○志位和夫君 私は、
日本共産党を代表し、
日の丸・
君が代を
国旗・
国歌とする
法案について、
小渕総理に
質問します。
まず第一にただしたいのは、
総理が、この問題についての
国民的討論について、どう
考えているかということです。
我が党は、
国旗・
国歌の問題は
国民にとって重大な問題であって、それを決めていく上では、
国民的討論が十分に保障されることが何よりも大切であると
考えています。
この点で重要なことは、
政府が
法制化の
検討を始めたことを
一つの
契機として、今、
日本の
歴史で初めて、
国旗・
国歌をどうするかについて、現に
国民的な討論が起こりつつあるということであります。マスコミでも自由な討論が始まり、新聞の投書欄を見ても、さまざまな立場からの意見が毎日のように掲載されています。
日本共産党としても、しんぶん赤旗の号外を全国の四千六百万世帯を対象に配布し、討論を呼びかけてきましたが、広範な
方々からのたくさんの反響が寄せられています。
総理、
主権者である
国民が、
国旗・
国歌をどうするかについて
歴史上初めて声を上げ、討論を始めたことは歓迎すべきことであり、この
国民的討論を十分に保障することこそ、政治の責務ではありませんか。今
国会中のわずかな期間に
法制化を強行しようとする
態度は、
国民的討論を封殺するものではありませんか。
総理の
見解を問うものです。
政府は、
日の丸・
君が代の
法制化を強行する
理由として、これが
国民的に定着しているということを挙げています。しかし、
国民的討論が始まると、
国民的に定着という主張が成り立たないことが直ちに明らかになりました。
この問題について、大手新聞だけでも百二十を超える投書が掲載されましたが、そのうち、
日の丸・
君が代の
法制化に
賛成するものは二十三にすぎず、圧倒的多数は、もっと討論を尽くして決めるべきというものであります。NHKが六月十五日に発表した
世論調査の結果でも、
日の丸・
君が代の
法制化に
賛成するという人は四七%、両方とも反対ないしはどちらか一方は反対という人が四八%となっています。
圧倒的多数の
国民の日常生活の中で、その旗や歌が心から親しまれ、生きているということになって初めて
国民的定着と言えます。現状はそういう実態でないことは明らかであります。特に、
法制化について国論が二分しているもとでこの
法案を強行することは、
国旗・
国歌という
国民の重大事を決めるときのやり方として、民主主義にもとる乱暴きわまるものではありませんか。答弁を求めます。(
拍手)
第二は、
日の丸・
君が代が、
日本国憲法を土台とした今の
日本の
国旗・
国歌としてふさわしいかという問題です。
日の丸・
君が代に対して、少なくない
国民が抵抗感を持ち、
同意できないという気持ちを持っていることは、否定できない事実であります。
総理は、これをなぜだと
考えますか。与党の首脳からは、そうした人々を特殊な思想とか過激な人々とする発言が出されました。批判的意見を持つ人々を異端視する発言は、戦前の暗い
時代を想起させるものでありますが、
総理もそういうお
考えでしょうか。
我が党は、少なくない
国民が抵抗感や批判を持つことは、個人の好みの問題ではなく、
歴史的な
根拠があり、
日本国憲法に照らして
根拠があると
考えます。
日の丸・
君が代が、戦後政治の原点である、侵略戦争への反省、
国民主権という
憲法の大原則と相入れない問題点を持っているからであります。
君が代の問題点は、何よりもその
歌詞の内容にあります。この歌は、千年以上前の作者の意に反して、
明治以後、
天皇の治めるこの御代が末永く続き栄えますようにという
意味づけをされ、そういう歌として
国歌として扱われてきたことは動かすことのできない
歴史的事実であります。
戦後、
日本の国のあり方が
天皇主権から
国民主権へと大転換が図られたにもかかわらず、こうした
天皇統治を礼賛する歌を、
歌詞も楽曲もそのままで、小手先の
解釈の
変更だけで、あたかも
憲法の
主権在民の原則と両立するかのように扱うことは、およそ
歴史で通用しない御都合主義と言うほかないものではありませんか。
総理は、さきの答弁で、
君が代は大
日本帝国
憲法の
精神を踏まえて
国歌とされたことを認めました。この大
日本帝国
憲法こそ、戦後、
主権在民の原則に反するものとして廃棄されたのであります。現
憲法のもとで
君が代を復活させようという企てに道理がないことは明瞭ではありませんか。
今回の
法制化に当たっての
政府見解では、
君が代の「君」は、
日本国の
象徴であり
日本国民統合の
象徴である
天皇を指すとされています。「君」に続く「が」は、所有をあらわす格助詞です。それでは「代」とは何か。「代」とは、一般的に、時、
時代を
意味します。そうなりますと、今回の
政府見解でも、
君が代とは
天皇の
時代という
意味となり、この歌全体の
意味は、
天皇の
時代が永久に続くことを願うという
意味となるではありませんか。こうした歌が
主権在民の原則とどうして両立し得るのか、
国民に納得のいくよう、また、国語の文法上も
説明がつくように答弁していただきたい。
日の丸の問題点は、これが、
日本がアジア諸国に対する侵略戦争を行った際に、その旗印として使われたというところにあります。
日本軍行くところ
日の丸なびき、
日の丸翻ると言われたように、
日本軍が占領した土地には、占領の印として
