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1999-04-16 第145回国会 衆議院 文教委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年四月十六日(金曜日)     午前九時開議   出席委員    委員長 小川  元君    理事 栗原 裕康君 理事 栗本慎一郎君    理事 小杉  隆君 理事 増田 敏男君    理事 藤村  修君 理事 山元  勉君    理事 富田 茂之君       岩永 峯一君    大野 松茂君       奥山 茂彦君    倉成 正和君       佐田玄一郎君    下村 博文君       高鳥  修君    高橋 一郎君       中山 成彬君    松永  光君       渡辺 博道君    池端 清一君       田中  甲君    中山 義活君       池坊 保子君    西  博義君       菅原喜重郎君    石井 郁子君       山原健二郎君    濱田 健一君       粟屋 敏信君  出席政府委員         文部省高等教育         局長      佐々木正峰君  委員外出席者         参考人         (東京外国語大         学学長)    中嶋 嶺雄君         参考人         (高知大学学長         )       立川  涼君         参考人         (京都ノートル         ダム女子大学学         長)      梶田 叡一君         参考人         (一橋大学名誉         教授)     浜林 正夫君         文教委員会専門         員       岡村  豊君 委員の異動 四月十六日  辞任         補欠選任   笹山 登生君     菅原喜重郎君 同日  辞任         補欠選任   菅原喜重郎君     笹山 登生君 四月十六日  適正規模の少人数学級早期実現に関する請願桜井新紹介)(第二七一二号)  私立学校助成費削減反対に関する請願古堅実吉紹介)(第二七一三号) は本委員会に付託された。 本日の会議に付した案件  学校教育法等の一部を改正する法律案内閣提出第六七号)     午前九時開議      ————◇—————
  2. 小川元

    小川委員長 これより会議を開きます。  内閣提出学校教育法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人として東京外国語大学学長中嶋嶺雄君、高知大学学長立川涼君、京都ノートルダム女子大学学長梶田叡一君、一橋大学名誉教授浜林正夫君、以上四名の方々に御出席いただき、御意見を賜ることにいたしております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、審査参考にいたしたいと存じておりますので、よろしくお願いを申し上げます。  次に、議事の順序について申し上げます。  中嶋参考人立川参考人梶田参考人浜林参考人の順に、お一人十五分以内で御意見をお述べいただきたいと思います。その後、委員の質疑に対してお答えいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、そのように御了承願います。  それでは、中嶋参考人お願いいたします。
  3. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 おはようございます。東京外国語大学中嶋でございます。よろしくお願いいたします。  実は、昨日、ドイツから急遽この会のために帰ってまいりました。と申しますのは、日独学長高等教育に関するセミナーがございまして、ちょうどSPDの総会が行われていたあのホテルでございまして、何となく臨場感があるんですが、そのときも、二十一世紀高等教育あり方に関して、ドイツも今非常に大きな改革をやろうとしております。例えば少子化という問題も共通しておりますし、従来の高等教育の枠組みをどういうふうに変えるかということで真剣な議論をしている最中でございましたので、短時間の会議とはいえ、もうすぐにその場で共通のバックグラウンドで議論ができるということでございました。それにつけましても、我が国高等教育、これで果たして二十一世紀大丈夫かなということを改めて痛感して帰ってきたわけでございます。  御案内のように、大学審議会が昨年の秋に答申を出しました。これは、私ども大学におる者からいたしますと、まさに画期的な、内容豊かな答申でありまして、ふだんは余りそういう審議会のペーパーなど読まない私どもも、一行一行おろそかにできないような、中身にあふれているような気がいたします。これぞ審議会答申だというふうに思った次第でございます。それを受けまして、果たしてそれぞれの大学が、国立大学に私は身を置きますから、特に日本国立大学がいかに生まれ変わるかということを真剣に模索しなければいけないという状況になっているわけでございます。  私ども、二十一世紀を見渡しますと、我が国にとって一番大事なのは国際貢献ではないか。その国際貢献というものも、皆さん御案内のように、PKOであるとかPKFであるとか、あるいはODAであるとか、それらはもちろん重要ですけれども、一番重要なのは、ドイツ会議でも強調したのですが、インテレクチュアルなインターナショナルコントリビューションを、つまり知的な国際貢献をいかに果たすかということが我が国に課せられた一番重要な問題であり、課題であると思います。  その点では、アジア諸国、私、たまたまアジア太平洋大学交流機構という新しく発足した国際機構事務総長も兼ねておりますけれども、非常に日本に対する期待が高いんですね。ドイツフランスのような先進国が最近しょっちゅう日本学長団を送ってまいりまして、向こうから交流を求めている。それは、やはり日本に対する期待が非常に高いからだと思うんです。  その反面、我が国大学現状は、ある意味では非常に旧態依然たるものでございまして、特に国立大学などは、学長になってみて痛感するんですけれども、本当にこれでいいのかというふうに思うことが多いわけでございます。しかしながら、国立大学はそれなりの役割を持ち、また、日本大学全体が非常に大きな役割を持っておりますから、この際、大学改革を積極的に進めるためにぜひ御指導いただきたいというのが率直なお願いであり、気持ちでございます。  そのためには、最近世紀末という言葉は余りはやりませんけれども、たまたま今まさに二十一世紀の直前にありまして、やはりここ一、二年のうちにしっかりした改革をしておかないと、日本大学国際競争力を持つことができないのみならず、同じアジアでも他の国の大学がどんどん生まれ変わっておりますので、そちらの方に学生も行ってしまうのじゃないか、あるいはアメリカドイツフランスなどの方に学生が行ってしまうのじゃないかというふうに思われるわけでありまして、それは、ある意味では、明治維新以来の長く培ってきた日本知的資産というものが内部的に喪失し崩壊することでありますので、ここはしっかり私どもがこの遺産をさらに発展させるべく、そのためにはもう余り時間がないんですね、ここ一、二年が勝負でございます、そういうつもりで日夜、大学改革に努力しております。  そして、特に国際的に比較してみますと、残念ながら、先生方御承知のように、日本大学はいわゆる国際競争力を十分に持つというところまでまだいっておりません。ですから、国内的にはいろいろの、大学ランキングもございますし受験競争も激しいんですけれども、さて、それでどれだけ国際的対応力があるかということを問うてみますと、なかなかそうはなっていない。あるいは、東京外大のように、全学生総数に占める留学生比率が一二・五%という、比率としては日本で一番多い、それは当然ですけれども、にもかかわらず、大学の中が果たして、教職員にどれだけ外国語運用能力があるかということ一つとっても、まだまだ改革しなければいけないという点が多々あるわけでございます。  それから、最近は私ども大学院を非常に重視しております。単に少子化だからということではなくて、何といっても、これからの時代知的多様性に対応するためにも大学院をきちんとしていかなければいけない。私自身、数年前にはカリフォルニア大学サンディエゴ校で教鞭をとって実際に学生先生方と接触してまいりましたけれども、例えば大学院は、アメリカに比べると物すごく日本はまだおくれております。  これは、やはりもっとここをきちんと重点化して、重点化というのは単に予算上の措置ではなくて、内容的にも組織的にも制度的にもきちんとしていかないと、学部の延長線上に刺身のつまのように大学院があるという現状自体を打破していかないと、とても日本大学国際競争力を持たない、持ち得ないということになるわけでございます。  そういう立場からいたしますと、大学に対してもっと社会の風をどんどん吹き込んでいただきたい。特に国立大学に対してはそうでございます。今回の法案によって運営諮問会議というものが実現する可能性が出てきておりますが、私からすれば遅きに失している。私ども大学は既に、私が学長になってからですけれども、この法案に先駆けて、新しい国立大学は別にしまして、古い国立大学の中では余りないと思うのですけれどもユニバーシティーアドバイザーズというものをつくっております。  その内容をちょっと、どんな方がということを二、三挙げてみますと、民族学博物館梅棹忠夫先生、それから江崎玲於奈先生、それから一橋大学阿部謹也先生、それからドナルド・キーン先生、財界からは小林陽太郎さんと堤清二さん、これらの方々ユニバーシティーアドバイザーズになっていただきまして、メンバーをちょっと申し上げただけでもおわかりだと思いますけれども、お忙しいこれらの方々が本当に真剣に会議に出てきていただいて、非常に有益な意向を伝えてくれます。グレゴリー・クラークさんなんかもメンバーでして、英語教育に一家言を持っていますから、外大にとっても非常に参考になる意見を言っていただく。  こういうのがまさに大学諮問会議でございますので、それは決して大学にとって自主性を損ねるどころか、もっとどんどん意見を言っていただきたいという状況であるということを痛感しております。そして学内先生方も、それに対して、非常によかった、本当によかったということを申しておるわけでございます。  次に、そういう外の風を入れるということとともに、大学における責任体制の確立というものがございます。この点についてもいろいろ御審議いただくことになっておるわけですが、これまでは、どうも教授会自治というものが非常に大きな、大学意思決定なり新しいビジョンを取り入れるということについてのむしろいわば足かせになっておりました。つまり、講座制があり、教授会があり、それはやはり既得権がありますから、既得権がありますと、やはりその既得権を擁護するということがどうしても、特に国立大学には起こりやすい。そうすると、新しい学問分野がどんどん出てきても、もちろん古い分野をおろそかにするということではございませんが、私ども大学には、例えばチェコ語なんというのを学生がちゃんと専攻して教えている学科があるというのは世界一つしかございません。ポルトガル語もそうです。  そういうことも大事なんですけれども、一方では、例えば英語教育にしても、非常に時代が変わりつつあるときに、旧来の英語先生という立場だけではやはり教育そのものがついていかないわけですね。そういう新しい分野のものを導入しようというときに、どうしても既得権自分の後任を同じ立場の者にと。あるいは、これからビジネスの世界も非常に変わるわけでございまして、そういうときに、同じ経済学でも従来の経済学と違った、もっとファイナンスとかビジネスオリエンテッドな経済学をやろうとする先生を採ろうとしても、どうしてもそれも採れないというのが現実でございます。  その状況の中で、国立大学はだんだん、気がついてみると、すごく枯渇し、古臭くなって、世界の動きについていけないということからいたしますと、ここもきちんとしていただくことが大変ありがたいことでございます。  それから、意思決定に非常に時間がかかります。国会の先生方以上に、私どもは単科大学ですから私が議長をするのですが、教授会というのは一人の反対があると次に動けませんから、大体六時間、もう夕飯も食べずに六時間も議長をやっていますと本当に疲労こんぱいするんですけれども、それでいい意思決定ができるかというと、全体的な合意が必要ですので、一番最低点のところで、ミニマムデシジョンなんですね。一番いいと思うことはなかなか決まりません、それは妥協の産物ですから。  それから、ノンタイミング、もう世の中はこっちの方に動いているのに、一年も二年も過ぎてからようやく全学的な合意が達成されるというのが現状でありまして、これで果たして、国民の税金で運営されている国立大学がこんなことをやっていていいのかなというのが率直な気持ちでございます。ですから、その辺を、きちんとした運営体制をできるだけ迅速につくっていくということが必要ではないかと思うのでございます。  それから、今回の法案の中で、例えば、三年で優秀な者が卒業できる、千葉大学の丸山前学長が御努力されて、非常に効果もいいようですけれども、これは安易に大学を卒業させようということとは全く違います。  私ども大学は、昔から留年生が多い。例えば、今でもそうですけれども、一、二年で語学の成績が悪いと進級できませんから、一年でも、八百人の定員のうち二百名近くが留年することもございます。二年から三年になるときも、また二百名ぐらいが留年することがございます。しかしながら、中には、例えば国際体験がすごくあって、もう先生よりも上手にしゃべれるというような学生がどんどんいるわけで、英語単位なんかは、その場合にはもうさっと大学院に行ったらいいじゃないかということを思うわけであります。これは、大学を安易にということじゃなくて、いいものを伸ばすということ。日本大学はこれまで全部平均的なところにならしていくということですから、なかなか世界的な活躍ができるような人材が生まれない。いいものは大いに伸ばす、そういうことでありますので、私は、それは決して安易な道とは違って、そのことが逆に学生たちにもいい刺激を与えるのではないかと思います。  さて、そんなような状況を考えてみますと、今回の諸法案はぜひよろしくお願いいたします。これは、私からすれば、もっともっと改革していただきたいというところがたくさんあるのですけれども、一挙にそこまでにはいきませんからまた次のステップで、特にこんなに国際社会が動いておりますので、やはりそれに対応してさまざまな国内の法令も改革していくようにお願いしないと時代に取り残されると思います。  私は、中国のことを専門としておりますが、何となく国立大学中国国有企業みたいになっているではないかとつくづく思いますが、その中国でさえも改革をしようとしているわけでございまして、ここは国立大学はしっかり、私ども責任がございますので、やはり国民の負託にこたえるための改革を必死になって今やらなければいけない。  私は国大協の副会長も兼ねておりますけれども国大協全体もこの点については非常に改革方向に動いてきております。今回の法案につきまして、私ども十分慎重に審議もいたしました。その結果、国大協意向も入れていただきまして、この法案についてはぜひ先生方の御協力によって実現していただきたい。それによって二十一世紀大学が、我々の知的国際貢献が非常に意味のあるものになるようによろしくお願いしたいということを申し上げまして、参考人意見陳述にさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
  4. 小川元

    小川委員長 ありがとうございました。  次に、立川参考人お願いいたします。
  5. 立川涼

    立川参考人 高知大学立川でございます。  私は、今度の学校教育法改正趣旨というのは、今全国の各大学が取り組んでおります、大学改革の環境を整備する、そして、来るべき二十一世紀に通用する大学あり方を模索している、そういう全国大学創意工夫を発揮しやすいような条件をつくり上げることにあるというふうに考えております。そういう立場から若干の御意見を申し上げさせていただきます。  私、現在、高知大学学長をしておりますけれども大学教育改革組織改革研究活性化管理運営改革等を進めております。学内の教官に聞いてみますと、これまで十年間、随分大学は変わった、今後の十年間はさらに変わるだろうというのはみんなが口をそろえて言うことであります。大学が変わらなければいけないというのは、ほとんどみんなが考えていることと言ってもいいと思います。こうしたことを受けまして、私ども大学ではかなり大胆な教育改革に取り組んでまいりました。  日本大学も、エリートの大学から、マスあるいはユニバーサルアクセスというふうに、全員が大学に行くという時代に変わりつつあります。一部の者を受け入れて特殊な専門分野に対応する教育をすればよいというこれまでの大学教育像は、もはや通用しなくなっております。  それは、他方では出口、すなわち社会の側から人材要求変化が起きていることとも関係しております。創造性独創性と言われている人材養成内容は、個別に分かれた専門教育では対応できない論理を含んでおります。文系、理系と分けて教える教育あるいは早期専門分科では対応できません。また、徒弟制度のような個々の教員個別教育でも対応できない面がございます。情報化国際化に対応してすべての学生にコンピューターリテラシーや外国語会話能力を身につけさせる、知識をただ集積するためだけではなくて、さらにそれを構成し、自分意見や判断をつけ加えながら発信をする能力を身につけさせる必要がございます。  こうしたこれから望まれている教育改革を進めるためには、個別の学部学科の壁を低くして、幅広い学習を保障しながら、高度化あるいは実際化した教育を展開しなければなりません。学部教育修士課程博士課程教育のそれぞれに固有性とそれらの連続性を考慮しながらカリキュラムを設計し、また、学習に集中できる教育システムを設定、あるいは実習や実地研究など理論と実践の統一、双方向授業大学を超えた学習の場を設定するなど、まだ教育改革は始まったばかりでございます。学生評価教員の研修、教材や教授方法の開発など、課題は幾らでも挙げられます。  これまでの大学改革はブラックボックスでありまして、教育に熱心な先生とそうでもない先生との二極分化が激しいのです。授業の下手な先生とそうでない先生との落差も激しい。成績に厳しい先生授業は敬遠され、学生にとって単位の取得が確実に期待できる、いわゆる楽勝、楽に勝てる授業には学生が集中するということもございます。これは、一面では大学教員教育軽視あるいは授業軽視の風潮の反映にほかなりませんけれども、他面では、大学教育評価が非常に難しく、研究論文等業績評価が優先し、教育評価はともすれば軽視されがちであったということにも起因することでもあります。  これまで大学は、こうした問題点があっても、閉鎖的な小宇宙の中でだれかがカバーする、お互いに暗黙のうちにカバーし合うという関係がありました。ここには、一種の職人芸といいましょうか、ギルド的雰囲気の中でとにもかくにも学生教育は完結するという伝統がございました。  私どもは、日本大学教育の蓄積された長所を保持しながら教育活動の刷新を図らなければならないと思います。それは、教育のいわば個人主義から集団主義といいましょうか、個人の技術やノウハウ中心から組織集団ノウハウや取り組みのそれに転換しなければならないということであります。そのためには、教育課程編成教育組織の設計、入試方法など、大学全体で設計し取り組んでいく必要がございます。  今回の法改正におきましては、評議会権限事項の中に「大学教育課程編成に関する方針に係る事項」が挙げられておりますが、その趣旨は、今私が申し上げた趣旨とそう違わないのではないかと考えております。各大学は既にその方向に動きつつありまして、今後は、入試あり方学部間の学生移動、教養、専門教育有機的連携の一層の推進など、大学ごと創意工夫が進むものと考えております。  なお、いわゆる三年修了時の大学卒業制度につきましては、大学卒業要件をクリアすることが前提でありますから、まだまだ当分は例外的な扱いになるものというふうに考えております。  次に、日本大学管理制度、とりわけ国立大学のそれは、戦後改革の中で学問の自由を確立するために大学自主性自律性を保持するということを眼目としてまいりました。これは、学問研究活性化維持発展を保障し、学術が人類の福祉と生存に貢献することを旨とするものであり、今後とも守られるべきものと考えております。  ただ、私は、従来の大学自治慣行が、往々にして社会に対して閉鎖的になり、時として独善的であったり、非効率な運営とつながったことも事実であると思います。したがって、その慣行学問研究教育発展にとっていささかなりともその桎梏になるようであれば、それは、当然のことながら改善しなければなりません。いやしくも、大学にいる者の単なる防御の心理ではなくて、あるいは特権の保持に堕するようなことがないよう、進歩に対して開かれたものでなければならないと考えております。  実は、大学審議会議論と並行いたしまして、私ども大学でも管理運営について課題問題点を検討してまいりました。そこでは次のようなことが議論されました。  第一に、国立大学には大学全体としての発想が希薄であるということです。  国立大学個別学部事務局から成り立っていると言っても過言ではありません。国立大学のいわば人事、予算、施設は、法律に規定されている事柄に加え、設置者である文部省裁量決定にもかかわっております。したがって、これまで大学は、個別学部がそれに対応する文部省担当部局へ説明と要求を行うということで運営されてきました。したがって、大学総体という形式はあっても、実質は個別学部集合体でありまして、それが大学自治の一側面をなしていたと言ってもいいかと思います。  当然のことながら、その結果として第二には、個別学部利益合成としての全学という発想であり、学部レベルでは個別学科利益合成学部のそれになるということになります。望ましいことではありませんけれども、一学部でも反対すれば全学合意は成り立たないということは、多くの大学で見られたというのも事実でございます。  このように、大学自治個別学部自治でありまして、これは、対文部省という関係大学が自足的に存立できた間は通用したものでした。教員学生帰属意識も、学部学科あるいは教室が中心にありました。しかしながら、以下のような理由で、こうした現状ではこれからは対応できない事態になっていると思います。  第一に、文部省大学学部という軸以外に社会という軸、つまり、社会に開かれた大学という要請が登場してまいりました。今や大学責任の対象は国ではなくて、あるいは、国とともに世界国民、地域、学生になってきたというのは確かです。こうした発想をどのように制度化していくかが管理運営一つの柱となると考えております。  第二は、学生変化であります。  キャンパスライフという発想はこれまで重視されてきませんでしたが、かつての大学研究をするところで、それ以外の機能はそぎ落としてよかったのです。しかし戦後の大学は、大学自体にさまざまな機能を追加してまいりました。学生も勉強だけでは学生生活を維持できなくなりました。従来型の教育論では立ち行かないわけです。学生大学キャンパスの内と外で生活し、大学に新しいサービスを求めております。それがまた大学評価を左右する時代にもなっているわけです。  第三には、大学のみが知的資源を占有する時代ではなくなりました。  それは、教育研究の両面で言えます。企業や公共機関の研究機関もすぐれた研究業績を上げております。これからは、大学はこうした研究機関や団体との協力、共同なしには発展できません。また、教育の面でも同様であります。生涯学習体系の中に高等教育機関をいかに組み込むかが現下の教育政策の焦眉の課題となっているかと思います。  こうなりますと、学部を超えた大学全体としてのまとまりや計画執行が課題となってまいります。  今回の法改正では、評議会教授会の機能分担を明らかにし、評議会は一般的に言えば大学全体にかかわる事項教授会学部にかかわる事項というように整理されておりまして、これはある意味では当然の判断かと存じます。  以下、若干細かいところに入ってみたいわけですけれども一つは、評議会の構成です。  改正案の中では、評議会の構成については、部局長のほか、評議員は各大学の裁量事項となっております。学部大学院の数や規模において、多数な大学にあっては、その構成や実際の運用において各大学のそれぞれの伝統が生かせるようになっているかと思います。  二つ目は、学長等の指導性の問題です。学長学部長等の指導性やその補佐体制の確立も重要な課題です。これは、大学総体の自律的運営を担保するものと考えます。私は、大学自治の担い手は、広義には大学共同体の構成員すべてにあると思いますが、管理運営の最終的な責任は、大学にあっては学長学部にあっては学部長と考えておりまして、これは今までの大学慣行でもあります。  三つ目は、運営諮問会議でありますけれども、こういう形で大学社会に開かれていくことは大変大事だと思います。  四つ目は、大学評価についてでありますけれども、設置が予定されている第三者評価機関、これはあくまでも大学創意工夫、新しい大学づくりへの主体的な努力をサポートする、そういう形で自己評価能力を高める機関にならなければならないと考えております。もしも大学評価高等教育への公共支出削減の手段とするのであれば、それは本末転倒であると言わなければなりません。高等教育への資源投入の増加が効果的な大学評価と組み合わされて初めて日本高等教育は飛躍をもたらすというふうに考えております。  大学がこれから二十一世紀で果たすべき役割は、二十世紀大学が果たしてきた役割をはるかに超える、質的にも変わってくると思います。そのための変革の芽を大事に育て、二十一世紀社会日本大学を継承していくことが私たちの使命であります。  今回の法改正がそういった契機になることを期待して、私の発言を終わります。どうもありがとうございました。(拍手)
  6. 小川元

