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1999-04-28 第145回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第5号
公式Web版
会議録情報
0
平成十一年四月二十八日(水曜日) 午前九時三十三分
開議
出席委員
委員長
井上
一成君
理事
佐藤 勉君
理事
桜井 郁三君
理事
滝 実君
理事
蓮実
進君
理事
桑原 豊君
理事
永井
英慈君
理事
久保 哲司君
理事
吉田 幸弘君 岩永
峯一
君 下村 博文君
園田
修光
君 西川 公也君 西田 司君 古屋
圭司
君 宮本 一三君 渡辺 喜美君 赤松 広隆君 伊藤 忠治君 小林 守君 宮地 正介君 中島
武敏
君
知久馬二三子
君
出席政府委員
国土庁大都市圏
整備局長
兼
国会等移転審
議会事務局次長
板倉 英則君
委員外
の
出席者
参考人
(駐
日マレイシ
ア特命全権大
使)
タン
・
スリ
・H.M.
カティブ
君
参考人
(駐
日オースト
ラリア公使
)
トレーバー
・
ウィルソン
君 通 訳
石田
真紀
君
衆議院調査局国
会等
の
移転
に関 する
特別調査室
長 白兼 保彦君
委員
の異動 四月二十八日
辞任
補欠選任
棚橋
泰文
君
園田
修光
君
保坂
展人君
知久馬二三子
君 同日
辞任
補欠選任
園田
修光
君
棚橋
泰文
君
知久馬二三子
君
保坂
展人君
四月二十七日 幾
央高原
への
首都機能移転
に関する
陳情書
(第一九五号) は本
委員会
に参考送付された。 本日の
会議
に付した案件
国会等
の
移転
に関する件 午前九時三十三分
開議
――――◇―――――
井上一成
1
○
井上委員長
これより
会議
を開きます。
国会等
の
移転
に関する件について
調査
を進めます。 本日は、
参考人
として駐
日マレイシア特命全権大使タン
・
スリ
・H.M.
カティブ
さん、駐
日オーストラリア公使トレバー
・
ウィルソン
さんに御
出席
をいただいております。 この際、
参考人各位
に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本
委員会
に御
出席
をいただきまして、まことにありがとうございます。両
参考人
には、
首都機能移転
に関する
知識
及び
経験
について、忌憚のない御
意見
をお述べいただきたいと思います。 なお、議事の順序ですが、まず、両
参考人
から十五分程度御
意見
をお述べいただき、その後、
委員
からの
質疑
に対してお答えいただきたいと存じます。御
発言
は着席のままで結構でございます。 なお、本日は、
通訳
を駐
日マレイシア大使館
、
石田真紀
さんにお願いしております。よろしくお願いいたします。 それでは、まず
タン
・
スリ・カティブ参考人
にお願いいたします。
タン・スリ・H.M.カティブ
2
○
カティブ参考人
(
通訳
)
委員長
様、ありがとうございました。 本日は、このような
機会
に招いていただきまして、
マレーシア
の新
行政府プトラジャヤ
についてお話しさせていただく
機会
を得ましたことは、私にとって大変光栄なことであります。 本日は、こちらの
オーストラリア
の方に比べますと、
マレーシア
の方はまだ実際の新
首都
として
機能
しておりませんので、いささか不利な面があるような気がいたしますけれ
ども
、
マレーシア
の
プトラジャヤ
の方にも来月
首相
が動く
予定
です。 あらかじめ答弁の内容を配付させていただいていたのですけれ
ども
、これについては、本日はこのとおりには読まないことにいたします。また、薄目のフォルダーに
マレーシア
の
参考資料
を入れておきましたが、本日、皆様にこの
プトラジャヤ
の
建設状況
のビデオをお見せする
機会
がなくて残念です。 そして、この
資料
の中に
カラーコピー
の、こちらの
地図
と写真が入った
プトラジャヤ
の現在の
建設状況
を示しているものがあります。このように、
マレーシア
の
プトラジャヤ建設
も進んでおりまして、
経済危機
があったとはいえ、順調です。そして、もう一枚の
カラーコピー
が、これは
プトラジャヤ
の
行政府
が設けられます地区の
地図
です。 そして、この新
行政府
をつくるという
構想
は決して新しいものではありません。
マレーシア
は、これからの
開発
そして
発展
を考えたときに、今後より
計画
的に
建設
された
都市
をつくることが必要だと考えておりました。今現在の
首都
の
クアラルンプール
は
川沿い
につくられた町ですので、いろいろと不都合な面もあるわけです。今の
マレーシア
の
首都クアラルンプール
は、これから
発展
していく国の
首都
としてふさわしくありません。現在、
交通渋滞
な
ども
悪化する一方です。そして、現在の
首都クアラルンプール
から
行政機能
を
移転
することによって、そこのあいた
スペース
に、より
商業目的
あるいは
ビジネス目的
の
機能
を果たす
団体
が入ることができます。
最初
に立ち上げられました
構想
では、この新しい
都市
を山際の方に
移転
するということでした。そして、きれいな美しい景観のもとで仕事をしようということでした。しかし、一九九五年、
マレーシア
は
マルチメディア・スーパー・コリドール構想
というのを立ち上げました。
マルチメディア・スーパー・コリドール
というのは、幅十五キロ、長さ五十キロの帯状の
地域
のことです。この
マルチメディア・スーパー・コリドール
の北に位置するのが
クアラルンプール
でして、ここは新しく
建設
された
ツインタワー
などに象徴されます。そして、このコリドールの南に位置するのが新
国際空港
、これは先日、
黒川紀章
氏のデザインによって完成いたしました。
マルチメディア・スーパー・コリドール
の
目的
は、最先端のハイテクを導入することと
情報通信技術
を導入することです。特に、この
マルチメディア・スーパー・コリドール
の
中心
につくられます
サイバージャヤ
は
情報通信分野
のための町です。 先日、
井上委員長
様に、なぜ
マレーシア
は
マルチメディア
に目を向けてこれから進もうとしているのかという
質問
を受けました。それに対して、私は、
マレーシア
は二十一世紀は
情報
そして
知識中心
の社会になると答えました。
マレーシア
は小さな国です。そこで、これからの世の中で、
世界
の中で参加していくためには、この
情報通信分野
の参入が必要となります。また、独立をかち取ったというような歴史的な
経験
からも、この
マルチメディア
の
分野
において北の国々だけに任せていては我が国が危ないと考えています。 ここで、将来の
マルチメディア
の
世界
的なルールの中に参加するためには、
マレーシア
のような
発展途上国
も、この
分野
において
役割
を果たさなければなりません。もちろん、
マレーシア
は
技術
においてもまだまだ不十分です。そこで、このような
マルチメディア・スーパー・コリドール
という
地域
を設けまして、
世界
じゅうから
最高水準
のインフラやアメニティー、
公益施設
、それからインセンティブなどを導入いたしまして、
世界
の
マルチメディア
の
中心
となることを目指しています。 そこで、
マレーシア
は、よりクラシックな
イメージ
の丘の上にある美しい新
首都
という当初の
構想
ではなく、より
機能
的で、
情報通信分野
に目を向けた新
首都
をつくろうという
構想
にいたしました。また、これは、ひいては小さな
政府
を目指すという
方向性
でもあります。これで、
民間
にできることは
民間
に任せ、
政府
は
政府
しかできないことをするということです。 そこで、この新しい
行政都市
の隣には
情報通信都市
を設けます。
情報通信都市
というのは
サイバージャヤ
と呼ばれ、この
行政都市
の方を
プトラジャヤ
と呼びます。
マレー語
でジャヤというのは
成功
という
意味
をあらわします。プトラというのは
初代マレーシア首相
の名前でした。これが新しい
行政都市
をつくろうという決断でした。 あらかじめ配付させていただきました
資料
にありますように、この
プトラジャヤ
の
人口
は三十五万人になる
予定
です。
公共部門
で七万五千人ほど、そして
民間部門
で十三万五千人ほどの
労働人口
となる
予定
です。
敷地面積
は四千五百八十一ヘクタールになるはずです。新
国際空港
は一万ヘクタール。この新しい
都市プトラジャヤ
には
マレーシア
の
イメージ
が反映されます。
マレーシア
の文化そして建築が反映されますが、同時に、それは近代的で
機能
的なものです。この町をだれがデザインし、だれが設計したのか、そしてだれがつくったのかと聞かれれば、それは
マレーシア人
だと私は答えます。 そして、
建設
に幾らかかったかと言われますと、それはまだ私
ども
もわかりません。ただ、この
建設
される
土地
は、もともとゴムの木そしてヤシの木の畑でした。ですから、この
マルチメディア・スーパー・コリドール
を
建設
するに当たって、だれかもとから住んでいた
住民
を動かさなければならないというようなことは余りありませんでした。 さて、この
開発プロジェクト
をどのように私
ども
が実際に
運営
しているかということですけれ
ども
、
プトラジャヤ
の
建設
は、
プトラジャヤ・ホールディングス
という
会社
が
責任
を持っております。この
プトラジャヤ・ホールディングス
の株式のシェアは、
マレーシア
の
大手石油会社ペトロナス
、それから二つの
政府系トラストファンド
によって賄われております。そして、だれが実際にこの中の
建物
や公園や湖や
交通機関
を
建設
するかということですけれ
ども
、それは、
マレーシア
の
開発会社
五社が請け負うことになっております。 この
構想
の中にあるのは、つまり、
政府
は
民間
ができないことを補うということです。そして、この町のメンテナンス、維持については、
民間部門
の方が実際に行います。
政府
の方は、むしろ家賃や
リース料
などをこちらに払うことになります。 さて、
マレーシア
のこの新
行政府
は、結局
マレーシア
が実際必要としていることを満たすためにつくられます。それは、より
機能
的な小さい
政府
であり、
コンピューター
などをしっかり導入した
