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山本正和君 三十日の日から
質問いたしまして、三十日の日は私なりに序論を申し上げたつもりで、きょうは少し本論の手前ぐらいまで参ろうと思っております。
政府が
君が代に対する
見解をお示しになった。また、今若い
日本の
国民の皆さんやあるいは一般の
国民の皆さんの中にある
君が代に対する印象と私が持っている印象とは違うということをこの間申し上げたんです。
私
どもの世代が受けた
君が代というのは、どなたが今どんなことを言われようと、私
どもの心の中にしみついているのは
天皇陛下万歳の歌なんです、私
どもの心の中にあるのは。それはもうみんながそうだからそう
解釈しなさいと言われれば、ああそうかなと言わざるを得ないんだけれ
ども、心の中にあるのは、一たん緩急あれば義勇公に奉じ、本当に天壌無窮の皇恩に報いるんです。
天皇陛下の恩に報いるために命を捨てて戦います、
天皇の命令があればいかなるところにも行きますと、こういう中で歌った
天皇陛下万歳の歌が
君が代だった。これは私
どもの世代の共通した教育を受けたその気持ちだろうと私は思うんです。
しかし、それを今さら変えよと言われても、なかなか変わらないんです、私
どもは。
政府が
見解を出して、いや、
君が代というのは
日本国憲法第一条に基づく象徴たる
天皇、
国民主権の存在するその
天皇並びに
我が国の平和と安全を願う歌なんだと、こうおっしゃっても、ああそうですかとは言うけれ
ども、心の底では、つい我々が子供のときに歌った歌、あるいは成年に達したときの歌、あるいは私は戦争が負けてからまだ二年間中国におったですから、そのときに思った
自分の思いというのは、
君が代というのはどんなことがあっても、当時の大
日本帝国
憲法下のあらゆる法規を超えた
天皇、超越した存在として、神様なんですね、神様にささげる歌だった、私
どもにとっては。そのことはどんなことを言われてもぬぐえないんです。
〔
理事鴻池
祥肇君退席、
委員長着席〕
それがあって、そして私が申し上げたいのは、そういうことの中で、実は
天皇陛下の御意思じゃないんです、
天皇陛下の名前を使って
日本の
国民を大変な戦争の惨禍の中にほうり込んだ、あるいは思想弾圧をした、さまざまなその当時の
国民のいろんな要望というものを、要するに
自分たちの考えている国家像を実現するためにすべて排除した、そういう
時代が
我が国にはあったんです。そのことの思いが私
どもには非常に強いわけです。しかし、今や
日本はそんな国じゃありません。
日本国憲法のもとで、平和と民主主義の国だと、こう言っているんです。しかし、私
どもにはその思いがどうしてもぬぐえないんです。
しかも、その中で今私
どもが戦後五十年たって
日本の国はどうだったかと考えていきますと、いろんなことがあったけれ
ども、あの江戸幕府が開港して、そして明治以来、
日本の国が産業国家に、軍事国家になっていくために
国民を団結させなきゃいけない、
国民をきちっと統治しなきゃいけない、統治の手段として
天皇制が使われた、これは紛れもない事実だと私は思うんですね。しかし、それでは現代史で、近代史でそのことを書いてあるかと高校の教科書も中学の教科書も見てみたんだけれ
ども、何かさらさらさらと書いてあるんですよ。
そして、私は言いますけれ
ども、例えば先ほど部落解放同盟の話が出ましたが、なぜ部落が生まれたんだ、なぜいわれなき差別が生まれたんだということについても教科書の記述は必ずしも正確だと私は思わないんですね。
ですから、私
どもの世代からいえば、
君が代というのは
天皇の名をかりて
自分たちの描いた国家像をどうしても実現するために
国民に押しつけた中で歌われた歌だという思いがある。これはどうしても晴らせないんですね。そういう気持ちがあるんです。
しかし、この前、三十日からきょうにかけての官房
