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参考人(
猪口邦子君) よろしくお願いいたします。
猪口です。
まず、本日、このような重要な課題を
調査する非常に大事な
委員会の場に
参考人として
出席して、こうして発言の機会が与えられましたことを感謝申し上げます。私は
都市計画とかあるいは
国土計画の専門家ではなく、専門は国際
政治学でありますので、この
議論に直接的に貢献するという、そういう力量は持ち合わせていないと思いますが、にもかかわらず私を招いてくださったということは、やはり
国会等移転という重大問題について、広くさまざまな観点からの
意見を集約して審議していこうという、そういう先生方の御理解ゆえであると思いまして、感謝申し上げます。
私は、都民として長く
東京に暮らしてきました。また同時に、海外で長く教育を受けてまいりました。幼稚園は
日本で終わりましたが、小学校は父の赴任先でありましたブラジルのサンパウロで卒業しており、中学は
日本で、高校は米国で、大学は
日本で、大学院は米国でというぐあいに交互に
日本と海外で教育を受けてまいりました。子供のころ建設途上のブラジリアに父に何度か連れていってもらったことは記憶に鮮明でございます。御質問がありますれば、ブラジリアがブラジル経済にどういうことをもたらしたかについていろいろと御
議論することもできるかと思います。
また、職業生活に入ってからは、またその面でも海外での共同研究の機会が多く、オーストラリアの
首都キャンベラにかなり滞在しておりました。実は昨年の夏もずっと子供たちを連れてキャンベラで暮らしており、私自身はオーストラリア国立大学という唯一のキャンベラにあります大学において共同研究に携わっておりました。
このような体験に基づきまして、また国際
政治における二十一
世紀日本の役割と競争力という観点から、私は
首都機能移転につきまして慎重な
立場に立ってここで発言させていただきたいと存じます。
幾つかの論点を用意してございますが、まず第一に、
東京の世界
都市としての競争力
強化に
日本国として全力を尽くすべきであるという観点から少し論じてみたいと思います。
冷戦後の世界は大競争時代を迎えたと言われているわけでございます。どの分野でもグローバルプレーヤーをどの
程度輩出できるのか、これが今問われているのであります。企業でも金融
機関でも学者でも芸術家でも、あるいはNGOでも、皆
ポイントはグローバルな競争力を有していて、グローバルな勢力として
機能できるか、このことが今既に重要になりつつありますけれ
ども、二十一
世紀にはかつてないほど問われるようになると思うわけであります。
都市もまた同じであるわけです。
日本はグローバルプレーヤーとしての
都市、これを有することができるかというところに今来ているのだと思います。世界にはたくさんの国がありますが、大半の国家は世界
都市を有してはいません。世界
都市を持つ国家というのは非常に数が少ない、そのメンバーに
日本がなり続けることができるかということが問われているのであります。
グローバルプレーヤーとしての
都市あるいは世界
都市というのはいろいろな
条件があるでしょうけれ
ども、例えば高度文明社会におきます
都市生活のパラダイムを世界に示し、その水準をリードするというようなこと、あるいは二十一
世紀には深刻になります各種の
都市問題への先駆的な解決手法を提案する能力、そういうものを有しているかというようなこと、あるいは西太平洋
地域での国際会議や経済活動が競って展開される
情報集約的で求心力のある、そういう強い世界
都市であるかというようなこと、このような
機能を持つ
都市として
東京が生き延びることができるのかどうかということこそが今国家レベルでは非常に重大な問題ではないかと思います。かつて、
東京にそのような
機能が期待され、ほとんど実現しつつあった時期がありますが、バブル崩壊以降、今日の景気
低迷期に入りまして、その競争力については楽観できないというふうに感じております。
ですから、
東京がそのような
都市としてこの西太平洋
地域で生き残ることができるかどうかというのが私の心配でありまして、二十一
世紀においてこの地位を標榜するこの
地域の他の
都市の中には、例えばシンガポール、シドニー、ソウル、香港、上海などが含まれると思います。
日本が国際的な魅力の面で競争力を失うことになれば、
日本の
首都は国際的にただのローカルな町になってしまうわけです。その場合に
日本全体がこの西太平洋
地域において
情報集約的な求心力を失うのではないか。そして、訪日する人々、インバウンド
人口と言いますが、そういう人々も減り、全般的な活力の低下と国家の国際的な地位の低下につながるのではないかということが私の懸念であります。
新
首都を建造し、
東京からある
程度マンパワーを吸い出しても十分に大丈夫と、
東京の魅力は十分にある、競争力は強いという楽観主義は、私はこの大競争時代にあって国際社会においては敗北主義になりかねないと懸念いたします。
日本には今後競争力低下につながりかねないようなことをやる、そういうリスクをとる余裕というのは少子高齢化に向かう中で絶対にないのではないかというふうに考えます。それがまず第一点です。