政府
です。 例えば、
市民
が、
国民
が、
政府
に対してアクセスするときの方法は、一枚のカードによってすべて行うことができます。それは、収入の申告でありましたり、税金の支払い、それからパスポートの申請な
ども
賄われる
予定
です。こうすることによって、今までのお
役所
的と言われたようなことはなくなり、より
効率
のよい
行政サービス
を行うことができます。そして、
人々
はそれを
コンピューター
にアクセスすることによってできます。
マハティール首相
が一九八〇年代初頭に就任して以来、
日本
の
日本株式会社
という概念のような、
マレーシア株式会社
という
構想
を進めてきました。今も
マレーシア
はこのような方針を貫いておりまして、そして今は、
開発
は
民間部門
が率いるものとしています。
マレーシア
を御存じの方はもちろん知っていらっしゃることですけれ
ども
、
マレーシア
は多
民族国家
、そして多
宗教国家
です。したがって、強い
政府
が必要です。そして、強い
政府
には強い
経済
が必要です。そして、強い
経済
には活気のある
民間部門
というのが必要です。
井上委員長
、私からは以上です。ありがとうございました。
井上一成
3
○
井上委員長
ありがとうございました。 次に、
トレバー
・
ウィルソン参考人
にお願いいたします。
トレバー・ウィルソン
4
○
ウィルソン参考人
オーストラリア大使館
の
公使
の
ウィルソン
と申します。 きょうは、ちょっと私の不十分の
日本語
で、直接、
委員会
の
メンバー
の
質疑
にできるだけ返答をしたいと思いますが、もし私の方でわからないことがございましたら、あるいは私の
日本語
が不足したところがあったら、勘弁してください。
最初
に、ちょっと
自己紹介
の形で、私は、一九六一年、つまり三十八年前から
キャンベラ
に住みまして、そのとき、学生として
オーストラリア
の
キャンベラ
にある
豪州国立大学
を卒業しました。その後、
オーストラリア
の外務省に入りまして
外交官
になって、もちろん
海外出張
もございましたが、そのほかはずっと
キャンベラ
に滞在してきましたから、その
意味
で、
自分
の目で
キャンベラ
の
発展
と
開発
も
経験
しておりました。 きょう、私の
資料
、
委員
の
メンバー
に配付された
資料
の中に、
キャンベラ
の歴史、
キャンベラ
の
発展
についての説明がございますが、それは私の
発言
に繰り返さないつもりなんですが、むしろ、
幾つ
かの重要な点だけを強調したいと思います。 まず、
キャンベラ
の
構想
、
オーストラリア
の
首都
として
構想
ができましたのは、
オーストラリア
が独立した
連邦国
になってからすぐ後のことでしたから、つまり、国として、
連邦政府
の
行政
、
オーストラリア
の
連邦政府
としての
機関
、
組織
がまだ小さいときに、
キャンベラ
というところに
首都機能
を
移転
する
計画
をつくりました。 年を言いますと、
オーストラリア
は一九〇一年に一つの
連邦政府
になりまして、一三年に
キャンベラ
というところに
首都
をつくる
計画
を発表しまして、一九二六年から
キャンベラ
の
首都
としての
機能
が始まりました。一九二七年に
キャンベラ
で
国会
が
開会式
をやりました。 その前は、
キャンベラ
には何もございませんでした。全く畑で、川がありまして、牧場もありましたが、町でもなかったし、そういう
意味
で、全く
開発
のないところに新しい
都市
をつくるのは
割合
と簡単でした。 しかし、
キャンベラ
の
開発
は、私の
資料
の中に説明したとおりに、一挙にすぐ
首都
ができたわけでもありません。
国会
が一九二七年から始まりましたが、その後着実に
役所
が、そして
役人
の
人々
もどんどん
キャンベラ
の方に移りましたが、最後の
役所
の
キャンベラ
の方への
移転
が一九八〇年代でした。つまり、ほとんど六十年かかりました。
キャンベラ
の
構想
としては、
委員
の
メンバー
に
幾つ
かの興味のあるところがあると思いますが、
オーストラリア
が独立した国になりまして、
首都
がとても象徴的な
役割
を果たすつもりで、
首都
として新しい
人造計画
でつくる
都市
でしたら、なるべく
世界
で一番先進している
都市計画
のアイデアとか理想、理念とか、そういうことを踏まえまして新しい
首都
をつくるつもりでした。つまり、なるべく
キャンベラ
が住みやすいところ、なるべく
環境保護
の
目的
できれいな、汚くない
都市
をつくるつもりでした。初めから
キャンベラ
は
ガーデンシティー
として、つまり庭みたいな
都市
として
発展
してきました。 そして、そういう
目的
を達成するのに、
製造業
は
キャンベラ
に全然設けていません。今でも
産業
としては第三次
産業
だけ、例えば
技術情報産業
とかそういう
産業
だけで、
製造業
とかそういう
環境
を汚染する
産業
は
キャンベラ
には絶対ありません。
キャンベラ
の
発展
には、
最初
から、国の象徴的な
役割
を果たすために相当たくさんの国の
機関
が必要だろうという
考え方
がありました。まず一番大切なのは
国会
、それから
国会
の
運営
を支持、支援する
役所
とか
役人
が全部
キャンベラ
に集中する
計画
でした。 その次、国の
政府
としてあらゆる
役割
を果たすためにそういう
活動
、
機関
をなるべく
キャンベラ
に集中させる
計画
でした。例えば
外交
という方も、外国の
大使館
は必ず
キャンベラ
にしかできない。
シドニー
とか
メルボルン
とかほかの
都市
には許さないのです。今現在で
キャンベラ
には八十カ国の
大使館
がございます。
国立図書館
、最高裁判所、
国立大学
とかいろいろな国の
機関
もございますし、それだけじゃなくて
産業組織
、例えば
ロビー機関
とか
農業産業団体
とか
商業団体
がみんな
キャンベラ
に事務所あるいは本部を設けています。しかし、そういった
組織
が
キャンベラ
に集まってきましたのは
割合
と最近、つまりこの二十年、三十年の間のことです。 そのほかに、国の
行政
と直接関連する
組織
も
キャンベラ
に集中しています。例えばメディアとか、そういった国の全般的な見方をする
組織
は相当
キャンベラ
に集まっております。
キャンベラ
の
行政
につきましては、一九二五年から一九八八年まで、
キャンベラ
は
オーストラリア連邦政府
の
直轄統制
のもとで
発展
しました。それは、
キャンベラ
を町として
計画
するあるいは
建設
の
管理
とか監視、どうしても直接
連邦政府
のもとでやらなければならないという
考え方
でした。しかし、一九八八年に
オーストラリア首都特別地域
に自治を与えまして、今
オーストラリア首都特別地域
は
オーストラリア
の州と同じような地位に、全く別の
政府
、そして
役人
とか
役所
がございます。
キャンベラ
の
人口
は三十万だけですから、その何倍ぐらいの州と同じような力は持っているわけでもありません。しかし、一九八八年から
キャンベラ
の
住民
は、ほかの国の
都市
と同じように
自分
の代表を選挙で選べるようになりました。しかし、そのときから、
オーストラリア
の
首都
としての
計画
の
管理
と、
キャンベラ
の普通の
都市
としての
住民
あるいは
行政
の
運営
について、時々うまく合わないところが出てくるのは当然だろうと思います。
特別地域
の
直轄
の
運営
とその
役割
は、今のところ、
国会
とか
役所
のある
地域
だけ、そして、
キャンベラ
の
中央
にある湖の
管理
とか、
国立
の
機関
として例えば
国立図書館
とか
戦争記念館
とか、そういった
建物
とか
機関
の
行政
だけが
連邦政府
の
直轄統制
のもとにあります。ほかの
キャンベラ
の
行政
は全部、
地方分権
の形で、
キャンベラ
の
地方
の
特別地域政府
に移っています。
キャンベラ
の
役割
、
キャンベラ
の
発展
に、今でもいろいろな問題が出てくることはあります。例えば、内部の方の三十万人の
人口
の
都市
が、どういうふうに一番うまく
運営
するのか、あるいは、そこの
交通
、そこの
市民
の
生活
を、できるだけ住みやすい、あるいはいい
生活
に、どういうふうにそういった条件をつくるのか、そういった問題に対して時々問題が出てきますが、一番大きい問題は恐らく
交通
の問題です。
キャンベラ
は、
シドニー
からも三百キロメートル、
メルボルン
から五百キロメートルの距離があります。
最初
は飛行機の便に大分頼りました。最近、鉄道と道路の方がよくなりましたが、ほかの
都市
と、
オーストラリア
のほかの
国民
との
交通
の便がまだ不足という気持ちがあります。しかし、ほかの
意味
で、
キャンベラ
は
オーストラリア
のほかの
都市
とそんなに大した変わりがないという私の感じです。 三十年前、
キャンベラ
がまだ小さいところだった時代、
キャンベラ
は
役所
の
都市
あるいは
役人
の町という評判がありましたが、今の三十万
人口
の
都市
になりまして、全くそういうことはないと言えると思います。例えば、
オーストラリア
の
役人
の数、この数年の間、
中央政府
のテーマで削減されまして、
キャンベラ
の
産業
あるいは雇用の大部分は今でも
連邦政府
と直接関係ありますが、その
割合
が大分変わってきたと思います。 ここで私の
発言
を終わらせていただきたいと思いますが、
委員
の
メンバー
からの
質疑
にできるだけお答えしたいと思います。 ありがとうございました。
井上一成
5
○
井上委員長
ありがとうございます。 以上で
参考人
からの
意見
の開陳は終わりました。 ―――――――――――――
井上一成
6
○
井上委員長
これより
質疑
に入ります。
質疑
の申し出がありますので、順次これを許します。
蓮実進
君。
蓮実進
7
○
蓮実委員
私は、自由民主党の
蓮実進
でございます。限られた時間でございますので、要点だけ御
質問
申し上げたいと思います。 本日は、両大
公使
、大変御多忙のところを御
出席
いただきまして、大変ありがたく思っております。
最初
に、
マレーシア
の
カティブ大使
に御
質問
申し上げたいと思います。
プトラジャヤ
の十カ年
計画
について、十年間で一体妥当なのかどうか。今話を承りますと、多少延びているようですが、その辺についてお
