○内
仲参考人 内仲でございます。よろしくお願いいたします。
私は、
新聞記者をしておりました関係で書く方はまあまあなんですけれども、しゃべる方は余り得意でございませんので、お聞き苦しい点もあるかと思いますけれども、どうぞ御容赦いただきたいと思います。
それでは、まず
最初に申し上げておきたいのは、私は
首都機能移転に賛成の
立場でございますけれども、実は、今
国会等移転審議会やこの
委員会で論じられているような
一括移転ではなくて、本当は
機能を
方々へ分散する分都という
方式がいいのではないかと常々考えているわけです。ただ、実際問題としては、このように
一括移転を前提にして
事柄が進んでおりますので、
一括移転でもうまくいくならばそれで結構だ、それに賛成するにやぶさかではない、こういう
立場でございます。それで、分都の
方式については後ほどちょっと触れさせていただきたいと思います。
本日の
テーマを一応
首都機能移転の
必要性についてということにさせていただいたのはどういうわけかと申しますと、最近の
世の中に逆風が吹いておるというか、何となく
移転に旗色が悪くなってきたという
感じがするわけですね。随分長いことかけていろいろ御苦労されてきたのに、もはやその必要はなくなったんではないかというような
議論がだんだん出てまいりまして、極端な話だと、もう
首都機能移転の話はやめちゃったんだろうなんということもよく言われますので、私としても大変残念に思っているわけです。そういうことなんで、とりあえずこの
テーマにさせていただこうと思っている次第です。
それで、私、
遷都という
言葉が好きなんで、時々
遷都という
言葉を使ってしまいますけれども、
遷都というのは都を移すことだから、多分これは皇居ごと移さないと
遷都ではないのだというような
考え方から、
首都機能移転とかあるいは
国会等移転というような呼び方がなされていると思うんですけれども、今の憲法のもとであると
主権在民でありますから、別に皇居が移らなくても、実際に
首都機能が移ればそれは
遷都である、そういうふうに私は考えております。
それで、
皆さんとうに御存じのことを若干言わせていただきますけれども、戦後
首都機能移転の問題が盛んになったのは、一九六〇年代の
高度成長の
時代であったわけですね。このころというのは、戦後の
混乱期を脱しまして、一方で過疎というような重いツケを残してはいますけれども、
大都市への
集中が非常に進みました。その結果、とりわけ
東京ではインフラの
整備が追いつかなくなって、
住宅とか
交通とか
水資源というような問題が、
都市問題のあらゆる面からひずみの
深刻化が予感されてきたわけです。
それで、こうした問題に対処するためにはもう中途半端な
都市改造では間に合わないのではないかというような
考え方がだんだん出てまいりまして、学界とかそのほかの各方面からさまざまな
遷都論が打ち上げられたわけです。
それで、当時の
河野一郎建設大臣がやはりこのことに関心を持たれまして、建設省も
かなり真剣に検討した時期がございましたけれども、残念ながらといいますか、ちょうど
河野さんも突然急逝されてしまったということもありますし、それと
東京の
都市問題が当時、六四年に、
昭和三十九年に
東京オリンピックがございまして、
東京オリンピックに向けて一丸となって
都市の
整備をやろうということで一生懸命やっていったわけですね。それがちょうど
オリンピックのときに一応終わりまして、
青山通りもきれいになったし、新幹線もこのときにできました。
首都高なんかも
最初のものが多分このときできたと思いますけれども。
そういうことで、表面上はきれいな
東京ができてしまったものだから、これで
東京の
都市問題は片づいたではないか、そんな
ムードも若干あったということ。それから、もちろん
人口の
集中は続いていたわけですけれども、やや、
いっときほどは激しくなくなった、おさまったような
感じがしたというようなことがありまして、それでこのとき、私どもは第一次
遷都ブームなんて言っていますけれども、
いっときかなり盛んだった
遷都の
動きというのは鳴りをひそめてしまったようなところがございました。
ただ、私がここで申し上げたいのは、こうした一連の
遷都の
運動の背景には、
東京の
過密がとどまることを知らない、もはや小手先の
都市改造では追いつかないということが共通の認識であったということなんです。
さて、第一次
遷都ブームというのがそういうわけで
鎮静してしまった後で、現在再び、今一生懸命こうやって審議されているように、
移転の問題が
動き出したのは、八七、八年、要するに
昭和時代の末期という
