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1999-07-01 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年七月一日(木曜日)     午後一時三十分開議   出席委員    委員長 二田 孝治君    理事 植竹 繁雄君 理事 小此木八郎君    理事 小林 興起君 理事 萩野 浩基君    理事 北村 哲男君 理事 佐々木秀典君    理事 河合 正智君 理事 三沢  淳君       小野 晋也君    大村 秀章君       小島 敏男君    佐藤 信二君       桜井 郁三君    近岡理一郎君       虎島 和夫君    平沢 勝栄君       堀内 光雄君    矢上 雅義君       河村たかし君    藤村  修君       山元  勉君    石垣 一夫君       倉田 栄喜君    西村 眞悟君       児玉 健次君    穀田 恵二君       濱田 健一君    中田  宏君  出席国務大臣         国務大臣         (内閣官房長官         )       野中 広務君  出席政府委員         内閣総理大臣官         房内政審議室長 竹島 一彦君         内閣法制局長官 大森 政輔君         内閣法制局第二         部長      宮崎 礼壹君         内閣総理大臣官         房審議官    佐藤 正紀君         防衛庁防衛局長 佐藤  謙君         文部省初等中等         教育局長    辻村 哲夫君         文部省教育助成         局長      御手洗 康君         文化庁次長   近藤 信司君  委員外出席者         内閣委員会専門         員       新倉 紀一君 委員の異動 七月一日  辞任         補欠選任   亀井 静香君     小島 敏男君   虎島 和夫君     小野 晋也君   桧田  仁君     大村 秀章君   武藤 嘉文君     桜井 郁三君   石田幸四郎君     石垣 一夫君   鰐淵 俊之君     西村 眞悟君   石井 郁子君     穀田 恵二君   深田  肇君     濱田 健一君   笹木 竜三君     中田  宏君 同日  辞任         補欠選任   小野 晋也君     虎島 和夫君   大村 秀章君     桧田  仁君   桜井 郁三君     武藤 嘉文君   石垣 一夫君     石田幸四郎君   西村 眞悟君     鰐淵 俊之君   穀田 恵二君     石井 郁子君   濱田 健一君     深田  肇君   中田  宏君     笹木 竜三君 本日の会議に付した案件  公聴会開会承認要求に関する件  委員派遣承認申請に関する件  国旗及び国歌に関する法律案内閣提出第一一五号)     午後一時三十分開議      ————◇—————
  2. 二田孝治

    二田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出国旗及び国歌に関する法律案議題といたします。  趣旨説明を聴取いたします。野中官房長官。     —————————————  国旗及び国歌に関する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  3. 野中広務

    野中国務大臣 このたび、政府から提案いたしました国旗及び国歌に関する法律案について、その提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  我が国におきましては、長年の慣行により、日章旗及び君が代が、それぞれ国旗国歌として国民の間に広く定着しているところであります。  そこで、政府といたしましては、このことを踏まえ、二十一世紀を迎えることを一つの契機として、成文法にその根拠を明確に規定することが必要であるとの認識のもとに、この法律案を提出することとしたものであります。  次に、法律案内容について、その概要を御説明いたします。  第一に、国旗日章旗とすることとし、その制式を定めることとしております。  第二に、国歌君が代とすることとし、その歌詞及び楽曲を定めることとしております。  以上が、この法律案提案理由及び内容概要であります。  何とぞ、慎重に御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
  4. 二田孝治

    二田委員長 これにて趣旨説明は終わりました。     —————————————
  5. 二田孝治

    二田委員長 この際、公聴会開会承認要求に関する件についてお諮りいたします。  ただいま議題となりました本案につきまして、議長に対し、公聴会開会承認要求を行うこととし、公聴会は来る八日木曜日開会し、公述人選定等委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 二田孝治

    二田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————
  7. 二田孝治

    二田委員長 次に、委員派遣承認申請に関する件についてお諮りいたします。  ただいま議題となりました本案につきまして、審査の参考に資するため、来る六日火曜日及び七日水曜日、委員を派遣いたしたいと存じます。つきましては、議長に対し、委員派遣承認申請をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 二田孝治

    二田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  なお、派遣委員の人選、派遣地等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 二田孝治

    二田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————
  10. 二田孝治

    二田委員長 これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。植竹繁雄君。
  11. 植竹繁雄

    植竹委員 私は、自由民主党を代表いたしまして、このたびの国旗国歌に関する法律案につきまして質問をいたします。  私は、この法案提案されましたとき、本当に心から感激いたしました。というのは、二十一世紀を踏まえまして、総理大臣答弁もあるとおり、本当によくよく検討されてやられたということに関して、私も心から敬意を表するものであります。  国旗と申しますのは、私も子供のころは本当に国旗を見るたびにあこがれ、国歌を歌うことによって身の引き締まる思いをしたのを子供心に覚えておるわけでありますが、今日、国旗につきまして、若い世代に、この国旗国歌というものに対する感覚が非常に違っているかに思えるのであります。  というのは、私ども、特に国内におりますより海外に行ったときに、海外でこの日の丸の旗、国旗及び国歌を聞きますとき、本当に日本人として誇りに思い、また名誉に感ずるのがこの国旗国歌でございます。  そういう点につきまして、そのほか、例えばスポーツで優勝し、そして国旗国歌が上がる、あるいはテレビ等におきまして、例えばエベレストを踏破し、そして日の丸が翩翻と翻っている姿、あるいは南極大陸を横断し、それを日の丸によって写っている写真を見ますと、本当に日本人の重さというものを心から感じるのであります。  しかし、日の丸に関しましては、昨今、例えばこの国会の周辺を見ましても、日の丸があるいはほかの国の国旗が飾ってあるということは、外国の賓客のためにあるんじゃないか、あるいはオリンピック等の若い選手を見ますと、優勝したら、日の丸そして君が代というものが本当にスポーツだけのものが中心であるというような錯覚に陥っている人々が多い。  実は、私も先般若い世代の方に国旗及び国歌について尋ねました。そうしましたら、確かに日本国歌であり国旗であるという人も大勢おりました。しかし、一方では、初めに出てきた言葉が、あれはオリンピックやそういうときに掲げられる、優勝者に掲げられる、その賛意のための日の丸であり、また君が代であるということを聞きましたときに、本当に日本の将来はこれでいいのかと非常に疑問に感じたのであります。  私は、そういう点におきまして、今回の国旗及び国歌が、これを成文化したということは今後日本の将来に関して大いに意義があるんじゃないかと考えるわけであります。これは、長年にわたる日本歴史の中においていろいろと慣習的にありましたけれども、やはり価値観がいろいろありますときに、この辺で成文化するということは、日本歴史伝統を後世に残していくためにも大変今回の措置は意義があるものと考えるわけであります。  また、私も先般外国へ行きましたときに感じたのは、とにかくこれは目に見える日の丸、それ以外にも、国歌につきましては、例えば外国では、有名なチャイコフスキー、いわゆるロシアの大作曲家でございますが、この方が作曲したところの一八一二年序曲というものがあります。これはフランスロシア戦争をテーマとしたものでありますが、その中にいわゆるフランス国歌であるラ・マルセイエーズというものが演奏されております。そうしますと、すぐこれはフランスであるということが一般の耳にわかるわけであります。それを考えるときに、国歌というものがその国のシンボルであり、またその代表的な表示であるということを考えますときに、本当に文化的にもこの国歌というものが非常に重要なものであることを感じたわけであります。  私は、それを考えますときに、今二十世紀から二十一世紀へ行くときに、やはり日本歴史伝統というものを後世に残すためにも、この国旗国歌を成文化したということは本当に意義があり、政府に対して心から賛意敬意を重ねて申し上げるところであります。  そして、その反面、私は歴史の重さというものを感じるわけであります。それは、私は先年中国に参りました。中国に参りましたそのときが、ちょうどあたかも、日本の南の東シナ海の島でございました、ある日本人がそこに上陸したというようなことが言われました。たまたまその時間が明日江沢民主席とお会いする前日でございました。そして私どもは、本当にこの緊急上陸ということが、外交上中国日本の間にどれほど弊害になるのではなかろうかと心配したわけであります。そして、あれやこれや考えた末、ぶつかってみようということで江沢民主席とお会いいたしました。  そういたしましたら、江沢民主席は一言もおっしゃらないで、私が驚いたことには、突然に主席は、私が子供のころ習った「出た出た、月が、まるいまるい、まんまるい」というような童謡を歌われたのであります。  そして、その趣旨というものは、何といっても日中の友好は実に二千年以上の交流がある。そういうことで、今いろいろな物事が起きても、それは一時限のことであり、この日中の友好関係というものは実に二千年にわたるそういう大きな流れである。例えば、その間に不幸な出来事があったけれども、それは一時的な問題であり、そのときのことはその時限で考えるもの。中国日本との関係を、本当に悠久の二千年以上の交流であるということを示唆された。  そして、それを見ているのが、あの丸い丸いお月様が天上から見ているのではないか。そういうような中国日本との関係である。我々はそうやって手に手をとって相携えていくのだ、そういうことを示唆されましたときに、本当に中国のその歴史の重さということを痛感いたしたわけでございます。  そこで私は、そういうことを考えますときに、この歴史的な認識と申しますか、歴史認識の重さというものは、本当に一国において大変重要であり、今後二十一世紀といいますか、二〇〇〇年といいますか、そういう新しい世紀に入っていくときに、これは新たに考えなければならないと痛感したのであります。  そこで、そういう意味において、この歴史的な重さということについて、私は、本当にこの大事な変わり目の今日、これをどうあるべきか。官房長官の御意見を伺いながら、今後我々は一生懸命日本の進展のために頑張っていきたいと思います。官房長官にその歴史認識についての御所見を賜りたいと思うのであります。
  12. 野中広務

    野中国務大臣 植竹委員指摘のとおり、日の丸君が代は、我が国の長い歴史認識の中で培われてきたものであると存じておるところでございます。  おっしゃいますように、一時期これが誤った方向に使われたとき、あるいはそういう時代を経験をいたしましたけれども、私どもは大きな犠牲の上に新しい憲法をつくることができ、その憲法を基本として今日まで五十余年、あの忌まわしい戦争に参加することもなく、また戦争に巻き込まれることもなく今日を築くことができたこと、これを重く受けとめ、新しい世紀にどのようにしてこの国が世界に伍していくかを考えますときに、戦後私どもがこの二十世紀中に取り残してきた幾つかの問題を、この機会に新しい世紀へ引き継がないように何をなすべきかということを重く考えていかなくてはならないと思うわけでございます。過去の歴史をかがみとしながら、未来に向けてこの国が他の国々と伍してやっていけるような、そういう節目にありたいものと考えております。
  13. 植竹繁雄

    植竹委員 官房長官から大変すばらしい御答弁をいただきました。  本当にこの歴史認識というものは、今後我が国の将来にとって大変重要なことでありますし、さらに、この日本が独立した、外国から内政干渉というようなこともされないためには、どうしても歴史的な認識というものを確立していくことが私は非常に重要でないかということを考えまして、ただいまの官房長官のお言葉を本当にありがたく受けとめておりますところでございます。  さてまた、国歌君が代でございますが、「君」とは、先般総理大臣が御答弁になりましたように、本当に天皇日本象徴であるということでございます。  これも歴史的に見ますと、例えば仁徳天皇時代、かまどの煙が立つのを見て、本当に平和で豊かな国であるということは古来歴史の中で言われておりますが、私はこれを考えますときに、本当に天皇というものは穏やかな、そして日本象徴的にあった、そういうことを感じるわけであります。  特に天皇がそういう地位にありますと、古来から日本を政治的、行政的に統合してまいりました、例えば藤原時代におきましても公家とか、あるいは平家の関白、摂政といった卿相、あるいは源氏の征夷大将軍といった行政の長、そういうものは幾多ありました。しかし、その中にあっても、決してその者が天皇になるということはなかった。天皇はやはり日本のもとであり、象徴であって、すべてそういう為政者が行ってきたということを考えます。  また、実は先般の第二次世界大戦におきまして、私は忘れ得ない一こまがあるわけでございます。私も戦前に生まれた一人といたしまして、本当にあの終戦のときには、大問題だ、今後の日本の将来はどうなるかと危惧したときでございます。  あの当時、連合軍最高司令官だったマッカーサー元帥が、今日比谷にあります第一生命ビル天皇陛下が訪問されたとき、初めはマッカーサーは迎えにも来なかった。そして、日本天皇制についてあるいは共和制をも考えた、そういうときにあったとき、あの昭和天皇が、たとえ我が身がいかになろうとも日本の将来を救うという御発言があったということ。それを武人であるマッカーサー元帥はいたく感激し、そして日本の将来、日本を束ねている象徴としての天皇に本当に感激せられまして、天皇が御退室のときには玄関までお送りされたということは、まさに日本天皇象徴であるということを示したのではないかと思っているところでございます。  そういうことを考えまして、これからの問題は、人間、日本人象徴としての天皇の位置はこれから不滅であると考えておるわけでございます。そして、国歌君が代の「代」というものは、まさに治世ということがございますが、これも天皇日本というものは一体であって、それを象徴として束ねておられるのが天皇陛下である。先般の総理大臣の御答弁も、その象徴という点につきまして、国会答弁においてより細かく御説明されたということを伺いまして、大変私は感激したところでございます。  という意味におきまして、今後、この天皇象徴という点につきまして、政府におきましてももっともっと、どういうふうに広報的に全国民によく知らしめることが必要かと思いますが、そういう点につきまして、官房長官におかれましてはどういうふうにこれを全国民に、よりPRといいますか御説明といいますか、そういうふうにしていかれるか。その御意見をお伺いいたしまして、私の質問を終わらせていただきます。
  14. 野中広務

    野中国務大臣 日本国憲法はその第一条に、「天皇は、日本国象徴であり日本国民統合象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とされているわけでございまして、御指摘のとおり、象徴には主権を有する日本国民という意味が含まれておると考えております。
  15. 植竹繁雄

    植竹委員 ありがとうございました。  もうちょっと時間があるので、もう一言伺いたいと思うのでございます。  私は、国旗国歌というものは、ずっと今まで来た、国旗の場合は長年の慣習の中においていろいろと使われてまいりましたが、今回国旗国歌を成文化したというのは、今まで申し上げましたとおりでございますけれども慣行慣習とどういうふうに違うのか、その点を最後にお伺いいたしまして、私の質問を本当に終わらせていただきます。
  16. 竹島一彦

    竹島政府委員 国旗国歌について、慣習とか慣行とかということが言われますけれども、私どもは、国旗につきましては、これは今回の国旗法とは違いますが、明治三年の太政官布告における商船規則というものがございまして、それが日の丸の旗の制式として定着をしていたということにつきましては、慣習法といってもそれにふさわしい実態があったかなと。  ただ、国歌君が代につきましては、法律的なものは一切ございません。ただ、古今和歌集に起源を発する古歌に始まって、その後ずっと時代を経て、民間の間で祝い歌として歌われて、明治になりましてこれが国歌であるという意思が表明されました。ただ、それは法律的な行為ではございませんでした。ただ、それが事実上慣習として国歌として国民の間に定着している、そのことを慣習と表現しておるわけでございます。
  17. 植竹繁雄

    植竹委員 ありがとうございました。以上でもって終わります。
  18. 二田孝治

    二田委員長 次に、佐々木秀典君。
  19. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 民主党佐々木秀典です。  いわゆる国旗国歌法提案をされるに当たって、そしてされてから、我が党では、民主党の中に国旗国歌問題のプロジェクトチームをつくりました。私もそのメンバーでありますけれどもプロジェクトチームでは六回にわたって討議を行っております。真剣な討議が行われております。  率直に言って、我が党ではこの法案に対して、党としてどうするのかということについてはまだ最終的な結論を得ておりません。きのうも報道されましたけれども、私どもの党では法案に対する対応の機関として総務会がございます。これは、与党の自民党さんにもおありになることと思いますけれども、昨日夕方からこの総務会国旗国歌法案についての議論が行われておりますけれども、ここでもさまざまな意見があって、まだこれも最終的な結論に至っておりません。  プロジェクトチームの中でも本当に各種の意見が出されました。国旗として日の丸国歌として君が代、それについては賛成だという意見、あるいはそのものについても反対という意見、あるいは日の丸国旗君が代国歌とすることについては賛成だ、しかしこれを法制化することについては、それについても賛成だという意見、あるいは、いやいや、それについては必要がないあるいは反対だという意見、非常にいろいろな意見が出ているわけであります。  他党と比較をして民主党の態度ははっきりしていないではないかという御批判もあるようでありますけれども、それだけ我が党は一人一人の党員議員が真剣にこの問題について考え、協議に参加しているということをぜひ御理解いただきたいと思うのであります。  国旗国歌法案が今、国会に提出されて議論されているということは、今までにないことはなかったようであります。このことについてはまた後ほどお聞きいたしますけれども、しかし、今政府が出してこれを成立させようとしていることは、今までかつてないことであるだけに、私は大変重要な問題だと思っております。  確かに、国旗として日の丸大方から認められているのではないか、あるいは君が代についても、戦前から今日にかけて、国歌として一般的な承認を受けながら、演奏されあるいは歌われてきたのではないかということが言われている、これが大方国民の間に定着しているのではないか、このことについてもまた後ほど議論させていただきますけれども、そういうことが言われているのは間違いありません。  しかし、たとえ国旗として日の丸が、あるいは国歌として君が代が、そういう認識のもとに使われ、歌われてきたとしても、それを法律によって定めるということについてはいまだかつて我が国ではなかったわけであります。それをやろうとしている。  このことについては、官房長官もお話がありましたように、過去の忌まわしい歴史、特に戦争歴史の中で、特に国旗は、ある意味では日の丸は気の毒だったと私は思うのですけれども、侵略の歴史、その旗印にされたということは紛れもない事実であります。  そしてまた、君が代も、戦後新しい憲法ができるまでの間、日本主権在民の国ではなかった。天皇中心にしたまさに君主国家であった。そして、その君主である天皇をたたえ、天皇の御代の栄えを願う歌、それが君が代だったという認識は、まさにその当時の国民の間には定着していたと思うのであります。  実は、私は北海道の旭川市で生まれ育ちましたけれども、くしくも私の母校であります小学校旭川市立日章小学校と申します。日章旗の日章という字が使われているのであります。ただ、そうはいっても、実は私は小学校という学校には行ったことのない世代であります。  と申しますのは、私は一九三四年、昭和九年の生まれですけれども小学校に入ったのが昭和十六年、まさに第二次大戦がその十二月に起こったわけですけれども、その年の一年生。私どもがその小学一年生になったときから、小学校名称国民学校に変わったわけであります。ですから、私は国民学校の一年生、日章国民学校の一年生として小学制度に入学した。それまでは日章尋常高等小学校と言っていたようであります。  そして、第二次大戦が終わったときに、私は国民学校の五年生。その翌年、私どもが六年生として国民学校を卒業して、そこでまた再び小学校という名称に変わったわけでありますので、私は丸六年間国民学校に行っていた。したがって、小学校には行っていなかった、こういうことになるわけであります。  私のそうした小学校時代というか国民学校時代というのは、まさに戦争真っ盛りの最中でありますから、ひたすら軍事教育を受けていた。私ども軍国少年として育ってきたし、そういう教育を受けてまいりました。学校名前がそういう名前だからということではありませんけれども、まさに毎日毎日、日の丸に接し、あるいは式典その他のときには君が代を歌った世代であります。  ですから、全くそのころは違和感はなかったわけですけれども、しかし、私の記憶によっても、日の丸はともかく、君が代という歌は大変に歌いにくい歌であったなという記憶を持っております。そして、戦争が終わってすっかり日本の体制が変わった。そして、新しい憲法ができた。民主主義の国になった。主権在民という理念が打ち立てられたわけであります。  私は、実はたまたまこの間、ある方のお葬式で何十年かぶりに、その私の国民学校時代に、担任ではございませんでしたけれども、一時期ちょっとお世話になったこともあり、教わった女性先生にお会いをすることができました。そして、その女性先生は、私のことを久しぶりに会ったといって喜んでくださったのですけれども、実は、戦争が終わって余り長い時間ではありませんでしたけれども先生学校をおやめになった。私は、結婚をされておやめになったのだろうと思っていたのですけれども、実は、この間お会いをしてお話を聞いたときに、そうではないということを聞きました。  というのは、その先生がおっしゃるには、私は、その戦争の最中に子供たちに文部省などの方針に従った教育を施していた。ところが、自分が信じて教えていたことが戦争が終わってみて間違っていたこと、そして、私たちが教えようとしてきたことがいかに真実に反していたかということを知った。私は、それについて大きな大きな責任の重さを感じた。そして、このまま教師を続けていくことに自信を持てなくなった。そういうこともあって実は教師をやめたんだというお話を聞いたわけであります。  私は、確かに子供心に、私どもを教えてくださった先生が、その戦争を境にしてどんなにかお苦しみだったろうということを長じてから知る機会が何度もございました。本当に教育者は大変だったんだろうと思うことしばしばでございました。そういう中に、例えば日の丸だとか君が代の思いというものも私は込められているのだろうと思うのです。  今までこの国旗国歌をめぐっての全国民的な論議というものが果たしてあったかどうかということは言えないかもしれません。部分的なものであったかもしれないけれども、しかし、ある人々にとっては大変な重さでこれが受けとめられているのは間違いありません。そして、それが現実の問題としては、これはまた後で質問の中でもお聞きをすることになると思いますけれども教育の現場でさまざまな問題を起こしている。  ことしの二月でしたでしょうか、広島県の高等学校先生が、この国旗の掲揚などの問題をめぐって板挟みになって、みずからの命を絶ったという痛ましい不幸な事件があったということにも象徴されているように、この国旗国歌というものに対する問題というのは、それぞれの人の思想や良心にかかわったり、あるいは歴史観にもかかわっているということになるわけであります。この点は、官房長官のお答えの中でもしばしば出てまいります。  それだけに私は、そう軽々しい問題ではない。例えば、今の不況をどうするかというような問題だとか、あるいはどうやって食べていくのかというような問題ではないにしても、人間の良心だとか精神だとかにかかわる非常に重大な問題だと考えているだけに、私たち民主党の中では真剣な論議が行われているのだということをぜひ御理解をいただきたいと思うのです。  そこで、まず官房長官にお伺いをいたしますけれども、確かにこの間の本会議での質疑もありましたけれども国旗国歌をなぜ今ここで法制化しようとするのかという、この理由をいま一度率直にお示しをいただきたいと思います。
  20. 野中広務