伺い
をいたしたいと思っております。
タン・スリ・H.M.カティブ
8
○
カティブ参考人
(
通訳
) 当初の
計画
では、一九九五年から二〇〇五年までの十年間で完成するはずでしたが、
経済危機
の影響で長引くことが予想されています。ただし、先ほど申し上げましたとおり、
マハティール首相
の総理府の方及び官邸の方は既に完成しておりまして、来月には
移動
が可能となっています。 ただ、この
移動
に関しましても、やはりお金がかかることですので、このあたりもある程度
計画
に
柔軟性
を持たせることが必要と考えられています。
蓮実進
9
○
蓮実委員
新
首都
を
建設
するために、先ほど
費用
の問題で、どのくらいかかるかわからないというお話がありましたが、概略どのくらいの
計画
をお持ちでございましょうか。
タン・スリ・H.M.カティブ
10
○
カティブ参考人
(
通訳
) 申しわけございません、概略的な数字というのもまだ出ておりません。 ただ、先ほど申し上げましたとおり、この
開発プロジェクト
は
官民共同
で行っておりまして、したがって、
開発
も
民間
であればその資金を出すのも
民間
、そして、先ほど言いましたように、
開発
の
責任
を持っております
会社
は、
政府系
の
ペトロナス
という
石油会社
とか、あと、ほかの
政府系
の
トラストファンド
二社が行っております。
蓮実進
11
○
蓮実委員
今度
プトラジャヤ
に新
首都
が移るわけですが、現在の
クアラルンプール
の
経済
の
活性化
、この問題についてお
伺い
をしたいと思います。
タン・スリ・H.M.カティブ
12
○
カティブ参考人
(
通訳
)
クアラルンプール
は、この
プトラジャヤ
が完成した後も
首都
です。ですから、
首都機能
が縮小されるということはありません。この
プトラジャヤ
に
移転
されるのは
行政機能
のみでして、したがって、
クアラルンプール
は依然金融及び
商業
の
中心地
であり続け、そして
国会
も
クアラルンプール
に依然残ります。 そして、
行政機能
が
移転
した後にあいた
スペース
というのは、今後
マレーシア
の
経済活動
を
活性化
する上で大いに活用されます。
蓮実進
13
○
蓮実委員
今度のこの新
首都機能移転
の
必要性
について、
国民
の皆さんにどのように理解を得られるように努力されたか。そのことについてお
伺い
をいたしたいと思います。
タン・スリ・H.M.カティブ
14
○
カティブ参考人
(
通訳
)
マレーシア
の
国民
は変わりました。特に、
マハティール首相
が就任して以来、
ルックイースト政策
、
東方政策
という、
日本
そして
韓国
を見習えという
政策
を打ち出してまいりましたこともありまして、
マレーシア国民
は、何か
自分
でやりたいと思ったことがあれば、それに目を向ければ必ずそれは実現することができる、それは
日本
や
韓国
のように実現することができると信じてきました。 そして、
マレーシア国民
は
政府
に厚い信頼を置いています。それは、
責任
ある
政府
であり、
国民
のことを一番に考えている
政府
だと彼らは信じているからです。そして、
プトラジャヤ
に
行政機能
を
移転
するということも、より
機能
的に、より
効率
よく、よい、そして小さな
政府
を実現するために、ひいては
自分たち
のために必要なことだということを理解しています。 ただ、問題は、これから十年間の間に
マレーシア人
皆を
コンピューター
が扱えるようにしなければならないということです。
蓮実進
15
○
蓮実委員
ありがとうございました。ぜひ御
成功
を祈りたいと思っております。 では、
オーストラリア
・
ウィルソン公使
に御
質問
申し上げたいと思います。 当初
計画
から実際の実現まで相当時間がかかっておるわけですが、その間、
計画
の変更、そういうことがあったかどうかをお聞かせいただきたいと思います。
トレバー・ウィルソン
16
○
ウィルソン参考人
変化は何回もありましたが、やはり時間の移りで
考え方
が変わってきました。
都市計画
のエリアも変わってきましたし、あるいは一般の
人々
の希望とか期待も変わってきました。そして、時々、実現したことが余り
成功
していない場合もあったし、
計画
を変更したわけでございます。
蓮実進
17
○
蓮実委員
長い時間かかっておりますから、
移転
の
費用
というのはどのくらいかかったか、計算が出ているかどうかわかりませんが、相当かかっていると思うのですが、その点はいかがでございましょうか。
トレバー・ウィルソン
18
○
ウィルソン参考人
委員
の
メンバー
からこの
質問
があったということも承知して、
キャンベラ
の方からこの二、三週間の間ずっとその返事を待っていますが、まだわからないのです。これは余り長い時間かかりましたし、一九二七年の
オーストラリア
・ドル、そのときはポンドだったのです、その当時の通貨の
価値
とか、
土地
の
価値
とか、
建設
のコストと現在のは余り比較できませんが、こういうことは言えます。 一九二五年からの
キャンベラ
の発達は、全部
連邦政府
の
費用
で実現しました。もちろん、ユーザーペイズの形で、
キャンベラ
に住み込んだ人は
自分
の
生活
費も払いました。しかし、一番
最初
キャンベラ
に引っ越した人の引っ越し
費用
とか、そういうものまでも
オーストラリア
政府
は払いましたし、そして公務員の特別の手当、大分長い間、一九八〇年まで公務員を
キャンベラ
に優待するために手当を上げました。そういったいろいろな
意味
で、
政府
の方からの補助金とか直接財政的な負担は大きかったのです。 しかし、はっきりいつからと言えないが、どんどん
キャンベラ
は
都市
として自立できるように一生懸命努力していますし、例えば特別
首都
地域
の
地方
税とか、
土地
税とか、いろいろな税をかける権利がありますから、そういう
意味
で、
連邦政府
の
費用
がどんどん少なくなっているわけです。そして、その
費用
として、僕が手に入れた一番最近の数字なんですが、一九七七年度の予算に、
連邦政府
だけの
運営
予算、六・二五百万
オーストラリア
・ドルですね。 しかし、例えば
国立
博物館という
計画
があります。まだそういう
建物
はないのですが、それをつくる
計画
は大分前からあったが、それをやるとしたら、それは恐らく特別の予算ですると思います。ごめんなさい、返事が長くて。
蓮実進
19
○
蓮実委員
首都機能移転
、これをしたことによってメリット、デメリット、この点で何かお聞きしたいと思うのですが。
トレバー・ウィルソン
20
○
ウィルソン参考人
今でも
オーストラリア
でよく議論されていますし、これから
マレーシア
でも議論されると思いますが、
オーストラリア
は六つの独立した州、植民地でつくった国ですから、どの
都市
が
首都
になるのかを決めるのはとても難しかったのです。どうしても国の象徴
都市
として、標準的な
都市
として、
首都機能
が発生する
都市
を決めるのは別のところが必要だった、私の
意見
なのですが。
キャンベラ
はある
意味
で理想的なところです。例えば、地形からいいますと、山もあるし川もあるし、しかし一般
住民
の家とか道路とか、そういった必要なものの場所も十分あるというところでした。そういう
意味
でメリットがあると思いますし、そして、
オーストラリア
の一般
国民
は、今、毎年相当の観光客が
オーストラリア
の国内から
キャンベラ
に見学に行きますから、そういう
意味
で、
キャンベラ
が
成功
したと思います。 もちろん、
キャンベラ
が孤立していて、
役人
が
キャンベラ
に住んでいて、
オーストラリア
の一般
国民
の
生活
あるいは問題がわからないという批判はまだあります。しかし、
キャンベラ
の公務員がずっと
キャンベラ
にいるわけでもないし、ほかのところにももちろん旅行しますし、
キャンベラ
の状態は、
オーストラリア
のほかの
都市
とそんなに変わりがない。さっきの僕の
発言
でも触れましたが、実際には、ほかの
オーストラリア
の状態とはそんなに変わりがないと思いますので、この批判は余り正確でないと思っています。
蓮実進
21
○
蓮実委員
日本
も、今
国会
移転
の問題で、
国民
世論の盛り上げとかいろいろな問題があるんですが、
オーストラリア
の場合、
国民
そして各層、どのように
首都機能移転
の
必要性
を
国民
に対して盛り上げる方策といいますか、どうやられたかを承れればありがたいと思うんですが。
トレバー・ウィルソン
22
○
ウィルソン参考人
この
質問
に答えるのは、大分時間がかかると思います。 いろいろな方法は現在やっていると思います。まず、一番
最初
に言わなければならないのは、
国民
の代表は
国会
議員なんです。
オーストラリア
の
役人
とか
キャンベラ
の
役人
とか
役所
ではありません。
オーストラリア
の
国会
議員は、
国会
開催中
キャンベラ
に住んでいますが、そうじゃないときに
自分
の選挙区に住んでいるわけですね。だから、直接、国のあるいは
国民
のニーズをよく理解されていると思います。
キャンベラ
にいる
役所
あるいは
役人
が、
自分
の仕事の一部としてほかの
都市
とか
地方
に必ず行かなければならないことは多い、それで
国民
と協議する場も相当ある。 それから、
オーストラリア
は民主的な国ですから
発言
の自由もあるし、マスメディアを通じて人の
意見
も出てくるし、あるいは
国会
議員を通じて人の
意見
が出てくる。
国会
の中でいろいろな
委員会
もあるし、その
委員会
は、時々、
キャンベラ
でなくて
シドニー
あるいは
メルボルン
あるいは別の
都市
でその
委員会
のミーティングをやるとか、いろいろな方法はあると思います。
蓮実進
23
○
蓮実委員
ありがとうございました。
マレーシア
、
オーストラリア
の国の御繁栄を御祈念して、
質問
を終わりたいと思います。ありがとうございました。
井上一成
24
○
井上委員長
小林守君。
小林守
25
○小林(守)
委員
民主党の小林守と申します。 本日は、
カティブ参考人
それから
ウィルソン参考人
に御
出席
をいただきましてこのような
機会
をいただきましたことを、心から感謝申し上げるところであります。 まず
最初