感じなんですけれども、折から
バブルで
土地価格が
高騰いたしまして、これは大変だ、何とかしようというようなことになってきたわけです。
その
対策として、
最初は、一
省庁一
機関移転というキャッチフレーズを覚えていらっしゃる方もあると思いますけれども、
首都機能の
移転というのは大変小
規模なもので、各
省庁の一部の
機関を
地方へ出せばいいではないかというようなことでやっていたわけです。これは、御
承知のように、今大宮とか浦和とか、そういうところに一部分散するのは全部いわゆる
支分部局という小さな部門あるいは研究所とかそういうものであって、ほとんど
効果は期待できないのではないかと思っております。
それはともかく、このころになって、以前から新
首都問題懇談会というのがございまして、これは
今新首都推進懇談会という名前に変わりましたようですが、そこによっておられた
国会議員の
方たちが、ちょうど
地価高騰のころに、やはりこれは大変だということで再び総会を開いたり活動を開始されまして、いわばその後は、何というか、
役所の方は割合消極的だったんですけれども、嫌がる
役所を引っ張るように、
国会主導というか
政主導でもってこの
運動が今日まで盛り上がってきたんだと私は見ております。
そこで、
遷都のねらいというものですが、これは広い
意味での
都市問題であると私は考えています。もう
都市問題以外の
理由は要らないんだ、
都市問題であるんだということなんですね。
というのは、六〇年代の初頭に、今申しましたように
遷都論が
最初に起こったわけですけれども、二度目の八七年の十二月に行われました新
首都問題懇談会の
決議、そのときに
決議をいたしまして、その中に書いてあるのは、ちょっと読ませていただきますと、この発展の過程において、
人口、
産業の過度の
集中により、
過密問題、水問題、特に最近の
地価高騰問題に見られるような
土地問題など多くの問題に直面してきたというふうに述べていますが、こういう形で、
地価高騰という形で噴出してきた
東京の
都市問題が今回の
動きの発端になったわけです。
これも
皆様自身が
決議されたわけですけれども、
国会開設百年という機会に行われた両院の
決議でも、
人口の
過密とか
地価の
高騰とか、良好な
生活環境の欠如、
災害時における
都市機能の麻痺などということが書いてあって、こういうことがあるので、「
一極集中を排除し、さらに、二十一
世紀にふさわしい政治・
行政機能を確立するため、
国会及び
政府機能の
移転を行うべきである。」というふうに述べられております。
それで、この際ついでに申し上げると、
最初の六〇年代の
過密というのは、
東京だけでなくて大阪とか京都とか、既成の
大都市がいずれも
人口を集めて
大都市集中という
状態だったわけです。それに対して今回は、要するに、八七年ごろからの
過密問題というのは
東京への
集中である、
東京への
一極集中であるということがあるわけで、これは単に
東京問題というのではなくて、
国土のバランス上からいってもそれだけ深刻な問題だと私は考えるわけです。
東京のというと、とにかく
東京だけの問題だと思われては困るわけで、これは
東京一極集中というのは、何といっても
国土構造の改編、それから、
国民の間にしみついた
東京志向といいますか、
東京に住むのがいいんだ、
東京で
仕事をするのがいいんだ、そういう
東京志向の
意識を改革するという
意味でも
大変意味がある
国土政策じゃないかと思っております。
どうも
東京では、今度の知事のことはよくわかりませんけれども、都知事以下都議会も
首都機能移転に
反対だとおっしゃって、いろいろ
運動もされておられますけれども、私も
東京都民の一人ですけれども、私に言わせれば、
首都機能のような余計なものがなくなれば、もう少しすっきりして、
東京の
改造もしやすくなるんじゃないかと思っておりまして、何か
東京の
反対というのはもう一つわかりにくいなという気がしております。
こういうことで、
都市問題、とりわけ
過密問題から
遷都の
必要性というのが論じられてきたわけですけれども、こうやってこの十年ほど
動きが具体化してくるにつれて、新しい
理由づけがいろいろ出てきたわけです。
その主なものを挙げますと、
行政改革、
地方分権の
契機にしようというものとか、
景気浮揚にいいのではないかとか、あるいは
人心一新であるとか、
地震、
災害対策、そのほかいろいろあるわけですが、これらのうちで第一番は、小さな
政府をつくる
行政改革ですね。
規制緩和とか
地方分権というものの
契機にしてはどうかという
意見が
