ではあの当時の日本をこのように教えておるという教え方も一つあるのではないか、そうでないと、完全に歴史が欠落した人たちが将来育っていって、そして本当にアジアのパートナーとしてやっていけるかどうかに、この時代に生きた一人として私は大きな危惧を感じると。こういうことを当時の文部大臣にも申し上げ、先般、有馬文部大臣にも申し上げておったところでございまして、そういう点をぜひ文部省がこれからの教育の中でお考えいただきたいということをお願いしておった次第でございます。
  6. 本岡昭次

    本岡昭次君 非常に丁寧なお話も聞かせていただきました。  私は、石田さんに対する答弁と、今さらに補足的に丁寧な答弁もいただいたわけで、それも含めて、官房長官政府を代表しておられるわけですから、国旗国歌をいかに教えるか、私は教えなければならないと思っている立場ですから、そういうことでこの答弁政府考え方だというふうに確認してよろしいですかと、こうお聞きしたのでありまして、結構ですというふうに言っていただければ面が立って非常にありがたいんですが、よろしゅうございますか。
  7. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 結構でございますが、教育の具体的な手法につきましては、文部省において私の申し上げたことも含めて十分配慮して今後お取り組みをいただきたいと存じております。  なぜなら、単に卒業式入学式儀式をめぐってこれのありようを考えることよりも、むしろこういう法制化をいたしたときは、教育の中で正確に教えていくことの大切さの方が重要であると考えるからであります。
  8. 本岡昭次

    本岡昭次君 ありがとうございました。  それでは、文部大臣いかがですか。
  9. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 結論的には、この前、竹村委員の御質問に対してお答えいたしたとおりでございます。それからまた、ただいま野中官房長官が言われましたこと、それから先日私にお申し出があったこと等、重々認識をいたしております。  まず、学校における歴史教育というものを考えてみますと、小中高等学校を通じまして、児童生徒発達段階に応じて、具体的な事象学習を通して歴史に対する興味や関心を高めます。そして、歴史的事象を多角的に考察し、公正に判断する能力と態度を育てたり、歴史的思考力を培いまして、国民としての自覚と国際社会に生きる日本人としての資質を養うことをねらいとして行われていることでございます。もう申し上げるまでもございません。  特に近現代史教育につきましては、従来から、国際理解国際協調の観点から、調和のとれた指導の充実に努めてまいりました。歴史教育におきましては、客観的、学問的な研究成果を踏まえながら、事実は事実として正しく指導すること、また、あくまで児童生徒発達段階に応じて指導することが重要であると考えております。  私は、先日、竹村議員に御答弁申し上げたとおり、戦前戦後の客観的な事実については子供たちにしっかり教えていかなければならないことであると考えております。こういう意味で、歴史教育、特に近現代史を正しく日本児童生徒に教えることも国際理解を深める上で極めて重要であると考えております。  文部省では、これまでもこういう指導をやってまいりましたけれども、さらに正しい歴史を教えたいと思っております。
  10. 本岡昭次

    本岡昭次君 きょうの官房長官有馬文部大臣の私との議論、これは非常に意味のあることであると思いますし、教育現場法制化後どうするんだということの中で非常に大きな意味を持つと私は考えて答弁確認を求めたわけであります。ありがとうございました。  それでは次に、文部省は、国旗国歌法制化されてもこれまでの指導を変えるわけではない、また変わらない、こうしたことを再三答弁してこられました。官房長官の方もそのような、法制化したからといって従来と変わるものではないという旨の答弁がありまして、そのことはほぼ合意されていると思います。  そこで、小学校学習指導要領第四章第三の三に当たる、非常に分厚いものを持ってくるのも重いので表紙と中身の部分だけ持ってきましたが、ここには、「入学式卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」というのが学習指導要領の本文なんです。これをどのように考えていくのかという解説というのがありまして、その解説がされております。もちろん特別活動部分です。  そこにある問題について考えたいんですが、先ほど私が読みましたように、「入学式卒業式など」、この「など」というのは一体何を指すのか。そして、この「など」について、これまでの指導を変えないということの確認をさせていただきたいんです。  それで、文部省の言う指導の根拠は学習指導要領にあるということは、もうこれもはっきりしております。その学習指導要領にはいわゆる法的拘束力があるという文部省の主張であります。しかし、私はそうは思っておりませんが、そこの議論はやめておきます。  そして、百歩譲って、そういう立場にあるとしてその話を進めた場合に、「入学式卒業式のほかに、全校の児童及び教職員が一堂に会して行う行事としては、」ということで、この中には「など」の解説があるわけです。「始業式終業式、運動会、開校記念日に関する儀式などがある」と、またここにも「など」がついておるんですが、「これらの行事のねらいや実施方法学校により様々である。したがって、どのような行事国旗の掲揚、国歌斉唱指導を行うかについては、各学校がその実施する行事意義を踏まえて判断するのが適当である。」と、「各学校がその実施する行事意義を踏まえて判断するのが適当である。」というふうに解説してあります。学芸会というようなものはこの中には入っていないわけなのでありますが、「など」がありますから、学校でやるもの全部含めようと思ったら含められないことではありません。  そこで、文部大臣、この「など」という部分取り扱い、これは国旗国歌法制化する前と、今度されても変わりはないということなのか。「など」は格上げされて、卒業式入学式と同等というふうなことになるのかということに僕はなってくるんじゃないかと思うんです。だから、変わらないというならば、「など」はあくまで「など」であり、そして、その「など」の考え方は、平成十一年五月、ことしの五月に出されたこの活動編による内容であるというふうに確認したいんですが、そうなのか違うのか、時間がないので一言でやってください。
  11. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 全く変わりありません。
  12. 本岡昭次

    本岡昭次君 ありがとうございます。そういうふうに私も理解したいと思います。  次に、私は教育の緊急問題として文部大臣に訴えておきたいことがあるんです。もちろん、国旗国歌の問題をどう教えるか、どう扱うかということも、これはある意味では非常に重要な部分であります。しかしながら、今、子供や青年にあらわれている危機的な現象があります。それは学びからの逃避であります。学ぶことから逃げていく、それが不登校とかいじめとか学級崩壊とかいろんなことになってくる。もう一つ大変なことは、働くことからの忌避、働きたくないということなんです。これはもう大変なことなのであります。学びから逃避し、働くことから忌避する子供を育てるということになれば、これは教育はそもそももう存在し得ない。  この危機を解決するためには、関係者が英知を傾けて、逆に言えば学ぶことの喜び、働くことの大切さというものを懸命に教えていく努力が求められていると思うんですよ。日の丸君が代を教えたらできるというなら、それはいいですよ。僕はそんなものじゃないと思っている。  そこで、今全国四十七都道府県、三千三百の市町では、この問題は重要な問題としてさまざまな取り組みが行われていると私は見ています。  その実践一つとして、私の選挙区である兵庫県ではトライやる・ウイーク、一週間をトライやるするというんですね、という新しい創造的な教育実践を県、行政、教育関係者地域の人々を挙げての協力で実施されて高い評価を受けておるんです。中学二年生の子供が一週間鉄工所へ行って、鉄工所で働いている人と同じ仕事をしてみる、またこちらは福祉で働いている人の一週間をやってみて、そして同じ働きをしてみる、農業の一週間をやってみる、さまざまな一週間をトライやる、トライするというわけです。そのことによって子供も変わるし、子供を引き受けたその事業所も変わるし、その子供と接触した大人も変わるという一石三鳥、一石四鳥の効果を上げている。考えてみたら当たり前のことなんですが、そういうものは指導要領に書いていないからというんでだれもやらなかったわけです。だけれども指導要領を乗り越えて、創造的に一週間という大事な学習の時間をそういうところに当てていく。  そこで、私はこういう取り組み一つ心配するのは、今回の国旗国歌法制化というふうなことから、地域社会と一緒になった地域における教職員なり子供たちのための真剣な努力、こういうものが分裂させられたり、また今までやれておったことがやれなくなったりするようなことに結びついてはならないという心配をするんです。  だから、国旗国歌法制化法案というのは、そうした各地域における創造的な実践的な子供たちのための取り組みというものができなくなったり、つぶれたり、要するに、できないということは地域社会信頼関係がつぶれるということなので、そのような心配は絶対ありませんという有馬文部大臣の決意というのか確認をいただければありがたいと私は思います。いかがですか。
  13. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私も、兵庫県でおやりになったトライやる・ウイークを大変評価いたしております。私も一日拝見をさせていただきました。  文部省といたしましても、子供たちがそういう商店その他で実際に勉強することはすばらしいことだという考えに立って、現在いろいろな試みを行おうといたしております。そしてまた、このトライやる・ウイークの非常な貢献というか成果というのは、非常に大勢いた不登校の人が帰ってきたという。このことは私は非常に重要視いたしております。そういう試み地域社会がどんどんしてくださるということを私どもは大いに評価いたしまして、また学校を挙げてこういう問題をどんどんお進めいただくことを私は念願しております。  今後とも、文部省といたしましては、トライやる・ウイークのような取り組みによりまして、子供たちの健やかな成長のため、学校、家庭、地域社会が連携を深めながら、校長のリーダーシップのもとで各学校が一丸となって地域に開かれた学校教育を目指していくことを期待いたしております。  文部省といたしましては、国旗国歌法制化が行われた場合でも、学習指導要領に基づく学校におけるこれまでの国旗国歌指導に関する取り扱いを変えるものではないということはたびたび申し上げております。そういう面から、トライやる・ウイークなどのさまざまな教育活動への影響は考えられないと思っております。
  14. 本岡昭次

