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辛参考人 初めまして。辛
淑玉と申します。
東京生まれ、東京育ち、三代続いた江戸っ子でございます。大分早い
時代から
日本におりましたので、約百年近くこの国で生息いたしております。
ここに呼んでいただいて、本当にありがとうございます。来た瞬間から、何とおもしろいところだと
思いまして、寝ている人はいるわ、ほかの仕事をしている人はいるわ、お話ししているのはいるわ、遅刻するのはいるわ、出たり入ったりするのはいるわ、これはもう学級崩壊そのものだなと
思いまして、子供はこういうことを見てまねしているんじゃないかなと
思います。めったに来られないところに来させていただきまして、二度と来ないと
思いますが、一応私の手元に
皆さんの座席表がありますから、態度の悪い人はちゃんと覚えておこうかなと思って、ちょっとここに置かせていただきましょう。
きょうは、
入管法とかいろいろな形で呼ばれましたけれ
ども、私は専門的なことはわかりませんので、個人的な話をさせていただきます。
せんだって、東京都の主催する
人権の講演会がありました。もちろんそれで私が呼ばれたんですけれ
ども、呼ばれていろいろな告知が出ましたら、そのときにいろいろ東京都の方に抗議の電話がありました。それは、クレームと言った方がいいんでしょうか、もしくはおろせということとかあいつは気に入らないとか。昔、私、
自分がテレビに出たときにさんざん抗議が来て、
朝鮮人というのは何て嫌われているんだろうと思った瞬間に、私の友人は、違うんだよ、
朝鮮人じゃなくておまえが嫌われているんだよと言われましたが、そういうこともあるかもしれません。
そんな形で、抗議が来まして、東京都の担当者の方がとても心配して来てくれたんですね。辛さん、いろいろなことがあるんですがと言われたんですが、しょっちゅうありますから、そんな一回や二回や三回で、そんなことで気にしていたらしようがないので、大丈夫ですよと言いました。当日になりましたら今度は、独立義勇軍とかなんとかという右翼を名乗る人
たちからまた、刺客を送り込んだとか爆弾を仕掛けた、いろいろなことが来たものですから、東京都の方が慌ててしまいまして、当日になって警察を呼んだんですね。物すごい数が来たんですよ。
私は
最初知らなかったんですね。そうしたら、担当者の方が私のそばに来て、辛さん、警察を呼びましたからもう大丈夫ですと言うんですね。その瞬間、私は思わず
自分の持っていたバッグの中にさっと手を入れて、外人
登録証を持ってきたかなと思って、こんなので、本当に右翼なんかが来てくれなかったら私が捕まえられてしまうとか思って……。わかっていないんですね。私はいつも外人
登録証明書を持っているんですけれ
ども、持っていても、警察が来たと聞いた瞬間にぱっと思わず手を入れて、これでもし私が忘れていたら、捕まるのは右翼じゃなくて私だろう、気のきかないやつだと
思いながら、その日は無事に講演会は終了いたしました。
私は警察は好きでした。というか、お巡りさんは好きでした。子供のころからよく交番にはお世話になっておりまして、迷子になって行きますとちゃんとお菓子をくれるんですね。うちは
余り食べ物がなかったものですから、交番に行って御飯を食べるというのが日課になっておりまして、毎回同じ交番に行っていますとばれるものですから、あっちこっちの交番に行きました。
そうしたら、一度本当に迷子になってしまいまして、迷子になった瞬間にうちの親が呼ばれるわけですね。ちょっと迷子になるのは恥ずかしいなと思って、親が来た瞬間に、ひとりで大丈夫よ、おトイレに入れるとか言ってトイレに入ったんですね。そのまま肥だめに落ちてしまいまして、それをお巡りさん
たちが必死になって拾ってくれるわけですね。井戸でさんざん体を洗われまして、うちの母は、とんでもない餓鬼だと
思いながら全くおまえはとか言ったんですが、そのときの肥だめから拾ってくれたお巡りさん
たちは、どんなに臭くても手を引いてくれました。
それから、それが癖になってまた交番めぐりをするんですね。私は渋谷区笹塚というところでとれまして、当時は周りに
朝鮮人はほとんどいませんでした。もちろん私も
日本の名前で生活していましたので、また来たと思っても、お巡りさんが肩にしょってくれて、だっこというのかな、だっこしてくれるんですね。そうして、迷子だといいながら右だ左だと子供が言うと、お巡りさんがそうかそうかと言うんです。