かなり根強くありまして、これはいろいろな
報告書にも書かれております。
ただ、その
時点では、今もはや
省庁再編法案とか
地方分権の
法案が
国会に出てくるほど具体的になったわけですけれども、この
議論がまだ緒についたというか、これは戦後もたびたび繰り返されながら
余り成果を上げていなかったわけで、そのときにはまだ
議論が始まったなというような
段階でございました。
橋本総理大臣は
かなり熱心にやられていた。意気込みはよくわかった、だけれども、やはり結局ポシャっちゃうんじゃないのかというのが一般の感覚ではなかったかと思うのです。
ですから、こんな
議論だけではだめだ。それで、入れ物からまず移してしまえば、そのときにとにかくこんな大
規模な、霞が関全部を引き連れるというわけにいかないわけだから、ここで要らない
機能と要る
機能をえり分けして、それで要る
機能だけ、本当に必要な
機能だけを新しい
首都へ持っていけばいい、そうすればスリムな
政府ができるのではないか、そういう
議論だったわけですけれども、考えてみれば本末転倒と言えないこともない
議論でした。
それと、
行革、
地方分権の方が今申しましたように
かなり具体化して、
最初に予想されたよりは大
規模なものになったと思います。
私は、これで十分だとは全然思っておりませんけれども、それでも本当はもっと小さな、小
規模なものにとどまるのではないかと思ったら、例えば曲がりなりにも
機関委任事務がなくなるとか、一定の
成果を上げているわけですから、それで一応スリムな
政府をつくるきっかけに
首都移転をしようというような
議論というのはこの
時点で
説得力を失ってしまったのではないかと思うのです。
それと、いずれにしても、早くても十年先に移るということであれば、それは
行革の方が先だということは決まり切ったことなので、考えてみれば初めからちょっとおかしな
理由づけではなかったかなという気がいたしております。
その次に、
景気浮揚ということが言われました。これは、御
承知の
不況でもって、こういうときに十四兆円なんという巨額な
事業費を出すのであれば、
波及効果を含めれば相当なものになろうということで、ここのところはいろいろなシンクタンクが計算して、やれ大変な額になるというようなことを言っておりましたわけですけれども、いずれにしても、これは順調に着工されても二年先でありまして、それから十年かかる。十四兆円を一年に使うわけではないわけですね。一年にならしてやれば大した額にはならない。もちろん
波及効果というのはばかにならないと思いますけれども、それにしても当面の
対策には間に合わないわけです。
それに、
国土庁がその後、一昨年でしたか、改めて試算したところによると、総
事業費は多くても十二兆三千億円である、小さければ七兆五千億円で済むというような計算でありまして、
国会を
中心とする第一
段階ではそのうち四兆円というのですから、四兆円を十年ということになると、これは本当にささやかな、ささやかなと言うと語弊があるかもしらないけれども、
景気浮揚とはほど遠い額と言わざるを得ません。
逆に言えば、
財政窮迫の折に
首都移転みたいな大変な
事業をやるのはむだなことだという
意見が一方にあるのに対しては、いやいやそんな、十年で四兆円ぐらいのものであれば、このうち公的な支出というのはもっと少ないわけですが、
首都機能移転の意義とか
効果を考えればとても
むだ遣いというようなものではなくて、この
程度の負担なら
許容範囲だと言わせていただきたいぐらいのことだと思っております。
第三に、
人心一新というのもありました。これは既に九二年の
段階で、
首都機能移転を考える
有識者会議というのが
懇談会とは別にできまして、経団連の平岩さんなどが座長になってやっておられましたが、その
報告は大変簡単なものですけれども、その中において、二十一
世紀における
人心一新の好機であると述べられて、その辺も含めて
人心一新という
言葉が
かなりはやってきたわけですけれども、それからその後が、
不況が大変
深刻化してきたとか、あるいは
サリン事件のようなものが起こったとか、いろいろ
世の中悪いことが続きまして、明るい
ムードという
意味も含めて
人心一新と殊さらに言われたと思うんですけれども、これは
ムードの話であって、大変根拠薄弱な
理由じゃないかと思います。
それと、こうした中で、
地震、
災害対策というのがありますが、これはたまたま阪神・淡路の大震災が発生したために強調されるようになりましたけれども、これはもともと
遷都論の当初から言われていたことで、その
理由づけの中に入っているわけだから、改めて言われた問題ではないと思いますが、いずれにしても、