    本岡昭次君 ありがとうございました。  終わります。
  15. 江田五月

    江田五月君 今回の日の丸君が代議論の発端は、官房長官がたびたびおっしゃるように広島県の世羅高校校長先生の出来事でした。  きょうはまた広島原爆記念日で、小渕総理も参列をして午前中式典が行われた。もう一つ、今、重要な日になるであろうと思われている九日、これは長崎原爆記念日になる。広島のこと、長崎のことは日の丸君が代関係があるのかないのか。関係がある、そういう思いを持っている人も大変多いので、何か象徴的な偶然の一致を感ずるわけでございます。  私の場合でも、例えば私の父は戦前戦争反対で二年八カ月投獄されました。父の獄舎が多分窓が北向きだったんでしょうか、南の空が見えない。行商で生活を支えて父に差し入れをする母に対して、私の父が、秋のある日でしょう、シリウスはまだ見えないかと。私は自分の主宰するグループをつくったときに、名前をシリウスとつけました。  私自身はそういう生まれですから、その時代のことはまだ生まれていないですから追体験で知るしかありませんが、原体験を持っている皆さんの強烈な思いというのはまだございます。私は、まあ器用に生きよう、もう国民みんながそう言うならいいじゃないかと思ったりしますが、しかし、いやいや、あの時代思い出を風化させることはできないとこだわる皆さん思いというのもやっぱりこれは大切だと思います。  そういう戦争中の日の丸君が代が悲しい使われ方をした時代のことを話をすると、どうも何かこの委員会の中にもあるいは世間でも、残念ながらそういうことに対してあざけるといいますか罵倒するといいますか、そういう人々の心の痛みに対して何かとげとげしく反応するような風潮がある。私は、やはりこれはいいことじゃない。何かこういう日の丸君が代の問題を議論するときにどうも物が非常に言いにくい。何なんだろうか。日の丸君が代というものが何かしら一つ持っている不可侵性といいますか神格性といいますか、そんなことがこの社会を非常に住みにくくしているということがあるんじゃないかという気がいたします。  そんなことで、日の丸君が代国旗国歌に法定することに対して抵抗する気持ちを持っている皆さんのそういう思いを、官房長官はどう思われますか。そういう思いはおかしいんだと言うのか、そういう思いは大切なんだと言うのか、そこのところをお答えください。
  16. 野中広務

    国務大臣野中広務君) きょうは広島に原爆が投下をされた日であります。小渕総理もまた出席をし、多くの犠牲者にその弔意を表し、また再びこの悲劇が起こらないことをお誓いした次第であります。私どもも改めてあの広島長崎の惨禍を思い、世界で核が存在しないための一層の努力をし、かつ決意を新たにしていかなくてはならないと思うわけでございます。  今、委員から、日の丸君が代が過去の一時期、あの戦争の激しかった時期の歴史が多くの方々に今なお重く心の上に残って心の痛みとなっておるというお話がございました。私はそういう痛みが残っておる方々が存在することは事実であろうと思っております。  けれども、先ほど本岡委員にもお答えいたしましたように、日の丸君が代が生まれ出てきたそういう我が国の長い千年を超える歴史を十分踏まえながら、これを国民によく理解をしていただき、そして戦争中のあの一時期、誤った戦争への手段の一つに使われた反省もまた十分事実としてこれを記録し、教育し、理解させられ、そういう中から、またあの大きな犠牲の中から、戦後の五十四年の平和をこの大きな犠牲の中から築き上げたことを、さらには平和憲法のもとにきょう五十四年の平和が築かれてあることに思いをいたし、そしてそういう中におきましても、なお残念ながらこの国旗国歌の問題が教育現場において混乱が続いておる事実を思ってみたり、あるいは二十世紀を締めくくるに当たり、新しい世紀へ、慣習法として定着をしたとはいえ成文化することによって明確にしておかなければならないと考え、その端緒として広島県におきます世羅高校の石川校長のとうとい犠牲もあったりいたしましたり、また春には日本共産党が「論座」やあるいは「前衛」の中でそれぞれ、自民党が正面から議論することを避けて、そして定着しておるからということで法制化から避けてきたという指摘をなさいましたことも一つの契機でありました。  いろんな契機を合わせながら、こういうものをこの時代で法文化することによって、次の時代へ新しく我が国国際社会に通じる国としてやっていくために、教育の中で生かし、そして日の丸君が代が法文化されてきちっと整理され、また、他国の国旗国歌に対しても深い敬意を表する国際国民として我が国が雄飛できるように願ってこの法案をお願いした次第であります。
  17. 江田五月

    江田五月君 官房長官、まことに申しわけないんですが、私が許されている時間は非常に限られておりまして、いろいろお話しいただくことは大変大切だと思いますが、ひとつ簡潔にお願いをしたいと思います。  私が聞いておりますのは、日の丸君が代が持っている過去の歴史に心を痛め、そのことをずっと忘れることはできないとこだわる皆さん方の思いというのは大切なんじゃないですかということなんです。  二十世紀のことは二十世紀のうちにというふうにおっしゃいますけれども、法定すること、法制化することによって、そういう皆さんが今なお心を痛めておられる過去の出来事はどうなるんですか。これは断ち切られるんですか。そういうものはもう歴史のかなたに葬り去ってしまうんですか。それとも、法制化するということも含めて、いろんな過去の事実がずっと積み重なって日の丸君が代の現在があるという、そのことは私は法制化によって否定することはできないんだと思いますが、いかがですか。
  18. 野中広務

    国務大臣野中広務君) おっしゃるように、否定することはできないと思います。  ただ、それだけに、過去の一時期において多くの国々や、とりわけアジアの諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた事実をさらに謙虚に受けとめ、また、現在の我が国の平和と繁栄が先人たちの方々のとうとい犠牲の上に築かれたということを特に忘れることなく、今後とも、我が国はもとより、世界の平和と繁栄のために一層努力しなければならないと考える次第であります。
  19. 江田五月

    江田五月君 アジアの人々に多大な苦痛を与えたと、そちらをそのままにしながら法制化の方だけやる、これはやはりバランスがとれていないんじゃないか。ここで官房長官、アジアの人々に対し具体的にどうというのは今すぐにまだ出てこないと思いますが、言葉だけではなくて、ちゃんと過去の傷をいやす手段をとる、その決意をお聞かせください。
  20. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 過去の大戦におきますそれぞれいろんな傷跡につきましては、サンフランシスコ平和条約やそれぞれ二国間の平和条約その他の関連条約等におきまして一応の決着を見、それぞれ法的にも解決済みだと申しますものの、なおアジアの国々の方の中にはそれぞれ今なお戦後処理として残った問題があるわけでございます。  こういう問題について、どのようにして傷を埋めていくか、これは今また二十世紀末における私どもの重要な任務であろうと考えて、それぞれ今関係当局にその具体的なありようについて検討をさせておるところでございます。
  21. 江田五月

    江田五月君 過去の思い入れというのにもっともっとこだわりたいところですが、時間がありません。  過去の日の丸君が代に対してつらい思いを持っている皆さん立場日の丸君が代を否定したいと思う皆さんの気持ち、そのこともこの法制化によって否定し去るものじゃないんだ、皆さんのそういう気持ちは大切にして未来に生かしていくんだと。そのことを確認しておきたいと思います。  ところで、今、官房長官は、日の丸君が代、これはセットで慣習法になっている、それを成文法にするんだと、そういうことを言われました。  私も、日の丸については、確かにこれまでのお話にございます、例えば自衛隊法、自衛艦には国旗を掲げるとか、あるいは商標法、国旗には商標は成立しないとか、国旗というときに、さて、国旗は何だろうなと、それはだれも思わない。それは日の丸であって、これには商標というもの、商標権は成立をしないんだとか、こうした国旗イコール日の丸ということについての一定の法的確信が存在をしている、法的確信によって支えられた規範となっている。これはそうだと認めていいと思うんですが、君が代の方は、これは法制局長官、いつ慣習法になったんですか。
  22. 大森政輔

    政府委員大森政輔君) 慣習法の性質上、いつ慣習法になったかという問題についてはなかなか答弁が難しい事柄であるということは従前も申し上げているわけでございますが、御承知のとおり、この法的確信を伴うというのは、個々の国民の主観的な意識を問うものではございません。それは客観的、制度的な評価の問題として考えるべきであろうと思っているわけでございますが、国歌君が代につきましては、確かに現行法令上国歌について定めた規定はないということは言えようかと思いますが、長年の慣行により君が代国歌とされるという認識が確立し、広く国民の間に定着しており、我が国国歌といえば君が代意味するということは従前そのように取り扱われてきたわけでございます。  学習指導要領、これは学校教育法に根拠を持ち、そして最高裁判所も法規としての性格を有するということを認めているわけでございますが、この学習指導要領におきましても国歌という言葉が使われております。これは、君が代我が国国歌とされるということが既に確立していることを当然の前提としているというふうに解されるわけでございまして、このような状況から、国民の間に君が代我が国国歌であるという法的確信が存在しているというふうに判断しているわけでございます。  なお、ちなみに、この学習指導要領、これは記載が若干の変遷をたどっていることは委員御承知のとおりでございますが、昭和三十三年、四十三年当時は、歌については君が代を斉唱するという記載がなされておりました。それが、五十二年に至りまして国歌を斉唱させるとなり、平成元年以降は国歌君が代という記載になっております。このようなことからも推測いたしまして、学習指導要領は法的確信を伴う慣習法を前提としているというふうに判断しているところでございます。
  23. 江田五月

    江田五月君 これまで答弁されていることは私も一応踏まえて聞いていますので、質問の方も同じ質問を繰り返さないようにしますが、答弁の方も同じ答弁を繰り返さないようにしていただきたいんです。  国旗の方は、国会が例えば自衛隊法を制定する、商標法を制定するときに国旗という言葉を使って法律をつくっているわけです。その国旗は何であるかということに国会が何も関心を持たずに法律をつくったわけじゃないんです。国旗イコール日の丸ということが一定の頭の中にあって、そしてそういう法律をつくっておるわけで、国権の最高機関、唯一の立法機関である国会も、国旗という言葉を使うときに、それに何らかの規範性、何らかの命題がちゃんとあるということを前提にしてつくっているわけですから、これが法的確信に支えられている慣習法だということは私は認める。  しかし、国歌の方はそういうものはないんです。いろいろおっしゃる、文部省文部大臣告示で決まるとかそんなものじゃない。私はこれは馳委員質問の中で出てきますから細かく言いませんが、例えば昭和五十四年の真田法制局長官、あるいは六十三年の味村法制局長官、やっぱりそこは違う答弁になっているんじゃないですか。何か突然あなたの代になって国歌の方も君が代であるということが慣習法になったと。おかしいんじゃありませんか。
  24. 大森政輔

    政府委員大森政輔君) 先ほど学習指導要領は法律じゃないという御指摘があったわけでございますが、それは確かにそのとおりでございますが、最高裁判所においても指摘しておりますように、学校教育法及び規則の委任を受けた文部大臣告示でございまして、法律と同様の法的性格を有するということは明らかであるわけでございます。  そして、法制局の従前の答弁を引用されましたけれども、真田元長官は「国民的習律」という言葉を使っております。また、味村長官は国歌については「事実たる慣習」という言葉を確かに使っているわけでございますが、国民的確信があるという言葉をも同時に述べておりまして、必ずしも規範的性格を有しないと規範的性格を否定したものではないというふうに理解しているわけでございます。
  25. 江田五月

