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政府委員(
品川萬里君) 今、
先生から四点御
質問賜ったと思いますが、順次お答えさせていただきます。
まず、
デジタル放送、今回の
法案提出までの経緯でございますが、
テレビの歴史から申し上げますと大変時間がかかりますけれども、昭和二十七年に白黒
放送の
放送方式を始めまして、二十八年に
放送が
開始された。それから、三十五年にはカラー
放送が
導入されたわけでございます。
テレビの大きな流れとしては、新しい
方式の決定というのはこんな形でなされたわけでございます。
この
デジタル化ということにつきましては、実はそもそも
放送の
デジタル化という議論が始まりましたのはITU、国際電気
通信連合の場でございました。
一九七二年に、いわゆるスタジオ規格、送信波じゃなくてスタジオ規格でどういう
デジタル技術があり得るのかという議論が始まりました。その後、
通信の世界ではISDNという議論が深まっていったわけでございますが、それに軌を一にいたしまして
放送の世界のいろんな
デジタルの議論もITUの場からずっと続けられたということでございます。ITUにおきましては、一九九二年に、本格的に
地上デジタル放送にどう
デジタル技術を生かすかという議論がなされてきたということでございます。
したがいまして、
放送あるいは
通信の世界の
デジタル化というものにつきましては、すぐれて
技術先導的と申しましょうか、非常に
可能性の高い
デジタル技術をいかにこの
通信・
放送の中で生かしていくかということが、この議論あるいは
デジタル化導入の出発点ではなかったろうかと今振り返って思っておる次第でございます。
このような国際場裏での御議論の中で、基本的に
通信・
放送の
技術については
デジタル技術をベースに語っていくということがございますから、そういう意味では、いやでも応でも
デジタル技術を活用した
通信・
放送というものを
制度的にも
技術的にも
考えていかざるを得ない
状況がこれまで続いてきたのかなというふうに思っております。
我が国におきましては、まず
技術的条件につきましては九四年、平成六年でございますが、電気
通信技術審議会におきまして、これからの
放送の
技術というのはやはりもう
デジタルを、有線無線を問わず、
メディア横断的に
デジタル技術をベースに
考えていくべきだろうという
一つの
方針が示されたわけでございます。
以降、いろんな場、電気
通信技術審議会あるいは
電波監理審議会等々で
地上放送、
衛星放送、さまざまな
分野につきまして議論をなされまして、
地上放送につきましても、おととしになりますか、平成九年の春に、やはり
地上放送も二〇〇〇年を目途に
デジタル放送が始められるようにいろいろ諸
制度を整備すべきではないかという議論がなされてきたというふうに私どもは承知しております。
したがいまして、
地上放送においても
デジタル技術を活用していくということは、その
時点時点で見ますと、ある
時点ではアメリカが非常に進んでいる、ある
時点では日本が議論が進んでいると、さまざまな先頭を切っている国というのは
時点時点によって違いますけれども、大きく
デジタル技術をベースに
通信も
放送も構築していくんだという中で、それぞれの国がいろんな活動をしてきたというふうに受けとめているわけでございます。
二点目のお尋ねの、
テレビのカラー化を行った際の
放送事業者あるいは利用者の反応はどうだったかということでございますが、昭和二十八年、
我が国の
テレビ放送が始まったとき、八百六十六台の
テレビから普及いたしまして、昭和二十九年、一年後には一万台、それから四年後の昭和三十三年には百万台というスピードで白黒
テレビが普及してまいりました。したがいまして、カラー
テレビを始めようという議論が起こりましたときにはもう白黒が普及していて、カラーというのは本当に要るのか、高いカラー
テレビというのは普及するのかというような議論もあったようでございますが、三十五年九月に、
NHKそれから民間
放送四社でカラー
テレビの
放送が始まったという歴史がございます。
その後の経緯を見ますと、昭和三十五年から三十八年、四年間でカラー
テレビの生産台数が四千台だというふうに私どもデータ的には承知しておりますが、その後、三十九年にオリンピックがございました。あるいは、その前になりますけれども、皇太子殿下の御成婚というようなこともありまして、こういった
国民的関心事の起こる中で急速にカラー
テレビも普及いたしまして、三十九年のオリンピックが始まりますと一挙に五万台が販売された。昭和五十年にはカラーの普及率が約九〇%に至ったというのが業界団体の調査として、私どもデータを得ております。
過去の例を見ますと、
ラジオもそもそも甲子園の野球を中継するようになって非常に普及したというようなことがございまして、やはり
メディアに
国民的関心事が
放送されるといったことがされますと、そういったことが相まってカラー
テレビも普及してきたのではないかということが
事業者あるいは利用者の反応として、私どもは承知しております。
それから、いうところの
テレビ用の
電波のV波、U波の利用
状況でございますが、御案内のように、
テレビジョン放送はVHF帯の波を使いまして昭和二十八年に始まったわけでございます。それ以降、
全国的に開局が相次ぎまして、昭和四十一年までには四十七の一般
放送事業者が
放送を
開始しております。
その後、もっとこの
テレビ事業を始めたいという御要望もありました。ところが、VHFでは足りない。そこで、昭和四十二年に
テレビジョン放送用の
周波数の割り当て
計画基本
方針を定めまして、それまでいわゆる難視聴対策用だったUHFの波を親局にも使うということで、新たにUHFの
テレビジョン放送もできるようにしたわけでございます。四十二年から四十三年にかけて、その
方針に基づきまして二十九の
放送局の免許が付与された。それで今日現在、VHFによる
事業者は五十六社、それからUHFの
放送事業者は七十一社という
状況に至っているわけでございます。
この間、この際の
視聴者の反応はどうであったかということにつきましては、私ども、申しわけございませんが、ちょっと勉強不足でよく承知しておりませんけれども、
テレビに対する要望というものは非常に、
受信台数の
テレビの普及
状況から、VといわずUといわず
テレビが
視聴者に好まれていたということが言えようかと思います。
テレビジョンは、昭和三十七年には一千万台でございましたけれども、昭和四十二年、これはちょうどUの始まった年でありますが、二千万台。その後十五年を経まして三千万台になったのが昭和五十七年、三千万台に普及したということで、VといわずUといわず
視聴者は
テレビを大いに楽しんでこられたのかなということが言えようかと存じます。
それから、
テレビ放送あるいはカラー
テレビが始まってどのような経済効果があったかということでございますが、これはちょうど
テレビの普及した時期というのは、神武景気でございますとかあるいは岩戸景気、「もはや戦後ではない」と言われた時期以降の普及でございまして、経済全体がいわば右肩上がりの
状況にあったということでございます。
いうところの
テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器と言われたような時代もございますが、その中で
テレビの普及
状況を見ますと、大体一九六八年に白黒の普及率はピークに達しておりまして、先ほど申し上げましたカラー
テレビが始まってからは、出荷台数を見ますと、昭和三十九年から五十年まで約十二年間に五千五百万台のカラー
テレビが出荷されて、金額ベースでは五兆円という数字が、業界団体の調査として出ている次第でございます。
以上四点、御答弁を申し上げました。以上でございます。