東京のような脆弱な巨大な
首都に大
災害が発生すれば、その
機能が麻痺して全国的に大
混乱を招くであろうということは火を見るよりも明らかなわけで、そこへもってきて
専門家も、将来
直下型地震が発生する
可能性は非常に高いと指摘しているわけですから、大変重要な
理由づけであると思います。完全に安全な地域というのは、列島上にどこにそんな安全なところがあるかといえば、これは完全に安全なところがあるはずはないんですけれども、より
災害の
可能性の低いところへ置いておく方がいいということは、当然の
考え方だろうと思います。
それで、繰り返すことになりますけれども、結局、
首都機能移転というのは、
東京の
過密、
一極集中から発した
都市問題であって、それが広い
意味では
日本の将来にかかわる
国土政策になるわけです。そのことこそが
首都機能移転の
必要性の原点ともいうべき
唯一最大の
理由なんであって、それ以上あれこれ
理由づけする必要はない、何ら補強しなくてもこれだけで立派な
理由だと考えております。
東京の
人口について申しますと、御
承知のように、戦後一貫してふえ続けてきたわけで、その
過密ぶりは、既にもう
最初に
遷都論ブームの起こった六〇年代に限度に達していたと言っていいのであって、それ以後は、もうオーバーフローしながら、漏る水を継ぎはぎしながら、なおかつ
水漏れは続いておる、とにかくもう満杯を超えた
状態が続いていると言っていいと思うんですね。
それで、七〇年代のオイルショックなんかを経まして低
成長期に入りますと、いわゆる
産業構造の変化もあって若干
地方へ工場とか
事業所が
移転するというようなこともあって、
地方の
時代というようなことが言われたり、実際に
数字の上でも
大都市への
集中が若干
鎮静化へ向かったと言われた時期もあったわけです。ところが、それもつかの間で、八〇年代に入ると、従来の
首都機能に加えて
国際経済金融都市というような側面がクローズアップされるようになりまして、
東京の独走というような今日の
状態に至っているわけです。
ところが、九五年の
国勢調査では、
東京は
人口が戦後初めて減少したわけです。
移転に批判的な
方々は、これで
一極集中の山は越えたのではないか、もはや
首都機能移転の必要はなくなったのではないかという御主張をされているわけですけれども、実はこの年が
人口の上では底であって、その後の
調査によりますと、
国勢調査はその後行われていないわけですからほかの
人口統計ですけれども、翌年から早くも増加に転じておりました。これは、都全体としてもそうですし、
都心三区についてもそうですね。それから、少し幅を広げて
東京圏、一都三県について見ても、同じように
人口が上向いてきています。これまでのようなことはないんですけれども、やや持ち直したというような
状態になっております。
それで、こういう
不況の中で、なおかつ
人口がわずかとはいえふえているということは、大変注目すべきことじゃないかと思うんですね。そこには、
東京への
集中圧力の根強さというものを
感じるわけです。いずれにしても、
日本の
人口自体が、二十一
世紀に入ると間もなく、二〇一〇年ごろから下降に転じるということが言われておりますので、
東京の
人口はどんなことがあってもかつてのように急増することはないわけで、長期的に見れば減少に向かうことも間違いないと思うんです。そうはいっても、大
災害でもない限り、
人口が急減するということは考えられないわけですね。
現在の
東京というのは、
首都なるがゆえに集まった人とか
企業、それから、単純に
大都市の
快適性とか
利便性を求めて集まった人とか
企業が混然となって
集積が
集積を呼び、それに加えて
東京に住むとか
東京で
仕事をする、営業する、店を構えるということが一種のステータス化しているということが、よその国には見られない極めて特徴的な
事柄ではないかと思うんです。
詳しいことは、時間もありませんし述べませんけれども、明治以来続いてきた
中央集権体制を通じて
お上意識というものが
大変国民の間に深くしみ込んで、それが
東京中心主義となって、その
東京中心主義が一朝一夕に消えるということはないんじゃないかと思っております。
東京への
集中圧力というのは、深く、大変根強く潜在していると思うわけです。
それで、今、
都心の
人口が若干でも回復していると言ったのは、一つは
地価の
鎮静で、
都心の方も含めて多少これまでより安い
住宅が供給されるようになってきたということがあると思うんですけれども、別の言い方をすれば、それだけ、すきあらば
東京に住みたいと考えている人が多いということですね。
