○
高橋(融)
参考人 弁護士の
高橋融であります。
ただいま自由法曹団の
司法制度を民主化する
委員会の責任者をしております。自由法曹団というのは、一九二一年に創立され、全国で約千五百人を擁する
法律家
団体であります。
私
どもの
意見でございますが、限られた時間の中で申し上げなければなりませんので、本日、二つの
資料を配付しております。一つは、「二十一
世紀の
司法の民主化のための提言案」、それから「
司法制度審議会
設置についての見解と要請」というものでございます。
弁護士あるいは
法律家というのはとかく長いものを書くもので、なかなか読みにくいかと思いますので、目次などをごらんになりながらお聞きいただければと思います。
さて冒頭に、国会が、間もなく訪れる二十一
世紀のために、
我が国の
司法制度の
改革について議論されていることについては、深く敬意を表したいと思います。
ただ、現在出されている
法案につきましては、
司法制度改革のための
審議会を
設置するのであるからということでもろ手を挙げて賛成をしたいところでございますが、これまでの経過を見ますと、政府・自民党の目指す
司法改革の線で出されていると思いますので、どうもそうはまいりません。厳しく御批判申し上げなければならなくなると思います。
政府・自民党の考えておられるのは、
日本の
司法を、現在の人権擁護面での立ちおくれをそのままにしておいて、
経済に奉仕する仕組みにつくり上げようとしているとしか見られない。この
目的で本
法案が提出されている以上、私たちはこれを厳しく批判するというのが
立場でございます。
本日、この問題について与えられた
機会に、
法案中の
審議会の任務、運営、人的構成、人選について、私の
意見を申し上げたいと思います。
第一に、
審議会の任務についてでございますけれ
ども、まず初めに、政府・自民党の提起を批判し、次に私
どもの提起を若干説明させていただくというふうにさせていただきます。
政府・自民党の提起は、十年の六月十六日付の
司法制度調査会報告によっております。
司法についての、特に、民事、
行政、刑事の各
分野の
裁判についての現状分析が私は不十分だと思います。
司法制度改革という以上、この分析がなければ
司法制度改革はあり得ないというふうに思うからです。
もう一つは、
司法制度改革という以上、その中核になっている
裁判所の
改革は当然でありますけれ
ども、それだけでなく、これを支える部門の
改革を行わなければなりません。自民党も
弁護士をこの問題の対象にしておられるというのはそういう趣旨だと思いますが、その他の問題は余り論じられていないようです。
まず、民事
司法の問題から問題にいたしたいと思いますが、時間がかかり過ぎる、いろいろな問題が論じられております。しかし、どこにどのような問題があるからそういうふうになっているのだということの分析はされていない。これを
制度改革審議会でおやりになろうということなのだと思いますけれ
ども、私は、さて、それではテーマも立つのだろうかというふうに心配しております。
一方で、人権にかかわりの強い刑事
司法については、治安
維持面からの検察の体制
強化と被疑者弁護を含む刑事弁護が取り上げられているのみであります。刑事
司法を支える警察、検察の問題が取り上げられていない点は、
司法改革の問題提起としては大きな欠陥であると思います。
司法の人権擁護
機能を軽視するというふうに私
どもが考えるのはそのためです。これは私たちだけが批判を行っているのではなくて、学界では平野龍一氏がこれらに関連して、
我が国の刑事
裁判はかなり絶望的であると書かれたのは、もうかなり古いことです。
また、グローバルスタンダードが言われておりますけれ
ども、国連の規約人権
委員会は、政府が提出した報告に基づいて昨年
審議を行いまして、代用監獄における起訴前の勾留と起訴前保釈制度がないこと、有罪判決において自白偏重であること、弁護側に証拠開示を求める一般的
権利がないことなどについて厳しく勧告をし、前にも勧告したのにこれが全く措置されていないことについて不満を述べています。また、人権規約上の人権について、
司法官、
行政官に対する教育
システムがないということを指摘しております。
さて、私の提起でありますが、現在
司法がどのように
機能不全に陥っているかにつきましては、本日配付いたしました
資料の中でかなり事細かに分析しておりますので、四ページ以下をごらんいただきたいと思います。
時間の関係で論証を抜きにさせていただきますが、これらの現在の
司法の問題点は、憲法上の原則である
国民主権の軽視があるから発生していると私は考えております。基本が曲がっているということであります。
司法は、民主主義のもとでは、人民による人民のための人民の政治の一部門でありますから、政治性があるのは当然であります。
我が国では、国
会議員の皆さんと違って、
裁判官はもちろん、検察官も選挙制ではありません。また、議院内閣制の監督下にも十分に置かれているとは考えられません。公務員でありながら、原則的には憲法上任免権がある
国民によるコントロールをできるだけ受けないようにつくられていると考えます。
国民によるコントロールは、任命人事のところで行うのが最も効果的であります。弾劾や、最高裁
裁判官の
国民審査のようなリコールのようなものでは二次的な効果しかありません。極めて政治的に重要な
役割を果たす最高裁の
裁判官の任命も、事実上最高裁内部で、
国民の目の全く届かないところで、あたかも政治が関与しない方がよいものかのように行われております。任免権を持つ首相もそのことにより政治的批判を受けず、