    野中国務大臣 日の丸君が代が長年の慣行によりまして、それぞれ国旗国歌として国民の間に広く定着をしていることを踏まえまして、提案理由にも申し上げましたように、二十一世紀を迎えることを一つの契機といたしまして、成文法にその根拠を明確に規定することが必要であると認識をいたしまして、このたび法制化をお願いをすることとした次第であります。  ただいま佐々木委員から、みずからの少年期を語りながらお話がございました。佐々木委員と私とは九歳の違いがあります。けれども、その九歳の違いは、小学校五年生とそして兵役で終戦を迎えた、その違いがあるわけでありまして、その違いを思いますときに、あと一年足らずも戦争が続いておったら、私はこの席で佐々木委員答弁することはなかったかと思うときに、おかげさまで命をいただいて、この五十年平和を享受することができて、生かさせていただいた幸せをかみしめておるわけであります。  けれども、新しい憲法のもとで我が国がスタートをいたしましたけれども、国家の骨幹となる国旗とかあるいは国歌というものについて成文化をせず、中途半端に私はその時代をずっと送ってきたような気がいたします。  今日我が国は国際化が進み、そしてそれぞれ多くの市町村に至るまで他の国々と友好、盟約の都市をつくり上げて、国際交流が進んでまいります。国際交流が進んでまいります中で、外国から人を受け入れ、また外国に若い人たちが行く、そういうときに、みずからの国の国旗国歌、そして他国の国旗国歌敬意を表する手段を知らない日本の若い人を思うときに、教育のありように心を打たれるわけであります。  教育のありようを思いますときに、この教育の現場で国旗国歌を掲揚し斉唱することが多くの問題を惹起いたしまして、先ほどお話がございましたように、広島県の世羅高校の石川校長も、これを斉唱しあるいは掲揚することを人権差別だと言われる教職員組合やあるいは運動団体の交渉の中に疲れ、そして大変なはざまに置かれて、とうとう命を絶たれたという話を聞きました。幾たびか私どもも、また地方の政治をやっておるときに、この問題をめぐる厳しい対立のあった現場を知ってまいりました。  二十一世紀をもうあと一年半で迎える今日、我々はこの半世紀を振り返りながら、積み残してきた問題をいかに解決していくかということの政治家としての責任を考えますときに、今申し上げましたように、二十一世紀に新たな問題を少しでも残していかない、そういうためにも、ここで成文化をしておくことが重要な問題であると認識をさせていただいた次第であります。  以上、法制化に至る経過を私なりに、佐々木委員がみずからの国民学校時代に触れられまして申されましたので、やや私も私なりの歩みを触れながら、感情的なものを入れて申し上げたかもわかりませんけれども、いずれにいたしましても、今日まで慣行とされてきた、そして国民の中に定着した問題でありますけれども、成文法の根拠を持って、これから教育の場はもちろんのこと、国民がそれを理解し、責任を持って国旗国歌を誇りを持ってやっていける法文化を目指していきたいと考え、御審議をお願いしておるところでございます。
  21. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 官房長官も御自分の体験を交えてのお話でございました。しかし、今お話がありました幾つかの点は、私は、そういう御経験を踏まえ、物事を真剣に考えておられる官房長官のお言葉として、直ちに私どもが納得するような結論に結びついてくるのかなということについては、いささかの疑問を感じざるを得ないのであります。  例えば、これを法制化しなければならないという理由に果たして今おっしゃったようなことがなるのか。それからまた、国民の間に本当に定着しているのかというふうな問題は、この後に私は聞いていきたいと思います。  それでは、今もお話がありましたように、今まで慣習的にずっと国旗国歌として認められてきたというお話ですけれども、いまだかつて法制化の試みというのはなされたことがあったのかどうか、このことについて確かめておきたいと思います。
  22. 竹島一彦

    竹島政府委員 お答え申し上げます。  私ども調べた限りでございますが、過去に一回ございます。  昭和六年でございますが、大日本帝国国旗法案が議員立法で提案されました。第五十九回帝国議会でございます。衆議院に昭和六年の二月十九日に提出され、三月二十六日に可決され、貴族院に送付されたわけでございますが、三月二十八日が第五十九回帝国議会の最終日であったことから、貴族院では審議が行われず廃案となった、こういう経緯がございます。
  23. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 もう一回確かめます。それ一度だけですか。それ以外にはなかったということで確認していいですか。
  24. 竹島一彦

    竹島政府委員 法案としては提案はされておりませんけれども昭和四十九年、田中内閣において、田中総理が法制化ということについて国会答弁されておられる、こういうこともございます。
  25. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 つまり、戦前には、一度それが試みられたことがあった。しかし、一院では通ったけれども、一院では通らなかった。それで、廃案になったということですね。つまり、これを通すための会期の延長などということも行われなかったということになる。戦後については、今日まで一回もなされなかった。田中総理の法制化についての御意向を表明した御発言はあったけれども、しかし、法制化の試みは今回が初めて、こうなるわけでありますね。それだけに、私は今回は重いと思うのです。  それで、さっきも官房長官お話しのように、また私が少年時代の話をしたように、私どもの意識としては、国旗国歌という思いが毎日日常的にあって、おつき合いもして、その意識は、それこそ国民の間にはその当時すっかり定着していた。そういう時期でも、政府は、日の丸を法制化する、君が代国歌とするという法制化の試みは全くしなかったわけです。これはどうしてなんでしょうか。あるいは、これを現政府はどのように受けとめておられるのか。官房長官、御感想を伺います。
  26. 野中広務

    野中国務大臣 その当時、法制化のことがどう考えられなかったかということを今さら検証することは不可能でございます。  ただ、私どもがこの機会にやはり法制化をお願いしておくべきだと考えましたことは、長い間慣行となって国民の間に定着をいたしておりますものの、先ほども申し上げましたように、教育現場を中心といたしまして、国旗国歌をめぐりましてはそれぞれ対立や争いのもとになってきたこの五十年を振り返りますときに、その中心は、私も現場で知っておりますけれども、どこに根拠があるんだ、根拠があったら示せということが交渉の中心でありました。  それぞれその衝に当たっておる人たちは、法文化の根拠がないことに大変な苦しみを味わいながら、例えば、学校現場では広島の世羅高校の石川校長のように、指導要領のみで根拠を示せと言われて、そのはざまの中で大変な孤立感を強めてこられたということを思いますときに、私どもは、この二十世紀の締めくくりとして、二十一世紀へ次の問題を引き継がないためにも、ここで法文化の明確なことをしておくべきでなかろうかとお願いを申し上げた次第であります。
  27. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 今の御答弁を聞いて、はしなくも政府の本音が出てきたような感じが私はいたします。  きれいごととしては、二十一世紀、新世紀を迎えるに当たって、ここでいわば国のシンボルとしての国旗あるいは国歌というものを、国民の間に定着もしてきているんだから、お互いに確認をして大切なものとするためにというように言われてきたのじゃないかと私は思うのだけれども、今の官房長官のお話だと、実はこれが、教育現場でこれをめぐっていろいろな問題が起きている、これを法制化することによって、そういうことが法的な根拠を与えることによって解決できるのではないかというような御趣旨に私は今お聞きをいたしました。そこにやはり動機があるのかなと実は承っていたわけであります。  先ほど来申し上げておりますように、定着の問題だとか、果たしてこれが法制化されても、そういう教育現場でのいろいろな錯綜というものが解消されるのか、これについては私は非常に疑問を持っております。持っておりますけれども、これはちょっと後に置いておきます。  それで、今のお話でも、先ほど来の御答弁の中でも、国旗国歌というものが、日の丸君が代国民の間に定着してきたというようなこと、あるいは、今まで法制化されたことがなかったのは、慣習としてあるいは慣習法としてこれが根づいてきたんだというお話がこれまたありました。  確かに、これは、諸外国の例を見ても、国旗国歌の定め方というのはさまざまだと私は思うのです。例えば、フランスでは、国旗国歌ともに憲法に規定が置かれている。ところが、イギリスでは、慣習として位置づけられて、国旗国歌に係る法令はない。それからまた、イタリアでは、国旗憲法国歌慣習として認められている、あるいは歌われている、演奏されている。こういうことになっているのですね。  このことは、実は、過日の本会議でも、私ども民主党の代表質問に立った伊藤英成さんがこのことを指摘しているわけです。それからまた、先ほどの御答弁の中でも、慣習あるいは慣習法の重みというようなものについてもお話がありました。私は、まさにそうだと思うのです。  そこで、実は、私ども民主党の幹事長代理の鳩山由紀夫さんから、先日、ある示唆に富んだお話を承りましたので、先ほど、彼にそれを披瀝していいかと言ったら、いいというお許しを得ましたので、ここで御披瀝を申し上げて、皆さんにもお考えいただきたいと思うのです。  というのは、鳩山由紀夫代議士が、今から一月ぐらい前だそうですけれども、もう引退なすった松野頼三先生にお会いになったそうです。松野頼三先生とこの国旗国歌の問題について話をする機会があったそうです。そうしたら、そのとき、はしなくも松野頼三先生が、戦後先生国会に来られたとき、まだ保守合同の前だったそうですけれども、一年生か二年議員のときだったそうです。この松野頼三先生たちは、その当時の若手の議員たちが、国旗国歌を法制化した方がいいのではないかという議論の上で、その法制化の準備をしたことがあったそうです。  そうしたら、そのときに、松野先生たちの先輩だった、もちろん私どもにとっても大先輩でありますけれども、後に衆議院の議長をお務めになった星島二郎先生が、その松野先生たちの法制化の動きについて、君たち、そういうことを、国旗国歌などというものは軽々に法律をつくって定めるというべきものではない、イギリスの例にも見られるように、慣習としてあるいは慣習法の裏づけがあって国民の皆さんの中に認識をされ尊重をされる、そういうことが大切なことではないのか、つまり、法制化するということは法律によって定めるということなんだから、あるいは政権がかわったり、また政治状況が変わって、その法律を変えることによって別な歌を国歌とし、あるいは別な旗を国旗とするということだってできるんだよということを言われたそうです。  慣習法あるいは慣習によってということになると、そんなことにはならないんだ、だから、そういう法律によってでない方がもっと重みがあるんだ、国旗国歌というものはそれによってむしろ大事にされるんだというお話があって、松野先生たちはその法制化をしようという活動をおやめになった、そういうエピソードを鳩山由紀夫さんにお話しになった、そのことを私は聞かされたわけです。  そのことを思うにつけても、私は、やはりここで法制化するということについては慎重に考えていくのがいいのではないか、それがあるべき姿ではないかと思っているわけであります。私は大変示唆に富んだ話と承っております。  このことについて、伝聞でありますから、直接のことではありませんから大変恐縮ですけれども官房長官、御感想ありますか。
  28. 野中広務

    野中国務大臣 大先輩であります松野先生のお言葉を、鳩山先生を通じて御紹介されたわけでございます。松野先生が当選をされまして一年生、二年生の時代ということを振り返ってみますと、恐らく、星島二郎先生たちが政界のトップにおられて、時代を背景として考えますと、あの当時そういうお言葉が出て当然であったであろうと私は思うわけでございます。  ただ、それからはや四十年余りを経過した今日の状況を考えますときに、教育の中に位置づけられた国旗国歌、あるいは我が国全体社会における国旗国歌、あるいは、国際交流が進む中におきまして、先ほど申し上げたように、他国の国旗やみずからの国の国旗国歌に対して敬意を払う、そういう教えられ方をしておらない国民教育のありようを考えたときに、やはり私どもとしては、この際、二十一世紀を前にいたしまして、ここで法制化をお願いすることが我々のとるべき道であろうと考えた次第でございます。
  29. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 どうもそこのところが私は納得いきません。我が国の旗として日の丸を法制化することによって、例えば子供たちが外国国旗に対する尊敬の念を持つということにつながるのかどうか、これは全く別の問題じゃないでしょうか。  私は、国際的な日本の位置づけの中で、よその国と仲よくし、よその国の人々を敬い、そしてまたそこで用いられている国旗を大事にするというようなことは、別にこの法制化とはつながらない問題だと思うんです。そんなことは子供たちの中に、いろいろな教育の仕方で幾らだって教えていけることだし、それによって他の国に若者たちが迷惑をかけた事例があるのかというと、そんなことを私はつまびらかに聞いておりません。  むしろ、かつて一時期、長崎において、在日中国人の方だったでしょうか、日本国旗を燃やしたことがあったということで物議を醸したことがあったというようなことはありましたけれども、今、我が国の少年、青年たちが海外に出ていく。このごろは、例のワールドカップのときなんかにも随分サポート、行きましたよね。だけれども、彼らなんというのは、大変姿勢がいいということで褒められてもいるわけですね。そういう人たちが以前に比べて、他国に対して、その国旗などに対して無礼を働いているなんということで問題になったことは余りないんじゃないでしょうか。それだけに私は、今の官房長官のお話というのはどうもちょっと納得がいかないんですね。  それから、幾つか腑に落ちないことがあるわけですけれども、盛んに国民の間の定着性ということを言われる。私は逆に、定着しているんだったら何も法律で決めなくたっていいじゃないかという議論だって成り立つと思うんですが、しかしもう一つ、果たして定着しているかどうかということについては、何によって、何を根拠にして、何を検証されてそう言われているのか、これもまたはっきりしないところがある。  確かに、この問題をめぐって報道機関が独自の調査をされて、たびたび発表をされておられます。例えば最近では、六月三十日付の朝日新聞では、これについての世論調査の結果を発表しておられます。  ところが、これについては、少なくとも全部が全部日の丸君が代の法制化に賛成しているというわけではない。法制化について、必要だという意見が四七%に対して、必要のないという意見が四五%、ほとんど拮抗しているわけであります。しかも、これを今通常国会で成立させなければならないかどうかということについては、この通常国会で成立させることについては急ぐべきでない、もっと議論を尽くすべきだというのが全体の六六%にも及んでいるというわけであります。  そんなことを考えますと、一つは、定着の度合いというのは、これで見るように、いろいろ認識はあります。しかし、少なくとも八〇%、九〇%というところまでいっているかということになると、いろいろ問題がある。しかも、国旗国歌が一様ではない。国旗の方については、日の丸については国旗と認めるにやぶさかでないという人が確かに多いけれども君が代については、その歌詞あるいはメロディーなどからいって、どうも違和感を感じるとか親しめないとかいうような意見が旗に比べると大分多いんですね。こういうように、一様ではないということもあります。  ところが、今政府が出されている法案は、国旗及び国歌に関する法律ということで、条文としてはたった二条しかない。極めて少ないんですね。これを旗と歌と一緒にしている。それで、旗についてはこういうデザインが入っている、そしてこういう楽譜がついている。珍しいですね。  今まである日本法律、どのぐらいになるか数知れずですけれども、こういう法律というのは初めてでしょう、文字以外のものがこうやって法律の中に書かれるというのは。極めて異例だと私は思うんだけれども、せめて、今の国民の世論などを考えた場合に、国旗国歌の扱いというのは、私は別であってもいいのではないかという思いがするんですよ。なぜこれを一緒にしなければならないのか。  これを一緒にするんだったら、もう一つ、国花というのがあります。日本の国の花、何。何でしょう。私はよく聞くのは、直ちに言われるのは、菊じゃないかとか、あるいは桜じゃないかとか、これはいろいろ違うんでしょうね。  実は私の地元の旭川市は市の花として決めている花があるんです、ナナカマド。市の鳥としては、このナナカマドの実をついばみに来るキレンジャクという鳥がいて、これを旭川の鳥だなんて勝手に決めているんですけれども、別に条例で決めているわけではありません。しかし、市民の間には定着して、みんなそう思っています。いろいろなデザインにも使っています。  こういう国旗だとか国歌だとかというのを法律化するんだったら、それじゃ日本の国の花、フラワー、これについても、菊なのか桜なのか決めようかという議論が出てきてもおかしくないし、だけれどもやはり、こんなものは私は必要がない、みんながそう思っていればいいことだ。あるいは、日本の国の山は何か。これはだれしも富士山と言うと思うんです。これもそれじゃ法制化する必要があるか。こんなことは意味がないと思うんです。  それぞれのことを考えると、私は、何もここで法律で決めたから大事にされる、大事にされないなんということになるものではないんだろうと思うんです。むしろ、国民がその旗にあるいは歌に親しみを覚えるかどうか、そしてそれを大事なものと受けとめていくかどうか。むしろそちらにかかっているんじゃないかなと思うんですね。そういう意味では、日の丸君が代とには大分差があるんだろうと私は思うんです。  特に君が代については、政府の全体の歌詞の解釈といいますか、その意味内容、ここのところ、いろいろな答弁を見ていますと随分違ってきていますね。これは、質問主意書、非常に石垣先生から丁寧な御質問があって、それに対して政府答弁しているのがありますけれども、このときの答弁と、今度のこの国会での論議が始まってからの本会議での答弁なんか、この歌詞の解釈、随分違っていますよね。  そして、例えば君が代について言うと、「君が代は」というのは時代的なものだけではなくて国もあらわすんだというようなことまで言われている。ところが、その後に「君が代は千代に八千代に」と続いてくる。ここで使われている「君が代」の「代」と「千代に八千代に」の「代」とは同じ文字なんですよ。  そうすると、これはどういうことになるんですか。君が代の「代」は国だとすると、千代の方も、これは時代的な感覚じゃなくて国の意味もあるんだ、これはどう考えたって、どう解釈したっておかしいでしょう。  私は、せめてこの「代」が世の中の世、世界の世だというのならまだわかりますよ、社会だとか国だとかということをあらわすと。だけれども、「代」というのは、これはだれがどう見たって時代の代じゃないですか。事ほどさように政府の態度というのは一貫していない。どれが本当に正しいのかということについて、むしろ国民の皆さんに混乱を与えているんじゃないでしょうか。  それと、大体法制化についての態度も違うでしょう。ことしの二月段階では、小渕総理大臣は法制化しませんとはっきり言っていたじゃないですか。それを二転三転して出してくる。この間、本会議での答弁では、よくよく考えたらということをおっしゃった。よくよく考えた結果どうなったから法制化するんだというそこがない、欠落しているじゃないですか。よくよく考えたら、もう一遍やめればいいじゃないですか、そんなことなら。そう言ったっておかしくないでしょう。  官房長官、そこをどうすり合わせたんですか。そのよくよくの話と今の君が代の解釈の違い、変遷、この辺についても全くこれは無責任だと私は思いますよ。これはどうなんですか。
  30. 野中広務

    野中国務大臣 私、佐々木委員と論争する気は全くございませんけれども君が代及び日の丸国民の間に定着をしておるということにつきましては、昭和四十九年十二月に総理府広報室が国旗国歌に対する世論調査を行っております。この際におきます日の丸の旗は日本国旗としてふさわしいと思う者の比率が八四%、君が代日本国歌としてふさわしいと思う者の比率は七七%でありまして、大多数の国民日の丸国旗であり、君が代国歌であると考えておるということが当時の調査からもうかがえるわけであります。  また、今回政府国旗国歌の法制化につきまして検討に着手することを表明いたして以来、報道各社におかれましても、先ほども朝日新聞の調査の結果について御紹介がございましたけれども、それぞれ報道各社の調査の結果も、国旗国歌に関する問題は、先ほど申し上げたこととそう変わらない結果を出しておるわけでございます。  そういう経過を踏まえまして、私どもといたしましては、一方における我が国国旗国歌オリンピックやあるいは国の内外で広く認識をされておるということ、すなわち定着をしておるということを裏づけるものの民意であると考えておるわけでございます。  総理の答弁が変更したのではないかという御指摘でございますけれども、六月二十九日の衆議院の本会議で伊藤英成議員と志位和夫議員の質問に対しまして、君が代とは、日本国民の総意に基づく天皇日本国及び日本国民統合象徴とする我が国答弁をしたものでございまして、この答弁は、基本的にこれまでの総理大臣及び文部大臣の答弁趣旨を踏まえもして論理的に整理をしたものでございまして、それが食い違っておるということではないわけでございます。  なお、総理が本会議場でよくよく考えてという言葉を使われましたことについてお話がございましたが、確かに、総理が委員審議を通じまして現在法制化を考えておらないという答弁をされましたことは事実でございます。  けれども、その後、はしなくもと委員はおっしゃいましたけれども、私考えますと、今からも重くも、広島の世羅高校の石川校長が、日の丸君が代の掲揚、斉唱を通じて、そして激しい交渉の中から、その大変な交渉過程を経て、孤立感の中からついに自殺をされたという重苦しい、また犠牲の大きい、再び起こしてはならない問題に私どもとしては直面をしたわけであります。  これについて、参議院におきましても具体的な質問が相次いで、同じ広島で経験をされた宮澤大蔵大臣からも、一人の政治家としての真情を吐露される発言もあったわけでございます。  こういうことを考え、いろいろな側面を考えますときに、やはりこの機会に、二十一世紀に先送りすることなくこれを法制化することが我々政治家に与えられた責任であると考えて、今回御審議をお願いすることにした次第であります。
  31. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 官房長官はしきりに小渕総理大臣のことを気遣われる。それは確かにそうでしょう、そういう補佐役なんですから。わかるんだけれども、しかし、その御説明を聞いても、総理大臣の言われた、あるいは政府としての見解というものが明らかに君が代について違っているということは否定できないと私は思うんですよ。前のときには象徴天皇と言っていたんですから。今度は、象徴天皇と結びつけながら、そして主権者である国民と結びつけながらではあるけれども、そういう国をと言うんでしょう。国の繁栄を祈っている、願っている、そういう言葉だ。これは明らかに変わってきているんですよ。僕は自信のなさのあらわれだと思いますよ。  それと、本当に官房長官が言われるように重いものとして受けとめてやっているのかどうかということについても、いささか疑わしい思いを禁じ得ないんです。これについてはまだこれから議論をしなければならないと思います。  それから、当委員会としては来週、地方の公聴会、中央の公聴会、これも予定されております。国民の皆さんの意見を十分聞きながら対処していく必要があるだろうと私は思っている。  少しこの法律の中の議論。まことに簡単な法律ではあるんだけれども、こんな二条しかない法律でも幾つかの疑問点が出てくるんですね。  例えば、第一条を見てください。最初、第一条「国旗は、日章旗とする。」とあるんですけれども、ここで書かれる、仮に成立して六法全書の中におさめられてもこのままなんだろうけれども、ここが赤くないんですよ、丸は。黒いんですよ、黒丸なんですよ。日の丸ではない。それで、色のことを書いてないのかなと思ったら、さすがに書いてあった。「彩色」と書いてありますね。「日章」、ただ、この後は何と読むんですか。コウショクと読むんですか、クレナイイロと読むんですか、ベニイロと読むんですか、これは何と読んだらいいんですか。  そして、私はさっき国民学校時代のことを御紹介しましたが、私は君が代をもちろん覚えていましたけれども、音楽の先生から君が代を教わったという記憶はないんですよ。だけれども、覚えている。音楽の教科書に載っていて教わった歌として、「白地に赤く日の丸染めて、ああ美しい日本の旗は」、これは覚えているんです、これは教わったんです。  そういうことを考えると、白地に赤くなんだけれども、これはクレナイイロだかベニイロだかコウショクだとかと書いてある。赤い色とどう違うんですか。どうして赤い色と書かないんだ。
  32. 竹島一彦

    竹島政府委員 紅色というふうに書いてありまして、赤とは書いていないということについてお答え申し上げます。  一つは、赤とした場合には、白に近い赤から黒に近い赤まで、赤という色の意味する範囲が広い。それに対しまして、日章旗日の丸の色というのは御案内のとおり鮮やかな赤。その鮮やかな赤ということを意味するために、赤色ではなくて紅色ということで特定性をより正確にしよう、こういうことで紅色という表現にさせていただいております。
  33. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 確かに、広辞苑を私はとってみたのです。そうしたら、紅というのは「ベニバナから採った鮮紅色の色素。」なんて書いてあって、紅色というのは「鮮明な赤い色。くれない色。」こう書いてあるのですね。  だけれども、今言われたように、鮮やかな赤い色かどうかというのは、その赤い色を見ただけで、日の丸を見たってわからないじゃないですか、こんなのは。鮮やかなのか鮮やかでないのか。何にしたって、日の丸というのは、僕らの意識では、白い地に赤い丸がかかれていればそれが日の丸だと思っているのですからね。鮮やかであろうかどうかなんて余計なお世話だと思うのだ。この辺がどうも何だか、何でこれをわざわざ赤と書かないのかというようなこと。  あるいは、これもどうしても一つわからない。大体、さっき私は私の母校の名前が日章だと言ったのだけれども日の丸日の丸と言われていながら、ここに日の丸という言葉は出てこない。日章と書いてある。日章とは何ですか。
  34. 竹島一彦