    江田五月君 味村長官の説明は、片方は、日の丸は慣習法だと、もう一つ君が代は事実たる慣習だと。この二つは違うんですね。  慣習法というのは法例の二条にちゃんとある。事実たる慣習は、民法の九十二条でしたか、別のものなんです。我が国国歌君が代だという一つの命題が国民の中で認識が確立していて、それが定着をしていると。  仮にそうだとしても、そのことに法規範性があるかどうかというのは、私は大森長官に法律の講義をするほど法律が達者じゃありませんからそれ以上申し上げませんが、やっぱりおかしい。私は、やはりここは、国歌君が代とするという新たな法規範を立法でつくろうとしている、慣習法を単に条文にするだけではないということを言っておかなきゃならぬと思います。  ところで、君が代について政府がいろいろと解釈をしておられます。政府解釈、政府の見解、あるいは内閣総理大臣の解釈、これは何か法律的な意味があるんですか、官房長官
  26. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 政府といたしまして、さきに石垣一夫衆議院議員から君が代の「君」の解釈及び君が代の歌詞の解釈を含む国旗国歌に関する質問主意書が提出をされましたことから、これに対する答弁書の中で御指摘の件について答弁をしたものでございます。  また、政府といたしましては、今回この国旗国歌に関する法律案を国会に提出するに当たりましては、君が代の歌詞などについて政府の見解を示すことが必要があると考えまして、これまで衆議院及び参議院において、審議におきまして政府の見解をお答えしてきたものでございます。  これらの政府の見解は政府自身の見解でございまして、国民お一人お一人が君が代の歌詞の意味などについてどのようにお受けとめになるかにつきましては、最終的には個々人の内心にかかわる事柄であると考えております。
  27. 江田五月

    江田五月君 君が代が古今和歌集あるいは和漢朗詠集の時代からあった、そして長く続いてきたから国歌としてふさわしいという、そういうお話ですが、古今和歌集や和漢朗詠集の時代からずっと続いてきている歌はほかにもいっぱいあるので、それらが全部国歌にふさわしいなどということはないと思います。また、古今和歌集の時代君が代というのが、今のこの日本国憲法の云々というそんな解釈が成立するなんということは到底あるはずもない。そして、君が代が古今和歌集の中で登場したときにその歌の意味というのは決まるので、時代が変遷して解釈が変遷するというのもどうも何か、憲法についてはそういうことがあるにしても、和歌についてそういうことがあるというのはすとんと胸に落ちないことでございます。  今の官房長官のお話、とにかくそのときそのときの政府やあるいは内閣総理大臣が、自分はこう、あるいは私たちはこう解釈をしているということを言っているだけのことであって、最終的にはそれぞれの国民の解釈だと。  さて、文部大臣、最終的に国民の解釈、そして学校現場ではということになるんですが、学校現場校長と教師とか、あるいは教師と子供とか児童生徒とか、この関係について、よくこれは特別権力関係なのだからというような説明がなされることがある。文部省はそういう説明をしたことはないというふうにも聞くんですが、特別権力関係、これはおとりになるのかとられないのか、端的に答えてください。
  28. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 文部省といたしましては、公立学校校長と教員、あるいは教員と生徒の関係を特別権力関係とはとらえておりません。
  29. 江田五月

    江田五月君 さて、そこで文部大臣に、もう時間がありませんので、一つ。  子供たちの中に、どうしても自分はこの君が代は歌いたくないと。それはいろんな理由があるでしょう。例えば自分の両親が戦争中にキリスト教の関係でいろんな苦しいこともあった、そのことを思い出して歌いたくないと。そういう子がいるときに、この子に歌わせることを強制はできない、学校現場で。  さて、内心の自由ということを教えるチャンスですね、こういうことがあったときには。その子供がどういうことで歌いたくないのか。歌いたくないその子をほかの友達の非難や興味の眼にさらすのではなくて、なぜ歌いたくないのか、なるほどそうなのか、そういうことはみんなが大切にしなきゃいけないことだ、決してその子をいじめその他で扱うようなことがないようにと、そういう教育をなさいますか。
  30. 御手洗康

    政府委員御手洗康君) 基本的には小学校六年生の憲法学習の中で基本的人権についてしっかりと教えるように学習指導要領で決めているところでございますし、実際にも教科書等におきましては基本的人権に関する記載がございますので、各学校において適切な指導が行われているものと考えているところでございます。
  31. 江田五月

    江田五月君 文部大臣に一言ぜひ答えてください。
  32. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) これはたびたび同じことを御答弁申し上げておりますので、ごく手短にお答え申し上げます。  入学式卒業式における国旗国歌指導は、国旗国歌指導を行うのに最もふさわしい入学式卒業式意義を踏まえまして国旗を掲揚し、国歌を斉唱するものとしているもので、このことは児童生徒の内心にまで立ち入って強制するということではございません。
  33. 江田五月

    江田五月君 私が聞いたのは、さらに進んで、その子のなぜ歌いたくないのかという理由、これが内心の自由にかかわるようなときにはいい教材なんですから、この子が歌いたくないのはこういう理由だ、それはみんなが大切にしなきゃいけないことだと、そういう教え方というのを学校現場で認めますかということを聞いているわけです、文部大臣
  34. 御手洗康

    政府委員御手洗康君) 学校教育における基本的な考え方は先ほど申し上げたとおりでございますけれども委員御指摘の点は具体的な指導の場面にかかわってまいりますので、一人一人の子供の具体的な行為をとらえてどういう指導をされるかということは、その子供とクラスの子供関係、あるいは親御さんとの関係、そういったものを踏まえて各現場で、くれぐれも児童生徒がそのことによって傷つくことのないよう、適切な教育的な配慮のもとに行われるべきものと考えますので、文部省として、一律にそういった場面を設定して、やるとかやらないとかということについてはお答えいたしかねる次第でございます。
  35. 江田五月

    江田五月君 というような次第で、私はやはり日の丸君が代に大きな違いがあると。私ども民主党は、法制化をするなら、国旗イコール日の丸、これに限るべきだと、そういう修正案を提出したいと思います。  終わります。
  36. 山下栄一

    山下栄一君 公明党の山下でございます。  七月三十日に質問させていただきましたけれども、その際の質問をさらに進める形できょうは質問させていただきたいと思うわけでございます。  私、この前、日の丸の旗もそうだ、そして君が代もそうだけれども、特にこの歴史的由来が国民の間に十分理解されているとは言えないのではないかということを申し上げました。教育現場における混乱も、理解の仕方に大きな違いがあり、また偏りがあり、そういうところから来ている部分も大いにあると。日本国旗は日章旗であり、そして日本の国の歌は君が代であるということを法律に定めようというこの機会に、学校の生徒への理解のみならず、広く国民に私は正しい理解をしていただく必要があるというふうに申し上げました。  申し上げましたけれども、これに対して野中長官も、国旗国歌の由来をよく理解している大人の方は、特に若い人々の中には必ずしも多いとは言えないと、こういうふうにおっしゃいました。若い人というのはどの辺かもわかりませんけれども子供を持っている御夫婦の場合でもその理解が不十分であろう、学校教員そのものも、教える側もきちっと理解されているかということも甚だ疑問であるということを申し上げました。なぜか。それは、正しい客観的な理解を進める資料といいますか、それが十分じゃないということにもあるのではないかと申し上げました。  そこで私は、法制化するに当たってちょっと官房長官にお伺いしたいんですけれども、この国旗国歌理解を深めるための、客観的な正しい認識を深めるための啓発資料、これをつくるのを、これを役所でつくっていいのかというふうにも思うわけです。私は、有識者から成るそういう啓発資料作成委員会といいますか、こういうふうなものを国民の代表である国会の同意も得てきちっと設置すべきではないかと。そこである特定の偏った知識を与えられては、またこれは困るわけですから、客観的な正しい理解であるという、それを保障するのが国会ではないかなというふうに私は思うわけです。  そういう意味で、国旗国歌の正しい理解を深めるための、特に歴史的な由来、そこには、例えば君が代であるならば、先ほどからも話が出ていますように、この歌は一千年間のいろいろな思いが込められて今日に至っているということ、日章旗にしましても、江戸幕府以来日本の旗として対外的に使っていたというふうなことも含めまして、理解を深めるためのそういう啓発資料作成委員会を設置すべきであるというふうに私は思いますけれども官房長官の御見解をお伺いします。
  37. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 政府といたしましては、この法律案が国会で御可決をいただき、成立をいたしますならば、国旗国歌歴史や由来等について国民により御理解をいただけるよう十分心がけていきたいと存じておるところでございます。  ただ、現時点で、委員が御指摘ございましたように、資料作成委員会のようなものをつくるといったような考えは持ち合わせておりません。
  38. 山下栄一

    山下栄一君 広く国民に客観的な、正確な知識を持っていただく必要がある、このことはどうでしょうか。
  39. 野中広務

    国務大臣野中広務君) そのように理解しております。
  40. 山下栄一

    山下栄一君 何でこんな作成委員会をつくったらいいかと申し上げましたのは、ここにも、平成二年、「国旗国歌の常識」という本、比較的わかりやすい本ですけれども、これを勉強して、これでよろしいのですかと、こうなる。これを読んだ人は、そういうことかというふうに理解するかもわからぬ。ただこれは、日本の旗、そして日本の歌を法律としてきちっと決めようというわけですから、それがそれぞれの勝手な思いとか偏った理解であるならば非常に困る。僕はその資料が、極めてきちっとしたものがつくれるように思う。  偏った理解があることから教育現場に大きな混乱もあるわけですから、そして長官も、広く国民はそれの歴史的由来も含めて知識が十分ではないと考えるとおっしゃっているわけですから、十分な資料があるんでしたら、ないところにこの混乱の原因があると思いますので、これはやはり国民の代表である国会の同意も得てこれを設置すべきであるという考え方について、政府におかれましても、法律を提出されているわけですから、私はきちっと検討すべきである、そうしないと理解が不十分なまままた進んでいくというふうになってしまうと。重ねてお伺いします。
  41. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 衆参両院におきまして慎重御審議を賜ってまいったわけでございますので、これに基づきまして、法律が成立をいたしましたら、先ほど申し上げましたように、国歌国旗に対する歴史や由来につきまして、よく識者の意見も聞きながら、政府の責任においてより国民理解がいくように啓発を行ってまいりたいと考えております。
  42. 山下栄一

