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1999-07-30 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年七月三十日(金曜日)    午前九時一分開会     ─────────────    委員異動  七月二十九日     辞任         補欠選任      阿部 幸代君     山下 芳生君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         岩崎 純三君     理 事                 鴻池 祥肇君                 溝手 顕正君                 江田 五月君                 森本 晃司君                 笠井  亮君     委 員                 市川 一朗君                 景山俊太郎君                 亀井 郁夫君                 中川 義雄君                 南野知惠子君                 橋本 聖子君                 馳   浩君                 森田 次夫君                 足立 良平君                 石田 美栄君                 江本 孟紀君                 竹村 泰子君                 本岡 昭次君                 松 あきら君                 山下 栄一君                 山下 芳生君                 山本 正和君                 扇  千景君                 山崎  力君    国務大臣        文部大臣     有馬 朗人君        国務大臣        (内閣官房長官) 野中 広務君    政府委員        内閣官房内閣内        政審議室長        兼内閣総理大臣        官房内政審議室        長        竹島 一彦君        内閣法制局長官  大森 政輔君        内閣法制局第二        部長       宮崎 礼壹君        内閣総理大臣官        房審議官     佐藤 正紀君        法務省刑事局長  松尾 邦弘君        外務省アジア局        長事務代理    樽井 澄夫君        文部大臣官房長  小野 元之君        文部省初等中等        教育局長     御手洗 康君        文部省教育助成        局長       矢野 重典君        文部省高等教育        局長       佐々木正峰君        文部省体育局長  遠藤 昭雄君        文化庁次長    近藤 信司君    事務局側        常任委員会専門        員        志村 昌俊君        常任委員会専門        員        巻端 俊兒君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国旗及び国歌に関する法律案内閣提出、衆議  院送付) ○委員派遣承認要求に関する件 ○参考人出席要求に関する件     ─────────────
  2. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) ただいまから国旗及び国歌に関する特別委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日、阿部幸代君が委員を辞任され、その補欠として山下芳生君が選任されました。     ─────────────
  3. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 国旗及び国歌に関する法律案を議題といたします。  本案趣旨説明は既に聴取しておりますので、これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  4. 南野知惠子

    南野知惠子君 自由民主党の南野知惠子でございます。  日本人の一人といたしまして、君が代日章旗には大きな愛着を感じております。本日も赤と白の日章旗の姿で参りました。  これは日章旗イメージでございますが、私は幼いころに満州で生活いたしました。そのころ父母が教えてくれた歌がございます。私の大好きな歌であり、満州の異国の地で日本をしのびながら歌った、口ずさんだ歌でございます。「白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしい 日本の旗は」という歌詞日の丸という歌がございます。  この歌は日章旗のすばらしさを端的にあらわしていると思いますが、この歌につきまして、文部大臣及び官房長官の御感想をお伺いいたします。
  5. 野中広務

    国務大臣野中広務君) ただいま南野委員から、幼少のころより我が国国旗について歌われてまいりました「白地に赤く 日の丸染めて」という歌詞をそのまま口ずさんで、お聞きをいたしました。私も幼少のころを思い起こしながら感慨新たなものがあるわけでございます。  今おっしゃいましたように、私もまことに簡潔にかつ端的に日章旗の旗の美しさを表現した歌であると考えておるところでございます。また、私としては、我が国国旗である日章旗に、シンプルかつ印象的なデザインであることを誇り思い世界誇り得る日章旗であると考えておるところでございます。
  6. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) まず、極めて短い楽曲でございますが、日章旗イメージを的確に歌い上げていて、しかもリズムの点で大変歌いやすいと思います。小学生にとっても無理なく歌えるところから、極めて親しみやすい歌であると考えております。  私自身も、小学校に入りましてすぐにこの歌を勉強いたしまして、その後、親しんでいるところでございます。
  7. 南野知惠子

    南野知惠子君 ただいまはもう半世紀を過ぎておりまして、今、私どもは新しい世紀に向かって歩み出そうといたしております。  私は、満州で生まれました。昭和二十一年、十歳のときに引き揚げてまいりましたが、まだ子供のころではございました。日本の土を踏み締めましたときに、ああ、ここが私の祖国なのかと心の底から込み上げてくるものがございました。数々の苦しみ、数々の喜びが満州時代思い出として浮かんでまいります。  また、古事記に、ヤマトタケルノミコトが東征の帰路、鈴鹿近くの能褒野の地で大和の国を思って歌った歌がございます。「大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和し美し」という歌でございます。私は、「大和し美し」という言葉に万感の思いを感じるものでございます。大和は今は日本ととらえることができます。日本が、国民国土も麗しく、そして世界の人々から尊敬される国として一層の発展を祈念するものでございます。  終戦直後のことを思い起こしますと、ビルが建ち並び車が行き交う現在の繁栄、平和で豊かな日本は、まさに当時からすれば夢のようでございます。明治以降、我が国欧米目標にその文物を取り入れ、国力を充実させるとともに、国民が豊かに暮らせるよう国を挙げて努力してまいりました。昭和三十年代からの驚くべき経済成長によって日本経済大国と言われるようになり、明治以来追い求めていた目標が達成されたのでございます。  しかし、次の目標がどこにあるのか、お手本がなくなった中で、私たち自身日本のあり方を、日本の進むべき道をつくり出していかなければならない時代になってきております。そのためには、日本国家としてのアイデンティティーをもう一度見詰め直す必要があるのではないでしょうか。また、経済中心的な物の考え方から、日本の精神的、文化的側面を尊重する考え方に少しは転換していってもいいのではないか、またその必要があるのではないかと思っております。  その意味で、二十一世紀を迎えようとする変革期の今このときに本法律案が提案されましたことは、日本にとりましてまことに意義深いものがあると考えております。提案理由の中で「二十一世紀を迎えることを一つ契機として、」との御説明がございましたが、我が国の戦後の歩みと二十一世紀におけるあるべき姿などを踏まえまして、本法律案意義についてもう少しお尋ねしてみたいと思っております。  私は、国家というものを正しく理解していれば、おのずから国旗掲揚の場においては姿勢を正すことができる、習っていれば国歌斉唱の場合においては歌うことができると考えております。  我が国にはこれまで、国家国民を対立するものととらえたり、国家国民を苦しめるもの、抑圧するものであるというような考え方が一部に根強くあったような気がいたします。そして、このことが国旗国歌に対する自然な感情の発露を妨げていたのではないかと思います。しかし、このような考え方は非常に古い、言うなれば誤った国家観であり、現代の議会制民主主義国家におきましては全く合わない考え方ではないかと思っております。国家は、議会における代表者を通じて行動する国民共同体であると考えております。  米国のケネディ大統領就任演説でおっしゃっております。国家諸君のために何をしてくれるのかを問わず、諸君国家のために何をなし得るかを問いたまえと国民に訴えられておりますが、国家国民共同体であると考えればこれは当然のことであろうかと思います。  国旗国歌考えますときに、国、国家とは何か、どのようなものであるのかということがその根底にあると考えます。国、国家をどのようにお考えになるのか、官房長官にその御認識をお伺いいたします。
  8. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 国、国家は、ただいまも委員から御指摘がございましたが、国民生活の最も基礎的な要素であると考えておるところでございまして、広辞苑によりましても、近代以降では通常、領土、人民、主権がその概念の三要素とされておるところでございます。  また、国家にとりまして国旗国歌は、その象徴としての認識を有するまことに重要なものと考えておるところでございまして、国旗は国の印とする旗であり、国家象徴する標識であるということを広辞苑も定めておりますし、また国歌は、国家的祭典国際的行事国民及び国家を代表するものとして歌われるということが言われております。  私ども、それぞれ国旗国歌は、今申し上げましたようにその象徴としての認識を有するまことに重要なものであると認識をしておるところでございます。
  9. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。  私は、昭和三十八年、当時の最先端の助産婦教育を受けるためにイギリスに留学してまいりました。当時、出発に際して友達からは、どうして敵国に行くのなどということを問われたこともございました。  私が留学しておりました病院には、日本人は私一人しかおりませんでした。そのころは、終戦から約二十年近くが経過していたとはいえ、我が国に対し好ましくない感情をお持ちの方が少なくないという時代ではございました。しかしながら、私は日本人であるということを理由に差別を受けたことはございません。ただし、人と出会いますときに、ロンドンにはわずかな日本人しかおられませんでしたので、いつも、あなたはチャイニーズかと聞かれたことはございます。  当時、留学先病院には世界の各国から人種や文化が異なる留学生仲間が集まってきておりましたが、みんなお互いの国を尊重し、みんなが自分の国を誇りとしておりました。そのとき私は、人間として一番重要なものは何かということを知ることができたように思います。それは、自分が属する国家誇りを持つことであり、またそれが、ひいては自分にも誇りを感じさせるものにつながっていっているということでございます。思い返してみますと、当時、みんなが自分の国について語るときは胸を張り目を輝かせていたことを思い出します。また、その人の話を聞く者も真剣に耳を傾けておりました。言ってみれば、こういうことは当たり前のことだと思っております。  私は、国際社会一員として必要なものは何かということを理解していたつもりではございましたけれども、そのとき、その認識を新たなものとして感じた次第でございます。この経験が、今ここに立っております国会議員としての立場でもそのもとになっているのは間違いないと、自分自身、心の中で誓っております。  ここで私が申し上げたいことは、終戦時において我が日本について抱いていたもの、そしてイギリスにおいて知ったこと、これが現在の我が国にあるのかなという思いでございます。自分の国を誇りと思えない人が他国を敬うことができるはずもないと思っております。戦後の我が国は、この、自分の国に誇りを持つ、自信を持つ、また日本人としての自信誇りを持つということについて、このような国民的気風をはぐくむことについて欠けるところがあったのではないかなと感じているところでございます。  この点につきまして、官房長官文部大臣、お考えをお伺いしたいと思っております。
  10. 野中広務

    国務大臣野中広務君) みずからの国に誇りを持つということは真の愛国心とも相通ずるところがあると理解をするところでございまして、委員指摘のように、私も、最近我が国ではみずからはぐくまれてきたこの国に誇りを持つことが残念ながら徐々に薄らいできたのではないかと深刻に考えておる一人であります。自国誇りを持つ心は、家庭地域を初め、学校での教育の中などで醸成されるものでございまして、大切な財産として次の世代に引き継いでいかなくてはならない我々の責任だと考えておるところでございます。  今回の国旗国歌法制化は、自国誇りを持つ心の涵養などとは直接関係するものではないわけでございますが、私としては、自国誇りを持つこととは、我が国国土歴史文化や伝統などをよく理解し、これらに誇りを持つことではないかと考えておるところでございます。また、このような自国誇りを持つ心をはぐくむことが、将来の日本の国や社会発展を願う心につながるものでなかろうかと考えておるところでございます。
  11. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私も、ちょうど先生イギリスにいらっしゃったころアメリカに参りまして、それ以後、外国から日本を見直すという立場をずっととってまいりました。何回となく私は、アメリカ及びヨーロッパで、アメリカの場合は終身雇用をされましたし、ヨーロッパの国からは招待を受けたことがございますが、常に断って日本に戻ってまいりました。その理由は、日本文化というのは極めてすぐれているということが一つでございます。それに、私自身外国にいて初めて日本のよさをしみじみと悟ったということもありますけれども、日本のよさがある、これは明らかでございます。  そういう意味で、今の日本のさまざまな面で自信を喪失しているということは先生指摘のとおりでございますけれども、文化において、科学技術において、そしてまたこのように長く平和を保ってきている国、こういう我が日本というものに対する自信を我々は持たなければならないと思っております。私は、非常に日本人はすぐれていると思う。独創性がないということをしばしば言われますけれども、そんなことはない、極めて独創性はある国民でございます。  そういう意味で、さらに教育においてこういう我が国の持っているよさということを教えるべきだと思っておりますし、地域社会を愛する、家庭を愛するというふうな気持ちをさらに一層あらゆる手段を使って教育していかなければならないと思っています。その中に当然、自分の国を愛するということがあると思っております。
  12. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。  官房長官文部大臣とも自信をお持ちになって日本の国をリードしていっていただきたい、二十一世紀に向けての大きなかけ橋を先生方の手で、リーダーとしての役割をお果たしいただきたいと願うものでございます。  日の丸君が代は、我が国国旗国歌として国民の間に広く定着していると私は考えるものでありますが、あえて国旗国歌法制化する理由について、その趣旨について、官房長官、よろしくお答えいただきたいと思います。
  13. 野中広務

    国務大臣野中広務君) ただいま委員からも御指摘ございましたように、我が国日の丸君が代が、長年の慣行によりましてそれぞれ国旗国歌といたしまして国民の間に広く定着をしていることは委員指摘のとおりでございます。  二十一世紀を迎えることを一つ契機といたしまして、成文法によりその根拠を明確に規定することが必要であるという認識を持ちまして、このたび法制化を行うこととしたわけでございます。
  14. 南野知惠子

    南野知惠子君 本法案につきましては、一点気になるところがございます。  官房長官に再度御答弁いただきたいと思いますが、本法案は、「国旗及び国歌に関する法律案」とされております。「関する」という言葉が入っていることでございます。例えば、教育基本ということにつきましては教育基本法でありますし、児童福祉に関しましては児童福祉法元号につきましても明確に元号法となっておりますが、「関する」という文言が入っていることによって少しぼやけるのではないかと思ったり、明確さを欠く印象を受けるのでございますが、本案は、第一条で国旗について、第二条で国歌について定めた国旗国歌そのもの法律であると思っております。  憲法附属の国の基本に関する重要な法案であります。明確に国旗国歌法とする方が適切ではなかったのではないでしょうかと思いますが、立法技術上の問題とも考えられます。なぜ国旗国歌法案となさらなかったのか、その理由についてお伺い申し上げます。
  15. 竹島一彦

    政府委員竹島一彦君) 法律作成上の技術的な面も御指摘のとおりございます。要すれば、国旗及び国歌、その二つのことについて定めさせていただく法律でございますので、当たり前のことを御答弁申し上げているようでございますけれども、このような法律の名前にさせていただいたわけでございます。  もしも国旗国歌法となりますと、何か国旗国歌というものがまた複合した一つ言葉というようなことにもなりかねませんので、あくまでも二つということで分けてこのような法律名にさせていただいたというだけでございます。  ただ、実際は報道の面でも国旗国歌法案ということで報ぜられておりまして、通称といいますか、そういう意味では国旗国歌法案と言っていただいて何ら内容的にも差しさわりがないというふうに考えております。
  16. 南野知惠子

    南野知惠子君 よくわかりました。ありがとうございました。  この法律案におきまして、義務づけまたは尊重規定を盛り込まれなかった理由についてもお示しいただきたいと思います。
  17. 野中広務

    国務大臣野中広務君) このたびの法案国旗国歌法制化趣旨は、先ほども申し上げましたように、日の丸君が代が長年の慣行によりましてそれぞれ国旗国歌といたしまして国民の間に広く定着していることを踏まえまして、二十一世紀を迎えるに当たりまして、一つ契機といたしまして、成文法によりまして根拠を明確に規定することが必要であると認識をしたところでございまして、国旗国歌の義務づけや尊重規定を織り込むことは適当でないと判断をしたところでございます。
  18. 南野知惠子

    南野知惠子君 よくその御趣旨を体しながら、法案成立後、またさらに我々の頑張りというもの、または周知徹底ということも必要になってくるのかなと思っております。  日の丸君が代が過去の日本戦争シンボルであり忌まわしい記憶と結びついている、日本国旗国歌にふさわしくないのではないか、そのように思っておられる意見国民の一部にはございます。  どこの国におきましても、その歴史には光の部分と影の部分があると私は思っております。日の丸君が代我が国の過去の栄光とともに不幸な歴史を背負ってきたことは否定することはできないわけでありますが、しかし、過去に不幸な戦争があったからといっても、それは日の丸君が代が悪い、日の丸の旗、君が代のせいではないと私は思っておるわけでございます。  明治維新から昭和二十年の終戦までの我が国歴史は、欧米列強諸国に追いつき追い越せ、いわゆる富国強兵と言われる背伸びした国の方針のもとに何回も対外的な大きな戦争を行い、アジア諸国に御迷惑をかけたことは事実であろうかと思っておりますが、それでも今現在、平和なときの方をはるかに長く経験いたしております。また、戦後は、現在まで五十四年の長きにわたり、二度と戦争は起こさない、そのような反省と決意の上に我が国平和国家としての道を歩いております。これは大きな声で諸外国に申し上げることができると思っております。日本はいかなることがあっても二度と戦争は起こさない、特に我々女性は起こさせてなるものかと思っているところでございます。  平成五年二月には、カンボジアPKO通信関係医療関係視察に行かせていただきました。平和のために赴いておられるPKO方々の激励と同時に、カンボジアの友好というところを大きなポイントにされておられるかと思いますが、カンボジア視察は、野中官房長官のお供として、私がまだ議員生活ぺいぺいのころにお供させていただいた経験がございます。自民党派遣でございました。  そのとき、これからの日本国際社会一員として果たさなければならない役割について痛感いたしました。そのときの野中長官の御活躍ぶり外交ぶりは今でも目に焼きついております。日本橋のたもとでどのような御感想であったか、今また日本橋が話題になっておりますが、我が国役割ということも野中長官の胸にはひしひしとあると思います。また、通信の問題についても、野中官房長官の主たるトップのお役目でございますので、そのようなことについても思い入れが多かったのであろうかと思っております。  たまたまそこに行きましたときに、日本の国ではございませんが、よそのPKOの方にエイズが発生した、一人発見できたという悲しい出来事も体験いたしました。それは私、看護婦としての大きな痛手でありました。  また、清潔な場所で生命の誕生を迎えたいと願うベトナム仲間がおります。その方々母子保健の向上を目指すため、私はベトナム助産婦協会の設立を支援してまいりました。今、大きな活躍を彼女たちが全土にわたって行ってくれております。  また、クロアチアの戦いの後にも、これは日本関係のない欧州のことなのにと言われることはございますが、クロアチアの戦後に、五つの爆破された小学校の修復を、または里子の支援をボランティアとしてさせていただきました。  多くの感謝をいただいているところでありますが、感謝のためにしたのではないわけでございます。日本の顔が見えること、平和を願う我々としてどのように日の丸を印象づけられるのか、日本の国の顔を見させていけるのかというのが本心でございます。  今、自民党では、コソボ難民支援日本の顔が見えるよう、日章旗イメージが伝わるよう、援助に取り組んでおります。いつまでも日の丸君が代を過去の戦争記憶と結びつけて、忌まわしいもの、嫌いなもの、敵対するもの、それは日本の旗じゃないと思う人たちがおられるとすれば、また論じられるのであれば、ある意味日本の戦後の歩みを否定した時代錯誤的な議論ではないかと私は思います。そのようなものにとらわれず、これから先果たしていかなければならないアジアリーダーとしての役割があるのではないかと私は感じております。アジアは我々の仲間人たちでございます。我々の兄弟であろうかと思っております。  ここで官房長官にお伺いいたしますが、残念ながらまだ国民の一部に君が代日の丸に対する戦争シンボル論というのがあろうかと思います。それと、戦後の我が国が歩いてきた平和国家としての歴史をどう評価されておられるのか、これは官房長官文部大臣の両者から、もしよろしければコメントをいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
  19. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 委員からただいま、さまざまな戦中戦後の経験を通されまして我が国の歩んできた道筋を御意見としてお話しになり、かつ、ちょうど八年前になりますか、カンボジアPKO活動視察のためにかの地を訪れた際のお話を聞きながら感慨新たなものがあるわけでございます。  委員が御指摘になりましたように、ことしは一九九九年、まさに一九〇〇年代の最後の年であります。このときに私どもは、この一九〇〇年代という百年間が一体どんな年であったのかを反省し、検証していかなくてはならないと思うわけでございます。  前半の半世紀は、いわゆる五十年は、委員が御指摘になりましたように、明治維新の歩みの中から、我が国は一方において西洋文明を大胆に受け入れ近代国家の建設を目指してはまいりましたけれども、一方において残念ながら富国強兵への道を歩んでしまいました。そして、その五十年間を振り返ってみますと、折に触れて、日清、日露を初めとして第二次世界大戦に至る間、景気が悪くなれば戦争という手段に訴えてきたのではなかろうかとさえ思うような状況がございました。戦争に敗れて、食べるものも着るものも働く場所もなくなった中から、多くの戦争による犠牲者の上に今日の平和を享受することができてまいりました。  けれども、過去のこの半世紀歩みの中に、国家を否定し、あるいは国旗国歌を否定することが新しい国づくりかのような、新しい教育かのような、そして祖国を徹底して悪く印象づけることがすなわちその国の革命への早道であるかのごとき錯覚をするような、そんな動きが残念ながらあったことも否めないと思うのでありますけれども、我が国国民は、たくましくあの廃墟の中から立ち上がって近代国家をつくってき、そして平和憲法のもと、我々はこの五十四年間一度の戦渦にまみゆることもなく、戦争に手を出すこともなく、平和を享受することができてまいりました。  この五十年の歩みを私どもは大切にし、来るべき二十一世紀という新しい世紀が、この国を限りなく愛し、そして家族や地域社会をお互いにいたわり合い愛し合う、そういう中に国家が存在するということを考え、そういう中に私どもの象徴である日の丸君が代というものを成文化することによって、我が国の新しい世紀へのスタートにしなければならないと痛感をした次第であります。  まさにカンボジアに参りましたときに、通信手段が悪かったこと、医療手段が悪かったこと、あるいは同じ民族が同じ民族でありながら相戦い、そして虐殺し、拷問し、あの虐殺記念館を眺めたときに私どもは改めて戦争の罪過の恐ろしさを知ったわけであります。また、あのとうといPKO活動やボランティア活動によって、私どもが帰りました直後に高田警視やあるいは中田青年が亡くなった犠牲を思い、七回忌を契機にして高田警視のお父さんが自殺をされたという報告を私ども受けまして、まさに傷跡はまだいえていない、そういう中で、とうとい犠牲があったことを思いながら、アジアの皆さんとともにこれからの平和を構築していかなくてはならないと改めて私どもは認識を強くした次第でございます。
  20. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 先生おっしゃられたとおりでございましたし、今、官房長官がお答えになられたとおりのことを私も考えております。  やはり戦争ということは大変いけなかったと私は思っております。いろんな理由はあったと思いますが、あらゆる手段を尽くして、一種の理想論かもしれませんが、戦争を避けるべきであったと今思っておりますが、起こってしまった事実ということはきちっと厳粛に受けとめていかなければならないと思っています。そして、今後絶対戦争というものをこのアジア地区で起こすべきではないと、こう考えております。そして、特にいろいろ戦争中に御迷惑をかけたアジア諸国日本と共存共栄の道を歩んでいかなければならないと強く思っておりまして、私自身も多くのアジア諸国の留学生諸君を育てるという上で大変な努力をさせていただいてまいりました。  そういう戦前の不幸な歴史があったことは事実でございますけれども、それは国旗国歌が問題であってそうなったわけではないということを私は強く認識している次第でございます。そういう意味で、今度この法案によりまして、もう既に慣習法として皆さんに認められていると私は信じているわけでありますが、より一層はっきりと国旗国歌成文法として定義されることは極めて将来にとっていいことだと私は思っております。
  21. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。大臣のお答えをお聞きしながら、私もその思いを深くした一人でございます。  次は、皆様方のお手元に用紙を一枚配らせていただきましたが、有馬文部大臣のところにもございますでしょうか。  各国の国歌歌詞を見てみますと、戦争をたたえるような内容が多いように見受けられますが、これに比べまして君が代歌詞は、穏やかな国の発展を願うものであると思っております。平和を愛する日本国民にふさわしい内容ではないでしょうか。  また、君が代歌詞は、明治二十六年八月に官報に告示された君が代は一番だけであります。しかし、明治二十四年十二月の通牒を受けて編まれた大祭祝日唱歌集などに見られますものでは、明治二十六年八月の官報告示まで命脈を保っております儀式用の唱歌集には、君が代歌詞は三番まで掲載されております。また小学唱歌集初編には、記載されている君が代は二番まででございます。  お手元の資料にお配りしました日本のところには三番まで書かせていただきました。ともにすてきな歌詞であろうかと思っております。例えば、イギリス国歌は三番まででございます。スイスの国歌は四番までございます。ドイツは三番までございましたが、一番、二番は文言が厳しいということで三番のみにして、今それだけを歌うようになっております。  このような例を見ますと、我が国におきましても、歌詞は二番、三番まであってもおかしくはないのでしょうかといういろいろな御意見がございます。また、多くの意見の中には、二番、三番を公募してもいいのではないかというような意見もございました。私は、かつて君が代の二番、三番と言われた歌詞を拝見いたしましたが、現行の君が代歌詞に劣らずともすばらしいものであろうかと思います。  君が代歌詞についての御感想と、今回の法制化で一番のみにした理由についてお伺い申し上げます。官房長官、よろしくお願いします。
  22. 野中広務

    国務大臣野中広務君) ただいま委員からもお話がございましたように、各国のそれぞれの国歌はそれぞれの国の歴史や伝統や国民性などに由来するものでございまして、それを象徴する歌詞を有しておるものと理解しておるところでございます。  一般的には、委員が今御指摘になりましたように、外敵に対する戦いや独立などに関する勇壮な歌、あるいは国民の士気を鼓舞する歌が多うございます。これに比べますと、今御指摘ございましたように、我が国国歌君が代は古歌に由来するものでございまして、悠久の時間の中で国の繁栄を祈る極めて平和的な歌で、まさに我が国国歌としてふさわしいものであると受けとめておるところでございます。  二番、三番の問題等につきましては、過去の経緯もございますので、政府委員からお答えをさせていただきます。
  23. 竹島一彦

    政府委員竹島一彦君) 君が代の二番、三番のことでございますけれども、私どもが持っております資料によりますと、明治十五年、文部省が編さんいたしました小学唱歌集初編というものがございまして、その中における君が代は二番まであったということで、その資料も残っております。いずれにしましても、その昔は古歌でございまして、広く民衆の間で親しまれ、歌われてきたものでございまして、若干ずつ歌詞が違ったり、いろいろなものが存在するということは言われておりますし、その一部については資料としてあるわけでございます。  しかしながら、文部省の明治十五年の小学唱歌集初編も約十年ぐらいで使われなくなりまして、私どもが今回の君が代というものの原点は、明治二十六年、同じ文部省の告示によりまして、君が代を、小学校において祝日大祭日に儀式を行う際には今のいわゆる一番といいますか、一番しかないのでございますが、その歌詞及び曲とするということが告示として示されておりますが、これが我が国君が代歌詞である。すなわち、これも長い年月がたっておりますけれども、君が代歌詞はいわゆる一番だけというふうにすべきであるというふうに考えております。
  24. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。よくわかりました。我が国君が代、  君が代は  千代に八千代に  さざれ石の  いわおとなりて  こけのむすまで すてきな文言だと思います。  先ほど申しおくれましたけれども、ドイツの国歌を皆様方のお手元のプリントに印刷することができませんでした。これの日本語訳を一度読んでみます。  統一と権利と自由を ドイツの祖国のために!これに向かってみな励まん  兄弟の如く心を一つに 手を携えて!  統一と権利と自由は 我らが幸せの証  この幸せの光輝に 栄えよ  栄えよ ドイツの祖国! というのがドイツの国歌の文言でございます。  次は、私は、国旗国歌をとうとぶ、人間として当然のこととして認識いたしておりますが、我が国におきましては、残念ながらその当たり前のことが十分理解されないまま今日に至っているというふうに思います。それは、国旗国歌に対するマナーなどでございます。最近では、ワールドカップサッカーにおきましてフランスで我が国国旗がはためき、国歌が大合唱されたうれしい記憶はまだまだ新しい出来事でございます。しかし、これは特異な例と申すことができるだろうと思います。  今、全国各地で夏の高校野球が開催されております。その場で国歌君が代が演奏されておりますけれども、口が動いている高校生はほとんど見当たらないのが残念でなりません。試合に勝った学校は校歌を斉唱いたしますが、そのときはみんな大きな声で大きな口をあけて歌っております。校歌は斉唱するにもかかわらず、国歌である君が代を斉唱しないのは一体どういうことであろうかと私自身いつも感じておりました。私はこの光景を見ると非常に悲しくなってまいります。なぜこのようなことになってしまったのだろうかと思います。  有馬文部大臣は、春の甲子園で始球式をなさいました。そのときも国旗掲揚国歌斉唱が行われたことと思いますが、そのときの状況はいかがでございましたでしょうか。夏の高校野球も近づいてまいります。その点についてお伺いしたいと思います。
  25. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 先生今御指摘のように、去る三月二十五日に行われました第七十一回選抜高等学校野球大会の開会式に私も出席いたしまして、文部大臣の祝辞を申し述べた次第でございます。この大会におきましては、高校生主役の開会式の一環といたしまして、史上初めて高校生による君が代の独唱が式次第に取り入れられまして、私もその場でその歌を、君が代を聞きましたけれども、極めて厳粛な雰囲気の中で、しかもこの高校生は大変美しい言葉、美しい歌声で歌いまして、私も深く感銘を受けました。こんなに君が代というのはすばらしいものかなと思った次第であります。また、昨年の夏出席させていただきましたが、全国高校野球選手権大会では、例年の大会と同様に君が代吹奏によって国旗を掲揚しております。  このような場合に自然と国歌が歌われるようになるように私どもは期待をいたしているところでございます。実際、昨年の夏の大会等々におきまして、音楽に合わせて君が代を歌っている声も私のそばの人たちから聞こえておりました。そういうことを記憶いたしております。  そういう感想を持った次第でございます。
  26. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。歌う学生がどんどんふえていってほしいものと願っております。  国旗掲揚国歌斉唱時にはみずから敬意をあらわすことができるような国民的気風の涵養、これが大切であろうと考えております。  さらに、国旗掲揚国歌斉唱時の行動と申しますか、いずれの場合においても起立脱帽は当然のことであろうかと思います。しかしながら、我が国においては、議事を進行される方が、一同起立、着席、などと声をかけなければならないという状況にあるのではないかなと思いますが、国歌の場合は起立して斉唱するということでありますが、国旗については、多くの人は国旗の取り扱い方を知らないのではないかなと思われる節がございます。  外国におきましては、法律などにおきまして国旗掲揚に関し細かく規定している国もございます。我が国においても、国際的な常識としまして、例えば半旗の意味を知らない人たちも多いと思っておりますが、弔意をあらわす半旗の意味なども含めまして、マナーを周知する必要があるのではないかと考えております。  国旗の取り扱い方につきましての国際的な常識、また国歌に関しましても国際的な常識というものがございますれば、官房長官にお教え願います。
  27. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 国際化が非常に進展する中でございますので、広い視野を持って異文化を理解しこれを尊重する態度や、異なる文化を持った人々とともに協調して生きていく態度を育成しなければならないと思っております。そういう中で、先ほど御指摘のありました、我が国歴史や伝統、文化などについての理解を深める、国際社会で主体的に生きていくことができる資質を養成することが教育の上で極めて重要だと思っております。  そういう意味で、日の丸君が代を初め、諸外国国旗国歌に対する態度、マナーをきちっと教えていくべきだと考えておりまして、このため、地理や歴史、公民、外国語等々の各教科で、外国国歌国旗及び日本国歌国旗に対して十分教育を行っております。そしてまた、国際化の時代でありますので、特に外国国旗国歌に対してちゃんと尊敬の念を持つべきだということも教えている次第でございます。この点に関しましては、今後、総合的な学習の時間というふうなものも加わりますので、さらに教育を深めていく必要があろうかと考えております。  そういう点で、教育の上で国歌国旗に対するまず親しむという気持ちを育てているところでございます。
  28. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。ぜひ、子供たちが親しみ、そしてそれに対する敬意というものが払えるようになることを期待いたしております。  次は、マッカーサー元帥が日本国民に対しまして、昭和二十四年、一九四九年の年頭のメッセージというのがございました。これは国旗掲揚の制限を撤廃し、「国内において無制限に使用し、掲揚することを許可する、」とあります。また同年に、国旗の掲揚について内閣官房長官より各省大臣あて通知が出され、祝日はもとより、適当な機会に国旗を掲揚し、国旗敬愛の風習を興すよう求めるとございます。また、翌二十五年には、時の天野文部大臣は、祝日の学校行事の際、国旗を掲揚し、国歌を斉唱することが望ましいとする旨の談話を行っておられます。  このように、国旗国歌に関する常識を国民に普及啓発していく必要があると考えますが、国旗協会というところではパンフレットを作成して普及啓発活動を行っているようでございますけれども、その活動は余り活発でないように思われております。政府としまして国旗国歌に関する啓発について積極的に取り組むべきではないかと考えますが、法制化されました後の官房長官のお取り組みの御見解をお伺いしたいと存じます。
  29. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 政府といたしましては、この法律案が国会で御可決をいただいた後の対応につきまして、現時点で具体的に取り扱いについての案を持っておるわけではないわけでございます。けれども、国民がより国旗あるいは国歌に対しまして親しみを持っていただけるよう、ひいては、先ほど文部大臣からもお話がありましたように、単に自国国旗国歌だけでなくそれぞれ外国国旗国歌に対して敬意を払えるような、そういう国民性を養っていく努力をしなければならないと思っておるわけでございます。  いずれにいたしましても、国会の御議決を賜りましたら、国民がより国旗国歌に親しみを持っていただけるような政府としても心がけをしてまいりたいと思うわけでございます。  なお、政府関係機関におきましては、過去の例を調べてみますと、昭和三十七年二月の政務次官会議におきまして、各省庁とも毎日自主的に国旗の掲揚を行うことの申し合わせがなされておりまして、また、昭和六十年九月の政務次官会議におきまして、その趣旨の徹底を図るとともに、地方公共団体及び国所管の団体等に対しても祝日に国旗を掲揚することの協力方をお願いした経過がございます。
  30. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。  官房長官、これから家庭におきましても、また社会におきましても、親しみを持てるようなチャンスをつくるということは大切なことかと思っております。そういう意味では、官房長官の談話などもまた時に織りまぜながら皆様に聞かせていただきたいものと思っております。  次は、諸外国の学校における国旗国歌の取り扱い状況についてお伺いいたします。  オリンピックやワールドカップなどの国際大会のときばかりでなく、外国方々自分の国の国旗国歌を大切に思い誇りを持って扱ったり歌ったりしている様子をよく見かけることがございますが、これは、伝統的に社会や学校、家庭でそれぞれ大事な取り扱いをしている結果、自然に身についてくる姿ではないかと思います。子供が親の後ろ姿を見て倣うと同じく、親の姿を子供は見て成長していく、それも国旗国歌に親しむ姿がそこにあればと願うものでございますが、特に外国の学校では、国家の構成員である国民の公民教育の場として重要な役割を担っており、それぞれの歴史文化によって必ずしも同じものとは思いませんけれども、外国の学校において、国の象徴としての国旗国歌はどのように取り扱われておられるのかお教えいただきたいと思います。
  31. 小野元之

