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山本(幸)
委員 自由民主党の
山本幸三です。
私は、財政と金融の分離の問題についてお尋ねしたいと思っております。
大蔵大臣、どうもありがとうございます。ぜひよろしくお願いします。
財政と金融の分離が今回の中央
省庁改編の中の
一つのテーマになりまして、先般も民主党の鳩山議員が、三会派合意を何で破るんだというような趣旨の話がありまして、私も聞いておりましたが、そのときに奇異に思ったのは、合意はどうだという
議論ばかりで、そもそもの本質論が全然なされていない。つまり、金融とは何か、財政とは何かというようなこと、そして、なぜそれが金融と財政分離ということになるのかというような、本質論が全くなされていないところに私は大変危惧を持っております。
また、この
議論は、昨年の金融
国会のときに行われたわけでありますが、私も
委員として修正案等の
仕事にも携わったわけでありますが、どうもそういう本質的な
議論なしにそういう方向に行ってしまったような気がしておりました。大蔵省の不祥事というのがあって、大蔵省バッシングはわかりますけれども、ただそれに熱に浮かされたようで、本質的な
議論がないというのは、これはやはり問題なので、一回少しそういう
議論をしておく必要があるんじゃないかと思っております。
それでは、どういう
議論かということになるわけですが、では、金融とは何かということを、私は、財政、金融分離を主張する人から一度も聞いたことがない。金融とは何かということをはっきり定義してそんな
議論をしている人はいない。では、金融とは何かという定義をいろいろ調べてみますと、非常に難しいんですね。
例えば、「金融論入門」という本を書いた川口先生の本に、金融とは、金融の定義ですね、給付と反対給付との間に時間的な隔たりがある貸付取引のうち貨幣そのものを
対象とするもの、そう書いてある。あるいは、本院の議員であります
鈴木淑夫先生の「現代
日本金融論」によりますと、貯蓄の方が投資より多い部門から投資の方が貯蓄よりも多い部門への資金の流れと書いてある。
ケインズによりますと、金融とは、富に対する既存の権利を保有し、また交換する
経済活動を
意味し、その中には株式取引所及び貨幣市場の取引、投機並びに経常貯蓄と利潤とを企業者の手に送達する過程を含むものである。何が何だかさっぱりわからない。
広辞苑の定義によりますと、金融、「金銭の融通。かねまわり。」そしてまた「
経済社会における資金の貸借。」広辞苑のこれを見ると、要するに、金に関する事象だということはわかりますね。しかし、金に関する事象といえば、それは
経済そのものであって、金融を定義しようとすると、それは
経済そのものですよと言わざるを得ない。
つまり、それだけ広い定義になってしまうと、これは、物事を
議論するときに使えるような定義じゃないですね。
そのほかの、サムエルソンの「
経済学」とか、あるいはハロッドとかシュムペーターとかフィッシャーとか、いろいろそういう
経済学の基本的な教科書を見ても、もうそういう人は、金融というのは定義できない、そもそも、そういう教科書には金融の定義などない。つまり、金融というものを、これですよというように明確に定義することは不可能。
それでもって、金融は財政と分離ですよという
議論は、私はなかなか難しい
議論だと思いますね。だから、分離をやろうという人がもしこれからもこの
委員会で
議論をするとすれば、まず最初に金融とは何かということをしっかり定義してもらいたい。その定義なしに
議論を進めるとすれば、それは
議論にならないと私は思います。
それからもう
一つ、ちょっと資料を配らせていただいたのですが、マネタリーベースの動向、これは
日本銀行が発表しているものですが、この
中身については、時間があれば後で
大蔵大臣にお伺いしたいと思いますが、ちょっと私が言いたいことは、金融はお金だ、お金とは何かということをどんどん究極的に突き詰めていくと、このマネタリーベースになるのですね。マネーサプライのもとになっているものですから、マネタリーベース。
具体的に定義すると、銀行にたまっているものも含めた、市中に出回っている現金プラス市中銀行が