それから、同様に
企業の方でも、
不況のために
いっとき撤退したり
規模を縮小したりしたところが
かなり多いわけですけれども、
景気が少しでも回復へ向かったら戻そうという
動きはまだ見られると思いますし、それと、実際に
地方の方では今でも、まだ
東京へは出ていないけれども、
地方で成功したからやはり
東京へ支店を出したいとか、
東京へ、うまくいけば本店も移そうとか、大変小さな、極端に言えば
お菓子屋さんみたいな中小の
企業の
方々でもそういう欲求というのを潜在的に持っておられる。それほど
日本人の中にしみついた
東京中心主義というのは強いものだろうと思うわけですね。
それで、とりあえず
東京とか
首都圏への
人口増が終息したと考えても、それで
東京の問題が解決したということにならない点が大変重大です。というのは、
通勤電車の
ラッシュというのは、
皆さんも御経験はあるのかないのかわかりませんけれども、大変な混雑で、今でも二〇〇%の込み方というような路線がたくさんあるのは運輸省の
統計からもうかがわれます。
それから、
道路の渋滞も大変なもので、これもちょっとやそっとでは直らない。例えば
首都高速道路なんかも、見ていますと混雑する場所はある
程度決まっておりまして、ここのところへこうバイパスをつければ、こうやって少し
交通量をこちらに逃がせばこの
交通ラッシュはなくなるというようなところはたくさんあって、そのことは理論上はわかっているけれども、しかし、ひとつそれじゃ新しいルールを設けようというようなことになりますと、これは新たに
お金もかかるし、そもそもこれだけ密集したところで、
土地は
お金だけの問題ではなくて、交渉だけでも大変な時間がかかるということで、ほとんど不可能に近い。つまり、
改造不能になっているわけですね。
ですから、今の
状態では、
人口がちょっとやそっと減ったから快適になるということではなくて、とにかく
かなり大きな力をもって
人口を減らす努力をしなければならないと思っているわけです。
これは
数字を言ってもしようがないんですけれども、
都市計画道路の
実施状況なんかも、せっかく
都市計画が行われていてもできていない
道路というのは、
東京の
都心部は大変多いわけですね。ほかの県と比べても仕方がないので、
政令指定都市、特にいわゆる旧六
大都市なんかに比べてみると、横浜は
東京と並んでいますから、これは別としますと、ほかのところは軒並み
東京より
かなりの
パーセンテージで
達成率が高い。ところが、
東京の方は、将来その
パーセンテージがよくなるという展望もないように思われます。
そもそも、
地価というのは
鎮静したと言われていますけれども、これはどういうふうに
鎮静したかというと、今度の
バブルの発生前の水準まで下がったということで、
東京の
土地自体はもともと高いと言われているんですが、これは諸
外国に比べて大変高いわけで、今
鎮静したというのは、今回の暴騰以前の
数字に戻ったぞというにすぎないのですね。ですから、
東京はほかの
日本国内の
都市に比べて高いというだけでなくて、もともと諸
外国に比べても、香港とかシンガポールとか若干例外はあるけれども、多くの
都市に比べて大変高いということも、やはり気をつけておかなければならない点だと思います。
ここまで大体、
首都機能をこのまま
東京に置いておいてはいけないというふうなことを重点にしてお話しさせていただきましたけれども、私の
最初に申し上げました分都論について、ちょっとオーバーしてしまいましたが、お話しさせていただきたいと思います。
そこで、どこへどのような
首都を建設するべきかということが今まさに論じられているわけですけれども、予測を含めて言うならば、恐らく今の
国会等移転審議会は、候補地として一本に絞り切らないだろう、複数の候補地を挙げてくるんじゃないかと思うわけですね。そうすると、
国会議員の
皆さんといえども、それぞれ地域の利害を代表しておられるわけですから、複数の候補地を挙げてくるということになると、なかなかこれはまとまらない、一本化するのは容易でないと思うんです。おまけに
国会等移転法がこの前改正された
時点で、審議会の答申が行われた後で、なおかつ
東京との比較考量をした上で検討しなければならないというと、何か候補が少なくとも三つあるというような
感じになりまして、ますます大変で、このあたりで暗礁に乗り上げてしまって
動きがとれなくなる
可能性もあるんじゃないかと思うんです。
そういうことですから、
首都移転不要論が台頭して、なおかつ、