に、
マレーシア
の
カティブ参考人
、大使にお聞きをしたいと思います。
連邦政府
の
移転
を
計画
されておるわけですけれ
ども
、
移転
といっても、
クアラルンプール
から二十五キロぐらいのところに
プトラジャヤ
を
建設
するというようなことでありますから、分散というふうに言っていいのかなというふうに思っております。
オーストラリア
の
シドニー
と
キャンベラ
の距離と根本的に違うことであって、
マレーシア
の場合は、
連邦政府
を
クアラルンプール
から少し、二十五キロ離れたところに移すというようなことなんだろうというふうに思います。 そこで、
マレーシア
の
マルチメディア・スーパー・コリドール
という
構想
の中に、
プトラジャヤ
に
連邦政府
を
移転
しようとしてきた背景、どういうような理由があったのか、あるのか。先ほどのお話の中でも、
交通
の混雑とか、もちろん新しい時代の中で
マルチメディア
時代に対応するんだというようなお話がございましたけれ
ども
、ただ単なるこれからの
マレーシア
の
発展
ということだけではない、社会的、
経済
的な事情があったのではないかな、あるのではないかな、このように思っております。 お国の基本的な
政策
の中で、
ルックイースト政策
ということが言われております。
日本
や
韓国
をモデルにしたい、するというようなことがおっしゃられておるんですけれ
ども
、なかなか、今日の
日本
はモデルになり得るような国ではないのではないか、このように思っているところもあります。 そういう点で、どのような背景、それからどのような理由がこの新
政府
、
連邦政府
の
移転
の背景にあるのか、その辺のコンセプトをお聞かせいただきたいな、このように思います。
タン・スリ・H.M.カティブ
26
○
カティブ参考人
(
通訳
) 先ほど申し上げましたとおり、
マルチメディア・スーパー・コリドール
というのは、
マレーシア人
が、そして
マレーシア
という国が二十一世紀にどのような国になりたいか、どのような
人々
になりたいかというような精神をあらわすものです。
マレーシア
は
発展途上国
ですので、方向づけが必要です。そして、その方向づけというのが、
マレーシア
が打ち出してきたビジョン二〇二〇年という
構想
です。これは、
経済
及び社会
発展
計画
などを含む全体
計画
を含めて二〇二〇年までに先進国の仲間入りをしようという
構想
でして、その中で、やはり二十一世紀に向けて、二十一世紀という
情報
化社会に生き残っていくためには
マルチメディア
が不可欠であると考えた
マレーシア
は、この
マルチメディア・スーパー・コリドール
をつくるということを全く道理にかなっていると考えました。そして、
政府
機能
もここに
移転
するということも、そのとおり、全く論理にかなっていることだと考えたのです。
プトラジャヤ
は、
効率
がよく、
機能
的で、小さな
政府
を目指します。そして、インフラや
交通
システム、
公益施設
な
ども
最新の
技術
を取り入れたものとなります。ですから、これは、ひいては
国民
のためになるのです。
クアラルンプール
から
行政機能
を
移転
することによって、
人々
の
生活
の質を向上させることができます。そして、
クアラルンプール
は依然ビジネスの
中心地
として残ることができます。
小林守
27
○小林(守)
委員
お話で、新しい
政府
としてのコンセプトをお聞きさせていただきました。 私自身は、これから二十一世紀に向かって、新しい
マレーシア
の
政府
としてのコンセプトの中で、
機能
と
効率
、そして小さな
政府
、このコンセプトをもって新
政府
をつくっていく、そして、そのことによって
マレーシア
の人たちの
生活
の質が変わり、向上していくんだというようなお話についてよく理解しているつもりでございますけれ
ども
、ただ、そのことによって失うことになるのではないかというようなことを指摘しておきたいなというふうに思います。 というのは、
キャンベラ
の
首都
移転
の経過の中で、確かに、
機能
や
効率
、それから小さな
政府
というようなコンセプトの中で町づくりが進められたと思いますけれ
ども
、しかし、そこに
生活
をする人たちという視点から見るならば、コミュニティーはどうなるのかとか、人と人との触れ合い、にぎわいみたいなものはどうなるのか、
生活
のにおいがしないような町ができてしまうのではないか、こんな心配をするわけなんですが、その辺についてはどうお考えになられているか、お聞きしたいと思います。
タン・スリ・H.M.カティブ
28
○
カティブ参考人
(
通訳
)
プトラジャヤ
の隣には
サイバージャヤ
という町がつくられます。それから、二十五キロ先には
クアラルンプール
もあります。そして、この
プトラジャヤ
の中には五つの地区が設けられまして、
政府
地区、混合
開発
地区、
市民
・文化地区、
商業
地区、スポーツ・レクリエーション地区などですけれ
ども
、これらが密接につなげられまして、たくさんの
活動
、それは宗教的な
活動
も含めて、さまざまな
機会
を提供いたします。 また、この
都市計画
においては、ただ
ガーデンシティー
をつくろうというだけではなく、原生林のままのジャングルや湖な
ども
つくりますし、
人々
がきっとここに住むことを誇らしく感じられるような町になることと思っております。そして、
人口
三十五万人という規模ですからほどよい大きさではないかと思いますし、また、
サイバージャヤ
の方には大学や多国籍企業などが数多く
建設
され、アメリカのシリコンバレーのような感じになることを目指しています。 いずれにしても、この町は非常に
環境
に対して優しい町ですから、そのあたりの面では心配がないと思います。そしてまた、地理的に隔離されるということの心配もありません。
クアラルンプール
国際空港
や
クアラルンプール
からも直接、簡単に入りやすい道や鉄道が整備されます。
小林守
29
○小林(守)
委員
それでは、同じ問題意識に立って、
オーストラリア
の
ウィルソン参考人
に、
キャンベラ
の
首都
についてお聞きしたいと思いますが、私も十四年ぐらい前に視察に行かせていただきました。やはり現在と同じように三十万人ぐらいの
都市
だというふうにお話を聞いておりまして、大変美しい、整備された
都市
だな、
首都
だなというふうに思ったんですけれ
ども
、
ガーデンシティー
という名のとおり、本当にそのようにきれいに整備された
都市
なんですが、おもしろみというかにぎわいというか、長くそこで滞在して、そこで一生を終わるという町ではないなという印象を受けました。 町というと、生きがい、働きがいはもちろんですけれ
ども
、もう一つ、死にがいのある町という
考え方
があっていいんではないかと思うんです。ところが、新しい
首都
づくりという
構想
の中では、
機能
とか
効率
とかそれから小さい
政府
ということにも含まれますが、要は仕事をするための
都市
なんですね。お年寄りが
生活
をするという姿は想像できない
都市
なんですよ。そういうことで考えますると、あそこに住んでいる人たちはお年寄りになったときにはどうなるのかな、ここで死んでもいい、骨を埋めてもいいというような発想の持てるような町を私たちは望みたいというのがあるんですが、これは個人の
考え方
かもしれませんけれ
ども
。町づくりとなると、ここに骨を埋めてもいいというような、にぎわいとか触れ合いとかコミュニティーとか、やはりそういうものが大事なんだと思うんです。 仕事をするときにはどこかの町に行くけれ
ども
、町というのはそういうところじゃない、最終的には定住して、そこで
自分
自身が一つの歴史を築いて亡くなっていくというようなところなんだろうというふうに思うんですが、
機能
、
効率
というような仕事
中心
の町づくりでいいのかということを、私は率直に、十四年前に
キャンベラ
を訪れたときに印象を持ちました。 お聞きしますると、確かに遊びは
シドニー
というようなこともお話を聞いておりまして、なかなか人間というのはただ単なる
機能
の動物ではないということも考えると、新しい
首都
づくりの中ではいろいろな面で考えなきゃならない問題があるのではないかな、このように考えますが、いかがでしょうか。
トレバー・ウィルソン
30
○
ウィルソン参考人
確かに、先生がおっしゃるとおり、
キャンベラ
の歴史の中で、長い間、余りにぎわいできないところとかつまらないところ、何もないところで、だれも永住したくない
都市
という評判はありました。しかし、
自分
の
経験
からいいますと、私が一番
最初
キャンベラ
に行きましたときは、三万ぐらいの
人口
しかいなかったんです。そのときは本当に何もなかったんです、遊ぶところもないし。そして、先生がおっしゃった引退あるいは年寄りの人は、みんな退職して別のところに行きました。
キャンベラ
に住まなかったんです。 しかし、今は全くそうじゃないんです。
幾つ
かのことを主張したいんですが、一つは、
キャンベラ
に短い期間でいらっしゃる人は、
キャンベラ
の人の住み方は余りよくわからないと思います。
キャンベラ
の一般に
活動
している人の、例えば仕事あるいは学校、あるいはスポーツとか買い物とかそういう
活動
は、余り理解していないと思います。 昔は、例えば大きなスポーツイベントあるいは音楽の公演とか、そういう大きな出来事は余り
キャンベラ
にはなかったんですが、今はそういうのはあります。三十万の
人口
の
都市
で、十分そういったイベントを
経済
的なベースで、
商業
的なベースでできるんですよ。しかし、こういった
キャンベラ
の性格が変わってきましたのは、いつ、どのくらいの大きさ、あるいは
キャンベラ
の
発展
の中でどの時点でよくなったかと言うのはちょっと難しいが、二十年くらい前かもしれないですね。 そして、
キャンベラ
がとてもきれいな町で住みやすいところという評判もありますが、それを少し考えますと、
キャンベラ
は、例えば家族あるいは子供が育つにはとてもいいところですよ。僕の
自分
の
経験
の場合は、子供が四人もいますが、その四人の中の三人が
キャンベラ
に残っています。今は仕事で十分雇用の
機会
もありますし、別に
シドニー
に行かなくても、十分どの期待があっても
生活
できると思います。
小林守
31
○小林(守)
委員
ありがとうございました。
井上一成
