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石井(一)
委員 いずれにしても、この問題をこれ以上やる時間はございません。
国民は刮目をしてこれを見ていると思います。一体、自由党の約束を守るのか、あるいは
公明党の顔を立てるのか。もしこれができなければ、自自公の
連立ということはあってはならないんじゃないですか。それをあえてやるというのなら、数合わせであり、
政策以前の問題である。
次に、私は、野中
官房長官に何点かの御答弁をいただきたいと思います。
野中
官房長官は、「私は闘う」というこの本、
平成八年五月に発刊をされた。最近、これがよく売れるのか、文芸春秋社で文庫本としてまた新たに出ておる。私は、これを精読させていただいて、いささか驚いた。野中の信念ここにありという感じがいたします。
少し長くなりますが、静かに
皆さん聞いてください。
この本の中で小沢一郎氏を厳しく批判。その中で野中氏は、「政治家はもっと言葉に責任を持ち、行動に責任を持つことが基本でなければならない」と百十五ページで言っておられます。
保保連合について、「
政策が似通っていようが、政治の原点は信義であり、それが政治をやっていく芯である。従って、自民党を脱走したような人たちと共に行動することは私は有り得ないと
考えている。」「人を裏切り、人を地獄に落とし、そして政治家としてあるまじき敵前逃亡をしてみたり」。
梶山さんに対しては、「いくら梶山さんかてあれだけ大きな内輪もめで世間に迷惑を掛け、
日本を混乱させた連中と手を組むようなことには、わしが一人になってもはんたいしまっせ」と伝えておいた、こう書いてある。
中曽根元
総理が、保保はやるべきだ、こういうことを言われたら、「それほど小沢さんがいいのなら、自民党をさっさと出ていって新進党にいったらどうか。」「やはり長生きも大事だが、人間として自分の立場というものを
考えてもらわないと」いけない、こうしなきゃ若い人はもうもたない、ここまで言っておられる。さらにつけ加えて、「あれだけ偉そうなことを言われると、こっちも言い返したくなる。」と、この中に書いてある。
このほかにも、週刊誌、雑誌、インタビュー、物すごいものですよ。私は一部ここへ持ってきました。読むのだって相当の時間がかかる。すごいことが入っている。よくもこれだけしゃべられたものだ。政治家の発言は重たいですよ。「亡国の独裁者小沢一郎と組むやからは自民党を去れ、これは私怨ではない」、こう言っておられますよ、ここで。これはたしか岩見さんとの対談だ。
ここまで言った人が、自自
連立、小沢一郎との
連立の中心で、
内閣の中核におられる。そうして政治を仕切っておる。私のささやかな
国会議員の経験の中でも、これほど厚顔無恥な人はこれまで私の記憶にはありません。
もう少し待ってください。さて、そこで、野中
官房長官は、七月十日、四日前、宮崎で記者会見をし、やがてみずから責任をとる日を
考えないといけないと思っていると。これに対してマスコミは、次の
内閣で身を引くという意向を示唆したのではないか、そういうふうに解説をしておる。
また、小沢、自自
連立に対しても、個人的感情で
政局安定の道を誤れば、みずからの人生に必ず恥ずかしさを記録することになると
考えたと。いつもこんなことを言うて、きょうまで来ているのですよ。私の調査によれば、過去四回こういうことがある。
まず一回目。去年十一月十九日、自自合意の
成立した夕方の記者会見であなたは、私は一人の政治家として、みずから歩んできた道にみずからけじめをつけなければならない人間であると述べております。それについてマスコミは、
連立政権が発足するに当たって、恐らくそのときには
官房長官を
辞任することを示唆したのではないか、こういうふうにコメントしております。
連立政権が発足をしたが、責任はとられていない。けじめとは何か、どうつけたのか、いまだはっきりいたしません。
さらに十一月二十一日、その二日後ですよ、あなたは京都へ帰って、自民党の政経文化懇話会でいささか大時代的な大演説をやっておられる。その一部を読み上げます。
大きくぶれることで私の政治生命が傷つき、終わろうとも、
日本が二十一世紀に少しでも光を残した国として栄えることができれば、この世に生きてきた政治家として満足だと
考えた。また、どうして変節して自由党と一緒になったのかとの批判を受けているけれども、今日の
日本は、私どもがそのことにこだわっていることを許さない
状況だ。大胆に連携できる政党と手を組んで、
国家存亡の事態を
早期に解消するために決断したと述べております。いささか浪花節的で、変節の説明にはなっておりません。自己の正当化の地元でのPR、こう申し上げてもいいでしょう。これが二回目。
三回目。本年の二月二十三日の参議院の
予算委員会におきまして、参議院の検事をやっておられた佐藤道夫議員が、あなたの余りにひどい変節に対してこれを指摘しました。そのとき
官房長官は、いろいろ批判は甘んじて受けたいと思いますが、私は、みずから書いたもの、みずから発信したことに、一人の人間として、政治家として重い責任を持っておりますと。また別のくだりで、不良債権処理や行政改革の道筋が明らかになったとき、みずからの行動に責任をとっていきたいとも述べておられます。佐藤議員は、全く納得できません、こう言っております。
そこで、お尋ねをさせていただきたい。
責任をとらないといけない自分であるということを繰り返し言っておきながら、いつまでも責任をとらないのはなぜなのか。本当に責任をとる人であれば何回もこんなことは言わないですよ。
要するに、言い出してから九カ月もたっておる。自自合意の前から、その前にも
テレビ朝日で一回やっている。それは、ひとつ子細に検討した結果ここでは申し上げておりません。しかしそれ以上のことを言っている。
結局、責任をあいまいにし、先送りにし、そして責任をとらないで逃げよう、そういう人間である、そう思われても仕方のない情勢ではないかなというふうに思います。そして責任をとらずに九カ月、
内閣の
官房長官としてそこへ座って政治を仕切る。一時は野中
総理だと言われたこともある。そんなことは私はないと思っておりますけれども、そこまで政治を采配し、良心の呵責にとがめられるということはないんですか。こういうのを称して厚顔無恥と言うんじゃないですか。私はそういう思いがしますよ、少し言葉が過ぎるかもわかりませんが。
私はあなたとは知らない仲ではありません。いつか、あなたは腹を据えてやっていると思って見ているからあれだけれども、余りにも言うこととすることが違う。この
国会でも責任をとらずに、次の
内閣の改造のときにやめたら責任をとるということになったら、そんなものは責任をとったことにはならない。
やがてとはどういうことか、なぜすぐに責任がとれないのか、やがてとはいつなのか、とろうと思えば今すぐにでもとれる、それをとらない理由は一体何なのか、
官房長官の見解を伺いたいと思います。