    政府委員(小野元之君) 外国の学校におきます国旗国歌の取り扱いでございますが、先生も御承知のように、それぞれの国によりまして歴史や伝統、文化が違いますし、それから学校教育制度も異なっておるわけでございます。  そういったことがございますが、私どもが把握している限りにおきましては、例えばアメリカでは、連邦法によりまして学期中は国旗を掲揚することが規定をされております。学校におきましては国旗が掲げられております。それから、始業時に国旗に対してアメリカ国民として忠誠を誓う儀式といったものが広く行われております。それからフランスでは、国旗の掲揚義務を定めた法令というものはないわけでございますが、公立学校におきましては通常掲げられております。それからイギリスにつきましては、いわゆる全国共通カリキュラムで定められているわけではございませんけれども、学校の判断で、国旗歴史の授業、あるいは国歌は音楽の授業などで指導が行われております。それからドイツでございますが、ここも州によって異なるわけでございますが、一般に国旗に対する敬意あるいは国歌の習得といったものは学校で指導されております。それから中国でございますが、これは教育課程の基準等によりまして国旗意義や尊重の義務について教育がなされておりますし、学校では毎週月曜日あるいは特別な記念日に、国旗掲揚の儀式を行うとともに国歌の斉唱が行われているところでございます。  いずれにいたしましても、世界各国におきまして、それぞれの歴史や伝統、文化、そういったものを踏まえながら独自の取り扱いがなされておるというふうに理解しているところでございます。
  32. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。  国旗国歌に対する敬意を我々持ちながら子供を育て、大人もまた子供と和しながら、国旗国歌を大切に扱っていきたいと思っております。私は、現在のような国際化が進展する中で、このように国旗国歌法制化されることは大変意義深いものと考えております。  先ほど、国旗国歌を指導していくことの意義についてお伺いいたしましたが、国際理解教育について文部大臣はどのようにお考えになっておられるのか、お教え願いたいと思います。
  33. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 先ほどの御質問にお答えする際に、ある程度今の御質問に対するお答えも申し上げたかと思いますが、やはり日本は随分国際化いたしました。そういう意味で、日本人は非常に多数の人々が外国に行く、あるいは外国人が日本に大勢来るというような時代でございますので、繰り返しになりますけれども、国際化が進展する中にあって、広い視野を持ち、異文化を理解しそれを尊重する態度や、異なる文化を持った人々とともに協調して生きていくという態度を育成していかなければならないと思っております。  その際に、まず日本歴史や伝統、文化などについての理解を深め、誇りを持つ、そして国際社会で主体的に生きていくことができる、そういう資質を養成することが極めて重要であると思っております。  繰り返し申し上げて恐縮でございますが、そういう理念のもとで現在、各学校においては社会科、地理歴史科、公民科、外国語科等の各教科、道徳、特別活動を通じまして国際化の進展に対応した指導を行っているところでございます。  このたび学習指導要領の改訂におきましても、各教科等に加えまして、先ほども御説明いたしました総合的な学習の時間においてもこのような視点に立った教育に取り組むことができるようにしたところでございます。  今後とも、国際理解のために適切な教育が行われるよう指導の充実を図ってまいりたいと思っております。
  34. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。  国旗国歌に対するマナーであろうかと思いますが、国際人としての日本人のあり方が志向されると思います。  国際競技大会における役割でございますが、スポーツは人間の可能性の極限を追求する営みであろうかと思います。見る人すべてに夢と感動を与えるものであります。特にオリンピックにおきましては、世界最高峰のスポーツ大会であるのみならず、各国間の相互理解、平和な世界の建設にも貢献する全人類共通の財産であろうかと思っております。  さて、そのオリンピック競技大会におきます開会・閉会式、表彰式におきましては、オリンピック憲章によりまして、派遣選手団の旗及び歌が掲揚、演奏されると規定されております。国旗国歌とはなっておりませんけれども、実際には国旗国歌が用いられ、必要な役割を果たしていると思いますが、文部大臣におかれましてはどのようにお考えでございましょうか。
  35. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 御指摘のように、オリンピック憲章におきましては、開会式では選手団の旗とともに行進する、閉会式では選手団の旗手の後に続いて行進する、表彰式では優勝者の所属する派遣団の旗が掲揚され、派遣団の歌が演奏されるというふうに規定されていると承知いたしております。  これは、オリンピックへ選手団を編成し派遣する国内オリンピック委員会、NOCと呼ばせていただきますが、NOCが必ずしも国家一つとは限られておりません。例えば、香港あるいはグアムなどのごく一部の地域等についてもNOCが認められていることなどから、このような場合に配慮して規定がなされたものと承知いたしております。  しかしながら、オリンピックにおいては国家の単位で選手団が編成されている場合がほとんどでございまして、この場合においては、各選手団は当該国の国旗国歌を選手団の旗及び歌とすることが国際的にも通例となっていると思います。  したがいまして、先生指摘のとおり、オリンピックにおいても国旗国歌が必要な役割を果たしているものでございます。
  36. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。  次は教員のことに関してでございますが、自分の国の国旗国歌を尊重し大切にするという態度は、これは国際的に共通したマナーであろうかと思います。  我が国におきましては、国旗国歌につきまして意識をする場面というのは少ないものとは思いますけれども、外国におきましては、それぞれの国民が日常的に自国国旗国歌に対する思いを実際に目の当たりにして、その経験を踏まえて我が国の学校現場での教育に生かすという意味で、学校の教員を海外の日本人学校などに派遣したり、また、海外における研修を積ませることは有意義なことと考えられるものと信じておりますが、文部大臣の御見解をいただきます。
  37. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 先生の御指摘のとおりでございます。  これからの学校教育におきましては、日本人としての自覚とともに国際的な視野と経験を身につけ、二十一世紀国際社会の中で世界的に貢献しつつ、主体的に生きる日本人を育成していくことが極めて重要でございます。  このため、教育の直接の担い手である教員につきましては、日本人学校等への派遣や教員海外派遣事業などの海外における研修を行い、我が国の国際理解教育を推進する中核となる人材の養成確保に努めているところでございます。これらの実際の国際体験は、教員が国際理解を深め、国際性を養うとともに、我が国歴史文化につきまして認識を一層深めるよい機会であると考えております。  先ほど申しましたように、外から日本を眺めてみるということは、極めて日本文化歴史を理解する上で有効な手段であると思っております。したがいまして、文部省といたしましては、教員の海外での経験が国内の教育現場において国旗国歌の指導等に適切に生かされるよう期待いたしております。  幸い、この日本人学校等への派遣や教員海外派遣事業などは大変教員の方たちの間で人気があることでございまして、ますますこの方向を進めてまいりたいと思っております。
  38. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございます。ぜひ多くの方々の理解を得たいものと思っております。  国旗国歌の指導と内心の自由ということについてのお尋ねでございます。  学校におきます国旗国歌の指導につきましては、これまでも学校教育の現場の中で論争があったと聞き及んでおります。学校における指導の内容につきましては学習指導要領に定められており、学校はこれに従い指導する責務があると思いますが、このことは子供たちの内心にまで立ち入って強制する趣旨ではないと思っておりますし、また、文部大臣もこれまでの御答弁の中で繰り返し御答弁されておりますが、このことにつきまして改めて文部大臣の御所見をお伺いいたします。
  39. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 学校における国旗国歌の指導は、児童生徒に我が国国旗国歌意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国国旗国歌に対して同様に尊重する態度を育てていくものでございます。こういう点から、学習指導要領に基づきまして校長、教員は児童生徒を指導するものでございます。  このことは、今先生指摘のように、児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではございません。あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくことを意味するものでございます。  今回の法制化は、国旗国歌根拠について、慣習であるものを成文法としてより明確に位置づけるものでございまして、学校におけるこれまでの国旗国歌の指導に関する取り扱いを変えるものではございません。
  40. 南野知惠子

    南野知惠子君 ありがとうございました。  入学式、卒業式におきまして、ただ単に起立、斉唱しないということをもって、その子供に対し評価の面で不利な扱いがされることがないということは大切なことだと思っております。このことにつきましても御見解を改めてお示しいただきたいと思います。
  41. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 国旗国歌につきましては、学習指導要領において「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」とされておりまして、校長、教員はこれに基づいて児童生徒を指導するものでございます。このことは、今お答え申し上げましたように、児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではないということを繰り返し申し上げておきたいと思います。  したがいまして、学校における教育のあり方といたしましては、国旗国歌の指導に従わない児童生徒がいる場合にも、あくまでも教育指導上の課題として受けとめまして指導を進めていくという態度が重要であると思っております。  今御質問の入学式、卒業式などの特別活動につきましては、指導要領や内申書におけるいわゆる五段階評価等による評価の対象にはならないと考えております。
  42. 南野知惠子

    南野知惠子君 安心いたしました。ありがとうございました。  法制化に伴う関連でございますが、今回、我が国国旗国歌といたしまして国民の間に広く親しまれている日の丸君が代成文法とし、明確に位置づける今回の法案意義があるということはたびたび申してまいりましたが、今回の法案自体は二条から成る極めてシンプルなものでございます。これにより直接的に学校現場に影響が出ることはないとは思いますけれども、私は今回の法制化が学校現場の混乱をおさめるものとなることを切に望んでおります。  学校現場における国旗国歌の指導にどのような影響があるものとお考えでしょうか、お聞かせ願いたいと思います。
  43. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 先ほど文部大臣からお答え申し上げましたように、今回の法案によりまして国旗国歌根拠について、慣習法であるものが成文法としてより明確に位置づけられる。このことにつきましては、学校教育におきます国旗国歌に対する正しい認識をさらに促進するものと考えておりまして、意義のあるものと受けとめているところでございます。  文部省といたしましては、現在、学習指導要領に基づきまして、大臣からも繰り返し御答弁申し上げておりますように、国旗国歌の指導につきましては、児童生徒に我が国国旗国歌意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国国旗国歌も同様に尊重する態度を育てるために行っているものでございまして、このような学習指導要領に基づきます学校におけるこれまでの国旗国歌の指導に関する取り扱いを変えるものではないと考えておりますが、今後とも、学校におきます国旗国歌の適切な指導にさらに努めてまいりたいと考えているところでございます。
  44. 南野知惠子

    南野知惠子君 次は、教科書検定の影響についてでございます。  言うまでもございませんけれども、教科書は学校で義務づけられており、教科の主たる教材として非常に重要な意義を有するものであると思います。したがいまして、教科書におきましては、国旗国歌意義を理解させ、それを尊重する態度を育てるような記述がなされることが重要であると私は思います。  そこで、現場の教科書におきましては国旗国歌についてどのように扱われるのでしょうか、お伺い申し上げます。
  45. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 学習指導要領の規定に基づきまして教科書を検定すると。したがいまして、学習指導要領の規定に基づきまして教科書がつくられるということになっているわけでございますけれども、具体的には、例えば国旗につきましては、小学校四年生の社会科の教科書におきまして我が国と周辺諸国の地図及び国旗を図で提示するというような形で記述がございまして、これに基づきまして我が国や諸外国国旗があることを理解させ、それらを尊重する態度を育てるというような記述が具体的に行われているところでございます。  また六年生におきましては、とりわけ国際理解と国際協調というような観点から、六年生や中学校社会科の公民的分野の教科書におきましては、例えばオリンピックの表彰式におきます国旗掲揚の様子を写真で取り上げることなどによりまして我が国国旗意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国国旗も同様に尊重する態度を育てるような記述が行われているところでございますし、さらに音楽の教科書におきましては、小学校一年生から六年生までの教科書及び中学校一年生のすべての教科書におきまして国歌君が代が記載をされておりまして、楽譜とともに発展段階に応じて指導ができるというような形になっているところでございます。
  46. 南野知惠子

    南野知惠子君 またその件に関してでございますが、国旗国歌法制化された場合、教科書検定への影響はどうなるのか、お知らせいただきたいと思います。
  47. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 先ほどもお答えを申し上げましたとおり、今回の法制化が行われた場合においても、現在文部大臣が定めております学習指導要領に基づく、学校におきますこれまでの国旗国歌の指導に関する取り扱いを変えるものではないと考えているところでございます。  したがいまして、教科書の検定基準であります学習指導要領に基づきまして、今後もこれまでと同様に適切な検定を実施してまいりたいと考えておるところでございます。
  48. 南野知惠子

    南野知惠子君 学校教育における国旗国歌の取り扱いについてでございますが、家庭地域社会における取り組みと学校教育とが相まってこそ子供たちへの教育効果が高まるものと思います。まず家庭においてぜひ国旗の掲揚などを実行し、国旗への愛着を培ってほしいと思っております。  次に、家庭教育との両輪となる学校教育においてもしかりだと思っております。  心の教育の重要性をうたった平成十年六月の中央教育議会答申「新しい時代を拓く心を育てるために」は、直接国旗国歌についての内容ではございませんけれども、次のような提言をいたしております。  「我が国が活力ある文化国家として発展していくためには、国民一人一人が、国や郷土の伝統・文化に対する理解と愛情、またそれらを尊重する心を持つことが大切である。二十一世紀において、国際化が進む中で、日本人としての自覚を持って主体的に生き、未来を拓いていく上でも、自らのよって立つ国や郷土の伝統・文化の価値を子どもたちが深く理解することは極めて重要である。」。そして、小学校以降の学校教育役割として、「国や郷土の伝統・文化歴史に対する理解を深め、尊重し、さらに継承・発展させる態度の育成を図るという視点に立って、各教科や道徳、特別活動での取組を進めていくことが必要である。」とあります。  これからの我が国発展のために、国やふるさとを愛する気持ちを大切にし、よき伝統を次代に引き継ぐことが不可欠であると思いますが、そのためにも、我が国の悠久の歴史と深くかかわりのある国旗日の丸国歌君が代についての教育が極めて重要であると思いますが、文部大臣の御所見をお願いいたします。
  49. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 先生のおっしゃられるとおりでございまして、特にさらにつけ加えることはございませんが、先ほども申しましたように、子供たちだけじゃなく、あるいは学生たちだけじゃなくて、国民全体がもっと日本に対して誇りを持つようになっていかなければならないと思っております。  そういう意味で、国旗国歌に対する愛着をさらに一層育てていく。それは、先生おっしゃられるように、家庭、学校、地域社会が全体で努力をしていかなければならないと思っています。  たびたび同じようなことを申し上げて恐縮でありますが、私どもは、世界を愛するとか人類を愛するということは非常によく言うわけです。ですけれども、やっぱり小さな単位から広げていくべきである。初めから世界の人類を愛するなんということはあり得ないわけでありまして、まずは自分家庭を愛し、地域社会を愛して、故郷を愛して、国を愛した上で初めてアジアを愛し、世界を愛するという段取りになると私は思っております。もちろん、両方から攻めていくことが必要でありますけれども、国を愛するとかふるさとを愛するとかをすっぽかしちゃって、そこを何にも身につけないでいきなり世界を愛するということは私は不可能だと思っております。
  50. 南野知惠子

    南野知惠子君 もう、本当にありがとうございます。すかっとするようなお言葉をいただきました。  二十一世紀日本を担う子供たち国際社会の中で生きていく上で、広い視野を持つとともに、国を超えて相互に理解し合い、相手の立場を尊重し、今大臣がおっしゃいましたように、異なる文化を持った人々とともに生きていく態度などを育成し、自分考えや意思をきちんと表現できることが何より大切だと思います。そのためには、自分が何者であるかということを知る、自分自身の座標軸を明確にすることが極めて重要であると思われます。相手をきちんと理解することができなければ、相手からもきちんと自分というものを理解されないであろうと思っております。  これからの教育におきましては、子供たちに、いつも大臣がおっしゃっておられます生きる力をはぐくむことが大切であろうかと思っております。このため、学校におきましては、基本的なマナーと知識、子供たちが将来にわたってみずから考えを深め、行動することができる資質を育てることが重要であると考えております。  私は、この国旗国歌の指導というものは、何も特定の考え方を植えつけているのではなく、国際社会の中に生きる日本人としてのごく基本的なマナーとして、家庭でも学校でも社会でも教えるべきものであると思います。教えられ、習うことによって自分の身についていく、それが自然体の国旗国歌への愛着に変わっていくものと思っております。  文部大臣の御見解をお願いいたします。
  51. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 今、先生おっしゃられたとおりだと思います。単に学校だけで教えれば済むというものではございません。まず家庭、それから学校、地域社会、そういうところでまずは日本という国を愛するという気持ちを育てていかなければなりません。お互いに日本人同士でございますので、まず日本人を愛するという精神、そのところに国旗国歌を愛するという精神がおのずから育っていくと思います。  そういうことに基づいて、そこで外国の方たちに対し、異文化に対して深い関心を持ち、理解をしていく。そして寛容の精神を、特に異文化に対しては寛容の精神を育てなきゃならないと私は思っている次第でございます。
  52. 南野知惠子

    南野知惠子君 さすが文部大臣から含蓄のあるお言葉をいただきました。胸に秘めさせていただきたいと思っております。  官房長官は、たびたび小渕総理の代行をお務めになられ、総理大臣としてのお立場がたびたびございました。そのような大きなお仕事をされる中で、今世紀中に戦後問題を解決する、そのようなお立場から、在日韓国・朝鮮人の元日本軍軍属などに関しまして、恩給法や援護法など、国籍条項の取り扱いなどにも御尽力されてきておられます。これらのことは、我が国においても、また他国におきましても高く評価されていることであると信じております。  今後、二十一世紀に向けまして、それらの国際的な問題とも絡み合わせながら、隣国への友情、きずなというものも絡み合わせながら、国旗国歌法制化への実現に向けた官房長官の御決意を承りたいと思います。
  53. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 先ほど来それぞれ委員からも御指摘がございましたし、私どもまた答弁を通じてお答えしてまいったわけでございますが、過去に大きな戦争とそして過ちを行い、これによってアジアを初めとする多くの国々の方々に大変な傷跡を残し、犠牲を残してまいりましたし、我が国においてもまた多くの国民の犠牲の上に今日の平和があるわけでございます。  今まさに一年余りをもって二十世紀を終わり新しい世紀を迎えようとするときに、余りにもこの半世紀に私どもが避けて通ってきた、あるいは先送りをしてきた問題が数多く残され、それがまた民族の課題とし、時にはアジアの諸国の方々の大きないら立ちとなっておることを痛切に考えることが多うございます。  それぞれ戦後処理におきまして、サンフランシスコ条約を初めとし、あるいは我が国の援護法等を通じましてそれなりに法律的に解決してきたとは申せ、今委員が御指摘になりましたように、在日の方で日本国籍を持たないために、韓国人であるために、軍人としてかつてあの戦争に参加をし、軍属としてあの戦争に参加をしながら、いまだ軍人恩給あるいはその他の恩恵を受けておられない方々、私も最近そういう人と会話をする機会が多うございますけれども、それぞれもう八十歳のよわいを超えていらっしゃる残り少ない人生の中で、この日本の国で日本人とし、日本軍人として働きながら、国籍を持たないためにその恩恵に浴することなく多くの問題と矛盾を感じていらっしゃる方々がいらっしゃいます。  時に法律で処理された問題とはいえ、こういう方々にどのようにしてこの心をいやすことができるかというのは、今この時代に生きる私どもの大きなまた責任ではなかろうかと思うわけでございまして、それぞれ困難な法律的な壁もございますけれども、何とかしてこの人たちの傷をいやすための私どもは努力をしなければならないと考えまして、従来の法制度のあり方やあるいは戦後処理の枠組みとの関係、あるいはこれを処理した場合の韓国の御理解等、さまざまな問題をクリアするために今、内閣外政審議室において鋭意調査研究を進めさせておるところでございます。  いずれにいたしましても、私どもは、先送りできない多くの問題を少しでも片づけて、来世紀がこういう先送りをした傷跡を残さない世紀になるように、この時代に生きた政治家としての務めを果たしていきたい、このように感ずる次第でございます。
  54. 南野知惠子

    南野知惠子君 まことにありがとうございました。  重たい官房長官のお役の中で、本当に隣国を思い我が国を思う官房長官のお言葉に触れ、感激いたしております。  官房長官有馬文部大臣、本日はありがとうございました。  終わります。
  55. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 民主党・新緑風会の本岡です。  本日は、総理の出席を求めておりましたし、私も総理への質問を用意しておりました。しかし、お忙しくて出席できないということでございますのでやむを得ません。そこで、総理に対する質問は官房長官の方でお答えをいただきたいと思います。というのは、今の質問にもありましたように、総理以上の実力を持っておられると私たちも思っておりますので、総理がおられないときは総理の役割もなさるわけですから、そう難しいことではないと思います。  また、衆議院の予算委員会で我が党の副代表石井一衆議院議員と厳しいやりとりをされまして、それのまだ後遺症というんですか、民主党の中にも官房長官に対するさまざまな批判もあります。しかし私は、批判は批判として持ち、やっぱり官房長官官房長官らしく振る舞っていただきたいという思いがいろいろありますが、だからといって質問をやめてはどうにもなりません。質問の中で官房長官思いをただしていきたい、このように思います。  まず、今回の国旗国歌法制化の背景には、趣旨説明の中にもありますように、二十世紀のことは二十世紀中に片をつけておきたいとする野中官房長官を初めとする政府首脳の強い意思があったと伝えられています。官房長官はまた、戦後の重要問題を次の世代に積み残さないといった表現でもこの問題に触れておられるようであります。  しかし、この片をつけるということなんです。片をつけるとすれば、それは先ほどの質疑の中にもありましたが、やはり戦争の反省という問題が出てきます。そして、そこからアジア諸国民との和解をどうするかという問題が出てまいります。したがって、何もなかったとは言いませんけれども、かなり多くの問題を残しながら日の丸君が代法制化していくことが、二十世紀中のことは二十世紀に片をつけるということにはならないのではないかと私は考えます。  やはり重要なことは、二十世紀中に起こったことは二十世紀中に片をつけるというならば、残されている戦争責任、今、軍属の問題が出ました。しかしそれ以外にも、私は十年来、従軍慰安婦問題でその被害者としての女性の問題にずっと取り組んできておりますし、また、強制連行労働者の問題も日本国内だけじゃなくてアジア各地に残っております。こうした問題を次の世代に積み残さないということも同時に我々がやっておかなければならないことではないかと思います。  そこで、先ほど旧軍属の問題に触れられたのと同じように、長年にわたって議論し、現に韓国、台湾、フィリピンの各女性の被害者が約十件にわたって裁判所に訴えられている。その数七十八人、要求金額が十八億円、わずか十八億円という金額でありますけれども、それでも日本の責任を追及して訴えられている、こういう事情がある。そして、国連の人権委員会での議論はおさまるどころかだんだんと激しくなってくる。ILOの委員会にもこの問題が飛び火して、三回も日本に対する勧告が来る。世界の女性団体の中でもこの問題が議論になる。国連人権高等弁務官という新しい制度ができましたけれども、この国連人権高等弁務官もこの問題に触れてくる。こういう状況が現にあるわけでありまして、私は、日本の国益としても大変な損失をこうむっている、こう考えているものであります。  したがって、官房長官が戦後の重要問題を次の世代に積み残さないと。賛成であります。私もそうでなければいかぬと思います。これは私たちの世代の責任であります。そういう意味において、従軍慰安婦問題とか強制連行労働者等々の残された戦後問題や戦争責任問題、これを政府の責任で、官房長官は外政審議室を指揮してこの問題の解決に当たっておられる方でもありますので、ここでこの問題を深く議論するつもりはございませんが、官房長官の決意としてぜひとも私は聞かせておいていただきたい、このように思います。
  56. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 本岡委員から御指摘ございましたように、また先ほど来累次、南野議員にもお答えをしてまいりましたように、戦後の五十四年間、おかげさまで私どもは平和に、そして近代的な国家をつくることができましたけれども、その陰には多くの戦争の犠牲と、そして国内はもちろん、海外におけるアジア各国を初めとする多くの国々に大変な犠牲とそして迷惑をかけてきたわけであります。それぞれ国際法上は一応の決着を見たものであるとは申せ、今委員が御指摘になりましたような諸点が残念ながら残されておることは事実でございます。  そういう中におきまして、御承知のように、従軍慰安婦問題につきましては、河野官房長官のときに談話が発表をされまして、いわゆる女性の方々には政府が、多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題であるという深い認識のもとに、これまでもおわびと反省の気持ちをさまざまな機会に表明をしてきておるところでございます。  また、台湾を含む関係国・地域の元慰安婦の方々に対する償い事業を行うことを目的といたしまして設立をされましたアジア女性基金を最大限行いまして、今実施をしておるところでございます。けれども、残念ながら、それぞれの国の事情あるいは個人のお考え等ございまして、今なお訴訟が行われておる現実もまたあるわけでございます。しかしまた、我が国として、このアジア女性基金を可能な限り活用いたしまして、そしてこの女性の方々の心をいやす努力をしていかなくてはならないと思うわけでございます。  その他、先ほど申し上げましたように、在日の外国人であったために、我が国の軍人軍属としてあの戦争に従事しながら、国籍を持たないために今なお恩給その他の恩恵に浴さない人たちもあるわけでございまして、援護法その他の法的処置が可能で、既に終わっておるとは申せ、この傷跡はいえておらないわけでございますので、先ほど来申し上げましたように、内閣外政審議室においてそれぞれ今どのような方法ができるかを早急に結論を出すべく努力をし、調査をし、調整を行っておるところでございます。  また、中国に遺棄した武器等の問題もそうでございまして、我々今世紀に生きた人間として、あるいは今ある政治家として、ぜひこの傷跡を可能な限りいやしていく努力を今後も続けなくてはならないし、その時間は限られておると思っておる次第であります。
  57. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 官房長官の胸のうちはわかりました。  そこで、このことだけはひとつ確認させてください。戦後の重要問題を次の世代に積み残さないという、この戦後の重要問題ということの中に、私が十年来国会の質問をずっと続けてまいりました従軍慰安婦とされた女性の被害の問題は、国民基金でやっておられることもよく承知しておりますが、この問題の解決もその野中官房長官の積み残さないという中にあるんだというふうに考えさせていただきたいが、よろしいですか。
  58. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 積み残したくないという気持ちがあることは事実でございます。ただ、アジア女性基金で我が国は村山内閣のときにこの問題の処理をしようといたしましたけれども、残念ながら、韓国等では既に自国の責任において措置をするということで、直接個人に給付することを国として拒絶されておるところもあるわけでございますが、それぞれ女性の名誉の問題でもありますので、これからもなお、そのそれぞれ尊厳を傷つけられた女性の心をいやすためのアジア女性基金の活用を幅広くぜひ行ってまいりたいと考えるわけでございまして、今積み残された問題であるのかと言われれば、積み残された問題でございますと、このように私は強く認識をしております。
  59. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 それはまた後日、別の場で取り上げ、また直接お話もさせていただきたいと思います。  次に、日の丸君が代国旗国歌問題は、戦後長く日本人の胸にのしかかってきた重苦しい課題なんです。先ほども光と影というふうな表現もありましたが、文字どおりそうなんです。  私自身の問題をとらえてみましても、私は中学三年生で敗戦を迎えました。私は、戦時中の軍国主義教育において、学校の登校・下校時には、天皇陛下の御真影が安置された奉安殿に向かって最敬礼をして学校に入り、また学校から帰るということは基本的な一つの生活習慣でありました。  そして、学校の行事では、日の丸に忠誠を誓う黙礼で鼻をすすってはならぬ。あのときはみんな鼻炎の者が多かった。鼻をずるずるやっておったのですが、鼻をすすってはならぬというふうなことで、大変皆苦しい思いをしながらやり、そして君が代を重々しく、特に「さざれ石の」の「さざれ」と「石」を切ってはならぬというところを私たちは一生懸命覚えて斉唱をしました。そのほか、天長節には天長節の歌、紀元節には紀元節の歌、それぞれ天皇との関係する歌を荘厳に歌いながら私たちは育っていったんです。  言ってみれば、結局、君たちは天皇の赤子であると。軍国少年として育ったのであります。戦後になって、ここに持っておりますが、文部省著作の教科書は民主主義によって生まれ変わるわけなんです。主権在民の民主教育を受けて、目を輝かせて、ああ、こんな時代もあるのか、こんな物の考え方があるのか、目からうろこが落ちると言いますが、文字どおりそのような思いで新しい時代の第一歩を私たちは踏み出したんです。  私は小学校の教員になりました。私は君が代を子供に教えました。日本の国の歌としてそれしかないんですから。しかし、学校行事で君が代を子供に斉唱させるということについては、これは教育になじまないということでそれには反対をし続けてきました。私自身、戦後から今日まで、君が代斉唱の場面に出会っても君が代を歌ったことはありません。  一番つらい思いをしたのは、プロ野球のスタートのとき、立って君が代を歌うときに私は立たず、子供が横におって、お父ちゃん何で立たへんのやと言うから、立つ必要はないんだと言った。しかし、立とう立とうとうちの子供は言う。立つ必要はないんだと言ってやりました。  しかし、そんな苦しい思いをなぜしなければならないのか。これは、立つ人があり、立ちたくない人がおるという、そういう個々人のいろんな歴史を持っているという一つの実例。私は何も立派なことをしたと思っていないし、できれば立ちたかった、だけれども立てない。だけど、子供にはなぜ自分が立たないかということを言って納得させて立たなかった。  このように君が代にはいろんな思いがある。しかし日の丸は、戦時中の苦い思いをいっぱい持っているけれども、日本の国の旗として自然体で私は受け入れることはできるんです。  このように、日の丸君が代はそれぞれの国民にとってさまざまな歴史を私は背負っていると思うんですね。官房長官はどのような歴史を背負っておられますか。
  60. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 私も本岡委員より少しまだ古い世代を生きてまいりました。同じような青少年時代を過ごしてまいりました。したがいまして、今お話しのございました一つ一つは、私の少年期も同じように思い起こされるわけでございます。  ただ、私は家庭で、朝起きましたら仏壇に手を合わせ、神棚にお参りして、そして食事をいただくために、また食事前に手を合わせてありがとうございますと教えられて、そしてそういう中から社会生活、学校生活を行ってまいりました。  今、本岡委員がおっしゃいましたように、小学校、中学校を経験する中から、校門に入りましたら奉安殿がございまして、これに敬礼をし、そしてそれぞれ各学校の式典や軍事教練等におきましても委員が御指摘になりましたような経験をしてまいり、軍国少年としての道を歩んでまいりましたけれども、そのときに私に強烈に日の丸とか君が代が私自身記憶の中で軍国少年という道を歩ませたという、そういう気持ちは残っておらないのでございます。それがある意味において教育の恐ろしさかもわかりません。私は、通常行うべきことを行ったという感じでございます。  その後、戦争末期に私は軍隊にとられました。そのとき、日の丸に武運長久と書いて、私の友人たちやあるいは親戚がみんな名前を連ねてくれました。恐らく、日の丸が神聖にして侵すべからざるものとしたならば、あのように名前を国旗日の丸に書くことが許されたんだろうかと思うと、私はそんなに、戦争とそして日の丸国旗を一緒にして、それが大きな役割を果たした、あるいは私どもが国歌として教えられ、それを口ずさみ、儀式で歌ったことが戦争と直接結んだとは思わないわけでございます。  けれども、私の戦争経験を通じました印象に強烈に残っておりますのは、軍隊が軍隊として重要な役割を果たしたのは、むしろその軍隊が持つ連隊旗であった。明治以来の連隊の編制の中で、ぼろぼろになった連隊旗を持っておるのを軍の最高の誇りにしてみたり、あるいはこれが戦争によって奪われたりいたしましたときは、その責任者の軍旗を持った旗手は自殺をしたり処刑をされたことを私はその当時の記録から知っております。そう考えたときに、軍にはいわゆる軍旗と申すべき連隊旗が中心になってきた。  戦後の歩みの中で私が強烈に印象に残っておるのは、あの二十七年前の沖縄復帰のときに、沖縄の皆さん方が日の丸の旗を打ち振って、そして復帰を喜んでおられる強烈な姿が目に浮かんでおるわけでございます。  ただ、私は戦後比較的早く田舎の町長をやりましたので、労働組合、職員組合と交渉する機会が多うございました。あるいは委員経験されました教職員組合との交渉の場に出ることが多うございました。そういう中において、国旗国歌、こういうものの掲揚や斉唱について強烈な反対運動が行われ、そしてそういう運動の根拠が、法律に規定されていないじゃないか、どこに法律があるんだということが交渉の基本でございました。  このことを思いまして、みずから経験したことを思いますときに、ある意味においてこれが広島県の世羅高校の石川校長の自殺にもつながってきたことを思い、私どもとしては、これまた二十世紀中に整理をしなければならない、根拠を設けなくてはならない重要な課題の一つであると認識をして、それが契機になったわけでございます。
  61. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 いろいろな皆歴史を持っておるんです、日の丸君が代については。  私の中学入試は口頭試問の時代でありました、ペーパーテストではなくて。そして、中学校の教官の前に立ちまして三十本ほど日の丸の小旗を持たされました。目の前に東南アジアの地図があるんです。日本が占領したところに旗を立てよというふうな試験なんです。私はずっとニューギニアのところまで立てて、九〇%以上は大体正解であったのではなかったかと思うんです。  私は、日本の旗が侵略の旗だとは言っていません。ただ、そういうふうに、日本の旗を持って口頭試問でどこに立てたかという、そういう教育の中で育った歴史を私は背負っておるということを言っているんです。そういう歴史を背負った人間もおるんだということをお互いに認知し合わなければ、私はこう思っているんだ、国がこう言ったからそれにみんな従えなどといって済むような簡単なものではないということを私は言いたいから自分の体験の話をしているんです。国民の中にそういう意味でいろんな体験を持つ者もいるわけなんです。  新聞等によると、国旗国歌法制化によって、かつて非国民と言われたことを思い起こして、国旗国歌に納得できない人たちの自由が脅かされるのではないかという不安を持つ人があります。私は、そんなことはない、そんなことは取り越し苦労だと一笑に付しますけれども、しかし私は非国民と言われたことはありませんから、非国民と言われてひどい目に遭った人はまともにこういうことを考えるということを考えてみたら、日本は自由と民主主義の国でありますから、主権在民、思想、良心の自由、先ほど内心の自由とかいう言葉がありましたが、そういう憲法理念を一方ではもっと啓発していくということがなければ、非国民、そんなことは一切ありませんと言って打ち消してみても、そういう体験を通して物を言っている人はなかなか納得しないわけです。  だから、そういう意味でそれを打ち消していくのは、内心の自由というのを盛んに今おっしゃっておられる。それから思想、信条の自由、主権在民と。子供たちにも子どもの権利条約の中の第十四条で思想、信条の自由というものを保障するというふうなものがあるわけですが、それがあるからといってそれが機能するということではない。だから、そういうものがきちっと機能して、本当に日本国民が自由と民主主義を謳歌する、そういう国にしていくということも並行して私はやる必要があると思うんですが、ここのところ、官房長官、いかがですか。
  62. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 誤解がないようにお願いしたいと思うわけでございますが、先ほど本岡委員からあなたはどのような戦中の歴史を背負っておるかということをお尋ねになりましたので、私の歩んできた経験をお話し申し上げたので、これと成文化は……
  63. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 今のとは関係ありませんから、私の言っていることは。
  64. 野中広務