    小川委員長 ありがとうございました。  次に、梶田参考人お願いいたします。
  7. 梶田叡一

    梶田参考人 失礼いたします。  私は、長い間大阪大学におりまして、大阪大学というのは国立大学では珍しく非常に進取の気性に富んだ、珍しくと言ったら国立大学関係者にしかられるかもしれませんが、社会的ニーズにこたえていろいろなことを改革しようとしてきた大学です。そこで一人の大学人としていろいろと勉強させていただきました。  その後、京都大学に移りまして、これは極めて色濃く伝統的なものを大事にしているといいますか温存しているといいますか、そういうところでありまして、また別な意味大学ということについていろいろと勉強させてもらいました。  また、去年から京都ノートルダム女子大学というところに移りまして、四十年の歴史を持つお嬢さん大学です。お嬢さん大学という言葉を嫌う人もおりますが、そこへ実は私は学長として行きましたけれども、私より年長の人の方がはるかに多い。そういうところで、二十一世紀のお嬢さん大学というのはどういうものかということをずっと議論しております。  二十一世紀のお嬢さん大学とは、お嬢さんというのは何か。基本的には、社会的に自立して、生活的に自立して、精神的に自立していないといけない。昔のお嬢さんというのは依存的なんですね、どうしても。かわいがられればいいという。そうじゃなくて、いろいろな意味で自立していなきゃいけない。しかも、日本社会にはまだ男女差別が残っております。それに対して、上品、優雅に闘える人。ここが大事なんですよ、上品、優雅に闘える人。根っこに何か大事な自分なりの原理原則を持ち、精神的に自立し、自分自分の人生をつくっていける、そういう女子教育をやろうという議論をずっとしております。  そういう中で、大学あり方ということをいろいろと論議するチャンスがこれまで長くあったわけですけれども、今回の法律改正案、そういう面から見ますと、私は非常に重要な一歩だろうと高く評価しております。ただし、先ほどからお二人の参考人先生もおっしゃっておりますが、これでいいとは思いません。まだまだインプロセスだというふうに思っております。  では、どういう方向に向かってのインプロセスか、三つあると思っております。  それは、御承知のように、まず、大学というものが、名前は同じでも三十年前、四十年前の大学と同じじゃないんですね。ところが、関係者の意識の中では、大学大学だと思っているんですよ。大学教授はひょっとして学者じゃないかなんて思っているでしょう。それは学者もおります、時には。  ですけれども、例えば一九五〇年代の前半、一万人ちょっとの大学専門教員が今十五万人ぐらいおるんです。石を投げれば大学教授に当たるぐらいです。それは悪いんじゃないんですよ、そういう時代なんです。その当時、一九五〇年代の初めにほんの数%だった大学進学率が、今や五〇%に近づいているわけです。だれでもかれでも行くんです。  いろいろなところで学生が犯罪を起こします。京都大学でも大学院生が、またけさの新聞にも載っておりましたけれども、新聞種になるようなことで犯罪を起こしております。京都大学でも、芥川賞をもらう学生もおれば犯罪を起こす学生もおる、それはしようがないです、半分行くんですから。時代は変わっているわけですね。そして、社会的ニーズも変わっております。  昔の大学というのは、学のうんのうをきわめて、象牙の塔で、ともかくようわからぬけれども、世の中の人には難しいことやっている、これでよかったわけです。しかし、今や研究者になるのは学部学生の〇・二%です、全部でいいますと。九九・何%が世の中に出ていくんです。それも普通の仕事につくんです。エリートじゃないんです。例えば東大出ようが京大出ようが、必ずしもそのままでエリートとして遇されるわけはないんです。それは、実力があり、実績を上げればそうなりますけれどもね。そうでなければそういうわけにいきません。つまり、四、五十年の間に、大学という名前は同じなんですけれども、世の中のイメージあるいは期待、あるいは実際の学生の中身ですね、学生そのもの、大学先生の中身そのもの、みんな変わっているんです。  それを前提に考えますと、私は、三つ、これから大きく大学というもののあり方を変えていかなきゃいけない、あるいは変わっていかなきゃいけない面があると思っております。  一つは何か。組織としての自立性をもっと高めなきゃいけない。例えば、一九五〇年代前半には短大を合わせて大学は二百五十ぐらいしかなかったのです。今や千百何十あります。もちろん戦前だったらごくわずかですね。そういうところは官主導で、いわばあるモデルをつくってこれでいけということでやれたかもしれませんけれども、これだけ社会的ニーズが多様化し、しかも、規模から中でのカリキュラムから多様化していっている、そしてこれからもっともっと多様化しなきゃいけない、そういうところでは、一つ一つ大学、短大がもっともっと自立した組織にならなきゃいけない。  ですから、例えば学部長の権限をというようなことが言われておる。これは極めて大事なことですね、話し合っていれば民主主義というわけにいきませんから。デシジョンのルールをはっきりさせなきゃいけないわけです。だれかがやはり提案もしなきゃいけない、だれかがいつも目を配っていて引っ張ってもいかなきゃいけないということがあります。学長とか学部長の指導性ということを言うと、すぐ国のなんというようなことを言いますが、そういうことじゃないんですね。  組織そのものとしての、例えば千百何十ある大学、短大それぞれが自立した組織としてやっていくためには、リーダーシップが確立されなきゃいけない。今までみたいに、さっきもありました、六時間教授会で話し合ってもなかなか決まらないというようなことで本当にやっていけるかどうか。そういうところでは結局もっと大きな国なりなんなりの御指導を仰いでその方向でいってしまわざるを得ないんです。一つ一つ組織がきちっとした、自立した形で動くような、そういう条件を法律あるいはそのほかの形で準備していかなきゃいけない。そういう面で、今回の法律案は第一歩だと思っております、十分だと思いませんけれども。もっともっとこの点で大学や短大が組織として自立して動けるようにいろいろと御検討いただきたいと思います。  二番目に、そういう自立して動くというのはなぜかといいますと、現代的ないろいろなニーズ、現代的ないろいろな与件、条件、これを反映できるということがそこで大きな意味を持ってくると思います。  例えば、大学は象牙の塔で、大学の中の人たちだけで運営するのは当たり前と言われておりました。それは、山の奥に大学でもつくって、象牙の塔で、世の中にわからないようなことをごく一部の人でやっているときはそれでよかったでしょうけれども、世の中に開かれて、基本的には九九%世の中で働く人を送り出すわけです。そういうときには、大学のカリキュラムにも運営の仕方にも世の中のニーズというものを敏感に反映して、そういうものに基づいてやられなければいけないということがあります。運営諮問会議でしょうか、これは、そういう意味では非常に大事な組織であろうと思います。中だけの人ではなかなか出てきません。  語弊があるかもしれませんが、例えば京都大学でいろいろな論議をいたしますと、京都大学学生というのはそれほど変わっていない、京都大学先生も変わっていない、別に大学そのものを変える必要ないじゃないかということをよく偉い先生方はおっしゃいます。しかし、変わっているんですよね。  例えば、私は京都大学学生だったのですけれども、一九六〇年安保のときに入ったわけですが、このころの京都大学学生のみんなが読んでいた雑誌というのは、朝日ジャーナルか世界ですね。ほとんどが読んでいました。私は、三年前に京都大学の四年次の学生全員に調査をいたしました。今京都大学学生が読んでいる雑誌というのは、断トツ、三つあります。ジャンプ、スピリッツ、マガジンですね。かたいのは一つもありません。これは嘆くべきことじゃない。つまり、それだけ世の中が変わったわけです。  そうすると、世の中が変わっている、そういうニーズに合っていくということが、大学人だけで本当にそれをキャッチしてやっていけるか、私は、はっきり言いまして無理だろうと思っております。よそからいろいろな風が入らなければいけない。今でも、例えば新構想大学においては参与会というのを置かれて、参与というのがありまして、私も兵庫教育大学の参与をしております。地元の財界人も入っておられますし、地元の町長さんも入っておられるし、東京からも偉い方が何人か入っておられます。これは非常にいいですね。  兵庫教育大という小さな教員養成の単科大学ですけれども、例えば中で御議論になったことを、そういう参与会という形で全く違う発想の場にも置くわけですよ。すると、全く違う発想意見が出ます。もちろん、それをまたどういうふうに生かしていくかというのは、大学当局で、あるいは教授会で論議されるわけですけれども、しかし、違う発想、これでいいだろうと思ったものが必ずしも、それじゃあという、これがフィードバックされること自体が意味を持ってくると思います。したがって、運営諮問会議、こういうものを置かれることは、社会に開かれていく上で極めて重要なことだろうと思っております。  それから第三点、結局、そういうことを通じてこれからそれぞれの大学、短大が多様なあり方を追求しなければいけない。みんなミニ東大やミニ京大になったってしようがないんです。どういう人材を養成するか、どういう形で養成するか、そのための組織をどうするか等々、できるだけ各大学、短大が自立的に、自主的に考えてやっていけるようにならなければいけない。そして、そういう多様性が実現しなければいけない。ただし、そのために必要なのは結果責任です。多様であればいいというものではないですからね。変わったことをやるというのは、今はやりです。新聞やテレビに取り上げてもらえば志願者はふえますから、変わったことをやる。それは結構でしょうけれども、それが教育ということからいってやはり意味のあるものなのか、意義のあるものなのかということを問わなければいけない。  そういうことで、今回、教育研究等の状況の公表、今までも自己評価、自己点検、この結果を公表することとされておりました。これがやはり入っているというのは、方向としては大事だと思っております。これだけで十分だとは全然思いません。いろいろな形で結果責任を問うていく。しかも、その場合に、個々の大学、短大の多様性を助長するという形での結果責任ですね、同じ基準でみんな切られたらこれは大変な話ですから。しかし、くどいようですけれども、結果責任を問うようなことがなければいけない。  ということで、私は今三つの方向を申し上げました。一つ一つ高等教育機関が組織としての自立性を高める。そして、現代的な諸ニーズ、これは、学生あり方先生方の意識、あるいは、世の中に出ていく卒業生を受け入れる企業や役所等々のそういう要求あるいは期待、あるいは親御さんたちの期待等々、そういう現代的諸ニーズにこたえられるということ。第三に、多様性を実現する、もっともっと大胆な多様性を実現すること。しかし、その裏腹に、多様性を実現するということは結果責任を問うということがあります。  こういう三つの方向について、ぜひこれからも御審議いただき、いろいろと具体的な、そういう方向をサポートするような手を打ってほしいと思っておりますが、今回の法律案というものは、そういう方向に向かっての一つのステップではないかということで、私は高く評価するものであります。  十分ではありませんけれども……。(拍手)
  8. 小川元