    竹島政府委員 お答え申し上げます。  日の丸日章旗かということについて検討したわけでございますが、日の丸ということでございますと、いわゆる日の丸の旗を意味するというふうにも当然使われておりますが、その日の丸の旗の中のまさに紅色の部分の丸を意味するというふうにも使われておりまして、法律用語として使う場合には、やはり日章旗、要するに日の丸の旗のことでございますけれども日章旗というふうにする方が適当であるというふうに至ったわけでございます。  それから、日章とは何か、まさに日の丸でございます。
  35. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 ややこんにゃく問答めいて恐縮なんだけれども、むしろ日の丸というと俗称、俗称なんですかね、日の丸は。日の丸の旗、日の丸君が代、こう言って今論議しているのです。日章と言うより日の丸と言った方がみんなにはぴんときそうな感じがする。これをわざわざ日章という言葉を使っている。私の母校の名前を使っていただいてありがたいのですけれども、この辺もこれでいいのかなという思いがする。  それと、附則の方に行きましょうか。  附則の三項で、日章の中心の位置について、この日章の中心というのはまさに日の丸なんでしょうね、今のお話だと。これについては、「旗の中心から旗竿(ざお)側に横の長さの百分の一偏した位置とする」、こうなっている。  旗ざおの側というけれども、常にこの旗が旗ざおにつくとは限らないでしょう。後ろに張ってある。別に旗ざおなんてどっちにつけたっていいんでしょう、仮につけるとすれば。なぜこれは右、左と書かないんですか。
  36. 竹島一彦

    竹島政府委員 附則の三項で、当分の間、今御指摘のございました、日章の位置を旗の中心から百分の一偏した位置とすることができると書いてございますが、これは、根拠は明治三年の太政官布告による商船規則でございます。これは、日本の船に掲げるべき国旗として定めたわけでございますが、旗ざおに掲揚するということを前提にこのことが決められているというふうに我々は理解しております。  何ゆえに百分の一旗ざおに寄せているか。左とか右ではございません、旗ざおに寄せるということが商船規則の考え方でございます。  これは我々の解釈でございますが、やはり旗ざおに日章旗を掲揚した場合には、その見たときの安定感、それは旗ざおの方に百分の一偏っている方がバランスがいい、そういうところからあえて、百分の一旗ざお側に寄せなさい、こういう規定を当時したものというふうに考えておりますが、それが商船、特に船の世界では連綿と受け継がれてきておりますので、そのことを、今回この法律をお願いするに当たりまして、それはいけませんということはございませんので、当分の間、引き続きそういうふうにして扱うことはよろしい、こういう意味で附則を入れさせていただいたわけでございます。
  37. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 どうもわからない。つまり、旗がつくられた場合に、そうすると向かって左と右とで寸法が真ん中からやった場合に違うよ、百分の一違っているよ、こういうことになるわけでしょう。  旗ざおというのは、例えば向かって左につけようと右につけようといいのでしょう、どちら側と書いていないんだもの。だから、旗ざおを基準にして、百分の一偏した位置にするという記載自体が私は非常に不合理だと思いますよ。合理的じゃないんじゃないですか。
  38. 竹島一彦

    竹島政府委員 旗ざおに掲揚した場合でございますから、旗に表、裏はございませんけれども、右も左ということもない。要するに、旗ざおに掲揚するという場合の旗のことをここでは言っているわけでございまして、したがいまして、それを例えば壁にそのまま旗ざおじゃなくて掲げるということもあるかもしれませんが、それは、そういう旗は旗ざおにかかるようにはなっていない、一つの旗だと思います。そういうものがたまたま片方に百分の一寄っておっても、それは結構でございますということでございます。
  39. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 つまり、私たちの日の丸認識としては、要するに白いところに丸いのがきれいにかかれていれば、私たちは日の丸だと思って認識しているのですよ。何も、何センチで、寸法がどうのこうのなんということを考えているんじゃないのだ。それを法律で書こうとするからこういうことになっちゃうんですよ、決めなきゃならないから。  私は、そんな形式的な問題じゃないだろうと思うのです、もっと大事なことというのは。要するに、その旗が国旗なら国旗としてみんなに認識される。それは基本になるのは白地に赤い日の丸だ、これでいいんだろうと思うのだ。それをわざわざ法律でこうやって決めようとするから、こんなしち面倒くさい、わからないようなことになっちゃうのだ。  それで、今はしなくも御答弁にあったように、「当分の間、」と言っている。「当分の間、別記第一の規定にかかわらず、」云々、寸法についてこうなっている。当分の間というのは、これはまさに時間を言っているのですよね、時間の間隔。当分の間というのはいつからいつまでなんですか。そして、当分の間という想定されたその期間が過ぎたら、これについてはどうしようと考えているのですか。これをお答えください。
  40. 竹島一彦

    竹島政府委員 旗の制式につきましては二つございまして、本則の方に、別記一のところに書いてあるとおりでございますが、縦は横の三分の二というふうに、これはいわゆる国連方式と言われる旗の制式でございます。今回それを、ここに書いてありますとおり、別記一の本則にさせていただいている。  ところが、歴史的に、先ほど来申し上げていますように、明治三年の商船規則によって、この附則の三項のような制式日本では既に存在して、ずっと来ておりまして、これが慣習法と言われるものの根拠でございます。  したがって、現実に存在するわけでございますので、そういう商船規則にのっとった日章旗制式は、今後ともよろしいということにさせていただく。要するに、この法律が成立した暁に、ある日を期して旗のサイズを全部この三対二の方に統一してくださいということは適当ではないという判断がございます。  したがって、本則は三対二のいわゆる国連方式にさせていただきますけれども、当分の間、その当分の間の期間は、新しく旗を買いかえるとか新しくするときには、三対二にされるのもよし、伝統を守って十対七の方の商船規則制式を守るという場合もそれもよし、こういうことでさせていただきたい。したがって、具体的に何年という年限を考えての当分の間ではございません。
  41. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 わからない。それじゃ、何でわざわざこんなことを書くのか、わからない。全くわからないことが、たった二カ条しかない、そして三つの附則しかないこの法律の中でもあるのですよ。  時間がもう迫っておりますから、本当は私はたくさん聞きたいことがあるんです。  例えば、今度は君が代の方だ。さっき   君が代は   千代に八千代に の話が出たのですけれども、   さざれ石の   いわおとなりて   こけのむすまで あたりだって、これはわからないね。さざれ石というのはどんなものだろう。これも私は引いてみたら、細かい石だというのだね。砂粒みたいなものだ。そういうものがどうやっていわおになるんだ、わからない。  それでも、これはまあ古歌としてずっと歌い継がれてきたのだから、いろいろもとの歌詞も、あれは歌詞というか、歌の文句も違っていたようですね。昔は「我が君」と言ったこともあるんだというようなことも言うけれども、それが「こけのむすまで」、これは、さっきの総理大臣の変わった答弁によると、永久に国民主権である、そして、天皇象徴にされているこの日本国の永久の繁栄を願っているのだと言うけれども、「こけのむすまで」、「むすまで」というのはこれは時限ですよ。リミットですよ。永久にではないですよ。だけれども、さざれ石がいわおになるということはないだろうからというのでしょう。理屈に合わないのだ。こんな議論も本当はしたいのだけれども、ここは時間がないからやめます。  それで、私は質問通告していることの実は三分の一もまだ聞いていない。文部省にもついにお伺いできなかったのです。ただ、私の予定した質問については、私のこの後で同僚の藤村議員が、教育の問題などについてもお聞きになるようですから、そちらにお譲りをすることでお許しをいただきたいと思います。  ただ、何にしても、さっきの世論調査などでも出ているように、慎重に審議をなさい、何もこの通常国会で、延長されたからといって慌てて決めることはないですよという意見が強いことは率直にお認めいただきたいと思うのです。  そして、例えば一つの参考例として、かつて建国記念日を定める議論がございまして、国民の祝日に関する法律の一部改正がなされました。このときには、昭和三十二年の二月に、この建国記念日を祝日とする法案国会に出されたけれども、これが第二十六国会に出された後に、二十八、三十八、三十九、四十、四十一、四十二、四十三、四十四、四十六、四十八、そして昭和四十一年の五十一国会にまで及んでいるのですよ。五十一国会昭和四十一年に、つまり、提案されてから九年かかってこれが成立しているのですね。  こういうことを考えた場合に、私は今、延長したとはいいながら、通常国会でやっと国民的な全体の議論が始まったと思われるときに、成立を急ぐべきではない。もっと国民の皆さんからの意見をどんどん聞く。そして、国会での審議も行う。それで、今は尚早だと思えば次の国会に送るということだって私はあっていい。いたずらにただ私たちはこの審議を引き延ばすとか、そんなことは考えていません。本当に真剣な論議をして、国民的な合意が得られるかどうかを確かめて、その上で決めても遅くないのではないかと考えているわけであります。  そこで、このことについて官房長官と、それから最後には委員長のこの審議での態度といいますか、このことについてお伺いをしたいと思います。官房長官、どうですか。
  42. 野中広務

    野中国務大臣 法案として国会提案してお願いを申し上げ、当委員会において御審議をいただいておるわけでございますので、ぜひ慎重に御審議をいただきまして、可決、成立をいただきますようお願いを申し上げる次第であります。
  43. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 委員長、くれぐれも拙速にわたらないように、十分な上にも慎重に、十分な御審議を尽くすことをお約束いただきたいと思いますけれども、どうですか。
  44. 二田孝治

    二田委員長 佐々木委員お尋ねの件でございますが、委員長としましては、本件の審査につきましては、各党間の御協議に基づきまして、ただいまその審議を鋭意進めているところでございます。  本日までに公聴会委員派遣等を行うことをまた御決定もいただいており、もちろん国民から幅広く意見を聞く等、慎重に審議を進めてまいりたい、そのような態度で臨んでおるわけでございますので、御理解をお願い申し上げます。
  45. 佐々木秀典

    佐々木(秀)委員 時間が参りましたから、まだまだお聞きしたい、あるいは意見の交換をしたいことがございますけれども、またこの次の質問のときに楽しみに残しておきますので、どうかよろしくお願いいたします。きょうはこの程度にいたします。ありがとうございました。
  46. 二田孝治

    二田委員長 次に、石垣一夫君。
  47. 石垣一夫

    石垣委員 公明党・改革クラブの石垣一夫でございます。  私は、本審議に先立ちまして、政府に対して、国会議員として与えられた権限を生かし、質問主意書を出しました。七十数項目にわたって、日ごろ疑問に思っている点を率直にお聞きしたわけであります。先般その回答をいただいたわけでございますけれども、そういう回答と関連して一つずつお聞きしたいのですけれども、時間の関係もございますので、絞ってお聞きしたいと思います。  今日、我が国国旗国歌をどう考えるか。これは、ひいては日本国憲法の評価あるいはまた天皇制認識に深くかかわってくる問題であり、国民一人一人が今日まで受けた教育あるいはまた生活環境、人生観、世界観、またはそれぞれ持つ主義、信条など、大きく異なる人間性によって判断が変わってまいります。それだけに、この法案の持つ意義の重要性を考えれば、私は慎重に審議を進めるべきである、このように冒頭お願いしたいと思うのです。  そこで、まず初めに、天皇君が代との関係についてお伺いしたいと思うのですけれども国旗日の丸国歌君が代日本国憲法の何条に根拠規定を持つのか。また、天皇制君が代関係性についてお伺いしたいと思うのです。
  48. 大森政輔

    ○大森(政)政府委員 まず、私の方から憲法上の根拠は何かという点についてお答えいたしたいと思います。  憲法を見渡しましても、直接これが根拠であるという条文はないように思われます。しかしながら、法律を制定します場合に、憲法に明文の根拠がなければ法律は制定できないというものではないのでなかろうかと思います。  御承知のとおり、憲法第四十一条では、国会は唯一の立法機関であるというふうに定められているところでございまして、この規定に基づきまして、国会法律を制定されるという内容につきましては、法律は広く国政全般にかかわる事項について定めることが一般的には可能である。国民の権利を制限し、義務を課する事項については当然でございますが、そのほかにも、憲法に違反しない限り、広く人の行為とか、あるいは国家の作用とか、あるいは社会の秩序などについて一般的な規範を定めることができる。  この今審議をお願いしている法律案、これはその一つでございまして、この法案内容と申しますのは、現代社会ではいずれの国家も備えているべき国家としての基本的な制度と言えます国旗及び国歌について定めようとするものでございまして、法律の形式においてこれを定めることにつきましては、日本国憲法との関係で何も問題はないというふうに考えて御審議をいただいているということでございます。
  49. 石垣一夫

    石垣委員 今法制局長官から、直接の関係はないけれども、四十一条の立法機関の使命でもってこれを定めることにやぶさかではない、こういう答弁だったと思うのです。  日本国憲法及び他の法律で直接規定されてはいない関係が今答弁があったのですけれども、特に私は、君が代それ自体が、大日本帝国憲法下では、一八八〇年十一月三日、明治十三年、天長節で初演された史実から考え、また、私が出しました質問主意書二の8、君が代意味について、政府答弁で明らかなように、現憲法下では、君が代の「君」とは、「日本国及び日本国民統合象徴である天皇と解釈するのが適当である」と述べておりますように、君が代天皇との深いかかわりがあることから、君が代憲法第一条に根拠規定があるのではないかと思うのですけれども、いかがですか。
  50. 大森政輔

    ○大森(政)政府委員 ただいま御言及いただきました憲法第一条、これは言うまでもなく、現在の天皇地位について規定しているわけでございます。「天皇は、日本国象徴であり日本国民統合象徴であつて、この地位は、主権の存する国民の総意に基く。」という規定をしているわけでございまして、この規定が君が代国歌と定めることの直接の根拠ということにはならないと思いますけれども、やはり、国歌内容である「君」について関連性はあるということは言えようかと思います。
  51. 石垣一夫

    石垣委員 直接憲法第一条に帰着するとは言えないけれども関連性がある、こういうことなんですね。それでいいのですか、確認。
  52. 大森政輔

    ○大森(政)政府委員 政府答弁書におきまして、「君」の意味について先ほど御言及なさいましたような答弁をしておりますことから、ただいま御指摘のような意味であるということは当然でございます。
  53. 石垣一夫

    石垣委員 次に、平成四年四月の十一日、京都地裁の判決で、君が代内容の適否は司法審査に適合しないとの判決文があります。この裁判は、君が代を録音したカセットテープを小中学校に配付したことが君が代斉唱の強制であるとして争われた裁判であります。  司法審査に適合しないと判決したその理由の一つに、「「君が代」の内容が相当か否かは内心に潜在するシンボルの適否の問題であって、それは国民個々人の感性と良心による慣習の帰すうにゆだねられるべき性質」である、こういうふうに述べておるわけであります。つまり、君が代の解釈内容は、司法判断の適否を超えた問題であるとされております。  この指摘から考えても、君が代の正しい解釈は政府にゆだねるという判決だと解釈をされます。「君」とは何か、「が代」は何か。この解釈は、戦前戦後を通じて、天皇制天皇地位、あり方論が憲法に照らして問われているのであります。  私は、天皇君が代憲法第一条の天皇地位との関係性は一体であると考えますが、政府の御見解はいかがですか。
  54. 野中広務

    野中国務大臣 委員君が代につきまして質問主意書をまとめられまして、政府としてこれに答弁をいたしました。この答弁は、憲法第一条の規定に沿って行ったものでございまして、小渕総理が衆議院本会議で行いました答弁もまたそれをわかりやすく申し上げたのみでございまして、一致しておると思っておる次第でございます。
  55. 石垣一夫

    石垣委員 言葉じりをとらえるのではないのですけれども官房長官は、憲法第一条に沿って答弁した、こういうふうにおっしゃったのですけれども、法制局長官は、直接は関係ないけれども関連性はあるんだ、こういうふうに微妙な食い違いがあるのですね。これは統一見解を出してくださいよ。
  56. 竹島一彦

    竹島政府委員 法制局長官の御答弁のとおりなんですが、この国旗国歌法案憲法上の根拠規定はどこだということにつきましては、先ほど長官がおっしゃったとおり、具体的に、何条、一条に基づいてこの国旗国歌法案を御提案申し上げているわけではない、こういうことでございます。  一方、「君」は象徴天皇を指すというふうに石垣先生質問主意書に対して答弁を申し上げました。そのときの象徴天皇は、当然のことながら、憲法第一条に規定されている象徴天皇意味する、こういうことでございまして、そういう意味で、憲法第一条と今御指摘の「君」とは何かということについては、当然密接な関係がある、こういうことでございます。
  57. 石垣一夫

    石垣委員 次に、私の質問主意書の二の9、これについて、「「君が代」歌詞全体の意味について明らかにされたい。」こういう質問でございますけれども政府答弁書では、現憲法下では、「天皇日本国及び日本国民統合象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当である」と述べております。  ところが、六月二十九日、本会議総理大臣は、「君」とは、日本国及び日本国民統合象徴であり、その地位主権の存する日本国民の総意に基づく天皇を指しており、君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇日本及び日本国民統合象徴とする我が国のことであり、歌詞も、我が国の未来繁栄と平和を祈念したものと理解する、こう述べております。  ここで、こういう微妙な食い違いがあるのですけれども、これはいかがですか。
  58. 竹島一彦

    竹島政府委員 石垣先生質問主意書の中におきます二の9の「「君が代」(五・七・五・七・七)歌詞全体の意味について明らかにされたい。」という御質問に対する政府答弁は、次のとおりでございます。「日本国憲法の下では、天皇日本国及び日本国民統合象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当であると考える。」というのが政府答弁書で答弁申し上げたことでございます。  そのことと、先般の衆議院本会議における総理の御答弁で、「君」につきまして、今御指摘のとおり、国民全体の総意に基づく象徴天皇だというふうに、天皇の上にそういう説明のフレーズをつけ加えたというのは、わかりやすく丁寧に御説明するということでございまして、「君」の解釈について石垣先生答弁申し上げたのとは何ら変わっていない。要するに、憲法第一条を踏まえた象徴天皇ということを、憲法の条文を引用しながら御説明したということでございます。  一方、今のお話の、君が代の歌詞全体の意味については先ほど読み上げさせていただいたとおりなんでございますが、総理が、君が代の歌詞全体ではなくて、石垣先生質問書にはなかった君が代というその言葉意味は何だということについての御答弁があったわけでございます。  ですから、これは変更したわけではなくて、言ってみれば追加したということでございますが、そのことにつきましては、君が代とは、特に「代」でございますけれども、これは一般的には時代等時間的な概念であるけれども、それが転じて国なり国家をあらわす、そういう意味にも用いられているわけでございます。これは、広辞苑等にもそういうふうにこの言葉についての説明があるわけでございます。  そういうことでございますので、したがいまして、君が代とは、日本国民の総意に基づく天皇日本国及び日本国民統合象徴とする我が国君が代というのは今申し上げたそういう我が国と解釈して差し支えないのではないか、こういうことを本会議答弁された、こういうことでございまして、変更したということではございません。
  59. 石垣一夫

    石垣委員 国民に親切丁寧に内容を深く説明をした、こういうことなのですね。  そこで、主権在民である国民とともに歩む天皇であれば、やはりそういうふうに表現を、例えば、君が代全体の解釈として、主権在民である国民とともに歩む象徴天皇、こういうように平たく解釈した方が、我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものとして国民に理解を得られやすいのではないか、こういうふうに私は思うのですけれども、いかがですか。
  60. 野中広務

    野中国務大臣 表現をどのようにいたしますかは別といたしまして、委員のお考えと変わらないと思っております。
  61. 石垣一夫

    石垣委員 そこで、君が代全体の解釈は、主権在民である国民とともに歩む象徴天皇と解釈もできるという私の主張と官房長官は同意である、今こういうふうにいただいたわけですけれども、この表現について変更する考えはありませんか。
  62. 野中広務

    野中国務大臣 先ほど来累次申し上げておりますように、憲法との関係で正確に、かつわかりやすく説明することに努めたということでございます。
  63. 石垣一夫

    石垣委員 そこで、六月三十日付の読売新聞の報道によりますと、野中官房長官の統一見解の中に意味不明な言葉があると私は思うのです。確認のためでございますけれども、発言の中に、「象徴天皇をいただく日本国の末永い繁栄と平和」という箇所があります。言葉じりをつかまえるわけではございませんけれども、一行でも、重要な官房長官の発言でございますのでお伺いいたしますけれども、「天皇をいただく日本国」という意味はどういう意味なのか、その真意を私は伺いたいと思うのです。  「天皇をいただく」という意味は、第三者からいただいたという意味だと思うのですけれども、尊敬の念でいただいたという意味、これはわかるのですけれども、第三者の意味についてやはり誤解を招くおそれもある、こう私は思うのですけれども、いかがですか。
  64. 野中広務

    野中国務大臣 私正確にその報道を承知いたしませんが、第三者からいただいたなどと考えてはおりませんので、そのように表現があったといたしましたら、訂正をさせていただいておきます。
  65. 石垣一夫

    石垣委員 いや、第三者とは官房長官は言っていないのですよ。だから、「天皇をいただく日本国」、こういう表現があったのですよ。読売新聞に出ています、三十日に。だから、私が推測して、いただくということは第三者からということが考えられるのではないか、こういう意味でお尋ねしたわけなんです。いただくという真意がどこにあるのかということを聞いているわけです。
  66. 野中広務

    野中国務大臣 いずれにいたしましても、小渕総理が本会議で御答弁申し上げましたように、君が代の「君」は、日本国及び日本国国民統合の象徴であり、その地位主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指すと申しておりまして、さらに、君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇日本国及び日本国国民統合の象徴とする我が国のことである旨答弁をいたしておりますので、これを本会議におきます総理の答弁とさせていただき、政府の見解とさせていただいて、いわゆる質問主意書では、先生から君が代あるいは君が代の「代」の意味に関する質問はございませんでしたので、「君」について政府が御答弁を申し上げたところと相違うのではなかろうかと思っておる次第であります。
  67. 石垣一夫

    石垣委員 ちょっと答弁が食い違っているのですけれども、読売新聞に記載されている記事の内容について、これは誤解を招くのではないか、こういうことを私は申し上げたのですよ。ちょっと答弁が、私の質問の仕方が悪かったかもしれませんけれども、ちょっと意味が違うのではないか、こう私は思うのですけれども、いかがですか。
  68. 野中広務

    野中国務大臣 会見場におきまして、記者の質問に答える私の答弁でございますので、誤解を招き、至らない点があるかもわかりません。その点は私から訂正をさせていただきたいと思いますが、先ほど来累次申し上げておる、総理が本会議において答弁いたしましたとおりでございます。
  69. 石垣一夫

    石垣委員 では、この記事は誤解である、このように私は解釈いたしたいと思います。     〔委員長退席、植竹委員長代理着席〕
  70. 野中広務

    野中国務大臣 記事が誤解だとは申しておりません。私の表現が適切を欠いたかもわかりません、それがそのように報道されたかもわかりませんということを申し上げた次第であります。
  71. 石垣一夫

    石垣委員 わかりました。了解いたします。  私の質問主意書の一の8に対し、「政府の新たなる国旗の法制化において国旗を誰が、いつ、どこで、何のために掲揚せよとするのか。また何を義務化させ、何を尊重し、何を自由意思とするのか、その見解を問う。」ということで、ア、イ、ウ、エ、オ、カ、キまで、それぞれ項目を述べておりますけれども、時間の関係で省略いたしますけれども政府答弁書では「法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務付けを行うようなことは、考えていない。」という内容でありますが、立法後はいつでも必要であれば義務づけができ得るという意味を含んでいるのか、法律上は可能であるのか、政府認識を伺いたいと思います。
  72. 野中広務

    野中国務大臣 政府といたしましては、法制化に当たりまして、国旗の掲揚等に関しまして、義務づけを行うようなことは考えておりません。
  73. 石垣一夫

    石垣委員 法律でいわゆる国旗国歌と明記されればおのずと違法義務が生ずると考えられますけれども、今提出されている国旗国歌に違法義務を生ずるおそれはないのか、それをお伺いしたいと思います。
  74. 大森政輔

