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山口参考人 京都市
文化市民局スポーツ振興室で部長をさせていただいております
山口と申します。
昨年三月まで、長年
学校の
教師をさせていただいてまいりました。その間、七年間の
教育委員会の生活もございました。つたない体験ですけれども、こういう場にお招きをいただきまして
意見を述べさせていただきますことを大変光栄に存じております。本当に何かお役に立たせていただきたいなと思います。
今
小田先生がるる申されたような難しいことは私にはよくわかりませんが、理屈では
子供は育たない、そう思っています。
私は、
京都市の
中学校、高等
学校を経まして、本当に多くの
子供たち、また親たちと出会ってまいりました。結論を申すならば、
子供は本当に親の気持ちや
教師の気持ちや
大人の気持ちでどうにでもしてやれる、このことが本当に長年の経験から一番救われる思いでいっぱいです。
教育行政をつかさどる
教育委員会にいて、余りの
教育現場の荒廃を憂えておりました。あるとき
中学校に行かされました。
中学生というのは十二歳からなんです。十二歳、十三歳、十四歳、十五歳、本当に餓鬼なんです。その餓鬼たちの
教師をなめた、
大人をなめたような言動に私は唖然としました。一体何なんだ、
学校の
教師は。本当に何でもないようなことに感情的になって
学校に来る親。本当に驚きました。とんでもない
学校でした。その
学校に派遣されまして、行ったときに、本当に激しい憤りを覚えました。
それは何かというと、もうわかっているんです、小
学校の高学年でも
中学生でもやったらいかぬことぐらいわかっている。車がばんばん通っているときに赤の信号を渡るばかはいません。信号が赤だったらとまらなきゃだめだよ、そういうことを言われればわかるんです。だから、小
学校の約束事、
中学校——もちろんルールに対して
子供たちは少なからずわかっています、やったらいかぬことは。
なぜそれをやるのか。そうしてまでも
自分のことをもっと気にしてほしくてこんなことをしているのに、注意もしてもらえないあの
子供たちの気持ち、無視されるあの寂しさを考えるとき、どれだけ多くの
子供たちが今親や
教師や
大人たちから無視されているか。今、本当に
社会を見渡してもそうです。やったらいかぬことをしている
子供がいっぱいいるのです。
でも、ほとんどの人はそういう
状況を、ああ、また
中学生があんなことをしている、またあんなことをしている、もうだめだな、最近の
子供は。おい、君ら何をしているんだ、本当にそんな声をかけてやってくださる
大人がどれだけいるでしょうか。
学校教育だけの問題ではありません。しかし、
家庭教育のあの親のふがいなさ、そして
教師の使命感の希薄さ、責任感のなさ、それらを問われる場がないのですよ。
例えば
生徒をたたいた。決していいことではありません。でも、
本気でその中で何かを気づかせてやりたいという思いに、そういう場面ができたとしたら、その事象だけとらえられてとんでもない目に遭います。何もしなくていいのです。今の子は、ことしの子はあかんなとか、最近の子はあかんなとか、全然
家庭も理解がないし、言うて聞かない
生徒が悪い、教えても聞かない
生徒が悪い、しかし、そんなことが果たして本当に許されるのでしょうか。
私は多くの
子供に出会ってきて、スポーツ、ラグビーを通して本当に多くの
子供たちがすばらしく変わって成長していってくれました。だめなんじゃないのです。何がだめなのか、何ができなくて何がわからないのか、だから、
教師、指導者は何をどうしてやらなければいかぬのか、それが私はプロフェッショナルとしての責任だと思います。
今、
学校の
教育現場は、
皆さんも当然御存じのことだと思いますが、日の丸・君が代の問題から本当に多くの問題があります。しかし、私は、今、
社会にはこの
青少年問題は一遍に変えてやることはできないと思いますが、一人一人の
大人の気持ちで
子供はどんどん変わっていくだろう、そう思っています。
その
中学校へ行ったときに、私は、恩師のようになりたい、恩師のような
大人になりたい、そんな希望を抱いて
教師を目指しました。そして、
教師になって——長年ラグビーの全
日本選手として活躍させていただいているときには、もうすっかり
京都の
教育に、もう
教師になるまいと思って、その
中学校へ行くまでは現役をやめたらどこかという希望を持っておりましたけれども、その
中学生に出会ったときに、私だったらもっとこんなことを伝えてやれる、こんなことを感じさせてやれる、本当にそんな思いでいっぱいになりました。
そして、伏見工業
高校という
学校に行ったときには、それは
教室の廊下をバイクが走り回るような、そんな荒廃した
学校でした。ラグビー部も、グラウンドにはゴールポストもないような、そんな
状況の中で、当時は百十二対ゼロで負けるようなぼろぼろのチームの
子供たちが、本当に
