○立木洋君 今までの
説明で、ずっとこれまでも何回かこの問題を私
たちは取り上げてきているということは、竹内さん御
承知だろうと思うんですけれ
ども、この問題はいつの
会議で、どういう形でアメリカ側が確認したのかということは一切明らかにしていないんです、
日本政府は。そして、トランジットという言葉は向こう側は使っていないんです。みんなイントロダクションなんです、核の持ち込みなんです。通過の問題や、ある場合には寄港の問題等も含めてこれは認めていないんです。
この問題に関しては、私はここで領海
条約が審議されたときに、その領海
条約の中で、皆さん御
承知のように、今言ったような経過がありました。
日本政府は見解を発表し、
日本政府は
国会でそういう
趣旨のことを
説明している。だけれ
ども、そういうことは
外交上の効力を発することにはならないんです。向こう側と
交渉してアメリカ側が確認をして、こういう重要な問題ならば、この間の特別
委員会で
外務大臣がおっしゃったように、こんな大切な問題を口頭で了解するなんてことはだめじゃないかというふうに、あり得べきじゃないじゃないですかと言われているように、これは文書で交換すべき重要な問題なんです。
そうすると、皆さん御
承知のように、領海
条約二十五条に書いてあります。結局この問題は、領海
条約の問題での審議の以前に、他国との間の
協定や
条約等があった場合には、それに影響を及ぼすものではないというのが領海
条約の二十五条です。領海
条約が審議されたのは後です。安保
条約や口頭了解があったのはその前ですから、それを変更する際には
外交上の
手続を経ないと変更できないじゃないですかということをまず述べておきたい。お答えしなくていいです、大変困るだろうと思いますから。そういう文書もないし、
交渉した日時もないんですから。もしかあるというのだったら、次またお尋ねしますからそのときまで
準備しておいてください。
それで、大臣、こういう問題が起こってきているというのは一回や二回じゃないんです。一九六六年にラスク国務長官がライシャワーに極秘の電報を送った。
日本の港湾の中の米軍の艦船と通過中の米軍の航空機に積載された核兵器の存在に関する
日本政府が受け入れてきたあいまいさと書いているんです。そして、
日本政府が有事の際に核兵器の持ち込みに同意するという一九六〇年の秘密
合意がある。六六年のラスク国務長官の極秘の電報です。
次に、一九六九年十一月二十一日付のニクソン米
大統領と佐藤首相との間の核持ち込みの秘密
合意が存在しているということの
合意です。これは、若泉元京都産業大学の教授が明らかにしています。そして、その極秘文書のいわゆる共同文書の案文が文芸春秋が出した出版物の中の一面に飾られています。そういう経過もあった。
さらには、一九七四年、アメリカの
議会でラロック元米海軍提督が証言している。その中では、核積載能力のある艦艇は核を積載している、
日本など外国の港に入るときには核兵器はおろさないと証言して、このときも大問題になりました。そして、その後、一九八一年、ライシャワー元駐日大使が核兵器を積んだ米艦船が
日本に寄港していたと明確にこれも発言した。このときも大問題になりました。一九八九年には、キャロルというミッドウェーの元艦長も同じようにいわゆる核兵器を途中の航海でおろすようなことをして寄港するようなことはあり得ませんという証言もしている。これは一部を紹介しただけですけれ
ども、こういう事実というのがずっと続いているんです。
そのたびごとに大問題になった。だけれ
ども、これは事前
協議があるんですから、事前
協議を申し込まれていない以上、
日本に対しては核兵器は持ち込まれていませんという口実に使われてきたんです。我々はアメリカを信頼しております、ですから核兵器を黙って持ち込むようなことはないでしょうと。
だけれ
ども、これはフィリピンのある高官が明確に述べています。フィリピンに対する核兵器の持ち込み等の問題については、あなた方はどう
考えているのか、名前は今は言いませんけれ
ども、その高官は明確に、私
たちは
日本政府の態度に学んでおりますと答えたんです。どういう
意味かおわかりだろうと思うんです。こういうふうな
状況があって、現在また再びこの問題が起こっているんです。
私は一つの問題だけちょっと提起しておきますが、この秘密の核取り決め、密約という問題はどういう
意味を持つのか。
この問題は、一九七八年三月十四日参議院の予算
委員会で
質疑が行われています。これは今でも議事録が明確に残っています。我が党の上田議員が、この核密約の問題に関連して、核密約の具体的な
内容ではなくその法的な性格をどう
考えるのかということをただしているんです。そのときに真田秀夫法制
局長官がこう言っているんです。一国の
条約締結権者が他国の
条約締結権者との間で結んだ取り決めその他の国際