    国務大臣野中広務君) お許しをいただきたいと思います。  我が国憲法は、委員が御指摘になりましたように、主権在民、国民主権の平和主義、基本的人権の尊重を基本理念としておるわけでございまして、主権在民の理念は憲法及びその前文及び第一条に明確にうたわれておるわけでございます。国家の意思を最終的に決定する力としての主権が国民にあるということを意味するものでございまして、国政に関する重要な原理であると理解をしておるところでございます。  また、憲法十九条が規定いたします思想、良心の自由は、精神的自由権の一つとして位置づけられておるわけでございまして、信教の自由、学問の自由等の前提となるものでございます。これが基本的人権であると考えてもおります。今回の法案は、これらの理念をいささかも侵害するものではないと考えておるところでございます。
  65. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 文部大臣も、法制化されても文部省の指導方針は変わらないというふうにおっしゃっておられるわけです。しかし、きょうの朝日新聞の投書でしたか、岩手県のある中学校の教員、この人は勇気があると思っておるんですが、実名で投書されておりました。  その投書の内容は、国旗国歌法制化されたら、君が君が代を歌わぬということは憲法違反になるといって教育長から責められたと。ここにあります。「「あなたは憲法に違反していますね」と、教育長に言われた。君が代を歌わないということは、憲法第一条の象徴天皇をないがしろにしているというのだ。」と。教員、名前も実名、岩手県宮古市、五十二歳、こう書いてありますね。「あなたは憲法に違反していますね」、こういうふうなことになってくる、これがあるんですよ。「教育長に言われた」と書いてある。教育長に言われたんですね。  それで、この人は、それを法制化するときに強制をしないと。今、文部大臣も変わらないとおっしゃっている。しかし現に、君が代の「君」は象徴天皇を指すんだ、こういう内閣の解釈が出ると、あなたは憲法に違反していますね、象徴天皇は憲法の第一条に書いてあるとか、こういうふうな形でずっと伝わっていくという心配があるんです。  だから、強制する、しないのここの問題のところはよほどしっかりとしておかないと教育現場が、内心の自由であるとか、今、官房長官がおっしゃった憲法上のさまざまな権利状態の問題も、こういう事柄で非常におかしなことになってくるというふうに心配します。  そこで文部大臣、「「あなたは憲法に違反していますね」と、教育長に言われた。」というこの教育長の発言はおかしいですね。間違っていますね。どうですか。
  66. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 事実関係はわかりません。ですが、いつも申し上げるように、教育的な観点から学習指導要領に基づいて国歌国旗意義を教える、そういうことが方針でございまして、今おっしゃられたような憲法の問題との関係は、私はすぐにはないと思います。  おっしゃられたような投書は私も見ましたけれども、私どもはその事実をきちっと押さえているわけではございません。
  67. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 だから、そういうことが事実であれば、こういうことになれば大変だから、一般論としてこういうことにはならないということを文部大臣として、教育長が言ったと書いてあるから、それは事実を押さえてまた後でやってくださいよ。一般論として、こういうことになることは好ましくないとか、やっぱり間違いだとか、今の時点で言ってください。
  68. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) たびたび申し上げているように、特に思想、良心の自由というのはございますので、これは絶対守っていかなければならないと思っております。ですから、思想、良心の自由ということに基づいて、内心にとどまる限りにおいては絶対的に保障されなければならないと思っておりますけれども、ただ、学習指導要領等々でこういうふうに教えてほしいというふうなことを言っているわけでございます。ですから、そういうことに関しまして外部的行為にあらわれてくる場合には、やはり一定の合理的範囲内の制約は受け得ると解釈いたしております。  校長が、学習指導要領に基づきまして、法令の定めるところに従い、所属教職員に対して本来行うべき職務を命じることは、これは当該教職員の思想、良心の自由を侵すことにはならないと考えております。そういう意味で、おのずから合理的範囲内の行動であるかないかが問題だと思っております。
  69. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 これはまた官房長官は気を悪くされるかもしらぬけれども、この間の石井一代議士との話で、官房長官対一国会議員という関係の中で話すことがやっぱり難しいのと、教育長が一般の教員にこう言うということは、これはどういう意味を持つかということなんです。  それは、同じ教員間で、君、憲法に違反しているじゃないかという、している、していないの議論をやればいいんです。ところが、教育長という任命権者がそういう発言をしているということを私は問題にしているわけで、これは一度調査もしてもらい、そしてこういうことのないようにやっていただきたいということを要望しておきます。よろしいですね。うなずいていただいておるのでそういうふうにします。  それで、ある新聞に、ノンフィクション作家の上坂冬子さんが「私と日の丸君が代」という一文を寄せておられるんです。ここで上坂さんはこのようにおっしゃっているんです。  日の丸君が代は、「国旗国歌として定着していると思いますから、法制化には何の抵抗もありません。 でも、いま、ちょっと待ってよ、話が違うんじゃないのと言いたいことがあります。政府が国会で「君」は象徴天皇を指すと答弁した点です。だったら、法制化反対にまわりたい。」「論理的な話は別にして「君」は天皇でも恋人でも、あなたでもいい、歌う人の自由だとすべきです。意味をぼかしてこそ、広く受け入れられるんじゃないでしょうか。 法制化されれば公立学校では強制されるでしょう。でも、強制は「無理やり」とは違う。壇上に日の丸を掲げ、式次第に国歌斉唱を入れるだろうけれど、歌いたくない人の口をこじ開けることはできないでしょう。」と述べておられるんです。  上坂さんという作家の本を私も一、二読んだことがありますが、これも一つ思いなんです、この方の思い。だから、「君」というのは内閣が示した象徴天皇だけだということになると、憲法違反だというような的外れな話が出るわけで、上坂さんが言っておられるように、「天皇でも恋人でも、あなたでもいい、歌う人の自由だとすべきです。意味をぼかしてこそ、広く受け入れられるんじゃないでしょうか。」、こうおっしゃっているここのところ、私は極めて大事な部分ではないかと思うんですが、いかがですか、官房長官
  70. 野中広務

    国務大臣野中広務君) たびたびお答え申し上げておるところでございますが、今回の法案国旗国歌根拠につきまして、慣習であるものを成文化し、成文法としてより明確に位置づけるものでございまして、学校教育における国旗国歌の指導に関する取り扱いを変えるものではないと考えておるわけでございます。文部大臣からも御答弁があろうかと思いますが、学校におきます学習指導要領に基づく国旗国歌の指導は、児童生徒の内心にまで立ち至って強制しようとする趣旨のものではございませんし、あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくものであると存じておるところでございます。  ただ、政府の見解といたしまして、君が代の「君」、そして君が代、これについて石垣一夫議員から質問書としていただきましたので、政府はその見解をお示し申し上げた次第でございます。
  71. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 一人一人が君が代歌詞意味などについてどのように受けとめるかということについては、最終的には個々人の内心にかかわる事項であると考えますというふうに、これは文部大臣も本会議の答弁等でなさっておられます。総理もこうした答弁があります。  そうすると、先ほどの上坂さんの話、また、私も自分が教えたときを今思い起こしているんですが、今のように正確じゃなくて、この「君」というのは天皇だと言う人もあると。それから、ずっと詠み人知らずの時代からは、あなたとか、それからまた恋人だと言う人もある、いろいろあるんだと。しかし、日本の国の歌として、国にはやっぱり歌があってもいいというふうに先生は思う、今は大体はこれが日本の国のと、こういうふうにたしか教えた記憶があるんです。  そのときに、「君」は天皇だからという形で教えなくてはならぬということではないわけで、今私が言ったように、こういう解釈もある、政府はこう解釈しているが、上坂さんがおっしゃっているようにこういうことがあると。そういうふうに広く受けとめて君が代というものを皆が理解していくということでいいのかどうか。  そうなってくると、学校で指導をするというときに、一年生から六年生まで音楽教科書の一番最後のところに君が代が全部ずっと入っていますね。教えるというのはすぐに評価ということと結びついてくるんですが、私は、君が代をそういう意味で評価の対象にもすべきでないし、君が代を立派に歌えたから音楽はどうとか、君が代歌詞についてこういう理解ができたからどうとか、そのこと自身教育の中身で教えるという対象であっても、その結果としてそれを評価の対象というふうなことにすべきものでない。特別教育活動はそうだというふうに先ほどおっしゃった。特別教育活動の入学式に歌う、歌わない、そういうことが子供のいろんな評価の中には入らないんだとおっしゃった。  それなら、この教えるということも各指導要領に書いてあるんですから、これは全部、一年、二年、三年とあるんだから、それは私が今言うような解釈をしていい、またそうでなければならないし、それ以上のものはないと、こう思うんですが、文部大臣いかがですか。それは文部大臣答えてください。
  72. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 細かいところはまた御手洗局長からお答え申し上げようかと思いますが、日の丸にしても君が代にしても、その歴史的背景をきちっと教えていくことは大切だと思いますね。ですから、君が代がどういうところで初めてつくられたかとか、そのときの意味はどう考えるかとか、その時代の人々がどう考えてきたか、こういうことは歴史で教えていただいて結構でございます。  ただ、今回の君が代に関しましては、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指している、君が代とは日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであるという一つの解釈を示したわけですから、これも、教育の上で今の解釈はこうなんだということを教えていただいて結構だと思います。  ですから、国の解釈、今度の法律を出すときの解釈というのが一つあります。それを越えて、各生徒諸君にしても、我々国民にしても、もっと古歌の解釈に戻りたいという人は、それはもう、そういう解釈は内心の自由でございますね。ただ、教育の上ではこういう解釈ですということはぜひとも教えていただきたいと思います。
  73. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 先ほど、内心の自由があるんだ、個々人の内心にかかわる事柄であるから、いろんな思いを持つことがあると。こういう事柄に対して、先ほど文部大臣もおっしゃったように、小渕内閣が一九九九年何月何日にこういう政府解釈をした。これは事実ですよ、評価は別として。そのことは一つの事実として、それを教えるということは私は容認します。しかしそれは、いわゆる国が「君」の解釈をしたものに権威があって、それが絶対なんだということになるとこれはおかしくなると思うんです。そうすると、何年かたって別の内閣ができて、それはまた別の解釈をするかもしれませんね。だから、そういうふうなものであるというふうに理解をしなかったら、ある一つ時代のものを権威づけて、これでなければならぬ、それでもしそれをテストして恋人と書いたら間違いだというふうな形にこういうのはしてはならないだろうと私は言っているんです。私の言っていることがわかりますか。
  74. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 学校におきます教育活動の具体的な評価にかかわりますので、私の方からお答えをさせていただきたいと思います。  音楽の時間におきましては、発達段階に即しまして教えるということは基本でございます。したがいまして、低学年では、上級生が歌うのを聞いたり、楽器の演奏やテープ等の演奏を聞いたりしながら親しみを持つようにするということから始まりまして、高学年では、国歌の大切さを理解するとともに、歌詞や旋律を正しく歌えるようにすることが大切であるという観点から具体的に指導を行うようにお願いしているところでございます。  国歌の指導に当たりましては、文部省といたしましては従来から、今回の政府の見解と基本的に同じでございますけれども、国歌君が代は、日本国憲法において天皇を日本国並びに日本国民統合の象徴とする我が国がいつまでも繁栄するようにとの願いを込めた歌であることを理解できるようにするという観点から指導を行うようにお願いをしているところでございます。  もとより、児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようという趣旨のものではございませんので、個々の児童が最終的に君が代歌詞意味についてどのように受けとめるかということにつきましては、個々人の内心にかかわること、これは総理が一般国民について本会議でお述べになったことと基本的には同じだろうと思っておりますが、私どもといたしましては、従来からも国旗国歌意義につきまして文部省としての指導内容を示してきたところでございますし、今回の国旗国歌法案の提出に伴いまして政府としての見解が示された以上、学校教育におきましてこの見解をもとに指導をお願いするということになろうかと思っているところでございますし、このことは従来からの文部省の指導と基本的に変わるものではないと思っているところであります。  なお、評価に当たりましては、特に音楽という教科におきます評定につきましては、年間を通じた児童生徒の当該教科への全体の取り組み状況、あるいは全体の音楽の教育内容の習得状況等を総合的に勘案して判定されるものでございますので、その際、児童生徒の良心の自由にかかわっていく、あるいは内心の自由の表明についてそれを評価していくというようなことは適切ではないものと考えているところでございます。
  75. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 文部大臣なり初等中等教育局長の答弁、半分はわかるんですが、やっぱり半分はおかしいと思うんです。  先ほど言ったように、やはり一つ文化とかいうことに広くなってくると思うんです、いわゆる歌詞の解釈なんというようなものは。それを、権力を持ったある時の政府が場合によっては解釈をしなきゃならぬときがあるでしょう。しかしそれは、あくまでそのときの政府が解釈したのであって、そういうものの解釈というのは時代とともにまた変わっていくわけで、時代とともに変わるであろう、またいろんな解釈が現にあるというものを、ある一つの事柄だけでもって子供に対応するというのはよろしくない。だから、上坂さんがおっしゃっているように、いろんなものがあるということを子供に教え、その中に、今の政府はそういうふうに考えている、しかしそんなことを一年生に言ったって今の政府なんてわからないのだから、それは一つの子供の成長、発達段階に応じた対応というものが当然要るであろうと思うんです。  だから、僕が最後に言いたいのは、文部省はかたくならずに、もっとここらのところは関与を緩やかにやりなさいよということなんです。政府がこう決めたんだからこうでなければならないと、すぐ文部省はそういう形でがっと現場に出てくるでしょう。そこを私は注意申し上げているんです。もうこれ以上のことは言いません。また別の機会に議論させていただきます、質問したいことはたくさんありますから。  それで、新聞というのはいろんなものを今度出しましたが、同じ「私と日の丸君が代」というところに、一水会代表鈴木邦男さんという方の署名入りの文章もあるんです。一水会というのは「後に新右翼と呼ばれた」とかと書いてあるんですが、私はよく知りません。  それで、ここに書かれてあることが実にユニークなので紹介します。そこには、   教育現場への押し付けは絶対によくない。もし本当に君が代が必要だと思うなら、まず国会で歌うとか、公務員が率先して歌うべきじゃないですか。高校生までは校歌と校旗で十分です。「二十歳になったら初めて歌う」ぐらいでいい。   国の歌や旗なんだから、少なくとも国家を代表する大会や集会だけで使えばいいんです。乱用せずに、もっと大切にすべきじゃないんですか。 と述べているわけなんです。  そこで四つのことが書いてあるわけで、まず国会で歌うとかということが書いてあります。先ほどから言っているように、小中学校、公立学校の入学式とか卒業式とかいうところに、歌うものとするとか国旗掲揚をするものとすると。そうすると、国旗国歌というのが国際的な観点と国というものに一番結びついた一つの行事とか関連ある活動とかということになったときに、国会の開会式があって、天皇陛下がそこに来られて、そして開会式が行われるんです。私は、そこでもし君が代を歌うことになっても、先ほど言ったように信念として歌いませんから、行っても歌わぬな。歌わなんだら非国民になるのか不敬罪になるのかよく知りませんが。  しかし、小中学校の先生なんかが、本岡さん、国会の開会式で歌っているのと言われると、いや、歌わないよと。何で小中学校だけこんなに厳しくやれやれと言われるんだ。国立大学というのは国家公務員でしょう、国の大学でしょう。国の大学がやるのは、しかしそれは大学の自治があるからしなくてもいいんだと。ああそうですか、結構ですねと。それなら国家公務員、各省庁、文部省の職員だって国家公務員だ、国家公務員が何かをするときにどうかと。  だから、私が言いたいのは、何でそういう学校のところだけに特化してこの問題を集中的にやるのかということなんです。  官房長官、この人たちがまず国会で歌うとかというふうにおっしゃっていることはどうですか。天皇陛下がおいでになるところで、あそこに参加する議員は皆一斉に立って君が代を。(発言する者あり)いや、私はいいことやないと思いますし、私はやりません、参加しませんよ。だけれども、小中学校にそこまで厳しくこの問題をいろいろ言うのなら、そういう問題をなぜ避けて通るのか。しかし、そのことは皆で大議論したらいいじゃないですか、そういうことはいいか悪いか、どうですか。
  76. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 私は、今委員が御指摘になりました一水会代表の鈴木さんの一文は読ませていただきました。ただ、今御指摘のまず国会で歌うことにつきましては、これは最終的には国会の御判断でお決めをいただくことであろうと考えておるわけでございます。  一人の国会議員といたしまして、私は望ましいことだと考えております。
  77. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 言っているように、私は反対だと、すべきでないと。だから、すべきだという人とすべきでないという形があるからやれていないと思うんです。そうでしょう。  そういうものをなぜ小中学校のそういうところだけに特定して、そしてやらなければ処分をするとかいうふうな形へ持っていくのかということを私は言っているわけなんです。国会でもできない、国会の判断でやっているんでしょう。大学は大学の自治で、大学の判断でやっているんでしょう、やるかやらないかは。それはできっこないですよ、国会でやれといったって、そんなことは。(「そんなことはわからないよ」と呼ぶ者あり)  私は反対です。だから、国会でやれないことをやるなと言っているんですよ。私の言いたいことはわかりますか。
  78. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 学校教育における国旗国歌の指導の意義づけについてのお尋ねにつきまして、私の方からお答えをさせていただきます。  国旗国歌の指導が具体的に規定されております学習指導要領は、全国的に一定の教育水準を初等中等教育におきまして確保しますとともに、憲法に定められた教育の機会均等の原則を保障するという観点から、法律に基づきまして、具体的には学校教育法に基づきまして国の教育課程の基準として文部大臣が文部省告示という形で定めているものでございます。  これは、憲法に定められた国民教育を受ける権利を保障するという観点から、国が法律に基づきまして、発達過程にあります初等中等教育小学校から高等学校までの子供たちについて、国民としての育成を期して、基礎的な、基本的な事項をどう保障していくかという観点から具体的に法律に基づきましてそのような基準を定める権限を文部大臣が持ち、それに従って、各学校におきましてこの基準に基づきまして教育課程を編成し具体的な教育活動を実施していただく、そういう観点から設けられているわけでございますので、あくまでも国の一つ教育の政策として法律において行われていることを実施しているものであるということについて御理解をいただきたいと存じます。
  79. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 今おっしゃったように、私は指導要領にそれを定めることが間違いだと思うんです。これも指導要領を変えればいいんですよ、問題は。すべてが問題になることだと思っていますか。指導要領の、国旗を掲揚し、国歌を斉唱することというところを削除すればいいんですよ。それは今の政権ではできない、できる政権ができたらそれをすると、そういうことでしょう。(「村山内閣でもやったんですよ」と呼ぶ者あり)あなたに質問していないです。うるさいですね、本当に。  それでは、質問に移ります。  私は、国旗国歌法制化を待つまでもなく、今日の日本の公立学校における国旗掲揚国歌斉唱のあり方は余りにも押しつけがましいと思っているんです。それは、学校教育法それから学習指導要領で法的裏づけがあるからという、法的裏づけということを根拠にして強制的にやってくる。いわゆる押しつけですよ、これははっきり言えば。しかし今、法律にあるからということの議論があるということはまた別のところでやります。  そこでお聞きしたいんですが、世界の先進国と言われているOECD、二十三カ国か四カ国あると思うんですが、先進国と言われているOECD諸国において、日本の公立学校のように学習指導要領か何かそういう法律によって国旗の掲揚、国歌の斉唱をやっている国がどれほどあるのかということをぜひとも私は知りたいんです。どういう状態ですか。
  80. 小野元之

    政府委員(小野元之君) 先ほども御質問ございましたけれども、具体的にOECD加盟国で、例えば公立学校で国旗掲揚国歌斉唱をどんなところでやっているのかという御質問でございます。  幾つか例がございますが、例えばトルコにおきましては、学校の各行事におきまして国旗の掲揚がなされております。国歌につきましても、学校行事におきまして国歌が吹奏、斉唱されております。それからオーストラリアでございますが、学校行事におきましては各学校の自主的判断によりほとんどの学校で国旗を掲揚しております。国歌につきましても、学校行事で幅広く演奏されているという事例がございます。そのほか、メキシコにつきましても、小中学校では法律に基づき毎月曜日に授業開始前に国歌を歌い、国旗掲揚を栄誉礼で行うということが行われております。それからハンガリーにおきましても、学校行事においては国旗掲揚が行われておりますし、国歌の斉唱もなされております。それから大韓民国におきましても、大統領令によりまして年間を通じて掲揚しなければならないということになっておりますし、入学式、卒業式等の学校行事においては斉唱がなされております。  こういった幾つかの例がございますが、それぞれの国におきまして入学式や卒業式の形も違いますし、教育制度も違います。それから文化や伝統も違うわけでございますけれども、こういった国の例があるということは事実として私ども承知しているところでございます。
  81. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 今、口頭で報告されましたが、ぜひともそれはきちっとした調査をして、今あなたは法律にあるということと自主的ということを混在されましたけれども、はっきりと学習指導要領のような法律があってやっているところと、それから自主的にというところを区別して、参考にその資料を提出していただけますか。
  82. 小野元之