私は父に抱かれたという記億はありません。一緒に遊んだということもなければ父親が抱いてくれたということもなかったので、ですから、私はお巡りさんが抱いてくれたときに、子供が抱かれると目線がすごく高くなって視野が広がって、世界が違ってすごく楽しくて、お巡りさんというのは父親みたいな形で、私にとってはとてもすてきな
存在だったんですね。
ところが、学校へ行く前になったときに、私の母が代々木警察というところに呼ばれました。呼ばれた理由は簡単です。外人
登録証の切りかえが何日間かおくれたんですね。おくれて、呼び出されました。
その前に、私には三つ下の弟がおりまして、この弟が生まれたときには我が家は貧困の絶頂期でございまして、父はどこか行ってしまったというか、よくわからない。マージャン屋かどこかに行っていたんじゃないかと思うのですが、おりませんで、母は入管の手続、子供が生まれて何日以内に手続しなきゃいけないといったものを忘れたんですね。忘れてしまうんですよ、生活していると。
そうすると呼ばれまして、入管に産後の肥立ちの悪い中を行くわけですね。ずっと立たされて並ばせられて、いす一つ出してくれることがなかった。そして、
自分の周りにいるほかの
朝鮮人の人
たちが一世なんですね。字がわかりません。字がわからない人
たちに対して
人間扱いしない姿を見て、母はおびえるわけですね。
そして、
自分の子供を連れて目の前に座った瞬間に、第一声が赤ん坊を送り返すぞと言われたそうです。母はそのときに、生まれたばかりの赤ん坊をどこに送り返すんだろう、どうやって送り返すんだろうと思ったそうなんですね。とても怖かったそうです。
そんな
思いがあったので——当時、私の親の
登録の手続というのは誕生日ではなかったんですね。ある一定の決められた日にちに来るということでしたから、なかなか覚えていられないんですね。忘れてしまったら今度は警察から呼び出しを食ったもので、母は真っ青になっているんですね。私は警察に母と一緒に行きました。そうしたら、小さな部屋の中に入れられまして、入り口に一人、母の横に一人、目の前に一人。まあ子供ながらにすごいなと思って見ていました。
幾ら母に質問しても、聞いていることは周囲のこと、近所のこと、ほかの同胞のことです。でも、うちの母の家というのは、旗日になると日の丸を掲げて、そして家の中には
日本刀が飾ってあるようなうちで育っているわけですね。何を聞かれたって、
朝鮮人との
関係なんかわからないのですよ。
黙っていましたら、一人私服のおじさんが来るのですね。警察の服を着ていませんでした。そして、そのおじさんが、私の顔を見てミョッサリと聞くのですよ。ミョッサリ、ミョッサリと何度も聞くのですね。私はわからなくて、しかも手にバナナを持っているのですね。当時、バナナというのは、はしかになっても食べられないほど高価な食べ物でして、リンゴのすったものの次に、桃の缶詰の次くらいに出てくる非常に高価なものでして、そのバナナを右手に抱えながら、ミョッサリと言うのですね。
私は何かびっくりしてしまったら、うちの母親が横で、この子はわかりませんよと言ったのですね。そうしたら、その、警察官だと思うんです、今思えば、彼がこういうふうに聞いたのですよ。お母さんて
朝鮮語しゃべれるよねと言うのです。
日本語も
朝鮮語もしゃべれるよねと言うのですね。母は二世なんですよ。ほとんど、全くというほど
朝鮮語はわかりません。ところが、私はばかにされていると思ったのですね。私は胸を張って、お母さんは
朝鮮語が上手だとかと言ってしまったのですね。それからすごかったですよ、おまえ、娘が言っているだろうというので。やはりこのやりとりは私の心の中に、とんでもないことをしてしまったと思ったのですね。
代々木警察を出たのは、夜の非常に遅くなった時間帯でした。母は、代々木警察の門を出た瞬間にこのばか娘と言って私の頭をぼこすかに殴りました。私は、きっとこのままいったら親を殺すのだろうなと
思いました。
その後、いろいろなことがあったのですが、何回か母は自殺をしようとしました。絶望するのですね、生きていくことに。何やかんや言いながら、結局は自殺をしないできょうまで来るわけですけれ
ども。私は、
自分が
日本人の子供であったときの警察官というのは、本当に天使のように優しい人でした。でも、いざ実際に
自分が
朝鮮人だということがわかったときの警察の態度というのは、やはりすごいなと
思いましたね。公権力というのは天使の顔もすれば悪魔の顔もするのだろうということがわかりました。
私は、常時
携帯義務がなぜ嫌なのかといったら、これは絶えず持っていなければいけないということを強制されるわけですね。
