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國松参考人 御紹介いただきました
滋賀県知事の
國松でございます。
首都移転の問題で発言の機会をいただきまして、大変光栄に存じます。
首都移転の問題につきましては、さまざまな
議論がされておりますし、今ほどもお話がございましたので、いささか重複する部分がございますが、あえて幾つかの点で申し上げさせていただきたいと思います。
まず最初に、
首都機能移転という問題を考えるときに、まず
首都というものをどう考えるのかということについて申し上げさせていただきたいと思います。
現在の
東京という
日本の
首都は、私は見事なまでに
首都の
機能を果たしてきたと思います。
日本が、特に江戸そして
東京に
首都を持つようになって、
世界を見渡したときに、何としても近代化をしなければいけない、あるいは欧米に追いつかなければいけないということで考えたときに、さまざまな
機能を
東京に持たせ、そして
東京を中心に
日本全体を考えてきたという中で、
東京の果たしてきた
役割というのは実に大きいと思います。それは、まさに機関車の
役割を見事に果たされた、果たしているということではないかと思います。そしてまた、それは欧米モデルへのキャッチアップという点で、見事に、効率的に
機能したということだと思います。
その結果、
日本の人、物、
情報が
東京に一極
集中するということになったわけでありますが、それは今までは成功したということになると思いますけれども、では、これからどうなのかということを考えますと、ちょっとやはりここで私どもは真剣に
首都について考え直さなければいけない時期にあるのではないかと思います。
もっとも、今
東京が果たしている
役割あるいは現実から、
首都を
移転すべきでないという
意見、あるいはまた今日のような財政
状況その他から、とんでもない話だという
意見もあると思いますが、やはりこれからの
首都、しかも
日本の
世界における
役割等も含めて考えますと、今はっきり言えることは、
東京の果たしてきた
役割、あるいはまた
日本の社会、
経済、さまざまな分野での仕組みそのものがやはり限界に来ているという認識に立たざるを得ないと思います。
そういう
意味で、
東京から
首都を
移転すべきでないという
意見があると思いますが、私どもは、
東京の
知事さんには申しわけありませんが、やはりノーと言わざるを得ないと思います。やはり震災の問題を
一つとりましても、
首都機能をこれからも
東京に置いておくということについては、急いで
日本の将来を考える中で、
首都というものを考え直し、その中でこの問題を考えていく必要があるのではないかとまず基本的にそう思います。
とりわけ今の
時代、
日本が、あるいは
世界がと言ってもいいんでしょうけれども、新しい
世紀を目前にいたしまして、私たちの暮らしや社会を支えてきました産業あるいは
政治や
経済や
行政や
文化も含めて、間違いなしに今変革の時期にあると思います。そして、この変革の時期を
日本がどうこれから生きていくのかということを考える中で
首都という問題が考えられるべきだ、まずそう思うわけであります。
そういうことを考えますと、やはりさまざまな手法でこの変革の時期を乗り切っていかなければいけないと思いますが、
首都を考え直す、とりわけ
位置を考えるということは、
機能そのものも含めて、今やらなければいけないのではないか。そして、それは着実に、
世界を視野に入れながら、もちろん
日本の中での
位置その他もありますが、きちっとした思想を持ってあるいはまた
一つの文明観というものを持って、
日本の
グランドデザインの手段としてこの問題を
位置づけて考える必要があるのではないか、こう思うわけであります。
特に、さまざまな
日本の構造改革を進める中で、
首都を新しく考えるということがさまざまな要素を大きくリードするというプロジェクトであることについては間違いがないし、今までもそういうさまざまな経験を
日本自身がしてきているように思います。そんな中で、
日本の将来を考えますと、
世界全体がまさにグローバルな
時代に入り、しかも、その中で幾つか問題を抱えたまま新しい
時代に入るということが明確になっているように思いますし、その中で、
日本に期待される
役割というのも一定読める部分があるように思います。そういうことを前提に
首都というものを考えていく必要があるのではないかと思います。
特に、
世界的なことを
知事がとやかく言うのもいささか生意気でありますが、やはり
日本人として、あるいはこれからの
日本を考えますときに、
地球全体を考えますときに、やはりアメリカを中心とする
一つの大きな力あるいはまた
文化というのが当然あるでしょう。そしてまた、EUを中心とするヨーロッパの
歴史あるいは
文化が持っている力、あるいはまた
考え方という部分があるでしょう。そして、その中で、アフリカやアジアあるいはまた南アメリカやその他の
地域も含めて、それぞれが、余りにもそれぞれの発達段階を異にしながら同じ
地球で生活をしなきゃいけない、しかも、それが、さまざまなメディアの発達等を通して、
時代を超えて同時に共生をしなければいけないということを考えますときに、
日本の果たすべき
役割というのがいよいよ大きいように思います。
それは、
南北の問題であったり、
東西の問題であったりするわけですが、その中で、
日本の持っている地理的