    ○大森(政)政府委員 この法律案をごらんいただきますとわかりますように、第一条、第二条、これは極めて簡潔な表現になっております。一条一項は「国旗は、日章旗とする。」そして二条は「国歌は、君が代とする。」これだけの規定でございまして、この法律が成立したからといって、国民について国旗国歌に関する何らかの義務が課されるということは一切ございません。
  75. 石垣一夫

    石垣委員 私の質問書の三の3に対して、「「国旗掲揚、国歌斉唱」の義務は、憲法十一条(基本的人権)及び十九条(思想・良心の自由)との関係性について法的見解を問う。」こういう質問なんですけれども、「国旗の掲揚等に関し義務付けを行うようなことは、考えていない。したがって、現行の運用に変更が生ずることとはならない」と述べております。一般の国民に強制しないということだと思うんですけれども、法が制定されて何の根拠をもって強制しないというのか、伺いたいと思うんです。
  76. 大森政輔

    ○大森(政)政府委員 ただいま御指摘になりました質問主意書の質問部分に対する政府答弁は、御指摘のとおりでございます。先ほど申し上げましたように、この法律案が成立いたしましても、国民に一般的に何らかの義務が生ずるということにはならないということでございまして、そういう義務が新たに生じない限り、憲法の基本的人権の規定との関係で新たなる問題は生じないということ、その趣旨答弁した次第でございます。
  77. 石垣一夫

    石垣委員 法律を制定した場合、何らかの波動が起きると私は思うんですよ。例えば法律という石を池に投げますね、そうするとやはり波紋が起きますね。こういうことから考えていけば、私は法律をつくって何らの波紋も起きないということは考えられないと思うんですね、それなら法律をつくらなくていいわけですから。  義務づけをしないという、そこで聞きますけれども、ちょっと話がそれますけれども、今回なぜ尊重規定をつくらなかったのですか。尊重規定を設けなかった理由について。
  78. 野中広務

    野中国務大臣 累次申し上げておりますように、国旗国歌の法制化は、日の丸君が代が長年の慣行によりそれぞれ国旗国歌として国民の間に広く定着をしていることを踏まえまして、二十一世紀を迎えることを一つの契機といたしまして、成文法にその根拠を明確に規定することがこの際必要であると認識をいたしまして、お願いをしておるところでございます。したがいまして、基本的には、法制化によりまして国民生活に何らの変化や義務を生じ、かつ影響を与えるものではないと理解をしておるところでございます。
  79. 石垣一夫

    石垣委員 ところが、小学校、中学校における国旗国歌に関する取り扱いの中で、いわゆる学習指導要領でございますけれども、その中で、平成十年の指導要領を見ますと、「我が国国旗国歌意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国国旗国歌も同様に尊重する態度を育てるよう配慮すること。」これは小学校の指導要領ですね。中学校も同じく「国旗及び国歌意義並びにそれらを相互に尊重することが国際的な儀礼であることを理解させ、それらを尊重する態度を育てるよう配慮すること。」きちっと「尊重」と入っているわけですよ。  子供には尊重しなさいと教えておきながら、大人の我々、それに対して規定がないということはどういうことですか、これは一体。
  80. 野中広務

    野中国務大臣 法律上の義務は負うわけでありませんけれども教育上、子供にそういう教育のありようについて文部省が指導をするのは当然のことだと思います。
  81. 石垣一夫

    石垣委員 いやいや、文部省は子供には尊重しなさいと教えながら、国民全体にはこれは何ら、言うたらフリーなんだ、こういうことでは、私はまさに一貫性がないと思うんですね。この点、いかがなんですか。私は、むしろ尊重規定をつくれば、国民、青少年も一体として日本全体がこれに対して尊敬の念が深まる、こう思うんですけれども、いかがですか。
  82. 野中広務

    野中国務大臣 私が思いますのに、戦後教育課程の中で、やはり日の丸君が代は、先ほど来佐々木委員を初めそれぞれ議論がございましたように、戦争中の暗い歴史を引きずってまいりました。それだけに、指導要領だけでは根拠にならないという教育現場での激しい対立がありまして、そして、それぞれ学校行事等におきまして国旗国歌を掲揚し、斉唱することが論争の中心になってきたわけであります。  それだけに、文部省としては、私は文部省の立場でありませんけれども教育現場でこれが定着し、教育の中に生かされ、尊重されるように教育指導を行うべきだ、このように教育上の配慮としてやってきたことでございまして、その論争の中心になってきた法的根拠というものを今回は明確にすることが必要であったと私は考えておる次第であります。
  83. 石垣一夫

    石垣委員 では、今回法制化する大きな意味は、政府答弁では、二十一世紀を迎えるという大きなけじめをつける、それからさらに、成文化する、この二つに限定されておったのですけれども、きょうの先ほどからのやりとりを聞きまして、官房長官、いわゆる広島の教育問題から発生した、そういう痛ましい事件を再び起こしてはならないという教育上の配慮をバックにこの法制化をした、こう解釈してもいいのですか。
  84. 野中広務

    野中国務大臣 あえてその動機を尋ねるならば、直接的な動機は広島の世羅高校の石川校長のあの痛ましい事件にあったと私は思うわけでございます。  ただ、今まで申し上げておりますように、長年慣行としてやってまいりました問題について、二十世紀を締めくくるに当たって、やはり法制化をすることが一番いいことではなかろうかという判断の上に立って内閣として提案をさせていただいた次第でございまして、児童生徒が国旗及び国歌意義を理解したりあるいは尊重する心情と態度を育てていきますためにも、その国の国旗国歌をひとしく敬意を表する態度を育てるというのは、教育上の当然のことではないかというように思うわけでございますけれども、それが残念ながら、この五十年、教育現場の対立になってきたということをぜひ御理解いただきたいと思うわけでございます。
  85. 石垣一夫

    石垣委員 官房長官の意図するところ、十分私は認識いたします。  したがって、今再三答弁ございましたように、今回の法制化は教育的配慮を十分配慮した、こういうふうに認識をしてもいいわけですね。
  86. 大森政輔

    ○大森(政)政府委員 今回の法案が成立した場合の効果に関しまして、先ほど私は、一般的には国民国旗掲揚とかあるいは国歌斉唱の義務、ひいてはそれに従わなかった場合の罰則というようなものは発生しない、また尊重義務についても法律上の問題としては発生しない、このように申し上げたわけでございますが、これは、一般的にこの法律自体からはそのような効果が生じないということを申し上げたものでございまして、やはりこの法律が制定されますと、すなわち国旗日章旗とする、国歌君が代とするという内容がこの法律で定まりますと、他の個別法との関係で、ある一定の効果はもちろん生ずるわけで、それは法律効果でございます。  例えば、現在、船舶法あるいは海上保安庁法、自衛隊法におきまして、国旗を掲揚しなければならない義務規定がございます。その場合の国旗とはいかなる内容のものかということにつきましては、この法律成立後は、民間、商船はともかく、また当分の間の特例を設けておりますが、海上保安庁法とか自衛隊法に言う国旗掲揚の場合の国旗というのは、今般の法律に基づく正式の国旗でなければならないということは、当然法律的な拘束としてかかるわけでございまして、そういう意味で、こういう共通的、包括的な規定を置くということは、他の法規範の意味を補充させ、完結させるという意味法律上の効果はあるということでございます。  なお、君が代の方につきましては、現在、君が代をどうこうしなければ、国歌をどうこうしなければならないという、法律あるいは政令のレベルにおける規定はございません。ただ、先ほどから若干言及をされております、文部大臣告示である学習指導要領で指導するものとされている君が代というものはこういう歌詞であり、こういうメロディーであるということが定まるわけでございまして、そのようなものを指導するものとされるという効果は生ずるわけでございます。     〔植竹委員長代理退席、委員長着席〕
  87. 石垣一夫

    石垣委員 官房長官、しつこいようですけれども、この法改正の大きな根拠として官房長官が心情を吐露されたいわゆる教育的配慮、こう認識していいですね。
  88. 野中広務

    野中国務大臣 それは動機の一つであるというように御認識をいただきたいと思うわけでございます。
  89. 石垣一夫

    石垣委員 わかりました。これ以上やっても、ちょっとしつこいのでやめます。  そこで、政府は、昭和六十年九月の五日政務次官会議の「国旗掲揚について」、当時の山崎内閣官房副長官の口頭発言を受けて、自治大臣官房長は都道府県知事に、知事は市町村に、また政令指定市市長に対して、国民各位に対して、特に祝日において、施設等機関及び地方支分部局の建物に国旗を掲揚するよう努められたい、また、周知方、その取り扱いに遺漏のないよう十分配慮をお願いするというお願いの文章通達が出ております。ここにありますけれども。  形式的にはこれはお願いになっておりますけれども、多くの自治体の受け方は、例えばポールに国旗を掲揚しなければいわゆる職務怠慢とされるという考えもあり、これは義務であると理解しておりますね。  私の質問主意書一の8、国旗の法制化において「誰が、いつ、どこで、何のために掲揚せよとするのか。また何を義務化させ、何を尊重し、何を自由意思とするのか、」という問いに対して、政府答弁書では、国旗の掲揚等について義務づけを行うようなことはしない、こういうことでございます。義務づけしないということは、基本的にはいわゆる主催者の自由意思である、こう理解するのですけれども、現場はそのように受け取っていないわけであります。  したがって、これは、主催者のいわゆる自由意思であるというこの発言と現場の受け取り方は全く違う、こういうことでございますから、こういう通達はこの際廃止をすべきではありませんか。
  90. 竹島一彦

    竹島政府委員 お答えを申し上げます。  昭和三十七年の二月の政務次官会議口頭申し合わせによりまして、各省庁におきましては、国の機関であるということのあかしといたしまして国旗の掲揚ということが申し合わされておるわけでございますが、同様の趣旨で、地方公共団体に対しましてもそういうことを依頼しているという事実がございますが、あくまでも依頼でございますので、それぞれの地方公共団体においてその趣旨を体して、どういうふうに具体的に行動されるかはあくまでも各地方公共団体の御判断、こういうことでございますので、廃止する必要はないのではないかというふうに考えております。
  91. 石垣一夫

    石垣委員 国旗の掲揚等に関して義務づけを行うような考えはないとはっきり言っておるわけですから、こういう通達は要らぬわけです。違うんですか。通達を出す方と受ける方の認識が違うんですよ、これは。現場では、皆さん方がおっしゃっているようなことになっていないわけです。係官は職務怠慢でやられるんです。ここに大きな問題があるわけです。  したがって、今回、政府が明らかに義務づけしないと言っておるんですから、この際はっきり通達を出すべきですよ。
  92. 野中広務

    野中国務大臣 これは、先ほど内閣内政審議室長が申し上げましたように、三十七年の政務次官の口頭申し合わせによりまして、官庁として国旗を掲揚する趣旨を、公務を執行している時間帯は国家機関である標章として掲揚することにあるものと考えてやったものでございます。  したがいまして、六十年の九月の政務次官会議におきますこの趣旨を徹底しますとともに、地方公共団体や所管の団体等についても祝日に国旗を掲揚することの御協力をお願いするということでございまして、これを義務づけたり強要したりしたものではございませんので、御了承をいただきたいと思うわけでございます。
  93. 石垣一夫

    石垣委員 いや、政府の立場からいけばそうおっしゃるんですけれども、通達を受けている地方自治体としては全く逆の立場にあるんですよ。これはやはり、まさに上意下達の今までの中央集権的な政治の流れで、たまたま今回、明らかに地方分権という大きな政治の流れができましたから、地方自治体独自の判断は強く出てくると私は思うんです。しかし、現時点では、現場ではこういうことに関して、通達の重みをやはり現場の自治体は非常に重く感じているわけなんです。そういうことであれば、この際、改めて私たちは義務化しないということをもう一遍通達を出すべきと違いますか。
  94. 野中広務

    野中国務大臣 これが法律として成立をいたしました際には、過去に行ってまいりました御協力方につきまして、その真意を御説明申し上げる機会は設けたいと思っております。
  95. 石垣一夫

    石垣委員 現時点ではこれを、そういういろいろの義務化をしない、こういうふうにおっしゃっているのですけれども、義務化をしない、そういう判断は政治判断なんですか。いかがですか。
  96. 野中広務

    野中国務大臣 政策判断であります。
  97. 石垣一夫

    石垣委員 では、政策判断、こうおっしゃったのですけれども政府は今回、国民にそういう義務化、強制化しないという限り、政府国民に対して、私は何らかのやはり担保を与えなければいかぬ、こう思うのですよ。だから、やはりこれは、政府声明であるとか何らかの形で、この法律が成立した暁にはそういう保証を出さなければいかぬと思うのですが、いかがですか。
  98. 竹島一彦

    竹島政府委員 国旗国歌についての一般国民に対する、啓蒙という言葉はいかがかと思いますけれども、普及とか啓発とかそういったことにつきましては、この法律を成立させていただいた場合には、総理府等が中心になりまして、そういう情報提供といいますか、普及についての努力はさせていただきたいと思います。
  99. 石垣一夫

    石垣委員 だから、私が今ずっとお尋ねいたしましたけれども、やはりこれは、尊重規定が盛り込まれておればこういうことは要らぬわけです。そこで、私は改めて尊重規定のことを申し上げたのですけれども、今はその時期ではない、こういう判断ですから、それはそれとして了解いたします。  次に、教育と内心の関係性についてお伺いしたいのですけれども、一般的に、内心を深めてこそ教育意義があると思うのですけれども、私の質問主意書に対して、政府答弁書三の4では、児童権利条約十四条または憲法の十九条で言う思想、良心の自由に関し、一般に内心について、国家はそれを制限したり禁止したりすることは許されないという絶対的保障の点から回答が出ております。  そこで、お伺いしたいことは、政府は、いわゆる児童生徒に関し内心に立ち入らないというのは、具体的にどういう事態をいうのか、また、立ち入るとは何か、立ち入った事態とはどういう事象をいうのか。具体的な例で説明してください。
  100. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 一般に、内心、つまり物の見方あるいは考え方でございますけれども、これについて、国家はこれを制限するあるいは禁止するということが許されないとされているわけでございます。  学校教育は、人格の完成を目指しましてさまざまな指導が行われるわけでございます。学校教育法等に基づきまして行われるわけでございまして、その指導の過程におきましては、子供たちの価値形成ということにかかわるわけでございます。しかし、内心に立ち入らないというのは、指導を受けました子供たちが、指導を受けた後に、それぞれ指導された内容についてどのように判断をするのか、それについてどのように考えるのか、このことについてまで国家が一定の制限をしたりあるいは禁止したりする、このことは許されないというふうに理解をいたしております。  そこで、具体的な例ということでございますけれども、いろいろな事例があろうかと思いますが、例えば国歌の例について申しますれば、いろいろな指導を受けた後、しかし、やはり自分としては歌いたくないというような児童がいる場合に、無理強いしてこれを斉唱させるというようなことになりました場合には、やはりこの内心に立ち入らないということにかかわってくるのではないか、こんなふうに理解をいたしております。
  101. 石垣一夫

    石垣委員 政府は今一つの例を挙げられましたけれども、内心に立ち入らないという以上は、その基準または尺度、これがなければあいまいになると私は思うのですね。特に、現場の教師が自分の考え方で、これは内心に入っているのか入っていないのか、その判断基準が非常に私は難しいと思うのです。したがって、いろいろやはりそこで物議を醸す、こういうことを考えていけば、いわゆる内心に入らないという基準、尺度をやはりはっきりとつくるべきじゃないか、こう思うのですが、いかがですか。
  102. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 学校教育は公教育でございまして、教師個々の恣意的な指導がそこで行われてはならない、当然であろうと思います。そこで、私ども学校教育法に基づきまして、教育課程の基準といたしましての学習指導要領の作成に当たりましては、さまざまな議論を踏まえながら検討をし、それを教育課程の基準として告示をしているわけでございます。  それに沿って教師が指導をするわけでございますが、ただ、この指導、価値形成にかかわる指導ということはさまざまな教育活動の多岐にわたって出てくるわけでございまして、子供たちがその指導を受けた後どう考えるかというその判断、それが内心に立ち入るか立ち入らないかということの判断になるわけでございますが、非常に個別的な事案、個別個別で判断をしていかなければならないことだろうと思います。  したがいまして、一般的に、先ほど言いましたような公教育としての教育課程の基準たる学習指導要領、あるいは教育基本法、学校教育法等に従って学校教育が展開される、そうした基準をさらに個別にいたしましてこの基準、尺度といったものを示すということがなかなか難しいということだけは御理解いただきたいと思います。  ただ、いずれにいたしましても、この内心に立ち入らない、内心に立ち入って強制しないということの意義、これは大変重要なことでございますので、私ども学校教育の場におきましてその趣旨等につきましては十分なコンセンサスを深める、こうした努力はしてまいりたい、こう思います。
  103. 石垣一夫

    石垣委員 そこで、具体的に聞きますけれども、一つの例として聞くのですけれども国旗はとうとい、当然これはもう国旗に対して尊敬の念を払いなさい、こういう指導は内心に立ち入るのか立ち入らないのか。さらに、これを何回も何回も教える、こういうことはいかがか。それからもう一点は、例えば君が代の斉唱に対して、生徒一同起立して、そして斉唱する。これを、起立しない子もあると思うのですね。そういう場合に、これは起立しなさい、こういう指導は内心に入るのか入らないのか。
  104. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 教師の指導ということと、これが学校の場合には価値形成にかかわりますので、内心に立ち入るか立ち入らないかという点は、個別になりますとなかなか判断の難しいところもございますが、まず第一の、国旗がとうといもので、これに敬礼するように指導をするということ、そのこと自体は内心に立ち入るものではないと考えております。国旗につきましては、自国の国旗のみならず諸外国国旗について、お互いにこれを尊敬し合い、尊重し合うということは、国際的なマナーとして定着しているというふうに考えます。そうした一般化された事項でございますので、これを子供たちに教えることは指導であって、したがって内心に立ち入るということではないと考えます。  それから、ただ第二の点で、繰り返し繰り返しこれを教えられる。これも程度の問題だろうと思います。先ほどの一定の限度を超えて無理強いし強制する、そして子供たちの判断、考え方にまでこれを踏み込むとなりますと、そこにかかわりが出てくるということもあり得るだろうと思います。しかし、丁寧に教師が指導するということは許されることであろうと思っております。  それから三番目でございますが、生徒たちに国歌君が代斉唱の際に起立を命ずるということ、これは、国歌が斉唱される際に起立してこれに対して敬意を払うということは、これも国際的マナーとして定着していることであろうと思います。そのことを指導の一環として行うこと、これは内心に立ち入るものではない。指導の一環として妥当なものとしてあるというふうに考えております。
  105. 石垣一夫

    石垣委員 結局は、内心の自由とは何かという具体的な例をずっと挙げていっても、今おっしゃっているように一定の限度を超えてという判断と丁寧に教えるという判断、この基準が非常に難しいのですね、現場においては。このようにやはり難しい問題ですから、現場でいろいろ混乱が起きると思うのです。  そこで、こういう教育現場におけるそういう事態について、一つ一つの例を校長に任せるのではなくして、やはり国旗国歌についてのいわゆるガイドラインをきちっとこの際つくるべきではないか、こう思うのですが、いかがですか。
  106. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 先ほどから申し上げておりますように、内心の自由にこれは踏み込むか踏み込まないかということと指導の関係というのは、なかなか微妙な問題がございまして、国がまた一律にガイドラインというような形で示すことは大変難しいことだろうと思います。  ただ、非常に重要なことでございますので、基本的には、子供たちの指導とそれから内心の自由というものを、学校において混乱しないようにという趣旨だと思いますので、国会での御議論等を踏まえながら、私どもとして検討してみたいと思います。ただ、一律にこれを示すということが大変難しいこと、これだけは御理解いただければと思います。
  107. 石垣一夫

    石垣委員 きょうは文部大臣がおられませんので大臣の意見は聞かれないのですけれども国旗国歌法案の責任者として、官房長官学校教育の現場におけるいろいろなトラブル、こういうことについてはこれからも当然私は予想されると思うのです。したがって、学校教育における指導要領の徹底においても、内心の問題との関連性において、やはりきちっと政府としては方針を出すべきだと思うのですが、いかがでしょうか。
  108. 野中広務

    野中国務大臣 我が国憲法の精神にのっとりまして、人格の形成や個人の価値の尊重という基本的な目的のもとに行われておる現代教育は非常に重要でございまして、これからも大切にやっていかなくてはならないと思いますとともに、国旗国歌の指導におきましても、このような考え方に立って、国際社会で生きる日本人としての基礎的、基本的事項として指導をされていくことを期待するものでございます。
  109. 石垣一夫

    石垣委員 終わります。
  110. 二田孝治

    二田委員長 次に、藤村修君。
  111. 藤村修

    ○藤村委員 民主党の藤村修でございます。  議題になっております国旗国歌法案につきまして、三十分の時間で質問をさせていただきます。  もう何度かお答えをいただいているし、何度もお答えを聞いてはおりますものの、なぜ今この時期に国旗国歌法案をこの国会に提出してきたのかということがやはりまだ説明不足ではないかなと思います。  先ほどお伺いしておりますと、これは野中官房長官の私的な御意見なのかどうかですが、やはり教育の分野でいろいろな混乱が生じている、あるいは、二月二十八日の広島県世羅高校校長先生の話も飛び出しておりました。やはりそういうことが動機であるというふうにおっしゃいましたが、なぜ法制化、それも今この時期に国旗国歌法案国会に提出されたのかということを、この辺、整理をして改めてお答えを願いたいと思います。
  112. 野中広務

    野中国務大臣 先ほど来御答弁申し上げておりますように、日の丸君が代が、長年の慣行によりまして、それぞれ国旗国歌といたしまして国民の間に広く定着をしていることを踏まえまして、二十一世紀を迎えることを一つの契機といたしまして、成文法にその根拠を明確に規定することが必要であるとの認識のもとに法制化を図ることといたしたわけでございます。  今委員からも御指摘がございましたけれども、去る二月に広島県で国旗国歌の指導に大変御尽力をいただいておった県立世羅高校の石川校長先生がみずからこの過程の中で命を絶たれるという痛ましい事件が起こりまして、国旗国歌のあり方について、国民の間に定着していることだけに、十分とはまだ言えないということが、法制化を検討する一つの契機となったことはそのとおりでございます。
  113. 藤村修

    ○藤村委員 ですから、先ほど来の議論もそうですが、この法案自体には法的な波及効果、石垣委員に言わせると、石を投げたら波紋が生じるというものについて、そんなに説明がよくわからなかったのですが、ただ、割にはっきりしていることは、教育界における国旗国歌日の丸君が代問題というものが、過去、ある意味では、法的根拠はない国旗日の丸国歌君が代を学習指導要領で、これは法的根拠ですから、それでやってきたことに若干のちゅうちょがあるというか、やはりこれが問題であったのかなというのも動機の一つであったというふうに今お伺いしたように思います。  広島県の件、余りたくさんは触れませんが、実は、広島県の教育委員会が、これは次の解釈問題について、二月の時点で、実は県教育委員会としてちょっと解釈をしているわけです。「「君が代」の指導にあたっては、その歌詞の意味日本国憲法の枠組みの中で解釈されるべきものである」こと、それからもう一つ、「日本国憲法の下での「君が代」は、国民統合の象徴である天皇を持つ我が国が繁栄するようにとの願いを込めた歌であると解釈すべきものである。」というふうに、県教育委員会が実はそのお話の中で、これを解釈として出されたのです。  さらに、先日は、先ほどの石垣委員質問主意書に基づいた政府見解というもので、これは簡略化して言うと、君というのは象徴天皇と解釈するのが適当というお答えであったと思います。そしてさらに、これは先日の小渕総理のお答えで、君が代は、日本国民の総意に基づき、天皇日本国及び日本国民の統合の象徴とする我が国のことというふうに、これらは相当共通していて、大体は理解できるのですが、それぞれ若干違うので、もう一度この時点で、先ほど来もありましたので、この君が代ということについての政府見解をお伺いしたいと思います。
  114. 竹島一彦