第二点は、これは私の言葉でちょっと表現させていただきたいと思いますけれ
ども、要するに、行き詰まれば地理的に移動する、
首都を
移転するというこういう発想、これはかつては許される選択肢であったかもしれませんが、地球的
規模のさまざまな環境問題が重視される今日では、行き詰まりを別の土地に移るという地理的移動によって解決するという手法は、どこかアジア的焼き畑農業を思わせ、次世代への教育面で好ましくない影響が懸念されます。
つまり、これからの人間社会は限られた資源を大事にリサイクルし、そして、どんなことがあっても自分たちが育てた
地域とか自分たちがそこにもたらした結果ということと折り合いをつけて生きていかなければならない。つまりそこから脱却、そこから地理的に逃げてしまう、別の新天地に移って事足りるという考え方ではなく、やはり宇宙船地球号にロックインされているのであるというそういう
認識が必要ではないかというふうに思います。
ですから、やはり自分たちがもたらした結果についてしっかりとそれと折り合いをつけながら
改革への努力を続けるというのが、要するに二十一
世紀における人間としてのいろいろな問題への対面の仕方であると思いますし、次世代に対してさまざまな問題と直面したときにそういうふうに対峙すべきである、
対応すべきであるというふうに教え続けたいというふうに存じます。
それから第三の点ですが、今地球的
規模の環境問題との関係で論じましたけれ
ども、環境との関連におきましてはエネルギー消費の面でも不安があります。
新
首都の建造時のエネルギー消費とその後の
都市全体のランニングコストはもちろんのこと、先ほど
大西先生もおっしゃいましたとおり、無数の人々が
東京と新
首都圏、及び出身地と
東京と新
首都圏という非常に広範な
地域を往復する、あるいは三角形を描きながら移動するという環境負荷を永久にもたらすことになりかねない。それは私たち個々人の人生にとっても大きな時間的な負荷ももたらすことになりかねないというふうに思うのであります。
第四の点としては、この
首都機能移転論につきまして人心一新論というのがありました。
首都機能移転で人心を一新するという考え方ですが、そもそもそのような観念は極めてあいまいな情緒的なものでありまして、国家のこれほどの重大な決定の
理由にすべきではないと考えます。あえて人心一新効果が必要であるというのであれば、これは
大西先生も御指摘なんですけれ
ども、現在進行中の
行政改革は、私は
首都機能移転にかわる人心一新効果をもたらすものではないかと思いますし、もたらすような
方向で断行されなければならないと考えます。
つまり、行革とは霞が関世界の
機能や官僚の権限の
あり方と官民分担の再検討をすることそのものであるわけです。そして同時に、内閣府設立などにより強い
政治的リーダーシップの構築、これを課題としているものでありまして、このようなことについて真剣に取り組みがなされるのであれば、土地を移すよりはるかに
構造的な、また効果的な人心一新効果を生むことができるのではないかと考えるのであります。
それから第五に、防災の観点から
首都東京での大
地震などを想定して重都が必要であるという御
意見、
大西先生も表明されたわけですけれ
ども、その観点から新
首都を建造するという見方があります。その観点から、むしろ私から見て必要と思えますことは、これは既にいろいろなところで論じられていることですが、例えばあらゆる
行政文書のCD—ROM化でありますとか
情報通信化というようなことで、二十一
世紀の
先進国においては
情報化が一気に進むと予想されまして、重複して国家レベルの
情報を保存したり、いろいろな
機能を実現していくということにつきましては、新
首都の建造というような非常に大がかりなことをしなくても、要するに電子化を行えばいいという面が非常にあると思いますし、それについての積極的な取り組みがむしろ必要であるというふうに考えます。主要な複数の
都市にバックアップの電子化された
情報集積を行い、また
東京が司令塔として
機能不全に陥った場合には他
地域のそのような電子化した司令塔がどういうふうに
機能していくのかというソフト面でのシナリオ研究と実際の訓練などこそが必要であるというふうに考えます。
ですから、防災ということを考えるのであれば、
一つの新
首都をつくるより複数の電子
首都が必要といいますか、バックアップする電子
都市が必要であるというふうに思います。新
首都建造のために必要な予算をむしろ
日本国全体を電子化する、コンピューター化するために費やすべきであろうと思いますし、電子化した
日本、電子
日本をニュージパングとして世界に印象づけていくべきであろうと思います。
日本は、非常に統合性の高い国家でありますから、他国に先駆けてそういう新しい国家パラダイムを提示していく
立場にあると思いますし、その場合の
日本の国際的に獲得できる地位というのは非常に高くなるというふうに思います。
つまり、その場合、即電子化された世界ネットワークの中の
中枢国家となり、また
東京はメインフレームとしての
