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参考人(
杉下恒夫君)
委員長、きょうはお招きいただきましてありがとうございます。
私は、毎度こういうところで呼んでいただくたびに何年間
ODAを
専門にやっている珍しい
記者ですと自己紹介しておるんですが、今回はついに十年にわたり
経済協力というものを、だけでもないんですが、
専門に書いている
記者と自己紹介するようになりました。
そんな中で、最近の
ODAの
現状というものをずっと長いこと見ておりまして、非常に
日本の
ODAはさま変わりしてきたなというのが私の実感でございます。その要素としては、
皆様も御承知のとおり、
財政構造改革法などによる
予算の削減、それから
アジアの
経済成長、それからその後の
経済危機、または
下村先生からも今
お話があったような他の
援助国の
援助疲れ、いろいろな要因が
日本の
経済協力の周りを取り巻いて、その結果
日本の
経済協力というものの姿も大きく変わったんじゃないかというふうに認識しております。
現在の
日本の
ODAの姿を船に例えて言えば、そのまま
改造に
改造を重ねて非常に大きな船になった、ところが燃料がちょっと足らなくなっちゃって出力が落ち始めた、しようがないから余分、いわゆる質の向上という
名前で船に積んでいる要らないものを海に投げ捨てて何とか
速力を維持しながら走っているのが現在の
日本の
政府開発援助の姿かなというふうに見ています。
ここで問題なのは、今行こうとしている
方向が、どこの港に寄港しているかということがはっきりしていないんじゃないかというのが私は一番現在の
日本の
経済協力の危惧しているところでございます。少なくとも
アメリカに指示されたり、何か
経済、
日本の
黒字還流とか何かの目的、
寄港地を持って走っていた船が現在どこへ走ろうとしているのか、何をしようとしているのか、かじをとっている
政府自体模索しているのではないかと。この
方向がとんでもない
方向へ行ってしまったら、せっかく
援助機関の
実施者たちが苦労しながら
速力を維持し大きな船を運んでいるのにとんでもない
方向に行ってしまったら全くのむだになってしまうということを今大変心配しているのが外から見ている
ODAの
現状のざっとした私の感想です。
それで、
現状をもうちょっと細かく申し上げますと、
日本の
ODAというのは最近になって噴き出してきているようなインドネシアのああいったリベートの問題のような、それ以前は
マルコス疑惑といったようないろんな問題をたくさん含んできていたと思います。しかし、八九年に
日本が
世界一の
援助国という
名前をいただいてからいろいろ
マスコミ、それから
国民の
関心も高まったことにより、
援助機関または
政府もかなり
改善を重ねてかつてのようなともかく
予算消化といったような
援助というものは大分なくなってきて、もちろん一〇〇%は行っていませんが、しかし八〇年代までと比べて九〇年代からの
ODAというものはかなり
改善されているというふうにまず前向きの評価をしたいと思います。
どういうところがいいかということを見ていますと、昔いろんな
ODAの現場へ行きまして、
先生方も行かれたかもしれませんが、停電ばかりするようなところに
相手が欲しいと言うから非常に高度な高価なコンピューターを置いてみたり、ほこりが舞っている部屋に
電子顕微鏡を置いてみたり、ともかく要請があれば
余り相手の
状況といったものを正確に
把握したりまたは
調査しないで送ってやったというようなことも多々あったのですが、そういったことは最近は大分なくなりました。要するに、この国はどういうものが欲しいのか、この国にはどういう
規模のものがいいのか、いわゆる
国別の
アプローチ、そういったものが大分しっかりするようになって、やはりその国の
ニーズに合ったもの、その国の
ニーズの
把握の仕方というものが大分
改善されたということが
一つの
改正点だと思います。
また、昔
日本の
ODAの代名詞であったような
箱物と言われたものが
箱物だけから