    山下栄一君 私は、政府の責任においてつくるという考え方もあるけれども、それで果たしていいのかなというふうに思いますもので国会ということを申し上げたわけでございます。これは、党としても別の形できちっと検討したいというふうにも私個人は思っておるわけでございますので、また別の機会に主張申し上げたいというふうに思います。  次に、教育現場の混乱なんですけれども、前の質問でも申し上げましたように、これは授業における社会科とか音楽というところじゃなくて、場所は入学式卒業式特別活動における扱い、ここがやはり大きな混乱の原因になっておるというふうに考えます。  それで、特に職務命令、そして職務命令に伴う懲戒処分、これにつきましてもいろいろ御答弁いただいておりますけれども、若干御答弁にも私自身納得できない面もございまして、ちょっと具体的に申し上げます。  ことし四月の入学式で、東京都内の小学校で、校長先生から君が代の伴奏をしなさいと言われた先生が拒否をした。これについて六月十一日に東京都教育委員会が戒告処分にするというふうなことがございました。  伴奏を求められた。だけれどもその先生は、御自身の思い、主義主張、思想からだと思いますけれども、それは私はできないというふうに言ったことに対して処分されているわけです。  こういうことになってきますと、僕は、校長先生と教員の信頼のもとに本来子供たちへの教育が行われなければならない。また、教員間の信頼がないというか、殺伐としているというか、対立があるとか、そういうことは物すごく子供たちに影響を与える。教員が混乱していてなぜ子供に対してまともな教育ができるのか、教員崩壊の中でちゃんとした教育というのは行われないのではないかと思うわけです。  伴奏をやるように言われて、私はできません、自分自身の考え方からと言って処分を食らったら、これはなかなか信頼関係が築きにくいというふうに私は感じるわけです。  この処分についてどのように文部大臣はお考えかということをお聞きしたいと思います。
  43. 矢野重典

    政府委員矢野重典君) 少し長くなりますが、お許しをいただきたいのでございます。  まず、思想、良心の自由は、それが作為、不作為を問わず外部的行為となってあらわれる場合には、一定の合理的範囲内の制約を受けるものと解されているところでございます。  そこで、学校におきまして学習指導要領に基づいて入学式を適切に実施するために、校長が教員に対して国歌についてのピアノ伴奏等の役割分担を命じますことは、本来行うべき職務を命じるものでございまして、思想、良心の自由に対する制約といたしましては、合理的範囲内のものと私どもは考えるわけでございます。  そこで、そうした義務に違反した場合でございますが、そういう職務命令に違反した教員に対しましては、これを実際に処分を行うかどうか、あるいは処分を行う場合どの程度の処分とするかにつきましては、任命権者でございます都道府県教育委員会の裁量にゆだねられているものでございまして、基本的には、任命権者でございます都道府県教育委員会におきまして、個々の事案に応じ、十分な事実確認の上で、問題となる行為の性質、態様、結果、影響等を総合的に考慮して適切に判断されるべきものでございます。  御指摘の事案でございますが、御指摘の事案につきましては、当該教員の任命権者でございます東京都教育委員会がその権限と責任において判断して行った処分でございまして、処分の程度等についての適否に関しましては文部省としてコメントする立場にないものでございますけれども、当該事案の事実関係について文部省が承知している限りにおきましては、処分を行ったこと自体について特に問題はないものと考えているところでございます。
  44. 山下栄一

    山下栄一君 行事で音楽の伴奏をするわけです。伴奏するのは、伴奏できる人が、技術を持った人がやらぬとめちゃくちゃになります。伴奏する人に対して職務命令で伴奏せいというふうなことは全然なじまないと僕は思うんです。職務命令でこんなことをやるものかと、式典の演奏は。相手は教員ですから、僕は伴奏することを職務命令にするというのは全然なじまないと思う。校長先生と教員にはもともとそんな信頼も何もないと思う。命令でやれというふうな、教育というのはそういうものじゃないと思う。命令というのはできるだけ少なくすべきと私は思うわけです。授業をちゃんとやらぬとか、そんなことはまた別ですけれども。  だから、本来、職務命令で伴奏するというようなことは教育現場ではあってはならないことであるというふうに私は思いますけれども、大臣はどうお考えでしょうか。
  45. 矢野重典

    政府委員矢野重典君) 学校におきましては、入学式卒業式における国旗国歌指導に当たりまして、校長は日ごろから職員会議等の場を通じて教員との間で国旗国歌指導やその意義につきまして意思疎通や共通理解を図るように努力し、全教員が一致協力して国旗国歌指導を行うように学校運営上の配慮や努力をすることが大切でございます。  しかしながら、こうした取り組みをしたにもかかわらず、国旗国歌指導を教員に求めることが困難な場合があるわけでございまして、そういう場合につきましては、校長学校運営の責任者として、学習指導要領の趣旨を実現するために必要に応じ教員に対し職務命令を発することもあり得るものでございます。また、そうせざるを得ない場合もあることにつきましては御理解をいただきたく存じます。
  46. 山下栄一

    山下栄一君 僕は、職務命令をやって懲戒処分するようなことじゃないと思います。伴奏してくれませんか、役割分担ですよと。だけれども、私はちょっと自分自身の考えからできませんというのを命令でやらせるということもおかしなことだなと思いますし、そうであれば別の方法を考えるということが正しいのじゃないかなというふうに私は思うわけです。  だから僕は、前のときにも言いましたけれども学習指導要領における特別活動学習指導要領というのは、本来、最高裁の判決にありますように教育課程編成上の大綱的基準というわけですから、学校で伴奏するとか、そんなことは大綱的基準という範囲じゃなくて極めて具体的なことになってしまうわけですから、学習指導要領の趣旨にも反すると僕は考えるわけです。  だから、この職務命令なんですけれども、どんな場合に職務命令出すのかと。例えば式典を妨害するとか生徒を無理やり出席させないとか、そういうことは行き過ぎだと思いますけれども、伴奏をしてくれませんか、しなさいと命令するものでもないと思いますし、命令に基づいてやるというようなものじゃないと思うんですよ、そういうふうなことは。だから、この職務命令というのは、局長は今、それは各都道府県の教育委員会、市町村教育委員会の判断で、それは人事権があるんですからそういうことで懲戒のようなことがあり得るんだとおっしゃっていますけれども教育現場でそういうことを余りやり過ぎると、僕は子供が崩壊する前に教員が崩壊してしまうというふうに思うわけです。だから、懲戒処分というのは安易に出すべきではないと。  そして、六月十一日の質問主意書に対する政府の御答弁では、石垣議員の質問に対しまして、新しい法律をつくるに当たって「教育現場での「国旗・掲揚、君が代・斉唱」は、義務を課するのか、尊重とするのか、自由とするのか、その見解を問う。」という問いに対する答えは、「政府としては、法制化に当たり、」、これは教育現場の話ですよ、「国旗の掲揚等に関し義務付けを行うようなことは、考えていない。したがって、現行の運用に変更が生ずることとはならないと考えている。」、こういうふうにおっしゃっているわけです。だから、余り強制をするみたいなことは想定していないというふうにおっしゃっているわけですよ、これは政府の見解として。僕はこういう考え方が正しいと思いますが、実際、七月三十日とか八月二日のこの委員会における答弁では、何か知らぬけれども殺伐とした方向に行くような答弁が私は多かったように思ったんです。  それで、職務命令というのは安易に出さないと。これは局長もそういうふうに八月二日におっしゃっているんです。何遍も指導したが実施が困難な場合、職務命令を出すこともあり得るという言い方をされているわけです。これは、安易に職務命令は出しませんよという意味じゃないかなというふうに、政府答弁書の趣旨に沿って私は思ったんです。だから、先ほどの案件、具体的な例で申し上げましたけれども、それはその学校における独特の場面もあったかもわかりませんけれども、伴奏というのは職務命令でやらせるものじゃない、これは僕の考えです。  いずれにしても、職務命令は安易に出さないということの確認ぐらいはさせていただきたいなと思うんです。
  47. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私は、教育というのは根本的に先生と児童生徒信頼関係であり、またそれを生み出すのは先生方同士の信頼関係だと思っています。ですから、職務命令というのは最後のことでありまして、その前に、先生がおっしゃられましたようなさまざまな努力ということはしていかなきゃならないと思っています。  ただ、先ほどもおっしゃられたように、極めて難しい問題に入っていったときに最終的にはやむを得ないことがあるかもしれませんが、それに至るまでは校長先生も、また現場の先生方もよくお話し合いをしていただきたいと思っています。
  48. 山下栄一

    山下栄一君 具体的な職務命令を出すか出さぬかという御判断は、それは文部省がやるわけじゃなくて、各地方自治体教育委員会でやられるわけですから、その御判断だと思うんです。  ただ、僕は、法制化に伴ってこれが安易に出されるというような風潮が出てきたら、これは大変なことだというふうに思います。今、教室崩壊とかいろんな言い方で言われておりますけれども、青少年、子供たちの心が非常に不安定になり、荒れているというその責任が教員にあったら、これはえらいことになるというふうに思いますので、こういう時代だからこそ校長先生を中心に本当に粘り強く、大臣がおっしゃったとおり、命令なんというようなことは一番なじまない世界ですから、信頼関係をつくっていく努力をしていかなければならない。それを例えば組合の力で校長を弾圧するとか、そんなことはもう論外でございますけれども校長先生を中心とする信頼関係を築くことをやはり最優先にし、職務命令は今大臣がおっしゃったとおりだと思いますので、その御見解を支持していただきたい。  次は懲戒処分です。懲戒処分も、さっきも僕は音楽の先生はなじまないと申し上げましたけれども、具体的な妨害行為をやるとか、秩序を意図的に混乱させるとか、そういうことはまた公教育の責任から非常にまずいことであるので懲戒処分の対象になり得る場合もあるのかなとは思いますけれども、懲戒処分はさらに厳格に戒めるべきだというふうに思いますし、地域によって、都道府県によって処分の出し方にえらい差があるとか、そんなことは非常にまずいことであろうと。  繰り返しますけれども、非常にこういう問題に苦しんでいるところは、安易にこの法制化とともにこの際というようなことで力ずくみたいなことになってくると、それはさらに激しい対立になってくるというふうに思いますので、この懲戒処分を出すということについてもさらに厳格にやるべきだ、安易に出してはならないということについての御見解をあわせて、これは大臣にお願いしたい。
  49. 矢野重典

