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1999-04-15 第145回国会 衆議院 青少年問題に関する特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年四月十五日(木曜日)     午前九時十一分開議   出席委員    委員長 石田 勝之君    理事 小野 晋也君 理事 河村 建夫君    理事 岸田 文雄君 理事 佐藤 静雄君    理事 田中  甲君 理事 肥田美代子君    理事 池坊 保子君 理事 三沢  淳君       岩下 栄一君    岩永 峯一君       江渡 聡徳君    大野 松茂君       奥谷  通君    奥山 茂彦君       小坂 憲次君    小島 敏男君       佐田玄一郎君    佐藤  勉君       実川 幸夫君    下村 博文君       水野 賢一君    目片  信君       石毛えい子君    松本 惟子君       山元  勉君    太田 昭宏君       旭道山和泰君    一川 保夫君       松浪健四郎君    石井 郁子君       大森  猛君    保坂 展人君  委員外出席者         参考人         (伊藤幸弘教育         研究所所長)  伊藤 幸弘君         参考人         (国際医療福祉         大学教授)   小田  晋君         参考人              (京都文化市         民局スポーツ振         興室部長)   山口 良治君         衆議院調査局青         少年問題に関す         る特別調査室長 大久保 晄君 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  青少年問題に関する件     午前九時十一分開議      ————◇—————
  2. 石田勝之

    石田委員長 これより会議を開きます。  青少年問題に関する件について調査を進めます。  本日は、参考人といたしまして、伊藤幸弘教育研究所所長伊藤幸弘君、国際医療福祉大学教授小田晋君、京都文化市民局スポーツ振興室部長山口良治君に御出席をいただいております。  この際、参考人各位一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。  参考人各位には、青少年問題につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げます。  まず伊藤参考人小田参考人山口参考人の順に、お一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。  念のため申し上げますが、御発言はすべてその都度委員長の許可を得てお願いいたします。また、衆議院規則の規定により、参考人委員に対して質疑ができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。なお、御発言着席のままで結構でございます。  それでは、まず伊藤参考人お願いいたします。
  3. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 皆さん、おはようございます。伊藤幸弘教育研究所伊藤と申します。  私は、神奈川の湘南に生まれ、十五歳のときから非行に走り、人を傷つけたり人をだましたりして、親を泣かせてきました。高校のときは、少年院に行くような悪になっていました。そして、十九歳のときに暴走族をつくり、破壊製造機のように車を壊したり、敵対する暴走族にけんかを売ったり、全国に一万五千人の構成員を置き、したい放題に暴れまくっていました。二十四歳のときに逮捕され、刑務所から出てきたとき、もと働いていた社長従業員人たち、またさまざまな人たち愛情によって更生したのが二十七歳のときでした。  このように、僕は他人の愛情によって蘇生しました。悪の見本だった自分が普通の暮らしができたということは、僕自身すごい自信になりました。ちなみに、僕の友達はいまだに遊び人をしている人も数多くいます。  ちょうど僕が自分自信を持つころ、知り合い中学二年生の子が校内暴力リーダー格をやっており、だれの言うことも聞かないと、親から私に相談がありました。伊藤さんだったらうちの子の気持ちがわかるのではないかということで相談がありました。  すぐその子とその子の友達数人と会い、社会のルールを守らないと最後自分が大やけどをすると僕の体験を踏まえて言ったところ、まあ、そのときちょっとおどかしたり殴ったりしましたけれども、話をした後、彼らは反省をして、一夜で校内暴力をやめました。  そして、その後、そのリーダー格子供を僕が引き取り、一年間一緒に住み込みをして、そのころの僕は独身でしたけれども、自炊をしながら一緒に一年間暮らしました。その中で、最初は高校に行けないと言っていた彼が高校に行き、普通に暮らすことができました。今は不動産の社長をやっています。  僕はそのころから、その子を皮切りに数百人の青少年とかかわり合って、現在では百人以上の子が蘇生しています。悪だった自分が立ち直れたのだから、非行に走っている子供たちはみんな立ち直れるという確信を持っています。もちろん、今も少年たち少女たちとかかわり合っています。  僕がこういう行動を続けているのは、若いとき僕が迷惑をかけた罪滅ぼしの一環としてやっています。あと一つは、大好きな子供たちが二十一世紀に旅立ってもらいたいとの願いで、気がついたら二十年間ボランティア活動をしてきました。結婚してからも少年たちを引き取り、更生させています。今現在も二人の少年がいます。  今までいろいろな子供を見てきました。非行に走り、家出、夜遊びを繰り返す子、薬物依存を繰り返す子、精神的に不安定になり、小動物いじめたり、しまいには殺して笑っている子、うつ病まがいで引きこもって家庭を悩ましている子、まだまだ一言では言えないほどさまざまな子供を面倒を見たり相談に乗っています。  しかし、そのボランティア活動時代がたつにつれて忙しくなり、仕事青少年活動体調を壊しできなくなりました。そして、ことしの二月いっぱいで仕事をやめ、僕はもともとサラリーマンでしたもので、サラリーマンをやりながらこういうボランティアをやっていたのですけれども、体調ぐあいで仕事をやめ、先ほども言ったように教育研究所を発足した次第です。  悩んでいる親子の力になりたいと、僕を支えてくれる周りのボランティア人たちの協力で、子育てに専念する決意をしました。この先、生活できるかどうかわかりませんが、やるだけやりたいと今決意しています。もし生活できなければサラリーマンに戻り、青少年活動は足を洗おうという腹構えで今います。  時間もないので端的に言いますが、僕が少年たち世界にかかわり合っていて、皆さんお願いがあるのです。日一日と子供世界は変化しています。小学校では学級崩壊などが問題になっていますが、崩壊だけではなく、不登校いじめ、また集団万引きも根深く広がっています。中学校では、皆さんも御存じのように、先生に逆らい、荒れ放題になっている学校もあります。  しかし、ただ暴力を振るい、荒れ狂っていることだけではなく、性非行の問題も数多く出ています。  皆さん流産パンチという言葉を聞いたことがありますでしょうか。中学生同士で性行為を持ち、子供をおろすのに、流産パンチと名づけて女の子のおなかにパンチをくれておろすことも実際にある中学校で行われています。そして、淋病や梅毒なども発生しています。ちなみに、流産パンチに遭った女の子は、二度と子供を産むことができなくなっている状態で、今も入院しています。高校では恐喝まがいのカンパがふえています。  現代では、昔のように問題行動を起こす子供格好が派手な非行に走っている子ばかりではありません。ごく普通の格好をして普通に学校に行っている子供も、奇想天外の問題行動をすることもあります。前、そういうごく普通の中学生が犬や猫をカッターナイフの手裏剣でけがをさし、犬、猫の足をのこぎりで切っている少年を僕が捕まえて面倒を見たことがありました。  このように、今子供たち世界で何かとんでもないことが行われていることを皆さんに知っていただきたいのです。果たして皆さんはこういう事実を聞いたことがあるでしょうか。  そういうものを見たとき、少年法の改正も見直すことも大事だと思うし、もう一つは、僕らみたいに現場行動していると、どうしても警察の力が必要になってきます。しかし、僕は警察知り合いもなければ、協力してくれるお巡りさんも知りません。  ある家の非行に走っている息子さんが、自分の家でシンナーをやり、たまり場として五、六人でいつもやっている子がいました。父親がいつも注意しても、暴力を振るってやめようとしません。父親警察に電話してお巡りさんに来てもらうのですけれども、現行犯じゃないと逮捕できないということで、警察もお手上げ。そして、警察が行った後、また集まってシンナーを吸ってしまうというのが現状でした。僕が警察に電話して事情を説明して、逮捕しなくても一晩泊めてくれれば反省できるからと言っても、犯罪を犯せばいつでも捕まえることができますと言うだけでした。  そして、僕がすごく矛盾を感じているのは、青少年白書などを見ていると、年々シンナー検挙率が減っているにもかかわらず、実際はシンナーが少なくなっていません。かえってシンナーがどんどん膨れ上がっています。  ともあれ、荒れ狂った少年たち問題行動本気で解決しようと毎日僕は駆けずり回っています。そんな僕の願いは、政府の方も、行政に携わっている方も、そして警察の方も、本気になってみんなで協力し合ってこの問題に取り組んでもらいたいのです。今我々大人本気を出さなければ、オーバーに聞こえるかもしれませんが、この国は三十年もたないのではないかという危機感を僕は感じています。どうか、表面的だけで受けとめないで、我々に協力していただきたいと思います。  僕は二冊の本を出しています。「きっと、甦る。」くもん出版と、「体当たり子直し小学館。この本の中で、親が変われば子が変わると書きました。また、大人が変われば社会が変わるとも書きました。社会が変われば国が変わると思います。  ここに集まった方々が青少年問題行動意識を持っていれば、国が絶対に変わるのではないかと思うのです。どうか我々に協力していただきたいとお願いして、僕の発言を終わりたいと思います。  以上です。(拍手)
  4. 石田勝之