国民の批判のチャンネルは閉ざされております。
アメリカを見ましょう。連邦最高裁
裁判官の場合、任命
手続がテレビに公開され、厳しい議論が行われて任命されるのであります。余りにも違い過ぎると考えます。
我が国では、こうすることによって
司法に見せかけの非政治性のベールがかけられている。これは、
司法という公務を
国民のために守るという
目的からではなく、
司法官僚制の職権をかさにし、人権尊重よりも仕事の能率を求めるお役人天国のために使われていると私には見えてしまいます。
このように、
国民から徹底的に隔離され、
国民からの独立ができ上がっている
司法の
分野に
国民主権を発揮させ、
国民によるコントロールを回復させることが求められている。その手段が、私
どもが提唱している法曹一元であり、陪審制であります。
法曹一元は、これまで多くの場合、
裁判官以外の経験を積んだ
法律家の中から
裁判官を任命する
裁判官の供給源の問題だというふうに論じられてきました。これは、キャリア
システムによる
司法官僚制をこれでもって置きかえるということであります。それはそれで正しいのであるというふうに考えますけれ
ども、さらに、
国民主権の実現に近づけることが必要だと考えます。
我が国では、憲法上、下級
裁判所の
裁判官は最高裁が作成する名簿によって内閣が任命するということになっております。したがって、選挙をせよとは言えません。しかし、
アメリカの幾つかの州で行われているように、最高裁の名簿作成の過程にその地域の住民代表と
法律家代表が
参加する
裁判官選考
委員会をつくり、主権者の意思を反映させる、そして、この結論に従って最高裁が名簿を作成する
システムは、現憲法上も可能であると考えます。
法曹一元をこのように行うことによって、
裁判官は単なる
法律家としての経験年数という形式的な
資格からではなく、当初から住民の選考を経て評価の定まった高い水準の
法律家を選び出すことができると考えます。
陪審は、言うまでもなく、
国民の
司法への直接
参加であります。これと法曹一元の
裁判官が相まって、
裁判はわかりにくいと言われているものがわかりやすくなり、書面中心から口頭での弁論が闘わされる本当に
裁判らしい
裁判になっていくというふうに考えます。
また、陪審
参加を通じて、
市民は法と
権利だけでなく、多くのものを学んでいく、そして成長していくということははっきりしています。また、
市民である陪審員の
参加を得るために
裁判の
長期化はどうしても避けなければならなくなります。職業的
裁判官が書面を密室で読むことによって行われている現在の
裁判は、
国民の目という太陽のもとに引き出さなければなりません。生き生きとしたものにしなければなりません。陪審制度がそのために欠かせないゆえんであります。先進国で
国民参加が図られていないのは
日本だけと言ってもいいのが現状であります。
これら二つを実現するならば、
司法の基本構造が変わると思います。
国民の
裁判を見る目や
司法を見る目は変わってきます。
弁護士の仕事も大変革をしなければならないと考えます。しかし、これらを実現するためであれば、大方の
弁護士は喜んで変化を受け入れると思います。
司法の持っているその他の問題が順次
解決していくであろうという展望を持てるからであります。
現在、多方面から
法曹人口の不足の問題が叫ばれています。私もまた同感であります。
国民各層からのニーズに応ずる上でも、また今まで述べた法曹一元の
裁判官と陪審制を実現するためにも、どうしても
法曹人口の増大は必要であり、
法律扶助の底上げ、被疑者国選を実現するとすれば、なお一層必要であります。大幅増員は欠かせないというふうに考えております。
しかし、これらのどれ一つをとっても大
改革の実行であり、これを実現するには金と力が要ります。それだけに、政府・自民党にやる気がなければ、これまでどおり現在の国の財政危機から予算と財源がない、これを言いわけにして、法曹人員増、中でも
弁護士増員を先行させるもっともらしい理屈立ては幾らでもできます。
今私の周りには、政府・自民党の意図するところが、最後にはこのような理屈立てをして、
改革の
課題について何ら実行をしない、人員増のみを先行させるのではないかと危ぶむ
弁護士や学者が多いことも端的に申し上げておきたいと思います。
このように述べた状況と批判を考え合わせていただければ、そのように人が考えるのも無理からぬところがあります。しかし、
法律扶助、被疑者国選を初めとするいろいろなことをやっていけば、大幅な予算の増大といいましても、今回の金融対策や公共工事などと比べてみますとわずかなものです。そういう
司法予算の増大をきちっとしていただければ、さらに法曹一元の
裁判官と陪審の導入を明らかにすれば、事の成り行きは全く変わったものになってくると思います。
このたびの
司法改革の問題について見る限り、もちろん
立場の違いから来る方向性の差はあります。率直に言って、二十一
世紀に向けて
司法の
改革が必要であるという認識を初め、共感を持てる点も多いのです。この
改革は、積み重ねられた、もうでき上がった現実を、その重みをはねのけて、よりよい結果を求めての厳しい議論を重ねつつ、一歩一歩高みに向けて上っていく、その中で実現の条件を切り開いていく長い行程であると思います。このために、焦らずたゆまず
努力していくことをみずからに言い聞かしているところであります。
審議会の運営、構成と人選についての
意見もございますが、時間でございますので、これで中止させていただきますが、よろしくお願いいたします。(
拍手)