    竹島政府委員 君が代のうちの「君」につきましては、今御質問の中で御指摘のとおり、象徴天皇を指すという見解でございます。君が代につきましては、今委員お読みになりましたとおり、「代」というのは一般的には時間的概念であるけれども、転じて国をあらわすという意味にも使われているということを踏まえまして、君が代のことを我が国というふうに解釈するのが適当ではないか、こういうことを総理が答弁されているということでございまして、二つ何か別なことを、あくまでも「君」についての説明であり君が代についての説明ということで、二つは違いますけれども、そこに何か矛盾しているというふうには考えておりません。
  115. 藤村修

    ○藤村委員 私は論理的矛盾をついているのではなくて、これはつまり学習指導要領に基づいて小学校の生徒なり中学校の生徒に社会科の段階で教えるわけです。  ここで大事なことは、国旗、旗は、これは見る人見る人のそれぞれの感覚で判断をすればいいのです。意味がございません、その意味では。しかし、国歌、歌は歌詞があります。歌詞は日本語でございます。日本語には意味があります。だから、生徒たちに、これは当然教えるのですね、教えるからにはどういうふうに教えるかということは、この今の政府の正式な見解、今のもちょっと二つわからなかったのですが、君が代は、我が国というのと、それから、もっと長い、「君」がまず象徴天皇であったり、「代」は時代の「代」であったり、それから「国」であったりという、二通りあるので、ここをきっちりと一つにまとめた上で、それは言葉が難しいので今度は小学校にはどう教えるかということは後から聞きたいのですが、まずそこをちょっともう一度ちゃんと話してください。
  116. 竹島一彦

    竹島政府委員 大事なことは、君が代の歌詞、これは何を意味しているのかということだと思います。  答弁申し上げるのは、すりかえる意味ではございませんが、大事なことは、君が代とは何を意味した歌詞なのかということだと思いますが、それにつきましては、先般の石垣委員に対する答弁書で申し上げましたとおり、天皇日本国及び日本国民統合象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものである、そういうことを意味した歌詞である、こういうことでございます。  ですから、学校におきましても、君が代意味は何かというと、日本国及び日本国民象徴天皇だけではなくて、象徴天皇象徴されるその母体である日本国及び日本国民、これの末永い繁栄と平和を祈念する歌である、こういうふうに指導がされるべきだと考えております。
  117. 藤村修

    ○藤村委員 そうしますと、初等中等教育局長に来ていただいているので、では小学生には、今の解釈を受けてどういうふうに指導したらいいのでしょうか。
  118. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 具体的な個別の指導につきましては、各学校の教師たちにゆだねられるわけでございますが、私どもが学習指導要領の解説書等で、各学校に、指導に当たってこういうことはということで指導助言として行っておりますのは、先ほども答弁がございましたが、国歌君が代は、日本国憲法において、天皇及び日本国並びに日本国民統合象徴とする我が国がいつまでも繁栄するようにとの願いを込めた歌であることというその趣旨を私どもは示しておるのにとどまっておりまして、あと具体的に、個々の子供たちに向かって先生がどんな形でこの意味をわからせるかということにつきましては、教師の専門性にゆだねているということでございます。
  119. 藤村修

    ○藤村委員 これは、もう一度後で伺います。  今こうして法定化するということは、歌詞が法律の中にちゃんと書かれておりますので、歌詞は、先ほども申しましたように、日本語で書いてあって、意味があることですから、これは古文の理解のような、本当に正しい理解の仕方は、これは各教師に任されたことではないと思いますので、よく考えておいてください。後で聞きますけれども。  そこで、私は、官房長官にお尋ねをしたいと思います。  国旗としての日の丸、そして国歌としての君が代が定着していることと認識しております。そしてそれは、官房長官も多分本会議でも何度もお答えになったように、昭和四十九年の十二月の総理府の世論調査が出ておりました。あるいは、それ以降、最近話題が出たときにも、種々のマスコミの世論調査などからもそういうことがうかがえる。さらに、私自身、代議士として地元を回って、きょうまでの活動の中でも、そういう感覚というのは間違っていない、そのように思います。  ところが、国会答弁でされた四十九年の総理府調査においても、このときに、確かに君が代日の丸なのですが、法制化についてという質問については、これは数字は申しませんが、総理府調査では、法制化は大多数消極的という記述もございます。これは昭和四十九年ですが、法制化はその時点では大多数消極的であったということであります。  あるいは、先般、これは一つのマスコミだけで申しますと、NHKの調査でも、君が代国歌としてふさわしいと思う、七二%。それから、国旗日の丸はもっと多くて八九%、ふさわしいと思う。ただし、法制化についてと聞いている質問では、法律で定める方がよいが四七%、定めない方がよいが三三%。ここは半数にも満たないわけですから。そこで、だから、定着しているということと、それから法制化するということの関係は一体どういうふうに理解されたのでしょうか。
  120. 野中広務

    野中国務大臣 私どもといたしましては、委員が御指摘になりましたように、長年の慣行といたしまして、それぞれ、国民の間に広く定着をしているわけでございますけれども、この新憲法ができまして以来五十数年の我が国の経過を振り返りますときに、やはり二十一世紀を迎えることを一つの契機として、成文法による根拠を明確に規定することが必要であるという認識をいたして、法制化をお願い申し上げておるところでございます。  法律という形式で規定することによりまして、国旗日章旗であり、かつ国歌君が代であるということが極めて明確になるということを考えておる次第でございます。
  121. 藤村修

    ○藤村委員 その動機としては、そういう教育現場の問題であったり、高校長の自殺であったりしたことが動機の一つでもあった、そういうふうに今お伺いしたわけであります。  実は、教育現場では、これも学習指導要領の中での国語という言葉が出てきます。実は、この国語は何語かということが日本では法定化されておりません。国語は日本語であると定着はしております。しかし、国語は法定化されていないから、それを日本語と書いている教育委員会の中の学校なんかもあるわけです。つまり、国語は日本語であるということは、その際、これは一緒に法制化した方がいいんじゃないかと私は思うのですが、そういう発想はなかったのでしょうか。
  122. 近藤信司

    ○近藤(信)政府委員 お答えをいたします。  委員指摘のように、国語は、普通には日本語の意味で使われておるわけでありますけれども、ある国家の共通語または公用語として用いられている言語という意味もあるものと承知をいたしております。  特に、国語は日本語であると規定した法律はないものと承知をいたしておりますけれども、例えば文部省設置法では、文部省の所掌事務として、国語の改善、あるいは刑事訴訟法でも国語というような言葉が出てまいりますが、これはいずれも日本語を意味しているものと認識をしているところでございます。  いずれにいたしましても、日本語は日本国内で普遍的に使用されている実態にかんがみまして、我が国の国語は何かと言われれば、それは日本語である、このように認識をいたしているところでございます。
  123. 藤村修

    ○藤村委員 つまり、定着して、これはもう一〇〇%に近い定着率で、あるいは、国語を日本語とすることにおいての教育委員会での問題はなかったわけです。国旗日の丸国歌君が代、これはきょうまで大分問題があったわけです。だから、やはり理由はそこにあるんじゃないですか、官房長官、いかがでしょうか。
  124. 野中広務

    野中国務大臣 お説のとおりだと思います。
  125. 藤村修

    ○藤村委員 すんなりと認めていただきますと、次を追及できないのですけれども。  ですから、私は、教育現場における今回の立法というのは大変効果があるというか、それなりの影響力も大きいということを申し上げた上で、教育現場のことについてお伺いしたいと思います。  今の官房長官のお答えで大体決まっているのかもしれませんが、まず文部省の方に聞きます。  この法制化によりまして、今後、学習指導要領における国旗とか国歌というものが、いわば法的根拠ができた、はっきりした、こういうふうに言ってよろしいのですね。
  126. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 法制化によりまして、成文法という根拠がより明確になるものというふうに考えております。
  127. 藤村修

    ○藤村委員 ちょっと具体的に申しますと、例えば、学習指導要領における国旗及び国歌に関する取り扱いの経緯、これもずっと順に、石垣委員質問主意書にも答えていただいておりました。小学校あるいは中学校、高校、それぞれございます。  それで、特別活動という部分、これが学校行事等であろうかと思いますけれども、ここで、ちょっと過去の流れを見ていて、うんと不思議に思う点がありますのは、昭和五十二年までの指導要領というのは、特別活動で、「国旗を掲揚し、「君が代」を齊唱させることが望ましい。」とありました。それ以降、次は平成元年に学習指導要領を出しておりますが、ここでは、「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」五十二年までの記述は「望ましい。」平成元年からは「指導するものとする。」ここが相当大きな変化で、かつ、ここが今現場で非常に苦労されている部分だと思うのです。  まず、なぜこういう大きな変化を文部省の学習指導要領でされたのか、その背景は一体何ですかということ。それから、もう一つ続けて聞いておきますと、昭和五十二年までは、ここに実は「「君が代」を齊唱させる」とあったのですね。平成元年からは「国歌を斉唱するよう」とわざわざこれ、変えているのですね。これの意味は一体何かということをお尋ねしたいと思います。
  128. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 まず第一の点でございますが、確かに学習指導要領は、昭和三十三年に初めて告示という形をとりましたが、それ以降何回かの改訂はございましたが、五十二年の告示まで、先生今紹介されましたように「望ましい。」こういうふうになってございました。  これは、三十三年の告示に当たりましては、その前に通達をもちまして、当時の天野文部大臣の談話を受けまして、国歌を斉唱することも望ましいと考えますといった、それを受けましての規定として、告示として「望ましい。」という文言を使ったわけでございますが、この「望ましい。」という学習指導要領の規定をめぐりましては、その後、入学式やあるいは卒業式等におきまして、国旗掲揚、国歌斉唱を各学校の判断にゆだねるということで、学習指導要領という教育課程の基準としていかがかといったこと、そして、かつ国旗国歌の斉唱、掲揚についてさまざまな意見がございまして、入学式、卒業式等におきまして、この扱いをめぐりまして幾つかの学校でいわゆるトラブルといったようなものも生じたわけでございます。  そこで、教育課程の基準でございます学習指導要領の規定といたしましては、「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」というような明確化を図ったということでございます。  それから、第二点目でございますけれども、同じく昭和五十二年の告示までは「君が代」というふうな表現を使ってございまして、「国歌」という記述はそれまではしてございませんでした。これは、若干技術的になりますが、「君が代」につきましては、楽曲名を書く、楽曲名としての君が代というものを規定するという形で「君が代」としてございましたが、国旗の方は「国旗」となってございましたので、この改訂に合わせまして「国旗」「国歌」という形で表現をそろえて、以後今日に至っている、こういう経緯でございます。
  129. 藤村修

    ○藤村委員 ですから、一番目の件は、五十二年以降、トラブルもあった、あるいはそういう声も出てきた、だからもうちょっと明確化しなさいといういわば世論なり国会議論があった、こういう理解でよろしいのですね。  それから、二番目がよくわからなかったのですが、君が代の楽曲を言っているのじゃなしに、むしろ、片や「国旗」と言っているから「国歌」とそろえたという、それぐらいのことなんですか。  もう一つは、私なんかは、実は昭和五十二年より以前、四十三年より以前、あるいは三十三年の社会とか音楽の学習指導要領によって小学校へ行ったような世代ではございますが、音楽を見るときには、平成元年までは「「君が代」は、各学年を通じ、児童の発達段階に即して指導する」とあったのですが、一番新しい平成十年には「「君が代」は、いずれの学年においても指導する」と変更されています。  私自身は、音楽においては小学校の割に低学年の方から習ったような記憶が何となくあるし、あるいは自分で弾く、演奏するという、レ、ド、レ、ミ何とかとかいう、これも何か頭に残っていますので、かつての方が割に早い時期からその指導があって、音楽ではちゃんと君が代というのを教わったような気がするのですが、平成十年には、「いずれの学年においても指導する」というのは大分意味が違うのですが、この違いというのは一体どういう理由でしょうか。
  130. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 これまでの学習指導要領上の規定は、「「君が代」は、各学年を通じ、児童の発達段階に即して指導する」こうなってございました。これを今回は「「君が代」は、いずれの学年においても指導すること。」ということで、「児童の発達段階に即して」という文言を削除したということでございます。各学年を通じまして指導するということにつきましては、変わってございません。  「児童の発達段階に即して」という文言を整理いたしましたのは、ほかの教科との並びもあるわけでございますが、児童の発達段階に即してというのは、ある意味では教育の考え方として当然のことではないかということでございます。それ以外に、算数あるいはその他の教科におきましても、こうした、発達状況に応じてですとかあるいは発達段階を考慮してとかという文言が随所にございましたが、それは一括して、指導上の問題であるからこの際文言を整理するということで、それは指導マターとして別途のところで整理して、まとめて総括的に記述するというような整理がございまして、このような規定にいたしたわけでございます。  したがいまして、「各学年を通じ、」を「いずれの学年においても」と変えてございますけれども、その中身につきましては、私ども変更したというような考えは持っていないところでございます。
  131. 藤村修

    ○藤村委員 これは今、一つ二つの具体例でありますが、この際、ですから、これが法定化されるということになれば、学習指導要領のこの部分、国旗及び国歌に関する取り扱いというところの部分というのは、改めて見直すことになるのではないかなと思うんですね。つまり、さっきちょっと言っておりました、君が代というのは意味のある古今和歌集の歌ですから、これはちゃんと教えないといけないでしょう。意味を間違ってはいけないと思います。それは、学校の各先生にお任せするわけではないと思いますので、その辺も含めた学習指導要領のこの部分の変更というのはどういうふうにお考えなんでしょうか。
  132. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 学習指導要領におきましては、国旗国歌に対する正しい理解を図るという文言があるわけでございます。今回の法案は、慣習としてありますものを成文法として明確に位置づけるということでございまして、その根拠の明確化が図られるわけでございますが、国旗国歌としての学校における扱いというものは変わるものではないと考えてございますので、学習指導要領を変えなければいけないというようなことは今考えていないところでございます。
  133. 藤村修

    ○藤村委員 私、ちょっと説明が足りなかったです。国旗国歌に関する取り扱いは確かにそのとおりであろうかと思います。  しかし、これは、だから国語の問題の中で、あるいは社会なんでしょうか、例えば、第六学年で「内容の取扱い」ということで、「我が国や諸外国国旗に対する関心やこれを尊重する態度を育てるように配慮する必要がある。」これは礼儀、マナーの問題かもしれませんが、社会ではなしに国語かもしれませんが、国歌となれば、君が代というこの歌はこういう歌でありますというのが、これは文部省でなしに総理大臣が本当にある意味では解説してもいいのですが、いわば統一的見解、それも、小学校なら小学校に対してはこういうふうに教えます、中学校の人なら中学校にはこういうふうに解釈を教えますということは必要ではないですか。
  134. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 学校教育におきまして、国旗国歌についてどのような指導を行っているかということでございますが、私ども、これは指導要領を解説いたしました指導要領解説におきまして明記してあるわけでございます。それは、国旗国歌はいずれの国も持っていること、それから、国旗国歌はいずれの国でもその国の象徴として大切にされており、互いに尊重し合うことが必要であること、三つ目として、我が国国旗国歌は、長年の慣行により、日の丸国旗であり君が代国歌であることが広く国民認識として定着していること、そして四番目として、先ほど言いました国歌趣旨が書いてございまして、そうしたものを子供たちに指導するようにというふうになっているわけでございます。  ここで、長年の慣行により日の丸国旗であり君が代国歌であるというようなところは、今回のこの法律の扱いによりましては見直しをするということが必要になってくるかもわかりません。しかし、基本的な、国旗国歌というものを学校教育においてどう取り扱うかという学習指導要領レベルの問題におきましては、これはこれを変える必要はないのではないか、こんなふうに考えているわけでございます。
  135. 藤村修

    ○藤村委員 今の、四番目にと言って解説してありますと言ったその解説の中身はまた後ほどいただくとして、そこがやはりちゃんと、これは、法律に定めた歌詞の意味の解説というものは、文部省なら文部省がきっちりと出さないと、これは現場の先生にこういうふうに解釈してもいい、こういうふうに解釈してもいい、これがいろいろ問題がまた生じる原因になるんじゃないかと私は思います。  もう時間がございません。教育問題で、いろいろまだほかにはあるわけですが、最後に、官房長官には、法制化するならとにかくできる限りの国民的合意形成を図るべきであると思いますし、その努力が今のこの委員会であったり公聴会をするということも一つでもあろうかと思いますが、さらに政府として今後どのように努力していかれるのか、お伺いしたいと思います。
  136. 野中広務

    野中国務大臣 これから政府といたしましては、このような国民の意識を背景にいたしまして、法制化をお願いすることができました上には、今国権の最高機関たる国会において御論議をいただく事柄でございますが、今後とも、この法案が成立をいたしました上には、国旗国歌の普及啓発に鋭意努めてまいりたいと考えておるところでございます。
  137. 藤村修

    ○藤村委員 きょうが入り口でございますので、さらに議論を積み重ねるよう同僚委員の皆様にもお願いを申し上げまして、終わらせていただきます。ありがとうございました。
  138. 二田孝治

    二田委員長 次に、西村眞悟君。
  139. 西村眞悟

    西村(眞)委員 西村眞悟でございます。  一昨日の本会議政府の御答弁をお伺いしておりまして、ほぼ御答弁は尽くされておると私は感じております、すべてに答えられたと。  ただ、この委員会での機会をいただきまして、政府の御答弁を前提にして、私なりに疑問に思っていることをたださせていただきたいと存じます。  さて、一昨日も、また本委員会でも、御答弁趣旨は、国旗国歌我が国は現在も保有しておって、そして、既にこのようにして存在する国旗国歌を本法律により確認するものである。したがって、ケルン・サミットにおいてもはためいていた日の丸、また演奏されたであろう君が代、また現在も国会議事堂の上にはためいているこの日の丸は、現在も日本の旗であり日本の歌である、このように前提として御答弁されているということでよろしゅうございましょうか。確認のために御答弁をいただきたいと存じます。
  140. 竹島一彦

    竹島政府委員 国旗国歌を法制化するのは、こういう法案の形でお願い申し上げているのは今回が初めてなわけでございますが、そういうことで「国旗は、日章旗とする。」。日章旗であるというのではなくて、「日章旗とする。」「国歌は、君が代とする。」という、「である」ではなくて「とする」という表現は、今回の法制化に当たってこちらの方がふさわしい、適当である、創設的な規定の方がふさわしい、こういう判断でございます。  しかしながら、その判断に至る背景といたしまして、今委員指摘のとおり、日の丸君が代が長年の慣行として国民の間に定着しているという事実をもってこのような成文化を図るということは、間違いはございません。
  141. 西村眞悟

    西村(眞)委員 今御答弁をされた。政府は、例えば今の御答弁では、私の質問の通告を先取りされて御答弁されているんですが、創設的だと言われた。この法律によって日の丸国旗となる、君が代国歌となる、それがふさわしいと言われたということは、ケルン・サミットで翻っていたあの旗は、今法律がない以上、あれはどこの国の旗だと思われているんですか、あなたは。
  142. 竹島一彦

    竹島政府委員 そういうことではございませんで、従来から政府は、国旗国歌について、国旗日の丸であり、国歌君が代であるということは、慣習ないしは慣行として定着をしている、したがって、国旗国歌として、政府のみならず国民の間でそう扱われているというふうに、そういう理解に立ってございます。  ですから、根拠を慣習とか慣習法に求めるのではなくて、今回はそれを成文化するということでございまして、その成文化に当たっては、規定のしぶりは「国旗は、日章旗とする。」という規定ぶりが適当である、こういうことでございます。
  143. 西村眞悟

    西村(眞)委員 慣習に基づいて、今も法律がないわけですから、我が国国旗国歌も持っておるんです。これは共通認識だと思って質問しておるんですが、先取りされて言うものですから、質問の順序が異なっておる。  ただ、私がなぜこのように聞くのかといえば、既に存在するものを確認する規定なのか、それとも、今まで存在していなかった、それを創設的な法律とこれを見なすのかという分岐点がここにあるんです。仮に、創設的だ、この規定によって初めて国旗国歌我が国に創設されたんだというならば、過去の我が国日の丸君が代が果たしていた意味を論理的には奪うことになるから、重要なものだとして伺っているわけですね。  既にあるものを確認するという規定ならば、これは創設的規定ではない。ただ、法律によって根拠を与えられるという意味では、おっしゃるとおり創設的であろうけれども、それは一つの法律に書けばそうなるのは当たり前の話であって、法律に書こうが書くまいが、我が国には国歌国旗が存在するということですね。  それで、先ほど先取りされて言われたんですが、既に存在するものを確認する規定、訓示的規定と言ってもいいかと思うんですが、そうであるならば、「国旗は、日章旗とする。」という条文の文言は、これは創設的であって確認的ではないと私は思います。  それは、この文章だけを見てはわかりませんが、例えば、私は生まれたときから男でございます。これを確認する、そのときに、西村眞悟を男とすると言えば、この規定以前に私は何であったのだろうか。まあ個人的名前を出してもまずいかもしれませんが、御本人は公人として公然とやっておられるので、カルーセル麻紀みたいな方は、カルーセル麻紀を男とするという規定の仕方でいいんです。しかし、私は生まれたときから男であり、それは既に存在していることであって、それを確認する場合は、西村眞悟は男であるという表現にしなければならない、論理必然的にそうなる、このように思います。  これは、実は、ささいなことのようですが、これを「とする」という創設的な文言で規定しておきますと、将来この法律が政治的ないろいろな配慮によって、国会法律をつくるところですから、廃止された場合、その瞬間に我が国国旗国歌は存在しないことになる。しかし、これを明確に文言上確認的に書いておきますと、この法律が将来なくなっても、我が国君が代日の丸伝統がある限り、今現在がそうであるように、我が国国旗国歌を持っている国だということにおいて何ら変わりはない。紙に書かれた、我々が多数決で決める、この片々たるとあえて申し上げます、我が国の長い伝統から見れば片々たるものでございますから、そういう片々たる法律の浮沈によって国旗ができたりなくなったりする事態を避けるために、この問題意識から私は聞いておるわけですが、これはいかがですか。「国旗は、日章旗とする。」と。先ほど例を挙げました。西村眞悟を男とするというのがふさわしくないように、伝統に基づいて既にある以上、国旗日章旗である、国歌君が代である、この文言が、今審議しているこの法律の背後にある社会的伝統と実態から見れば極めてふさわしいと私は思いますが、いかがでございますか。
  144. 大森政輔

    ○大森(政)政府委員 非常に論理的追求に基づく御意見で傾聴していたわけでございますが、その点については私はこのように思うわけでございます。  現在、国旗についても、そして国歌についても、ある規範が慣習法として成立しているということを申し上げてきたわけでございますが、その慣習法として存在している規範の内容というのは、やはり、国旗日章旗とする、国歌君が代とするというのが規範の内容だろうと思うのです。  今回、法制化いたしまして、今御審議いただいている法案が成立いたしますと、法源、法発現の形式としては慣習法から成文法になる。しかし、規範の内容は依然として、従前あった、慣習法として存在していたものが成文法として存在するという点以外の変化はない。依然として規範の内容は、国旗日章旗とする、国歌君が代とするという創設的な内容を持つ規範が続いていくのであろう。  分析的に説明しますと、そのようになろうかと思います。
  145. 西村眞悟

