○古賀(一)
委員 今のお話ですと、
エネルギー安全保障の論議はあった、そして
石炭というものの位置づけもある。それがいつの間にか
海外炭というふうにすんなりとすりかわって、だから
海外技術移転スキームだ、こういうふうに聞こえるわけですね。これを読みましてもまさにそのとおりなんです。
でも、五十数年前に日本が戦争をやった、まさにその原因というものは、
海外炭を求めて、あるいは
海外エネルギーを求めて、それが来なくなるからこそ、求めて戦争をやったというのが、ほんの五十年前までの日本の歴史なんです。だから、
海外炭さえ求めれば安全保障は成るんだというのは、まさに五十年前の歴史はそうじゃなかったわけでありまして、そこに、
国内炭へのもう少し真剣な思いがあっていいのではないかということを私が言う原因があるのですね。
別にこの
石鉱審の
答申だけじゃないのです。これを機会に、最近
政府といいますか、あるいはマスコミも含めて、あるいは我々も含めて、
エネルギー安全保障という論議が極めて希薄になってきておりまして、ではこの際ひ
もといてみようかということで、私はちょっと見てみました。
まず、超マクロに日本の経済というものを論ずるのは経済
計画だろうと思って、経済
計画を見てみたのです。
ちょうど二十年前、一九七九年八月に新経済社会七カ年
計画というのがございました。これは、実は「
資源・
エネルギーの
安定供給」と題しまして、八ページに及ぶ記述があるのです。
二十年前の話でございますけれども、当時日本が置かれた
状況、そして役所の、あるいは経済
審議会の
決意の一端を申し上げますと、
決意を新たに、原子力、
石炭など石油代替
エネルギーや新
エネルギーの
開発に最大級の
努力を傾注する、あるいは「短・中・長期の諸
施策を同時並行的に、かつ、整合性と実効性をもって
実施する総合
エネルギー政策を展開する」、
世界的に賦存量の極めて多い
石炭に重点を置くなど電源構成の脱石油化を
中心とした
施策の展開が必要。そして、こういう記述もありました。「
エネルギーの需給両面にわたる
政策は、国民一人一人の理解と
協力を得て取り組む必要がある。」
これは重立ったところなんですけれども、ここまでのいわゆる気迫というか問題意識というか、あるいは国民だって理解してもらわぬといかぬというところまで踏み込んだ論述が実はあるわけです。
ところが、翻って、ちょうど二十年後のことし七月、経済
計画と呼べるかどうかわかりませんが、経企庁経審の方で、経済
審議会ですね、経済社会のあるべき姿と経済新生の
政策方針というのが出たわけですけれども、わずか三行なんですね、たった三行。そして、ここに書いてあることが、私は噴飯物だと思います。
「第二次石油危機による混乱が収束して以降の
エネルギー資源の過剰状態が、将来も続くとは限らず、」こんなの当たり前のことなんですけれども、「特に、
開発途上国の人口
増加や
アジアにおける
エネルギーの域外依存の高まりは今後の大きなリスク」、これだけなんです、
エネルギーに関する記述は。「
エネルギー資源の過剰状態が、将来も続くとは限らず、」もうそれはだれでもわかってますよ。将来枯渇するんではないかというのが問題なんで、こういう認識である。それから、人口がふえるというようなくだりですね。
いや、一番怖いのは、こんなじわじわ来る
エネルギーの危機じゃないんです。中東がどうなる、戦争が起こる、マラッカ海峡がどうなる、何が起こるかわからぬところに、極めて脆弱なるそのバランスの中に、石油の日本への輸入といいますか
確保があるというところに問題があるわけで、私は、本当にこうなりますと、
政府というのは
エネルギー安全保障というのをどこまで
考えているんだという感じすらする。
そして、今度の総合
エネルギー調査会の需給部会中間報告も読ませていただきました。問題意識は書いてございますけれども、
エネルギーの
安定供給を図ることは
エネルギー政策の根幹であり、国家安全保障上も最重要の
課題、ここで切れておりまして、私は、こうして見たときに、別に
石鉱審に限らず、
エネルギー安全保障への問題意識が、日本の
政府というか、今の日本の社会というか、極めて弱いと思うんですね。この
石炭対策特別
委員会、将来どういうふうになるんだろうかという論議も今後あると思うのです。そうしたときに、今のような問題意識のままだと、もう
石炭対策は
平成十三年度で終わる、
エネルギーに関して、まあそう大したことなかろうという流れになるんじゃないか。
本
委員会が今後どうなるか、国会はどう責任を負うかという問題も絡めて、私は、この
答申の
一つの欠点は、
エネルギー安全保障の視点が極めて欠落しておるということを申し上げ、再度これは
大臣にぜひお聞きしたいのです。
この
答申にこう書いてあるんですね。これは、単に問題意識が希薄というよりも、私は、
石炭というものはもう
エネルギー安全保障上カウントする必要がないと読めるくだりがございます。この部分は私は納得できません。こう書いてございます。
国内炭の
役割を、
国内エネルギー供給源として量的な
観点から位置づけることは、困難、こう
指摘してございます。つまり、
国内炭のウエートが今や三%になった、一次
エネルギーのシェアからいって
国内炭は一%のシェアしかない、だから、これほど小さくなったシェアだから、
国内炭の
役割は
国内エネルギーの供給源としては位置づけることは困難と書いてあるんですね。私は、これは重大なるこの
審議会のミスというか、発想の間違いじゃないかと思うのです。
もう少しわかりやすく言いますと、例えばこの論理で少子化社会を論ずれば、これから少子化で子供が日本では少なくなってくる、だから将来、日本の労働力は期待できないと言っているに等しいんですよ。この点、なぜ
国内炭が小さくなったから
国内エネルギーとして位置づけることは困難、こういうとんでもない記述になったのか。私は、その経緯はともかくも、こういう発想に対する
大臣の御
意見、御所見というものをぜひこの際お聞きをいたしたいと思いますが、よろしくお願いします。