32
○
井上委員長
久保哲司君。
久保哲司
33
○久保
委員
公明党の久保哲司でございます。 公明党・改革クラブを代表して
質問
をさせていただきます。 きょうは、
カティブ参考人
、
ウィルソン参考人
、お忙しいところまことにありがとうございます。
首都
というのはやはりそれぞれの国にとっての顔みたいなところがありますし、
首都
移転
というのはその顔をつくりかえようというわけですから、ある
意味
でそれぞれの国が目指す将来像というか、あるいは
国民
の皆さんにとってのライフスタイルの象徴のようなことが、その
移転
ということの
意味
の中に当然込められるんだろうと思います。と同時に、それぞれの国の生い立ちといいますか歴史が、それに大きく、色濃く反映されてくるということもあるのかなと思います。そういう
意味
では、今、
日本
でもいわゆる
首都機能移転
がいろいろ議論されているわけですが、
日本
の場合と
マレーシア
あるいは
オーストラリア
の場合というのは、それぞれちょっと
意味
合いが違うのかなという気はします。 その上で、まず
カティブ参考人
にお尋ねしたいんですが、先ほどの冒頭の陳述の中で、
マレーシア
における新
首都
の
建設
、今度
プトラジャヤ
を
建設
されるに当たっては、
マレーシア
が必要としていることを満たすために行うんだ、こういう説明があったように思うんですが、この
マレーシア
が必要としていることを満たすというのは、
日本
でいえば
行政
の
スリ
ム化とか
地方分権
とかいうことがよく言われますけれ
ども
、
マレーシア
の場合の新
首都
建設
、それはイコール、
マレーシア
が必要としていることを満たすために行うんだという、それは具体的にはどういうことをお考えになっているのか、まずそれをちょっとお尋ねしたい。
タン・スリ・H.M.カティブ
34
○
カティブ参考人
(
通訳
) まず、
マレーシア
の顔なんですけれ
ども
、まだ
日本
と比べて新しい国ですし、顔というのはそれほど決まっていないのではないかと思います。 そして、これから
世界
に果たしていく
役割
というのも、小国ですからこれから決めることです。二十一世紀は
情報
化、
マルチメディア
社会になりますので、その中でいかに
役割
を果たしていくかということで決まることだと思います。そして、もちろん、このような
方向性
を新しい
都市プトラジャヤ
は反映することになります。
マレーシア
という国は、歴史的に、中国、インド、イスラム、キリスト教などいろいろな文化の影響を受けてきた新興
発展
国です。ですから、これから先のことを考えて、その強さを見きわめなければなりません。ですから、
マレーシア
の場合は、過去ではなく未来に目を向けているんです。
久保哲司
35
○久保
委員
ありがとうございます。 確かに、先ほど来、
カティブ参考人
のお話、他の
委員
とのやりとりの中で、
発展途上国
という言葉を何度か使っておられました。そういう
意味
では、確かに歴史も違い、今回の新
首都
建設
がまさに二十一世紀に飛躍しようとする国の玄関づくりという
意味
なのかなという思いはいたします。 そんな中で、
カティブ参考人
は、
日本
に来られて着任されたのはいつでしたか、一九八九年に着任されて、ほぼ十年近くこの
日本
においでですけれ
ども
、
日本
の東京という町、あるいは東京以外の大阪その他も含めてですけれ
ども
、住まれて、また仕事をされて、貴国の新
首都
建設
の際に参考になるというような部分というのはあったでしょうか。あれば御
意見
をお聞かせいただきたい。 要するに、東京の町を見、あるいは
日本
の他の
都市
を見た上で、
マレーシア
の新
首都
建設
に参考にすべき点、あるいはまねたらいかぬなという点、あったら教えてほしいなと思います。
タン・スリ・H.M.カティブ
36
○
カティブ参考人
(
通訳
)
外交官
にとってその
質問
はとても難しいことです。 幸運なことに、
日本
各地をめぐる
機会
に恵まれまして、毎月一週間ほどは各地を回っています。ですから、今までに行ったことのない場所は、もう愛媛県、岩手県、秋田県ぐらいです。また、
マハティール首相
も
日本
各地にお連れする
機会
に恵まれまして、例えば、札幌から函館までバスで行きましたり、京都の電車に乗ったり、兵庫から鳥取までバスに乗ったり、また大分県から温泉まで
移動
したりとかいうようなこともありました。 このように各地を見ておりますので、もし
クアラルンプール
に行かれる
機会
がございましたら、
クアラルンプール
や
マレーシア
にそれが反映されていることが恐らくおわかりになるのではないかと思います。そして、
効率
的な社会、町をつくるということは、それぞれの文化や歴史の中の一番いいところをとることだと思います。 そして、新しい
都市プトラジャヤ
を
建設
するに当たって、東京だけでなく、
キャンベラ
やワシントンDCなどからも、よい点それからまた弱点も学んでいます。ですから、
プトラジャヤ
は、この
経験
によって、学んだことによって、これまでのどの
都市
よりもいい
都市
になるはずです。新
行政府
にはさまざまな地区が設けられまして、
政府
地区、
商業
地区、文化地区などありますが、すべてそれらはリンクされ、結びつけられています。そして、隣接する
サイバージャヤ
は、多国籍企業が集まる町となりますので、シリコンバレーのように自由を謳歌し、
生活
を楽しみ、そして生産するということに楽しみを見出す
人々
にとって、特に
情報
産業
に従事する
人々
にとって楽しい町となるはずです。
マレーシア
は決して単一
民族国家
ではありません。むしろそのよさを生かして、多
民族国家
、そして多国籍国家を反映した
都市
になりたいと思います。
久保哲司
37
○久保
委員
ありがとうございます。
ウィルソン
さんにちょっとお尋ねをしたいんですが、
日本
の場合の
首都
移転
という話と、
オーストラリア
、六つの州がそれぞれ植民地であった、それが新しい国になった、さて
首都
をどこにしようかという場合と、根本的に
意味
が違うと私は思うんです。
日本
の場合は、明治以降、
中央
集権の国づくりをやってきた、だから全く同じ議論をしようとすれば、
日本
も逆に、道州制じゃないですけれ
ども
、州をきっちりつくって、それで国の
機能
をどうするかということがあって初めて、それじゃその国の
首都
をどこに置こうかということになるんだろうと思います。 私も何年か前に
オーストラリア
へお邪魔させていただいたときに
国会
議員の方と話をしていたら、我々
国会
議員がやっているのは、
外交
、防衛と
経済
、グローバルな
意味
での
経済
と、あとは税金を集めて各州に渡すという、これだけのことですよ、こういうふうにおっしゃっておられた。
キャンベラ
の町づくりそのものが、一つはワシントンを参考にされたということもお聞きしましたけれ
ども
、アメリカにしろ
オーストラリア
にしろ、いわゆる
連邦政府
の持つ
機能
と、現在のままであるかどうかは別として、
日本
のような国の
首都
、
政府
機能
というのは、これはおのずと違って当然なんだろうと思うんです。私は、
日本
のこの
首都機能移転
、単に第二の東京をどこかにつくる、ここが狭うなってきたからとかいうのでは
意味
がなくて、むしろそれを機に、二十一世紀の
日本
のあるべき政治
行政
のスタイルをみんなで議論をして、それで徹底した
地方分権
をするなり、あるいは
行政
の
スリ
ム化をするという、このことが精神的には
中心
にないといかぬのだろうというふうに思っています。 とはいえ、これは人間おかしなもので、
日本
でことしサミットの誘致、どこにするかというんで、それだけでもこうなっておるわけですけれ
ども
、それに比べれば、この新
首都
をどこに持っていこうかなんというのは、これから大変な作業になるんだろうと思うんです。
オーストラリア
の場合に
キャンベラ
に決められた、これも、一説によれば、
シドニー
と
メルボルン
というでかい
都市
のちょうど中間地点を選んだという話もございますけれ
ども
、そういう
経験
を踏まえられて、
日本
の
首都機能移転
の場合に留意すべき点、あるいはこれとこれとが最低限気をつけぬといかぬよ、あるいは必ず
国民
の皆さんに知らしめた上でやらぬといかぬよという、先輩としての御忠告といいますか、ございましたらお聞かせいただきたい。
トレバー・ウィルソン
38
○
ウィルソン参考人
やはり
オーストラリア
は連邦制度ですから、
日本
と違うところは相当ありますが、しかし、国の
政府
が
自分
の
行政
のために場をつくる、つまり
都市
を
計画
でつくるという
構想
があれば、それは、例えば
日本
の場合は、いろいろな県が
首都機能
が欲しいということもあります。これは今のサミットだけじゃないですから。その場合はどういうふうに実施するのか、ちょっと僕の考えではまだよくわからないのです。 国の方で、ある県に国の
行政
を置かれたらどういうふうに直接それを
管理
する、県の権力と国の権力はあると思います。
オーストラリア
の場合は、初めから特別
首都
地域
が設けられました。それは最終的にとても利口なことだと思います。
日本
の場合は、同じようなことをするかどうかは、それはもちろん
日本
人が、あるいは
国会
が決めることですが、しかし
特別地域
をつくっても、そこに住んでいる人の権利、
オーストラリア
の場合は、
キャンベラ
は長い間
自分
の投票する代表がなかったのです。ちゃんとした
国会
がなくても、何というか代表審議会みたいなものがありました。それは、決定、何もなかったのです。権力もなかったのです。それは大きな不満を起こしたのです。ですから、そういう問題もあり得ると思います。 しかし、ほかの
意味
で、特別のところで新しい
首都
をつくるのは、むしろ国の歴史とか一般の
国民
の
経験
あるいは
知識
を見逃しているというような懸念があるらしいのですが、その点について、私はそんなに心配はしていません。例えば、東京は必ずしも
日本
の代表的な
都市
ではありません。僕も、
カティブ大使
みたいに長い間
日本
に住んでいるし、いろいろな県を訪問したこともありますし。ですから、必ずしも東京だけが
首都機能
が置かれるべき場所ではないかもしれないですね。 そして、もう一つは、やはり国の
行政
の
効率