    西村(眞)委員 論理明快な長官としては極めてちょっと、私は納得できない。  というのは、私が男であるというこの事実は、西村眞悟を男とするという規範が私が生きている限り無限に続いていくのですか。日々それが創設されながら続いていくのですか。違うのですよ。私は、事実、実態、立法事実といいますか、この法律はやはりそれを確認するんだろうと思うのです、この法律ができてもできなくても。それは内閣も認めておられる。  前には提出は考えていないと言われた。それは、我が国国旗国歌が必要でないという判断ではなくて、既に伝統に基づいてあるものですから、そして、ある意味ではそれは日々創設されている。伝統は日々創設されていくのでしょう。世代から世代に受け継がれていくのでしょう。それを創設と言ってもいいです。  しかし、法というものは、この法律によって新しくつくるものではなくて、伝統を確認するものだというふうに私は理解しておるのです。このことについてはあとは表現の問題、「とする」であるか「である」かという表現の問題になるわけですが、私が申し上げた今のこの法律をつくる前提としての実態についての御認識は、私は政府と共有していると思うのですが、この点はいかがですか。
  146. 大森政輔

    ○大森(政)政府委員 私も委員と基本的な考え方は共有していると確信しております。  ただ、社会的、政治的には、確かに現在ある慣習法の確認という意味を持とうと思います。しかしながら、法律的に説明する場合には、やはり規範の内容は創設的な表現であるべきであるというふうに考えているにすぎませんで、共通の認識はずれていないということで御了解いただきたいと思います。
  147. 西村眞悟

    西村(眞)委員 それでは一点だけ。  私は、法は法なきを期すと思っております。したがって、将来、我が国伝統に基づいて、この法律は廃止だとした場合に、我が国国旗国歌もその瞬間でなくなるのですか。それとも、この法律が廃止されても、伝統がある限り、今の伝統が続いている限り、我が国には今現在のように日章旗君が代は存在するわけでしょうか。
  148. 大森政輔

    ○大森(政)政府委員 今御審議いただいております法案が成立いたしまして、それが将来廃止されればという仮定の問題についてのお尋ねでございますが、我々が考え及ぶことのできる将来においてそのようなことはないのじゃなかろうかと確信するわけでございまして、将来どういう、そのときにもし万が一そういうことがあるとしました場合には、その理由が一体何であろうかということを抜きにしては、今の問題について答えはこうであるということはなかなか確言できないのではなかろうか。なかなか難しい御質問であると考えるわけでございます。
  149. 西村眞悟

    西村(眞)委員 私は論理を聞いております。私は、今まで法によって国旗国歌が定まったのではない以上、また、将来、現在のように法律がないけれども国旗国歌が存在する事態を想定してもいい。その想定される事態の論理を聞いておるわけですね。だから私は、この法律は確認的、訓示的法律であって創設的法律ではない、このように思うわけです。  したがって、私の意見として心に入れておいていただきたいのは、文言の表現については細心の注意をして、万人が、これは確認的規定であると。私を、西村眞悟を男とするといえば、ある人は、ああ、では彼は男とするとされる前は男ではなかったのかという疑問を生じる。しかし、西村眞悟は男であるという表現をすれば、彼は生まれたときから男であったということになるわけですね。  そういうことを申し上げて、これ以上このことについては申し上げませんが、これは私は非常に重要なことだと思っておりますので、官房長官もおられますし、どうかお心におとめ置きいただきたいと存じます。  さて、既に伝統に基づいてそうなっているものということについては認識は共有しております。そのときに、論理必然的に何が出てくるのかといえば、君が代の歌詞は伝わってきたままの姿、すなわちこれは和歌であります。口語文ではなくて文語文である。したがって、現代仮名遣いではなくて歴史的仮名遣いによって法律上も明記しなければならない、このように思います。  今お手元にあって、私も調べてきたのですが、衆議院の調査局内閣調査室が資料として配付されたのですが、ここにもちゃんと載っております。二百一ページ、内閣訓令第一号「「現代仮名遣い」の実施について」この一番下の4。これは、「仮名遣いは、主として現代文のうち口語体のものに適用する。原文の仮名遣いによる必要のあるもの、固有名詞などでこれによりがたいものは除く。」つまり、現代仮名遣いというものは、現代文のうち口語文に適用するのです。  そして、同じ内閣告示の8を見てください、二百二ページをめくって。そこにはこう書いてある。中段、「歴史的仮名遣いが、我が国歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない。」  君が代の歌詞の生成については政府も御答弁されておりますし、再び繰り返そうとは思いませんが、古今和歌集に原歌があって、古今集註、この和歌集の注釈書、文治元年、一一八五年成立の注釈書には、「此歌、ツネニハ「キミガヨハチヨニヤチヨニ」トイヘリ。」とあります。八百年以上前にこの原型がもうあるわけですが、明らかに和歌です。明らかに、口語体ではなくて文語文です。  そして、内閣告示によりますと、現代仮名遣いは口語文にする、現代仮名遣いは現代文のうち口語文に限る、歴史伝統に基づく歴史的仮名遣いを尊重することは言うまでもない、このようにあります。  さて、君が代のこの歌詞が和歌として我々の現在まで伝わっておりますけれども、全体の文字遣いを漢字仮名まじりの文の姿にふさわしく整えて我々のもとに伝わっておるわけです。したがって、歴史的仮名遣いこそがこの君が代法律上表記するにふさわしいと、私は確信を持って御質問をしております。  しかるに、この別記第二、「君が代の歌詞及び楽曲」については現代仮名遣いになっております。これは、内閣告示自体を無視するものでございます。  ちなみに、漢字仮名まじり文の姿というのは、「いわお」はこのような難しい巖でございます。「こけ」というのも、この字を当てております。そして、仮名は、この別記に付されておるように「いわお」ではなくて「いはほ」です。内閣告示自体に反した法文をつくられたんです。これについてはいかが見解をお持ちですか。
  150. 竹島一彦

    竹島政府委員 今回の法文の作成に当たりましては常用漢字表を用いるということでございまして、おっしゃるとおり古歌でございまして、古今和歌集、和漢朗詠集のときの表現とは違っておりますけれども、あくまでも成文化するに当たりましては現代語をもって表記するということが原則でございまして、その場合の文字は常用漢字表にある漢字を使う、こういうことになっておりますので、巖にしても、苔にしても、そのように平仮名でさせていただいているところでございます。
  151. 西村眞悟

    西村(眞)委員 お答えになっていない。  法案国会に提出する、特に、伝統歴史に基づくものを確認する法案においては、もう少し慎重でなければならない。内閣告示において、今朗読しました昭和六十一年中曽根内閣総理大臣の告示、これに明確に書いてあるんです。  君が代の歌詞は和歌でございます。口語文ではなくて文語文でございます。これは認められると思う。そして、この法律自体が伝統としてあるものを確認するということにおいて、政府質問している私は共有の認識を持っておる。しからば、内閣告示のとおり、歴史的仮名遣いは我が国歴史や文化に深いかかわりを持つものとして尊重されるべきことは言うまでもないわけでございます。そして、君が代こそ、我が国歴史や文化に深いかかわりを持つがゆえに現在まで、千年、人々の心の中で歌われてきた、伝わってきたものでございます。  先ほどのはお答えになっていない。なぜ、内閣告示と違う、現在に生きる私どもが勝手にこの和歌を現代の口語体に適用される現代仮名遣いに書き改めて子々孫々の子供たちに伝えようとしているのか。歴史伝統に基づくものは尊重してしかるべきだ。したがって、現代の仮名遣いではなくて、歴史的仮名遣いによって伝えるのがふさわしいと私は申しております。官房長官、いかがでございますか。
  152. 竹島一彦

    竹島政府委員 君が代が平安時代から歌われているまさに古歌であって、詠み人知らずでございますけれども、そういう非常に歴史があって、かつ、祝い歌として民衆の間でも長く歌い続けられてきた、謡曲でも取り上げられてきた、こういうものであるからこそ、慣習として明治政府になりましてから国歌として君が代が選定されたということだと思います。  そういう歴史を経て、今回の法制化に当たりまして、「国歌は、君が代とする。」というふうにさせていただいているわけでございまして、君が代のいわれなり歴史的重みなりということについては全く同じ考え方と申し上げていいと思うのでございますが、では、法律にどういう表現、仮名遣いをするかということにつきましては、やはり、その経緯と法文をどう書くかということは、私どもは別な話であると。  これは、古典としてそのまま書くということではなくて、そういう歴史なり経緯のある歌を日本明治以来国歌として歌ってきたわけでございますが、それを平成のこのときに成文化するに当たっては、やはり、昭和五十六年の政府における申し合わせ、政府の申し合わせでございますけれども、全部の法律がそのルールに基づいて提案されているわけでございまして、現代語で、常用漢字表をもって法律をつくるということでさせていただいていますので、そういう表現ぶりをとらせていただいたということをぜひ御理解いただきたいと思います。
  153. 西村眞悟

    西村(眞)委員 これは到底理解できない。  申し合わせで、昭和五十六年の申し合わせ、後法は前法を否定するという原則に基づいて、昭和六十一年七月一日の中曽根内閣総理大臣の告示を私は引用して申し上げておるのに、全く答えになっていない。私は、政府と問題意識を共有しているがゆえに、この問題について入れる段階に来たと思って今お聞きしているわけです。  あなた方が、まあ、言ったら失礼ですが、今答弁されたような次元で、どこの申し合わせかわからぬ、しかし昭和五十六年の申し合わせでそうさせていただいた、御理解いただきたいと。しかし、昭和六十一年七月一日の中曽根総理大臣の内閣告示はどうなるんだ。これこそまさに、認められたように、我が国の古歌であります、古い歌である。そして、口語体ではなくて文語体なんです。口語体に現代仮名遣いをそのまま、これはよろしい。しかし、これは読んでみれば文語体そのものじゃありませんか。そして、そうであるがゆえに重みがある、そうしたわけでしょう。これは、やはりこの部分については細心の注意を払わねばならない部分なんです。我が国伝統というものがいかなるところから来って、我々はいかに子孫にその伝統を伝えるのかという文化なんですよ。  フランスは国語を重んじる。我が国も国語を重んじなければならない。言葉こそが伝統を伝える唯一の要素でございまして、言葉から伝統を奪ってはならないと私は申し上げておるわけです。御答弁については繰り返しになる、なりますわな。  委員長、私はこのことを申し上げ、委員長も私の質問をお聞きになって、今の私の問題意識についてわかっていただけたと私は確信するわけですね。これは別に与野党の問題ではなくて、この法案をつくるのならば、古歌であるという共通認識はすべて持っておるわけです。そして、内閣告示にもあるように、仮名遣いについては、口語体については現代仮名遣いはいい、しかし、文語体については、ここにありますように、「歴史的仮名遣いが、我が国歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない。」。我が国国歌君が代こそ、我が国歴史と文化、そして国の形に深いかかわりを持つそのものなんです。  どうか委員長におかれては、この質問の中で、私は政府のあの方々と押し問答をして、あの方たちは一たん出してしまったことをここでは言えぬのだと思いますけれども、それは審議の中でこのことについてお取り上げいただきたく、委員長の権威におすがりして申し上げるわけです。よろしくお願いいたします。
  154. 二田孝治

    二田委員長 後ほど……。
  155. 西村眞悟

    西村(眞)委員 次に、君が代は大和言葉なんですね。それで、これもまた、先ほどお配りいただいたこの資料、国旗日章旗だと書いてある。私は、日章旗という言葉がいつあらわれたかわかりませんが、日の丸という言葉、この大和言葉が、君が代も大和言葉なら日の丸も大和言葉だという意味で、私どもの口に出る、我が国の旗は何ですかと子供に聞けば、日の丸と。私どもの小さいときは、白地に赤くということを小学校で教えていただいた。そのときに、日章旗ということで私どもはその歌を歌わなかったわけですから、歴史伝統があって、現在もこの衆議院の上に翻っているあの旗は我が国国旗であるということを確認する以上、日章旗という呼び名一つではなくて、日の丸という言葉も法文によって子孫に伝えるという問題意識が必要ではないかな、そのように思います。事実、この資料についても、一ページの目次の第六には日の丸日の丸ですよ。日章旗とは書いていない。  ともに君が代日の丸、大和言葉で表記して伝えましょうやという私の提案ですが、いかがですか。
  156. 竹島一彦

    竹島政府委員 委員のおっしゃることはわからないわけじゃないのでございますけれども政府における検討で日章旗とさせていただきましたのは、日の丸という場合には、先ほども答弁申し上げましたけれども、いわゆる日の丸の旗、日章旗とイコールの日の丸の旗を意味するというふうにも使われておりますが、別途、その赤い部分、紅色の部分の丸を指すという意味にも使われております。したがいまして、正確を期す意味日章旗というふうにさせていただいたわけでございます。  今委員のおっしゃった物の考えというのは全くわからないわけじゃないのでございますけれども、そういう意味で、大和言葉で統一をしたということではない、今のような検討を踏まえて日章旗という言葉を使わせていただいたということでございます。
  157. 西村眞悟

    西村(眞)委員 こういう歴史伝統に基づくものを確認していく法律審議においては、やはり政治家同士の一つの話し合いという意味で、対立するんじゃなくて話し合いという意味での対話がこの場でなされて、そして、論理としてそれが正しいな、なるほどだなというふうに進んでいくのが審議としては一番ふさわしいなと思います。あなたの立場はわかります。わかりますけれども、あなたは、そうさせていただいた、御理解いただきたいと言える立場ではない。歴史伝統なんですから、相手にしておるものは。  さて、本法を速やかに成立する、ただし、私の先ほど言うた問題意識において、それが正しく子孫に伝わるべく、形をとって速やかに成立することを私は望んでおります。  この後に考えるべきことについてお聞きします。  刑法九十二条だと思いますが、これは外国国旗を毀損した者に対しての罰則を定めております。この刑法九十二条は、条文の位置から見て、外国の国家的法益に関する罪でございます。外国国旗を毀損すれば、これは国家に対する罪、国家の法益を侵害したということでございます。翻って、現在の我が国の状態は、日の丸を、国旗を毀損すれば器物損壊罪に問われるだけでございます。しかし、御承知のとおり、器物損壊罪というものは、個人的法益、私が持っていたものをつぶされたという私一人の個人的な法益であって、そこに何ら公共性というものを示す罰則ではありません。  刑罰自身が公共の秩序を守ると言ってしまえばそのすべてが公共と関係するのですが、刑法典は、国家的法益、社会的法益、個人的法益を分けて規定しておりますから、個人的法益の部分で我が国日章旗を、また日の丸を毀損すればそれで済まさざるを得ないのに、外国国旗に関しては国家的法益として刑法九十二条がきかされておる。これはいかんともしがたいことではなくて、我々立法者としては、これは変革しなければならない。国家の示す旗を毀損した者は、個人的法益ではなくて国家的法益において裁くべきだ。したがって、これによって国家は国旗というものを大切にする、それを毀損したる者は国家的法益を犯す者だということを明確にできるわけです。  このような立法の方向が必要だと私は確信するものですが、官房長官、いかがでございましょうか。
  158. 野中広務

    野中国務大臣 このたび法制化をすることにいたしましたことは、従来国民の中に定着はしたとは申せ、慣行的に定着をしてきたものでございますので、明確に日の丸国旗とし、それを日章旗と言い、さらに、君が代国歌とすることによって根拠を明確にしたいと考えたところでございまして、政府の意のあるところを御理解いただきたいと思うわけでございます。
  159. 西村眞悟

    西村(眞)委員 まあ将来の課題でございます。  さて、せっかく官房長官に御質問の機会を与えられたものですから、私は、全く今の主題とは違って、委員長、非常に失礼いたしますが、一点だけお聞きしたいと思います。  なぜなら、防衛庁は内閣のエージェントで、官房長官にお聞きして、その問題意識を持っていただきたいと常々思っていたことがございます。つまり、駐在武官制度でございます。防衛駐在官制度でございます。  御承知のとおり、各国は駐在武官制度を持っておりまして、接受国からナショナルでの招待状は、各国通例として、我が国特命全権大使そして駐在武官のトップ、この二通来るわけですね。ということは、国際儀礼上、駐在武官というものはそれほど独自の地位をもって国際社会で遇されているわけです。  しかるに、我が国駐在武官制度はいかなる根拠によって出来ったかといえば、昭和三十年の八月八日の事務次官の覚書によってできております。この覚書は「一、在外公館に勤務する防衛庁出身の外務事務官が自衛官の身分を併せ保有する場合は、自衛官の階級を呼称し、その制服を着用することができる。」「二、右外務事務官は、」これは自衛官のことですが、自衛官は、身分を剥奪して外務事務官になっております。「外務事務官は、防衛庁設置法、自衛隊法等の規定にかかわらず、身分上及び職務上、もっぱら外務大臣及び在外公館長の指揮監督に服する。」事務次官レベルで、国会が制定した法律の規定にかかわらずということを書いておる。「三、右外務事務官は防衛庁との直接通信を行わず、且つ、独自の暗号を使用しない。」「四、右外務事務官のため防衛庁は、独自の予算を配布しない。」  さて、今申し上げた在外公館における独自の地位を占める駐在武官というものは各国では、もちろん米国、フランス、ドイツでは日本と同じように、在外公館においては特命全権大使の指揮下にあります。しかし、我が国以外は自衛官の身分を剥奪されてはおりません。これは、文書というものの中に怪文書というのがございますが、自衛官の身分を剥奪し外務事務官にし、服だけは軍人の服を着てもよろしいよという形で出しておるわけです。身分と服が伴わない。これは文書で言う怪文書ならぬ怪人物が我が国の在外公館におる、極めて不名誉なことでございます。  したがって、今防衛庁と外務省との間でこの駐在武官制度をいかにするかという協議が始まったやに聞きますが、所管される官房長官においては、各国と整合性のとれた身分、そしてその行動における通信、連絡の権限の確保等々を、官房長官の立場から、外務省と防衛庁との間で行われている協議に仲介の労をとっていただきたいと存じます。最後に御答弁をお伺いして、終わりたいと思います。
  160. 野中広務

    野中国務大臣 御指摘の防衛駐在官につきましては、任国にあります大使館におきまして、専門的な知識を生かしまして軍事情報の収集や防衛交流に従事をいたしますなど、我が国の安全保障にとって極めて重要な役割を担っておると承知をしておるところでございます。また、冷戦後の国際情勢におきましても、このような防衛駐在官の任務は、我が国全体の観点からもより重要になってきておるものと承知をいたすところでございます。  防衛駐在官は、他の書記官等と同様に、在外公館員たる外務省職員として職務を行っておりますけれども、その職務を円滑に行うため望ましいと考えるために、自衛官の身分をあわせ持つことによりまして制服の着用と階級の呼称が認められておると承知をしておるのでございます。  他方、このような防衛駐在官の身分に関しましては、外務、防衛両省間の、委員が御指摘になりました昭和三十年の覚書があるわけでございまして、この覚書の書きぶりにつきましては私も非常に問題を感ずるわけでございまして、委員が御指摘になりましたように、現在、外務、防衛両省庁の間で検討が行われておると承知をいたしておりますので、両大臣に、この検討が早く、適切な結論が得られますようにお願いをしたいと考えております。
  161. 西村眞悟

    西村(眞)委員 本法案もあわせてよろしくお願いいたします。  質問を終わります。
  162. 二田孝治

    二田委員長 次に、穀田恵二君。
  163. 穀田恵二

    穀田委員 日本共産党の穀田恵二です。  私ども日本共産党は、国旗国歌の問題は国民にとって大事な問題だから、国民的討論を行うべきであって、国民的議論を抜きに国会の数の多数を背景に短兵急に決めてはならぬという考え方を持っています。政府は、本延長国会において、日の丸君が代国旗国歌とする法制化を押しつけようとしていることは、この国民的議論を問答無用で抑えつけるものだと考えます。  国旗国歌は、もともと国が公の場で国をあらわすシンボルとして使うものであって、したがって、国民に義務づけるものであってはならないし、学校行事として強要すべきでないということは言うまでもありません。ですから、我が党は、日の丸君が代日本国憲法を土台とした今日の日本国旗国歌としてふさわしくない、そういう立場から、法制化には反対です。  そこで、君が代についてまず質問をしたいと思うんです。  君が代というのは、今もお話ししましたように、私どもとしては国歌にはふさわしくないと考えています。なぜかといいますと、君が代が、戦前政府によって、天皇の治める時代がいつまでも続くようにという歌だといって国民に押しつけられたものだからです。そして戦後、新しい憲法のもと、天皇主権から主権在民の世の中になったにもかかわらず、全く同じ歌が、歌詞が、そして曲が同じものが、解釈を変えたということであたかも憲法国民主権の原則と両立するかのように扱うことは許されないと判断するからです。  そこで、まず、君が代がどういう役割を果たしてきたのかについてお聞きしたいと思います。戦前君が代意味を再確認したいと思います。  野中長官、小渕首相は、「君」については、大日本帝国憲法の精神を踏まえ、君が代の「君」は日本を統治する天皇意味で用いられてまいりましたと答弁していますが、あなたも同じ理解ですね。     〔委員長退席、小此木委員長代理着席〕
  164. 野中広務

    野中国務大臣 戦後、我が国憲法が制定をされまして、天皇地位戦前とは変わったことから、日本国憲法下におきまして、国歌君が代の「君」とは日本国及び日本国民統合象徴であり、その地位主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しておると認識をしております。
  165. 穀田恵二

    穀田委員 今私がお聞きしたのは、戦前君が代意味を再確認したい、小渕総理大臣が述べたことをわざわざ引用しまして、それと同じですねとお聞きしたのですが、もう一度お答えください。
  166. 野中広務

    野中国務大臣 古歌君が代明治時代国歌として歌われるようになりましてから、大日本帝国憲法の精神を踏まえ、君が代の「君」は日本を統治する天皇意味で用いられ、君が代の歌詞も、天皇の治める御代が末永く続き栄えるようにという意味に解釈されてきたことはそのとおりであります。
  167. 穀田恵二

    穀田委員 今お話がありましたが、その内容を一つ一つ吟味する前に、戦前明治憲法についても一つお尋ねしたいと思うんです。  御承知のとおり、戦前明治憲法は、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」これは一条ですね。それから「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」と、四条で天皇主権をうたっていました。天皇は立法権、行政権、司法権のすべてを握り、陸海軍の最高指揮権、宣戦布告権から非常大権に至るまで持つ立場にあったことは御承知のとおりであります。そして、今、天皇の治める御代とありましたし、日本を統治するという言葉もありましたように、天皇が絶対であり、天皇礼賛、天皇主権の国のあり方自身が、あの不幸な戦争、アジアへの侵略戦争への道を開いたのではないか。このことについて、野中官房長官はいかがお考えですか。
  168. 野中広務

    野中国務大臣 当時、戦争を計画した人が国旗あるいは君が代というものをどのように利用したかは、私は詳細にその時代を検証するものではありませんけれども、少なくとも、君が代戦争をしあるいは日の丸戦争をしたということには理解をいたしかねるわけでございます。
  169. 穀田恵二

    穀田委員 そうは言っていないんですよ。天皇が絶対という時代に、わかりやすく言えば、今、野中官房長官がお話しした点は、次に来るのは、歴史観や歴史認識の違い、こう来るんでしょうけれども、そういう意味じゃなくて、天皇主権の国のあり方、天皇絶対、そういう国だからこそアジアへの侵略戦争が行われたのと違うかと。君が代の話ではないんです。まずそこを言っているんです。いかがですか。
  170. 野中広務

    野中国務大臣 当時の為政者がそのような方向へと持っていったことがあの不幸な時代をもたらしたと認識をしております。
  171. 穀田恵二

    穀田委員 その為政者の中心人物はだれですか。
  172. 野中広務

    野中国務大臣 それをいわゆる国権の最高者である天皇と言う人もありますし、あるいは東京裁判で処刑をされたA級戦犯者であったと言う人もございます。
  173. 穀田恵二

