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栗本委員 基本は全く賛成でありますが、大変手ぬるい、生ぬるい、遅いというふうに残念ながら申し上げざるを得ない。
入試センターというのについても、反対があるからそうなるんだと思いますが、あたかも
大学は入学試験のためにだけ存在しているような一種の権威主義、古い
考えがあります。だから、入試センターでやらないで単独でやるべきだと。だけれども、実際、全
世界の
大学を見て、あらゆる
大学のあらゆる
学部が単独で入学試験をやっている国なんてない。今は入試センターがありますので、私学も含めて利用して、いい面もある。そこに問題があればその問題を直していくということにすればいいんですが、各
学部が全部やっているなんというのは
日本だけです。
そのために、原子炉を動かしている
教授もサーキュレーターを動かしている
教授も、全部とめまして行かなきゃいけないとか、その間にひよこを面倒見ている
教授のひよこが死んだらどうなるんだという問題が常に発生しています。それを私学もまねするから非常に問題がある。だから、入試というのは切り離すというふうなことをむしろしていただきたいし、これも、
教授会の自治というのが何かすごくなくちゃいけない、あれもこれも取り込んでおかなきゃいけないという中に入試というのが出てくるからだと私は思っているんですね。
私のおりました
私立大学では、十種類入試がありました、二月、三月。みんな驚くんです。入学試験というのは、高校の
卒業生ないし浪人した人の
学部入学、昼間の、一部の入学試験だけだと普通思うけれども、
法律的には、編入試験も学士入学の試験も、もちろん
大学院の試験も全部同じなんですね。十種類全部、
教授会でやらなきゃいけない。
学部の一部、二部、それから編入の一部、二部、転入、学校内の転入ですね、経済
学部から
法学部へ来るとか、これも一部、二部があります。
大学院もそうです。
博士前期課程、修士課程と
博士課程あるいは
博士後期課程が、これは一部、二部は通常ないわけですけれども、あります。これもさらに細分化しよう、多様なニーズにこたえようというわけですよ。
入試だって、普通の点だけでやらないで、推薦、それから面接を重視されるんだということで、面接重視といって面接で入れたり落としたりするのならやっていただきたいと思うけれども、何か儀礼的にふえているだけじゃないかというふうに思う。大体、面接で思想信条とか、学問にかかわることはしばしば思想信条にかかわったりするので、それも聞いちゃいけないというふうな……。
慶応義塾
大学で、あなたは福沢諭吉を尊敬していますかと聞いたらいけないということになっているわけです。いけないわけですね、何か政治的なものにかかわるかもしれない、聞いているうちにはかかわってくるかもしれませんから。だから、面接なんて、顔色を見て、お互い当たりさわりのないことを言わなくちゃいけない。実際、苦痛にしかならないようなものなんですが、どうも実態的にあやふやである、こう思いますので、入試というものについて、そういう一種の権威主義というのをぜひ削っていっていただくように。
ましてや、
国立大学で機械にかかわって
研究をされている
教授なんかは大変だろう。我々は
文科系の
教授でありましたから、いいや、この一カ月は遊んでということで、後で頑張りましたけれども、やはりまじめにやっていてブランクがありました、その一カ月間。やはり
学術書、
研究書を読むのと
学生の採点をするのと、コンピューターでやればいいのに、コンピューターでやると手当が減るからという話になるわけですから。
これは別に明治
大学の例だけじゃないんですが、全国的に明らかに——入試をしてから三日目ぐらいで発表するのは、現在のところ、大きい
大学では帝京
大学だけだと
考えています。これについても、私は帝京
大学の総長と、そのときは私は保守的な立場で、三日目に発表するのはおかしいじゃないか、明治は十日なんだぞ、早めても一週間だぞと言ったらば、それは絶対三日でできると、議論をいたしまして、私が敗れまして、それはそうだということで、今私は帝京
大学の客員
教授もしておりますけれども。
それは
一つの例なんですが、どうも
改革の
方向が隔靴掻痒で、御意見があるかと思いますが、また個人的に伺うことにいたしまして、次に移らせていただきます。つまり、
運営の柔軟化とかいうのが足りないんじゃないですかというようなことを申し上げていたところであります。
それから、今回の
改正の中には、
教育公務員
特例法の
改正関係のことが入っております。これは、実は
社会的には大変重要なことだと思うんですね。また、
国立大学という問題にかかわることの重要なものの
一つだと思っております。
今回の
改正では、
教授会に対して
学部長等が意見を述べることができるという恐る恐るの
改革が入っているのがみそなのかな。つまり、
教授の選任について、
教授会の自治であるという
考え方が当然あって、
学部長なり
学長なりが、この人どうですか、
教授会がだめだと言ったという場合に採れないというようなことがしばしばある。その結果、これは
私立大学でも起きることですけれども、ある
学部は、政治的には、政治的あるいは
社会的にはといいますか、そこには全然多様な意見がなくて、一定の勢力の物の
考え方が、しかもそれが学問にかかわっているとなおさら顕著になるんですが、集まっちゃうというふうなことがあって、それにいわば風穴をあけようという
意味だと思うんですが、これは賛成です。賛成ですが、もっと柔軟にしていただきたい。したがって、
私立大学は
教授の資格をいろいろ変えて実際に
運営しています。
私は今、帝京
大学の客員
教授だとも申し上げましたが、同時に、東京農業
大学の
教授という名刺も持っております。
教授は
教授なんですが、特任
教授という種類のものでありまして、つまり
教授会に出なくていい、逆に言うと出られない。
学部の
運営についてこういうふうに変えろという意見を持っていても言えない。あいつはうるさくて言いそうだから外されているわけですが、言えないということになる。それはそれで何種類か
教授というものがあるということでいいと思うんですが、
国立大学ではまだそういう形に今なっていません。
そのことよりも、実はこの公務員
特例法の中で、今問題になっている具体的なことを、例えば一橋
大学の中谷巌
教授がソニーの社外重役になるということについて、これはだめだと。これは慶応
大学教授なら問題はないんですよね。私は、個人的には当然そうしたことは構わないではないかと。
ソニーというのは利益を上げる会社であって、そこに加わることはよくない云々と言うけれども、しかし、そうした企業の
社会性というものが
認知、認定されているからこそ——まだ反対はありますけれども、もし実態把握が正しければ、民間企業である銀行に税金を投入するということが
認知される、反対はありますよ、反対はありますけれども、議論されて、国会の多数によって
認知されているわけであります。
しかも、
私立大学はよくて
国立大学はいけないという話はおかしいのではないか。これについて、そこら辺まで踏み込んでいく気があるのかどうか、御意見をお伺いしたいと思います。