国民の世論が盛り上がりが余りないというこういう逆風の中で、考えてみますと、どうもうまくいくのかなというのは、どうも私は悲観論に傾かざるを得ないところがあります。
そこで、それならばどうすればいいかということですが、私が以前から考えている分都というのは、分都の概念というのは
皆さん御
承知と思いますけれども、私なりにかみ砕いて言ってしまうと、例えば
東京に、今霞が関あたりに
集中している中央の官庁を、名古屋とか大阪でもいいんですけれども、もっと小さな
規模の、どこでもいいんですけれども、例えば新潟に農林水産省とか、金沢に文部省を置くとか、広島に通商
産業省を置くというようなぐあいに分散配置したらどうかと思うわけです。既成の
都市でなくてはいかぬということではなくて、むしろもっと小さい
都市でもいいわけですから、条件のいいところがあれば大蔵省がどこかもっと片田舎の村に移ったって差し支えないと思うわけです。今は大変メディアの発達している
時代ですから、そういうことは余り不便にならないというのが私の
考え方であって、場合によって一つぐらい
東京に官庁が残ったってそれは構わないと思うんですね。
それで、そうするとどういういいところがあるかといったら、まず第一に、今激しくいろいろな各地の、三つのブロックでそれぞれの県が誘致競争をしておりますけれども、そういうところには一つずつ官庁を配るというのは変ですが、とにかく分散することがあります。今はとにかくいろいろなところで競争をしておりますが、これはオール・オア・ナッシングで、うちへ来なければ何にも来ない、一つの県はもう全部抱えなければいけないというので、考えてみると、一つの地域で全部抱えるというのも大変なことなんですけれども、そういう
意味で大変円満にいくのではないかという、現実的にはそういうことが一つあります。
それと、開発に費用がかからないということですね。新
首都は今大した額じゃないと言いましたけれども、とにかく一定の十数兆円の
お金がかかるということですけれども、既成の
都市なりそういうところへ行けば、極端な話をすればビルが一つあればいいわけです。今大蔵省も一つのビルに入っておりますし、建設省なんかは運輸省と一緒に二つの省が一つのビルに入っているわけですから。
役所というのは一応一つのビルが要る。それならば、既成の
都市を、あるいは村でもいいんですけれども、ビルを一つ建てればいいわけですね。地元の方は歓迎していますから、うまくいけば多分
土地なんかは非常に安く提供してくれるし、そういうことがいいかどうかは別として、おれの方でビルを建ててやるから入ってこいというようなことが引く手あまたでありますから、そういうことで多分費用は大変少なくて済む。引っ越し費用だけで済むかもしれません。
それと、もう一つ重要な
理由は、地域の活性化に役立つのではないかということです。
つまり、一つの
役所が来れば、そこの
役所の
人口だけでも一定のものがあります、家族も含めますから。ところが、それに随伴していろいろな
機能が来るわけですね。これはちょっと権限の移譲と矛盾するんですけれども、どんなになっても、どうも今の中央官庁というのは、権限の巨大さはいかに
行革が行われてもなかなか失われるものではないので、今は
東京にいろいろな
企業や団体が集まっている
理由の一つは、例えば大蔵省に近いから、通産省に近いからということなんで、もし通産省がどこかの
都市に行けば、通産省の外郭団体が多分そこへぞろぞろついていくであろうし、多分大きな会社も、本社は移さないまでも有力な支店をそこに置くとかということになるのではないかと思うんですね。そういうことも含めて、そうすれば地元も潤う、地域の活性化に大いに役立つ。これを、ですから満遍なく
日本列島の中で、四国や九州とか北海道とかそういう離れたところも含めて分散していくと、地域の活性化に大変役に立つのではないかと思うわけです。
それで、今
お金がかからないと言いました、開発がほとんど要らないと言いましたが、これは、もう一つ言えば自然に優しいということですね。
今、新しい
都市についてイメージが描かれると、みんな森林の中の、キャンベラとかブラジリアみたいな形の
都市を想定されているようですけれども、それはそれですばらしいことなんですけれども、ただ、それには自然の破壊が伴う。私はある
程度やむを得ないとは思うんですけれども、ただ、それはやむを得なくはない、絶対いかぬという御
意見もあるわけで、そういう御
意見に対しては、これは大変有力であって、ほとんど自然を破壊することはなく新しい
首都ができるということです。
それで、一方で
東京について言いますと、
東京についてはもうすべてのほとんどの官庁が抜けるということですから、これは一括して
移転したのと