条約は、それが密約、いわゆる不公表であるということのみをもって無効だと言うわけにはいきません、こう答えています。さらに、ほかの大臣がもしか知らなかった場合どうなるのか、政権が
交代した場合にはどうなるのかとさらに質問を続けると、国が同一である限りそれは効力は続くと言わざるを得ません、破棄されない限り存在するんですと明確に答えているんです。
つまり、公に法治国家として法律が決められていても、密約を他の大臣が知らなくても政権が変わってもその密約は有効に効力を持ち得る、こういうふうに述べているんです。これは極めて大変なことです。
これは木村俊夫元
外務大臣が亡くなられた後の文書の中にもそれに若干触れた
内容があります。キッシンジャー氏もこの問題について触れております。先ほど申し上げた佐藤首相の密使となった若泉敬氏もこの問題について先ほど申し上げたように「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という本の中に書かれておる。先ほど言いましたように、英文の草案の写真までがこの極秘の
合意議事録として一緒に掲載されています。
この問題についてはことしの一月十一日ですが、朝日新聞が報道しております。この問題は一昨年、朝日新聞が代理人を立ててアメリカの
政府機関に先ほど申し上げた佐藤首相とニクソン米
大統領との間で一九六九年十一月二十一日の会談の秘密
合意議事録なるものが存在するかどうかということを名指しで確かめました。これに対して、アメリカ側は一つのパラグラフでも違っていればそういうものは存在しませんというのが大体回答なんです。
ところが、この場合にはちゃんと回答が来たんです。ジョアンというアメリカの国家安全保障局次長の名前で返事が来ました。その請求に関しては本局で構成された
関係文書がありますということがことしの一月に来たんです。だから、佐藤さんとニクソンさんの秘密の会談議事録があるということを認めたんです。それがこのアメリカのあれにあるということを認めたんです。これは重要なことなんです。初めて認めたんです。
それで、この問題について私は、もしかすると
高村外務大臣は知っていないかもしれない、あるいは知っていて本当のことをおっしゃらないかもしれない、そのどちらかがあり得ると思うんです。なぜ大臣が知らないことがあり得るかと。それは宮澤さんが通産大臣をしておられたころのことを書いた本があります。「戦後
政治の証言」というのを宮澤喜一通産大臣が書かれています。
このとき通産大臣として宮澤さんは御
承知の繊維密約にかかわる問題との関連があった方なんです。アメリカに
交渉に宮澤さんが行かれる前にアメリカのスタンズ商務長官から、佐藤総理が御存じの一枚の紙があるから出発前によく読んできてほしいという連絡が来たんです。それで宮澤さんは単独でと本の中には書いてあります。単独で佐藤首相に会って尋ねたそうです。首相は真っすぐ私の目を見てそんなものはないというふうに言われたと。密約の
合意文書があるのに、それを見て来てくれと言われたのに、そういうものはないと言って佐藤さんは断ったんです。この問題は、余談になりますけれ
ども、ある方の話で、宮澤喜一さんは佐藤首相はひどい人だとお酒を飲むと語っていたというんです。これは後日談としてあるんです。それも本にちゃんとなっています。
問題は、首相だけが
条約締結権者として知っておれば効力を持つんです、
高村さんがお知りにならなくても。だから、ここにはそんなものはない、私は知らない、
関係ないとおっしゃったってだめなんです。つまり、
日本の
政治の結果がこんな密約でゆがめられるんですよ。これは大変なことですよ。それでどうして法治国家と言えるのか。
だから、私はこの問題に関して、結局アメリカと
日本の
政府のいわゆる事前
協議の
対象が違っている、
認識が違っている、その問題で、きちっと
外交上効力を発するように訂正されなかったら、訂正されていないんです、訂正されていないからアメリカ側はいわゆる事前
協議の
対象になるなんて思っていないんです、入ってくるんです。それとも、そういうふうにして
内容は決められたけれ
ども、密約は効力を持っているために、依然として核通過はいわゆる無害通航とは認めない、安保
条約上も訂正されていない、だから依然として事前
協議の
対象にならないということで行われているかのいずれかなんですよ。
ですから、
高村外務大臣がその密約を知っておられれば、密約を維持して
日本の法治国家の本来の姿をゆがめる
外務大臣になられるのか、それとも、本当に知らなくて、そして特定のところだけでこの密約が生きているという
状況になっているのか、そのいずれかなんです。そのいずれかがこの問題の本質なんですよ。
大臣の御所見をお聞きしたい。これはお
考えだけで結構です、どういうふうにお
考えになられておるか。