    政府委員矢野重典君) 技術的な話でございますので、少し私の方からまず御説明をさせていただきたいと思います。  職務命令を受けた教員は、これに従い、指導を行う職務上の責務を有し、これに従わなかった場合につきましては、地方公務員法に基づき懲戒処分を行うことができることとされているところでございます。  そこで、実際に処分を行うかどうか、処分を行う場合にどの程度の処分とするかにつきましては、基本的には任命権者でございます都道府県教育委員会の裁量にゆだねられているものでございまして、任命権者である都道府県教育委員会におきまして、個々の事案に応じ、問題となる行為の性質、態様、結果、影響等を総合的に考慮して適切に判断すべきものでございます。  したがいまして、先ほど委員は、地域によって県によってばらつきがあるのではないかというお話がございましたけれども、こうした広範な事情を総合的に考慮してなされます処分につきましては、国として一律に基準といったようなものを示すことは難しいわけでございます。  なお、処分につきまして、その裁量権が乱用されることがあってはならないことはもとよりのことでございます。
  50. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 今、局長がお答え申し上げたとおりでございますが、やっぱり教育現場というのは信頼関係でございますので、とことんきちっと話し合いをされて、処分であるとかそういうものはもう本当に最終段階、万やむを得ないときというふうに考えております。このことは国旗国歌法制化されたときにも全く同じ考えでございます。
  51. 山下栄一

    山下栄一君 これも三十日のときに申し上げたことなんですけれども、もう一度確認させていただきたいと思います。  学校行事入学式卒業式で、校長先生も含めて教員は、もう君が代に限ります、生徒が国旗を掲揚することはあり得ないと思いますので、子供に対して国歌を斉唱するように指導するものとするというのは、教育委員会校長先生にということもあるでしょうけれども校長が教員に、そして今度は僕が申し上げたいのは、一般教員が子供に対してです、そういうことが入っていると思うんです。基本的なことですが、何のためにこれを子供に対して指導する必要があるのかという目的、これを確認させていただきたいと思います。
  52. 御手洗康

    政府委員御手洗康君) 卒業式入学式におきましては、新しい生活への展開の動機づけを行う、そういった意味学校社会、国家などの集団への所属感を深める大変よい機会となるものでございます。  したがいまして、音楽や社会科の時間におきまして理解をした国旗国歌に対する意義、あるいはそれを尊重する態度というものが、実際の卒業式入学式の場面におきまして適切な態度がとれると、極めて教育上有意義でございますので、国歌を斉唱するように指導しているところでございます。
  53. 山下栄一

    山下栄一君 私は今おっしゃったとおりだと思うんですけれども、やはりマナーとしても国歌というのは起立をして歌うものだということ、それを通して尊重する態度を養っていくんだということがあると思うんですけれども、教科における理解が不十分であると、前にも申し上げましたけれども、特に中学生、高校生というのは、儀式だけで、厳粛な行事だから尊重する態度が養われるか、僕は全然そうじゃないというふうに思っております。  心と行動というのは一体であること、これが特に思春期の子供たちには必要である、だから厳粛な儀式で起立して歌うことを指導したら尊重する態度が養われるか、そんなことはないというふうに私は思うわけです。このことが、余りにも儀式におけることが強調され過ぎているので、教科における理解が不十分なままに強調され過ぎると、これはかえって混乱をもたらすということ、このことを私は考えるわけですけれども確認意味で大臣にお伺いしたい。
  54. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 入学式卒業式国旗国歌ということはどうしてかと申しますと、学校生活における有意義な変化や折り目をつける、そういう場合に、厳粛で清新で、そしてまた、私はよく申し上げますけれども子供たちの入学や卒業をみんなで祝うというふうな気持ちで、そういう雰囲気の中で新しい生活の展開への動機づけを行う、こういう必要性があると思います。これが入学式卒業式の目的であると思いますが、そういうところで国旗国歌を上げたり斉唱するというふうな一つのモラルを身につける非常にいいチャンスだと思っている次第でございます。
  55. 山下栄一

    山下栄一君 最後に、君が代の題名の解釈ですけれども、この前の御手洗局長答弁は私は納得できておりませんので、これは馳委員に対する答弁だったんですけれども、これを確認させていただきたいと思います。  君が代という題名の、この君が代というのをどう理解するんだということ。これは政府解釈が六月十一日、そして六月二十九日の衆議院の本会議でされております。先ほどもその話がありました。公教育で扱う場合に、これは特に国語なんかに影響を与えると思いますけれども、教員が君が代というのはどういう意味なのかということを解釈するのに、政府の解釈どおり教えなきゃいかぬというようなことを私はすべきじゃない、教員の解釈に制約を加えるものであってはならない。特に、学校における教育現場、国語教育ではそうではないかな、こういうふうに考えるんですけれども、まず官房長官お願いします。
  56. 野中広務

    国務大臣野中広務君) たびたび御答弁申し上げておるわけでございますけれども学校におきます国旗国歌指導に当たりましては、我が国国旗国歌についてのその意義を正しく理解させることが必要であると私は考えております。  これまで文部省におかれましては、国歌指導に当たっては、社会科と音楽の指導が相まって、小学校卒業までに、国歌君が代我が国憲法のもとにおいて天皇を日本国並びに日本国民統合の象徴とする我が国がいつまでも繁栄するようにとの願いを込めてきた歌であることを理解できるように指導をしていくものと考えておるわけでございます。このことは、この法案の審議に際して示されました政府の見解と異なるものではないわけでございまして、今後、文部省におかれましても、各学校において政府見解にのった適切な指導が行われていくと思うわけでございます。  その指導の結果、生徒や児童一人一人が君が代の歌詞の意味などについてどのように受けとめていくかは、最終的には個々人の内心にかかわる事柄であろうと考えております。
  57. 山下栄一

    山下栄一君 ちょっと僕は今のは納得できません。  国民がそれぞれどのように解釈するかは国民の自由であるということを先ほどおっしゃっていました、長官は。僕は、教育現場子供たちに教えるのに、この解釈でなかったらいかぬのだというふうな、政府解釈を子供たちに押しつけるというようなことは、これは僕ははおかしいなというふうに感じます。官房長官の御答弁ですけれども、これはちょっと納得できない。
  58. 御手洗康

    政府委員御手洗康君) 学校現場におきまして……
  59. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) 待ちなさい。局長、指名してから答弁するようにしてください。あなた二回目ですよ、これ。
  60. 御手洗康

    政府委員御手洗康君) 失礼しました。申しわけございません。
  61. 山下栄一

  62. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) まず、学習指導要領では、小学校、中学校、高等学校のいずれの段階におきましても、国語の授業において国旗国歌指導を義務づけているものではございません。高等学校等において古典の教材として指導する場合におきましては、当然に、古典の文法解釈というふうなこと、そしてその古典の時代の解釈などについて教えるものだと思います。  しかし、国歌指導に当たりましては、社会科と音楽の指導が相まって、小学校卒業までに、今回の法案の審議等に際して示されました君が代の解釈、繰り返して申し上げますと、「日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」との政府の見解にのった適切な指導が行われるよう配慮していく必要があると思っています。  これは、国としてはこういう解釈であるよと、しかし個人個人の解釈、さらに古典的な解釈、これはそれぞれ違った解釈があり得ると思っております。
  63. 山下栄一

    山下栄一君 ありがとうございました。  終わります。
  64. 阿部幸代

    阿部幸代君 日本共産党の阿部幸代でございます。  初めに、日本共産党は国旗国歌問題について国民的な討論を十分尽くすことを提案しています。法制化を急ぐべきだと言ったことは一度もありません。  そこで、官房長官質問したいんですが、長官は、日の丸君が代国旗国歌とするこの法制化の動機として、広島県立世羅高校校長先生の自殺事件を挙げたと思います。教職員組合やあるいは運動団体との交渉の中で疲れ果て、みずから命を絶ったということ、また、教育現場において同じような激しい対立を目の当たりにしてきて、政治家として解決しなければならないというその責任を感じたということをおっしゃってこられたと思うんですけれども法制化によって対立がなくなり、問題が解決するのでしょうか。
  65. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 今回の法制化は、よく申し上げておりますように、国旗国歌の根拠について、慣習でありますものを成文法として明確に位置づけるものでございまして、これによって学校教育における国旗国歌に対する正しい理解がさらに促進をすると考えるわけでございます。  今日まで、学校教育現場におきます国旗国歌取り扱いにつきましては法的根拠がないということが非常にその争いの根拠になってきたわけでございます。したがいまして、ここに法的根拠を持つというのは、ある意味において正しい理解が進んでいくことにつながってくると私は思うわけでございます。政府といたしましても、今後とも、学校における指導の充実あるいは啓発に努めていかなくてはならないと考えております。
  66. 阿部幸代

    阿部幸代君 法律をつくりさえすれば、法的な根拠がないということが言えなくなると。そうすると、対立がなくなり問題が解決するんでしょうか。
  67. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 私は、法律ができたら対立がなくなり、あるいは問題が簡単に解決するとは思いません。けれども、法律的根拠を持つことが、今まで法律的根拠がないということにおいて論争が激しくなってきたことの一つが解決をして、その理解が深まっていくことに大きく役立つと考えております。
  68. 阿部幸代

    阿部幸代君 法律的な根拠がないということが言えなくなるというだけだと思うんですね。日の丸君が代が侵略戦争の旗印であり、国民主権に反するから国旗国歌として掲揚し斉唱することには反対であるという、こういう教員たちの考えが法制化によって変わるとは思わないんですけれども官房長官、どうですか。
  69. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 先ほども申し上げましたけれども、共産党は、政府・自民党が独特の作戦をとって、そしてこの日の丸君が代問題の正面からの論議を極力避けて、我が国社会ではもう事実上国旗国歌扱いをされているから改めて議論する必要はないんだと、いわば問答無用の論理で国民に押しつけてきたということを「前衛」でも言っていらっしゃるわけでございます。  したがいまして、私どもはそういう立場をとらないで、こういう教育現場の混乱の中に、成文化されておらないということが一つの状況をつくり上げる根拠になり、そしてそれを反対される理由にされてきたことを考えますときに、やはり法的根拠を持つことがより理解を進めていくことにつながってくるというように考えた次第でございます。
  70. 阿部幸代