    政府委員(小野元之君) 私どもで把握しておりますものについては、御提出させていただきたいと存じます。
  83. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 繰り返しの論議になります。ことし六月十一日に「国旗日の丸国歌君が代法制化等に関する質問主意書というものが出されて、これは子どもの権利条約第十四条に関してのものであるようです。これに対して政府の答弁書が出ています。それを要約しますと、児童生徒の思想、良心を制約しようとするものではなく、子どもの権利条約第十四条には反しないということのようであります。  この場合、児童生徒が国旗国歌意義を理解し、それを尊重する心情と態度を育てるという教育活動は、これは子どもの権利条約第十四条に違反するものではないというふうに考えられる、私もこれは理解できます。しかし、卒業式や入学式などの学校のお祝いの式典に、一斉に日の丸におじぎをしたり君が代を皆が一斉に歌うことを児童生徒に強制することは、子どもの権利条約十四条に違反するのか違反しないのか。なかなか厳密な解釈は難しいかもしれません。しかし、私はやはりこれは、先ほど言ったような内心の自由があるというふうな事柄からは違反するのではないかと考えます。  そこで、こういう難しい議論は別にして、今、各学校では三月には卒業生を送り出し四月には入学生を迎え入れるんです。そこには卒業式があり入学式があります。この卒業式とか入学式、難しい言葉では特別教育活動とかいうような言葉があります。  しかし、考えてみれば、これは、子供たちが六年間一生懸命勉強してめでたく卒業して中学校へ行きます、よく頑張りましたね、中学校へ行ってもしっかり頑張ってください、お兄さん、お姉さんと、こういうお祝いの気持ち、そして学校の教職員は励ましの気持ち、こういうようなものが式の一つの主たるテーマであろうと思う。  入学式の場合は、在校生が新しく入る一年生に対して、さあ、あなたはきょうからこの学校の生徒ですよ、一緒に仲よく勉強しましょうね、病気せぬように一緒に仲よく勉強してくださいよという、そういう気持ちをそこでつくっていくのが私は入学式であろうと思うんです。ここのところは異論はないと思うんです。  そうすると、その入学式や卒業式の主役は子供だと思うんです。卒業していく子供、送り出す子供、入学してくる子供、それを迎える子供。だから、その子供たちとその学校の教職員、そして保護者、その地域の皆さん方が集まって、そうした子供の学校のお祝いの行事をどのようにしていくべきか、式場の飾りはどうしたらいいか、式典の進行はどうしたらいいか、式次第の内容がどうあったらいいかというふうな事柄を、それぞれ関係者が集まって、そして最もその地域に合った卒業式、入学式、子供も喜び親も納得し、教職員もそのことで新たな感動と勇気を持って次の教育に立ち向かっていけるように、そういうものにすることが最も私は教育的には望ましいのではないか、こう思うのであります。  全国各地の小中高等学校では、こうした卒業式、入学式にするために懸命の努力をやっています。また、こういうことをやらなければ、学級崩壊とか、それが発展して学校崩壊とか、子供が学校に行かないというよりも先生自身がもう学校に行けなくなるとかさまざまな後退状態が、退行状態というか、そういうものが今ずっと学校にあるわけで、やはりそういうものを克服していくためにも大事な特別教育活動だと私は思うんです。  今、私が言ったような望ましい入学式、卒業式というものについて、文部大臣はどうお考えになりますか。
  84. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) まず、入学式、卒業式はどういう意味を持つかということを申し上げてみたいと思います。  やはり、新しい生活へ展開していく動機づけを行う上で非常に重要だと思っております。したがいまして、厳粛かつ清新な雰囲気をつくり出すよう工夫することが大切であると思いますが、その具体的な実施方法については、各学校校長や設置者である教育委員会の判断にゆだねられております。その際、具体的な実施方法を定めるに当たって、先生指摘のように、児童生徒、保護者、地域方々意見を聞いたり、児童生徒に積極的な役割を与え、保護者や地域方々にさまざまな協力を求めたりすることは大切なことと考えておりますが、最終的には、教職員の共通理解が図られ、学習指導要領に基づいて校長の責任において決定する必要があると思っております。  一つつけ加えさせていただきたいことがあります。私自身経験を申し上げたい。  大学紛争以来、東京大学では卒業式が行われませんでした。安田講堂が非常に壊されたために卒業式をすることができませんでした。しかしながら、卒業する諸君が何とか卒業式をやってくれということを随分訴えてまいりました。むしろ教授会の中には東京大学として卒業式をすることに反対な人々もおられました。特に文系におられました。私は断固としてやりました。そのことによって法学部の学生なんかが真っ先に来ていたことを私は喜んでおります。大変に喜んでくれた。しかしながら、やった主体はあくまでも大学でありました。  こういうふうに、卒業していく子供たちの気持ちを酌んでやることが大切だと思います。これを制限しようということは、私どもは一向何も言っておりません。ぜひ、子供たちの気持ちも親の気持ちも先生たちの気持ちも、それから地域社会方々、父兄の気持ちも父母の気持ちもよく酌んですばらしい入学式、卒業式をやってほしいと思っています。  ただ、私はやはり、一生一回の思い出でございますので、厳粛で清新でしかも愉快なものをやってほしいと思っています。
  85. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 ちょっと、今最後におっしゃったことをもう一度おっしゃってください、大事なことをおっしゃったので。
  86. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 正確に再現できるかどうかちょっと心配になりましたけれども、私が申し上げたことは、一生一回のこと、その学校での卒業式を二回も三回もやるはずはない、一回なんだから、だからそれは厳粛で、非常に気持ちの新しい清新な雰囲気であり、しかも楽しいものであるということが必要であると思っております。
  87. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 今、三つの提起をされましたが、そうした事柄を内容とする卒業式、入学式をどうするかというのは、それこそそれぞれの各学校が創意工夫し最もすばらしいものをつくり上げていくという、そのこと自身文部大臣は否定されませんね。
  88. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) ただいま申し上げたとおり否定いたしませんが、最終的にはやはり教職員の共通理解が図られた上で学習指導要領に基づいて校長の責任で決定される必要があるということを繰り返させていただきたいと思います。これはやはり校長の責務であります。校長のリーダーシップである。これがやはりきちっと果たされるべく努力をしていきたいと思っております。
  89. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 私は、広島県の世羅高校の校長のような悲劇を広がらせてはならないと思います。なぜああいうことになったのか、これはいろいろな考え方もあるでしょう。野中官房長官は、広島県の世羅高校の問題があったから、やはりこれは法的な意味をここに持たさなければならないというふうに強くお考えになったようであります。しかし、そういうふうに法制化をしても、結局、先ほどから出ているように、文部大臣の指導方針は変わらないということであり、法制化というふうなものが結果として教育現場にどういう意味を持ってくるのかということが今後私は極めて大事なことであるというふうに考えます。  そこで、法制化は強制ではないんだ、押しつけではないんだという、ここのところを再度もう少しわかりやすくはっきりと提示していただきたいと思います。
  90. 野中広務

    国務大臣野中広務君) たびたびお答えをしておるわけでございますけれども、日の丸君が代につきましては、長年の慣行によりまして国民の間に広く定着をしておることでございますけれども、成文法根拠がないことをもって日の丸君が代我が国国旗国歌としては認めないという意見国民の一部にありますことは事実でございます。そういう中で、私どもも過去に経験をしてまいりましたけれども、特にさきの広島県の世羅高校の中におきまして、あの石川校長の自殺というとうとい犠牲を生むことになりました。  これは参議院におきましても亀井委員初めそれぞれの委員からお取り上げがございましたし、またそのときに、広島出身の宮澤大蔵大臣が、みずからの長い政治生活を振り返りながら政治家としての責任をも含めて発言をされました。  先般、民放におきましてこれが特集として報道をされましたときに、広島県の小森部落解放同盟委員長が宮澤発言に触れられまして発言をされましたことは、より私はこの問題の深刻さを物語るものだと思うわけでございます。教育の現場で、教職員と校長との交渉の中に、広島だけの特異的なことでございまして、他にそんなに例があるわけではございませんけれども、解放同盟が入り、これが固定化し、そして法的根拠を持たない国旗国歌を斉唱し掲揚をすることはいわゆる新たな差別につながるような、人権差別につながるような主張の前には、校長としては答えようがない、そうすることが差別だと言われたら当該者は答えようがない。  こういう実態を考えましたときに、そしてこの間の報道特集のあの御発言を聞きましたときに、私は、これは法律根拠を持って、そしてこのようなことによってまた新たなる差別が再起しないことを我々は考えるべきだという、この道を選択したことのよさを痛感したわけでございます。  これからも我々は、これが法文化しても、それは先ほど来累次申し上げますように、人それぞれの内心に入って強要できるものではありませんし、それはいわゆる、委員が今御指摘ございましたように、法文化とそして強制とは別であるということはあくまで私どもの考え方でありますことを繰り返し申し上げておきたいと存じます。
  91. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 法制化することが強制にはつながらないんだという、言葉で今語られることと、実際そのことがさまざまな国旗国歌を議論する場でどういうふうにあらわれていくのかという、そこの問題なんです。  だから、最初に私が新聞の投書を取り上げたのも、君が代象徴天皇だ、だから君がそのことを否定することは憲法違反だ、こういうふうに教育長が言うというふうな形。だから、各学校に対して職務命令というふうなものをこれから出していくその根拠になっていくであろうというふうに私は思うんですが、そういう職務命令によって学校教育が動いていく、職務命令が学校を動かしていくという、そういう関係では教育活動はないと思うだけに、国旗国歌法制化が、さらに学校においていろんな不測の事態、不幸なことをもたらしはしないかという強い疑念と危惧を持っております。  官房長官が強制にわたらないんだ、強制とは違うんだとおっしゃったことを私も肝に銘じながら、そのことが強制になるのかならないのかということをこれから見守りながら、そういうことが起こらない一つ教育現場の状況をどうつくるかということを私も全力を挙げてやっていかなきゃいかぬというふうな思いは私はあります。  そこで、もう時間もありませんので最後の質問に入ります。  それで、どうしても慣習ではだめなんだ、法制化をしなければ今おっしゃったようなことは解決しないんだ、だから私は法制化したことに誇りを持つというふうに今も言い切られました。しかし、慣習と成文化して法律ですべてのものを律していくということとどちらが強いのか、どちらが重いのかという問題を議論していったときに、私は、法制化による問題よりも慣習による慣習法で定着していく方が重いし強いというふうに思うんです。  それは、単純であって、法律によって制定していくということは、先ほども私がちょっと指導要領で言いましたように、新しい別の内閣ができて指導要領のここのところを変えれば、変わっていくわけであります。それと同じように、国旗国歌のこの問題も、理論的には多数決によってそのときの政権与党が何を国旗とし何を国歌とするかということをできる可能性を持つものであろうと私は考えます。  しかし、習慣に基づいた慣習法なんていうのは、これは国会の多数で律することもできないし、今だれかが何かを意図してやろうとしてもできないし、長年にわたってずっと生活の中に根差し習慣化してきたものが習慣—慣習—慣習法となっていくんでしょう。私は法律家じゃありませんからうまく言えませんが、結局、長年にわたる国民のさまざまな活動の中で集合した物の考え方、集合意思というんですか、そういうふうなものが慣習であり、そこから導き出される慣習法ではないか、こういうふうに思います。  だから、日の丸君が代というのは、文字どおりそういう意味で、私もそこのところは、認めるべきところは私の立場で認めていこうとしているわけなんです。私の背負った歴史の中で認めようとしている。だから、そういうふうにみんなが時間をかけて国旗国歌の問題を冷静に議論して、そしてみんなの意思とする、そして国旗国歌を尊重するとかいうふうな問題、また国を愛するとか日本の国に誇りを持つとか、さまざまな問題と結び合った問題でありますから、やはり時間をかけて私はそういうものは成熟させていくべきだと思います。  今、野中官房長官がおっしゃったように、広島の世羅高校のところで起こったその問題で、私が法律化したことによってこの問題を解決した、私はいいことをやったと思うとおっしゃったけれども、問題はそういうことではないと私は思うんですよ。確かにそれは、部分的にそういうことに対する一定の効果をあらわすかもしれません。かもですよ、こんなことは。  だけれども、全体として私は、やはり慣習として広く国民の中にこういうものを定着させていく。しかし、その中でやがてみんなが、もうこの辺まで来れば法律にすればいいじゃないか、法律にしようじゃないかというずっと大きな合意ができていく中では、それはそういう法律化というものもあっても私はいいと思うんですが、やはり時期尚早であり、野中官房長官の、何というのか、私は権力的な発想の中に出てきた一つ法制化かなというふうな思いがしてならないということを最後に申し上げておきたいと思います。  以上です。
  92. 野中広務

    国務大臣野中広務君) たびたび申し上げておりますように、慣習的に国民の中に定着をしていくことが一番、委員おっしゃるようにいいことでございます。けれども、残念ながら、五十年余りを経ましたけれども、我が国ではそれぞれの現場におきまして、法的根拠がないということで国旗とし国歌として認めないという主張が通ってまいり、そして教育現場における混乱はもとより、地域社会における反対運動もあってきたのも事実であり、とうとい人命が犠牲になったことも事実であるわけでございますので、したがいまして、法文化をすることによって成文的な確定をすることが、今与えられた来世紀への大きな課題を克服することであると考えるわけでございます。  ぜひ御理解をいただき、国会において御審議を賜ることを期待しておる次第であります。
  93. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時まで休憩いたします。    午前十一時四十八分休憩      ─────・─────    午後一時一分開会
  94. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) ただいまから国旗及び国歌に関する特別委員会を再開いたします。  委員派遣承認要求に関する件についてお諮りいたします。  国旗及び国歌に関する法律案の審査のため、来る八月四日、現地において意見聴取等を行うため、委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  95. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 御異議ないと認めます。  つきましては、派遣委員派遣地等の決定は、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  96. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  97. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  国旗及び国歌に関する法律案の審査のため、来る八月三日、参考人の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  98. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 御異議ないと認めます。  なお、その人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  99. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  100. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 休憩前に引き続き、国旗及び国歌に関する法律案を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  101. 江本孟紀

    ○江本孟紀君 午前に引き続き、民主党の関連で私、江本が質問をさせていただきます。  私は、文教・科学委員会で、参議院議員になって以来幾度かこの国歌国旗について当時の文部大臣並びに政府に質問をさせていただきました。そのときに私は、国旗国歌が世間で話題になるというときは必ず教育現場の混乱から始まっておるものですから、そういう教育現場の混乱の最大の原因は、日本には国旗国歌がないんではないかというようなところからどうも話が来ているんじゃないかということで、そういった混乱を解決するには早く法制化をすべきだという個人的な意見で一貫して主張をしてまいった経過がありまして、今回の君が代日の丸法制化については私は賛成である、それを踏まえて大臣に御質問をさせていただきます。  まず、最初に官房長官にお願いしたいんですけれども、世間では何で今ごろということで、今ごろという意味が私とはちょっと違うんですけれども、今ごろというのは何でこんな時期にやるんだという否定的な方の言い方なんですけれども、何で今ごろというのは、独立して何十年の間法制化もしないで、国旗国歌ということをきちっと認めもしないで、どうもみんながそうらしいぞといったようなことであいまいにしてきたんじゃないか。  私は議員になってまだちょうど七年終わったところです。そうすると、過去の先輩の悪口を言うわけではありませんけれども、政治家と言われる人たちがきちっとこれに対応して、先をちゃんと見越して、そして国旗国歌というものはこういうものであるという法制化について、議事録を読みますと時々そういう話は出ておりますけれども、それが具体化してきちっと議論したことはほとんどないんじゃないかということで、これは過去の政治家の方が怠慢だったんじゃないかなというふうに私は思っておるんですけれども、官房長官は一議員としてもう随分長い経験でおられますので、その立場からお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  102. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 今回、法制化の御審議をお願いいたしたわけでございますけれども、戦後五十数年に及ぶ経過を振り返り、その間、今、江本委員が御指摘になりましたように、国旗国歌をめぐる問題というのは残念ながら教育の現場の紛争あるいは交渉過程で議論をされることが多うございました。それがずっと今日まで教えられ、そして教えられた人がまた教える立場になって五十年を経過してきたわけでございます。  そういうことを考えますときに、政治家個人として、この問題についての教育現場のありようについてもっと率直にかつ厳粛な問題としてとらまえて処理できなかったことを、私も一人の政治家として責任を感じておる一人であります。  今、まさにあと一年余りで二十世紀を終わろうとするこのときに、私どもといたしましては、国旗国歌法制化によりまして、二十世紀中に生じたことは今世紀においてできる限り解決していくことがぜひ必要であるということでお願いをしたわけでございまして、ぜひ、委員おっしゃいますように、国会において御審議の上、本法案ができる限り多くの皆さんの御賛同をいただいて成立いたしますように心から願っておる次第でございます。
  103. 江本孟紀

    ○江本孟紀君 先輩議員に大変失礼なことを言いまして申しわけないんですけれども、やはり今の時代に私たちに全部降りかかってきたわけですね。  確かに年代的にはばらつきのある委員会ですけれども、私は戦後生まれの人間ですから、国旗国歌というものについて戦争時代のそういった深い傷を持っているわけではありませんし、また、学校の中でも強制されたこともありませんし、歌え歌えと言われたこともありません。ごく自然に体の中に君が代日の丸は入ってきていたということです。  しかし、自分は個人的にはそういう混乱の場に遭遇したことはありませんけれども、こういった立場になったときに、この文教・科学委員会に所属している間に、教育現場の混乱の中に国歌国旗の問題というのが絡んできているんではないかと。  そこで私は、本来、先ほども申しましたように、もっと早くこういうものを片づけておかなきゃいけなかったんじゃないかということを申させていただきましたけれども、しかし、これを機会にやはり改善すべきことはすべきだと。先ほど文部大臣の御答弁の中に、これが決まったからといって現場では何も別に変わらないよというような御意見もありましたけれども、私はぜひ変えていただきたい。  私は、教育現場の混乱ということを言いましたけれども、その中で、今ちょっと出ましたけれども、強制という言葉が盛んにこの国旗国歌の中で使われるんですけれども、この強制という言葉は余り的を射ていないんではないか。学校現場で君が代日の丸あたりを年に一回あるかないかの卒業式や入学式に全員で歌ったり掲揚したりすることを強制というふうにとるというのは余りにも意図的であるというふうに私は思います。教育現場でこういうものはこうだよというふうに、儀式はどの世界でもあるわけですから、学校現場で日の丸君が代国旗国歌というものをきちっとやることについて、それを強制などという言葉で取り違えて逆に変な思いをさせてしまうというようなことは、私はおかしいんじゃないかと。一年に一回や二回、そういう儀式の中で日の丸君が代国旗国歌というものをやることは何ら問題ない。私はそういうところまで強制強制と言われることに気を使う必要はないのではないかと思います。  幾つか問題点がありますけれども、学習指導要領でそういった法的根拠があるとは一応言われていますけれども、国旗国歌を認めなさいというような、現場に任せるわけですけれども、実際にはそういったことは守られていない。その守られていない原因は、先ほども出ていましたけれども、法律で決まっていないから守る必要はないんじゃないかというようなところから、むしろそう思っていない方々が、政治的な背景もあるでしょう、そういったようなことで逆に子供に強制している、歌わせないとかやらせないことを逆に強制しているんじゃないかというふうに私は思うわけです。  それと関連しているかどうかは別として、ある雑誌に公立高校の先生が書かれているところをちょっと見てみたんですけれども、どうも日の丸君が代とかをきちっとやっていない学校は必ず何かいろんな問題が起きて学力が非常に低下しているというのが顕著にあらわれているということです。  これは広島県の問題もあるんですけれども、実施率が非常に低かったのは、平成元年ごろは大阪府が大変ひどかったらしいです。ところが今や、きょう亀井先生いらっしゃいますが、広島県が、これは本当に確かかどうか私は知りませんけれども、実施率がほとんどゼロになっていくと恐らく学力もどんどん低くなって全国一になっているというこの関連性を見ますと、全部日の丸君が代のせいにしているわけじゃありませんけれども、どうも混乱している原因の一つに、何でも自由でいいんだ、学校で勉強するのもしなくても自由なんだと。それから、不良化している割合も、非行率も非常に高い。  それは何かというと、やはりちゃんとした枠をきちっと決めて、学校の中で教えなきゃいかぬことを教えていない。自由というものを履き違えて教えたばかりに、結局秩序もなくなる、学力も低下していくというような現象が出ているということが書かれてあるんですけれども、私もなるほどそれはそうではないかなという気がします。当然、私立にはこういったことはないわけです。公立には特にこういった問題があるわけです。  それから、学校の現場で問題になるのは、よく国旗国歌にそういう問題があるということなんですけれども、内容に問題があると言う人と、国旗国歌そのものが要らぬと言う人たちがいるわけです。そういう団体の人たちにとって精神的な柱になっている府立大学の総長さんなんかの本には、国旗国歌というのは要らないんだというようなことが書かれているわけですから、そういう思想を受けた人たちが学校現場で国旗国歌は要らぬと言っている。それはやっぱり矛盾があると私は思うんです。  だから、国旗国歌というものは、日の丸君が代を認めている人たちと、国旗国歌そのものが要らないと言う人たちをちゃんと分けなきゃいけないと思うんですが、その辺もちょっとごちゃごちゃになっていまして、我々民主党は意見が分かれておりまして、確かにつらい立場できょうも立たなきゃいけないんですけれども、しかし、国旗国歌そのものは認めてもいいんだ、ただ法制化を今するのはどうかと言っているだけであって、大半の人は現状を認めているわけですから、常識があると私は判断しております。  それから、反対運動をずっとやってきたことによって起こった弊害というのは、当然広島県の例を見てもそうですし埼玉県の例を見ても、これは事細かに言わなくても、(「北海道」と呼ぶ者あり)北海道もそうですか、いろんな各地でこれは当然出てきておるわけですね、書いてありましたけれども。埼玉、東京、千葉、広島、こういったところは、本当に混乱が起きている上に、学力低下と秩序の乱れに苦しんでおるというのは、これはもう明らかであります。  そういうことで、この人たちが、国旗国歌というものを本当の教育の現場でちゃんと考えるんじゃなくて、むしろ政治的なことに利用して子供を混乱に陥れているというケースは、国民の多くの人がもうそんなことはわかっているわけです。  そこで、今回の法制化について、やはりより一層、甘っちょろいことをやっているんじゃなくて、できましたけれども後は自由にしなさいよというような、そういう甘いことをやっていたらまた混乱がずっと起きるわけですから、これはもう都道府県の教育委員会なんかには文部省がきちっと指導していくべきじゃないかと私は思っているんですけれども、その辺をどうされるのかお聞きしたいと思います。
  104. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 文部省におきましては、国旗国歌の、とりわけ卒業式、入学式におきます指導状況につきましては、従来からほぼ毎年、あるいは時期によって多少中止していたこともございましたけれども、実施状況について調査をいたしまして、それに基づいて適切な指導を行うようにと各都道府県に対しまして指導通知も発して、最近におきましては、一部の都道府県を除きましてほぼ四十県程度の都道府県におきましては、ほとんど全県下問題なく国旗国歌の掲揚、斉唱が入学式、卒業式において行われるようになっていっているという状況でございます。  近年におきましては、平成十年十月十五日におきましても、その年の春の調査の結果を受けまして、各都道府県・指定都市教育委員会あてに通知をもって指導いたしまして、さらに平成十年、昨年の十二月から今年度の入学式、卒業式にかけましては、特に実施率が低い七県につきまして個別に文部省においでいただきまして、実情もお伺いしながら指導を徹底していただくようにお願いもしているところでございます。  ことしの春の卒業式、入学式の状況についてはまだ調査は出ておりませんけれども、この法律が通りました後におきましては学習指導要領におきます規定そのものにつきましては従来と変わりなく指導ができるものと思っておりますけれども、法律の成立というものを受けまして、さらに指導の徹底が図られるよう、文部省としても十分意を用いてまいりたいと思っているところでございます。
  105. 江本孟紀

    ○江本孟紀君 ぜひとも、法制化された場合はきちっとした対応をしていただきたいと思っております。  そこで、ちょっと今もう一度、日の丸君が代という問題で、日の丸の方は抵抗感がないと言われております。問題は君が代だということを盛んに言われておるんですけれども、これに対して異論のある方の意見、まあそれぞれあると思うんですが、歌詞というものがようわからぬ、君が代歌詞はよくわからぬと。でも、歌詞がわからぬものは結構多いんです。  実は、私は高知県の高知商業出身なんですけれども、高知商業の校歌というのは明治四十二年にできまして、「鵬程万里果てもなき 太平洋の岸の辺に 建依別のますらおは 海の愛児と生まれたり」というのがあって、二番に「天にそびゆる喬木を レバノン山の杜に伐り 船を造りて乗り出でし フェネキア人のそれのごと」というのがあるんですよ。四番には、「いざ ヘルメスの神まつれ いざ 健やかに出でゆかむ」なんて言われたら、もうさっぱりわからないんですよ。これは明治四十二年にできたんですよ。全国の高等学校でも名門ですから、こういう横文字がどんどん出てくるというのは、もうこれは全国にここの校歌しかないんです。  ところが、私は高知商業野球部出身ですが、甲子園に行けなかったんです、出場停止になりまして。行った後輩たちを見ていると、勝ったときに高知商業の校歌が流れてくると、それはもうだれもがみんな感動して感激するわけです。歌詞がどうやったかな、「ヘルメスの神まつれ」というようなことを一々思い出す人はいないんですよ。だから、それと君が代を一緒にするつもりはないんですけれども、一緒にしたいんですけれども、そんな難しいことを言う必要はない。  それから、きょう南野先生がお配りになった歌詞を見ても、これはもうほとんど私らにしたら恐ろしいような歌詞ばかりで、これは当然であります。  私にしたら、君が代なんという歌詞は、詠み人知らずということをもう何度も皆さんが言われているんです。そうだろうと思います。本当かどうか私もわからないんですけれども。ところが、これだけ優しく、反戦的というか、戦いのにおいすらない、こんな国歌というのはないわけです。変えるんだったらむしろ、もっと元気のいい、敵をやっつけるような歌詞にした方がいいな、それぐらい私は思っておるんです。  だから、こんな平和なことはないんで、この歌詞に問題があるというのについては、私はこれはちょっと言いがかりが過ぎるんじゃないかなと日ごろ思っておるわけです。  そこでもう一つ、我が民主党でちょっと困った問題があるのは、君が代をちょっと考えようとか何か代案を出そうとかという話があるわけですけれども、では、今度つくったとしますね。つくったとしたら、だれがつくるのかというのが問題です。  もう一つは、文教・科学委員会で先般やりました著作権法の一部を改正する法律案、あれは、あちこちで流しているその著作権料をきちっと払いなさいということになりますから、この規定を見ても著作権がきちっと存在するわけですね。そうすると、もし一般人が君が代のかわりの国歌をつくったら、これは著作権料が五十年間入ってくるわけですよ。それだったら私にやらせていただきたいと思うんですけれども、これはそんな不謹慎な話はできませんけれども。  そんなことを考えてみたら、これは新しい歌をつくって云々とか、そういった議論になるというのは全く私は個人的にはばかげていると思うんですね。  だから、今勝手に言いましたけれども、作詞家と作曲家がもしあらわれた場合に、こんな質問で文化庁にちょっと申しわけないですけれども、著作権の扱いというのはどんなようになりますか。
  106. 近藤信司

    政府委員(近藤信司君) お答えをいたします。  仮に新しい国歌が作成された場合には、その歌詞及び楽曲は著作権法上保護されます著作物に該当するものと考えておりますので、その著作者である作詞家並びに作曲家は、著作権法上認められます複製権でありますとか演奏権等の著作権を有することになるわけでございます。  この国歌の利用に関しましては、教科書へ楽譜を掲載するとか、学校での入学式、卒業式などで演奏する場合等におきましては著作権法上自由に行えるわけでございますが、その他の利用に当たりましては原則として著作者の許諾を得ることが必要になるわけでございます。したがいまして、仮に新しい国歌をつくることとなった場合に国民国歌を自由に利用することができるようにするためには、国が著作者から著作権の譲渡を受けた上で権利行使を差し控える、そういったような工夫が必要になることも考えられるのではなかろうか、そのように理解をいたしております。
  107. 江本孟紀

    ○江本孟紀君 それを聞いただけでも、新しい国歌をつくるというようなことは大変な作業になりますので、国歌そのものは、私個人は本当に問題ないと思っております。  最後に、官房長官にもう一度お伺いしたいと思います。  もう一度ちょっともとへ返しますけれども、この法案そのものは非常に単純な法案になっています。日の丸君が代国旗国歌に認めるということになっていますけれども、もうそろそろ、この後の混乱が起きないためにも、はっきりした背景も含めて、官房長官、びしっと言っていただければ納得できると思うんです。  学校の現場でよくあるパターンとして、先ほど申しましたような、ちょっと意図的な、政治的な背景で子供を洗脳していくような教員をきちっと排除できるわけです、こういう場合はこの法案によって。だから私は、法案はそういう本音もあるぞということをきちっと言っていただく、その方がやりやすいと思うんです、今後も。  だから、あいまいな形で、国旗国歌にしたぞというだけでは国民も何となく納得がいかないと思うんです。教育現場を本当にきちっとして、正しい公民教育をし、そして今、柱を失っている国の方向性がきちっとなっていくというようなことのうちのこれは第一歩ではないかなというふうに思っておりますので、その辺を、残りの時間まだたっぷりありますので、ひとつよろしくお願いします。
  108. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 先ほど来何回も申し上げておりますように、国旗国歌につきましては、教育の現場などでは以前からさまざまな議論があり、日の丸君が代が長年の慣行によりまして、それぞれ我が国国旗国歌であるとの認識国民の間に広く定着をしていると考えておったわけでございますけれども、しかし、残念ながら本年二月に、国旗国歌の指導のあり方について御努力あるいは尽力されておりました広島県世羅高校の石川校長が、このありようについてみずからの命を絶ってしまわれるという非常に痛ましい事件が起きたわけであります。  今日までいろんな地域におきまして、委員からも御指摘がございましたけれども、問題が発生してきたわけでございますけれども、一人の校長がそのはざまに苦しみ、そして命を絶つということは大変大きな問題を残すわけでございますし、また、この問題で差別問題に絡んだとするならば、死が新たなる差別を呼び起こすことになると考えたときに、今日まで慣行上、それぞれ慣習法で国民に定着しておるからということだけでよけて通ってきた問題を、やはり来世紀に向けまして、今回の石川校長の犠牲の上に立って、成文化してきちっとして法制化していくことがこの世代に生きる者の責任であるというように総理以下認識をいたしまして、それぞれ手続を経て国会の御審議に供することにいたしたわけでございます。  どうぞ、その意味をぜひ御理解いただきまして、今後、国会で慎重な御審議をいただきまして、本法律案が早期に成立いたしますことを心から願っておる次第であります。
  109. 江本孟紀

