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国務大臣(
宮澤喜一君) 本件につきましては、
日債銀の旧役員の
逮捕が行われ、また事件は検察の取り調べるところとなっておるわけでございますので、そのことにつきましては私
どもから申し上げることができません。
しかし、従来からこれにつきましては
国会でも何度も
お尋ねがあり、私もお答えをいたしておるところでございますが、ただいまのように、金融の破綻の場合、その処理あるいは将来に向かっての健全化等々いろいろな立法をつくっていただきましたので、いわゆるセーフティーネットというものもおかげさまでともかく
国会の御
審議によって整備をさせていただくことができました。しかし、それは現在のことでございまして、この事件の経緯における時代にはそういう法制の整備はなかったわけでございます。
また、それとは別に、同日に論じてはならないと思いますが、
大蔵省の行政の中にいわゆる護送船団行政というものがございまして、これは戦後ほとんど五十年近く続いたわけでございますが、
金融機関というものはつぶさない、したがって、つぶれてはなりませんから、余り船足の速いものと遅いものがあってはならない、みんな船足の遅いところにペースを合わせて行政をやっていくという、そういう行政が行われてまいりましたので、行政としては全く非効率的な、しかもたとえ何かがあってもつぶせない。つぶさないということは、これはもう完全に一種のモラルリスクの原因になるようなあり方でありますし、国際化をしますと世界の舞台では競争もできないような
金融機関を抱いてきたというのが実情でございます。
そういう基本的な行政のあり方の中から、この
日債銀についても、私がそのときに行政をしておったわけではございませんから一部想像もまじりますけれ
ども、恐らく間違いないと思われますことは、多少のことはあってもこの
日債銀をつぶしてはならないという行政の
考え方であったろうと思います。
それは、セーフティーネットがございませんので、これをつぶすということになりますと、内外ともに、このぐらいの大きな銀行になりますと内外とやはり申し上げなければなりませんが、非常に大きな波紋を生じてシステミックリスクを生む危険性が高い、こういうことがございましたがゆえに、多少のことはあってもこの銀行を生き延びさせなければならない、そのことがいわば国益であるというような
考え方が行政当局に恐らくあったと思われます。したがいまして、それが当該
金融機関にも影響を及ぼしておったのではないかと
考えております。
平成九年四月に
日債銀が経営再建策を発表いたしましたときに、
大蔵大臣は談話を発表されて、これは何とか支援をしなければならない、そしてまた、これを支援することが大切なことであってという協力を呼びかけられました。また、それに従いまして、
大蔵省が
日債銀の増資等について
説明に関係者を回り、またその及ぶところは増資の要請をいたしたと。いわゆる奉加帳と言われるものでございます。その間の関係者の、行政に関係しております者に故意あるいは過失があったとは私は思いませんけれ
ども、そしてそれは恐らく
大蔵大臣が決定せられた、先ほど申しましたような基本的な
考え方、方針によって行われたものであることは私は疑いませんけれ
ども、この
資金協力を仰ぎました部分は、結果としてはもう全く損失となって終わったということは疑い得ないところでございます。それが第一でございます。
それから第二に、昨年三月にいわゆる公的
資金の導入をいたしましたときに、
日債銀は整理回収銀行が優先株の引き受けをいたしております。このことも、金融
危機管理審査
委員会は
日債銀が
債務超過でないという判断のもとにこの決定をされました。その決定に瑕疵はなかったと私は今でも思いますが、その決定の基礎になった、
日債銀は
債務超過でないという
状況そのものは果たしてそのとおりであったのかどうか、その後に金融監督庁が検査をされますと、この時点においてこれはだれにも知り得なかったことではありますけれ
ども、さかのぼってみてそうであったかどうかということにはやはり問題が残るということがわかっております。
したがいまして、そのとき現在、三月十日現在で有効であったはずのものはそれまでになされた
大蔵省の行政による検査であると思われますので、したがいまして、金融
危機管理
委員会が公的
資金の投入を決定されたそのベースになる判断の資料というものが果たして、結果としては後に金融監督庁の検査によって疑問を呈せられるわけでございますから、そこに問題はなかったか、これも故意とか過失とか申しませんけれ
ども、体制そのものがさようなことでございましたから、それによって金融
危機管理
委員会の決定に正確でない情報を与えた可能性がある。
この二点におきまして、私は、行政が故意であったとか過失をしたとかいう観点でなく、ずっと長いこととってまいりましたいわゆる護送船団、あるいはつぶすことはならない、できないという、そういう行政の姿勢が、かつて何十年前には妥当であったかもしれませんが、この何年かあるいは十何年かは少なくとも妥当でなかったということを今我々は実は知ることになったというふうに
考えます。したがって、そのことは私は行政としてはやはり
責任がある、この
責任はないとは私は申せないという
考えであります。
国会においても、殊に昨年以来そういうお立場をとられまして、したがいまして結果として金融に関する行政というものは
大蔵省から離れることになりましたし、また金融監督庁が誕生いたしまして、ここで初めて行政と離れた検査というものが行われることになって、我々はそういう意味での国際的なといいますかあるいは客観的な
金融機関の実態というものを初めて知ることができた。それは言ってみれば従来の
大蔵省による検査というものについての強い批判ということに結果としてなるわけでございますが、そういう意味で行政の
責任というものが公に問われることになった、こういう判断であります。