○富田
委員 確かに判決等でそういう形に示されてはいるんですが、
先ほども
山元委員の方からお話がありましたように、強行法規なのか訓示規定なのかというような御
質問もありました。ただ、法律、法規といっても、
学習指導要領については随分性質が異なるものではないのかというふうに私には思えます。
例えば「法制執務提要」、
佐藤達夫さんという方が編集している文章ですが、その中にこういう記述がございました。
国旗・
国歌について、今回「
指導するものとする。」というふうに
学習指導要領の方で変わっておりますが、
この「するものとする」という表現は、以前の
学習指導要領で用いられていた「望ましい」と比べて、かなり義務づけの意味合いが強く出されている表現となっています。
また、「するものとする」という表現には「しなければならない」という義務づけの意味がないわけでなく、場合によってはこれと同義語として使用されることもありますが、一般には、そこまでものごとをはっきりと割り切らずに、若干の含みを持たせつつ、一般の原則なり、方針なりを示すという
気持ちが強い場合に多く用いられ、行政機関等にある種の拘束を与える場合によく用いられる言葉である、とされています。
こういうような
説明もされています。
また、判決の中にこういうような表現もございました。
今
局長が示されたいわゆる伝習館事件の控訴審判決、最高裁の前の福岡高裁の判決、その中では、「
学習指導要領の効力について
考えるに、その内容を通覧すると、高等
学校教育における機会均等と一定水準の維持の目的のための
教育の内容及び方法についての必要かつ合理的な大綱的基準を定めたもの」「その適用に当っては、それが「要領」という名称であること、「大綱的基準」であるとされること、その項目の目標、内容、留意事項等の記載の仕方等から明らかなように、その項目を文
理解釈して適用すべきものではなく、」こういうふうに明確に言っております。
学習指導要領は、二回も全面改正されていることから見て、相当柔軟な性格を持つものである、こういうふうな指摘がされております。
また、いわゆる大阪府立東淀川高校
日の丸掲揚損害賠償請求事件の平成八年二月二十二日の大阪地裁の判決でも、こういうふうに判決
理由の中で述べられております。「前記のとおり「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、
国旗を掲揚するとともに、
国歌を斉唱するよう
指導するものとする。」となっていて、「……
指導しなければならない。」等、より強い拘束性や強制力を伴うような表現が使用されていない」「右
指導の内容や程度は各地の実情等に合わせて実施することができる余地を残している」「このような右条項の文言自体からも、これが、高等
学校教育における機会均等及び全国的な一定水準の維持を図るために設けられた大綱的な基準であることも明らかである。」というふうに判決文の中にもあります。
こういうふうに
考えますと、一般的に全面的な
法的拘束力があるんだとか法規なんだというふうに言い切るだけで、
教育現場では何の解決もしないのではないか。これまで「望ましい。」とされていたものが「
指導するものとする。」とされた。ただ、これは
指導しなければならないとは規定されていないわけですよね。
そういうことを
考えると、
学習指導要領の
現場での運用について、
文部省としては、これまでどういうふうにされてきたのか、また今後どういうふうにしようとしているのか。今の判決文の
理由中の
判断とか条文解釈についての提言を聞いてどう思われるか、それも踏まえて
文部省として
現場での運用についてどうしてきたのか、またどうされようとするのか、ぜひお聞かせ願いたいと
思います。