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中野(正)
委員 お説のとおりだと思いますので、どうぞ自信を持って頑張っていただきたいと思います。
次に、この
苫東、むつ両方とも、大変広大な用地であります。調べましたら、分譲予定面積に対する分譲率は、現在、それぞれ一五%、四〇%弱と、残念ですけれども大変小さいものになっておるようであります。しかし、実際の面積ベースでは、おのおの八百ヘクタール超、そして一千百ヘクタール超と、普通の工業団地からすれば十数カ所分あるいは二十数カ所分の分譲はなし得てきているようであります。
苫東、むつに共通する特色は、用地の権利関係がしっかりと整理されて、所有権が
一つに集約されていることだ、それから既に漁業権の補償も終えていることだ、さらに、海があり、山があり、川があり、また湖沼に囲まれた自然空間を保持し得ていることだ、そういうふうに理解をいたしております。
苫東、むつは、七〇年代の第一次オイルショックの際に、すぐさま石油備蓄基地建設の用地を提供されたようでありますし、第二次オイルショックの際には、
苫東では石炭火力発電所を建設されました。むつでは既に、
日本のエネルギー
政策上極めて重要であります原子燃料サイクル施設が稼働を始めておるわけであります。これも
苫東、むつといった備えがあったからこそ対応できたのだなと私は確信をいたしております。
一般的に言えば、
事業が失敗すれば何も残りません。この両プロジェクトは、緑豊かで、しかもいつでも使うことのできる、まとまりのある広大な用地を残しているのであります。これを二十一
世紀、次の世代のためにどのように活用していくかを考えることが今一番求められているのではないでしょうか。
二十一
世紀には正直何が起こってくるかわかりません。
地域の振興のみならず、国家の危機管理の上でも、まとまりのあるこの
二つの用地、これから必ず必要なときが来る、私はそう確信もいたしておるのでありますけれども、今日までの長い歴史を詳しく御存じをいただきます
宮澤大臣個人の考え方を、この際、改めてお
伺いをいたしておきたいと思います。
ちなみに、御答弁をいただく前に、きのうの
議論を聞いて、
東北、
北海道選出議員の立場からは、今日の時点であれもこれもけしからぬと批判するのは容易なことではありますけれども、その当時の判断としては妥当なものであったと私は理解しているのであります。
当時の国内の
経済計画を調べますと、池田内閣の所得倍増、完全雇用、佐藤内閣の均衡がとれた
経済発展を通じて住みよい
日本の建設、そして田中角栄首相の列島改造論と続くのであります。
国民みんながというよりは、私
たちの先輩の大正生まれ、そして昭和の戦前生まれの皆さんが、アスナロ精神で、
日本が、
地域が、私
たち家族が豊かでありたい、そういうふうに懸命に実は頑張られた時代であります。当然ながら、条件不利
地域と言われる
東北、
北海道に対して国が特段の配慮をする、
苫東、
むつ小川原といった、本来
開発など及びもつかない、そんな
地域に国の政治の光を当てる、まさに私は大きな夢を
地域とその住民に与えたナショナルプロジェクトであったのだと思っております。
御承知のような
経済激変が
苫東、むつの今日の
状況を招来せしめたことは大変残念ではあります。確かに、きのうの
議論で
指摘されましたように、各
省庁機関の連携でありますとか計画の修正問題あるいは経営などでの不適切な点は、首肯できるところは一部ありますけれども、大きな間違いであったかのごとくの
議論は納得できないのであります。富の蓄積もない、自力での
発展も難しいという
地域に国が特別の配慮をする、これは政治の、また国の重要な
役割だと考えております。
何はともあれ、
苫東、むつとも今後の土地活用策でいろいろなプロジェクト案が提示されております。重大な反省をしながら、この
法案の成立を機に、さらにすべての英知を結集して所期の成果をおさめたい、私どもも精いっぱい協力をさせていただきたい、そう念じておるところでありますけれども、
宮澤大臣のお考えをお聞かせをいただきたいと存じます。