ですか、東京みたいな本当に
人口
密度の高いところで、こんなに混雑しているところで
効率
的に国の
行政
ができるかどうかという、どうしても疑問はあると思います。ある程度、東京の場合は永田町もあるし、すぐ隣に霞が関もあるが、そんなに問題がないかもしれないのですが、しかしそれだけじゃないですね、国の
行政
は。 別の、特別のところで
首都
をつくるのは、メリットもあるしデメリットもある。しかし、東京、あるいはパリ、あるいはロンドンみたいなところでもデメリット、メリットはあると思います。
久保哲司
39
○久保
委員
ありがとうございました。
カティブ参考人
また
ウィルソン参考人
、今後ともいろいろな御
意見
またお知恵を拝借させていただきたいことを最後にお願い申し上げまして、私の
質問
を終わります。ありがとうございました。
井上一成
40
○
井上委員長
吉田幸弘君。
吉田幸弘
41
○吉田(幸)
委員
自由党の吉田幸弘でございます。 本日は、
マレーシア
大使、
オーストラリア
公使
、非常にお忙しいところを御
出席
、また大変貴重な御
意見
をいただき、ありがとうございます。時間も限られておりますので、早速ではありますが、
質問
に入らせていただきます。
最初
に、
マレーシア
大使にお
伺い
をいたしたいと思います。
マレーシア
は
プトラジャヤ
に先進的な
情報
技術
を盛り込んだ
情報
都市
を十年
計画
で
建設
されていると伺っておりますが、この
情報
都市
の具体的な中身を詳しくお示しいただきたいと思います。
タン・スリ・H.M.カティブ
42
○
カティブ参考人
(
通訳
) 御
質問
の内容がちょっと広過ぎまして、明確にお答えすることが難しいのですけれ
ども
、この
プトラジャヤ
及び
サイバージャヤ
という二つの
都市
を含む
マルチメディア・スーパー・コリドール
というのは、十五キロ掛ける五十キロというとても広いところにつくられるものでして、特に
サイバージャヤ
の方は、研究
開発
施設やソフトウエア、ハードウエアなどの
産業
、また
マルチメディア
関連
産業
などが多く入ることになっています。 そして、このすべてが
情報
に関係しておりまして、
プトラジャヤ
というのは、最新の
技術
を導入することによって、そしてそれを利用することによって、より
人々
にとっての使いやすい
行政サービス
を提供するということが
目的
です。つまり、これまでのお
役所
的と言われたような仕事をなくすことが
目的
なのです。 そして、
マルチメディア
に関して言いますと、ハードウエアよりもソフトウエアの方を注視しています。そして、ソフトウエアを
開発
するには、そのような創造的な
人々
を招くための
生活
環境
というのが必要です。彼らが魅力を感じる町にしなければならないのです。そして、それは
世界
じゅうから集めたいと思っておりまして、
マレーシア人
だけでなく、多民族、多国籍
都市
となることを目指しています。 そして、
マルチメディア
を使うことによって、
政府
に対する概念そのものも変えられるのではないかと思っています。その中で、国家のリーダーまた
人々
の代表者の
役割
がどうなるかということがまたおもしろいところです。というのも、すべての
知識
、
情報
がどんな人にも手に入るようになるということは、また、もちろん、それを持っているリーダーたちがどのようにその
人々
に対処するかということが問われてくるわけです。 そして、この
地域
は
世界
じゅうと結ばれます。それは光ファイバーですとか衛星などを通してシリコンバレーや東京、
キャンベラ
な
ども
含めた
世界
じゅうの
都市
と結ぶことができます。この結びつきというのは、透明というだけでなく国際的なのです。
吉田幸弘
43
○吉田(幸)
委員
ありがとうございます。 次に、
オーストラリア
公使
にお
伺い
をいたします。
オーストラリア
は、既に
メルボルン
から
キャンベラ
に
首都機能
を
移転
して、
首都
としての体制が大方整っているというふうに伺っておりますが、
キャンベラ
は、ほかの
都市
には見られない
計画
性と景観の美しさを整えていて、
日本
の
国会等
移転
調査
会報告が描くビジョンと非常に近いものと私自身も認識をしております。 ところが、当初考えてもいなかったような問題、特に
経済活動
においていろいろな問題が出てきているのではないか、また、そのことは当初からだれか識者が指摘をしていたのか、こういうことも含めて二点お
伺い
をいたしたいと思います。 景観を重要視したため、主要
都市
から距離的に離れてしまって、各州の
産業
、
経済活動
から孤立化が進んでいるのではないか、これが一点目です。二点目は、通信手段が
発展
した現在、全省庁を
キャンベラ
に集中させるメリットというのは以前よりは薄れてきているのではないか、
経済
関係の省庁だけでも
シドニー
や
メルボルン
に戻すべきではないかというような
意見
も伺っております。この二点について御
意見
をちょうだいしたいと思います。
トレバー・ウィルソン
44
○
ウィルソン参考人
ありがとうございます。 確かに、
キャンベラ
の
経済
的な
役割
あるいは
経済
的な
成功
について、長い間、今でも議論されていますし、また、
最初
のころは
連邦政府
が
割合
に低いレベルで新しい
産業
、例えば
技術
的な
産業
を
キャンベラ
に誘致させるように努力しました。しかし、それは余り成果を上げなかったが、
キャンベラ
の
特別地域
の政権の力が大きくなってから、その
地方
政府
がもっとそういうことに努力してきました。それで、ある程度
成功
しています。例えば、
情報
技術
のある
会社
とかそういうのは
キャンベラ
で本社を設けています。
経済
基盤から離れているという批判は今でも聞きますが、しかし、
経済
ということは、広い
意味
で解釈されますと、やはりそんなに大きな問題ではないかもしれないのです。
経済
というものは、もし、例えば文化的
活動
が入りますと、これはどの国でも文化事業で
生活
できる人が相当いますから、そういう
意味
で、ある程度
キャンベラ
は理想的なところです。今、いろいろな文化的な
経済活動
をしていますし、
キャンベラ
は田舎の町という現象なのですが、田舎というのはやはり農業地帯の中ですから、農業基盤も相当あると思います。
キャンベラ
は、大
都市
とも言えないかもしれないですが、ほかの相当大きい
都市
とそんなに変わりのない
経済
基盤が今はあると思います。前は確かになかった。前は長い間問題があったと思います。
キャンベラ
で、
経済
関係者とか、農業経営とか、直接コミュニケーションがうまくいっているか、あるいは
首都機能
を
シドニー
か
メルボルン
に戻すという
意見
は、余り
オーストラリア
では聞いていないのです。むしろ、今ごろ、
キャンベラ
の
首都
としての
機能
に対して一般
国民
は
割合
に強く賛成していると思います。そして、
キャンベラ
の
行政
自力も十分にできていると思いますから、ある
意味
で
キャンベラ
に対しての批判も衰えていると思います。 ですから、この十年あるいは二十年の間、
キャンベラ
は
首都
として
成功
していないという批判はほとんど聞こえなくなってきました。
吉田幸弘
45
○吉田(幸)
委員
ありがとうございます。 次に、
マレーシア
大使にお
伺い
をいたします。 新たな
都市
をつくるということは、少なからず自然
環境
というものに影響を及ぼすと考えます。この
環境
についてどのような配慮をされているのか、このことをお
伺い
いたします。
タン・スリ・H.M.カティブ
46
○
カティブ参考人
(
通訳
) もしお時間がありましたら、ぜひ一度
大使館
の方にいらっしゃってくださいましたら、こちらの方で
プトラジャヤ建設
のビデオなどをお見せすることができますので、それでおわかりいただけるかと思います。 この
プトラジャヤ建設
のまず
最初
の
構想
で一番重要視されたのが、自然
環境
の保全ということでした。したがって、
プトラジャヤ
というのは、
情報
通信や
マルチメディア
の面も強調されますが、同時に
ガーデンシティー
でありますので、大きな湖も真ん中にありますし、二つのジャングル、それから一つの湿地もあります。それから、
建物
、ビルな
ども
一番高い木よりも高くならないように、というのは誇張かもしれませんけれ
ども
、それほど高さにも気を使って
建物
も建てることになっております。したがって、既存の自然
環境
を大切にした上でつくる町です。 それからまた、
マルチメディア・スーパー・コリドール
では、排気ガスゼロを目指すことになっています。したがって、太陽電池を使った自動車や、廃棄物の力を使ったり、雨水で水力発電をしたり、また危険物の持ち込みを禁止したりと、とにかく、よりよい
環境
を保全するための努力をこれからする
予定
です。 先日も、
日本
の
会社
のトヨタと最新の
情報
技術
を使った
交通
システムの話をしておりまして、このようなテストケースを試すためにも、
マレーシア
の
マルチメディア・スーパー・コリドール
はいい場所じゃないかと思っております。
吉田幸弘
47
○吉田(幸)
委員
ありがとうございます。 新しい
都市
をつくるに当たって、
人口
構造の変化というのが予想されると思います。
人口
構造が変わると、例えば教育の問題や医療の問題、いろいろなところに影響が出ると思うのですが、まずは、
オーストラリア
公使
にお
伺い
をいたします。
人口
構造が新
首都
によって、ほかの
都市
と比べて変わったのか、また、そのことについて何らかの影響が出たのかどうか、これを簡単にお知らせいただきたいと思います。
トレバー・ウィルソン
48
○
ウィルソン参考人
確かに
キャンベラ
の場合は、主に中間的なあるいは高所得の人の
都市
なんですが、ある
意味
で代表的な社会構造はしていないかもしれないのですが、しかしほかの
意味
で、別の
都市
とそんなに変わりがない。 例えば、
キャンベラ
に集まっている人は
オーストラリア
の方々から来ますし、
オーストラリア
の方々の大学を卒業した人が雇われているし、
オーストラリア
は多文化的社会になって、
世界
じゅうの国々から移民している人がいますが、そういった人も
キャンベラ
に集まっています。そういう
意味
で、
キャンベラ