    ○江本孟紀君 終わります。
  110. 山下栄一

    山下栄一君 公明党の山下でございます。  我が党はこの国旗国歌法制化につきましては既に賛成の立場を決めておるわけでございます。ただ、きょうも問題になってまいりました教育現場における扱い、これは慎重であるべきだという考え方の上からきょうは質問させていただきたいというふうに思うわけでございます。  特に、教育というのは、家庭においてもそうかもわかりませんし、学校においてもそうだと思うわけでございますけれども、やはり教える側と学ぶ側の基本的な信頼関係、これがいかにつくられていくかということが基本でなきゃならないというふうにも思うわけです。したがいまして、特に子供たちに対して、児童生徒に対して、客観的な、また正しいことをきちっと教えていくということで、ある意図を持って特定のイデオロギーを押しつけるとか、そういうことがあってはならないというふうに考えるわけでございます。信頼関係が失われたときにまさにそれが崩壊になっていくんだ、こういうふうに感じるわけでございまして、この国旗国歌を教えていくということにつきましても、特に行事において体で表現するということにつきまして、やはり私は慎重でなきゃならないというふうに考えておるわけでございます。  それで、一週間ほど前ですが、この場にいらっしゃる皆さんの会館の部屋にも来られたかもわかりませんけれども、私の部屋の方にも大学生が来られました。これは何校かわかりませんけれども、駒場の方から一時間四十分かかって走ってきたと言って、とにかく聞いてもらいたいというふうなことでTシャツで来られました。四人来られたのですけれども、三人は文科系で、去年入学ですから今は二年生です。もう一人は理科系の本当にまじめな真剣な様子でございました。  その学生が言っておったのは、日の丸が侵略戦争シンボルとして歴史役割を果たしてきた、君が代歌詞国民主権に反する、教育の押しつけはだめだというふうなことを考えておると。それで、学校のキャンパスでも集会を開いてそのことを議論の末決議したので、そのことを審議される国会議員の方にも知ってもらいたいということで来たんだと。別に連絡もされないで来られたわけでございます。  そのときに私が感じましたことは、特定の時代のある一時期のことが強烈にその学生の中には入っておる。例えば君が代という歌が日本の風土の中で、日本国民の生活の中でどのようにして今日まで歌われてきたのかということが知られていないということを本当に痛切に感じました。よく振り返ってみると、自分自身もそういうことは学んだことがないな、私は教える立場だったんですけれども、そのことも教えてこなかったな、教える側がわかっていなかったなというふうに思いました。  家でも、子供たちに、日の丸というのはいつごろから始まってどんなふうに使われてきて今日に至ったんだ、ある一時期には確かに戦争に利用されたときもあった、そのことは厳しく忘れてはならないことだと。だけれども、長い一千年にわたる歴史の中で歌い継がれた面もあるし、それは曲のつけ方もいろいろ違っていたかもわからぬし、歌詞も若干変わっていたかもわからぬ。日の丸の使い方もそんな昔からあったんだというふうなことをその学生にもお話ししたんですけれども、そんなことを聞くのは初めてだという形で学生も言っておりました。だから、僕はこれは大変大事なことだなということを思いました。  国立国会図書館に、君が代の由来、そして日の丸の由来も勉強しました。そして、おととい、自民党代表で橋本聖子議員がこの日の丸についての歴史の話、そして君が代歴史の話もされました。ああいうことを正確にきちっと知っている大人は日本人の中にどれだけおるのだということを考えたときに、これは極めて少ないのと違うかなと。  先ほども話がありましたが、何となく国旗日の丸国歌君が代であるということはわかっているけれども、その旗に、歌にどういうふうな意味が今日まで歴史的に文化的に込められてきたのかということは余り語り継がれてこなかったし、そして家でも学校でも地域でもそういうことは余り学んでこなかったなということを本当にその学生と話をしながら私は感じた次第でございます。  それで、この学習指導要領なんですけれども、小学校では社会科、そして音楽。社会科は四年生以上、音楽は全学年でというふうに書いてあるわけです。中学では、中学校の公民的分野、教科では公民のところで教える。高校ではそういうのはありません。  あとは行事です。入学式、卒業式。特別活動ということで、もう小学校から中学、高校、全部これは極めて具体的に書いてある。僕はその教科における扱いと特別活動における扱いが、力の入れぐあいが全然違うなと。  それで、特別活動の方は極めて具体的に、それをちゃんとしなかったら職務命令というふうに、何でこれだけ職務命令なんだというふうなことが心配になるぐらいそこだけめちゃくちゃ強調されているということは、ちょっとこれはおかしいなというふうに自分では感じております。  だから、それぞれの外国国旗国歌もいろんな歴史文化の上に成り立っており、そしてそこに自然と敬意をあらわす気持ちもあらわれてくる、それでその国への誇り文化への理解も高まってくるというふうに思うんです。その辺のことがちょっと日本では、教育現場だけではないと思いますけれども、何となく全体的におろそかにされてきたのではないかなということを感じております。  文部省にお伺いしますけれども、国旗国歌に関する扱いについて学習指導要領の規定のねらいをもう一度確認させていただきたい。教科におけるねらい、特別活動のねらいということでお願いします。
  111. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 学習指導要領は児童生徒に対しましてそれぞれ小学校段階、中学校段階、高等学校段階におきまして基礎基本として学ぶべきものを定めるということでございますので、総体として、それぞれの教科あるいは特別活動あるいは道徳等すべての教育課程を通じましてそれが身につくという形でつくられているものでございます。  国旗国歌の指導に関しましては、新しく平成十四年度から実施されます小中学校につきましては、特に社会科におきましては、三、四年生、ここでは都道府県の人々の生活や産業、これと外国とのかかわり、こういった学習の場面がございます。また、五年生では、我が国国土の位置を学習する、こういった際に我が国や諸外国には国旗があることを理解させる、あるいはそれを尊重する態度を育てる。さらには、小学校六学年になりますと、国際理解、国際交流、こういった学習の中で、我が国国旗国歌意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国国旗国歌も同様に尊重する態度を育てる。  社会科におきましても、学年によりましてそれぞれ主たるねらいを異にしているわけでございますけれども、具体的には六学年までに、国旗国歌はいずれの国も持っている、それから国旗国歌はいずれの国でもその国の象徴として大切にしている、そしてお互いに尊重し合うことが必要であること、そして我が国国旗国歌は長年の慣行により日の丸国旗であり君が代国歌であることが広く国民認識として定着していること、さらには六年を修了するまでに社会科あるいは音楽の授業を通じまして、国歌君が代日本国憲法下におきましては天皇を日本国並びに日本国民統合の象徴とする我が国がいつまでも繁栄するようにと願いを込めた歌であることが理解できるようにする、これがこれまでの文部省の具体的な各学校にお願いしております指導の内容でございます。  また、中学校は、こういった小学校段階の指導の上に、公民的分野におきまして国家間の相互の主権の尊重と協力、こういった学習をする際に、やはり同様に小学校段階と同じような内容をさらに深めて身につけさせるというようなことでございます。  これに対しまして、音楽は、先ほども申し上げましたように、小学校一年生の段階からまずみんなと一緒に歌えるようになるということから始めまして、歌詞や旋律を正しく歌えるようにするというところまで小学校六年生でしっかりと教えていただく。その際に、国歌意義につきましては、社会科の指導の内容と関連をいたしまして、先ほど申し上げましたような内容をしっかり身につけさせるということをねらいとしているわけでございます。  これに対しまして、特別活動は、小学校、中学校、高等学校、もちろん子供の発達段階によりましてそれぞれの主体的な参加の態度あるいは受けとめ方、それぞれ違うことはもとよりでございますけれども、全体といたしまして、これら小中学校段階における各社会科や音楽の教科におきます指導を踏まえまして、それぞれの学年に応じて、具体的に卒業式、入学式という場におきまして国旗を前にしきちっとした態度でそれを斉唱すると、基本的なマナーをいわば実践する場として設けられているわけでございまして、これら総体といたしまして国旗国歌に対する正しい理解と態度を育てていく、こういうことを小中高等学校の段階を通じて指導を行うという仕組みになっているところでございます。
  112. 山下栄一

    山下栄一君 今の局長の御答弁、私が先ほど申し上げましたこと、要するに僕が言いたかったことは、君が代という歌は音楽の授業なんですね、関係してくるのは。音楽ではその歌を歌えるようになるということをどこで学ぶかというと、それは小学校の六年生までなんです、とにかく歌えるようになるということを確保するということで。  だから、先ほど申し上げたことはそうじゃなくて、君が代というのはどういう歴史をたどってきたかというようなことをやっぱり学ばぬと、愛着とか親しみとかいうようなことが、歌えるようになることも大事なんですけれども、私はそれだけではちょっともう一歩深まりがないなというふうに感じるんです。  僕は、国旗国歌に関しては正確な知識、認識を持たせることが物すごく大事だなと。それは、お父さん、お母さんも子供に対して、大人は子供に対してというふうなことを物すごく感じるんです。それがちょっと不十分ではないかということについての文部大臣のお考えをお聞きしたい。
  113. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 学校におきます国旗国歌の指導というのは、児童生徒に日本国旗国歌意義を十分理解させまして、これを尊重する態度を育てるということが重要だということはたびたび申し上げてまいりました。また、同時に、諸外国国旗国歌も同様に尊重する態度を育てていくために行っているものだということもたびたび申し上げましたが、今御指摘の点、私は非常に重要だと思います。  具体的には、社会科では国旗国歌意義を理解させまして、同時に諸外国国旗国歌を含めましてそれらを尊重する態度を育成はいたしておりますが、必ずしもまだ十分に行われていると思えないところも私は感じております。今後これを尊重する態度をさらに深く育成することが必要であると思っております。  今御指摘のとおり、小学校では各学年を通じまして国歌君が代が歌えるように指導をいたしているところでございます。これは音楽の授業でやっております。しかし、そういうときにも折々、この君が代の持っている意味を子供たちに伝えるということは必要ではないかと考えております。  今後もさらに授業のやり方などについて工夫をさせていただきたいと思っております。
  114. 山下栄一

    山下栄一君 この前、橋本委員のお話を聞きながら、本会議質問ですが、江戸時代というのはえらい広い階層にわたって、それから地域も種子島でも歌われたとおっしゃっていました。その歌の形式も謡曲もあれば小うたもあれば盆踊りの歌、盆踊りの歌になじむのかなとは思いますけれども、そういうことにまで非常に親しまれていたという話なんです。  国歌君が代の由来、これは本当に親、教師も含めてよく理解している人は余り多くないというふうに私は感じるんですけれども、官房長官はどういうようにお考えでしょうか。
  115. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 御指摘のように、国旗国歌の由来をよく理解している大人の方は、特に若い人々の中には必ずしも多いとは言えないと受けとめておるわけでございます。  それは、戦後の歩みの中に、それぞれ過去の戦争を中心とした歴史の中から国家歩みそのものが間違っておった、そしてそれをある意味において国旗国歌がこれに起因をしておったというとらまえ方が十分教育の現場でそしゃくされないままに、あるいは時にはそれが対立軸となってやってまいった経過があるわけでございます。  私は、戦後の歩み思いながらふと思い起こしたわけでありますが、レーニンの言葉の中に、青少年をしてその国の誇りを失わしめ、そして祖国に対する絶望感を抱かしめることが革命への早道であると言われたことを思い起こして、そういう表現があったことを思うわけでございますけれども、戦後の歩みの中に、そういうことをこの国の革命と考え、この国の国づくりと考えられた勢力が特に残念ながら教育の現場に支配的であったことが国家の進路を誤らしめ、かつ、先ほど委員が触れられましたように、国旗国歌に対する理解を、あるいは由来を十分理解されないままこの現代社会にまで対立軸とならざるを得なかった不幸な経過があったことを率直に認めなくてはならないと思っておる次第であります。
  116. 山下栄一

    山下栄一君 これは小学校だけじゃないんですけれども、学習指導要領解説の、これは文部省の解説ですが、国旗及び国歌に対して一層正しい認識を持たせ、それらを尊重する態度を育てることが重要だと、こう書いてあるわけですけれども、僕は今のままではこれは育ちにくい環境にあるなというふうに感じるんですね。  この尊重する態度を育てるというのは具体的にどういうことを指導内容として考えておられるのか。尊重する態度を養う、そうするための指導というのはどういうことを考えておられるのか。
  117. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 先ほどの質問のお答えをまず先にさせていただきたいと思いますけれども、学習指導要領の規定は、ごらんのとおり、各学校におきます指導の内容というものを極めて概括的に示すということにとどまっているわけでございまして、その規定に基づきまして、各学校において教科書を初めどのような教材を用意して、どのような指導方法で教師が教えるかということにつきましては、学校の教育課程の具体的な編成、実施にゆだねられているという構造でございます。  したがいまして、委員指摘のとおり、国旗を尊重し国歌を尊重する態度を育てるというために、我が国国旗国歌の由来などについて教員がそれをさまざまな研修等を踏まえて熟知した上で教える、これは当然重要なことでございます。  また、教科書におきましても、社会科の教科書の中で、例えば日の丸につきましては、幕末においては幕府の総船印として使われているといったような記述を通じてその由来を教えることができるような糸口の記述がございますし、また諸外国を含めまして、国旗国歌にはそれぞれの国の建国の理想や歴史文化といったものの内容が込められていますよというような記述を通しまして、我が国国旗国歌の由来につきまして教師が教えることができる、あるいはそれからさらに進んで、教材を準備して適切な指導ができる糸口となるような記述が随所に教科書においても工夫をされているわけでございます。  こういった教材を適切にこなして教師を指導するためには、当然御指摘のことにつきまして十分な教師の研修が行われるということが大事だろうと思っておるわけでございます。各都道府県等の教育委員会におかれましても、こういった点につきまして今後さらに意を用いていただきますよう指導してまいりたいと思っているわけでございます。  したがいまして、文部省といたしましては、国旗を尊重し国歌を正しく理解し尊重する態度を育てるとはどういうことかということにつきましては、先ほど申し上げましたような点までを学習指導要領の解説におきまして指導するということにとどめまして、あとはそれを今申し上げましたような教科書あるいはその他の教材を踏まえて各学校が展開していくという仕組みになっているところでございますので、よろしくお願いしたいと思います。
  118. 山下栄一

    山下栄一君 態度を育てるというのは重要であるというふうにどこに書いてあるかというと、これは特別活動の取り扱いのところに書いてあるんです。僕はこういうふうに理解したんですけれども、これは多分、国旗を掲揚し国歌を斉唱する、掲揚というのは壇上に置いておるだけではいかぬわけですね、あれは。高く掲げないといかぬわけです、高く掲げることが掲揚ですから。そして、ちゃんと立って歌を歌うという形を整えることを指導しなさいということじゃないかなと思うんですね、尊重する態度を育てるというのは。ここに物すごく力が入っているわけです。だけれども、肝心の部分、正しく理解する、正確な知識を育てるということがないままにこれをやると、これは物すごい無理があるというふうに思うんです。  これは別に学校現場だけではなくて広く国民に、特定の時期だけの歴史だけじゃなくて、日の丸の使われ方とかだけじゃなくて、日本の世の中で千年以上にわたって定着してきたということをわかりやすく、何か日の丸読本か君が代読本みたいな形で、それも正確な内容の由来みたいなものを、どういう道を歩いてきたかとか、どんな使われ方をしてきたかということも含めてわかりやすいものをつくる努力を文部省かどこか、内閣としてですか、考えた方がいいんじゃないかなというふうに思う。  具体的にそんな教材はありませんよ、本当に。難しい古い本はあるんですけれども、わかりやすいものが極めて少ないというふうに思うんです。お父さん、お母さんもわからぬままに歌っているみたいなことがあると思うんですね。その辺について、文部大臣または官房長官にお聞きしたい。
  119. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私自身の反省でございますけれども、実はこの日の丸ということに関して、私自身日の丸の持っている歴史に深く関心を持つに至りましたのは比較的最近のことでありました。  それは、昭和天皇がお亡くなりになったときに、東京大学では国旗を掲げる、半旗を掲げるとすると必ず学生のごくごく一部の人がその国旗を倒しに来る、そして焼いてしまうというふうなことが起こりました。どうしたらいいだろうかと私も大変頭を悩ませました。しかし、その際に、日の丸を大学が掲げる、国立大学が掲げるという意味は何であるかということを学部長会議等々で議論をいたしました。そこで初めて専門家の人たちに、どういうふうにして日の丸がつくられてきたか、そして太政官令によって明治に決められたというふうなことを知ったわけであります。  その結果、私は、これは重要なことであるから、しかも学生諸君が尋常一様には燃やしたり破らなくて済む十二階の上に立てることに決めました。それ以後、必ず祝祭日には十二階に翩翻と日の丸を掲げていくことにいたしました。さすがに彼ら、ロッククライミングをやるのがあらわれるかと思いましたけれども、あらわれませんでした。それで定着いたしました。  その際、私は、なるほど我々はこの日本国旗というものの歴史をよく知っていないなと反省をいたした次第であります。したがいまして、当然教育の現場におけるさまざまな混乱というのを見るにつけましても、今、先生指摘のように、やはり適切な教材を用意し指導を行っていくことが望ましい。この点は先ほど初中局長より御返事申し上げたとおりでありますが、今後さらに国旗国歌成文法化される段階においてよりよく解説を行うような努力をさせていただきたいと思っております。  そして、教育の現場の方たちが、いかなる意味を持っているか、これはただいまは国旗について申し上げましたけれども、国歌についてもその歴史ということをきちっと踏まえた上で、今日の国歌のあり方ということについて児童生徒に正しく指導できるように、やはりこれも適切な教材並びに指導を行っていくことが必要であると考えている次第でございます。
  120. 山下栄一

    山下栄一君 ぜひわかりやすい啓蒙用の資料といいますか、それをお考えいただく必要があるのではないか。今の大臣のお考え、賛成でございます。  と同時に、またそういうことを地域でも学校でも構いませんけれども、研究したり意欲的に取り組むような指定校制といいますか、そういう形でやっていただいてもいいのではないかというふうなことを感じるんです。ぜひ御検討をお願いしたいというふうに思います。  これは今の私の質問に関連する質問でございますけれども、問題は、だから要するに入学式、卒業式なんだと僕は思うんです。何でこれは問題といいますか混乱が出てくるかというと、特に私が気になるのは中学二年生、三年生、高校生ぐらいなんですけれども、儀式というのは体で表現しなきゃいかぬわけです、形が整って初めて儀式になるわけですから。それが中途半端な状態ですと非常にすっきりしませんし、先ほど文部大臣がおっしゃった楽しくない行事になってしまうと思うんです。  だから、そういう状況の中で、職務命令の裏づけで指導せい、とにかく指導するんだという。それは何を指導するかというと、立つことを指導しなきゃいかぬ。生徒に対する指導は、多分立つようにして、口をあけて歌うということになっていくのではないかな。形が整って初めて指導が完結するということになってしまうわけです。  そういう心と体が一致しないというのを一番嫌がる年齢がこの年齢なんです。それをとにかく指導するんだということを職務命令の裏づけをもってやると、それも余りよく理解されていないことを指導せいと言われると、僕はこれは物すごく無理があるなということを感じております。  この特別活動における扱いなんですけれども、入学式、卒業式以外にも、例えば運動会もあるし、先ほど高校野球の話もありましたけれども、運動会は別に学校で考えていただいてよろしいですよと、こういうふうに指導要領の解説には書いてあるわけです。国旗の掲揚、国歌の斉唱指導を行うかどうかについては、各学校がその実施する行事の意義を踏まえて判断しなさい、始業式、終業式、運動会、開校記念日と。入学式、卒業式だけは、これは職務命令を伴ってちゃんと指導しなきゃいけませんよということになっておるわけです。  何でこんなことになっているのかなということがよくわからないんですけれども、お願いします。
  121. 矢野重典

    政府委員(矢野重典君) 御質問の趣旨を誤解しておればお許しをいただきたいわけでございますけれども、入学式、卒業式は、国旗国歌意義を理解させ、それを尊重する態度を育てる上で教育上の効果が大きく期待できる適切な機会であるわけでございます。したがって、校長は学校運営の責任者として学習指導要領の趣旨を実現するために、入学式、卒業式において校長が特に必要があると判断した場合には、教員に対し職務命令を発することもあり得るものでございます。  そして、そのことは、今運動会の例をお引きになりましたけれども、運動会においてもし学習指導要領の趣旨を踏まえて校長が今申し上げたような形で実施し、そして職務命令、運動会の場合におきましても校長がそういうことをやると決定した場合につきましては同様であるわけでございます。
  122. 山下栄一

    山下栄一君 そういうことなんでしょうけれども、だから特に中学、高校生なんかは、形から入るのは低学年は比較的入りやすいと思うんですけれども、小学生なんかは。思春期の一番難しい時分のときには、やっぱりある程度正しい知識をまずよくわかるように教えるということがないと、今それがないままに形先行になっているから混乱、それだけじゃないのかもわからぬけれども、大きな背景があるんじゃないかなというふうに僕は思うわけです。  だから、よくわかって尊重する態度を身につけるために儀式をちゃんとやるんでしょうけれども、先ほど申しましたように、心と体が一致しないとそれは物すごく不自然になるというふうに感じるわけです。だから、運動会や始業式、終業式は各学校の判断でやっていいと言っているんだから、そういう考え方で行事についてはやる方向の方が正しいのではないか。  入学式、卒業式だけ、それは確かに厳粛な一年に一回の行事だけれども、何でそれだけ職務命令が伴うことをしつけするのか。授業が始まるときには立って先生に礼するというようなこと、そういう場面は遠足のときとかいろんなときにあると思うんです。ところが、この二つの行事だけに限って職務命令を物すごく浮かび上がらせてやるというようなことは本当に何か不自然だなと。しつける場面はいっぱいある、だけれどもここだけを特にとりたてて言われるというようなことについては僕は本当におかしいなというふうに思うんです。  だから、まずそういう歴史的な背景とか由来とかを教えることが非常に大事であって、その上で行事については柔軟に対応する、それがだめなら職務命令を出してまでやるというようなことはちょっと見直していただいた方がいいんじゃないかなというふうに感じるんですけれども、大臣、いかがですか。
  123. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 御指摘のとおりに、さまざまな機会を通じて国旗国歌意義、それから歴史などについて指導していかなければならないと思っています。指導というのは、教えていかなければならないという意味であります。  ですから、入学式とか卒業式だけではなくて、まずは社会科の授業であるとか音楽の授業であるとか、場合によっては君が代の場合でいいますと国語の授業などでしっかりと教えていく。そしてまた、総合的学習の時間というふうなものが今後つくられますので、そういうときに日本国歌の持っている平和なすばらしさというふうなことを外国国歌と比べながら説明をするというふうなことは重要でないかと思っております。そして、日本の持っているすばらしい平和志向ということをこういう国旗国歌教育を通じて教える。と同時に、今御指摘のように、場合によっては運動会、場合によっては学芸会、そういうようなところでも、これこそ生徒諸君の希望も聞きながら、国歌及び国旗を正しく示し歌っていくということがあった方がよろしいと思います。こういうことを、自然体というわけにもまいりませんでしょうけれども、そういう方向に向かって今後努力をさせていただきたいと思います。  その上でしっかりと、特に入学式、卒業式というのはたびたび申し上げますように人間にとって節目でございますので、そういうときに形も心もきちっと厳粛に、しかも楽しく入学式や卒業式を行えるようにいたしたいと考えております。
  124. 山下栄一

    山下栄一君 冒頭、私が申しましたように、教育活動というのは、学校現場でしたら先生と生徒の信頼関係ということが基本にあって初めてしみ込んでいくということだと思うんですね。だから、職務命令というのは非常になじみにくい世界と感じるんですよ。  だから、学習指導要領というのは大綱的基準であるということを局長はおっしゃいまして、いろいろ歴史的なことも、それは教員の判断でそれぞれの地域性とか考えながらいろんな教え方をしたらよろしいよ、細かいことは言いませんよとおっしゃっているんですけれども、ところが行事だけは極めて具体的に、この二つだけ極めて具体的に指導しなさいと。それはわかりやすく言うと、起立をして口をあけて声を出して歌うんですよということを指導しなさい、それをきちんとしない場合は丁寧に繰り返しできるようにやりなさいよというわけですね。物すごく具体的なんです、これだけは。  僕は、それは職務命令を伴うということをやられると、これはもう非常に不自然だなというふうに感じております。繰り返して申しわけありません。  僕の考えは、特に高校段階なんですけれども、高校段階は学習指導要領で国旗国歌を扱うのは教科じゃないんです。行事だけなんです。そして、これが職務命令を伴うということなわけです。  ところが、高校生というのはもう十五歳以上になってきますし、先ほどから繰り返し言っていますように、心と体が行動と一致するようなことを一番求める、わけのわからぬことをとにかくやれということは非常に嫌がる。それが青少年問題のいろんな背景、権威でもってやられるということを非常に嫌がる年齢でもあるし、今後、少子化になってくると、大学だけじゃなくて高校というのは社会人の方も場合によっては入学されていく、そういうふうになってくるのではないか、少子化とともに。そうしたら、若い先生が大人に、高校生に、高校生は十五、十六とは限らぬわけですから、そういう場面も想定される。  今は高校はいろんな総合学科とか単位制とかどんどん多様化していって、統一的な指導内容というのはもう減ってきているわけです、必修科目の。だから、僕はこの高校段階の学習指導要領においてこういうことをやるということは、それこそ発達段階から考えても特に高校段階は見直すべきではないかというふうに思うんですけれども、いかがでしょうか。
  125. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 学習指導要領は初中教育の全国的な教育水準を確保するということが非常に重要な目的でございます。それともう一つは、教育の機会均等を保障するということのために、文部大臣が学校教育法等の規定に基づき教育課程の基準として定めているものでございます。学習指導要領では、生徒児童の発展段階に応じて各教科、特別活動等の内容を定めるとともに、指導に当たっての配慮事項を示しております。そして、発展的、系統的な指導を行うことができるように配慮されているところでございます。  このような全国的な教育課程の基準は児童生徒の発展段階に即して定められたものでございまして、高等学校段階の生徒につきましても、やはり国民として共通に必要な基礎的、基本的な教育内容を身につけさせるために必要であると考えている次第でございます。  もちろん、中学校までの段階と高等学校の段階では大きく違うことは先生指摘のとおりでございますが、そういう違いも十分考慮に入れまして現在学習指導要領がつくられていると考えておりますし、今日、高等学校では選択などというのが随分やれるようになりまして、多様性が一層ふえているということもまたちゃんと配慮しているところでございます。
  126. 山下栄一

    山下栄一君 私の提案はなかなか大臣もすぐにはということだと思うんですけれども、また御検討をお願いしたいなというふうに思います。  今度は私立なんですけれども、私学の国旗国歌の取り扱いが法制化によってちょっと変わるんじゃないかというふうなことを心配している学校もございまして、これは教育委員会担当じゃないわけですけれども、知事部局の方だと思いますが、法制化により私学の国旗国歌の扱いは変わるのかということをお聞きしたいと思います。
  127. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 法制化によって変わるかどうかという御質問でございますが、学校における国旗国歌の指導の必要性についてはたびたび申し上げているとおりでございます。  学習指導要領は学校教育法等の委任に基づいて教育課程の基準として定められているものだということもたびたび申し上げてまいりました。したがいまして、法規としての性質を持っておりまして、これは国立、公立、私立すべての学校において適用されるものでございます。しかし、文部省といたしましては、法制化に伴いまして学習指導要領に基づく学校におけるこれまでの国旗国歌の指導に関する取り扱いを変えるものでないとたびたび申し上げているとおりでございます。  そして、特に今の御指摘の私学について、私立学校におきましては建学の精神というのがございますが、この建学の精神というのはやはり大切にしていかなければならないと考えておりまして、その建学の精神に基づきまして国旗国歌の指導が適切になされるべきと考えております。
  128. 山下栄一

    山下栄一君 ということは、法制化があっても今までどおり変わらないということですね。わかりました。  次に、法制化によって教育委員会からの指導強化が強まるのではないかという心配がある。そうじゃないという答弁は繰り返していただいております。  ただ、これは先ほども局長がおっしゃっていましたように、学校における国旗掲揚または君が代斉唱の実施率はもう少なくとも八割を全国平均は超えているという状況でございます。国旗の方は九割を超えているんですか。というふうに、大体もうほとんど実施されているという状況なわけですけれども、それはいろんな実施の仕方があると思うんです。これは実際職務命令を出すのは各地域ですね。地方の判断によって、文部省は特にそういう指導強化はしないということなんでしょうけれども、地域によってはやはり強化が強まるようなことも考えられないことはないのではないかという心配がある。  学校の校長先生は式典の指揮をとってきちっと掲揚、そして斉唱を確保されるように指導していく。ただ、参加しているというか行事に臨む教員は全部が全部立って歌うかといったら、それは立って歌わないかもわからない。露骨な妨害とかそんなことはしないけれども、非常に消極的といいますか、積極的に起立をして歌う先生が全部とは限らぬわけですね。そんな場合は指導強化される可能性も出てくるのではないかというふうなことが考えられるわけですが、そんなことはないんですか。
  129. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 非常に難しい点についての御指摘でございます。立って歌わない場合はどうするか、あるいは立たない場合はどうするか、こういう問題が残されていると思います。  これに対しましては、やはりそれぞれの事情に応じて判断をしなきゃいけないことだと思いますけれども、まず第一には校長先生あたりからどういうふうな意味を持っているかというあたりを説得していただく。しかし、これはやはり合理的な限界の中であると思います。しかし、最終的にはその先生なりなんなりの自分の内心の自由というのがございますので、そういう点については、その場合場合において判断をすべきことであろうと思っております。
  130. 山下栄一

    山下栄一君 県の教育長によって、また学校長によって大分差が出てくるんじゃないかなということを私は感じておりまして、こんなことを心配しなきゃいかぬことがちょっと教育現場ではなじまぬなというふうなことを先ほどから繰り返し申し上げているわけです。今の方針を貫かれるならば、職務命令というのを伴って、そして妨害したらそれは命令違反にもなるんでしょうけれども、そうじゃなくて、今いみじくも大臣がおっしゃったように、内心の面で、先ほどの本岡先輩のお話じゃございませんが、いろんな自分自身思いもある。だけれども、公務員だからやっぱりちゃんと歌わなきゃいかぬなと。だけれども、歌う気にならぬというふうな、無理やり歌わなきゃいかぬみたいなことになってくる。それは子供に指導しなきゃいかぬわけですからね。そこまでしなきゃいかぬというふうな状況なんかは非常にまじめな先生だと苦しむみたいなことになってしまうわけですね。  これは地域によって差が出てくるとまずいと思うし、基準をつくれ言うてもおかしな話だなとも思う。だから、これは本当に悩ましい話なんですよ。だから、職務命令、不透明なことはもうできるだけ緩めるというか、やめた方がいいんじゃないかなというようなことを感じるわけですけれども、局長
  131. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 具体的に、卒業式の実施に当たりまして職務命令が発せられるというケースはどういった場合かということでございますけれども、校長が学習指導要領や教育委員会の指導に従って、あるいは地域の要望等に従ってぜひ指導要領に定めた形で実施したいと、その際に、広島県の事例にございますように、職員が組合員運動等も活用いたしましてどうしてもそれに従わない、学校長の教育活動の意思と職員の意思が往々にして乖離するという場合に、校長が教育課程の実施、編成の責任をとるという観点から、万やむを得ず職務命令を出すということでございまして、多くの学校においてはこういうことなく学習指導要領に基づいてきちっとやられる、そういうケースにおいては職務命令を発せられるということはないわけでございます。  したがいまして、まずは何よりも、すべての教職員が校長のこういった教育課程の実施、編成権を尊重して、それに理解を示して教育活動に十分協力していく、こういった常日ごろからの職場における関係というものをつくることは大事であろうかと思います。しかしながら、職務命令を出す出さないも、地域によって学校によって異なっているということは事実でございますし、事実、不起立ということで処分をしたという事例は、私自身、県の教育長をいたしておりまして、一度目は文書訓告、二度目は戒告といったようなことをしたこともございます。  もちろん、任命権者によって具体の状況あるいは全体の判断ということは異なりますので、最終的には各任命権者が人事権を行使する、懲戒権を行使するという仕組みになっておりますので、結果として地域によって差が出てくるということはあろうかと存じますけれども、要は学習指導要領に基づいてすべての学校において適切な国旗国歌の取り扱いがされる、そのために場合によっては職務命令を発することはあり得る、この点についてはひとつ公務員の秩序あるいは子供の学習活動を十全に実施していくという観点から御理解をいただきたいと思います。
  132. 山下栄一

    山下栄一君 ちょっと官房長官にお聞きしますけれども、公務員の職務命令、誠実にやはり命令を守っていかなきゃいかぬということがあると。だけれども、先ほどから繰り返し申し上げておりますように、教育現場というのはほかの職場とちょっと違う面があるのではないかということを感じておりまして、すっきりしないことを形として生徒を指導しなきゃいかぬことはまじめな先生にとってはこれほど苦しいことはないというふうに思うわけです。  今、局長からお話がございましたように、地域によっても職務命令には差が出てくるかもわからぬと。同じ不起立の場合でも、ある教育長、ある学校ではそれが懲戒の対象になったりならなかったりというようなこと、そういうふうなことも考えられるということなんですが、この職務命令扱いを教育現場では、確かに学習指導要領の法的拘束性とかということも繰り返し国会でも答弁されておりますけれども、これはちょっと違う扱いをやるべきではないかと。同じ公務員の職務命令でも、教育現場ではちょっと違うのではないかというふうに感じるんですけれども、この点における官房長官のお考えをお聞きしたいと思います。
  133. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 学校教育現場の指導のあり方につきまして、官房長官として私が答えるべき立場にはございませんことを御了承賜りたいと思うわけでございますが、委員が御指摘になりましたように、一般論といたしまして、国歌国旗の由来や、あるいは広くそれを理解するための努力というのは、単に学校だけでなく、地域社会等におきましても、また家庭におきましても十分なされていって初めてそれが理解され、定着するような努力は今後もさらに努めていかなくてはならないし、そのことがひいては教育現場等における混乱を少しでも回避できる状況にまたこの法文化とともになっていくのではなかろうかと思うわけでございます。  御承知のように、国公立学校教職員の責務ということにつきましては、私も先般申し上げたとおりでございますけれども、国家公務員として、あるいは地方公務員といたしまして、それぞれ公務員法に基づき、あるいは学校教育法などの法令に従うべきは職務上当然のことでございまして、この法案がさらに教員の職務上の責務について云々するという立場にはないわけでございます。  ぜひ、当初に申し上げましたように、広く家庭地域社会教育現場等に理解される努力を努めていかなくてはならないと思っております。
  134. 山下栄一

