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参考人(
市川富士夫君) 市川と申します。
最初に私の
立場をちょっと申し上げておきたいと
思います。
私は、
日本原子力研究所に三十数年勤務いたしまして、主として化学部門の研究者として再
処理、廃棄物等の基礎研究に携わってきております。現在は大学の講師をしておりますが、その傍ら、
核燃料サイクルのダウンストリーム、つまり再
処理、廃棄物等の問題に関心を持ちましていろいろ
発言もさせていただいている、そういう
立場でございます。
まず、少しさかのぼった話からさせていただきたいと思うわけですけれども、
日本の
原子力政策の基本といいますのは、長期
計画等によりますと次の四つであるというふうに書かれてあります。一つは
原子力平和利用国家としての
原子力政策の展開、二番目は整合性のある軽水炉
原子力発電体系の確立、三番目が将来を展望した核
燃料リサイクルの着実な展開、四番目に
原子力科学技術の多様な展開と基礎的な研究の強化、こういうふうに言われております。
この中の一番、これが一番基本になっているわけなんでしょうけれども、具体的には
原子力基本法という
法律があるわけでありまして、そこで
原子力は
平和利用に限定するということがうたわれているわけです。さらに、それに付随しまして、これは
平和利用を保障するための、担保するためのものというふうに
理解していますけれども、いわゆる自主、民主、公開の原則、こういうものが基本法にうたわれているわけであります。そういう意味では、あらゆる
原子力問題というのはこの
観点から検討をすべきことであろうというふうに思うわけです。
次に、二、三を飛ばしまして、四番目の問題です。これは具体的には核融合であるとか舶用炉あるいは放射線利用等々いろいろな面で
研究開発を
推進していくべきであるということで、これは当然のことであるというふうに
思います。
そうしますと、現実的に大きな問題となっている
政策的
課題は二番と三番ということになります。
二番というのは、これは実は
日本の
原子力開発の当初のころからのいきさつを見ればわかるわけでありますけれども、
日本の
原子力開発というのは非常にアメリカの軍事利用から
平和利用に転換するという
政策の影響を受けて始められたわけであります。そういう意味で、日米
原子力協定というものが早くから結ばれ、だんだんその内容もエスカレートと言ってはおかしいですけれども、
規模の大きなものに変わってきている。
日本の
原子力の長期
計画も、それにあわせてというのはおかしいかもしれませんけれども、矛盾しないような形で進められてきた、こういうふうに考えております。
結局、アメリカが
日本に対して低濃縮ウランを供給するというのが日米
原子力政策の基本でありますが、その低濃縮ウランを
燃料とする軽水炉という型の
原子炉を
日本でつくらざるを得ない
状況にあったわけです。一時的には、現在
東海村で解体が決まりましたコールダーホール型という
原子炉をイギリスから購入するという事態もありましたけれども、基本的にはやはり主としてアメリカからの低濃縮ウラン供給を利用して軽水炉をつくる、こういうことに現在なっているわけであります。
このような方針が出てきた段階ではやはりいろいろな議論がありまして、特に当時の
日本学術会議などに関連していた科学者等の間で、
日本が
平和利用限定と言いながらアメリカの核戦略と非常に強く結びつくような形で開発が進められていくことについては疑問の声が出されていた、またそれに関連して、自主の原則というのはどうなっているのかということもいろいろと議論されてきたわけです。
その後、実際に軽水炉が各地につくられるようになりまして、その過程ではいろいろな時期がありましたけれども、軽水炉をめぐるさまざまなトラブルが一時発生した時期がありました。そのことによって、軽水炉というものが果たして安全なものなのかどうかということについて
国民の
不信が強く根づいたということが言えるかと
思います。これは、私も
原子力で飯を食った人間でありますので、大変残念なことでありまして、その後の
原子力の進展に関しましても非常に大きな影響を
国民の間にもたらしたというふうに考えております。
今申しましたような事情から、軽水炉というものの
運転によって大量の
使用済み燃料が発生して今日に至っているというわけであります。
ところが一方、三の将来を展望した核
燃料リサイクルという問題に関連して言えば、これは早く言えば、再
処理をして回収したプルトニウムを
高速増殖炉で燃焼するという利用の仕方を
推進するということであります。しかしながら今日、
高速増殖炉につきましては御
承知のようにさまざまな技術的困難あるいは
経済的な問題に見舞われまして、
世界で
高速増殖炉を今まで開発してきた国々もほとんど断念の
状態になっているわけであります。
また、高速炉でプルトニウムを利用するためには再
処理が前提になりますけれども、この再
処理技術そのものも御
承知のように
東海村の再
処理工場がさまざまなトラブルを起こしてほとんど動いてこなかった、ほとんどというのはちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、当初の予定に比べれば非常に
効率の悪い
運転しかできなかったということ。さらに、
六ケ所村の再
処理施設の建設、
運転も大幅におくれつつあるということ。そして、海外に再
処理委託をしていたわけですけれども、これも契約量はもう既に達成しておりますので、
現状ではこれ以上はできないというようなことでありまして、現在では再
処理をやる見通しというのは全くないということになっているわけです。
昨日、
東海村の再
処理工場について
原子力安全
委員会からのゴーサインのようなものが出されたわけでありますけれども、さらに
地元との対話等でこれがどうなるのか私にはわかりません。
そのような
状況で、一方では二の
政策によって大量の
使用済み燃料が蓄積され、しかしそれの行き先がないという矛盾、その矛盾の
解決の方法として今ここに
中間貯蔵施設をつくろうという話が出てきているというふうに
理解するわけです。この問題につきましては、
中間貯蔵施設の
安全性につきましては、ちょっと時間がなさそうですので、御質問でもあればまたお話をしたいと