    石田委員長 どうもありがとうございました。  次に、小田参考人お願いをいたします。
  5. 小田晋

    小田参考人 お招きいただいて光栄です。  私は精神科医者でございますので、精神科医になりまして直後、東京医療少年院というところの技官を務めました。その後、犯罪精神医学研究室に勤めながら東京少年鑑別所練鑑鑑別技官を十年務めまして、最近は、精神鑑定という形であるいは御両親からの相談という形で少年問題にかかわっています。  その間に少年は随分変わってきました。少年法制定当時の昭和二十年代の少年非行観では、今日の少年問題は扱えないんじゃないかという印象がだんだん強くなってきました。  今日の荒れる教室とか学校崩壊とか対教師暴力いじめ深刻化非行犯罪凶悪化という一連の現象についての誤った処方せんというのがありまして、これは、私たち医者立場からいえば、誤った診断からきていると思います。  つまり、一つ管理教育及び受験戦争学力偏重教育が落ちこぼれを生み、子供たちストレス増加させているんだから、まずこれを取り除くことが必要です。子供たち問題行動子供たち欲求不満に基づいているんだから、直接に問題行動を解決しようとしても対症療法にすぎない。子供たち自主性を認めることが第一で、例えば一斉着席授業をやめる、成績評価を廃止する、学校での国旗の掲揚、国歌の斉唱をやめる、学校子供の解放区を設けて、そこに教師は立ち入れないというようにし、子供自主性を重視するようにすれば子供ストレスが緩和されるので問題行動は減るであろう。それ以外のそのためのアドホックの措置は一切むだであるというものでありました。  この種の議論の中には、例えば神戸小学生殺害事件犯因は、コンビニもなくディスコもない清潔な地域環境子供欲求不満をもたらしたことにあるという議論がありまして、これを唱えた方の議論は、今日、行政の中でもかなり重視されていると聞いています。  もちろん、青少年白書平成十年版に見られる青少年をめぐる現状と問題とか、それから第百四十五回国会衆議院青少年問題に関する特別委員会における総務庁長官説明要旨平成十一年三月三十一日、これに見られる政府現状認識はこれとは異なっておりまして、おおむね正しい認識に立脚しているのでありますが、しかし、上記議論は余りに声高であり、有力なマスメディア大学関係者精神科医法律家の一部によってありとあらゆる形のさまざまなバリエーションによって主張されるので、現場では混乱を来しておりまして、いかなる方針が一応打ち出されても、国会において明確な立法措置附帯決議、その他の対策が打ち出されない限り、具体的な効果は中和されて消滅してしまうおそれがあると思います。さらに、行政の一部も、これらの議論に同調したり妥協するのを良心的、先進的であると考える傾向があるようであります。  感情的で、一見もっともらしい議論によるのではなくて、具体的に考えてみれば、上述のような議論はその前提を欠いていることがわかります。  いわゆる管理教育受験偏重教育弊害をだれも否定しません。否定しませんが、今日の子供たちの荒れの原因子供たちストレスの増大に帰せられるかどうかについては疑問があります。  つまり、社会病理学的に見て、ある集団に限って加わっている社会的なストレスは、その集団における自殺率の向上にまず反映をします。例えば企業経営者管理者自殺率は、職業別に見た人口比から見れば最も少ない部類に属するのでありますが、それでも企業倒産件数とかなりてきめんに対応します。  平成六年以後のいわゆるバブル崩壊影響は、男性中高年者自殺率の急上昇として表現されています。第二次世界大戦後の家庭の変化、高齢化社会影響は、一貫して変わらない七十歳代のとりわけ女性の自殺率上昇に示されています。二十歳未満青少年自殺者数は、昭和三十年代初頭まで一貫して年間二千四百人前後でありまして、この年齢層ピークがあるものを日本型と呼んでいました。しかし、このピークは、昭和三十四年以後ほぼ急激に消滅しています。加齢とともに人口十万人当たり自殺率上昇するハンガリー型に変わります。昭和五十年代以後、五十歳代の男性のみにピークが来て、六十歳代で一たん下降するというフィンランド型に変わっています。その間、少年総数の著しい増加にもかかわらず、二十歳未満自殺者数は五百人前後を動いていません。これは、お手元に配付した資料がございますが、その一番最後警察白書から転載しておきました。岡田有希子現象と言われるようなタレントの自殺信号作用に誘発される自殺一過性自殺の増をもたらしているだけです。  一般に、自殺率の高い国は殺人率も低く、その逆も真であると言われていたのですが、日本は両者とも低いと言われてきたのに、少年犯罪率だけが上昇傾向にあり、凶悪犯殺人、強盗、強姦及び放火と、粗暴犯、暴行、傷害、脅迫、恐喝で逮捕された少年の数、検挙人員に占める少年の割合が増加傾向にあります。平成十年における少年非行人口比は、英国についに追いついています。  もちろん、自殺は一件でも痛ましいことです。とりわけいじめ原因とする自殺増加は重大問題なんですが、これに対する対策はむしろ学校内における恐喝傷害などの犯罪に早期に対処することが必要であるということは、愛知県西尾市立東部中学校での大河内君の自殺事件の教訓が示しているとおりです。  要するに、少年非行校内暴力、不登校等問題行動については、いわゆる欲求不満攻撃フラストレーションアグレッション説に基づく説明、二番目が社会的な抑制機能低下、つまりアノミー説、三番目は児童生徒欲求不満耐性低下、いわゆるフラストレーショントレランス説三つ説明可能性があるわけなんですが、このうち、いわゆるフラストレーションアグレッション説欲求不満攻撃に向いているという説は、今日成立しないケースが多くなっていると思います。社会的な抑制機能低下、つまりアノミー説、それから子供の方の欲求不満耐性低下の成立する可能性が高いことがわかります。この辺が取り違えられて議論されているように思います。  とりわけ学校崩壊、対教師暴力少年非行など攻撃的な問題行動増加傾向を示した期間は、政府児童権利条約を批准し、学校現場体罰禁止の規制が厳しくなり、偏差値教育弊害が強調され、少年法の適用に関して法律家、特に弁護士の側からの発言具体的事例についての関与が増大するなど、むしろ児童生徒に対する管理的な圧力は減少の方向をたどった時期と同期しています。  もちろん、人権を守ることはいかなる場合でも重要です。これらの措置が不要であったというわけでもありません。児童生徒人権の意味を正しく理解すれば、長い目で見て、他者の人権権利乱用抑制が期待できるということもあるだろうけれども、しかし、少なくとも、現在のところ、現在までにとられてきた許容的な措置、これは許容主義パーミッショニズムと言うんですが、許容的な措置青少年問題行動抑制する方向には働いていません。むしろ、これは上記の二、三の仕組みを通じて促進的に作用しているとさえ言えるんだと思います。  最近の教育現場とか少年補導とか矯正の現場での動向は、いわば許容主義パーミッショニズム方向に沿ったものであったと言っていいだろうと思います。それは、場合によっては拡張解釈され、誤用された自由と、人権の名のもとに、子供社会的成長のために必要な抑制能力や畏敬の心を根こそぎにしてしまうように作用したんです。  それは、認識的には、つまり考え方の上からは、次の三つの間違った考え方の上に立っています。  一つは、子供の心は白紙かあるいは天使のようなものであり、社会管理や抑圧や競争主義子供不満攻撃性を蓄積させ、それが犯罪非行、無気力の原因となる。学校現場に今導入されつつあるカウンセリングも多くはこの考えに立ち、来談者、やってくる子供のことですが、子供を受け入れるということをその主要な方法としています。  二番目は、子供の心は社会反映であり、社会が悪く、例えば成人汚職その他の不正をするから子供が悪いことをするのである。  三番目は、人権を尊重し、子供の自由の範囲を拡大するのは世界的な動向であり、日本国際化のためにそれに追随すべきであるというんです。  しかし、現実には、現在の青少年問題行動に関する限り、この一、二、三はいずれも実際は成立しないようです。  一つは、人間行動についての精神医学的、心理学的な見方や治療や行動修正の技法は、近年は、世界的にはむしろカウンセリング理論よりも行動科学的な観点が有力です。  人間行動は、基本的にはそれによって何が結果として期待し得るかということに左右されるわけで、とりわけ情報化社会の今日、子供校内暴力いじめ非行薬物乱用についてこの程度のことをすればこの程度の反応を期待できるという相場ないしスタンダードに敏感になっています。もうそろそろ十八、二十歳になるから暴走はやめようやというようなことを本当に口に出すんですね。そうして、バックレ同盟というのが北海道にありまして、お互いに暴走をしてもそんなことはしていないと言い張ろうということで、口裏合わせを初めから合意していた集団さえあります。  保護主義と誤解された人権の名のもとに重大な非行が処分されず、しら切り、ごね得、口裏合わせ、こういう言葉があるんですが、これによって中学卒業までは何をしても見て見ぬふりをされるか、あるいは不処分とか保護観察で通ってしまうということでは、かえって遵法精神法意識を喪失させたまま社会に送り出すことになります。それは保護の名にも教育の名にも値しません。  二番目は、成人たち汚職や不正が、それを大人たちが行っている間は子供たちに何も言う資格がないというふうに拡大解釈されるのでは、およそ理想社会があり得ない以上、理想社会が成立するまで教育はあり得ないことになります。そのような議論議論の名に値しないと思います。  国際化議論が実際あるのでありますが、そして、それは場合によっては国際条約の名によって主張されるんですが、今日の人権先進国を含めての教育少年問題についての動向に逆行します。教室での一斉着席授業基礎学力の重視、校内暴力に対する教師物理的対応を一定の限度で認めること、これは英国ですが、非行に対するより厳しい対処等英米を含めた先進国動向です。児童権利条約にも、これに抵触する条文は存在しません。  ゆとり教育の名のもとに中高校終了時の基礎学力低下し、自由の名のもとに生徒団体行動における規律を守る能力が消滅するなら、我が国の現在の経済を辛うじて支えている製造業勤務者能力低下せざるを得ないんです。教育企業のために奉仕すべきではないということはよく唱えられますけれども、市場経済とそれを支える産業を効率よく作動させるということには国民的な合意が存在すると言っていいのではないでしょうか。  許容主義一つ動向として、依存性薬物、特に大麻、マリファナの乱用を合法化し、かつ少女売春援助交際という風俗として美化して、これらに対する法規制を撤廃しようという動向が存在しました。この際には、マスメディアまでを利用して、少女たち自分たち限度を心得てやっていると言わせ、自治体の条例制定を妨害しようという有力な運動さえ存在したんです。  少なくとも援助交際少女売春にすぎず、それに伴うすべての社会病理を生み出すことが判明した今日でも、そのような運動、言論を行った人たちは責任を感じている兆候はありません。もちろん、少女買春性的虐待一つとして買春者を罰することも必要なんですが、少なくとも違法行為を行った者として少女をも補導の対象にするのでなければ、少女たち倫理観崩壊社会として防止することに手をかしたことにはなりません。  さらに、子供はその発達段階に応じてふさわしい教育を受けなければなりません。乳児期には全面的な愛と受容によって情性を育て、幼児期にはしつけ、少年期には教え、思春期には考えさせ、同時に法と宗教の存在に直面させることが必要で、このプログラムが逆転しています。むしろ、乳児期における母子の接触が不十分で、幼児期になってから、勉強勉強、早く早くといって介入をする子育てというのが大変問題だと思います。  現状認識及び対策に関しては、とりわけ初め申し上げましたような三月三十一日の総務長官説明要旨青少年白書における提言は評価できるんですが、次のような具体的な問題を指摘してみたいと思います。  一つは、乳児期における母親剥奪状況。つまり、乳児期において母親を剥奪してしまいますと、子供情緒的成長が阻害されるという議論についても、またこれは異論はあるんですが、異論がないのは例えば哺乳動物、特に霊長類の場合なんですが、霊長類子供母親から全く引き離して、哺乳瓶を突き出してミルクを吸わせて育てるという育て方をしますと、この猿は長じても成人の猿の仲間に入れません。ほかの猿を無差別に攻撃するので、さらに向こうから攻撃されて、自分のおりの中に帰って、体を情動的に揺すっているという猿になります。さらに、こういう猿も子供を産めるんですね、雌ならば。その子供を決して育てません、引き裂いてしまいます。母性愛はそういう状況では育たないんです。  そういう状況をつくらないために、今日、母親自立ということが強く主張されている時代ではある。でも、母親に対する援助子供を連れての職場託児所の試みというのは、特に看護婦さんが多くて、看護婦さんが圧倒的に売り手市場である医療機関では現在成功しています。あるいは子育てNPOというようなボランティアまたはファンドの組織の援助が必要だと思います。  それから第二に、女性の自立への社会的プレッシャー、社会的にむしろ現実の必要以上にプレッシャーが加えられていますので、それが母親としての本能の抑圧を伴うことがないような、男女を含めての生物としての人の維持発展、家族の価値、親としての意識を育てるような教育は、教育のすべての段階で必要です。  今、むしろ、小学校中学校高校、大学と段階が上昇していくにつれて、実は母親には、母性本能というのは本能ではないというような、これは間違った理論ですが、そういう理論を唱える教官が多く、そういう教育がなされているということが問題なんですが、大学でも親業講座というようなものも考えられていいんです。大学にフェミニズム講座があるんなら、大学に親業講座ができてもいいんじゃないかと思います。  幼稚園、保育園、保育所段階での最低限のしつけの必要性は確認される必要があります。しつけない、やり過ぎない保育という美名のもとに、今日、自由保育というのが行われておりまして、これが実は小学校段階での学級崩壊原因に結びつくことを避けたいと思います。  実は、これは日本教職員組合の教研集会で出てきた話ですが、小学校低学年の学級崩壊は、その地域の自由保育を行っている保育園、幼稚園から何%ぐらいの子供がやってくるかということとかなり密接に相関するという話が出ているぐらいです。  さらに、教室にじっと座っていられない子の原因はさまざまですけれども、注意欠落多動症候群、ADHDという子供がありまして、この場合、その子に引きずられて子供全体が落ちつかなくなってしまう、低学年において教室崩壊が始まってしまうことがあります。こういう場合、メチルフェニデートという薬物が有効で、米国においてはこの薬物はかなり高頻度に使われていますが、日本ではこの薬を精神科医が使おうとしても、子供を薬漬けにしたくない、カウンセリングで治してくださいというような無理難題を言われるので、日本では米国に比べて使用数が少ないんです。米国においてはこの薬物はかなり高頻度に使われています。家庭における愛の欠如、しつけの欠如から暴れ回る子になっている場合もありまして、注意欠落多動症候群の場合でも、軽ければ着席の習慣をつけることができます。  子供の体に教師が手を触れるということを絶対禁忌とする方向に東京地方裁判所の判決が拡張解釈されつつあるということが、低学年における荒れる教室化をもたらしているんだろうと思います。それは必ずしも教師教育能力だけの問題じゃありません。何が体罰であり、そうでないか、英国の前例等を参考にしてガイドラインの作成が必要だと思います。  それから、非行寸前のボーダーライン級の生徒に対して、中学出席停止以外の手段は何も持っていないということが問題です。  さらに、女教師ナイフ殺人事件等一連のナイフ殺人の背後には、普通の子が切れたのではなくて、脳波異常に伴う腹部発作及び不機嫌状態や行為障害が目をつぶって見過ごされていた事例が存在します。  上述のADHDやこの種の事例、さらに思春期における性衝動の高進が犯罪に結びついた性衝動の事例等には、単なるカウンセリング教師の理解も無効なことがあります。精神科校医の採用、とりわけ犯罪精神医学的な素養と小児精神医学的素養をあわせ持った専門家の養成と配置、養護教員の複数化と精神医学的教育の重視、学校カウンセラーには来談者中心技法のみならず犯罪心理学的、非行臨床的危機介入の技法を教えることが必要です。  少年非行に対しては、校内外を問わず、速やかに必要な処遇が行われることが必要で、これに目をつぶり大目に見ることが保護主義人権擁護であると考えられてはいけません。現在提案されている少年法改正はなお不十分で、思春期の加速化、その他発達段階の変化に相応し、かつ非行の重大性をも考えた刑事処分年齢の引き下げ、家庭裁判所の決定が余りにも加害者優先的であると考えられた場合の被告側の抗告権の拡大、とりわけ被害者遺族の訴えによる検察審査会の介入を可能にし、精神障害を有し、非行がそれに関係する場合、裁判所が受診を命ずる治療的保護観察の制度化ぐらいは最低限必要です。  学校は、少なくとも覚せい剤と麻薬や凶器が持ち込まれる場所であってはなりません。一斉所持品検査はすべての民間航空の乗客に対して行われていることだし、学校でこれを行うことが違法であるとも、生徒との信頼関係を破壊することであるとも考えられないということを確認する必要があるだろうと思います。  現在の学校は、社会変動、文化変容の中で、二十一世紀への軟着陸を模索しているところです。ここで対応を誤り、社会の解体、学校の解体をもたらしてはいけません。そのためには、一見理由がありそうに見えることでも、それが実行されたときどういう実際的影響があるか、そういうことを予測することが必要だと思います。  超過してしまいました。申しわけありませんでした。(拍手)
  6. 石田勝之