    阿部幸代君 私の質問にかみ合わせて答えていただきたいと思うのですが、法律をつくりさえすれば法的根拠がないということは言えなくなると。だからといって、日の丸君が代が侵略戦争の旗印であり、国民主権に反するから国旗国歌として掲揚し斉唱することに反対だという、こういう教員たちの考えが法制化によって変わると思うんですか。
  71. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 変えていただかなくてはならないと思っております。
  72. 阿部幸代

    阿部幸代君 それは憲法の趣旨に反します。思想、信条の自由、良心の自由が保障されているわけです。  官房長官、世論の動向をよく見ていただきたいと思うんです。例えば、TBSテレビで二日に放送されたJNN世論調査結果によりますと、日の丸法制化については賛成五一・六%、反対四七・五%で、三月の調査時に比べて賛成は約五%減り、反対が五%ふえています。君が代法制化は賛成四〇・八%、反対五八%で、三月のときと比べますと賛成は約九%減り、反対が九%ふえています。今まで主に教育現場で行われていた議論が、広く国民議論となってこういう調査結果が出ているんです。  ですから、参考人質疑の際、堀尾輝久氏も、「法制化することによって問題が片づくだろうか。これは逆であります。むしろ混乱が広がる、不信感が広がるだけではないか。」、こう述べておられました。法制化によって教員の考えは変わらないし、問題は解決しないということを見据えるべきだと思います。  次の質問に移ります。  そもそも国民世論が二分しているのは、日の丸君が代についていろいろな考え方があるからなんです。  そこで伺いたいんですけれども君が代解釈には戦後いろいろあったと思うんです。違いますか。
  73. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 御指摘の内容は私よくわかりませんけれども委員は最近の報道の中における世論調査の、それぞれ日の丸君が代国旗国歌として法制化することに比較的慎重な世論調査の結果を特徴的に出しておられるわけでございまして、この七月以後行われました共同通信その他加盟社から構成される日本世論調査会が実施をいたしました世論調査のように、日の丸君が代国旗国歌として法律で定めることに賛成と、どちらかといえば賛成の者の比率は七一・三%という結果があらわれておるわけでございます。  政府といたしましては、最終的に国権の最高機関である国会において御論議をいただいて決定をしていただくこの法案が、より慎重審議の上で成立をするように期待しておる次第であります。
  74. 阿部幸代

    阿部幸代君 世論調査の結果をおっしゃいましたけれども、七割が法制化に賛成だという調査もある。私が言いましたように、四割しか賛成でないという世論調査の結果もある。要するに、この問題について国民世論は真っ二つに割れているということです。これを直視するべきだと言っているんです。今まで学校教育現場の中でだけどちらかというと主に議論されていた問題が、広く国民的な議論となった結果がこういうことだということを直視するべきだということです。  先ほどの質問に答えておられないんですが、そもそも国民世論が二分しているのはいろんな考えがあるからなんです。それで、君が代解釈にも戦後いろいろあったと思うんです。いろいろあったんじゃないですか。
  75. 竹島一彦

    政府委員竹島一彦君) 君が代の解釈について戦後いろいろあったのではないかというお尋ねでございますけれども政府といたしましては、今回、政府見解でお示ししているのと同様でございますけれども君が代の「君」は、一言で申し上げますと象徴天皇を指す、君が代我が国のことを意味している、君が代の歌詞の意味我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものであるということについては変化がないと思っております。
  76. 阿部幸代

    阿部幸代君 いろいろあったのではありませんかと質問しています。
  77. 竹島一彦

    政府委員竹島一彦君) 具体的ないろいろのことをおっしゃっていただきませんと、政府としてはいろいろはありません。
  78. 阿部幸代

    阿部幸代君 では、私の方から言います。  政府内ですら統一していませんでした。外務省に君が代の正式の外国語訳はあるんでしょうかと尋ねたところ、民間で訳されたものを外国に紹介することはありますが正式の訳というものはありませんといって、音楽之友社の君が代の英訳を紹介されました。ここでは「君」はロード、君主、支配者となっています。こういうのを外務省は紹介してくれたんです。  文部省にも変遷があったと思います。国会の議事録を見ますと、例えば七八年の時点では、これまで直接学校に向かってその歌詞の意味はこうだというふうに説明したことはない、こう答えています。また八九年には、「君」というもの、それはすなわち国民全部を意味している、こう考えておりますと言った文部大臣もいます。  教育現場もいろいろで、広島市立幟町小学校教育振興会資料によりますと、君が代は天皇の御代ということ、天皇の長寿を祝うこととあります。また、実は私自身、一九八三年の三月に小学校六年生を卒業させた経験があるんですけれども、そのころの学校長は、君が代の「君」はあなたということでお願いしますと言っていました。  こんなにいろいろあるんです。いろいろあるということをお認めになりますね。
  79. 竹島一彦

    政府委員竹島一彦君) 最終的にはそれぞれの国民の方々が正しい知識に基づいてどういうふうに解釈されるかという問題であるということは再三申し上げているわけでございますが、政府としての見解はたびたび申し上げているとおりでございまして、それは従来から同じでございます。  今一点、当時の石橋文部大臣の御答弁にお触れになりましたけれども、そのときの問答の流れは、今政府が申し上げていることと同じでございますが、国民全体を指すということをおっしゃった点につきましては、当時の問答が質問通告のない突然のことであり、石橋文部大臣の個人的な御見解を国務大臣として答弁されたということでございますが、それ以前から政府として、具体的にはその前に、昭和四十九年の奥野文部大臣、五十九年の森文部大臣等の答弁以来一貫して申し上げている、今申し上げているのと同じことでございます。
  80. 阿部幸代

    阿部幸代君 文部大臣の国会答弁なんです。また、政府内でも統一していなかったということです。まして現場はいろいろあったということなんです。問題です。  次の質問に入ります。  今回の法制化によって、政府見解というのが示されました。問題なのは、国民には強制しないと言いながら、学校教育には政府見解にのっとった指導理解、これが強制されるのはなぜかということです。なぜですか。
  81. 竹島一彦

    政府委員竹島一彦君) 今回の法制化は、ごらんいただいていますとおり根拠を明確にするだけでございまして、その他の目的、趣旨は盛り込まれておりません。  それに対しまして、これは文部省の方の御答弁の方がふさわしいのかもしれませんが、文部省において学校教育において国旗国歌のことを指導するということの根本的な趣旨は、国際社会の中で日本国の国民として、国のしるし、国を代表する歌について正しい知識を持つことが一市民としてのマナーである、そういうことはきちんとわきまえていなければならない、それを教えるということがまずあって、その具体的な作業が学校教育法に基づく学習指導要領によって教師に対してそれが求められておる、そういう教育上の必要性から来ているものと思います。  そのことは、何回も申し上げていますように、あくまでも教える側に対して指導をするものとするということでございまして、その受け手の方の子供についての内心まで立ち入るものではない、こういうことでございます。  したがいまして、今回の法律で、国旗は日章旗とする、国歌君が代とする、尊重規定が入っていないということの議論と、学習指導要領による指導というものは何ら矛盾はしないということでございます。
  82. 阿部幸代

    阿部幸代君 今回打ち出された政府見解を国民には強制しないと言いながら、なぜ学校教育には政府見解にのっとった指導理解、これが強制されるのかと聞いているんです。
  83. 御手洗康

    政府委員御手洗康君) 学校教育におきましては、国旗国歌意義理解させ、これを尊重する態度を育てる、こういう観点から、国歌意義につきましては、今回政府見解において示されました考え方と基本的に軌を一にする考え方でこれまで指導してきたわけでございます。  したがいまして、今回示されました君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、また君が代の歌詞もそうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当である、こういう考え方は、先ほども申し上げましたように、文部省がこれまで各学校に対しまして、そういった趣旨であるということで理解を求めてきた内容と基本的に同じでございます。  今回、政府の見解が示されたわけでございますので、これにのっとった適切な指導が行われるよう今後とも指導に努めてまいりたいと考えているところでございます。
  84. 阿部幸代

    阿部幸代君 どうも私はまだ答えをいただいていないような気がするんです。政府見解を国民には強制しないのに、なぜ学校教育にはこの政府見解にのっとった指導理解が強制されるのか。
  85. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私は、教育の上で、たびたび申し上げますように、古典的な短歌としての、当時は和歌と言うんでしょう、古典的な和歌としての意味は国語の時間などできちっと教えていく、しかし、現在の法案が通ったところでは、国歌というものの意義というものをこういうふうに政府は考えているということは、これはやはりきちっと皆さんにお教えすべきだと考えているわけでございます。決して強制ではないということを申し上げておきます。
  86. 阿部幸代

    阿部幸代君 強制しないということですね。そもそも政府見解がとても受け入れられない内容だから問題なのです。  そこで、まずお聞きしたいんですけれども君が代政府見解に直接かかわる憲法第一条の意義なんですが、参考人質疑の際、堀尾輝久氏が「註解日本国憲法」を引用して、第一条をどう解釈するか、第一条は天皇です、天皇をたたえる条項を第一条に置いたのかというと、そうではないと。つまり、大日本帝国憲法、そこでは天皇は統治権の総攬者であり、陸海軍の総帥であり、そして教育勅語を通して国民の精神的な権威の保持者であったその天皇が、今度はそうではない、この国のあり方が大きく変わるんだ、天皇主権から国民主権に変わる、そのことによって天皇は象徴になったんだ、象徴でしかないと強調している、こう述べておられます。  憲法第一条の意義はそのとおりですね。
  87. 大森政輔

    政府委員大森政輔君) 憲法第一条、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」、このように簡潔に規定しておりまして、この意味は、天皇は象徴である、戦前の帝国憲法時代のような統治権の総攬者ではないということと、その地位は主権の存する国民の総意に基づくという二つのことを規定しております。  したがいまして、先ほど参考人の意見を引用されましたけれども日本国憲法は象徴天皇制をとる、そしてそれは同時に国民主権主義をとるんだということを規定しているわけでございます。それ以上のものでもないし、それ以下のものでもございません。
  88. 阿部幸代

    阿部幸代君 つまり、主権者は国民であるということで、天皇制は絶対的なもの、不可変的なものではなく国民の総意により可変的なものとなったということです。これが学説上確立しています。ですから、憲法第一条というのは象徴天皇制をたたえる、そういう条項ではありませんね。
  89. 大森政輔

