○久貴
参考人 久貴でございます。
本日、このような機会をお与えいただきましたこと、まことに光栄に存じております。
委員長初め諸先生方に厚く御礼申し上げます。
それでは、時間が限られておりますので、早速本論に入らせていただきます。
今回の
改正法案の最大の眼目は、私自身、公正証書
遺言の方式の
改正にあると考えております。したがいまして、本日これからは、それを
中心にいたしまして申し述べさせていただくことにいたします。
現行民法の
施行は、実は明治三十一年、一八九八年の七月の十六日ということで、あと一月ほどでちょうど
施行百年を迎えることになるわけなんですが、この間、
遺言(ゆいごん)——学問上は
遺言(いごん)という言い方もしたりするんですけれ
ども、ここでは
遺言(ゆいごん)という表現で統一させていただきます。
遺言に関します規定は、実は実質的な
改正が一度も行われたことがございません。今回、もしこれが実現いたしますならば、画期的なことになろうかと存じます。
それで、ごく簡単なものでございますが、レジュメをつくらせていただきました。お手元に参っているかと存じますので、それに基づきまして申し上げさせていただきます。少しごらんになりにくい点があるかもわかりません、お許しいただきとう存じます。
現行規定、公正証書
遺言は九百六十九条であるわけなんですが、この現行規定で生じる問題といたしましては、先生方既に御案内のとおりだと存じますけれ
ども、あえて申しますと、証人二人以上の立ち会いのもとで、
遺言者が
遺言の趣旨を公証人に口授と言っていますが、口述で申しまして、それを公証人が筆記いたしまして、それを
遺言者及び証人に読み聞かせる、そういう方式をとっております。しかも、秘密証書
遺言とは違いまして、発言不能である人についての例外規定というふうな規定はございません。したがいまして、口のきけない方とか耳の聞こえない方には現行の公正証書
遺言の方式がとれないということになります。
レジュメの二つ目になります、普通方式、自筆証書
遺言、公正証書
遺言、秘密証書
遺言、この三つそれぞれに実は長短を持っております。私なりに考えておりますことを申し上げさせていただきます。
先に、まず自筆証書
遺言からですが、文字を読み書きできる者であるならば、単独で、いつでもどこででも自由に作成できるということが最大の長所であると思います。費用も要りませんし、
遺言の
内容のみならず、
遺言の存在そのものも実は人に秘しておくことができるという点は長所だと思います。
ですけれ
ども、マイナスといいますか短所がございまして、しばしば方式不備を生じますし、また、
内容の不明確さのために紛争を生じることが多いように思います。滅失とか隠匿とか改ざんなどのおそれもかなり大きいということでありますし、時には強迫などによります作成も考えられます。それから、後で
家庭裁判所の検認が必要だという点も、大きなことじゃないかわかりませんが、短所というふうにとらえる方も多いようであります。
二つ目の公正証書
遺言は、先ほど御説明申し上げましたとおり公証人が関与なさいますので、方式不備とか文意の不明確さを生じることは、これはあえて私はまれと申し上げます。絶無と言いたいんですが、現実に事件が起こるものですから、まれであります。ですけれ
ども、後に紛争が発生することは少ないわけであります。また、
遺言書の原本が公証人のもとに保管されますので、滅失とか隠匿とか改ざんなどのおそれはないと考えていいと思いますし、後に検認の手続も必要としないということが長所だと思います。
短所と言っていいかどうかわかりませんけれ
ども、あえてマイナス面と考えられる点を申しますと、三つの普通方式の中ではやはり一番複雑であるということでしょう。それから、
内容を他人、この場合少なくとも公証人の方あるいはその
事務所の
方々、そして二人以上の証人ということで、この方たちには
内容は知られることになります。それから、よく本なんかで費用が要るように書かれることが多いんですけれ
ども、私自身の
意見としては大した費用じゃないだろう。つまり、物件の額に比して、公証人の先生にお払いする額というのは決して大きな額じゃないというふうに私は思っております。
それから、三つ目の秘密証書
遺言というのは、長所、短所は自筆証書と公正証書のちょうど中間ぐらいの感じになるんですが、つまり、長所といたしましては、
遺言の存在そのものははっきりさせておきながら
内容を秘密にしておくことができるという点、これが長所だと思います。
内容が改ざんされるというおそれも少ないだろうと思うんです。
短所といたしまして、実は、中の文書といいますか、中に封じられております書面は個人個人が書きます。公証人はタッチなさいません。したがいまして、方式不備とか
内容不明確のため、遺志、つまり残された気持ちという
意味での遺志ですが、これの実現が不可能になったり、後で紛争の生じる危険性もかなりあると思います。この点は自筆証書
遺言によく似ていると思います。それから、検認を必要といたします。
このように長所、短所があるわけでありますけれ
ども、自筆証書
遺言では自書が要求されますから、字を知らないためあるいは文書が書けないために書けない者はこの方式をとり得ませんし、また、公正証書
遺言では公証人への口授というのが必要でありますから、口がきけない人、あるいはまた何らかの事情で現在口がきけないような、そういう
状況のもとにある人というのはこの方式をとれないわけであります。
ただ、立法者といたしましては、これらの者も含めまして、例えば前者、字の書けない人でも公正証書
遺言とか秘密証書
遺言ができるし、あるいは口授ができなくても自筆証書
遺言ができるというふうに、つまりこれは、レジュメの一覧表で、「人はふつうどれかの方式に拠ることができる」という、これは私自身がつくりましたものなのですけれ
