○中路
委員 平均月額も大変低いわけですから、
年額六十万前後になるんじゃないですか、引き続いて、私は、
恩給年額の
改善の問題や、特に
最低保障額の引き上げについては努力していただきたいということを
最初にお願い申し上げておきます。
きょうは、私が取り上げたいのは、
一つは、この
委員会でもこれまでたびたび論議されています元日赤従軍看護婦の問題であります。
これは私が、一九七五年、もう二十六、七年前ですか、この内閣
委員会で
最初に取り上げまして以来、その年の十一月に
恩給小
委員会ができまして、当時の自民党加藤紘一さんと社会党の岩垂さんと私と三名が小
委員で、この問題を論議してきたわけであります。
私も、この問題について、取り上げるまでほとんど知識がありませんでした。当時、従軍看護婦の代表、上野さんという高知の方ですが、失明状態で、廊下も仲間に肩をしょわれて私の部屋に訴えに来られました。
いろいろ
お話を聞きまして、軍の命令で戦地に駆り出され、兵士と同じように戦火をくぐって、終戦後も長い抑留
生活、戦後三十年、もう五十歳、六十歳になる、老後の不安が募る、給与も全部国債を買わされて、収容所で焼いたというような
お話も聞きまして、それから私、国会図書館に行って、このもとになっています明治四十三年の勅令、そして赤紙で召集された、当時の召集の令状を持っているかということでいただきまして、こうした問題をもとにして取り上げたのが
一つきっかけになったと思います。
その後、何度か論議がありました。私は、
恩給法の改正の修正案でどうかと提起したんですけれ
ども、
対象の
公務員ではないのでこれは難しいという話もありまして、何らかの
救済措置が必要だという論議が続いて、そして
昭和五十三年、七八年の六党合意で今の
慰労給付金ができたわけであります。
この六党合意の中ではこう書いてありますね。日赤従軍看護婦の
処遇について、「
恩給制度を準用し、戦地加算を考慮して、兵に準ずる
処遇とする。」第二項ですね。第三項で「その財源はすべて国庫より支出する。」この準用とか準ずるというのも、当時小
委員会で論議したんですよ。
御
紹介しておきますと、当時私、広辞苑を持ち出したんですから、この準用というのは、広辞苑では、ある事項に関する
法律を類似する他の事項に
適用することだ。それから、準ずるというのは、ある基準を標準として同等な扱いにするということが広辞苑でも書かれているわけです。この
趣旨でこの六党合意が当時つくられたわけですね。
そして、その後、この六党合意により七九年から
支給が始まったわけですけれ
ども、
最初にお聞きしますけれ
ども、この
慰労給付金の六党合意の
性格、これは変わりはありませんか。