はそんなに特別な社会、あるいは文化構造に問題はないと思います。
吉田幸弘
49
○吉田(幸)
委員
ありがとうございます。終わります。
井上一成
50
○
井上委員長
中島
武敏
君。
中島武敏
51
○中島
委員
日本
共産党の中島
武敏
でございます。 きょう、
マレーシア
の大使、そしてまた
オーストラリア
の
公使
、大変貴重なスピーチをいただきまして、ありがとうございました。
最初
に、
マレーシア
の大使にお
伺い
したいと思います。 事前にいただいたスピーチの概要を拝見いたしますと、そこには、
首都
を
クアラルンプール
から
プトラジャヤ
に移す
目的
は、
クアラルンプール
の都心の改善、
生活
の質の向上、そして引き続き
クアラルンプール
を
商業
の
中心
として
発展
させるため、こういうふうに書かれていますけれ
ども
、
首都
移転
の積極的な
目的
は一体どこにあるのかというのをまずお
伺い
いたしたいと思います。
タン・スリ・H.M.カティブ
52
○
カティブ参考人
(
通訳
)
交通渋滞
など公害の問題は、まだ
マレーシア
ではそこまで深刻ではないのですけれ
ども
、やはり現状に甘んじず改善していく努力が必要だと思います。 それから、
人々
の動きというのはどうしても
交通渋滞
を招いてしまいますけれ
ども
、現在一万人ほどいる公務員を少なくとも
クアラルンプール
から外に動かせば、少しはこの
交通渋滞
も緩和されることになります。そして、新しい
都市プトラジャヤ
では、マイカーではなく公共の
交通機関
を使って
移動
することにします。それによって、またよりよい
環境
のもとの家庭や学校や庭や
地域
社会などをつくることによって、より
生活
の質の向上を目指していくということです。 そして、例えば
マルチメディア
の
開発
の結果として、大学でも遠隔教育というのも実現することになります。また病院などでも、直接行かなくてもある程度の診断までは
マルチメディア
技術
を通してすることが可能になったりしますと、
人々
の
移動
も少なくなり、渋滞も緩和されます。
中島武敏
53
○中島
委員
もう一つ、政治的な
目的
として、これは率直に私の感じを申し上げるのですけれ
ども
、
首都
の
プトラジャヤ
への
移転
というのは、ASEANの今後の
発展
方向として、タイ、ベトナムとリンクした新たな政治
経済
の
中心
軸を考えているのではないかと思うのですけれ
ども
、この点はどうでしょうか。
タン・スリ・H.M.カティブ
54
○
カティブ参考人
(
通訳
)
プトラジャヤ
に新しい
行政府
をつくる決断は、あくまでも国内事情、そしてMSCによってつくり出されるさまざまな
機会
を考慮した上でなされたものです。ですから、決してASEAN
地域
の
中心
となるとか、そのようなことは一切考えておりませんで、あくまでも
マレーシア
のための町です。 ただ、もちろん、シンガポールと
マレーシア
はASEANの中で比較的リーダー的な
役割
を果たしておりますので、このように
開発
が進んで、
マルチメディア
によってより透明性の高い
行政
や
政府
が実現しますと、それが周辺またひいてはASEANにインパクトを与える、影響は些少なりとも与えることはあるかもしれません。
中島武敏
55
○中島
委員
それでは、今度は
オーストラリア
の
公使
にお
伺い
したいと思います。 これも率直にお聞きしたいと思うのですけれ
ども
、
シドニー
から
キャンベラ
は二百五十キロメートル、それから、同じく大
都市
であります
メルボルン
から四百八十キロメートル離れた草原の中に人工的な
都市
をおつくりになった。そうしますと、
首都
が、あるいは
国会
も
政府
も
国民
から離れたところに存在をするということになるわけですね。そうしますと、これは
国民
の
意見
や要求が届きにくくなるのではないのか、そういうことを感じるのですけれ
ども
、その点の御
意見
を
伺い
たいと思います。
トレバー・ウィルソン
56
○
ウィルソン参考人
ある
意味
で、私のさっきの
発言
でもちょっと触れましたが、やはり届きにくいところもあるかもしれないが、特に今の時代になりまして新しい
情報
技術
で、そんな大きな問題はないと思います。
幾つ
かの点を申し上げますと、一つは、政治家の方は、
国会
の開会期間は週に四日しか開会していないから、三日は選挙区にいるわけですね、先生たちが。そしてもう一つの方法は、
国会
の
委員会
はよく
シドニー
とか
メルボルン
とかパースとか、ほかの
都市
で
委員会
を開きます。
役人
の方は確かに離れていますが、逆の方向から見ますと、一般の
人々
がもし
政府
に対しての要望がありましたら、それは相当活発にそういった要望を出しています、あるいは手紙を使って、あるいは電話を使って。余り遠慮していません。そして、確かに
役人
の中で、そういった遠いところにいるから、そういうことを意識しながら仕事をしていると思います。例えば、
国民
の
生活
に直接関係している方策あるいは対策を考えているときに、わざとなるべく協議をするような方法を生み出すんです。
中島武敏
57
○中島
委員
今の答弁に関連をしてお尋ねしたいのですけれ
ども
、
キャンベラ
を訪れる方々というのはどのぐらいいらっしゃるものなんでしょうか。それから、何のために
キャンベラ
を訪れるわけでしょうか。
トレバー・ウィルソン
58
○
ウィルソン参考人
私の
資料
の中に観光客の数がたしかあったという気がしますが、ちょっとお待ちになってください。 さっきの
質問
に対してもう一言申し上げたいのですが、ある
オーストラリア
政府
の
役所
が今でも州の
首都
に、例えば
シドニー
とか
メルボルン
とかパースに事務所を持っています。例えば、私の所属している外務・貿易省が六つの州に、市に事務所を持っています。もう一つ、恐らく
産業
技術
省も
シドニー
と
メルボルン
とパースに事務所を持っています。
キャンベラ
を毎年訪れる観光客は、
キャンベラ
の
人口
と同じぐらいだと思います。三十万人ぐらいの観光客が来ます。
中島武敏
59
○中島
委員
その三十万人
キャンベラ
を訪問する方の中で、政治家に直接会っていろいろ
意見
を述べたり、あるいは要請をしたり、そういう方々はどれぐらいいるものでしょうか。
トレバー・ウィルソン
60
○
ウィルソン参考人
数からは言えませんが、確かに、そういう
目的
で
キャンベラ
にいらっしゃる人が相当います。私の
自分
の
経験
から申し上げますと、私は外務大臣の秘書を務めたこともあります。そのとき、いろいろな
都市
から外務大臣の
キャンベラ
の事務所の方まで来てくださった人がたくさんいました。そういう
意味
で、
キャンベラ
が離れているところにあっても、そんなに障害になっていないみたいですね。
中島武敏
61
○中島
委員
先ほどのお答えの中に、四日間は
キャンベラ
、それから三日間はそれぞれの州。それで、州に事務所もあって、そしてそこでも
国民
の
意見
を聞く努力をいろいろしております、こういうお話でございました。
日本
の場合にも、一週間のうち四日間はこちらに来ているかもしれませんが、三日間は
地方
にいて、それぞれ
地方
にもやはり事務所を持っていて、
意見
をよく聞くということはみんな努力している、そういう点では同じじゃないかなと思うのです。 ただ、参考までにちょっと申し上げたいのですけれ
ども
、この
質問
をするに当たって私調べたのですけれ
ども
、
日本
では、議員会館に衆議院の議員を訪問する人数、これは三月だけで七万一千四百三十六人なんです。一日平均三千二百四十七人なんですね。それから、これも三月一カ月なんですけれ
ども
、
国会
請願のデモが行われたのが五回で四千二十八人なんです。それから、衆議院の議員面会所で要請集会をやっているのも十四回、二千二百九十五人なんです。それから、これは衆議院議長に対する請願件数なんですが、ことしの通常
国会
が始まってから現在まで、調べてもらいましたら三千三百五十一件、署名をして請願をしている人が千八百二十一万九百六十一名、こういう数字がわかったんです。 ああ、やはり随分たくさんの人たちが政治家に対していろいろ要求を持ったり、陳情したり、請願をしたりということをやっているなと。それは、やはり大
都市
に
首都
があるからそういうことができるんじゃないかというようなことを、別に皆さんのをいけないとかなんとかという話をしたいんじゃないんです、そうじゃなくて、そういうことを非常に私感じました。 そういう点では、いろいろな御努力でよく
国民
の声を吸収する努力をされているんだと先ほどからも御答弁がありましたけれ
ども
、でもやはり、何かもっと改善策が必要なんじゃないかなということを感じるんですけれ
ども
、いかがなものでございましょうか。
トレバー・ウィルソン
62
○
ウィルソン参考人
改善策としては、私は専門家ではありませんから。
キャンベラ
の七十年の間の歴史の中で、理想的なやり方はまだできていないかもしれないのですが、確かに先生がおっしゃるとおり、
政府
に対して
意見
を表現したい、やり方は
キャンベラ
ではたくさんありますし、僕は
自分
で覚えていますのは、十年ぐらい前、林業の
政策
に対して、林業の職員たちがみんな
キャンベラ
に集まって
国会
を閉鎖したこともあります。そういう
意味
で、
キャンベラ
の孤立した離れたところに
国会
があっても、
国民
の
意見
から離れられないのですね。 恐らく、まじめな話で、ある
意味
で
カティブ大使
と同じ返事ではないかもしれないです。新しい
技術
を使って、なるべく人が
意見
を表現できるような設備を設けて、例えば今ごろインターネットがとても普及して、
オーストラリア
の方で、どの
役所
でもどの
国会
の
委員会
でも
自分
のホームページも持っているし、そこになるべく一番最新の
情報
をちゃんと毎日載せてありますから、そういう
意味
で、なるべく
情報
を
国民
に普及させるような対策をとっていると思います。
オーストラリア
の方でも昔から、昔といいますと二十年前から、
情報
公開法もありましたし、いろいろな手段はあると思います。
中島武敏
63
○中島
委員
ありがとうございました。
井上一成
64
○
井上委員長
知久馬二三子
君。
知久馬二三子
65
○知久馬
委員
私は、社会民主党・
市民
連合の
知久馬二三子
でございます。