ども、細かくは御説明いたしませんが、今×印がついている
人たち、あるいはそういう
状態の方たちについてはこういう種類の
遺言ができないということなのですが、三つとも×のつく方はないわけなのでして、どれかの手続をとることができるというふうになっているわけなのです。
ところで、今考えられております、先生方が御審議いただいておりますのがこの公正証書
遺言の
改正であるわけなのです。したがって、なぜこの公正証書
遺言を今問題とするのか、
改正が必要なのかという点なのですが、三点ほどあると思っております。
一つは、公証人の関与による適法性が担保されるということ、それから公証人役場で証書の保管がなされる、先ほど申し上げましたことの繰り返しになるかもわかりません、家裁の検認が不要だ。これらのうち、私自身は、特に適法性の担保といいますか、方式不備とか
内容の不明確の生じることが極めてまれであるという点が非常に長所だと考えて、人にも、相談を受けましたら、やはり
遺言は公正証書でなさったらいかがですかということを常々、長年の間申し上げてきたわけであります。
それから、
利用の実態、これはまたほかの
参考人の方から数字が出てくると思いますが、現実には
利用者数はふえているように思います。現在、公正証書
遺言、大体年間五万件ぐらいございます。自筆証書の方は、実数わかりませんが、検認の数から推測いたしまして大体年間八千から九千の数じゃないか。つまり、公正証書
遺言は自筆証書
遺言の五倍以上の
利用がなされているのが現状じゃないかと思っております。ちなみに、数日前に発表されました
平成十年の死亡者の総数というのは九十三万六千四百八十という数字でございます。
それから、三つ目の問題といたしまして、
個々人、つまり
遺言者自身であってみたり相続人であったり、あるいは受遺者であったりいたしますでしょうが、こういう個々の人々の権利意識が高まっておりますし、他方、社会情勢とかあるいは
家族関係が複雑化、多様化しております今日、聴覚や
言語機能に多少の
障害がある
方々のために公正証書
遺言を自由に
利用する道を開く必要があると私自身は考えております。
レジュメの二番目に移らせていただきます、早口で失礼いたしますが。
一言で「
遺言判例法の歴史は方式の厳格性緩和の歴史」であると私、書きました。先ほど申し上げましたとおり、全部判例法で来たわけであります。幾つかの例を挙げました。ほんのわずかなのでして、たくさんの判例があるわけですが、上半分の自筆証書
遺言につきましては時間の
関係で今細かいことは省略させていただきますが、自筆証書
遺言のいろいろな、自書とか日付とか氏名とか押印という、そういう文言についてそれぞれにいろいろな工夫を
裁判所が、大審院以来最高裁もなさってきています。もちろん、下級審もなさってきているわけであります。
公正証書
遺言につきまして、ここにあります幾つかの古い判例も含めてごく簡単に申し上げさせていただきますが、口授につきましては、大審院の大正八年七月八日の判例は、遺贈物件の細かい詳細につきましては全部覚書を出すことによって口授を省略する、これを有効と見ております。
それから、口授と筆記というものの順番。次の大審院の大正六年十一月二十七日あるいは最高裁昭和四十三年十二月十日、これは口授と筆記の順序が逆になって筆記が先になったものでありますけれ
ども、これも有効というのが最高裁のあるいは大審院以来の上級審の判断であります。
それから、一番下に書きました承認というのは、実はこれは昭和五十五年十二月四日の判例であるわけで、私にとりましては、プライベートなことを申し上げてあるいは失礼かわかりませんが、いわば懐かしいといいますか非常に印象深い判例であるのでして、実はこれは第二審で、私、依頼者の方から
意見書の提出を求められまして、目の見えない方でも、公正証書
遺言の読み聞かせのときの証人ということなのですが、これは目の見えない方でもできるはずなんだということを私は前から少し言っていたのですけれ
ども、それを
意見書に書きまして、二審そして最高裁、実は最高裁は三対二という際どいところだったのですけれ
ども、これを認めていただきました。二十年近くにもなります。その二十年近くも前に、最高
裁判所が目の見えない
方々につきましてこのような判断をしていたということは、私は、注目していいだろうと思っております。
以上、見てまいりました、方式の厳格性緩和という判例法の流れに照らしてみますとき、今御審議いただいておりますこの
改正案というものは、まことに時宜を得たものだと私自身考えております。
最後に、二つほどここにあります。ごく一言ずつ申し上げさせていただきます。
「今後の問題」ということで書きました。この「
制度を支える態勢の整備と
充実」、これはまた後ほど各
参考人から具体的なお話があると思いますので、私自身は、法制審議会
民法部会身分法小
委員会の審議の中で、いろいろとこれから考えていかなければならないことが多いだろうと感じたことだけを今申し上げさせていただきます。
それから、一番下に書きました「自筆証書
遺言の方式
改正の必要性」というのは、これはあえてクエスチョンマークをつけさせていただこうかと思ったのですが、現在の自筆証書
遺言はやはり少し、特に目の見えない方にとっては使いにくい
制度だろうと私は前々から思っております。したがいまして、今回はいろいろなたくさんの、
成年後見とかいろいろなことがありましたから、法制審議会
民法部会としては作業量上触れられなかったのかとも存じますけれ
ども、
遺言法全体の今後のことを考えるときには、自筆証書
遺言についてもやはり何らかの
検討が必要ではないだろうか、これは研究者の
立場で考えているということを申し上げさせていただきます。
非常に簡単にしか申し上げられず、また早口で失礼いたしました。
以上でございます。どうもありがとうございました。(
拍手)