    穀田委員 どうも、あなたの認識はどうなのかということについてはお触れになりませんでした。  しかし、大事な問題は、当時天皇主権であったこと、これは事実です。これは紛れもない事実です。そして、実は、東京裁判という話まで出ましたけれども、結局、体制が変わった時点でどうなったかという問題についても考えてみたいと思うのです。  それは、天皇主権の政治体制の反省の上に立って、侵略戦争のいわば反省の上に立って、大日本帝国憲法を廃止し、戦後、国民主権憲法を生み出したわけです。  そうしますと、この時代の転換というものの中心は、天皇主権から国民主権への転換、そして、侵略戦争を行った天皇主権の政治体制の否定ということに中心問題はなると思うのですが、その点はいかがお考えですか。
  174. 野中広務

    野中国務大臣 そのように、いわゆる旧憲法を廃止し、新しい憲法が制定されたと存じております。
  175. 穀田恵二

    穀田委員 それでは、ようやく私の言っていることについては賛意を示していただいた。  そこで、もう少し詰めていきたいと思うのですけれども憲法にそういう内容の精神の前文がある。憲法の精神がその前文に書かれています。それはこうなんですね。「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と書かれてある。  まさに、この精神の体現は、侵略戦争を行ったあの天皇主権の否定だ、そして、そのことによって改めて国民主権への転換が行われたというふうに理解しておられると見ていいのですね。
  176. 野中広務

    野中国務大臣 そのとおりでございます。
  177. 穀田恵二

    穀田委員 そこで、大事な問題は、この侵略戦争天皇の問題というのは切っても切り離せない、そして、さらに君が代の問題についても切っても切り離せない。このことについてはお認めになりますね。
  178. 野中広務

    野中国務大臣 そこがあなたの意見と食い違うところでございます。
  179. 穀田恵二

    穀田委員 どう食い違うのか、少しおっしゃってください。
  180. 野中広務

    野中国務大臣 どこが違うかということは、私が先ほど申し上げましたように、いわゆる大日本帝国憲法におきます天皇の位置づけそのものをかつての侵略戦争の責任と考える人と、そうではなしに、そういうものを利用して我が国を不幸な戦争時代に引っ張っていった、そういう人たちを指すものとの見解が違うということでございます。
  181. 穀田恵二

    穀田委員 そうしますと、もう一遍尋ねざるを得ませんね。  先ほどお話ししたように、新しい憲法というものをつくった、ないしはできたその中心問題は、侵略戦争と不可分に結びついていた天皇主権天皇絶対という、そういう体制の否定から起こっているんだということはお認めになるのでしょう。
  182. 野中広務

    野中国務大臣 戦争に敗れて、過去を否定し、新しい憲法でスタートをしたということを認めます。
  183. 穀田恵二

    穀田委員 どうもそこのところが非常にあいまいな感じがしますね。  ということは、私が言っているのは、天皇がいわば大権を用い、そして統治する、そういう国だったからこそ、そしてまた、そのことを君が代という形で礼賛し、そしてそういう治世が行われたからこそ、あのアジアの侵略戦争があったということを私は言っているので、そのとおり理解していいのですね。どこが違うのですか。
  184. 野中広務

    野中国務大臣 私は、そのような理解をいたしておりません。
  185. 穀田恵二

    穀田委員 そこで、先ほど私は言ったのですよ。憲法の前文に、その精神が、侵略戦争と結びついている天皇主権について、不可分に結びついていることについて実は反省をしている、そこから出発しているということを私は言ったのです。それはそのとおりなんですね。  なぜあなたはそう言うかという問題について、もう一遍、では、私はこの憲法の理解との関係で言ってみましょう。  この憲法の、今先ほど私が述べました前文の第一段の意味について、法学協会の「注解日本国憲法」はこのように書いています。  第二に、憲法制定の理由。前文第一段に「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍の起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とあるのは、 ここからなんですね、  憲法制定の理由説明したものである。平和と自由とを確保すること、即ち結局においては戦争を起さないようにすることが、憲法制定の究極の目的であるといつてよい。そしてこのためには、過去において日本戦争に導いた禍根を絶たなければならない。その禍根は、天皇主権者として統治権を総攬し、軍閥及び官僚が、天皇の名において、統治権を恣にした  この禍根を取除くためには、軍国主義と官僚主義を排することはもちろん、天皇が統治権を総攬する制そのものを廃し、主権国民に存することを明らかにしなければならぬ。これがこの憲法制定の理由とされているのである。 として、わざわざ書いているのです。こういう理解なんですね。  だから、私は、大日本帝国憲法の精神を踏まえてと、先ほど総理答弁の話がございました、とすると、その大日本帝国憲法がこの精神に基づいて廃止されたと同様に、戦争への反省の上に立って君が代は廃止すべきだった、このことが中心だと思います。  だから、侵略戦争と結びついた天皇主権をたたえる歌は、解釈を変えたって国民主権の精神とは両立できない御都合主義と言わなければならない。このことをまず言っておきたいと思うのです。  次に、君が代意味、これを問いたいと思うのです。君が代のフレーズ、三文字について聞きたいと思います。  小渕首相は、君が代の「君」は、日本国及び日本国民統合象徴であり、その地位主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指していると解釈し、君が代の「代」は、本来、時間的概念をあらわすものでありますが、転じて国をあらわす意味もあると解釈すると答弁しています。  そこで、残る文字は「が」なんですね。「君が」の「が」です。これはどういうものか、聞きたい。  これは所有の格助詞であることは間違いありませんね、野中官房長官。     〔小此木委員長代理退席、委員長着席〕
  186. 竹島一彦

    竹島政府委員 お答え申し上げます。  君が代の「が」は、所有の助詞でございます。  君が代は、日本国憲法下におきまして……(発言する者あり)「が」の意味は、所有の助詞でございます。
  187. 穀田恵二

    穀田委員 所有の格助詞だということは間違いないとお話がありました。
  188. 二田孝治

    二田委員長 私語はやめてください。注意いたします。
  189. 穀田恵二

    穀田委員 そこで、政府が「君」と「代」とを分解して解釈したわけですが、だから私は、その間にある「が」という意味を聞いているわけですが、所有の格助詞だから、そうすると、君が代という三文字のフレーズの解釈というのは、縮めて言えば、「君」は天皇、「代」というのは時代ないしは国、こういうわけですから、「が」というのは現代語でいえば「の」と言えると思うので、素直に読めば天皇時代天皇の国というふうになると思うんです。いわゆる「が」というもの、今日でいいますと「の」ですね、支配とか所有ということをあらわすわけですが、それで間違いありませんね。
  190. 竹島一彦

    竹島政府委員 六月二十九日の本会議における総理の御答弁にございますように、「代」とは、本来時間的概念をあらわすものでございますが、転じて国をあらわす意味もある。そこで、君が代とは、日本国民の総意に基づき天皇日本国及び日本国民統合象徴とする我が国のことである、こういうふうに答弁していらっしゃるわけでございます。  君が代の歌詞も、そのような、今申し上げましたような我が国、その我が国の末永い繁栄を祈念したものである、こういうのが政府の申し上げている解釈でございます。
  191. 穀田恵二

    穀田委員 私は、全体の歌詞のことまで聞きましたか。なぜそういうふうになるのかな。  大体、素直に読めばということで、「が」というのは支配というか所有という意味になるんだなと聞いているんですよ。それをまず答えてください。
  192. 竹島一彦

    竹島政府委員 私どもは、そういう、「君」とか「が」とか「代」とかという言葉の国語的解釈をしているわけではなくて、君が代というのは、まさに古今和歌集に起源を発する古歌である、それが明治になりまして日本国歌として選定をされた、自後、日本国歌として歌われ、定着をしている。そういう事実に基づきまして、慣習に基づきまして、今回法制化するために、「国歌は、君が代とする。」ということにしているわけでございまして、君が代の古文的ないし国文学的解釈をしているわけではございません。
  193. 穀田恵二

    穀田委員 二つあると思うんですね。  まず、国語的解釈もしないでどないして教えるの、あなた。情けないね。それと、そういう、分けて解釈するものじゃないと。分けて解釈したのはそっちでしょうが。「君」という解釈をしたのはだれなのか、「代」という解釈をしたのはだれなのか。だから、「が」という残っているものを聞いているんですよ。おかしいじゃないですか、おたく。
  194. 竹島一彦

    竹島政府委員 「君」は象徴天皇のことである。君が代の「が」は所有をあらわす助詞である。君が代とは、先ほど申し上げましたように、我が国のことである。こういうことでございます。
  195. 穀田恵二

    穀田委員 まさか、どうして我が国のことになるんです。そこが、「君」が天皇であって、そして「が」が所有のあれであって、君が代我が国である。どういう理解でそんなこと言えるんです。「君」が天皇であって、「が」は所有の助詞であって、「代」と並べたら国となる。どこで化けるんです、そうやって。  そういう解釈で、どうして「が」と「代」が当たり前に、だれが聞いてもわかるんです。だれもわからないですよ。どうして国となっちゃうんです、いつの間にか。そこを教えてください。
  196. 竹島一彦

    竹島政府委員 先ほども申し上げましたように、「代」というのは一般的には時代をあらわすということでございますけれども、広辞苑にもございますように、それは転じて国をあらわすということになっているわけでございます。したがって、君が代の解釈につきましては、繰り返しになって恐縮でございますけれども日本国民の総意に基づく天皇日本国及び日本国民象徴とする我が国、そういう意味であるというふうに解釈することが適当であるというのが、政府が申し上げている見解でございます。
  197. 穀田恵二

    穀田委員 だれが聞いてもおかしいと思いませんか。「君」は天皇だ、「が」は所有だ、「代」は時代ないしは転じて国だと。そうすると、天皇象徴する国じゃなくて、そうすると、「が」というのは、「を象徴する」というふうに読むわけですか。わかる。わからない。  あなたが言っているのは、「君」というのは天皇だ、「代」というのは時代ないしは転じて国だというんでしょう。だとすると、素直に読めば、天皇時代天皇の国ということでしょう。それ以外に何の理屈があるんです。あなたの理屈は、そこから今度はどういうわけか発して、簡単に縮めて言えば天皇象徴する国だと述べている。そうすると、「が」というのは、「の」とか所有という意味じゃなくて、あなたがおっしゃった言葉からすると、「天皇を」から始まった「を象徴する」という言葉なんですか。いつそんな理解を子供たちに教えることができるんですか。言ってください、もう一度。
  198. 竹島一彦

    竹島政府委員 君が代戦前の、先ほど、要するに、古文的に申し上げますと君の代であろうと思います。したがって、大日本帝国憲法時代にその解釈が行われたようなのが一つの解釈であったというのはそうでございますが、ただ、これも歴史的には、古今和歌集時代は、古今和歌集は「我が君」だったわけでございます。和漢朗詠集になって「君が代」になったということでございまして、平安の昔にさかのぼりますと、それは必ずしも天皇を指すとは限らないという意味もあって、そういう流れの中で、確かに戦前の大日本帝国憲法下における時代では、この君が代意味については、まさに天皇の治める治世、こういうことであったというのが先ほど御紹介した解釈でございます。  では、この今の日本国憲法下においてそれをどう解釈すべきかということになりますと、「君」とは象徴天皇、その象徴天皇というのは、日本国日本国民象徴されておられるわけですね。それで、その地位は、まさに先ほど第一条を読み上げましたように、「日本国民の総意に基く。」こうなっておりますので、ひとり天皇の、天皇の御代とか天皇の治世、天皇の国という解釈は、この今の憲法との関係で適当ではない。それはそうではなくて、先ほど申しているように、日本国の末永い繁栄、その日本国というのは、象徴天皇というものを、憲法第一条にございますように、そういう日本国である、その国の国歌としてふさわしい、こういうことでございます。
  199. 穀田恵二

    穀田委員 今のお話をもし小学校なり中学校でしていたら、だれもわからないじゃないでしょうかね。  皆さん、何度もお聞きするけれども、あなた方が解釈をしたんですよ。「君」というのは象徴天皇だ、そして「代」というのは時代であり、転じて国だ。そうすると、「が」というのは何かと聞いたら所有の格助詞だと認めた。「の」という意味だと。それを素直に読めば、象徴天皇であろうが何であろうが、あなたの先ほどの説明天皇地位についての一条の説明だけですよ。首相が言っている新しい見解なるものも、第一条についてずっと読み上げて、そういう天皇と言っただけですよ。それは何の意味もないんですよ。つづめて言えば天皇なんですよ。象徴であろうが何であろうが天皇なんですよ。そうすると、天皇時代。御代なんて私言ってない。戦前はそうかもしれない。  もう一遍言いますよ。あなたの解釈、政府の解釈は、「君」というのは象徴である天皇だ、「代」というのは時代と、ないしは国を指す。とすれば、素直に読めば天皇時代天皇の国ということになるじゃないか。あれこれ修飾語はつけているけれども、そういうことだなと言っているんですよ。それがみんなだれもがわかる理解じゃないですか。あなたの先ほどの説明なんか、だれが聞いてわかりますか。答えてください。
  200. 野中広務

    野中国務大臣 穀田委員は、昭和二十年の八月十五日以前の我が国のたどってきたいわゆる出来事の認識と、そしてその後の歴史の変遷とを、日の丸君が代に一緒にして論じておられるんではなかろうかと思うわけでございます。  そうでなかったら、いわゆる共産党は、天皇制を否定して、そして日本国憲法の上に立っていらっしゃるわけですか。(発言する者あり)
  201. 穀田恵二

    穀田委員 いつもそういうことを言われるから……
  202. 二田孝治

    二田委員長 御静粛にお願いします。
  203. 穀田恵二

    穀田委員 まさにそういう話として出すから、私は、それこそおかしいんじゃないかと思います。  ですから、何でしたら、私は、そう言うだろうと思ってきょう持ってきたので後でお渡ししますが、日本共産党の綱領は何と書いてあるかということについて、よく見ていただければわかると思います。  そこで、私はあなた方の解釈について言っているんですよ。昔の話をしているんじゃないですよ。  今日、総理大臣が解釈をした「君」というのは、いろいろあるけれども象徴天皇だ。「代」というのが、いろいろあるけれども時代であり、転じて国となす解釈がある。そうすると、「が」という解釈についてはどうなんだとお聞きしたわけですね。そうしたらあなたは、内政審議室長は、「が」というのは所有の格助詞とお認めになった。お認めになるということは、わかりやすく言えば、象徴である天皇時代ないしは国というふうに理解できるけれども、それでいいなという話をしているだけなんですよ。そうじゃないですか、室長。
  204. 竹島一彦

    竹島政府委員 先ほども申し上げたとおりでございますが、古文の解釈のような、君が代という言葉意味は何か、こういう問題として私ども政府見解を出しているわけじゃございません。  要するに、憲法との関係を踏まえて、この君が代意味は、総理が本会議答弁されたとおり、日本国民の総意に基づく天皇日本国及び日本国民統合象徴とする我が国のことだ、その平和と安寧を祈念した、そういう歌なんだ、こういうことを申し上げているわけでございまして、それぞれの言葉が、「君」は象徴天皇、「が」は所有の格助詞、「代」は国、よって象徴天皇の国、そういうことを私どもは申し上げているわけではないんです。
  205. 穀田恵二

    穀田委員 あなたが申していないというのではなくて、「君」と「代」がそういうふうになったらば、「が」という解釈をすれば、素直に読めばそうなるじゃないかという話をしているんですよ。  だから、あなたはすぐ歌詞全体の話を持ち出すけれども、そうじゃなくて、わざわざ分解して解釈をし、新たな見解として打ち出したのは政府なんですよ。その際に、「君」と「代」が打ち出されたから、じゃ「が」はどうですかと聞いているんですよ。  だから、それを素直に読めば、「が」というのはお認めになったから、そういう古文の話だとかいう話をしているんじゃなくて、素直に読めば、君が代というあなた方が今度国歌にしようとしているものの中身というのはこういうことに理解することができるじゃないかと言っているんですよ。そうでしょう。どう考えたってそうじゃないですか。  個々のそういう、歌詞の、それぞれの持っている単語の意味、それはそういうことじゃないか、そういうふうに理解して当たり前だし、あなたの言うように、歌詞全体とするんじゃなくて、今度政府が打ち出した「君」と「代」を分解して出したことに伴って、「が」というものを分解したらこうなるし、したがって君が代というのはこういう理解でいけるというんじゃないか、当たり前じゃないかと言っているんですよ。
  206. 竹島一彦

    竹島政府委員 先ほど申し上げた君が代というのは、私は君が代の歌詞全体の意味を申し上げたわけじゃなくて、「君が代」という三つの言葉から成るそのフレーズの意味は、日本国民の総意に基づく天皇日本国及び日本国民統合象徴とする我が国、そのことである、こう申し上げているわけでございます。
  207. 穀田恵二

    穀田委員 何度聞いてもわからない人ですね。そんなふうに、そうすると、「が」というのは、そういう、それだけのフレーズを解釈することができるのかということを聞いているんですよ。それぞれの品詞についての、一つ一つ詰めていった話をしている際に、「君」はこれで、「が」はこれで、「代」はこれだという話をしているときに、「君が代」になると膨大になる。こんなあほなことがありますか。どう考えたっておかしいでしょう。そんなことを小学校なり中学校が教えられますか。(発言する者あり)何を言っているんですか。  「君」を分解し、「代」を分解したのはあなた方だ。そして、「が」というのはこういう意味だと、それをお認めになった。だとしたら、その品詞を一つ一つ問うていけばそれしかないじゃないですか。それを言っているんですよ。ごく自然な、だから、あなたはそうおっしゃるけれども、この問題についていえば、今度の問題についていえば、象徴天皇時代象徴天皇の国と解釈することができるから驚いたという方がいらっしゃるんですよ。私は、それも含めて言っているわけであります。  だから、あなたのお話でいえば、結局、個々の品詞の意味を、この解釈はお認めになる。ところが、君が代という三文字になれば、お話しすれば、こう言っているんですね、天皇象徴とする国と。となりますと、「が」というのを、「を象徴とする国」と読み取ることができるという珍妙な解釈になるじゃありませんか。それは認められないんですよ。それは改めて言っておきたいと思う。  だから、個々の意味について問えば、結局、あなたの言っている、もう一度言いますよ、「君」は政府が解釈した、「代」も解釈をした。私が「が」について尋ねた。そしたら、「が」というのは所有の格助詞とお認めになった。だとすると、個々の意味を問うていることと全体を説明するというのは全く話が違ってきて、次元の違う話になって、説明がつかないということじゃないですか。そういうことでしょう。何か言いたいことありますか。ないでしょう。  じゃ、次に、そういうことだということで、結局説明がつかないということがはっきりしたと思うんです。(発言する者あり)そういうことを言って教えているんだからたまりませんね。  そこで、次に、それじゃ……。
  208. 二田孝治

    二田委員長 答弁はよろしいんですか。
  209. 穀田恵二

    穀田委員 はい。幾ら言っても同じことしか言わないんでしょう。それこそ、あっちからちんぷんかんぷんと出ましたけれども、その言葉をそっくりお返ししたいと思います。  次に、では、定着という問題についてお聞きしたいと思います。  政府は、事あるごとに、国歌君が代は、先ほどもありましたが、慣行として定着をしている、こう言います。  そこで聞きますが、一体全体、何が定着しているのか、君が代意味はどういうふうに国民に定着していると考えるのか、お聞きしたいと思います。
  210. 竹島一彦

    竹島政府委員 お答え申し上げます。  政府の世論調査というのは、昭和四十九年に行ったものでございますが、そのときに、日の丸の旗は国旗としてふさわしいと思いますかという質問に対しまして、八四%の方、これは、当時、全国の一万人の有権者を対象にしたものでございますが、八四%が日の丸の旗は国旗としてふさわしいと思うとお答えになっておられる。君が代国歌としてふさわしいと思いますかというものに対して、七七%の方がふさわしいと思うと答えておられます。  その後、三月以来、この法制化のことが議論されるようになりましてから、もう既に何回かの御指摘もいただいていますし、委員も御存じだと思いますけれども、各マスコミ、NHKを含め各新聞社が世論調査をされておりますが、その結果を見ましても、国民日の丸君が代について、それぞれ国旗国歌としてふさわしいというふうに答えていらっしゃるということでございます。
  211. 穀田恵二

    穀田委員 今のお話は、前半の方は確かにそういう話をしたのかもしれません。つまり、まず、私は三つあると思うんですね。  一つは、今国旗が、国歌が、おおむねそういうふうに思っておられる、これは一つあると思う。ところで、あの世論調査の内容をもう一つよく、詳しく見ていると、法制化については余りに賛成が多くないという内容も出ていることは御承知のとおりです。それで、三つ目に大事な問題は、私が問うたのは、君が代意味はどういうふうに国民に定着しているかということを問うたのですね。そして、そこの点についてはお答えにならなかった。  時間もありませんので言いますと、政府法案を提出した以後の一番直近の世論調査では、「君」は象徴天皇意味すると思うという方が五〇%、そうは思わないという方が四〇%、その他、答えないという方が一〇%というふうになっているじゃないですか。だから、このことはあなたがお話しにならなかったが、内容的には、あなた方が六月十一日に打ち出した、象徴天皇意味するという時点での中身については全く定着していないということは事実だとあなたも判断しますね。
  212. 竹島一彦

    竹島政府委員 各種の世論調査がございまして、私ども、定着しているかどうかについて大事なことは、ふさわしいというお答えではないか。法制化についてどうだとか、細かい質問に対するアンケート調査の結果も承知しておりますが、それは決して反対であるというのが上回っているという実態ではございませんが、世論の把握としてより大事なことは、国旗国歌としてふさわしいと思っていますかということに対して圧倒的、八割、九割の方々がそう思っているという事実が大変重要であるというふうに認識しております。  そういうことに立って、あとは世論を踏まえ、要するに国会においてお決めいただくことである、こういうふうに政府としては考えております。
  213. 穀田恵二

    穀田委員 勝手な解釈というのはこれほどあるかなと思います。それは一つの側面でしょう。大事な問題は、今法制化をしようとしている、そして大事なことは、そういう解釈を打ち出しているということですよ。  だから、この間、産経新聞に上坂冬子さんという方は、「「君が代」を国歌にすることに賛成だった」、けれども、「私でさえ敗戦から半世紀をへて「君」が象徴天皇をさすとは思いもよらなかった。石ころが苔むす岩になるほど千年も八千年も末長く平穏な日々がつづくのを望んではいるけれど、それを特定して象徴天皇のために歌い上げるとなると抵抗がある。」「国家の主権は私たち国民にあるはずだ。」こういうふうに言っておられるんですよ。  今、あなた方がやろうとしているのは、国旗にとってふさわしいか、国歌にとってふさわしいかというアンケートをとって、よっしゃと言っているんじゃないんですよ、それを法制化しようとしているんですよ。法制化について、しかも今国会で決めようとしているんですよ。では、今国会でどういう意見が出ているのか。それで言うならば、私どもは、先ほど言ったように反対だ。同時に、これについてはいろいろな意見があるけれども、つい先ごろの朝日新聞の世論調査では、六六%の方々が、もっと慎重に審議すべきだと言っているんですよ。そういうことからしましても、まさに都合のいい話だけとっていると言わざるを得ないと思います。  なおかつ、内容の問題について、またあなたは一言もお話しにならなかったが、私は、敷衍して言えば、ことしの三月に実施された高校生を対象にした世論調査でも、君が代の歌詞の意味を知らない生徒が過半数を占めているんです。あなた方はまともに教えてきたことがあったのか、こう言わざるを得ないと思うんですね。まして、先ほども言ったように、君が代天皇絶対主権、そして侵略戦争と深く結びついてきた歴史的事実があるわけです。  だから私は、この間見ますと、本当に大切な意見を述べておられる方がおられるなと思いました。それは投書で出てきているんですけれども、今のそういういろいろなやり方というのはどうも解せないというのが出ています。この新聞にも、この間ずっと世論調査の結果だとかそういうのが出ています。これを国旗国歌として認められないとする考え方、抵抗感があるというのは、これは歴史的な経過があり、憲法との関係でも客観的な意味があるということが私は大事だと思うんです。  だから、これを定着しているとして、与党の幹部の方々がおっしゃるような過激な考え方だとか特殊な思想だとかを排除することというのが、まさに戦前君が代が歩んだ道を繰り返すことにつながるんじゃないか、私は、その道を歩まないようにすることが、戦争を体験したという意味での、野中官房長官、あなたの一つのなさるべきお仕事ではないかと思っているところです。いかがでしょうか。
  214. 野中広務