    政府委員大森政輔君) 第一条をごらんいただきましておわかりのとおり、象徴天皇制を採用するとともに、それは主権の存する日本国民の総意に基づくということを淡々と規定しているものでございます。
  90. 阿部幸代

    阿部幸代君 淡々と憲法を読めばそのとおりなんですけれども、今回の政府解釈、政府見解はどうなるかというと、現憲法下の君が代の「君」は、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことと。  しかし、君が代の「君」は、天皇だけれども象徴天皇とやることはできない。象徴天皇の国とすると、国政に関する権能を有しない象徴天皇が国を統治することになってしまいますから、政府答弁の中で象徴天皇の国ではないとおっしゃいました。  「「君が代」とは、「日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国」のこと」。君が代がいつの間にか我が国になってしまいました。  そして、君が代の歌詞も、今度は全体の意味です。
  91. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) 阿部君、時間が参っておりますから簡単に願います。
  92. 阿部幸代

    阿部幸代君 はい。「そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」と。「末永い繁栄と平和を祈念したもの」、これは憲法第一条に反すると私は思います。だからこそ、学問的な専門性や倫理を持つ先生たちが現場で悩むんです。
  93. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) 阿部君、時間が参っておりますから打ち切ってください。
  94. 阿部幸代

    阿部幸代君 こういうものを押しつけることは断じて認めることはできません。  私、本当に質問がもっともっといっぱいある。次の機会にやりたいと思います。
  95. 清水澄子

    清水澄子君 私の時間はたった十分しかございませんので、答弁の方も要領よく答えてください。  六月十一日の新聞に、日本語を専門に学ぶ北京大学など六大学の大学生に行った日の丸君が代法制化についてのアンケートの結果が出ておるわけですが、それには複数回答で、日の丸については九八%が侵略戦争をイメージする、八三%が天皇制をイメージする。君が代については九四%が天皇制と、それから八六%が侵略戦争の印象を持つと答えているわけです。  このアンケートの結果を官房長官はどのように受けとめられるでしょうか。
  96. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 今回の国旗国歌法制化の趣旨につきましては、既にたびたび答弁をいたしておりますように、二十一世紀を迎えることを一つの契機といたしまして、慣習法として定着している日の丸君が代を成文法で明確に規定するものでございまして、中国の青少年が御指摘のように今回の国旗国歌法制化を侵略戦争と結びつけて見ているとすれば、極めて残念なことだと考えております。  過去の歴史に関する政府考え方は、平成七年八月十五日の村山内閣総理大臣談話を基本といたしておりまして、我が国が過去の一時期に植民地支配と侵略によりまして多くの国々、とりわけ中国を初めとするアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受けとめ、これらに対する深い反省とおわびの気持ちに立って、世界の平和と繁栄に向かって力を尽くしていこうというものでございます。  政府といたしましては、今後とも、我が国国際社会の中でさらに尊敬されるべく、この地位にふさわしい責任を果たしていく所存でございます。
  97. 清水澄子

    清水澄子君 先日の参議院の本会議で、私は総理に、明治以降敗戦までの日の丸君が代が果たした歴史についての認識をお尋ねいたしました。  ところが総理は、昭和二十年八月十五日以前に起きたことは、それは歴史認識歴史観の問題として整理すべきであって、日の丸君が代はこれと区別して考えていくべきであると答弁されたわけでございますが、官房長官、これは内閣の統一した見解でありますか。
  98. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 過去の歴史国旗国歌法制化につきましては、総理の考え方と同様でございます。すなわち、昭和二十年八月十五日以前に起こりましたあの不幸な出来事に対する認識評価につきましては、歴史認識歴史観の問題といたしまして整理をするべきでございまして、日の丸君が代はこれとは区別をするべきだと考えております。  戦後五十四年を経まして我が国は今や平和と繁栄を享受する国になることができたわけでございますが、お説のように過去の一時期多くの国々の人々に対しまして多大な損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受けとめ、今後とも、我が国はもとより、世界の平和と繁栄に向かって力を尽くしてまいらなければならないと考えております。
  99. 清水澄子

    清水澄子君 私は、そこがやはり政府の、アジアの国々の人たち、それからさっきの中国の学生たちの意識に反映していることは、この人たちはみんな日本人が好き、日本が好きと答えています。ところが、日本政府は信用できないということもこのアンケートで多数出ているわけです。  そういう一つの一時期というふうにおっしゃっているにもかかわらず、それを区別して考えるというふうに切り離されるその考え方が、今後、教育上でもどういう形であらわれていくのか。そういう意味で、かつての歴史を私たちはやはり忘れてはいけないのだということを先ほどから何回も御答弁になりながら、ここではまた全く総理のこの区別するということを承認されている。これが内閣の意思、私は内閣が統一した見解ではないと思いましたけれども、きょうははっきりそれを伺いましたので、そういうことであれば、私は君が代日の丸というのは今後大変大きな問題を残していくということをここで改めて申し上げておきます。  そして、こういうことで、本当にこれは歴史を忘れ去るための方向に国民を誘導するものだと思いますし、このことで果たして次の世代に理想を説き、近隣諸国との友好を築くことができる、そういうふうに区別することがいいのだと区別して説明ができますか。長官、一言でお答えください。
  100. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 君が代やあるいは日の丸は千年を超える長い歴史の中からはぐくまれたものでございまして、そういう千年の間の一時期、明治以来我が国にとって約半世紀、大変不幸な事件がありました。このことは謙虚に反省をし、先ほど申し上げましたように、終戦五十年を迎えましたあの節目の村山内閣の時代における内閣総理大臣談話を基本といたしまして、これからも再び戦禍にまみゆることなく、あるいは戦争に加担することなく、我が国がより平和で、世界の平和にも貢献できるように国際国家としての責任を果たしてまいらなくてはならないと考えておる次第であります。
  101. 清水澄子

    清水澄子君 次に、官房長官、総理は君が代の「代」は本来時間的概念をあらわすものであり、転じて国をあらわす意味もあると答弁されております。  転じて国、国家という例示は、国会図書館にあるすべての辞書を調べましたけれども見当たりません。ただ、古語大辞典と広辞苑に「転じて、国。国家。」という例示が二つありますけれども、いずれも君が代の「代」ではありません。世の中の「世」を使っております。しかも、その言葉遣いは千年も前の王朝文学の中から例示を挙げているわけです。  政府としては、君が代の「君」を象徴天皇とされましたが、「代」をそのままにしておくと象徴天皇が治める時代になってしまうために、何としても「代」を我が国とか国民全体と説明しなければならなかったのではないでしょうか。この解釈は余りに時代のずれがあり、無理な解釈だと思います。そしてしかも、千年も前のそういう解釈を今ここで使わなければならない理由、またそれは学問上においても不適切だと思います。  政府は、このような無理な解釈を教育の場で子供たちにこれを政府見解であると教えなければいけないのか。そして、子供たちに信じ込ませ歌わせ、そしてそれに敬礼をさせることを教育と考えていらっしゃるのでしょうか。  また、これに疑問を持つ教師はきっと出るでしょう。生徒たちにも疑問を持つ者が出ると思うんです。そういう場合でも職務命令によって処分するということは、果たして民主主義の理念並びに憲法十九条の思想及び良心の自由の尊重と一致すると、そのように確信をお持ちでしょうか。  このことについて、官房長官、お答えください。
  102. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 君が代の「代」でございますが、一般的には時、時代意味しておりますし、時間的な概念でございますが、転じて国及び国家をあらわす意味理解をしておるわけでございます。したがって、君が代とは、その地位が日本国民の総意に基づく天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国と解することが適当であると考えるわけでございまして、委員が御指摘になりましたように、世界の「世」じゃなく「代」、君が代の「代」は、広辞苑におきましても「国。国家。また、その政治。時には政治的機関」というようにも書いておるわけでございまして、広辞林にもこれが書かれておるわけでございます。  私どもといたしましては、石垣議員の質問主意書に基づきまして、これを解釈し、政府の解釈として出させていただいた次第でありますし、また、今回法案を提出するに当たりまして政府見解を出させていただいた次第でございます。  ただ、これを国民がどのように理解をされていくかにつきましては、それぞれお一人お一人の内心にかかわる問題であるということは、累次申し上げてきたところでございます。
  103. 清水澄子

    清水澄子君 全然、質問答弁になっていないんですけれども。  文部大臣、これまでも、学校現場指導はするけれども強制はしないと答弁されてまいりました。現実における指導と強制の定義を明らかにしていただきたいのと、文部大臣は、強制から内心の自由を守るためにはどのような形で責任を持とうとされておられますか。その点の御決意を伺いたいと思います。
  104. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) やはり指導ということは教え導くということだと思っています。強制というのは無理強いをするということですね。そこに違いがあると思います。  今の御指摘の、学校において学習指導要領に基づいて具体的な教育課程を編成して、適切な教材を用いて児童生徒に必要な教育内容を教えることになっておりまして、児童生徒に必要な事項を教え指導することは、これは教え導くという形でやるわけでございまして、通常の指導方法で行われる場合にはいわゆる強制はないと私は信じております。  なお、いろいろな問題で勉強したくないというふうな子供には、やっぱりある程度厳しく教えていかなきゃならないと思います。私の経験ですと、難しいことはとても嫌がります。そういうときにはやはり単に軽い意味での指導だけではだめなんだと思うんです。そういう必要は時と場合によってはあると思います。しかし、原理的には、先生として生徒に対して愛情を持って教えていかなければならないと思っています。  具体的にそれじゃ、君が代国旗国歌の問題の場合でありますが、例えば歌を歌わすために無理やりに口をあけるとか、こういうのは強制に対応するので、これは絶対やっちゃいけない。それからまた、内申書というふうなところで、そこを詳しく、こういうふうなことであったというふうに、その子供にとってマイナスになるようなことは書くべきではないと考えております。
  105. 田名部匡省