中枢機能を担っていく。そして、バックアップのための電子化集積のある他の複数の
都市、これは十も二十もあってもいいかもしれませんが、そのようなところも等しくグローバルネットワークにおいて極めて水平的に同資格で参加することが可能になる、こんな
方向性をやはり二十一
世紀においては検討していただきたいと思うのであります。
それから、第六についてであります。
これは、私、早口ですから、時間が大分あるかもしれませんので、最後に詳しく論じてもよろしいんですけれ
ども、しかし本論とはちょっと外れますので、今ここではただその項目だけを挙げさせていただきます。
私は、
日本には他国と比べると新
首都を建造する国家的
理由が余りにも希薄であると思います。つまり、ブラジルやアメリカやあるいはオーストラリアの場合、
政治的に別
都市を設けるという非常に
歴史的に重い
理由がありました。その
理由について後に述べたいと思います。
第七に、このほか私は、漠然と一市民として不安に思うことは、十八歳
人口低減期に入る我が国におきまして、若い労働力を新
首都建造といったことに
集中的に配分してしまってよろしいのだろうか、それによって
日本の国力は産業競争力その他低下しないだろうかということであります。それから、新
首都におきましては、少なくとも最初の数十年、集積効果が薄いためにやはり単身赴任家庭などがふえるのではないかという不安、あるいは女性の職業的機会が
東京よりもはるかに制約されるのではないかというような不安も一市民としてはなきにしもあらずであります。
また、最後に、私は今予見し得る未来において安全保障面で考えますと、安全保障上
日本が極端なリスクにさらされることはないと考えたいと思います。そういうふうに信じておりますが、しかし、予見し得ない遠い未来において万が一そのようなリスクが発生したときに、
政治的
機能のみを
民間機能から地理的に分離しておくことは、皆様方いろいろなニュースで御存じのとおり、極めて安全保障上危険であるという新しい理解も必要であるということを指摘しておきたいと思います。ベトナム戦争以降、
民間施設は爆撃してはいけないということは新しい戦時規範になっているわけであります。
政治機能のみを分離しておくということは非常に危険ということも言えるかと思います。
それでは、時間が少しありますので、他国においてどのような非常に重い新
首都建造の必要性があったのかということについて、先生方よく御存じなのでありますけれ
ども、時間が残りましたので若干説明させていただきたいと思います。
まず、私が子供時代を過ごしたブラジルとブラジリアの例でありますけれ
ども、ブラジルの
首都はリオデジャネイロでございました。三大美港の
一つ、非常に観光資源が豊か、経済
中枢でもあり、私が住みましたのはサンパウロで、そこから飛行機で一時間弱で、主要経済集積のあるところ、南米随一の経済集積のあるところでございました。
そのような
政治と経済
中枢の接近して国際的にも非常に評価の高いところからなぜ内陸のブラジリアに
首都を移す必要があったのかということについての大変重い
歴史的な経緯は、ブラジルの
歴史を御存じの方はよく御理解できるのでありますけれ
ども、これはかつての帝国主義
政策の時代の結果であります。
かつて、この
地域に植民したヨーロッパの人々は沿岸
開発だけに興味を持ったわけです。それは内陸から金銀を採掘し、後には鉄鉱石を採掘し港町から本国に積み出す、そのためだけにこの国この
地域は重要であり、それ以上の価値を持たない
地域として
認識され、そのために沿岸
開発のみをやった。その後ブラジルが独立し、さまざまな苦悩を経験しながら
国民国家形成にいそしみ、そのプロセスにおいて、
国民国家形成のために、やはり帝国主義の
歴史をみずから脱却するためにその象徴として沿岸だけを
開発し続けるという帝国主義の時代の残照からみずから脱却したいという気持ちがとても強かったということであると思います。ですから、帝国主義者たちが見向きもしなかった内陸に、それは紛れもなく自分の国なのであるから
開発していこうというこの
政治的な
意味、これがとても強かったと思います。
日本は経済国家ですから、このブラジリアの
開発についてもその内陸の経済効果を開拓するためにという経済的
理由のみが述べられることが多いのですけれ
ども、実際にブラジルの深いところで見てみますと、内陸の経済的
開発というよりもやはり
国民国家形成と
政治統合に向けた象徴的な
意味が非常に大きい。したがって、どのようなコストにおいてもそれを決行するということであり、そのコストは覚悟されたコストであり、またそのコストは実にリアルなものとして今日実現しているわけです。
リオデジャネイロはかつては非常に美しい安全なところでありましたが、御存じのとおり、今日では治安が極端に悪化したところとなって非常に残念であります。その後ブラジルは何十年にもわたり経済的負担の中で国家形成をしなければなりませんでしたし、一時期は重債務国家として大変苦悩していた時代もあります。ブラジルの経済苦悩については、最近は民主化以降よろしいのでありますけれ
ども、やはりこの新