位置と
歴史的
位置と
文化的
位置から、
日本の
役割というのが大変大きく求められていると思いますし、そこのところを特に
日本としては意識してこれからの
時代をさまざまな面で考える必要があるし、その中で
首都という問題も考える必要があるのではないか、こう思うわけであります。
したがって、
日本の
首都の
役割をどう考えるのか、その中で
位置をどう考えるものかということでなければいけないのではないかと思います。そういう
意味で、
日本の
首都を決めるということは、
日本の
首都の
位置を決めるということと同時に、
日本のこれからの姿をどうデザインするか、あるいは
世界での
役割をどうデザインするかということになるのではないかと思ったりします。
きょうは、私ども、二つの
パンフレットを準備させていただきました。
一つは、「畿央高原に新都を」という三重、滋賀、京都、奈良がつくった
パンフレットと、滋賀県がつくりました「新しい
日本の幕開けです」という
パンフレットを準備させていただきましたが、滋賀県がつくりました
パンフレットをちょっと使わせていただきます。
この
パンフレット、二枚目を開いていただきますと、地図がございます。これは、私どもが申し上げているのは畿央高原というところでございますが、今の
東京そのものも、
日本列島の地理的あるいは
人口面での重心からいえば、既に東の
位置にあると思います。中部圏
地域が多分真ん中になるのだろうと思いますが、今そういう
位置にあるわけですけれども、畿央高原というのは、その次のページをめくっていただきますと、下の方に「畿央高原の発見」という作家の高城修三さんが書いた文章がございますが、畿央高原というのは、先ほどの地図でありますように、ちょうど
日本列島のほぼ真ん中で、大阪
経済圏と名古屋
経済圏に挟まれた
位置にあるわけです。
畿央高原というのは、地図を見ていただいてもございません。これは、地図にある名前ではなくて、ちょうど近畿の中央の
位置に、高原と呼んでおりますが、五百メートル
程度の高さの高原地帯でございまして、なおまたそこが盆地を幾つかつくっており、谷合いとともに幾つかの山で分断されているような格好になっている高原でございまして、そこに七四三年に聖武天皇によって紫香楽宮というのが造営されたという
歴史を持つ
地域でございます。その後、
日本の
首都はいろいろなところに動いていくわけですけれども、ともあれ、昔都が置かれたというか、そういう
歴史を持った
地域でもあります。
その
位置に我々はと思うのですが、この今申し上げた文章の中にも高城さんが書いておられますけれども、やはり
日本の
歴史というのは、
首都を何度か
移転させてきて今日の
日本をつくってまいりました。それが、奈良や京都、そして鎌倉や、その後京都に戻り、また江戸、
東京というように、
東西を移動しながら、その中で
日本のエネルギーをバランスをとってきたというような感じがいたします。そういう中で、これからの
首都をどう、どの
位置に考えたらいいのかということになるのではないかと思います。
したがいまして、繰り返しになりますが、
首都を考えるというときに、特に
位置を考えるというときに、
日本の
グランドデザインを地理的に
日本の中でどう考えるかということと、そしてまた
歴史的に、今までの
日本、しかもこれからの
日本というときに、新しい
文化、文明を創造するんだ、しかも、それも
世界的な視野で新しい文明を創造するんだということでいく必要があると思いますが、そのときに、
日本の持っていた
歴史、
文化というものを巧みに生かしながら、その中で、新しい
首都の中で新しい
文化、文明を創造していくという基地として
首都を考える必要があると思いますし、
世界的には、先ほど来申し上げますように、
日本の
役割というものを、
東西文明なりあるいはまた
南北の問題なりを考えますと、少なくともまずアジア、アジアの
首都ということも含めて
日本の
首都というものを考えていくことが、
日本の
首都を考える
一つの
考え方にすべきなのではないかと思います。
そうした中で考えますときに、
一つには、畿央高原を前提に考えさせていただきますと、
世界に向かって
日本がこれから
首都と言おうとしますと、やはりそこに
日本の
文化の薫りのようなものがきちっと感じられるということがまず
一つ大事になってこようかと思います。
言うまでもありませんが、
日本の
歴史を振り返りますと、やはりどうしても、京都、奈良あるいは滋賀、伊勢のような
地域、この関西の
文化の部分を、
歴史の部分を抜きに語れないと思いますし、これはやはり、口幅ったいようですが、
日本の
文化のオリジナルな部分がどうしてもこの
地域にあると言わざるを得ないと思います。そして、その土壌をうまく生かして新しい
文化を創造するという
一つの絵をかくことが、アジアに向かってあるいは
世界に向かって顔としての
首都の性格づけをできるのではないかと思ったりします。
それからいま
一つ、これからの
首都という場合に、やはりそれが
都市としてのモデルになることが求められると思うのですが、これにはやはり、
日本あるいは人類共通して今突きつけられている
課題は、
首都と人間がどう共生するのかということの問いを、二十
世紀は問題だけ突きつけられて二十一
世紀に入っていくということになると思いますので、環境の
世紀と二十一
世紀が言われるのはその辺だと思いますが、そういうことも含めて、あるいは発展途上国のことも考えますと、やはり新しい