思います。
次に、それでは、その再
処理が非常に困難に直面している原因について若干私の考えを申し述べたいと
思います。
現在主流になっております再
処理の方法というのは、名前はピューレックス法という方法でありますけれども、その開発の段階を四つに今から振り返れば分けて議論することが最近よく行われます。
第一期というのは、そもそもこの方法は核兵器用のプルトニウムを抽出するために開発された方法でありまして、その時期を第一期と言っております。
続いて、この方法を今度は発電用のガス冷却炉つまりコールダーホールのようなもの、この
燃料の再
処理に適用する、若干の手直しがありましたけれども、これにもこの方法は成功しているわけであります。これが第二期であります。
ところが、現在ですけれども、これを第三期といたしますならば、発電用の軽水炉の
使用済み燃料の再
処理ということになります。しかしこれは、御
承知のようになかなかうまくいかなかった。フランス、イギリス等では
日本の再
処理まで引き受ける事態がありますけれども、これについてはまた後で申し上げます。
そして第四期、
高速増殖炉の
使用済み燃料の再
処理をする段階ということになるわけです。しかし、これは現在の方法ではまず不可能ということは一般的に言われていることであります。
このような問題が起きている原因を技術的に見るならば、これはその右側に書きました燃焼度という一つの問題があります。燃焼度といいますのは、早く言えば、
原子炉の中に入れた
燃料がどのくらいの
エネルギーを出して使われたか、こういうようなものであります。この値が大きければ大きいほど
使用済み燃料の発熱量は大きくなりますし、放射線量もふえているということになります。さらに、その
燃料に含まれるプルトニウムの量も多くなりますし、そのほかのさまざまな
放射性物質の量もふえるわけであります。したがって、
燃料棒の組成というものが非常に複雑になるということになります。
それに関連しまして、現在、プルサーマルというものが
計画されておりますが、このプルサーマルの
燃料を再
処理するということも、
東海村の再
処理工場あるいは現在
六ケ所村に建設されつつある再
処理工場ではできないというのが大方の
意見であります。したがって、プルサーマルが仮に行われても、それはその場限りのものということになろうかと
思います。
これについても時間があればお話ししますが、また後で御質問があれば補足をいたします。
一方、
日本の再
処理開発を少し歴史的に見ますと、一九五七年、古い話ですが、
原子力委員会が「核
燃料に対する考え方」という文書を発表いたしました。ここでは、再
処理技術は未確立であり、
経済性は不明であって、
日本ではやるとすれば原子
燃料公社が実施すべきであろうという見解が出されております。これは極めて妥当な見解であると私は
思います。
これを受けまして、一九六〇年に再
処理専門部会におきまして、一日三百五十キログラムの
燃料を
処理するパイロットプラント、この程度のものをまずつくることが勧告されたわけであります。ところが、その翌年、一九六一年に、再
処理技術海外調査団というものが派遣されまして海外で調査をしたわけでありますが、その報告書の中で、海外では再
処理は実用化されているのでパイロットプラントは不要であり、技術導入により実用
規模の工場を建設すべしということが書かれていたわけであります。これによりまして、
動燃の再
処理工場がパイロットプラントではなくて実用化工場として建設されることに変更になりました。
さらに一九六四年、
原子力委員会は、再
処理技術は外国で確立しているので
日本で
研究開発をする必要はないというような、明確にそう言ったわけではありませんけれども、そういうお考えで、当時、
日本原子力研究所では小
規模の再
処理試験施設を設けて再
処理の基礎的研究をやろうとしていたわけであります。これが一応施設はできました。ところが、今言いましたような
理由から、その試
運転の予算を凍結するという、余り例のないことが行われたわけであります。
それにつきましては研究者の間でもいろいろ議論がありまして、結局、原研にあります小さな研究炉の
燃料だけを再
処理して、キロではありません、二百グラムのプルトニウムを抽出し、そしてあとは
動燃の再
処理工場の
運転訓練に供するということで、ほんの数年でこれも解体の方向になったわけであります。
その後、原研におきましては再
処理、特に湿式再
処理と申しますか、ピューレックスのような再
処理法の基礎研究につきましては長期にわたり途絶える時期が発生したということであります。
つまり、私がここで言いたいのは、まず
日本の再
処理技術というものが非常に根の薄いものとして今日に来ているということであります。
さて、次にもう一つ、今のことについてつけ加えますと、調査団が外国に行って再
処理工場が実用化されているというふうに報告をしたわけですが、再
処理の歴史を振り返ってみますと、調査団派遣の当時に操業されていた再
処理工場は、原爆用のプルトニウムの製造及び
原子力潜水艦の
燃料の再
処理をする施設だけでありました。つまり、発電用の
原子炉の
燃料の再
処理施設は一つも操業はしていなかったわけであります。
したがって、この調査団は、先ほどの第一期、第二期でいけば、第一期の
状況をごらんになりまして第三期の軽水炉の再
処理も実用化されているというようにお考えになって報告をつくられたというわけであります。これは当時の事情としてやむを得なかったことであろうと
思いますけれども、今日の再
処理の混乱の原因というものがこのように非常に根深いものであるということを申し上げたかったわけであります。
以上のように、再
処理の今後の展望というのは非常に困難に直面しておりまして、
高速増殖炉については言うまでもないことでありますけれども、三番の再
処理・プルトニウム利用という
政策についてはこの
機会に十分再検討をなさる方がよろしいのではなかろうかというふうに
思います。
中間貯蔵施設というものも、結局はその問題とかかわりがあるわけでありまして、
中間とはいうものの期限が切れておりませんので、この見通しがない限りは半永久
貯蔵所になってしまう可能性も十分にあるというふうに
思います。
以上、
発言を終わります。