    野中国務大臣 戦争を体験した私は、戦後五十四年間歩んできました。穀田委員と同じ京都でずっと生かさせていただいてまいりました。過去を余りにも徹底して悪く言うことによって、新しい憲法でスタートした我が国のありようについて、教育現場等で国旗国歌等が徹底していわゆるこれを認めないという教育を行われ、さらには、それはどこにも根拠がないじゃないかということについて、教育現場でそれぞれ激しい交渉になりました経過は、同じ京都におりまして、立場は違いますけれども、ずっと私どもは共有してきたはずであります。  あなたは若うございますから、京都が非常にそういう点で激しかった時代を御存じないかもわかりませんけれども、いわゆる教職員組合やその他すべてにおいて、徹底してそういう、日本の国を否定し、あるいは新憲法をあたかも否定するのではないかと思われるほど、日の丸あるいは君が代について、教職員の場においては徹底した対立が行われ、そのことが今の子供たちに影響をして、子供たちが国歌やあるいは国旗認識することが足らないような時代を築き上げてきたことに、我々は、一九九九年という年を終わるに対して、新しい二十一世紀を一年半後に控えて、やはりこの国のありようについてしっかりとしたものをしておかなくてはならないという意味において、定着してきた国旗国歌を法制化しようとするところでございます。
  215. 穀田恵二

    穀田委員 それは私は明らかに野中長官の意見とは反対です。なぜなら、そういう話を一々しても仕方ありませんけれども日本国憲法に基づく良心の自由、内心の自由、そしてそれに基づく行動の自由ということが、当然多くの方々が行ってきたし、そしてそれを教育現場に押しつけてもきた。そしていわゆる平成元年以前は、君が代の歌詞の意味さえも教えずに、ともかく儀式で歌うことだけ強調してきたということの結果でもあったし、そういう強制がいわば良心の自由との闘いの中で、あり得ないとする多くの方々の運動があったことは当然だと私は思います。  あわせてその点も関連してお聞きします。  国家総動員体制のもとで、実は天皇の名で国民を侵略に駆り立てていったことは紛れもない事実です。第二次世界大戦中に行った日本の侵略を受けたアジアの国々は日の丸をどう見ているか。先ほどありましたそういう侵略のシンボル、そしてそういうきな臭い動きが起こるたびに、そのことを掲げてやらざるを得ない事態に対して、教え子を再び戦場に送るまいとする多くの声を上げたことは、私は誇りとするものです。  そしてそういう意味で、日本の侵略を受けたアジアの国々の方が日本のそういう日の丸をどう見ているのかについて、では内政審議室長にお聞きします。
  216. 竹島一彦

    竹島政府委員 法制化に対するアジア諸国を中心といたしました海外の反応でございますけれども、一部に批判的な報道もなされていることは承知してございますけれども、アジアを含む、中国等を含め諸外国政府から何らかの懸念の表明等があったということは、政府として聞いておりません。
  217. 穀田恵二

    穀田委員 外交関係上、そんなに一々異論を挟むとお思いになりますか。それはしないんですよ。問題は、外交問題にならなければよいとか悪いとかという問題じゃないんです。アジアの諸国民の気持ちを無視してよいのかという問題なんです。今もそういうお話がありましたけれども、当時どういうことが行われたかという問題について、やはり見る必要があると思います。  シンガポールでは、教科書に、「昇る太陽を示す日本の旗が家の前に掲げられた。」そして、「シンガポールの人びとは日本の支配下で彼らの生涯のうち、もっとも暗い日々をすごした。」また、マレーでは、教科書では、「学校ではまた、日本人の生活様式が教えられた。そこでは日本人の挨拶の仕方や日本慣習、歌が教えられた。いつも愛国的な歌が教えられた。当時、日本国歌君が代」は全国でよく知られたものだった。」これはマレーの教科書です。そして同じく、「日本はあらゆる方法を用いて「日本精神」をマレー人に注入した。」これは初級中学校用の教科書です。「日本軍は、人民に日本国旗、日本国家に尊敬の念を抱くように強制した。学校では日本語を教えた。学生は毎日東北の方角に向かって最敬礼して、日皇に対する崇拝の念を表わすように強制された。」というふうに書いているんです。つまり、過去の問題とは違って、現在の問題として学校の中できちんと教えているんです。それぐらい重要な重みを持っているということに思いをいたす必要があるだろうと私は思っています。  そして、そればかりじゃありません。政府が法制化を言い出したら、国際的認知どころか、アジア諸国の有力新聞紙上で一斉に危惧が表明されていることも、これまた見逃せない事実ではないでしょうか。  例えば、韓国の東亜日報は、校長の自殺を呼んだ日本軍国主義の亡霊という見出しを出して、これまでの政府の押しつけを批判しています。同じく中国・香港の日刊紙明報は、日本軍国主義の旗と歌を正当化という見出しで法制化の動きを批判的に報道しています。第二次世界大戦中、日本が侵略したアジア各国で日の丸君が代日本軍国主義の象徴と見られていると書いているんです。韓国のもう一つの新聞ハンギョレ紙も、君が代について、これは、君主の治世が永遠であれという歌詞が近代国民国家の理念に合わず、アジア侵略を想起させるとの理由から拒否感が示されてきたと書いているんです。  こういう外交の部面だけではなくて、国民の怒っているそういう事実と、そしてそこで行われている、後世のために、それこそ二十一世紀も含めて展望して残さなければならない歴史の事実を教えるというところの中に、アジアにおける侵略の意味の深さがあると私は思うんです。ですから、そういうものを今回の延長国会で多数をもって法制化で押し切ろうというやり方は、歌詞の意味説明できない、そして君が代国民に押しつける、侵略戦争のシンボルであった日の丸を押しつけるという、二重三重に国民世論と国際世論をないがしろにするものだと私は思います。  私ども日本共産党は、国旗国歌は、内にあっては国民的合意、外にあっては国際的理解が何よりも必要と考えます。二十一世紀日本国旗国歌は、国民の大多数がこだわりなく歌え、日常生活の中で親しまれ、アジアの諸国民からも歓迎されるものとする、これを国民的議論を通してつくり上げることこそ求められており、そのために努力することを表明して質問を終わります。
  218. 二田孝治

    二田委員長 次に、濱田健一君。
  219. 濱田健一

    濱田(健)委員 社会民主党・市民連合の濱田健一でございます。  きょう午後からのそれぞれの質問を私も聞きながら、そしてきょうはテレビ放送ございませんけれども、この委員会の質問答弁、傍聴していらっしゃる皆さん方含めて、やはり国民の皆さん方の日の丸君が代に対する思いというのは本当に複雑な思いがきょうの論議の中でされておられるのではないだろうかというふうに感じたところでございます。戦争を体験された方、肉親を戦争で失った方々、そして戦後の日本の復旧に大きく貢献をしてこられた先輩たち、それぞれの立場でこの問題についてはいろいろな思いがあるというふうに私も感じました。  だからこそ、日本の有史以来法制化されなかった国旗国歌法案というものが、国民的論議がないままに、会期末直前になって唐突に閣議決定をされ、国会を延長して慌ただしく審議され始めたということ、そして特に法案が提出されるまでに小渕総理の当初法制化は考えていないという答弁から始まってさまざま揺れられたその状況、これらは法制化の正当性、目的のあいまいさを露呈するものではないかと私は考えておりまして、私たち社会民主党は、この国旗国歌のあり方については、幅広い国民的な論議をもっともっと積み重ねる必要がある、性急な法制化については反対であるという立場で幾つかの質疑をさせていただきたいと思います。  先ほど西村委員だったと思うんですが、既に、法制化しなくても、日本には、国旗日の丸として、国歌君が代として存在をしているんだという質疑のスタートの話がございました。私も、政府答弁、いろいろなものを聞きながら、国旗としての日の丸国歌としての君が代という言いぶりがいろいろなところに出てくるわけでございますけれども、今まで日本国旗及び国歌と言われたものが存在したのかどうか、まずそのことからお聞きをしたいと思います。
  220. 竹島一彦

    竹島政府委員 お答え申し上げます。  国旗国歌というものが日本においてはいつから存在したかという御趣旨の御質問だったと思いますが、旗につきましては、寛永十一年に日の丸が幕府の官章というふうに定められたわけでございますが、その後、安政元年、日の丸日本の総船印、船に掲げる印として定められ、安政六年には日の丸は御国総標、船ではなくて国の印というふうにされたという記録がございます。したがいまして、江戸時代の終わりから日本には国旗があったというふうに理解しております。  それから、いずれもこれは、いわゆる近代国家になって、外国との交渉があり、外交があって、国際的交わりの中で国旗国歌というものを定めなきゃならぬということが近代政府になってからの話だったわけでございますが、国歌につきましては、明治になりまして、同じように国歌、国を代表する歌が必要であるということになりまして、それで君が代がふさわしいということで選定をされたということでございまして、そういう意味で江戸時代の末期ないしは明治から日本において国旗及び国歌が存在している、こういうふうに理解しております。
  221. 濱田健一

    濱田(健)委員 今の答弁では、存在をしているということでございます。であれば、なぜ今まさに存在するものを新たに法として制定しなければならないのかという疑問点が出てくるわけですが、その点はいかがですか。
  222. 竹島一彦

    竹島政府委員 そういう歴史的経過を踏まえ、かつ、現在になりまして国民の間にも日の丸君が代がそれぞれ国旗及び国歌としてふさわしいというふうに意識されておるということで、政府としては、従来慣習法として国旗国歌というものがもう存在しているということでございましたんですが、なぜ今回法制化ということになったかというのは、先ほど来官房長官答弁されているとおりでございます。
  223. 濱田健一

    濱田(健)委員 慣習法として定着をしてきたんだということがこれまでいろいろなところで言われておりますけれども、そのなれ親しんできた、国民の間に慣例的に、習慣的にこれが定着しているということのある程度具体的な意味合いというものが、その慣習法というものについて説得力ある説明になるかと思うのですが、その具体的な定着しているという姿を二、三点お示しいただければ幸いです。
  224. 野中広務

    野中国務大臣 先ほど来累次申し上げておりますように、各報道機関の調査あるいは昭和四十九年内閣府が行いました調査等によりましても、日の丸君が代国旗国歌として広く国民に定着をして認知されておるということになるわけでございますし、濱田委員御承知のように、一九九四年、村山内閣におきまして、村山総理は、七月十八日であったと思いますが、みずから総理大臣として、本会議の席上において、自衛隊、日米安保体制を容認されますとともに、国旗国歌について、日の丸君が代を私は尊敬をし、これからもやっていきたいという発言をされました。まさしく内閣総理大臣たる村山総理が戦後五十年に当たって登場をされましてそれを申されたことは、一、二の例としてはまことに大きく、当時私は感動をもってお聞きをしたことを今改めて思っておる次第であります。
  225. 濱田健一

    濱田(健)委員 国民の意識の中に、オリンピックやいろいろな自治体の集会、いろいろな場所で日の丸の掲揚がなされ、君が代が歌われつつある、そういう場の設定の中では、意識としての定着というのは私も否定はいたしません。しかし、国民が日常生活の中でこの日の丸君が代に対して本当になれ親しんでいるかという生活上の状況についての、慣習法としての定着というものが本当にあるのかどうかという点についての具体的な中身というものを二、三点出していただきたいというふうに申し上げているわけでございます。
  226. 竹島一彦

    竹島政府委員 時代時代で変わっていると思いますが、昔のように、個人の家で国旗を掲揚するというようなことは最近は希有なことになっておるということはございますけれども、一方で、各種のスポーツ競技、オリンピック、ワールドサッカー等々におけるスポーツのイベントにおける国旗、それから国歌の演奏というようなことはますます機会がふえているというふうに思いまして、国民の中における定着を反映した、ビヘービアといいますか、行動として何があるかといいますと、むしろそういう場面での国旗なり国歌との国民の接し方ということの方が今は大きいのかなというふうに思っております。
  227. 濱田健一

    濱田(健)委員 しっかりとした回答は出てこない。  私は、そういう中で、やはり思想、信条の自由、内心の自由、これらを守っていくためには、法制化という、今回のこの法案が本当に国民の一人一人の利益につながっていく、そういう将来に向けての展望を持てる中身なのかということは、もう少し時間をかけて論議をしなければならないというふうに思うところでございます。  もう一点触れさせていただきたいと思うのですが、日の丸についてでございます。  先ほど、幕末から明治、そして今日までの日の丸の状況、お話がございましたけれども、大日本帝国憲法の中でも日の丸国旗という形で国が定めたことはなかったというふうに思うわけですが、この辺はそのように理解してよろしいでしょうか。
  228. 竹島一彦

    竹島政府委員 大日本帝国憲法下におきましては、一つ、昭和六年に議員立法で第五十九回帝国議会に大日本帝国国旗法案というものが提出をされ、衆議院は通過いたしましたけれども、貴族院で会期末で審議未了、廃案、その次の国会では、これは衆議院が解散になってこの法案は日の目を見なかった、こういう経緯がございますけれども、それ以外は、私どもが知る限り、関係するものとしては、明治三年の太政官布告による商船規則によって商船が掲げるべき日本国旗が定められたという以外はございません。
  229. 濱田健一

    濱田(健)委員 歴史的に、そういう形の中で一、二回法制化をされようとしたときがあったわけですけれども、私たちは、帝国憲法下でもこの日の丸という存在が国旗という形を国民全体の中に押しつけるということは、または法制化するということは、人間の内心にかかわる問題であるという認識がやはりあったのじゃないかというふうに思うわけでございます。  私たちはこの法律案が出ましてからいろいろなことを考えてみましたけれども、きょうの論議の中でもございましたとおりに、過去、不幸にしてこの日の丸というものが近隣アジア太平洋地域の人々に侵略のシンボルとなったことは忘れてはならないというふうに思うわけでございまして、過去の侵略戦争や植民地支配、こういうものへの反省の意というものが村山元総理の戦後五十年の総理の発言の中にはにじんでおりましたけれども、国の総意として、国会の中でこういう決議というものも上げる時期に来たのではないかというふうに思うわけですが、その辺の御見解といいますか、政府の御意向をお伺いしたいというふうに思います。
  230. 野中広務

    野中国務大臣 戦後五十年の際におきます内閣総理大臣談話といたしまして当時の村山内閣総理大臣が出されました談話は、今なお私ども、この過去の歩んできた歩みについて、いわゆるアジア諸国に多くの傷跡を残してきたことを、これを今もこれからも大切に反省の糧としていかなくてはならないと認識をしております。その認識の上に立ちまして、新しい憲法下における我が国のありようと新しい世紀に対する我が国のあるべき姿を明確にしておくべきであろうと考えたわけでございます。
  231. 濱田健一

    濱田(健)委員 文部省にお伺いしたいと思います。  文部省所管の法律の中に、日の丸国旗として掲揚をさせるための現行法があるかないか、お答えいただきたいと思います。
  232. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいま先生のお尋ねのような内容の、文部省が所管をしております法律はございません。
  233. 濱田健一

    濱田(健)委員 学校現場の混乱という言葉がきょうの委員会の中でも何回も出てまいりました。日の丸の掲揚をさせなければならないという所管の現行法はないと。  ではどこで、今、日の丸を掲揚するということが盛んに行われているし、見方によっては日の丸を上げっ放し、これはおかしいじゃないかという人もおられるようでございますけれども、ここの指導の根拠というのは何なんでしょう。
  234. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 小中高等学校におきます教育内容につきましては、学校教育法という法律がございます。その学校教育法の委任を受けまして学校教育法施行規則がございますが、その中に「教育課程の基準」として、各学校におきます教育内容教育課程の基準として文部大臣が告示する学習指導要領によって定める、こうなっているわけでございます。この規定によりまして、各学校におきます教育活動はこの学習指導要領を基準といたしましてさまざまに展開をされているわけでございますが、その学習指導要領の中に、社会科、音楽、あるいは入学式、卒業式につきましては特別活動という領域の中に国旗国歌についての扱いが規定されてございまして、その規定に沿いまして、各学校では国旗国歌等につきましての指導が行われているということでございます。
  235. 濱田健一

    濱田(健)委員 知っていることを聞くというのはおかしな話ですけれども、中央教育審議会が去年の答申の中でも学習指導要領の弾力運用というものを盛んに言ってきました。今回の地方分権の中で、地教行法の改正やいろいろな地方分権の動きというものが盛られているところでございます。  私は、教育の場においてこの日の丸の問題が押しつけ的に実行されることがあってはならないというふうに思っておりますし、そのことは村山元総理も言われているところでございますけれども、ややもするとそこの部分が、教育的な論議、先ほど穀田委員も、君が代を例にとって、どういうふうに子供たちにこのことを教えていけばいいのかということを時間をかけて追及をされましたけれども、この日の丸の持っていた戦前のイメージ、そして戦後のイメージ、こういうものもしっかりと教育的に教えなければならないわけでございますけれども、ややもすると卒業式、入学式のところだけがクローズアップされているという状況の中で、私は、この法制化という法律が、官房長官も広島のあの校長さんの話題を折に触れ挙げられるわけでございますけれども、やはりこれまでの学習指導要領により根拠を与えて、学校の中で強制化を強める中身になってくるのではないかという危惧感を絶えず持っているわけでございますが、その辺は局長いかがですか。
  236. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 今回のこの法律によりまして、これまで慣習等として扱われてまいりましたこの国旗国歌等につきまして成文法としてその根拠が明確に位置づけられるという、これは大きな意義を持っているものだと思います。  しかし、現在学習指導要領で規定をしておりますのは、そうした根拠云々ということではございませんで、そうした国旗国歌についてどのようにこれを扱うか、子供たちに正しい理解を促す、そうしたことが学習指導要領に書かれているわけでございます。  その国旗国歌について根拠が明確になるということは大変大きな意義のあることでございますけれども、学習指導要領上この国旗国歌についての指導の扱いを変える、こういう必要はないのではないか、こんなふうに考えております。
  237. 濱田健一

    濱田(健)委員 君が代の部分、問題に、時間がございませんので移っていきたいというふうに思います。  私も現場におりましたので、先ほどの穀田委員の論争、盛んにやったことがございました。あるときには校長先生が、君が代の「君」はあなたたちという意味ですよと教えなさいということも言われました。そのときそのときの場所で勝手な解釈がなされている、そういう場面に何回も何回も出会ってきたわけでございます。  私も、先ほど穀田委員がいろいろと話をされたように、今回の法の改正がうたわれてまいったとしても、政府見解で象徴天皇というふうに置きかえられているようでございますが、旧帝国憲法下での天皇の世の中ということの意味合いとほとんど変わってはいないというふうに思っておりまして、国民主権をうたっている現憲法の中でこれをこのまま二十一世紀に引き継ぐのはどうなのかと。仮に、先ほど申し上げたあなたたち、国民全体という言葉にすべて変わっていくのであれば、今の憲法の精神にのっとっているというふうにも言えるのじゃないかと思うんですが、その辺はいかがでしょうか。
  238. 竹島一彦

    竹島政府委員 象徴天皇、その天皇が、憲法第一条にうたわれているとおり、日本国及び日本国民統合象徴であって、その地位国民の総意に基づく、こういうその象徴天皇、それと君が代意味というものを両方踏まえて整理したものが先ほど別な委員に対する答弁でございましたけれども国民全体とか象徴天皇のみとかいうことではなくて、君が代とは、日本国民の総意に基づく天皇日本国及び日本国民統合象徴とする我が国のことである、こういうふうに解釈するのが適当ではないかというのが政府の見解でございます。
  239. 濱田健一

    濱田(健)委員 小学校子供たちに、この解釈を古今和歌集から云々というふうに低学年の子供たちに教え込むというのはなかなか難しい点があるだろうと思うんです。ですから、戦前天皇の世の中という意味から象徴天皇を抱く今の日本の国全体を通してというような形に、仮に政府が今回答弁されたような形で教えたとしても、子供たちの成長の過程において本当にそうなのかという疑問も生まれてくる可能性があるというふうに思うんですが、そこで、やはりこの歌詞の持つ意味、そして、そこで教師と子供たちがいろいろディスカッションをしたりする、そういう教育的な意味合いというものも見つけ出さなければならないと思うんですが、そのときの指導のあり方というのは、これは政府の新しい解釈どおりに文部省は教師に教えよと言うのでしょうか。
  240. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 現在、文部省といたしまして、こうした趣旨でということで各学校にお示ししておりますのは、指導要領の解説に書いてございますが、そこでは四点、先ほどちょっと申しましたのですが、国旗国歌がいずれの国にもあるということ。それから、国旗国歌はいずれの国においてもその国の象徴として大切にされており、互いに尊重し合うことが必要であること。そして三つ目といたしまして、我が国国旗国歌は、長年の慣行により、日の丸国旗であり、君が代国歌であることが広く国民認識として定着しているということ。そして四番目でございますが、先ほども答弁がございましたが、国歌君が代は、日本国憲法のもとにおいては、日本国憲法において天皇日本国並びに日本国民統合象徴とする我が国がいつまでも繁栄するようにとの願いを込めた歌であるというその趣旨を示しております。そして国が、ただいま文部省が示しておりますものはこれに尽きるわけでございます。  あと、子供たちの発達段階に応じて国旗あるいは国歌というものの意義等をどのように教えていくか、これは、それぞれ教師が目の前にいる子供たちを見ながら教えていただく、そのときの基本的な視点と申しましょうか、柱として文部省は今のようなものを示しているということであるわけでございます。
  241. 濱田健一

    濱田(健)委員 時間がなくなりました。日の丸にしても君が代にしても、法制化をすることによって、国や自治体、そして民間問わず掲揚や斉唱という形が出てくると私は思っているわけですが、そのことを国として強制したり義務化したりすることはないというふうに確約させていただいてよろしいでしょうか。
  242. 野中広務

    野中国務大臣 国として強制したり、あるいは義務化することはございません。
  243. 濱田健一

    濱田(健)委員 学校現場での強制はいかがですか。
  244. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 先ほどにも御答弁申し上げたわけでございますけれども、学習指導要領によりましてこれまで指導してまいっているわけでございますが、その扱いを今回の法案に関連いたしまして変える、変更する必要はないのではないか、こんなふうに思っております。
  245. 濱田健一

    濱田(健)委員 私は、国会に出る前に三つの地域の学校を回ってまいりました。いろいろな地域でございまして、山あり海あり、町場もございました。今慣習的に定着をしているという君が代日の丸が、十数年前でございました、二十年近く前でございましたけれども、旗日、祝日ですね、祝日に、特に田舎ではどの家に旗が立っているかという調査をするところもございました。一緒に何かの儀式に出て、だれが歌っている歌っていないということを調査して、それを吹聴するところもございました。  私は、今回のこの法制化が、こういう歴史的に共同生活を続けてきている日本のとてもいい部分と、共同生活という意味で隣の人が同じことをしなければいけないというような生活の状況を強いてくる、そういう形の中で、この法制化された日の丸君が代が位置づけられることのないように願いたいものだというふうに思っております。  そういう意味では、お聞きするところによると、この内閣委員会、そう多くの論議ができないようにも聞いております。その危惧感を表明して、私たちは国民のもっと幅広い論議というものをやっていく必要があるというふうに申し上げて、質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。
  246. 二田孝治

    二田委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後六時二十四分散会