知的支援、いわゆる
ソフト支援、
政策支援とかそういった
分野にも幅を広げてきているようになりました。こういったものの
分野の
改善も大分大きいと思っています。
それからもう
一つ、今の
箱物とともに、
一つの
プロジェクトで大きな
予算を消化しようという、ともかく巨額な
予算に対して余りにも少ない人間、余りに少ない知恵ということから出ていた一個の
プロジェクトに巨額の金をつぎ込んで消化してしまうといったものから、最近は、
手間も人もかかりますが、いわゆる
草の根無償みたいな小さな
プロジェクト、
円借款でいえば
マイクロクレジットみたいな小さな、
手間もかかるけれども小さな、
相手のひだに飛び込むような
プロジェクトが多々見られるようになってきたこと、特に
草の根無償は非常に執行も早いし、かなり
効果を上げているというふうに私は解釈しています。
それからまた、いわゆる人が足らない、さっき申し上げたように、
実施機関の人が足らないということもあるんですが、
国民参加型の
援助という言葉を使うことによって
NGOとか地方自治体とかまたは学界、それから
民間の
企業、こういった
人たちの力をかりて非常に多様な
プレーヤーたちが
援助をするようになってきたということも言えると思います。
最後にもう
一つ、いいことばかり並べますが、
日本の
ODAというのはともかく
戦略がない、何のためにやっているか先ほど申し上げましたように
方向性がはっきりしないのが
日本の
援助で、顔がない
援助と言われるのはいわゆる
日本のポリシー、
理念が
相手国に伝わっていないことが最大の原因だったと思うんですが、やや最近は
日本の
援助にも
戦略性または
政治というものが、
外交というものが少しは見られるようになった。例えば、インドやパキスタンの
核実験の後でとった
日本の
措置、いろんな批判もありますが、従来の
措置に比べれば、その
対抗措置というものは一応理にかなったものであろうと。
中国なんかの
核実験のときのような対応、
相手国の
規模も違いますが、そういうものに比べれば
日本の
対抗措置のとり方といったものにも
日本の
政治というものが見えてきている、
外交というものが見えているんじゃないかと。
また、
中国の問題でいいますと、五年まとめてやっていたような
円借款を第四次から三
プラス二、三年と二年に分けたり、四次の後の五次以降は単
年度で話し合う、いわゆるその都度
日本から
中国の
政治姿勢とか
民主化の問題とか対
日外交姿勢とかそういったものにいろいろクレームをつける
機会をつくろうというような、こういう
考え方も前向きのものだろうと。これは非常にまだ
効果として足らないものもあるし、とても歯がゆいものがありますが、そういう
姿勢を見せるようになったということが評価していいことかなというふうに思っております。
逆に
課題ということを申し上げますと、これは時間内で言えないぐらいあると思うんですが、
課題としては今申し上げた
改正点というのがすべてまた
課題にもなると思うんです。というのは、まだ一〇〇%改正されているわけじゃないので、これをさらにまず完璧なものにしていかなきゃならないということが
一つの
課題。
それにつけ加えて、どうしてもこれは
政府だけじゃなくて
国会の
政治家の
先生方にもお願いしたいことなんですが、今後
政府開発援助、これを、今
一般に、我々
マスコミも使いますが、
日本が独自に切れる唯一の
外交の
切り札、カードと使いますが、本当に今後も
経済協力を
日本の
外交の
切り札の
一つとして使っていくのかどうか、
日本の
外交のツールとして何を
日本の
外交のツールにされるのか、そういった国の
外交政策における
ODAの位置づけというものを私はもっと明確にしてもらわなきゃならないと思います。
ということは、ですからもし従来どおり
日本の重要な
外交政策として
ODAを今後も維持していくのなら財政改革というのは非常に重要なことですが、やはり論議が余りなされないうちに
予算が簡単にぱたっと切られてしまったというような事態は私は
日本における
ODAの