    石田委員長 どうもありがとうございました。  次に、山口参考人お願いいたします。
  7. 山口良治

    山口参考人 京都文化市民局スポーツ振興室で部長をさせていただいております山口と申します。  昨年三月まで、長年学校教師をさせていただいてまいりました。その間、七年間の教育委員会の生活もございました。つたない体験ですけれども、こういう場にお招きをいただきまして意見を述べさせていただきますことを大変光栄に存じております。本当に何かお役に立たせていただきたいなと思います。  今小田先生がるる申されたような難しいことは私にはよくわかりませんが、理屈では子供は育たない、そう思っています。  私は、京都市の中学校、高等学校を経まして、本当に多くの子供たち、また親たちと出会ってまいりました。結論を申すならば、子供は本当に親の気持ちや教師の気持ちや大人の気持ちでどうにでもしてやれる、このことが本当に長年の経験から一番救われる思いでいっぱいです。  教育行政をつかさどる教育委員会にいて、余りの教育現場の荒廃を憂えておりました。あるとき中学校に行かされました。中学生というのは十二歳からなんです。十二歳、十三歳、十四歳、十五歳、本当に餓鬼なんです。その餓鬼たちの教師をなめた、大人をなめたような言動に私は唖然としました。一体何なんだ、学校教師は。本当に何でもないようなことに感情的になって学校に来る親。本当に驚きました。とんでもない学校でした。その学校に派遣されまして、行ったときに、本当に激しい憤りを覚えました。  それは何かというと、もうわかっているんです、小学校の高学年でも中学生でもやったらいかぬことぐらいわかっている。車がばんばん通っているときに赤の信号を渡るばかはいません。信号が赤だったらとまらなきゃだめだよ、そういうことを言われればわかるんです。だから、小学校の約束事、中学校——もちろんルールに対して子供たちは少なからずわかっています、やったらいかぬことは。  なぜそれをやるのか。そうしてまでも自分のことをもっと気にしてほしくてこんなことをしているのに、注意もしてもらえないあの子供たちの気持ち、無視されるあの寂しさを考えるとき、どれだけ多くの子供たちが今親や教師大人たちから無視されているか。今、本当に社会を見渡してもそうです。やったらいかぬことをしている子供がいっぱいいるのです。  でも、ほとんどの人はそういう状況を、ああ、また中学生があんなことをしている、またあんなことをしている、もうだめだな、最近の子供は。おい、君ら何をしているんだ、本当にそんな声をかけてやってくださる大人がどれだけいるでしょうか。  学校教育だけの問題ではありません。しかし、家庭教育のあの親のふがいなさ、そして教師の使命感の希薄さ、責任感のなさ、それらを問われる場がないのですよ。  例えば生徒をたたいた。決していいことではありません。でも、本気でその中で何かを気づかせてやりたいという思いに、そういう場面ができたとしたら、その事象だけとらえられてとんでもない目に遭います。何もしなくていいのです。今の子は、ことしの子はあかんなとか、最近の子はあかんなとか、全然家庭も理解がないし、言うて聞かない生徒が悪い、教えても聞かない生徒が悪い、しかし、そんなことが果たして本当に許されるのでしょうか。  私は多くの子供に出会ってきて、スポーツ、ラグビーを通して本当に多くの子供たちがすばらしく変わって成長していってくれました。だめなんじゃないのです。何がだめなのか、何ができなくて何がわからないのか、だから、教師、指導者は何をどうしてやらなければいかぬのか、それが私はプロフェッショナルとしての責任だと思います。  今、学校教育現場は、皆さんも当然御存じのことだと思いますが、日の丸・君が代の問題から本当に多くの問題があります。しかし、私は、今、社会にはこの青少年問題は一遍に変えてやることはできないと思いますが、一人一人の大人の気持ちで子供はどんどん変わっていくだろう、そう思っています。  その中学校へ行ったときに、私は、恩師のようになりたい、恩師のような大人になりたい、そんな希望を抱いて教師を目指しました。そして、教師になって——長年ラグビーの全日本選手として活躍させていただいているときには、もうすっかり京都教育に、もう教師になるまいと思って、その中学校へ行くまでは現役をやめたらどこかという希望を持っておりましたけれども、その中学生に出会ったときに、私だったらもっとこんなことを伝えてやれる、こんなことを感じさせてやれる、本当にそんな思いでいっぱいになりました。  そして、伏見工業高校という学校に行ったときには、それは教室の廊下をバイクが走り回るような、そんな荒廃した学校でした。ラグビー部も、グラウンドにはゴールポストもないような、そんな状況の中で、当時は百十二対ゼロで負けるようなぼろぼろのチームの子供たちが、本当に自分に矢印を向けたときに、その悔しさを知り、それから勝ちたいという目標のもとにどんどん変わっていきました。  今、子供たちに夢を語ってやったり、希望を持たせてやれる、そういう大人が少ないということなのです。スポーツの目的は、勝ったり日本一になるためだけではありません、選手になるためだけではありません。しかし、ラグビーという十五人という多くの人数でやる競技は、まさに仲間のことを思いやれる心がなかったらできないスポーツなのです。何でもいいと思います。野球でもいい、文化部だっていい。子供は何かを一生懸命やれる場が今一番大事なのです。  しかし、何でもかんでも自由、この自由の履き違えを指摘してやれないのでは、これは教育にはならないと思っています。僕は、責任を伴わない自由なんかないと思っているのです。子供子供なりにそれなりの責任をきちっと私は求めるべきだと思っておりますし、社会はひとりでは生きていけませんから、本当に多くの人に支えられながら自分の人生があるということを教えることが本当に教育だと思っています。  今、少子高齢化の社会が進展しておりますけれども、だからこそ、もう理屈じゃなくて感動を与えてやれる、そういう場づくりが一番大事じゃないか。  今、多くの子供の目が死んでいます。それは、朝のあいさつもできない、返事もできない、その何でもないことからなんです。ラグビーも技術的にいろいろな技術がありますが、技術だとか体が大きい、足が速い、そんな問題じゃなくて、黙って休むな、黙ってサボるな、みんなで決めた約束を守ろう、まず十五分の一の責任を果たし合おう、そういう約束事を徹底していくことから入っていって、本当に見事に子供たちは変わっていくのです。  百人近い部員をバス三台で合宿に菅平へ連れていきますときに、いろいろなドライブインがあります。トイレ休憩します。学校の修学旅行でも各クラスごとにバスで行きますが、七時半集合、八時出発と言ったって、八時に出発できるということはまずないです。時間を守れません。でも、そのラグビーの合宿では、ここのドライブインを何分に出発するよと言ったら、ノーチェックなんです、ノーチェックだよと言っている。ガイドさんが言うときに、いや、うちはノーチェックですから時間が来たら行ってください、おくれたやつは走ってくるでしょうと。信州まで走ってこれるわけはありませんけれども。そうして二十三年間、一人としておくれてくる子はいません。朝のおはようミーティングにも、黙って遅刻したり、山口が怖いから、殴られるからと、そんなのじゃないのです。  そんな中で、私は子供のすばらしい適応能力というかそういうものを感じますし、先生がおはようと言って、おはようございますもよう言わないような子も、入学式に髪を染めて異装してくる子供もいません。合格発表のときの、きゃあ、合格したぞと喜んでいる、感動しているあの子供たちが、学校へ入ったら好き勝手してやろう、むちゃくちゃやってやろう、そんな子供はいません。ときめいているのですよ。どきどきしているのです。でも、そんな子を嫌にさすのはだれかといったら、学校教育においては教師です。社会においては、子供にそういう優しいまなざし、また厳しい言葉をかけてくれない、そういう大人たちをもっともっと問わなきゃいかぬ、そう私は思っているのです。  だから、多くの親も、子供をかわいくない親はいませんし、しっかり成長していってもらいたいというのが本当に親の心ですから、そういう気持ちで、まず何でもないことをもっときちっと家庭で、学校で、そして社会においても求める、そういうことが一番大事なのじゃないかな、そう私は感じています。  いろいろなケースがありました。いろいろな問題がありました。でも、その中で、本気になって向かっていって変わらなかった親子はいないことを胸を張ってお伝えをしたいと思います。  親が本気になって子供にこんな子になってほしい、教師が将来この子がこんなになってほしい、その思いを持たないことには教育は変わらない。ゆとりのある時間だとかもっと子供自主性だとか、そんなことは大きな問題ではない。給与をもらってそういう場に立つ、職業として立つ、その使命感と責任感をもっともっと求めるべきだ。それぐらいの気持ちを管理職が、これは人間がやることですから、いろいろな人がいますから、組合のこともありますけれども、本気になって日本という国、また日本の次代を担う子供たちのイメージを、もっといいイメージを描いて、私は身を粉にして携わっていきたい、またそういうものを期待したい、そのように思っています。そしてまた、次代を担う子供を育てていくのは大人の使命なんだということをもっと多くの大人たちに私は声を大にして叫んでいきたいですし、一人でも変わればどんどん子供は変わっていく、私はそう信じております。  短い時間で意を尽くせませんが、今後もしっかりとそういう責務を担って頑張っていきたいと思っております。失礼しました。(拍手)
  8. 石田勝之

    石田委員長 どうもありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  9. 石田勝之

    石田委員長 これより参考人に対する質疑に入るのでありますが、理事会協議によりまして、最初にあらかじめ申し出のありました委員が順次質疑を行い、その後、自由に質疑を行うことといたします。なお、発言は自席から着席のままで結構です。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。河村建夫君。
  10. 河村建夫

    ○河村(建)委員 三人の参考人皆さん、ありがとうございました。  貴重な体験談あるいは学究的な見地からのお話をいただきながら非常に考えさせられたわけでありますが、お三方のお話を聞きながら、やはり共通の認識というのが根底にはあるなという思いであります。  今のいろいろな現象、ただ社会が悪いとかそういうことだけじゃなくて、やはりみんなで変えていこう、伊藤参考人も言われたように大人が変われば子供も変わるんだ、これは同じく山口参考人もおっしゃったと思いますが、そういう気概でこの少年問題に取り組んでいこうということで、この委員会ができたのもまさにそこにあるわけでありまして、非常に有意義なお話をいただいたと思います。  限られた時間でありますから、お三方全部お聞きできるかどうかわかりませんが、まず伊藤参考人に率直にお聞きしたいと思うのであります。  自分の貴重な体験、暴走族の総長までおやりになって、その体験に基づいて、またみずからが更生した体験というものを生かしながら子供の更生に全力をお尽くしになっている。私も伊藤さんの姿をテレビで拝見しまして非常に感動を覚えて、ぜひここでお話を聞かせていただけたらと思いました。限られた時間でありますから、十分なお話もできなくてという思いもあろうかと思いますが、また本等も読ませていただきたいと思っております。  自分の体験に基づいて今子供さん方を更生させる道をとっておられるわけでありますが、その子供さん方に当たるときに、伊藤さんから見て、何か子供に共通した問題点を感じられるのか。それから、今度は逆に、伊藤さんの方から感じておられるのは、やはりこれは親の方の問題なのか、あるいは教育現場なのか、社会なのか。あるいはその根底には、さっき言われたように、自由には責任が伴うんだ、社会規範を守らなきゃいけない、そういうことの認識が欠けておるといいますか、自由の履き違えがごちゃごちゃになっているんだとかいうようなことから、そういう子供さん方の非行を起こした原因に共通したようなものをお感じになっているかどうか、まずその辺から聞きたいと思います。
  11. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 明確に答えが出るかどうかわかりませんけれども、僕は、非行少年問題行動を起こす少年たちを扱っていく中で一番感じていることは、どうしてこういう子供ができてしまったのかということから言わせていただくと、原因家庭です。非行の問題、問題行動原因をつくってしまうのは、幼児教育から始めないと無理だということを僕は実感しています。  そして、非行とか問題行動、また不登校の子、いろいろな問題点を抱える子供たちを見てみると、結局は寂しがり屋で甘ったれでわがままという三点が全部バックアップでよみがえってきます。この三つはもともとは幼児感覚、幼児の気持ちそのままを引きずって思春期を迎える子供たち。  昔の悪というのは、外面も内面も大人感覚でやっていたもので、ここまではやらないというルールがあったんですね。ただ、今の少年たちを見てみると、大人と接している時間が多いもので、外面は大人感覚であって、親に甘えられない分、内面は幼児感覚で物事をしてしまう。だから、平気でナイフを持って人を刺してしまうというような危機感を感じられないような子がいるので、平気で人を傷つけたり、また平気で小動物を殺したりしても反省できない。それはよく見てみると、もともと幼児感覚で思春期を過ごしているからそういう判断がつかないのじゃないかな。  昔の悪というのは大人感覚で物事を見ていましたもので、ある程度年が来れば落ちつく、そういうマニュアルがあったんですね。今の少年たちにそれは通用しないというものを僕らは見ていかなければいけないのじゃないかなと思います。
  12. 河村建夫

    ○河村(建)委員 ありがとうございました。  もっと率直に申し上げます。  そうすると、幼児教育に問題があるのじゃないかと感じておられる。幼児教育そのままの子供大人になってしまった。神戸の少年Aの事件も、そういうことからいえばそうだし、また伊藤参考人のお話、いろいろな事件でまだそういう子供がたくさんいるんだというお話からいうと、そういう事件がまた起きてもおかしくないような状況ですね。  そうすると、やはり幼児教育というのは深い愛情とともに厳しさといいますか、しつけ、特に厳しさ、言うべきときにはきちっと言う、場合によってはひっぱたくとか、そういうような厳しさというものが今欠けているんじゃないかということをお感じになっていますか。
  13. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 厳しさとともに優しさ。僕は、子供たちを怒るときには、殴るということもしますけれども、怒った後に必ず、例えば十分怒ったら一時間フォローするという、その優しさを出します。そこが大事じゃないかなと僕は思っています。
  14. 河村建夫

    ○河村(建)委員 ありがとうございました。  山口参考人、先ほど同じような感覚のお話もございましたが、先生の体験から、教師立場から、今の少年問題は大人側からもっとやっていかなければいかぬというお話でした。スポーツを通じてそういう体験ということでありますが、今の教師の人材をもっとつくっていかなければいかぬという気持ちもあるのでありますが、その辺についてはどうでしょうか。
  15. 山口良治

    山口参考人 教師にもいろいろありまして、随分苦労といいますかいろいろな体験を積んでこられた方もおれば、豊かな中で教師が安定しているからということで教師になっておられる人もいるかと思いますが、子供の痛み、子供の気持ちを受けとめられないという非常に弱い教師も多く見られます。子供も、今伊藤さんがおっしゃったように、やはり精神的未熟児というか、高校生になってもそういうことを感じる子供がたくさんいます。  このことは、例えば悪いことでも一気にするのじゃないんですね。やはり過程があるのです。神戸のA少年のことでもそうですけれども。それまでいろいろな状況があって、教師なり親なりがそういうことを感じたときにどう対処したのかということが一番問題だと私は思うのです。  問題行動というのは、必ず子供が変わっていく芽だと私は思っています。育てるというのは、種をまいてほっておけばいい実が育つわけじゃなくて、雨の日には、また風の日にはそれなりに支えてやらなければいかぬし、日照りが続けば水もやらなければならないということで、私自身、子供のちょっとした変化を教師がどれだけ素早く受けとめてやれるか、そういうことがその教師の感性にかかっているのじゃないかなと。  不登校だとか登校拒否児だとか非常に多い現在ですけれども、そんなものは一遍に一カ月間休むわけじゃないんですよ。黙って一日休んだ瞬間に、あれ、何で来てないんだろうと……。そのとき、おい、どうしたんだということでぱっと電話一本してやれる気遣い。やはり愛なんですね、気になるということは。気にならない、三日間来て、あいつまた無断欠席だ、また四日も休んで何やっているんだとやおら電話したときにはもうツーレート、手おくれだというようなことは多々あると僕は思うのです。もっと敏感に子供の変化を受けとめてやれる、そういう資質をもっと磨いていくべきじゃないかな。  そして、子供には、やはり精神力というのは理屈じゃないんですよ、目に見えるものじゃないですから。いろいろな体験に耐えることとかそういう場を与えてやることだというふうに思っておりますので、それを積み重ねていけば必ず人間ができていく。そういう意味でもスポーツというのは本当にすばらしかったなというふうに私も思いますし、一人でも多くの子供にそういうものを与えてやりたいな、そう考えております。
  16. 河村建夫

    ○河村(建)委員 ありがとうございました。終わります。
  17. 石田勝之

    石田委員長 次に、田中甲君。
  18. 田中甲

    ○田中(甲)委員 民主党の田中と申します。  参考人皆さん方には、青少年問題特別委員会に御出席をいただきまして、心から感謝を申し上げます。  私は学生のころサッカーに夢中でして、ラグビーではないのですけれども、ボールを追いかけていました。特にゴールキーパーというポジションで、また高校時代は喫煙で停学になったりとか、私も何か思い返しながら、果たして今の青少年の気持ちが自分にわかるだろうかという、そんな自分に対する自問自答をしながら聞かせていただきました。  冒頭お聞かせいただきたいのは、私は、自我が芽生えた子供たちが成長していく時期に、自分はなぜ生まれ、何のために生きているのか、生とは何か、死とは何かということをやはり必ず考える時期があると思うのですね。唐突な質問で大変に恐縮なのですけれども、子供たちになぜ人は生きるのかということを説く場面というのが多分おありになるのだろうと思いますので、そのときにお三方はどのように子供たちに話されているのか、お聞かせをいただければありがたいと思います。  まず、伊藤参考人から順番にお聞かせください。
  19. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 僕は、なぜ人間として生きるのか、そういうものを教えるのは当然必要だと思うし、それが原点だと思うのですけれども、もちろんそれを教えるのはまず幼児期からですね。ですから、家庭が出発点になっていくと思うのですね。さっきも言ったように、僕は、いろいろな子供の問題点とか出発点は家庭からだと思うのですね。それで枝葉に分かれて、社会に出たら先生とか、そういうものがくっついてくると考えています。  ですから、倫理観とか役割とかいろいろなものがあると思うのですけれども、私は、人間として価値観とかいろいろなもの、自立を行っていく過程において必要なのは、父親の役割、母親の役割、母性、父性の役割が大事になってくるのじゃないかなと思います。
  20. 小田晋