長官の
答弁の中で私はあれっと思ったことがある。それは、もし官房
長官がこの三十日からきょうにかけての
答弁のようなことを
提案の理由に真っ先に掲げて、
国旗・
国歌をみんなでつくりましょう、考えましょうという格好で
政府が本気になって訴えておったら、もしそれを十年前あるいは二十年前に訴えておったらもっと変わっただろうと私は思うんです。そこの問題なんです。
そして、特に官房
長官が言われた中で、私はそのことが、この
法案は正直言いまして
国会議員のもう三分の二ぐらいが賛成なんだから、通りそうだからやむを得ぬと私は思います。しかし、仮に通ったとしても、そのときの官房
長官の
答弁というものが、そして趣旨説明というものがきちっと生かされることを私は本当に心から思うんです。
それは何かというと、この
君が代にはさまざまな思いがある、またさまざまな歴史がある。そのことをきちんと教えて、しかし今新しい
日本国憲法下で
国民みんなが歌える歌は何かといったら、当面、
慣習法としてはあるけれ
ども君が代しかないので、これを
法律として明定するんだと。その
部分、要するに
君が代にはさまざまなことがあるということを抜きにして言ったら私は話にならないと思う。さまざまな歴史がある、さまざまな思いがある。しかし、それを超えて、
日本国憲法下の新しい
日本の国の歌として、今当面ない、しかも
法律に明定されていないことから起こる混乱があった、それを混乱を避けるために現在歌われている歌、これをきちんと教えて、そして
国歌として新しく
政府は
提案いたします、こういう
提案なら私はもっと違うと思うんです、最初の受けとめ方が。
しかし、今度の
提案の経過を見ておって私が心配するのは、恐らく官房
長官がここで
答弁されたことと、そして
政府が
提案されたあの経過というものから見ると、ちょっとがっちりかまないんですね。これは総理が来たときに総理に聞きたかったんですけれ
ども、小渕総理は、
日本の国は
国旗・
国歌を
法律で明定しなきゃいけない、その信念に立ってこれを
提案したんですかということを私は聞きたかったんです、本当は。総理が来られたら私は聞きますけれ
ども、なぜ今
我が国が二十一世紀を控えて
国旗・
国歌を
法制化しなきゃいけないんだ、そのことを
国民にわかりやすくきちっと説明する、そこがあったんだろうかというのを私は非常につらく思うんです。これは本論に入る手前の序文でちょっと申し上げておいて、そして今から
文部省に
質問していきたいと思うんです。
まず
冒頭、きょうの馳
委員や
山本委員の御
質問の中に、本当の
意味でさまざまな真実の問題があったと思う。
それからもう
一つ言いますと、
自分がもしも
小学校の
先生ならばどうするか。
文部大臣は東大の総長であり東大の教授も長い間しておられた。外国の学生も教えられた。そしてまさに、国際的に言えば大変な学者です。研究者です。すばらしい論文もお書きになっている。しかし、
小学校や幼稚園の子供に
自分が教えるときにどう教えるかということを
文部大臣は考えなきゃいけない。今は
文部大臣ですから、東大の総長と違うんですから。
となると、
小学校一年生の子供に、あるいは
小学校四年生の子供にみんなで
君が代を歌おうな、こう教える。そうすると、おじいちゃん、
君が代って、こう聞かれますね。聞かれたら、おじいちゃんはこう思うと言わざるを得ない。おじいちゃんの思い出はこうなんだよ、ああなんだよと仮に言ったとします。そうすると、そんな大変な歌だったらおじいちゃん歌うのやめたらどうなのと子供に聞かれたら、どう返事していいか。この問題があるんです。
それから、もっと言えば、なぜこんなに
君が代が定着したかというと、定着の最大の理由は私は東京オリンピックだと思う。それから大相撲です、
君が代が定着したのは。それからもう
一つ言うと、あの黒い服を着た右翼と称する若い諸君が走り回っている。