首都というのは、環境共生
都市のモデルとしてしっかりとした
考え方あるいはそのための手法というものを具体化できる
首都でなければいけないと思うのです。
そういうことを考えようとしますと、一方で人間というのは水を見て心が和み、かつ人類の
歴史を見ますと水のそばに都をつくってきたという知恵を持っておるわけでありますが、畿央高原は、高原の中にはそんなにというほどではありませんが、山のそばに琵琶湖という
日本一の湖を持っておりまして、今滋賀県が
全国で最も
人口急増県になっておりますし、今後も急増県になると言われていますが、多分それは湖と山を持っている、あるいはそこに
歴史があるということも含めての
一つの評価ではないかと思ったりしておりますが、そういうことを生かしていただくことが可能であるというように思います。
そういう
意味で、これからの
首都というのはどうしても環境共生
都市のモデルということをきちっとデザインできないといけないのではないか。そういうように考えますと、畿央高原というのは他の
地域にまさる
条件を整えているのではないかという気がいたします。
それから
位置の点で、先ほども東、西に揺れ動くようにして
日本が発展してきたと申しましたが、今の
東京が既に
日本の中心から東にあるわけですから、さらに東へ持っていくよりも、この際やはり西かなと。しかも、これからはアジアということを考えなければいけないと思いますと、アジアの足場という
意味でも関西のこの畿央というのは十分
検討に値するのではないかと思ったりいたします。
それに、新しい
都市をつくるといいましても、今の
東京のようなものを前提につくる必要はありませんが、同時に今の
東京に匹敵する
機能を持つということを求められると思いますし、また同時に、そこで住み、働く人たちの生活というものがきちっと前提
条件に組み込まれないと、その
都市そのものは頭だけで考えたことになってしまって、なかなかいい
機能を果たさないし、薫りも潤いも発揮できないというようなことがあると思います。
そういう
意味では、新しい
首都というのは極めてコンパクトな
都市の中にさまざまな
機能を持たせるわけですが、同時に、持たせることのできないというか、もっと
役割分担をしていくという必要があると思いますので、それでは既存の
都市とうまく
連携していくという
意味で、既存の
都市をいかにうまく
母都市として活用できるかということが大事になってこようかと思います。
そういう
意味では、畿央高原の場合、周りにちょうど、時間
距離にしますと三十分から一時間までのところに名立たる
都市があるわけでありまして、それは
経済的にもあるいは
文化的にもですし、同時に、教育という環境がそこに住む人たちにとって極めて大事であるというのが、筑波の例などの経験も踏まえて非常に大事になってくると思いますが、そういう
意味では、この畿央高原というのは周りにちょうど
母都市が、しかも名のある
母都市がネックレスのように周りに存在しており、教育環境としても大変恵まれたような
状況にあるのではないかと思ったりいたします。
そんな
条件を整えておりますのに加えまして、
交通アクセスでいえば、先ほどの
パンフレットにもありますように、道路でいえば既に名神
高速道路、今第二名神が
整備されようとしておりますし、また鉄道でいえば
新幹線、そしてリニアの中央
新幹線の
予定もございます。空でいえば関西
空港あるいは名古屋の中部
空港がございますし、びわこ
空港も今
建設をしたいということで頑張っております。
そんな要素がございますのと、何はともあれ
日本列島の中の中央部にあると同時に、
日本の
国土軸の、いわゆる
太平洋国土軸と
日本海
国土軸、そしてそれを
南北につなぐ、
距離的にも
位置的にも非常に手ごろなところにございます。その上この
地域はほとんどが山でございまして、用地
取得その他の点では非常に容易ではないかと思いますし、また水の供給の点では琵琶湖、淀川水系の一環でもございまして、その辺は安心していただけるのではないかと思ったりいたします。
以上のようなことを私どもの感じで申し上げさせていただきましたが、県としてこれまでこの問題につきましては、
平成四年に県議会で
首都機能移転の
意見書を採択し、
平成五年以来、フォーラムの開催やあるいは広報誌等で
首都機能の
移転について
県民にも啓発をしてまいりました。そして昨年三月に
県民を対象にアンケートをいたしましたところ、これはきょうの
パンフレットの
最後のところに
調査結果をグラフで示しておりますが、
首都機能の
移転に対して七割を超える方が関心を持ち、
首都機能の
移転を望んでおるのが六割近い数字でございました。そして先月の三十日に地元でシンポジウムを開きましたら、思った以上に物すごく大勢の方が来ていただいて、大変関心の高いことを改めて痛切に感じた次第でございます。
最後になりますが、
首都機能の
移転という問題については、これからの
時代の、しかも
世界的な
視点での
グランドデザインとして、
一つの思想あるいは文明観を持ってぜひお考えいただきたいと思いますし、ぜひ一度この畿央
地域へ、
井上委員長初め
委員各位で御視察をいただければ大変ありがたいと思います。
以上のことを申し上げさせていただきまして、終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)