    小川委員長 ありがとうございました。  次に、浜林参考人お願いいたします。
  9. 浜林正夫

    浜林参考人 浜林です。  今まで全部学長さんがお話しになりましたけれども、私は、平教員立場から申し上げたいと思います。  一昨日、この委員会審議も傍聴させていただきました。それについての感想も含めて意見を申したいのですが、時間が十五分しかありませんので十分にお話しすることができないかと思いまして、あらかじめ要旨をお配りしてございます。申し足りない点は、それに基づいて御質問いただければ補足をしたいと思います。  まず、今までの先生方もおっしゃいましたけれども大学が今どうなっているのかということをやはり御認識をいただきたい、その上に立っての改革でなければいけないというふうに思います。  私も五十年大学の教師をやってまいりましたけれども、今大学は大変な混乱状態にある、率直に言って私はそういうふうに思います。最近十年ほどの間、特に大学設置基準の大綱化ということが行われましてからさまざまな改革が行われています。一々は申し上げません。大学答申の附属資料についておりますのでごらんをいただければと思いますが、シラバスを作成するとかセメスター制だとか自己評価だとかカリキュラム改革だとかということで、それに追い回されているというのが率直なところです。  私は、レジュメでは「改革疲れ」というふうに書きましたけれども改革というのは本来、研究教育を充実するためのものでなければならないと思うのですが、何のためにこの改革をやるのか、どこに問題があって何を直そうとしているのかということが必ずしも明確でないままに、とにかくセメスター制を、セメスター制というのは、一年単位ではなしに、半年単位単位を出していくというシステムですが、それをやれということで一斉にそれに切りかえますと、前半と後半をどう組み合わせるのだとか大変なことで、その議論で二年、三年はかかってしまうということになってしまいます。それでどれだけ効果が出ているのかというと、率直に言って余り効果は上がっていないというふうに私は考えます。  それから、学生の学力の問題ですが、これはもう話をすれば長くなってしまうのですけれども、今お話もございましたけれども学生の学力の低下というのは、これはちょっと想像を絶するものがございまして、一々それも申し上げかねますけれども、例えば補習をやっている大学がかなりございます。ところが、その補習を担当するのに、大学先生は担当できないのですね。学生のレベルが余りにも低いものですから、元中学校の先生を非常勤で頼んできて補習をやってもらっているということがございます。しかも、その補習と大学の正規の授業とを学生は同時に受けていますので、正規の授業の方は全然わからないまま進んでいく、こういう、奇妙なといいますか、矛盾した現象が進んでいる。それのもとは、これは責任を転嫁するようですけれども大学ではございませんで、むしろ高校以下の教育がやはり正常ではないというふうに私は思っております。  この間も、ある知り合いの子供を預けられまして、英語成績が悪いのでちょっと面倒を見てくれと言われて、教科書を全部持ってこいと言って見たのですが、これもまあはっきり申し上げて、この教科書では英語の力はつかないというふうに私は思いました。塾へ行くと、教科書を無視して教えますので、そこで力がつく、こういう現象が起こっている。これは英語の話ですが、数学についても多分同じことだというふうに聞いております。  それから、大学院重点化ですが、これは結構なことではあるんですけれども重点化をやった大学に聞きますと、予算がふえた、しかし人間がふえないで大学院生がふえたというふうに言っていまして、予算もふえたけれども負担もふえたということであります。  例えば京都大学経済学部、よその大学の話で恐縮ですけれども、マスターが十五名ほどの定員であったものが八十四名になった。教官の方はさっぱりふえていないという。したがって、大学院生というのは手がかかるのでありますが、なかなか十分な指導ができない、そういう悩みを抱えているようでありまして、京都大学ではありませんけれども、別な大学ですが、大学院生は大学に行っても座るいすもない、研究する机もないというような状況が生まれてきてしまっています。  私はレジュメに書きましたけれども大学審議会が発足するときに、当時の塩川文部大臣の諮問では、我が国大学院は質、量ともに水準が低いので、その向上に努めてくれ、こういう諮問でございましたが、量は確かにふえましたけれども、質的には、私は理科系のことはよくわかりませんが、文科系について言えばむしろ下がっているのではないかというふうに思っております。  大学関係法案について一々細かくは申し上げられませんが、そこにございますように、一つは、三年で卒業できるようにするということについて、私は反対であります。それは、理由は大きく言えば二つございます。  一つは、俗に新幹線コースと言いますが、現在、高校の二年を終えたところで大学へ入るというコースがございますし、大学を三年で出られる、さらに大学院も、マスター一年、ドクター二年で卒業することが可能だということになりますと、全部合わせますと四年ぐらい。それはちょっと極端なケースかもしれませんけれども、そういう形で高等教育を終わっていくと、これは特別の秀才は別としまして、非常に偏ったエキスパートといいますか、知識、もっとはっきり言えば頭でっかちのようなそういう学生がつくられていくのではないかというふうに思います。  それと、これは特別の例外措置というふうに言われておりますけれども、三年で卒業できますということを売り物にする私立大学が出てくるのではないかといううわさが専らございまして、私立大学の中には手ぐすね引いて待っているという話も聞こえてまいります。  そういう点で、戦前は高等教育というのは六年あったのです。旧制高校三年、旧制大学三年。それが現在の大学は、四年になりますともう就職でひっかき回されまして、実質三年しかない。昔に比べれば半分だというふうに私は思いますので、私はむしろ大学は五年ぐらいあってもいいのではないかというふうに考えております。  それから、国立学校設置法の問題でありますが、運営諮問会議について、今御賛成の御意見がございましたけれども、私はやはり反対でありまして、そういう常設の機関を置いて、しかもメンバーが特定をされてくるということになりますと、大学に対する意見が必ずしも社会全体の意見を反映することにはならないだろうというふうに思っています。  私は、もしこういうものをつくるのであれば、労働組合の代表を入れるとか、あるいはいわゆる社会的弱者の代表を入れるとか、あるいは学生を入れるとかというふうな、それこそ幅の広いシステムというものを考えませんと、大学に対する希望が偏った希望になってしまうのではないかというふうに思います。  それから、評議会の構成が変わりました点については、これまで各学部から学部長のほかに二名という評議員が出ておりましたが、それが改められました。学長評議会の議に基づいて指名する教員というのを加えることになりまして、これがどういうことになりますかわかりませんけれども学部意見が必ずしも反映されにくくなるのではないかという点を心配しております。  もっと大きな点は、国立学校設置法の中に教授会についての規定が細かく入ることになりましたけれども学校教育法に既に教授会についての規定があるわけでありまして、その規定でずっとやってまいりました。私はそれで十分だというふうに思います。特に、これからも私立大学や公立大学学校教育法の規定でやってまいりますので、国立大学教授会だけがなぜこういうふうに細かい規定を設けなければいけないのかという点については、私は理解しかねるところであります。  それから、国立学校設置法の第七条の七に、大学は一体的な運営を図るべきだ、こういう条文が新しくつきましたけれども、これはいわば精神的な規定でありまして、こういうものを法律上明記する必要はないと思います。  それから、教育公務員特例法の一部改正は、これは現在あります読みかえ規定を本文に移しただけのことでありますから、そういう意味では条文整理ですけれども、しかし一つは、学長の選考を評議会が行うということになりました。評議会は、先ほど申しましたように、学長の指名する教員を入れることができます。そうしますと、学長は、学長が指名した教員を含む評議会によって選考されるということになりますと、これはお手盛りの選考になるのではないかという点。  それからもう一つは、教員の不利益処分を評議会が行う、これは現行法も読みかえ規定でそうなってはいるんですが、大学慣行としては、どこの大学においても教員の採用は教授会、その採用したところが不利益処分も行うというのが私は筋道も通っていますし、慣行もそういうふうになっていると思います。  私は、一橋大学へ参ります前に東京教育大学というところに、現在の筑波大学の前身でありますが、おりましたが、そのときに、評議会から家永三郎教授ほか二名に対する辞職勧告というものが出ました。私は文学部におりましたけれども、文学部教授会は、教授会が発議をしない限り辞職はできない、させられないんだということで頑張りまして、評議会もそのことを認めて、結局辞職勧告は実行をされませんでした。  ほかにもいろいろなケースがございますけれども、それが現在までの慣行で、それをこういう形で改めていくということになると、これは大きな問題が生ずると思います。  まとめ的にでありますが、大学審議会の中間まとめが昨年の六月に出ておりますけれども、それに対して八月に国立大学協会が意見を述べていますが、その中に、「組織運営改革については、すべての面で画一的な制度とするような形ではなく、特に学問の自由とそれぞれの大学の持つ特徴を尊重しながら、」ちょっと途中飛ばしますが、「多様な取組を行いうるような改革提言が行われることを強く要望する。」という文章がございまして、国立大学協会もこういった画一的な組織運営の改善には賛成ではないだろうというふうに私は思っています。  大学教育があるいは研究が現在必ずしも十分ではないというのは私どもも認めておるところですけれども、それを改善していくに当たっては、一つは、国立大学については私は特に申し上げたいのですが、定員削減というものが大きく響いておりまして、なかなか手が回らない。先ほど京都大学のことを申しましたけれども大学院重点化を行うと多少定員増があるんですけれども、ほかのところで削られてつじつま合わせをやっておりますので、助手とか職員がしわ寄せを受けるわけでありますが、この定員削減をやめていただきたい。やはり十分なスタッフを保障してもらいたいというのが大学側の率直な希望だろうというふうに思います。  それから予算の面では、これは一昨日の審議でも出まして、文部大臣からも努力をするという御答弁がございましたけれども、科学研究費や重点的な配分ではなくて、積算校費と言っておりますけれども大学一律に認められるような基準的経費の増額を図っていただきたいというふうにお願いをしておきたいと思います。  先進諸国中で日本は、高等教育に対する公的予算の支出がGDPに対する比率にして約半分というのは御承知のとおりであります。これを先進諸国並みにいたしますのには、二兆五千億ぐらいをふやすということで間に合うと思います。私はレジュメに「わずか二・五兆円」と書きましたけれども、その程度のお金、教育に対する投資は、これは国の将来のためには一番大事な投資だというふうに思います。  アメリカではクリントン大統領が、十八歳以上の青年にはすべて高等教育を受けさせるということで、そのために教員の十万人増を要求する、そういう時期に、日本のこの改革はそれに逆行するものではないかというふうに私は考えております。  以上で終わります。
  10. 小川元

    小川委員長 ありがとうございました。  以上で参考人方々からの御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  11. 小川元

    小川委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小杉隆君。
  12. 小杉隆

    ○小杉委員 きょうは、四人の参考人の皆さん、御苦労さまです。それぞれ傾聴に値する御意見を拝聴いたしまして、大変参考になりました。  時間の制約がありますから簡潔に申し上げますが、私、大臣在任中に、教育改革を国の重要な改革一つに加えてほしい、こういう要請をいたしまして、五大改革の中にさらに加えて六大改革となって、今教育改革が進行中であります。  中でも、私は、大学改革というのは今後二十一世紀日本を考える場合に、本当に最も重要と言ってもいい改革ではないかと思っております。ところが、最近の大学、いろいろ世間で聞く声は、社会変化に柔軟に、機動的に対応できていないのではないか、あるいは責任の所在があいまいではないか、こういうことは今まで各先生のお話の中にも出てきているわけであります。  この法案は、各先生から御指摘のとおり、改革の第一歩である、プロセスの最初の部分であるという受けとめ方で我々も対処しておりますが、これはあくまでも大学運営改革というものをねらいとしているわけでございます。  そこでまず第一に、中嶋参考人に伺いたいのですが、オープンな大学運営、こういう観点からの質問なんです。  私は、大臣在任中から、教育改革の基本的なキーワードとしてオープンということを掲げました。これは国際的にも国内の各分野に対しても、もっと開かれた大学でなきゃいかぬ、こういうことを主張してまいりました。先ほど中嶋参考人の、外語大学では学外のいろいろな先生方に入っていただいているというお話を非常に傾聴したのですけれども、今回の改正案では、大学運営諮問会議とかあるいは情報の公表、こういうことをうたっているわけですけれども、この措置がこれからの大学運営にどんな効果を発揮するのか、外語大における経験も踏まえてひとつ教えていただきたいと思います。  一部に、この運営諮問会議大学自治を侵すのではないかという声も聞きますけれども、私は、外国などは学外の人が大学運営に参加するというのはむしろ常識であって、日本大学ほど閉鎖的というか、そういう傾向があると思うのですけれども、その点に関してもまずお伺いしたいと思います。
  13. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 ありがとうございます。お答え申し上げます。  今、小杉委員の御指摘、大変重要な点でございます。大学の現場にいる者からいたしますと、特に国立大学はやはりもっともっとオープンにならなければいけない。そのオープンというのは、単に大学でいろいろの文書を公表するということだけではなくて、実際に社会の風が大学の中にまで入ってくる、そしてまた大学の中にいる者が社会に発信していくという相互交流がないと、これからの日本大学は枯渇していくだけではないかと思います。  そのためには、いろいろの情報公開というような措置も今進んでおりまして、入学試験とかプライバシーに関する問題については十分配慮しなければいけない問題がございますけれども、恐らく私は、率直に申し上げますと、大学教授会の姿がもっとそのままテレビでも新聞でも公表されたら、皆さん驚かれるぐらい、非効率的、非生産的な、大学の中でしか通用しない議論大学の中でしかのそういう言葉でもって行われているのが現状でございまして、これは日本高等教育活性化のために非常に大きなマイナスだと思っております。  それから、先ほど御紹介させていただきましたように、私ども大学では、御指摘の運営諮問会議というものを法案に先駆けて実施しているわけでございますが、その人選は学長が行います。そして学長が行うに際しては、いろいろな意見学内で聞いた上で、最終的に評議会にもかけております。したがって、マイナスになるどころか、そのことが、私どもにとって有益な意見として、大学運営上も、教育研究の向上のためにも非常に役に立っているということを申し上げます。  現在の時代というのは、国家権力の介入であるとか大学自治への侵害ということを言う意見もあろうかと思いますけれども、今はもうファシズムの時代ではございませんで、いわば大学における民主主義の行き過ぎというか、平等原理というものがむしろ逆に大学における競争原理あるいは個人同士の競争、大学におけるそういう競争原理を阻害しておりまして、一たび大学教員になると、言ってみれば何でも国にツケを回して自由にできるという点もなきにしもあらずでございまして、その点からも、それらの心配は全くないと思います。  それから第三点として、外国の例を御質問でございますが、カリフォルニア大学、あそこは州立大学でございます。そして、キャンパスが九つに分かれておりますけれども、それぞれの大学が非常に大きな規模を持っておりますが、地元のローカルの人たちが大学にお金を投資して、その方々大学運営にどんどん参与しているというのが現実でございます。  ドイツでも、今週の会議で聞いてまいりましたけれども、その点が非常にフレキシブルでありまして、その点でも、日本大学は、大学というものを何か社会から別の世界にそこだけ余りにも隔離しているというか、それが現状でございます。確かに、これまで大学というのはそういう中で大きな役割を果たしてきたと思いますけれども、これまでの参考人意見陳述にもありましたように、今やそういう時代ではない、かように考えている次第でございます。     〔委員長退席、栗本委員長代理着席〕
  14. 小杉隆

    ○小杉委員 次に、立川参考人に伺いますが、国立大学責任ある運営という点に関してでございます。  よく聞かれる批判は、私立大学に比べて国立大学というのは機動性とか効率性にちょっと欠けるんじゃないか。一言で言うとコスト感覚、今もちょっとお話がありましたけれども国立大学にいるとどうもそういう意識が薄くなるんじゃないか、こういう批判がありまして、だからもう国立大学はすべて民営化してしまえ、あるいは独立行政法人にすればよくなるんじゃないかという声も国会の中では相当出ています。  そういうことに対して、私は、今までの大学運営あり方というのは、非常にむだな部分、無責任な部分が多々あったと思うのですね。  そういう点に関して、今度の改正によって、全学評議会全学教授会役割分担が明確になって、もう少し国立大学運営が改善されるのではないかと期待しているのですが、率直に、どのような効果が期待できるか。先ほど、教授会に六時間かかるというようなお話も聞きましたが、本来の議論ではなくて、非常に末梢的な議論に非常なむだな時間を使っているというようなことも改善されるのかどうか、その辺、ひとつ現職の学長である参考人に伺いたいと思います。
  15. 立川涼

    立川参考人 率直に申し上げまして、大学意思決定は大変時間がかかる、そのとおりでございます。ある方は、やや極端な表現ですけれども大学では同じ事柄を構成員全員が三度議論するのだと。結果として、なかなか適時に重要な決定ができなかった、おくれてきたという現実はあると思います。  従来はそれでもそれなりに大学は動いたのですけれども、こういうふうに非常にテンポが速く社会が動いていく、それに的確に大学が対応していくためには、やはり制度的な仕組みをいじる必要があるかと思います。そういう意味で、今度の法改正は、いろいろな形でそういう議論が効率的に集約できるようになっているという意味で、僕は大変大きな前進だと思っております。  ただ、大学というのは、普通の官庁や民間と違いまして、上から下に命令をおろしながらというふうな組織ではないわけですね。ある意味で、一人一人が個性的であることがむしろ大事な組織であります。したがって、決定もさることながら、手続にはそれなりのある種の学内民主主義をやっておきませんと、決めたものが実際には働かない、動かないということがあるのですね。ですから、もともと大学というのは効率だけで律するわけにはいかない、若干手間暇がかかるということはやはりお許しいただきたいと思います。  それから、大学に対する御批判、いろいろあるわけですけれども、やや日本人は自虐趣味がありまして、このところ、大学はどうもひどいということが、何となく雰囲気として随分出てまいります。  しかし一方で、公正に見たときに、大学あるいは国立大学が大変大きな役割を果たしてきたという事実は、やはり我々は承知しておかなければ公平ではないと思います。例えば、コストパフォーマンスで申し上げますと、理科系の研究ですと、正確な数字ではありませんけれども、多分、民間や官庁の研究所に比べれば一けた少ない研究費で論文が一つ出ているというふうに言ってもいいと思います。極めて効率のいい仕事をしてきたと思うのですね。そういう事実はやはり無視はできないと思います。  ただ、そのことは、私どもがいろいろな意味で問題をたくさん抱えている、特に、過去の問題もさることながら、新しい時代に対応するためには現状のままではいけないのは当然でありまして、さまざまな形で将来を展望した模索が要るというのは御指摘のとおりだと思います。
  16. 小杉隆

    ○小杉委員 いろいろまだ意見はありますけれども大学自主性、民主性というのは必要ですが、今まで、過度にその自主性を尊重する余り、ボトムアップはいいのですけれども、やはりリーダーシップという面では非常に欠けていたと思うので、その点は、この法案改正を契機にひとつ直していきたいなと思っているところでございます。  それで、三番目に梶田参考人に伺いたいのですが、大学教育の充実という観点からの質問でございます。  大学レジャーランド論なんというのが相当長く言われてきているわけですけれども、先ほど来のお話によりますと、学生の学力の低下というのは本当に深刻だというような話を聞いております。大学現状を改善し、教育内容を充実していくためには、各大学が相当の意識改革をして、大学を挙げて教育の改善に取り組んでいかなければいけないと思うのですけれども、今度の、こうした学長中心とした責任ある大学運営の体制をつくった中で、この法案教育の充実という方向に非常に寄与すると思うのですが、これからの大学教育の充実についてどうお考えでしょうか。  私、友人の大学教授に聞くと、今までの大学の、特に東京大学教授の選考基準というのは、先ほどもお話がありましたように、論文の数とか博士号とか、そういうものを基準にして選ぶと。ですから、研究という面ではすぐれた人を採用するのですけれども、実際にこれだけ大学が大衆化した中で、教育という面、必ずしも研究にすぐれた学者が教育がうまいわけではないので、大学の機能としてはやはり研究という分野教育という分野とあるのですけれども、その教育という分野が少しおろそかにされてきたのではないか。今度、学長さんが、この人は学位論文は少ないけれども学生を教えるのにはすぐれた才能を持っている、こういう人をどんどん採用すればもう少し教育分野の充実が図れるのではないかと思うのですが、そういう点についての御感想をお述べいただきたいと思います。
  17. 梶田叡一

    梶田参考人 今御指摘の点は非常に重要な点だと思っております。このことはアメリカでも一時期非常に言われまして、いわゆるアメリカの有名大学、例えばスタンフォード大学なんかを中心として、研究業績だけでなくて教育業績をいわば勘案した採用とか昇進をやるというふうになっております。多くの大学でそういうふうになっております。ハーバード大学でもそうです。  ただし、これは非常に難しいですね、教育業績というのは。ポートフォリオというふうに言っておりますが、例えば学生から講義や演習のアンケートをとりまして、よくわかるとかわからないとか、おもしろいとかおもしろくないとか、こういうものも参考になりますし、あるいは、その人のゼミを出ると就職がいいとか、あるいは評判がいいとか、そういうこともありますし等々、いろいろな諸要素を全部数値化して、一元的にはできませんけれども、ファイルをしたものを人事選考の時に提出して、論文の数だけでなくて、むしろそちらを重視して選考するようになったというふうに伺っております。これは我が国でもやっていかなければいけないと思います。  ただし、やはり高等教育機関ですから、だからといって研究業績はどうでもいいというわけにいかなくて、研究業績はミニマムエッセンシャルズがあって、いわば最低条件を満たしていて、つまり高度なことがわからないで教育だけ上手というわけにもいきませんので、その上に、しかし幾ら論文がたくさんあっても、学生の前に出ると物が言えないとか、そういう人はやはり初めから普通の学部教官、教員としてはまずい、研究者だったらいいけれども、こういうふうにしなければいけないだろうと思っております。  この場でちょっと適切かどうかわかりませんが、私、京都大学におるときに、そういう事例が幾つかありまして、今、学生のノイローゼということが言われますけれども大学教官の方のノイローゼも随分ありまして、学生とうまく接することができなくてと言う方々を、私は、高等教育教授システム開発センターといいまして、全体の教育あり方を改善、改革するためのセンターに京都大学にいたときおったものですから、いろいろとサポートするということもやりました。  したがって、研究業績だけで選んできた今の日本大学教官の採用、昇進が、現在学生が多様になっていますから、もう完全に行き詰まっているということは御指摘のとおりだと思います。ですから、そこに別の要素を入れていかなければいけない。この法案にありますように、学部長とか学長がひとつ提案をするとか、助言をするとかという機能は非常に重要だろうというふうに思います。     〔栗本委員長代理退席、委員長着席〕  もう一つ忘れてはいけないのはFDという活動ですね。実は、立川学長高知大学なんかは非常に熱心にやっておられるのですけれども、FD、大学先生方の意識を教育の方に向けてもらうための研修会ですね。大学先生は研修会と言うと嫌がりますのでFDと言うのです。フロッピーディスクではありません、ファカルティーディベロプメントと言うのですけれども。これを、今私立の方がよくやっておりますが、一部、国立も一生懸命やっておられる。今申し上げた高知大学もそうですし、あるいは信州大学等々、よくやっておられます。  私がおりました京都大学も三年前から、一泊二日で全学二百人の教授、助教授を集めてやるというふうになりました。ただし、皆さん、なぜこんなことをやらなきゃいけないのかという文句が非常に多いんですけれどもね。これは京都大学の当時の井村総長が非常に強いリーダーシップを発揮されまして、そしてやれました。  今御指摘のように、研究も大事だけれども、これをおろそかにはできませんが、しかし、やはり大学というのは教育機関なんだ、学生に力をつけなきゃいけないんだ、こういう意識をみんなで持ち合うような、そしてそのためには、学生に合ったような講義の仕方、演習の仕方、あるいは日常の指導の仕方をしなきゃ、昔自分学生のときこうだったからというんでそれをそのまま踏襲してもらってもどうにもならないという、この意識を持っていただくための会をこれからいろいろとやっていただかなければならないんじゃないか、そういうふうに考えております。
  18. 小杉隆