    小田参考人 私は、現在カウンセラーでございますから、カウンセリングや精神医療の局面ではそんなことばかり話していると言っていいぐらいなんですが、そのときに子供たちや患者さんたちから聞くのは、親からどんな話をされていたかということですね、親や教師から。やはり子供の、特に幼児期には勉強勉強、早く早くということが親から聞かされた言葉の中では一番印象的だった。それが高校思春期になってから、中学生年齢になってから、受験年齢と重なってきますと、そんなことを考える暇があったら、まりでもけってるとかそんなことをする暇があったら勉強しろ、単語の一つでも覚えろというのが多いですね。このそんなことをする暇があったらというのが子供たちから出てきたときに、そんなことを考える暇があったらということを禁句にするということを至るところでPRしなければと思っています。
  21. 山口良治

    山口参考人 私は、子供自分の人生に影響を与える出会いというのがあると思うのです。特に中学生ぐらいからだと思います。これは、まず親ですし、身近な学校教師だと思いますね。僕の場合はそうでした。  僕は生徒にそういうことを話すときには、高校生が一番長かったのですけれども、自分をさらけ出せるかというのがある。おまえはいいじゃないか、弁当を詰めてくれるお母さんがいるし、洗濯もしてくれるじゃないか、先生は母ちゃんは七つのときに死んだんだよという自分の話をしてやって、そして、こんな先生がいてくれた、こんな先生がいて、こんな人になりたいと思った、ああ、僕もそうなったらいいなという夢を語ってやれることだったな、そういう気がします。そして、その中に、そのおかげでとかありがとうというような感謝の心を一番大事に私は伝えてきた、そういう思いがします。
  22. 田中甲

    ○田中(甲)委員 ありがとうございます。  私、小田参考人がきょういらっしゃるということで、実は小田先生の著書をちょっと読ませていただきました。「非行いじめ行動科学」という本でありますが、その中にスウェーデンの事例ということを引用されていまして、社会保障制度が充実して自由で住みやすい国だと日本では思われている国スウェーデン。その実態というものは、最も犯罪が多発している国なんだ。そこではマリファナは解禁されているし、犯罪を犯しても実名報道はされないし、死刑は廃止されているし、犯罪の罰則というものも非常に軽い。  そういう状況の中で、スウェーデンという国は少子高齢化社会日本が抱えている問題のまさに先進の国であるという、そんな側面も含んで、先生は、スウェーデンから日本が今何を学んでおくべきなのか、と同時に、高齢化社会青少年犯罪の因果関係ということがもしおありと考えているのでしたら、御所見をいただきたいと思います。
  23. 小田晋

    小田参考人 スウェーデンの場合、スウェーデンの行っている例えば社会保障とか福祉の充実ということは非常に尊敬すべきものでありまして、それを否定するわけじゃありません。  しかし、平成六年でしたかの犯罪白書に出ていた統計では、やはり人口当たりの犯罪率はスウェーデンは群を抜いて高いのです、殺人は。ということは、要するに福祉の充実という、許容主義的な方法というのは犯罪の抑止には直接はつながらない。それから、少子化社会になれば犯罪が直にふえるということはないと思います。  つまり、一般的に言えば、今までは犯罪学の常識では多子家庭の方が犯罪率が高かったのです。ただ、その家庭がどのような家庭であるか、家庭の中で父親の存在がはっきりしているか、母親の存在がはっきりしているかというようなことが問題になるんだと思います。  それから、社会犯罪に対する抑止機能がよく働いている、むしろこれからの少子化、高齢化が進む時代においては、例えば保育所や幼稚園と老人ホームのような福祉施設をドッキングさせて、老人の優しさと愛情、それから子供のかわいらしさがお互いに相手を支え合うというような施設をつくるということが少子高齢化の場合役に立つ方法ではないかと思ったりしています。
  24. 田中甲

    ○田中(甲)委員 ありがとうございます。  持ち時間が限られているものですから、御質問したい点はたくさんあるのですけれども、今タイムリーといいますか、私たちも考えていく中で、少年法の改正ということにちょっとスポットを当ててみたいのです。  十八歳で自立できるようなというのがグローバルスタンダード、国際基準だと思うのですね。そんな中で、国会の中でもこれから選挙権の問題、被選挙権の問題、少子高齢化の中で若者の社会参加という、その辺も踏まえて少年法の改正に対する御所見を、もしできましたら三人の参考人の皆様からお話を聞かせていただきたいと思います。
  25. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 僕は、実際非行少年とか問題行動をしている少年たちとつき合っていてよく聞かれることは、そういう子供たちをどういうふうに直していくんだとよく聞かれるのですね。そのときに、僕は少年たちをまず孤独に追いやるということなんです。その孤独に追いやることは、個々人において全部形が違うのですね。例えば警察補導されたときに孤独に陥る子もいるし、親に怒られて孤独に陥る子もいるし、また、少年院まで行かないと陥らない子もいる。でも、形としては、その少年たちが孤独になったときに僕は勝負をかけるのです。そうすると、どんな犯罪を犯した子でも、百人が百人とも全部よみがえるんですね。  そういう点から見ると、少年法というのは早く改正してもらって、犯罪によって少年院に入れさせるとか、そういうものを考えていただければもっともっとそういう子供たちがよみがえるのではないかなと僕は思っています。
  26. 小田晋

    小田参考人 少年法の改正で現在提案されている案は私は不十分だと思います。  一つは、少年審判に検察官が立ち会うということが規定されても、そのことによってかえって現在検察官送致によって普通の刑事処分を受けるケースは減るのじゃないかと思います。  それからもう一つは、被害者の遺族に事件の真実を通知する、通知された遺族がいかにじだんだを踏んでも不処分や保護観察になっている。どうしようもないということで、仕方がないので、この場合は、不処分になったケースなんかについては、現在日本における唯一の陪審機能は検察審査会ですから、検察審査会が介入して、やはり被害者の遺族の訴えを聞いて実情を調べて、あえて検察官はこの事件については起訴すべきである、その年齢に達していたらですが、そういうことを決めることが必要です。  それからもう一つ、やはり年齢の問題がありまして、確かに年少少年の場合は現在も少年院にさえ送ることができない事例があります。その場合、厚生省の児童自立支援施設に送られるんですが、児童自立支援施設では、今日でもかなり病理性の強い、しかも人格に問題のあるような事例については対応できないんです。  例えば寮舎と言って子供一緒に教官が生活しているところでは、教官の子供の生命さえ危険だというので教官が退職してしまう場合さえあります。そういうことを考えれば、少年法の適用年齢は、世界的なスタンダードを考えれば大体十歳でも十三歳でも事例によっては普通の刑事裁判にする。みんな検察官送致をしてしまえということではありませんが、少年法の適用年齢をやはり十四歳に引き下げるということは必要ではないかと思います。それが刑事事件についてですね。  それから、例えば神戸の事件なんかの場合は、事前に彼が猫を連続して殺していた、彼の暴力におびえた少年が転校していたということがわかっている時点で精神医療に回していれば、外来だけでも、ひょっとしたら薬物療法で彼の犯行を防ぐことができたかもしれない。そういうことを家庭裁判所が命ずることができるという治療的保護観察の制度なんというのが制度化されていたら、随分問題が違うと思います。  それよりも何よりも家庭裁判所の調査官の人たち意識を変えていただいて、今日の少年の変化ということを考えて、もちろん少年人権も大事でございますし矯正保護も大事だが、社会の安全も大事だ、そこでバランスをとらなければいけないということをよくわかっていただくことが必要だと思います。
  27. 山口良治

    山口参考人 私自身、そういう難しい法的なことは詳しくはわかりませんが、私は立ち直る可能性というのはすばらしくあると思うんです。しかしながら、ある刑務所へ行ったときも感じましたけれども、幾ら受刑者が償って社会へ出てきたときに、本当にその人たちを迎え入れる、またそういうことを犯した子供たちを今までと同じように見られるかどうかというのは、子供の問題よりもむしろ受け入れ側の問題の方が私はまだまだ大きいのじゃないかなと思います。  しかしながら、だんだんと低年齢化していくいろいろな凶悪な犯罪に対しては、僕はやはり厳しくそういうものを問うべきだというふうに思いますので、少年法に関してはしかるべきところでしっかりと検討していただきたいなというふうに思っています。
  28. 田中甲

    ○田中(甲)委員 ありがとうございました。
  29. 石田勝之

    石田委員長 次に、太田昭宏君。
  30. 太田昭宏

    ○太田(昭)委員 きょうは、参考人の先生方、ありがとうございます。  伊藤参考人のお話を聞きまして、私は実は本を読ませていただきました。大変感動して読ませていただいたんですが、家庭が非常に大事、特に幼児の家庭が大事である、大切なのは毎日のやりとりの積み重ね、どんなに小さなことでもいいからパイプを通しておけ、あるいはまた、温かい家庭環境というのが人間人間として豊かに育っていくために必要なものである。しかし、また伊藤参考人は本の中でも言っていますが、親の過剰干渉といいますか、そこが非常に問題ではないかということも指摘している。  しかし、最近は、親は確かに愛情を持っている、愛情は持っているんでしょうが、それをどういうふうに表現して、どういうふうにやっていったらいいかわからないという自信のなさというものが私はあるような気がするんです。伊藤参考人自分自身の実感とかそういうものから確信を持って話ができるということが私は非常な強さではないかというふうに思っているんですが、この親の自信のなさというものの中で、子育てにおいて親子の信頼関係というのをどういうふうにやっていったらいいのかということについてお答えいただきたいと思います。
  31. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 先ほどもちょっと言いましたけれども、父親の役割、母親の役割というものを僕はもう一度親として見直すべきじゃないかなと思うんですね。  学校というのは、役者にとって舞台のようなものだと僕は思うんですね。家を出れば戦場が待っている。子供子供世界において学校は戦場じゃないかな。それで、学校から帰ってくれば、ほっとできるような家庭が待っていれば、自然にそこで依存関係ができて、自然に自立が目覚めてくるということを僕は確信を持っているんですけれども、子供というのはどこに行っても舞台に立っているような緊張感で暮らしているとしたら、その自立ができないんじゃないかなというふうに思っています。  僕自身も、母親が六年のときに死んで、愛情をどこに求めていいかわからないときに、楽で楽しくてというところに目を向けたときに、それが非行世界でした。それで、その僕が依存をしていく中で、やはり人間の温かみを感じたのも非行世界でした。それが、今非行に走っている子供たちが一番感じられるのが僕と同じ気持ちだと思うんですね。ただ、普通の中で暮らしていかないと本当の自立はできないもので、二十、三十歳になってもそれを続けてしまうというのも事実だと思うんですね。  だから、僕は、母親の温かみ、うちに帰ってくればほっとできるような母性の温かみ、また父親父親で外に出たときに起きてくる道徳観、倫理観を教えることができたら、この夫婦間の共同作業ができる家庭ならば、子供というのは愛情に包まれて自然に自立できるのじゃないかな、こう思います。
  32. 太田昭宏

    ○太田(昭)委員 私は、教育ということについては間合いといいますかある距離というものが必要だろうというふうに思ってきたんですが、例えば親と子というのは近過ぎるということで、ある意味では学校の先生という距離のある人の方が教育はできる。あるいは、昔は学校家庭との間といいますか、別に地域というものがあって、そこに高学年からみんな一緒になって遊んだりするということがあったりした。しかし、今地域で一緒に遊ぶというような場が完全に崩壊をしている。それもまた別の意味では間合いというか、そういうことではないかというふうに思います。  私は先ほどの話を聞いていてちょっと気になったんですが、伊藤参考人が毎日毎日この二十年間さまざまなボランティアというよりも相談事をいっぱい受けてきて、毎日駆けずり回って体もがたがたになって、仕事よりもそっちの方に、どっちを選択するかというようなことで、いわゆるボランティアというものがなかなか成り立たないというところのぎりぎりまで来られて、そして今研究所というものを設立されたということなんですが、私は研究所を設立されたからすばらしいのじゃないかと思ったけれども、決してすばらしいわけじゃなくて、本当なら、ボランティアという立場でも、そうした、ある意味では学校でもないあるいは家庭でもない、もう一つ大事な教育の場というものが存在する方が大事だなというふうに思ったわけなんです。  そういう意味で、特に、そこで時間の問題とお金の問題ということがあるのではないか。そうしたところに、きょうは青少年問題の特別委員会で河村理事を初めとしているわけなんですが、これは何らかの応援をするというような資金面の対策もしなくてはいけないのかなという感じがすごくしたわけなんですが、現場の実感といいますか、伊藤さんがこのボランティアをやってきた中で、その辺のことについてお話をいただければと思います。
  33. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 僕の活動については、皆さんも、テレビを見たり本を読んだりして、本当に大変だねとかよくやるねとか言われるのですけれども、残念ながらお金の寄附は一銭もありません。  そういう中で、お金が欲しいからこういうことをやっているんじゃないですけれども、どうしても子供の更生については、子供の中で、一緒に遊びに行ったり、一緒にはぐくんでいかない限り、子供の心の中には入れないのですね。その中で、あるとき焼き肉を食べに行ったときに、ちょうど財布をのぞいたらお金が足りなかったのですね。その焼き肉のおばちゃんが僕を知っているもので、きょうはいいよ、お金要らないよと言われたときに、僕は涙が出ました。  こういう活動をしていく中で、皆さんから見れば好きでやっているんだろうとか、お金のことを言うのだったらやらなきゃいいじゃないかと言う人もいるかもしれません。だから僕はふだん言わないのですけれども、お金の面でいえば、僕は、本当に、サラリーマンで一定の収入があったときは体を使っていればよかったのですけれども、独立して今思ったことは、サラリーマンをやめなきゃよかったなと思っています。収入源が全然ないのですね。  でも、一たん決めた道は、僕も男ですから、僕がやってきた罪滅ぼしの一環としてやっているのだということで、お金は、偉い人から補助をしてくれれば一番いいのですけれども、それが無理だとしても、何とか僕が実費で、本当に子供と接触してやりたいなと思っているのですけれども、何せ一歩動くとお金が出る時代ということで、お金があれば子供たちとももっともっと接することもできるし、また悩んでいる親御さんたちにも小単位の勉強会も無料でできるしということで、僕はお金の心配がなければもっともっと自由に、僕ら現場にいる人もそうだと思うのですけれども、自由に子供とはぐくむことができるのじゃないかなといつも思っています。  だからといって、お金のことは言いたくはありませんけれども。そういうことです。
  34. 太田昭宏