人間の生活の中では、ちょっと忘れたり何とかすることがあります。本来、現実の
社会の中ではお目こぼしもあるのかもしれない。だけれ
ども、今私は、例えばオウムに対する警察の態度とか捜査のあり方を見ていますと、明らかに何かあったときは同じことをされるだろうと思うわけです。つまり、かつて私が小学校へ上がる前に
体験したその怖さというものが変わらずに今も残っている。今、あらゆるところへ出てくる。
もし
日本と
朝鮮半島の
関係が何らかの形で悪くなったときに、何でもやるだろうなという恐怖心があるのです。本当にやるかどうかはわかりません。でも、少なくとも私の中ではその恐怖心がとてもあって、お目こぼしの中で許されているというよりかも、そういった毎日の緊張感からやはり解放されたいなというふうに思っています。
私は、教育
委員会の仕事を幾つかさせていただいておりますけれ
ども、学校の先生
たちの研修をやったことがあります。そのときに、ある校長先生というか、教頭先生ですか、
管理職の方が、辛さん、あなたは
自分のことを
韓国人だと言いました。私は、
韓国人と言ったつもりはありません。私は、
朝鮮人という言い方をします、
韓国籍を持った
朝鮮人という言い方をします。そうすると、あなたは
日本で生まれ、
日本で育って、立派な
日本語をしゃべります、あなたはもう本当に
日本人そのものです、どうぞ私の胸に入ってきてくださいと校長先生か何かが手を挙げたわけですね。その瞬間に、私は、私の
人権研修というのは全く無力だなと
思いまして、何にもわかってないな、こいつと
思いながら見ていたのですけれ
ども。
つまり、都合のいいときだけ
日本人と一緒なんですよ。戦前戦中は皇国臣民として、天皇の赤子として扱って、戦後は、
自分たちが気に入らなかったら
外国人全部一山幾らにして公的サービスから外しておいて、今度は
日本語がしゃべれるからあなたは
日本人だとか、三代目だから
日本人だと言ったって、周りの環境とか、参政権があるわけでもないし、それからあえて言うならば教育権があるわけでもないし、でも税金だけはちゃんと納めているという、都合のいいところだけは
日本人にして、都合が悪くなるとみんな
外国人として排除していく。私は、テレビを見ていて、何か事故があると
日本人乗客はと言って報道されるたびに、私が事故に遭ったらうちにいる人にはだれも言ってくれないのだろうなと思うわけです。
この間、コンビニエンスストアに強盗が入ったら何と言ったのかといったら、犯人は
外国人風と言うのですね。私とあなたが並んだら、どちらが
外国人風に見えますか。明らかにあなたの方が南方系でしょう。それと一緒なんですよ。南方系でしょう。かわいらしくて、くりくりとした感じでしょう。だから、そんなのわかるわけないじゃないとかと思うわけですよ。にもかかわらず、そういうことが平気で行われるわけですね。
私は、
日本の
社会の中で同化政策があったかといったら、個人的にはなかったと思っております。同化をさせようと思ったら積極的に
権利を与えるでしょう。ないのですよ。この
社会は、無視、放置、排除、追放なんですよ。無視して放置しておいて早く死んでくれというのが、恐らくここの国のあり方だったのじゃないかなと
思います。
残りあと本当に少なくなりました。ごめんなさい。
ちょっとこちらをごらんいただきましょう。
せんだってこちらの方からいただいた
資料の中で、法務省が出した
資料がありました。それの中には四十四カ国の国がありまして、その国では全部、常時
携帯義務もしくは
携帯・
提示をしなさいといったことを言っておりますということを言ったのですね。そこの部分だけ見ておりますと、まあそんなものかなと思うかもしれないのですが、じゃ、その国は——大丈夫ですか、大切なお電話かもしれませんから。今からいいところだったのですけれ
ども、聞いてくださいますか。ありがとうございます。
ちょっと調べてみました、全部をきちんと調べられたというわけではないのですが。そうすると、居住国の
国籍取得、つまり、
外国人であったとしてみても、私の場合で言っていますよ、一世のことではなくて。そのときには、例えば、生まれたらそのまますぐその国の
国籍をもらえるとか、これは生地主義といいますが、それから、居住地主義、二世、三世には基本的には
国籍が与えられる国、あと、二重
国籍を容認している国、それから、そういった証明を
自分の国の
国民にもちゃんとやっているのか。
外国人登録というのは、
日本人は、例えば八代さんが八代さんだということを証明するのは非常に難しいわけですよ。今は