    ○小杉委員 では、終わります。
  19. 小川元

    小川委員長 次に、田中甲君。
  20. 田中甲

    ○田中(甲)委員 民主党の田中甲と申します。きょうは、三十分間の時間をいただきまして、国会にいらしていただきました四名の参考人先生方に御質問をさせていただきたいと思います。  我が党といたしましては、今回の法改正内容としては賛成すべきものという結論を出しているところでありますけれども、そうではあるものの、本質的な高等教育改革という面においてはいろいろと今後考えていかなければならない点がある、そういう認識を同時に持っております。  例えば飛び級の問題を例に挙げてお話をさせていただきますと、この飛び級制度というもの自体は、人材の育成という面で賛成すべきものと思います。しかし、例えば三年制用のカリキュラムと四年制用のそのものを分けていかなければなりませんし、そこにはきちっとした予算的なものが措置として十分とられていくんだろうかという点を感じざるを得ません。  二十年以上前になりますけれども大学紛争が激しくなってきたあの時点から、大学への予算の伸びというのはもうほとんどとまっているという実態があります。そうしますと、教授はいるが、施設は非常に貧弱なものになって、支える職員あるいはサポーティングスタッフが決定的に不足しているというのが実態ではないでしょうか。  先ほど参考人の御意見の中にもありましたが、今アメリカでは十万人の教員を増強していくという、振り返って、六〇年代にケネディ大統領も実は同じことをやってきたわけですね。教育の高揚、人的資源、雇用対策、十万人教員をふやすプランということを実行して、まさにその結果、アメリカという国では大学世界最高水準の高等教育をつくり出している、そういう受けとめ方をしてもいいのではないでしょうか。  私は、ここでまず、立川参考人に御質問をさせていただきたいのです。  高等教育大学改革ということは、まさに国家的な長期戦略としてとらえていかなければならないことであって、そのためには、まさに未来への投資といいますか、逆にそれが不況下の雇用対策につながったり、最大の景気対策としても意味が出てくるというふうに将来的には思うんですけれども大学の施設、人員の拡充を国策として図っていくための十分な予算の拡充が必要になるんだろう、それが全く今回の改正の中で見えてこないという問題点を感ずるんですが、その点について、御所見をいただければありがたいと思います。
  21. 立川涼

    立川参考人 大変大事な御指摘をいただいたかと存じます。国立だけではないのかもしれませんけれども、いろいろな形で日本大学がかなり疲弊している、あるいは新しい時代のニーズに対応し切れていないという現実がございます。  例えば、具体的に申し上げますと、定員削減等もろもろのことがありまして、先ほどから参考人のお話がありますように、サポーティングスタッフを切る中で教授だけはぎりぎり持続してきたことがありますね。ところが、一方で修士ができ、博士課程ができ、あるいは社会的なさまざまな活動も要求されるということで、やはりだんだん大学教官がやらなければいけない仕事がふえてきているわけですね。にもかかわらず、残念ながら、定員はほとんどふえていないのが現実でございます。  少し極端な例を申し上げますと、医者はいるけれども看護婦や検査技師がいないのが日本国立大学と言ってもいいのかもしれません。やはり、大学というのは非常に多面的な機能を持っているわけですから、教官だけで動くわけじゃないわけですね。  その他、施設に関しては、それこそ雨漏りのする教室が山ほどあるとか、これはもう惨たんたる状況があります。地元におりますと、最近、結構地方自治体が豊かなものですから、公立学校はいい校舎がどんどんできておりまして、高校生は、予備校などはホテルのような立派なところで勉強してくるものですから、大学に参りますと、国立大学はこんなにひどいところかと、ある種のカルチャーショックを受ける場合だってあるわけですね。建物だけで教育をするわけじゃありませんけれども、やはりいい意味教育効果が上がるためには、そういう設備も要るわけです。浜林参考人がおっしゃったように、たった二・五兆円でそれができるとしたら、国家的な投資としてはこんなに安いことはないと思いますね。  つまり、大学というのは、何か特殊なビジネスセクターに予算を出すということではありませんで、大学への投資は、日本じゅうのあらゆるセクターに人材を供給するわけですから、別に大学がもうかるわけでも何でもないわけです。そういうことによって、日本じゅうのセクターに有能な人員を供給できる。逆に言えば、その首を絞めれば、大学だけではなくて、あらゆる日本社会的なセクターがみんな疲弊するということがあるわけですから、同じお金といっても、かなり目的と趣旨が違うわけです。そういう意味で、これは長期的な投資として非常に見合うものだと思います。  御承知かもしれませんが、フランスでは、やはり失業対策で、失業した大学生を学校の教員に雇っていますね。ですからクラスに先生がみんな二人になっている。これから日本もリストラなどがいろいろ起きてまいりますから、どうしても新しい雇用が必要になってまいります。そのときに、やはり教育の場というのは、この際、極めていいタイミングでありまして、そういうふうに、同じお金の使い方も、将来を見据えた有効な使い方が教育の場面ではいろいろとあるというふうに考えております。
  22. 田中甲

    ○田中(甲)委員 ありがとうございました。貴重な御答弁をいただきました。  私も大学時代に、AKモデルというのを習った記憶を思い出しておりまして、労働人口というものが不足しても、人的資源の充実を図っていくならばそれで十分経済成長につながっていくんだというような、まさに長期的な国家戦略として、大学高等教育の姿というものを、しっかりと予算を充実させながらつくり出していかなければならないと、今参考人の御意見を聞いて、重ねて感じた次第であります。  立川参考人に続けて御質問をさせていただきたいと思います。  と申しますのは、立川参考人は、国立大学協会の大学評価に関する特別委員会のワーキンググループで、意見の集約をされている座長を務められているということをお聞きいたしまして、今回の法改正の中にはまだ見えてきていない部分ではありますけれども、昨年の十月二十六日に出された大学審議会答申の中に、「第三者評価システムの導入」として、第三者機関の設置ということが既にうたわれております。  概要は、もう参考人の皆さん方は重々御承知だと思いますが、三点。評価対象は主に国立大学ということであります。二点目に評価結果の国民への公開、三点目は国立大学への予算配分の際、参考資料として活用していくという、主にこの点だと認識をさせていただいております。  今年度予算で、これはまだ仮称でありますが、大学評価機関創設の準備室を設置する。来年には正式に大学評価機関が発足するという見通しだそうでありますけれども、第三者による大学評価機関の設置についての御所見、基本的に、例えば、今どういう問題が述べられて話し合われているのか、注意すべき点はどういう点なのか。既に導入されているヨーロッパにおける、諸外国における状況について、どういう意見が話し合いの中で出されているのか、この機会にお聞かせいただければありがたいと思います。
  23. 立川涼

    立川参考人 御承知のように、今度の法改正で、学内的には、教育管理運営をいろいろと活性化したり、時代に適合するようにしましょう、学外的には、運営諮問会議と第三者評価機関というのが想定されているわけであります。国立大学としては、この第三者評価機関というのは、これからの国立大学を左右するような大変大きな制度あるいはシステムだというふうに考えております。  したがって、今、議員が御紹介くださいましたように、国立大学協会でもそのための特別委員会をつくりまして種々検討がされているわけでございます。現状では、基本的にこういう組織のあるべき姿というようなことがまず議論されております。  少し長くなりますけれども、正確を期すために、若干、その報告書の文章を読ませていただきます。途中からですが、  周知のように行政改革の流れの中でここ数年来、国立大学の設置形態の改変が議論されてきた。先ごろ発表した中央省庁等改革大綱において政府は、国立大学の独立行政法人化について平成十五年までに結論を得るとしている。国立大学はいま、かつてない岐路にたっているといえよう。それは、社会大学に対する期待が高まっているとともに、これまでの大学の姿勢に厳しい批判があることを示している。これに対して、国立大学がみずから教育研究活動の高度化をはかり、二十一世紀にむかって新しい社会の構築に寄与するビジョンを示すこと、そしてそうした姿勢を積極的に社会に示してその理解を得ること、これがきわめて切迫した課題となっているのである。   こうした観点からみれば今検討されつつある大学評価機関は、国立大学が積極的にその未来を切り拓き、社会の支持を得るうえで、まさにクリティカルな意味をもっているといわねばならない。しかし他方でその方向を誤れば、日本高等教育に混乱を招き、これまで蓄積されてきた教育研究水準を崩壊させる危険もまたないわけではない。具体的にどのような大学評価が必要なのかを、国立大学として主体的に検討し、また望ましい大学評価を形成する試みに積極的に参加していくことが、緊要の課題として要請されている。 というふうに私どもの報告には書いてございます。  今、議員が御紹介くださいましたように、来年の四月から第三者評価機関ができまして、早々に創立のための準備検討委員会もできるかと思います。しかしながら、これは、いろいろと考えなければいけないことがたくさんあるわけでありまして、まず、東大を初めとする百の国立大学評価し、一定の意味合いを持つためには、それなりの実力、いい意味での権威がないと困るわけですね。そのためには、検討会で作文をしたから右から左にできるという問題でありませんで、試行錯誤を繰り返しながら、やはり慎重な検討の中で、一定の時間がなければなかなか定着はしにくいと思っております。  私どもとしては、大学が自主的に運営するのは当然なんですけれども、やはり開かれた大学として、情報公開とかさまざまな形で御批判をいただき、情報を外に出していくことは、緊張感を持って大学を自主的に運営する上で大変必要なことなんですね。ですから、こういう第三者機関というのは基本的に必要だと思っております。しかしそれが、大学がこれからやろうとしている改革をエンカレッジする、サポートするように機能するためには、やはりさまざまな工夫が要るだろうと思っているわけです。  そういう意味で、財政改革の中で限られたパイの取り合いをするなんということは、これが短絡的に機能することはやはり日本高等教育にとって大変嘆かわしい事態になると思っておりますので、必要ではありますけれども、定着させるためにはさまざまな検討が要るだろうということであります。  それで、国立大学協会としても、早晩、やはりもう少し具体的なプログラムまで突っ込んだ検討と議論をしながら、積極的な提案、あるいはこの構築に向けて参加をしていきたいというふうに考えております。  以上でございます。
  24. 田中甲

    ○田中(甲)委員 ありがとうございます。  将来的な法改正の姿というものが、参考人の御意見を聞いてまた見えてきたような気がいたしております。  さて、少し中長期的な大学高等教育の展望ということを皆さんにお話をいただければありがたいと思っておるのです。  先ほども質問の中で出ておりましたけれども研究教育、今までその言葉が随分と使われてきて、しかし、十分な研究ができるような状況があっただろうか、それが本当に充実したものであっただろうかという疑問と同時に、今度は教育という方も不十分になってしまって、この研究教育という言葉の中で、公平と平等の履き違えのような、結局、両方ともうまく機能していないというような問題を抱えてきたように感じております。  これから、日本がどういうような大学高等教育機関ということをつくり出していかなければならないのかということですが、私は、センター・オブ・エクセレンス、いわゆるCOEでありますけれども創造性豊かな、世界の先端技術研究を推進する卓越した研究拠点というものをやはり日本もしっかりとつくり上げていく必要があるのだろうという考え方を持っています。例えば、アメリカのマサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学もそうだと思います。イギリスのオックスフォード、フランスにおいてはパスツール研究所などなど。  こういう拠点というものをつくりながら、なおかつ、教育分野においては、公立大学あるいは私立大学がそれぞれに特色を持った大学運営を行って、教育中心とするという姿になっていくという考え方も一つあるのではないでしょうか。  全体的な大学高等教育の構造というものをやはり展望しながら進めていく、そういう時期に入ってきていると思うのですけれども、この点、時間の制約がありますので、長い御答弁がいただけなく大変に恐縮なのでありますけれども中嶋参考人はどのようにお考えになっているか、お聞かせいただければありがたいと思います。
  25. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 申し上げます。  ただいまの田中委員の御指摘、全く私は賛成でございまして、これからの国際競争の中で、我が国高等教育の拠点をさらに充実させるということも大変重要なことだろうと思います。そのためには、当面、日本国立大学がどういう方向に、あるいは日本大学全体がどういう方向にいかなければいけないかということに関しての私の所見を述べさせていただきます。  一つは、先ほど来問題になっております大学院の充実ということだと思います。  これは、確かに、いわゆる大学院重点化によってかなり大学教官が忙しくなり、そして、かなり門戸が開かれたがために質的に低下したのではないかという浜林参考人意見についても十分尊重しなければいけないと私は思いまして、一方にそういう現実があることは否定できません。  しかしながら、他方において、我が国大学院というものは、まだ本格的に、大学院中心大学を考える、大学院中心高等教育を考えるということになっていないと思います。それは多くの教官の現場での意識もそうでして、何といっても学部中心である。大学院中心に重点的に強化するということはどういうことかということについて、大学の教官自身の認識が十分でないということが一つでございます。  それから、今御指摘のように、大学院を強化するということは、それなりの人的あるいは物的なリソーシスを十分確保する体制にならないと、いかに制度だけができても不十分であるということは言うまでもございません。  そして、特に一つの大きな問題は、日本においては、率直に申し上げまして、大学院教育というものが本格的になっておりませんので、何となく教官も、大学院に行くと、片手間にというのはおかしいかもしれませんけれども、少し力が十分ではない、かけていない。学生の方も、どちらかというと、大学院一つのモラトリアムみたいに考えている傾向もございます。  これはアメリカにおいては全く違いまして、教官と学生との間は、大学院というのは本当に真剣勝負です。私自身も経験がありますけれども、たくさんの本を学生に与え、そして学生も教官に対して、いいかげんな講義をしていたら非常に厳しく評価する。その間に緊張感があるんですね。その緊張感というものがどうも我が国高等教育に欠けているのではないか。そういうことからいたしますと、今回のいろいろの法改正によってこの点は随分よくなると私は思います。そういう状況一つでございます。  もう一つは、先ほど来私が申し上げておりますように、日本大学が本当に国際化するということが必要でございます。  日本大学は、日本人が日本語によって日本人を教育するというのが大学の多くの姿でございますけれども、これからの時代は、特に大学高等教育においては、国籍とか民族の壁とか、そういう国家の壁をさらに超えて、大学自体が交流する、知的交流のそのアリーナになっていかなければいけないというふうに思います。その点では、先ほど来申し上げておりますように大学の職員などにおいても、文部省にもお願いしておるわけですが、職員の方々自身も国際化に対応するような能力を持っていただきたい、そういう人たちを多数供給していただきたいと思っているわけでございます。  特に留学生教育、非常に大事でございまして、中曽根内閣以来、十万人計画ということが言われておりますが、このところ五万二千、三千の間を停滞しておりますが、私は、現状のままではこれは当然だと思います。つまり、留学生にとっていかに日本大学が魅力あるものか、アメリカに行くよりも日本大学に来た方がいい、そういうニーズがなければなかなか留学生の数は高まらない。ところが、特に人文・社会科学などはなかなか学位を出さないとかいう問題がございました。これも、今回の大学審議会答申でかなり改善されつつございます。  そして、留学生がそれぞれの母国を立つときには、一体どこの大学に入れるか不安なまま飛行機に乗るんですね。数少ない国費留学生などを除きまして、あるいは政府派遣の留学生を除きまして、日本に来てから研究生になったり町の日本語学校に行ったり、そして、ようやく今度それぞれの大学の試験を受けて合格するかどうかという、留学生にとっては、日本大学というのは非常に来にくい大学、ハードルの高い大学でございます。その点についてもかなり抜本的な改善を今留学生懇談会を中心にやっております。  そしてさらに、日本語というものが大きなバリアになっておりますので、大学自身が、日本語だけではなくて英語とか、私ども大学でしたら、短期プログラムを中心に、それぞれの地域言語で講義する方向に今なりつつありますが、そういうふうに日本大学自身が、国際化に対応していく中から脱皮もやはり必要だと思います。  そして、日本語の能力試験自体も、今改善の方向が国際教育協会などの委員会で進んでおりまして、大学に来て講義が聞ける能力、つまりコグニティブなランゲージ、認知日本語というんでしょうか、アカデミックジャパニーズを中心とした方向で、それもTOEFL型のものに、年一回、十二月に一回しか日本語の能力試験をやらないのでは、これは留学生にとって非常に壁が高いんですね。それらの措置を具体的に一つ一つやはり直していくという課題がありまして、一口に国際化と言っても、具体的なそういう措置を一つ一つ改革していかなければいけない。そのためにも、私ども国立大学協会としても、十分文部省にもお願いし、今回の法案をその一つのステップにさせていただくようにお願いしている次第でございます。
  26. 田中甲

    ○田中(甲)委員 ありがとうございます。大変に学ばせていただいた、そんな気持ちを持たせていただきました。本当に御丁寧にありがとうございます。  同じように、お三方の参考人からも、中長期的な大学高等教育の思いというものをお聞かせいただきたいと思います。私の持ち時間があと六分半ぐらいになってしまいました。お三方の参考人で時間をうまく配分していただきまして、ぜひ皆さんの御意見を聞かせていただければと思います。どうぞよろしくお願いします。
  27. 立川涼

    立川参考人 私はもうたくさん時間をいただきましたので、六分でしたら、あとのお二人の方がまずいろいろと御発言くださって、余ればまたつけ加えさせていただきます。
  28. 梶田叡一