自分に矢印を向けたときに、その悔しさを知り、それから勝ちたいという目標のもとにどんどん変わっていきました。
今、
子供たちに夢を語ってやったり、希望を持たせてやれる、そういう
大人が少ないということなのです。スポーツの目的は、勝ったり
日本一になるためだけではありません、選手になるためだけではありません。しかし、ラグビーという十五人という多くの人数でやる競技は、まさに仲間のことを思いやれる心がなかったらできないスポーツなのです。何でもいいと思います。野球でもいい、
文化部だっていい。
子供は何かを一生懸命やれる場が今一番大事なのです。
しかし、何でもかんでも自由、この自由の履き違えを指摘してやれないのでは、これは
教育にはならないと思っています。僕は、責任を伴わない自由なんかないと思っているのです。
子供は
子供なりにそれなりの責任をきちっと私は求めるべきだと思っておりますし、
社会はひとりでは生きていけませんから、本当に多くの人に支えられながら
自分の人生があるということを教えることが本当に
教育だと思っています。
今、少子高齢化の
社会が進展しておりますけれども、だからこそ、もう理屈じゃなくて感動を与えてやれる、そういう場づくりが一番大事じゃないか。
今、多くの
子供の目が死んでいます。それは、朝のあいさつもできない、返事もできない、その何でもないことからなんです。ラグビーも技術的にいろいろな技術がありますが、技術だとか体が大きい、足が速い、そんな問題じゃなくて、黙って休むな、黙ってサボるな、みんなで決めた約束を守ろう、まず十五分の一の責任を果たし合おう、そういう約束事を徹底していくことから入っていって、本当に見事に
子供たちは変わっていくのです。
百人近い部員をバス三台で合宿に菅平へ連れていきますときに、いろいろなドライブインがあります。トイレ休憩します。
学校の修学旅行でも各クラスごとにバスで行きますが、七時半集合、八時出発と言ったって、八時に出発できるということはまずないです。時間を守れません。でも、そのラグビーの合宿では、ここのドライブインを何分に出発するよと言ったら、ノーチェックなんです、ノーチェックだよと言っている。ガイドさんが言うときに、いや、うちはノーチェックですから時間が来たら行ってください、おくれたやつは走ってくるでしょうと。信州まで走ってこれるわけはありませんけれども。そうして二十三年間、一人としておくれてくる子はいません。朝のおはようミーティングにも、黙って遅刻したり、
山口が怖いから、殴られるからと、そんなのじゃないのです。
そんな中で、私は
子供のすばらしい適応
能力というかそういうものを感じますし、先生がおはようと言って、おはようございますもよう言わないような子も、入学式に髪を染めて異装してくる
子供もいません。合格発表のときの、きゃあ、合格したぞと喜んでいる、感動しているあの
子供たちが、
学校へ入ったら好き勝手してやろう、むちゃくちゃやってやろう、そんな
子供はいません。ときめいているのですよ。どきどきしているのです。でも、そんな子を嫌にさすのはだれかといったら、
学校教育においては
教師です。
社会においては、
子供にそういう優しいまなざし、また厳しい
言葉をかけてくれない、そういう
大人たちをもっともっと問わなきゃいかぬ、そう私は思っているのです。
だから、多くの親も、
子供をかわいくない親はいませんし、しっかり成長していってもらいたいというのが本当に親の心ですから、そういう気持ちで、まず何でもないことをもっときちっと
家庭で、
学校で、そして
社会においても求める、そういうことが一番大事なのじゃないかな、そう私は感じています。
いろいろなケースがありました。いろいろな問題がありました。でも、その中で、
本気になって向かっていって変わらなかった親子はいないことを胸を張ってお伝えをしたいと思います。
親が
本気になって
子供にこんな子になってほしい、
教師が将来この子がこんなになってほしい、その思いを持たないことには
教育は変わらない。ゆとりのある時間だとかもっと
子供の
自主性だとか、そんなことは大きな問題ではない。給与をもらってそういう場に立つ、職業として立つ、その使命感と責任感をもっともっと求めるべきだ。それぐらいの気持ちを
管理職が、これは
人間がやることですから、いろいろな人がいますから、組合のこともありますけれども、
本気になって
日本という国、また
日本の次代を担う
子供たちのイメージを、もっといいイメージを描いて、私は身を粉にして携わっていきたい、またそういうものを期待したい、そのように思っています。そしてまた、次代を担う
子供を育てていくのは
大人の使命なんだということをもっと多くの
大人たちに私は声を大にして叫んでいきたいですし、一人でも変わればどんどん
子供は変わっていく、私はそう信じております。
短い時間で意を尽くせませんが、今後もしっかりとそういう責務を担って頑張っていきたいと思っております。失礼しました。(拍手)