    ○太田(昭)委員 終わります。
  35. 石田勝之

    石田委員長 次に、松浪健四郎君。
  36. 松浪健四郎

    ○松浪委員 自由党の松浪健四郎でございます。  参考人皆さんにおかれましては、お忙しい中、こうして国会で貴重な御意見をいただきましたことに対し心から感謝を申し上げます。  今までの質問をお聞きしておりまして感じたことは、本当に我々をも含めて本音でこれらの問題について対応しているかという疑念であります。そして、私たちの社会には、自由であるとはいえ、余りにもタブーが多過ぎる。  伊藤参考人のお話をお聞きしていて、家庭教育が大切である、幼児教育が大切である、親の愛が大切であるとしたならば、今、母親母親としての仕事を、つまり子供に対して愛情を注ぐという主たる仕事を本当にしているだろうか。余りにもお母さんが外に出過ぎて、そして外で働くことが社会の賛意を受けている。これらが大きな弊害になっているという印象を私は受けました。  そして、女性の社会進出をやめるべきだと私が発言したとしたならば、これは袋だたきに遭ってしまいます。いわゆるマスコミから大変な暴力を受けるわけでありまして、自由に物が言えない。  例えばかぎっ子という言葉がメディアをにぎわして、それから非行が起こってきた。積み木崩し、家庭暴力というキーワードがあって、大変な今日を招来した、私はこう思っておりますけれども、お母さんが外に出て働く、そして、幼児教育がうまくいかない、そのことに対して伊藤参考人はどのようにお感じであるか、お聞きしたいと思います。
  37. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 僕は、母親が外で働くことは反対ではありません。  ただ、働くとしたら、外を第一優先にするか、うちを第一優先にするかの価値観だと思うのですね。僕は、夫婦で子供ができたら子供中心に生きる家庭、育てる家庭というものが第一義だと思っています。  そういう点からいうと、生活ができないのだったら共働きしなければいけないと思うし、うちもやはり生活が厳しかったもので、共働きをやっていました。ただ、年齢によって働くところもあると思うのですね。うちの家内はヤクルトを配っていました。それは、朝早く四時ごろ起きて、六時には帰ってこられる仕事だったからできたのですね。  ただ、小さい子を抱えていると、昼間勤めに行くと、どうしても保育園で生活するようになってきますね。そういうところからやはり管理という教育が始まってしまうのじゃないかな。外のそういう施設とか学校とかというのは、管理がどうしても必要になってきますね。  そういう意味からいえば、僕は、年齢に応じて、苦しくても、親子話し合って、お母さんがこれだけ大変なんだからここだけは我慢して、そのかわりお母さんにできる範囲はこういうふうにしていく、そういう対話があれば、共働きでもその愛情を一身に受けられるのじゃないかな。  しかし、今の現状として、朝八時に出ていって、子供一緒に保育園に送っていって、お母さんが外から帰ってきますね、それが夕方五時か六時。夕飯の支度をして、それで一言、二言話して、一番子供がくつろげる食事のときに怒られたり注意されたり。もう一つのくつろぎの時間、おふろに入ったりする時間も一人で入らなければいけない、要するにお父さんと入る時間、お母さんと入る時間を一人で入らなければいけない。ほとんど父親はうちにいない。  そういうものを見た場合、やはり親子の交流が、一日何時間かな、三十分から一時間ぐらいで終わってしまっているんじゃないかな。あとはよその先生とか保育者に任せて、親のやることができないというのが現状じゃないかな、そういうものが今の時代じゃないかな、こう思っています。  済みません。長くなりました。
  38. 松浪健四郎

    ○松浪委員 次に、山口参考人にお尋ねをいたします。  子供というのは、発育、発達、これに応じて心というものがいかにつくられていくか。その意味においては、私は、スポーツは非常に効果のあるものだ、こういうふうに思っております。  そして、昨今子供運動神経が鈍い、これは生まれつき鈍いのじゃなくて運動しないんだ、そして、それが一つのコンプレックスになったりして、裏返しで非行に走るというようなこともあるように聞いておりますけれども、やはりスポーツというのは小さいときからやらせた方がよろしいのでしょうか。
  39. 山口良治

    山口参考人 今おっしゃられたとおり、今の子供たちの体力は確実に低下しております。  これは、御存じのように、ファミコンで遊ぶ子供が非常に多くて、外で遊び場がない、そういうことも非常に大きいかと思います。しかし、中学生高校生ぐらいになりますと、非常に強いものにあこがれたり、また格好いいものにあこがれたり、そして厳しいものをやはり本質的に求めているんですね。  伏見のラグビー部は、今新入生を迎えようとしておりますが、八十名を超えようとしております。今、部員が十五名いないというチームが非常に多くなってまいりました。子供が少ないということもありますけれども、少なくなったということも、これは言いわけじゃないかと思いますが。しかしながら、決して楽で楽しいようなクラブではないんです。厳しいぞ、つらいぞということを言いながらも、たくさんの子供が入ってきて、退部していく子はほとんどいません。決して優秀な子ばかり集めているわけじゃなく、全然走れない子もいます。  今先生おっしゃられるように、やはり子供も本当に鍛えられ方によってどんどんたくましくなっていくんですね。体力は三越や高島屋では売っていませんから。筋力もそうですが。それなりに子供たちに、つらい思いを耐えることによって鍛えるということは決して楽なことではありませんが、そういう場をきちっと与えてやることによって子供というのはどんどんたくましく成長していく、体力もついていく、これははっきりしております。  先ほどからも家庭のことが話題に出ていますが、子供、両親そろって豊かな家庭が大体普通になっておりますけれども、親のいない子供だっているんです。では、本当に親のいない子はみんな非行少年になってくるかというと、そんなことはありません。いない方がうんとましになって、よく大変失礼なことを言うんですけれども、この子供の将来のためにあんたらみたいな親はいない方がいいから、区役所に行って、もう親をやめなさいとよく親にも言いますけれども、やはりその辺の自覚というか、それが非常に乏しい。親のそういう自信のなさ、そういう親が非常に多いように思います。  しかしながら、いろいろな組織を通してでも本当に子供にもっと屋外でスポーツをさせる、そういう場を保障してやらなきゃいかぬのじゃないか。やはり体力イコール精神力にもなってきますし、何にもなしで勉強ばかり、活字や記憶力、暗記力だけで心が養われることは考えられません。自分が痛いことをして初めて人の痛みがわかってやれるし、悲しい思いやつらい思いをして初めてその人の痛みがわかる、そういうものが必要なんだというふうに考えておりますので、たかがスポーツ、しかしながら、子供たちを今精神的にも肉体的にもたくましくしていくのにはやはりスポーツが本当に大事だと思いますので、そういう施策をぜひとも講じてもらいたい、そう思っております。
  40. 松浪健四郎

    ○松浪委員 最後にもう一つ山口参考人にお尋ねしたいんですけれども、指導者、つまり教員の資質、子供たちにささげる愛、これらが大きく左右すると思うんです。教員の採用の仕方に問題があるんじゃないのか、そういうふうに思うんですが、どういう採用の仕方がいいというふうに山口参考人個人はお考えでいらっしゃるか、聞かせていただきたいと思います。
  41. 山口良治

    山口参考人 私見ということでお許しいただきたいと思いますが、昭和五十六年、一九八一年に伏見工業高校が百十二対ゼロで負けた、あのぼろぼろのチームが京都で五十二年ぶりに日本一になりました。本当に熱血指導だとかいろいろなことを言われながら、このように一生懸命体を張ってやってくれる教師を採用しようということで、当時の京都市の教育長が、クラブとかスポーツをやった、そういうのを教員に採用する、それを一つのあれにしたら、みんなやったようにして一生懸命書くんですね。実際には汗もかかないクラブの人もいるでしょうし、実態というかそういうものがしっかりとつかめなかったように思うんですが。  私は、もっと教員はボランティアの経験も含めてどれだけ人のためにやったかという体験をこれまでにしているかを、まず生徒の痛みや親の子供に対する気持ちを推しはかれない、受けとめられないような、そういう資質は教師にとって一番困ると思うんですね。  そういう意味では、基本法だとか常識問題とかいろいろなことがもちろんペーパーテストである程度は必要だと思いますけれども、もっと自分をPRする論文とか、こういう場で意見を、私は教師になったら将来の日本子供たちをこういう大人にしたいとか、こんな子供にしたいんだという熱意がはかれるような場が必要なんじゃないかというふうに思います。
  42. 松浪健四郎

    ○松浪委員 ありがとうございました。  時間が参りましたので、終わります。
  43. 石田勝之

    石田委員長 次に、石井郁子君。
  44. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。  きょうは、今日の子供たちがさまざまな問題を抱えているということにつきまして、参考人皆さんのそれぞれの立場から取り組んでいらっしゃることをお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。  非行とか問題行動としてあらわれる子供たちの問題と、それから二十一世紀を担う日本子供が抱える全般的な問題とがあると思うんですね。それはどこに境界があるのかという問題や、それから、共通している問題もあるのではないかというあたりも私は考えているところなんですが、それは神戸少年事件をきっかけとしてというか、このところ衝撃的な少年事件が起こるということがありましたが、その一方で、多くの子供たちが、その気持ちがわかる、そういう声を上げたというのも私たちは大変驚かされたわけですね。ですから、日本子供たちが全体として抱える内面というか、子供たちの心に起こっていることは何なのかということについて私たちはやはりもっと見ていかないといけないんじゃないかというふうに私は考えております。  その一つに、先ほど来のお話、どこかであったと思うんですが、やはり人間として認めてもらえていないという寂しさとか不満だとか、そういうものがどうもたまってきているように感じられるわけであります。それはこれからいろいろこの特別委員会議論されていくことだというふうに思うんですが。  短い時間ですので、私は伊藤参考人にひとつお聞かせいただきたいのでございますけれども、特に問題を抱えた子供とかかわっていらっしゃって、やはり生きていく上で子供たちが必要としている力というのは何なのか、その子たちは何を求めているのかというあたりが気になるんですね。つまり、知識をもっと得たいと思っているのか、いろいろな生きていく技術なんかが必要なのか、それとも人と交わっていくような力というものが必要なのか。先ほどから子供幼児期が大切だとかいろいろ言われましたが、もともと子供というのは未熟なんだ、発達する過程なんだ、だからいつでも発達していかなきゃいけないわけですよ、その過程でやはり教育の力、大人の働きかけが要るんだと思うんですね。  問題を抱えた子供たちとかかわっていて、もっとこういう力が要るんじゃないかというあたりで感じておられることがありましたらお聞かせいただきたいと思っています。
  45. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 僕が青少年とかかわり合って、僕もそうでしたけれども、人から認められて褒められる、褒めて認められることが一番うれしいんですね。親からはよく褒められると思うんですけれども、認められるということが今欠けているんじゃないか。さっきの山口先生のお話を聞いていて僕も感じたのは、学校においても生徒を褒めて認めてやる先生が何人いるかなということを僕は思いました。  僕は一連のさまざまな青少年を扱ってきた中で、最初は僕は子供たちの話を聞いてやります。話を聞くというのは、子供問題行動子供非行とかそういうものの原因というのは家庭なんですけれども、家庭において何が不可欠なのかというものをよく聞かれるんですけれども、僕は、過保護とか干渉という言葉がありますね、過保護に育てないと絶対に子供というのは曲がってしまうと思っています。問題行動に走ってしまう子は、少年院の所長も言っていましたけれども、過保護に育てられていない、頭から押さえつけられて親の要求をまず先行した形で育てられている、そういうものが多いと。過保護というのは保護をし過ぎることだと思うんですね。ここの時間でそういうことは説明できないと思うんですけれども、まず子供の要求をのんでやる教育をすることだと僕は思っています。  親も、また教師も、携わる周りの大人も、子供たちをそういう目で見ていくと、割かし子供というのは真っすぐ受け取ってくれる面があります。難しい難しいと言っていますけれども、難しくないんですよね、僕から言わせると。本当に子供というのは素直で、いつになっても子供です。子供というのはそういう柔軟性を持っていると思うんですね。  ただ、難しいのは大人です。親です。親が変わらなければ子供は変わらない。だから、僕のところに引き取った子供が、僕のところで朝昼晩の御飯を食べて、働きに行って、普通の生活をしてくると、みんな立ち直ってしまいます。けれども、親が変わらない限りその子はうちには帰りません。外では自覚をして生活できるんですけれども、中ではうちに帰れない状況が続いています。  済みません、長くなりました。
  46. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 では、山口参考人に一問お伺いします。  今本当に日本子供たち、問題を抱えている抱えているという話ばかりで、何か子供の問題で暗い話が多いわけです。しかし、スポーツの世界というのは若い世代が物すごく光っているように私は思うんですね。きのうも、十八歳の松坂投手がおじさんの間で頑張っていたという話になったりするわけですけれども、そういう若い世代が輩出しているということもあると思うんですね。  スポーツにはそういう夢があるのかなとか、スポーツの場で自分自身がいろいろ発揮されるのかなとか、いろいろなことがあるのかもしれませんけれども、それはちょっとおいておきまして、そういうスポーツを通して子供とかかわっていらっしゃる。でも、今はやはり教師子供の関係というのは大変難しいという中で、スポーツを通していい関係をつくっていく上で本当に大切なことというのは何なのかということで、簡単で結構ですけれども、重ねてお伺いできればと思います。
  47. 山口良治

    山口参考人 先生がおっしゃるように、僕は、生きる力というのは、知徳体と言われますように、やはり体力、それなりに年齢に合った体力というものが必要ですし、そして何よりも知育、そして耐える力というのは非常に大事だと思うんですね。  何でも満たしてやればそれで育っていくかというと、満つれば欠けるという言葉がありますように、今の子供は、やはり満たされていることの方が多いですよ。そして、わがままをわがままだと言ってやれない部分ですね。あんなにどきどきしながら入学してくる子供が、初めて開く、中学なら初めて英語に出会うとか、伏見工業だったら初めて建築の本に出会うとか、初めての出会いにはあれほどどきどきしていたのが、おもしろくない、つまらないとか。  では、そういう子供にしてしまうのはだれなんだといったら、学校においてはその教科の教師だと僕は思うんですね。だから、もっと夢を語ってやったり、もっとこの勉強をしたらおまえたちの将来はこんなことができるようになるぞとか、もっともっとその辺の工夫というか、教師の資質によって子供は変わっていくだろう。  ラグビーなんて本当にえらいですよ。走ってばかりだし、痛いし、けがはするし、何でそんなきつい、痛い、嫌なことをあんなに多くの子供がやめないで生き生きとやるのかといったら、僕は出会ったときにいつも手を握るんですけれども、この出会いを大事にしてやりたい。そして、これから経験していくことはみんなおまえの自分史をつくっていく、自分をつくっていくんだから、振り返ったときにすばらしい自分が残るよ、教室や教科書にない人生の勉強ができるぞと言って出会うんですけれども。確実にそういう場をきちっと——もう少し頑張れば、我慢すれば、すばらしい自分が待っているぞということを伝えてやれない、このことが非常に大きな教師の資質ではないかなというふうに考えます。
  48. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 ありがとうございました。
  49. 石田勝之