外交政策における位置づけが不明確な結果じゃないかと。要らないのならやめてしまえばいいんだし、要らないのならまた別の
外交ツールを探せばいいんだし、やるのならちゃんと重要な
政策としてやはり優先順位を与えておくべきじゃないかというのが私の
一つのこれは
政府及び
政治家の
先生方にぜひ注文したいことだと思っております。
それから、もうちょっと具体的にやらなきゃならない問題を幾つか申し上げますと、まずどうしてもやらなきゃならないのは
援助の
実施体制の一本化ですね。これは
行政改革を
機会にぜひ。今現在、例えば技術協力が十八の省庁にもまたがっていて、技術協力の
実施機関であるはずのJICA、国際協力
事業団が五〇%以下しかやっていない。五〇%以上は十八の省庁がそれぞれ独自にやっていて、大蔵省の主計局も全体の像を
把握していないといったように重要な
日本の技術協力をばらばらでやっていて、まさに不透明という意味では一番不透明です。我々が少しでも見ることができるのはJICAがやっている技術協力だけであって、各省庁がやっている技術協力というものは本当に不透明で私もいまだに何をやっているかわからないという
状態をぜひ何とかしてもらいたいということが
一つ。
それから、余りにもいろんな省庁が足を突っ込み過ぎている
経済協力、例えば
専門家のポストが省庁の人事の中に組み込まれちゃっていて、本当にやりたい人材が来ているのか、それともたまたま順番が来たから来ているのかというような
人たちが多々見られるような人事というものが行われるのも余りにも各省庁間の多様化している問題の弊害だと思います。
それから既得権益の構造、これはやっぱり
ODAというのは賠償から始まって長いことずっと続いてきている問題で、
ODAにおいても例えば
国別の
援助というのが毎年上位国に来るのがほとんど変化がない。それから、
分野別も
日本の公共
事業と同じように橋とか道路とかそういったものが、農村でいえばイリゲーションみたいなものがずっと同じような比率で来ているということ、これがやっぱり既得権益だと私は見ているんですね。
日本の
ODAを
改造したい、改革しなきゃならないなら国だって、例えば
アメリカのように去年一位だった国がベストテンから外れてしまうような、そこまで激しくしなくても、やはり重要な施策、重要な
プロジェクト、そういったものに対しては毎年見直して、毎年のインプリメンテーションというか、そういったことをぜひ避けてもらいたいということですね。
それから、いわゆる単
年度主義、これはしょっちゅう
先生方も耳が痛いほど聞いていると思うんですが、やはり
ODAというのは特に単
年度でやっているとむだが大きいに決まっているわけです。その年に終わってしまうような
相手国もあれば、
事業は自然とか人間を
相手にしていることが多いので、そういうものを単
年度で全部処理してしまうということは適当にお金を使って処分してしまうということの理由にもなるわけです。
あともう
一つ、今回コソボの問題なんかでも
日本の顔が見えないとか
援助が足らないとか、我々
マスコミの現地に行っている人間からもそういう原稿を送ってきます。私はそういう原稿は全部没にしちゃうんです。なぜかといったら、
日本がコソボまで一番大きな顔をして先頭に立ってやれる問題じゃないわけですね。
日本が
世界じゅうの問題を全部旗を振って先頭に立ってやれと言われたって、
予算の限界も
人員の限界もあるわけでして、NATOが仕掛けたそういう紛争に対してまで
日本がやる、もちろん難民支援とか後方支援、そういったものに対するお手伝いは必要かもしれませんが、
日本の顔が見えないとか
日本の
援助が足らないと、そういったことを知っている必要はないわけです。要するに、
援助をする国の絞り込み、
日本はどこの地域をやらなきゃならないのか、どういう国をするのか、また
援助をする
プロジェクトの絞り込み、例えば
日本は環境とか人権とか食糧問題とか、何かそういった人間にかかわる問題を重点的にやっていきますよと。何でもかんでも、インフラ整備から始まって教育から人権から環境から全部