    梶田参考人 では、簡単に申し上げます。  中長期的には、例えばセンター・オブ・エクセレンスとかそういうものをおつくりになりたい、これはよくわかるんですが、もう明治、大正じゃありませんので、国会の先生方文部省方々のイニシアチブでそれができるなんというのはお考えにならぬ方がいいと思います。例えばアメリカでも、今、ナショナルユニバーシティーという全国区の有名大学、十ありますが、これのほとんどが、スタンフォードでもハーバードでもシカゴでもデュークでも、全部私立です。  どういうことかというと、百の国立大学を何とかしてそれなりに拠点校をつくってというようなことではできっこないんです、中長期的にいくと。ですから、日本の例えば四年制の六百の大学、国立、公立、私立を超えて、それをどういうふうに条件整備していくか、この議論をなさらなければいけないし、研究でも学問でも教育でも、それに当たる人の内側からの情熱が出てこなければだめなんですよ。やれと言って法的に縛って、それでやれるようなものじゃないんです。高度な研究をやれと言ってどこかで旗を振ってみたって、そんなものはできるわけないんです。したがって、条件整備です。まず私学に、きょうのあれとは違いますけれども、もっともっとやはり手厚い補助をしてもらわぬといかぬですね。  二番目には、いい仕事をした、これは研究でも教育でもですけれども、そういう大学とか先生がやはり報われるようにならなければいけない。例えばシカゴ大学なんかですと、教授は同じ給料じゃないんです。ディスティングイッシュトプロフェッサーという、いい仕事をした人は非常に高い給料になります。また、ネームチェアといいまして、全学で何人か、ノーベル賞をもらったり、日本でいうと学士院賞をもらったりノーベル賞をもらったり文化勲章、これは物すごいいい待遇をもらっていいます。日本では、順番でたまたま教授になった人もすごい人も同じ給料で、同じ研究室で、同じような汚いところで汚い生活をせざるを得ないというのが今の実情です。そういうことをやっていながらセンター・オブ・エクセレンスなんて言ってみたって、これは絵にかいたもちです。すぐれた仕事をした人はやはり報われなければいけない。  あるいは大学でもそうです。国立大学が百ある。全部合わせて六百あるとすれば、研究でも教育でもいい仕事をしている、できたらこういうところにどかっと金が行くような、そういう仕組みをつくらなければだめなんであって、同じように学生一人当たり幾ら、教員一人当たり幾らというだけでやっていて、そういうセンター・オブ・エクセレンスをつくろうと思ったって、これはどだいまず無理な話だろうと私は考えております。
  29. 浜林正夫

    浜林参考人 時間がございません。  昨年の十月に、ユネスコが高等教育に関する国際会議を持ちまして、そこで二十一世紀高等教育宣言というものを出しております。翻訳が出ているのかどうかわからないんですが、ぜひそれをごらんいただきたい。私もそれに全面的に賛成ということではありませんけれども、はっきり言えば、大学答申よりははるかに二十一世紀を見据えた方針を示していると思います。  ポイントの一つは、大学入学者に対して差別をしないこと、特にお金の面で差別をしないこと。つまり、貧乏人も入れるということですね。御承知かもしれませんけれども、現在、私立大学の医学部へ行きますと、卒業までに約一億円かかります。本当に能力のある子供がそこで医者になるのではなくて、お金のある人たちがという、そういう差別、もちろん男女差別その他いっぱいありますけれども、その問題が一つ。  それからもう一つは、やはり教養と職業教育との調和といいますかバランスということです。これは大学答申も言っていますけれども、ユネスコ宣言は、もっとそこの教養の内容に踏み込んで、これからの大学教育というものは、平和、人権、環境保全、そういう足の上にしっかり立つべきだ、それに立った民主的な市民をつくるべきだと。  センター・オブ・エクセレンス、もちろん反対ではありませんけれども、そういう共通の土台があった上ですぐれた研究というものが出てくるので、これはちょっと今名前を思い出せないのですが、かつて文部大臣をしておられた方が、これからの大学は富士山型ではなくて八ケ岳型にならなければいけない、つまり、一つが突出するのではなくて全体がレベルアップをしていかなければならないということをおっしゃった記憶がございます。私もそのように考えております。
  30. 田中甲

    ○田中(甲)委員 御遠慮いただきました、御配慮いただきました立川参考人、御所見をいただければと思います。
  31. 立川涼

    立川参考人 研究教育すべてそうですけれども評価のシステムというのが妥当な意味で存在しているかどうかということがありまして、いろいろなことをやる場合に、例えば、外国モデルを下敷きにして本邦初演が評価されてしまうとか、結局、最も日本的なものが国際的に通用するわけですね。やはり日本の個性がちゃんと発揮できませんと、根なし草での国際化というのはあり得ないわけです。  そういう意味で、本当に何が日本的で我々の特徴かということを育てるためには、やはりそういうための評価のシステムなり評価ができる組織なり人がなければいけないのですね。その辺、資源配分だけに限りませんけれども、これからの大きな検討課題だと思っております。
  32. 田中甲

    ○田中(甲)委員 ありがとうございました。  以上で終わります。
  33. 小川元

    小川委員長 次に、西博義君。
  34. 西博義

    ○西委員 公明党の西博義でございます。  きょうは、四人の先生方、お忙しい中、当委員会においでいただきまして、貴重な御意見をちょうだいいたしまして、ありがとうございました。  今回のこの法案の中で、一つの大きな特徴は、運営諮問会議という形で外部に開かれた大学を目指すということが一つの特徴ではないかと思っております。そのことにつきまして、中嶋先生梶田先生立川先生のところもおありなのかもしれませんけれども、先ほどのお話の中で、たまたまそういうことにそれぞれ具体的にかかわっていらっしゃるようにお伺いしましたので、初めにそのことについてまずお伺いをしたいと思います。  中嶋先生の方はアドバイザーという形で外部の先生に委嘱をしている、梶田先生は、逆に、兵庫教育大の方に参与として出席をされている、こういう二人のお立場がございました。今、皆さんの若干の危惧の中の一つに、この外部の人の組織をつくることによって、大学自治とか学問の自由とかいうものが影響されるのではないかという危惧があるようにお聞きをします。  そんな中で、先生方のところで既に具体的に進まれているその部分について、現状はどういう形になっているのか。具体的には、諮問をされたことについてのみ審議をしているのか、それとももっと幅広い立場議論がなされているのか、そのことによって大学そのものが、どういう受けとめ方をして取捨選択をしているのかというようなことについて、それぞれ御発言をお願いしたいと思います。
  35. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 先ほど申し上げましたように、東京外国語大学におきましては、大学諮問委員という名前で、これを英語ではユニバーシティーアドバイザーズという形で、十二、三名の先生方お願いしてございます。  それで、そのことが大学自治ということに抵触するとかそれを脅かすのではないかという危惧は、全くございません。全くないどころか、例えば、ドナルド・キーン先生は、皆さん御承知のように、あれほど日本語がおできになりますけれども、彼は戦時中、アメリカの軍事学校で訓練されたことが非常に大きな知的財産になっております。それらのことを発言していただく。あるいは、グレゴリー・クラークさんは英語教育について一家言持っておりますから、その御意見をいただく。それから、本間長世先生なんかにも入っていただいておりまして、アメリカ研究立場から、あるいは大学の行政の立場から意見をいただく。そうしますと、従来の東京外大における語学教育あり方について、これでいいのかということで、むしろいろいろ学ぶところが多い。そういう意味でございますので、それがいわゆる大学自治へというようなことは全く考えられもしない。  従来言われているいわゆる大学自治というものだとすると、私は、むしろそんな大学自治は——いわゆるですよ、誤解のないように、大学自治が必要ないということでないのですけれども、いわゆる大学自治という、いわばファシズムの時代大学が権力に対抗しなければいけないという、そういう大学自治を想定されているとすれば、全くそれは逆でありまして、いわゆる大学自治という言葉の中に甘えて、大学社会の動きから隔絶されて、何でも、いわばその上にあぐらをかいていてもいいのかということが実は問われているのだというふうに思いますので、御懸念の点は全くございません。
  36. 梶田叡一

    梶田参考人 今おっしゃったこととほとんど同じですが、私は、こういう外部からのアドバイザーのアドバイスの組織は極めて重要だと思っております。  これはどういうことかといいますと、一つは、内側の仲間内だけでなくて外の人を集めて、しかも多様な人を集めてやりますから、やはり説明責任といいますか、そういう人たちにわかる形で、この大学が何をやろうとしているのか、そのためにどういう手を打ったのかということを、資料を準備しなければいけないわけです。学長、副学長はそのために説明しなければいけないわけです。これは、兵庫教育大の場合もそういうふうになすっておりますが。そういたしますと、いいかげんなことができないわけですね。仲間内だけだったら、なあなあでやってしまいます。  私は、実を言うと、何をやってもすぐ大学自治がとか思想信条の自由がなんというのは、実はこれはためにする議論だと率直に思っております。つまり、これはこの委員会理事のある先生がちゃんと御本の中でお書きになっているわけですけれども大学というところは、狭い人脈の中で、あるいは場合によっては政党色の中で、やはりボスができてしまいやすい体質を持っております。そういうボスが、人事であろうといろいろなことであろうと牛耳ってきたというのが、今の大学教育の退廃を招いている一因だろうと私は思っております。  それに対して、今申し上げたように、外側に対して説明責任を持つ場がきちっとできる、しかもそれに対して場合によっては勧告までできる。これは非常に重要な、つまり、社会に開かれているという以上に、今の大学が自閉的に、独善的になりかねない。全部がなっているとは言いません。しかし、なりかねない要素を少なくともこの五十年持ってきた。そういう経緯からいいますと、こういうものをおつくりになるのは極めて重要な方向ではないか、こういうふうに考えております。
  37. 西博義

    ○西委員 次に、中嶋先生にお伺いしたいと思います。  私も全くそうだと思います。外に向かってもっと開かれないと、大学の中だけの当然の議論社会とは非常に隔絶しているということ、私自身も小さな工業高専で二十年教えてきたのですが、その世界と、ここに来まして議論が随分違うなと。システムそのものも随分違うのですね。学長さん並びに学部長さんのリーダーシップ並びに責任感の問題とか、そういうことがややもすると隠れてしまって、大学そのものの意思決定というのが非常に不安定な形になっているのじゃないかということを思っておりましたので、同時に、やはり外部からのそういう諮問ということも大事なことではないかと思います。  先ほどの中嶋先生のお話の中で、情報公開ということもこれから開かれた大学という意味で非常に大事なことだ、こういうふうなお話がございました。もちろん、プライバシーにかかわることは幾つもあるわけでして、その部分は十分考慮しなければならないと思うのですが、運営諮問会議そのものは、もともとが外部に開かれている組織ですから、その議論は当然のこととして情報公開の対象になると思うんですが、具体的には、評議会とか教授会とかでの議論も、積極的にその都度その都度開かれる必要はないのかもしれませんけれども、やはり外部から請求があったりお聞きをしたいということであれば、今後開かれるぐらいの大学運営がやはり私は必要ではないかというふうに思っておりますけれども、その点についてはいかがでございますか。
  38. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 申し述べます。  いわゆるアカウンタビリティーという言葉がかなり一般的にもなってまいりました。御指摘のように、私は、大学というのは、特に人事というのは一体どういうプロセスで、どういう形で、どういう公平さを持って行われるのかということをとってみましても、むしろ情報公開がされるべきだと思います。  私、実はちょっと自分でバイオリンも弾くんですけれども、例えば一流のオーケストラは、黒い幕を張りまして、黒い幕の向こうで弾かせて、審査員は、全くその本人の学歴とか出生とかそういうことに関係なく評点をつけますね。  例えば、国立大学の教官というのは、どういう形でその教官がそのポストにつくのでしょうか。ある意味では全くまだ不透明だと思います。ですから、この立場の人が、だれが見てもこの先生は、そのポストを占めるにふさわしいという先生が果たして公平になっているかというと、先ほど梶田参考人もおっしゃいましたような、いろいろの不透明な中でその人が決まるんですね。そのことが外部に全く、なぜその人は決まったかということさえも公開されないんです。私はそこに非常に問題があると思います。  特に若手にはかなり優秀な人が出てきておりますけれども、そういう人たちは、今、公募をしますと、ちょっとインターネットなんかを使いますと、一つのポジションにこの間も百四十九名が応募してくるんですね。その中から一人を選ぶんですけれども、どうやって選ばれたかというそのプロセスはほとんど全く知らされないわけでありまして、このことを含めて非常に大学にはまだまだ閉鎖的な問題が残っている。そこまで私は公開してもいいと思うんですね、どうしてこの人が選ばれたのか。プライバシーにかかわることは別にしても、そのプロセスはどういうふうにしたのかということも考えますと、日本大学というのはまだまだ非常に、そういう意味では、いい意味でのコンペティションがないと思うんですね。  アメリカなんかでは、一つのポストに対して候補者を何人も、実際の授業を公開して、私ども大学では一部でそれをやっておりますけれども授業をやらせて、モデル授業をやって先生たちがチェックして採用をしています。  日本大学は、まだ公募制もとられていないところがかなり大きな大学にあるわけです。東大にしても京都大学にしても、一部にはそういうことがなっていますけれども、それにしても、そこも不透明でございます。ましてや大学予算とかそういうことについては不透明なところがあるわけでございまして、そこを含めて、特に国立大学国民大学でありますので、やはり当然情報公開をしていくべきである。教授会の議事要旨、評議会の議事要旨なども当然公開していく方がむしろ私どもにとってもありがたい。  ただ、御案内のように、入学試験とかそれらの問題で、プライバシーに関する問題は十分慎重な配慮が必要だと思っております。  以上でございます。
  39. 西博義

    ○西委員 全く同感でございます。むしろ積極的にやられる方が国民との距離が、また信頼感が強くなるのではないかというふうに思っております。  それから、先生にもう一つ、お話しいただいたことに即しての御質問なんですが、意思決定に大変時間がかかる、これは経験してきたことで、もう全くそのとおりなんです。今回のこの法案の中で、議事の手続についても省令でもって定めるということが一つ内容としてあるんですが、この辺について、それぞれの大学が既に一つの習慣といいますか、もう少し体系的なことが必要なのかもしれませんけれども、例えばきっちり多数決でやっちゃう。省令は後からできるものですからまだあれなんですが、全国大学がそういう形にすべきなのか。私は、もう少し幅があってもいいんじゃないかという私自身の感覚を持っているんですけれども、議事進行との関係で、学長としてのお考えをお聞きしたいと思います。
  40. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 実際に考えますと、大学意思決定機構というのは本当に時間がかかります。その意思決定機構にみんなが真剣に参与しているかというと必ずしもそうではない。同じことが何回もやられる。さっき三回と言いましたけれども、私どもは、事務的なところから始め、委員会にやり、教授会にやり、評議会にかけ、そういうことをあれしますと四回同じ案件がかかるわけですね。そうなりますと、関心するものが薄れまして議論そのものが非常に弛緩した状況になる。  ですから、その点を考えますと、私は、今回、省令でできるものは省令でしていただいて十分だというふうに思います。
  41. 西博義

    ○西委員 次に、梶田参考人にお伺いをしたいと思います。  梶田先生は、大阪大学、京都大学時代に、成績評価ということに大変長い間真剣に取り組まれていたようにお伺いをしました。これは非常に難しい問題ですけれども、大変重要なことを含んでいると私は思います。  例えば、今回、三年以上で卒業の要件を満たす、こういうふうになっておりますが、では、その成績は本当にだれが見ても公正なものかということになりますと、現状では、私はかなり主観的な評価にすぎないような判定が下されていると思うんです。  そんな意味で、今度は、これからの大学先生方あり方といいますか、先ほど参考人がおっしゃられましたように、やはり大学というのは人間をつくっていくところですから、学生にとっては先生方が最大の環境なんですね。いい環境というのは、いい先生方のところにいて教えを請うというのが最大の環境だろうと思いますが、その先生方学生に対する評価、この点について、ぜひこれからのあり方をお聞きをしたいと思います。
  42. 梶田叡一

    梶田参考人 今御指摘の点は、非常に重要なんですが、難しいことだと思っております。ですから、今回の法案に入っております、きちっとした成績評価があれば三年次でというのは、私は大賛成ではあるんですが、難しいなという印象は持っております。  それから、大学審議会の方からも、これからは成績評価をきちっとするようにというのが出ております。これはもう非常に大事なことなんです。ですから、これはまず精神的な方向性としてこれから大学人はみんな持たなきゃいけないというふうに思っておりますが、具体的にということになるとなかなか……。  昔、私一つ調査をしたことがありますが、ある大学でやりましたら、文科系の先生方はほとんど全員が、出席していれば受講生に単位を与えておられる、しかも半分ぐらいはAとかマルAとか与えておられる。ところが理科系、特にそのとき調べたのでは数学の先生だったのですが、出席は足りているのに半分の人に単位を不認定としている。そしてAとかマルAなんというのは何年に一回だという。私は、これが今の大学の実情だろうと思います。もっと言いますと、京都大学では、楽勝科目といいますけれども、出なくても単位をくれる先生がおったりするわけですね。  じゃ、これをどういうふうに是正していったらいいのか。私は、主観的であることを変えるわけにいかぬと思うんですよ。主観的でない方法があるかと言われたら、これはないんですね。ですから、主観的であっていいけれども、その先生責任を持って、説明可能な形で、例えば何でこれを落としたんだ、何でこれは優なんだと言われたときにきちっと説明可能な形で成績をつけなきゃいけないということを大原則にしなきゃいけない。  そのために、先ほど言いましたFD、先生方の研修会もやらなきゃいけないし、場合によっては、学生が公の席で先生にやはり成績について異議申し立てをできるような、そういう場もどこかになきゃいけないかなと思ったりしております。  そして、同時に、シラバスなどには、これこれの条件を満たしたら優だとか、これこれの条件を満たさなければ単位は認定しないということをあらかじめ明記しなきゃいけないとか、幾つか歯どめをつくって、その上で、しかし最終的には一人一人の大学先生の自覚といいますか、そういうことについて物の考え方を根本から改めるということをしないと、今審議会答申やらこの法案に書いてあります厳しい成績というのは絵にかいたもちになるのではないか。といっても、これは評論家的に言っているのじゃなくて、そういう現状でありますから、これからいろいろなことで関係者一同努力しなきゃいけないな、そういうふうに考えております。
  43. 西博義

    ○西委員 次に、立川先生にお尋ねをしたいと思います。  先生は、愛媛大学のころから随分環境問題に取り組んでおられて、すばらしい業績を上げておられるなと、私も化学でしたので、個人的に遠くから存じ上げておりました、個人的なことですが。  今、学長として頑張って改革に取り組まれておられるのですけれども、先ほどおっしゃられたことで私が非常に印象的だったのは、今までの閉鎖的な社会または職人芸から、集団としての、大学総体としての方向性、これをいかに確立するかという流れが非常に大事だというふうな趣旨のことをおっしゃられたように思うのですが、全くそのとおりだと思うのです。  その仕組みとして、今回は学長さんを中心評議会というものがきちっと定められて、それから教授会もまた定義をされる。全学運営または全体的なことについては評議会で、それから、特に学部教育研究にかかわることは教授会でという仕分けがされているのです。  学部長を初め代表の方が評議会に参加をされるわけですが、そのパイプはもちろんあるのですけれども、私は、この文面は文面として、実際上は学内運営というようなことも、もちろん学部長さんがリーダーシップを発揮されて、その責任のもとで評議会に参加をされているのですが、これはある場合には教授会の方におろして、そしてフィードバックする、そういう仕組みは当然のこととして実態的にはあるのではないかというふうに考えているのですけれども、その辺のお考えを少しお聞きをしたいと思います。
  44. 立川涼