    石田委員長 次に、保坂展人君
  50. 保坂展人

    ○保坂委員 社会民主党の保坂展人です。  まず、伊藤参考人に伺いたいんですけれども、私も、ちょうど一九八〇年代ぐらいに暴走族の若者のインタビューを、雑誌にルポを書くためにずっと聞き続けた。当時、校内暴力と言われた時期ですけれども。そのときに、一見近寄りがたい雰囲気の子供たちなんだけれども、一回話し始めると明け方まで、こんなに話したことなかったよというぐらい話ができたというような体験を持っているんです。  伊藤さんが暴走族現役というか少年時代暴走族として駆け回っていたころ、今御自身がおやりになっているように、例えば大人学校教師、あるいは場合によったら警官かもしれないけれども、周りにいた、接触した大人の中で、心を開いて自分の思っていることをぶつけられたというような体験はございましたか。
  51. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 確かにそういうのはありました。僕は、いつも行きつけの喫茶店のママとマスターがいたんですけれども、親の言うことは聞かないんですけれども、その二人の言うことだけは聞きました。それは、今思えば、自分自身を認めてくれた、その一つの裏返しとしてその二人の言うことだけは聞いた。自分のうちの掃除などしたことないんですけれども、喫茶店に行くと玄関先を掃いているんですね。そういう二面性というか、人から見ればこの子は二面性を持っていると言われるんですけれども、そういう素直な面も少年たちにあるんじゃないかな。  僕自身も、そういう人たちに会うと自分の思っていることを一から十まで全部伝えることもできたし、また、その人たちが好きでした。でも、僕らを認めてくれない人たちが大半でしたので、そういう人も数限られていたのも事実です。
  52. 保坂展人

    ○保坂委員 それでは、次に山口参考人に伺います。  私は、いじめとか、学校あるいは家の外に出られないという形で悩んでいる子供の声をずっと聞いてきた体験があるんですけれども、ラグビーでそれだけ多くの生徒さんたちを指導されていると、かなりの才能と素質と能力というんですか、そういうのに恵まれていて、例えば不慮の骨折とかそういうことでその後選手として活動ができなくなってしまうという境遇に陥る子供さんも出てくると思うんですね。それは自分で予期しなかったアクシデントだと思うんですけれども、そういう場合に、ラグビーという一番やりたかったことはできなくなる、けれども、希望をもう一つ別のところにつくっていくというのは一人一人会ってみると大変難しい、かなり悩むケースが多いなというふうに思ってきたんですが、そのあたりはいかがでしょうか。
  53. 山口良治

    山口参考人 高等学校のクラブ、中学校もそうなんですが、最初に申しましたように、日本一になることだけが目的ではございません。ですから、私の場合は公立学校でしたし、とにかく一人でも多くの子供を、おまえはちびだからだめだとか、おまえのところは金がないからだめだとかというんではなくて、その出会いを広く求めていきました、入りたいという子供はみんな求めて。そのときに、だれかれなしに入ってくる子は握手をして、ラグビーえらいぞ、痛いぞ、つらいぞ、そういうことをはっきり言うんです。しかし、これに三年間耐えたら、これは教科書にない人生の勉強ができるということを言っているんです。  僕は、自慢じゃないんですが、二十四年間監督をしてまいりまして、一人として親子を悲しませるけが人を出したことがない、これが一番の私の自負しているところなんです。  不幸なことなんですが、けがというのは、これは不可抗力もありますけれども、指導者の本当に細心の配慮というか、そういうものが非常に大きな要因を占めていると私は思うんですね。ラグビーなんかまさに非常に危険度の高いスポーツ競技なので、骨折だとか捻挫だとか、そういうけがはあります。  しかしながら、どの子にも目標設定をしてやる、確実に達成できる目標を。例えば、全然力のない、バーベルでいうなら三十キロも挙げられない子供もいるわけですよ。それが、努力しているうちに五十キロも七十キロも、本当に三年間で百キロも挙げるような子になっていくということは、これは紛れもない自分の努力によって得た力ですから、この自信は非常に大きいだろうと思うんですね。  ただ、本当にたくさん部員がいますと、十五人の選手を選ぶのも随分悩むときもあるんです。このことは、親から物、金をもらって選ぶわけじゃありませんし、フォー・ザ・チームというか、仲間のために、チームのために、だから、試合に出られない仲間のことを考えられる優しさというか、その思いやりをいっぱい持ったやつから順番に選ぶのが一番強いチームの条件だと思います。  そういう意味で、どんな子にも、一緒にやって喜びを共有し合えるような、そういう指導が一番大事なんじゃないかな、そのことこそがやる気につながっていくことだ、そういうふうに思います。おまえはあかん、ミスしてあかんじゃないんです。そういうことを心がけてやってきました。
  54. 保坂展人

    ○保坂委員 それでは、最後小田参考人お願いします。  先ほど、議論の中にも少し出ていたんですが、例えば少年法の適用年齢を下げていく、責任能力を、年齢を引き下げるという議論が起きてくるんだとすると、例えば選挙権の問題、十八歳であるとかあるいはそれ以下ということも含めた議論が起きてきて当然と思いますが、その点に関してどうお考えかということが一点。  それと、今の学校の荒れの原因を分析されたと思うんですが、例えば子どもの権利条約の批准、あるいは体罰が全面禁止に傾いて、ある範囲で認めるということもなくなっているというようなこと、あるいは、弁護士や弁護士会が学校のあり方について発言をしたりあるいは勧告等の動きをするというようなことが、結果として今の学校の荒れを生んでいるというふうにおっしゃったというふうに受けとめたんですが、だとすると、例えば子どもの権利条約の批准などをせず、体罰もある範囲で認めて、あるいは弁護士もほとんど学校に関与していないような地域というのは日本にたくさんありまして、その中でもいじめ自殺恐喝暴力事件等がかなりあるんですね。そのあたりはどういうふうに整理されて考えておられるのか、二点ほど伺います。
  55. 小田晋

    小田参考人 まず第一点でございますが、少年法の問題と選挙権の問題が直接相関があるとは思いませんが、私は、投票年齢を十八歳に持っていくということについては反対じゃありません。現在の少年たち成人以上にむしろ情報人間でございますから、判断能力もかなり出てきていると思います。そのことには反対じゃありません。  第二の問題でございますが、私は、今保坂議員が列挙されたようなことが現在の少年非行原因になっているとか問題行動原因になっているとは申し上げていない。つまり、そういうような許容主義的な処置がとられたにもかかわらず、少年非行はむしろ上昇に転じている。要するに、許容的な処置を拡大することによって少年非行を減らすことはできないのだということを申し上げているのです。  それから、特に権利条約の問題についていいますと、権利条約はよく読んでみますと決して悪いものではないのでありまして、特に親の子供に対する教育に対する責任とかそういうことを指摘している点は非常に重要なのでありますけれども、これが誤解され、拡大解釈されて、例えば体罰の問題についていえば、私も体罰は肯定しません。私は少年時代、体罰の被害者でしたし、いじめの被害者でしたから、こんなものは肯定しません。  しかし、例えば最近学校では、子供が、おい、先公、おれを殴りたそうな顔をしているな、殴ってみろよ、新聞社に言いつけておまえは首だというようなことを言って、先生は立ちすくんでしまっている間にひざをけり上げられる。子供教師暴力を振るい始めたら先生は手をポケットに突っ込め、そうしないと、後で情報公開の問題がありましておまえが悪いことにされるからと校長は指導している。それで学校教師が萎縮しているという現象が現実にあります。  少年暴力に対して教師は手も足も出ないという状況をつくるほどの現在の指導は、町村前文部大臣はそういうような指導は今後文部省はしないと申しましたが、実際にはそうではないというところがやはり問題だと思います。別にこれが少年非行を引き起こしているということではなくて、そういうことが起きているというのが実際に問題だということを御指摘しただけでございます。
  56. 保坂展人

    ○保坂委員 終わります。
  57. 石田勝之

    石田委員長 以上であらかじめ申し出のありました委員質疑は終了いたしました。  これより自由質疑に移ります。  この際、各委員に申し上げます。  質疑のある委員は、挙手の上、委員長の許可を得て発言するようお願いいたします。また、発言の際は、着席のまま、所属会派及び氏名を述べた上、お答え願う参考人のお名前を告げていただきたいと存じます。  なお、理事会の協議によりまして、一回の発言時間は三分以内となっておりますので、委員各位の御協力をお願いいたします。  それでは、質疑のある方は挙手を願います。
  58. 佐藤静雄

    佐藤(静)委員 自民党の佐藤静雄です。  小田参考人にお聞きしたいと思います。  先ほど参考人のお話で、子供たちを法と宗教の存在に直面させるべきだ、そういうお話があったわけであります。  この宗教という問題ですね。憲法上、特定の宗教を禁じられているわけだけれども、宗教観を教えることは別に私は禁じられるとは思っていませんけれども、どうもその辺が一番大事なポイントのような気がいたしているわけですね。道徳、倫理観から生き方を教えても、押しつけられているような気がしてなかなか中に入ってこない。大事なことは、やはりそういう宗教、キリスト教なり仏教なり儒教なり、そういうものが持っているものに触れさせるということが非常に大事な気がするんです。  憲法の制約の中において我々もどういう工夫が必要かということを考えているんですけれども、参考になることがありましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。
  59. 小田晋

    小田参考人 アルベルト・シュバイツァーが、高等宗教の条件というのは、畏敬すべきものの存在と、もう一つは倫理だと言いました。そういう意味での倫理というのは必要で、大抵の高等宗教は、仏教は殺生戒、飲酒戒、邪淫戒、偸盗戒、妄語戒がありますし、従来キリスト教も殺すなかれ、姦淫するなかれ、盗むなかれと同じようなことを言います。そういうことがあったものだから、そういう人間行動に対する抑制というのは、高等宗教の存在が最も大きな抑制だったんです。  神という制御回路という言葉を私たちは使いますが、人間以外の哺乳動物はすべて親を扶養しませんから、だから文化によってしかこれは伝わらないんですね。だから、仏教も父母重恩経がありますし、キリスト教もなんじの父を敬えと言いますし、儒教は孝は百行のもとと言います。そういうところを世俗的に還元してしまったのが教育勅語なんですが、これは国会が廃止決議をなさいました。だから、そのもとに戻らなければいけません。  これは茨城県ですが、ある校長先生が夏休みの課題として、どんな宗教でもいいから、お寺へ参詣してお墓の掃除をしてもいいし、神社の境内の掃除をしてもいい、キリスト教のボランティア活動をしてもいい、何でもいいから一つ夏休みの間に宗教的な行動をして、それを日記に書いてこいという課題を出したんです。このときに、多分無神論者の家庭をどうするかということをおっしゃらなかったのが問題になったのかと思いますが、大新聞がこれを取り上げました。教育委員会、それから教員組合もこれを取り上げました。ということで、校長はこの課題を撤回せざるを得なくなりました。特定の宗派に偏った宿題ではありません。  こういうように、教育委員会が校長を指導するというようなことは今後はしないということを文部省なり教育委員会なりがはっきりと表明されることがまず第一に大事だと思います。
  60. 小野晋也

    ○小野委員 自由民主党の小野でございます。  三参考人に簡単にちょっとお答えをいただきたいと思うのですが、私は、現代青少年の荒れの基本には不安感があるという見方をさせていただいております。  それはどういう不安感かと申しますと、根が十分に張れていないにもかかわらず、表面的なところに立派な実を次から次へとつけろというふうに言われるということに対して、それにこたえ切れる自分の生命力が育っていないことへの不安感なのではなかろうかというような気持ちがいたします。世間は、そういう状況に対して化学肥料を与えたり、また殺虫剤を与えたり、温度管理をしたり、いろいろな環境さえ与えれば実ができるじゃないかと言うのだけれども、本人自身が一番その弱さを知っているがゆえに、それに耐え切れなくなっていろいろな荒れの現象が生まれてくる。  こういうふうに考えてまいりました場合に、私は、青少年の問題というのは、極めて基本的な部分を押さえながら対処していかないと、表面的なハウツーのものを幾ら積み上げても解決できないのではなかろうか。三参考人ともそういう趣旨のお話をちょうだいしまして、私は非常に感銘を受けた次第でございます。  そこで、冒頭の質問の中に、田中理事の方から、人はなぜ生きるのかという基本問題に対しての御質問がありまして、三参考人からお答えがあったわけでありますが、ちょっと私は十分理解でき得ない状況でございまして、改めての問いをやらせていただきたいと思った次第でございます。  子供たち青少年の側から、私たちの人生は無意味だ、人生なんて生きている値打ちがないんだ、こういうふうに訴える子供は結構おられると思うのですね。そういう問いに接されたときに、それぞれ皆さん方は一体どういう対応をされればいいとお考えなのか、こういう質問に切りかえさせてもらって、この問いを深めさせていただければ幸いだと思います。
  61. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 すべて理解できるかどうかわかりませんけれども、僕は理屈じゃなくて、僕は頭がもともとないもので、理屈というのはできないもので、体でいつも少年たちと表現をするのですけれども、まず、普通の生活をするということから僕は始めます。  少年たちが精神的におかしくなるのは、普通の生活ができなくなるときから始まってくると思うのです。それが、中学生の夏休みとか、また冬休みを経て夏休みとか、そういう解放感に浸った後、どうしても普通の生活に乗り切れなくなって、夜遊びが始まって非行に走るというような感じが目立ちます。  そういう面から見ると、僕は、ごく普通の理論ですけれども、普通の生活、三食の食事をとって、個人の責任感をまず原点に返して、そして人の悲しみ、苦しみをまずわかってやることを、親もそうですけれども、周りで教えていくというものが原点じゃないかなと思います。
  62. 小田晋

    小田参考人 そういう質問がありますと、私はしめたと思います。要するに、それから人生について話し合うきっかけになるからです。結論は何でもいいのです。私はニヒリストの存在も認めていますから、それは構わないのです。  ただ、子供が今小野先生がおっしゃったようなことになっている一つの理由は、やはり自分の存在が認められない、特に学校で認められないということでしょう。これをやるためには、非常に重要なのは、科目ごとの能力の到達度別学級の編成ということが大きな年では必要です。クラス全体じゃないです。科目ごとでやりましたら、自分は体育ではAだとか、音楽ではAのクラスだということがありますからね。そういうふうにして科目ごとの到達度別学級をやることが必要で、これは差別ではありません。  それから、現在の職業高校の徹底的な子供たち意見を考えた再編成、これをやらなきゃいけません。今のところ、職業高校に行った子供たちが、もちろん伏見高校に行ってラグビーをやろうというような場合は別ですが、どうもモラールを喪失している、ここを何とかしなきゃいけないということを考えています、具体的ですけれども。
  63. 山口良治