日本がやるということは当然資金量の限界がある中でできないわけですから。
日本という国は何をするのか、そういう中で私がぜひやっていただきたいと思うのは環境とか教育、人づくり、こういった
分野の
援助を
日本は重点的にやりますと、そういった国と
プロジェクトの絞り込みをしてもらいたいと思います。
あともうちょっと、時間が過ぎそうですが、駆け足で申し上げますと、三つ注文がございます。これは大きな注文で、
一つは、これは
下村先生の話ともダブりますが、
ODAの監視機能を強化しなきゃいけないと。
これは今既に外務省やJICA、OECF、外部による評価というものをやっていますが、私も何度かそういった評価を依頼されてやったことがあります。しかし、どんなことをやっても、一週間や二週間駆け足で見ていって
ODAの本質というのは見えるわけがなくて、
相手に与えられた資料を
チェックして、数字が合っているか合っていないかを見て帰ってきて、それで人がたくさん入っているか入っていないか、そういったことをすることによって評価と称しているんですが、私はそういう評価は全く評価じゃないと。ショーウインドーを見せられているだけで帰ってきてもだめなわけですね。何とか
ODAの
プロジェクトの評価方法をぜひ改正していただきたい。
その中で重要なのは、やはり
国会による監視の強化です。これは事前評価というか、途中でやるということはかえって
手間になると思うんですが、事後評価を
先生方に見てもらうということは事前にちゃんとやっていなかったら当然事後評価はよくないわけです。いいかげんな
プロジェクトを適当につくって事後に行っていいわけがないわけで、
国会議員による事後評価の強化、こういったものもぜひやってもらいたいなと。当然、我々
マスコミも努力してやりたいと思いますが、やはり持っている機能とか権限とか、そういったものも限界がありますし、ぜひそういった
ODAの監視機能の強化に
国会の介入というのを提言したいと思います。
それからついでに、ついでというかそれに絡みますが、
ODA基本法というものを、
国会の
経済協力に対する介入とか口出しということじゃなくて、やはり
ODAを見る
一つの手段としてぜひ基本法というものの制定も視野に入れていただきたい。
あと、これもさっきとちょっとダブりますが、
国民参加型の
援助の円滑な執行。というのは、
国民参加型の
援助ということを
政府は言っていますが、どうしてもこれは
政府主導の
国民参加型
援助なんです。
国民参加型の
援助というのは
政府も
NGOも対等の立場に立たなきゃ実現しないわけです。現在のように情報とか資金を全部
政府が握って
NGOを、横にいる
伊藤先生に怒られちゃうけれども、下働きみたいにして使っている限り
国民参加型の
援助というのはできないわけでして、この辺のまさにイコールパートナーとしての
国民参加型の
援助の実現。
最後になりますが、情報公開ですね。これも我々
マスコミの立場としては非常に歯がゆい思いをしているんですが、どうしても情報公開が足らない。それはもちろん、さっき最初に申し上げたように、八〇年代に比べて
日本の
ODAというのは随分情報公開がなされています。ある意味ではこれほど情報公開がなされている国の施策はないということも言えるんですが、非常に見にくくてわかりにくい。
専門家が見ればちゃんと読めるんですが、読めない人が見たら全然わからない。
またもう
一つ、今度のインドネシアの問題のように、
ODAというのは基本的には国と国の
援助であって、そして渡したお金は
相手国の責任でもって使うわけですから、
相手国の
政府が
日本の
民間企業と何か起こしても、これについて正論としては口出しもできないし、これは先は責任はないんですが、そういったことによって今までずっと逃げてきたことが
ODAの透明性をゆがめてきたわけですね。ですから、こういった
分野にまでやはりもっと口を出す。制度だからしようがない、国の問題だからしようがないという逃げ方じゃない、何かそういった先の透明性まで高めるような努力をしなきゃならないと思っております。
長くなりまして済みません。
以上です。