首都建造のくびきの重さというものはあったのだと。しかし、それを理解した上で、それでもかつ実現しなければならない国家
目的があったということであります。
日本の場合、
東京はみずからの手で開拓し建造した町であります。なぜそれを放棄する必要があるのかということは他の国の事例がどれほど重い
歴史を背負っているかということとの比較において理解すべきであると思います。
オーストラリアの場合は、シドニーが経済
中枢あるいはメルボルンが経済
中枢であり、両
都市が競ったので中間をとったという説明もありますけれ
ども、それは非常に一般的に理解されやすい説明として取ってつけたような説明として発表されているものでありまして、先生方も御存じと思いますけれ
ども、キャンベラの位置は冷戦期において独特の地理的な位置でありました。それは、そのところからのみ偵察できる、冷戦期におきます対立陣営のプロジェクションがとれたわけです。ですから、キャンベラは隠れた軍事
都市としての
機能を担っていたことは御存知のとおりなのであります。そのような
機能を担っていましたので、やはり特別の
都市として位置づけられ、一般の人々が極端にアクセスしにくい工夫がされているというようなところもございます。
冷戦が終結し、このような新しい時代となり、
地域の中でしっかりと平和的に根をおろしながら発展していくという我が国の
立場を考えると、それに似た
機能、
目的は全く発見できないということでもあり、キャンベラの建造は
参考にならないと思います。
アメリカのワシントンDCの建設、これはどのようにして実現したのかということでありますが、御存じのとおり、アメリカはそもそも建国時において強い王権から逃れて新しい形を持つ国をつくりたいという人がつくった国であります。ですから、強い中央
政府、強い
政治権力からいかに経済
中枢を自由にするかということこそが課題であり、その
意味で経済
中枢、大半の人が大事に考えているところから遠い離れたところに、もし
政府をどうしても置かなければならないのならば置いてやろうというぐらいの気持ちでつくったところであります。これも連邦国家としてのアメリカの国家形成の
歴史、そしてそのように強い中央
政府から逃れてつくった国家の
歴史を考えれば、どういう点においても
日本はその国の経験は
参考にすることはできないというふうに思います。
日本は全く違う国家形成の
歴史を持つのであり、今申し上げたようないずれの国家の
首都移転あるいは新
首都建造のケースも
参考にできないということであります。
先ほど
議論がありました
ボンについてでありますが、これはまことに不幸な分断国家の現実という中で
ボンは建造されたのであり、そのような悲劇を経験することを免れました我が国においては、やはり
ボンの経験も全く
参考にならないということであります。
今日、
ベルリンにその
機能をすべて移すわけにはいかないという判断がありますのは
大西先生のおっしゃるとおりでありますけれ
ども、一九九九年のことしはその
意味で特別に思い出すべき年でありまして、これは
ベルリンの壁の崩壊から十年目であります。一九八九年、
ベルリンの壁が崩壊し、翌年
ドイツ統一がなされました。そこから十年目です。つまりたったの十年であります。
ベルリンというのは、地図でごらんのとおり、それはそれは
ボンから見れば要するにウエスタンヨーロッパの辺境にあるわけです。その不安感、それはやはり否めないと思います。
そのような固有の
ドイツとしての悲劇の
歴史の中に
ボンは建造され、また統合はかなったけれ
ども、果たして本当にこれから百年安全であろうかという不安感の中に
ドイツはあるということです。冷戦期において主戦場として何度もシナリオ研究がされ尽くした
ドイツの安全保障上の不安を思えば、ウエスタンヨーロッパの地理的範囲に深く入る
ボンにある
程度行政機能を残しておきたいというのは、冷戦終結十年目にして当然の判断であろうと。このような数々の不幸を背負う国家と我が国は大変違う
立場にあるというのが私の考え方であります。
ですから、いろいろ申し上げましたけれ
ども、最もお伝えしたかったのは第一の点であります。
日本はさまざまな点で大変恵まれた
立場にあります。国家形成の
歴史においても、背負ってきた
歴史においても、恵まれた中で江戸、
東京を建造し、アジア
地域において初めて世界
都市が世界
システムの中に参入した。それを生み出した国でありますから、そこをどう地盤沈下しないように大事にさらに育てていくかということこそが課題であり、そのように
日本の全体のパイが広がりつつあれば、その他の
地域は必ずその中で潤うことができる。しかし、どういう求心力も失ってしまったところでは、たとえより分配が平等になったとしても、分配されるべきものが余りにも少なくなり、全体が窮乏化する危険性が出てくる、既にそういう兆候がなきにしもあらずということで、不安が残ります。
私は一研究者で、国際
政治の分野でありますから、一般的に論じられていることとは違うことを申したかもしれませんが、せっかくの機会でありますので、私の分野に照らして申し上げなければならないというものを申し上げさせていただきました。この機会をいただき、ありがたく思います。
ありがとうございました。