日本銀行に持っている
準備、現金プラス
準備をマネタリーベースといって、究極的にはお金はここに収れんする。逆に言うと、お金の量というのは、ここを動かしたときに初めてふえる。そうすると、これはまさに金融ですね。金融というものを突き詰めていくと、これはこのマネタリーベースということになる。
では、そのマネタリーベースというのは何で動くか、どうして増減が起こるかというと、これは基本的に二つしかない。
一つは、
日本銀行が行う金融調節、
日本銀行信用というものですね。もう
一つは何かというと、財政の要因で起こる。これは、外為介入をやったり、あるいは国債を発行したり、あるいは税金が入ってきたり、財政支出したり。
つまり、お金を究極に突き詰めていくと、マネタリーベースということになって、そのまた動かす要因というのは、日銀信用か財政要因か、この二つしかない。そうすると、
議論を突き詰めていくと、そこでは金融イコール財政なんですよ。逆に言えばまた、財政イコール金融なんです。これが、金融と財政が不可分のものであるという究極の原点だろうと私は理解しています。
したがって、
世界じゅう、金融については中央銀行とそして財政を預かる大蔵省、財務省が大体やっている。それが本来の本質的な方向ではないかと私は個人的には思っています。だから、これから財政、金融分離を
議論する場合には、ぜひ、金融とは何かという定義と、この突き詰めていけば財政イコール金融ということになるマネタリーベースについての見解を表明しない限り、私は傾聴に値しないと思って、これから判断させてもらいたいと思っています。
そこで、ただ、政党政治ですから、いろいろな、大蔵省バッシングもあったりして、いろいろな
議論がありまして、金融
行政を分離した方がいいじゃないか、監督
行政を分離したら、そういう
議論もあって、それはある程度私もわかります。では、どういう形でやっていけば本当に
国民経済のためにうまくいくかという
観点で物事を考えていくべきだと思いますが、しかし、最後の本質はさっき言ったことだということは頭に置いておかなければいかぬ。
そこで、いろいろなそういう政党間の話を、経緯を経て、最終的に
政府案として出てまいりまして、私は、まさに自自公の最後の良心が働いたと評価しています。それは、やはり危機管理のものについてはどうしても財政的な
観点が必要だ、したがって、そこは金融庁と財務省の共管ですよということになりました。
これは、私は、危機管理というのは非常に重要なことで、一昨年来のアジアの金融危機を見ていますと、従来の
経済危機というのは、大体、国内
経済政策がおかしくなって、インフレが起こって、そして財政が悪化して、そして経常収支がおかしくなって、為替レートに異常な変動が起こるという形で起こる経常収支危機というものだろうと思いますし、IMFはそういうものに対する対応策を言っていました。
しかし、アジアの
経済危機は実はそういう方向で起こらなかったんですね。むしろ逆に、資金の流れが先に起こって、急速に欧米、
日本の銀行融資が一斉に引き揚げて、そのことが、タイなんというのは
経済的なファンダメンタルズはかなり良好だったんですけれども、逆に、資金の流れががっと一気に起こることによって、信用機構がおかしくなり、信用収縮が起こって
経済が危機に瀕する。そういう
意味では、従来とは全く違う資本収支危機というのが起こってこういう状況になったんじゃないかと思うんですね。
資本の流れがこれだけ大きくなると、私は、将来的にも、
日本経済にとっても何が起こるかわからない。これは、やはり危機管理というのが非常に大事な問題になってきて、まさに国家の信用、通貨の信用にかかわる話なので、そこはしっかりと対応できる体制を考えておかなきゃいかぬ。私は、最終的にはそういう信用危機に対しては財政資金の投入がどうしても必要になるし、あるいは国家の信用をもってそれをやらなきゃいかぬし、そしてまた、最後には、お金のコントロールということで、財政の動きによって決まってくるので、これはどうしたって、将来なる財務省としては、当然看過できないものだというふうに思って、今回の
法案の形になったと思いますが、その点についての
大蔵大臣の御見解、金融監督庁長官の御見解をお伺いしたいと思います。