カティブ
駐日
マレーシア
大使並びに
ウィルソン
駐日
オーストラリア
公使
の皆様に対しまして、心から敬意を表しながら
質問
させていただきます。 まず、
マレーシア
大使にお
伺い
いたしますけれ
ども
、
プトラジャヤ
首都
は
クアラルンプール
のエリアの範囲内であろうと思います。
マレーシア
では、
首都機能移転
というよりも
首都
圏の拡大と認識されており、あくまで政経分離というよりも政経一体と理解していいのでしょうか、お
伺い
いたします。
タン・スリ・H.M.カティブ
66
○
カティブ参考人
(
通訳
)
プトラジャヤ
は
首都
圏の拡大ではありません。決して拡大というわけではありません。 といいますのも、
マレーシア
が独立したときに、
クアラルンプール
という
土地
を、セランゴール州の一部だったのですけれ
ども
、これを
連邦政府
直轄
地区というふうにいたしました。これはセランゴール州も同意の上で行われたのですが、もう一つ、
マレーシア
にはラブアンといいまして、特別な
商業
地区もあります。これらの二つの地区というのは州とは別と考えられた地区でして、連邦
直轄
地区なわけです。そして
プトラジャヤ
はこの連邦
直轄
地区にはなりません。そのような方針はありませんし、たとえ、そのようにしたところで、セランゴール州が同意しないであろうと思われます。
マレーシア
というのは
連邦政府
制度をとっておりますので、州にもそれぞれの権利がありますので、セランゴール州が反対するであろうと思われるわけです。 だからこそ、この
プトラジャヤ
の
開発
というのも、連邦
直轄
地区としてではなくて、実際の
機能
的な面での
開発
を
民間
に委託しているわけです。
知久馬二三子
67
○知久馬
委員
また、新
首都
へ
行政機能
のみが
移転
し、
国会
や司法
機能
などが
クアラルンプール
に残っているのは、あくまで
首都
圏の拡大と関係しているのでしょうか。
タン・スリ・H.M.カティブ
68
○
カティブ参考人
(
通訳
) ですから、
プトラジャヤ
は
首都
圏の拡大ではありません。
国会
は
クアラルンプール
に残りますし、司法
機能
については
プトラジャヤ
の方に動く
予定
ですけれ
ども
、いずれにしても、
行政機能
が
プトラジャヤ
に動くのでありまして、
首都
圏の拡大ではありません。
知久馬二三子
69
○知久馬
委員
次に、
マハティール首相
は、アジア版のシリコンバレーを目指した
マルチメディア・スーパー・コリドール
、MSC
計画
を提唱され、九六年の八月に全体
構想
を発表されています。
サイバージャヤ
と呼ばれる
情報
技術
都市
がつくられ、
世界
的な規模の
情報
通信企業やサービス
産業
を誘致されて、
マルチメディア
を
中心
とした
産業
振興を図ることが
計画
されています。我が国でもNTTなどが協力しているようですが、MSC
計画
の進展状況等はいかがでしょうか、お
伺い
いたします。
タン・スリ・H.M.カティブ
70
○
カティブ参考人
(
通訳
) おっしゃるとおり、
マルチメディア・スーパー・コリドール
の
構想
は正式に一九九六年に始動いたしました。それで、現在の
開発
状況としましては、
予定
では
サイバージャヤ
と
マルチメディア
大学、それから研究
開発
機関
はことしの六月に正式にオープンする
予定
です。 それで、一九九六年以来、
マルチメディア・スーパー・コリドール
が
世界
から誘致した企業のうち二百五社がMSCステータスを獲得しておりまして、うち二十九社は国際的な大手企業です。目標は、そのような企業の数を二〇〇三年までに五十社までに伸ばすことです。 NTT以外の
日本
の企業にもMSCに参加していただきたいと思っておりますが、
日本
も不況のようでして、なかなかそれが思うように進んでいないのが現状です。現在、主力となっているのは欧米の企業です。
知久馬二三子
71
○知久馬
委員
そういう中で、我が国の企業がMSC地区内で具体的にどのような協力を求められているのか、お聞かせ願いたいと思います。
タン・スリ・H.M.カティブ
72
○
カティブ参考人
(
通訳
)
マレーシア
では、既に
日本
企業というのは、半導体
分野
や電気機器
分野
において先導的な立場にあります。例えば、松下電器、ソニー、シャープなどは既に
マレーシア
において大きく
経済活動
をしておりまして、これらの
活動
をより一層有効にするためにも、
マルチメディア
の導入、それから彼らの供給、
調査
、
開発
などの
活動
のためにも、このMSCの場所を利用していただければと思っております。ここには先端
技術
や特別な司法措置な
ども
とられますので、
世界
的な企業
活動
の拠点となることを望んでおります。 それから、
マレーシア人
というのは大体多言語を操ることができる人たちです。中国語、インド語、インド語というのはタミール語、あるいはアラブ語、そしてもちろん
マレー語
などを操る
マレーシア人
が大半です。そして、
マレー語
というのは、インドネシアの二億以上の
人口
も、インドネシア語というのは
マレー語
と似ていまして話しますから、これだけの
人口
とも意思の疎通を図ることができるわけです。それから、
日本
の大学を卒業した
マレーシア人
というのも、もう既に一万人を超えています。
知久馬二三子
73
○知久馬
委員
ありがとうございました。 続きまして、
オーストラリア
公使
に対しまして
質問
させていただきたいと思います。 わずか二千二百平方キロメートルの中に千二百万人もの人間が住み、我が国の政治や
経済
、社会の
中心
となっている
首都
東京について、まず
ウィルソン公使
の率直な御感想をお
伺い
したいと思います。
トレバー・ウィルソン
74
○
ウィルソン参考人
私は、東京に住みましたのがこれが四回目なんですが、通算しますと十二年ぐらいで、ある
意味
で東京の都民という感じもしています。 僕は、一番
最初
東京に参りましたのは三十四年前です。そのときから東京も大変
発展
してきましたし、きれいな現代的な
都市
になってきましたし、
交通
の便がよくできていますし、この高い
人口
密度の中でとても
効率
的、とてもきれいな、大気汚染もなくした大
都市
なんですが、いろいろな
意味
で僕は東京が大好きで、東京の
行政
、とても褒めたいと思いますが、しかし、
自分
の今住んでいる町
キャンベラ
と直接比較できないのですね。
キャンベラ
は、木が多くて、庭がたくさんあるし、どの
住民
、どの人でも
自分
の庭があって、
自分
の庭でも日常
生活
に必要な野菜とかそういうものもつくれるし、僕の場合は、
自分
の庭で家内が鶏を飼っていたこともあるし、そういうことはなかなか東京でできないという差があります。
知久馬二三子
75
○知久馬
委員
私の生まれた鳥取県というのは、
人口
が一番小さい県なんですが、
人口
六十一万五千人で、面積が三千五百七平方キロメートルです。
首都
東京の一・五倍というところに六十分の一、
人口
密度では百倍、
日本
の一極集中の過密過疎の問題がこの一点をとってもいかにすさまじいか想像できると思います。 そこで
公使
に、
公使
の目から見た
日本
の
地方
都市
について御感想をお聞かせいただきたいと思います。
トレバー・ウィルソン
76
○
ウィルソン参考人
私は、やはり
カティブ大使
と同じように、できるだけ
日本
の
地方
に旅行して、いつも努力しています。できれば月に二、三回ぐらいどこか旅行したいのですが。
日本
の
地方
都市
の私の一番好きなところは、
日本
の昔の文化をよく残している、
日本
の昔の建築とか祭りとか、そういうのをたくさん残してありますし、それが今企業の大きな魅力のところになってきたと思います。そういう
意味
で、
割合
と現代社会の
発展
と昔の歴史、文化的な
世界
とのバランスがよくとれていると思います。
知久馬二三子
77
○知久馬
委員
もう少し時間がありますので、最後に、
オーストラリア
では一九八八年に
首都
特別地域
法を制定されたと聞いています。 そこで、その国の
首都機能
の
計画
と
開発
が、現在そこに住む
住民
の利害と衝突したり
意見
の食い違いを生じた場合どのように調整されてきたのか、これまでにそのような
経験
がおありなのかということをお
伺い
したいと思います。
トレバー・ウィルソン
78
○
ウィルソン参考人
確かに、
意見
の相違とか、例えば
土地
の利用
目的
についての
意見
の相違があることはあります。時々、国のレベルで
土地
をこういうふうに使いたい、しかし
キャンベラ
の
市民
が別の
目的
で使いたいというような問題はあります。余りたくさんそういった場合はないのですが、しかし確かに、
キャンベラ
の
市民
はほかの
市民
と同じように納税者で、
自分
の税金で国が使っているサービスとか、ほかの
国民
よりも
キャンベラ
の人がその負担を感じている声もあります、そういった問題の解決に努力しなければなりませんが。 一般的に話しますと、
キャンベラ
のこれからの
計画
につきまして、例えば二十一世紀に向かって
キャンベラ
の
発展
、どういうふうに
計画
すればいいかということにつきまして、一九九六年から両レベルで、つまり連邦レベルと
地方
レベルで協議過程を設けまして、
キャンベラ
の将来の
計画
についてどういうふうにあるべき、どういうことをやるべきだということにつきまして、大きな
計画
をつくっている途中ですが、後で、もし先生が興味があったら、この分厚い英語の書類がありますから、喜んで差し上げたいと思います。
知久馬二三子
79
○知久馬
委員
大変貴重な御
意見
、ありがとうございました。終わります。
井上一成
80
○
井上委員長
以上で
参考人
に対する
質疑
は終了いたしました。 この際、
参考人各位
に一言お礼を申し上げます。 駐
日マレイシア特命全権大使タン
・
スリ
・H.M.
カティブ参考人
、駐
日オーストラリア公使トレバー
・
ウィルソン参考人
におかれましては、貴重な御
意見
をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。
委員会
を代表して厚くお礼を申し上げます。 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後零時十六分散会