    山下栄一君 最後に、官房長官にお聞きしたいんですけれども、午前中の質疑でも、今回の法制化には尊重義務を盛り込まなかった、それはなぜか、それは適切でないと判断したからだと、こういうふうにおっしゃったわけですが、これは将来的にもそういうお考えなのか、今回ということなのか。将来にわたって尊重義務規定というのを新たに追加するということは考えておられないのか。入れるべきじゃないと私は思いますけれども、そのお考えをお聞きしたいというふうに思います。
  135. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 今回の国旗国歌法制化趣旨は、たびたび申し上げておりますけれども、日の丸君が代が長年の慣行によりましてそれぞれ国旗国歌として国民の間に広く定着しておることを踏まえ、二十一世紀を迎えることを一つ契機にいたしまして、成文法にその根拠を明確にする必要があると認識したわけでございます。慣行として定着しておりましても、なお法文化がないということにおいて一部理解を得られない国民各位がいらっしゃるわけでございますので、そういう意味におきまして、ここに根拠成文法において明確化した方がいい、適切であるというように考えた次第でございます。
  136. 山下栄一

    山下栄一君 どうもありがとうございました。
  137. 山下芳生

    山下芳生君 日本共産党の山下芳生です。  日の丸君が代国旗国歌として法制化する法案がわずか十三時間の審議で衆議院を通過いたしました。しかし、法制化をめぐる国民の世論には私は無視できない二つの特徴があると思います。  第一は、法制化の必要性について国民的合意があるとは言えないということであります。特に、君が代法制化については意見が完全に二分しております。朝日新聞の世論調査では、君が代法制化について必要だという回答が四七%、不必要だという回答が四五%。TBSラジオの調査では、君が代法制化に賛成三五%、反対五四%。JNNの調査では、賛成四四%、反対五三・六%であります。  君が代法制化を必要、賛成とする意見はどの調査を見ても過半数に達しておりません。日の丸についても、不必要とする意見が必要とする意見のおよそ半分ほどあります。  官房長官に伺いたいんですが、日の丸君が代国旗国歌として法制化することについて、国民的合意があるとは言えないんじゃありませんか。
  138. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 国旗国歌法案を提出するに至りまして、今、委員からそれぞれの調査についての報告があったわけでございますが、私ども総理府の世論調査等によりまして、それぞれ昭和四十九年十二月以来の調査を見ましても、国民の中にこれが国歌としてふさわしい、国旗としてふさわしいというように高い支持を得ておるわけでございます。また、御承知のように、オリンピックやワールドカップサッカーのような国際的な競技大会におきましても、国民日の丸君が代、旗を振り、かつその歌を歌い、そして表彰式などでは日の丸が掲揚され、君が代が演奏されておるのをずっと定着したものとしてきたわけでございます。  けれども、先ほど来申し上げておりますように、いわゆるこれを定着したとは理解しない人たちが特に教育現場に多いわけでございますので、この際、成文化をすることによってより我が国国旗国歌としてこれを意義づけ、そして定着をするようにいたし、あるいは教育現場の混乱や痛ましい事故を防ぐようにしていきたいと考えたわけでございます。まさしく今御指摘ございましたように、いろんな世論調査の結果も出ておりますけれども、他の報道機関の調査等では、法文化について国民の理解が高いものもまた見受けられるわけでございます。  いずれにいたしましても、国民世論を代表されました国会におきまして十分御審議いただいて、その可決、成立を私どもとしては期待しておるところでございます。
  139. 山下芳生

    山下芳生君 教育現場の問題は後でやります。  私が今問うているのは、日の丸君が代国旗国歌としてふさわしいと思っている人が多数だということについて聞いているんじゃありません。日の丸君が代国旗国歌として法制化することについての国民の世論を問うているわけであります。これについては、これはふさわしいと思っている人と法制化が必要だと思っている人の間には大きなギャップがある。  先ほど示しましたけれども、賛成だという人が過半数を超えている数字は君が代についてはございません。この法制化をめぐって世論が二分しているという事実、官房長官、これはお認めになりますね。
  140. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 現実に法制化について国民世論にいろんな世論の結果が出ておることは、報道機関の一部調査の結果、私どもも承知をしておるわけでございます。  しかし、これは今まで、先ほど来公明党の山下委員から御指摘がございましたように、その由来やら根拠となるべきものを十分国民の間に、あるいは家庭において、社会において、教育現場において十分理解されるような努力をある意味において怠ってきた結果、唐突にこれが世論調査の結果で十分国民に理解をされておらないところでございまして、私どもはそれだからこそ二十世紀末の処理すべき事案としてこの問題を片づけたいと考えた次第であります。
  141. 山下芳生

    山下芳生君 おかしいじゃありませんか。理解されていないのに法制化するというのは、国旗国歌は大事な問題なのに、そういうやり方はないと私は思います。  政府が日の丸君が代国民の間に定着しているという根拠としてよく紹介される、先ほど長官が御紹介されました一九七四年の総理府の世論調査、この調査でも、日の丸君が代国旗国歌としてふさわしいと答えた人の中でも、法律ではっきり国旗国歌として決めた方がよいとする意見は、日の丸君が代とも二割しかございません。  当時の内閣総理大臣官房広報室の報告書を見ますと、「国民の大多数は、「君が代」は国歌、「日の丸」は国旗としてふさわしいと思ってはいるものの、それらを法制化することについては大半が消極的であることを示している。」、こう結論づけて法制化を見送っているんです。  これは素直な結論だと思います。今日でも国民の態度は基本的には変わりません。さっき言ったとおりです。法制化賛成の世論が過半数にないわけですから、これは法制化することについて国民の大半が積極的になったとは私は言えないと思うんです。  君が代国歌として法制化する、このことについて国民的合意があると言える、そういう世論調査があったら紹介してください。
  142. 竹島一彦

    政府委員竹島一彦君) 事実関係でございますので、私から御答弁申し上げます。  ふさわしいかというアンケートに対しまして、さらに法制化についてどう考えるかというアンケートもあるわけでございます。  今、委員から一部のアンケート結果について御紹介がございましたけれども、例えば最近七月に東京新聞、これは日本世論調査会でもございますけれども、そこで行われました日の丸君が代法制化についての世論の調査結果は七一%が賛成でございます。それから、産経新聞の五月におきましても五六%、毎日新聞の四月が六一%ということでございまして、確かに昭和四十九年の総理府の世論調査の場合に法制化は御指摘のとおり二割ぐらいでございましたけれども、今や過半になっているということでございます。
  143. 山下芳生

    山下芳生君 今の東京新聞の問いなど、紹介されたものは、日の丸君が代法制化という問いなんです。君が代だけ問うた調査で過半数が法制化オーケーというものは今のところございません。  私はもう一つ世論調査の特徴を紹介したいんですが、もう一つは拙速を避けてもっと議論を尽くせという意見であります。これが国民の多数を占めております。    〔委員長退席、理事溝手顕正君着席〕  朝日新聞の世論調査では、「今の国会の成立にこだわらず議論を尽くすべきだ」、これが六六%。毎日新聞の調査では、今国会での法制化に「反対だ」、「もっと時間をかけて議論すべきだ」が日の丸で五二%、君が代で五八%であります。これは国旗国歌をどうするかという大事な問題なんだから、急がず慌てず議論を尽くせと、これが国民多数の声ですよ。  官房長官にお伺いしたいんですが、今国会で拙速に法制化するなという国民の世論にどうおこたえになりますか。
  144. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 世論の趣につきましてさまざまな御指摘がございますけれども、政府といたしましては、この法案を国会に提出させていただいたわけでございます。国民の世論を代表される国会におきまして、慎重に御審議をいただいて、私どもといたしましては法案の成立を期待しておるところでございます。
  145. 山下芳生

    山下芳生君 無責任なことを言わないでほしいですよ。政府が法案を提出したのはいつか。この通常国会の当初の会期末のわずか六日前ですよ。国権の最高機関、国会で慎重審議をと言うけれども、慎重審議ができるような状況で出されていない。初めからそんなことを考えていなかったとしか私どもは思えません。  私たちは、国旗国歌というのは大事な問題だから、問答無用の押しつけではなくて、国民みんなで議論を尽くして、その上で国としてきちんと決めること、法制化することを提唱しております。その議論の中で、日の丸君が代国旗国歌として法制化することに賛成だという人は政党や政治家も含めてそのわけを主張したらいいと思うんです。いや、反対だという人は、なぜ、どこが反対なのか意見を出せばいい。そういう議論を十分に尽くし、討論を尽くし、日本国旗国歌にどんなものがふさわしいのかの国民的合意を、これは努力することが何よりも大事だと考えております。  マスコミでもオープンな議論が今展開されております。新聞の投書欄を見ても、日の丸君が代法制化に賛成論、反対論、いっぱいあります。もちろん出ております。同時に、新しい国旗国歌をつくってはどうかという意見もあります。実にさまざまな意見が今載っている。私はこのさまざまな意見が出ているということが非常に大事だと思うんです。  今、主権者である国民が、国旗国歌をどうするかということについて、事実上、歴史上初めて声を上げ、討論が始まった、自由闊達な討論が始まったと。官房長官は、衆議院の審議の中で我が党の児玉議員に対して、世論の動向には常に謙虚でならなければならないと考えておりますと、こう答弁されました。だったら、今やるべきは、この始まった国民的討論を十分保障することじゃありませんか。それでこそ国民の声に謙虚に耳を傾けたということになるんじゃありませんか。
  146. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 政府といたしましては、国会において慎重御審議を賜りたいと存じております。
  147. 山下芳生

    山下芳生君 慎重審議、慎重審議と言いながら、国会の延長が決まってこそっと出してくる、これでは慎重審議できないですよ。  大体、日の丸君が代国旗国歌として定着している定着していると皆さんは盛んに言う。定着していると思うんだったら、討論を恐れる必要はないんです。公明正大に大いに議論をやって、合意のあるところで決めたらいい。討論が始まったばかりなのに、何で法制化でそれを断ち切ることをやるんだ。私はそれは本当に理解できません。法制化を急いでせっかく始まった討論を封殺する、これはもう最悪の愚挙であります。  大体、あなた方は、ことしの二月までは法制化考えていない、こう言っていたじゃありませんか。それが突然、法制化を言い出した。  もう一つ私が問いたいのは、これは大事な問題ですから、選挙で国民の信を問うたことがあるのかということであります。どの政党もこれまで選挙で、日の丸君が代国旗国歌として法制化しましょう、こういうことを公約に掲げ、それが争点になった選挙はございません。    〔理事溝手顕正君退席、委員長着席〕  それとも自民党は、去年の参議院選挙、直近の国政選挙で日の丸君が代法制化を党の公約として掲げていたとおっしゃるんでしょうか。官房長官、どうぞ。
  148. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 私は党を代表して答えるべき立場にございません。ただ、この長い経過を考えますときに、私はいつも思うのでございますけれども、国旗国歌のありようについて政治の場であるいは国民的議論を得るための努力を怠ってきたことは、私ども、政治家の一人として、江本議員にお答えをしたように、謙虚に反省をするべきだと思っております。  ただ、委員が今それぞれおっしゃいましたけれども、日本共産党は自分たちの綱領の中で言っておらないことを最近は随分変革しておっしゃってまいりました。  昨年の参議院選挙には、日米安保体制や天皇制や自衛隊を容認するようにおっしゃいまして、随分薄化粧をされました。また、最近は国旗国歌についても法律で決めればそれでいいというようなニュアンスの発言を責任者がされることもございました。  私どもは、そういう中において、我が国の半世紀を引きずってきたこの反省をきちっとしておかなくてはならないと思うわけでございまして、したがいまして今法文化してお願いをしておる、このことは政府として当然のことをお願いしておると考えておるわけでございまして、その意味において、我々が国会の議論を妨げたり、封殺したりしておるわけでございません。広く慎重に国会において十分御審議を賜りたいと考えております。
  149. 山下芳生

    山下芳生君 聞いていないことに答えないようにしていただきたいんです。  我が党の綱領について一言言われましたので、反論させていただきたいんですが、日本共産党は、今の党の綱領で、戦前と違って天皇制打倒という方針は掲げておりません。よく読んでいただきたい。読まずに批判してほしくないです。  私たちは、天皇という一人の個人を一億二千万人の国民統合の象徴として扱い、その地位を天皇家という一つの家族が代々受け継ぐということは、戦前の君主絶対の制度の名残であり、これは今の民主主義の時代にはそぐわない、いずれこれは国民多数の声でこの制度をなくす日が必ず来ると考えております。しかし、天皇制をなくすかどうかは今の日本の政治にとっての焦点ではない、こう考えております。綱領にもそのことを書いてはおりません。  もう一つ野中長官に申し上げたいのは、私どもは法制化を提起しました、しかしこれは国民的討論を尽くして合意点ができたら法制化をしてきちっと決めようと。しかし、そうやって決めた国旗国歌についても、これは国が公の場で使うことにとどめるべきであって、国民に強制したり、ましてや教育の現場に押しつけたりしない、こういう提案をしたわけです。これは今私たちが提案した、その後大いに国民の議論が広がっているということから見ても、私たちは積極的意義を持つ提案だったと思っておりますし、これはもっと討論を発展させる必要がある、これを断ち切るのは本当に将来に禍根を残すというふうに思うわけです。  もう一つ聞きますが、結局、選挙の公約についてお答えありませんでしたけれども、私は去年の参議院選挙の自民党の公約をいただきまして見ましたけれども、我が国及び諸外国国旗国歌に対する正しい態度を培いますということは確かに書いてあります。国旗国歌について触れてあります。しかし、法制化をしましょうということはやっぱり書いてないんですね。これが直近の国政選挙の自民党の公約ですよ。だから、法制化について国民が今討論したがっている、それをなぜ断ち切って、国民に一回も議論の場を与えずに法制化をしてそれを打ち切るのかということを私は問うているわけであります。  さらにもう一つ聞きたいんですが、政府の新解釈、君が代の新解釈の発表はいつだったでしょうか。
  150. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 最初に、政府委員の前に私からお答えをしておきたいと存じます。  政府は、国民的討論なり国会の討論、御審議を打ち切るような意図は全く持っておりません。国会みずからの責任においてぜひ慎重な御審議を賜りたいと存じます。誤解のないように明確に申し上げておきたいと存じます。
  151. 竹島一彦

    政府委員竹島一彦君) 新解釈というお話でございましたが、いずれにしましてもいわゆるわかりやすく丁寧にという解釈を総理が答弁されましたのは六月二十九日の衆議院本会議、伊藤英成議員に対する答弁でございます。  それからもう一点、恐れ入りますが、先ほど私が御説明申し上げました法制化についての世論調査の結果でございますが、最初に私、日の丸君が代とあわせて申し上げたかもしれませんが、説明させていただきました数字は君が代法制化についての賛成意見でございまして、ちなみに日の丸についてはもっと高くて七七%、八〇%でございます。
  152. 山下芳生

    山下芳生君 世論は二分しているということが言いたいんです。そういう調査もあれば法制化反対が多い調査もあるわけですから、それで国民が今議論しているわけですよ。そのことを私は言っているんです。  いかに国民の世論を本当にしっかりと踏まえないで今法制化のごり押しをしようとしているのかということが、これだけ国民の討論が巻き起こり世論が二分しているのにもかかわらず、そういう姿勢がはっきりしたと思います。  国のシンボルを決めるという大事な問題、これを国民の意思に反して数の力で強行決定する権限はどんな政府にも国会にもございません。そんなことをやったら国旗国歌を軽視するものだ、そういうことを指摘して、次の質問に移ります。(発言する者あり)
  153. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 御静粛に願います。
  154. 山下芳生

    山下芳生君 私は、日の丸君が代国旗国歌として法制化することについて世論が二分しているのは、これは根拠があることだと思います。それは、君が代歌詞が憲法の国民主権の原則と相入れない意味を持っている、日の丸戦争中に侵略の旗印にされたという歴史を持っているからであります。  文部省に聞きますが、戦争中の教科書で君が代国歌として初めて教えられたのはいつでしょうか。
  155. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 後ほど調べた上でお答えさせていただきます。
  156. 山下芳生

    山下芳生君 この法案審議の際には基本的な事項ですよ。私の方で言いますから、いいです。  初等科修身第四期、これは一九三七年の教科書に初めて君が代国歌として書かれました。まさに日本の中国侵略が本格化した時期と重なっております。  その後の教科書にはどういう記述が載っているか。「戦地で、兵隊さんたちが、はるかに日本へ向かつて、声をそろへて、「君が代」を歌ふ時には、思はず、涙が日にやけたほほをぬらすといふことです。」、「敵軍を追ひはらって、せんりゃうしたところに、まっ先に高く立てるのは、やはり日の丸の旗です。兵士たちは、この旗の下に集って、声をかぎりに、「ばんざい。」をさけびます。」、こう書かれてあります。  長官に伺いたいんですが、日の丸君が代が侵略戦争国民を動員するために使われた、この事実はお認めになりますか。
  157. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 私は、君が代歌詞は平安時代の古今和歌集や和漢朗詠集に起源を持ち、その後、明治時代に至るまで祝い歌として長い間民衆の中に幅広い支持を受けてきた、そういう歴史的経過を承知いたしております。この場合、君が代の「君」とは相手を指すことが一般的で、必ずしも天皇を指すとは限らなかったと思うわけでございます。  ところで、古歌君が代明治時代国歌として歌われるようになりましてからは、大日本帝国憲法の精神を踏まえまして、君が代の「君」は日本を統治する天皇の意味に用いられ、君が代歌詞も天皇の治める御代が末永く続きますようにという意味に解釈されてきたということを、私どもとしては明治以来第二次世界大戦が終わるまでの間をそのような経過の中で思うわけでございます。しかし、敗戦後、我が国憲法が制定されまして、憲法第一条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と規定されたことによりまして、天皇そのものの地位も戦前とは大きく変わったと認識をしておるわけでございます。  したがいまして、日本国憲法下における古歌君が代の「君」は、先ほど来御答弁申し上げておりますように、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており、君が代とは日本国民の総意に基づく天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代歌詞もそうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解釈をしておるところでございます。
  158. 山下芳生

    山下芳生君 質問に全然答えていないじゃありませんか。私は戦前の教科書が日の丸君が代の記述をどうしていたかということを述べました。そして、実際に中国への侵略と軌を一にしていた。日の丸君が代国民戦争に動員するために利用された、使われた。この事実を長官はお認めにならないんですか、それを聞いているんです。
  159. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 私は日の丸君が代戦争したとは思っておりません。ただ、その日の丸君が代委員が今御指摘になりましたように戦争遂行の中に利用されたということは認めざるを得ないと思っております。
  160. 山下芳生

    山下芳生君 旗や歌が直接戦争するわけがないのは当たり前なんですよ。問題は、君が代国歌とするような国だった、そういう体制だったというところに私はあると思います。  今、長官も答弁されたように、君が代は大日本帝国憲法の精神でつくられた、天皇を絶対の統治者とするそういう体制をたたえた歌であります。  そこで聞きますが、では大日本帝国憲法における天皇の大権、権能を全部挙げてください。これは通告ちゃんとしてありますから言ってください。(発言する者あり)  委員長、これは通告してあるのに、これはだめですよ。何ということないですよ。
  161. 竹島一彦

    政府委員竹島一彦君) 最初に御通告いただきましたのは、憲法に照らし、君が代歌詞の中身や今回の法制化についてどう考えているか、旧憲法との関係でどうか、こういうことでございまして、天皇大権についての御通告は受けておりません。(発言する者あり)  それはそれといたしまして、  大日本帝国憲法    第一章 天皇  第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス  第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス  第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス  第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ  第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ  第六条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス  第七条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス  第一一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス  以上でございます。
  162. 山下芳生

    山下芳生君 ちゃんとそういうことも含めて通告してあるんですから、ささっと答えてくださいよ。  今、一部ですけれども、読まれました。天皇主権の体制というのは、万世一系で神聖不可侵とされた天皇が君臨して、軍隊の統帥権、宣戦、講和の権利から、立法、行政、司法権に至るまであらゆる権力を一身に握る体制でした。内閣、そして国会はそのもとで天皇を助ける補助機関だった。  私は、国民がそういう形で条件つきの権利しか持たない臣民、天皇の家来とされた。一方で天皇に絶対的な権限が与えられ、一方で国民の権利が極めて厳しく制限された、そういう体制だったからこそ、つまり君の代、天皇の治世だったからこそ、天皇の決定だけで侵略戦争という歴史的誤りへの道が開かれた、ブレーキをかけることができなかった、これは戦前と戦後の違いから見てこう受けとめるべきだと思いますが、長官、この認識はいかがでしょうか。
  163. 野中広務

    国務大臣野中広務君) そのとおりでございます。
  164. 山下芳生

    山下芳生君 今お認めになりました。  ところが、君が代歌詞ですが、政府の新解釈でも、やはり「君」は天皇、「代」は国というのですから、日本は天皇の国ということになるわけです。天皇主権の体制にこそふさわしい歌としての本質にこれは変わりはない。  本来、私は、大日本帝国憲法や治安維持法、教育勅語とともにこれは廃棄されるべき歌だったのではないか、こう思いますが、長官、いかがですか。
  165. 野中広務

    国務大臣野中広務君) したがいまして、委員が先ほど申されましたように、敗戦後、我が国日本国憲法が新たに制定され、憲法第一条において「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と規定されて、新しい戦後が始まったわけでございます。
  166. 山下芳生

    山下芳生君 だから、それが御都合主義も甚だしいというんですよ。  この君が代の歌というのは、平安時代の和歌だったと先ほどから御答弁がありましたけれども、もともとは家の者の長寿を祝った、そういう歌でした。政治的な意味はなかった。君が代の「君」はあなたのことだったと。その長寿の祝いの歌を、明治の初めに「君」とは天皇のことだと解釈し直して、天皇が治める時代がいつまでも続くようにというように政治的な歌につくり変えてしまったわけであります。それを今また、「日本国憲法下」においては「と解することが適当である」、こういう新解釈を持ち出した。私はこれは本当に御都合主義だと思います。  一つの同じ歌ですよ。この同じ歌を、天皇主権から国民主権へと大転換が図られたにもかかわらず、天皇の統治を礼賛する歌を、歌詞もメロディーもそのままで、小手先の解釈の変更だけであたかも今の憲法の国民主権の原則と両立するかのように扱うことはおよそ歴史では通用しない、そういう御都合主義だと言うほかありません。  私はそのことを指摘して、もう一つ別のテーマで聞きたいと思います。  政府は、国旗国歌外国から敬意を表されるものと言ってまいりました。しかし、日の丸を掲げて侵略され、君が代を無理やり歌わされたアジア諸国人たちはどう受け取るか、これは深く考える必要があると思うんですね。  私の知るフィリピンのクリスチャン、シスター・シアツさんは、戦争中、目の前でみずからの父親を日本軍によって殺されました。以来、どんなに招かれても日本に行くことはできなかった。後に、戦争に反対した人が日本にもいたことを知って、ようやく半世紀近くたって日本の地を踏む気になれたと語っておられます。それほど侵略された人たちの心の傷は深い。  長官は日本軍によって肉親を失ったアジアの人々の心の傷をどう考えるんでしょうか。いつまでも根に持つなと考えるのか、それともそれは人間として当然と考えるのか、いかがですか。
  167. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 日の丸なり君が代が長年の慣行によりましてそれぞれ国旗国歌として国民の間に広く定着をしておるということは何回か申し上げてまいったところでございます。  今御指摘のございました過去の戦争中の歴史に対する認識は、平成七年、一九九五年、あの八月十五日の村山内閣総理大臣談話を基本といたしまして、我が国が過去の一時期に植民地支配と侵略によりまして多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受けとめ、これらに対する深い反省とおわびの気持ちに立って世界の平和と繁栄に向かって力を尽くしていくというものでございます。  政府といたしましては、この考え方を踏まえまして、関係諸国との信頼関係を一層強化いたしますとともに、責任ある国際社会一員としての国際協調を促進し、それを通じて平和の理念と民主主義を推進していかなければならないと思っておるところでございます。  なお、先ほど来、本岡委員にも御回答申し上げましたように、なお二十世紀末の整理しなければならない問題を抱えておる我が国でございますだけに、そういう問題にも可能な限り努力をすることによって近隣諸国の取り残された問題の解決のために努力をしてまいりたいと思うわけでございます。  先般、河野元外相が訪中されましたときに、唐家セン外交部長は、中国において、日の丸国旗法制化については日本国内の問題であるというようにおっしゃったことも、私どもは河野元外相からお聞きをいたしております。
  168. 山下芳生

    山下芳生君 そういう心の傷をお持ちの方、そういうアジア諸国の人々が日の丸君が代に心底敬意を表するとお考えでしょうか。
  169. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 長い傷跡を残してきた我が国でございますので、まだまだアジア近隣諸国のそういう被害をお受けになった方々から信任される状況には残念ながら至っておらないと思うわけでございますが、今後なお国際外交的努力を重ねることによって信頼を得るように一層努力をしなくてはならないと存じております。
  170. 山下芳生

    山下芳生君 なおいえないということであれば、私はなぜ法制化を今急ぐのかというふうに思います。  アジアの民衆の声はどうなっているか。中国の新聞は、日本の皇軍が手に日の丸を持ち、君が代を高唱して天皇に忠誠を尽くすという名目のもとに、ほしいままに近隣諸国を侵略し、アジア人民に残した悪夢は今なお消し去るのが困難であると書きました。シンガポールの新聞は、日の丸君が代は国内的には絶対君主制の象徴であり、対外的には侵略と戦争象徴である、かつて侵略や植民地支配を受けた人たちには天皇の軍隊によって踏みにじられた悲惨な記憶として受けとめられていると書きました。  こういうアジア民衆の声、これを謙虚に受けとめるとおっしゃるんだったら、今、日の丸君が代国旗国歌としての法制化はやるべきじゃないと思いますが、もう一度どうぞ。
  171. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 委員が御主張になるようなことが仮にあることと、今回、法文化で国会の御審議をお願いしておることとは別の問題でございます。
  172. 山下芳生

    山下芳生君 もう一つ投書を紹介したいと思います。  中国で君が代を歌えなかったという京大の十九歳の女子学生の投書であります。私は戦争を知らない世代だけれども、日本との悲しい過去を持つ中国で君が代を歌うことはこれからもできないと思います。私たちは、日本に生まれ、その名を背負っている以上、過去の歴史も背負っていかなければならないはずですと。  また、ある遺族会会長の投書。毎年、多くの遺族とともにニューギニアを訪れますが、慰霊碑の前では決して君が代を口にしません。現地での慰霊祭に流すテープは「誰か故郷を想わざる」や「赤とんぼ」、「さくら」、「荒城の月」です。最近では、さだまさしの「戦友会」、「防人の詩」を用意します。式の前には相手の国に敬意を表し、パプアニューギニアの国旗を掲げ、国歌を流すと、こうあります。  二十一世紀を前に、国際交流で必要なのはこういう態度、相手の国の人々や国の立場に立って考え行動する態度ではないかと私は思うわけです。  私は、今の政府の答弁を聞きまして、政府よりも今こういう投書をお寄せの方々の方がよほど国際的なマナーについては身につけていると思わざるを得ません。二十一世紀国際社会の中で生きていくためには、憲法前文にある自国のことのみに専念し他国を無視してはならない、こういう姿勢が不可欠であります。日の丸君が代法制化はそれに反する、日本国民の世論を無視するばかりかアジア諸国の民の声も無視する、二つの民意を踏みにじっての法制化歴史に新たな汚点を残すということを指摘したいと思います。  最後に、教育の問題も伺いたいと思います。  法制化をめぐって国民の世論が二分するもう一つの背景は、教育現場での日の丸君が代の押しつけあるいは強制が法制化根拠に一層進められるのではないかという心配であります。  政府は、教育現場で日の丸君が代を押しつけることが憲法十九条で保障されている思想、良心の自由、内心の自由にもかかわることはお認めになりました。また、内心の自由というのは自分の内心を表明するかしないかの自由、沈黙の自由が含まれていることもお認めになりました。  新聞に載った子供たちの投書の中には、「君」が天皇だからどうしても歌いたくない、過去のことを学んでどうしても歌いたくないという意見があります。私は、中学生や高校生になって過去の歴史、事実を学んでそういう気持ちになる子供たちは当然あるだろうと思います。そういう子供たちの気持ちを大切にし、そういう考えを持っていることを表明するかしないかの自由も認めなければならない、これは間違いございませんね。
  173. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 一般的に、教育の場においても思想、良心の自由、それを表明する、表明しないという自由はそれ自体としては認められる必要があろうかと思います。  なお、先ほど委員の方から、昭和十二年の文部省編集の尋常小学校修身巻の四の御指摘があったかと存じますが、君が代に関する戦前の教科書の扱いといたしまして、承知している限り一番早いのは、明治十八年発行の文部省編集の小学校唱歌集初編に「君が代はちよにやちよに」という歌詞が出てまいりますし、また二十五年の、これは文部省の編集ではございませんけれども、伊沢修二編の小学校唱歌一におきましては、君が代の歌につきまして、由来と、この曲は今日ほとんど我が国歌として祝祭日などに一般に用いられることなれりというような規定もございます。  また、文部省といたしましては、明治二十六年、文部省告示の小学校儀式唱歌用歌詞並びに楽譜によりまして、現行の君が代の楽譜を示しまして、祝日、大祭日の儀式等で君が代を歌うこと、そういう状況になっているところでございます。
  174. 山下芳生

    山下芳生君 君が代日本国歌ですとはっきり書いているのは私が言ったものです、君が代が載っているかどうかを私は問うたのじゃありませんから。  それで、内心の自由、沈黙の自由は子供たちは学校現場でも認められる、そのとおりだとおっしゃいました。  そこで問題となるのが、入学式や卒業式で国旗掲揚国歌斉唱を一律に義務づける、そういう指導であります。君が代の一律起立あるいは一斉斉唱というのは、これは起立しない、歌わないという行為によって自分の内心を強制的に表明させられることになる、あぶり出されることになる。一斉起立、一斉斉唱というのは内心の自由を侵すことになるんじゃありませんか。
  175. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 一般に、教育指導場面におきまして、さまざまな価値観や歴史観等の教育も含めまして、内心の問題にかかわる事柄というのは教育の作用それ自体に本来的に内包されていることでございます。  要は、どういう教え方が、一定限度を超えた場合に、憲法の定める内心の自由あるいは思想、良心の自由の侵害になるかということでございます。したがいまして、通常の場合、入学式、卒業式におきまして起立をし、国旗に礼を払いながら斉唱するというような指導を行うこと自体、これが内心の自由を侵害するものとは私どもは思っていないところでございます。
  176. 山下芳生

    山下芳生君 そこが私はもっと深く検討する必要があるところだと思うんですよ。国旗掲揚国歌斉唱を一律に義務づける指導自体が、それ自体が内心をあぶり出す踏み絵になるじゃありませんか。起立しない、斉唱しないという行為によって、あの人は君が代が嫌いなんだとわかってしまうわけですよ。  君が代日の丸に対して、先ほど紹介した投書にあるように、中学生や高校生になれば自分の内心としてこれは歌いたくないという気持ちを持つ人が、子供たちがあっても当然だと思います。それを心の中にしまっておきたい、自分でそう思っているだけにとどめておきたい、これは内心の自由であります。ところが、それを卒業式や入学式で大勢の中で一律に起立斉唱させられることになれば、これは歌いたくないと思って座ることによってその内心を事実上発露させられるということになるじゃありませんか。これは内心を表に出させるということにどうしてもなるんじありませんか。
  177. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 学習指導要領は、学校あるいは教師の教育指導上の課題として、卒業式、入学式におきます国歌斉唱あるいは国旗の掲揚というものを命じているわけでございまして、直接児童生徒に効果が及ぶものではございません。  したがいまして、学校におきましては、このことを通常指導するということにつきまして、そういう点、私どもは先ほど申し上げましたように内心の自由を侵害するとは思っていないわけでございますけれども、実際に子供は歌わなかった、あるいは起立しなかったということに伴って、その後何らかの心理的な強制、あるいはそれによる不利益というようなものをこうむることがあれば、それは内心の自由を侵害するというようなケースと判断される場合もあろうかと思います。要は、学校におきまして、教育的に認められる適切な範囲内で指導を行うということに尽きようかと存じます。
  178. 山下芳生