    山口参考人 私自身、そういう悩みを持った子供とたくさん出会いたいなと今思います。そして、そういう子は恐らく本当に小さな自分の中でしか自分を見ていないだろう。そういう子には、そうかなと。健常であることすら何とも感じていない人間が非常に多いと思うのですね。走りたくても走れない人だっているよ、障害を持った方もたくさんいて、そういう人を例にとりながらも、また家庭、境遇も全然違う、みんな顔が違うようにみんなそれぞれ違って、必死に生きている。  我々、今子供たちの将来に何を求めたいかというと、グローバルスタンダード、やはり日本だけを考えるんじゃなくて国際的なそういう感覚をも持ち合わせた大人になってほしいということを考えるときに、貧困な国もあれば、今やまだ戦争でとうとい命を失うようなそういう国だってあるんだと、もっとそういう自分の視野を広げてやることによって、その子供はもっと自分の存在というか、そういうものを自分で感じ取っていくんじゃないかな。  ですから、やはり自分自身のいろいろな体験、悩みも葛藤もありましたから、そういうことを子供たちに伝えながら、そして今自分があるというのは、御両親だとか先祖も含めて、その存在を意識づけてやらなきゃいかぬなという気がいたします。
  64. 肥田美代子

    ○肥田委員 民主党の肥田美代子でございます。よろしくお願いします。  きょうは、厳しさとか優しさ、それから認める、責任と自由、許容主義、幼児性としつけ、夢、感動とか、たくさんのキーワードをちょうだいいたしました。  この社会の中で、いろいろな形のパートナーシップがあると思うのですね。例えば大人子供、それから男性と女性、若い人と高齢者、そういういろいろな形のものがあるのですが、大人子供に限らせていただきまして、現在の大人子供のパートナーシップの中で、三人の先生方に質問させていただきたいのですが、今の大人たち、そして大人の今のあり方が子供の目から見て百点満点で何点ぐらいあるだろうか。そしてもう一つは、現在の子供たち、それから子供のあり方が大人の目から見て何点ぐらいだと思われるか。それを簡単な理由もつけてお答えいただければと思います。
  65. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 難しくてわからないのですけれども。一般にはこうだと言えませんけれども。その子によってまた違いますしね。  僕はどっちかというと問題行動を発している子供と数多くつき合っていますので、そういう子から見て、親といっても母親父親がいると思うのですね。父親の存在はゼロです、はっきり言って。ですから、点数がどうしてもつけにくいというのは事実です。中には、お父さんの仕事は満点、二百点とか三百点とかつけたい、でも父親としては零点というのが多いです。父親はどうでもいいというような青少年が多いですね。  母親に関しては口うるさい、口うるさいのを除けば百点だと。だから、ある中学校のアンケートで、僕が見たときに、一番信頼できるのが母親で、一番憎たらしいのが母親というアンケートがあったのですね。これが本音じゃないかなと思います。  二点目の質問においては、親から子供を見た場合、大人から子供を見た場合、今どきの子供はどうしようもないとか、子供を非難する声が多いと思うんですね。そういう大人から見ると、子供の点数というのは低いと思うんですね。五十点以下だと思うんです。でも、そういう子供にしてしまったのは我々大人の責任じゃないかなと思います。  以上です。
  66. 小田晋

    小田参考人 統計的に見ますと、確かに、日本子供が両親を尊敬し、両親を肯定的に見ている度合いがほかの先進国に比べて低いんですけれども、しかし、それでも父親が一番尊敬できるとか、母親を一番愛しているという答えが実は多いんです。父親母親のネガティブな面ばかりが確かにメディアで伝えられ過ぎているので、子供が逆にその影響を受けるということがあるのかもわかりません。ただ、現実に、我々が精神鑑定をやらなきゃならないというようなケースになりますと、やはり重大な事件ほど自分の両親を罵倒しない被告人、被疑者はいません。これはやはり違うんだなと思います。  そういう意味においては、例えば不登校子供たちのキャンプに参加してみます。不登校子供一人、学校に今行っている子供四人のグループで、筑波大学でそういうプロジェクトをいたしました。学校に今行っている子供たちと行っていない子供一緒にキャンプをやるだけで、学校に行くようになったりします。そういう場合、そばから観察していたら、不登校子供はすばらしい、あの方が管理教育に巻き込まれていないなんということを言う小児精神医学者は多いんでありますが、実はそうではなくて、やはり見ていても違うんですね。それが、キャンプの終わりごろ、かなり変わってきます。  やはり、行ってきますと言って学校へ行き、ただいまと帰ってくる子供、そういうお子さんが大部分だと思いますので、そういう部分では自分のうちの子供はかなりすばらしいんだというふうにどこのお母さんもお父さんも肯定的に評価してあげて、肯定的な言葉をかけてあげることは大事だと思います。ただ、不登校子供を全部否定するというわけではありませんよ。行ってきますと出かけていって、ただいまと帰ってくる子供というのはすばらしいんだ、そういうふうにお考えになってくださるべきだと思います。
  67. 山口良治

    山口参考人 私は、端的に申しまして、子供から見た大人というのは、非常に大人はずるい、そういう評価は非常に高いと思うので、子供から大人に対する評価は及第点は与えられないんじゃないかな。しかし、我々から子供を見たときに、子供のすばらしい可能性なり、本当に素直な成長をしていく、そういう期待を込めて及第点をつけたい、そのように考えております。
  68. 岩永峯一

    ○岩永委員 具体的に対応していかなきゃ、社会が悪い、親が悪い、そして教育が悪いということで、小田先生の中にあるように、我々国会議員としてどういうような立法措置がとれるのか、大変難しいですよね。  今の子供を産む親の年齢層というのは大変甘やかされて育ってきている。そして、それがたまたまか意図的かわからぬけれども親になった。しかし、では子供を育てるという意識、理念、哲学というものがその親に備わっているのかどうかということをきちっととらまえていかなきゃだめだと私は思うんですね。  そうなってくると、母子手帳をもらったときに、母親として、父親として、生まれてくる子供に対するどういう教育をしていくか、しつけをしていくか、人間としての哲学を持たすかというところがまずは第一に手早くできる対応だろう、私はそのように思っているんですよね。  それで、文部省だとか厚生省に言ったんですが、やっとハンドブックを出すようにはしてくれましたよ。しかし、そんなことで親が意識を持つどうのこうのというようなことはなかなかできないということですので、母子手帳をもらって、身近に、わくわくしながら子供を育てる、そういうことのために国として、行政として何をすべきかということが第一点。  それから二つ目には、小田先生なり皆さん方の御発言の中で、教育現場の中で、我々もいいと思っているんですよ、本当にぶち当たっていったらいいし、そしてあるときには手を出さざるを得ないときもある。しかし、そういうものが学校の内部でやはりだめだどうだというような部分があろうと思うんですね。また、家庭現場へ先生が出向いていく。しかし、労働者としての教師の部分がある。いろいろな形の中で内部で抑圧されている、制約されている部分というのがあって、先生自身がもっと大っぴらに自分自身を生かせる教育現場環境をつくるべきだ。それが、組合か何かが、いや、それはだめだ、あれはだめだというような部分で抑えている部分がある、このように思っているんですが、この二点についてお考えがございましたらお願いしたいと思うんです。
  69. 小田晋

    小田参考人 まず最初の問題ですが、ガイドラインをおつくりになって、その内容を拝見しましたが、大変よくできていると思います。問題は、これをどういうふうに徹底させるか、生かしていくかということです。  確かに、ああいうものをおつくりになりますと、実際はかなり有効なんです。例えば保健所の現場に、厚生省と文部省はちょっと管轄が違うんですが、厚生省の管轄で、例えば母子教育の中であれが生かされておれば随分違います。あるいは、いろいろな形でメディアに浸透させるべきです。もう一つ教育です。特に母親教育するのは、本当に小学校のころからしなきゃなりませんし、あるいは教員養成課程でも非常に重要な役割を果たします。ああいう考え方が教員養成課程の中でも、あるいはそれより下の課程でも浸透していけば、日本は確実にいい方に変わります。  そのためにどうしたらいいのかというのは、国会議員と行政は努力なさるべきですが、今全くあれとは反対の考え方が教科書の中でも、あるいは学校現場でも教えられているということが問題なので、それに対してこちらの方がいいんだ、こちらを教えるんだというふうに、教科書の内容に関しても、それから教員の採用に関しても、あんなふうに努力していただければいいと思います。  後者の問題については、これは非常に重要です。やはり学校の先生のモラールを喪失させるほどの、人権は非常に大事ですが、子供の病的な衝動や欲望に基づいてそれを解放してしまうことが人権であると考えられないので、ある程度学校の先生は子供に対して権威を持たなきゃならないし、学校の先生が子供に対して権威を持って臨むためには、学校組織そのものがちゃんと機構として動いていなきゃいけない。それを妨害することは許されないと思います。  ただ、今おっしゃった点では、確かにそうなんです。例えば埼玉県だったら埼玉県中心にプロ教師の会というのがあります。それから、もちろん広島県でもどこでもそういう先生方が、今の教育について、今議員が御指摘になったような方向教育を変えていこう、青少年対策本部の御指摘のように教育を変えていこうという人たちがあります。この動きをバックアップする、これに対する妨害を排除するということについて、この間から確かに衆議院や参議院が動いていらっしゃる方向は私は正しいと思うので、こういう努力をお続けになるべきだと思います。
  70. 池坊保子

    ○池坊委員 明改の池坊保子でございます。  私は、お三方の参考人のお話を伺っていて、共通しておりますことは、それぞれの段階においてしつけが絶対に必要であるということ、だけれども、その前提に、黙って抱き締める深い愛情もまた必要であるということなのではないかというふうに受けとめました。  今、社会で生きていく上の最も大切な基本である、例えば自由とは何なのか、責任を伴わない自由はないのだとか、権利の前に義務が必ずあるんだとか、社会的ルールというのは自己抑制と自己主張のバランスである、そういうことが教えられていないのではないかというふうに私は思っております。そして、それを私は大変残念に思っておりますけれども、家庭の中で、教育の中でそれをどういうふうにして植えつけたらいいとお考えかをお三方に伺いたい。  もう一点は、私は、子供たち自分を認めてくれる存在、あるいは自分を受けとめてくれる受け皿を必要としているのだと存じます。  前は、勉強ができなくても、例えば黙って受けとめてくれるおじいちゃん、おばあちゃんがいた、あるいは地域社会があった、あるいはスポーツがあった。勉強だけが価値ではなかった。でも、今、画一的で、勉強ができないといろいろな面から疎外されていく。そこですごく孤独を感じて、自分を受けとめてくれる場がない、共感する場がないということになってくるんだと思います。  私は、これからそういう受けとめる受け皿がたくさんあった方がいい社会なのではないかと思います。それは、一つはスポーツであったり、あるいは本を読むことであったり、それは個人の個性に応じていろいろな受け皿があったらいいんだというふうに考えておりますが、それについてどうお考えかということ。  もう一点は、今、子供たちに欠けておりますのは、自己抑制力とともに、もしという未来を予測する能力がないのだと思います。だれだって一人や二人この人を殺してしまいたいと思うことはあると思います。ただ、殺したならば自分少年院に行かなきゃいけないとか、殺したら傷つくのは自分であり、また相手なんだなとか、いろいろなことを考えるから、この想像力、未来を予測する能力自分抑制力になっていることがあると思うんですね。だから、私は、未来を予測する能力も今の教育現場家庭の中で教えていかなければいけないというふうに思っておりますが、この三点について、ちょっと簡潔にお答えいただけたら幸せでございます。
  71. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 全部答えられるかどうかわかりませんけれども、僕の思いを言わせていただくと、いろいろ山口先生とかのお話もありましたけれども、僕は教育は昔に返った方がいいなと思うんですよ。  僕が問題行動子供を扱っていく中で、親の対応とか先生の対応を指摘することもあるんですけれども、先生が子供に対して遠慮をするような方向性に来ているんじゃないかな。女子高校生のスタイルにしても、ミニスカートでルーズソックス、そういうものが今定番になっていますけれども、一昔前で見てみれば、これは不良だったんですね。非行だったんですよ。これがいつの日か茶髪、ピアスが定番で、これが時代なんだという親とか大人の見方、それが鈍っているんじゃないかなと思うんですね。  僕は、学校教育においても、社会教育においても、守らなければいけないことはいっぱいあると思うんですよ。それは、昔ながらの教育という目でやはり見ていかないといけないと思うんですね。  僕は小学校のときに尊敬する先生がいっぱいいました。先生から殴られたこともいっぱいありました。でも、先生らは僕たちを注意する側で、殴られても仕方がないんだ、これが当然なんだと思って教育を受けてきました。ですから、僕は非行に走ったときも親を殴ったこともありませんし、先生を殴ったこともありません。こういうものをもう一度見直すべきかな、僕はこう思います。  あとは、順序よく子供たちに物を教えていく。例えば幼児だったら幼児にふさわしいことをやらせる。例えば幼児に英語の塾に行かせるということが果たしていいことなのか悪いことなのか、大事なことなのかということ。僕は、子供は遊びの中ではぐくむということを原点に置いていますので、幼稚園、小学生は遊びを主体として学んでいけばいいと思う一人でありますので、順序よく年齢に応じてやらせることを我々大人は考えた方がいいかなと思います。それを順序よくやっていれば絶対間違わないと僕は思うんですね。それを小さいころからスポーツ漬けにしたり、また勉強漬けにしたりすることがちょっとおかしいんじゃないかな、こう思っています。答えにはならないと思うんですけれども、僕はそう思っています。  以上です。
  72. 小田晋