    立川参考人 あるいは直接的なお答えにならなくて失礼かと存じますけれども、今までどちらかといえば、教官サイドから学生を見るという目線で議論しているのですね。ところが、学生の側から見たら、大学あるいは教育とは一体何なんだということがあるわけです。  例えば、先ほどから問題になっている成績評価の問題ですけれども、今までは最終のペーパーテストでほぼ成績がつく。ほかにもあるのですけれども、基本的にはそうだと思うのですね。梶田先生もおっしゃったように、そこである種の主観的な判断が入るのはむしろ当然でありまして、抽象的な客観性というのはなかなかあり得ないわけですね。ただ、問題はそうじゃなくて、もっと評価を多様化することが必要なわけです。  例えば、日常的な毎回の講義で、質問に対してどういう応答があるか。私ども大学ですとオフィスアワーを置いておりますから、ある時間は、授業その他もろもろについて先生に説明を求めたり相談ができるわけですね、そのときの応答とか宿題とか。そういう日常的な教育への配慮は大変必要でありまして、それは決して評価だけではないわけですね。そういうプロセスをとることによって、教育そのものも極めてめり張りのきいた充実したものになるわけですから、評価というのは、決して評価だけにとどまるわけではありませんで、やはり教育そのものに直接かかわるような問題だと思っております。  今まで、管理運営の側で申しますと、やはり研究者としての教官のさまざまな利益とか要望がどうしても大学の中で優先してまいります。ですから、研究室をつくる予算は熱心だけれども、教室をつくる予算だとか、キャンパスをきれいにしましょうなんという予算に関しては、なかなか合意が得にくいとか優先順位が下がってくるということがあるわけですね。  そういう面で、私ども大学管理運営、あるいは学部についてもそうなんですけれども、そういう組織運営あり方もあるのですけれども、目線というか視点が、もう少し学生のサイドからいろいろ考えてみる。それはやはり、これからの大学管理運営の面でも非常に社会のニーズに合った方向に持っていく一つの大事なきっかけであろうというふうに思っております。  必ずしも直接的なお答えでなくて申しわけないですけれども、以上です。
  45. 西博義

    ○西委員 中嶋先生にお伺いをしたいのですが、今この議論の中で、開かれた大学先生はさらに、国際的な立場大学ということを大変強調しておられましたけれども、私は、そういう個性化の時代にあって、これから大学をどういう方向に持っていくか。もう少し具体的に言いますと、経営というような、ちょっと言葉に語弊があるかもしれませんけれども、そういう側面もこれからはやはり必要になってくるのではないかというふうに思っているのです。  そんな意味で、もちろん評議会中心とした教授集団組織化ということは大事なことですけれども、もう一つは、それを支える行政官といいますか、外国でいいますとアドミニストレーターのような方、その両輪があって本当の日常的な大学運営というのは進んでいくのではないかという感じがしております。これはアメリカのまねと言われればそうかもしれませんが、その方が効率的なこれからの運営ができるのではないかというふうに思っておりますけれども、その点についての先生の御見識をお伺いしたいと思います。
  46. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 大学における構成の主人公というのは、もちろん学生がそうなんですけれども、同時に教官であり、もう一つは職員だと思うんですね。これに私学におきましては理事会とか評議員会とかそういうものが加わると思うのですけれども、少なくとも国立大学におきましてはやはり職員、文部省方々や何かが、あるいは大学における職員の占める役割も必要だと思います。  それらが、従来は、とにかく国立だということで絶対につぶれないという状況の中で、言ってみれば、すべて国にツケ回していたという問題がありますけれども、これからはそうはいかなくなると思うんですね。国立大学協会でも今後、みずからどういう形で大学全体の再編なりある種の共同的な運営のシステムを、お互いにどういうふうに導入できるかというようなことが議論されてくると思います。  例えば、私ども東京外大は近く府中に移転させていただくことになりまして、多摩五大学国立大学が一種のコンソーシアムというか、一橋とか東外大も行くということで既に単位互換を進めておりますし、非常に効果があるんですね。そういう中で、大学自身がどういうふうに再編していくかということも考えられてくると思いますが、同時に、今御指摘のような、大学のいわば経営なり運営ということを教育研究とともに考えていく必要があろうかと思います。  御案内のように、慶応大学などはその点で非常に先進的でございまして、大学運営のための学会までつくられている状況がございますね。ですから、そういう意味では、大学運営の人たちあるいは職員の人たち自身のこういう運営への参与というものも私は重要な一環だと思います。その意味で、これからの大学は、御指摘のような大学運営なり経営ということについて、教育研究、経営という点でも十分活性化していく必要があるのじゃないかと思っております。
  47. 西博義

    ○西委員 同じ質問を、梶田先生もし御意見がございましたら、今の運営、経営という面での、教官の考えと同時に、行政のサイドとしてどういうふうにこれから先、体系化していけばいいのかということについて御所見を賜りたいと思います。
  48. 梶田叡一

    梶田参考人 やはり国立大学と私立大学は随分違うところがありますし、違うところがなくちゃいけないと思っておりますが、私は、将来的には国立大学もお役所的な形での組織を改めなきゃいけないというふうに思っております。  このことを一番思いましたのは、今からもう十年ぐらい前に、イギリスのニューユニバーシティーという、御承知だと思いますが、オックスフォード、ケンブリッジという古い大学はそのままにして、全く新しい大学をイギリスでたくさんつくったわけですね。サセックス大学とかヨーク大学とかエセックスとか。これは一応国がつくったんですけれども管理運営はその大学が自主的にやっています。今ここで一つ課題になっております特殊法人といいますか、多分そんな感じですね。  したがって、それぞれの大学が、組織の仕方も運営の仕方も教育組織の持ち方も非常に違いがあるんです。一つ一つが非常にあります。結局は結果責任を問われる。いい教育をしたか、いい研究をしたかという結果責任を問われる。ただし、サッチャー政権でしたから、大学にお金が回らなくなった時期ですから、どこに行ってもぶうぶう不満はありましたけれども、しかし、それも国に対してだけじゃなくて、では、どういう自助努力をするか、どこからお金を持ってくるかという論議をしておられました。  私は、直接のお答えにならないかもしれませんけれども、これから日本国立大学というもの、公立大学というものが、やはり明治、大正時代以来の組織あり方を変えなきゃいけない。どこに行っても金太郎あめみたいに同じような組織事務局が構成されている、学部の方も基本的には似たような形になっている、これじゃだめだろうと思います。そして、これは文部省方々にはあれになるかもしれませんが、率直に言いますと、事務局の上の方はみんな文部省からぐるぐるぐるぐる回ってきてやってきているようでは、一つ一つ大学が自主的にどうのこうのと言ったってこれはどだい無理なんですよ、人の面で。  ということで、私は、先ほど最初の意見陳述で申し上げましたように、できるだけ各組織が、国立であろうと公立であろうと私立であろうと、自立した形でこれからの高等教育を担っていけるということを大前提にした中の事務局組織、あるいは大学組織全体のあり方、あるいは教育研究組織あり方、そこでの意思決定の仕方等々を工夫していかなきゃいけない時期にもう来ているのではないかというふうに考えております。
  49. 西博義

    ○西委員 大変有益なお話をお伺いしまして、ありがとうございました。  終わります。
  50. 小川元

    小川委員長 次に、菅原喜重郎君。
  51. 菅原喜重郎

    ○菅原委員 四人の参考人先生方には貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。私、自由党の菅原喜重郎でございます。  最初に浜林参考人にお伺いさせていただきますが、その前に、私の考えなんですが、日本の国が民主主義理念を導入するのに非常な片手間の導入があったというふうに私は考えております。  それはどういうことかといいますと、民主主義とは、個人の信頼の上に成り立つ原理原則で社会の安寧秩序を確立していく、こういう制度だと思っておりまして、その個人の信頼を打ち破るものは犯罪でありますから、犯罪以外の基本的人権であり、犯罪以外の個人の自由だ、こういう確信で今でもいるわけです。幸いこのことが、アメリカでは自由剥奪罪という罪名もあるんだということを聞きまして、何で日本の占領政策に、日本にはそういう制度を入れないできたのかなというふうにも考えているんですが。  ですから、私は、こういう倫理的な面がしっかりしているならば、三年制大学でも、能力のある人間はどんどん卒業させていってもいいんじゃないか、そういうふうに考えているわけでありまして、また、我が党といたしましても今回の改正には賛成の立場であります。  しかし、参考人からのお話を聞きますと、今の大学の混乱状態、さらに、補習をやっていかないとついていけない大半の学生、人間も出ている、そういういろいろな内容も御説明ありましたが、こういう学術的な面と倫理的な面がしっかりしていれば三年生でも卒業できる制度は容認できるのかどうか。また、私のこの質問以外に御意見がございましたらひとつ開陳していただきたい、こう思います。
  52. 浜林正夫

    浜林参考人 結局は、大学教育に何を求めるかということになると思うんです。  大学教育というのは、先ほど申しましたけれども、単なる職業教育あるいは専門教育ではなくて、その前に、今御質問の先生がおっしゃいましたように、民主的な人格形成ということが一つなければならない。それが大学では一般教育科目という形で今まで行われてきましたけれども、それがなくなりまして、国立大学でも教養部は随分廃止をされてしまったわけですが、そういうものをきちっと踏まえた上で専門的な職業教育をやっていくということで、それで三年で果たして足りるんだろうかというのが一番基本的な私の疑問でございます。  特に、現在は、これも先ほど申しましたけれども、高校以下の教育がかなり崩れておりまして、学力が非常に低下をしております。そういう中で、大学の側からいわせれば、まず学力の回復ということをしなければならない。そういう事情の中では三年というのは短過ぎるというふうに考えますので、大学の側からいえば、やはりきちんと四年間ゆっくりと時間をかけて少人数でしっかり教えたいというのが大学側の率直な気持ちでございます。
  53. 菅原喜重郎

    ○菅原委員 時間がありませんので、それでは次に梶田参考人にお伺いします。  先生は、今回の改革はよいが、まだまだインプロセスだということで、三つの点を指摘されました。組織として自立して動けるように大学をしなきゃいかぬということ、あるいは、現代の社会的諸ニーズにこたえられるようにいろいろな風をよそからも入れるようにせぬとだめだ、さらに、各大学がどういう人材を養成するのか、多様なあり方がとれるようにさせていかなきゃいかぬということで、その多様性をとらせるためにもいろいろな形で結果責任をとるようにさせなければだめだと。これには私も大賛成でございますが、今大学にこういう結果責任をとるようにさせるためには、先生はどういうことをまず一番国に望まれますか、それをお聞きしたいと思います。
  54. 梶田叡一

    梶田参考人 国のレベルで何ができるかというと、非常に難しいだろうと思います。  先ほどから話題に出ております情報公開をできるだけ進めるということがまず一つだろうと思います。例えば中退者がどのぐらいだとか、留年者がどのぐらいだとか、そういうこともあります。それから、今民間でいろいろと調査がありますけれども、例えば卒業後五年して、十年して、十五年して、二十年してどうなったか、これは各大学でも調査をしてやはり公表する必要があるんじゃないか、そんなことも思っております。  それから、もっといい方は、いろいろな賞をもらったとか、いろいろと社会的に貢献した、これがどこの大学が最近頑張っているかとか、そういうものも出していっていいんじゃないか。そういう意味ではできるだけ多様な情報、つまり、その大学が昔から何か同じ形でやっておりますということではなくて、多様な情報が常に即時に出ていく体制をつくっていくことだろう、そういうふうに思っております。
  55. 菅原喜重郎

    ○菅原委員 大学改革に対しましては、中嶋参考人立川参考人も真摯な意見を持たれているようでございます。  それで、今度立川参考人にお聞きいたしますが、今、教育改革はまだ始まったばかりだという御認識でございました。やはり国際化に対応できる創造的な能力を開発する幅広い人材育成をするように大学が当たっていかないといかぬということは当然のことでございます。  しかし、同時に、大学現状は、教師の二極分化も激しくなっている状況をお知らせいただきまして、私は、参考人が言われましたように、大学先生教育評価は非常に難しいものでございますし、今の制度では本当に大変だな、こう思います。しかし、この教育評価を抜きにしては、いい先生大学でいわゆる抱えていくことはとても難しいんじゃないかな。  そういう点では、梶田参考人からも聞きましたが、いろいろな形でやはり結果責任をとらせる、こういうことと連係していると思いますので、ひとつ先生意見としまして、二十一世紀に向かっての大学づくりに対してどのようなことがまず大切であるのか、このことを御開陳していただければ幸いだと思います。
  56. 立川涼

    立川参考人 御承知のように、今問われている教育改革あるいは大学教育改革というのは大変大きな課題でございます。二十世紀までの私ども社会の延長線上に二十一世紀のモデルをかくことは難しいというのは、恐らく世界的なコンセンサスだと思うのですね。そうしますと、当然、新しい社会経済システム、あるいはそれに裏づけられているライフスタイルあるいは価値観、そういうところまで問われると思うわけであります。したがって、ある意味で、小さな手直しだけではそういう新しい世界的な状況になかなか対応できない、そういう、大変難しいというか大事な課題を私ども教育改革にしょっていると思っております。したがって、当然のことながらこれは、各方面の御意見を聞きながら、大学の主体的な努力を重ねつつ、やはりある程度の時間はかかると思っております。  結果責任の問題は、ある意味で権限と責任は裏腹の問題なんですね。ですから、一定の権限があって責任もとれるということはございます。その辺、やはり日本国立大学は若干当事者能力に欠けておりまして、自主裁量権がまだまだ狭いということがあるわけですね。ですから、社会に開かれて、社会のニーズに的確に対応しようと思ったら、やはり私どもの自主裁量権もある意味では拡大していかなければいけないということでございます。その点、まだまだ国の縛りその他が大きいということがありまして、随時修正されつつはあるんですけれども、やはり依然としてまだ課題は残っているかというふうに思っております。  以上でございます。
  57. 菅原喜重郎

    ○菅原委員 次に、中嶋参考人にお伺いしますが、今立川参考人からお伺いしましたように、先生教授会の問題も私たちに内容をお知らせくださいました。やはり全体の合意を得るのが大変難しくて、結局は、そこからはほとんど妥協の産物的なものにいかざるを得ないというようなこともありました。しかし、もはやこのままでは大学国際競争力を失うんだ、明治以来培ってきた知的遺産の継承も考えての大学改革大学院改革、こういうことをも主張されておりました。  それで、参考人には、大学に対して社会の風を吹き込ませてほしい、外の風が入れるようにしてほしいということ、大学における責任体制というものを確立できるようにしてほしい。そういう点では、またこれも重複するようなんですが、新しい知的所有を持っている教授の新採用ということの難しさ等も訴えられているようでございますが、それでは、教授会改革ということに対しまして、今回の改正とでどのように関連していくのか。また、これから教授会はどのような自律的な責任体制をとれるようにしていったらいいのか。ひとつ突っ込んだ御意見をお伺いしたい、こう思います。
  58. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 従来の教授会というのは、ある意味ではかなり無責任体制と言っていいと思うんですね。例えば今、国立大学の場合に、私ども大学の場合を見ますと、かなり教授会構成員が多いものですから三分の一の教官は出てこない。出てくるときは、何か人事のことかスペースのことで自分関係するときだけ出てきて、出てこないときの教授会で決まったことを全く無視してまた議論を繰り返すということがやはり許されているんですね。これで果たして責任ある体制だろうかということを痛感するわけでございます。  したがって、私はそれらを含めて、大学の中にやはりメリトクラシー、そういう評価をきちんとして、それに対する報酬なり、これは給与になるかどうかは別にしても、何らかの研究費その他のいわば報いが得られることによってある種の競争原理を導入するということが不可欠だと思うのですね。それがないために、非常に弛緩した状況大学の中にもついつい起こっている。学生に対する講義、授業そのものなんかも、遅刻する先生もたくさんいても何の規制もできない。さっきの教授会への出席なんかにつきましても、現行法ではそれを学長が規制するだけの権限はございません。  ですから、そういう意味からしましても、少なくとも、今回の法案改正していただけるような点は最低限必要であるというふうに私は思っておりまして、私の理想とする大学改革からすると、まだまだその第一歩をようやく踏み出していただくところだというふうに思っているぐらいでございまして、具体的なことをむしろ踏み込んでという御指摘でございましたので、若干実際の例を御指摘しながら申させていただきました。
  59. 菅原喜重郎

    ○菅原委員 実は私も地方自治体の首長をやっておりまして、公務員は、欠席しないこと、遅刻しないこと、働かないこと、この三つを守られると首を切ることの難しさを痛切に考えてきたのですが、そういう点も大学教授には適用されていないなということを感じますが、いずれにしても、やはり二十一世紀に向かった新しい大学をつくっていくために私たちも頑張っていきたいと思いますので、今後ともよろしく御指導いただきたいと思います。  時間が来たので、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  60. 小川元

    小川委員長 次に、山原健二郎君。
  61. 山原健二郎

    ○山原委員 日本共産党の山原健二郎でございます。四人の先生には大変御苦労さまです。  立川先生は、私の高知県の大学学長でございまして、めったに地元でお会いできませんので、きょうは久しぶりに質問することができまして大変うれしく思います。  最初に、先ほど浜林先生からいわゆる改革疲れという言葉が出てまいりまして、各大学がどのような状況に置かれているかお伺いしたいのです。また、このような状況の中でさらに大きな改革が持ち込まれるということにつきまして、大学自体がどういうふうになるのか想像もつきませんけれども、御説明をいただきたいのです。
  62. 浜林正夫