    山下芳生君 では、やっぱり一斉に歌わせる、一斉に立たせると。これは歌いたくない、立ちたくない、そう思っている人の内心の自由を発露させるということには当たらない、そういう解釈なんですか。これは物すごいプレッシャーですよ、歌いたくないと思って座り続けるというのは。それは内心の自由に抵触しないという文部省は見解なんですか。大臣、どうですか。有馬大臣、大臣答えてくださいよ、この大事な問題。
  179. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 憲法上の解釈を最終的に判断いたしますのは最高裁判所ということでございましょうが、私ども文部省といたしましては、先ほど来繰り返しておりますように、通常の国旗国歌の卒業式、入学式におきます指導の形態が直ちに内心の自由を侵害するというぐあいには思っていないところでございます。
  180. 山下芳生

    山下芳生君 大臣、どうですか。
  181. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 今、初中局長がお答え申し上げたとおりです。
  182. 山下芳生

    山下芳生君 しかし、これは「註解日本国憲法」にも、「自己が如何なる思想を抱懐するかにつき、これを口外し又は沈黙する自由が認められる。」と、こうはっきり書いてありますよ。内心の自由には沈黙の自由があることを明快に指摘しております。また、思想及び良心の自由、内心の自由について、「この自由の保障は絶対的であつて、法律によつて奪いえぬのは勿論、「公共の福祉」の名を藉りてこの自由を制限することも許されない。」、こう指摘しているわけですね。  絶対的に保障されるべき内心の自由が一斉起立や一斉斉唱で実際保障されなくなっているじゃないかと。暴かれるじゃありませんか。これは憲法判断、最高裁にまつと。またなければ実際の現場で起こっている子供たちの内心の自由に関する問題、これは判断できないんですか、文部大臣
  183. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 今の問題、すなわち児童生徒の内心にまで立ち入って強制するものでは私はあくまでもないと思っております。しかし、あくまでも教育指導上の課題として、この問題はその場その場で検討していかなければならないことだと思っております。どのような行為が強制になるかとか、今おっしゃった内心の自由がこの場合に奪われるとか、そういうことは具体的な指導の状況に即して判断をしていかなければならないと思っております。
  184. 山下芳生

    山下芳生君 内心の自由というのは心の中にしまっておきたい自由なんですよ。言う自由もあるし、しまっておきたい自由もある。それは絶対的に保障されるべきものなんだということがもう憲法の解釈として通説になっているんです。  事実上、それが卒業式、入学式の一斉起立斉唱でもう奪われているという実態があるじゃないか、それだけの負担がかけられているじゃないか、プレッシャーがかけられているじゃないかということを問題提起しても、それはそれに当たらないと。私は、文部省が内心の自由を本当にわかっていないと言わざるを得ませんよ。こんな状態で日の丸君が代法制化されたら、やっぱり教育現場で押しつけが一層強化されることになるんじゃないか、この国民の心配は当然であります。  私たちは、この法案の断固廃案を目指して、国民的討論で二十一世紀日本にふさわしい国旗国歌をつくり出すよう努力することを表明して、質問を終わります。
  185. 山本正和

    ○山本正和君 朝から大変いろんな角度からの議論がございました。私は、きょうお見えの委員の皆さんあるいは政府の関係の皆さんの中で、官房長官岩崎委員長と私の三人だけが体験している立場から少し話をしてみたいと思うんです。  それは、昔、日本の国に、今は日本国ですが、大日本帝国に生まれた男子はすべて徴兵検査を受けたんです。すべての男子です。体が弱くても病人であっても、特定の本当に激しい状況でなかったら全部徴兵検査を受けたんです。日本の国の男子はすべからく兵隊の義務がある、その中で私ども三人は育ったんです。あとの皆さんは、この中で本岡さんがその次に若いらしいけれども、この人たちには徴兵の義務の経験がないんです。大臣もそうなんです。徴兵の義務を受けなかった。  そこで、私がここで申し上げたいのは、今、日の丸君が代のことでいろいろ議論があります。しかし、私の実感をまず申し上げたい。日の丸君が代は明瞭に違うんです。  私は実は戦争が終わって一九四五年から二年間、当時の中国、満州に留用されました。帰ってくるときに、高等商船の今の日本丸に迎えに来てもらいまして、引揚者と一緒に留用解除で、兵隊みたいなものですけれども、あの日本丸の日の丸を見たら、日本という言葉を聞いたら涙が出たんです。あの日の丸の旗を見てうれしくてうれしくて、こんなにうれしい思いをしたことはない。そしてまた、日の丸国民大衆の中では本当に広く広がっておった。日の丸弁当という話もある。親方日の丸という言葉もある。もしこの日の丸が違う意味で使われておったら、そういうことは出ないんです。本当に大衆の中にあった。  ところが、君が代は違うんです。これは、野中さんも岩崎さんも御存じだと思うけれども、小学校、中学校の教育、あるいは女学校の教育もそうなんです。君が代を歌うときは、本当に姿勢を正しくして歌わなきゃいけない。そして、それに相当するものは何かといったら菊の御紋章なんです。軍隊における、先ほど話があった連隊旗なんです。これはもう神聖にして侵すべからず。日の丸はそうじゃないんです。そこのところの違いが混同されておるように私は思います。  野中先生もそのことは御存じだと思うんです、日の丸君が代との扱いの違い。日の丸というのは、家でひっくり返しても構わなかった。当時だって、おなかが冷たいものだから日の丸で温めておるのがあります。こんなことを菊の御紋章の旗でやったら、もう不敬罪でいきなりほうり込まれた。その違いがあるということをまず前提でこの問題を議論しなきゃいけない。しかし、そこが混同されて、日の丸君が代日の丸君が代と言っている。その辺のことが私は心配でなりません。一つがこれです。  そして、委員長並びに理事の皆さんの許可を得て、お手元に海軍兵学校の軍歌と軍人に賜れたる勅諭をお届けいたしました。(資料配付)  海軍兵学校軍歌の一番は何かといったら、君が代なんです。軍歌として扱った。ただし、これは国民と一般に歌える歌ですという中であるのがこの兵学校の中の君が代の扱いなんです。  君が代というのは、当時の日本の陸海軍の軍人にとって天皇陛下そのものなんです。天皇陛下をたたえるんです。そして、軍人はすべて天皇の本当に大変な恩義の中で自分たちは生きているんだ、いつでも死ねと。今、北朝鮮のことをよく言われますね。金正日か何かいう人を偉大なる統領様と言って、わあわあわあわあ言って騒ぎます。あれどころじゃないんです。私たちは天皇陛下のためならいつでも死ねという教育を受けた。身を鴻毛の軽きに安んぜよと、こうやって受けたんです。そういう中で私たちの青春時代があったんです。  私は、正直言って女性と口をきいたのは二十二歳までないんですよ。男女七歳にして席を同じゅうせずです。二年間向こうにおったから。それが、こんな美しい女性が日本におるということに触れられる今の若い人を見たら本当にうらやましくて仕方ない。そういう時代思い出のある私どもの世代、七十代のこの者が、なぜ君が代の問題を今まで五十年間本気になって議論しなかったか、これは私の反省であります。  先ほど江本先生からお話がありました。私は高等学校の教員をしておって、この二期前にやめた大蔵事務次官とか、あの連中は私の教えた子とは東大同級生です。ちょうど今六十前後の連中です、一番私がよく教えた、生活をともにした子たち。しかし、その子たちが、スポーツをやった子は全部校歌を覚えておるんです、校歌も応援歌も。ところが、ひょこひょこ東大なんかに行った者はほとんど覚えていないです。そういう中で、校歌にはいろんな高校生にとっては深い思いがあるんですよ、人間、青春ですからね。  しかし、それと同じような意味君が代を論じてもらったら困ると思うんです。君が代というのはそんなに軽いものじゃないんですよ。命がけで歌った歌なんです。  私が中国で、死んでいく同僚が、もう息を引き取るんですよ、何を言ったかといったら、本当ならお母さんと言いたいんだ、しかし戦争が終わった後です、天、天と言うんですよ。何かといったら、天皇陛下万歳と言って死にたいんだ。それぐらいの思いの中に我々は育てられておったんです。君が代を歌うときは本気になって歌ったんですよ。  だから、皆さんもテレビで見たことがあると思うけれども、戦争が終わったときに、宮城の前で女の人もおじいさん、おばあさんも行ってひれ伏したでしょう、天皇陛下、申しわけありませんと言って。何でこんなに戦争に負けたと、我々の働きが悪いからです。こういう中にあった大日本帝国のときに、これは今皆さんがいろんな議論をしている、学者の皆さんもいろいろな議論をしているけれども、私にとっては、君が代というのは天皇陛下に忠誠を誓い、天皇陛下万歳という歌なんですよ、これは。  日本の国が世界で一番すぐれたというのは、天皇陛下が統治している国だから世界で一番すばらしい国だというふうに私どもは思っているんです。それを、今さら何か恋人の歌だとかなんとか言われても、私どもの世代はぴんとこないんです。しかし、今や国民の大多数がそういうふうな解釈になりました、だから国歌にしましょうという動きがあることを私は否定しません。これは古い時代の、今のは愚痴みたいなことだからね。だけれども、私が言うのは、そういう思いを持った者が日本の国の中にいるということです。  そして、私はもう一つ非常に残念だったのは、戦争が終わってから、これは先ほど官房長官がよく、何か一部の云々という話が出るんだけれども、私もそう思う。  実は、戦争が終わったときから昭和二十四年までは日の丸も掲げられなかった。二十四年から掲げるようになりましたね。そのときは君が代の話をしなかった。国会でいろんなことも含めて、また文部省も初めてこの問題を正式に取り上げたのは昭和三十三年なんですよ。空白があるんです、国歌国旗に対して。そして、特にオリンピックの前に慌ててこの国旗国歌の問題が出たんです。そういう中で、初めてあのオリンピックで掲げられた日の丸を見て、日本国民は、ああ、すばらしい旗だと思ったんですよ。オリンピックから始まったんですよ、間違えたらいけないんです。戦争中の日の丸というのはもっと違った意味があった。そういう中で、日の丸の問題が復活したのは東京オリンピックです。  しかし、君が代はまだまだそこへ行かなかった。その中で、やっぱり君が代を歌わにゃいかぬ、国歌を歌わにゃいかぬと。当面、歌おうとしても国歌君が代しかないと。では、どうすべきかと。「君」という意味をもっと温かく広く、みんなというふうに解釈しようじゃないかというような解釈が出たのはそれからなんですよ。  私は語り部として言うつもりじゃないんだけれども、私の言うことはそんなに事実と違っていないと思うんです。自分なりに勉強もして調べたんです、こうやってね。  そして、皆さん、届いたようですから申し上げますが、軍人に賜れたる勅諭というのは、大日本帝国においては旧制中学校、中等学校へ入った子供、六年生から入るんですから今の中学校一年生と一緒ですが、その者が全部、その中の相当の者はこれを暗記させられた。変体仮名です、これは。皆さん読めますか。  「我国の軍隊は、世々天皇の統率し給ふ所にそある。昔神武天皇躬つから大伴物部の兵ともを率ゐ、」、野中長官はこれを暗記したのを覚えているでしょう。我々は暗記させられた。私は割合暗記が強かったから、旧制中学の五年生のときに表彰を受けたんです。全部覚えたんです。そういう中で、要するに日本の男の子は、これは男女差別じゃないですよ、男の子は全部兵隊になるんだ、天皇陛下のために命を捨てるんだという中で歌ってきた歌が君が代なんです。  だれが何と言ってもこれは覆せない。しかし、それを変えようというのならば、国民の皆さんに本当に話をして、やっぱり憲法にふさわしい君が代の解釈をしましょうと提案してもらわなきゃいけない。その提案をしていないんですよ、率直に言いますけれども。  そういう中で、恐らくこれは官房長官も心の中では私が言ったのと同じ気持ちだと思うんです。しかし、政府ですから国家としての体裁を整えなきゃいかぬ。国家には国旗国歌も要る。どうすべきかという中で苦しんだに違いないけれども、提案されたと私は思うんです。  そういう私が今言ったような意味で、まず君が代というものと日の丸というものの位置づけが大日本帝国においては違っておったと。この事実については両大臣はどういうふうに御認識ですか。
  186. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 今、山本委員から、お互いに歩んできた困難な時代を振り返りながらそれぞれ御意見を賜りました。私もまた同じ世代を歩んできた者として、心に深く刻むところが多いわけでございます。  そして、そういう中において、いかに教育がその国の国民を誤らしめるか、いかにそのときの政治が国民を不幸に陥れ、またそれが結果として、アジアを初めとする諸国の皆さんに迷惑をかけ、自国国民に多大の犠牲を強いたかを、より深刻に今思いを新たにするわけでございます。  それだけに、私どもは、二十世紀末を締めくくるに当たり、この混乱した中においておかげさまで五十数年の平和を築くことができました。そういう中において、これから国家のありようというものを明確にしていく一つのありようとして、これを成文化法制化することが今政治に与えられた責任であると認識を新たにした次第であります。  山本委員がおっしゃいましたように、戦争中のあの時代日の丸が我々に与えた問題、君が代が私どもに与えた問題はさまざまな受け取りようがあろうかと思うわけでございますが、いずれにいたしましてもあの困難な間違った時代を再び起こしてはならないという決意を新たにするものでございます。
  187. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私の幼少時というのは本岡先生と全く同じ世代でありまして、学年も同じでございます。  そういう点で、本岡先生のお考えもよくわかりますし、その一つ前の先輩でおられる山本先生のお考えというのもよくわかるんですが、ただ明らかに戦前の日本が行ったことというのは、先ほども申し上げましたように不適切である、残念ながらこれは反省をしなきゃならない。  したがいまして、今我々がやれることというのは、野中官房長官がしばしばおっしゃられておりますけれども、その時代に犯したいろんな問題を償っていかなければならない、これが一番重要だと思っております。それからまた、アジア諸国とは何としても共存共栄を図っていかなければ日本の将来はないと私は常に思っているわけであります。  そして、確かに日本国旗国歌、すなわち日の丸君が代の間には国民の中での支持というものが微妙に違っていることも私は認識いたしております。  しかしながら、君が代というものは、私は古い例えば万葉とか古今とか和漢朗詠集とかそういうものを読むのが大好きなものですから、かなり前から君が代なども時々読んでおりまして、そしてやはり君が代の持っている平和な気持ち、これは尊重いたしたいと思っているわけです。ですから、君が代の「君」というものの解釈が平和な解釈であるということにすれば、これは十分すぐれた国歌として考えられるとかねがね思っておりました。  したがいまして、今回の政府としての解釈というのは平和憲法のもとでの解釈でありまして、そういう意味では私は国民の御理解が賜れるだろうと思っている次第でございます。
  188. 山本正和

    ○山本正和君 私がなぜそういうことをお聞きしたかといいますと、日本君が代は大日本帝国の中の国民統合の、しかも非常にとうとい神格化したものとしての国歌だったんです。本当にみんなが起立して最敬礼しながら歌う歌だったという事実を無視したらいけない、こう私は思うんです。  これが私どもの心の中にうんとありますから、今、委員先生方の中で議論があった、今も文部大臣が言われた平和な意味があるじゃないかと、人間の喜びのいろんな気持ちがあるじゃないかと。そういう歌詞の問題じゃなしに、君が代明治以来約七十年間ですか、果たしてきた役割、その中に我々は生きておった、その生きておった者が今でもおるんです、まだ。何ぼ七十代といったってまだ人間ですから、生きておるわけです。その生きておる者にとって君が代というものの認識が非常に強くあったんです。  しかし、それでも二通りあるんです。やっぱり昔の大日本帝国の方がよかったと。私も大日本帝国がよかったと思うことがあります。それはなぜかと言ったら、何ぼ言っても、お父さん、お母さんにちゃんと礼儀正しかったです、我々は。うっかりやったらぶん殴られた。それから、友達も本当に大事にしたです。しかし、今や、何か知らぬけれども、お金さえあればいいと。こんなばかなことがあるかと。大日本帝国の方がよっぽどいいわい、こう私は思う、時々。特に、何か女の人で、ちょっと知った、勉強せぬ者が偉そうな顔して威張ってやるのが出てくる。目立つんです、女の人は、私ども古い男女差別時代に育った者は。本当によく勉強した人はたくさんおるんだけれども。でも、そんな我々の古い時代というのはそういう心があるんです。  しかし、その中で、昔の大日本帝国のころの方がよかったと言って、政治的主張をしている人が我が国にまだおるんです。それが企業に行って、政治献金よこせと取りに行くんです。今度は株の取引をしてまた悪いことをする。その人たちが天皇陛下の名前を使って、そして一生懸命やろうとする部隊もあるんです。君が代を悪用しようとする人も現実におるのです。そのことは私は無視できないと思うのです。要するに、いろんなものが人間の中にある。  ここで申し上げたいのは、今皆さんが議論しているような意味で、本当に平和な国日本、新しい憲法下の日本の歌として君が代をやろうというのならば、その君が代についての解釈をみんなで何とか一緒になるような勉強をせぬといかぬと私は思うんです。そこが欠けておったのでは大変なことになると思う。  それから、午前中の論議の中で、各国の歌には血なまぐさい歌がたくさんあるという話がありました。しかし、血なまぐさいじゃないんです。イギリス、フランス、またヨーロッパの各国から来て一生懸命アメリカで働いている人たちがどんどん搾取され、耐えられなくなって独立したんです、戦ったんです、本国と。血を流して戦った。その戦いの歌がアメリカの歌じゃないですか。アメリカ人が喜んで歌うのは当たり前です。戦いの中で今日のアメリカをつくった喜びがある。  アメリカの子供はみんなそういうふうに小学校で教わるんです、アメリカ国歌はこういう意味があるんですと。アメリカの民主主義の根源、これをつくったのはこういう経過があるんですよときちっと教えるんです。だから、アメリカ人は喜んで国歌を歌う。  では、皆さん、日本国歌を、君が代をどう教えますか、子供たちに。今のような話で、いろいろありました、こうだよ、ああだよとどうやって教えるか。学習指導要領に書かれたときに私が一番心配したのは、これはわざと書かなかったんじゃなしに、書けなかったんです。君が代をどう教えるかということが文部省の学習指導要領の中にないんだ。なぜないかといったら、その当時はまだ我々みたいな年齢の者が多いから、何ぼ言っても、君が代、天皇陛下万歳という者が多いから、それは書けないんですよ。子供に教えられないんですよ。君が代をどう教えていいかわからぬ中で、先生がどうやって教えられますか。  しかも、私は言いますが、私どもの責任なんです、これは。七十代以上の人間の責任なんです。戦争に負けたときに、本当に日本の国はどうかということを議論しなかった、政治が。日本の国の誇りとは何かというのを一生懸命議論しなかった。その中で国歌とは何か、日本の国の誇りは何かということを議論しておったら、私はきちんと日の丸は位置づけられたし、新しいのが本当にあのころできたと思うんですよ。しかし、みんな怖がったんですよ。  日教組のことがよくぼろくそに出ます。私も実は日教組の一員だったから、そのとき先輩に聞いた。そうしたら、こういうことを言った人がおるんです。君、何を言っているんだ、何が国歌だと言うんだと。私は平和憲法下の歌がいいじゃないかと、こう言ったんです。新しい国歌をつくる運動をやろう。昭和二十四、五年ですよ。そうしたら、君、何を言っているんだ、もうすぐ革命が起こるんだ、万国の労働者よ団結せよの時代に何を言っているんだといって、私はしかり飛ばされた。革命歌があるじゃないかと、こう言われた。そういうことを言う人がおったことはおったが、一部ですよ。  しかし、絶対に日本じゅうの教師は全部そうじゃないんです。戦争に負けてからの昭和二十年代の教員は、みんな校長先生が組合の委員長をしておったんですよ、当時は。そして、あの貧しい中で、学校には予算も何もない。青空教室ですよ。どうやって子供を教えようかとふうふう言っていた。その教育を受けた方もおられると思うんですね。その連中がなぜそんなことを言いますか、ほとんどが。中に一部やった者が新聞にでかでかと載るんですよ。しかし、そうじゃなしに、日本じゅうの教師はほとんどが必死になって働いておった。  文部省とも非常に仲よかったんですよ、当時は。そして、大蔵省から金をとるのに文部省と日教組が相談して、GHQの力をかりて予算をとってきたんだ。私はそのことを知っているんです。随分いろんな思いの中で、日本の戦後史があったんですよ。  しかし、その戦後史の歴史をきちっと調べもせぬといて、ああだこうだと議論したらいかぬと私は思う。本当に貧しかったんですよ。今のあのカンボジアの飢えた子供たちの姿よりももっと惨めだった、当時の戦争に負けた日本人は。その中で、今日こう来たんですから、だから、この日の丸君が代論争をしたときに一番大事なことは、私たちの現代史ですよ、戦後史ですよ、日本の。戦後史をきちっとみんなが勉強すれば、そんなに違いはないんですよ、同じ日本人なんだから。その立場に立って、日の丸君が代の議論をしてもらうのなら私は大賛成だった。しかし、なかなかそうはいかなかった。なぜならないのか。これは政治家が悪いんです。  私も大分古くなってきて、大先輩に言うわけにいきませんけれども、そうしたら、田村元衆議院議長が、彼はこの前引退しましたが、時々私は一杯飲みながら話をするんですよ。彼は長崎の被爆者なんです。そして、彼は一匹オオカミ、自民党の中の。言いたい放題言いおった。その彼が私と話したときに、山本君、僕はおやじを尊敬しているんだと。お父さんは戦前の代議士です。戦前の代議士が日本の国の政治をようしなかったというので、おやじは絶対に政治に出ないと言ったと。岸さんから相談があって一緒にやろうと言われたが、わしはやらぬ、大日本帝国に責任があると言ったと。しかし、今そんなことを言う政治家がどこにおるかと、彼が私に言ったことがあるんです。  私が思うのは、要するにあの戦争に負けたときに、大変な状況だったけれども、なぜそのときに今この日の丸君が代論争をしたような議論ができなかったのだろうかと。私は先輩の議員の皆さんに会ったら愚痴を言おうと思うんです。  しかし、今の責任は私どもにあるんですよ。今の若い先生方じゃなしに、現在の我々にある。それは私もそう思いますけれども、この日の丸君が代論争について、もっともっとしなきゃいけない課題がたくさんある、こういうことについては両大臣はどういうふうにお考えですか。
  189. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 過去の歴史をそれぞれひもときながら、委員がおっしゃるように日の丸君が代について十分国民が理解し、そしてそれが家庭地域社会で、そして学校現場で、それぞれ国民の心の中にみずからの国の国旗とし国歌として根づいていくための努力は一層されなくてはならないと考えておる次第でございます。  しかし、それがまたある意味において押しつけたり、あるいは強制をするようなものであってはならない、自然にはぐくまれていくような国家づくりをしていかなくてはならないと思う次第であります。
  190. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 私はやはり先生指摘の戦後史というものはきちっと教育をしていかなきゃならないと常々思っております。まだ不十分だと思います。今後、またさらにさまざまな点から検討していかなきゃいけないと思います。そういう平和を志向する日本だということ、戦前とどこが違って、どういうふうに違ってきたかというようなこともきちっと国民が理解をして、その上で十分認識を新たに深めまして、この国旗国歌についての御議論をしていただきたいと思っております。  しかし、国会というのは、まさに世論を代表したところであると。私はまだ一年生でございますので経験が浅いのですけれども、国会というのはやはり世論を代表するところであると私は信頼申し上げているわけでありまして、ここでの御審議に私は従いたいと思っております。
  191. 山本正和

    ○山本正和君 そこで、今度は文部省の方にお尋ねします。これは大臣でなくて結構でございます。  私は、文部省もつらかったと思うんです、君が代のことをどう教えるかということについては、まさに学者の間でもさまざまな議論がある話ですから。しかし、それを無視して、そのことを教えずして、入学式には何々、卒業式には何々と言ったのでは何にもならないでしょう。  先ほど山下委員が言われたのを私はじっと聞いていながら、現場のことを知っておられる感じでおっしゃっていたと私は思ったんです。  例えば小学校の子供でも、四年生の子供に君が代を歌いましょうと先生が指導したとします。先生君が代意味はどういう意味ですか、いや「君」というのはこういう意味だということがあるかもしれない。そうしたら、何となく子供なりに、「君」って何か言葉がおかしいねとかなんとかいろいろ質問が出るんですよ。だから、君が代はどういう形できたんだよという話をきちっと先生ができなければ、実際の話、指導できないはずだ。しかし、それに関する学習指導要領の指摘というのはほとんどなかったんです、ずっと最近まで。  それからもう一つ、今度は中学校になったら、日本史も世界史の一部も習うんです。歴史的な国歌とか国旗とかいうものの理由づけについて当然子供たちは疑問を持ってくる。それに対して、日の丸君が代は一切別なんですよ。歴史だとか文学だとかを離れて君が代があるんだ。それでは先生がどう教えますか。私はイデオロギーで云々というようなことを今言っているんじゃないんです。ほとんどの現場の教師はそんな暇はないんです。  それよりも、私は正直申し上げたいんだけれども、僕らが子供のときは悪いことをしたら親が呼びつけられたんです。担任の先生が、おい、だれだれ、お前はあしたお母さんかお父さんに学校に来るように言えと。学校へ行って親がしかられたんだ、小学校先生から、君のうちはどんなしつけをするんだと。それぐらい学校の教師に権威を持たせた。  私は権威がいいとは言わぬですよ。しかし、今は何かといったら、お母さん方がぱっと行って、先生、あんたのその教え方は何だとむちゃくちゃ言うわけです、本当に自分がよく教えもせぬくせに。そして、自分のうちではしつけ一つせぬ親に限って、学校へ来てぐちゃぐちゃ言う。本当に一番大切なことは、親が自分の子供に対してきちっとしたものを教えなきゃいけない。そういうことを教えなかった昔の先生が悪いのだけれども。  だから、そういうことでいった場合、今の中学生に、例えば全部一緒に集まってここに並びなさいと言っても、そんな親の言うことも聞かぬ者が何で先生の言うことを聞きますか、逆に言えば。こういう一番根っこの部分に対する議論をしなければ日本の学校の教育はよくならないんです。  どんなことを言っても、今の大人は金さえもうければいいという人が圧倒的に多いんだから、そうでしょう。本当の日本文化だとか精神だとかを勉強しようという人がどれだけいますか。今のテレビの荒廃の状況はどうですか。文部省がもうちょっとテレビに対して文句が言えるならいいけれども、うっかり言ったら逆にばっと苦情が来るんです、テレビ世界からね。そういう世の中に最大の問題があるんだ。だから、日の丸君が代で学校現場が混乱するとかなんとか言う前にしなきゃいけない課題がたくさんある。行政も政治もそういう中での問題だと私は思うんですが、文部大臣、いかがお考えですか。
  192. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 教育の根幹の一つ家庭教育があるということはおっしゃるとおりだと思います。したがいまして、中央教育議会の答申を受けまして、教育課程審議会等々の御判断を受けて、今、文部省でも家庭教育を重要視するという方向に進んでおります。家庭における教育と学校における教育、それから地域社会教育が協力をしていかなければならないということは我々も今十分考えているところでございます。  それからもう一つ、テレビの映像等々に関しましては、文部省といたしましても大変心配をいたしております。青少年教育という上で、やはりテレビの持っている教育力あるいはマスコミの持っている教育力は大いに活用していかなければならない。しかしながら同時に、その映像の中に過度に残虐であったり過度に性的なものがある、それに対しては私は非常に心配をしておりまして、何とか改善の策がないかということをマスコミの方たちにもお願いをいたしている次第でございます。
  193. 山本正和

    ○山本正和君 大臣、ぜひひとつこれからの中で議論していただきたいと思います。  それから、官房長官には、政府としてどうしても検討していただきたいと私が思っているのは、テレビの無制限な、報道の自由と称する営業の自由なんです。あれは視聴率さえ高ければいいから、何でもかんでも視聴率の高いものを放映するんでしょう。ヨーロッパでこんなむちゃくちゃな放映をしている国がどこにありますか。私はアメリカ型の自由というのは余り好きじゃないので、せめてヨーロッパ並みにしてもらえないかと思うんです。    〔委員長退席、理事鴻池祥肇君着席〕  それから、さまざまな規制の問題が出てきます。しかし、私は本来の意味での報道の自由という中における限界というものがあると思うんです。どうでしょう、あの今のテレビの状況を見ておって。これまたチャンネルはどんどんふえる。一体そういうことについて、政府は今の報道の問題と国民生活に与える影響についてどうお考えになっているか。  私は、日の丸君が代の問題でも、本当からいえば、もうちょっときちっと議論していけば、まさにテレビを通じていろいろやれると思う。しかし、テレビはそんなことせぬですよ、スポンサーがつかぬから。こういう中で、一体今の日本の国の状況の中でテレビはどんな影響を与えているのか。私は、日本の国を滅ぼすのはテレビじゃないかと極論したいぐらい腹立つ放送がたくさんあります。  そんなことを含めて、君が代日の丸問題とあわせて、政府としてはさまざまな日本の国の抱えている課題があるということについてどうお思いになるのか、最後にそれを伺って、私の質問を終わりたいと思います。
  194. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 憲法十九条を中心といたしまして、また我が国放送法の定めるところによりまして、今、山本議員がおっしゃる問題点は一つ一つ自身にもよく理解をされ、問題提起をされた問題として受けとめるわけでございますけれども、先ほど申し上げましたように、憲法並びに放送法に照らして私ども政府がこの場で申し上げるべき立場にございませんことを御了承賜りたいと思うわけでございます。  ただ、私もいささか政治家の一人として、この立場を離れるときがございましたら、この立場を超えて一人の政治家として、放送法のありよう、そして憲法十九条との整合性について十分議論をする場を持たなくてはならないと使命を感じておる一人であります。
  195. 扇千景