    小田参考人 子供というのは、乳児期には絶対的に愛し、受容し、幼児期にはしつけを始める、少年期には教える。少年期は白紙のようですから、何でも吸収します。少年期には教える。この段階の道徳教育は、徳目教育で差し支えありません。その方が有効です。思春期には考えさせる。それと同時に、法と宗教の存在に直面させるということが非常に必要で、これが逆転しているのが今問題です。  特に、少年非行に対する対策として、少年非行というのは保護主義でやるべきだ。つまり、少年非行に対しては一般予防は適用できない、全部特殊予防でやるべきだ。例えばそんなことをすればお巡りさんが来るよというのは愚劣な話なんですけれども、そんなことをすればこんなことがあるということを子供たちにちゃんと教えるということは、社会科の教科書でも刑法の存在を教えることはできますからね、そういうことは非常に必要だと思うのです。  ところが、ここを抜かしてしまって、少年犯罪である限りは処罰はしないんだというふうな常識が子供たちの間に広まってしまっていることは非常に重要だと思います。もちろん、そういう問題はありますけれども。  予想ということでは、確かに子供のころ、昔でしたら柿の木に登って、柿の木の枝の方へ登ったら枝が折れて自分がおっこちるとか、あるいは隣のおやじがやってきて頭をこつんとやられるとかという経験が子供たちにたくさんありましたが、今それがなくなっていることが問題です。  ただ、そういう地域の中で子供を教えるという教育ということだって、今でも結構そういうことをやっているところがありまして、地域によっては例えば高校生までがジュニアで、高校生以上がシニアで、それで子供たちを育成するグループをつくる。そして、何をやっているかというと、実は昔から持っていた伝統的な行事を一緒にやる。今、NHKの番組で「ふるさとの伝承」というのがありますけれども、あれに出てくる民間伝承のような芸能を一緒にやるということだって、これは実は結構非常にいい道徳教育になりますし、経験交流になります。  それが古いというんだったらば、別に古いのがいいとは私は思いませんが、例えば沖縄で安室奈美恵さんが卒業した学校で教えているのはもちろん現代音楽なんですよね。それが沖縄の子供たちにとっては、例えば学校教育が得意じゃない子供にとってはいい受け皿になりますし、団体生活も礼儀も結構それで覚える。そういうものが多様にあっちこっちでできるようになったらいい。特に、地域でのそういう試みも、確かにある意味ではこういうものを支援するという試みは今までばらまきだと言われて、何か箱をつくらなければ予算が出ないという傾向日本政府及び地方自治体にあったのですが、箱をつくらない、アドホックの、例えば伊藤参考人に助成してあげるとか、そういうようなことですね。箱を一つつくることをやめたらどのくらい多くのそういうことができるのかということを先生方にお考え願いたいと思います。
  73. 山口良治

    山口参考人 御高説を伺っている間に何を聞かれたのか忘れてしまいましたけれども……。  社会は価値観の多様化というか、どんどん世界も変わっていますから、もちろん子供もいろいろな場面が、伊藤さんが言ったようにピアスだとか何だとかという、今目に余る光景が青少年にありますけれども、私の場合は義務教育じゃなくて高等学校教育に長く携わってきたんですけれども、最初にも申しましたように、そこを自分の意思で選ぶといったときに、少なくともそこにはちゃんとルールがあるんだ、それを承知で入ってきているわけで、それから後、そういうものが雪崩現象のように崩れていく。そこにかかわっている生徒指導の先生なり、またクラスの先生たちの教育力の弱さ、また家庭における親もそのことを重々に承知しながら何も言えないというその親の弱さが僕は非常に問題じゃないかなと思います。  そして、私は、一時、学校で学年一割以上の留年生を出すというような、一が三つもあったら自動的に留年するということで、一日も休んでいないすばらしい特徴を持った子供までがそういう欠点が三つついたら自動的に危ないという状況が何年か続いて、本当に耐えられぬ思いをしたのですけれども、そういうこだわりというのは非常に教師にとって強い。  それは何かというと、やはり避けていると思うのですね。教師自身はそこに向かっていないということが言えるのじゃないか。これは教師だけじゃなくて、親にもそれが言えると思うし、私自身、福井県の田舎の出身なんですけれども、暗がりは怖かったですよ、電気なんてなかったですから。今は二十四時間どこも明るい。ですから、時間のちゃんとしたマネジメント、タイムマネジメントが全然できない。自分でどういう一日二十四時間を過ごそうかということが本当にきちっと指導できていないのじゃないか。その目標だとか夢だとかということをしっかり与えてやれていないということが一番問題じゃないかなというふうに思います。  だから、親たるは、教師たるは、指導者たるは、やはり子供の夢、希望を語ってやれる、そういう存在でなかったらいかぬというふうに考えます。
  74. 三沢淳

    ○三沢委員 自由党の三沢です。  参考人皆さん、きょうは大変御苦労さまです。  山口参考人にお伺いします。  山口参考人はラグビーをやられまして全日本の選手にもなられましたし、私も小さいころからスポーツをやりまして、プロ野球の選手になるんだと夢を持って努力をしたらプロ野球の選手にもなれました。  その中で、これから議論される日の丸・君が代の法制化の問題なんですけれども、私も小さいころからスポーツで、入学式や卒業式、そしてあらゆる大会で君が代、日の丸が掲揚されまして、緊張感ややる気というものをずっと育ててきたのですけれども、今、子供たちが帰属意識といいますか、家庭とか学校にその意識がなくなっているということは、国への帰属意識がなくなっているのじゃないか。長年教師をやっておられまして、先生として頑張ってこられたのですけれども、その辺の国旗・国歌という、先生御自身のこれまでの経験、そして、生徒たちに国を誇りに思う気持ち、日本人として生まれてきた誇り、そういうものが今の子にあるのかどうか。  私も海外なんかへ行きまして、アメリカ合衆国のすばらしいところは、いろいろな問題もあるのですけれども、競技場で国旗、国歌が流れますと、多民族の方が、たくさん移民された方がおられるのですけれども、売り子さんまでが立ちどまって必ず敬意を表される。そういうアメリカの自由の中にまたすばらしさもあるのを私も海外の試合で体験してきたのですけれども、山口先生はその辺のところをどういうふうにお考えで、子供たちは今どういうふうな考えを持っているのか、ちょっとお聞きしたいと思います。
  75. 山口良治

    山口参考人 私は、教育というのは愛を育てることだと思うのです。特に、日本に生まれ、日本に育った日本人としての誇りと、そして自分の国を愛する心を養うことが非常に大事だと思います。  今先生おっしゃられたように、私自身も日の丸を背負って外国で試合をやらせていただきました。皆さんもオリンピック等であの日の丸をごらんになったときの感動は、恐らくどなたも感じていらっしゃるだろうと思います。  しかしながら、今学校においては日の丸・君が代のことで、本当にこんなにむだな時間があるかというぐらい、長い時間職員会議が延々と続いて、管理職が、広島でああいうことがありましたけれども、この問題がずっと長年続いてまいりましたけれども、私自身、そのイデオロギーがどうのこうのというのは余り難しく考えたくないのですけれども、シンボルとして、今それにかわるものがない限りはみんながそのことに向かうべきだ、向かわすべきだ。子供は初めからそんなことはどうこうなんて思っていないのですよ。教師がそういう意識を植えつけるというか、ホームルームだとか社会の授業なんかでそういうことを言う、歴史の指導の中でも入っているわけですけれども、もちろん歴史は歴史として学ばないかぬと思いますが、そういうふうな子供にずっとならしてしまっているということが、僕は非常に教師影響が大きいと思うのですね。  これは歌詞の問題等々もありましょうから、それは十分に検討していただきたいとは思いますけれども、本当に自分の国のシンボル、それに対して畏敬を持てない子供というのは非常に寂しいなというふうに思いますので、本当にみんながそれに対して一つになれるような方向性を早く見出していただきたいな、そして、おれは日本人だと世界に誇れるような子供たちになってもらいたい、そういうふうに思います。  卒業式、入学式なんかで国歌斉唱なんというと、ばあっと音を立てて教師集団が、本当にたくさんの教師が申し合わせて座ります。これほど恥ずかしい光景はありません。恐らく、皆さんも来賓として出られたことがおありだと思いますが、あの態度が子供に与える影響を考えたら、まだ自分の主義主張はそれでいいけれども、子供に対してどんな気持ちなんだろうというふうなことを何度も言ったことがありますけれども、そういう現状にありまして、非常に寂しい思いをしております。
  76. 江渡聡徳

    ○江渡委員 自由民主党の江渡でございます。  私自身、児童養護施設の職員をしていた経験があるものですから、小田参考人伊藤参考人の御意見というのは本当に自分のことのように思えまして、まさにそのとおりだなというふうに思ったりもしていたわけです。  特に今現在、問題行動を持っている子供たちに対して、家庭学校社会というものが真に受け入れていないわけですよ。ですからこそ、さまざまな問題点というのを起こしてくると私は思うわけです。学校の方におきましては、そういう問題行動を持つ子供たちに全部レッテルを張っちゃう。あるいは、家庭の方におきましては、学校に全部しつけを任せちゃう。そのような中において、特に一点だけ三人の参考人にお聞かせいただきたいのですけれども、今のそういう教育現場あるいは教師の資質を改善していこうと思った場合に、一番最初に何をやらなきゃいけないとお考えかということをお聞かせいただきたいと思うのです。
  77. 伊藤幸弘

    伊藤参考人 また話が振り出しに戻ってしまうと思うのですけれども、僕は、悪いことは悪い、いいことはいいと言える本当に基本的な教育、また家庭に戻るべきだと思います。これができないから少年非行とか問題行動に悩んでいるんじゃないかな。  でも、このいいことはいい、悪いことは悪いと言うのがいかに難しい時代であるかということも考えなきゃいけないと思うのですね。それには、やはり子供たち意見をまず聞くということが肝心じゃないかなと僕は思います。  そういう中で、冒頭に言いましたけれども、みんなで協力し合って解決策を練っていくということが今の時代に必要じゃないかな、こう思います。  以上です。
  78. 小田晋

    小田参考人 一つは、教師の資質の改善がやはり必要です、先ほどから出ていますけれども。  採用のときにペーパーテストにおける学力だけが大事だということになってしまった一つの理由は、それを少しでも変えますと教育委員会が情実を行ったという非難が出て、それが大新聞によってバックアップされるからです。  昔のように、例えば、かつては校長がまず志願者と面接して、校長が意気投合した教師を採用する。長野県がごく最近までそうでしたが。そういうふうに面接を重視する、それも、管理者である校長と本人の意気投合を重視するということをやると、英語はできるけれども、あるいは数学はできるけれども、我々の言い方だと分裂病質者であって、対人関係が全く持てないような人が教室へ来て生徒を侮辱するということは減ると思いますね。  もう一つは、子供と話し合って、子供に、人を殺したらなぜ悪いのか、少女売春をやったらなぜ悪いのか。例えば援助交際だって、あれは立派な風俗であって、風俗に国家は干渉すべきじゃないとテレビでも放送しているじゃないかと言われたら、先生は黙ってしまいますね。やはり先生のおっしゃることだからというような、教師のある意味での威厳というのは絶対必要で、そのために私がこれは病根だったなと思うのは、例えば栃木県の女教師殺害事件の現場中学校ですけれども、あの学校では一年ほど前に教壇を廃止しているんです。そのこととこのことの間に私は関係はないとは言えないと思います。  それから、少年鑑別所、特に家庭裁判所の方々にお願いしたいんですが、確かに、昔の少年と今の少年は少し変わっている。確かに、理解してやらなきゃいけないし、彼らを認めてやらなきゃいけないんですが、今の社会は、つまり、その問題について現実に目の前の子供を注意したら殴られる、殴った子供は三日目には不処分で出てきてまた顔を突き出すというようなことが繰り返されている。そういう状況を抜きにして子供にあんなに不処分ばかり出していていいんだろうか、家庭裁判所は何をなさっていらっしゃるんだろうかと私は思います。
  79. 山口良治

    山口参考人 教師生徒に迎合しない。何でも子供の言いなり、何でも言うことを聞くことが子供人権だとか生徒人権だとかということは、私は大きな間違いだと思います。それぞれの幼小中高で教育のあれは違いますけれども、それはそれで、もちろん幼稚園だとか小学校においてはまた違いますけれども、やはり毅然とした態度が必要だ。  そして、わかるんですよ、教師が本当に生徒に一生懸命なのか、教育活動に本当に熱心なのかどうかということは。何もやらない教師がわんさといるんですから。そういう人はやめてもらうべきや。そういうものを本当にもっとはっきり管理職なりなんなりが物が言える体制をつくらないとだめですよ。やってもやらぬでも一緒というのは、みんなやらなくなってしまうと思いますね。やはりその使命感なり責任感をもっと強く私は求めてもらいたいなという気がします。
  80. 旭道山和泰

    ○旭道山委員 明改クラブの旭道山と申します。  自分も相撲をやっていまして、山口参考人はラグビーをやっていて気持ちはわかると思いますけれども、ちょっと時間がありませんので……。  本当に、きょう三者三様で、伊藤さん、小田さん、山口さん、伊藤さんは暴走族をやって、一万五千人の人数を集めてやった人間と思いますけれども、若いときは本当にいろいろやんちゃをしたと思います。自分もいろいろと人をたたいたりやっていましたけれども。なぜたたいたかというのは、愛情を持ってたたいていましたけれども、それが一歩間違うと暴力、それが愛情。でも、そこで何が生まれたか、それを本当に私聞きたいんです。  そして、山口さんに、私は相撲をやっていたんですけれども、スポーツをやって、簡単に言えばルールで一生懸命動いていますけれども、そこで得たもの、そして少年影響するものは何かというのをお伺いしたいと思います。  よろしくお願いします。
  81. 山口良治

    山口参考人 言葉では心の触れ合いなんてありますけれども、心はなかなか触れ合えません。でも、肌の触れ合いというのは本当に大事だと思うんですね。  私が小学校一年のとき、兵庫幸子という担任の先生が、ちょうど母が死んだときだったので、良治君、頑張れよと、学校で会うとよくぱんと肩をたたいてくださった、あの痛みがまだ残っています。そして、江渡先生もおっしゃったように、本当に体でぶつかり合う思い出というのは非常に消えないと思うんですね。  先生も一度ぐらいは生徒の手を握ってやれよ、そうだな、頑張ろうな、きょうはよくやったなというような、感情がほとばしるような態度というのは、これは理屈でなく、喜びをともにできる、感動できる感性が教師には不可欠じゃないかというふうに感じます。  私は多くの子供たち一緒にやってきて、今、多くの教え子を中心に五十八組もの仲人もさせていただきました。特別にいい子ばかりではなく、いろいろな問題もありましたし、いろいろなことがありますけれども、でも、自分を語れる教え子たちなんです。ですから、振り返ったときに、いろいろな自分を思い出せて語れる、そういう子供の青春時代を本当につくってやれたかなと。  そういう思い出づくりを教師がしっかりやっていかなきゃいかぬという意味では、心の触れ合いというのを感じさせられる部分が一番今欠けているんじゃないかな。教師自身が本当に感受性微弱というか感受性硬化症というか、そういう半病人みたいな人が非常に多くおるんです。もっと強くなってもらいたい、そう思います。
  82. 石田勝之

    石田委員長 予定した時間も参りましたので、本日の参考人に対する質疑はこの程度で終了することといたします。  参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。  ありがとうございました。(拍手)     —————————————
  83. 石田勝之

    石田委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  青少年問題に関する件について調査のため、来る二十七日火曜日、参考人出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  84. 石田勝之

    石田委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  次回は、来る二十七日火曜日午前九時理事会、午前九時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午前十一時五十六分散会