    浜林参考人 改革疲れというのは私の発明した言葉ですけれども、本当に改革に追われていまして、しかもそれは、大学の中で自発的に、こういう問題があるからこうしなければいかぬというふうに出てきた改革ならいいのですけれども、例えば、シラバスをつくりなさいという声がどこからか出てまいります。みんな一生懸命になってそれをやるわけですね。ところが、これも内幕話みたいになりますけれども、それは本当に形式化してしまって、シラバスどおりの授業が行われているかどうかということになるとかなり怪しいし、大体、学生はこんな分厚いものをもらってもほとんど読んでいないという状況がありまして、一体どういう効果があるのだろうかということを疑いたくなります。  それから、セメスターといって、半年で二単位を出すというふうに切りかえられたのですけれども、これも、やたらに科目がたくさんふえただけで、広く浅くという感じで、学生の方がむしろ目を回しているというような気がいたします。  いずれもアメリカのやり方をまねたものだと思いますが、アメリカでは、私は余りよく知りませんけれども、シラバスどおりの授業をやらないと学生からクレームがつくとか、それぐらい熱心に教授の方も学生の方もきちっと授業の中身を追求するということがあるようですが、日本では、そこのところが大変形式的に流れてしまっているように思いますし、セメスターというのも、集中的にやって学力をつけさせるということが本来のねらいなんですけれども日本では、それは集中にはならないでばらばらになってしまっているというのが率直な感じです。  大学院重点化は、先ほども申しましたけれども一橋大学で聞きましたら、大学院の講義も五十人ぐらいを相手に、昔の学部並みだといって、とても面倒は見切れないという話をこの間聞きましたけれども、形の上で改革が進んでいるように見えながら、実際には、かえって研究の方も教育の方も手抜きになってしまっているのではないかというのが率直な感じです。  大学院重点化をやられたある大学先生が、せっかくいい結果が出るだろうと思ってやったのだけれども、やってみたら、予算もふえたけれども負担もふえて、何かキツネにだまされたみたいだ、こういう感想がございます。そういうのが大学状況ではないのかなというふうに考えています。
  63. 山原健二郎

    ○山原委員 一月二十六日に、中央省庁改革推進本部によりまして、「国立大学の独立行政法人化については、大学自主性を尊重しつつ、大学改革の一環として検討し、平成十五年までに結論を得る。」こういうふうに大綱に述べられておりますが、そうしますと、我が国が二十一世紀を迎えたその初頭では、日本には国立大学が存在しないことになりはしないか、独立行政法人の大学となりかねないという疑問が出てまいります。これは許せないことだと思いますけれども、皆さんの御見解を伺いたいと思います。この点について、各参考人から一言ずつ御説明いただきたいのです。
  64. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 私自身は、国立大学に身を置く者でございますし、現在、国立大学協会の副会長という立場でもございますから、当然、設置形態については、国立大学を今後も持続していただきたいというふうに考えます。  それは、国立大学が果たしている役割というものを考えますと、これはやはり非常に重要である。ただ、いわば国立大学であるということに甘んじて、現状国立大学であっていいかということを考えるわけでございまして、その点では、大学審議会答申、私からすると、これはまだ不十分というか、例えば国際化の問題なんか十分対応できていないというような点もございますけれども、先ほど申し上げましたように従来にない画期的な答申でありまして、それを今各大学がどういうふうに受けとめるかということに真剣に取り組んでおります。  確かに、改革疲れという点もありますが、それは、言ってみれば、これまで余りにも、特に国立大学の場合には、大学紛争というようなこともありましたけれども、しかしながら、内部からの改革の意思というものが集約できなかった。そこにむしろ問題がございまして、私は、そのためにもやはり国立大学が今大きな転換を遂げ、改革を遂げることによって、現状の設置形態というものを今後も持続することが必要かと思います。ただ、予算がないからというようなこと、人員削減が必要だというところから独立行政法人ということにはならないのではないか。  しかしながら、私は前々から申し上げておりますように、そのためには、いわゆるいい意味での競争原理、市場原理というようなものを国立大学自身も導入していくことが必要である、そういう形で国立大学が脱皮していくことが必要だというふうに考えております。
  65. 立川涼

    立川参考人 独立行政法人に関しては、実態が必ずしも明確ではないわけですね。  総務庁から、先般こういうものを出して説明が出ているのですけれども、省庁はあれで多分わかるのですけれども大学はやはりかなり違った世界なものですから、あれを読んでも、大学が独立法人になったらどうなるかということは明確には見えてまいりません。したがって、具体的な面で意見を申し上げるのは大変難しいのですけれども、それぞれの組織、長短あるのは当然なわけであります。  ただ、この問題、大学にとって大変不幸なことは、財政改革という金勘定から出てきたということがあるわけですね。教育の問題というのは、本当に長期的な国家戦略としてやはり考えなければいけない。それは当然、財政もそれについて議論されるわけですね。もちろん、短期的な財政状況で濃淡があるのは当然ですけれども、長期的な戦略を見失うわけにいかないわけです。  ところが、今の独立法人の問題というのは、中短期的な金勘定から出されてしまったという大変不幸な生まれを持っていると僕は思うものですから、大学にとって、現状では、独立法人はやはり反対せざるを得ないというふうに考えております。
  66. 山原健二郎

    ○山原委員 四人の御指名をしましたけれども、ちょっと待ってください、別の問題がありますから。先生方、ちょっとお待ちください。  一昨日、この委員会におきまして、大学意思決定機関はどこにあるかという問題が出ましてかなり論議がなされたわけでございますが、文部省は、評議会教授会審議機関、意思決定権は学長学部長にある、こういうふうに答弁をいたしました。  そこで、いろいろ見てみますと、中嶋参考人の場合は「学生学長」という文章を書いておられますが、それには、東京外語大学には、単科大学としては例外的に最終意思決定機関としての評議会が設置されているとあります。それから高知大学の場合、「未来にはばたく」という報告書が出ておりますけれども、それでは、学部意思決定機関は教授会である、こういうふうに書かれております。また、梶田先生のおられた京都大学の「自由な学風を検証する」でも同じようになっているわけでございます。  結局、最高意思決定機関である評議会審議、決定されるというのが皆さんの御見解のように思いますが、各大学での意思決定はどのようになっているのか、改めて聞くまでもありませんけれども、念のためお伺いしたいわけです。  この点について、立川先生浜林先生にまずお伺いします。
  67. 立川涼

    立川参考人 法律の解釈は別にしまして、実態的な点からお答えをさせていただきたいと思います。  先ほども申し上げましたように、どこの組織でもそうですけれども、やはり最終的な責任がそれぞれの組織の長にあるのは当然でございます。ですから、大学であれば学長学部であれば学部長というようなわけですね。ところが、そういう決定そのものが学部の中で、大学の中でうまく受けとめられて機能するためには、やはり合意の手続ないしは構成員の理解が大変重要になってまいります。したがって、ある種の学内民主主義というのは、それを担保するものだと思います。  結局、そういうものの裏づけがあったときに初めて大学としての意思決定が、学長を代表とし、あるいは学部長を代表としながら執行できるということだと思っておりますので、この辺は法律の解釈もあるんですけれども、ある意味で、学長なり学部長なり大学のいわば力量が問われるだろう。法律の規定は極めて簡単でありまして、実際に私どもが対応しなければいけない問題は結構複雑多様なわけですね。そうすると、その場その場で担当構成員ないしは責任者の力量がやはり問われる。そこでやはり世間的な批判もきっちり受けなければいけませんし、また的確な対応をしなければいけないというふうに実態としては考えております。  以上でございます。
  68. 浜林正夫

    浜林参考人 大学自治慣行としては、学部では教授会大学全体としては評議会というのが決定機関だというのは大体どこでも定着をしていると思います。ただし、私立大学では、かなり専断的な運営をしている学長もないわけではございません。一般論として、意思決定と執行というものを一つのところが持つというのは組織としては変体でありまして、執行部というのは意思決定機関に拘束をされて執行するというのがルールだと思います。  大変失礼ですけれども、例えば、国会は国権の最高機関で決定権を持っておりまして、それを執行するのが行政府です。もし行政府が決定機関になりますと、国会では審議しても決めるのは小渕さんだ、こういう話になってしまうわけですね。今出されている大学の管理方式というのは、例えて言ってみればそういうような形のものではないのかというふうに思いますので、その点については私は大変憂慮をしております。
  69. 山原健二郎

    ○山原委員 もうちょっとその点について申し上げますが、今回、意思決定権は学長が持ち、そして、評議会教授会審議機関として、評議会を法定し、それから、構成員とともに審議事項も法定しました。また、教授会についても審議事項を法定したわけですね。評議会の位置づけ、教授会の位置づけは、大学自治という長い間の慣行によって確立されたものでございます。それを文部省が勝手な解釈でゆがめて、そして法律で押しつけるということは極めて大きな問題だと私は思っているわけでございます。  構成員をどうするかとか、あるいは審議内容をどうするか、これは大学自治に属する問題であって、法定すべきものではないというのが私の見解でございます。大学は、営利企業と違いまして、各人の学問的良心、社会的使命の自覚が命でございます。大学は、学生、職員を含めれば、何千、何万という人がいる学問の府でございますから、大切なのは、学生も含めて、大学構成員の英知を結集することであり、トップダウンで押しつけることは正しくない、こういう考えを持っております。  今回の法案大学自治との関係で改めて問題を提起しておると思いますが、この点についてもう少し明確なお答えを浜林先生にいただきたいのです。
  70. 浜林正夫

    浜林参考人 大学自治というのは、大学が決めればいいんだというふうに解釈をされておりますけれども大学の中でどういうふうに決めるかということが一つ非常に重要でありまして、先ほどから立川先生がしばしばおっしゃっておりますが、学内民主主義というものを抜かして専断的な経営が行われるということはかえって混乱を招くというふうに思います。  おとといも文部大臣からちょっとありましたけれども、ある学部が移転に反対するとなかなか決まらないというケースがあるというお話で、それは方々にあるかもしれませんが、私は、実は一橋の前には東京教育大学におりまして、御承知ように、文学部が移転に反対をし、そのためにかなり混乱をした、そういう経過がございました。最終的には評議会の多数決で移転を決定いたしましたけれども、私ども学部の主張としては、多数決ではなしに、そこには何らか調整の道というのがあるはずだということで、それを一生懸命に追求いたしました。  評議会は、そういう各学部意見を踏まえて、それを調整しつつ決定をしていくということが非常に大事でありまして、そこの手続といいますか、まあ単なる手続ではないんですけれども、そこの運営に十分に配慮をいたしませんと、かえって混乱が長引いて大学運営を危うくする。  先ほどから、教授会は大変時間をかけてつまらぬことを議論しているようなお話もございましたけれども、私は、やはり時間をかけることが大変に大事だというふうに思っておりますので、結局、それが大学構成員の活力を引き出していく道だというふうに思いますから、大学自治というのは、単に学内でということではなしに、学内でどういうプロセスで決定をされるかということを見ていただきたいというふうに思います。
  71. 山原健二郎

    ○山原委員 さらに、運営諮問会議あるいは評議会、それから教授会の議事手続まで定めようとしておること、それも、多数決で行い得るというような内容だと聞いておりますが、多数決でやろうが全会一致を貫こうが、これは大学の判断に属することでございまして、こんなことまで、いわゆる議事手続、内容にまで文部省が関与するというのはもってのほかだ、私はそう考えています。  前に、ちょうど一九七三年のときにいわゆる筑波大学法案が出まして、この委員会はもう毎日のように、強行採決とそれに対する反対と大変な事態で、衆議院では九日間、五十九時間この質疑に費やしておるわけでございますが、一大学の問題でもこれだけ審議がされたわけでございます。  私ども、当時の当事者として、二十数年たって今筑波大学を考えてみましたときに、こうした参与会とも言える運営諮問会議の設置、あるいはトップダウン方式の押しつけというのがいかに大きな問題を持っているかということを本当にしみじみ感じているわけですが、これについて浜林先生のお考えを伺いたいと思います。
  72. 浜林正夫

    浜林参考人 私は、筑波大学創設のときにはかなりかかわりましたけれども、はじき出されたものですからできてからのことは余りよく知りませんが、十年、二十年の節目でいろいろな総括文書が出ているようです。そういうものを見ますと、幾つか反省があるようですね。  それは、内容についていえば、物理が重視をされて社会科学系が軽視をされた。これは初代学長である宮島竜興先生が、ごく最近、二十年の記念のときに自己批判としておっしゃったそうでありまして、そういういわばバランスを欠いた大学の構成になっていたということが一つあるように思います。  それから、これは学長さんにもよるのですけれども、仕組みとしては学長がかなり独裁的に運営をできる仕組みになっておりますので、ある学長は大変そこは独裁的に運営をしたものですから非常に混乱が起こりまして、学長教員から裁判で訴えられるというふうな事件もございました。そういうようなことがいろいろあって混乱を続けてきたように思います。最近のことはちょっと存じませんけれども。  参与会でありますが、参与会がどういうふうに機能したのかということも私はそんなに詳しくは存じませんけれども大学運営をゆがめるほどの力は持たなかったというふうに大学側では言っております。これは、参与会の意見を取り入れるところは取り入れたからゆがまなかったんだろうというふうに思いますけれども、やはり参与会の構成メンバーが固定をされる傾向があって、そうしますと、先ほども言いましたけれども大学に対する意見もある偏りを持ってくるということを、これは筑波大学だけではなしに一般的にですが、そういうことを感じております。
  73. 山原健二郎

    ○山原委員 最後に、立川先生にお伺いしたいのですが、きょう私は、朝起きまして、うちの赤旗新聞を見たのです。日曜版というのがきょう配達になるわけです。そうしたら、それに先生のコメントといいますか論文が出ていまして、まだごらんになっていないと思いますが、後で差し上げますので。ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議代表という肩書がついておられまして、環境問題で先生のコメントが出ているわけです。  そういうことから大変親しみを込めて御質問を申し上げるわけですが、先ほど、大学改革を押しつけるのではなくて、大学教育研究向上のために定員削減をやめること、それから積算校費をふやすこと、さらに高等教育への公費支出を欧米並みに高めるということが浜林先生の方から提案をされたわけですね。  地方大学運営されまして、このことについてどういうふうにお考えになっておられるかということでございますが、特に、きょうは地方大学学長さんとしてはお一人しかお見えになっておりませんのでお尋ねするわけですが、地方大学大学改革をやろうとする場合、どういうことを要望されるかということをこの際先生の口から御発言いただきたいと思います。
  74. 立川涼

    立川参考人 地方の国立大学というのは、大都市の大学とはやはり違う役割期待されているわけですね。  具体的な例を挙げてはちょっと失礼かもしれませんけれども、例えば東京大学日本にとって大変大事な大学ですけれども、東京都民とは多分極めて縁が薄いわけですね。ところが、地方に参りますと、そこにある大学というのは地域と非常に密接に結びついております。つまり、大学というものは、教育研究機関だけではありませんで、大きな社会的な存在として、例えば地域における最大のシンクタンクでありましょうし、あるいは知的、文化的な主役を担うものでもあり得る。あるいはもう少し別の見方をしますと、数千人とか一万人の若者がいるわけですね。これがもしなくなったら地域は一体どうなるだろうかというようなことまで含めまして実は大学役割は大変大きいわけで、地域に行けば行くほどそういうわけであります。  これは、必ずしも僕は国立でなければいけないということを言っているわけではありませんで、どういう大学でもいいんですね。ただ、歴史的な現実として、地域においては過去五十年間国立大学が大変大きな役割を果たしてきた、それをやはり大事にしないのはどう見てももったいないという気がするわけです。  したがって、地方大学改革は、教育研究活性化もあるのですけれども、そういう視点で、地域の意見を聞きながら、地域と結びついてどういうことを新しくさらに開拓していくか、それはやはり地域で生き延びていくためにも国立大学にとって大変大事なことだと思っております。  そういう意味では、運営諮問会議も、むしろ積極的にいろいろな御意見をいただいて、私どもはそれに対応していきたいと思っております。僕はそれを余り制約的には考えておりませんで、相当厳しい御意見であっても、そういうことでつぶされるような大学ではある意味では力量が問われるだろう。厳しい御意見であってもそれに的確に我々は対応できる、おこたえができるようでなければ、そういう力量が大学には問われてくるだろう。そういう意味で僕は、諮問会議も積極的に受けとめていきたい、大学のこれからの改革なり活性化に生かしていければというふうに思っております。
  75. 山原健二郎

    ○山原委員 これで終わりますが、大学改革ということですから、私は、今まで論議してきた基本は大学自治を守るということだろうと思うのですね。これにいささかも抵触するような決定はすべきでない。そういう意味で、この法案についても、やはり相当時間をかけて論議をしていただきたいと委員長にもお願い申し上げるわけですけれども、これは本当に大事なことだと思いますから。  きょうは梶田先生にはお尋ねしなくて申しわけなかったのですが、ちょっと時間の関係で失礼しました。  それでは、ぜひ法案審議につきましてもよろしくお願いしたいと思います。  終わります。
  76. 小川元

    小川委員長 次に、濱田健一君。
  77. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 四名の先生方には、きょうは貴重な御意見をいただきまして、大変ありがとうございました。  社会民主党の濱田健一でございます。  時間が短いですので、四点ほどお尋ねをさせていただきたいと思います。  学部三年卒業の道をこの法案で開いておりますけれども浜林先生はこれはちょっといかぬという御見解のようでございますが、他の三名の先生方については、積極的な方向性と活用の仕方によっては能力を持っている学生がより発展的に次のステップを踏めるということでの評価をされておられるようでございます。  ただ、私たちも、三年間の中で一定の単位をきちっと取った、またそれ以上にたくさん単位を取ったというだけでの卒業というのは、いささか形式的といいますか、もう少し内容を含んだもので次へのステップを切り開いていただきたいという観点から申し上げますと、中嶋先生立川先生梶田先生、三名の先生方で結構でございますが、私だったらやはりこういう学生の見方をして、こういう学生評価をして、そして大学院なら大学院、ほかの大学ならほかの大学に送り出してやりたいな、三年で卒業させてやりたいなというような、どういう観点がおありかどうか、御披露いただけたら幸いでございます。中嶋先生からよろしくお願いします。
  78. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 先生方を含め、私どもを含めて、大学というのは十八歳か十九歳の者が入学してくる世界だというふうに、従来はやはり私どももそういうふうに考えておりました。  ところが、一つには十八歳人口の急激な減少もありますけれども社会が非常に多様化してまいりまして、一方では生涯教育ということも言われておりまして、大学学生が物すごく多様化しております。  私ども大学の場合、留学生が一二・五%もおりますけれども、そのほかに社会人、特に三年次編入というようなことをやり始めまして非常に効果があるのですね。それは、既に十年とか数年間国際体験を持った者が、もう一遍英語をきちんとブラッシュアップしたいというような形で入ってきます。私はその三年次編入の学生に対しては入試の後に面接もしてみました。そうしますと、非常に目的意識があって、何々のために自分はこの大学でこういうことを学ぼうかということがはっきりしております。  こういうことは一つの例でありまして、これらの学生がこれからは非常にふえてくるんじゃないか。年齢的にもアメリカは既に日本よりも高等教育の平均年齢が高いわけですから、そういう学生がたくさん入ってくると思うのですね。  例えばもう一つの例ですけれども、非常に語学ができる女子学生、これはJICAとか国際交流基金が現地採用をしまして、非常にすばらしい能力を持っている者がもう一遍入ってきました。これはむしろもっとどんどん早く伸ばしてあげたいというふうな例もございます。  それから、ジャーナリズムの世界では、今回、三年で卒業できるとか、あるいは入り口をむしろ緩やかにして出口を厳しくするというようなこともいろいろ注目されているわけですけれども、もう一つは、例えば大学院なんかも長期在学コースというものを設けておりまして、単に早く卒業するだけをプッシュしているのではなくて、じっくり時間をかけて、例えば、自分が勤めの後に単位を少しずつ取っていって、長期に大学というものを終えることができるということも今後の大学課題でありまして、それらを含めますと、大学の構成員自身が、特に学生層の非常な国際化、多様化、年齢層のバラエティーが非常に富むという中で、この問題も御勘案いただけたらと思うわけでございます。
  79. 立川涼