    ○扇千景君 朝からいろんな御意見を伺っておりまして、遅きに失したなという感をひしひしと感じております。これだけ平和国家で、世界に冠たる発展を遂げ、先進国に仲間入りした国の国会の論議とは思えないくらい情けない部分もございました。    〔理事鴻池祥肇君退席、委員長着席〕  けれども、私は、今の政府の勇敢な決断によって私どもにこういう場を遅きに失したとはいえども与えられたということに関しては、今、国会に籍を置く者としては本当によかったなと。そして、官房長官が先ほどからもおっしゃいました、今世紀に起こったことは今世紀にと、そういう意味において、私どももその責任の一端をおのおのが一人ずつお互いの胸に刻み、そして肩に刻み、バッジをつけている人間が新世紀のために、日本の将来の若者のためにこういうことの論議をする場ができたということだけでも、私は本当にけさから意義のある審議であったなという感をぬぐえません。  そういう意味では、本当に遅きに失したけれども、重ねて言いますけれども、こういうのがもう少し早ければなと思いますが、今までのタブー論視された幾つかの論議がございますので、こういう場ができたことを私はよしとしながら、どうしても一つ官房長官に伺いたいことがございます。  この法案で、第一条「国旗は、日章旗とする。」。けれども、先ほどからも皆さんの御議論を伺ったりマスコミ論調から見ましても、ほとんどの人が日の丸君が代とおっしゃいます。なぜ日章旗とするというだけなのかということが私は残念でならないということと、実は私は自分で、官房長官が今国会に法案を提出されないかもしれないとおっしゃったときに、少なくとも閣法ではなければなりませんけれども、議員立法でも何とか国旗国歌法制化したいと思うようになって、私が法制化をしようということで、与党の自民党さんにも法案をつくってお渡ししたところだったんですけれども、国旗白地に紅色の日章を配した日の丸の旗とするというのが私自身が立法化をしようと思って提出しようと思った第一条でございます。  そこに日の丸というのがないということが何かあるのかなということと、もう一つ私がこの立法をしようというふうに考え基本的な時期はこの一冊の雑誌でございます。  この「論座」によって各政党が、マスコミも含めて全部国旗国歌に対する意見を述べておられます。ですから、私は、この「論座」に各政党がお書きになっている論文の中に、一つ一つ中身には触れませんけれども、自民党さんは、きちんと理解をして身につけることが必要とおっしゃっております。また、民主党さんは、国旗国歌への敬意は自然な母国愛から醸成されるとこれに答弁をしていらっしゃいます。公明党さんは、日の丸君が代は軍国主義の再現にはつながらないとお答えになっております。また、共産党さんも、日の丸君が代には法的根拠がない、国が公的な場で国と国民象徴としては公式に用いるとお答えになっています。そして、社民党さんも、日の丸君が代認識国民の判断に任せると。こういう各政党のお答えが全部ここに論文として寄せられたということで、私は何としても法制化をしなければならないと思った一つ理由でございます。  また、少なくとも教育現場がこういうことで混乱をするということは、まさに私は今の日本にとっては恥ずべき時代だ、恥ずべきことであるということがこれを立法化しようと思った大きな基本的な気持ちでございますので、冒頭に申しました日の丸というのが書いていないということに関して官房長官から一言お答えをいただきたいと思います。
  196. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 政府といたしましては、今回法律案を国会に提出するに当たりまして、国旗日章旗と規定するか、あるいは扇議員が今御指摘ございましたように日の丸と規定するかにつきまして慎重に検討をしたところでございます。  一つには、法文上日の丸と規定いたしますと、日の丸には紅色の丸を指す狭義の意味日の丸を配した旗の広義の意味の双方があることから紛れを生ずるおそれがございますこと、二つ目には、法文上は国旗日の丸の旗とすると規定することも可能ではございますが、それよりも「国旗は、日章旗とする。」と規定する方が端的でありまして、法文上もなじむと解したところでございます。このような理由から日章旗の語を用いることにさせていただいた次第でございます。  なお、御指摘のとおり、日の丸の語は長い歴史の中で定着をしてきておるものでございまして、国民にもまた親しまれておるものでございます。したがいまして、この慣習は大切にしていくべきでございますし、この法律日章旗の語を用いたことによりまして、本法律の施行後、通常の場合、日の丸の語を使用することに何らの制約が生ずるものではないと理解をしておるところでございます。
  197. 扇千景

    ○扇千景君 私は、朝からの各党の論議を聞いておりまして、本当に国旗国歌というものが極めて重要な性質と役割を持っているということを改めて再認識させていただくくらい大事なことであり、学校でこの基本認識をいかに日本国民として共有するかということの大切さをつくづくときょう感じた次第でございます。  皆さん方も国会の会館の部屋にこういうものをお持ちだと思います。「世界の国一覧表」、これは外務省が協力してつくっているものでございます。国賓でお見えになった皆さん方の旗が国会の周りによく出ておりますね、日の丸と一緒に。でも、その旗を見て、この旗はどこの国の旗だったかなとよくわからないことがございます。私は、そういう意味では、こういう世界国旗世界じゅうにきちんと配られる、また認識される、そして国連に加盟しております百八十五の国々の国旗がこうして出ております。  むしろ外国へ行って日の丸の旗を見ると、私どもより外人さんの方が日本の旗だと言ってくださいます。それほど日の丸日本国旗というものが世界じゅうの人に認められているということのありがたさ、これにかわる旗がないということをぜひもう一度認識して、私どもは国際的な日本立場、そして日本人としての誇りというものを持つために、私は日の丸国旗ということを国民に、少なくとも子供たちには必ず教育の場で教えるべきだと思います。  大変失礼ですけれども、官房長官に全く違った質問をしたいと思いますが、官房長官のお宅では国旗をお持ちでしょうか。
  198. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 持っております。
  199. 扇千景

    ○扇千景君 官房長官みずから祝祭日に国旗をお上げになったことはおありになりますでしょうか。
  200. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 私が正月三が日おりますときは国旗自分で上げるときがございます。その他祝祭日はおることが少のうございますので、家族が上げるようにしておる機会が多うございます。
  201. 扇千景

    ○扇千景君 先ほども申しましたように、国旗国歌に対して一定の敬意を払うというのは、少なくとも国際社会の最低のマナーであると私は認識しております。ですから、そうしなければ恥をかくばかりではなくて、外国でそれをしなければ身に危険が及ぶということもかつてはあったわけでございます。外国国旗掲揚国歌斉唱の際に日本と同じように無視して、そういうふうに振る舞った人が身柄を拘束されたという例もあるわけでございます。  まして、日本の国の刑法第九十二条に「外国国章損壊等」という項がございます。日本の刑法でございます。その中で「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」と。外国の旗に対してこれだけの刑法がありながら、自国の旗に対する認識もないということに関しては、どこでその欠損ができて、あるいはそれを否定することがあるのかと。  外国の旗にこれだけ刑法第九十二条でちゃんと明記しながら、自国の旗をも認めず、自国の旗に尊敬の念をあらわさないということに関しては、教育現場で少なくともどこか何かが足りなかった、私はそう思わざるを得ないんです。健全な国家意識というものを育てることは、少なくとも戦後の教育の場で怠ってきた最大のものではないか、そこに今の教育現場の混乱があるのではないか、それも一つの大きな要因であろうと思われます。  私は、先ほどから先生方がおっしゃっておりました中にも、教師がみずからの思想、信条に従って個人的に反対するのは、それはもちろんやむを得ないかもしれません。それは私はあろうと思いますけれども、その主張を通すために実力行使や集団交渉に訴えることは間違っている、少なくとも私は教育の現場ではそう思います。それは少数の反対を押しつけることにほかならないということを私どもは少なくとも思わなければいけません。  子供たち教育するのに、私たち教育というよりも教え育てるということで、先ほど男と女の話がありましたけれども、特に母親というものは子供をしつけるときに理屈ではございません。先ほどもどなたかが朝おっしゃっていましたけれども、私も朝、仏様にお水をあげて手を合わせます。そうすると、私の孫が、まだ一歳何カ月ですけれども、私が手を合わせていると同じように手を合わせます。そういうものが日本の親から子、子から孫へ伝わっていく一つ文化であろうと思いますし、それは国家意識にほかならないと思います。  そういうふうに無理なく自然に教わっていくというのが、子供たちが学校で掛け算の九九や常用漢字を覚えるのと同じように日本国民基本というもの、日本国民がどうあるか、日本に生まれた喜びとかあるいは誇りを持てるような歴史認識というものをきちんと教育することによって世界に通用する日本人が育っていくものだと思います。そういうことが教育の場で欠けていた部分ではないかと思います。  私は、きょうはそういうことを指摘して、我々が日本国民として自信を持ち、そして誇りを持って、世界に通用する国民を育てる一助に今回の法制化が役に立てば、二十一世紀日本にこれほど明るいことはなかったと。今、内閣が決断して国会でこれを法制化されるということに対して、明るい二十一世紀日本世界に通用する日本人を育てる認識の一助になればということも含めて、官房長官のお言葉をいただいて終わりにしたいと思います。
  202. 野中広務

    国務大臣野中広務君) 今、扇千景委員から、我々の今回の政府決定に基づきます法制化につきまして大変温かい御支援を賜りながら、なおみずからの情熱と政治的理念、さらには二十一世紀にかける我が国国家のありようについて熱い思いをお伺いいたしました。  私どもといたしましても、二十世紀の困難な時代を歩んできたこの歴史の締めくくりとして、さらに二十一世紀がより光り輝く時代に通じていきますように、この法制化一つの道筋につながることを祈念しておる次第でございます。
  203. 扇千景

    ○扇千景君 終わります。
  204. 山崎力

    ○山崎力君 参議院の会の山崎であります。  いろいろ午前中から議論がございましたが、私は主に事実関係をたどっていきたいと思っております。  事実関係と申しますのは、どういうふうな今回の問題についての基礎的な考え方基本考え方があるかというところから、勉強と言っては非常に申しわけないんですけれども、一つ一つチェックをしていきたいという立場で質問をさせていただきたいと思います。  まず、今回の法律の政府側の説明の中に、日の丸あるいは君が代は慣習法として定着している、こういうのがございまして、それをいろいろな事情によって実定法化、法定化したい、こういう考え方を述べられておりましたが、一般の人間にとりまして、慣習法とは何ぞやということ自体がまずわからないという方が多いと思います。  その辺について、慣習法とはどういったものであるかということの実態をお聞かせ願いたいと思います。
  205. 大森政輔

    政府委員(大森政輔君) お尋ねの件は詳しく論じ出すと非常に難しい問題でございますけれども、要するに慣習と慣習法がどう違うのかという点に絞りますと、慣習に法的確信が伴うと慣習法になる、こういうふうに言われております。しからば、慣習とはどういうことかということになりますと、一般に国民社会的生活を行う上におけるしきたり、長く反復して行われるしきたり、これがそのうちに法的確信を伴うということになるとそれは慣習法である、こういう使い方をしているというのが簡単な、端的な説明だと思います。
  206. 山崎力

    ○山崎力君 私もかつてそういったことを聞いた記憶がございます。  その中で、一番問題は、おっしゃったとおり、法的確信とは何か、このことだと思うんです。これが非常にわかりづらい。法とは何ぞやといういわゆる法哲学まで踏み込まないとこの問題というのは出てこないんですが、そこまで行かなくても、一般の人には、これは慣習、習慣あるいは慣例となっているということと、これは慣習法化されているということ、この区別はなかなかできない。  そもそも、我が国に慣習法というものがあるのかないのか。いわゆる実定法主義をとってきたのではないだろうか。その辺のところの議論が全くないまま、私はそういった点では非常に気軽に慣習法という言葉が今回の政府説明で使われたのではないかという疑問を持っているんですが、その点、いかがでしょうか。
  207. 大森政輔

    政府委員(大森政輔君) 今までるる申し上げていますとおり、長年の慣行により国民に定着しているという言葉を使ってきているわけでございます。これは、すなわち慣習の成立、そしてそれに法的確信が伴う慣習法の成立ということを別の言葉で言いあらわしているわけでございます。  しからば、この法的確信とはどういうことか。これを簡単に申し上げますと、ある慣習が一般国民の間に法的な規範として認識される、すなわち国民が法的な規範として拘束力を意識するようになるということになりますと法的確信を伴っているということが言えようかと思う次第でございます。
  208. 山崎力

    ○山崎力君 まさに規範として認識しているか、していないかということだと思います。しかし、これは非常に移ろいやすいものでございまして、そういった意味では非常に価値観の移動とともに移ろいやすいものである。しかし、現実の問題として、それが長い間多くの国民にとってこういったものだということが意識され、また逆に規範ということを裏返せば、それに違背したときに何らかの悪い影響があってもこれはやむを得ないんだということを意識しなければ、まさに規範というふうにならないと思うわけでございます。  そういった意味で、今回のものが日本の法体系の中で、いわゆる慣習はある、あるいは村八分といったようなことが言葉としてあって、それが慣習法化されているか、されていないかということも出てくる部分はあろうかと思うわけです。  しかし、明治以降そういったことはよろしくないというふうに、むしろ明治政府以降、実定法主義で今まで我々はやってきた。そして、その法定化がどういうことをいったかといえば、法律ではこうなっているけれども実際の社会はそこまでやったら大変だよねと。言葉をかえれば、法律家はあしき隣人という言葉もあるような中で、何とかかんとか日本社会がやってきた。  ところが、実際の問題として、この近代化、いろいろな難しい中で、そういった共通の規範が失われつつあるということもこれまた社会的背景として事実だと思うわけでございます。  そういった中で、あえて慣習という、詰めた意味で慣習法化されているという今度の国旗とか国歌というものをやっていいのかどうかというようなこと自体、私は問題としたいわけでございます。その点で、政府側で説明の慣習法化という慣習法ということの吟味が本当にされたのかどうかということ、慣習であった、しかもある程度国民に規範的なものを持たれたものであったということは事実だと思いますけれども、ここに慣習法という法を入れたこと自体、果たして厳密に検討された結果かなという疑問を持っております。  その点について、何か法制局として相談にあずかった事実があるのかないのか、御答弁願えればと思います。
  209. 大森政輔

    政府委員(大森政輔君) なかなか微妙で、答えるのが難しい御質問でございますが、検討したのかと言われますと、それは検討したということでございます。  そこで、いつ慣習に法的確信が伴って慣習法となったのかというようなことをせんさくいたしますと、この時点だと言うのは非常に難しい問題でございまして、要するに過去にさかのぼっていつかじゃなくて、現在どうかという判断を通じて述べざるを得ないということが一つでございます。  それからもう一つは、要するに法的確信を伴うかどうかというのは、個々の国民が主観的な判断として法規範意識を持つかどうかという問題として考えるべきじゃなくて、要するに客観的、制度的な評価の問題としてとらえるべきことであろうというふうに考えているわけでございます。  そこで、国旗国歌について考えてみますに、国旗とかあるいは国歌の語、言葉を用いている個別の法令、あるいは法規たる性質を持つ文部大臣告示というものが存在しているわけでございまして、これらの規定の関係国旗とか国歌とかいうものがいかなるものを指すのかということにつきましては、日章旗我が国国旗とされており、また君が代我が国国歌とされるべきであるという確信があるというふうに現時点で判断できるわけでございます。したがって、このような確信が個別の法令等の各規範の意味を補充しまして完結させるという機能を果たしているということが一つの事情でございます。  それからもう一つは、国旗国歌と申しますのは、やはり現代社会ではいずれの国家も備えているべき基本的な制度であろうと思うわけでございまして、国家的な行事とか国際的な儀礼におきましては、我が国国旗とは日章旗であるべきだ、そしてまた我が国国歌とは君が代であるべきだということは国民の間でもはや確立している問題ではなかろうかと。  このようなことをあわせ考えますと、国旗国歌とは何を指すかという命題についてその答えを一義的に定めるという意味において、広い意味では法的な規範性をもう既に有しているのであるということが言えるのではなかろうか。  このようなことを頭の中であれこれ考えまして、やはり単なる慣習ではなくて、既に慣習法としてもう成立しているのであろうという判断をしているわけでございます。
  210. 山崎力

    ○山崎力君 私もその御説明で結構だと思うんですが、ただこの問題は一つ事情がちょっと違うことがございます。  と申しますのは、先輩、諸先生指摘の中にもありますけれども、私の見るところ、すなわち戦前において君が代あるいは日の丸というものが今以上に実定法のないまま、まさに慣習法として我が国国民の中に定着しておったということは事実だろうと思うわけでございます。まさに世界は今以上に慣習法化していた。それが戦後の混乱の中でどうなったかといいますと、占領軍の命令によって国旗掲揚は一たん禁止されたわけでございます。もちろん、君が代の演奏も否定された部分があって、それが復活したときに果たしてどうだったのかということがポイントではなかろうかと思うわけでございます。  そういった意味で、単に今回、現時点でということだけではなくて、敗戦後の位置づけがどうだったのかということもある程度吟味しなければならないことだろうと私は思っております。そういった中で、今の御答弁にもありましたように、この慣習法という言葉日本になじむかどうかの問題は別として、提案側がこういったことを考えてということは今の御説明である程度納得できる部分があるというふうに評したいと思います。  ところが、もう一点お伺いしたいのは、こういった慣習法というものが国旗国歌と違った意味我が国にはどんなものがあるだろうかと当然一般の方は考えると思うんですが、その点について何か御答弁がありますでしょうか。
  211. 大森政輔

    政府委員(大森政輔君) 御承知のとおり、我が国明治以来成文法主義をとっておりますので、慣習法が成立する領域というのは非常に狭い。したがって、慣習法がほかに何があるかと言われますと、そうたくさん指折り数えられる問題ではなかろうかと思います。  ただ、この問題で従前から例として挙げられています代表的なものは、法令の公布は官報をもって行うということはもう確立しているわけでございます。実はこれは戦前では公式令において明確に規定されていたことでございますが、日本国憲法の施行とともに公式令が効力を失いまして、それにかわる根拠法令が制定されておらない。しかし、依然としてこの法律も成立いたしますと公布されます。これは官報に掲載して行われることは間違いないわけでございまして、このように法令の公布は官報をもって行うという規範は代表的、典型的な慣習法であるというふうに説明されております。
  212. 山崎力

    ○山崎力君 これは質問通告をしていないのであれなんですが、私がこのことで感じたのは、我が国の呼び方はニホンなのかニッポンなのか。これはいろいろ議論があったことがございますけれども、憲法はニホン国憲法と普通言っておりますが、ニッポン国憲法と発音される方もおられるわけでございます。  そういった中で、これは両方とも我が国の国号であるというのも一種の慣習法かなというふうに私は思っているんですが、検討が必要かどうかは別として、もしお答え願えるならばお答え願いたいと思います。
  213. 大森政輔

    政府委員(大森政輔君) お尋ねの件につきましては、文部大臣がおられ、文部省の局長がおられるわけでございますから、あるいはそちらからお答えいただく方がより正確でないかと思いますが、少なくとも法制面におきましてはその用語をどういう読みをするかということまで文字であらわすわけじゃございませんので、漢字表の音訓の範囲内であれば、どちらでなくちゃいかぬという問題ではないんじゃなかろうかなと思いますが、どうも余り自信はございません。
  214. 山崎力

    ○山崎力君 それでは、文部省の方からもしあれば。
  215. 佐藤正紀

    政府委員(佐藤正紀君) 手元に資料がないので正確なことは申し上げかねるのでございますが、昔、総理府に公式制度調査会というのがございまして、日本の国号につきましても検討いたした経緯がございます。その中におきましては、ニホン及びニッポン、いずれの呼び方も正式なものとしてたしか認められた経緯があったと記憶しております。
  216. 山崎力

    ○山崎力君 確認ですが、それは実定法化されているというわけではなくて、慣習法的にどちらでもいいということで今行われているというふうに解釈してよろしいんでしょうか。
  217. 佐藤正紀

    政府委員(佐藤正紀君) 調査会の中でそういう結論を得たということでございまして、特に法律とか告示をしたというようなことはございません。
  218. 山崎力

    ○山崎力君 非常に基礎的なことで恐縮でございましたが、続きまして、先ほども扇委員の方から出ましたけれども、刑法第九十二条、外国の国章損壊罪、このことについて考えてみたいと思います。  これはいつごろつくられた法律で、その立法趣旨はどういったものでしょうか。法務省の方、お願いいたします。
  219. 松尾邦弘

    政府委員(松尾邦弘君) まず、いつごろかという点でございますが、旧刑法、これは明治十三年の太政官布告第三十六号というものが旧刑法と言われているものですが、ここには外国国章損壊罪に相当する処罰規定はございませんでした。その後、明治四十年に現行刑法が制定されたわけでございますが、その際に第九十二条に外国国章損壊罪が設けられたということでございます。  その立法の趣旨でございますが、刑法第九十二条の外国国章損壊罪は刑法第二編第四章の「国交に関する罪」の中に置かれております。我が国の外交作用の円滑、安全等を考慮してかかる行為を処罰するということにしたものと考えられます。
  220. 山崎力

    ○山崎力君 これは念のためでございますけれども、諸外国においても我が国のこの外国国章損壊罪に当たるのは一般的にある考え方でしょうか。
  221. 松尾邦弘

    政府委員(松尾邦弘君) 把握している限りでございますが、ドイツには外国国旗及び国章の侵害を処罰する規定がございます。  アメリカ連邦法あるいはイギリス、フランスには、我が国のこの刑法第九十二条に該当する外国国章損壊罪に該当する処罰規定は見当たらないと思います。
  222. 山崎力

    ○山崎力君 そういった中で、日本国旗、そういった国章というものがあるかどうかは別としまして、国旗に対しての処罰規定はないというふうに知っておるわけでございますけれども、諸外国においてもそうですが、自国国旗等に対する侮辱的な行為に対して、それに対する処罰というのはどのような感じになっておりますでしょうか。
  223. 松尾邦弘

    政府委員(松尾邦弘君) ドイツでございますが、公然掲示された旗、国章の損壊等を処罰する規定がございます。  イギリス、フランスには、自国国旗に対する 損壊行為についての処罰規定は見当たらないということでございます。  アメリカ合衆国でございますけれども、ここは合衆国の旗の冒涜行為を処罰する規定がございますが、ただこれは、例えば政治的抗議等のために合衆国の旗を、自国の旗を燃やした者に対する本罰則違反による訴追につきましては、憲法修正一条に違反することを理由に連邦裁判所は控訴を棄却したということを念のため申し添えておきます。
  224. 山崎力

    ○山崎力君 そういったことで、我が国に九十二条があるんですが、これは念のためですけれども、ほとんど例示規定的になっておって、この法律の実際上の運用といいますか施行というのはほとんどなされていないように記憶しているんですが、それはそう考えてよろしいんでしょうか。
  225. 松尾邦弘

    政府委員(松尾邦弘君) 統計から拾いますと、昭和二十二年から平成十年までの検察庁における九十二条違反の受理人員は四人でございます。全く動いていないということではございませんが、極めてまれな例ということになります。
  226. 山崎力

    ○山崎力君 この例で私が記憶しておりますのは、かつてもう大分前、私の子供のころですから相当前になりますけれども、調べてこなかったので日時はちょっと言えませんが、長崎国旗事件ということがありまして、日中国交回復前の中国との関係がその事件で非常に大きな影響を受けたということがございます。そういった点で、国旗に対する一つの行為がいわゆる外交問題になり得るということが現実の問題としてあったわけでございます。  そして、そのことをおもんぱかって我が国においてはこういった法律ができたのであろう。裏を返せば、非常に微妙なときに激高した国民が相手国に対して侮辱行為をするということが外交上極めて悪い影響をもたらす、そのことを処罰するという考え方でできたものであろうと私は思っております。  そういった抽象的な意味合いを国旗というものは持つし、あるいはそれと伴う国歌というものも持っていると私は思っておりますが、そういったことに対して日本国民はどのような考え方を持っているのか。特に幼少時の学校教育においてどのように教えているのか。これはひとつ国というものをどう考えるか、国家観をどう考えるか、あるいは民族というものをどう考えるのか、それとも人間のまとまりである社会というものをどういうふうにとらえて子供たちに教えるのか、こういう点に大きくかかわってくると思うんです。  文部大臣にお伺いしたいと思います。諸外国の現状とあわせて、具体的にどのように文部省としては教育しているんでしょうか。
  227. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 学校におきましては、国家や民族、社会のあり方や仕組みなどにつきましては、小中高等学校を通じて児童生徒の発達段階に応じて社会科等で教えているところでございます。  具体的には、例えばまず小学校でありますが、小学校社会科では、我が国国土歴史に対する理解と愛情を育てることを目標としております。次に、中学校の社会科におきましては、国家の主権あるいは領土について指導することとしております。すべての国家の主権が相互に尊重されなければならないことなどを学習しております。高等学校の公民科では、領土などに関する国際法、人種、民族問題などを指導することにしておりまして、この中で国家や民族のあり方などを学習いたしております。  また、国旗国歌の指導につきましては、学習指導要領に基づき、具体的には社会科で国旗国歌意義を理解させ、諸外国国旗国歌を含めそれらを尊重する態度を育成すること、音楽の授業では国歌君が代を指導すること、入学式や卒業式などでは国旗を掲揚し国歌を斉唱するよう指導することといたしているところでございます。
  228. 山崎力

    ○山崎力君 諸外国についてのことが答弁漏れでございますので、まずお答え願いたいと思います。
  229. 小野元之

    政府委員(小野元之君) 外国におきます国家観、民族観、社会観についてどういった教育が行われているかということでございますが、私どもが承知している限りでは、例えばフランスでは、教科公民におきまして、フランスを含め各国が独自の歴史文化を有することやそれを尊重することが指導されております。  それから、ドイツでございますが、ドイツにおきましては、州の憲法や学校教育関係法規などにおきまして、国土及び郷土への愛情を持って教育に当たるべきことが規定をされております。  それから、中国でございますが、各教科や生徒指導などを通じまして、中華民族の歴史文化、伝統の継承、高揚などが指導されているというふうに把握しているところでございます。
  230. 山崎力

    ○山崎力君 もう一つ、それに関連してですけれども、大学においては、特に国公立の大学においては、こういったことに対して、入学式、卒業式における国旗掲揚あるいは国歌斉唱というものが行われているのでしょうか、いないのでしょうか。
  231. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 大学に関しましては学習指導要領が適用されませんものですから、少し違った立場になります。  御承知のように、国立・公立大学の入学式、卒業式における国旗国歌の取り扱いにつきましては、入学式等が大学の教育研究活動の一環として行われていることにかんがみまして、各大学の自主的な判断に任せられているところでございます。  国旗国歌につきましては、長年の慣行により広く国民の間に定着していることから、各大学の良識ある判断と適切な対応を期待いたしているところでございます。
  232. 山崎力

    ○山崎力君 学習指導要領、大学と高校がどこまで違うのかという教育面における位置づけというものが、かつての大学、高等教育といわゆる中等までの教育とで非常に違ってきた事実、流れがございます。そういった意味で、そこまでやるのかという考え方と同時に、やらなきゃまともな人たちが育たないぞという考え方も出てきております。  先ほど文部大臣からの答弁の中にありましたけれども、家庭教育が大事だというふうなことが言われておりますが、その前提として、家庭教育の親を教育した方が早いぞというのが現場の教師の中から出ている、あるいは社会問題の中にも出てきている。  これは学校教育のみならず、社会教育の中でも問題児をどう扱うか、どう教育するかといったときに、まず問題になるのが、親がどういう教育をしているのか、親の考え方はどうなっているんだ、まず親を教育した方が早いぞ、しかしそういった教育する場があるのかというのが今の悩みの種だというふうに伺っております。  そういった教育という面から今度の国旗国歌というものがどのように扱われるべきかというふうに今まで論じられてきたわけですけれども、同僚議員の中にも関係者がおられるので非常に聞きにくいのですが、この問題というのが一義的に国民の間に時期的に間を置いてということで問題になってきたのは、まさに文部省と日教組との関係の中で、国旗国歌をどう扱うかということが、非常に私はいびつな形だとは思うんですけれども、かなりの長い間ずっと行われてきた。それで、現実の問題として地域間格差、入学式、卒業式における掲揚、その他斉唱の地域間格差も非常に大きい。  この問題について文部省はどのようにお考えなのでしょうか。どのように受けとめられているのでしょうか。
  233. 有馬朗人

    国務大臣有馬朗人君) 日本教職員組合は平成六年度までの運動方針において、君が代には強く反対する、また日の丸を学校教育に強制することに反対するとしておりました。しかしながら、平成七年度の定期大会において、国旗国歌の取り扱いについて運動方針から削除するなど、大幅に見直した運動方針を決定したと承知しております。  文部省といたしましては、学校での国旗国歌の指導について、これまで学習指導要領に基づいて適正に行われるよう各都道府県教育委員会に対して指導してきたところでございまして、今後とも学校における指導の充実に努めてまいる所存でございます。
  234. 山崎力

    ○山崎力君 このところは後ほどでも結構なんですけれども、今のそういった流れの中で、かつてから、戦後間もないころから一貫してほとんどの学校が国旗を掲揚し国歌を斉唱してきた地域もあれば、ほとんど行われていなかった地域もあるわけでございます。もちろんこの問題というのは地方それぞれの教育委員会の判断があったわけでございますけれども、そこのところで、先ほどの問題に立ち戻れば、果たしてそれが慣習法化されていたかどうかということの判断もそこのところでばらつきがあったのではないかなという気があったので、私が最初に申し上げたのはその点なわけです。  もう時間もそろそろなくなってまいりましたので、この問題はまた改めてお聞きしたいと思いますけれども、そのような地域間格差に対して、逆に考えれば学校の現場、教職員組合、日教組あるいは高教組のところの対立からこの問題が実施できない地域があったのか、あるいはその他の地元の人の事情でそういったものがあったのか、その辺のところを文部省としてどこまで指導してきたのか、そういった問題がこの問題の背景にあったということは否定できないと思うわけでございます。  その中で、この問題の大きなポイントというのは、日の丸国旗だからそれを認めないのか、国旗というものを一つ教育の現場に持ち込むことを拒んでやらなかったのか。君が代についても同様でございます。先ほども申し上げた国家間の問題、国家というものには少なくとも何はともあれ国旗とか国歌というものが存在し、つくって、それで一つ国民シンボルとして、統合の象徴としてやっていくんだと。もちろんその国それぞれの歴史的経過、慣習その他がバックにあるわけでございましょうけれども、それを認めるということであって、その前提で日の丸が悪いとか君が代が悪いという意見と、もともとグローバルな、世界的な一人一人の個々人を育てる教育の現場にそういう国家的なシンボルというものをなるべく持ち込むべきではないという価値観から国旗国歌教育現場に持ち込むべきではないという考え方なのか、その辺の区分けを文部省としてどのように交渉してきたのか、話し合ってきたのかということは明らかにするべきだと思うんですが、その辺のところで何かありますでしょうか。
  235. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 各学校現場におきます議論は、先生指摘のように、いろんな場面に即しましていろんな論理が立てられる、したがいまして両方の論理があったろうかと思います。  日教組におきましても、最初に日の丸掲揚あるいは君が代強制等について反対というのが出てまいりますのは、私どもが承知している限り、昭和三十年代の末から四十年代の初めでございますが、現在までの運動の基調になりました昭和五十年の第四十七回定期大会の統一見解に係ります文書を見てみますと、一つ君が代日の丸法制化に反対すると明確に言っておりますし、もう一つは学習指導要領をてこに日の丸を学校教育に強制的に持ち込むことに反対するということで、いずれの論拠においても反対であるというようなことがございますので、実際の各学校や教育委員会の交渉場面におきましても、その場面に応じましてこの両方の論理展開がされてきたものと承知しているわけでございます。  先生からも御指摘がございましたように、何分にも各都道府県ごとに相当この問題に対します組合側の対応あるいは教育委員会側の対応も時代によりまして格差がございまして、国旗国歌の掲揚率等が現在九〇%を超え、あるいは八〇%を超えているというような状況でございますけれども、こういった状況に立ち至るまでにおきましても、各都道府県におきまして、二十年前からこういった問題について既に解決済みの県もあれば、十年前解決したところもあれば、いまだに大変まだ難しい問題を抱えているという県が一部に残っているということも事実でございます。
  236. 山崎力

    ○山崎力君 官房長官には申しわけないんですが、最後にちょっとと思っていたんですけれども、時間でございますので次の機会に譲らせていただいて、私の質問を終わらせていただきます。
  237. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 本日の質疑はこの程度といたします。  次回は来る八月二日午前十時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十九分散会