    田名部匡省君 この議論をずっと伺っておって、私は十分しかありませんから、官房長官、大臣、私の考えていることを聞いていただいて、最後にお答えをいただければ結構です。  学者の方々とか学校現場、今もいろんな意見が出て分かれているわけですが、特に歴史家の方々は、国旗国歌の由来から始まって、一時期の悲しい問題を取り上げて、これを聞いていると、国民の側──私は、選挙区でいつもみんなにいろんな意見を聞くんです。そうすると、だんだんわからなくなってくるんです。何も考えずに歌っていた君が代あるいは国旗が、こんな議論をされると、もう根底からわからないと言うんです。私もそう思う。  特に、私は小学校のPTA会長、あるいは全国の学校法人の幼稚園の父母会の名誉会長をやっておったんですけれども、私の娘が中学校一年生のときに、今まで何ともなしに聞いておったんですが、この問題が起きてからいよいよ私もこれは大変だなというふうに思ったことは、学校で、どういう先生か知らぬが、教科書でなくて自分で何か書いたもので授業をして、そしてかつて中国はどうだった、韓国はどうだった、日本がこういうことをした、ねえ田名部さん、そうでしょうと、うちの娘に教室の中で言うというんですね。そして、沖縄も長い間アメリカの占領下に置かれてとかという話をする。  私は娘からそれを聞いて、何を言ったか全部書いてこいと言ったんです。そうしたら、娘はとうとう三日ぐらい学校へ行かなくなっちゃったんです。いじめというのは生徒同士であるかと思ったら、先生に言われてやられた。それで、作業のとき手袋を忘れていったら、親の顔が見たい、こう言ったというんです。そういう国会議員もおると、こういう話で、うちの女房もいささか頭にきていました。  そうしたら、家庭訪問だと来て、部屋だけ見せてくれと。家庭訪問というのは話をするじゃないですか、どうぞ部屋へ入ってお茶でもと、こう言ったら、コートを着たまま娘の部屋へ行って、茶の間にコートを着たまま入ってきて、テーブルのところへ寄らずに帰っていった。  そのとき、私はPTAの会議でも教育委員会にも言ったんですけれども、あの教室の中で何を教えられているかわからぬ、しかも親や子供に選択権を与えないというのはおかしいじゃないか、どの先生に習いたい、どの学校へ行きたいという選択権がないままという話を私はしたことがあるんですよ。今でもそうなんです。  その経緯としてこの問題が起きてきたら、では一体、親の期待のとおりの教育はどうされているんですか。嫌だと言う人もあるでしょう。私たちみたいにやっぱりちゃんとしてほしいと思う者の期待のとおり学校現場教育していないということは、一体どう解決していくのか。  きょう、孫が上京しています。小学校二年生、女の子です。この間は私のうちへ来て、ソファーに横になって君が代を歌っていた。昔なら、あなた、気合いものですよ。しかし、おまえ、この歌詞わかるのと言ったら、全然わからないと言う。どこで聞いたと言ったら、学校で音楽の本にあって教わっている、こう言っていました。  私は、そういうことを言いながらも、この法案は唐突に出たかなという感じがしないでもないんです。これは過去の歴史がずっとあって、世羅高校校長先生が自殺した、これは痛ましい事件だった。死ぬほどのことはなかったのになとは思うんですけれども、相当せっぱ詰まったんだろうと思うんです。そういうことで、一人の人が亡くなったという経緯の中で、亡くなったから法案を出すということになると、今後何かで一人亡くなったら法律をつくらなきゃならなくなったらどうしようかなと。そうでなくても、オウムの問題だとか暴走族なんかの問題も今や手つかずですよ。そういうものもどうするのかなという、これは率直な私の感じたことで、そう思ったんです。  それから、特に、学校教育指導の法的根拠だとかなんとか、今皆さんからお話があったような強制するのかしないのか、こういう議論が多いんですが、あたかも学校教育のために法制化するような感じに私は受けているんです。そうでないんでしょう、これ。国民全体の問題だと思うんですよ。特に小中高、小中高。これは文部大臣、じゃ大学はどうしているんですか。東大とか国立大学ではちゃんとこれをやっておるのかなと。  私は、自民党の国民運動本部長のときに──アメリカやヨーロッパへ行って国会議員の部屋へ行ってごらんなさいよ、それはでかい旗が立っていますよ、国旗が。日本ではないんです、国会議員すら。だから、私はあのときは、自民党にだけだったと思うんですが、小さなこのぐらいの旗を全部に配付したんです、せめてそのぐらいのことをされたらどうかというので。  国会議員すらこの程度の意識ですから。外国へ行ってみてごらんなさい、部屋に行ったら国旗が立っているでしょう。私はそういうことを見ておって、これは家庭あるいは職場や地域、団体の教育が大事だなと。  私はオリンピックに三回出ていますよ。二回が選手、監督が一回。世界選手権は二回が選手、三回が監督ですよ。どこへ行ったって、日の丸やその国の国旗を掲揚してごらんなさい、皆胸に手を当てて敬意を表してくれますよ。大会のときは勝ったときに上げる。  札幌オリンピックのときに私は監督でして、日本があのときは結構成績がよかったものですから、今の天皇、皇后両陛下もごらんいただいて、時間延長して最後までドイツとの試合をごらんになって拍手をしてくださった。そのときに国旗掲揚をするんですけれども、警察官がその下にいてべちゃべちゃぐちゃぐちゃしゃべっている。敬礼をするわけでもない。私は、責任者のところに行って、何ですか、世界じゅうから人が集まって日本国旗を掲揚しているときに旗の下で話をしているということはどういうわけですかと言ったことがあるんです。  国体だってそうでしょう。日本だけですよ、国旗を掲揚し、国歌を斉唱し、観衆の皆さん脱帽の上御起立くださいという放送をするのは。外国へ行ってごらんなさい、オリンピックだって世界選手権だって、国旗掲揚と言っただけで皆ぴっと立つでしょう。  この間、野茂が野球で、ダッグアウトのところで選手がずっと並んで、帽子を胸に当てて歌手が歌う歌に合わせてちゃんと敬意を表している。プロのアイスホッケーでも、カナダとアメリカの国旗を掲揚すると、出る選手がちゃんと並んで敬意を表する。子供たちまで日本の旗に敬意を表するんですよ。  ところが、日本は国体でもそうでしょう、脱帽の上御起立くださいと言っても、選手も帽子をとらない。歌うか歌わないかというのはオリンピックだって、ここにはオリンピック選手もいるけれども、歌っている選手もおれば歌っていない選手もどこの国にもいる。しかし、国旗だけには敬意を表することをきちっと教えている。恥ずかしいんですよ。  今、アジアではどうのこうのと。私はこの間タイのアジア大会へ行ってきました、開会式も。カンウォンの冬季アジア大会へも行った。国旗を上げたって拍手をして、あのマラソンで優勝した女子選手にそんな悪い感情を持っているとは思われないし、大体外国でどう言ったからこう言ったからという議論をすること自体もおかしいし、我が国は一体どうするんですかということでしょう。  だから、私はそういうことを見て感じておるのは、やっぱり国旗はすべての国民に敬意を表することを教えないと外国へ行っても恥をかきますよ、日本へ来たときも失礼になりますよということを感じているんですよ。  だから、君が代については歌っている人もおるし歌っていない人もある、強制しないというんだから。口をあけているかどうかを一々見て歩くわけではないから、教えることはぴしっと教えなさいと。  そして、いま一つは、これは──もうあと何分ありますか、委員長
  106. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) 時間が参っておりますので、おまとめをいただきますように。
  107. 田名部匡省

    田名部匡省君 はい、それじゃもう終わりましょう。  公聴会を開いても、各党の代表する人たちが来てそれぞれの話しかしないんですよ。世論調査をやったって、千五百人ぐらいにやって、いやこっちが多い、あっちが多いといってやっている。今度、直近の衆議院の選挙のときでも、投票するのと、これに賛成か反対かぐらいやらせてみたらどうでしょうかね。私はそう思うんです。憲法問題もやがて出てきますから、国民の合意しないものはできないんです。そのときは、今反対している方々ももうきちっと割り切って、悪いところがあればどこか直すとかというのはあるんでしょうけれども。  いずれにしても、国民の総意というものはどこにあるかといったって私どもにはわかりません。皆さん、わかりますか、わからないでしょう。一部の人のところだけはわかると私は思うんです。  時間だと言うからもう終わりますけれども、私の考えを聞いて、官房長官と大臣、それぞれどう思うかお答えいただきたい。
  108. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 田名部委員が長い経験を通し、かつオリンピックを初めとするスポーツマンとしてそれぞれの経験を通して今おっしゃいましたことは、私どもとしても十分踏まえて、今後、この法案を成立させていただきました暁は、これが十分理解をされ、そして長い歴史がはぐくんできた国旗国歌が、国民の中に敬意を持ち、他国の国旗に対してもあるいは国歌に対しても敬意を持つことのできる国民性が涵養されていくように一層努力をし、啓発をしていきたいと思う次第であります。
  109. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) 午前の質疑はこの程度にとどめます。  暫時休憩いたします。    午後零時十一分休憩      ─────・─────    午後三時四十一分開会    〔理事鴻池祥肇委員長席に着く〕
  110. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) ただいまから国旗及び国歌に関する特別委員会を再開いたします。  岩崎委員長から委員長辞任の申し出がございましたので、私が暫時委員長の職務を行います。  委員異動について御報告いたします。  田名部匡省君が委員辞任され、その補欠として山崎力君が選任されました。     ─────────────
  111. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) 委員長辞任の件についてお諮りいたします。  岩崎委員長から、文書をもって、都合により委員長辞任したい旨の申し出がございました。これを許可することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  112. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) 御異議ないと認めます。よって、辞任を許可することに決定いたしました。     ─────────────
  113. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) この際、委員異動について御報告いたします。  本日、岩崎純三君が委員辞任され、その補欠として岩井國臣君が選任されました。     ─────────────
  114. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) これより委員長補欠選任を行います。  つきましては、選任の方法はいかがいたしましょうか。
  115. 江田五月

    江田五月君 私は、委員長鴻池祥肇君を推薦することの動議を提出いたします。
  116. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) ただいまの江田君の動議に御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  117. 鴻池祥肇

    理事鴻池祥肇君) 御異議ないと認めます。よって、委員長に私、鴻池祥肇が選任されました。(拍手)     ─────────────
  118. 鴻池祥肇

    委員長鴻池祥肇君) 一言ごあいさつを申し上げます。  ただいま皆様方の御推挙によりまして委員長の重責を担うことになりました。  委員各位の御指導、御協力を賜り、公正かつ円満な委員会運営に努めてまいりたく存じますので、よろしくお願いを申し上げます。     ─────────────
  119. 鴻池祥肇

    委員長鴻池祥肇君) 理事補欠選任についてお諮りいたします。  現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。  理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  120. 鴻池祥肇

    委員長鴻池祥肇君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事岩井國臣君を指名いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時四十五分散会