    立川参考人 あくまでも大学はそれぞれ卒業の要件があるわけですから、それをクリアしている限り年限には原則として幅を持ってよかろうと。今八年の上限があるのですけれどもね。下の方も、別に三年でなくても、三年半でも二年半でも、要するに条件をクリアすればそういう学生は卒業にしていいと僕は思っているのですね。  ただ、少し技術的なことを申し上げますと、三年でちゃんと出られるようにしようと思ったら、今までの四年標準のカリキュラムではだめなんですね。全く別個に三年修了のカリキュラムを全面的に組まなければいけません。教官も教室もまるで足りません。ですから、物理的にそれは大変難しいのですね。ですから、要は、四年標準のカリキュラムの中で何とかくぐり抜けた学生が三年で終わるという方法しか現実にはないわけです。したがって、当分の間は、やはりかなり例外的な措置であろうというふうに僕は思っているわけです。
  80. 梶田叡一

    梶田参考人 私も結論的には、今立川先生がおっしゃったのと同じように考えております。  ただ、私は、例えば十七歳で入学できるとか、三年で卒業できるとか、修士が一年で取れるとか、そういう道を開いておくこと自体はいいことだと思うのです。大学そのものが学生の特別な状況に合わせて自主的に判断できる、その道を広げたという意味で。  ただし、今のこの問題の取り上げられ方、新聞等での取り上げられ方については非常に危惧を持っております。例えば、何か早く学士号を取ったらいいみたいな、早く修士号を取ったらいいみたいな。  ちょっとあれですが、ノーバート・ウィーナーというサイバネティックスという理論体系をつくり上げた人がおります。ロボットとかロケットの自動制御の理論ですね。この人が晩年に「元神童」という自伝を書いております。昔、自分は神童と言われていた。この人は、十五、六で、ハーバードで博士号をもらっています。このことがいかに不幸なことであったか。つまり、幾ら理工系であっても、本当に仕事に何かを生かすために、時熟性といいますか、それを支える、例えば数学がわかればいいとかできればいいのではなくて、それを支える、その仕事を支える人間としての物の感じ方、考え方、判断の仕方というのが育っていかないと、これはなかなかうまくいかない面があります。  そのウィーナーは、自分にとっては不幸なことであったけれども、これは親が早期教育をやったからそうなったわけですが、もう一つ書いておりますのは、自分がハーバード大学大学院におったときに、当時ハーバード大学は非常に世界じゅうの天才を集めるのが趣味だったというか好みだったといいますか、そういうことで、世界各地から十幾つのいわゆるドクターズキャンディデート、博士号をもらう候補の人が大学院におったというのです、十四、五の。その後、だれ一人物になったのはいないということを書いております。これは、私は後をフォローしたわけではありませんから知りませんけれども。  私は、この問題というのは、繰り返しますが、大学が自主的にいろいろなことをやっていく、そういう可能な選択肢をふやしたという意味では評価をいたしますけれども、この運用にについては極めて慎重にやっていただきたいなというふうに考えております。
  81. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 極めて慎重にと。そして、今の大学の仕組みであると、この三年卒業というのがそう大きく適用される部分というのはあり得ないだろうということでございますし、各大学学部のきちんとした基準なりを出していく、学生の持っている資質、方向性、そういうものを先生方が相当多くチェックをされるだろうと私も思うわけでございます。それでも、浜林先生、やはりこの仕組みというのは無理でしょうか。
  82. 浜林正夫

    浜林参考人 大学答申は、学部教育をもっと充実しろと言っているわけですね。もう一方で三年でも卒業できるというのは私は矛盾していると思うのです。やはり、ゆっくり時間をかけてきちっと育てていかなければならない。  今お話にございましたけれども、外国では、非常に駆け足でというか超特急で大学なり教育を終えていくというケースがあるようですけれども、将来について見ますと、私は、やはり一番の基礎ができていないと、その方は将来は伸びないというふうに思っているのです。非常に繊細な、デリケートな、あるいは神経質な幅の狭い人間ができ上がってしまって、挫折をすることが多いように私は思います。  そういう意味では、つまり大学四年というのは、四年間にこれだけのことをやらなければいけないという一応学習すべき内容というものがあって、それで四年というふうに現在は決めておるわけですので、それを三年で終えてしまうということは、結局はどこかで手抜きをすることになるのではないかという感じを持っております。
  83. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 大学運営諮問会議等、民意の反映という形で今回の法律改正はうたわれておりまして、大学の中にある各部署が役割分担をするという意味では、ある意味で使い方によって評価ができると私も思っているわけでございますが、であればあるほど、今回の法律改正の中に、学生の参加の部分が少し欠落をしているのではないかというふうに思うのでございます。  やはり大学で学ぶという主体は学生ですし、研究というのも先生方学生が一緒にやっていくという両輪でございますので、大学運営についての学生の参加ということについて、四名の先生方が今御苦心なさっている部分と、これからどのようにそのことを大学の中に位置づけていけばいいのかというお考えがございましたら教えていただければ幸いでございます。
  84. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 学生意見大学の発展なり改革に大いに参考にしたいという姿勢は、私どもむしろ非常に強調しております。  それでどういうことをやっているかといいますと、現在、自己点検の一環として学生のアンケートをとっておりまして、カリキュラムや大学移転、私ども大学は当面しておりますから、それらの問題についての学生意見をそういう形で集約しております。それから、しばしば学長みずから学生との接点を求めてセミナーをやるというようなこともやっているわけです。あるいは講演会をやるということもやっております。  一方では、私ども大学の場合に、日本国立大学はとかく卒業生を送り出したら送り出しっ放しなものですから、諸外国だとアラムナイ、同窓会が大学にとってもまたいい意味で非常に刺激になっておりまして、全卒業生に向けてかなり詳しいアンケート、現状大学に対する要望なども入れております。  そういう形でいろいろ学生意見を集約し、さらに今後は、いわゆるスチューデントバリュエーション、学生の教官に対する評価もやっていきたいと思っておりますし、これは今後かなり進むと思います。  ですから、そういう形で学生意見を取り入れるのが一番いいのであって、大学の諮問会議みたいなところに学生の代表を取り入れるということは日本大学学生諸君の実態にはなかなかなじまないのだろうと思うのですね。いわば学生はしょっちゅう、通過集団という言葉は悪いにしても、かわっていきますし、私ども大学紛争の、私も経験し、当事者でありましたけれども、それらの体験を踏まえても、やはり学生がそういう大学会議の中に入るということはどうもなじまないのではないか。それ以外の方法学生意見を取り入れる。さらに、特に学生の教官に対する評価ということは今後大いに取り入れていかなければいけない、かように考えているわけでございます。
  85. 立川涼

    立川参考人 今、学生参加で具体的に行われているのは授業評価ですね。これはやはり大変役に立っていると思います。  ただ、一般論として、大学管理運営にどこまで参加するかということになりますと、先ほどから議論になっていますように、学力が必ずしも十分でないとか社会的に必ずしも成熟していないということがございまして、教官が成熟しているかと言われたら時々しんどいことがあるのですけれども、相対的にはやはりそういうことがあるかと思います。したがって、具体的な場面でどういうふうな参加の仕方があるかはそれなりの工夫があると思いますけれども、やはり積極的に組み入れることは大変大事だと思っております。  特に、地域社会とのつながりからいいますと、学生がむしろ主体的に大事な役割をするということがございます。例えば、私ども大学に室戸完歩というのがあるのです。高知市から室戸岬まで百キロあります。それを飲まず食わずで走るのです。結構、もう四十数年の歴史がありまして、地域では大変大きなイベントなんですね。そうすると、高知大学以外の高知県内の学生あるいは県外の学生も参加いたします。マスコミにも結構大々的に取り上げられている。最近は、通過の市町村の方々がいろいろと、救護班だったり炊き出しだったり、応援をしてくださいまして、地域を巻き込んだ大変いいアクティビティーになっていまして、これはある意味大学のイメージを違う形で高めているというありがたいようなこともあるわけです。  したがって、学生大学に対する参加というのは、必ずしも管理運営だけに限定しない、多面的なものがあるし、あるいは学生の方がより積極的に役割を果たせるような場面もあるというふうに考えております。
  86. 梶田叡一

    梶田参考人 こういう法案学生運営参加についてどういう形で盛り込むのがいいかというのは私はわかりませんが、ただ、少し一般論になりますけれども、きょうもちょっとありましたが、七〇年代にあれだけ言われた学生の問題、それから職員の問題が最近管理運営でほとんど言われなくなったのは少し問題かなという気がしております。  同時に、学内民主主義という言葉が、きょうも使われておりましたけれども、どうも教授会メンバーだけの民主主義みたいな感じなんですね。私は、やはり多段階多層のいろいろな意思とか意見の集約がなければいけないなと原則的に思っております。  では、お前のところではどうしているか、こういうふうになりますが、私ども小さな女子大学ですけれども、これまでやってこなかったそうなんですが、私どもも一応学生から授業評価と学校の教育あり方全体についての評価、カリキュラムを含めて今アンケート調査をとっておりまして、これを多分五月か六月に公表しようということでやっております。  同時に、学長のオフィスアワーみたいなものですね、学生が自由に入ってきていろいろと意見を言える形を今つくっておりまして、例えばことしも卒業を前にした学生が何人も来まして随分私に言っていきました。例えばこういう形でやっております。ただし、これをどこの、つまり会議メンバーにするとか、そういうようなことについてはまだまだこれから検討しなければいけない。  それから職員の方も、同じように私も行きまして職員の方々とお話をしますと、どうしても職員の方々に不満があります。いろいろな大事なことは教授会だけで決めてしまって職員はそれの下請をさせられるだけか、これは実は大阪大学でも京都大学でもそういう声はあったのですが、まあまあそういうのがあります。これを今どうするかということで、職員だけの、これは部長さんから入ったばかりの若い職員も含めての全部の会議をこれまで何回か開いております。  これをどういうふうに反映するかというのはまた難しい問題ではありますけれども、ただ、会議メンバーにすればそれが民主主義を担保するということでは必ずしもないと私は思っておりまして、やはり一つの慣例として、ある職員の意見が例えば運営に反映する、そのルートをつくっておく、学生意見運営に反映するルートをつくっておく、それから、きょうも出ておりましたし、法案にも盛り込まれておりますけれども、学外の関係者の御意見も反映するようなルートをつくっておく、これがこれから非常に大事ではないか。繰り返しますけれども、私は、学内民主主義というのは教授会メンバーだけの民主主義であってはならないと考えております。
  87. 浜林正夫

    浜林参考人 先ほどちょっと申しましたユネスコの二十一世紀高等教育宣言の中に、学生大学改革の主要なパートナーであるというふうに書いてあります。さらに、大学改革学生要求にこたえるということが一番の基本だというふうに書いてございます。  その学生意見をどういうふうに取り入れるかという形は、これは今まで諸先生がおっしゃいましたようにさまざまで、大学紛争の後、方々大学で、例えば立命館では、全学運営協議会といいましたか、学生も参加をして一緒に大学運営の問題を議論する場というのが定期的に、まだ開かれておると思いますけれども。それから、一橋の場合には、これは学生用語でいうと団交方式というのですが、そういう会議には入らないで、重大な問題があるときには学生自治会と大学とが交渉する、そういうシステムだとか、それから、これは昨年とうとうおしまいになりましたけれども学生学長学生部長候補者に対して拒否権投票をするとか、さまざまな形があり得ると思います。  法律にそれを盛り込むというのは私もそれはなじまないと思いますが、大学審の答申にはそういうような学生の参加についてどう考えるかという部分が欲しかったと思いますけれども大学答申には学生のことが全く出てこない、学生というのは厳格な試験を受けて卒業できないことがあるとかというふうに、いわば受け身にしか位置づけられていないという点は、答申については私は不満を持っております。
  88. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 最後に、開かれた大学という意味では、そこにある知的財産を、地域の課題や、今からますます大事になります生涯学習、そういうところにどんどん生かしていただく。また、地域の皆さん、県民といいますか、そういう人たちも利用すべき相互の交流というものが大事になってくるというふうに思うのです。  大学の特性や、地域の中で位置づけられているそれぞれに違った立場がおありだというふうに思うのですが、これらの地域課題、生涯学習等への今御努力をいただいている状況や、これからそういうものについて大学がどういうふうに位置づけていかなくちゃならないのか、ちょっと時間がありませんけれども、四名の先生方、御見解をお持ちでしたら、いただけたら幸いでございます。
  89. 中嶋嶺雄

    中嶋参考人 私どもは北区でございますから、北区と留学生を交えた交流などを非常に進めておりますし、荒川区に大学の国際交流会館があるのですね。留学生が荒川区の小学生にいろいろな国の言葉を、初歩ですけれども、夏休みに教えるというようなことも一つ開かれた大学あり方だと思っております。  生涯学習というのは、そういう点でこれからますます重視されると思いまして、そのためにも、教授会で長い議論をしているとこういういいことも進まないのですね。  ですから、きょう議論の中で一つ出ていないことは、学長のリーダーシップといっても、実は学長にほとんど何の権限もないのが現状でありまして、学長の権限といっても独裁することではございませんし、いろいろな会議の中で学長は存在しているわけですし、しかも学長は選挙によって選ばれるわけですね。全く自由な民主的な直接選挙によって選ばれるところが大部分です。最終的にはそれは評議会が追認する形で決定いたしますけれども、そこをぜひお忘れいただかないようによろしくお願いいたします。
  90. 立川涼

    立川参考人 具体的にお答えしようと思いますが、多分一つは、中嶋参考人もおっしゃったけれども社会人入学というのは大変大きいのですね。これはやはり、ずうっと学生で来た人間と違いまして、社会的な経験がある、あるいはノウハウがありまして、大学の教官も持っていないようなノウハウや経験があるのですね。ですから、それは学生にも刺激になるし、教官にも場合によっては刺激になります。だから、決して一方向的なサービスではなくて、双方向的で大学教育研究活性化するということがございます。それは当然地域との結びつきも密接になってくるのですね。そういう意味では、当面具体化できるのは社会人入学をいろいろなレベルで拡大することだと思っております。  その他、実はまだまだこれから検討しなければいけないのですけれども、いろいろな大学に今は生涯学習教育研究センターというのができております。私ども大学にもそれが最近できておりまして、大変熱心な先生が、今一体大学がそういう面で何をやれるかをいろいろ検討しているところなんですね。  ただやはり、率直に申し上げて、一人の先生の努力では限界がありまして、大学の構成員全員がこういう問題に対してそれなりの関心を持ちませんとなかなか具体化いたしません。そういう意味では、大学としては、先生方の意識改革といいましょうか、こういう問題に対する重要性を理解していただく努力を一方で重ねていく必要があるというように思っております。
  91. 梶田叡一

    梶田参考人 今お話がありましたように、一つ社会人入学、これは学部大学院も含めてですけれども、昼夜開講制にし、社会人が夜でも学べるようにする、こういうことを学部レベル大学院レベルももっともっと進めなきゃいけないなと思っております。ただし、今かなり大幅に進みました。私はこれは高く評価しております。非常に進んできたなと思っておりますが、しかしまだまだ、昼夜開講制にするとか社会人を受け入れると、やはり人も、あるいはいろいろな問題で非常に大変です。  ですから、ぜひこういう場で御議論いただきまして、やはりその方が得になるような措置を、大幅に得になるような措置をしていただかないとなかなかだと思うのですね。もちろん、今十八歳人口は減っておりますから、ほっておいてもある程度までは社会人入学をどこも図っていくでしょうけれども、そういう消極的なことではなくて、これからやはり生涯学習というのを高等教育が担っていく、大事な要素として。しかも、二度でも三度でも大学に帰ってくる。  私の伴侶も去年二度目の大学生活を終わりまして、大阪外大を、五百年前のラテンアメリカ最初の人権思想家ラス・カサスを勉強させてもらいまして出ました。そうすると、随分たくさん仲間が、例えば定年になってからお入りになった元商社の人とか、たくさんおられるということを知って、そういう人たちがうちに集まってよく話をしておられますので非常に進んできたなとは思いますけれども、繰り返しますが、やはりもっともっと政策誘導的にこの点を考えていただきたいなと思います。  それから、個別大学では、先ほど御指摘のとおり、図書館とか社会教育のいろいろな施設を地域に開放するということ、これも進んでおります。私どものところも、小さいですけれども少しずつやっておりますが、これももう少し促進するような方向で御検討いただけたらというふうに思います。
  92. 浜林正夫

    浜林参考人 今までの先生方がおっしゃったことに賛成ですが、賛成だということを申し上げた上で幾つか問題点を申し上げたいのですけれども一つは、社会人入学といっても、企業に勤めておられる現役の方はなかなかそれは難しいわけですね。ですから、実際にやりますと、専業主婦の方とかあるいは定年退職をされた方とか、そういう方々が実際に来られて、それはそれで結構ですけれども、本当に社会教育として役に立っているのかなという疑問を時々感じます。  それから大学側としては、社会教育あるいは地域への開放ということにもちろん賛成なんですけれども、これもいろいろ障害がありまして、一つは、今もちょっとおっしゃいましたけれども、やはり教員の負担がふえます。ある大学では、社会人のために土日に授業をやり、かつ夜間をやって、しかも昼間は学部をやらなくちゃいけないというので、悲鳴を上げているというところがあります。  それから、私が一橋におりましたときは、地域から大学の施設を開放してくれという要求がありまして、例えば、図書館とかグラウンドとかテニスコートとか、そういうところを使わせてくれと。これはなかなか難しい問題があります。開放したいのはやまやまですけれども、例えば図書館を開放して本来の学生研究教育に妨げになっては困るとか、いろいろな問題がありまして、その辺のところは大学側としての悩みもあるということを申し上げておきたいと思います。
  93. 濱田健一

    ○濱田(健)委員 ありがとうございました。
  94. 小川元

    小川委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言お礼を申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、また貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  次回は、来る二十二日木曜日午前九時二十分理事会、午前九時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時三十八分散会