東京としては同じ
効果が上がるわけですね。すべての官庁がなくなるという点では、
移転先が一カ所であろうと複数の箇所に分かれようと
東京についての
効果は同じである、そういうことです。
そういう言い方をしますとしばしば
反対論に遭遇するんですが、例えば
役所のお役人は、いやいや、我々はとにかく
国会が開かれている間じゅう張りついていなければいけないのであって、そんなとんでもない、離れちゃったら
仕事にならぬというようなことをおっしゃるわけですけれども、これは私に言わせれば、今みたいに、議会が開かれると、関連の
役所の方が局長以下課長や伝令役の方が大勢詰めかけて、あるいは前の日に質問をとって大変だ、とにかく
国会が開かれている間は本来の
仕事にならない以前のことが起こっているわけですけれども、それは本当は正常な姿ではないと思うんですね。
実際を言えば、
国会というところは、多分、その省を代表する大臣が答弁をするというのが原則でありまして、よほどのことでなければ補助の職員に答弁させる必要はないわけです。もちろん、そうはいっても、大臣も時々おかわりになるわけだから、すべてを掌握されているわけではないわけですから補佐役というのは必要だと思います。ですから、補佐官というようなもの、あるいは官房長とか、あるいは官房に補佐官のようなものを置いて、そういう人を一人か二人つけておくというようなことで日常的な答弁は済みますし、それでもし足りないというときは、よく私は笑い話で言うんですけれども、こういうところに何かスクリーンを置きまして、それで、要するに大臣も答えられないし、あるいはその補佐の人も答えられないというような問題がありましたら、例えば金沢に文部省があって、文部省の関連の質問があるときには、ボタン一つ押すと金沢にある文部省の担当の課長か何かがそこのスクリーンにあらわれて、実は細かいことはこういうことでございますというような答弁をすれば、何も必ずしもそこにその人が座っていなくてもいいのではないかと。それであれば、
役所の方も、
国会が開かれているからといって、大半の人は日常どおりの業務ができてスムーズにいくのではないか。ですから、
国会と官庁が近くにあるということは必要がないのではないかと思っております。
それと、例えば閣議がありますね。これも毎週二回やっている閣議はどうするんだということになりますけれども、今の
交通機関の発達であれば、まず飛行機で来ても日帰りできないというところはほとんどないわけで、それほどへんぴなところへ
移転するということも考えられませんから、多分往復できると思いますし、考えようによっては週に二回顔を合わせなくてもいい、顔を合わせるのは一回で、一回はもうテレビ
会議で済ませるとか、そういう方法だってあるし、いろいろな方法が考えられるわけですね。とにかく、フェース・ツー・フェースというのはそれなりに大事なことだと思いますけれども、絶えず顔を突き合わせていなければならないということはないわけで、メディアのこれだけ発達した
時代ですから、それなりの方法を考えていけば、遠くに離れていても何ら問題はないというふうに思うわけです。
分都論というのは私が常々思っていることで、何かちょっとタイトルとは違うんですけれども、申し上げさせていただきました。
私が申し上げたいところは大体そういうことなんですけれども、大変残念に思っておりますのは、返す返すも残念なのは、
世紀を画する年という西暦二〇〇〇年に着工するというはずだったこのスケジュールが四年も延びてしまったということで、何かきっかけがないとどうも
日本人は
動きにくい。それで、きっかけがあれば、そのかわりそれには間に合わせるということがあって、
オリンピックのときに
東京の
都市整備ができたのも、新幹線がちゃんとその日までに開通したのもそういうことですし、札幌の
オリンピックにしろ万博にしろ、そのたびにいろいろな目標ができて、そのときにはスケジュールどおりにでき上がって、間に合わなかったというためしはないわけですね。
外国なんかでは、よく、
オリンピックはあったけれども、使われないホテルがあった、要するにそれに間に合わない施設があったとかそういう話を聞きますけれども、
日本に関していえばそういうことはないわけで、例えば、今度もワールドカップのおかげで曲がりなりにも成田が少し
整備されたことがあるんですけれども、そういう
意味では、
世紀を画する年がなくなってしまったのは大変残念なんですが、新たな目標を設けて、ぜひ何らかの形で一括
遷都にしろ分都にしろ推進していただきたい、そういうふうに思っております。
大変お聞き苦しいところがありましたと思いますけれども、御清聴ありがとうございました。