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岩國委員 そうした民間企業の経済活動に直接通産省が介入していくということは、たとえ貿易といえども私は避けるべきだという考えでおりますし、また、逆にそういうことをやりますと、やればやったでまた、外国は、待っていましたとばかり、あれこれと言ってくるに違いないわけですから、非常に難しいことだと思います。
しかし、これは何らかの
方法で、早く、安く、利益を上げられるようなマーケットへマーケットへと自由に行かせるということになりますと、結果的に、ドイツのように国家的なコンセンサスがあるのか、どういう指導が行われているかわかりませんけれども、そういうアメリカへの輸出が集中しないような。集中豪雨と言われるような、その国の経済を破壊するような勢いで雪崩を打って輸出が行くということは、これは戦争という名前に変わった、これはまさに経済戦争そのものと向こうは受けとめるわけですから、当然こういうのは、別に
防衛庁長官にやっていただきたいということは言ってはおりませんけれども、
我が国の安全
保障という観点から見ればこれも私は大切な安全
保障だと思うんです、
日米間の良好な経済関係を維持するという点からいえば。
私は、そういう大義名分があるならば、もう少し何らかの指導、あるいは国内の貿易サミット
会議なりなんなりして、
我が国の経済的な安全
保障、あるいはこれは安全
保障そのものかもしれない、そういう観点から、対米輸出がこれ以上上昇しないような、そういう何らかのガイドラインを持っていくということは必要ではないかと私は思います。
ぜひ、通産省の方でも、また業界の方でも、そういった点を御検討いただきたいということを要望して、次の
質問に移らせていただきます。
次に、
金融再生委員会の柳沢大臣にお伺いしたいと思いますけれども、こうした大変金融環境の厳しい、また景気が悪いという中での金融再編というのは、非常に難しいと私も思います。その中で進めていかなければならないのは、単に
銀行の数を減らしていく、要するに、霞が関の省庁数合わせで、小さなふろしきを大きなふろしきに包みかえて、大ぶろしき改革みたいなことを進めるだけが私は能ではないと思うんです。
銀行の再編にしても、数を少なくするだけではなくて、将来の、二十一世紀の
我が国の金融機関はどういう役割を経済の中で果たしていくべきなのかという金融界のビジョンというのがなかったら、どっちに向かって走らせるのか。長崎へ行かせるのか、札幌の方に向かって走らせるのか。それだけの体力はどうやってつけるのか。投資
銀行業務をどう位置づけていくのか。商業
銀行の機能はどうするのか。
ロンドンのクリアリングバンクとマーチャントバンク、この戦いというものがあり、そして今のグローバルな金融市場の中で再編成が進められていきました。フランスにおいても、起業
銀行、そして預金
銀行、バンク・ダフェールとバンク・デポ、こういう二つの分野がはっきりと分かれておったのが、これが統合されるという動きになりました。アメリカも、コマーシャルバンク、そしてウォール街の証券界とが一つの方向になりつつある。
いろいろな、世界的な再編といいますか、業務分野の再編の中で、これから
我が国の
銀行の再編というものをどのように進めていくのか。全部、外国の金融機関が
日本のお世話をするということだけでいいわけはありませんから。
その中で大切なことは、八%、四%、このようなBISの規制というものに対して、
日本の
銀行というのは、大体そういう外国の物差しでは、はかれないものがあるんじゃないかと思うんです。体型が違うからです。
アメリカやヨーロッパの
銀行は、株式という余計なものをおなかに抱えていない、出っ腹のないスリムな体型でそういう物差しを受けているわけです。
日本の
銀行は、大手十九行で合わせて四十兆円の、これが、株価が上がれば含み益、下がれば含み損。景気がよくなれば株価が上がる、株価が上がれば貸し出し余力はふえて、貸し出し競争にどんどん走る。景気が悪くなれば株価が下がる、含み損。雨のどしゃ降りのときに傘を取り上げる。景気を過熱したり、不景気を余計深刻にしたり、悪い役しか果たさなくなってきたのが最近の
日本の
銀行の役割じゃありませんか。
そして、すべてではありませんけれども、その大きな原因はどこにあるか。余計なおなかを抱えているからです。四十兆が上がってみたり下がってみたり、そのたびにお客さんの意向に反したことをやらなきゃならぬ。お客さんを育てるのが
銀行だと私は学校で教わってきました。今は、その逆のことをやっている面さえ出てくるのは、余計な株式を抱えているからです。
宮澤大蔵大臣にも、昨年
答弁をいただきました。アメリカの
銀行はほとんど株を持っておらない。
日本の場合には、過渡的に株式を持たなければならなかった理由は私も存じております。しかし、もう経済的な戦後は終わったはずです。
ならば、
金融再生委員会として、こうした
銀行の持っている四十兆円の株式保有を、少なくとも半分は公的機関か公的スキームに移して、そして金融再編が、Aの
銀行とBの
銀行が合併したら、直ちに持っている土地は売らなきゃいかぬ、人は減らさなきゃいかぬ、持っている株式も売らなきゃいかぬ。今株式市場がおびえているのは、それじゃありませんか。
銀行の合併が行われるたびに、持っている所有株式がいつどこでどういう形で売りに出されるか、これがあるから、幾ら
堺屋長官が夜明け前と言われても、夜明け前なら株価はもう上がってなくちゃいけないんです。八カ月か九カ月先行性を持っている株式であれば、ことしの秋に上がるのなら、今上がらなきゃいけない。上がりもしないでしょう。それは、株式の売り圧迫におびえているからなんです。
銀行の持っている株式、これを、取り上げると言ったら大変失礼な言い方ですけれども、移管することによって、国民の手に——私が提案するのは、国債を発行して、そして
銀行の持っている所有株式を二十兆円の国債で買い取って、一%の利子は株式の配当で払えます、そしてそれを転換させる権利を付与する。国債を買って、その上キャピタルゲインまでが自分が手にできる。
税金を使ってはならないと思います。
税金ではなくて、たんすの中で、仏壇の引き出しで失業をしている
日本の
お金がたくさんあります。
お金の失業対策を兼ねて、そういう投資の機会を与える。投資の機会を与えるだけではなくて、
日本の
銀行の体質改善にも、そして株式市場対策にもつながる。
きょう午前中からいろいろと、
銀行のデータが信用ならないということを言いました。それは、
銀行の持っている資産を時価で評価するか、低い値段の低価法でやるのか、もともとの値段の原価法でやるのか。去年の金融特でもその
議論が盛んに行われました。三つ、それぞれのメリット・デメリットはあります。しかし、よその国でこんな
議論は起きたことはないのです。三つの物差しをあれこれ使い分ける、そんなことはどこの国も必要ないからです。
日本だけはなぜ必要か。それは、
日本の
銀行は株式という余計なものを持っているから、やれ時価だ、低価だ、原価だと、それぞれ
銀行はばらばらなことをやる。持っている株式がなくなってしまったら、低価法イコール原価法、原価法イコール時価法。なぜなら、評価するものが何にもないからなんです。
そういう解決策こそ求めるべきではないか、そのように思いますけれども、柳沢大臣の御見解を、簡潔で結構ですから、お願いいたします。