国会議員でお顔も、今というか昔から有名でしたからそうでしたけれ
ども、隣にいる人とかが、私は辛
淑玉と顔も
指紋もわかりますけれ
ども、じゃ、あなたが
日本人か、田中何とかかといっても、わからないわけですね。でも、国家と個人の
関係が内外人平等であるという国がここの一覧です。
それから、
提示義務とかそんなものも書きまして、
罰則規定もやりました。
それでは、ちょっとこれを取っていきたいと
思いますね。そうすると、例えば言われた四十四カ国の国のうち、まず生地主義をだだっと取っていきましょうね。生まれたところのところを取っていってしまうわけですね。アメリカも生地主義です。
一応、植民地を持っていた国々もちょっとやってみました。アメリカは植民地を持っていましたけれ
ども、とりあえず二世、三世には、生まれた人にはちゃんと
国籍を与えております。それから、ノルウェー、オーストリア、これもそうですね。それから、二重
国籍も全部取得しております。英国も植民地を持っておりましたけれ
ども、英国もイタリアもちゃんと取れますね。ぽんぽん取れていきますね。
それから、フィンランド、スウェーデンとかアイスランドというのは、これはもうほとんど、二重
国籍だけではなくて、居住地主義だけではなくて、外人
登録証もないというような国でございますね。
それから、ちょっと上の方に行きましょう。そのようにして取っていくと、居住地主義、ここら辺も全部取りましょうね、それから、フランスとかアイルランドとかベルギー、これも全部取れますね。それから、シンガポールも生地主義でございます。パキスタンもそうですね。そして、マレーシアも取れてしまいますね。これをつくるのは結構きのう大変だったのですよ、本当に。それから、タイも生地主義でございます。それから、中国、
韓国というのは自
国民もすべてちゃんと同じように
登録をされますから、これもなし。そうすると、エジプトもそうですね。これも取れていきますね。
それから、こちら、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、ギリシャとかとありますけれ
ども、これはほとんど
状況がわかっていないということなんですね。
こういうふうに見てみると、植民地を持ってやっている国で唯一残ったのはドイツでございます。でも、ドイツは自
国民にも課しています。それから、植民地が独立した段階で、既に
国籍選択権があるわけです。それから、あるときには法的なルールにのっとれば、
権利の帰化があるわけですね。しかも
外国人登録なんかないわけですから、これも取れてしまうわけです。
これは
提示義務のみをやっていきますと、あとここら辺の国々の条件を見てみますと、例えば非常事態宣言地域であったりしていきます。
こうやって見ていきますと、ほとんど植民地を持った国々は、元植民地だった、例えば私
たちのような子孫に対しては、
日本と同じようなことをやっているところはないわけですね。血統主義で、そして何世代にもわたって
外国人の扱いをして、自
国民には何も課さないで、それでいてそれを通しているという国は、ここの
日本だけということになります。
このことがいいのか悪いのか、
朝鮮人だから特別な扱いをしてくれとは申し上げません。少なくとも
朝鮮人に対してこういう扱いをしている国が、これから来る国に対して、これから来る人
たちに対して、きちんとした
人権を持った扱いをするのかというと、それはないと思うのです。
私はこの国に生まれて、今四十になりました。苦節四十年です。(
発言する者あり)大体男は、すぐに若いと言えば褒めていると思うのですね。あなた今……(
発言する者あり)セクハラですよね。後できちんと対応したいと
思います。
委員の研修は必ずうちの会社にいただきたいと
思います。自民党からお願いしたいと
思います。
私は、四十年間生きてきて、この
社会の中で
自分が獲得したものは何なのかといったら、民族名です。辛
淑玉という民族名です。それからもう一つは、
韓国籍という
国籍です。何の力にもならない
韓国籍という
国籍です。それから
差別体験です。この三つを持ったときに、もし大人としてやることがあるとしたら何があるのかといったら、それは内外人の平等じゃないかなと思っています。そのときには、
朝鮮人とか
韓国人とか
中国人とかミャンマーとか何も
関係なくして、一人の
人間が生きていけるだけのきちんとした
権利をこの国で、私が住んでいる
社会でつくっていくことが私は大人としての仕事だと思っております。
済みません。長くなりました。それでは終わります。(拍手)