日の丸が掲げられました。
総理は、今回の
法制化の動きに対して、アジア諸国のマスコミから、
日本軍国主義の
象徴の復活という強い警戒が寄せられていることをどう
考えますか。
日本共産党は、
日の丸・
君が代は、今の
日本の
国旗・
国歌にはふさわしくないと
考えます。今、
国民的討論の中で、
日の丸・
君が代にかわる新しい
国旗・
国歌を生み出そうというさまざまな提案も出されています。二十一
世紀の
日本の
国旗・
国歌には、
国民の大多数がこだわりなく歌え、日常生活の中にも親しまれ、アジア諸
国民からも歓迎されるものがふさわしいのではないでしょうか。
我が党は、二十一
世紀の
日本にふさわしい新しい
国旗・
国歌を、
国民的討論の中から、
国民の英知を集めて生み出すべきであると
考えますが、
総理の
見解を問うものであります。(
拍手)
第三は、
日の丸・
君が代を
国民一人一人に強制すること、特に
教育現場に強制することについて、どう
考えるのかということです。
政府が今回の
法制化に踏み出した直接の
契機は、広島の県立
高校の校長先生が自殺するという痛ましい事件でした。
総理は、この悲劇がどうして生まれたと
考えていますか。
卒業式、
入学式に一律に
国旗掲揚、
国歌斉唱を義務づけるという形で、
日の丸・
君が代を
教育現場に強制してきたことがその重要な原因であったことを認めますか。こうした悲劇を二度と起こさないためには、
教育現場への強制は一切やめることが唯一の解決方法ではありませんか。
総理は、今回の
法制化について、
学習指導要領だけではなくて、
法制化によって掲揚、斉唱をきちんとすることが望ましいと述べています。結局今回の
法制化は、
教育現場への強制を一層強めることを目的としたものですか。そうだとすれば、問題が解決するどころか、悲劇が繰り返され、矛盾は一層広がるだけではありませんか。
一九八九年の
学習指導要領の改訂で、
入学式や
卒業式などで
国旗掲揚、
国歌斉唱の
指導をするものとするとされてから、
教育現場への強制は一層激しくなりました。文部省と教育委員会は、校長に職務命令と処分を盾に強制する。校長から同じ強制が教職員に行われる。教職員が歌っているかどうかをビデオで調査した
学校もあります。
君が代を歌わない子供を校長室に呼んで叱責した
学校もあります。
こうした合意なしの強制を毎年繰り返すことによって、校長は教育者としての面目を失い、教員は
子供たちの信頼を失う。それが、個人の尊厳を重んじ、個性豊かな文化の創造を目指す場であるべき
教育現場をどんなに荒廃させているか、はかり知れないものがあります。
総理に
伺いますが、サミット七カ国で、このように
学校の
入学式、
卒業式で
国旗掲揚、
国歌斉唱を義務づけている国が
日本以外にありますか。今
我が国の
教育現場で横行していることは、およそ前近代的な軍国主義
時代の野蛮な統制の遺物ではありませんか。
憲法十九条は、思想及び良心の自由を保障しています。
国家が
国民の内心、物の
考え方を制限したり介入したりすることはできないというのが近代
国家の共通の基本原則です。アメリカでは、一九四三年に、ある州がその州の
法律で
国旗への敬礼を
子供たちに義務づけたことに対して、連邦最高裁が、
国民の良心の自由を侵すものだとする厳しい判決を下し、この
精神は今日でも守られています。
入学式、
卒業式で
日の丸掲揚、
君が代斉唱を義務づけるということは、
憲法で保障された教職員の良心の自由、
子供たちの良心の自由を侵害するものではありませんか。
総理は、今回の
法律について、
国民に対して
国旗の掲揚、
国歌の斉唱を義務づけるものではないとしています。しかし、
国民に義務づけることができないものが、どうして教育の場、教職員と子供には義務づけることができるのですか。
総理が
国民に対して義務づけるものでないとしたことは、そうした義務づけが
憲法十九条の内心の自由に抵触するおそれがあるからと
考えているからではないのですか。そうであるならば、教職員や子供にもそういう義務づけはできないのではありませんか。
それを教育の名で合理化することはできません。どのような形であれ、思想、良心の自由など人間の内面の自由に介入できないことは、近代公教育の原理であり、教育基本法の原則ではありませんか。
日本共産党は、
法律に
根拠がない現状ではもちろん、我が党が主張するように
国民的討論と合意を経て
法制化が行われたとしても、
国旗・
国歌は、国が公的な場で公式に用いるというところに限られるべきであって、
国民一人一人にも教育の場にも強制すべきものではないと
考えます。
総理の
見解を問うものであります。
私は、
日の丸・
君が代法案について、三つの角度からその問題点を究明してまいりました。今ここで、起こりつつある
国民的討論を断ち切って、この
法案を強行するならば、
日本の
歴史に大きな汚点を残し、
日本の社会に深刻なひずみをもたらすことになるでしょう。
教育現場で起こっている矛盾についても、何も解決しないどころか、一層のあつれきと悲劇を生むことになるでしょう。
日本共産党は、この
法案を廃案にすることを強く求めるものであります。
国民的討論を十分に保障し、
国民的合意によって
日本にふさわしい
国旗・
国歌を決めていくことこそ、政治の責務であることを重ねて強調し、
質問を終わります。(
拍手)
〔
内閣総理大臣小渕恵三君
登壇〕