君が代をばんばん鳴らしながら町を走り回っています、戦後ずっと。ですから、
君が代というものに対する印象はいろいろあるけれ
ども、子供に
君が代をどう教えるか。ところが、これは有馬
文部大臣になるまでの歴代
文部大臣の方もずっと苦労されたと思うんだけれ
ども、
学校で子供に何を教えていたかといったら、
君が代は
国歌ですから歌いましょう、
日の丸は
国旗ですから掲げましょう、それしか教えていないんです。
日の丸というのは、実は私も私なりに物すごく感激するんです。涙が出るぐらいうれしい、
日の丸は。それでまた
日本の国の、沖縄から黒潮列島、ずっと海岸部あるいは
日本海へ行っても太陽信仰というのがたくさんあるんです。
日の丸と同じような感じのあのすばらしい、そういう先祖から何千年も続いてきている、お参りする者がたくさんいる。だから、
日の丸というのは本当に
日本民族そのものをあらわしてすばらしいと私は思う。いやでも応でも
日本人だなと何となくぴんと感じるものがある。そういう中で
日の丸というものを教えるのは教えやすいと思う。
では、
君が代はどう教えるかといったら難しいんですよ。しかし、先ほどの馳
先生のお話を聞いておって思ったんです、ああ、今の
時代はこうなのかなと。
古今和歌集にこうなっている、この歌はこんなに平和な愛の歌だ、人が愛し合うすばらしい歌だ、こういうふうに受けとめている
国民の人もたくさんおるよと。ああ、それは我々の
時代とは違うなと。しかし、それが多数ならそれでいいんですよ。それならば、その
古今和歌集の歌を、本当にすばらしい平和の歌ですから
国歌としましょうという
提案ならこれはこれでわかるんです。しかし、それをしゃにむに
天皇と結びつけて
解釈しようとする。しかも、それを
憲法第一条を持ってきてしゃにむに理屈をつけようとするんです。
だけれ
ども、それじゃと私は言うんです。先ほど
山本先生からも御
質問がありました。例えば高等
学校の
国語の
授業で
古今和歌集で
君が代が出てきた。
解釈をします。
政府の
解釈をしたらマルで、
国語的
解釈をしたらペケになったらこれは大変なことになる。そうでしょう。
文部大臣は、
両方あります、どちらも正解ですと言われた。そうすると、どちらも正解ならいいけれ
ども、例えば東大の入学試験問題にこれを出した、
両方マルにすると。大丈夫かな、しかしそれは。いずれにしろ、教える立場からいったら大変な苦労があるわけです。
そして、なぜ
君が代が今まで来なかったかといったら、戦争に負けて我々はおんぼろの復員服で帰ってきた。私は二年後に帰ってきましたが、上野の池之端へ行ったら復員の学生学徒のたまり場がある。そこへ行った。もうみんなむちゃくちゃですよ。しかし、もう戦争は絶対嫌だなという気持ちだけはみんな共通していたんです。その中から戦後復興が始まった。そのときには
君が代もへったくれもないです、食べ物がないんだから。しゃにむに働いた。
しかし、考えてみたら、そのときに国家とは何か、国とは何か、
日本の国という場合にはどんな国なんだということを本当はあのときに我々が
議論しなきゃいけなかった。それをせずに食べ物を追って、とにかく食えるようになろう、何とか電気をつけるようにしようとむちゃくちゃやったわけです。その我々がサボったことが今
学校現場で苦しみを生んでおる。物すごく私はつらいんですよ。
そこで、今度は
文部大臣にここから
質問なんです。
文部大臣は、本当の話、仮にこの
法案が通った場合に、
学校現場でどう
君が代を教えるか。真実というものを無視した教育はないんです。歴史的経過を無視して
部分だけ教えるというのは教育じゃないんです。ですから、
君が代を教えるに当たって、
文部省としては、仮に
法律が通った場合、
学校では
君が代の扱いは
国語でもきちんとやるのか、
社会科でもきちんとやるのか、近現代史を含めて。そのことをまずお聞きしておきたい。